印 度 學 佛 敏 學 研 究 第 三 十 六 巻 第 一 號 昭 和 六 十 二 年 十 二 月
サ
ー
ン
キ
ヤ
哲
学
に
於
け
る.
フ
ル
シ
ャ
と
絶
対
無
(西
田)
沢
井
高
範
フ ル シ ャ (Purusa) の 本 質 的 な 性 格 の 一 つ に つ い て、 ヵ ー リ ( 1 ) カ ー 第 十 九 に ﹁ 観 察 す る 者 ﹂ (drastrtva) で あ る と 述 べ ら れ て い る。 サ ー ン キ ヤ 哲 学 (Samkhya philosophy で は. フ ル シ ャ の み が 観 察 す る 者 で あ り、 認 識 す る 能 力 を も つ。 そ の 他 は 一 切、 観 察 せ ず、 認 識 し な い。 ト リ グ ナ (triguna) の 所 産 で あ る か ら で あ る。 西 田 に 於 て も、 そ の 根 本 的 立 場 は 無 に し て 見 る こ と で あ り、 や は り、 観 察 の 立 場 で あ る。 無 に し て 見、 有 を 限 定 す る。 有 は 無 の 場 所 に 於 て あ る も の で あ り、 主 観 を も 超 越 し た と こ ろ に 無 を 自 覚 し、 そ こ で 主 客 は 統 一 さ れ て、 有 は 無 に 限 定 さ れ る。 こ の 無 の 限 定 に よ っ て、 見 ら れ、 構 成 さ れ た も の が 実 在 で あ る。 従 っ て、 サ ー ン キ ヤ 哲 学 の ﹁ 観 察 す る 者 ﹂ と 西 田 の ﹁ 見 る も の ﹂ は 入 間 の 経 験 の 究 極 の 主 体 と し て、 共 通 し た 性 格 を も っ て い る。 又. フ ル シ ャ に し て も、 絶 対 無 に し て も、 単 に 見 た り、 経 験 し た り す る だ け の も の で は な い。 見 る と い う こ と に は、 見 ら れ た も の が 対 応 す る が、 見 ら れ た も の と 共 に、 見 る も の を も 越 え て、 そ れ 自 身 に 達 す る こ と が 両 思 想 の 究 極 の 目 的 に な る。 二 さ て、 サ ー ン キ ヤ 哲 学 に 於 け る 経 験 内 容 は わ れ わ れ 一 入 ひ と り を 構 成 し て い る ト リ グ ナ の 状 態 に 規 定 さ れ る。 カ ー リ カ ー 第 十 二 に ﹁ 構 成 要 素 は 快、 不 快、 消 沈 を 本 質 と し、 照 明、 ( 2 ) 活 動、 抑 制 を 目 的 と す る。 ﹂ と 述 べ ら れ て い る。 ト リ グ ナ と は サ ッ ト ヴ ァ (sattva)、 ラ ジ ャ ス (tamas)、 タ マ ス (tamas) で あ り、 お の お の 知 識、 活 動、 抑 制 の 働 き を す る。 特 に サ ー ン キ ヤ で 重 要 な こ と は、 ブ ッ デ ィ (buddhi) が サ ッ ト ヴ ァ 状 態 で あ る か、 タ マ ス 状 態 で あ る か で あ り、 そ れ に 応 じ て、 経 験-300-内 容 や 知 識 内 容 が 左 右 さ れ る。 こ れ に つ い て、 ヵ ー リ ヵ 1 第 二 十 三 に ﹁功 徳、 知 識、 離 欲、 自 在 ー こ れ が 純 質 的 状 態 で ( 3 ) あ る。 騎 質 的 は こ の 反 対 で あ る。 ﹂ と 述 べ ら れ て い る。 純 質 的 即 ち、 サ ッ ト ヴ ァ 状 態 の ブ ッ デ ィ が 得 ら れ れ ば、 徳 に 優 れ、 知 識 に 優 れ、 執 着 を 離 れ、 自 在 力 を 得 る。 タ マ ス 状 態 の 騎 質 的 な ブ ッ デ ィ で は、 悪 を 為 し、 無 知 に 陥 り、 貧 欲 に 駆 ら れ、 願 い が 叶 え ら れ な い。 基 本 的 に は、 こ れ ら の ブ ッ デ ィ の 八 つ の 状 態 か ら 生 ず る 経 験 内 容 を 近 接 せ る (samyoga). フ ル シ ャ が 観 察 し、 味 わ い、 経 験 す る。 一 方、 西 田 に 於 て は、 ト リ グ ナ 説 に 対 応 す る よ う な も の は 存 在 し な い。 西 田 に 於 て、 対 象 認 識 に 限 っ て い え ぱ、 感 覚 諸 器 官 を 通 じ て 入 っ て 来 た 内 容 が 無 の 場 所 に 於 て、 映 じ た ま ま ( 4 ) が 感 覚 的 経 験 で あ り、 非 構 成 的 な も の で あ る。 こ れ が 知 覚 に ( 5 ) 移 行 し た 時 に 構 成 的 な も の に な り、 具 体 的 な も の に な る。 