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自我のコンストラクション理論の展開

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著者名(日) 船津 衛

雑誌名 東洋大学社会学部紀要

巻 39

号 3

ページ 27‑37

発行年 2002‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1060/00002267/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

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自我のコンストラクション理論の展開

Developments of Self Construction Theories

   船津  衛 Mamoru FUNATSU

第1節 自我の社会的コンストラクション

 人間の自我は社会的にコンストラクト(construct)される。自我は孤立したものではなく、他 の人間とのかかわりおいてコンストラクトされている。他者の態度や期待を自己に結びつけること を通じて、自己の自我のあり方が具体的に形づくられている。

 C・H・クーリーによると、人間の自我に関しては、R・デカルトの「ワレ思う、ゆえにワレあ り」ではなく、「ワレワレ思う、ゆえにワレあり」が適切な表現である。人間は他の人間のうちにあ る自分の姿、マナー、性格などを想像を通じて認識し、それによって自己の自我を形づくるように なる。自我は「鏡に映った自我」(looking−glass self)として具体的に現れる(Cooley,1902:184)。

 クーリーにしたがえば、人間の自我は他の人間がどのように認識しているかについての想像によ って、また、他の人間がいかに評価しているかについての想像を通じて、そして、これらに対して 自分が感じる誇りや屈辱などの感情からなっている。このような他者は多くが家族や遊び仲間など、

第一次集団における他者からなっている。したがって、自我は何よりも第一次集団においてコンス トラクトされるといえる。

 G・H・ミードによると、自我は「役割取得」(role−taking)を通じて社会的にコンストラクト される(Mead,19i3,1934)。人間の自我は母親、父親、友達、先生、先輩など「意味のある他者」

(significant other)による、自分に対する期待を取り入れることによってコンストラクトされる。

子供の自我形成は「ままごと」などのごっこ遊びの「プレイ」(play)段階と野球やサッカーなど の「ゲーム」(game)段階の2つの段階を経てなされる。

 ごっこ遊びにおいて、子供は母親や父親、また先生やお巡りさんなどの役割を演じることによっ て、親や大人の態度や期待を自己に結びつけて知り、そのことを通じて自分のあり方を理解するよ うになる。成長につれて、子供は複数の他者の多様な期待に直面するようになり、複数の他者の期 待をまとめあげ、組織化し、一般化した「一般化された他者」(generalized other)の期待を作り

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上げる。「一般化された他者」の期待が形づくられる「ゲーム」段階において初めて、子どもの自我 の発達が十全な形において成し遂げられるようになる。

 大人の自我形成においては「一般化された他者」の期待は広く拡大され、「コミュニティ全体の態 度」となっている。「コミュニティ」には地域社会のみならず、国民社会や国際社会も含まれ、また それは空間的な広がりのみならず、過去や未来へと時間的な広がりも存している。自我は空間的・

時間的に拡大された他者とのかかわりにおいて社会的にコンストラクトされる(it 1)。

 このような自我の社会的コンストラクションのあり方について、ラベリング論が非行・犯罪に関 して論じている。ラベリング論によれば、非行・犯罪の発生は「ラベリング」(レッテル貼り)に大 きく関係している。「ラベリング」とは周りの人間が一人の人間に対して犯罪者や逸脱者というレッ テルを貼ることである。

 H・ベッカーによると、逸脱は人間の行為に一定の規則が適用された結果生まれるものであり、

逸脱行動とはこのレッテルが首尾よく貼られた行動を指している(Becker,1963)。一般に、社会 はそれを犯すと「逸脱」ということになる一定の規則を設けており、この規則を一定の人々に適用

して、規則から外れる人間に対してアウトサイダーのレッテルを貼る。そのレッテルを貼られたア ウトサイダーの行動が逸脱行動となり、犯罪者というレッテルが貼られた人間が犯罪者となる。そ して、このようなレッテル貼りによって人々の自我も大きく左右される。「つっぱり」、「落ちこぼ れ」、「前科者」などというレッテルは、それが貼られた人間の自我形成に強い影響を及ぼしている。

 しかし、ラベリング論は人間の行為主体としての能力を軽視しており、人間を単にレッテルに翻 弄されるだけの無力な存在とみている。それは逸脱者自身の意味付与や解釈を無視し、受け身的で 同調的な「社会化過剰の人間」(D・ロング)を描いてしまっている。ラベリング論は他者や社会の

