九州大学学術情報リポジトリ
Kyushu University Institutional Repository
万葉集における対句の場合の訓について
鶴, 久
熊本女子大学講師
https://doi.org/10.15017/12345
出版情報:語文研究. 8, pp.9-20, 1959-02-01. 九州大学国語国文学会 バージョン:
権利関係:
万葉集における対句の場合の訓について
鶴
久
糊
緊み綴業蝶灘矯藤薩薩騰辮
貌曲者闘無数鳴露紺之秋 日山御笠之野辺旧領花木晩牽
U三郷蕨醸撫︑知耀鍔懲覆驚倒か蹴騨離講
A濁動⁝:・︵六・一〇四七︶
右の長歌の﹁炎乃⁝⁝間無数鳴﹂と﹁露霜乃⁝⁝妻楽想動﹂は対
句になってみるが.その訓は註釈書によって 一しばなき一とよめ考・略解・新校.私注
しばなき一とよむ 新考・大成︵本文︶
しばなく一 とよむ 全釈・総釈︒全註釈︵新版︶︒評釈︵窪
田︶
の如く相違してみる︒勿論︑一字一音の仮名書きの場合や同歌のやまみればやまもみが掻しさとみれまさともす.与よし︑﹁山見三山裳兇貌石里見者里裳住吉︵六︑一〇四七︶﹂の如く異
訓の起る餓地がない場合は問題はないのであるが︑前掲の対句のや
うに終止形・連川形いつれに訓んでも差支へないやうに思はれる時 には︑諸紐釈書に異訓が生じるのである︒加之︑同一註釈書においても︑一例を挙げると前謁の対句で﹁一1まなくしばなき︵連川︶
一つまよびとよめ︵連川︶﹂と訓んだ略解︒新車が例へば おちたぎつよしののかほのかはのせゆきよきをみれば憾みぺ顕燃 ちどり ル帖 乎見者上辺者千鳥数門下 ⁝落多芸都芳野河豚河瀬乃浄 べにはかはつ 辺者一河津都麻喚∵::・︵山ハ︒九二〇︶
の対句の場合には﹁ちどりしばなく︵終止︶1かはつつまよぶ︵終
止︶﹂と訓み︑逆に︑一〇四七の歌では﹁まなくしばなく︵終止︶
−つまよびとよむ︵終止︶﹂と訓んだ全註釈・総釈・全戸・評釈
︵窪田︶は﹁ちどりしばなき︵連用︶一かはつつまよぶ︵終止︶﹂
と訓んでみる如く︑訓詣の態度が一貫してみないやうである︒し
からば︑この場合は如何に施訓ずるのが当時の訓に一致してみるの
であらうか︒当時の対句における訓は如何になっているだろうか︒
それは︑一字一音の仮名書の例や訓が冷然としてみる場合の用例か
ら帰納的に類推して行くより他によりよい方法はないやうである︒
︵勿論文の続き具合や意味を考慮してのことである︶従って︑記.
紀の歌謡及び︑万葉集における対句の場合を調査してみると︵便嵐
上第一類より第七類までとしてみた︶
ブぬ
りぎぎしほとよむ 佐奴都登理岐芸斯婆登与牟
灘鑑恥畿騰饗記三︶
にはっとりかけはなくなり
露繍謙繍難9九六︶
くにみをすればくにばらは陀か礁階即牝﹁ρ 国見乎為者国原波煙 立龍 ぎなほらは吟﹂碑しに陵﹄ ︵海原波加万目立掛都︵万一・二︶ ちちははを磁ぼト臨Lド㌧
{
父母乎美礼婆多布斗斯 めこみれ ば渉レ︑ド山Lうっド﹄ 妻子美礼婆米具斯字都久志︵五・八○○︶ いやとほに一ド障はさかりぬいやたかにやまもこえき臓 弥遠爾里者放奴益高爾山毛越来奴︵二・一三こ
第二類 第一類 さぬっと
なをぞもし礎隆ふわをぞもなによすとふ 汝乎叙母召爾依云吾万遍十二爾依云︵二・三三Q九︶ とぎなくそゆぎはふりけるひまなくそあめはふりける 暗無曽雪者落家留間無酋雨者零計類︵一・二五︶ はるくさのむげくおひたるかすみたっ献るひのぎれる
春草之茂生有霞立春日之三流︵一・二九︶
第三類 ≦﹃皐︑はとりてかひなめみつ二そは唇眺堅﹂捧殴髄︐ 草社者取而飼畢水社者描而飼畢︵十三・三三二七︶ うらなしとひとこそみらめかたなしとひとこそみらめ 浦無跡人社冤良目油無跡人祉見種目︵二・一三八︶ ほ だりと りカたくヒらぜ 本陀理斗理加多久斗良勢
{
したがたく悼r﹄い−たトレ﹁﹁臥μ没︐ 斯多賀多久夜賀多久斗良勢︵灘・一〇三︶
第四類
。
さかしめをありと巷かして
蕪麟灘盤︵記三﹀
懸鞭顯舗︵紀・四三︶
なが81はをとらくをしらに く コゴ
{鶉 鞭瀞︵+三三一三九︶
なげけどもしるしをなみおもへどもたつ壷をしらに難嘆知師乎無三蹉念田付乎白二︵四・穴一九︶
第五類
したなきにわがなくつま志移那企弐三三灘勾菟摩
醸撫無難灘︵三冠ハ九︶
たどひにわがとふいもをし鴇志多仔比爾和賀登布伊劃劃
嚢撫瓢撒舘監︵記●七八︶
︑ つ つじばなに ほえをヒめ髄蝿灘糀彌諌墨継売戸作楽花佐吼適越売︵十三・三三〇九︶
ひさにあらばトいまなぬか瓢かりはやくあらばいまふつかばかり
久有今七日許早有者今二日許︵十三・三三一八︶
第六類
い亀.︑らむとこころはもへど
く く ︷灘轟寸言騨三一︶
ようつよにかくしもがも
{
予只豆余餌詞勾志茂餓茂 ちよにもかくしもがも知余耳茂詞勾志茂餓茂︵紀・一〇二︶
つばらにもみつつゆかむ﹃しばしド肺・㍉ みきけむい立を
幡ゲ袖穐﹂現井井猷﹂外外鍬琵矯ル嚇二才塀⁝万雄︵一︒一七︶
思 空不安久爾嘆空不安久爾︵八・一五ご○︶
