号
40
ページ
37-46
発行年
2012-12-21
三戸吉太郎にみる日曜学校教育
― 訓蒙『神の話』をめぐって ―
Sunday School Education Seen in the Writings of Kichitaro Mito ― Research on “Talks to Children about GodÝ―
小 見 のぞみ
*Abstract
Kichitaro Mito (1867-1925), one of the prominent leaders of the Japanese Sunday School movement, wrote a book entitled “Talks to Children about God” in 1897. In this writing, he described only true God who has created everything of the world. Mito eagerly recommended children to learn and follow the instruction of Sunday school of his day.
The contents and ways of his teaching clarified his theological propositions and educational theories, the way people understood children, and still affects us today as follows; we should bring up children as successors of Christian faith, education is a means for missions, discipline in the tradition of Methodism is highly evaluated on educational context. These themes which he asserted must be reexamined critically in todayʼs situation of Japanese Christian education, especially from the view of religious education theory and Christian nurturing.
キーワード:日曜学校運動、教育的伝道、メソジストの教育理解
はじめに
現在日本で行われているキリスト教教育、キリス ト教保育の特徴や、方法を考察するとき、近代日本 のプロテスタント宣教の初めに導入された、日曜学 校運動の影響を無視することはできない。宣教師に よるキリスト教の女子教育、幼児教育、ミッション スクールの開設とキリスト教会の誕生、発展にはい つも「日曜学校」、「安息日学校」と呼ばれる活動・ 運動が伴っていた。 日本における日曜学校教育の歴史は『日本のキリ スト教教育の歩み』1)に詳しいが、140年にわたる歩 みの中で、その黄金期といえる1900年代から1930年 代を創生し、担った東西の雄があった。東の田村直 臣(1858〜1934)、西 の 三 戸 吉 太 郎(1867〜1925) である。 田村は、東京・築地居留地でキリスト者とされ、 牧師となり、米国留学を経て、1901年に児童本位を 自覚し、その後の一生を「子ども」に集中して著作、 教育、牧会を行った。「日本の花嫁事件」により、 日本基督教会牧師を剥奪された期間があるが、生涯 長老派の神学を堅持し、東京を拠点とし、『廿世紀 日曜学校』『子供の権利』『児童中心の基督教』など 児童の宗教教育に関わる多数の著作と、発達段階に 即した11年制、14年制などの教案(カリキュラム) ならびに子ども向けの読み物を著している。日本日 曜学校協会(以下 NSSA)の創立にも深く関わり、 文学委員長として活動するが、1920年を境に NSSA の表舞台からは距離を置くようになる。 一方の三戸2)は、広島で生まれ、関西学院の創立 者である W. R. ランバスから受洗。一生をメソジス トの牧師として、関西、四国、中国地方で送り、メ ソジスト教会の日曜学校運動の礎を創った人物とな る。田村から10年ほど遅れて出生し、約10年前に他 ― 37 ― * Nozomi KOMI 聖和短期大学 教授 1)NCC 教育部歴史編纂委員会編『教会教育の歩み』教文館、2007年は、日本日曜学校協会(NSSA)設立100周年の記 念事業の一環として出版され、年表部分は本稿にて取り上げる三戸吉太郎の時代を検証する有効な資料となる。 2)三戸吉太郎の人物については、拙稿「学院の人々20 三戸吉太郎」『関西学院史紀要第十八号』関西学院学院史編纂室、 2012年、pp. 149-157を参照のこと。界するが、同時代に日曜学校運動を自らの使命とし て生きている3)。 三戸は、神学生、牧師としての赴任先々で、子供 讃美歌を作り、カード帳を草案し、日曜学校と青年 同盟(エプオース同盟)を組織して、子どもたちと 青年への伝道、育成を行った。日本メソヂスト教会 日曜学校局長として、NSSA の理事として、日曜学 校運動推進のために奔走したのである。