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《資料紹介》『禅林象器箋』写本の調査事始め

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《資料紹介》

『禅林象器箋』写本の調査事始め

     

  

一、はじめに

 

─『禅林象器箋』とその研究課題─

『禅林象器箋』は、禅宗寺院における規則・機構・行事・堂舎・法具・器物などについて、内外の文献を 援 用 し な が ら 語 義・ 由 来 等 を 考 証 し た 書 物 で あ る。 著 者 の 無 著 道 忠 ( 一 六 五 三 ─ 一 七 四 四 ) は 近 世 に お け る 臨 済宗屈指の学僧で、その著作は三七四種・九一一冊にものぼる 一 。 無著道忠の学問的立場について特筆すべきは、内外に可能な限りの文献を渉猟し、かつ綿密な比較検討に よって客観的に解釈を導くその研究姿勢である。 『禅林象器箋』の「序」にみえる「大凡仏教 ・ 儒典、諸子 ・ 歴 史、 詩 文・ 小 説、 目 の 及 ぶ 所、 意 の 詣 ず る 所、 遠 く 蒐 あ つ め 近 く 羅 あ み し 」 の 文 言 が 示 す ご と く、 「 援 書 目 録 」 に 採 録 さ れ た 文 献 は、 内 典・ 外 典 あ わ せ て 七 七 〇 種 に も お よ ぶ。 『 禅 林 象 器 箋 』 は、 後 述 す る よ う に 無 著 道 忠 が生涯にわたって取り組んだ学究の成果物ではあるが、厖大な著作の一端にすぎないのもまた事実である。 無 著 道 忠 の 思 想 や 業 績 に つ い て は、 飯 田 利 行 や 柳 田 聖 山 ら の 研 究 成 果 が あ る が 二 、 無 著 の 著 作 そ れ ぞ れ の 成立過程については、なお明らかにする余地を残していると思われる。幸いにも無著は『照冰紀年録』のよ

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うな年譜や『逐年閲書記』のような読書録を著しており、これらを通して無著の著述編纂プロセスを検証す る こ と が 可 能 で あ ろ う 三 。 す で に 柳 田 聖 山 は、 無 著 の 学 問 的 背 景 と し て、 寛 文 八 年 ( 一 六 六 八 ) か ら 同 一 二 に か け て 五 年 間 に わ た り 無 著 が 写 経 生 と し て 加 わ っ た、 妙 心 寺 の 大 蔵 経 書 写 事 業 ( 底 本 は 建 仁 寺 の 高 麗 蔵 ) 与えた影響に言及している。このように、無著の多大な業績について、それぞれの成果に至る経過を歴史的 に究明することが研究課題として残されているのではなかろうか。 他方、無著三二歳の年に刊行された『小叢林略清規』をのぞき、無著の著作は稿本のまま当初龍華院に遺 されたが、厖大なその蔵書が、以後どのように伝来・流布してきたかについても、解明の余地があるように 思われる。 今回は、たまたま自坊に『禅林象器箋』の写本を所蔵していた機縁により、同書の写本について僅かな検 討を加えた。また、写本調査の過程で閲覧した春光院所蔵『象器緒餘』に、既刊の影印本に収録されていな い「象器箋例言」なる頁があったので併せてその本文を紹介させて頂く。写本の調査研究は、研究課題とし て提示した無著道忠の遺著の伝来・流布に関わる内容であり、また「象器箋例言」の検討は、無著の著述活 動全体における『禅林象器箋』の位置づけが示される点で意義をもつと考える。

二、

『禅林象器箋』写本の所在

『 禅 林 象 器 箋 』 は 無 著 道 忠 の 自 筆 稿 本 ( 原 本 ) が 妙 心 寺 塔 頭・ 龍 華 院 に 伝 わ る。 本 文 二 十 巻・ 目 録 一 巻 二一巻二一冊の構成である。本書の存在が一般に広く知られるようになったのは、明治四二年四月に原本を 底本として開版 (貝葉書院刊) されてからであろう。

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写 本 の 所 在 に つ い て は、 飯 田 利 行『 学 聖 無 著 道 忠 』 の 初 版 に 掲 載 さ れ た 目 録 を 禅 文 化 研 究 所 が 増 補 し た 「無著道忠禅師撰述書目」 四 に判明分が掲載されている。 ()は筆者による補筆。 →    金 閣 寺、 大 機 院 ( 東 福 寺 塔 頭 ) 、 両 足 院 ( 建 仁 寺 塔 頭 ) 、 、 清 見 寺、 李花亭文庫 、 足利学校 、 大中院 (建仁寺塔頭) 、東海庵 (妙心寺塔頭) 、校国寺 (未詳) こ の う ち 傍 線 を 付 し た 所 蔵 元 に つ い て は、 国 文 学 研 究 資 料 館 作 成 の「 日 本 古 典 籍 総 合 目 録 デ ー タ ベ ー ス 」 によっても確認することができる。 →   石川県立図書館李花亭文庫 (一一冊) 、足利学校 (巻七~一二、六冊) 、大中院 (二一冊) さ ら に、 同 デ ー タ ベ ー ス に よ っ て ( 二 一 冊 ) に、 ま た 大 学 図 書 館 蔵 書 検 索 に よ っ て 都教育大学附属図書館 および 駒澤大学図書館 に、それぞれ写本が所蔵されることが判明した。 こ れ ら に 加 え、 今 回 新 た に 写 本 の 所 蔵 元 と し て 紹 介 す る の が 岐 阜 県 高 山 市 の ( 臨 済 宗 妙 心 寺 派 ) で あ る。当寺は南北朝時代に室町幕府によって全国に設置された安国寺のうち飛騨安国寺にあたる。 以上、右に掲げた写本のうち、太字で示した所蔵元に限り写本の調査を実施したので概略を報告したい。

