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「非人称の連帯」と「人称的な連帯」からみた社会 的連帯論の展開 : 若者の就労と支援を社会的連帯か ら読み解くための論点提起

金本, 佑太

九州大学大学院人間環境学府 : 博士後期課程

https://doi.org/10.15017/4772290

出版情報:人間科学共生社会学. 11, pp.19-34, 2021-03-31. 九州大学大学院人間環境学研究院 バージョン:

権利関係:

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1 はじめに

近年、現代社会の状況を「分断」という言葉で表すことが少なくない。社会の分断は、言い 換えると社会的連帯の弱体化を意味する。社会学も、産業化、都市化が進むなかで、それまで 個人の生活を支えていた家族・親族関係や地域関係の弱体化に起因する様々な問題に焦点をあ ててきた。その際には、弱体化した社会的連帯をどのようにして回復できるのかが問われてき た。とりわけ近年では、かつて「一億総中流」といわれた日本社会で階層の固定化が進んでい ること(橋本 2018)や、年齢や学歴や性別、就労状況といった属性が異なる人々の間で、格差 だけでなく意識の「分断」が生じている(吉川 2018)ことが指摘されている。日本社会におい て現在、家族・親族や地域といった枠組みを超えて、普遍的な社会的連帯をどのように回復で きるのかが問われているといえよう。

現代社会における若者の就労問題も、社会的連帯の衰退という観点から把握できる。高度経

「非人称の連帯」と「人称的な連帯」からみた社会的連帯論の展開

― 若者の就労と支援を社会的連帯から読み解くための論点提起 ―

金 本 佑 太

要  旨

本稿では、日本社会における社会的連帯論のうち、「非人称の連帯」と「人称的な連帯」に 関する議論を整理した。現在、社会構造の転換による「新しい社会的リスク」に対して、「非 人称の連帯」である従来の福祉国家の社会保障が十分に機能しえなくなっている。それに対 して、社会保障の拡充によって人々の「基本的な潜在能力」を担保しつつ、「顔のみえる関 係」や「親密圏」といった「人称的な連帯」によって、社会的に排除された人々を支援して いく方向性が目指されている。また、若者就労支援において「非人称の連帯」と「人称的な 連帯」の相補的な関係が目指されていることも示唆された。若者就労支援の実態を検討する ことが現代社会における今後の社会的連帯のあり方を構想する手がかりとなるだろう。さら に、社会的連帯論の知見を踏まえ、若者就労支援の実態や利用する若者の実態を検討してい くことも重要である。

キーワード:社会的連帯、非人称の/人称的な連帯、若者就労支援

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済成長期以降、「新規学卒一括採用」という日本型の雇用慣行は、若者の教育から労働への移行 を支えてきた。若者は企業に所属し働くことで、安定した収入と帰属感を得ることができ、終 身雇用慣行のもとで、将来を一定程度見通すことができた。「就労を通じて社会に貢献してい る」という意識を抱く若者も少なくなかっただろう。また、就労を通じた保険料の拠出によっ て、若者は社会保険という福祉国家の連帯の仕組みに参入していた。そこには、社会保障が健 康な労働力を育成・保全し、保険料の蓄積が経済投資の財源として用いられ、経済成長は社会 保障をさらに充実させる資源をもたらす、という構図があった(齋藤 2000)。

しかしその後、第一次石油危機を契機として低成長が常態化し、グローバル化による経済競 争が激化したことで、社会保障は経済活動の足かせとして認識されていく。例えば、「労働市場 の柔軟化」の名のもとに、企業にとって労働者を解雇しやすい条件が整備された。さらに1990 年代初頭のバブル経済崩壊に対応するため、企業が若年新卒労働力の採用を抑制したことで、

不安定就労や無業の若者が増加した。そうした若者は当初、「気楽に働く若者」や「働こうとし ない甘えた若者」といった形で、社会から批判的なまなざしを向けられた。若者自身も「働か ないと一人前でない」といった形で、社会参加の意欲を失っていき、不安定就労や無業の若者 は社会から分断されていった。

現在、そうした若者の状況を「社会的排除」として捉え、彼らに対する就労支援制度が実施 されている。若者就労支援制度は、単なる求職活動の技能習得を支援するだけではなく、若者 に伴走し彼らの自信を回復させるという「社会的自立」も視野に入れた包括的な支援を実施し ており、宮本みち子(2015)によれば、彼らの社会統合を果たすべき役割を担っている。しか し近年では当初のねらいが失われつつあり、より「職業的自立」に特化した支援を志向するよ うになっている。言い換えれば、支援を受ける若者に対して、「就労達成という結果を重視し努 力する」ことが、社会的連帯による就労支援を受けるための義務としてより強調されている。

そのなかで今後、若者就労支援や若者と就労の関係性をどのように構想できるのかが問われて いる。不安定な立場の若者に対する支援のあり方を問い直すことは、今後より個人化、流動化 が進む現代社会での人々の働き方、生き方を構想することにもつながるだろう。若者の就労問 題が社会的連帯と密接に結びついていることを踏まえ、本稿では社会的連帯に関する先行研究 を整理する。それを踏まえ、若者の就労問題を考える際の論点を提示したい。

2 社会的連帯に関する議論の全体像と本稿の焦点

社会的連帯に関連する研究にはどのような広がりがあるのだろうか。それを把握するため、

まず以下の方法で先行研究の広がりを確認した。日本における「社会的連帯」「社会連帯」とい うキーワードに該当する研究を、国立情報学研究所が提供する文献情報・学術情報検索サービ スである「CiNii Articles」で検索したうえで、学術雑誌論文、紀要論文、一部の一般向け雑誌 論文を抽出し、論文タイトルや要旨が示す論点を年代順に整理した(表1)。