まなざしが人々を圧倒すると考え、人間の自我を「客我」(Me)の側面のみでもって捉えている。

それはミード理論の「ダーク・サイド」(Holstein and Gubrium,2㎜:38)を表すものとなって しまっている。

 人間の自我はレッテルによってすべて形づくられるわけではなく、自らを作り上げる側面をもっ ている。レッテルに反発し、それに抵抗し、それを批判し、それを乗り越える自我も存在している。

J・A・ホルスタインらによれば、自我は「社会的構成物(social structure)であるのみならず、

日常生活において何度も再生産される、価値ある社会的コンストラクション(social construction)

である」(Holstein and Gubrium,2000:ix)。

 このような自我のコンストラクションの主体的あり方については、これまであまり問題とされて こなかった。つまり、「『客我』の研究に関してはかなりの理論的、経験的研究がなされてきたが、

『主我』(1)の研究は事実上無視されてきた」(Harter,1988)。しかし、これからは「主我」の側 面を浮き彫りにし、人間の積極性や主体性を解明し、積極的、主体的な自我のあり方を明らかにする 必要がある。自我が社会によってコンストラクトされることだけではなく、自我が自らを主体的にコ ンストラクトすることを明らかにする「自我のコンストラクション理論」が展開されるべきであろう。

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第2節自我の言語的コンストラクション

 ミードは言語が自我の発達にとって基本的であることを強調している(船津,2000a)。人間は言 葉を中心とするシンボルを通じて他者の期待を知り、それによって自己を知るようになる。言語の 発達と自我の発達とは強く結びついており、言語を通じて自我がコンストラクトされる(Mead,

1938:199−200)o

 人間は言語によって社会的にコンストラクトされている。生物学的性別とは異なる社会的、文化 的な「ジェンダー」は言語によって社会的にコンストラクトされる。社会のコンストラクションは 言語を通じて行われるので、言語的カテゴリーが存在しない社会ではその言語が示す対象は存在し ない。「ホモ・セクシュアル」というカテゴリーは近代において作り出されたものであるから、それ 以前にはホモ・セクシュアルは存在していない(上野,2001,参照)。

 「ジェンダー」は文化的、社会的に形成された性別あるいは性差を意味する。そして、「ジェンダ ー」は人々の内部ではなく、人々の間、とりわけ、他の人々との言語的やりとりの中に見い出され る。母性愛とは女性の内部の問題ではなく、男女の間において「誰が子育てを行うか」に関わる言 語的表現である(江原,2001)。言語は男、女の特定イメージを形成し、また、性別アイデンティテ

ィをコンストラクトしている。

 J・バトラーは言語をディスコースにおける身体的パフォーマンスとして捉え、それを権力と結 びつけて問題とし、「男根主義の権力関係の次元のなかで構築されるセクシュアリティの概念」

(Butler,1990:訳68頁)を提示している。そして、バトラーによると、すべてが言語的にコンスト ラクトされている。つまり、社会的、文化的な「ジェンダー」だけではなく、生物学的身体も言語 によってコンストラクトされている。「ジェンダー」も身体的差異も「強制的異性愛制度」の内部に おいてコンストラクトされたものである。

 ここでは、自我が言語によって社会的にコンストラクトされることが強調され、言語による自我 のコンストラクションが問題とされている。したがって、それは自我の本来的性格を問題とし、内 部の本質を強調する「本質主義」に対して、「社会構築主義」と呼ばれる(注2)。

 けれども、他方、R・G・ダンによると、「言語を外的、客観的に考えているならば、内的システ ムについて発見できない」(Dunn,1998:212)。つまり、言語の外的理解だけでは人間の内的世界や 解釈過程の解明がなされない。「社会構築主義」においても、言語が出来事を作り出す働きをするこ

とが指摘されている(江原,2001:42頁)。しかし、言語によるコンストラクションが人間自身によ る自我のコンストラクションとは必ずしもならず、むしろ、言語の一人歩きを許す「言語中心主義」

となってしまっている(注3)。

 とりわけ、バトラーは自我を言語やディスコースによってのみコンストラクトされるとする「不 必要な限定づけ」(Dunn,1998:197)を行っている。その結果、言語過程の背後に働いている、言