なつむしのひにいるがごとみなといりに︑岬ねこぐごとく藻鵬蜂礎線踊捺勲揚畝︵九.天〇七︶
吉咲八師浦者無及吉画矢寺礒者無友︵十三・三二二五︶
第七類
そのし像のいやまナ或すにそ曲なみりいやしくしくに 彼塩乃伊補益三二彼波乃伊凌敷布一一︵十三・三二四三︶ あかねさすひるはし与らにぬは︷㌻い73よなにヒ弔∴・二 赤根刺昼型終爾野+玉当夜者須柄爾︵十三・三二七〇︶
の如く︑大体対句における下句が終止してみればそれに対応した前
句も終止してをり︑連用及び中止の形であれば同様に連用及び中止
の形であり︑体言の場合は休言︑連体形の場合は連体形⁝⁝⁝⁝の
如く︑対をなしてみることが霜取出来る︒今︑記・紀・万葉の対句
(一F一音及び訓の明瞭な場舎のみ︶の例を表にしてみると左の通
りである︒
︹下の表は例によってはどの類に分類すべきか迷ったものもあ
り︑大凡の区別によったものであり︑所属の場所を変更しなけ
ればならないものもあるかもしれない︒しかし︑大休の傾向は
十分に知り得ることが出来ると思ふ︺
この外︑上代における他の文献においても︑歌謡に限り例外は見
出されない︒加へて︑対句の訓みにおいては平安中期頃まで︑その
上の句は下の句と同様︑終止形に訓まれたといふことを︑先に中条
芳子氏が平安初期における訓恵資料や国文に引用された漢詩文の一 ︵駐こ
第一類〜7316918
万璽=;四箕八九‡曇一奏+華九二孟⁝豊門
︵終止︶︸ ワ﹂噸←2211←1
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用
中髄豪騙
第髄蓮笙
止 一J..I」 :
q・ 11 6 8・ 5! 5 1・3, 1・ 2
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︵註二︶般的な訓みから類推して咽かにされた︒平安初期の訓点資料におけ
る対句の訓みが下の句を終止形で訓んだ場合︑上の句も終止形で訓
んでみるといふのは︑既述の記︒紀や刀葉における対句の訓みと全
く符合してをり︑やはり奈良時代の伝統を受継いだものと思はれ
る︒それは我が国における当時の表現法に起因してみるのではなか
らう︾︒
しかして︑前掲し秀葉糞の5響逃箔譲櫨嬉嘉味上
や続き具合から下の句はそれみ︑﹁狭男牡鹿者妻呼令動︵一〇四 しもべにはかはつつまよぷ七︶﹂﹁下辺者河津都︑顧劇︵九二〇︶﹂と終止形に訓む方が適切で
=
2巨1121
かほどりはまなくしばあり︑従って︑その対句である対応した上の句も﹁番鳥者間無数
なく かみ♂︑にはちどりしばなく鳴︵一〇四七︶﹂ ﹁上辺者千鳥数鳴︵九二〇︶﹂の如く終止形に訓
むのが自然と思はれる︒後者の九二〇番の歌には︑特に元煮干細に
訓が附してあり﹁しばなく﹂と終止形に訓まれてるるのは参老にな
るであらう︒同様に︑次の㈱㈲の対句も例へば新校の如く
たなぐもりゆぎはふりくきぐもりあめは.誰h︑︿ 副棚雲利劇動倒懸佐雲細波謝淵底︵十露・三三一〇︶ のっとりぎぎし紘とよむいへっとりかけもなく ㈲野鳥錐︑⁝動1︐家 鳥可三毛鳴︵十三・三三一〇︶ の
と訓むのが穏当であり︑のを﹁一ゆきはふりき一あめはふり
り ぐ ロぐ一︵例へば全註釈︶﹂︑厨を﹁ーーき団しはとよみ一かけも
り で劉︵例へば全註釈︒大成︵木文﹀﹂の如く調読するのは避けるべ
きであらう︒か㌧る願誓は︑一華奪小島態之教授が﹁万葉集歌の訓
話をめぐって︵国文学解釈と鑑賞昭三一・一〇︶の御論考にて指摘
されたことがある︒参照して戴ければ幸である︒
こ︑で︑例外について一言しておかねばならない︒表で示した例
外︑即ち記六例︑万葉三十三例申 いまこそはちどりにあらめのちはなどりに ωわが心うらすの鳥ぞ伊口許薗婆知好理爾阿良米能知波那仔理爾 あらむ◎
阿良牟遠︵記.三︶ひと窪にぎいり言ひとさはにいりを
㈲おきかのおほむろやに比登佐波爾岐伊理震理比登佐波爾伊理嚢 り◎◎ 理登母.︵記︒一〇︶ しがほOてりい拒・山ししが佳のひろりいます 09はびろゆつまつばき斯賀波能観理伊麻斯芝賀虚無比呂返血麻須
ρ
波大君うかも︵記・七五︶ なかざりしヒも きな・.甘ぬさかざ りしはなもさけれ◎ ㌻⇒冬木もり春去くれば不喧有之鳥毛来鳴物不開有Z花毛佐家礼将三
︵万一︒一六︶ かけまくもあやにかしこしいはまくあ陣1ゆ妃塚属土◎ 恐言巻毛湯湯敷有跡︵六・九四八︶
㈱決巻毛綾爾
かみだにもかきはけづら姫くつをだにはかヤ◎ゆけ 8昌昌三日者不当履乎谷一著難行︵九︒一八〇七︶ あまざかるひなをさめにとあさどりのあさだちしつつむらとりのむらたち晦か◎ 的天 離自治爾登朝鳥之朝立為管一三之群立行者︵九︒一 七八五︶ あのみかもきみにごふらむあのみかも含みにこふれ0 粉妾耳鴨病弊恋濫点耳誘客矧話調姻祁薄︵十三︑三三二九︶ふちなみはさきてちりにきろのほ・な多いはし曙に殴L胤ピP◎1 働布治奈美波佐岐底知里爾伎宇能波奈波伊麻曽佐可理等︵十七.