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表1を参考に、社会的連帯に関する先行研究の展開を簡単に整理しておく。1990年代までは、

伝統社会から近代社会への移行に伴い人々の結びつきが「機械的連帯」から「有機的連帯」へ 転換したことを指摘したE. Durkheimの理論研究が、社会学のみならず法学や経済学、商学の 分野でも盛んに行われていた。その他にも、非行少年や障害者といった逸脱・社会的少数者と の連帯のあり方を模索する研究(宮野 1970;長山 1974)や、自主管理労働組合「連帯」の登 場以降のポーランドに着目した民主化運動の政治学的研究などがある(川原 1992)。1990年代 後半から2000年代前半には、自民党政権による社会保障の構造改革に対する批判的検討に端を 発し、社会的連帯の意義の再確認と社会保障制度に関する研究が分野を問わず蓄積されていっ た。その際に日本が参考にすべきモデルとしてヨーロッパ諸国の社会保障制度が検討されたり、

その思想的背景としてDurkheimらが活躍した共和政第三期のフランス連帯主義なども注目さ れた(田中 2006)。その後2008年のリーマンショックを契機として、「格差社会」や「リスク社 会」という言葉が日本社会でも現実味を強く帯びてきた。それを受けて2000年代後半には、非 正規雇用や派遣労働問題が研究対象とされるようになり、不安定な生活状況にある人々との社 会的連帯の形成がより一層重要視されるようになった(湯浅・冨樫・上間・仁平編 2009)。そ の際に福祉国家だけでなく、NPOに代表される市民活動や、労働組合・協同組合が社会的連帯 の形成を担う主体として肯定的に評価されるようになった。また、ヨーロッパ諸国における「社 会的経済」と「連帯経済」を組み合わせた「社会的連帯経済」という取り組みへの注目も高まっ ている1)。このように、個人化・流動化した現代社会で、どのように社会的連帯を再生できる のか、どのような主体がそれを担うことができるのかについて、議論が蓄積されているといえ よう。

社会的連帯については、このように社会学や政治学、哲学、社会政策などの分野で広く議論 表1 社会的連帯に関する先行研究の展開

時  期 主  な  論  点

1920年代~1980年代 デュルケムの理論研究、非行少年・高齢者・障害者との社会的連帯の形成、環

境問題

1990年代前半 デュルケムの理論研究、日本の政治史、国際政治研究

1990年代後半 デュルケムの理論研究、介護保険制度の導入、フランス社会保障制度、フラ

ンス連帯主義の検討

2000年代前半 社会保障制度における社会的連帯、社会保障改革への批判的検討、ヨーロッ

パ諸国との社会保障制度比較、「社会的連帯経済」への着目

2000年代後半

EU

・フランスの社会保障制度への着目、日本の介護保険制度の検討、労働組 合・協同組合の意義、共同募金の歴史研究、医療・介護問題、「リスク社会」

「格差社会」における社会的連帯の形成、構造改革への批判的検討、「社会的 連帯経済」、若者の生きづらさ、非正規雇用や派遣労働問題

2010年代前半 協同組合研究、ギデンズ、バウマンの理論研究、格差社会・貧困・非正規雇

用、「社会的連帯経済」の検討、社会保障制度・介護保険制度の検討

2010

年代後半 協同組合研究、「社会的連帯経済」の事例紹介・評価・国際比較、若者の就労 問題、食を通じた社会的連帯、地域における社会的連帯、パンデミック下の 社会的連帯

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されてきた。これらの研究の知見すべてを検討するには、紙幅の限界がある。そのため本稿で は、これまで社会的連帯の形成を担ってきた福祉国家の機能に関する先行研究の論点を整理す る。福祉国家がこれまでどのように社会的連帯の形成と関わってきたのか。その限界から今後、

社会的連帯はどのように形成されていくべきか。そうした議論の知見を踏まえ、若者の就労問 題を考える際に着目すべき点を提示したい。

3 社会的連帯の定義

社会的連帯には様々な定義があり、論者によっては定義せずに用いられる場合もある。また、

「社会的連帯」や「社会連帯」という言葉もあれば、単に「連帯」という場合もある。しかし、

本稿では「社会的連帯」という言葉で論じていきたい。例えば、武川正吾(2007)をもとに吉 武由彩(2013)は、社会的連帯を「共通の利害や理念に基づいた共同行為、または共通の利害 や理念に基づいているという意識」(武川 2007:50;吉武 2013:126)と定義している。また、

「共通の利害や理念」についても言及した定義として、齋藤純一(2011)は「諸個人の間に相互 の生を支援しよう ― そしてそのための義務・責任を引き受けよう ― という意欲/動機づけ がある関係性」(齋藤 2011:113)、安部彰(2007)は「人々の平等な生を保障するために、社 会/国家の成員が協力すること」(安部 2007:71)として社会的連帯を定義している。

「社会」や「国家」の成員が協力し合う関係については、藤村正之(2013)が「協働性」、「親 密性」、「市場性」、「公共性」の4類型に整理している。「協働性」は親族・地域共同体やNPO などの市民活動を、「親密性」は家族やカップルなどの関係を、「市場性」は企業を、「公共性」