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語やディスコース以外の要素である社会的な「心理過程」を無視してしまっている。つまり、「アイ デンティティの産出と変容についての彼女の厳格にディスコースにもとつく説明は社会的主観性と いう重要な要素を欠いている」(Dunn,1998:202)。

 バトラーは自我を言語やディスコースに還元し、アイデンティティ・イコール・ディスコースと している。それによって、主観的要素を低く評価し、意味、意識、解釈を追放し、内的なものを拒 否してしまっている。バトラーにおいては、言語やディスコースを離れて自我は存在しないとされ、

自我を言語やディスコースの単なる効果であると考えている。そして、自我の内的・組織的現象と してのアイデンティティを否定し、アイデンティティの内的意識は幻想であるとしてしまっている

(Dunn,1998:194−5)。

 バトラーの理論においては、人間主体の存在が欠如しており、行為の背後の行為者の存在が否定 され、行為者なき行為が問題とされている。そこでは言語やディスコースの規範的コントロール機 能が強調され、自我の創造性が拒否され、しかも、固定的、受け身的な自我のイメージが濃厚にな ってしまっている。

第3節 自我のナラティブ・コンストラクション

 言語は他者とのディスコースにおいて用いられる。言語は社会的相互作用の中に位置づけられて、

そこで働くものである。言語によって、他者との関係性が確立されるとともに、自己との関係性が 生み出される。自己との関係性は自己内省として行われる。自己内省とは他者の目を通じて自己を 振り返ることである。そして、自己内省は社会的に基礎づけられつつ、そこから新たなものを創発 する。そこにおいてディスコースによる自我のコンストラクションがなされることになる。

 言語は個人が自己の外部に出て、他者の態度を取得する手段となる。M・L・シュワルベによれ ば、言語は「主体としての自我が客体としての自我に対して意味を付与するように働く手段」であ

り、「自我変容の乗り物」となるものである(Schwalbe,1983:299)。

 野口によると、自己は語ることによって構成され、語り直すことによって再構成され、そこから 新しい自己発見がもたらされる(野口,1999:27)。それが自我のナラティブ・コンストラクション である。そして、クライアント自身の口からナラテイブを語らせて治療を行うことが「臨床のナラ テイブ」である。

 「臨床のナラティブ」は、従来、医師中心であったものをクライアント中心に、クライアント自 身が自由に語ることによって行われる治療法である。そこでは、クライアントが自分の経験を解釈 する枠組みを構成し、それを構成し直すという、クライアント自身によるナラティブのコンストラ

クションがなされる。したがって、それは「ナラティブ構成主義セラピー」と呼ばれる(小森ほか,

1999)。

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 「ナラティブ構成主義セラピー」は伝統的セラピーを批判する形で1990年代に登場してきている。

S・マクナミーらによると、伝統的セラピーは上からの専門家の権威主義的セラピーであり、観察 するセラピストと観察されるクライアントの間に距離が存在していた。そこでは、あらかじめ用意

された理解の方法でもって一定の枠組みにもとつく治療がなされ、それによってクライアントの自 我を変えることが行われていた(McNamee and Gergen,1gg2)。

 これに対して、「ナラティブ構成主義セラピー」はクライアント中心の、クライアントが語るナラ ティブを重視するセラピーである。それはセラピストとクライアントが共同でナラティブ自我を構 成していく実践である。「ナラティブ構成主義セラピー」はオープンなものであり、複数のナラティ

ブを認め、クライアント自身が「語り直すこと」で自我が変容するようになると考えるものである。

 「語り直すこと」とは、これまでのドミナント・ストーリーに対してオルターナティブ・ストー リーを作り、新しい物語を創造することである。それによって新しい自己発見や自我の創発がもた らされるようになる。ナラティブの変更によって自我の変容がなされることが「ナラティブ構成主 義セラピー」である(小森,1999,浅野,2001,参照)。

 他方、社会心理学の領域においても、K・J・ガーゲンが自我を社会的にコンストラクトされる ものとする「自我のナラティブ・コンストラクショニズム」を提唱している(Gergen,1985,2001)。

ガーゲンによると、これまでの自我研究は自我の因果関係的把握や機械論的な理解であり、それは 個人の特殊性を無視し、自我を固定的で、外部からの影響を受けるだけの受け身的存在として捉え てしまっている。

