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北大闘争の位置と思想

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Academic year: 2021

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1960 年代後半の北海道大学の事態(北大闘争)は,戦後民主化闘争の流れと,ベトナム反戦運動 や大学が抱えていた諸矛盾,さらには党派間の対立がぶつかり合うなかで生じた。本論は学内に大 量に散布されたビラや当該期の学長の関係文書を中心に,学生新聞の紙面も追跡しながら,学生教 職員の心情にまで踏み込んだ分析を試み,北大闘争の普遍性・個別性そして個人性の解明をめざした。

北大闘争は周回遅れの大学闘争に見えたが,戦後の大学民主化においては 1947 年に全国に向け て大学制度改革案を発表するなど先駆的役割を果していた。大学をあげて取り組んだ 1950 年のイー ルズ闘争も知られている。大学民主化運動は 60 年代後半の北大闘争の渦中でも,栄えある「革新」

史として回顧された。しかし一方で,他大学と同様に反戦運動,寮自治,軍事研究などが問題化し ていた。こうした大学民主化の伝統と 1950 年代半ばから 60 年代半ばに蓄積された大学の諸矛盾解 決の焦点として,1967 年に「革新学長」が誕生する。以後,北大闘争は ①「革新学長」を先頭とし,

学生自治会や教職員組合が推し進める大学民主化路線と,② それに批判的で大学そのものの存在 意味を問うクラス反戦連合や全共闘,新左翼の大学解体路線が対抗し,③ その間に解放大学運動 などを通じて大学の内実を大幅に変革しようとする「造反」教員が位置するという構図をとる。

北大闘争のピークは1968年ではなく1969年であり,①~③のアクターは激烈な対立を見せつつ,

それぞれの内部にも複雑な構造をはらんでいく。① には強固な革命思想や暴力志向,② には反マ ルクス主義的傾向やロマンチシズム,③には敗北主義諦念主義が見られた。

北大闘争とは,戦後民主化の系譜に立つ北大民主化運動が 60 年代から 70 年代にかけた政治情況 と大学の大衆化のなかで展開しきれず,大学という存在が地域社会における絶大な知的権威にとど まることで,社会変革の主体として形成されなかった歴史である。

【キーワード】北大闘争,大学民主化,革新学長,クラス反戦連合,全共闘 はじめに

戦後北大史を歩く

1960年代の北大と堀内学長の誕生

闘争の時代

遅れて来た〈革命〉?

大学立法とバリケード封鎖

封鎖解除の果てに

「造反」の名のもとに

大学民主化と大学解体論 むすび

71

国立歴史民俗博物館研究報告 第216集 20193

北大闘争の位置と思想

河西英通

The Positioning and Ideology of the Hokkaido University Struggle

KAWANISHI Hidemichi

[論文要旨]

参照

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