は中央・地方政府を指している。藤村によれば、新自由主義とは、社会における様々な問題を

「親密性」と「市場性」の関係だけで解決しようとすることである。そうした流れを「個人化に 向かうベクトル」としたうえで、「協働性」や「公共性」は、それに対抗して人々の集合的な課 題解決を達成しようとする「連帯に向かうベクトル」として位置づけられるという(藤村 2013:

10-1)。

そのなかで、「公共性」の担い手である政府が税金と社会保険を財源として社会保障制度によ る所得再分配を行うことは「制度としての連帯」として位置づけられ、1990年代以降、福祉国 家の危機を乗り越えようとしたヴォランタリー・アソシエーションやNPO、ワーカーズコレク ティブなどの「協働性」の担い手による自発的な活動は「行為としての連帯」として位置づけ られるという指摘もある(藤村 2013:16-9)。さらに近年では、税や社会保険を財源として、

政策の実施をNPOなどの市民活動が担うという、福祉多元主義的な社会的連帯の発現も確認 できる。

こうした議論からまず、社会的連帯は、人々の行為や意識、さらに政府が設計する制度とし て把握されうることがわかる。さらに、連帯する人々の間には何らかの共通の利害や理念があ り、その代表例として「相互の生の支援」や「人々の平等な生の保障」といった、福祉の達成

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が念頭に置かれていることも示唆される。また、連帯する人々は支援の担い手と受け手という 関係性から把握できることも少なくない。この場合、人々が連帯している(しなければならな い)という意識が先にあり、それが所得再分配をはじめとする様々な制度や市民活動などの行 為につながるのか、あるいは、制度や行為が先にあり、その恩恵を受けることや連帯への参入 の実感が得られることで、連帯を志向する意識につながるのか、という問いがあるだろう。そ れに対して齋藤(2011)は、「制度化された連帯への動機づけは、制度への関与によって生みだ されるものであり、それに先だって、あるいはそれから離れたところに連帯への動機づけが存 在するわけではない。連帯が制度を持続可能なものとして支え、制度が連帯への動機づけを生 みだしていくという好循環の関係をつくりだしていく」(齋藤 2011:126)必要があると述べ る。意識、行為、制度としての社会的連帯の関係について、本稿でもこうした循環の関係にあ るという理解で進めていく。

ここまで、社会的連帯という概念の定義や担い手についてみてきた。その近接概念として、

近年の様々な社会問題を把握する際に用いられる「社会的排除」と「社会的包摂」についても 触れておきたい。1980年代にヨーロッパ諸国で失業や不安定就労の拡大、各種社会保険制度か らの排除、住宅や教育機会の喪失などの問題が複合的に重なる状況が注目され始めた。ヨーロッ パ諸国ではこうした状況を「社会的排除」として捉え、それに対して社会政策による「社会的 包摂」の達成が重要な課題となった。社会的排除とは、「主要な社会関係から特定の人々を締め 出す構造から現代の社会問題を説明し、これを阻止して『社会的包摂』を実現しようとする政 策の新しい言葉」(岩田 2008:12)である。「主要な社会関係」とは、収入を得るための生産活 動や帰るべき場所としての「ホーム」の形成、選挙や労働組合などの意思表示の機会、教育、

医療、福祉といった社会サービスの利用などを指す。

ここで問題となるのは、社会的連帯と社会的包摂という概念の関係性である。論者によって、

社会的連帯と社会的包摂の位置づけにはばらつきがある。例えば、「社会的包摂」とはすなわち

「社会的排除を経験する人々への積極的な就労支援による社会的連帯の再建」であるとする場合 がある(檜山 2010)。また、「社会的連帯」ではなく「社会的結束」という言葉を用いている が、「社会的包摂」は雇用、教育、健康などの具体的な政策及びその政策効果に関連付けられ る、「社会的結束」の実現に不可欠な前提であるとする場合(天野 2010)がある。これらの位 置づけは、社会的連帯の形成のための一つの方法(政策)として、社会的包摂を位置づけてい る。その一方で、社会的包摂政策を実施する際に、それぞれの社会(国家)が依拠する理念や 価値の一類型として、「社会的連帯」を位置づけている場合もある(樋口 2016)。例えば、フラ ンスは社会政策の背景に「フランス連帯主義」の思想があるといわれている(田中 2006)。

本稿の目的は、社会的連帯と社会的包摂の概念の関係性を位置づけなおすことではない。し かし、社会的連帯に関する議論を進めていくにあたり、暫定的に概念間の関係を定位しておく 必要がある。そのため本稿では、藤村(2013)の枠組みにもとづいて、社会的包摂を位置づけ たい。つまり、社会的包摂を「主に公共性の関係が担う、社会的排除を経験する人々との社会

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的連帯を回復しようとする社会政策・制度」であるとしておきたい。

4 非人称の連帯(制度としての連帯)の意義

これまで、社会的連帯の定義について確認してきた。社会的連帯は、制度として把握される 場合もあれば、行為として把握される場合もある。さらには、それらを下支えする人々の意識 を指す場合もある。それを踏まえ、まず社会的連帯を、福祉国家の社会保障と密接に結びつい たもの(制度としての連帯)として論じる先行研究の知見を整理する。齋藤純一(2004)は、

