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行 政 法 に お け る 訓 示 的 規 定

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(1)行政法における訓示的規定 有. 倉. 遼. 吉. ﹁國の行政機關が︑その所掌事務を法律に從い︑民主的︑能率的且つ公正に蓮螢するにために必要な基準を定める. こと﹂を目的とする國家行政蓮螢法案要綱︵試案︶が︑行政審議會蓮螢部會の手によつて作成せられたのは︑昭和二. 十八年夏頃のことであつた︒同審議會は︑この試案を各方面に配布して︑忌輝のない意見を求めたが︑從來の法案作. 成手綾からみれば︑異例の措置であつて︑そのこと自膣は好感をもつてむかえられた︒しかし試案内容については︑. 必ずしも好評をかちうるものではなかつたようである︒細目は別として︑根本的な疑問は︑官聴内部の訓令のごとき. 性格をもつものを法丈化する債値がどこにあるかという黙であつた︒これに封して︑試案に同情的な見解のあること. も勿論であつて︑﹁法案内容は︑官磨内部の訓示的規定や技術的基準ばかりではなく︑國民のために行政機關として. 奉仕すべき事項を定めるところも少くないのに注意しなければならない︒許可等の行政慮分に封する慮置規定や行政. 手績の公示義務や窓口事務の改善等はこれに麗する︒⁝文かりに蓮螢法の内容が訓示的規定を中心とするものであ. 三二九. つても︑かかる規定を獲する根擦を明らかにし︑それらの規定が全謄として行政蓮螢の合理化に役立つならば必ずし 行政法における訓示的規定.

(2) 行政法における訓示的規定. 三三〇. ︵一︶ もこれを法律化することが無意味とはいえないであろう﹂とされるのは︑その代表的な例である︒この見解の後段に. 示されているごとく︑法案内容が訓示的規定であるとしても︑全く無意味ではないであろう︒しかし︑行政學的には. ともかく︑行政法的にいうならば︑訓示規定であることを認めることは︑法律化の意味の大牛を失わせるようにおも. われる︒しかし︑果して訓示的規定にすぎないものであろうか︑というのが︑試案に接した當初から筆者の抱いた疑. 問であつた︒幸い︑その後︑日本公法學會と日本行政學會の合同會が︑二十九年春行われ︑そこで本試案がとりあげ. られたので︑その黙の疑問を開陳する機會を得た︒試案中︑國民の灌利義務に關連しうる條項の主要なものは︑第十. 七第一項﹁法律の規定により許可︑認可︑冤許︑特許︑登録叉は承認︵以下輩に許可という︶の申請があつたとき. は︑行政機關は︑關係者の利害關係を充分に奪重し︑公李且つ速かに庭理しなければならない﹂︑第三項﹁行政機關. は︑許可を取り消し又は停止しようとするときは︑庭分を受ける者に封し︑辮明の機會を與えるため︑相當の期問を. 置いて豫告しなければならない﹂等の規定である︒いわゆる﹁齢役所仕事﹂という表現で周知されているごとき事務. 能率の緩漫さを防止したり︑一方的な不利盆庭分を抑制したりするための規定で︑まことに民主的立法であるといわ. ねばならない︒しかし︑この規定に反して︑速かに庭理されなかつた場合︑又は辮明の機會が與えられないで取消庭. 分が行われた場合には︑國民にいかなる救濟手段が與えられ︑又庭分の効力はどうなるのか︑という質疑を呈出した. のである︒これに封し︑本試案の立法趣旨を熟知せられる田上教授から懇切な解答に接したのであるが︑それは︑. ﹁この法案要綱は訴訟上適用すべき性質のものではなく︑行政組織の内部を規律すべきもので︑::その慮分は法律. 上違法になるものではなく︑人民との問の法律關係には何の影響も及ぼさない︒それだからといつて訓示的規定が無.

(3) ︵二︶. 意味になるわけではない︒行政廉の内部では下級行政聴は上級行政聴に拘束されるからである︒またこの法律違反に. 封して損害賠償を求めることはできない﹂というのであつた︒その折に筆者は本法案に封する失望を感じ︑立法化不. 要論にむしろ共感したことであつた︒このような立法趣旨では典型的な訓示的規定に外ならず︑法律をもつて定める. 實盆の多くは失われてしまうのである︒國民の灌利や自由に意味をもちうる規範を法律という形式に盛りながら︑し かも訓令と同様の効力しか持たないことが許されるであろうか︒. 行政蓮螢法案要綱を契機としていだいた右の疑問は︑その後も念頭を離れず︑一般に訓示的規定の性格・可能性・. 効果等に關して︑その一班を考察したいと念願していた︒ここに中村宗雄先生の還暦覗賀記念誌に執筆の機會を與え. られ︑また本論題も先生の御專攻の訴訟法とも關連を有することでもあるので︑粗雑な素描ながら若干述べてみたい とおもう︒. なり︑第十三國會に提出された議員立法たる國家行政蓮螢法案に關するものである︒しかし︑上記試案にもそのまま要當する. ︵一︶杉村章三郎教授︑國家行政蓮螢法案の行方︑自治硯究︑三〇巻︑三號︑一一頁︒ただし︑ここにいう法案は︑前記試案と異. であろう︒同趣旨として︑國井成一教授︑國家行政蓮管法案について︑公法研究︑一一號︑一三五頁︒なお︑小關紹夫氏は︑. 行政過程に關する若干の考察︑職後法律學の諸問題︑一六五頁︒. 行政學者としての立場から︑法案を目して︑﹁わが國民主主義行政の背骨をなすものとして﹂とりあげらるべき問題とされる︑ ︵二︶ 金子宏氏の討議報告による︑公法研究︑一一號︑一五四頁︒. 行政法における誹示的規定. 一言;. 訓示的規定又は訓令的規定とは︑ 法令等の立法行爲にょつて定立されながら︑訓令の性質及び効力を有するにとど. 二.

(4) ︵一︶. 行政法における訓示的規定. 三三二. まるものをいう︒訓示的規定はまた命令的規定もしくは取締的規定とも構され︑効力規定と封比されているようであ. る︒例えば︑﹁自作農特別措置法第七條第五項の裁決期問に關する規定は効力規定でなく︑所謂訓示的の規定と解す ︵二︶ るのが相當であるから︑右期問纒過後においてなされた裁決といえどもなお有効というべきである﹂︑﹁自作農創設特. 別措置法第三條の規定はこれに違反して爲した行政慮分を當然無効とする趣旨所謂能力的規定ではなく︵中略︶命令. ︵四︶. 的規定であると解するを相當とするから︑この規定に違反して爲された行政庭分は取消し得べきものであるにとどま ︵三︶ り︑無効となるのではないと謂うべきである﹂とするがごときである︒この爾規定の匠別をつとに主張せられたのが. り違法と無効とは匠別すべきであつて︑無効たるためには︑効力 美濃部博士であり︑その要旨は次のごとくである︒↑. 的規定に關する違法たるを要し︑命令的規定に關する違法をもつては足りない︑@法規の定めが命令的の定めである. か又は効力要件としての形成的の定めであるかは︑必ずしも規定の文面からはこれを到噺するを得ない︒それは︑法. 規の目的が法律的効果の護生を抑制して或る要件を備えなければその効果を生ずるを得ざらしめんとするにあるか︑. 又は法律的効果を否定する趣意ではなく︑行政上の秩序のために行政行爲をして事實上にある條件に適合せしめんと するにあるかを推断することによつて知られる︑とされている︒. 美濃部博士の右の叙述は︑行政行爲の無効原因に關してなされているため︑効力的規定に違反した場合が無効であ. るとの主張が明確に述べられているにとどまり︑命令的規定違反の効果がいかなるものであるかについては述べられ. るところがない︒もし命令的規定違反の効果が無効原因ではなく取消原因であるとの趣旨であれば︵前記鳥取地裁の判. 決はこの説をとる︶︑ここに問題とする必要はない︒けだし︑その場合は︑取浦原因たる違法を構成し︑國民の蓮法主張.