三、調査写本の概要

①京教大本(京都教育大学附属図書館) 京教大本 (筆者による略称、以下同) は、 「表目」 (首巻) 一巻と巻一~二十の計二一冊から成る。 表 紙 に 外 題 ( 題 簽 ) は な く、 袋 綴 の 地 に「 象 器 箋 巻 一 」 ~「 象 器 箋 巻 二 十 」 お よ び「 象 器 箋 表 目 」 と 記 さ れている。また、巻一~七の背には「定正院什物」の書き込みがある。巻一~二十にかけて 【表一】 のよう

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な奥書があり、また収納箱のケンドン箱 (はめ込み式) にも墨書を有する。 ま ず に み え る 奥 書 に よ り、 こ の 写 本 が 安 政 五 年 ( 一 八 五 八 ) か ら 翌 六 年 に か け て、 越 後 国 古 志 鷺 巣 村 ( 現 在 の 長 岡 市 鷺 巣 町 ) の 宝 林 山 定 正 院 二 五 世・ 杜 多 智 泉 ( 大 道 智 泉 ) に よ っ て 書 写 さ れ た も の と 判 明 る。 定 正 院 は、 室 町 期 の 扇 谷 上 杉 家 当 主・ 上 杉 定 正 ゆ か り の 寺 と 伝 え ら れ る 曹 洞 宗 寺 院 で あ る。 筆 跡 か ら、 書 写 は 複 数 人 の 手 に よ る と み ら れ る が、 唯 一「 哲 應 」 の 名 が 巻 十 の 奥 書 に 残 さ れ る。 こ の「 哲 應 」 は、 『 洞宗全書  大系譜』によれば、定正院二五世「大道智泉」を嗣いだ二六世「哲應儀俊」であろう。 【表一】 『禅林象器箋』京都教育大学図書館所蔵本にみえる奥書 奥書 14安政 5 7月中旬 安政五午初秋仲旬、 宝林山・杜多智泉 写焉 1安政 5 8月 安政五年仲秋之月、北越長城南郷鷺巣邑 宝林山・杜多智泉 写之、 6安政 5(秋) 安政五午季秋、於 寶林精舎、杜夛智泉 写焉 20安政 5(秋) 安政五戊午季秋、越後古志之郡長城之南郷鷺巣邑 定正院 二十五世・ 大道智泉杜夛 写之、 7安政 5 12月上旬 安政戊午冬臘月上旬、禅餘而写焉、北越長城南郷 定正院・杜夛智泉 10安政 5 12月 維時安政五午極月、於 鷺峰精舎、哲應 写之 8安政 6 1月下旬 安政六未孟春下旬、於北越長城南郷鷺巣邑 宝林山定正院・杜夛智泉 写之 4安政 6(春) 安政六未春、淂寺務之間写之、 智泉杜夛 3安政 6 4月 安政六未初夏、越後古志郡 定正院・杜多智泉 、淂禅餘之閑・寺務之隙写焉 19 北越古志郡長城南郷鷺巣邑 宝林山・智泉 写之

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また、奥書にみえる「鷺峰精舎」は、定正院近辺に「鷺峰」の山号・寺号を有する寺院が見当たらないこ とから、鷺巣村に所在する定正院の別称と考えられる。 この写本が京都教育大学の前身・京都学芸大学の所蔵に帰したのは昭和二九年一一月二九日だが、その経 緯は不詳である。 注目すべきは、収納箱の墨書銘である。内部が三段となるケンドン箱 (はめ込み式) の蓋に、 「禅林象器箋」 ( 表 ) 、「 文 政 十 三 庚 寅 孟 秋 新 添、 隣 華 書 蔵 」 ( 裏 ) の 墨 書 が み え る 】。 収 納 さ れ る 写 本 は 定 正 院 什 物 で あったことが明白であるため、本来は収納箱と写本は別々に伝来したものと思われる。 多くの写本が臨済宗寺院に伝存する一方で、この写本を書写・架蔵した定正院が歴然とした曹洞宗寺院で ある点も興味深い。また、京都から離れた越後国で書写がなされたのは、底本の遠方への借用が可能だった のか、あるいは写本の流布が越後国まで広まっていたのか、今後の検討を要する。 【図一】京教大本を収納するケンドン箱 (写真上) および蓋の裏書 (写真下) 京都教育大学図書館所蔵

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②阪大本(大阪大学附属図書館) 阪大本は、首巻と巻一~二十の二一巻二一冊から成る。大阪大 学附属図書館において長らく未整理のまま保管されていたものが 平成一九~二〇年度に調査整理され、大阪大学附属図書館編『大 阪 大 学 附 属 図 書 館 蔵  和 古 書 目 録  第 二 稿 』 ( 二 〇 〇 九 年 ) に て 所 在 が公表された写本である。当本は虫損が甚だしく、巻九~二十の 一二冊のみ閲覧可能とされている。 表 紙 に は「 禅 林 象 器 箋   九 」「 禅 林 象 器 箋   二 十 」 と い っ た 外 題 ( 題 簽 ) が あ り、 同 時 に 表 紙 中 央 上 部 に 例 え ば「 器 物〈 下 〉、 銭 財」 (巻二十) のような類題名が外題と同筆にて記されている。 蔵印は大阪大学の蔵書印と受入印があるのみだが、各巻首右下 に 「 隣 華 蔵 」 ( あ る い は 「 隣 花 蔵 」) と 書 き 入 れ が あ り、 当 本 が 妙 心 寺 塔 頭・ 隣 華 院 旧 蔵 の も の で あ っ た と 推 察 さ れ る 】。 大 阪 大 学の受入印には昭和二七年八月三〇日を示すスタンプが押されて いるが、大学への移入経緯は不詳である。箱や帙は存在しない。 ③李花亭文庫本(石川県立図書館李花亭文庫) 李 花 亭 文 庫 本 は、 首 巻 一 冊 と 二 巻 ず つ 合 綴 さ れ る 巻 一 ~ 二 十 の 一 〇 冊、 計 一 一 冊 か ら 成 る。 李 花 亭 文 は、金沢市出身の国文学者 ・ 藤岡作太郎 (一八七〇~一九一〇) の旧蔵書で、和漢書三九〇二冊 ・ 洋書九五冊 【図二】阪大本・巻九の巻首 大阪大学附属図書館所蔵