社会的連帯には2種類の連帯があるとしている。1つは、人々が自発的に互いを支え合う連帯 であり、多くの場合人称的(連帯する人同士の「顔が見える」ともいうべき)な関係性によっ て支えられる。もう1つは強制的な連帯であり、互いに見知らぬ人々との間に成立する非人称 の連帯である。ヨーロッパ諸国では19世紀終盤から、国民国家を枠組みとする社会保険の制度 が徐々に形成されてきたが、それは強制的な社会的連帯、つまり非人称の連帯の典型である。

そこでは、相互に見知らぬ他者でありながらも保険料を拠出するという行動を通じて、労災や 疾病といったリスクに直面した人々の生活を支援する連帯が形成される。藤村(2013)の「行 為としての連帯」が「人称的な連帯」、「制度としての連帯」が「非人称の連帯」に該当すると いえる。

齋藤によれば、近年、非人称の連帯の安定性が大きく揺らいでいる。その背景として「国民 社会の脱統合化」、および「非人称の連帯の人称化」があるという。「国民社会の脱統合化」と は、この四半世紀に起こった急激なグローバル化の進展や人口構成の変化などの諸要素が相まっ て、人々が国家を最も信頼すべき生の拠りどころとしなくなったことを指す。妻鹿ふみ子(2010)

によれば、福祉国家の機能不全が生み出しているのは、「新しい社会的リスク」と呼ばれる問題 群である。「新しい社会的リスク」とは、具体的には急速な産業構造の転換や技術の発展による 不安定雇用や無業の増加、女性の就労と出産・育児の両立の困難、家族の結びつきが弱体化す るなかでの高齢化の進展、若者の自立困難、結婚困難などであるという。家族や労働のあり方 が多様化するなかで、中央集権的で画一的な20世紀型の福祉国家の社会保障は、多様化するニー ズに対応できなくなっている(妻鹿 2010)。その結果、自らの生活保障は自らの努力を通じて もっぱら私的に獲得されるべきものとみなされたり、あるいは宗教やエスニシティ、その他の 社会集団が生活保障を支える基本的な枠組みとして再発見されつつある(齋藤 2004)。

また「非人称の連帯の人称化」とは、特定のカテゴリーに属する人々が、社会的連帯の一方 的な受益者として名指されつつあることを意味する。M. Ignatieffによれば、そもそもの非人称 の連帯の利点は、「贈与関係に随伴する隷属からの各人の解放」(Ignatieff 1984=1999)であった。

つまり、福祉国家が再分配を媒介することで、社会保障の受益者は特定のだれかとして名指さ れることはなく、スティグマを回避することができる。しかし現在では、例えば、アメリカ合 衆国では黒人が、世界各地では移民や難民がそのような受益者として名指され、ショービニズ

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ムやナショナリズムの運動に人々の感情を動員するための標的となっている。欧米諸国では、

特に新右翼によって、移民を排除することで国民の社会的連帯にもとづく社会保障を再生しよ うとする主張があり、実際に自らの生活が脅かされていると感じる中産下層階級の人々に強く 訴えかける結果となっている(齋藤 2004)。

そうした流れのなかで、国民国家の集権性や排他性を批判的に捉えつつも、改めて非人称の 連帯を問い直す必要があるという。その際に齋藤は、社会的連帯の目的は人々の共約的な価値 の追求にあるとして、A. Senの「潜在能力アプローチ」における「基本的な潜在能力」が共約 的価値になりうると論じている。齋藤が共約的価値について論じるのは、非人称の連帯が強制 的な資源の移転、つまり再分配を行うものであり、人々がそれぞれ異なった仕方で追求する特 定の価値を実現するために税や社会保険料といった公共的な資源を用いることは不適切である からだという。そのため、齋藤はJ. Rawls(1993)を参考に、共約的価値を「人びとがそれぞ れどのような『善についての構想』を追求しようとするのであれ、誰もが必要とする(ないし はより多くを欲する)価値」(齋藤 2004: 281)として定義し、社会的連帯が実現しようとする 生の保障の内容として共約的価値を位置づける。

Sen(1992=1999)によれば、人々の「福祉=生の条件のよさ(well-being)」は各人が主観的

に感じる「効用(utility)」や、各人が客観的に所有する「財(goods)」や「資源(resource)」

にもとづいて評価するのは不適切である。客観的に見れば劣悪な状況にありながら主観的には 強い効用が感じられる場合や、財を客観的に所有していても本人が望む「状態や行動」に転換 されるとは限らない場合があるからである。そのため、人々が自らの財を用いて実際にどのよ うな「機能(functionings)」を果たしうるかを評価しなければならない。そうした機能の集合 が「潜在能力(capability)」であり、そのなかでも誰もが達成しえてしかるべき機能の集合が

「基本的な潜在能力」である(Sen 1992=1999)。

では、その社会的連帯の目的を果たすべき理由は何か。齋藤は社会的連帯の理由として「生 のリスク」、「生の偶然性」、「生の受苦への感応」、「生の複数性」を挙げている。「生のリスク」

は、人々は将来直面する様々なリスクに自らや自らの家族・親族だけでは十分に対処すること はできないため、資源を集合化したリスクへの対処、すなわち保険という社会的連帯が求めら れることを意味する。「生の偶然性」は、人々の生は自ら選択することができない諸条件に規定 されており、どのような社会にも偶然性に恵まれた人々と恵まれなかった人々が存在すること を意味する。そのため、恵まれた人々が恵まれなかった人々に対して一定の「補償」をするこ とが求められるという立場から、「生の偶然性」は社会的連帯の理由となりうる。また、「生の 受苦への感応」は、私たちが他者の生の受苦に対する感受性を持っているという経験的な事実 を意味し、社会的連帯の理由となる。最後に、一定の生の保障によって、人々が自らの生をよ り自由に生きることが可能になるという「生の複数性」もまた、社会的連帯の理由となる。こ のように、人間には「生の受苦への感応」能力が備わっており、「生のリスク」や「生の偶然 性」に対応しつつ「生の複数性」を担保すべきだという理由から、「基本的な潜在能力」をあら