(5) を許すこととなつて︑むしろ訓示的規定に該當しないものであるからである︒これに反して︑その違法が︑無効及び. 取消を含めて︑全く行政庭分に影響しないとする主張は︑訓示的規定を認める立場であり︑本論で問題となるのはこ. の見解である︒前記長崎地裁の到決は︑この見解に圃し︑叉實務家でこれを明白に主張するものも存する︒﹁法違反が ︵五︶ 行政︑庭分に全く影響のないことがある︒いわゆる訓示規定がこれに属する﹂といわれるのがこれである︒このように︑. 違反が行政行爲に全く影響しないごとき法令︑すなわち訓令と効力において異なるところのない法令が存しうるかの 問題が本論の封象となる︒. 現行憲法第四十一條は︑國會は國の唯一の立法機關であると定めている︒ここにいう﹁立法﹂とは法規定立作用を. 意味し︑法規とは國民の灌利義務を定める規範をいうものとし︑したがつて憲法第四十一條の法意は︑國民の灌利義 ︵六︶. 務を定める規範を國會の猫占事項たらしめるところにあるといわれる︒約言すれば︑﹁法規は法律をもつて定むべ. し﹂との命題に蹄するのである︒このことは︑法治主義︑立憲主義の要請を示すものとして一般に認められていると. ころである︒そして法治主義又は立憲主義の要講とは︑いうまでもなく︑規範定立過程において國民の直接代表機關. たる國會の意思に決定力を認め︑規範表現形式として公布を要件とするとともに︑法違反に封する制度的保障として 國民に救濟手段︵孚訟や損害賠償︶を與えることを意味するといいうる︒. 問題は︑法規が國民の灌利義務を定める規範ということの意味について生ずる︒法律關係を定める規範は︑もとよ. り多種多様の内容をもつているが︑大別して國家機關︵公共團盤の機關も同様︶の組織灌限を定める規範︑國家機關と. 三三三. 國民との關係を定める規範︑國民相互の關係を完める規範等に分けることができるであろう︒このうち行政法におい 行政法における訓示的規定.

(6) 行政法における訓示的規定. ︑. 三三四. て問題となるのは︑主として前二者である︒法規が國民の灌利義務を定める規範であるという場合︑﹁灌利義務を定. める﹂との意味は廣くも狡くも解せられる︒これを狡く理解した場合には︑國家機關の組織及び灌限を定める規範は. 勿論︑國家機關と國民との關係を定める規範のうちでも法規に圃しないものが多く生ずることとなる︒すなわち︑國. 家機關と國民との關係は︑國家機關の行動と國民の行動との相關渉する場にほかならないのであるが︑そのうち國民. の行動を規律する規範のみが法規であるということとなるであろう︒たとえば﹁質屋螢業を行う者は行政官聴の許可. を受けなければならない﹂という規範があるとすれば︑この規範は國民の義務を定めるものであるから法規に驕する. が︑更に﹁行政官磨の許可﹂がいかなる要件の下に︑いかなる方法で行われるかについては︑それが國家機關の行動. を定めるのゆえをもつて法規ではなく︑したがつて法律をもつて定める必要はないこととならざるを得ない︒行政法. は行政灌の組織と行政灌の襲動を主たる封象とするものであるが︑上述の狡義の立場をとると︑その組織・襲動を規. 律する規範はことごとく法規ではない︑つまり行政法は法規にあらずという結論さえ生じかねないのであつて︑その. 不當なるはいうまでもない︒したがつて︑﹁國民の灌利義務を定める﹂との意味は︑廣義に解し︑﹁國民の灌利義務に. 影響を及ぼす﹂という意味に理解すべきものであろう︒かような法規概念を前提として︑國家機關の組織権限規範及 び國家機關と國民との關係を定める規範を考察してみることとする︒. 國家機關の組織灌限を定める規範が法規であるか否か︑したがつて法律をもつて定める必要があるか否かの貼につ. いては︑明治憲法時代から問題とせられたところで︑行政機關の組織灌限だけでは行政機關は國民の灌利義務に影響. を與うべき作用を行いえず︑そのためには更に行爲法とも構すべき法規に準捺することが必要であるから︵現行各省別.

(7) 設置法が﹁OO省は︑この法律に規定する所掌事務を途行するた変左に掲げる椹限を有する.但し︑その椹限の行使は︑法律に從っ. てなされなければならな丘と定めるのも︑この趣旨を示すものと解すべきである︶︑したがつて行政組織法は必ずしも法規で. はないとする見解も生ずるのである︒しかし︑組織及び灌限規定そのものも︑ある機關の行爲を國の行爲として認識. し︑これに服すべき拘束を國民に封して與えるものであつて︑少くとも國民に勤し國灌を行使しうべき行政機關につ. いては︑その組織灌限を定める官制は︑法規たるべきことが要求せられたのであつた︒ただ明治憲法の探る法治主義. は︑必ずしも法律主義を意味せず命令を廣く認めていた結果として︑官制も原則として憲法第十條の官制勅令による. ものとせられたが︑勅令も法規表現の一形式であつたのである︒現行憲法は︑行政組織に關する法形式につき統一的. 規定を設けず︑わずかに内閣の組織及び會計検査院の組織灌限が︑法律をもつて定めらるべきことを定めるにとどま. る︒しかし︑行政組織及び灌限に關する規範が︑少くとも渉外的機關に關する限り︑法規であること上述のごとくで. あるとすれば︑それは第一次的にまず法律をもつて定められなければならない︒けだし︑國會が國の唯一の立法機關. だからである︒現行の國家行政組織法は︑これを受けて相當徹底した法定主義をとつている︒すなわち︑行政官聴の. 組織灌限はもとより︑國民との交渉を生じない審議會や協議會の設置に至るまで法律事項としているのである︒これ. ら諮間機關の﹁設置﹂の法定は︑必ずしも憲法の要求にもとづくものといいえないであろうが︑少くとも國民との交 ︵七︶ 渉を生じうる行政官聴の法律主義は︑憲法の要講するものといいうるであろう︒. 次に國家機關と國民との關係を定める規範を考察してみる︒それは既述のごとく︑國家機關との關連において國民. ︑. 三三五︑. の行動を定める規範と︑鼠民との關連において國家機關の行動を定める規範とを含むものであるが︑ここに考察を要 竃. 行政法における翻示働規定.