こ の 知 覚 内 容 が 限 定 を 通 じ て、 理 性 に ま で 高 ま り、 実 在 を 形 成 す る。 も ち ろ ん、 本 能 面 や 社 会 面 や 歴 史 面 を 始 め と し て、 美 的 面 や 倫 理 面 な ど も、 ノ エ マ 面 に 於 て あ る も の と し て、 無 の 限 定 を 受 け て、 経 験 さ れ る。 そ れ ら は 表 現 的 世 界 で あ る。 こ の よ う に し て、。 フ ル シ ャ と 絶 対 無 は 経 験 さ れ る も の を 越 え た と こ ろ か ら 見 る と い う こ と を 通 じ て、 経 験 を 成 立 さ せ る の で あ る。。 フ ル シ ャ も 絶 対 無 も 主 観 と 客 観 を 超 越 し た 地 点 か ら 経 験 内 容 を 見 て、 認 識 を 成 立 さ せ る の で あ る。 そ れ と と も に、 プ ル シ ャ も 絶 対 無 も 我 々 を 越 え た と こ ろ に 存 在 す る 最 内 奥 の も の で あ る。 三 以 上 に よ っ て、 サ ー ン キ ヤ と 西 田 の 経 験 の 構 造 を 明 ら か に し た が、 更 に、 経 験 内 容 は 有 限 で あ り、 不 完 全 で あ る 故 に、 最 終 的 に は 苦 や 矛 盾 を 露 呈 す る と い う の が 両 思 想 に 共 通 し て い る。 こ の 苦 と 矛 盾 に 満 ち た 経 験 的 世 界 を 如 何 に 解 脱 す る か が サ ー ン キ ヤ 哲 学 と 西 田 哲 学 の 究 極 の 目 的 に な る。 サ ー ン キ ヤ 哲 学 に 於 け る 苦 の 発 生 は、。 フ ラ ク リ テ ィ (pra-krti の 所 産 で あ る リ ン ガ (linga) の 諸 活 動 に. フ ル シ ャ が 巻 き 込 ま れ、 自 ら を 忘 却 し、 主 体 性 を 喪 失 し て し ま う 所 に あ る。 カ ー リ カ ー 第 二 十 で ﹁構 成 要 素 が 活 動 の 主 体 で あ る に も か か ( 6 ) わ ら ず、 無 関 心 な 者 が、 活 動 の 主 体 で あ る か の よ う で あ る。 ﹂ と 述 べ ら れ て い る の は こ の こ と を 意 味 し て い る。 こ こ に 混 乱 が 生 じ て、 本 来、 非 作 者 (akartrbhava) で あ る. フ ル シ ャ が 活 動 的 で あ る か の よ う に な り、 迷 い の 世 界 に 転 落 し、 輪 廻 せ る 有 無 転 変 の 世 界 に 浮 沈 す る 羽 目 に な る。 西 田 に 於 て も、 絶 対 無 の ノ エ マ 面 に 於 て あ る も の を 絶 対 視 し て、 そ の ノ エ マ 面 を 裏 か ら 見 て い る 主 体 的 な、 絶 対 の 無 と サ ー ン キ ヤ 哲 学 に 於 け る. フ ル シ ャ と 絶 対 無 ( 西 田) ( 沢 井)
-301-サ ー ン キ ヤ 哲 学 に 於 け る プ ル シ ャ と 絶 対 無 ( 西 田) ( 沢 井) し て の ノ エ シ ス 面 に 気 が つ か な い と こ ろ に 無 知 が あ り、 迷 い が 生 ず る。 見 る も の と 見 ら れ た も の の 区 別 が つ か ず、 ノ エ マ 面 に 映 じ た 有 限 な る も の に 自 ら を 同 ︼ 化 し て、 プ ル シ ャ と 同 様 に し て、 経 験 的 世 界 に 転 落 し て し ま う の で あ る。 こ の ノ エ マ 面 は 様 々 な 矛 盾 や 苦 に 満 ち た 矛 盾 的 世 界 で あ る。 真 偽、 入 間 と 環 境 の 相 剋 と 相 互 否 定、 我 と 汝 の 対 立、 美 と 醜、 善 と 悪、 生 と 死 な ど が そ こ に 存 在 す る。 こ れ ら を 包 ん で、 な お、 こ れ ら か ら 独 立 し て い る ノ エ シ ス 面 に 気 づ か な い と こ ろ に 苦 が 存 在 す る。 か く し て、 サ ー ン キ ヤ に 於 て も、 西 田 に 於 て も、 経 験 的 世 界 へ の 執 着 と 同 一 化 は. フ ル シ ャ や 絶 対 無 の 忘 却 に な り、 そ れ は 転 落 に な り、 迷 い と 矛 盾 と 苦 を 意 味 す る。 四 さ て、 こ れ ら の 苦 と 矛 盾 に 満 ち た 経 験 的 世 界 か ら の 解 脱 に 際 し て、 サ ー ン キ ヤ で は 如 何 に し て. フ ル シ ャ が. フ ラ ク リ テ ィ と 離 れ て、 独 存 (kaivalyaz を 達 成 す る か で あ り、 西 田 で は 矛 盾 的 世 界 で あ る 絶 対 無 の ノ エ マ 面 を 如 何 に し て 超 越 し て ゆ く の か が 問 題 に な る。 