中 国 に お け る 肖 像 権 侵 害 を め ぐ る 一 訴 訟
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(2) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 五〇. この映画はパンフレットに﹁秋菊の夫が股間を蹴られた︒秋菊は蹴った相手の村長に︑あんなとこ蹴るのはひどい. のでないかと言うが︑村長は詫びず︑秋菊は納得できない︒郡の巡査が調停に入り︑村長に金を払わせてカタをつ. けようとするが︑秋菊にとってお金の問題ではない︒秋菊は身重の体で︑遠く県の公安へ︑さらに遠く市の公安局 ︵1︶. まで︑納得を求めて出発するが︑結果はいつも同じ︒公安局長に教わったまま︑弁護士に頼んで︑ついに秋菊自身. 思いもしなかった裁判に﹂とあるように︑中国法︑特に行政訴訟法の教材としても有益な映画であった︵ちなみに ︵2︶ この映画の原題は﹃秋菊打官司﹄で打官司とは訴訟のことである︶︒. しかし︑ここでこの映画をとりあげるのは︑映画の内容についてではない︒この映画は︑撮影方法についても大. 変ユニークで︑それがこの映画の評価を高める一因にもなっている︒この映画の監督の張芸謀氏は﹁できるだけ本. 物の農民をそのまま登場させることと︑同時録音で撮影すること︑⁝⁝街頭ロケーションでは隠しカメラ・隠しマ. ︵3︶. イクで撮影すること︑撮影は全編一六ミリカメラで行い三五ミリヘのブローアップ技術を完壁にすることといった ︵4︶. 方針﹂をとり︑これがコ六ミリ隠しカメラでのドキュメンタリー・タッチの映像に︑陵西省の方言をからめて︑ ︵5︶. 中国の農村をくっきり描き出した﹂とか︑﹁視覚と聴覚を総動員して張芸謀監督はドキュメンタリー・タッチを狙. ったが︑逆に強烈な様式美をスクリーンに持ち込むことになった﹂といった称賛をあびることになった︒. ところが︑この撮影方法が︑肖像権侵害訴訟として中国法学界を揺るがすことになった︒費桂花という名前の一. 女性が︑日頃︑顔に痘痕の後が残り︑容貌にひけめを感じていたところ︑この映画撮影で盗み撮りされ︑近所の. 人々からからかわれただけでなく︑自分の子供も学校でからかわれ︑精神的被害を受けたとして︑まずは映画監督. の張芸謀氏に抗議の手紙を出し︑その後︑弁護士を通じて映画制作所との協議をはかろうとしたが︑いずれからも.
(3) 正式の回答が得られなかった︵彼女の抗議がどのような内容であったかは不明︶︒そこで︑一九九三年一二月七日に︑. 肖像権侵害を理由として︑権利侵害の停止︑謝罪︑損害賠償を求めて映画制作会社である青年撮影所を訴えた︒翌. 八日︑北京市海淀区基層法院はこの訴えを受理し︑審理を行い︑九四年一二月八日に原告敗訴の判決を下した.原. 告はこの判決を不服として︑北京市中級法院に上訴したが︑審理の途中で和解が成立し︑残念ながら上級裁判所に よる法的判断が示されることなく︑この事件は終決した︒. 肖像権は名誉権などと並んで人格権の一つとして中国民法通則に規定され︑近年︑中国においても︑不法行為訴. 訟の重要な領域をなしつつあるものである︒筆者は︑たまたま︑この事件の基層法院の判決文を︑中国人民大学法. 学院王利明教授を通じて手に入れることができた︒そこで︑この判決文を当事者双方の主張とあわせて日本に紹介. しておこうと思ったのが︑本文を草するに至った主たる理由である︒おそらく日本の法律家は︑この判決文を見. て︑中国の基層法院レベルでの裁判官の法的推論の粗略さに驚かれるかもしれない︒しかし︑それはそれで︑中国. の裁判実務の現状を認識するうえで意味のあることである︒本稿の主たる目的は︑この判決文の紹介ということに. 肖像権概念および肖像権侵害の構成要件. 中国法における人格権の概要. 一. なるが︑紹介に先んじて︑まず肖像権︑および肖像権侵害に関する中国法の規定と理論を概観しておきたい︒. ︵一︶. 五一. 中国民法学界は︑一般に︑民法で掲げる人身権をさらに人格権と身分権に区分し︑ 前者は市民・法人の人格にも 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口﹀.
(4) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 五二. ︵6︶ とづいて生じる権利︑後者はコ定の地位および資格﹂にもとづいて生じる権利であると説く︒身分権の具体的種 ︵7︶. 類としては︑民法通則に具体的規定を欠くものが多いものの︑一般に配偶権︑親権︑親属権︑栄誉権︑著作人身 権︑監護権などが列挙されている︒. 他方︑人格権については︑民法通則の九八条で生命健康権︑九九条一項で市民の姓名権︑また同条二項で法人・. 個体工商戸・個人組合の名称権︑一〇〇条で市民の肖像権︑一〇一条で市民・法人の名誉権︑一〇三条で市民の婚. 姻自主権が具体的に規定されている︒また︑著作権法一〇条の定める著作人身権も人格権範疇に入れる学者もい ︵8︶ る︒さらに︑学説上は︑以上の範囲にとどまらず︑プライバシー権および貞操権を人格権として掲げる︒. 各種人格権侵害の民事責任方式︵救済手段︶について︑民法通則は一二〇条において︑﹁市民の姓名権︑肖像権︑. 名誉権︑栄誉権が侵害されたときは︑侵害の停止︑名誉の回復﹇回復名誉﹈︑影響の除去︑謝罪﹇賠礼道漱﹈を要. 求することができ︑あわせて損失の賠償を要求することができる.法人の名称権︑名誉権︑栄誉権が侵害を受けた. ときは︑前項の規定を適用する﹂と定める︒名誉回復の方法として謝罪︵謝罪広告︑謝罪文の掲示等︶を考える日本. 民法と異なり︑中国法は﹁名誉の回復﹂と﹁謝罪﹂を分けている︒この両者について︑名誉の回復とは﹁行為者. は︑その行為によって市民または法人の名誉を侵害したときは︑その侵害行為による影響の及ぶ範囲内において︑. 被害者の名誉を︑それが侵害を受けなかった時の状況にまで回復すべきであることを意味﹂し︑他方︑謝罪とは︑ ︵9V. ﹁違法行為者に対して︑公然と過ちを認めさせ︑謝意を表させる﹂ことで︑その謝罪は口頭︑書面の二方式がある ︵10︶. とされる︒この説明だけからはいまだ両者の違い︑関係は判然としない︒とりあえず﹁︵名誉回復は︶名誉権侵害の. 場合に限って適用され﹂るとか︑謝罪はコ般に︑侵害者が訴訟の中で自発的にその責任を負い︑判決文の中に書.