(8) 行政法における訓示的規定. 三三六. するのは後者である︒これと訓令の内容たる規範とはどのような關係をもつものであろうか9訓令は一般に︑下級行. 政機關の灌限行使に關して襲する命令であるといわれる︒﹁一般的・抽象的法規範を定立することを立法とよぶとす. れぼそれには人民の権利義務を定めることを内容とするものと︑そうでないものとがある︒一般に前者を﹃法規﹄と. よび︑後者を﹃行政命令﹄又は﹃行政規則﹄とよんでいる︒訓令が一般的・抽象的法規範の定立をその内容とする限. りは︑それは一種の立法である︒しかしそれは﹃法規﹄ではなく﹃行政命令﹄又は﹃行政規則﹄である︒けだし訓令 ︵八︶ は行政機關を拘束するだけで︑人民を直接拘束せず︑その灌利義務に影響を輿えないからである﹂とされるのが通説. 的見解とおもわれる︒この見解はもとより正當というべきであろうが︑ただ規範内容と規範定立形式とを峻別しない. きらいがある︒法規概念は︑規範内容を基準とした實質的概念であるに反して︑訓令とは規範定立形式なのである︒. 換言すれば︑國民の灌利義務に關する規範はすなわち法規であり︑國民に封し拘束力をもちうる規範定立形式たる法. 律をもつて定むべきものであり︑これが憲法第四十一條の要請にほかならない︒これに封して︑國民の権利義務に關. せざる規範はすなわち非法規︵これを行政命令とよび又は行政規則とよぶも自由であるが︑實質概念であることに注. 意を要する︶であり︑國民に封し拘束力をもちえない規範定立形式たる訓令をもつて定めうることとなるのである︒. 上記山内氏の提言もこのように讃まるべきであつて︑もししからずとすれぼ︑訓令は︑﹁行政機關を拘束するだけで︑. という同義反覆の形を呈することとなろう︒. 人民を直接拘束せず︑その灌利義務に影響を與えないから︑人民の灌利義務を定めることを内容としない立法なので ある﹂. ︑怯規と非法規との匠別を上述のように定めた場合に︑法規は法律の濁占事項となるのであるから︑訓令の内容とな.

(9) る規範は狭く限定されざるを得ない︒もつとも法規の要件として︑國民の灌利義務に影響を及ぼす規範たる性格のぼ. かに一般抽象性という要件が附加せられるから︑結局灌利義務に關する一般抽象規範が法規であり︑それ以外が非法. の灌利義務に關しない一般抽象規範︑@椹利義務に關する個別具艦規範︑@灌利義 規であることとなる︒すなわち︑↑. 務に關しない個別具磯規範が︑非法規であり︑したがつて訓令の形式で定めうることとなろ5︒かくして︑國民との. 關連において國家機關の行動を定める規範は︑それが一般抽象性をそなえる限り︑訓令事項ではなくして︑法律事項. となるわけである︒たとえば︑螢業許可がいかなる要件の下に與えらるべきかを定める規範は︑國家機關の灌限行使 に關するものであつても︑法規であり︑法律事項であるといわざるをえない︒. 法規の範園が廣いことは︑訓令の内容たる非法規の範圃が︑それだけ狡いこととなる︒しかも︑法律をもつて非法. 規を定めることができないという制限はどこにもない︒憲法の要求は︑法規は法律をもつて定むべしとするにとどま. り︑逆に法律をもつて定めるものは︑法規に限るとの要求ではないのである︒すなわち︑訓令の封象たる事項は同時 ︵九︶ に法律の内容に探り入れられる場合もあり︑いわばそれは共同管轄事項といいうるのである︒法律をもつて訓令の封. 象たる事項を定めた場合が正に訓示的規定の問題となつて現われてくるのである︒かかる事項を法律にとり入れた場. 合に︑その効果はいかになるか︒形式が法律のゆえに法律のもつ効果をもつものであるか︑又は内容が法規に非ざる. のゆえをもつて訓令的効果をもつにすぎないものであるか︒焦尉はここにしぼられてくるの頂あつて︑訓示的規定. ︑. 三三七. を認め︑その遽反は行政行爲の効果に何らの影響を及ぼさないとする見解は︑正に後者の意見を代表するものである といえる︒. 行政法に器ける訓示的規定.

(10) 行政法に聡ける訓示的規定. 三三八. ︵一〇︶ この問題の解答に極めて有盆な示唆を與えられるのが佐々木博士の見解であり︑これを要約すると次のごとくにな. る︒通常︑法規は國民の灌利・義務を定める規範であるといい︑又は國民の灌利義務を定める規範は法規であるとい. われるが︑實は國民の灌利義務を定める規範は法規であるとしかいいえない︒けだし︑國民と交渉なき行動︑換言す. れば國家濁自の行動を規律する規範にして法規なるものもあるからである︒國家内部における組織に關する規範がこ. れに属する︒國家が國家猫自の行動を規律する規範は︑場合によつて法規ともなり︑或は堪務規範︵訓示規範︶とも ︵二︶. なる︒そのいずれとなるかは國家自身の意思によつて定まるが︑その意思は︑法律・命令の形式をとることによつて. 知られる︒故にいやしくも法律・命令の形式をもつて表示せられた規範は︑その内容の如何を間わず法規であつて訓. 示規範ではない︒法規と訓示規範との相異は︑その規範が國民の行動を規律すると國家の濁自行動を規律するとの黙. にあるのではなくして︑その規範が國家と國民との關係において意味を有すると否との差異である︒換言すれば國民. が︑國家がその規範に從つて行動すべきことを國家に向つて主張しうると否との差異である︒但し國家に向つて主張. しうるということは︑法上の救濟手段を有することを必ずしも意味するのではなく︑これを有せずとも國家の規範あ ることを主張しうるをもつて足りる︒. 以上が佐々木博士の見解を極めて簡輩に要約したものである︒この見解に勤しては︑種々の黙で問題となりうるも. のがあろう︒第一に︑國家濁自の行動を規律する規範を廣く認めて︑國家機關の組織灌限を定める規範はすべてこれ. に属し︑國民の灌利義務を定める規範に非ずとせられる瀦であるが︑これには必ずしも賛しえない︒ただし︑この黙. は本論において大して重要な意味をもつものではなかいら詳論を避ける︒第二に︑これが最も重要な雛であるが︑博.

(11) 士の主張が︑法規をめぐつて循環論法になるのではないかの黙である︒博士によれば︑憲法︵明治憲法を指す1筆者 ︵一二︶. 註︶第五條に立法という場合の法は︑國家が︑國家との關係において意味を有するものとして定立する規範を指し︑. これを法規というのである︒その意味の法規定立すなわち立法灌は︑明治憲法下においても︑議會の協賛をもつて︑. 換言すれば法律をもつて行うべきこととなる︒ところで一方︑博士は︑いわゆる國家猫自の行動を規律する規範も︑. 法律の形式をもつて表示せられたものは法規であると主張される︒この爾側面を結合すると︑﹁法規は法律をもつて. 定むべし﹂という命題と︑﹁法律をもつて定めたものは法規である﹂という命題とが相併立することとなり︑これは. 明かに循環論法にほかならない︒この爾命題を結合すると︑﹁法律をもつて定めたもの︑すなわち法規は法律をもつ. て定めなければならない﹂との全く無意味な提言にすぎなくなるであろう︒第三に︑法規は︑違反行爲につき法上の. 救濟手段を有する場合に限らず︑規範の存在を國家に封し主張しうるをもつて足りると解せられているが︑國家に封. する主張がいかなる形式と方法において行われるかが必ずしも明かではない︒遠憲の立法行爲の場合は︑かりに訴訟. 手段を鉄くとしても︑國會における論議を通じて政治的な責任追及手段が存しうるが︑蓮法の行政慮分については︑. 規範違反の主張方法は訴訟手績のほか考えることができないのである︒もとより現實の訴訟制度のもとでは︑法規7. 違反の行政行爲を常に何時でも雫うことができるわけではない︒訴訟提起の要件としては︑違法たることのほかに︑. 灌利侵害という別個の要件も必要であるし︑また出訴期間の制約もある︒しかし︑これらの要件さえ充足しておれ. ば︑法上の手段により︑すなわち訴訟手綾により事いうる︑というのが法規たることの重要な意味ではなかろうか︒. 三三九. 少くとも原則としては︑訴訟手段をもつて雫いうるのが︑法規の特質であつて︑ここに訓令との相異を見ることがで 行政法に船ける訓示的規定.