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ゆる社会成員が持つことができるよう、非人称の連帯としての社会保障を拡充していく必要が あるという。

社会保障の拡充には様々な方向性があると考えられるが、その一つとして若者の就労問題に ついて指摘されている論点を提示しておこう。若者就労支援については、就労支援を利用する 若者への所得保障の必要性が指摘されている(樋口 2013)。就労支援の利用者のなかには、経 済的な困窮によって就労自立を急がなければならない若者も少なくない。そうすると、自らの 心身の状況にあわせて就労支援を利用する余裕はなく、できる限り早く就労を達成し経済的に 自立する必要がある(あるいは、利用者が家族の稼ぎ手とならなければならない場合さえある)。

そのため、自らに合った職種や労働環境の職場を選択する余裕はなく、過酷な、あるいは劣悪 な労働環境に身を置かざるを得ない場合もある。このように、経済的自立の達成しか考える余 裕がない場合、上述の「生の複数性」は担保されないことになる。そのため、就労支援の利用 者がそれぞれの状況にあわせて就労支援を利用できるよう、あるいは「是が非でも就労しなけ ればならない」という考えから距離をとっても生活が成り立つよう、一定の所得保障は有効で あるという。この指摘は、近年の社会保障における「ワークフェア」的性格の強調に対する批 判的な応答として位置づけられる。

5 行為としての連帯(人称的な連帯)の意義

5.1 運動・活動としての連帯

これまで、非人称の連帯に関する論点を整理してきた。20世紀型の福祉国家の限界を認めつ つ、改めて社会保障の持つ意義を確認し、その拡充が目指すべき方向性として示されている。

その理由の一つは、非人称の連帯が人称的な連帯よりも安定しているためである。人称的な連 帯は、特定の人々の間にネットワークとして形成されるものであり、それが可能とする生の保 障は社会全域には及ばない。それは制度化されておらず生の保障としては不安定であり、だれ が支援し、だれが支援を受けるのかが見えやすいという難点もある。それに対して、非人称の 連帯は社会保険という制度的形態をとることが多く、国家成員の生の保障をあまねく可能にす るという意味で安定性を有している(安部 2007)。

その一方で、「新しい社会的リスク」のような問題群に対応するため、近年では人称的な連帯 の強みに着目する議論もある。以下では、人称的な連帯の強みについて検討するが、その前に、

人称的な連帯の代表として挙げられる「運動・活動としての連帯」についてみておきたい。人 称的な連帯は、特定の人々が自発的に形成する関係性を基礎とした運動・活動として把握され ることが多い(齋藤 2011:121)。労働運動をはじめとして、人種や性別に関する差別への反対 運動、マイノリティの権利獲得運動、環境問題に関する社会運動などがあるだろう。そのなか で、社会的連帯という言葉と密接に結びついているのは、1980年代初めにポーランドで生まれ た自主管理労働組合「連帯」の運動であろう。「連帯」の意義について本稿で詳細に検討する余

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裕はないが、「連帯」の運動は自主的な組合活動の要求に始まりながらも、次第に既存の体制の 正当性を問う民主化の運動へと発展し、権威主義の体制を覆していく途をひらいた(齋藤 2011:

121)。「連帯」はその一例であるが、運動としての連帯は、既存の制度や政策の不正に異議を申 し立て、その改善や廃止を求めるものであり、人々は他者との共闘に意識的に参加する。こう した運動としての連帯が持つ政治的意義が評価される際、しばしば「党派性」を持った政治闘 争と結び付けて理解されることがある。「党派性」を持った政治闘争は、市民が選択可能な対抗 軸を示すことができ、同時に市民の脱政治化を阻止することができる。さらには、共闘する人々 の間に集団としての結束を生むことができる。

しかし齋藤によれば、政治過程を集団間の対立や抗争として描くことは、人々の政治的関心 をひとえに集団内部の連帯形成や他集団との闘争にのみ引きつけている点で一面的である。運 動としての連帯は、党派的、闘争的な側面だけを志向するわけではなく、公共の議論を通じて 政治的意思を形成し、議会などにおいて審議されるべきアジェンダを設定していくことも運動 としての連帯が果たしてきた役割である。齋藤は、J. Habermas(1996=2004)が連帯を、市場

(貨幣)と国家(行政)による機能的な社会統合のメカニズムを制御し、それを通じて日常生活 に浸透する貨幣化、官僚化へ対抗するための最も重要な要素として位置づけていることを評価 する(齋藤 2011:124;Habermas 1996=2004:271)。この場合、Habermasのいう連帯は、政 治的支持を求めて互いに抗争する党派的なものではなく、間人格的なコミュニケーションやそ れによって媒介される関係性を含んだ、公共の議論ネットワークである。そしてそれは、制度 化された連帯との関係においては、その機能不全や逆機能を問題化し、制度の硬直化を防いで いく役割を果たすことができる(齋藤 2011:125)。