また、関西 学院の中にハミル館を建設し、日曜学校教師養成所 の開校と資料の開発を行い、関学神学部やランバス 女学院において日曜学校教育に関する講義を担当す るなど、神学教育の中に日曜学校教育を位置づけよ うと試みた人でもあった。 このように三戸は、日曜学校運動の活動家、実践 家であり、田村とは異なり、生涯最後まで日曜学校 教育との関わりの中で生き続けたが、50代で早世し たため、著作はわずかしか残されていない。そのた め研究は少ないが、日本のキリスト教教育・保育の 歴史の中に、今日も色濃く残る教育伝道への熱心を 植えつけ、教師養成の意識を高め、子どもへのお話 の様式を確立するなど、日曜学校文化との深い関連 付けを行った上で、比類ない人物であった。 そこで、本稿では、三戸吉太郎が遺した数少ない 著作の中で、子どもに如何に神を伝えるかを10話に わたって展開した『訓蒙神の話』(1897年)4)を取り 上げる。その内容と教育方法の分析を通して、三戸 の日曜学校教育とはどのようなものであったのかを 考察し、加えてわずかに残されている三戸の論考を も手がかりとして、日曜学校全盛時代の子ども理 解、教育論、神学的特徴を探っていく。
Ⅰ.『訓蒙神の話』に見られるもの
ઃ.構成と目的 この著作は、童友著『訓蒙神の話』(以下『神の 話』)として1897年12月に東京教文館より発行され た。英語タイトル Talks to Children About God が 示すように、「キリスト教の神」や一話ごとの題に 見られる神学的命題を子どもに伝えることを企図し た本である。もともと話毎の分冊を、10話まとめ て出版した合本(全152頁余となる)で、話毎に独 立した頁数がうたれ、目次や通し頁がないため、拾 い出した目次構成とそれぞれの頁数を記載してお く。 「序」 J. C. C. ニュートン p. 1〜 4 「日曜学校の事」(三戸による合本への序論) p. 1〜19 <神の話> 第回 神の存在 p. 1〜14 第回 神の全知全能 p. 1〜18 第回 神の遍在 p. 1〜11 第回 神の霊性 p. 1〜11 第回 神の全知 p. 1〜 9 第回 神の惟一 p. 1〜14 第回 眞の神てふ話 p. 1〜19 第回 神の無始無終 p. 1〜14 第回 神の公義 p. 1〜17 第10回 神の仁愛 p. 1〜25 著者は「童友」とのみ記されているが、これは三 戸が好んで用いたペンネームで、彼自身の立ち位置 をよく表したものであると思われる。『天使之聲』5) 禁酒号では「水蛇の噺」の著者として「美み登との童どう友ゆう」 と振り仮名が付され、当て字で「三戸」が暗示され ている。 『神の話』序(明治29年月23日付け)において は、J. C. C. ニュートン(当時関西学院神学部長で、 後に関西学院第三代院長となる)が、「我友タリ學 生タリ兄弟タル三戸吉太郎君ハ性來小兒ニ對シ多趣 有益ナル談話ヲナシ且之ガ著述ヲナスニ長ズ、頃日 一書ヲ著シ名ケテ『訓蒙神の話』ト云フ…」として、 童友が三戸吉太郎であることを明記している。 また、著者本人は、この著作の目的を記した、「日 曜学校のこと」の最後に、「摩耶山の麓関西学院北 寮に於て童友述」と記名している。合本の出版は神 学部卒業(月)の年の12月であるため、神学生時 代から子どもたちへの日曜学校教育を施していた三 戸が、書き溜めて回ごとに作っていたリーフレッ トを、卒業を前にまとめた物ではなかったかと推察 する。この「日曜学校のこと」は、子どもたちの友 3)田村と三戸とは、神学的背景、性格、教育的手法などあらゆる点で真反対といえるほどの違いがあったと思われる。 しかし、田村は日曜学校運動に関して三戸を高く評価し、彼への批判は著述の中に一切見受けられない。同時に、三 戸もまた田村を評価し、関学での田村の講演会を設定するなど、違いを越えた理解と尊敬を持っていたと推察される。 4)三戸吉太郎『訓蒙 神の話』教文館、1897年からの引用は、その文章がある回又はタイトルのみを本文に示す形とす る。 5)『天使之聲』(天の使かひ之聲のこゑ)は、三戸が考案したカード帖で国立国会図書館に部、青山学院資料センターに「禁 酒号」が部が現存する。である、三戸の出版の動機と、愛情、意気を感じる 序論で、子どもたちに話しかける形で以下のように 始まる。「愛み童な諸君さ ん今日は善くお來校い でになりました 此様に諸君みなさんが來お校いで下さゐますと童わた友くしも嬉くてたま りません」。 その後、お饅頭を子どもたちに配るおじいさんが いるのに、「食わず嫌いの子どもたち」はその美味 しさを知らずに捨ててしまうという例話が語られ る。こうして三戸は、日曜学校の有意義なことを知 らない子どもたちを招く一方で、当時のキリスト教 会や日曜学校が、社会や大人たちに、ひいては子ど もたちにどのように理解されていたかを踏まえて、 日曜学校の真の意味を代弁していく。1892(明24) 年11月17日の文部省小学校令第12条に基づき、省令 第11号をもって、尋常小学校に於いては「孝悌、友 愛、仁慈、信愛、敬礼、義勇、恭険、実践の方法」 を授けること、また、特に「尊王愛国の志気」を養 うことが求められているが、これは日曜学校の教え そのものなのだと言うのである。