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自己欺瞞から見えてくる心―人間理解の前提再考―

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Academic year: 2021

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自己欺瞞から見えてくる心―人間理解の前提再考―

オーガナイザー:金杉武司(高千穂大学)

司会:柏端達也(慶應義塾大学)

提題者:

金杉武司(高千穂大学):自己欺瞞のパラドクスと自己概念の多面性 塩野直之(東邦大学):自己欺瞞とフォーク・サイコロジー

太田雅子(お茶の水女子大学)「ねじれた自己欺瞞」から信念の行方を探る

自己欺瞞は、意志の弱さと同様に、そのような不合理な現象が生じるのはいか にして可能なのかを理解することが一つの大きな哲学的難問であると考えられる ような心的現象であるが、意志の弱さが古代ギリシアの時代から多くの議論を生 み出してきたのに比べて、自己欺瞞が哲学史の中で議論の中心に位置づけられる ことはそれほど多くはなかったように思われる。これは、現代の日本においても 同様で、自己欺瞞が議論の対象となることは、わずかの例外はあるものの、きわ めて少ないように思われる。しかし、これに対して英語圏では、近年、D・デイ ヴィドソンやA・メレの議論を中心として、自己欺瞞に関する議論が盛んに行わ れ、非常に複雑で豊かな展開が繰り広げられている。本ワークショップでは、こ の非常に複雑で豊かな展開を見せている近年の自己欺瞞論を紹介するとともに、

自己欺瞞の理解可能性に関する議論を通して、心や人間を理解する際の哲学的前 提の妥当性について改めて考察したいと思う。

自己欺瞞が持つ不合理性は、しばしば二つのパラドクスとして説明される。自 己欺瞞は従来、pという信念と同時に¬p という信念を持つ現象として理解されて きたが、このような互いに矛盾する信念をいかにして同時に所有することができ るのだろうか。この問題を「静的パラドクス」と呼ぶ。また、自己欺瞞は従来、

文字通り自分を欺くこととして理解されてきたが、このようなことがいかにして 可能なのか。というのも、人を欺くことは典型的に意図的な行為として理解され るが、人を欺くという意図を欺かれる当人が知っているとしたら、その欺きが成 功することはないと考えられるからである。この問題を「動的パラドクス」と呼 ぶ。

本ワークショップでは、まず、これらのパラドクスの解決可能性について検討 することを通して、自己欺瞞を文字通り不合理な現象として理解することは可能 なのかを考察する。そして、その考察を通して、そもそも心や人間を理解すると はどういうことなのか、その理解の前提となっている哲学的枠組みは妥当なもの なのかということを改めて考察したい(金杉、塩野)。

また、近年の自己欺瞞の議論が複雑な展開を見せていることの一つの要因には

「ねじれた自己欺瞞」と呼ばれる現象の存在がある。通常、自己欺瞞として理解

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される現象は、証拠に反して自らが望むことを信じてしまう楽観的な自己欺瞞で あるのに対して、自らが望まないことを信じてしまうという悲観的な自己欺瞞も また存在すると考えられる。このような自己欺瞞を「ねじれた自己欺瞞」と呼ぶ。

このようなねじれた自己欺瞞の存在は、自己欺瞞の理解可能性、さらには心や人 間の理解に何らかの影響を及ぼすことはないのだろうか。本ワークショップでは、

この点についても議論したい(太田)。

参照

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