三九九三︶ いぎだにもいまだやすめ壷・﹂し?ざもいくらも墜0 図嶺伎太爾毛頭麻太夜須米同年月毛伊久良母阿良奴蔵 ︵十七.
三山ル六二︶ たひらけくおやはいまきねつつみなくつ疽はまたせ 働多比良気久於夜波伊麻佐織都都美奈久部麻波麻多獣等︵二十︑
四四Q八︶
の如く︑上の句は終止又は申止してみるに対し︑下の句はこれに対
応してみない︒しかし︑下の句はすべて次馬に続く場合のみであっ
て︑当時における一種の表現法と思はれ︑必ずしも例外とはなし難
いやうである︒例外には入れてみないが︑
こもりく いまたちのよろしぎやまわしりでのよるし壷 ㈲隠口の事々の山は伊麻知智能与慮斯企野麻和斯里底能与慮斯企
惇0
夜回能︵紀・九八︶ いちじろくみにしみと 億りむらぎものこ・㎞ろくだけ◎ ⑰研知野郎身爾下智閑劉村肝乃心旧風︵十六・三八一一︶㈲本馬智能延能宇霜融波那加画壇鮨桶知布良婆心那加都延能延 く く 能宇三婆.斯毛都延爾濃三布・三婆閑斯直筆能延能宇良婆波あり
ぎぬのみへのこがさ〜がせる︵記・九九︶
の如き例も︑右と同様の手法と考へられる︒
従って︑例外となるのは
そがはのひろりいましそのはのてりいます ぼはぴろゆつまつばき曽賀波帯比呂理研麻志科斗波能3︐理伊麻須
︵記︒一一〇︶ あさとにはいよ13たたしゆふとにはいより 働やすみししわが大君阿佐斗爾波酔余理陀多志由布斗爾波働創型 た た す 陀多須べ記︒一〇四︶ 二のかほのたゆることなくこのやまのいやたかしらす︑同富川一子事奈久此山乃弥高之良珠︵万一.三六︶ ながまにまにつち おほきザいます 鋤天へ行ば奈何麻爾麻爾地ならば大君伊麻周︵五・八00︶ か段なみのきよきかふちぞはるべははなきぎををhあきさればきりたちわたる 勧︑河次乃清河内申春葉者花暇乎遠里秋田者霧立 渡︵六・九
二三︶ かむさびて.みればたふとくよろしなへみればさやほし㈹神佐備而捌者貴久宣聖賢見者清之︵六・一〇〇五︶ にさをしかはつゼよむとよむはるさればおかべもしじにいわほ 赴鼻︻・轟・れドばやまもとどろ
勧繰鰭細藪鋤喬左麗糞呼令馨去者岡辺裳繁爾巌
者花開乎呼里︵六・一〇五〇︶ み諏めのうらほあさかぜにうななみさわきゆふなみにたまもはぎよる ラ り 伍三障冊さ乃浦⁝鶴野朝風爾浦浪左和前夕濃.銀玉虚者来依︵六・︸
〇六五︶ ふちな.みのおもひまつはりわかくさのおもひつきにし ω藤浪相思 纒 若草乃思就西︵十三・三二四八︶ ほるさればはなさ寿陶ををりあぎづけばに力酸にもみつ ﹂う春非㎡諸寺脳朕乎呼掛秋付者一丹毒棉糖爾撚典月巴︵十ご一︒三二六六︶ ふがみるΦ憾伽腔轟陀またり嚇るのまた臨︑壷かへり㈹雌謙融湧課鰻野葬猴押印級脾社報︑砕三.三三〇一︶
禦簸蕨纒羅億鋼蓬餅諸纏騨埠三.三三〇二︶
傾講調姻繕締玖賦誌詞玖潮地雨妃増競場破玖綱繋.㌔饗︶
擁安佐奈芸.爾可多爾安佐里之思保美底婆都麻欲比乱波須︵十七.