(12) 行政法に お け る 訓 示 的 規 定. 三四〇. きるのである︒もつとも︑博士がこのような主張をされることには︑明治憲法下では理由があるとおもわれる︒明. 治憲法においては︑法治主義が貫かれておらず︑違法の行政庭分に封し箏訟を認める場合は例外に属した︒當時の法. 律﹁行政聴ノ違法庭分二關スル行政裁到ノ件﹂に定めるごとく︑行政訴訟は法令の明文の規定ある場合に限られてい. たのである︒かかる制度の下で︑法上の救濟手段を有する場合のみが法規であるとするならば︑多くの規範ー法律・. 命令の形をとる場合でもIIは︑法規ではないという結果となり︑不都合を生ずることとなる︒その意味でこの黙の. 博士の主張は︑明治憲法ではやむをえないものといえる︒しかし︑現行憲法下では︑いやしくも蓮法の行政庭分に封. しては︑法上の救濟手段が與えらるべきであり︑また與えられているのであるから︑それは法規たることの一の要素 と考えるべきであろう︒. 以上述べたところで知られるごとく︑博士の主張︑すなわち國家濁自の行動を規律する規範︑換言すれば國民の灌. 利義務に關しない規範であつても︑法律をもつて定めたものは法規だとする見解は︑そのままでは維持しえないもの. があるといわざるをえない︒法規概念は︑通読の主張のごとく︑國民の灌利義務を定める規範という實質又は内容に. ょり把握さるべきであり︑その意味の法規は︑法律を聾つて定むべきであるとするのが憲法上の要求である︒しかし. また︑國民の灌利義務に關しない事項︑すなわち訓令の封象となるうる事項を規律する規範は︑法律をもつて定めた. 場合でも︑訓令と同檬の効力しかもちえない訓示的規定であるとする意見にも到底賛しえないのである︒法規にあら. ずして︑しかも法律をもつて定めたというところに︑國家の特別の意思を見ることができる︒その意思とは︑法律の. 内容にとりいれることにょつて︑法律と同様の効果を與えようとするものである︒法律は︑それ自髄形式的効力をも.

(13) つものであつて︑非法規を内容とする法律も︑法規を内容とする法律と全く同様の効果をもつものとするのが當然で. あるし︑それが立法者たる國家の意思とみるべきである︒佐々木博士の言葉を借りて表現すれば︑﹁凡そ法律・命令 ︵一三︶. の形式に於て表示せられたる規範は︑國家と國民との關係に於て意味を有するもの﹂であらねばならぬ︒ただ博士. は︑かかるものを法規としておられるが︑むしろ法規にあらざる法律として特有の意味をもつものといいうる︒もし. 法律として定めながら︑その内容が國民の灌利義務を定める規範に非ざるを理由として︑法律たる意義を認めないと. するならば︑國家が法律という形式を用いた意味の大牛は失われるに至るであろう︒もとより︑訓令の形式を用いる. 場合と全く同様の意味しかないわけではない︒國會が愼重な手績をもつて定めること︑國民に公布せられること︑そ. め改正慶止には法律を必要とすること等の意味はある︒しかし︑法律違反の行政行爲が︑なんら蓮反の効果を生ぜず. して︑取消・無効も︑國家賠償も問題にならないとするならば︑法律を竜つて規定する意味の大牛は失われると構し. ても過言ではないであろう︒明治憲法時においては︑救濟手段を考慮に入れないで︑法律をもつて定めることだけで. も相當の意味があつた︒法律たることに件う救濟手段のごときは︑その要請に入つていないものとみることができた. からである︒明治憲法といえども︑その第二章に國民の灌利義務を規定し︑一定の灌利自由を法律事項に留保してい. たが︑法律に準篠せず又は法律に反して行われた國家作用に封していかなる救濟手段が國民に與えられたかの貼にな. ると行政灌優位の思想に底礎された行政國原理が支配し︑甚だしく不完全な救濟手段しか認められなかつたのは周知 ︵一四︶. のごとくである︒これに反して︑現行憲法は︑基本的人灌奪重の制度的具現として司法的保障を完全ならしめる司法. 三四一. 國家主義を探用したものといいうる︒この原理は行政の末端にいたるまで反映せられなければならない︒もとより法 行政法における訓示的規定.

(14) 行政法に痴ける訓示的規定. ︵一五︶. 三四二. 現象を個別的に考察すれば︑依然たる行政樺の優越灌が認められており︑そのうちのあるものは︑行政灌の特殊性か. ら︑やむをえない必要によるものといいうるであろう︒しかし如上の憲法原理の下においては立法も︑可能なる限り. これに印すべきであるし︑立法により定立された行政法令も︑これに帥慮するように解繹さるべきものである︒この. 意味で︑訓示規定を容易に認めるごとき解繹は︑明治憲法的思想の残津であるといえないであろうか︒法律の内容. に︑行政灌者に封する義務づけの規定が存する場合︑かかる規定は軍に行政廉に封する訓示規定にとどまるから︑違. 反行爲もなんら効力に影響しないとするがごときは︑現行憲法下における法解繹としては安當でないといわねぱなら. ない︒しかも何故訓示規定にすぎないかとの問に封しては︑法の目的性質によるとするのみで明確な基準は存しない. もののごとくである︒訓令の形式でも定めうる規範を法律をもつて定めたことに︑法律のもつ効果を生ぜしめるとい. う法の趣旨目的があるのであつて︑これを無硯して︑法律の目的性質から訓令的存在に還元することは︑法の解繹と して許容されないものと信ずる︒ ︵一︶ 山内一夫氏︑訓令・通達︑ジュリスト︑五九號︑二六頁︒. 位の考え方がはつきりあらわれている︒いわく︑﹁被告がなした原告主張の訴願の裁判書の謄本が原告に昭和二十三年二月十. ︵二︶昭和二三・七・八︑長崎地判︑行裁月報︑七號︑一頁︒この事件における被告である長崎農地委員會の陳述中に︑行政権優. 又假りに本訴が適法であるとしても︑被告の裁判が原告主張のように自作農創設特別措. 八日逡達され︑原告はこれにより行政塵分のあつたことを知つたのであるから︑その翌日から起算して法定の出訴期問後の. 置法第七條第五項の期間纏過後になされたことは認めるが︑訴願に封する裁決の期間の制限は訓示的規定であつて効力規定. 提起にかかる本訴は不適法である︒. ではない︑從つて已むなく期間趣過後に裁決がなされても當該裁決が無効叉は期問経漫後を理由として取清されることはな. い﹂と︒すなわち︑國晟側の訴提起について臓︑出聯期間を撮格に主張しながら︑自租の裁決の握滞について韓︑訓示葡規.