(5) き記されるゆ確かに謝罪すべきであるのに︑謝罪を拒否した侵害者に対しては︑︵民事制裁としての︶訓戒を適用 ︵H︶ し︑あわせてその処分の結果を新聞に掲載する︒その費用は民事責任を負う侵害者に負担させる﹂といった説明が なされていることを紹介するに止めておく︒. ところで︑人格権の一つをなす生命健康権については︑同法二九条で﹁市民の身体を侵害し傷害を与えたとき. は︑医療費︑休業による収入の減少︑廃残者の生活補助等の費用を賠償しなければならない︒死亡させたときは︑. さらに葬式費用︑死者が生前扶養していた者の必要な生活費等の費用を支払わなければならない﹂と定める︒この. ことから︑一見すると︑生命健康権侵害の場合は︑一二〇条に掲げる侵害の停止︑影響︵この場合に即していえば危. 険︶の除去︑謝罪などの責任方式は予定されていないように見えるが︑決してそうではない︒同様の民事責任を追. 及できる︒異なるのは︑一一九条での損失賠償は財産上の損失に限定されているということである︒中国法のこう. した態度は︑刑事訴訟法上からも窺える︒すなわち付帯民事訴訟を定めた同法七七条によれば﹁被害者が被告人の. 犯罪行為によって物質的損失を受けたとき﹂は︑付帯民事訴訟を提起することができるとあって︑生命健康権侵害. の民事賠償の範囲は当該犯罪行為によってもたらされた﹁物質的﹂ロ財産的損害に限定され︑精神的損害賠償は考. 慮されていない︒学説の多くは︑生命健康権侵害において財産的損害賠償に限定する態度に批判的である︒. 中国民法通則はプライバシー権に関する規定を欠き︑最高人民法院は現在までのところ積極的にこの概念を認め. るには至っていないが︑プライバシーの侵害が名誉の殿損にあたる場合には名誉権侵害行為として認定しようとし. ている︒最高人民法院の司法解釈﹁民法通則を貫徹執行するうえでの若干の問題に関する意見︵試行︶﹂一四〇条. 五三. の﹁書面︑口頭等の形式で他人のプライバシーを言い触らし﹇宣揚﹂︑⁝⁝他人の名誉に損害を与え︑一定の影響 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(6) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 五四. を引き起こしたときは︑市民の名誉権侵害行為と認定しなければならない﹂という規定がそれであり︑こうした態. 度は九三年の最高人民法院の司法解釈﹁名誉権案件審理における若干の間題に関する解答﹂七条の︑﹁いまだ他人. の同意を得ずにみだりに他人のプライバシーの材料を公にし︑あるいは書面または口頭形式で他人のプライバシー. を言い触らし︑他人の名誉に損害を与えたときは︑他人の名誉権侵害に照らして処理する﹂との規定において継承. されている︒しかし︑一定範囲のプライバシ!侵害を名誉権侵害の中に含めていこうとする最高人民法院の司法解. 釈については︑以下のような名誉権とプライバシー権の重要な差異を見落とすものであるとの批判が加えられてい. る︒すなわち︑①主体の違い.名誉権は法人も享有するが︑プライバシー権は自然人としての市民に限定される︒. ②客体の違い.名誉権の客体は︑市民・法人の︑品徳・才幹・素質等についての社会的評価であるのに対して︑プ. ライバシi権の客体は︑他人に知られたくない︑あるいは公開されたくない秘密である︒前者は観念であり︑後者. は事実である︒③侵害方式の違い︒名誉権侵害の方式でしばしば見られるのは︑侮辱や誹諺であり︑しかもこうし. た侮辱や誹誘行為によって被害者の社会的評価が低下させられるのに対して︑プライバシー権侵害方式でよく見ら. れるのは︑公表︑言い伝え︑言い触らし﹇散布﹈︑窃取等で︑しかもこれらの行為は必ずしも人々の被害者に対す. る見方を変えるものでない︒④侵害内容の違い︒名誉権侵害者が言い触らす内容は︑真実のものもあれば捏造した. ものもあるのに対して︑プライバシ!権侵害者が言い触らし︑公にする内容は真実のものに限られ︑虚構はありえ. 2︶. ない.⑤保護方式の違い︒プライバシi権の保護は︑侵害の停止︑謝罪︑︵金銭による︶損害賠償の三種の方式に限 ︵1 られるが︑名誉権保護は︑さらに影響の除去︑名誉の回復といった方式を通じても行なわれる︒これらの指摘は正. 鵠を得ており︑早晩従来の司法解釈を修正するか︑プライバシー権に関する立法的措置が講じられる必要があるだ.
(7) ろう︒人格権一般の紹介はこの程度にして︑ 本論のテーマをなす肖像権概念およびその構成要件をめぐる議論の紹 介に移ろう︒. ︵二︶肖像権概念. ︵13︶. 肖像とは︑造型芸術の手段を通じて人の外部的形象を客観的に反映することを主題とするものであると言わ. れる︒そして肖像権に関しては︑民法通則は﹁市民は肖像権を有する︒いまだ本人の同意を経ずに︑営利を目的と. して市民の肖像を使用してはならない﹂︵一〇〇条︶と定めている︒この規定は肖像権侵害の構成要件を論ずると. きに︑違法性または過失論のレベルで問題となる規定であるが︑肖像権の内容を具体的に述べたものではない︒そ. の内容︑概念については︑﹁市民が︑自己の肖像において体現する利益を内容とする権利であり︑具体的には︑市 ︵M︶ 民が自己の肖像の制作︑使用において享有する専属的︑排他的権利﹂のこととして一般に説かれる︒. 肖像権についてはしばしば名誉権およびプライバシー権との区別が問題となる︒名誉権との関連でいえば︑両者. は以下の点で異なる︒第一に︑名誉権の主体の中には法人も含まれるが︑肖像権は自然人に限られる︒第二に︑客. 体が違う.名誉権の客体は名誉であり︑肖像権の客体は人の外部的形象を反映した肖像である︑保護法益が︑前者 ︵焉︶. は評価︑後者は事実である︒第三に︑譲渡の可能性の点で異なる︒名誉権は譲渡不可能であるが︑肖像権は譲渡可. 能である︒ただ︑両者が重なり合う場合も当然存在する︒しばしば採り上げられる実例は以下のようなケースであ. る.﹁原告の李某は被告の趙某と恋愛関係にあったとき︑記念写真をとった︒その後︑両者の関係は悪化し︑被告. 五五. の趙は恨みをはらすために︑その写真のネガを某写真館に送り︑引き伸ばさせ︑さらに当該写真館の従業員の李某 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(8) 早法七五巻一 号 ︵ 一 九 九 九 ︶. 五六. に対してこの引き伸ばした写真を陳列窓におくように求めた︒そして当該写真館はこの引き伸ばした写真の効果が. たいへん大きいと判断して︑趙某の求めに同意し︑この写真を陳列窓においた︒その後︑原告は他人の非難を受け. て︑名誉を著しく害なわれたと感じ︑裁判所に訴えを提起し︑その中で︑被告趙および写真館に対して当該写真を. 撤去すること︑および精神的損害賠償をなすことを請求した﹂︒この案件を掲載している﹃人格権与新聞侵権﹄で. は︑以上の文に続けて﹁本案において︑被告は悪意で原告の名誉を殿損し︑またいまだ原告の同意を経ずに原告の ︵16︶. 肖像を利用したことにもとづき︑原告に対する名誉権侵害と肖像権侵害を構成する︒また︑もちろん︑写真館が勝. 手に原告の写真を展示したことも︑原告の肖像権侵害にあたる﹂と述べている︒他方︑別の著書﹃違約責任論﹄. は︑上記の事件の経過に続けて﹁被告趙某は悪意にもとづき原告の名誉を殿損し︑すでに原告に対する名誉権侵害. を構成する︒他方︑写真館はいまだ原告の同意を経ずに営利を目的として当該写真を展示しており︑原告に対する. 7︶. 肖像権侵害を構成する︒したがって︑この二種類の行為は相互に独立し︑それぞれ異なった法律規定に違反してお ︵1 り︑各行為者︵趙と写真館︶は異なった不法行為責任を負わねばならず︑本案は責任競合の案件には該当しない﹂. と述べている︒とのいずれの執筆も王利明教授によるものであるが︑趙某の民事責任に関しては︑前著では名誉権. 侵害と肖像権侵害の両方が成立し︑他方︑後著では名誉権侵害しか成立しないと︑明らかに違った叙述がなされて. いる︒著者は︑この変更につき説明していないが︑問題の趙某につき肖像権侵害が成立するかどうかは︑肖像権侵. 害の構成要件として︑営利目的を不可欠の要件とするかどうかによるものであろう︒この問題は後述するとして︑. もし前著のように︑被告趙某に対して名誉権侵害と肖像権侵害の両方が成立するとの立場をとると︑競合の問題が. 生じる︒こうした場合︑訴訟法上︑どのように処理するのかが問題となるが︑司法実務レベルでは︑法条競合の立.