三戸は、日曜学校 を、主に「敬神他愛(かみをうやまいひとをあいす) の教えをする所」と定義づけ、「憲法28条日本臣民 は安寧秩序を妨げず及臣民たるの義務に背かざる限 りに於いて信教の自由を有す」をひいて、尊王や愛 国を聖書によって語っている日曜学校は、「大日本 帝国が千代に八千代に続くように」との思いに沿っ た場所であり、文部省が求めるよき徳を、真に教え る所だとするのである。 このように、序論において三戸は、当時の日本社 会においていかに日曜学校教育の価値と意義が多大 であるかを述べ、子どもたちがこの教えに触れ、こ の神を知ることへと導かれるようにと、熱意を込め て語っている。そのためには、大日本帝国憲法と文 部省の意にそった日曜学校であることの喧伝が必要 不可欠であったことが推し量られる。そうして三戸 は、日曜学校教育を推進させる為に、キリスト教理 解に必要な神学的命題を各回のテーマとして掲げ、 参照聖書を引用し、お話を用いて、最後に讃美歌を 載せるという形式をもって、子ども向け読み物『神 の話』を著したのである。 .教授方法からみる特徴 さて、本論となる10回の「神の話」は、三戸独特 の技法、手法を凝らした教授方法がとられている。 Ⅰ−においてはそれらの特徴をつの点からみて いく。 ①問答形式・対話的方法 まず目を引くのが、お話の中で繰り返される「○ ○ちゃん」「○○さん」と子どもの名前を読んでの 質問と、それに対する「ソー」「ソーです」からなる、 先生と生徒の問答である。「正さん此旗は誰が拵へ ましたか?ソー先生であり升。みさをさんあなたの お衣服きものは誰が拵へましたか?ソーお母さんでありま す。」(第回)6)といったやり取りが著作全体に一 貫して見られ、質問と答えから話が展開されてい る。 第回の冒頭に「何時も先生は、みなさんと問答 ばかりいたしますから、今日は九つになられる悟さ んという坊ちゃんと布袋さんとのお話をいたしま しょう。」とあることから、三戸自身もこの問答と いう形が、三戸のお話の基本的様式になっていると 自覚していたと推察される。元来、「問答」形式は、 キリスト教教育において、古くから用いられてきた カテキズム(信仰問答、教理問答)7)を踏襲した教 授法であり、日本の日曜学校教育においても、その 教材の当初に『さいはひのおとづれ、わらべ手びき のとひこたへ』8)が発行されている。 ただし、三戸の場合、問答は、教理問答等で確立 された「神とは何ぞや」といった神学的な命題を問 いとして持ち出し、その答えを記すことで解説する という様式ではなく、子どもが直ぐに答えられる簡 単な質問を投げかけて、その答えを聞きながら話 (神の真理や神学的命題)をわかりやすく展開する ための対話・会話型の問答であった。これは、子ど もたちの名前を呼びながら、一人一人の関心、興味 を引き起こすために、三戸が自分のスタイルとして 確立し、多用した方法であると思われる。 たとえば「神の遍在」(第回)という命題は、 三戸によれば、次のように対話的に展開されてい く。「和平さんお憚はばかりですが其処の障子を少し開け 三戸吉太郎にみる日曜学校教育 聖 和 論 集 第 38 号 2010 ― 39 ― 6)以下『神の話』からの引用は、「升」(ます)等の当て字や旧仮名づかいを、読みやすさを考慮して適宜現代文に変換 して記載する。 7)カテキズムの「原型はユダヤ教の過越の祭りの中で儀式の意味を子どもが親に問い、親がこれに答える問答にあると 言えよう」(今橋朗、奥田和弘監修『キリスト教教育事典』日本基督教団出版局、2010年、p. 73)とあるように、親 子の問い答えを含んだ会話によって教えることを基にした教授法であると言える。 8)ヘボン、奥野昌綱『さいはひのおとづれ、わらべ手びきのとひこたへ』は、1872年または1873年に日曜学校用のプロ テスタント初の児童書、問答書として発行された。
て下さい。和平さん大きに有難う」から始まり、和 平さんが障子を開けると予め三戸が用意して天井か ら吊っていた折鶴が踊りだすようにしておく。「な ぜでしょうか、ソー風が入って来ますからです。」 そして風が部屋いっぱいになっている事を子どもた ちと確認した上で、その風を、「清さんハンカチで しっかり包んでください。みさおさんは、この綱で 風を逃げないように縛り、譲ゆずるさんはこの鞭で風を 打ってどんな音がするか聞かせ、お愛さんは風の色 がどんなか見せてください。」と子どもたちにやっ てみるように促す。そして、部屋中にある風は、形 がないため見えないが、現に部屋いっぱいになって いるのは確かであること、「アノ見えない風は何処 に在りますか?そうです、汝あなた等がたの居られます所に は何処でも在ります。其の様に見ることの出来ない 神様も何処にでも居られます」と、偏在する神を 語っていくのである。 子どもたちに丁寧に話しかけ、それぞれの名前を 呼び、子どもたちとの会話、対話を楽しみながら、 神への思いと興味を自然に起こしていく。全編にわ たって用いられている三戸のこの方法は、単に方法 論であることを超え、三戸の学習者への教育的配慮 や、幼いものへの限りない敬意と愛に裏付けられた 子ども理解を示し、『神の話』の教育の基調となっ ていると思われる。 ②視聴覚教材、絵画・制作 次に、三戸独特の教育法として、視聴覚教材や絵 画、制作を交えながらの話の展開が上げられる。 子どもたちの制作としては、粘土で自由に物を作 らせ(第回)、人間の作ったものと神の創られた ものの違いを語る。