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雑 誌 三 種 四 七 冊 に 及 ぶ 蔵 書 群 で あ る。 巻 首 ( 第 一 丁 オ モ テ ) の 蔵 印 は「 李 花 亭 文 庫 」 印 の ほ か、 藤 岡 作 太 郎 に 係 る「 布 地 遠 香 」 の 印 記 が あ る。 「 前 田 侯 爵 家 寄 贈 之 記 」 印 は、 明 治 四 五 年 に 石 川 県 立 図 書 館 が 設 立 さ れ た 際 に 前 田 家 の 資 金 援 助 に よ っ て 李 花 亭 文 庫 を は じ め と す る 図 書 が 購 入 さ れ た 経 緯 に 基 づ き 押 印 さ れ て い る。 ま た、 各 冊 最 終 丁 に は「 石 川 縣 立 図 書 館 」 の 受 入 印 が あ り、 「 四 四・ 六・ 一 九 」 の 年 月 日 が 押 印 さ れ て い る が、これは明治四四年六月一九日を示すものであろう。 表 紙 左 肩 の 題 簽 に は「 禅 林 象 器 箋   〈 一 / 二 〉」 と い っ た 墨 書 が あ る。 ま た 袋 綴 の 背 に も「 禅 林 象 器 箋 」 「〈一/二〉 」の墨書がある。 各 巻 の 最 終 丁 に は 書 写 奥 書 が 朱 書 き さ れ る。 巻 一 に は「 卅 一 年 一 月 八 日 書 写 了、 卅 二 年 三 月 廿 六 日 校 閲 了」とあるが、巻二以降は書写に関する記載がない 【表二】 。 書 写 の 経 緯 は、 巻 二 十・ 末 尾 の 本 奥 書 に 続 い て 朱 書 き さ れ る 書 写 奥 書 ( 、 八 〇 丁 ウ ラ ) と、 続 く 八 一 丁 オ モテ・ウラに記される書写奥書( )により明らかとなる 【図三】イ・ロ の全文は次のごとくである。   (朱書)  「 原 本 一 冊 こ (毎) と に「 隣 華 蔵 」 と し る し、 署 印 な し。 函 の 蓋 の 裏 に は「 文 政 十 三 庚 寅 孟 秋 新 添、 隣 華書蔵」とあり。原本二十冊、外に首巻一冊ありしを、合綴して十冊、外に首巻一冊とす。       明治卅二年五月廿三日  」    「明治廿九年の秋、鈴木大拙わが家に寓せしをり、嘗て鎌倉の円覚寺にて禅林象器箋を見しことを語る。 そ の 時 は じ め て か ゝ る 書 の あ る を 知 り て、 こ れ を 見 ん と 欲 す る こ と 切 な り。 後、 幾 く も な く 宝 山 (マヽ、 以下同) 裁 松 妙 心 寺 に こ の 書 の あ る こ と を 告 ぐ。 よ り て 裁 松 に 托 し て こ れ を 借 ら ん と す。 裁 松 周 旋 甚 た 力 む。

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象器箋ハ妙心寺の僧の著ハせしもの、よりて寺内にそ の書両三部を蔵す。されどいまた山外に出しゝことな しとて久しく事成らず。卅年の冬に至りて、はじめて 同寺塔頭隣華院の蔵なるを借り得たり。よりて真宗中 学の諸生に嘱してこれを写さしむ。卅年十二月より卅 一年初夏に至りて第一巻より第十二巻まて功成る。さ れど借用の期既に尽きたるを以て一旦これを帰す。そ の年の冬、また更めてこれを借り、家眷をしてこれを 写さしむ。十二月より今茲卅二年四月に至りて全篇成 【図三】李花亭文庫本・巻二十の奥書 石川県立図書館所蔵