 しかし、人間の内省的再構成を行う能力を重視し、個人が自己の自我を積極的に構成する仕方を 明らかにする必要がある(Gergen&Gergen,1983)。他者に語ることによって自己を知るように なるのが、ナラティブによる自我のコンストラクションであり、それを問題にするのが「自我のナ ラティブ・コンストラクショニズム」である。

 「自我のナラティブ・コンストラクショニズム」は人間の言語使用に着目し、他者との言語的関 係における自我のあり方を理解しようとする。それは自我の個人主義的説明から社会的な説明に移 行し、言語を用いたナラティブを通じて他者に対して表現されるという自我の関係的性質を強調す るものである(c£ Nightingale and Cromby,1999)。

 他方、社会学からは、D・R・メインズがシンボリック相互作用論の観点からナラティブを重視 している。メインズによると、社会学(こおいては、既に、W・1・トーマスとF・ズナニエッキの

『ヨーロッパとアメリカにおけるポーランド農民』(1918−20)においてナラティブが取り上げられて おり、また、E・ゴフマンの業績はナラティブを取り扱ったものとして評価される。そして、シン ボリック相互作用論において「解釈」、「自我」、「問題的状況」、「トランザクション」、「アウエアネ ス」、「ネゴシエーション」、「アカウント」、「フレーム」等の概念がナラティブの特性をもつものと なっている。

 メインズによれば、ナラティブはストーリー・テリングの集合的側面を表し、集団に対して大き

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な役割を果たしているC  i 1:. 4)。ナラティブは人間集団の理解に必要不可欠であり、したがって、「ナ ラティブ社会学」の形成が必要である(Maines,2001)。そして、社会学それ自体がナラトロジー であり、社会学研究はナラティブ・ワークであり、社会学者はナレーターである、と断定している

(Maines,1993)。

 このようなナラティブの特性として次のことがあげられる。第1に、ナラティブは人間の内省を 通じてコンストラクトされる。ナラティブにおいては人々の意味づけ、解釈がなされている。ガー ゲンによると、ナラティブは人々が自分の住む世界を記述し、説明する過程であり、それはリアル な世界の単なるコピーではなく、ものごとや行為の理解や表現、また生活に対する意味づけの方法 である(Gergen, 1984)。

 第2に、ナラティブにおいては時間的、歴史的要素が存在しており、過去、現在、未来がつなげ られ、かつ、それらが再構成されている。ナラティブはストーリーの体系的な関連づけを行い、時 間を横断する出来事の間の関係を説明するものとなっている(Gergen and Gergen,1983:255)。

そこにおいてはシークエンスが存在し、それがナラティブ・オーダーを形づくっている。

 第3に、ナラティブは他者と関連している。そして、ナラティブは他者への「語り」を表してい る。他者とは自分が誰であるかについて一緒に話をしてくれる人を指している。ナラティブは話し 手と聞き手との間の相互作用による「集合的行為」である(Maines and Ulmer,1993:ll3)。

 そして第4に、ナラティブには「筋書き」(プロット)が存在している。ナラティブ・ストーリー は経験を枠づける「意味のまとまり」であり、ルールによって秩序づけられ、規範的期待によって文 化的に規定され、首尾一貫したシークエンスとしてアレンジされている(Gergen and Gergen,

1984:173)。ナラティブの展開には平坦、上昇、下降があり、そこには加速、変容、サスペンスと 危険・危機・エピファニーが生み出されている(Gergen and Gergen,1983,1984,1986)。そして、

K・マレーによれば、ナラティブの構造にはコメディ、ロマンス、トラジディ、アイロニーの4つ タイプが存在している(Murray,198g)(注5)。

 このようなナラティブを通じて自我がコンストラクトされるようになり、ナラティブの変容によ って自我の変容がもたらされることになる。このことを明らかにするのが「自我のナラティブ・コ ンストラクション理論」である。

 けれどもまた、この「自我のナラティブ・コンストラクション理論」においては、ナラティブの 変容がどのような形においてなされるのかが十分明らかにされていない。さらに、それはナラティ ブを語る主体自身の解釈や内省を問題としていない。つまり、行為者自身による自我の主体的コン ストラクションは必ずしも解明されていないのである。