(9) 場をとっていると言われている︒筆者自身は︑これを示す司法解釈文書類を直接見たことはないが︑﹁肖像権侵害. 行為と名誉権侵害行為とが法規の競合を発生させる状況のもとでは︑どの法規を適用して被害者の請求権を確定す. べきかの問題が生じ︑伝統的な法条競合理論によれば︑同一当事者間︑同一内容の給付につき複数の請求権を発生. させることはできず︑法律上も数個の民法規範を同時に援用することはできず︑それらの中で最も適切な一種類の. ︵18︶. 規範を選択適用できるだけで︑他の法条はみな適用が排除される︒最高人民法院の関連司法解釈から判断すると︑. 各種人格権間での競合問題に対するわが国の現在のところでの規定は︑この理論に合致している﹂との指摘がある. ︵19︶. ので︑それを紹介しておく︒しかし︑この実務の法条競合説に対しては︑肖像権と名誉権は相互に独立し︑法条競. 合説が前提とする法律吸収原則に馴染まないこと︑法的効果に差異があることを理由にこの説を否定し︑いずれの ︵20︶. 請求権によるかは原告の選択に任せるべきであるとの異論もある︒ただし︑この説は請求権競合説は採らず︑いず. れかを選択した場合は︑もう一方の請求権で再度訴訟を提起することはできないと説く︒. 次に︑肖像権とプライバシー権との区別についていえば︑前述したように︑中国の司法実務レベルでは︑プライ. バシー権なる概念を認めておらず︑プライバシー侵害が名誉権侵害に該当する場合に限り︑名誉権侵害として扱う. との立場をとっている︒したがって︑実務上は︑名誉権侵害と肖像権侵害の区別という問題はあり得ても︑プライ. バシイー権と肖像権の区別という問題は出てこない︒しかし︑学説上はプライバシi権を認めようとする見解が有. 力であり︑そうした立場からすると︑両者の区別が必要となる︒その区別としてあげられるのは︑人間の姿形は公. 衆に曝されるのが一般的であるという点である.特に市民が自己の姿形の公開を望まないのに︑他人が勝手にそれ. 五七. を公開したようなときに︑両者が重なり合うことになる︒例えば市民が顔部の病態を気にしているのに︑無断でそ 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(10) 早法七五巻一号︵一九九九︶. ︵21︶. 五八. の市民の顔部の写真を撮るといったケースがそれにあたる︒本稿が紹介しようとしている﹃秋菊打官司﹄. ﹁秋菊﹂と略記︶事件はまさに肖像権侵害とプライバシi権侵害の両方が問題になり得る事件の一例である︒. ︵三︶肖像権侵害の構成要件 ︵1︶違法性. ︵以下. 肖像権侵害の構成要件に関して最大の論争点をなしているのは︑本人の同意がないということとは別に︑さらに. 営利目的の存在を必要とするのかどうかという点についてである︒民法通則一〇〇条は﹁市民は肖像権を享有す. は総じて学者に多く︑. 厳派. 寛派. との対立が. る︒本人の同意を経ずに︑営利を目的として市民の肖像を使用することはできない﹂という文言からなり︑中国法. 寛派. 学界では︑本条の解釈をめぐって︑営利目的を成立要件とする 厳派 とそれを要件としない ︵22︶ は実務担当者に多いとのことである︒ あり︑. このいずれの立場をとるかによって結論が異なってくるのは︑例えば以下のようなケースについてである︒その. 事件というのは︑病院の火傷治療専門の外科医甲は顕著な業績をあげてき︑甲のそうした業績を宣揚するため︑記. であれば︑営利目的が認. であれば︑肖像権侵害が認められる. 厳派. 者乙は甲が提供した女性丙の十数年前の顔面のケロイド部分の写真を︑丙の同意を得ることなしに使用し︑それに. 寛派. 対して丙が甲︑乙を肖像権侵害を理由として訴えたというものである︒いわゆる められないという理由で肖像権侵害の訴えは斥けられるであろうし︑. 厳派. からすると︑本件のような場合は︑肖像権侵害ではなく︑名誉権侵害でもって訴訟を提起. 可能性が高い︒ただ︑残念ながら︑この訴訟に対して裁判所がどういう判断を下したかを︑筆者は確かめることが ︵23︶. できていない︒.
(11) すべきということになる︒最高人民法院は司法解釈﹁民法通則の執行を貫徹するうえでの若干の問題に関する意. 見﹂コニ九条において︑﹁営利を目的として︑いまだ市民の同意を得ることなく︑その肖像を広告︑商標︑飾り窓 ︵24︶. 等に利用したときは︑市民の肖像権侵害行為として認定しなければならない﹂と述べており︑営利目的の存在を肖. 損害事実. 像権侵害の前提条件にしているようにも見える︒ ︵2︶. 肖像権侵害の構成要件は︑①肖像を使用すること1制作︑写生するだけでは駄目ー︑②その使用が本人の同. ︵25︶. 意を得ていないこと︑③その肖像使用行為が違法性阻却事由にあたらないこと︑の三つの要件に尽きるとの説が. ある︒この説では特に︑損害事実の発生ということを要件化していない︒それは︑肖像権侵害の場合は︑権利侵害 の事実︵①②の要件︶と損害事実とは同義であるとの理解があるからであろう︒. 以上の説と違って︑損害事実を要件化する説もある.この説によると︑違法性とは別に︑損害事実の発生を立証. し︑それが精神的損害か︑財産的損害かを特定しなければならないことになる.もちろん︑その双方の損害の賠償. を請求することもあり得る︒精神的損害の例としては︑ある映画俳優が本人の知らない間に滋養強壮薬の販売広告. に使われ︑その事が発覚した後︑当の俳優は友人やファン等から電話や手紙で︑その広告が当人のイメージ﹇形. 象﹈を害なっていると叱責を受け︑その結果︑長期にわたって精神的憂慮と緊張状態に置かれ︑最終的に法的手段. に訴えることを余儀なくされたというケースが紹介されている︒そして︑精神的損害の認定においては︑権利侵害 ︵26︶. 行為が社会に対してもたらした影響︑および被害者がこれに対して表した心理的︑情緒的反応に留意することが求. 五九. められると説く︒また財産的損害の例としては︑ある俳優が自己の肖像が某出版社︵甲出版社とする︶のカレンダ 中国における肖像権侵害をめぐる︸訴訟︵小口︶.
(12) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 六〇. 1印刷に付されることに同意し︑それでもって報酬を得ようと考えていたところ︑﹃別の出版社が本人の同意を得る. ことなしに︑彼の肖像を書籍の表紙に印刷し︑そのため甲出版社は彼を使用するのを取り止めたといったケース. や︑あるモデルの肖像を悪し様に描きだし︑公衆が抱いている彼女のイメージ上の美感を害ない︑そのため当のモ. デルはその肖像が使用される可能性を著しく低め︑将来得べかりし利益を滅失したというケース等が紹介されてい. る︒そして︑財産的損害の認定においては︑1︑権利侵害行為の継続期間︑営利のかかわる状況︑2︑被害者が平 ︵27︶. 時に自己の肖像を利用して営利を行なっている状況︑3︑権利侵害行為の情状︑手段︑および社会にもたらした影 響等に留意すべきであると説く︒ ︵3︶故意・過失﹇過錯﹈. 肖像権侵害において︑違法性とは別個に︑主観的故意・過失﹇過錯﹈を必要とするかどうかについて︑最高法院. の司法解釈は明確でない︒司法解釈﹁民法通則の執行を貰徹するうえでの若干の意見﹂は︑その一五〇条で﹁市民. の姓名権︑肖像権︑名誉権︑栄誉権⁝⁝が侵害を受け︑市民⁝⁝が損失の賠償を要求するときは︑人民法院は権利. 侵害者の故意・過失の程度︑権利侵害行為の具体的情状︑結果︑影響にもとづいてその賠償責任を確定する﹂と述. べているが︑これは肖像権侵害が成立した後での具体的損害賠償額の算定にあたっての議論として理解すべきであ. ろう︒有力学説は︑肖像権侵害という違法性が認められれば︑それで足りると理解しているように思われる︒例え. ば﹁肖像権侵害の民事責任についていえば︑行為者の主観的故意・過失は︑主に︑違法行為の中に体現される︒関. 8︶. 連する法律︑法規の禁止するところの行為を実行して︑不法に他人の肖像を使用すると︑それは行為者の主観にお ︵2. いて故意・過失が認定され﹂るとか︑﹁肖像権は市民の専有権であり⁝肖像権の専有性を破壊すると違法性を.