5.2 「顔がみえる関係」としての連帯

これまで、運動・活動としての連帯が、ときに政治的な闘争と集団内部の凝集性によって特 徴づけられる一方で、公共的な議論や、間人格的なコミュニケーションとしても把握されると いう点を確認してきた。それを踏まえ、人称的な連帯の持つ強みについて、以下ではさらに検 討を進める。上述のように、非人称の連帯の強みの1つは、社会保障の媒介的性格によるスティ グマの回避にあった。一方で人称的な連帯は、特定の人々の間にネットワークとして形成され るものであり、制度化されておらず生の保障としては不安定であると同時に、だれが支援し、

だれが支援を受けるのかが見えやすいという難点があるという。

その一方で、近年では非人称の連帯の限界を克服するため、人称的な連帯に注目する議論も ある。非人称の連帯の限界として「新しい社会的リスク」への対応の困難性が挙げられている が、それにくわえて「非人称的」であることによる「尊敬や思いやり」の欠如もあるという。

Ignatieff(1984=1999)によれば、人間が人間であるためのニーズとして愛情、尊敬、名誉、尊

厳、他者との連帯といったものがあり、それはルーティンワークとしての制度対応にはなじま ない。「わたしの住まいの戸口の見知らぬ人びとは、たしかに福祉を受ける権利を有している。

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しかし、こうした権利を管轄する役人からはたしてかれらが相応の尊敬と思いやりを受けてい るかどうかは、まったく別問題」(Ignatieff 1984=1999: 21)である。安部(2007)も、Ignatieff のいう「尊厳や思いやり」を「承認」と言い換え、非人称の連帯の限界は、人々が承認される ことを実感する契機の欠如にあると述べている(安部 2007:74)。つまり、「顔がみえやすい」

という人称的な連帯の難点は、一方で社会的連帯の形成に重要であるという指摘である。

この点について、妻鹿(2010)も「顔がみえる関係」の重要性を指摘している。「新しい社会 的リスク」や、現代の先進国でみられる不安定性、不確実性、危険性という三層からなる苦悩

(Bauman 2000=2001)を解決するためには、人々に「安心」と「自由」を提供することで留ま りたいと思える、お互いの顔がみえるコミュニティの再編が必要であるという。その際妻鹿は、

地縁や血縁にもとづいた「安心」を復活させることで顔がみえる関係を再構築することには懐 疑的である。地縁や血縁に依拠する関係は、安定的で確実で危険が少ないかもしれないが、そ こには「自由」が乏しいからである。そこで、非人称の連帯としての社会保障をこれ以上後退 させず、その非人称の連帯をベースにして「安心感」を人々に提供しつつ、人称的な連帯の再 編のあり方を模索する必要があるという。

そうした人称的な連帯として、具体的にはどのような関係性がありうるのか。例えば妻鹿は、

齋藤(2008)が提示する「親密圏」という構想を支持している。齋藤のいう親密圏とは、「具体 的な他者の生への配慮/関心を媒体とする、ある程度具体的で継続する関係性」(齋藤 200:

196)とゆるやかに定義されている2)。ここでの親密圏の特徴をもう少し詳細にみてみたい。ま ず親密圏は、必ずしもアソシエーションのように対等な者たちの間に形成されるわけではない。

他者との関係における自発性と能動性が強調されるアソシエーションとは異なり、親密圏は具 体的な他者とのかかわりにおける受動性・受容性の経験を備えていることを特徴とする。また 親密圏は、コミュニタリアニズムにおける「共同体」とも異なっているという。共同体が共通 善を追求し、価値観において等質な集団を指すとすれば、親密圏は様々な点でより複雑かつ異 種混合的である。しかし、そこに生じる価値の葛藤やジレンマを排するものではない。むしろ 相互の交渉によって互いの経験が重なり合うことで、「共通の経験」や「共通の価値」がつくり だされていく。そして、親密圏は人々に一定の安心感を与え、生の拠りどころとなる。人間は 具体的な他者による需要や承認を繰り返し経験するなかで、自らを肯定することができる。

さらに特筆すべきは、人が「有用であるか否か」といった社会的評価に過剰にさらされるこ とを防いでくれる点にある。若者研究では、職業生活を通じて社会的価値評価を受けることが 若者のアイデンティティの核心をなすとしばしば指摘されるが(片瀬 2015:288)、そうした典 型的な社会的承認とは異なり、「無視せず、排斥せず、見棄てない」といった形で人々の生の拠 りどころとなるのが親密圏であると考えられる(齋藤 2008)。妻鹿も齋藤の議論を参考に、今 後の「新しい社会的リスク」に対応していくためには、「家族のようには親しすぎず、権力関係 も持たず、しかしながらボランティアのようには中立すぎない人と人との関係性」の構築が有 効であるとしている。

(12)

6 考察

ここで再度、先行研究の知見を整理しておく。まず、福祉国家の社会保障は、社会的連帯を 基礎として成り立つものであると同時に、社会的連帯を再生産していく仕組みとして把握でき る。しかし20世紀型の福祉国家は、社会構造の転換により生じた「新しい社会的リスク」に十 分に対応できていない。そのため再度、非人称の連帯としての福祉国家の社会保障の意義が確 認され、その拡張が目指されなければならない。一方で、非人称の連帯の限界に対応する方法 論として、「顔のみえる関係」や「親密圏」といった人称的な連帯の有効性も指摘されている。

非人称の連帯としての制度はルーティンワークの性格を持つことが多く、社会的連帯が必要な 人々の主要なニーズである「承認」を提供することができない。その一方で、「親密圏」のよう な人称的な連帯は具体的な他者との関係性を想定するため、「承認」の契機となりやすい。こう した議論を踏まえ、以下では先行研究の限界を指摘しつつ、若者の就労問題を社会的連帯とい う視点から捉える際の論点を提示したい。