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第4節 自我の主体的コンストラクション

 自我の言語的コンストラクション理論やナラティブ・コンストラクション理論は言語・ディスコ ースあるいはナラティブによる自我のコンストラクションを問題にしている。そこにおいて自我は 言語・ディスコースやナラティブによって社会的にコンストラクトされると規定され、言語・ディ スコースあるいはナラティブを変えることによって自我も変えられると主張されている。

 けれども、そこでは言語・ディスコースないしはナラティブだけが問題となっており、言語・デ ィスコース・ナラティブ以外のもの、とりわけ、それらのベースである意味の世界が無視され、人 間の内的な過程が看過されてしまっている。それは言語・ディスコース・ナラティブ中心主義であ

り、言語やディスコースを変えれば自我が変わるとか、ナラティブを変えれば自我が変わると考え てしまっている。

 しかし、言語・ディスコースによるコンストラクションは人間自身による自我のコンストラクシ ョンと必ずしもつながらないし、また、ナラティブを変えれば自我が変わるとは容易にいうことが できない。言語・ディスコースやナラティブによるコンストラクションは言語・ディスコースない しナラティブのみによる自我のコンストラクションとなり、言語・ディスコース・ナラティブの一 人歩きを許すものとなってしまっている。

 また、セラピーにおいて、ナラティブを「語り直す」主体は患者ではない。そこでは医師が「語 り直させる」のであり、患者は医師の客体となっている。つまり、「語る」主体の解釈や内省が問題 とされていないのである。その結果、受身的な自我のイメージが濃厚になってしまっている。

 自我のコンストラクション理論は自我の社会的コンストラクション過程を明らかにするだけでは なく、自我の新たなコンストラクション過程をも問題とすべきである。そうしないと、受け身的人 間と固定した社会の像が形づくられてしまう。積極的、主体的人間の自我のあり方を明らかにする ことが自我のコンストラクション理論の課題となる。

 自我の主体的コンストラクションには人間の内的世界の働きが大きくかかわっている。人間の内 的世界には主観、意味、意識、解釈が含まれている。そして、内的世界はこれまで存在しない新た なものを生み出すことができる。この内的世界は人間の言語使用に大きく依存しており、言語を通 じて外部に表現される。しかしまた、それは言語に還元されてしまうものではなく、独自の展開が 可能である。ダンのいうように、「自我は言語やディスコースに還元されるのではなく、その相対的

自立性と相互浸透を示す仕方で両者の結びつきを確立する方がより実り豊かである」(Dunn,1998:

197)。

 人間の内的世界においては内的会話、内的コミュニケーション過程が進行している。それは他者 とのコミュニケーションによって生み出される。他者とのコミュニケーションの展開は同時に自己 との内的コミュニケーションを展開させる。

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ミードが強調するところによると、コミュニケーションが重要であるのは、それが人間をして自分 自身を対象とさせるからである。他者とのコミュニケーションによって、自己の対象化がなされる。

自己を対象化することは、すなわち、自己を内省化することを表す。

 人々において言語を使用してナラティブすることによって、自己内省化がなされる。自己内省化 は他の人の観点から自己を省みて、自己のあり方を検討することである。そこに、内的世界が開か れ、「内的コミュニケーション」が展開されることになる。

 「内的コミュニケーション」は、人間特有の「意味のあるシンボル」(significant symbol)によ って生み出される(Mead,1922)。「意味のあるシンボル」とは他者にも自己にも同一の反応を引き 起こすような言葉やジェスチュアを指している(Mead,1934:47.訳51頁)。「意味のあるシンボル」

を用いることによって、人間は自己の内部において「内的コミュニケーション」を展開するように

なる。

ブルーマーによれば、人間は自我をもつことから、「自分自身との相互作用」(self interaction)

を行うことができる(Blumer,1969)。「自分自身との相互作用」は他者の期待を背景から解き放し、

新しい意味を付与する「表示」(indication)過程と、表示された期待を自己の置かれた位置や行為の 方向に照らして選択し、チェックし、留保し、再分類し、変容させる「解釈」(interpretation)

過程からなっている。

 「解釈」によって、他者の期待が修正、変更、再構成され、そこから、人間は自己の行為を主体 的に形成し、他者や社会に対して積極的に働きかけ、新たなものを創出しうるようになる。新たな ものが創出されてくることを「創発」というならば、それを自己を内省することから生み出すこと を「創発的内省性」と呼ぶことができる。「創発的内省性」は他者の観点を通じて客観的に自己を振 り返ることによって、そこから現在の自己を越え,新たな自己を生み出すことを可能とさせること