(15) ︵五︶. ︵四︶. ︵三︶. 法規の意味をこのように解するか︑又はやや狭く︑灌利を制限し義務を課する規範と解するかの貼も︑内閣法第十一條﹁政. 淺賀榮判事︑行政訴訟の諸間題︑二六四頁︒なお同書二六六頁には︑同様の立場をとる剣決例が學げられている︒. 日本行政法︑二七一頁以下︒. 昭和二四・五二一二︑鳥取地判︑行政訴訟年鑑︑二四年度︑二五頁︒. 定を理由として︑その完全有効を主張するのである︒. ︵六︶. る問題を示す︒この内閣法の規定を丈字通り解するならば︑國民の灌利義務に關する場合でも︑﹁義務を課し又は構利を制限. 令には︑法律の委任がなければ︑義務を課し︑又は椹利を制限する規定を設けることができない﹂との規定と關連して興味あ. をもつて規定しうることとなる︒憲法第四十一條の法規概念を廣く穫利義務に關する規範とすれぼ︑内閣法第十一條の違憲性. する規定﹂にあたらない場合︑すなわち︑義務を冤除し︑椹利を與える規定に屍する場合は︑法律の委任を要せずして︑政令. これを憲法自艦ではなく内閣法なる法律をもつて定めうるかの黙が︑憲法第. が間題となるであろう︒合憲と解するためには︑憲法第四十一條の法規概念を上記狭義に解するか︵その場合でも︑内閣法の. 七十三條六號但書との封比上︑問題として残るのである︶︑逆に内閣法の規定を丈言にかかわらず廣く襟利義務に關する規定. 規定は︑法律の凋占に封する例外であるから︑. と解するか︵この場合も同じ問題が残る︶︑もしくは内閣法にいわゆる﹁法律の委任﹂を解して︑﹁法律の特定委任﹂の意と. し︑したがつて義務の冤除と樒利の賦與の場合は白紙委任も許されるとするか︵この場合も︑自紙委任が許されるかの問題及. び前二者と同様の間題はともに残る︶︑のいずれかによるほかはない︒しかしこれらの間題は︑法律と命令の關係に驕する間. 一頁以下︑田中二郎教授︑實定法秩序. 題であつて︑本稿の直接の封象ではないから︑詳論を略する︒法律と命令との關係については︑園部教授︑行政機關の立法︑ 行政法の諸問題︑八九頁以下︑佐々木博士︑政令と規期の性質︑自治研究︑二四巻︑. 拙著︑行 政 法 學 ︑ 六 三 頁 以 下 ︒. の構造︑法律による行政の原理︑八五頁等滲照︒. 園部教授も︑﹁法律の形式を以て定立されたものは内容の如何を問わずこれを法規であると断ずることはできない︒けだし. 山内氏︑前掲論丈︑二六頁︒. 九八七 ) ). 行政法に影ける訓示的規定. 三四三. ⁝法律の形式は如何なる場合にも法規でないものを操り入れてはならないとする必要性を肯定することができないからで. ).

(16) 行政法における訓示的規定. る﹂︵前掲 書 ︑ 一 〇 九. 三四四. 一一〇頁︶として︑この可能性を認め︑むしろ希望しておられる︒しかし︑問題は法律の形式で定立. ある︒否︑いまや反つて法規でないものも法律の形式で定立されることが民主的要請に慮ずるとせられることが多いのであ. した場合に︑その効果如何にある︒教授の提言が︑法規を内容とする法律と同一に扱う趣旨を含むとすれぼもとより賛成で 佐々木博士︑法律・命令と法規︑公法難誌︑一巻︑一號︑一頁以下︒. ある︒. 命令については︑佐々木博士は︑現行憲法上︑狗自の解繹を示され︑明治憲法上の命令とは全く性質の異なるものとせられ. る︑政令及び規則の性質︑自治研究︑二四巻︑五號︑二一頁︑日本國憲法論︑三二二頁︒したがつて︑博士がここに示された. ︵一〇︶. ︵二︶. て差支えな い ︒. 見解は︑命令に關する限り︑現行憲法上は妥當しないかもしれない︒したがつて本論に關しては︑命令だけを除外して考え 佐々木博士︒前掲論丈︑四頁︒. 佐々木博士︑前掲論丈︑一六頁︒. この貼については︑拙稿︑行政法における官僚性の反省︑二九・五・五︑早稻田大學新聞参照︒. 田中二郎教授︑行政法の基本原理︑二四四頁︒. 三. 一. 一. _ )))). 五四一 一. 受ける行爲を意味するものであるが︑その場合に法の意味性格が問題となる︒特に公盆原則が裁量論における法に含. 第一に︑行政行爲の種類としての裁量行爲と覇束行爲に關して一の問題を投げかける︒覇束行爲とは︑法の拘束を. させて考察することとする︒. 次に訓示的規定を認めないとする上述の主張を貫くときに︑いかなる影響を生ずるかという貼を若干の事項に關連. ((((.

(17) まれるかが問題となるが︑これは含まれないと解すべきであり︑通説もこれを肯定する︒しかし︑その理由について. は必ずしも同一ではない︒公盆原則は條理法であるにすぎず︑裁量論に關する限り條理法は法に含まれないと解する ︵一︶ 説︑行政機關に封する訓令又は職務命令にすぎないから法ではないとする読等種々に分れる︒本論において關連を有. するのは後読であり︑これを強調せられるのは柳瀬教授であつて︑﹁いはゆる終局目的印ち公盆適合性は行政が行政. たる以上常に要求せられる要件で︑從つて法がこれを掲げた場合にも特別の意味はなく︑印ちそれはその性質におい. てただ行政機關に饗する訓令又は職務命令たるにすぎず︑國民に封する關係においてはその内容の認定は行政機關の. 到噺に一任せられたものと見るべきものであるから︑たとひ客翻的に見てその到臨を誤ることがあつても︑國民に勤. する關係においては法に遠反したこととならず︑これに關する國民との問の雫は法律上の雫訟に属せず︑この意味に ︵二︶ おいてその到断は行政機關の自由に属するものと解せられる﹂と述べておられる︒果して公盆原則は法がこれを掲げ. た場合にも訓令にすぎないものであろうか︒現行國家公務員法は︑第九十六條において︑﹁すべて職員は︑國民全髄. の奉仕者として︑公共の利盆のために勤務し﹂と定めて︑公盆原則を制定法の内容にとり入れ︑かつこれを一般化し. ているから︑問題は現實化されているわけである︒結論的にいえば︑既に前掲拙稿でも述べたごとく︑この場合の公. 盆原則は決して訓令にとどまるものではない︒もし訓令にすぎないとするならば︑訓令はいうまでもなく官磨内部に. おける規範にとどまるから︑その違反に封して國民の側からこれを箏いえない理である︒しかるに公盆に反する行爲 ︵三︶ は︑不當行爲として訴願の封象となり︑國民の側から事いうるのであるから︑軍に訓令にとどまるものではない︒も. 三四五. つとも︑公盆原則が訓令ではないということは︑直に法の覇束という場合の法の中に公盆原則が含まれるというこ≧. 行政法に調ける訓示的規完.