三九九三︶ はまべよりわがうちゆかばうみぺよりむかへもこぬか 向波万部余里和我宇知由可波字美辺欲利牟可倍母船姻可︵十八・ 四〇四四︶ あけたたばまつがさえだにゆふきらばつぎにむ弧ひて
弼弊悪善叢蠣蟻通沖胡ひ雨て絆九︒璽七七︶ ゆ麗端隆麺織礁藩幾艶紅計ψ四三一︶
ω多良知徳乃一波我日可日一日草飽都窪乎母団団受 ︵二十︒四 三三一︶ ちぢははをみればたふとくめこみればかなしくめぐし ㈲父冊乎見波多布刀架妻子果菜可奈之久米具之 ︵十八.四一〇 六︶の如く︑紀二例︑万葉十七例であるが︑その中最後の爾は家持の作であり︑これは憶良の﹁令レ反二惑情榊歌﹂ ちちははをみればたふとしめ巧み江ばめぐしうつくし 父冊連覇蝦桐製塀妻皐美丸酒米員電磁都久志 ︵五・八○ ○︶を模倣してみることは睨かで︑対句における時代的相違の現はれと ◎思はれる︒或いは﹁見.波多布刀之﹂とあったのではないかとも疑はれる点を有してみる︒巻十八中でも︑この歌は平安時代に加策され ︵謡三︾た部分を含んでをり︑でなくても﹁久﹂﹁之﹂の草体は酷似してをり︑非常に書き誤りやす・く書き誤まられたのではないかと思はれる︒実際集由写本の霜き誤りは多い︒例へば︑ い契耳之曽泣︵四︑五一五︶金沢本﹁久﹂に作る ㈲三物爾有家良久︵四・七三八︶元暦校本﹁之﹂に作る︒ ㈹誰之能人毛︵十一・ご六二八の一書歌︶類聚古﹁集久﹂に作る 寄集略類聚抄右に﹁久﹂あり三
爾夜馬深心良久川+・二〇七一︶神防潮粛大縞﹁之﹂に作る
の如くである︒ ﹁今回良之︵十・二〇五三︶﹂を類﹁久﹂に作り墨
で消し︑その右に墨で﹁之﹂としてみること︑﹁君将来︵十・二〇
八四﹂の渚の下に元類神﹁久﹂があるが︑こ〜は当然﹁霜之﹂とあ
るべきところ︑ ﹁之﹂を﹁久﹂に書き譲ったとしか考へられないこ
と等之︒久が如伺に誤写されやすいか立.証してみると思ふ︒
㈲的の久も之とあって意味上一向に謎支へなく︑かめ誤りではない
かと疑はれる・例へ繕のやうに渥之蛇毒知﹂とあるべきを・
糖劇のみが芝﹂に作ってみる・地史髪﹂で煮意昧言触しな いやう態は暢︒このやうな奨・驚馨績りゃすい︒特に
6吟は﹁見者清之﹂に対して﹁見者貴之﹂とありたいところである︒
耐㈹ωは﹁ををウ﹂が二三にて︑終止した形と対応してみお例で
ある︒例へば﹁つ〜﹂が ゆ きはふり つつ 風交り虚者零乍しかすがに霞たなびき春きりにけり ︵十・一
八三六︶
と痙用形に用ゐられる一方終止形と同様に使用されてるる如く︑
﹁ををり﹂も終止形と同様な用法をすること・もあったのではなかろ
うか︒勧ωでは﹁ ををり︵連用︶ 終止﹂の如く考へられる
が︑慰では葱味上﹁ 終止 ををり︵終止︶﹂としか考へぢれ
ない︒﹁ とよめ ををり﹂と爾方連用形にした訓もあるが︑
歌一壷全体から︑この歌の﹁ををり﹂は終止してみると考へられる
︒侵の﹁まにまに﹂にして馬終止してみる場合と同様に兇敬され
る︒㈲の﹁来依﹂も﹁きよる﹂と訓んで例外となるのであるが︑こ 憂
郵犠灘巌掬難欝触護穣い駄灘 なみ縦ゴまつ寮叢話ひつきにゆしと訓ん三四例外から除
外出来るのではなからうか︒然れば純粋に例外といふのは︑古事翻 こ例︵旬働︶︑万奨は巻十六十七︑各一例︵艶旬︶十三︑巻︑二例潔拳八二例︵0膿風︶・巻+九・二例︵画何と巻町+二例
︵︑r︵︶合計八例となる︒これらの例外は決して既述したこと並びに 以下の改訓をさ憲セげるものではないと思ふゆ 従って前述したことを勲溢してゆくと︑轄鴫糧︒適適都議飛鳥織欝多寄進久︵+三瀞三ニ
ニ一︶は﹁ しらつゆ・おく かすみたなびく﹂と訓むべきかと︑も考へられるが︑古事記の例外制.からすれば従来通り﹁ .おき−一
たなびく﹂と訓んで義よささうである︒しかし︑ や膚?嚇の議つる轟.つど一・ほるぺ臓 あ章た囲﹂ぼもみも︑か¥せり ①山神乃率御調等聡三者花挿頭待秋立薪費糞頭刺理 ︵一・三
八︶︑ あらたへのふ熔みのうらにしびつるとあまぶね しほやくとひとぞさばなる ⑨荒 妙藤井乃浦爾鮪二等海人麟敬勅塩焼等人斡左渡爾有︵六︒
九三八︶ うムなびくはる とやまのへにか・ダみ ︐ たかまどにうぐひずな砦ぬ ③打靡 春去牲跡山上丹霞田名耐乏円爾D甜鳴沼 ︵六︒九
四八︶ かむなひのみもろのやまははるきれ廉にろゲ・rみあき︸︑㍉ド^く塾︑娠みにほふ ④甘南備乃三冠山者春霞者春霞立秋往者紅 丹穂懸 ︵十三
︒一三ご一七︶ たム.まつにわがころもでにおくしももひにさえ ふるゆ童も3畿りわたり殿
09立話爾吾衣 袖壷掘古文氷丹左叡渡落二二凍渡奴︵十三
・三二八一︶
の日線の部は諸註釈書﹁はなかざしもち﹂ ﹁さわぎ﹂ ﹁たなびき﹂.