(13) 具えることになる︒いまだ肖像権者の同意を得ずにその肖像を使用することは︑同時にまた主観的に故意・過失を ︵29︶. 具えることになる.一般的には︑肖像権侵害行為の主観的形態は故意のかたちをとる︒何故なら肖像を使用する行. 損害事実と権利侵害行為との因果関係. 為は行為者の意識的行為であるからである﹂といった説明は︑そのことをものがたっている︒ ︵4︶. 肖像権侵害の事実と損害事実は同義であるとの立場からすると︑ここでの因果関係を論ずる必要はないというこ. とになる.後に紹介する原告側訴訟代理人もこうした立場をとっている︒これに対して︑被告側弁護人は︑故意の. 権利侵害と被侵害者の受けた損害との必然的因果関係がなければならないと主張している.. ︵5︶違法性阻却事由. 肖像権侵害行為が︑上記の要件を形式的に具備する場合でも︑それが﹁合理的使用﹂にあたると判断された場合. は︑その違法性が阻却される︒阻却事由としていかなる事由が考えられているか︑以下それを掲げておく︒もとよ. り︑このレベルの議論は実質的違法性をめぐるものであるから︑あくまでも例示にすぎない︒ ﹃人格権法新論﹄は﹁合理的使用﹂の例として以下の事由を列挙する︒. ①肖像の強制的使用︒国家機関が犯罪捜査活動など公務を執行するために市民の肖像を強制的に使用する場合︒. ②肖像の限定的使用︒科学︑文化︑教育︑衛生︑体育などの公益または娯楽事業上の必要︑または特定目的の宣. 伝報道の必要にもとづいて限定的に市民の肖像を使用する場合︒例えば︑医学の臨床教育のために患者の疾患状態. にある肖像を︑教育関係者の範囲内で使用する︵一定範囲内での使用︶とか︑医学研究の必要から当該身体の部位. 六一. に対して必要な遮蔽措置を講じたうえで肖像を使用する︵︸定程度における使用︶場合などがこれに該当する︒ 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(14) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 六二. ③特定の職務︑職業︑身分にもとづいて肖像を使用する場合︒例えば国家公務員が公務活動に参加するとき︑ニ ュース報道部門は本人の同意なく肖像を使用できる︒. ︵30︶. ④特定の場合における肖像の使用︒例えば集会︑デモ行進その他の公衆活動に参加したときは︑その肖像が宣伝 に使用されるのを認 め な け れ ば な ら な い ︒ ⑤著作権にもとづく使用︒. ⑥肖像者自身の利益を維持するために使用する場合︒ ︵31︶ ﹃人格権与新聞侵権﹄は︑以上のほかに現代史上の著名な人物の肖像の善意使用も違法性が阻却されるとする︒. いかなる場合が肖像の﹁合理的使用﹂にあたるかは︑その目的︑範囲︑方式︑程度等を勘案して個別的に判断す. 原・被告の主張および北京市海淀区基層人民法院の判決. るしかない︒本稿が対象とする﹁秋菊﹂事件も︑まさに違法性阻却の可否が問題となったケースである︒. 二. 肖像権侵害に関する中国法学界の議論の概要は前節にみたとおりである︒本節では︑﹁秋菊﹂肖像権侵害訴訟そ. のものの内容を私見を交えず紹介することにする︒ただ︑以下に紹介する資料中︑判決文は原資料をそのまま転写. ︵タイプ印刷︶したものであると思われるが︑当事者の主張の部分は︑﹁案例選﹂とか﹁案例要覧﹂の類いの本の中. から取り出したもののようである︵出典は不明︶︒王利明教授に本件の判決文の内容を知りたい旨要望したところ︑. 後日︑判決文とともに送られてきたものである︒冒頭に﹁案情の紹介﹂︵﹁案情簡介﹂︶という一文があり︑その後に.
(15) 原告︑被告の弁護人の手になる主張︵﹁代理詞﹂︶が︑そのまま掲載されている︒双方の主張の文を読むと︑被告の. 主張に原告が反論を加えるという立論の内容になっている︒したがって︑実際には先ず被告の主張の部分を読んで から原告の主張の文を読む方がわかり易いだろう︒. 案情の紹介. 盗み撮. された︒原告は︑たとえ映画で映し出された肖像ではそれほど醜くはなかったにせよ︑容貌﹇形象﹈に欠陥が. 一九九一年冬︑原告の質桂花は宝鶏市の街角で︑映画﹁秋菊﹂の撮影組によってミディアムショットで. 1. り. あることによって︑何人かの人々によってからかわれ︑原告に精神的苦痛を与えた︒このため︑原告は当該映画監. 督の張芸謀に手紙を出し︑その後︑また弁護士に依頼して︑映画制作者の一人である北京青年映画撮影所と協議さ. せたが︑いずれからも正式の回答が得られなかった︒そこで︑一九九三年一二月七日に︑肖像権の侵害を理由とし. て︑侵害の停止と謝罪︑損害賠償八千元︵以下に掲げる法院の判決文では︑原告は精神的損害賠償としての八千元とは. 別にさらに︑経済的損害賠償として四千七百二十元七角八分を請求している︶を求めて青年撮影所を訴えた︒その翌日︑. 北京市海淀区法院はこの事件を受理した︒当法院は開廷審理し︑一九九四年一二月八日に原告敗訴の判決を下し. 六三. た︒そこで原告の質は判決を不服として上訴し︑現在︑二審で審理中である︒︵その後︑二審の中級法院で和解が成. 一審原告側弁護士都江筍の主張 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟. ︵小口︶. 立し︑当該事件についての裁判所による法的判断は示されることなく終決した︶︒. 2.
(16) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 審判長・審判員殿. 六四. わが国の法律によれば︑肖像権侵害の構成要件として二つが予定されている︒その一は︑いまだ本人の同意を得. ることなくその肖像を使用することであり︑その二は︑使用者が営利を目的とすることである︒被告はこのうち第. 一番目の要件については認めているが︑二番目の要件については︑営利を目的としてはいなかったとか︑その他の. 理由をあげて権利侵害を否定している︒被告の答弁について以下のごとく逐一反論を加えたい︒ ︵一︶ 営利目的を具えていたかどうかの問題について. ﹁秋菊﹂は実験的映画﹇探索片﹈に属し︑したがって営利とは遠くかけ離れているとの主張につい. 被告が営利目的を否認する理由は以下の三点である︒. ︵1︶ て︒. 原告代理人は︑同じ事物でもさまざまに分類できると考える︒事物のある一面の性質を理解しようとすれば︑そ. れに対応した基準でもって分類しなければならない︒そうでなければ答えと間いが食違ってしまうことになる︒. ﹁秋菊﹂は実験的映画であるが︑他方で劇映画︑合作映画︑天然色映画︑西部劇映画等の分類の中に位置づけるこ. とも可能である︒実験的映画かそれとも伝統的映画かという分類は創作方法の新旧の問題に解答を与えることはで. きても︑この映画が営利目的を有しているかどうかの間題を説明することはできない︒テスト販売品﹇試鎗品﹈だ. から代金が不要であるというわけではなく︑実験映画だから無料﹇自送自看﹈というわけではない︒営利目的を有. しているかどうかという基準にもとづけば︑すべての映画が商業映画か非商業映画に区分できるだけであり︑これ. こそラジオ・映画・テレビ省﹁広電部﹈の映画に対する基本的な分類法である︒改革以来︑映画業︑特に劇映画制.
