第六章平安朝和歌史 における 季節観念の萌芽
16
0
0
全文
(2) ︵鈴木日出男氏﹁古今的表現の形 成 ﹂ ︶ い わ ば︑詠歌の個 々の表現が︑ 風景・屏風 などをはじめとする︑サ ロ ンでの共通な 観念 世界 によって︑ 規定されることになるというわけである ︒したがって ︑とりわけ 撰者時代 の 和歌に 限定 するならば ︑﹁ 場の連 帯﹂ や﹁時 代の風 俗﹂となる美的観念世界 が︑詠 歌の 発 想と集を構成 する和 歌 排 列を︑共通し て規定づけていたと言えるであろう︒ このような 観念的世界を 構築するにあたり ︑その基盤となったのは漢 詩 文の思考性である ︒いわゆる ︑ ﹁国風暗黒時代﹂から古今集当代に至 るまでの漢 詩 文が︑観念的世界を言語によって把捉 する具体的 な先蹤として ︑和歌に刺激 を与えたのである︒ 漢詩文と一 概にいっても ︑中国漢詩文と本朝漢詩文があり︑時代的には中国詩文は多岐 にわたり ︑本朝漢詩文 は︑嵯峨帝代 の﹁勅撰三詩集﹂から︑ 古今集撰者時代の当代漢詩文 まで幅が 広い︒そのような中で︑ 前述した﹁場 の連帯﹂や﹁ 時代の風俗﹂ に連なる美的観 念世界 を考えるとき ︑古今集撰者時代の当代漢詩文のあり 方が︑他にも 増して重視されね ばならないと思わ れ る︒も ち ろ ん︑当代漢詩文が中国詩文 や前代の漢 詩 文から継承し た観 念を も︑考慮する 必要があることは言うまでもない︒ 本稿 では︑こ う し た観点から︑ 平安朝和歌史において︑ 和歌が漢詩文 の影響を密接 に受 けながら︑公のものとして復 興してきた時 期を︑宇 多 帝 代と考える ︒まさに︑古今集前夜 ともいえる宇 多 朝において︑ 漢詩文と和 歌が密接に関 わり︑サロン での共通︑か つ特有な ︑ 季節観念世界 が構築されてきたことを︑ 古今集関連歌 に即して看取 してみたい ︒宇多朝詩 ︑壇を ︵ 4 総 ︶ 壇と 宇 多 朝 歌 称 して ︑﹁宇多朝文壇 ﹂と 呼称 し︑ この 場に お け る漢詩文 と和 歌 の交流のあり 方が︑古 今 集の季節観念成立に大きな 役割を担っていることを 考察して行き たいと思う ︒. 二︑季節に関する詩的心情 季 節 観 念の基盤となった漢詩文の 思考性は︑本朝漢詩文における展開を も考えねばなら ないが ︑当然の事ながらその源 泉は︑中 国 詩 文に依拠しているに他ならない︒そ こ で︑中 国古典詩における 季節観念を ︑ 比較詩学の主題に 即して総括し た松浦友久氏 の論に よ れ ば︑ ︵5 ︶. の 中に 於 いて ︑﹁ 春秋 へ の偏 重﹂ への 指摘 で あ る︒ 特に 平安朝和歌史 を比 較の 対. 次 のような 事 実の 指摘 が見 ら れ る ︒まずは ︑ ﹁ 中 国 古 典 詩に お け る ﹁春 秋﹂ と﹁ 夏冬 ﹂ ﹂ の論. 象 とするとき︑ 四季を分門︵ 類題︶の基 準とするという上で︑次の 点は重要であると思わ れ る︒ 春秋と夏冬 の間に認められるこうしたさまざまな偏 りは︑当然 ︑中国の文 学 史に︑ 何らかの影 響を与えていると見なければならない ︒ その一つとして見逃しえないのは ︑ 中国の主 要な詞華集において︑四季 を分門︵類題 ︶の基準とするものがほとんど存 在しない ︑という点である︒ ︵中略︶ これは ︑日本の古典和歌集に お い て︑四季がそれ自体もっとも重要な部 立︵類題︶ - 49-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(3) になっているのと︑ 著しく対照的 である︒たとえば﹃古 今 集﹄以下﹃新続古今集﹄に ︑頭 ︑の ︑数巻を春夏秋冬に当てているし ︑ 到る勅 撰 二 十 一 代 集では ︑すべて 例外なく冒 ﹃新 撰万葉集 ﹄以下 の私 撰 集に お い て も︑おおむね 四季 が重要 な部立 となっている ︒ ︵傍 点︑ 松浦氏︶ ︵ 中略︶ むろん︑中国において︑季 節や四季の観 念が乏しかったわけではない︒古くは ﹃詩 経﹄の 貰風﹁七 月﹂ の詩︑ あ る い は﹃ 呂 氏 春 秋﹄の ﹁十 二 紀︑ 首篇﹂ や﹃礼 記﹄の ﹁月令篇 ﹂︑﹃管 子﹄ 四十 ﹁四 時 篇 ﹂︑﹃逸周書 ﹄五十二 ﹁ 時 訓 解 ﹂︑ま た︑ 漢代 のい わゆる二十四気の設定な ど ︑季節の推移 に関する中 国 人の関心は ︑歴史的に見 ても ︑ むしろはなはだ 顕著であったと言 う べ き で あ ろ う︒ それはたんに ︑農耕社会 におけ る季 節ご と の経 験の反 映と い う だ け で な く︑ この世 界の総 体をいかに 整合的 な時間 的 視 座において 捉えるか︑ という 関心 にも基 づ く も の で あ り︑ 中 国 社 会における季 節や 四季 への関 心が ︑大衆 から 知識人 に到るまで︑ 広くかつ深 いものであったこと をうかがわせる︒ それにもかかわらず︑季節感の 最も反映されやすい分野の 一つである 詩歌の編集に お い て︑四季はついに主要な分類基準となっていない︒ この︑一 見 理 解しがたい現 象 こそ ︑実は︑春 秋への偏重によって生み出 された已むをえざる結果 であったと言 うこ とができよう︒ つまり︑四季 を単位と し て作品を排列 しようとする 場合︑た ち ま ち︑ 作品数に お け る著しいアンバランス︑とりわけ著名な 作品における アンバランスとい う事実に直面 し︑詩集の構 成として適切 さを欠くことになりがちだからである ︒ この指摘を ﹃古今集﹄に 限定して考えてみると︑ 松浦氏もその 注の中で一部指摘されて おり ︑ ﹁む ろ ん︑ 日本の 古 典 和 歌に お い て も︑かなりの 程度ま で春 と秋に 歌数が 偏る と い う傾 向は認 め ら れ る﹂としているが ︑部立 ︵類題 ︶は 成立しているものの ︑﹁春秋 への偏 重﹂ は 否めない ︒事 実 ︑ ﹁春 秋 ﹂と ﹁夏 冬﹂ を比 較 し て み る と ︑ ﹁春 秋﹂ においては ︑各. ︶. 