﹁たち﹂﹁わたり﹂と施訓してみるが︑終句が順次﹁もみちかぎせ
り﹂ ﹁ひとそさはなる﹂﹁うぐひすなきぬ﹂ ﹁くれなみにほふ﹂
﹁こほりわたりぬ﹂どなってみるから︑④はなかざしもつ︑②あま
ぶねさわく︑③かすみたなびく︑④はるがすみたつ︑⑤ひにさえわ
たる︑と噛むべきではなからうか︒③には元神細に﹁タナビク﹂の
訓が騨ゆ粁翼㊥盤滲縫物障鶴ほ惨捧 ⑥福携誇飴禦諮ド無病嶺紗編臓二.三六︶
⑦飛 鳥明日香乃河之上 瀬石橋臣下 瀬頭橋渡 ︵二.一九
六︶ ・二きっかぜくもるにふくにお董みればとみなみ へみれぼしらなみ ⑨時 風雲属爾吹高島見者下位浪立辺見者自同船動︵二︒ニニ
O︶ あすかのふるをみやこは あさぐもにたつは ゆふぎりにかはつ抵 ⑨明隔番能旧京師者⁝⁝旦雲二多頭遺編夕霧丹河津者籔︵三
・三二四︶ たかくらのみかさのやまにあささら†くもる か橿どりのまなμいll ⑩高座之御笠三山爾朝冷隔週恩多認引込鳥能間無数鳴 ︵三・
三七二︶ ゐまち.つきあけのとゆはゆふさればしほを あけさればしほを ⑭座待月開三門従者暮去者塩乎令満明去者塩三三干︵三・三八
ハ︶ うちなびき滑ふるたまも にあきなぎ にちへなみ ゆふなぎにいほへなみ 耐打 靡生玉藻爾朝三寸二千三期緑夕菜寸二五百電波因 ︵六
・九三一︶ ただむかふみ・ぬめのうらのおきべにはふかみる うらみにはなのりそ 爾画 向三犬女乃浦能奥部庭深海松採浦固庭名告藻刈︵六・九四 六︶ たまひ13ふはまべをちかみあさはみるなみのと ゆふなぎにかぢ のと ⑭玉 拾浜辺至近見朝羽振浪去声若君同量欄合憲声鮎苗 ︵六︒ 魅謎皆めに部ぱわたつみのし馨のむたうちすまもどりあしべ旨 ⑮暁嘘寝覚爾闘者海若之塩干乃共消門違波千鳥妻呼葭部爾波 たつがね 一隅鳴.動︵六・ 一〇六二︶ みもろはひとのもるやまもとぺはあしびはな すゑべはつばきはな ⑯三諾者人之守山本辺者馬酔木花開末辺者椿花開︵十三・三 二二二︶の諸例も︑諸註釈書︑⑥﹁1一わたり一1わたる﹂⑦﹁−わた
し一わたす﹂⑧﹁1たち一さわく﹂⑨﹁iみだれ一さわ く﹂⑩﹁iたなびき一しばなく﹂⑪﹁一みたしめ一ひし む﹂⑫﹁1より一よる﹂⑳﹁一とり一かる﹂⑭﹁1さ わき一きこゆ﹂⑱﹁1一︒いび一とよむ﹂⑯﹁1さき一1さ
く﹂と施卜してみるが︑若し上句を連用︵中止﹀形で訓むとすればこれに対応してみる終着も連用︵中止︶形で訓むのが当時の対句の訓に適応してみるやうである︒しかるに諸誼釈書のやうに意味上や旬の続き具合から終日を終止形で勧むとすれば︑これに対応した上句も⑥﹁iわたる一わたる﹂⑦﹁一わたす一わたす﹂⑥ ﹁!たつ一さわく﹂⑨﹁一みだる一さわく﹂⑪﹁llたな びく一しばなく﹂⑪﹁一みたしむ一1ひしむ﹂⑫﹁一よる 一よる﹂⑬﹁1とる一−かる﹂⑲﹁一さわく一きこゆ﹂⑮
︵註四︶﹁一よぶ一とよむ﹂⑯﹁−−さく一さく﹂と施訓ずるのが自然で穏当のやうである︒
蓋
脚
一前項にて︑対句における訓を考察して︑当時の表現法や一首の意昧を加昧しながら従来の諸訓を多く改回した︒この項では対句の轡
合にいろ/︑生じる問題を提示して老察を試みてみたいと思う︒
ユ
みよしののま衰たつやまゆみおろせばかはのせごとにあけくれば ゆふきれば ⁝三芳野之真木立山湯通降上川之瀬毎開来者朝霧立夕達者
川津鳴三国︵六・九=6
右の対旬の﹁嶋奈利﹂は寛永版本﹁鳴虫弁詳﹂とあったのを諸註釈
書殆んど︑ ﹁詳﹂は元金類古神細無にないのにより除き﹁弁﹂は
元金類神三無﹁拝﹂に作るに従ひ︑本文を﹁嶋奈拝﹂として﹁あけ
くればあさぎりたち︑ゆふさればかはつなくなへ︵べ︶﹂と訓んでみ
る︒この訓によれば︑この歌の対句の訓は例外となる︒しかし︑﹁な
へ︵べ︶﹄は二つのことが巳時に行はれる場合に用ゐられる語であ
り︑例へば奪 あしひぎのやまがはのせのなるなへに ゆつぎがたけにくもたちわたる 足引之山河之瀬響苗爾 弓月高雲立渡︵七・δ八八︶
の琴歌で明瞭な如く﹁山河の瀬がなる﹂といふ事実と﹁弓月が嶽に