(17) 作企業は営利目的の典型的な産業となった︒﹁秋菊﹂は劇映画として典型的な商業映画である︒. ﹁秋菊﹂が放映されて以来︑被告は共同制作者のもう一人とともに︑相当多額の収入を獲得しており︑この一事. でもってこの映画の営利性は明らかである︒より率直にいえば︑芸術上の実験は︑経営上は単に手段に過ぎず︑実. 原告の肖像の使用は街角でのものである︒被告が利用したのはその﹁社会的効能﹂︑あるいは﹁社会的価. 験映画はより一層の営利を追求する商業映画の手段に過ぎない︒. ︵2︶. 値﹂であり︑その商業的価値を利用したわけではない︒したがって営利目的を具えてはいないという主張につい て︒. たしかに︑市民が肖像権を行使するにあたっても︑法律の合理的制限を受けなければならない︒市民が公衆に理. 解を求める社会活動に参加するとき︑記者による写真撮影を拒むことはできない︒また市民が文明に反する行為を. なすとき︑他人による撮影と批判を拒むことはできない︒映画撮影という本件において︑もし撮られた当該市民の. 姿かたちが人の流れの中に身をおいていたり︑非常に遠くから撮られていて︑特定できず︑瞬間的に過ぎ去る添え. 物的﹇陪襯性﹈映像で︑ある社会的風貌を映し出すものとして避けることのできない映画カットであれば︑当該市. 民も異議を唱えなかっただろう︒同様に︑これらの肖像に社会的効能あるいは社会的価値があれば︑本人は肖像権. を主張できない︒しかし︑市民が公衆の場所に現われたからといって︑彼の姿かたちに社会的効能が具わっている. とか︑他人が一律に︑遠近大小を区別することなくその姿かたちをカットに撮り︑その肖像権を使用できるという. ことはできない︒もしそういうことになると︑肖像権を有する市民は一体何人いることになるだろうか︒本件にお. 六五. いて︑原告は街頭にいたが︑決して彼女にはニュース的要素はなく︑また被告も報道組織ではなく︑原告の肖像を 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(18) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 六六. ﹁合理的に利用する﹂ことについてのいかなる法定の事由も存在しない︒大衆のカットを撮ることについていかな. る合法的理由も存在しない︒原告は決して人の流れの中にいたわけではなく︑街頭を撮影するときそれから逃れる. 術もなく︑カットから自分の姿かたちを除くこともできなかった︒また被告が撮影したのは︑決して遠距離から. の︑特定困難な︑あるいは瞬間的なカットなどではなく︑特写のカット︑あるいはクローズアップによる撮影であ. り︑画面の主題の地位に原告をおき︑それが画面全体の三分の二を占め︑時間にして四秒続いた︒このようなカッ. トによる場合︑本人には肖像権の存在を主張する十分な理由があり︑﹁社会的効能﹂とか﹁社会的価値﹂を理由と. して肖像権を剥脱することはできない︒一般に︑人の肖像が体現しているのは精神的利益という種類の人格権であ. り︑本来商業的価値を具えているわけではない︒それは商品経済の条件のもとで︑営利を目的として使用されては. じめて財産的利益に転化し︑財産的利益︑すなわち商業的価値をもたらす︒被告が劇映画の撮影をすることは︑典. 型的な経営行為であって︑それは営利を目的として原告の肖像を制作︑使用し︑原告の肖像に商業的価値をもたら. すことになった︒原告をして商業的価値を生み出させる過程は︑また原告の肖像の商業的価値を利用する過程でも あり︑この点についてはいかなる疑義もないはずである︒. ︵3︶ 原告の肖像はきわめて短いつなぎの場面でのシーン﹇過場劇﹈にすぎず︑ストーリーとは関係がなく︑全. 体の映画場面のごくわずかの部分しか占めていない︒この程度では︑とうてい営利目的にはあたらないとの主張に ついて︒. まず︑明確にしておかなければならないのは︑肖像権侵害の構成要件の一つは︑権利侵害者が主観的に﹁営利目. 的﹂を有しているということであって︑客観的に営利のレベルに達しているとか営利を実現するということではな.
(19) い︒さらに︑被告は映画全体を通じて営利を実現しており︑原告の肖像の占める割合がきわめて少ないといって. も︑それは広告の肖像等の権利侵害と形式的︑量的な差異があるにすぎず︑本質的な違いはない︒原告のシーン. は︑﹁秋菊﹂という映画の構成部分をなし︑映画監督は盗み撮りした多くの大衆場面の中から︑この部分のカッテ. ィングを特に選び出したのであり︑このことはこれらのシーンを映画ストーリー上必要としていたことを意味して. いる︒被告はまた︑原告およびその他の街角の風景が主人公がはじめて大都会にやってきた感覚をよく表現してい. ることを認めており︑また︑これらのシーンが映画のストーリーに対して引き立て役の役割を果たしていると述べ. ている︒原告の肖像が﹁秋菊﹂の構成部分をなす以上︑営利の道具の歯車あるいはねじ釘の役割を果たしているこ. とは明らかである︒原告の肖像の︑ストーリー中の意義および映画全体で占める割合は︑営利目的を実現する中で. ︵営利目的実現の︶役割を果たしている. のこの肖像の役割の大小を意味しているだけで︑営利にいかなる役割も果たしていないなどとはとうていいえな い︒. もし映画全体を各部分に分割する方法でもって孤立的に問題をとらえ︑. のは主役を演じている輩割のシーンであると考えるならば︑それはもはや﹁秋菊﹂という映画ではなくなり︑また 営利を実現しようもなくなるだろう︒ ︵二︶ ﹁社会的利益﹂の問題について. 被告は︑原告の肖像の使用は﹁社会に対して有益﹂であり︑﹁社会の利益のため﹂であり︑したがって権利侵害 を構成しないと主張する︒. 六七. たしかに︑民事上の権利を行使するさいに︑社会の公共の利益に損害を与えてはならない︒しかし︑問題は︑社 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(20) 早法七五巻一号 ︵一九九九︶. 六八. 会の公共の利益とは社会構成員全体の共同の利益のことであり︑被告が﹁秋菊﹂の映画撮影をするという活動は︑. 社会の公共の利益と同等ではない︒映画制作所は企業として営利的機能を具えており︑また文化組織として精神文. 明促進という社会的機能を有している︒しかし︑精神文明促進という社会的機能のあることを口実にしてその営利. 的機能を否定することはできない︒またその社会的機能を社会の公共の利益と同等視して︑不法行為責任を免責す. ることはできない︒﹁社会に有益である﹂といっても︑それはあいまいできわめて弾力的な概念である︒なにも. ﹁秋菊﹂という映画に限らず︑他の企業の生み出す物も多かれ少なかれ社会に対して有益であり︑これらをもって. 企業の社会的機能と称することができる︒いかなる企業も︑自己の生み出す物が社会に対して有益であり︑一定の. 社会的機能を有していることを口実にして︑自己の利益を社会の公共の利益と同等視し︑他人の権利主張に対する. 抗弁事由とすることはできない︒映画の観客が多く︑﹁秋菊﹂が好きな人はたしかに少なくない︒しかし︑市民の. 権利の問題は︑道徳や自覚といったことを当事者に要求してはならず︑また多数者の好悪でもって社会の公共の利. 益を代表させることもできない︒民事上の権利問題については︑少数者と多数者の地位は平等である︒たとえある. 人の肖像を使用することが多くの社会構成員︑社会組織に有益であるとしても︑社会構成員全体の共同の利益ある. 故意であるかどうかの問題について. いは法律の定めるその他の必要のためでなければ︑肖像権者本人の意思を尊重しなければならない︒ ︵三︶. 被告によれば︑原告の煩わしさと精神的苦痛は﹁決して被告が故意になしたのではない﹂という︒その言葉の意. 味は︑被告には故意・過失﹇過錯﹈がなく︑その主観的心理状態と損害結果との間には因果関係は存在せず︑した がって権利侵害責任はないということにある︒.