冬の 終り︵1︶. (. 年の終り︵ 4︶. ) 夏景︵3 ︶ 夏の 終り︵1 ︶. 二巻 を設け 歌題 も多岐 に及ぶ が ︑﹁夏 冬﹂に 関しては各一巻で 歌題も 次の 如く偏 重し︑か つ限定 されている︒. 雪︵. ︹夏 ︺ー初 夏︵2 ︶ 皐 月 待つ︵3 ︶ ほととぎす ︹ 冬︺ー初冬︵ 3︶. ︶ 古今和歌集 ﹄ ︵ 6に よ る が︑夏 歌におい. 25. の歌であるという偏 重ぶりがうかがえる︒い わ ば︑古今集で は︑夏歌の 季節観念は︑ ほぼ. の題とされた歌の中に も﹁雪 ﹂を詠むものが二首あり ︑全二十九首中二十三首 までが ︑ ﹁雪 ﹂. という偏 重ぶりである ︒また︑冬歌 においては︑ その中心的な 歌の題が﹁ 雪﹂であり︑ 他. ぎす﹂ を詠 む も の が三首 あり︑ 全三十四首中二十八首までが ︑﹁ほ と と ぎ す﹂の 歌である. ては︑その 中心的な歌の 題が﹁ほととぎす﹂であり ︑他の題とされた歌の中 にも﹁ほとと. ︑分類 は ︑﹃新日本古典文学大系 こ こ で の歌題的. 21. ﹁ほととぎす﹂を詠 むことに限定 され︑冬歌 の季節観念は ﹁雪﹂を詠むことに限定されて いると 言ってよい ︒. - 50-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(4) この事 実は︑前項で 述べた個々の 詠歌に お け る発想と撰歌基準の問題に 関わってくるわ けだが ︑夏冬の歌 題が限定されていることは ︑より後者の 点に依るところが大きいのでは ないだろうか︒例 えば︑当時の 和歌の状況 を知るべき資 料として︑類題和歌集で あ る﹃古 今 和 歌 六 帖﹄を 通覧 すれば ︑夏の 題と し て ︑﹁ は じ め の夏・ ころもがへ ・う づ き・うのは な ・神まつり・ さつき・五日 ・あやめ草・ みな月・なごしのはらへ ・なつのはて ﹂ があり︑ 冬 の題としては ﹁はつふゆ ・かみな月・ しも月・か ぐ ら・しはす・ 仏名・う る ふ月・とし のくれ﹂の存 在が知られ貫 之ら古今集撰者時代歌人 の歌が類別されている︒したがって︑ 撰者たちが撰歌基準の上 で︑夏冬の題 を限定し︑春 秋を偏重したとも言えるのではないだ ろうか ︒いずれにしても 安易に は結論 づけることのできない問 題であるが ︑﹃古 今 集﹄の 季節観念は ︑春秋が偏重 される傾向 にあることは ︑事実として 指摘できよう ︒ 次に ︑ここまでに 述べた ︑松浦氏の 論文の 続編である ︑﹁中 国 古 典 詩における﹁ 春﹂と ︶ ﹁秋 ﹂﹂ ︵ 7 に 目 を向けると︑ 偏重 される ﹁春秋 ﹂に関 する詩的心情 の対比 が述べ ら れ て い. る︒そ の結論部分を 引用すれば次 のようである ︒ ︑要 ︑題 ︑材 ︑の ︑相 ︑互 ︑関 ︑係 ︑から考えた場 第一 に︑中国古典詩における時間意識の問題 を︑主 合 ︑﹁ 嘆老 ﹂ ︵﹁青春愛惜﹂ と表裏 をなす ︶︑ ﹁ 悲秋 ﹂ ︵﹁惜 春﹂と表 裏を な す ︶︑ ﹁ 懐古﹂ ︵﹁現存愛惜 ﹂と表 裏をなす︶ ーの三 者こ そ が︑ 題材を 題材た ら し め る詩的心象の 構 造 として︑最も 直截的な時間意識を内包 するもの︑と 考えることができる︒換言 すれ ば ︑それは︑ 時間なるものを認識しうる 唯一の存在︑ いわば﹁自 覚 的な時間内存在﹂ としての人間 の本質を ︑最も直截的に 意識させやすい題材ということになるであろう ︒ それだけに︑ 三者のいずれにおいても ︑人生一回の 自覚は著しく 濃密化されている わ け で あ る が︑とりわけ ﹁悲秋 ー惜 春﹂の イ メ ー ジは ︑ ﹁嘆老 ー青春愛惜 ﹂のイメー ジと必然的 に重なり合 うことによって︑時間意識 としては︑よ り重層的な 効果を生む ことになる ︒ ︵こ の場合 ︑ ﹁嘆 老﹂は 必ず し も﹁悲 秋﹂ と重ならないが ︑﹁悲秋 ﹂は必 ず﹁嘆老 ﹂と重なる ︑という差異 は十分に注意 されてよい ︶ ︒ もし︑ 中国の文明︑ なかんづく古典詩が︑時間意識の敏感 さということによって︑ より豊 かな抒情の系 譜を生み出 してきたと客観的に見なしうるならば ︑ ﹁惜春ー 悲秋 ﹂ を中 心とした春秋 の時間意識こそは︑その有 力な源泉の 一つだったとして︑まず評 価 されてよいであろう︒ 第 二に ︑ 比較文学史的 な視 点 をも 加え て考 えた 場合 ︑ ﹁ 人生 の春 ﹂ ﹁ 人生 の秋 ﹂と いった表現や認 識はー四季と 人生の相 似 性や︑春秋という季節の時間的性格が共 通し ているだけに ー四季をもつ 国々の文学史 においては︑ もともと︑ 普遍的かつ必然的な ものだと言ってよい︒ ︑る ︑が ︑ゆ ︑え ︑に ︑ー紀元 しかし︑そうした普遍性 や必然性のなかに在り な が らーむしろ 在 前三世紀に 始まる中国の ﹁悲秋﹂詩 の系譜と︑それに雁行する ﹁惜春﹂詩の 系譜は︑ 人間に普遍的な﹁春秋 をめぐる時間意識﹂の詩的所産という点 で︑恐ら く は最も鮮明 かつ豊饒 な系譜の一つとなりえている︑と評価できるであろう ︒ ︵以下 ︑省略・傍 点 ︑ 松浦氏︶ この論 考に従うならば︑中国古典詩における ﹁春秋﹂に関 する詩的心情 の中心的な 系譜. - 51-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(5) は︑ ﹁悲秋 ﹂と﹁惜春﹂ ということになる︒これは ︑中国古典詩のあり方 同 様に ︑ ﹁春秋 ﹂ 古今和歌集 ﹄ による ﹁春 秋﹂の 歌の題 は次のようにされて. を偏重 している﹃ 古今集﹄の季節観念では︑ どのように摂 取・受容されているのであろう か︒ ﹃ 新日本古典文学大系 いる ︒. ). ( ). 