雲が立ちわたる﹂といふ事実が同時に起つたことを﹁なへ﹂で表現
してみる︒他に多数の用例があるが一の例外もない︑しかるに︑こ
の鍵轡矧はつが鳴く﹂といふ事実と吐蕃起つた事実がなく︑
﹁川津鳴奈拝﹂には疑問が湧く︒加へて︑他にも用例があるやうに ゆふされば かはつあけくれば﹁開来者−夕出ム者1﹂が対をなしておることは明瞭で︑ ﹁川津
六
なくなへ鳴奈拝﹂は当燃へ﹁朝霧立﹂と対をなすべき筈であるが︑ ﹁i朝霧
立−川腔縷舜﹂ではしっくりしない︒従って︑期は矧を瑠の誤
りとして﹁鳴奈理﹂としてみる︒略解・薪考が葡の説に従ってみる
が︑ ﹁なくなり﹂と訓んだのは︑確かに考の畑限であると賛意を表
するものである︒按ずるに﹁拝﹂は古葉略類聚抄に従って本文を
如鵡奈利嚢暫し三警なり﹂と回すべき患ふ.瀧灘 奈利﹂融編輯しの場A・垂じ・・あ絵罪業壕解消してしま
ひ︑ ﹁川⁝津詰騰嵐が里︵十・二一六四︶﹂ ﹁川津縢心成︵十︒二囲六二︶﹂
の如き傍証例も存し︑何らの抵触も生じない︒とすると前項で述べ
た対句の場合の訓が考慮され﹁朝霧立﹂も﹁あさぎりたつ﹂︑又は
格調三六音といふ音不足を考慮して﹁あさぎりたてり﹂と施訓して
は如何がであらうか︒元神に訓を附してあるが﹁アサキリタテリ﹂
となってをり︑需奨略類聚抄にタは卜して存しないが﹁テリ﹂の訓
が見えること︑.京には立の左に蒲で﹁タテリ﹂の訓を附してみるこ へ︵乙︶とは傍証になるであらう︒従って︑集申喉一の例である﹁拝﹂の音
仮名は万葉集から姿を消すことになる︒
2 はるさりてのべをめぐればおもしろみわれをおもへ ◎さの つとり董なぎかけらふあ寺 ⁝春二三野辺尾曝者面白濃縮莫思経蚊狭野津鳥路鵬翔経秋 さりてやまべをゆけばなつかしとわれをおもへ◎あまぐもも 避而山辺尾往者名津蚊為楽我美思急調雨雲凶行田菜引・−︵十六
・三七九一︶
右の対句の藩王﹁行田菜引﹂は諸註 ユキタナビク 評釈︵窪田︶︑全釈︑私注︑全註釈︑大成
︵本︑交︶
ユキタナビキヌ 略解︒新校
イユキタナビク 総釈︵高木︶
・の三二に分れてみる︒ユキタナビキヌは格調上七音にする為︑所謂 ◎完了の助動飼﹁ヌ﹂を三囲へたのであらうが︑おもへか﹃ど係助詞の
﹂存在から語法上﹃ユキタ才ビキヌル﹂とすべきで賛同し難い︒従って︑現轟仕多くの註釈書が施弛してるる罫が崎グが穏当と思はれ
る︒楓し︑六音といふ格調上の懸念がないこともない︒もし声調上 ぎりたなびけり しら
繕器鮮害麺聡み蝦朔里多奈批家利︵+五・三六一五ご百
雲順行揮一州引所見︵三・三五三︶﹂等の用例を加味して﹁ユ
キタナビケル﹂と施訓ずるか︑総釈のやうにイユキタナビクと施三
寸べきであらう︒しかし後者は﹁いしを補課してみる点懸念が生じ あまんkゆ怯垢ゆき拡げかり
慈劇談藤隙ゼ﹄播羅詠去三一加利 途鮭翫︶ば﹂か
﹁天三毛伊白羽計 田菜引物緒︵三︒三二一︶﹂﹁白雲母飢謝伐加り利︵三︒三一七︶﹂等の旧例が譜慮され︑心引かれる訓である︒
.3 つぐわぎも ⁝里隷.の道に出立ち夕占を我とひしがば夕占の我に告ぢく醤妹 お争つな轟きよろしいた宝へつなみのよ寸・るしらたまもヒむとン.
子やなが待つ君は奥浪来因自慰辺浪結縁流白鼠求跡曽
き点◎げまき轟ひりあとぞ詣岡.占◎ ㌧ざ喪恥瀞﹄・ぬ ︐︑⁝職掌熟剰益拾登霞公者不二燕⁝⁝︵十三︒三三一八︶
右霧乙部の下旬雪濠竃一三置き§ぬ一き鶴き
、まウ婁︐と施麗してるる︒万葉集における謝謝03便掲傾向からすれ
ば当然のことである︒暗︑新考は﹁公者﹂の者は之の誤と認め﹁公
之﹂としてみる︒ ◎ 一 かぎり・とや伎美我伎麻左奴︵十四・三四九五︶ めづらしき吉美我伎麻左波⁝︵十八︒四〇五〇︶ ◎ μ うき事あれや君之来射座︵十︒一九八八︑八・一五〇一︶ ありっ齢.b君に釆座義将恋八方︵+︒二三〇〇︶ 我強みやも君之不来座︵十二・ご九六五︶ む ぽか く﹁窟.か君之我許転座武︵八・一︐五一九︶
.けだしくも人の警禦せ碑套﹂差待ど巻劃不来座︵四.