(21) 被告はここで以下の三点の基準︵﹁界限﹂︶について混乱を示している︒第一に︑故意・過失の存在はたしかに民. 事責任を負担する必要条件の一つである︒しかし︑損害結果が発生したかどうかは︑決して肖像権侵害が成立する. 必要条件ではない︒原告に損害結果が発生したかどうかにかかわりなく︑また損害結果が被告の故意によってなさ. れたかどうかに関係なく︑本件権利侵害責任は成立する︒第二に︑被告は刑法上の故意と民法上の故意を混同して. いる︒民法上の故意は︑当事者が損害結果を故意に追求することを意味せず︑自己の行為について明確に認識し︑. 自主的に決定するという心理状態を指す.被告は数メートル以内で︑原告一人に撮影のカメラの焦点をあわせ︑多. くのプリントを削除した後も︑このシーンはわざわざ残している︒この行為は︑明らかに主観的に明白に認識し︑. 自主的に決定するという心理状態にあったというほかなく︑民法上言うところの故意に完全に該当する︒民事案件. の大半は故意と過失を厳格には区別せず︑被告が法律で禁止する行為をなしたときは︑故意・過失ありと推定さ. れ︑民事責任を負担する条件の一つを構成することになる︒第三に︑肖像権侵害は損害結果を要件とせず︑もとも. と因果関係を論じなくてもよい︒現在︑原告には損害結果が発生しており︑因果関係を述べようとすれば︑民法の. 原理によらなければならない︒民法上言うところの﹁因果関係﹂とは︑権利侵害行為と損害結果の間の直接的なつ. ながり﹇連系﹈を指し︑決して主観的心理状態と損害結果との直接的つながりのことではない︒原告の煩わしさと. 苦痛は被告が故意に作り出したものではないが︑しかし被告の行為によって直接引き起こされたものである︒した. 映画の特殊性の問題について. がって被告は完全に民事責任負担における﹁因果関係﹂の要件を満たしている︒ ︵四︶. 六九. もしこれが権利侵害とみなされるなら︑多くの面倒なことを引き起こし︑映画の撮影は困難になってしまうだろ 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(22) 早法七五巻一号 ︵ 一 九 九 九 ︶. うという被告の主張について︒. 七〇. しかし︑合法的な訴訟を﹁面倒なこと﹂と称するわけにはいかないし︑法によって事柄を処理することを﹁面倒. なこと﹂と称することもできない︒専制制度は面倒なことをかけず︑文明が進歩し︑法制が健全になればなるほ. ど︑民事法律関係は﹁面倒﹂になってくる︒しかし面倒であるからといって進歩や他人の権益を犠牲にしてよいと. いうことにはならない︒どの業種もそれ自身の特殊性を有しており︑法によって事柄を処理することも過去に比べ. て﹁面倒﹂になってきており︑ひとり映画だけのことではない︒しかし︑業種の特殊なことと権利の特殊性とは同. じでない︒いかなる主体も自己の業種の特殊性を理由に︑他人の合法的権益を侵害してよいということにはならな. い︒映画事業の発展と市民の合法的権利は︑法の平等な保護を必要とし︑両者について軽重をもって論じることは. できないし︑差別的方法によって問題の解決をはかることもできない︒利益に矛盾が生じたときは︑相互補完と各. 自の利益を保障するために︑民法の規定を適用して調和をはからなければならない︒肖像権の問題についていえ. ば︑本人の同意を得ることがとりもなおさず調和をはかるということである︒映画の中の群衆のカットは︑その大. 部分が人の波れ﹇人流﹈︑人の群れであり︑そうした場合は本人の同意を得る必要はない︒肖像のクローズアップ. 撮影やミディアムショットを必要とする場面はきわめて少なく︑本人の同意を得ることもそんなに面倒ではない︒. 被告がリアルな撮影効果を得るために︑あらかじめ原告に撮影のことを告げなかったことは理解できる︒しかしそ. の場合︑事後的に原告の同意をとりつけるべきで︑少なくとも原告がしばしば異議を提起して以後はまじめに返答. し︑和解を得る努力をすべきである︒この点について被告はまったく何もしていない︒被告は普通の人々﹇普通百. 姓﹂の人格権を軽視し︑僅かな骨折りをもなそうとせず︑現在では本人の同意を求める仕事を非常に面倒なことで.
(23) あるかのように述べ︑映画撮影ができなくなってしまうとまで言っている︒これは明らかに︑権利侵害責任を免れ る﹁推託﹈ために針小棒大の説を弄するものである︒. 民法の肖像権に関する規定がいまだ原則的なものにとどまっているということは認めざるをえない︒しかし︑民. 法の基本原理から出発して︑未来を見据えると︑たとえ︵肖像権の︶限界について確定化がはかられ︑立法的完備. がはかられるとしても︑本人の同意を得ることなく映画制作者の撮影が認められるのは︑人の群れとか︑距離が遠. くて特定困難な︑また瞬間的に通り過ぎる群衆のカットを撮るような場合であって︑一人きりでいる人物﹁単人﹈. のタローズアップとか︑ミディアムショットについては︑本人の同意を得ることが必要とされるはずである︒市民. は生理的欠陥やプライバシi︑あるいは﹁具体劇﹂の目的についての見解の相違等の合理的原因によってカットを. とられることに反対することは可能であり︑市民にはこうした人格的自由があることを認められなければならな. い︒こうした︵撮影上の︶制限は︑本質的に︑映画事業にとって有益無害であり︑ちょうど特許の保護と同様︑一. 時的︑局部的には不便︵原文は﹁不変﹂となっているが︑﹁不便﹂の誤りであろう︶でも︑長期的︑全体的発展のため. には有益である︒映画事業が法によって運営されることは︑撮影の手立てがあるということだけでなく︑版権︑名. 被告側弁護士劉永君・韓泳の主張. 誉権︑肖像権︑放映権等をめぐる多くの不必要な紛争を減少させ︑健全で急速な映画の発展を可能とする︒. 3. 裁判長・裁判員各位. 七一. 本日︑海淀区人民法院が法により公開で審理することになった︑ 市民質桂花が北京映画学院青年映画撮影制作所 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(24) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 七二. を肖像権侵害で訴えた案件について︑我々は被告の依頼を受けてその一審の訴訟代理人を担当することになり︑以. 下のような代理意見書を表した︒法廷が十分慎重な考慮のうえ︑原告の請求を却下する旨の判決を下されるよう切 に希望する︒. ﹁秋菊﹂という映画に関する紹介はすでに多くのところでなされている︒この映画はある農村の婦人による訴え. の紆余曲折を描いた物語映画であるが︑わが国の若くて有望な︑優れた業績をあげている映画監督の作品であり︑. 法制宣伝教育を主題とする映画でもあり︑さらに国際的に高い評価を得た作品でもある︒. ところがこの作品が現在肖像権侵害案件の法廷証拠とされている︒これは︑原告が綿菓子を売っていたとき︑そ. の姿を撮影されたカットがそのまま映画に収められたことによる︒この映画が放映されるにつれて︑原告は知人に. よって話題の対象とされ︑原告の訴えによれば﹁多くの煩わしさと精神的苦痛﹂云々をもたらし︑そこでこれを法 律に訴えた︒. 原告は︑映画のフィルムの中から権利侵害のカットの部分を削除すること︑全国的新聞紙上で謝罪すること︑お. よび八千元の精神的損失の賠償をなすことを法廷に要求している︒そこで︑原告が自己の民事的権利を主張してい ることについて法律的根拠があるかどうか分析してみたい︒. 法律の正確な適用は本案の争いを解決する重要な鍵をなす︒原告の議論の基本的な筋だてを単純化すると︑次の. ようになる︒すなわち︑映画を撮影したのは︑金儲けのためであり︑映画の中で自分の肖像が出てきたが︑それは. 原告の同意を得ていない︒したがって自己の肖像権が侵害された︑と︒原告の立論﹇観点﹈は理にかなっているよ. うにみえる︒しかし︑我々はこの論の中に根本的誤りのあることを容易に見てとることができる︒つまり原告の立.