6.1 非人称の連帯と人称的な連帯の相補的な関係

先行研究では、非人称の連帯と人称的な連帯の関係について、非人称の連帯が人称的な連帯 を支える基礎となるという指摘がある。それは具体的にどのようなあり方として確認できるの だろうか。第一に、藤村の枠組みにおいて、税や社会保険料の徴収、拠出という「制度として の連帯」が財源となり、NPOなどの具体的な市民活動にあらわれる「行為としての連帯」を支 えるという関係があるだろう。第二に、非人称の連帯としての社会保障の充実が、人々の「生 のリスク」を抑えつつ「生の複数性」を担保することで、人々が衣食住といった生存に不可欠 な要素だけにとらわれる必要がなくなり、社会成員として互いに配慮したり議論したりする関 係性が生まれやすくなるかもしれない。それが人々にとって既存の体制への批判的な視点を獲 得する契機にもなりうるだろう。

まず、前者の関係について、地域若者サポートステーション(以下、サポステ)事業を事例 に検討してみたい。サポステとは、「働くことに悩みを抱えている15~39歳までの若者に対し、

キャリアコンサルタントなどによる専門的な相談、コミュニケーション訓練などによるステッ プアップ、協力企業への就労体験などにより、就労に向けた支援」を行う通所型の施設である

(厚生労働省 2020)。厚生労働省の委託事業として2006年に全国25ヶ所で開始した後、2020年は 全国177ヶ所で事業が展開されている。受託する運営主体は、特定非営利活動法人や社団法人、

社会福祉法人、財団法人、学校法人、株式会社、労働組合などがある。サポステ事業は、税や 社会保険料を主な財源として、政府から委託されたNPOなどの市民活動の担い手が実際の支 援を行うという、社会的連帯のあり方を示している。

さらに、齋藤が「運動・活動としての連帯」の役割として挙げたのは、市民活動の成果が適 切にフィードバックされることで、制度化された連帯の硬直化を防ぐという側面であった。こ

(13)

の点もサポステ事業の取り組みから確認できる。九州にある地方都市のサポステと地域の教育 機関との連携の実態からは、地域の中学校と連携して早期段階から若者を支援しようとする取 り組みが明らかとなっている(金本 2020b)。これまで主に高等学校以上の教育機関を連携先と して想定していたサポステ事業にとって、その地域のサポステの取り組みは先進的かつ有効で あると高く評価を受けたことで、参考にすべき支援事例として全国に周知されることになった。

こうしたサポステ事業のあり方は、非人称の連帯によって支えられた人称的な連帯の取り組み が、その効果の評価を経て、非人称の連帯の政策的動向に影響を与えるメカニズムとして把握 できるのではないだろうか。つまり、必ずしも非人称の連帯が人称的な連帯を支えるという一 方向的な関係としてあるのではなく、両者が相補的に機能する。こうした若者就労支援のあり 方は、非人称の連帯と人称的な連帯の目指すべき関係の一つを示しているのではないか。

次に、非人称の連帯では「顔がみえにくい」ため、「承認」を求めるニーズには対応しきれな いという指摘について考えてみたい。先行研究では、人称的な連帯がその役割を果たすことが できると主張されている。それはあくまで「非人称的か人称的か」という二項対立的な枠組み のもとでの想定である。それに対してサポステ事業では、「顔がみえる関係」の制度化が目指さ れているという点を指摘したい。つまり不安定な、特定の人々の間のネットワークとしての「顔 のみえる関係」ではなく、「顔のみえる関係」の形成が社会保障制度として整備されているとい うことである。

サポステ事業は、単なる求職活動の技能習得を支援するだけではなく、若者に伴走し彼らの 自信を回復させるという「社会的自立」も視野に入れた包括的な支援を実施している。サポス テ職員の伴走的な働きかけによって、職員と利用者との間に信頼関係が構築されていくプロセ スも存在している(金本 2020a)。もちろん、事業を受託する団体によって支援の特色が異なる ことはあるだろう。しかし、伴走的な働きかけによって信頼関係を構築するという点や、就労 達成を目指しつつも、若者それぞれの状況にあった多様な自立を念頭に置いた支援という方向 性は、サポステ事業の政策目標として設定されている。サポステ事業の事例を踏まえれば、「非 人称の連帯の代替」としての人称的な連帯ではなく、非人称の連帯の持つ安定性を、人称的な 連帯にも付与していく方向性もあるのではないか。

ただ忘れてはならないのは、制度としての連帯は、常にそれを担う国家の政策的動向が反映 されるという特徴を持つ。近年のサポステ事業も、就労達成率という結果を重視した政策的動 向を反映せざるをえず、若者の「社会的自立」よりも「就労自立」の達成を主眼に置いている という指摘もある(小山田 2017)。この点は、制度化することのデメリットであるかもしれな い。しかし、ある地方都市のサポステの取り組みが評価され事業の方向性に好影響を与えると いう事例にもあるように、非人称の連帯と人称的な連帯の相補的な関係を前提としたうえで、

社会的連帯のあり方を考えていく必要があるだろう。

(14)