お坊さんの顔の画を黒板に書 き、次に人の子どもに、目、鼻、耳などのパーツ だけを各々画かせて合わせると、奇妙な顔が出来て しまう(第回)。ここから、たくさんの大工がい ても棟梁が一人だから、頑丈な家が建つように、天 地の創り主である神は唯一であることへと展開する 等の例がみられる。 また、八百万の神を信じる愚かさを、「いきもの、 はへもの、かね・いしるい」と書かれた重石の下で 人間が押しつぶされている絵(第回)を見せて教 示するといった図解や、「ナンデモモノハコシラヘ ラレタ」と黒板に書く(第回)ことで、そこまで の話をまとめて提示する板書などの方法も取り入れ られている。 さらに、男女に分かれて知恵比べをするための 「物知り旗」(第回)や、先に挙げた天井から吊る された折りヅル(第回)、提灯(第回)、茶碗と 箸(第回)など、目に見える物を用いて話を展開 して行く様式が随所にみられる。 三戸は大変器用な人で絵心があり9)、彼の日曜学 校での活動については、「玉手箱」のように中から 様々な材料が出てくる大きなスーツケースを持って 旅行に出かけ、「それを自由に巧みに使って、ニコ ニコとものしづかに、細かいところまで行き届いた 講演をするのが特長」であったと記載されてい る10)。『神の話』には、その実際を感じられる場面 がいくつもあるが、そのうちで三戸の教材教育の素 晴らしさを特に表していると思われる第回の提灯 を用いて教える「神の全知」を以下に要約、紹介す る。 「みさをさん此れは何でありますか?(風呂敷よ り堤燈を出して示す)ソー堤燈であります誠一さん 此れは何に使用物つかうものでありますか?ソー」と堤燈の便 利なことを話す。「皆さん此堤燈の中へ何が立てて ありますか?美チャン何卒どうぞ仰って下さい、只今皆さ んのお聞きの通り美チャンは蝋燭が立ててあると申 されましたが皆さんは如何ど うお考えなさいますか?」 みんなもそう思うと聞いて、しのぶに中身を取らせ る。「此れは何でありますか?ソー大根であります。 …なぜ間違ったのでしょう?ソー堤燈の中が見えな いものですから、大間違いをなさったのです。皆さ ん本当に私共は、無知者つ ま ら ぬではありませんか。この一 つの間で、ただ、紙一枚を隔てていると、三十四十 の目で見ましても知れません。障子や襖や壁を隔て ますと、いよいよ何もわかりません。」 そこから、わたしたちは、お母さんが家で何をし ているかわからないし、今赤ちゃんが生まれて大喜 びの家があれば、親が無くなり子どもが泣いている 家もある、晴れているところ、地震に襲われている ところもある等を語り、「真実ほんとに人間は歯痒様に 愚知つまらぬ者です」とする。こうして、わずか障子紙一 枚の先も見えなくなり、分からないわたしたちの小 9)青山学院史料センターには三戸吉太郎案『天地創造図解』と題された水彩の屏風絵があり、ÛThe CreationÝ Illustrated by Rev. K. Mito と書き込まれている。
ささと、全世界のすべてのところに居られ、すべて をご存じの神の存在との圧倒的な差異を語っていく のである。 また、毎回の最後にはまとめの形で「讃美歌」が 記され、子どもたちが共に歌うことで、『神の話』 の学びを深めることが企図されている。先述の『天 使之聲』もお話と讃美歌を含んだカード貼となって いて、子どもたちの参与を促す教材や方法の追求と 実践は、三戸の生涯の課題であったことが窺われ る11)。 ③子どもの生活経験に基づく例話 三戸はもちろん聖書そのもののお話をしたと思わ れ、1914年月〜日に神戸の関西学院神学館で 開催された日本メソヂスト教会日曜学校局の、第 回西部少年夏期学校(日本初の夏期聖書学校とされ ている)の報告に、「三戸講師の英雄ヨセフ傳…あ り」とある12)。しかし、『神の話』においては、引 用聖書箇所を必ず用いているものの、聖書物語と言 われるものはなく、替りに子どもたちの生活経験に 即した例話がふんだんに用いられている。 特に、「悟さんと布袋さん」(第回)や「順坊と 磐坊」(第10回)では、神とわたしたちとの関係、 神の前での人間の在り方などについて、悟さんや順 坊といった子どもたちを登場させる。こうして子ど もが、日常の世界で体験している失敗や恐れに共感 的に気づくこと、自分の生活に引き寄せて「神」を 想うことが意図されていると思われる。 ここには、五男五女の子を持った父であり、神学 生時代から常に教会で子どもたちと関わってきた三 戸ならではの、「子ども世界」と「子どもの見る世 界」の描写がなされている。例話というジャンルか らは少し外れるが、当時の社会と風景を感じられ る、三戸が子どもたちに語った四季を要約して挙げ ておく(第回)。 神さまが地球をお回しなさるので、みなさん のお好きな時候が参ります。 春:野辺にも山にも美う麗つくしい花が咲き…みなさ んはおすしや、玉子や、蒲鉾の入っているお弁 当を持ってお花見においでなさって、野辺のつ ぼみや蓮華を摘みなさいます。夏:ホタル狩 り、蝉がやかましくゲヤーゲヤーゲヤーと啼き だし、外を氷やー氷やーアイスクリームと…。 秋:冷たい風がソーと吹き出しますと、紅葉が 赤く、庭の菊が咲き、山ではきのこが丸い頭を のっそり。