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れ り。 よ り て 原 本 と 対 照 し て 句 点 を 施 し、 ま た 魯 魚 の 誤 り を 正 す。 匆々にみたれバ、誤りの正されざるも多かるべし。また原本のあや まりも往々これあるが如し。それらハ一々え正さずしてやみぬ。   明治卅二年五月廿三日   藤岡東圃しるす。  」 イ・ い ず れ の 奥 書 も 明 治 三 二 年 五 月 二 三 日 に 記 さ れ た も の で あ る。 藤 岡 作 太 郎 ( 号、 東 圃 ) は、 明 治 二 九 年 に『 禅 林 象 器 箋 』 の 存 在 を 知 っ て 閲 覧 を 熱 望 し、 同 郷 出 身 の 教 育 者・ 宝 山 良 雄 ( 一 八 六 八 ~ 一 九 二 八 ) の 斡旋により、妙心寺塔頭・隣華院の所蔵本を借用するに至った。藤岡は 東京帝国大学卒業後、明治二七年七月から京都・真宗大谷派第一中学校 の 教 員 と な っ て お り、 明 治 二 九 年 に は 真 宗 大 学 寮 の 教 授 に 就 任 し て い る。一回目の書写で「真宗中学の諸生」に助力を得ているのは、この縁 によるのだろう。翌三〇年には第三高等学校教授に就任しており、藤岡 は明治三三年に東京大学文科大学の助教授になるまでの六年間は京都に て教壇にたっていた。 宝山は明治三〇年当時、妙心寺・花園普通学林の教頭の任にあった人 物 で あ る 五 。 八 歳 ま で に 両 親 を 亡 く し た 宝 山 は、 一 一 歳 で 仏 門 に 入 っ て 曹洞禅の修行を経験し、一九歳で還俗して同志社普通校から東京帝国大 学 に 入 学 し た 経 歴 を も つ。 宝 山 は 大 学 時 代 に 円 覚 寺・ 釈 宗 演 師 に 参 禅 【表二】李花亭文庫本の奥書     1 卅一年一月八日書写了、 卅二年三月廿六日校閲了 2明治卅二年三月廿七日校閲了 3明治卅二年三月卅一日校閲了 4明治卅二年四月三日校閲了 5明治卅二年四月四日校閲了 6明治卅二年四月五日校閲了 7明治卅二年四月六日校閲了 8明治卅二年四月八日校閲了 9明治卅二年四月十六日校閲了 10明治卅二年四月廿三日校閲了 11明治卅二年四月廿六日校閲了 12明治卅二年四月廿九日校閲了 13明治卅二年四月三十日校閲了 14明治卅二年五月四日校閲了 15明治卅二年五月七日校閲了 16明治卅二年五月十日校閲了 17明治卅二年五月十三日校閲了 18明治卅二年五月十六日校閲了 19明治卅二年五月廿一日校閲了 20(本文中に別記)

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し、また湯島麟祥院の参禅会にも通っていた。また、同宿の山本良 吉 は、 「 加 賀 の 三 太 郎 」 と 称 さ れ た 西 田 幾 多 郎・ 鈴 木 大 拙・ 藤 岡 作 太郎らと第四高等中学校時代からの交友があり、藤岡作太郎と宝山 良雄は山本を介して東京で知り合っていた可能性もある。 さて、藤岡作太郎は明治三〇年一二月から三一年初夏までに『禅 林象器箋』隣華院本を一部書写し、同年一二月から翌三二年四月に かけて残りを書写、三月末から五月下旬にかけて校閲を果たしてい る。 教 え 子 や 家 族 を 巻 き 込 ん で 書 写 に あ た っ た 様 子 が 奥 書 に み え る。 底本とした隣華院本は、一冊毎に「隣華(花)蔵」と記されてお り、かつ蔵書印がないという特徴から、②で示した阪大本がかつて の隣華院本であると推定される。また、奥書 に引用された箱書き から、隣華院本の函は①で示した京教大本の函として伝来している ことがわかる。 ④安国寺本(飛騨安国寺) 安 国 寺 本 は、 「 禅 林 象 器 箋   目 録 」 ( 外 題 ) と 題 す る 一 冊 と「 禅 林 象 器 箋   一 」 ~「 ( 同 ) 二 十 」 の 二 〇 冊 に、 「 禅 林 象 器 箋   援 書 巻 葉   上( 下 )」 と 題 す る 上 下 二 巻 二 冊 を 加 え た、 計 二 三 冊 で 構 成 さ 【図四】 安国寺本の 「援書巻葉」 上下巻

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れ る。 「 援 書 巻 葉 」 上 下 巻 は、 項 目 語 ご と に 引 用 書 名 が 列 記 さ れ、 そ れ ぞ れ 引 用 丈 ( 丁 ) が 割 り 書 き さ れ て い る 】。 原 本 お よ び ① ~ ③ ⑥ の 写 本 に は 伝 存 し な い 巻 で、 今 回 紹 介 す る 写 本 の 中 で は、 安 国 寺 本 と 次 に紹介する駒大本のみに存在する。 収納箱は、はめ込み式のケンドン箱で、蓋の表に「当山四十三世/物先和尚代/無隠記焉」の墨書がある 】。 物 先 宗 晙 和 尚 は 慶 応 四 年 ( 一 八 六 八 ) 七 月 九 日 に 示 寂 し て お り、 本 書 は 少 な く と も そ れ 以 前 に 書 写 あるいは入手されたものとみられる。 「 無 隠 」 と あ る の は、 当 寺 四 十 五 世・ 無 隠 董 顕 で あ る。 無 隠 は 安 政 六 年 ( 一 八 五 九 ) 生 ま れ で、 物 先 が 住 職であった時期には十歳にも満たないため、箱書きの「記」を写本の記主と解することはできない。無隠が 四十四世・琢道禅磨から住職を引き継いだのは明治二〇年一月で、箱が調達あるいは箱書きされたのは明治 二〇年から無隠示寂の明治三四年までの時期と思われる。 【図五】安国寺本を収納するケンドン箱と蓋の表書