を表す。

 自己を内省することによって新たな自己が生み出され、新しい行為が展開されるようになる。そ れが内省による自我のコンストラクションである。そして、内省による自我のコンストラクション を通じて、新しい言語の使用、そして新たなナラティブが行われるようになる。そこにおいて自我 の主体的コンストラクションがなされることになる。

 そして、このような自我の主体的コンストラクションは他者変容を行わせるようになる。自我変 容は他者変容でもある。他者に働きかけ、他者を作り変える人間は社会によって作り上げられるだ けではなく、社会を作り上げる存在となる。ここから、社会はダイナミックなものとしてとらえら れるようになる。

 社会が人間をコンストラクトするだけではなく、人間が社会をコンストラクトすることを具体的 に明らかにする「自我の主体的コンストラクション理論」を確立する必要があろう。

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【注】

 (1)現代社会においては他者が拡大されて、それが多様化・複雑化することによって、自我も単一の、固定し た自我ではなく、多面的、流動的な自我となっている(船津,2000b)。

 (2)片桐によれば、自我はシンボルによって構築される。現実が言語に代表される記号を指すシンボルによっ て構成されており、社会的対象も同様にシンボルによって構築されている。したがって、対象化された「自分」

である自己もシンボルによって構築される(片桐,2㎜)。

 (3)橋爪は「言語」を社会理論の基礎にすえる「言語派」社会学を提唱している。橋爪に4ると、人間の行為 とはあるパターンに従った身体の動きである。そのパターンを支えるのが「ルール」であり、「ルール」が行為 を行為たらしめ、意味を意味たらしめ、理解を理解たらしめている。人間の社会は数々の行為から組み立てられ ており、社会は行為の「意味の充満する空間」である。したがって、「ルール」を理解したとき、パターンの意 味を知ることができる。パターンである「形式」のなかで最も重要なのが「言語」であり、個々人の意思を離れ た客観的な秩序である「言語」は社会が成立していることとほぼ同義である(橋爪,2000)。

 しかし、橋爪においては「ルール」の変容やさらには社会の変動があまり問題とされていない。そして、何よ りも人間の内的な「解釈」過程が問題とされていない。その結果、「解釈」にもとつく「ルール」の変容が明ら かにされず、固定した社会イメージが濃厚になってしまっている。

 (4)また、同じくシンボリック相互作用論者K・プラマーもナラティブを人々の共同行為であり、一つの戦略 であり、カミングアウトであると指摘し、セクシュアル・ストーリーを中心に、ストーリーの社会的役割を強調 している(Plummer,1995)。なお、ナラティブの変容による自我の変容の事例として、アルコール依存、イン セスト、親元を離れることなどの問題が具体的に取り上げられ、分析されている(Poller and Stein、1996,

Karp, Holmstrom and Strong,1998, Evans and Maines,1995)。

 (5)ナラティプの構造については若者と高齢者の間には差異が存在しており、前者においては失敗と回復、ま た勝利があるが、後者においては下降が顕著な特徴となっている(([lergen and Gergen,1988)。

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(12)

【Abstract】

Developments of Self Construction Theories

Mamoru FUNATSU

   The self is fbrmed socially in relation to others. It is the looking−glass self(C. H.

Cooley)and the other s role−taking se1RG. H. Mead). However, the self is not entirely formed by expectations of the others. It changes, refomms and reconstructs those expectations. Thus, it can be said that the self is made up by itself.

   The self is expressed by languages. It is constituted in relations of language and discourse. People construct the narratives for the sel£Therefore, the self is constructed narratively. Likewise, it is reconstructed by changing the narratives.

   However, the self is not fbrmed by language and discourse exclusively and is not reconstructed soley by the re−telling of the narration. There is also the inner world that contributes to the construction of the self

   In this inner world there exists inner communication. This inner communication

(self interaction)is derived from the outer communication(social interaction). It is made of the process of indication and interpretation of the expectations of others.(cf.

H.Blumer). It makes changes based on those expectations and emerges with novel elements.

  This new  self in turn creates new expectations from the other and this leads to changes in the expectations of the society. This is what is called social construction through self construction

参照

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