冬:その木も葉を落とし、はだかに なってさみしくなってきますと、お手や足の指 が冷たくなりまして、「山はひがあたるここは さむいよさむいよ」と歌って日向で遊びたくな りますが、寒い日にアノ白い、ソー雪が降りま して、雪玉を拵えたり、ダルマを拵えたり、ウ サギを拵えたり…オー冷たい!神様が地球を回 されるので、おもしろいではあませんか。 અ.内容から見る特徴 『神の話』に強調されていること、繰り返し語ら れ、用いられている言葉に注目すると、内容的な特 色として以下の四点を挙げることが出来る。 ①神の超越性、絶対性 全編にわたり、神についての話の中で特に述べら れているのは、「眞の神」「万物の創造主」「全知全 能の神」「唯一で眞の神」など、神の超越性、絶対 性である。そこにはまた、わたしたち被造物との絶 対的な違いと共に、日本における他宗教やその神々 との違いも主張されている。 神の超越性、絶対性は、三戸においてはよく、創 造の業を例にとって述べられている。人間の手によ るものとは全く異なり、世界中でいちばん偉い人で も創りだす事ができない「天地万物を作られた神の 智恵え 能力ら いことは如何ばかりか」(第回)といった 言葉がある。また、 この世界を造られたのは、ソー真の神様です。 其の神様は誰が造ったのでしょう。真の神様ば かりは誰も造った者はありません。真の神様 は、木の様に生えたり、皆さんや先生のように オヤーオヤーと言って生まれたり、人形のよう に造作物こしらえものではありません。ソースルト皆さん、 真の神様は初めがあります?其の通り、真の神 様は初めがありません。初めの無い真の神様は 終わりがありましょう?皆さんよく出来まし た。初めの無い真の神様は如何ど うしても終わりは 三戸吉太郎にみる日曜学校教育 聖 和 論 集 第 38 号 2010 ― 41 ― 11)前出の『天使之聲』(国会図書館蔵分)の奥付には「兵庫県御影町字郡家 日曜学校教材供給所 春光社」とある。 三戸は、御影教会退任後ハミル館ができるまでは、御影の自宅を教材供給所として活動、ハミル館完成後は、その中 に春光社を移して日曜学校教材の開発、普及に常に取り組んでいたことが分かる。 12)『日曜學校』第号、日本日曜學校協會発行、1914年、「各派」の報告に記載。
ありません。(第回) のように万物の創造主は、また永遠性を持った方で あることと結びついて語られている。 他宗教、他の神々に対する卓越性については、主 に第回「眞の神てふ話」に集中して述べられてい て、興味深い。「先立て先生が汽船に乗り、神戸か ら讃岐の多度津へ行った朝のこと」、神学生の三戸 は、毎週末に四国の多度津教会へと礼拝と日曜学校 の応援に出かけていたが、ある時同船したおじいさ んが日の出に手を合わせ「日輪様」を拝んでいると ころと出くわす。そこで問答となり、「日輪様のお かげで生きられるので」拝むのだというおじいさん に対して、「お陰」のあるものを拝むというならあ らゆるもの、風の神様、水神土神、八百万の神、つ まり「万物はみな神様」になってしまう。それでは、 拝むものと拝まれるものはどちらが上かとの三戸神 学生の問いに、もちろん拝まれる方が上とおじいさ んは答える。それなら、万物が上で、拝む人が下と すると…人間はいちばん下となる。 そのことを図解で示してから、三戸は宣言する。 「私共人間は日も月も草木も鳥も毛物マ マも世界に有る 目で見へる物は万物なんでも拝んではなりません」と。何 故なら、 着物は私たちをぬくぬくして風邪をひかずに達 者でいさせてくれますが、着物にお礼を言いま すか?ソー着物ではなく、こしらえて着せて下 さるお母さんにお礼を言います。造った者と造 られた物のどちらにお礼を言いますか?造った 者にお礼を言わなくては。万物は一切人間の為 に神様がつくってくださったのですから、人間 はあのおじいさんのように万物を拝まず、万物 を造られた神様を拝まねばなりません。 と、いうのである。当時の日本社会がもち、子ども たちを取り巻いていた神観や宗教心、信仰の持ち方 に対して、この回ほど明確に否といい、八百万の 神々に勝る「眞の神」への敬神こそが、正しい道な のだと信念を明示している箇所はない。加えてこの 回は、多宗教の習慣の中で「キリスト教の神礼拝を ささげるあり方」にまで言及し、具体的事例を挙げ て詳述している。 神様は何処にでもいらっしゃって実に見えない お方なので、其の真の神様を拝みますには、嘘 の神様のように神社や仏閣を建て、しめ縄をし て、お神酒や灯明をあげたり、線香、鐘や太鼓、 数珠をつかったり、手を打ったりして拝みませ ん。偶像や、絵、字を神様仏様といって拝むよ うなおかしなことはしません。ただ、私共が、 正直な潔き浄れいな、素直な心で拝みたいところでい つでも拝みさえすればよいです。 こうして、「嘘の神様を拝む事をおやめなさいませ」 と勧めるに至るのである。 他の箇所の論調とはかなり異なった、強い調子の 言葉づかいが、この第回には見られ、日曜学校と 子どもを取り巻く当時の宗教的環境に、三戸は並大 抵でない力を傾けて抗していたことが推し量られ る。 ②死ぬべき人間存在 子ども向けの話の内容として、少なからず驚かさ れるのは、人間は必ず死ぬ者、無知でわからないこ とがあり、恐れる存在であることなど、人間の弱さ や限界に関する言及である。死以外の他の概念につ いての説明の中でも、「魚が水から出されたら死ぬ ように、わたしたちは風(空気)がなくて呼吸でき なければすぐに死んでしまう」といった表現(第 回)もさりげなく用いられている。 