(18) 行政法における誹示的規定. 三四六. を意味するものではない︒既述のごとく︑公盆原則はすべての行政作用を通じて認められるため︑裁量行爲と覇束. 行爲の匠別を維持するには︑法の拘束という場合の法からは除外せざるをえないのである︒換言すれば︑公盆原則. が︑本來法ではないという理由をもつて︑裁量論における法の範園から當然除かれるのではなくして︑少くとも法律. の内容にとり入れられた場合には法と見うるのであるけれども︑違法庭分と不當庭分︑編束庭分と裁量庭分とを匝別. すべき必要から特に除外されるものである︒かようにして︑公盆原則違反は︑裁量庭分における到断を誤つたもの︑. すなわち不當庭分として扱われ︑裁到所の審理封象としての違法庭分となるものではない︒しかしまた輩なる訓令違. 反と異なり︑不嘗慮分として︑他の要件を備える限りは︑訴願提起の封象となりうる︒そこに公盆原則の特殊な中問 的性格が認められるのである︒. 公益原則とは異なり︑行政機關の職灌行使に關する指揮命令を内容とする規範は︑たとえ法規たる性格をもたない. とされても︑法律の内容にとり入れられることによつて︑法律のもつ効果を護揮する︑例えば︑行政蓮醤法案要綱の. 第五に︑﹁行政機關の長は︑常に文書の慮理方法の合理化を圖り︑行政事務を迅速且つ明確に庭理するようにしなけ. ればならない﹂と定めているが︑これが法律化された場合︑この義務に違反する長は︑訓令違反にとどまらず︑法律. 違反となる︒ただ︑行政訴訟においては遠法性のほかに灌利侵害の要件が必要であり︑損害賠償においては蓮法性の. ほかに損害襲生の要件が必要であり︑しかもそれらの問に因果關係を要するものと解される︒上記規定の場合は︑義. 務の内容から推して︑違法性の要件を充足しえても︑違法性との因果關係において灌利侵害や損害の獲生を想定する. ことは困難であるから︑箏訟や損害賠償の問題は生じないであろう︒ゆえに︑この場合はこれを訓令違反というも違.

(19) 法というも殆んど實盆がないこととなる︒これに反して︑既掲第十七の條項は︑この内容たる規範を法規と見た場合. は勿論︑非法規と解した場合にも︑法律をもつて定める限り︑法律としての規範力を生じ︑違法を構成するにとどま. らず︑その因果關係において灌利侵害や損害護生を想定することが可能なのである︒許可が速かに行われなかつたた. め︑あるいは辮明の機會や豫告期間が與えられずして許可が取消されたため︑國民の灌利が侵害され︑國民に損害を. 與える可能性は容易に想像せられるであろう︒これらの場合には︑遠法にして灌利侵害もしくは損害を件うものとし ︵四︶ て︑行政訴訟や損害賠償の問題となり︑實盆を生ずるのである︒類似の例は現行法上も散見する︒例えば︑地方自治. 法第二百五十七條第一項が︑﹁この法律に特別の定があるものを除く外︑異議の決定は︑その申立を受けた日から三. 十日以内に︑訴願の裁決は︑訴願を受理した日から九十日以内にこれをしなければならない﹂とあるがごときも同檬 ︵五︶ に解すべきである︒本條の通読的解繹は︑これをも訓示的規定としているようであるが賛成できない︒. 第二に︑訓示的規定の認否は︑國家賠償責任についていかなる影響を與えるであろうか︒國家賠償法第一條の﹁遽. 法に﹂の要件の解繹については︑ω嚴密に法令蓮反を意味するとする読と︑@廣く公序良俗違反や不正をも含めてそ ︵六︶ の行爲が客襯的に正営性をもたないことを意味するとの説が封立している︒前読の立場を探つた場合に︑更に訓示的. 規定を認めるか否かにょつて適用上の相異を生ずる︒すなわち訓示的規定を認めないとすれば︑﹁法令﹂を形式的見地. から理解し︑法規を内容とすると否とを問わず法令の形式に盛られたものは︑國民に劃する違法を構成するものとな. ろう︒同一事項であつても︑﹁訓令﹂の形式をとる場合には︑國家賠償の問題を生ぜず︑﹁法令﹂の形式をとる場合に. −. ︐. 三四七. は國家賠償の間題を生ずることとなり︑規範定立形式を基準として違法性を認定するてととなる︒これに反して訓示 行政法における訓示的規定.

(20) 行政法における訓示的規定. 三四八. 的規定を認める立場をとれば︑法形式だけでは匠別の基準となすことを得ず︑更に法令を解繹して訓示的規定か否か. を決し︑訓示的規定と決定すれば︑訓令の場合と等しく國家賠償の問題を生じないこととなる︒すなわちこの立場で. は︑非法規に属する事項が︑訓令の形式をとるか︑法律の形式をとるかの匠別は︑−意味をもたないこととなるわけで ある︒. 後読︑すなわち國家賠償法における違法の意味を廣く公序良俗違反や不正を含めてその行爲が客翻的正當性をもた. ないことを意味するとの説︵私見もこれに馬する︶を探った場合には︑訓示的規定を認めるか否かの論議は大した實盆. を件わないともいいうる︒軍なる訓令違反たると訓示的規定違反たると︑法規違反たるとを間わず︑また羅束行爲に ︵七︶ おける違反たると︑裁量行爲における違反たるとを問わず︑廣く正當性を欲く行爲を包含し︑行政訴訟における違法. 慮分の概念よりは廣いこととなるからである︒むしろ︑法規違反や︑裁量論における不當又は違法は︑基準となら ︵八︶. ず︑端的に﹁客観的正當性﹂を基準として到断しうるから︑訓示的規定の問題は起つてこないとさえ考えられないで. もない︒しかし︑ひるがえつて考えてみると︑違法の意味が客観的正當性をもたないことであるということは必ずし. も客翻的正當性だけを基準とすべしとするわけでもなく︑またそれが適嘗だというわけでもないとおもわれる︒客襯. 的正當性という基準は正しいとしー.も︑抽象概念であることは冤れがたい︒したがつて具髄的事件を到断する場合︑. 直接に客翻的正當性をもつてくるよりも︑法令違反を基準とする方が容易である場合が多いであろう︒そして法令違. 反の場合は︑そのこと自髄が客翻的正當性をもたないこととなるから︑更に客翻的正當性を論ずる必要はないという. べきである︒換言すれば︑客齪的正當性は︑蓮法性認定の一般的基準ではあるけれども︑これを歓くことの立謹方法.

(21) として︑法令違反の立護をもつて足りる場合もあれば︑客麹的正當性を直接の基準としなければならない場合もある. というのである︒たとえば︑箪なる訓令違反の場合は︑これを理由として直に客齪的不當性を論定することをえず︑. 客麹的不當性自髄を基準として到断しなければならないというごときがこれにあたる︒ここに訓示的規定を認めるか. 否かの實盆がやはり存績するといいうるのである︒すなわち︑訓示的規定を認める立場からいえば︑その規範の効果. は全く訓令と同様のものと解するのであるから︑その蓮反は直に客観的不當を意味しないものとなる︒これに反して. 訓示的規定を認めない立場からすれば︑その違反の効果は法規を内容とする法律と同様に解するのであるから︑いわ. ゆる訓示的規定違反が直に客翻的に正當性をもたないことを意味することとなるのである︒ 拙稿︑行政行爲における羅束と裁量︑早稻田法學︑七〇年記念︑二八四頁︒. ては︑岩佐剛一氏の學會における意見が参照さるべきである︑公法研究︑二號︑一五二頁︒. の仕事量を決定して︑科學的に所要期間が判明するよう配慮されなければならないとさえいいうるのである︑. この貼につい. この申立叉は訴願を斥ける旨の決定叉は裁決があつたものとみなすことができる﹂. 長野士郎氏︑遂條地方自治法︑八一四頁︒な痴本條は︑第二項において︑﹁異議の決定叉は訴願の裁決をすべき期間内に異. 行歌法における訓示的規定. 三四九. と定めているが︑行政灌の優越を不嘗に認める立法というべきである︒上記蓮蒼法案要綱では創除されているが第十三國會に. 議の決定又は訴願の裁決がないときは︑. ︵五︶. 蓮瞥法案の精紳からすれぱ︑行政事務を分析し︑事務の最小の軍位を登見しこれを標準化することによつて︑公務員の一日. いこととなり妥當でない︒多義的もしくは不確定概念も︑われわれの経験則上︑自ら定まつてくるのである︒否むしろ行政. うる︒しかし︑その論理を推すと︑敷字をもつて示す場合のように一義的概念を用いるとき以外は︑違法となる場合を生じな. 本項目において︑﹁速かに﹂というような多義的概念を用いているため︑違法の問題を生ずる飴地はないという見解も考え. 拙稿︑繭揚︑二八六頁︒. 柳瀬教授︑行政法︑一一六頁ー七頁︒. (((( 四一 一 一 一 _ 一 )))).