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安 国 寺 本 に は、 「 龍 華 本 ノ 文 如 左 」 ( 巻 三・ 六 四 丁 ウ ラ ) 、「 大 鐘 作 大 鑑、 龍 華 本 」 ( 巻 十 八・ 二 〇 丁 ウ ) 、「 龍 華 本 如 左 」 ( 巻 十 九・ 九 五 丁 ウ ラ ) と い っ た 貼 紙 ( 付 箋 ) が あ り、 書 写 の の ち に 龍 華 院 所 の 原 本 と 校 合 し て い る こ と が わ か る ( 参 照 ) 。 巻 十 で は 底 本 に 錯 簡 が あ っ た よ う で、 「 脱 語〈 以 下 可 考 〉」 (「 胡 跪 」 項 ) ・「 長 跪 又 作 跪 ノ 文 此 処 カ 」 (「 互 跪 」 項 ) ・「 住 持 位 前 不 可 行 過  ─ ─  ─ ─  如 何 」 ( 末 尾 ) と いった貼紙がみられる。最終丁ウラには「以下左ノ文アリ、目録ニモ載 之」として「住持位前不可行過」の一項の貼紙が付されている。 【図六】安国寺本・巻三「普庵」 【図七】安国寺本・巻十八「定鐘」 【図八】    安国寺本・巻十九の巻末

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⑤駒大本(駒澤大学図書館) 駒大本は、 「禅林象器箋   序総目」 (外題) と題する一冊と「禅林象器箋   巻第一」~「 (同)巻第二十」の 二 〇 冊 に、 「( 同 ) 援 書 巻 葉 上( 下 )」 の 二 冊 を 加 え た、 計 二 三 冊 で 構 成 さ れ る。 こ の 構 成 は 安 国 寺 本 と 同 様 である。 当 本 は 臨 川 書 店 の 古 書 目 録『 和・ 洋 古 書 善 本 特 選 目 録〈 二 〇 〇 五 年  春 期 特 集  第 十 二 号 〉』 に 掲 載 さ れ た ものを駒澤大学が購入したものである。 各 冊 第 一 丁 オ モ テ の 右 下 部 に「 玉 龍 蔵 書 」 の 蔵 印 が あ り、 玉 龍 寺 ( あ る い は 玉 龍 院 ) の 旧 蔵 書 で あ っ た こ と がわかるが、玉龍寺(院)については未詳である 六 。 収納箱は、はめ込み色のケンドン箱で、蓋の表に「禅林象器箋」 、裏に「全部二十三巻」の墨書がある。 袋綴の地には「象器箋巻一」~「象器箋巻二十止」とあるほか、背には「共廿三冊」の書き入れがある。 安 国 寺 本 と 同 様、 書 写 後 に 龍 華 院 所 蔵 の 原 本 と 校 合 が な さ れ た こ と が わ か る。 巻 十 に は 補 訂 し た 貼 紙 に 「龍華之源本ニテ改之」の書き入れがある。巻三の「普庵」 、巻十九末尾の欠落についても、それぞれ貼紙に よって補訂されている。 例 え ば 巻 十 末 尾 の 錯 簡 に つ い て 安 国 寺 本 の 校 閲 ( 補 訂 ) が 不 十 分 な ま ま に な っ て い る の に 対 し、 当 本 は 校 閲 が 完 了 し た 状 態 に あ る。 に み え る 巻 十 八「 定 鐘 」 項 の「 大 鑑 」 に つ い て も、 安 国 寺 本 が 付 箋 に よ る校合の記録に止まっているのに対し、当本は白墨を用いて修訂が施されている。 巻三・七八丁には袋綴の中に「賓頭盧下、雑阿含経云々、五百阿羅漢倶     五上恐脱與字乎」の付箋が 挟まっているが、これは原本の八五丁に挟み込まれた付箋と文言が一致する。他の付箋については管見の限 り見出せなかったが、駒大本は原本との校合にあたって、付箋についても複製が施されたことがわかる。

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⑥東大史料本(東京大学史料編纂所) 東 大 史 料 本 は、 「 禅 林 象 器 箋   第 一 」 ( 外 題、 以 下 同 ) ~「 ( 同 ) 第 三 」、 「( 同 ) 十 一 」 ~「 ( 同 ) 二 十 」 ( 巻 七 は 欠 本 ) の 一 二 冊 が 現 存 す る。 巻 四 ~ 巻 十、 巻 十 七、 首 巻 ( 目 録 ) は 欠 本 と な っ て い る。 箱 は な く、 「 第 一 ~「 十 三 」 ま で の 六 冊 が 一 帙 に、 「 十 四 」 ~「 二 十 」 の 六 冊 が 別 の 一 帙 に 収 納 さ れ、 二 帙 一 二 冊 の 構 成 を る。 表 紙 見 返 し に「 東 京 大 学 図 書 」「 史 料 編 纂 所 図 書 之 印 」 の 蔵 印 が あ る ほ か、 第 一 丁 オ モ テ の 右 下 部 に「 叢 庫 図 書 」 の 蔵 印 が み え る。 「 竹 叢 庫 図 書 」 に つ い て は、 現 在 の と こ ろ 不 明。 裏 表 紙 見 返 し に 古 書 店 の ラ ルを剥がした跡があり、古書店にて販売された経歴が伝わる。 表紙右下には史料編纂所の蔵書ラベルが貼付されるが、右上には蔵書ラベルを剥がした痕跡が各冊ともに みえる。 巻 三「 普 庵 」 や 巻 十 八「 大 鑑 」、 巻 十 九 末 尾 を 原 本 お よ び 他 の 写 本 と 比 較 す る と、 巻 十 八 の「 大 鑑 」 「大鐘」となっている点をのぞけば、おおむね原本に忠実に書写されていることがわかる。