第回では、「神の霊性」について話す中で「霊 魂」の説明のために、「死んだお嬢さん」の話がな されているが、これも現代の感覚からは、奇妙とさ え感じられるやり取り、言い回しであると思われ る。美しいお嬢さんがいて、目も鼻も、口も、耳も あるのに、しゃべらない、聞けない、食べもしない。 「手足は少しも動きません。身体に手を触れてみま したら冷たくありまして、呼吸い きもなさいませず顔色 は青白でありました。皆さんそのお譲さんはどうさ れたのでしょうか?ソー可哀相に死んでいましたの であります。皆さんは今死んでおいでるのですか? ソー生きておいでです。」可哀相なお嬢さんの死、 そしてわたしたちの死と生が、小学生と思われる聞 き手を相手に、あまりにも率直に語られ、死をめ ぐって問答がなされているのである。 死をここまで、子どもにタブー視せずに語ってい る背景には、「神について」語ることは、人間存在 について語ることであり、それらを真摯に語ろうと
するとき、人間の死の問題は避けては通れない主題 であるという三戸の自覚があると思われる。誠実に 死と向き合うという三戸の姿勢は、キリスト教の神 の使信こそが、人間の死と限界に対しても福音であ るのだと子どもたちに伝えるところへと、第回に おいて向かう。 サテ万物は始めがありますから 必然どうしても終わりが あります。人間も始めがある者でありますから どうしても死なねばなりません。如何ど れ程ほどにお金 がたくさんありましても、世界中で一番賢い人 になりましても、死なねばなりません。ナント 不好事いやなことではありませんか。ソー思うと泣きたく なります。しかし、人間は他の物とちがいまし て、この目で見える肉体からだは死にますが、霊魂たましいは 永遠 いつまで も生き通しに成れる事があります。それは 神様の教えを善く守り、其の教えの通りを致し ますと、神様が死なないように助けてください まして、皆さんのお正月やお祭りやお花見の時 に、嬉しいやら面白いやら何ともかとも言われ ぬ楽しい心が致しましょう、そのようにいつも にこにこして神様と一緒に永遠いつまでも天国で遊ぶこ とが出来るのであります。アア嬉しいことでは ありませんか。 ここにいたって三戸は、まず、どうしても避けら れない死をなんとも「いやなこと(不好事)」とし て語り、死ぬべき事を思うと「泣きたくなります」 と述べている。死への不安や恐怖、どうすることも 出来ない哀しみというものは、子どもたちにとって も当然感じられる、人間共通の体験であり、大人で あり、「先生」である三戸と子どもたちに何ら変わ りなく共有されるものとして、三戸はこれ提示す る。 その感情と経験の共有に立って、けれども、その 本当に嫌な死であっても、肉体が死んでも霊魂が永 遠に生き通せる事が、神によってあることが続けて 語られる。そのような、神によって与えられる、可 能性としての永遠の命は、「何ともかとも言われぬ 楽しい心」や、「にこにこして神さまと一緒にいつ までも天国で遊ぶこと」として表現され、この知ら せを子どもの想いに引き寄せて「嬉しい」ものとし て伝えているのである。 ③愛の神による救いの業 ④日曜学校教育の勧め 内容的な特徴として挙げられる後の二点は、『神 の話』の中ではほとんどの場合対のように表されて いるため、併せて取り上げておく。そのうちの一つ は、神の愛と神の救いが、「可愛がってくださる」 こととして繰り返し語られているということであ り、その神の「可愛がり」を受けることは、人間(子 ども)の側からすると「ニコニコ」「安心して」い られる、幸せな状態であるとされている。 最後の特徴として、このような愛の神の救いに与 るには、「日曜学校で稽古し続けること」、つまり、 日曜学校教育を勤勉、誠実に受け、その教えにそっ て努力、勉強することが何よりも重要であるという 考えが非常に強く表されている。『神の話』の前に 「訓蒙」が付されていることからもわかるように、 子どもたちへの訓育、道徳的な教えや諭しによっ て、「神(の話)」は受け渡されていき、「神」とそ の救いは、たゆまぬ日曜学校教育を受け、その道に 励むことによって、子どもたちのものとなるという 考え方が色濃く強調されている。 先生は此の様な眞か神様みさまの子になりまして 可愛かあいがっ て貰いますから、天変どんな地異こ とがありましても一寸ちっと も恐怖おそろしい事はありません。安心して気楽に思う て居ります。諸君みなさんも早く日曜学校で眞か神様みさまの事 を 稽 古 な さ い ま し て、眞か 神様みさま を 知 っ て 全 知 全 能 このうえもないえらい 、眞か神様みさまから可愛かられる子達とな りなさいまして、天変どんな地異こ とがありましても、少 しも恐い事は無といふ強つよ剛子き こ達たちとなって下さい ませ。(第回) 日曜学校へきてほんとの神様の教えを聞き、神 様に可愛がられる子達となると、怖い事はすこ しもありません。…神様が何時も、何処でも皆 さんと一所においでですから大丈夫でありま す。(第回) のように、「先生(三戸)」自身の例をも出して、子 どもたちの持つ恐れ(恐怖おそろしい事、恐い事)が、日曜 学校によって、神に可愛がられる子になることで無 くなり、「安心」「気楽」「強つ剛よさ」や「大丈夫」へ と進んで行くと表現されている。 三戸において興味深いのは、子どもたちの持つ恐 三戸吉太郎にみる日曜学校教育 聖 和 論 集 第 38 号 2010 ― 43 ―