七夕 ( ) ︵ 5︶. 悲秋︵7︶. 15. 秋 の終り︵5︶. もみじ. 露︵5 ︶. 秋月︵5︶. 14. 秋 草︵5︶. 萩︵2 ︶. 秋の 田︵3︶. 鹿. ). 雁. (. ︵8 ︶. 29. 花す す き︵2︶. 秋風︵2︶. 21. )藤袴︵ 3︶ 落葉. 17. (. ). ︹ 春 ︺ー 立春 ︵ 2︶ 残 雪 ︵7 ︶ 春の 初 め︵ 3︶ 鶯 ︵4 ︶ 春 の野 ︵7 ︶ 緑︵2︶ 柳︵2︶ 鳥︵2︶ 帰雁︵ 2︶ 梅 ( ) 桜 (・咲 く桜 ・散る 桜 )花︵ ・咲く花 ・散る花 ︶ 藤︵2︶ 山吹︵5︶ 逝く春︵ 6︶ 春の終 り︵3︶. (. ︹秋︺ー 立秋︵2︶ 虫. (. 女郎花 菊. 19. 11. 41. ︶の中 で︑既定概念 21. 今造る久 邇の都に秋 の夜の長きにひとり寝るが 苦しさ. ︵巻十・ 二三〇一・作者未詳・秋 相 聞︶. よしゑやし 恋じとすれど 秋風の寒く 吹く夜は君をしぞ思ふ. 君 に恋ひしなえうらぶれ我 が居れば秋 風 吹きて月傾き ぬ ︵巻十・二二九八・作 者 未 詳・秋相聞 ︶. 集 に見られる歌 で ︑ ﹁ 悲秋﹂に近い 心境を詠んだ 歌を挙げれば ︑次のような 例がある︒. に基 づいて作ら れ た歌で︑中国文学の影響 があることをも指摘した︒ ここで︑敢え て万葉. たものとされている︒ 早く は︑津 田 左 右 吉が﹁ 秋の 悲しさ ﹂ ︵ 全集. ﹁ 悲秋 ﹂の 観念 は ︑﹃ 万 葉 集﹄ には 詠ま れ ず ︑ ﹃ 古 今 集﹄ になって 詠ま れ る よ う に な っ. 三︑﹁悲秋﹂の和歌ー﹁是貞親王家歌合﹂に見る展開ー. 情の中心的 な系譜を受 け入れている 古今集関連歌 について ︑ 考察を進めていくことにする ︒. と い っ た過 程が想 定さ れ る︒以 下︑ より具体的に ︑﹁悲秋 ー惜春 ﹂の 季節に 関する 詩的心. が︑多くは本朝漢詩文に 受容され︑そ の季節観念が ︑さらに選別 されて和歌 となっていく. う か︒ 和歌に中 国 詩 文の観念が入 り込むためには︑も ち ろ ん直接的な摂 取をする場合 もあろう. うした詩的心情 の系譜が古 今 集﹁春秋﹂ 各上下四巻のすべてを貫くものと考えてよいだろ. いて︑ ﹁ 悲秋ー 惜春﹂ の観 念が︑ 明確に 表れていることが 認められる︒ しかしながら ︑こ. このような︑題を 俯瞰すると︑ 秋の﹁悲秋 ﹂歌群と春の ﹁逝く春・春 の終り﹂歌群 にお. 25. 13. 10 13. 20. ︵巻 八・一六三一・ 大伴家持 ・安部郎女に贈 る歌︶ - 52-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(6) こ れ ら の歌を見る 限りでは︑観 念として﹁悲 秋﹂が詠まれることはなく︑いずれも 相聞 ︵8 ︶. ︑ 湯 原 王が最 初に 悲秋 を詠 んだ歌 人. 歌 であり ︑ ﹁ 恋﹂の 心境の 中での ﹁恋 人と共 に居ら れ ぬ こ の秋 が悲し い﹂といった 心境を 歌 にしたものである︒ また ︑稲 岡 耕 二 氏に よ れ ば であるとし︑次 の歌を挙げている︒ 湯原王の蟋蟀 の歌一首 夕月夜心もしのに白露の 置くこの庭に 蟋蟀鳴くも ︵巻八・一五五二︶ 稲岡氏は ︑この歌の﹁ 心もしのに ﹂の部分に感傷的な秋の哀 れを感じさせるとし︑湯 原 王が ﹃文選 ﹄潘 岳の﹃ 秋興賦 ﹄を熟 知しており ︑そ れ を踏まえたとされるが ︑ ﹁悲 しい﹂ の語を 歌の中に使用 しておらず ︑ ﹁しのに ﹂の語は ﹁しっとりと濡れて ﹂の意か ら﹁白露 ﹂ と関 連し︑自己の 感傷を表現しているものであろう︒よ っ て︑この歌 を︑明確に観 念が先 行し て詠まれた歌 とまでは言い 切れないであろう︒や は り︑万葉集に は観念的に﹁ 悲秋﹂ を詠 む歌は見られないと言ってよい︒ これに対して︑ 古今集では﹁ 秋とは悲し い季節﹂と す る観念に基づいて詠まれた 歌が見 られる︒ おほかたの秋 くるからにわが身こそ悲 しきものと思 ひ知りぬれ ︵よみ人知 らず・一八五 ︶ わがためにくる秋にしもあらなくに 虫の音聞けばまづぞ悲し き ︵よみ人 知らず・一八六︶ 物ご と に秋ぞ悲しきもみぢつつ 移ろひゆくを 限りと思へば. 一九七 ︶. 一九三︶. ︵よ み人知らず・ 一八七︶ 月 見ればちぢに 物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど ︵ 大江千里・ 秋の夜のあくるも知らず鳴 く虫はわがごとものや悲 しかるらむ ︵藤原敏行 ・. ︵よみ人 知らず・一 九 八︶. 秋萩も色 づきぬればきりぎりすわが 寝ぬごとや夜 は悲しき. 君し の ぶ草にやつるる故里は松虫 の音ぞ悲しかりける ︵よみ 人知らず・ 二〇〇︶. - 53-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(7) 奥山に 紅葉ふ み わ け鳴く鹿の声 きく時ぞ秋は 悲しき ︵よ み人知らず・ 二一五︶ 秋 風にあへず散 りぬるもみぢ 葉のゆくへさだめぬ我ぞかなしき ︵ よみ人知らず ・二八六︶ 以上の九首は ︑いずれも ﹁悲し﹂を直接和歌の中に 詠み込んだものである︒これを︑前 に述べた︑ 鈴木日出男氏 の﹁古今的表現の形成﹂に 当てはめて 考えると︑次 のようになる と思われる ︒い わ ば ︑ ﹁場の 事実 ﹂と し て﹁悲 秋﹂の 観念 が存在 し︑それに導 かれながら 詠歌をするという﹁場 の連帯﹂を通 して﹁時代の 風俗﹂に連 なるわけであり︑こうした 事 ︵ 9︶. の中 で︑次 の. 