四、諸本調査の小括

今回は、①~⑥の写本調査にとどまったが、 【表三】 【表四】 での比較検討により、これらを次の三つのグ ループに分類することができる。

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【表三】 『禅林象器箋』諸本の比較1(体裁)   所蔵者 構成 蔵書印 (旧蔵) 奥書 寸法 形態   龍華院 21 21 総目、 一~二十 × ○ 23.0 × 16.5 未調査 ①京教大 21 21 表目、 一~二十 × ○ 27.3 × 19.3 ケンドン箱 23.6 × 31.2 × 48.5 (表)禅林象器箋 (裏)文政十三庚寅孟秋    新添、隣華書蔵 ②阪大 21 21 (首巻) 、 一~二十 隣華 (花) 蔵 (墨書) × 26.9 × 19.8 (なし) ③李花亭 21 11 首、 一・二~十九・二十 李花亭文庫 /布地遠香 ○ 24.0 × 16.8 6帙 ④安国寺 23 23 目録、一~二十、 援書巻葉上、 援書巻葉下 × × 23.3 × 16.2 ケンドン箱 19.8 × 27.1 × 43.9 (表)当山四十三世物先    和尚代、無隠記焉 (裏)なし ⑤駒大 23 23 序総目、一~二十、 援書巻葉上、 援書巻葉下 玉龍蔵書 × 27.5 × 19.4 ケンドン箱 22.0 × 29.9 × 42.0 (表)禅林象器箋 (裏)全部二十三巻 ⑥東大史料 現存 12冊 第一~第三、 十一~二十(十七欠) 竹叢庫図書 × 22.8 × 16.5 2帙

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【表四】 『禅林象器箋』諸本の比較2(本文の異同)   所蔵者 巻三 「普庵」項 『捜神大全』の   欠落部分 巻十 (末尾) 「胡跪」項   7行分の錯簡 「住持位前不可行過」項   の欠落 巻十七 「磨衲」   項での    頭注 巻十八 「定鐘」 巻十九(末尾) の「油単 包鈎」項 首巻・ 援書目録の 「中峰   東語西話」   龍華院 欠落なし 錯簡なし 欠落なし あり 大鑑 あり (改丁) ~西話 ①京教大 欠落あり 錯簡あり 欠落あり なし 大鑑 なし ~西語 ②阪大 (未調査) 錯簡あり 欠落あり なし 大鑑 なし (未調査) ③李花亭 欠落あり 錯簡あり 欠落あり なし 大鑑 なし ~西語 ④安国寺 欠落あり →「龍華本 ノ文如左」の  付箋 錯簡あり →補訂を試みる   付箋あり 欠落あり →貼紙にて補訂 あり 大鐘 (貼紙) 「大鐘作   大鑑、   龍華本」 「龍華本如左」 として貼紙に より追加 ~西語 →(朱筆)   西話 ⑤駒大 欠落あり →貼紙にて補訂 錯簡あり →貼紙「龍華之 源本ニテ改之」にて補訂 欠落あり →巻末に補訂 あり 大鐘 →(白墨)   大鑑 最終丁~貼紙 にかけて追加 ~西語 →(白墨)   西話 ⑥東大史料 欠落なし (欠本) (欠本) 大鐘 あり (改丁) (欠本)

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(①~③) これら三つの写本のうち、まず③は、先に引用した奥書 から、各冊に「隣華蔵」の墨書( 【図二】 )をも つ ② を 底 本 と す る こ と が 明 白 で あ る。 ま た、 同 じ く ③ の 奥 書 に よ り、 現 在 ① を 収 納 し て い る 箱( 】) が 旧 来 は ② を 収 納 す る 箱 で あ っ た こ と も 判 明 す る。 】 を み る と ① ~ ③ は 同 じ 特 徴 を 有 し て お り、 地 方 寺院の什物となった①もまた、③と同様に②を底本とすることが想定される。 つまり①~③は、隣華院旧蔵の②を底本とした同一系統の写本ということができる。なお、箱書きにみえ る 文 政 一 三 年 ( 一 八 三 〇 ) の「 新 添 」 は、 ② の 写 本 そ の も の に 書 写 年 を 示 す 奥 書 が み ら れ な い 以 上 は、 こ の 年次を書写年と断定することはできない (箱の後補・新調を示す可能性がある) 。 (④⑤) ④ と ⑤ は、 「 援 書 巻 葉 」 と 題 す る 上 下 巻 を 含 む 二 三 冊 本 と し て 存 在 す る 点 か ら、 同 じ 系 統 に 属 す と 考 え ら れる。④⑤はいずれも「龍華本」による校閲を果たしている。したがって、底本としたのは龍華院の原本で はない写本となる。底本の本文については 類の系統と特徴を同じくしており、共通する底本の存在が想定 される。今後さらに写本の調査を続ければ、底本となった写本や「援書巻葉」の淵源について明らかになる 可能性がある。 (⑥) ⑥は欠本があり比較できない巻もあるものの、巻三や巻十九に欠落がなく原本に限りなく忠実な書写内容 となっている点において、 AB 類と別系統の写本であることは明らかである。