六八○︶
みむと雷はばいなといはめや梅の花ちり過くるまで社費劉伎麻
左奴︵二十︒四四九七︶
の例からと︑対句の上記が﹁君之﹂になってみることから︑下句の ことしげみ﹁公者﹂も﹁公之﹂とあるべきと考へたのであちう︒しかし﹁事繁・管ハ◎奄 まきや優者不驚倒︵八・一四九九︶﹂の如き例もあり︑ ﹁惚者﹂には古写
本一致して異動がなく螢門出来ない︒むしろ﹁きみが﹂と﹁きみ
は﹂の蝿合の意味の相違︑が四二と思はれる︒きみがき玄さぬの場合
ぼきみがに作者の親愛感がこもってをり︑主体的な作者の立場から ◎の表現である︒ ︻慰はきまさず﹂の場・合は霜が来ないことをはつ歎 ◎り裏現してをり︑﹁翼がきまざず﹂とは意味が多少相違してみる︒当 0 0面の﹁磐之不三三﹂ ﹁公者不幸益﹂は夕占が作者に言ってみる言叢
であるので︑意味上は共に﹁きみはきまさぬ﹂とあるべきところ ながまつきみ・は ◎で︑上に﹁汝待君者﹂どあ・り︑ ﹁君之.不来益﹂ ﹁公者不来益﹂の
霜之︒公者が汝特零者の繰返しであることを稽厳すると︑こ㌧は辻
に﹁きみはきまさぬ﹂︐と誠読すべきであらう︒しかし︑之の訓みげ
懸念をいだかれる方もあるかもしれないが︑ここの勿ぱ劃と岡様に
ゼ
用ゐられた漢文の助字である︒之が者と通用して用ゐられることは
書誌二諸神一之吉︵神代記︶
亦遣三局神一者吉︵神代記︶
の一例を見ても理会出来ることと思ふ︒集申でも列へば お像ふねにまか洪.しじぬきこぎでなばおきはふかけむしほはひぬとも へ ①大船爾真梶繁貫水手出去之奥者将深潮者干去友 ︵七・凶三
八六︶ ふゆごもりほるさりくればあしひきのやまにものにもうぐひすなくも ②冬隠春去来之足比木乃山二文野ご文鷲 鳴裳 ︵十.一八
錨脚みはるや穿くいへをらばつぎてきくらむうぐひすの鼠 直音 ︵十・一八二 家居之続而聞良牟鷺 ③梓
引春山近
四︶ ◎・◎の如き例があり︑申国においても︑経伝釈詞や助字弁略に︵之猶者
也一とある如く屡々通用して用ゐられてをり︑決して不思議ではな
縢ビこは﹁求騨−拾響1﹂の黙劇及び﹁l−穿棄
◎ ◎ ◎ ◎ ◎一益−公者不来益﹂の君・公の文宰使用と同様︑之・者の漢文の助掌を変掌法に使用した例と見倣される︒従って︑之を﹁ハ﹂と訓ん
でも矛盾はきたさないのである︒このことは︑判物藻に見える ◎︐ ◎ 芦籠聞二沿后今之見こ害賓一︵藤原史︒遊害野︑ ﹁聞﹂は大野保
戎の説による︶の如き例を考慮すればむしろ積極的に認められるの
ではなからうか︒
因みに開巻第二の
ぞbみつやまとのくにはおしなべてわれこそ一しぎなべてわれこそ 詞兄津山跡乃国者押回戸手三一旧居師吉名巧手引回曽幽︵一・
一︶ 天の居︒座も変字法と考へ︑例へば全註釈のやうに﹁をれ﹂と勧んでは如何であらうか︒同歌には﹁押入戸手﹂に対する﹁師吉名倍手﹂︑
﹁己曽﹂に対する﹁許曽﹂の表記等︑変字法の使用例が多いことは
傍証となるであらう︒ 4
まなく◎あめはふるとふとぎじく◎ゆぎはふるとふ ⁝間無序雨者落云不時曽職煮落云二︵十三・三二九三︶
◎ ◎ 右の対句は従来﹁まなくそ一ときじくそーー﹂と副まれて問題
は起らなかった︒最近︑大野晋氏が所謂係助詞﹁ゾ﹂は本来は﹁ソ﹂
であり︑奈良時代にはソ・ゾ両用されてるたが︑尚ソが優勢であ
り︑従って清音仮名瞥にて表記してある場合はソと清音に訓み︑序
釧等の濁音仮名にて表記してあれば引と濁音に訓ひといふことを主 ︵駐威︾ ◎ ◎張された︒氏の説によればこの歌は﹁まなくそ一ときじくそー
ー﹂と謹むべきことになる︒しかるに︑上述の如く訓読するとすれ
ば︑例へば
なをぞもわによナとふわをぞもなによすとふ 汝乎乳母喜爾依云喜乎叙物汝爾依去︵十三・三三〇九︶ ちちぎみにわれはまなごぞははと移にわれに営奪﹂ぞ 父公爾吾子真名二叙批刀自爾吾者愛児叙︵六・一〇一ご一︶ いしばしにおひなびけるたまもも溜.たゆればおふるうちはしにおひををれるかけもも鋼︑ ね ロほ 石橋 生靡留玉藻毛叙怯者生流打 橋生立高砂流川紅毛叙
鷺搬旧刊三二九六︶
の例からでも分かをやうに︑対句における例外的な訓となり難点は
覆ひ難い︒奈良時代すでに係助詞ゾが存在してみることは︑記・紀
における数多くの濁音仮名の表記例を見ても明白である︒従って︑
閾題は胃壁の清音仮名にて表記された場合は常にソを表示してみる
か苔かである︒注目すべきことは濁音ゾを有する語覚が﹁こぞ︵去
張︑﹂﹁きぞ︵きそとする学者もある昨夜︶﹂等極めて少数の語に
限られてみることである︒清濁表記の書き分けも︑行や音節によっ
て相違し決して同︸視出来ないものがある︒それは郷音箇において
濁膏節を含む語彙の多寡に3ってみるのではないかと老へられる一
面を有してみる︒或濁音節を有する語は唯一であるといふ場合︑例へ
清貴仮名にて表記されたとしても先づ耳蝉は起るまいと考へられる
からである︒ゾの音節中99有する語が極めて少数に隈られ︑記・紀に
おける係助舗ゾの裏写に灘音仮名を用みた例が清音仮名の使用より
むしろ多いことを湾慮して︑万葉集における濁音仮名序叙の使用例
誉諸摩してみると︑清濁衰謁を載然と霧き脅けるか︑さして厳密