実をもとに 様々な 景物 を動員 し ︑﹁自 己の固 有の発 想を 構成す る﹂と い う わ け で あ る︒こ の点 に つ い て︑ 鈴木氏 は﹁悲 秋の詩 歌ー 万葉と 古今の 間ー﹂ と い う論文 ように 述べている︒ ま ず秋 は悲 しいという 観念 が前 提に あ っ て ︑﹁ 虫︵ き り ぎ り す・ 松虫 ︶﹂ ﹁ 月 ﹂﹁ 紅 葉 ﹂﹁ 萩 ﹂ ﹁ 雁 ﹂﹁ 鹿 ﹂ ﹁ 花すすき ﹂などの 物象 の様 態 を通 しながら 表現 が具体化 され る︒ このような︑ 歌の表現構成上のあり方がうかがえるわけである︒ しかも︑この 九首中七 首までが ﹁よ み人 知 らず ﹂の 歌であり ︑ 鈴 木 氏も ︑ ﹁﹃古 今 集﹄ の古 い時 期に 遡り う る の であるが︑ そのことは九世紀前期の漢 詩からの直接的な連続を 意味することになろう﹂と 指摘し て い る︒ここで 言う九世紀前期の漢詩とは ︑嵯峨・淳和両朝に お け る勅撰三詩集 を 指す こ と は言うまでもない ︒中でも典型的な詩作例 として指摘さ れ て い る の は ︑ ﹃経国集 ﹄ に収められた嵯 峨 御 製﹁重陽節神泉苑賦秋可哀﹂と淳和天皇以下の応製八首の一群 である ︒ こ れ ら の詩作品は ︑中 国 詩 文における﹁悲秋 ﹂の源 泉 的な作例で あ る︑ ﹃楚辞 ﹄宋玉の﹁九 弁﹂や ︑これを継承 した﹃文選 ﹄潘岳の﹃秋興賦﹄を措辞 の典故としているのは周 知のこ とである ︒ ﹁ 悲秋﹂ 観念に 基づ い て詠まれた 歌は︑ 嵯峨・ 淳 和 両 朝において ︑本朝漢詩文 ︑接 ︑的 ︑に ︑取り込 まれた中国詩文のあり方 を反映し︑虫 や動物の鳴き 声︑および植 物とい に直 っ た景物 を動 員し取 り合わせることによって ︑ ﹁ よみ人 知らず ﹂時 代に特 有な︑ 類型的 か つ 自己の抒情を 達成した和歌 として︑成 立していたのであろう︒ ま た︑こ れ ら の﹁悲秋﹂歌 群に特徴的なことは︑作者 が判明している大江千里 ・藤原敏 行の二首︵一九三・一九七 ︶が︑いずれも﹁是貞親王家歌合の歌 ﹂と詞書にあることであ る︒ついで ︑二一五番のよみ人知らず 歌も同歌合の 歌という詞 書がある︒さらに︑ここに 挙げた﹁悲 し﹂を歌の中 に直接詠まない歌でも︑ 同歌合からの 古今集入集歌 として次の二 首を指摘 することができる︒ いつはとは時はわかねど秋の夜ぞ 物思ふことの 限りなりける ︵一 八 九・よみ人知 らず︶ - 54-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(8) 山里は 秋こそことにわびしけれ鹿 の鳴く音に 目をさましつつ ︵二 一 四・壬 生 忠 岑︶ このような ︑ ﹁ 悲し ﹂に 近 い心情語 を有 する 歌 を ︑﹁ 是 貞 親 王 家の 歌合 ﹂と 同 時 代の 作 に 見ると︑次のような例が あ る︒ 我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く 夕かげの大 和なでしこ ︵二四四・素性法師︶. 貞文︶. ︵寛平御時后宮歌合の歌︶. 今よりは植 ゑてだに見じ 花すすき穂 にいづる秋はわびしかりけり ︵二四二 ・平 これら ﹁是貞親王家歌合﹂や﹁寛平御時后宮歌合﹂と い っ た︑宇多朝における歌合で の 歌 は ︑﹁ 悲し ﹂を 直 接 心 情 語 と す る場 合と ︑他 の 語に よ っ て表 現す る場 合と が あ り ︑﹁ 悲 就中腸断是秋天 ﹂の翻案であろうことも考 えられ. 秋﹂ を観念として 詠む歌として ︑新たな展開 を見せている ︒中でも一八九番歌は︑ 白氏文 集・ 巻十四・暮立 ﹁大抵四時心惣苦. ている ︒ また ︑前 に挙 げた ﹁よ み 人知 らず ﹂の 歌の 中 の一八五番歌 は ︑﹃ 句題和歌 ﹄︵ 大 江千里集 ︶に ﹁秋来転覚此身衰﹂ の題 で見ら れ︑大江千里関連 の歌であろう ︒ ︵ 猿丸太夫 集 に も こ の歌 は見 ら れ る ︒︶ こ の句 題 和 歌の 作歌方法 に 見ら れ る よ う に ︑ ﹁ 悲秋 ﹂ を観 念 としながらも ︑白氏文集という当代と し て新しい中国詩文の翻案 といった方 向 性をも生み 出し︑ 秋歌のみによる歌 合で あ る ︑ ﹁是貞親王家歌合﹂ と い う場が ︑秋の 季 節 観 念を醸 成 しているとも言えよう︒ 漢詩文と和 歌の対峙性 という意味においては︑こ の﹁是貞親王家歌合﹂を 基礎資料とし. 鳴麋之. 音聴時曾. 秋者金敷. 勝地尋来遊宴処. 先曾金敷 黄荒表裏萼添金. 虫之音聞者. 麋鹿鳴音数処聆. 荒無国丹. 池底清晴不過桂. 黄葉蹈別. 仙国初泛千千盞. ︵ 下巻・三二九 ︶. ︵ 上巻・一一四 ︶. 無朋無酒意猶冷. ︵上巻・ 一一三︶. て制 作さ れ て い る と考え ら れ る ︑﹃新 撰 万 葉 集﹄に も︑ここで 採り上 げた歌 が収められて いる︒ 奥山丹. 来秋丹霜. 秋山寂寂葉零零. 為吾 秋天雲収無惜光. ︵下巻・三 三〇︶ この二首 の歌に対する 漢詩で︑特に 上巻の一一四番︵寛平御時后宮歌合に 見える︶は︑ 和歌 の詠まれた 場を︑ より具体的に 説明するような内 容で あ り ︑ ﹁鹿 の声﹂ の聞こえる状 況を ︑寂寞 たる 秋山と 設定し ︑ ﹁悲 しい﹂ 感情 の起こ る理由 を﹁無 朋 無 酒﹂と し て い る︒ 和歌 が ︑﹁悲 秋﹂ 観念を 直接詠 み込んだものと解 せるところを ︑漢 詩への 翻訳において ︑. - 55-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(9) より客観的な場 面 設 定をしつつも ︑個人的な 抒情に﹁悲し い﹂ことの必然性を求めている よ う だ︒ こ う し た点を 見ても ︑ ﹁是 貞 親 王 家 歌 合﹂における ﹁悲 秋﹂観 念の和 歌が︑ 単に ﹁悲 しい﹂という 心情語から発 展し︑より 客体的な場面 の中で︑自己 の抒情性を実 現する 歌となっていることが︑理解 されてこよう ︒ 以 上︑中国詩文 において︑秋 に関する詩的心情として 中心的である ﹁悲秋﹂観念 を持つ 和 歌を検討してきた︒古今集歌としては ︑比較的古い 時代の︑悲 秋 観を全面的 に享受した 勅撰三詩集に 連なる時代の 歌として︑よ み人知ら ず の歌が多く︑ 観念類型をそれぞれの景 物と関わ ら せ て︑自己の 抒情を実現するといった表現方法が見られる︒こ れ ら の歌は﹁悲 しい﹂と い う語を直接歌 に詠み込んでいるが︑宇 多 朝の﹁是貞親王家歌合﹂ に見られる歌 になると︑ 他の心情語を 用い︑句題和歌に見られるように白氏文集の翻案などの試み も さ れ︑より 客体的な世界 の中に︑自己 の抒情を実現 する歌となって行く︒そして︑こ う し た 詠歌に動 員される景物 は︑月・虫 ・鹿・萩・露 ・花すすき・ 秋草などであり︑古今集秋上 巻に 収められている動植物である︒ すなわち ︑ ﹁悲 秋﹂観 念は︑ 古 今 集・秋上下巻 を貫く 主題となってはおらず︑上巻のみの主題と し て撰者たちは 基準としたのであろう︒このこ と は︑有 名な秋上巻の 巻 頭 歌 ︑ ﹁ 秋来ぬ と目にはさやかに見 えねども風 の音にぞおどろか れぬる﹂ で秋の 到来を ﹁驚 く︵はっと気 づいた ︶ ﹂ と い っ た歌を 置いたことからも ︑理解 される ︒﹁ 是 貞 親 王 家 歌 合﹂ の歌が ︑よみ 人知ら ず時 代の﹁ 悲秋﹂ 歌から ︑新た な展開 を 見 せていることによって︑古今集撰者たちの季節観念形成に︑少なからず影響を 及ぼして いるものと考 えられる︒. 四︑﹁惜春﹂の和歌ー白居易﹁三月尽詩﹂の影響と道真ー ( 10) は. 中国古典詩 において ︑秋の典型的 な詩的心情 である﹁悲秋 ﹂と表裏一体 なのが ︑ ﹁惜春 ﹂ であることは︑前 にも述べた ︒この惜春詩 の唐代に お け る流行に関し て︑松浦友久氏 次の よ う な見解を示 されている︒ 惜春詩 の流 行 は︑ 中 唐 以 後に お い て い っ そ う 著し い︒ そ れ は む ろ ん︑ 時 代 的な 嗜 好 の 傾向 や ︑惜 春 自 体の 心 情の 構造 と も関 わ っ て い る は ず で あ る が ︑一 つの 契 機と し て︑ 中唐詩壇における白居易 の諸作品︑とくに﹁三月尽 ﹂ ﹁三月三十日 ﹂﹁三月晦日﹂ 等 の詩題・詩句 を含む一連の 作品が︑大き な影響を与え て い る こ と が考えられる ︒ ︵﹁中国古典詩における﹁春﹂ と﹁秋﹂ ﹂ より︶ この論に示 されているように︑白居易 の﹁三月尽詩 ﹂が︑中国古典詩の流れ の中でも︑ 大きな影 響 力を持ち得ていると考えられているわけだが︑その 影響は︑そのまま古今集の 季節観念に も及んだといってよいだろう︒ これは ︑春下巻の ﹁逝く 春 ﹂ ﹁春の 終り﹂ の題. そせい. とされている︑一連の 歌群をみれば ︑より具 体 的に理解さ れ る︒ 春の歌とてよめる. - 56-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(10) みつね. おもふどち春 の山辺にうちむれてそこともいはぬ旅寝してしが︵一 二 六︶ 春のとく過ぐるをよめる. つらゆき. 梓弓春立ちしより年月の射るがごとくもおもほゆるかな︵一二七︶ 弥生 に鶯の声の久しう聞こえざりけるをよめる. ふかやぶ. 鳴きとむる花しなければ鶯もはては物憂くなりぬべらなり︵一二八︶ 弥生のつごもりがたに︑山を越え け る に︑山川より花の流れけるをよめる. もとかた. 花散れる水のまにまにとめくれば山に は春もなくなりにけり︵一二九︶ 春を惜しみてよめる. おきかぜ. 惜しめどもとどまらなくに春霞帰る道にし立ちぬと思へば︵一三0︶ 寛平御時后宮歌合の歌. みつね. 声 たえず鳴けや鶯ひととせにふたたびとだに来るべき春かは︵一三一︶ 弥生のつごもりの日︑花摘みより帰りける女どもを 見てよめる. 業平朝臣. とどむべきものとはなしにはかなくも散る花ごとくにたぐふ 心か︵一三二 ︶ 弥生のつごもりの日︑雨の降りけるに︑ 藤の花を折りて人につかはしける. みつね. 濡れつつぞしひて折りつる年の内に春はいくかもあらじと思へば︵一三三 ︶ 亭子院歌合の春のはての歌. ︶ 11. 惆悵春歸留不得. 以来 ︑ ﹃白氏文集﹄巻. 今日のみと春を思はぬ時だにも立つことやすき花のかげかは︵一三四︶ ︵. 盡日徘徊倚寺門. こ れ ら の歌群の中で も︑特に業平 の一三三番歌は︑金子彦二郎 十三﹁ 三月三十日題慈恩寺﹂の ﹁慈恩春色今朝盡. 紫藤花下漸黄昏 ﹂が ︑﹁ 惜春﹂ と﹁藤 花﹂を 結びつける 典拠として指 摘されている ︒ い わ ば ︑業平 の歌には ︑白居易詩文の影 響が直接表れていると言うことになる ︒他の 歌は ︑ 詠作者を見てみると ︑ 素 性・躬恒・貫 之・深養父・ 元方・興風 ら撰者時代歌人たちである ︒ 一三四番歌に 関しては ︑ ﹁ 亭子院歌合 ﹂ ︵ 延喜十三年三月︶の歌という詞書を有 するので︑ 古今集編纂以後︑宇多法皇 の意向が働き ︑補入さ れ た歌であろうとされている ︒ ︵ 12︶ も と よ り︑撰 者 時 代においては ︑白 居 易の 影響を 直接・ 間接的 に受け た結 果 ︑ ﹁惜春 ー三 月尽﹂の観 念が定着していることが︑ 看取される ︒この︑白 居 易の﹁惜春ー 三月尽﹂観念 を顕著に継 承したのが ︑菅原道真である︒道真の 詩は︑単なる 詩語の摂取のみならず︑ 白 居易の詩 文の主題を自 己の境遇に関 連させ︑独自 な態度で享 受した上で︑ 自己の抒情を も 実現する ︑創作的な﹁ 惜春詩﹂であった︒このように︑宇多朝詩壇の中心人物である ︑道 真の﹁ 惜春詩﹂を介 して︑宇多朝歌壇に関わ っ た歌人た ち が︑無理なく ﹁惜春ー三 月 尽﹂. - 57-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(11) の観念 を春の果てと 見なし︑詠歌 の発想基盤 とし︑また︑ 古今集の季節観念として採 用し ていったのであろう︒ このように︑ ﹁ 惜春﹂ 観念は ︑唐代 の詩 の流れ と同様 に︑白居易 の﹁三月尽詩 ﹂の影 響 によって︑本朝漢詩文と和歌双方に摂取・ 受容される︒ 古今集の歌題 としての季節観念を 考 えると︑春 下 巻は全六十六首中四十三首 までが﹁散 る桜・花﹂または︑花を惜 しむ歌で あ り︑ 前に例 として 挙げた ﹁逝 く春 ﹂﹁ 春の終 り﹂ を含めると︑ 五 十 二 首までが﹁ 惜春﹂ を詩的心情として詠まれた 歌であると︑ 言えるのである︒ 秋上巻を貫く ﹁悲秋﹂に 対して︑春 下 巻では︑中国古典詩に お け る詩的心情として︑表 裏一体な﹁ 惜春﹂を中 心 的な主題としていると考えられる︒. 五︑﹁望春﹂と﹁惜秋﹂ 古今集・ 春下巻の中心的主題と し て︑白居易﹁ 三月尽詩﹂と ︑その影響を 濃厚に受け た 道真の 漢詩文に よ っ て定着してきたと思われる ﹁惜春﹂観 念を考えたわけである︒これに 対して ︑春上巻の中心的主題は ︑どのように 考えたらよいのであろうか ︒周知の如く ︑春. 在原元方. 上の 巻頭歌は︑年内立春を詠ん だ在原元方の 歌である︒ ﹃古今和歌集﹄春上・巻頭歌 ふる 年に春立ちける日よめる. 年のうちに春は来にけりひととせを去年とやいはむ今年とやいはむ︵一︶. ︵. ︶ 13 に よれば ︑ ﹁年内立春 ﹂が︑当時は. 従来︑この歌 に関しては ︑少なくとも 近代となって 正岡子規の酷評以来︑様 々な評価・ 指摘がされてきたようである︒例えば ︑神尾暢子氏 ︵. ︶ 14 に よれば︑ 暦月・ 節月の 二 元 的 四 季 観を詠 んだ歌 であると解 釈されている ︒こ. 二年に一度 の割合で起 こり︑珍しい 現象ではないという指摘が な さ れ て い る︒また︑田 中 新一氏. のような 周辺事情による ︑この歌のあり方の妥当性を理解しようとする指 摘に対して ︑ ﹁と ︵. ︶ 15 で あ っ た ︒片桐氏 の論によれば ︑春の歌 には ︑ ﹁春や花 を待ち望む心 ﹂. にかく 春がやって来 たことによってもたらされた゛心のはずみ゛を詠ん だ﹂と評価された のは ︑片桐洋一氏. 紀. 貫之. が表 現されているとされ︑冬の 部に収め ら れ た次の よ う な和歌によっても︑このことが理 解されるとしている︒ 冬 の歌と て よ め る. 紀. 秋岑. 雪 降れば冬こもりせる草も 木も春に知られぬ花ぞ咲きける︵三 二 三︶ 志賀の山越えにてよめる. 清原深養父. 白雪の所もわかず降りしけばいはほにも咲く花とこそ見れ︵三二四︶ 雪の降り け る を よ み け る. 冬ながら 空より花の 散りくるは雲 のあなたは春 にやあるらむ ︵三三〇︶ - 58-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(12) 題し ら ず. 読人 しらず. 小野. 篁朝臣. 消ぬがうへにまたも降りしけ春霞立ちなばみ 雪まれにこそ 見め︵三 三 三︶ 梅の 花に雪の降れるをよめる. 紀. 貫之. 花 の色は雪にまじりて見えずとも香をだににほへ人の 知るべく︵三三五︶ 雪のうちの梅 の花をよめる. 梅の香の降りおける雪にまがひせば誰 かことごとわきて折らまし ︵三三六︶ ここに片 桐 氏が指摘した 和歌は︑冬 巻における排 列では﹁雪﹂ の題でありながら︑いず れも ﹁花 ﹂ ﹁春 霞 ﹂﹁梅 の香﹂ などが 見立て な ど の表現技巧を 介して 歌に詠 まれ ︑ ﹁春を 待 つ心﹂が 主題となっているという ︒こうした傾 向を受けてか ︑春上巻に入 ると︑巻 頭 歌と ﹁立春東風解氷﹂を 詠んだ︑貫之 の﹁袖ひちてむすびし水 のこほれるを 春立つけふの 風や. 読人し ら ず. とくらむ﹂ ︵二︶ に続いて ︑﹁残雪 ﹂を詠んだ歌 が見られる ︒ 題しらず. 春霞 たてるやいづこみよしのの吉野の山に 雪はふりつつ ︵三︶ 二 条の后の春のはじめの御歌. 素性法師. 雪のうちに春 は来にけり鶯 のこほれる涙 今やとくらむ︵四︶ 雪の木に降 りかかれるをよめる. 紀. 貫之. 春たてば花 とや見らむ 白雪のかかれる枝にうぐひすの鳴く︵六 ︶ 雪の降りけるをよめる. 霞たち 木の芽も は る の雪降れば花 なき里も花ぞ 散りける︵ 九︶ こうした 歌群の後 ︑﹁ 鶯﹂︵ 4︶﹁ 春の野 ﹂ ︵7︶ ﹁緑﹂ ﹁柳﹂ ﹁鳥﹂ ﹁ 帰雁 ﹂ ︵ 各2︶といっ た 歌が続 き ︑﹁ 梅﹂の 歌群︵ 十七首 ︶と ﹁咲く 桜﹂歌 群︵二十首 ︶へと 連なる ︒こうした 流 れの 中 で︑ 前の 片 桐 氏の 論 は ︑﹁ 梅﹂ 歌 群が ︑ ﹁ 待つ 心﹂ と﹁ 惜 しむ 心﹂ の双 方を 詠む ことに対して ︑ ﹁咲 く桜 ﹂歌 群は﹁惜 しむ心 ﹂だけがテーマになっていると 指摘し て い る ︒. つらゆき. そして ︑﹁ 咲く 桜﹂歌 群が最 初の歌 から ﹁散る ﹂と い う語を 詠み 込んでいることをも 指摘 されている︒ 人の家に植 ゑたりける桜 の︑花咲きはじめたりけるを見てよめる. 