れの内容が、単に天変地異といった物理的なものに とどまらず、精神的な恐れにも及んでいることであ る。第回においてそれは端的に現れ、「真の神様 は私共の致すことや心の中で思うことも直ぐお知り です。…どのように隠しましても隠すことはできま せん。アア恐いことではありませんか」と述べら れ、「それで私共は、何時も日曜学校へ来て、神さ まの教えを聞き善い心を以って賢い行いを致しまし て、その神様から善い事をするのを知られて可愛が られるようにいたしたいです」と結んでいる。物理 的にも精神的にも、恐れと不安に駆られる子どもた ちにとって、日曜学校につながって善行に励むこと で、わたしたちを可愛がってくださる神様に守って いただけるという救いは、三戸において特に重要で 価値の高い、子どもたちへの使信、福音だったのだ と思われる。 こうして、本書の最終第10回は、神についての話 の真骨頂を告げる。少し長いが、全巻のメッセージ が「順坊のおばあさま」が語った、二人の坊への言 葉に集約されているので、最後に挙げておく。 そこへ順さんのおばあさまがやってきて、「可 愛い子らよ」と二人を両方の手でしっかりと 抱きしめて「神様の御愛が分かったか、坊ら は善いことを知りました。神様は坊らの親様 が坊らを可愛がりなさるように、人間を可愛 がってくださいまして、人間を神様の子と おっしゃって、万物を造ってくださったので あります。ちょうど坊らの親様が坊らが可愛 いから、必要いりようの物はこっちから云わないうち に拵えてくださるようなものであります。神 様はいつも心配して、善いものになるように 教えてくださいます。坊らは日曜学校の先生 からよく習ってくださいよ。また、このお父 様の神様は、全知全能でいついかなる時もお いでになり、どんな事も知っておられるので、 神さまの可愛い子がこれをしてくださいとお 願い申す事は何時でもお気にいるとしてくだ さいます。何と有難い幸せの事ではありませ んか。日曜学校で神様の教えをよく聞く稽古 をして、何時でもそのようにしますと、お父 様なる神様のいちばん可愛い子どもとなれま す。」 神について子どもたちに語ってきた十篇は、見事 と思われるぐらいイエス・キリストによる十字架の 贖罪について直接的にふれないまま13)、親なる神の 愛について語り切る。そして、最後に、その神の可 愛い子どもたちにあなた方こそがなるのだと宣言 し、「神の子」としての人生―日曜学校とつながっ た人生でもある―へと子どもたちを招いて書を閉じ ているのである。
Ⅱ.三戸吉太郎の日曜学校教育論
ここまでの『神の話』の考察を中心として、わず かに残された三戸の他の論考、その後の三戸への評 価を加え、三戸の日曜学校教育とはどのようなもの であったのかを、以下に三つの特徴から分析してい く。 第一は、三戸の日曜学校教育論を支える、子ども 観、子ども理解から導き出される「継承者教育とし ての日曜学校教育」である。 三戸は何よりもまず、子どもたちを心から可愛 がっていた。子どもたち、それは彼にとって何より も可愛いらしい存在であったことは明らかで、『神 の話』の一節でも声に出して読むならば、子どもた ちに向けられた慈愛に満ちた三戸の笑顔が浮かぶよ うである。しかし、可愛い子どもたちへの愛にあふ れたまなざしを持ちながらも、三戸は子どもたちの 現実を深くとらえている。彼の観察と理解の深さ は、『神の話』に展開される子ども世界の描写の素 晴らしさや、子どもに語りかける言葉づかいがそれ を証明している。 その『神の話』から見られる子どもは、人間とし ての怖れを持ち、死へと向きあわされ、神の前では 非力で無力な弱い存在である。そこには三戸の、ロ マンティシズムを排除した現実的で実存的な子ども 理解が見受けられるのである。 しかしながら、教育論的に考察するとき、子ども を見る三戸の立場は常に「先生」(教師)としての ものであることも、『神の話』が全巻を通して語っ ていることとなる。教えるべき教師である彼にとっ 13)『神の話』では、「イエス」が明記されているのは全編を通じて回のみで、三戸による序の冒頭のマルコ10:13-16 の引用中だけとなっている。あえて、自らの文章中にはイエスの名前を書かず、『神の話』と題して「神の」話に終 始しているが、その冒頭にイエスと子どもたちの記事を配したことで「イエス・キリストの父なる神」についての話 であることを暗示していることが興味深い。て、子どもは、教えられるべき存在、つまり、学ぶ べき、生徒としての存在なのである。子どもたちへ の愛は、教師としてのそれであり、救いをもたらさ れるべき弱い実存は、真の教えを教師によって説か れて救われるべき実存として理解することができ る。 『神の話』から23年後に、三戸は「日本メソヂス ト日曜學校局々長」の肩書で、「今日の兒童が将來 の父母となり、市民となり、此世界の後継者となる のである。故に兒童は世界の起点と言っても過言で はあるまい。」と述べている14)。ここには将来を見 据えた子ども理解が明確に示され、この将来的理由 によって子どもたちを教育する責任があるとの展開 がある。