(25) 論は以下の要件についての誤った理解﹇仮設﹈をもとにして作られているのである︒ その一︑肖像権︒. まず︑我々が解決しなければならないのは肖像権とは何かということである︒﹃辞海﹄によれば︑それは﹁具体. 的人物の形象を描写した絵画で︑その中には肩から上の像︑全身像︑群像等が含まれる︒形神︵姿形と表情︶兼備. の域に達することが要求され︑中国の肖像画の伝統的名称は︑﹃写照﹄﹃伝写﹄﹃写真﹄などの言葉で表現される﹂. と説明される︒また﹃現代漢語詞典﹄によれば︑﹁ある個人を主体とする画像または写真︵その多くは風景的背景を. 有さない大きな写真のこと︶﹂と説明される︒以上の定義から︑我々は少なくとも以下の諸点を知ることができる︒. ①ある人物を特定して示している.②姿形と表情が兼ね備わっている︒③絵画または撮影の方式をとる︒これらを. まとめると︑撮影であれ︑絵画であれ︑人物の形象を反映した固定的媒体である︒そうすると︑映画の場合︑この. 特性を具えているかどうか︒いわゆる映画とは︑﹁撮影した形象を連続してスクリーンに放映することであり︑実. 際に動いているかのようにみえる形象のことである﹂︵﹃現代漢語詞典﹄︶︒このことからいえることは︑映画の形象. が絵画や撮影のような固定性を具えていないということである︒これらの芸術表現形式はいずれも人々の感覚に作. 用することによって創作目的を実現するのであるが︑我々が映画館を離れるや︑人を感動させたそれらの画面を眼 前に留めておくことは絶対にできない︒. 映画の表現方式はたいへん複雑であり︑劇︑文学︑音楽︑撮影など各種の芸術表現方式の合体したものである︒. したがって︑基本的には︑我々が見るところのものは︑一連の画面の組合せであり︑一つ一つの個別的肖像ではな. 七三. い︒周知のように︑映画は一個の連続した動作が一秒間に連続して二四コマの写真によってとられ︑それが同じ速 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(26) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 七四. 度でスクリーンに放映されるものである︒このことは︑﹁秋菊﹂という一時間半の映画の場合︑=二万コマほどの. 写真からなり︑他方︑そのうち原告の写真は七〇コマほどであり︑それは全体のわずか一万八千分の一︵3にす. ぎない︒この映画を鑑賞した観衆の誰もが︑映画を振り返って︑この映画の生き生きとした叙事的手法︑強烈な生. 活の息吹︑映画スタi達の出色の演技に感服するであろうし︑三秒間の平凡な画面をゆっくりと玩味し後から回想. することは基本的に不可能であると我々は確信する︒その理由は簡単である︒第一に︑映画が放映される過程で︑. ストーリーは間断なく進行し︑どの場面の人もゆっくりと熟慮する暇がない︒第二に︑言うまでもなく︑映画全体. の中で︑秋菊︑女の子︑村長︑李巡査等の︑観客にストーリー展開上密接で豊かな内容﹇血肉豊満﹂を与えている. 人物描写を除けば︑その他の画面はすべて一瞬のうちに過ぎ去るものであり︑それはいかなる強烈な感覚的刺激も. 与えない︒三秒の画面は一種の事実として特定されたときにはじめて分析的意義を生み出すことになる︒. しかも︑原告が称するところの肖像は︑映画の中ではいつも次のようなかたちで出現する︒原告は︵三秒の︶画. 面のほぼ半分以上を占め︑彼女の後には同時に姿形のはっきりした一人の女の子と︑自転車に子供を乗せている人. 物︑子供を抱き抱えている人物がいて︑計六人の人物が当該の画面を占めている︒継いで︑原告とほぼ同じ背丈の. 男性が通り過ぎ︑女の子が彼につきしたがい︑続いて背景に自転車に乗った三人の人物と一台の自動車が登場す. る︒映画の語りの面からすると︑我々はこれらの画面に対していかなる意味のある解釈も不可能である︒その前後. の画面からも︑我々は︑原告の登場がこの映画のストーリーの展開と密接な役割を果たしているとは思えない︒. 原告の姿は映画の中では︑市井の生活の添え物として︑劇の背景に登場し︑それは映画で表現されている社会生. 活のごくわずかな一要素を構成するにすぎない︒原告が自己の民事的権利として肖像権を主張できる事実が生じる.
(27) のは︑原告の姿が映画の中から切り離されてポスター広告として製作されるような状況においてである︒映画の中. で登場したシーンは原告の肖像にはあたらず︑それは単なる形像にすぎない︒ここから我々が提起できる問題は︑ 原告の法律的根拠はいったいどこにあるのかということである.. その二︑営利目的. 最高人民法院は肖像権侵害に対してかなり明確な司法解釈を示している︒すなわち﹁営利を目的とし︑いまだ市. 民の同意を得ることなしに︑その肖像を広告︑商標︑陳列窓等に利用した場合に︑市民の肖像権侵害行為として認. 定しなければならない﹂︒これによれば︑いまだ本人の同意を得ずにその肖像を使用するとは︑商業的利用でなけ. ればならず︑その達成しようとしている目的は直接的で︑肖像の利用価値も明白でなければならないということが わかる︒本案の状況は明らかにこの範疇には属さない︒. ﹁秋菊﹂は︑映画を現実の生活により近づけるよう表現し︑また実験的ドキュメンタリー手法を現実の題材の中. で運用するため︑三〇〇万香港ドルを投資して二台の一六ミリ撮影機を購入した︒撮影のとき︑大量のフィルムを. 使用し︑全体の二分の一はドキュメンタリ⁝用に使用した︒その総計は一六ミリで一〇万尺になり︑それは映画五. 本の量になる︒映画完成後︑また二〇〇万元を使って︑一六ミリから三五ミリのフィルムになおした︒この累計は. 九〇〇万元にのぼり︑現在の映画制作費用の七倍に相当する.しかし︑この映画プリントの販売先は二五九社︑収 入は︶六八万元で︑五〇〇万元余の赤字であった︒. 映画芸術は一個の文化的製品で︑一般の商品とは異なる︒映画にはきわめて広範な社会的効益があり︑一種の精. 七五. 神的製品をなす︒一点説明を要することは︑我々もまた決して映画制作が経済的効益を考慮する必要があるという 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(28) 早法七五巻一 号 ︵ 一 九 九 九 ︶. 七六. ことを否定するものでないということである︒しかし︑我々は映画が上部構造の一部であり︑社会的効益が第一位. を占め︑経済的効益は二義的なものにすぎないということを否定するわけにはいかない︒ところが原告はこの点で. 誤った認識をもっている︒基本的に︑劇映画の制作をひとしなみに営利を目的とするものと説くことには︑責めを. 負うことができない︒ラジオ・映画・テレビ省は国産の劇映画をかなり詳細に分類しているが︑その中には革命伝. 統教育︑﹇主旋律﹈︵3︑実験︑商業︑娯楽等の区分が含まれる︒﹁秋菊﹂は実験的映画である︒それが実験しよう. としたのは︑劇映画の新しい芸術表現形式についてであり︑すなわち大量のドキュメンタリー撮影の手法でもって. 劇映画の創作を行なったのである︒実験はおのずから成功することもあれば失敗することもあり︑またかなり収益. をあげることもあれば︑赤字の場合もある︒また人気の高いのもあれば︑まったく世間の評判にならないのもあ. る︒要するに︑もし実験的類型の映画を営利目的としてしまうならば︑軽率の諺りを免れない︒. 成功を得ることと創作者が営利を目的とすることとは同じでない︒撮影のよい映画︑特に高水準の作品は︑多く. の映画関係者が求めてやまぬものである︒我々が追求する面はさまざまである︒懸命になって興行成績を追い求. め︑芸術性を無視する者もいれば︑高水準の芸術性を追求するために︑ほとんど誰も関心を示さない者もある︒さ. らに映画芸術のために名利得失を考えず︑思い切って実験を試みる者もある︒いま我々は法廷でこの問題で誰が正. しく誰が悪いかを論じているのではない︒論じようとしていることは︑この映画が追求し︑達成しようとした目的. は決して原告のいうような狭いものではないということについてである︒もし利益をあげることを追求するためで. あれば︑この映画の撮影のために巨額を投じて設備を輸入したりして︑なんで実験を行なうことがあるだろうか︒. 著名な﹇大腕﹂監督︑売れっ子のスターであれば人々が殺到するであろう.観衆が何を求め︑何に喜び︑どのよう.