(22) 行政法における訓示的規定. 三五〇. す︑という規定が置かれていたことと思巨合せるべきである︒法案のこの規定については︑種々の批判がありえようが︑志向. 提出された國家行政運螢法案中には︑一定期間放置した許可等の申請については︑許可等の積極的虚分があつたものとみな. 用する理由はないのである︒もつとも︑地方自治法の本項の立法趣旨は︑ある意味においては申立人の利盆をはかるにあるの. する目標は正しいといわねぼならぬ︒當然行うべき期間内に行わなかつたいわば國家機關の過失の結果が︑申立人の不利に作. かもしれない︒すなわち︑本項の結果として︑逞延した決定や裁決をまつことなく︑訴願や訴訟に進みうるからである︵長野. 前説をとるものとして︑磯崎教授︑行政法総論︑三九七頁︒後説をとるものとして︑田中二郎教授︑行政法︑上巻︑二五六. 氏︑前掲書︑八一四頁︶︒しかし︑裁決の遅延が﹁却下﹂を意昧する考え方に問題があるのである︒ ︵六︶. 爲責任︑公法硯究︑一一號︑七一頁参照︒. 頁︒なおこれらの貼については︑拙稿︑逐條國家賠償法解説︑法律時報︑二五巻︑九號︑一九頁︑今村成和教授︑國の不法行. 裁量行爲の不嘗を含むとする私見︵拙稿︑前揚︑一九頁以下︶に封し︑今村教授は反封の意見を示し︑﹁法が實農的に︑行. 政の判断に最絡性を認めた場合に︑それによつて生じた結果に劃し國が責任を負うというのは自己矛盾である﹂といわれてい. ︵七︶. る︵前掲論丈︑七一頁︶︒しかし︑行政の判断に最絡性を認めたことは︑常に行政の正當性を認めたこととはならないから︑. 國が責任を負うことが何故自己矛盾となるか解しえない︒國が特定の國家機關の判断に最絡性を認めた場合にも︑その剣臨が. 司法裁判所の判断に最絡性を認め︑その判噺が特定の行政行爲を違法なりとした揚合に國が責任を負うのも自己矛盾となるで. 違法や不當と決定したときに國が責任を負うことは︑むしろ當然ではなかろうか︒もしそれが自己矛盾であるとするならば︑. を認めた場合にのみ自已矛盾となる︑との意味でもあろうか︒もしそれならば︑司法機關と行政機關とでそのような相異を生. あろう︒あるいは教授の主張は︑司法裁判所の判断に最終性を認めた場合には自己矛盾とはならず︑行政機關の剣断に最絡性. 認めた揚合︑すなわち裁量行爲において︑國民がその不嘗を異議申立や訴願により雫い︑裁決臨がこれを不當なりと裁決した. ずる根擦理由が示されなくてはならない︒そしてそのような理由は︑私見によれぱ存しないと考える︒行政の判噺に最絡性を. と假定すれば︑虚分取消問題とは別個に︑國の損害賠償責任を追及しうるのではなかろうか︒上級行政臨が下級行政磨の鹿分. いわねばならぬ︒このことは行政磨自ら不當行爲を認めて損害賠償を支彿つた場合も同様である︒そしてこれらの場合もまた. を不當と認定することに矛盾がないとすれば︑その不當行爲の結果に封して國が責任を負うことにも︑なんらの矛盾もないと.

(23) 國家賠償の問題であり︑國の不法行爲責任の問題なのである︒國家賠償は︑裁判所による訴訟手綾を必然の前提とするもので. はないこというまでもない︒いずれにしても﹁行政の判闘に最終性を認めたこと﹂から︑﹁國家責任の自己矛盾﹂という結論. はでてこないと考える︒問題はむしろ國家賠償責任の邉及が︑裁剣所における訴訟手績により行われた場合に︑裁剣所は裁量. 行爲の不當を認定しうるかの鮎に存する︒行政塵分の取漕訴訟においてはこれを認定しえないことは當然である︒しかし行政. 塵分の取清訴訟と損害賠償請求訴訟とでは︑その性格も趣旨目的も異つているから︵拙稿︑前掲︑一九頁︶︑國家賠償法第一. 條の﹁違法性﹂を認定する一手段として︑裁量行爲の不當を認定しうるものと解する︒もつとも︑國家賠償訴訟において︑裁. 統一的基準であるから︑これを理由とした方が捷繧であるかもしれない︒この黙が︑法令違反行爲の場合と異なる︒法令違反. 量行爲の不當を理由として援用することが有利であるかは別論である︒既述のごとく︑﹁客槻的に正當性をもたないこと﹂が. 行爲の場合には︑﹁客観的正當性﹂を直接理由とするよりも︑法令違反なるがゆえに﹁客親的正當性﹂を敏くことを主張する. 方が實効的とおもえるからである︒ただ︑裁量行爲の場合に︑客槻的正當性だけを主張するとすれば︑裁量行爲を理由として. 反諭してくる國家側の主張と議論がすれちがつて水掛論となる影それなしとしない︒同様に裁量行爲たることを前提としつ. 病氣臥床中の窃盗被疑者を警察吏員が出頭せしめた事件につき︑適當な虚置といいえないとしつつも犯罪捜査にあたつて被. つ︑なおその不當を理由とする實盆があるようにおもわれる︒. ︵八︶. といい︑連行の方法についても現行刑事訴訟法の精憩に反する不當な虚置であるが直ちに違法な公橿力の行使となしえないと. 疑者を出頭せしめる必要があるかどうかの決定は捜査の任にあたる司法警察官の判断に委ねられているから違法といいえない. ︵拙稿︑前揚︑二〇頁︶︒これに封. する判決︵東京高鋼︑昭和二七・一・一八︑下裁民集︑三巻︑三九頁︶に關し︑筆者は裁量慮分における裁量を誤つた不當虚 分の例とし︑判決に反封して國家賠償に關する限り違法の中に含まれる旨を蓮べておいた. し︑今村教授は︑﹁問題は︑この揚合︑苛酷な取扱いにょり︑法の豫期しない特別の苦痛︵精帥的又は肉禮的損害︶を被疑者. つたかどうかとは關係がない﹂と蓮べられる︵前掲論丈︑七一頁︶︒これは︑本丈において蓮べたごとく︑直接に客襯的正當. に與えたことが︑不法行爲に該當するかどうかの鮎にあるのであつて︑取調べの方法が︑形式的に見て︑裁量椹の範園内にあ. 性によつて到断すべしとする主張とみることができ︑その限りにおいて正しい見解であるとおもわれる︒しかし︑裁量樫の問. 三五一. 題と無關係であるとは必ずしもいいえず︑裁量の不當が違法に嘗る場合を論ずることも可能であるし︑また現段階においては 行政法における訓示的規定.