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い ず れ に せ よ、 各 写 本 の 系 統 ( 書 写 関 係 ) を 論 じ る た め に は、 未 確 認 の 写 本 に つ い て 調 査 を 進 め て い く 要があり、本稿にて早急に何らかの結論を出すことは困難かつ無意味である。 他の写本について、例えば足利学校本は、奥書・蔵印など書写に関わる書誌情報がない点を確認している が、実見には至っておらず、今後確認作業を進めたい。 建仁寺両足院本については、近年の科研費調査により所蔵典籍について目録が整備され、基本的な書誌情 報 を 得 る こ と は で き る 七 。 そ れ に よ れ ば、 両 足 院 本 は 江 戸 中 期 に お け る 高 峯 東 晙 に よ る 筆 写 本 で「 東 / 晙 ( 朱・ 方 印 ) の 印 記 を 有 す る。 ま た、 同 書 に は 高 峯 東 晙 に よ る 書 き 入 れ も あ る よ う で、 す で に 研 究 利 用 も さ ている 八 。 ③李花亭文庫本の奥書 には、鈴木大拙の証言として円覚寺に『禅林象器箋』が所蔵されていたことが明 記されているが、こちらについては現在調査中である。なお、④安国寺本のケンドン箱に表書きを施した無 隠和尚の頂相には、円覚寺派管長・釈宗演師による賛が付せられている。奇しくも両師とも同じ安政六年一 二月生まれである。無隠の行録については十分明らかになしえないが、両者をつなぐ縁として考えられるの は、無隠が円覚寺にて修行し釈宗演師と同参であった可能性である。④の写本と円覚寺本に関連があるかは 定かでないが、この方面でも調査を続けていきたい。

五、むすびにかえて

 

─付、

『象器緒餘』所収「象器箋例言」の紹介─

ここまで『禅林象器箋』の写本に関する雑駁な調査ノートに終始し、冒頭で研究課題として掲げた、無著 禅師の著作の流布・受容という大きな課題については一歩も近づくことができなかった。今後も写本等の調

(19)

査を続けることで、まずは書写の時期やルートについて明らかにすることができればよいと考えている。 ① の 写 本 が 曹 洞 宗 の 地 方 寺 院 に 伝 来 し た よ う に、 『 禅 林 象 器 箋 』 の 存 在 は あ る 程 度 は 都 鄙 に 知 れ 渉 っ て い た可能性がある。④の安国寺本の存在が今まで一地方に埋もれていたように、各所に同様な写本が眠ってい る 可 能 性 が あ る と 想 定 さ れ る。 『 禅 林 象 器 箋 』 の 写 本 に つ い て、 各 方 面 か ら 知 見 を お 寄 せ 頂 け れ ば 幸 い で あ る。 最後に、このたび写本調査で訪問した妙心寺塔頭・春光院において北苑文庫として架蔵される無著禅師の 『 象 器 緒 餘 』 冒 頭 に、 既 刊 の 影 印 本 に 収 録 さ れ て い な い「 象 器 箋 例 言 」 な る 頁 が あ っ た の で 本 文 を 紹 介 し た い。 同 書 は 周 知 の ご と く『 禅 林 象 器 箋 』 の 拾 遺 と で も い う べ き 書 で あ る。 柳 田 聖 山 は 無 著 禅 師 の 著 作 に「 未 決」や「緒余」といった一冊が附録されることの多い点を指摘し、未解決の課題を列記して後賢の解決に委 ねるその姿勢に、妥協なき科学的な解釈を追究する無著の文献学的立場を読み取っている 九 。

(20)

【釈文】 象器箋例言 此箋正解敕修清規色目、又旁箋禅史名目、 凡名目欠古解者僣作其義解、古人亦不得義訓者、参考諸書所用 而自作義、如罘 字之例 凡所編引書証其字有解則引解無解則有僣解者又挙故事廣聞見、 凡引書其書有数種則雖後出者、若足以可証今事、或其書言語巧 妙易発解者、雖後出必引之、主喪善無畏引編年通論之類也、若両 可取則依古書前出者、 【読み下し】 此の箋正は『勅修清規』の色目を解き、又た旁ら禅史の名目を 箋す。 凡そ、名目に古解を欠く者は、僣して其の義解を作す。古人も 亦た義訓を得ざる者をば、諸書の用うる所を参考して自ら義を作 す。 「罘 」の字の例の如し。 凡そ、編む所は、書を引きて其の字を証す。解有れば則ち引解 し、解無くんば則ち僣解する者あり。又た故事を挙げて、聞見を 広ぐ。 凡 そ、 書 を 引 く に、 其 の 書 に 数 種 有 れ ば、 則 ち 後 出 の 者 と 【図九】 「象器箋例言」      (春光院所蔵『象器緒餘』

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も、若し以て今事を証すべきに足り、或いは其の書の言語巧妙にして解を発し易き者は、後出と雖も必ず之 を 引 く。 「 主 喪 」 の 善 無 畏 に『 編 年 通 論 』 を 引 く の 類 い な り。 若 し 両 つ な が ら 取 る べ く ん ば、 則 ち 古 書 前 出 の者に依る。 既 刊 の 影 印 本 で は『 禅 林 象 器 箋 』 に 引 き 続 い て『 象 器 緒 餘 』 が 収 録 さ れ て い る 一〇 。 と こ ろ が 影 印 本 に 収 録 さ れ る の は 左 の「 禅 林 象 器 箋   緒 餘 」 以 降 で あ り、 本 書 巻 頭 の「 象 器 箋 例 言 」 の 一 丁 は 未 収 録 と なっている。 この「例言」によると、 『禅林象器箋』は、 『敕修百丈清規』の法式・条目を解釈し、かつ禅宗の歴史にお ける物事の名称を編纂したものと位置づけられている。 『禅林象器箋』の前提に『敕修百丈清規』があることは、無著が『 峭余録』に付した識語によっても明 らかにある。つまり、 『 峭余録』識語に、 「勅修清規旧鈔、其解本規者左觽取之、其解名色者象器箋撰入、不可収此二書者録之、名 峭余録」 (『 勅 修 清 規 』 の 旧 鈔、 其 れ 本 規 を 解 す る 者 は『 左 觽 』 に 之 を 取 り、 其 れ 名 色 を 解 す る 者 は『 象 器 箋 』 に 撰 び 入 る、 此 の 二 書に収むべからざる者、之を録し、 『 峭余録』と名づく。 ) と あ り、 『 敕 修 百 丈 清 規 』 の 写 本・ 校 勘 本 を 蒐 集 す る 中 で、 清 規 ( 規 則 ) の 解 釈 に 通 じ る 部 分 は『 敕 修 百 丈 清 規 左 觽 』 に 編 入 し、 語 義 の 解 釈 に 通 じ る 部 分 は『 禅 林 象 器 箋 』 に、 両 者 へ の 収 録 に 適 さ な い 部 分 の 拾 遺 が 『 峭余録』として、明確に自著の対象について棲み分けている。