(29) な表現手法︑どのような劇であればよく利益をあげることができるかということについて︑被告は不案内である︒. コストをできるだけ切り下げ︑利潤をあげること︑リスクをできるだけ減らすこと︑これが利益をはかるための常. 識である︒しかし被告の態度はまったくこの点について無関心﹇無知﹈であった︒何故なら︑北京映画学院青年映. 画制作所は︑国家が映画芸術の人材を養成する実験所であり︑まじめにこつこつと努力し︑現在映画芸術の領域で. 活躍している多くの人材を養成し︑わが国の映画芸術の︑世界の最先端に身をおくような人材を養成することを目. 的とするようなところであるからである︒しかしそこには豪華な門殿もなく︑從耳えたつ建物もなく︑映画で利益を あげることに熱心な人がはたしてこうした献身的態度をとるだろうか︒. その三︑肖像権の侵害. 民法通則一〇〇条は︑営利を目的としていまだ本人の同意を得ずにその肖像を使用した場合に︑市民の肖像権侵. 害を構成することを明確に規定している︒したがって問題は以下の二点︑すなわち第一に︑営利を目的とするこ. と︑第二に肖像権者の同意を得ないことの二点が含まれる︒このいずれが欠けても要件を充足せず︑しかも権利侵. 害行為は必ず故意によるものでなければならない︒そうでなければ民事法律規範が調整の対象とする肖像権侵害の 行為にはあたらない︒. 周知のように︑他人の肖像権を侵害する行為は︑故意でなければならない︒すなわち侵害者が自己の行為が権利. 侵害の結果を引き起こすであろうことを明白に認識し︑この結果の発生を希望もしくは放任することでなければな. らない︒本案の事実についていえば︑以上の特徴を基本的に満たしていないし︑原告も被告に故意があったことを. 七七. 説明できるだけの証拠を充足していない.たとえ故意があったとしても︑それは単に真の芸術効果を追求するとい 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(30) 早法七五巻⇒号︵一九九九︶. 七八. う故意にすぎず︑肖像権侵害の故意では決してない︒原告の映画の中での登場は相当程度偶然的であり︑ドキュメ. ンタリi的撮影という状況のもとでは︑綿菓子を売る人物であれ他の誰であれ︑レンズの前に現われる人物・風景. はすべてカメラに収められる︒映画は造型芸術であり︑文学や彫刻等の芸術形式とは異なる︒映画の造型は想像的. ではなく︑また任意に取捨できるものでもない︒映画撮影でレンズの前に登場した人物・風景は︑例外なくすべて 収められる︒. 原告は映画の画面の中に身をおいているが︑その特有の外形的形象は個体としての全体的意義をもっておらず︑. その形象の個人的価値は映画の社会的価値によってとって代わられており︑映画によって表現された環境的雰囲気. の構成部分となってしまっている︒したがってまた︑それは本人の同意を得たかどうか考慮する必要のないもので. ある︒これは市民個人の形象の︑社会的利益の要求による合理的使用であり︑民法通則の禁止範囲にはあたらな い︒. 権利侵害者には権利侵害の故意がなければならないというとき︑それは侵害事実の発生と侵害結果との間に必然. ︵32︶. 的因果関係がなければならないことをも意味する︒故意の権利侵害が原因で︑被侵害者の受けた損害が結果で. ある︒本案において︑我々はこうした内在的必然的な論理的連関を認めることができない︒したがって︑原告の形. 象がそのとおリスクリーンに映し出されていても︑それと肖像権概念とはまったく同じ意味をもつわけではない︒. 原告の形象はそのままスクリーンに写し出されており︑被告はそれにいかなる歪曲的処理もほどこしていない︒言. い換えれば︑そのときの原告の行為をそのまま撮影しているのである︒原告はその後に椰楡され︑煩わしと苦痛が. 生じた︒それは決して被告の予見できたことでなく︑当然︑こうした結果の発生を希望ないし放任していたという.
(31) ことはできない︒したがってまったく原告の肖像権侵害を構成しない︒. 物語映画の創作には多くの流派と表現方法がある︒ドキュメンタリー的撮影の手法を劇映画に転用することは︑. 映画で表現する劇によりいっそうの時代感︑真実感︑強烈な生活雰囲気を与える︒これはその他の芸術形式によっ. ては得られない効果である︒﹁秋菊﹂は有益な実験をうまく行ない︑ドキュメンタリー手法を採用した撮影が全体. の二分の一を占めている︒通常︑人々の一般的で正常な認識に照らせば︑自分の姿形がスクリーンに映し出された. としても決して不幸なこととは思われない︒映画は忠実に原告の行為表現を記録し︑それを映画的美感にまで昇華. させた︒しかるに本案の原告が不幸と感じ︑あるいは事実上不幸な目にあったのは︑もっぱらまわりの人々のしわ. ざによる︒まさに原告は誤って︑偏った立場から自己を害なう事実があったとみなし︑そこから自己の肖像権の保. 護の主張にまですすみ︑本来であれば普通のことを人為的に誇大化した︒さらに言えば︑こうした雲をつかむよう. な︑かつ悶着を起こすような行いに対して謎責を加えることの方が︑むしるとられるべき選択の道である︒ 以上述べてきたことを︑我々は基本的に以下のようにまとめることができる︒ その一︑原告の訴えている事実は民事上の権利侵害にあたらない︒. その二︑原告が適用している法律は︑本案の事実において適用すべき法律にはあたらない︒ その三︑誤った事実認識が法律の誤った適用をもたらした︒. 裁判長︑裁判員殿︒最後に︑我々は法院に対して︑今日原告が提起した問題は︑決して一市民個人の権利の問題. にとどまらないということ︑個人的権利と社会公衆の利益を前にして︑我々が直面しているのは中国の映画事業全. 七九. 体であって︑このことは決してわざと大袈裟なことを言っているわけではないということを丁重に述べておきた 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
(32) 早法七五巻一号︵一九九九︶. 八○. い︒我々には憂慮と懸念を発する理由がある︒映画芸術は我々の精神生活に豊富な糧を与えてくれるものであり︑. 我々はやっとその成果を味わい︑我々の誇りに輝きを与えてくれはじめているが︑このことが可能になった背景に. は開拓︑実験︑追求に伴う多くの映画人のこれまでの銀難辛苦があったればこそである︒もし原告の主張が通れ. ば︑我々は舞台劇映画を鑑賞するだけの時代にまいもどってしまうだろう︒もし映画の中でドキュメンタリー風に. 万家訴訟. ︵33︶. の大海の中に飲み込まれてしまうだろう︒. 撮影された人々が︑あるいは過去︑現在︑将来において同様のケースにある人々がすべて肖像権保護を理由として 裁判所に訴え出るとすると︑わが国の映画芸術の希望は. 第一審判決. 我々は法律の寛容と公正とによって我々の映画芸術に自由な天地が与えられることを確信する︒. 4. 北京市海淀区人民法院民事判決書 ︵一九九三︶ 海民初字第三九九一号. 原告頁桂花︵以下甲とす︶︒女性︒四八才︒漢族︒陵西省宝鶏市第二建築工程公司労働者︒住所は陵西省宝鶏市経 二路一〇二号︒. 委託代理人邦江筍.陳西省宝鶏市経済貿易律師事務所律師︒. 委託代理人高忠智︒男性︒中国政法大学大学院生﹇研究生﹈︒住所は中国政法大学研究生院三号楼二二四号︒.
(33) 被告北京映画学院青年映画制作所︵以下乙とす︶︒ 住所は北京市海淀区新街口大街甲二五号︒. 法定代表人金継武︒制作所長︒. 委託代理人韓泳︒北京市経済律師事務所律師︒. 原告甲と被告乙との間の肖像権侵害の一案︒本院はこの案件を受理した後︑法により合議廷を組織し︑公開で審. 理を進めた︒本案の当事者およびその訴訟代理人もみな法廷に出廷し訴訟に参加した.本案はすでに審理を終え た︒. 甲の主張は以下のとおりである︒乙は香港有限公司と共同で劇映画﹁秋菊﹂を撮影したとき︑いまだ甲の同意を. 得ずに︑かってに甲の肖像を撮り︑またこの商業映画の中で甲の肖像のカットを使用した︒映画が公開上映された. 後︑甲の平静な生活は絶えず乱された︒友人や同僚︑その他の人間が甲を風刺し︑冷やかし︑甲をして精神的圧迫. を感じさせ︑仕事と生活に多くの苦痛を与えた︒このため︑当法院に対して︑権利侵害を認定をしてもらったうえ. で︑﹁秋菊﹂映画の中の甲の肖像部分のシーンの削除︑全国紙上での公開の謝罪︑ならびに精神的損害の賠償八千. 元︑経済的損害の賠償四千七百二十元七角八分︑本案の訴訟費用︵を乙の負担とすること︶の判決を下されること を求める︒. 乙の主張は以下のとおりである︒映画﹁秋菊﹂は︑甲と香港銀都機構有限公司の共同撮影にかかり︑その中でた. しかに甲の肖像を撮影した.この映画は︑ドキュメンタリー風の特色を体現した劇映画で︑盗み撮りの方法で撮影. 八一. したが︑その目的は作品にリアリティーを付与することにあった︒撮影の意義・着眼点は︑金儲けすることにはな 中国における肖像権侵害をめぐる一訴訟︵小口︶.
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