(24) 行政法における訓示的規定. 三五二. 必要でもあると考える︒すなわち︑上記判決のごとく︑裁量の不雷は違法ではないとする議論がある以上︑その主張と同一亭. して︑直接客観的正當性のみを論ずるのは︑超越的批判としては正しいとしても︑議論が挙行するきらいなしとしない︒反封. 面上に立ち︑いわば内在的批剣として︑裁量の不當が違法となりうることを立謹する必要があるとおもう︒この反封説に封. 説との相封的關連において︑裁量の不當を論じ︑客観的不當の一態檬にあたることを主張することは可能であろう︒. が︑客灘的不當性の立謹方法としてなお影響をもつ︒すなわち︑訓示的規定を認めるならば︑法律蓮反の立謹をもつ. ければ︑文字通り﹁法令違反﹂印﹁違法性﹂ということになる︒後読をとる場合は︑前読ほど明確な相異を生じない. 規定を認めれば︑法令違反から更に訓示規定違反を除外したものが﹁遠法性﹂となるのに反して︑訓示規定を認めな. 性﹂を法令違反と解するか︑客観的不當性と解するかにより︑訓示規定のもつ意味は異なる︒前読をとる場含︑訓示. 問題を生ずるにすぎない︒しかもそれは軍なる訓令違反にとどまるものではない︑爾國家賠償責任においては︑﹁違法. 場合には箪なる訓令とは異なる︒ただし︑公盆原則の特殊性から︑法律に規定されても違法の問題を生ぜず︑不嘗の. ω裁量行爲における公盆原則は︑訓令と見ることはできないし︑かりに訓令と解しても法律の内容にとり入れられた. が︑法規を内容とする法律と同様の効果をもつものであり︑そこに法律をもつて定めた意味を認めることができる︑. 訓令の形式で定めることも︑法律で定めることもできる︑⑲法律でこれを定めた場合でも︑法規となるものではない. により︑必ず法律をもつて規定すべきものである︑@必ずしも國民の灌利義務を定める規範と見るをえない規範は︑. 上述のところを要約すると以下のごとくになる︒ω國民の灌利義務を定める規範は法規であつて︑憲法第四十一條. 四.

(25) ては足らず客観的不當性自膣を基準として判断しなけれぼならないが︑訓示規定を認めなければ︑法律違反の立讃を もつて足りる︒私見は後読をとり︑かつ訓示規定を認めない︒. 以上の結論をもつて︑當初提起した國家行政蓮醤法案要綱の第十七を到断して見よう︒その第一項も第三項も︑私. 見によれば︑國民の灌利義務に關する抽象的規範︑すなわち法規たる實質をもち︑當然憲法上の要講により法律たる. べきものであり︑いわば法規を内容とする法律と解すべきもので︑訓示的規定を云爲する鯨地はない︒またかりに百. 歩をゆずつて︑﹁國民の灌利義務に關する規範﹂の意味を狭く解し︑この規定は國家機關の権限行使の指揮を定める. ものであるから法規ではないと假定しても︑訓令の形式をとらず︑法律の形式を探用するところに國家の特別な意思. を認めうるものであつて︑法規を内容とする法律と同様に扱わるべきものとなるのであり訓示的規定と解すべきでは. ない︒したがつて︑本項に定める要件に遽反した庭分は︑別に灌利侵害の要件さえそなわれば違法庭分として行政訴. 訟の封象となりうる︒その掲げる要件は︑﹁公李﹂﹁速かに﹂というごとき多義的概念を用いているが︑それは客翻的. に特定しうるもので︑行政庭分に封する拘束をなし︑許可等の行政庭分は覇束慮分となるからである︒國家賠償の問. 題についても︑本項目蓮反はすなわち﹁客翻的に正當性をもたないもの﹂として違法性を充足し︑他の要件さえそな われば︑國の損害賠償責任を追及しうることとなる︒. これに反して︑もし訓示的規定を認める立場をとり︑本項目を訓示的規定と解するとすれば以下のごとくになる︒. 三五三. 訓示的規定は訓令と同様の効果しか持たないから︑本項目に定める要件は法律要件となるものではなく︑したがつて ︵一︶ 要件違反の庭分も違法庭分とならず︑取消訴訟の封象とならないこととなる︒次に本項目を訓示規定と見た場合の國. 行致法における訓示的規定.

(26) 行政法における訓示約規定. !. 三五四. 家賠償はどうなるか︒國家賠償における違法性を嚴密に﹁法令遽反﹂と解するならば︑︐本項目違反は違法を構成せず. 國は賠償責任を負わないこととなる︒けだし︑訓示規定違反は法令違反の効果をもたないからである︒これに樹し︑. 違法性を解して︑﹁客観的に正當性をもたないこと﹂とすれば︑本項目違反のみを理由としては違法性を構成するも. のではないけれども︑客観的正當性を直接の基準として更に到断し︑國家的賠償責任を生ずる場合もでてくるのであ るQ. 右に述べたごとく︑訓示的規定なるものを認めるか否かにょつて︑國民の灌利・自由・利盆の擁護救濟に極めて大. きな相異を生ずる︒訓示的規定を認める立場をとれば︑法律をもつて定めるのと︑訓令をもつて定めるのとでは︑軍. に制定手績と︑公布手績の要否とが相異するだけであるから︑比較的氣樂に︵國家機關としては︶立法化しうることと. なる︒これに反し︑訓示的規定を認めない見地からは︑法律化することに極めて重大な意味が認められることとなる. であろう︒そして國家機關としては︑立法化に相當の決断の要することとなるわけである︒そのために立法化をちゆ. つまり︑國家機關が立法化をちゆうちよし︑訓令のままにしておく弊害の. うちょするという可能性も考えられる︒このことを顧慮して︑訓示的規定を認めても法律化される方が國民にとつて. 有利ではないかとの立論もありえよう︒. 方が︑訓示的規定を認める弊害よりも大きいとするわけであつて︑これもたしかに一つの實際的議論として考慮に債. する︒それにもかかわらず筆者は︑訓示的規定ではなく法律本來の効果をもつものとして︑かかる事項の立法化を希. 望するものである︒その理由は︑立法機關はいうまでもなく國會であるから︑行政機關の灌限行使に關する規範を立. 法化するのにいたずらにちゆうちょするとはおもわれないこと︑法律にしながち訓令的効力しか認めないのは羊頭狗.

(27) 肉のそしりを免れず︑訓示的規定を認める弊害の方が︑國民の期待に反し︑法律の表見的信頼を害する意味で︑一暦 大きいのではないかと考えること︑の二黙に存する︒. 可︑特許等の申請があつたときは︑行政機關は︑::公亭且つ速かに虎理しなけれぱならない﹂とあるごとく︑本法案以外に. ︵一︶このことは本項目に定める許可等が絶封に違法虚分となりえないことを意味しない︒本項目には︑﹁法律の規定により許. 別個の法律の存在を豫定しているものであるから︑その法律に要件が定めてあれば︑編束慮分となり︑したがつて違法虎分と. 三五五. ︵一九五四年一二月一〇日稿︶. なりうるものである︒要は本項目違反だけで違法塵分となるものではないことを意味するにすぎない︒. 行政決に齢ける訓示的規定.

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