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「象器箋例言」では、続いて語義解釈の作法について、無著の方法論が述べられている。意訳すれば、 ・古人による解釈のないものは自ら類推して解釈を施す。 ・ 訓 み方すら不明な場合は、諸書にみえる用例を参考にして自ら解釈する。 ・  引 用 書 に つ い て、 よ り 古 い 書 ( の 解 釈 ) を 優 先 す る の が 原 則 で は あ る が、 解 釈 が よ り 的 確 で あ っ た り、 説明が巧みであったりすれば、後出の書であっても採用する。 といった内容が述べられている。 『象器緒餘』巻末の奥書には、 「自元禄十年丁丑正月朔資始撰次、到明年戊寅六月十二日断手。 『此是旧撰十巻者』 」 (元禄十年丁丑正月朔より撰次を資始し、明年戊寅六月十二日に到り断手す。 (此は是れ旧撰十巻の者なり。 )」 と あ っ て、 す で に 無 著 四 五 歳 の 元 禄 一 〇 年 ( 一 六 九 七 ) の 段 階 か ら『 禅 林 象 器 箋 』 の 執 筆 が 開 始 さ れ、 当 は十巻本として編纂が進められていたことが読み取れる。 このように、無著道忠禅師のライフワークとして進められた『禅林象器箋』について、その編纂の経過に ついても、なお明らかになっていない部分がある。引き続き研究課題として検討を続けていきたい。 【註】 一  禅文化研究所資料室編『無著道忠禅師撰述書目(一)龍華院所蔵之部』 (禅文化研究所、一九六五) 二  飯 田 利 行『 学 聖 無 著 道 忠 』 ( 禅 文 化 研 究 所、 一 九 八 六、 初 版 は 一 九 四 二 年 刊 ) 、 柳 田 聖 山「 無 著 道 忠 の 学 問 」 (『 禅 学 研 究 』 五

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一 九 六 六 ) 。 な お、 こ れ ら に 先 行 す る 論 考 と し て、 村 田 無 道「 無 著 道 忠 禅 師 」 (『 禅 林 象 器 箋 』 貝 葉 書 院、 一 九 〇 九 ) 、 松 本 文 三 郎「 無 著 禅 師 と 禅 宗 文 学 」 (『 仏 教 芸 術 と そ の 人 物 』 同 文 館、 一 九 二 三 ) 、 南 川 宗 謙「 無 著 禅 師 と 祖 芳 和 尚 」 (『 妙 心 寺 六 百 年史』一九三五) などがある。 三  こ の よ う な 視 点 を 含 む 研 究 と し て、 片 山 晴 賢「 無 著 道 忠 編 纂 の 語 録 辞 書 に つ い て( 一 )」 (『 駒 沢 短 期 大 学 研 究 紀 要 』 一 八、一九九〇) がある。 四  飯田利行『学聖無著道忠』 (禅文化研究所、一九八六) 所収。 五  松 本 晧 一「 「 教 育 者 」 型 人 格 に お け る 宗 教 体 験 と 聖・ 俗 の 行 動 傾 向  ─ 栽 松・ 宝 山 良 雄 の 場 合 ─ 」 (『 駒 澤 大 學 佛 教 學 部研究紀要』四七、一九八九) 六  蔵書印のみが手がかりだが、今後も調査を続けたい。 七  赤 尾 栄 慶 編『 建 仁 寺 両 足 院 に 所 蔵 さ れ る 五 山 文 学 関 係 典 籍 類 の 調 査 研 究[ 一 ] 建 仁 寺 両 足 院 聖 教 目 録 』 ( 京 都 国 立 博物館、二〇一〇) ※平成一九~二二年度科学研究費補助金基盤研究(B)研究成果中間報告書 八  尾崎正善「警策考」 (『曹洞宗研究員研究紀要』二七、一九九六) 。本論文の存在については本多道隆氏より御教示を得た。 九  柳田聖山「無著道忠の学問」 (『禅学研究』五五、一九六六) 一〇  『禅学叢書  九  禅林象器箋・葛藤語箋・禅林句集辨苗』上下冊 (中文出版社、一九七九) 【付記  】 拙 稿 の 作 成 に あ た っ て、 妙 心 寺 派 教 化 セ ン タ ー・ 教 学 研 究 委 員 ( 野 口 善 敬 師・ 廣 田 宗 玄 師・ 丸 毛 俊 宏 師・ 本 多 道 隆 師・小川太龍師) の各位より適切な助言を賜った。ここに深謝の意を表したい。       円 覚 寺 本 の 所 在 に つ い て、 入 稿 後 の 調 査 で、 円 覚 寺 塔 頭・ 佛 日 庵 所 蔵 の 二 三 冊 本 が 存 在 す る こ と を 知 り え た。また、松ヶ岡文庫にも二点の写本が所在することを確認した。今後調査を進めたい。

参照

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