今年より 春知りそむる 桜花散るといふことはならはざらなむ︵ 四九︶ すなわち ︑春上巻は ﹁春を待つ﹂ ことがその中心的主題で あ り︑春の象 徴たる﹁梅や 桜 の花﹂ が咲くとともに︑無理なく ﹁惜春﹂へ 移行するような︑和歌排列 がされているので ある︒ そして︑下 巻において︑ 桜や花が散り ﹁移ろいゆく ﹂ことが︑時 の推移を よ り明確. - 59-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(13) に具体化 し ︑﹁三月尽﹂ 歌群 に お い て︑春上下巻 を終 え る こ と に な る︒いわば︑ 春に関 す る主 題は ﹁望春 ﹂ー﹁ 惜春﹂ で あ り︑これが相 互に支 え合 うことにより ︑ ﹁時 の推移 ﹂に 即し た詠歌が採用 されたというわけである ︒ ︵. ︶ 16 は ︑ ﹁﹃古今集﹄ の春︑ 秋の. ここで重 要な の は︑ 春 上 下 巻の構 成が ︑ ﹁ 惜春ー 三月尽 ﹂の 観念に 依拠し て い る と言う こ と で あ る︒ こ う し た観点 からの 指摘 として ︑田中幹子氏 構 成は︑最後の 一日を詠ん だ三月尽詩の ︑截然とした 辞去表現に対 する感動か ら生まれた と考え た ︒ ﹂としている ︒さ ら に ︑ ﹁﹃古今集 ﹄が︑ 立春︑ 立秋で 始まり 弥 生 晦 日︑長月晦 日で終 わ る の は︑ 白楽天 の﹁府西池 ﹂﹁立秋日登楽遊園﹂ の詩 の中に ﹁三 月 尽﹂詩 の截然 たる辞 去に匹 敵す る到来 の表現 を見出 したからである ︒ ﹂としている ︒ここで指 摘さ れ て いる白楽天 の詩文の一節 は次のようである︒ 府西池 春風春水. 今 日 知らず. 涼 風と衰鬢と. 一時 に来る. 誰 か計会せし. 今日不知誰計会 春風春水一時来. 蕭 颯たり. 立秋日登楽遊園. 蕭颯涼風与衰鬢 誰か 計会して. 一 時に秋ならしむる. 誰教計会一時秋. この 田中氏 の論 の よ う に︑ 白 居 易 詩 文 の影 響は 大きいと 言わ ざ る を 得ないが ︑ ﹁三 月 ︶ 17. 尽詩 ﹂の展 開の 中で︑ より日本的な 季 節 観 念も 創作さ れ て く る ︒ ﹁惜 春ー三月尽﹂ 歌群と. 素性法師. 整 合 的な 排列により︑ 秋下巻 の終わ り に は ︑﹁惜 秋ー九月尽 ﹂歌群 が排列 されている ︒︵. 北山に僧正遍照と茸がりにまかれりけるによめる. もみじ葉は袖にこきいれてもていでなむ秋は限りと見む人のため︵三0九 ︶ 寛平御時 ︑ ﹁古き歌奉れ﹂とおほせられければ ︑ ﹁龍田河もみぢ葉ながる﹂といふ歌を書きて ︑そのおな じ心をよめりける おきかぜ. つらゆき. み山より落ちくる水の色見てぞ秋は限 りと思ひ知りぬる︵三一0︶ 秋のはつる心を龍田河に思 ひやりてよめる. 年ごとにもみぢ葉流 す龍田河水門や秋の泊まりなるらむ︵三一一︶ 長月の晦日の日 ︑大井にてよめる. 夕月夜をぐらの山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ︵三一二︶ - 60-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(14) おなじ晦日の日︑よ め る. みつね. 道 知らば尋ねもゆかむもみぢ葉をぬさと手 向けて秋はいにけり︵三一三︶ これらの歌は ︑ ﹁惜 秋ー九月尽﹂ 観念に よ っ て詠まれたものであるが ︑ ﹁惜 春ー三月尽 ﹂ に 見られたように︑白居易などの中国詩文 の影響を受 けたものではない︒前述したように 中 国 古 典 詩においては ︑ ﹁ 悲 秋﹂ 観念 が中心的 な詩 的 心 情 で あ り ︑﹁ 惜秋 ﹂観 念 はこれに 矛盾す る た め に存在 しえないのである ︒したがって ︑ ﹁惜秋 ー九 月 尽﹂観 念は︑ より日 本 的な季節観念 であり ︑そのように撰 者たちや ︑当代歌人た ち が把握していたものであろう ︒ こ う し た観念 を醸 成したのは︑ 宇多朝 の道 真らの 漢詩文 であり ︑ ﹁三月尽詩﹂ 享受の 展 開の上に︑ こうした創 作 的な季 節 観 念が成立してきたのである ︒春下巻と整合的な対照 と 考えると ︑ ﹁散る桜 ﹂ ︵二十一首 ︶と﹁もみじ ﹂ ︵十九首 ︶ ・﹁咲く花 ﹂ ︵十四首 ︶と﹁菊 ﹂ ︵十 三首 ︶ ・﹁散る花 ﹂ ︵十五首 ︶と﹁落葉 ﹂ ︵二十五首 ︶がそれぞれ対照的で あ り ︑ ﹁花ー草木 ﹂ といった景 物と の関連 で ︑﹁惜 春ー惜 秋﹂が 整 合 的に春 秋 各 下 巻を構 成し て い る と言え よ う︒ 中 国 的な観 念で あ る﹁悲 秋﹂ を払拭 することができたのは︑﹁もみじ ﹂ ﹁菊 ﹂ ﹁落 葉﹂ を︑ 秋において賞 美すべき草花 として明確に 位置づけたからである︒ このことは︑ 前に挙 げ た﹁惜 秋ー九月尽﹂ 歌群 の中の 三一〇 番歌の 詞書 で ︑ ﹁ 宇多帝 が古歌 を蒐集 し て お り︑ そこで興 風が﹁ 龍 田 河も み ぢ葉ながる神奈備 の御室 の山に 時雨降 る ら し ﹂ ︵ 古今集 ・二八 四 ︶のよみ人知 らず歌を奉るとともに︑ 自分ならこのように歌を詠 むと︑同じ心 で詠んだ 歌 を献上した ﹂とする事情 が述べられているが︑宇 多 帝による﹁古歌蒐集﹂の 実施と︑新 しい発想の歌 を求める場があったことが 想定さ れ よ う ︒ 古今集の季節観念成立においては ︑ このような︑ 宇多朝の和 歌のあり方と ︑漢詩文との 交流といった ︑文壇における営為が︑. 語. 不可欠であったと考えるべきであろう ︒. 六︑結. 