には書き分けないか︑等は筆溢者の相違による蓑記差とも考へられ
る︒︿︐渠中において濁背仮侶叙序にて叢認された係助詞の使用例を
装にしてみると左の如くである︒
ノ謄三三濠土六玉領事+二圭+三二土筆︻ 亙三−ユi− 劇二︐ ユーτ2コー■如 コ T㎜!1τ
翌
8
21三三ゑ三− −τ︸⊥員 三弼
即ち︑巻十三・十二・六・十一等に偏在し︑特に考慮すべきは巻
十三の十一例中四例︑巻十の七例︑巻十一の四例は人麻呂歌集の歌
に見え︑巻二の六例申四例は人麻呂歌に現はれ︑巻九の三例中一例 ︵一七五九︶巻三の二例中一例︵四八一︶はそれた\高橋虫麻呂歌集と 高橋虫︐麻呂歌に︑巻九の他の一例︵一八0二︶は田辺福麻呂警世 ゲ.現量れス筆︑或作家の歌や或歌集の歌に欄在してみるといふ藝実 である︒︵他の用例も部分的に偏在してみる傾向が看取される︶就中︑ 巻十の七例は秋雑歌申の七夕歌の部立における人麻呂歌集中に現は さよあけに什り れたものであり﹁佐沓曽明.爾来︵二〇三二のご笈︶﹂を除外すれば︑
︐係助詞ソの現はれた七例すべて濁音仮名庫叙にて嚢記され︑清音
仮名鳩座にて表記した例のないこと︑同様に巻二の人麻呂歌一九六
︵二例︶・二一三・二一九の歌︑巻三の高橋虫麻呂歌及び他の一例︵三
八一一丹比真人国人歌︶︑題画の六例即ち︑一〇一一一一︵三例︶・九七五︒
一〇五〇︒一〇六一の歌︑巻九の三例即ち︑一七〇五.一七五九︵高..毒虫麻只集︶・一八〇二︵田辺禰麻呂集︶の歌等︑係助詞ソはすべ
て濁音仮名表記のみで清音仮名での喪認例はない︒巻十三の人麻呂
歌集歌でも助詞男を清音仮名にて裏記した例は見出せないといふ事
実は非常に特色が寓てをり︑濁膏ゾを明示するためわざみ︑︑書き分
けた筆録者の表記傾向として蒋取される︒従って︑清音仮名二等で
表記されてみるからといって︑筆録者の褒記差等を考慮せずに︑常
に清音洲を表示してみるものと隈定するのは正鵠を失してみるので
はなからうか︒ ︹註七︺
もOもぱずみちゆくゆくもあをやまをふりさけみればつつじばなにほへをとめさくらばな
物不念道行去毛青山素振放児者菌花香未通女桜花
さかえをとめ なを一もわによすとみわ なも︐ なに︐すとふ 盛未斎女汝乎曽母吾丹無熱著曜毛曽汝丹依云 ︵十三・三三〇五︶
の曽にしてもこの歌の異伝歌
九
ものもは中みちゆくゆくもあをやまをふ一3さけみればつうしばなにほえをとめさくら 物不念路行虫裳青山乎黒酒見者都遷慈花爾太頭越売作楽 ほなさかえをとめなを一もわによすとふわを一 もなによすとふ 花佐可遽越売汝乎叙勲国庫依云吾乎愚物汝爾依云︵十三・三
三〇九 人麻呂歌集︶
よ そでは明かに濁音仮名叙にて表謁されてみること︑又同一歌に﹁余所ると﹂ドいふ留跡序云︵三三〇五︶﹂と係助詞訓ソを濁音にて表記した例が共存
してみること︑併せて既述した諸事実を考慮すると︑必ずしも清音
ソを明示してみるとは思はれないゆ多分はゾの音節を曽の仮名にて
表認したのではないかと見倣される可能性が強い︒当面の聞題の対
句にしても︑蟄が序に対応して用ゐられてるるどころを見れば︑これ
迄論述した諸点を総合して従来通り﹁まなく副iときじくそI
l﹂と訓んでも良さそうである︒もし以上の事実が認められれば︑
万葉集申︑助詞を三等の清音仮名にて表記してあっても常に清音洌
を表はしたものとは言はれないことになる︒
あまなくにいか三州こかなくにいかりもち壼て
塾但し訴彊親論螺鑑謹潔鋸たし︵+三.三三二
三︶﹂ 門野上者跡見居筆墨御山者射目立渡︵六・九二六︶﹂
勧等割蘇磯廻翻初酬鐸四例あるが︑籠類に入れ︑ 弱者母様師翼藩恥け噌ひ鍍符㎞軽犯が麹罐例は第
一類に入れた︒又﹁一別之一一妹腰細之瑠ヂ之︵九・
一七三八︶﹂ そらみつやまとのくに幽すめがみのいつくしぎくに さき吐ふくにと ﹃虚兇薄端国者皇神能衡都久志吉国言霊能侮樹播布国矧︵五
︒八九四︶﹂の如き例は第五熱に入れた︒ 戦時.倭漢朗詠集における対句の読み︵国語学二十輯︶註三 大野晋氏﹁万葉集巻第十八の本文について︵国語と国文堂昭 和二十年三・四月号︶撫牛 前掲した小農憲之教授﹁万葉集歌の訓話をめぐって﹂の御論 考にても同様に訓んである︒註五 福田良輔先生﹁書紀に見えてみる之字について︵台北膏国大 学文学研究館報第一輯︶﹂ 福田良輔先生﹁万葉集の﹁之﹂宇の訓について︵京都帝国大 学国交学会記念論文集︶﹂ 小農憲之教授﹁万葉人の交字表現−助字の訓読をめぐって﹂ ︵芸林昭和二十五年十二月︶﹂等参照︒ 三口久孝博士﹁春山近く家をらば︵万葉古径三所収﹂註六﹁上代仮名遣の研究︵50153︶﹂﹁岩波日本古典交学大系万葉 P P 集︵校註覚え書︶﹂註七 この訓は伊藤博氏の説による︵万葉集大成4訓詣篇60−62︶ ︷← 噌一齢
︹附記︺本稿では︑万葉集に限り︵歌謡という点から︶考察したが︑
この対句の睦みは当然︑記︑・紀等の散文における対句を訓
卜する場合にも考慮きれなければならないであらう︒この
ことについては﹁対句の変遷﹂と共に︑他臼︑稿を改めた
いと思ふ︒
最後に︑拙稿を草するにあたり︑助言を戴いた福田良輔先生−
春日和男先生︑畏友森山隆氏に謝意を裏する次第である︒