6.2 政治的自由の獲得と変容

最後に、就労支援を利用する若者側の視点から、社会的連帯の形成によって人々が既存の体 制への批判的な視点を獲得する可能性について検討する。齋藤が非人称の連帯の重要性を説く 際に留意すべき点として指摘するのは、社会的連帯による生の保障が人々の「政治的自由」を 促進するかどうかである(齋藤 2004:302-3, 2011:127)。「政治的自由」とはどのような意味 か。それは投票行動や組合活動など、文字通り「政治的」活動を行う自由や意欲を持ちうるか だけでなく、日々の生活のなかで、人々が自らの置かれた状況を批判的に問い返す能力を持ち うるか、必要があればそれを適切な他者に伝えることができるか、という意味でも解釈できる のではないだろうか。そうした機会を提供するのは、様々な中間集団・組織を含む、人称的な 連帯の担い手であろう。

サポステ事業の利用経験者は支援を受け変化していく(金本 2020a)。事例の若者は大学生の ときにひきこもりを経験したが、「独力でひきこもりを脱し、できるだけ早く就労自立しなけれ ばならない」と思い込み、それができていない自らを「一人前でない」と評していた。大学を 中退しサポステに通い始めた当初も、自己責任で自らの状況を解決すべきであると考えていた。

しかし、サポステ職員の伴走的な働きかけでそうした考えは変化していき、周囲の支援を活用 しながら就労を達成する。その後も、「何かあれば周りの人を頼れば何とかなる」という意識で 社会生活に慣れようとしていた。この事例は、支援者の働きかけによって若者が自己責任的な 考え方に強くとらわれていたことに気がつき、その状況から脱却していく経験としてみること ができる。この点は、齋藤の「親密圏」構想が指摘するように、「自己責任」という社会的価値 から不安定な立場にある若者を引き離す取り組みである。そして、他者を頼りながら自らの置 かれた状況に対処していく若者自身の姿は、「政治的自由」を実践していく一つのあり方として 位置付けられるのではないだろうか。事例の若者はサポステ利用を経て、Senのいう「潜在能 力」を拡張していったのである。

その一方で、支援を受け社会的排除を克服した人々と支援者との関係が変容していく可能性 も認められる(金本 2020a)。サポステ利用経験者は支援を受け就労を達成するが、その後は就 労が生活の中心になるため、支援者との関係は物理的に薄れていかざるをえない。その場合に も、若者はそれぞれの状況に合わせて支援者との関係を継続したり、サポステという専門職だ けでなく職場でも頼ることができる相手を見つけたりと、生活の変化に対応していく様子がみ られている。その一方で、利用者の意識では、支援者との関係を継続していくことを負担に感 じたり、就労達成後の生活に慣れることで他者の支援は必要ではなく、むしろ「自立とは他者 に頼らないこと」といった認識を持つようになるかもしれない。この点は、就労支援を利用す ることで距離をとってきた社会的価値評価の影響に再度さらされていく過程であるかもしれな い。それを踏まえると今後は、支援を受けた人々がその後の社会生活をどのように立て直して いくのかを丁寧に明らかにしていき、社会的連帯が人々に受容されるメカニズムと、その継続 における課題について検討していく必要がある。

(15)

7 おわりに

最後に本稿の知見をまとめておく。本稿では、社会的連帯を福祉国家の社会保障として議論 する先行研究と、人々の運動・活動として論じる先行研究を整理した。そして、若者の就労問 題に結びつけて検討した結果、非人称の連帯と人称的な連帯の可能性として、人称的な連帯が 人々にもたらす親密な関係性を、安定した制度として整備するという方向性があることを主張 した。その際には、人称的な連帯の現場でみられる活動の効果を、非人称の連帯の担い手であ る行政にフィードバックしていくことで、制度全体の方向性を改善していくという相補的なあ り方が望まれる。また、就労支援を受けた若者が自らの置かれた状況を批判的に検討するとい うプロセスが指摘されているが、それは、社会的連帯がその恩恵を受ける人々の「政治的自由」

を促進する事例として把握できる。しかし、就労支援利用経験者の事例にもあるように、獲得 された「政治的自由」が、支援を受けた人々の生活状況の変化のなかで、どの程度担保されて いくのかも検討されなければならない。社会的連帯の議論に関しては、「社会的連帯をどのよう に形成していくか」が問われてきたが、今後は「形成された社会的連帯にどのように参与しつ づけることができるのか」という視点から、支援を受けた人々の姿を継続的に追いかけていく 必要があるのではないか。

1)「社会的連帯経済」については、市場主義的な経済が支配的となっている今日の状況を問い 直し、市民参加を通じて経済を民主化しようとする試みとして把握される(川口 2019:128)。

社会的連帯経済においては、人々は互いに分離され私的利益のために行動するのではなく、

互いにつながり、互酬性の原理に基づいて社会一般の利益を目指す。具体的には、NPOや 協同組合、共済組合などの活動を指すものとして用いられる概念である。

2)「親密圏」について様々な議論がなされているが、本稿では以下を指摘するにとどめたい。

親密圏は、リベラリズムをはじめとする近代の政治思想の伝統において、長らく前政治的 ないしは非政治的な領域として扱われてきた。それに対しフェミニズムは、それまで愛と 調和の空間として描かれてきた親密圏に深刻な権力関係があり、それが男女間における不 平等な再生産労働の分配をもたらしていること、また労働市場における差別的処遇に代表 される性差別構造につながっていることを明らかにした。さらに親密圏の政治は、男性中 心主義に対する批判のみならず、ごく限られた性愛のあり方や結婚という制度そのものを 問題化する方向へと議論が展開されている(齋藤 2011:191-4)。

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