また、わずかに残された伝聞、研究に「『今 日の日曜学校は明日の教会』というのが三戸吉太郎 の繰り返し言った言葉と伝えられている」15)とあり、 それが三戸の教育観の中心にあった思想であったこ とが裏付けられる。 子どもは、日曜学校において、正統的な教義と神 理解を正しく学び、「神の子」とされて、それらを 継承していく。こうして日曜学校は、真の神の子を 訓育するところの後継者教育(継承者教育)の場と して、三戸に理解されているのである。 第二に、三戸が提唱したのは、「教育的伝道とし ての日曜学校教育」であった。『神の話』において 三戸は、異教社会である日本で、他宗教や多神論の 渦巻く中で、真の神を知らせることの大切さを強調 している。そのような社会に生きる子どもたちに、 それらを離れて、「日曜学校へお出でなさい」と一 貫して説くのである。日曜学校はこうして、日本社 会での伝道を担う業として位置付けられる。 前出の「大成運動と日曜学校事業」において三戸 は、メソジスト教会の教祖である J. ウエスレーが、 「宣教的傳道の他に更に教育的傳道を採り此二大傳 道に等しく奮闘努力」した結果、今日の大メソジス ト教会が組織されたとの理解を示して、教育的伝道 の正統性をウエスレーに求めている。また、その (ウエスレーの)教育的伝道法とは、「兒童及青年に 對して徹底的宗教々育を施し、健實なる基督教者を 養成する今日の所謂日曜學校運動である」と定義す る。日曜学校は、子どもたちに熱心に聖書教話を講 じることで教化し、キリスト者、キリスト教信仰の 後継者を育てるという教育的機能を持って、伝道す るということになる。 三戸は教育的伝道法である日曜学校運動を、当時 メソジスト教会が行っていた「大成運動」の一つの 方法論として、「我が国教化改善」を目指していく ことを強く勧める。そして掲げられた目標は、回心 者信者獲得の具体的数値16)となっていくのである。 最後に、三戸の日曜学校教育は、「メソヂストの 道徳的、教育的特徴」を備えたものとして理解され る。メソヂスト教会の特徴は今述べたように、ひと つには「伝道」熱心であることが挙げられるが、教 派名の由来ともなった method 重視の傾向も、非常 に強い特色である。つまり、礼拝や祈り、教会の集 会や教えに対する勤勉や精勤が強く求められ、監督 制のヒエラルキーと権威をもつ教会によって指導さ れた生き方、道徳的で敬虔な態度が要求されると言 えるだろう。 『神の話』においても、子どもたちは、知的学習 と鍛練(稽古)し続けることを再三にわたって要請 されている。子どもたちは、教授―学習(先生―生 徒)関係の中で、先生から「たゆまず」知的に勉強 することが求められている。その結果として、頭で 理解する学校教育型(教室型)教育によって、学び、 分かることが、賢いこととして称賛されているので ある。第回の例話に出てきた「悟さん」は、賢い、 分かる子どもたれ!という願いが込められた名前で あり、第10回の「順坊」は、日曜学校に精勤して、 その教えに順奉し、神についての教義を頑固者の 「磐坊」に語り聞かせる従順で模範的優等生を表し ているのである。 このことは、三戸の日曜学校実践に見られる、精 勤を進めるカード貼『天使之聲』や、自身が創作し た「日曜学校生徒の歌」17)の歌詞、「日曜学校の約束 は、朝夕神に祈をし、父と母とを敬いて、煙草を吸 わず酒飲まず」、「…また折々の、集まりに出てキリ ストの、お教えを聞き行なうが、何より大事の務め 三戸吉太郎にみる日曜学校教育 聖 和 論 集 第 38 号 2010 ― 45 ― 14)三戸吉太郎「大成運動と日曜学校事業」『教界時報』1503号、1920年月18日発行、p. 6。 15)松川成夫「『日曜学校教育史上の人物』を学ぶ―三戸吉太郎をめぐって―」(「教育センターだより」第17号、1983年 12月日発行) 16)三戸吉太郎、前掲文書「大成運動と日曜学校事業」には、「日本メソヂスト教會日曜學校発展の標榜(來る総會迄)」 としてその年で達成すべき数字が「日曜學校数 壹千校以上、教職員数 参千人以上、生徒総数 拾萬人以上」と して挙げられている。 17)『日本基督教団宇和島中町教会百年史』日本基督教団宇和島中町教会、1997年、p. 101。
なり」に明らかに見られるものである。さらに、三 戸が晩年を費やした「ハミル日曜学校教師養成 所」18)の構想も、知的理解と訓練を伴い、相当な課 程を課して日曜学校教師の養成が成るという認識を 裏付けるものとなっている。 三戸に見られるこのメソヂストの道徳的、教育的 特徴は、一言で言うならば disciplineデ ィ シ プ リ ン として言い表 わされるのではないかと思われる。三戸は、日曜学 校教育に discipline:訓練、しつけ、規律などの要 素 を 色 濃 く 持 ち こ ん だ。そ こ で 日 曜 学 校 は discipline:鍛練、練習、稽古、修養などの場とし て理解されることとなったのである。discipline 自 体は、もちろんイエスの弟子たち(discipleディサイプル)につ ながる言葉として、教育を考える上で重要な概念で あるが、権威や正統性への従順が、その徳として浮 かび上がる言葉でもある。それらの要素は、三戸の 日曜学校教育論の際だった特長となり、その後の日 曜学校教育に強い影響を与えるものとなっていくの である。