以上︑古今集を平安朝和歌史の始 発とし︑季節観念の萌芽をそこにみるべく考察を進 め てきた ︒そこに収められた個々の 和歌と︑撰者 たちの編集 による和 歌 排 列は︑と り わ け和 歌が撰者時代のものであれば︑ その表現構造 のレベルで有機的に関連し 合い︑整序 された 季節観念を形象している︒このような︑和歌 の表現構造上の﹁場の事 実﹂や﹁場の 連帯﹂ とは ︑和歌復興の 気運に乗じ て︑撰者た ち が経験した︑ 詩壇と歌壇の 交流の上に成 り立っ ていると考えられよう︒とりわけ︑古今集 の撰集資料となった︑宇多朝の歌合の 場や︑道 真 を中心とする 賦詩の場での 和歌と漢 詩 文は︑撰者たちの観念を形 成し︑同時に 詠歌の発 想基盤となっていったのである︒こ う し た場を﹁宇多朝文壇﹂と 呼称し︑観 念 的な連帯の 醸成が積極的 になされたものと考える ︒ その結 果︑古今集 に結実 した季節観念 と し て︑春上下巻 は﹁望 春ー 惜春 ﹂︑秋上下巻は ﹁悲秋 ー惜 秋﹂といった ︑中 心 的な 主題が 確立す る︒こ れ ら は ︑ ﹁惜春 ー悲秋 ﹂が よ り中 国 詩 文の季節観念 に即し た も の で あ り ︑ ﹁望春 ー惜 秋﹂は 日本的 な観念 と し て︑それまで の和歌の 伝統を継承しながらも ︑当代において確立されたものと考えられる ︒ ﹁望春 ﹂は ︑ ﹁季 節は循 環する ﹂といった 点が︑ より﹁ 和﹂ 的で あ り︑中国詩文 の発 想では ︑ ﹁季 節は 人生に 関連し︑一 回 性である﹂とするものと 対照的である ︒また ︑﹁惜秋 ﹂は︑﹁も み じ﹂ - 61-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(15) ﹁菊 ﹂に代表 される ︑秋にも 賞美すべき草 花を位置づけたことにより︑中 国 詩 文の﹁悲秋 ﹂ ー﹁賞 美すべからざる季節﹂の 観念を払拭していったといってよい︒. 東 京 堂︶. こうした季節観念形成に大きな 役割を果たしたと考えられる︑宇多朝文壇の営為を ︑以 下 各 論で展開していくことにする︒. 注 ︵1︶窪 田 空 穂﹃古今和歌集評釈﹄古今和歌集概説 ・九 ︵一九三五年 岩波書店 ︶. 風間書房 ︶. 一九七四年. ︵2︶松田武夫氏﹃古 今 集の構造に関 する研究 ﹄ ︵一九六五年 ︵3︶鈴木日出男氏﹁古今的表現の 形成 ﹂︵﹃文学﹄四二 ︵4 ︶もちろん ︑ ﹁詩壇 ﹂と ﹁歌壇 ﹂の場や構成人物が明確 に区別されるわけではないが︑ 時代 の状況 か ら し て ︑﹁漢詩文﹂ と﹁和 歌﹂が 対等の 関係にまでなっていないと 考 えられるので︑敢えてこのように 述べた︒また ︑こうした 場の構成人物 は︑漢詩文 に重点 を置きながら ︑和歌にも 嗜む者と︑文人官僚の基礎 として漢詩文 を学んだ上 に ︑和歌 に重点を置い て活動した者 があり ︑その 重点の置き方 によって﹁詩壇 ﹂ ﹁歌 壇﹂ と︑ある程度 の区別を認めておいた方 が︑考えやすいと思われる ︒ 大修館書店 ︶ 新井栄蔵氏 ﹃新日本古典文学大系. 古今和歌集 ﹄︵ 一九八九年. 岩波. ︵ 5︶ 松浦友久氏 ﹁中国古典詩 に お け る﹁ 春秋 ﹂と ﹁ 夏冬 ﹂﹂ ﹃ 中国詩歌原論 ﹄第 一 部 一 ︵ 一九八六年 ︵ 6︶ 小島憲之氏 書店︶. 同書の﹁解題 ﹂に﹁集の 内的秩序の骨 格となっている部立てを巻 々の内部について も示すとともに ︑王朝時代の 人々の物の見 方についても 指摘することにつとめた ︒﹂ ︑分類を示 した意図が述 べられている ︒ として巻の 内部での歌題的 ﹃鑑賞. 日本 の古典. 万葉集﹄ ︵一九八 〇年. 尚 学 図 書︶. ︵7︶松 浦 氏 注︵5︶ 所掲書﹁中国古典詩における﹁春﹂と ﹁秋 ﹂﹂ ︵8︶稲岡耕二氏. 一九七八年. ﹃ 王朝国語の. 八 ﹁補入歌 に つ い て ﹂ ︵ 一九七一年. 句題和歌 ・ 千 載 佳 句 研 究 編 ﹄︵ 一九四三年. ︵ 9︶ 鈴木日出男氏 ﹁ 悲秋 の詩 歌ー 万葉 と古 今 の間 ー ﹂ ︵﹃上 代 文 学﹄ 四十 四月︶ ︶ 松浦氏. 注 ︵7︶所掲書 ・論文. ︵. ︶ 金 子 彦 二 郎﹃ 平安時代文学 と白氏文集. ︶ 村瀬敏夫氏﹃ 古今集 の基盤 と周 辺﹄第 五 章. 培風館︶. ︵ ︵. 一九八二年︶. 桜楓社︶ ︶神尾暢子氏﹁歳 内 立 春と古今巻頭歌ー王朝の 暦法と元方の 方法ー﹂ 表現映像 ﹄ ︵新典社. ︶田中新一氏﹃平安朝文学に見 る二元的四季観﹄︵風間書房. 一九九 〇年 ︶. ︵. ︶片桐洋一氏﹃王朝和歌の世界. 一九八四年︶. 自然感情 と 美意識﹄第 一 章﹁万葉集 の自然と古 今 集. ︵. ︶ 田 中 幹 子 氏﹁﹃古 今 集﹄における 季の 到来と 辞去について ー三 月 尽 意 識の展 開ー﹂. の自然 ﹂︵世界思想社 ︵. ︵. 11 10. 12. 13. 15 14. 16. ﹃中古文学﹄創立三十周年記念臨時増刊号︵ 一九九七年三月︶ - 62-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(16) ︵ 注︵. ︶ 所 掲 論 文においても 言及 されているが ︑ここでは ︑宇多朝文壇 とい. ︶﹁ 三 月 尽﹂ 意識 の展 開 に よ り ︑﹁ 九 月 尽﹂ が創 作さ れ た こ と に 関しては ︑田 中 幹 子 氏 う﹁ 場の連帯﹂の 中で醸成されたものと捉 え︑そのような漢詩と和歌 のあり方と︑. 16. 17. そ れ を支える景物等のあり方 を︑深く考察 していくものとする︒. - 63-. 平安朝和歌史における 季節観念の萌芽 第六章.
(17)
関連したドキュメント
向老期に分けられる。成人看護学では第二次性徴の出現がみられる思春期を含めず 18 歳前後から
【通常のぞうきんの様子】
複雑性悲嘆(Complicated Grief 通常よりも悲嘆が長く、激しく続く 死別した事実を受け入れられなかったり、
やま くず つち いし いわ みず いきお..
とりひとりと同じように。 いま とお むかし みなみ うみ おお りくち いこうずい き ふか うみ そこ
❸今年も『エコノフォーラム 21』第 23 号が発行されました。つまり 23 年 間の長きにわって、みなさん方の多く
•
今日、お話しさせていただく内容ですけれども、まず、股関節の仕組み。それから股関