サ ー ン キ ヤ 哲 学 で は そ の た め に、 徹 底 し た 哲 学 的 省 察 の 方 法 を 採 る。 開 展 し た も の (vyakta)、 未 開 展 の も の (avyakta)、 ( 7 ) 知 る も の (旨 鋤) を 区 別 し、 そ れ に よ っ て、. フ ル シ ャ を 自 覚 し、 独 存 を 達 成 し よ う と. す る。 こ こ に サ ー ン キ ヤ 体 系 の 優 越 性 が 存 在 す る。 こ の 三 つ の 原 理 が 具 体 的 に 展 開 さ れ る と、 二 十 五 原 理 (pa-ncavimsatitattva) の 相 を 呈 し、 サ ッ ト ヴ ァ 状 態 の ブ ッ デ ィ の 認 識 作 用 が そ れ ら を 明 ら か に す る と 共 に、 フ ル シ ャ が そ れ を 知 り、 自 覚 し て、 解 脱 す る の で あ る。 西 田 に 於 て も、 ノ エ マ た る 見 ら れ た も の か ら ノ エ シ ス た る 無 に し て 見 る も の へ の 徹 底 的 な 超 越 が 解 脱 へ と 導 く も の で あ り、 つ い に は 絶 対 無 そ の も の に な り 切 っ て、 ノ エ シ ス を も 忘 れ る と こ ろ に 解 脱 が あ る。 客 観 か ら 主 観 へ と 超 越 し、 更 に、 そ の 主 観 を も つ き ぬ け て、 絶 対 の 無 に な り 切 る の で あ る。 永 遠 の 生 命 で あ る 絶 対 無 に な り 切 り、 矛 盾 的 世 界 で あ る ノ エ マ 面 を 超 越 す る の で あ る。 そ の 結 果、 ﹁ そ こ に は 真 も な け れ ば、 ( 8 ) 偽 も な く、 善 も な け れ ば、 悪 も な い。 ﹂ の で あ る。 こ の よ う に し て、 サ ー ン キ ヤ で は 徹 底 し た ブ ッ デ ィ の 認 識 作 用 で 客 観 か ら 主 観 へ と 超 越 し、 更 に、 そ れ は. フ ル シ ャ を 指 し 示 す。 西 田 に 於 て は、 見 ら れ た も の の 反 省 を 通 じ て、 見 る も の へ 到 達 し、 更 に、 見 る も の の 主 体 的 反 省 を 通 じ て、 絶 対 の 無 に し て 見 る も の に 到 達 し よ う と す る。 こ の 両 者 に 共 通 し て い る の は、 徹 底 し た 知 的 省 察 を 通 じ て、 主 観 を つ き ぬ け、 純 粋 の 見 る も の に 達 し よ う と す る こ と で あ る。 た だ、 先 程 も 述 べ た よ う に、 西 田 で は ト リ グ ナ 説 は 存 在 せ
-302-ず、 従 っ て、 そ の 所 産 で あ る ブ ッ デ ィ の 機 能 と 存 在 は な い が、 サ ー ン キ ヤ の ト リ グ ナ 説 は 西 田 の 考 え 方 を 補 完 す る と 考 え ら れ な い だ ろ う か P 西 田 も 認 識 の 面 に 於 て、 身 体 の 役 割 を 強 調 す る か ら で あ る。 し か し、 こ れ に っ い て は 後 日 に 期 し た い と 思 う。 五 さ て、 こ れ ま で 述 べ て 来 た こ と か ら、 我 々 は 次 の よ う に 結 論 づ け る こ と が 出 来 よ う。 第 一 番 目 に は。 フ ル シ ャ も 絶 対 無 も 主 客 を 超 え て い な が ら、 見 る と い う 性 質 を も っ て い る。 そ れ は 認 識 の 最 も 根 源 に あ る も の で あ り、 経 験 す る 主 体 で あ る。 第 二 番 目 に は. フ ル シ ャ も 絶 対 無 も 従 っ て、 す べ て を 超 え て い る 故 に、 物 質 で も な い し、 身 体 で も な い。 第 三 番 目 に は そ れ 故 に、. フ ル シ ャ も 絶 対 無 も 死 を 越 え た 永 遠 の 命 で あ る。 第 四 番 目 に は. フ ル シ ャ も 絶 対 無 も 非 作 者 で あ り、 中 立 者 で あ る 性 格 を も つ。 そ れ は あ た か も 透 明 な 水 晶 が 赤 い バ ラ を そ の 中 に 映 じ て も、 水 晶 そ の も の の 本 来 の 性 質 は 変 わ ら ず、 そ れ と 同 様 に し て、. フ ル シ ャ も 絶 対 無 も そ れ 本 来 の 純 粋 さ を 保 持 す る。 第 五 番 目 に は 従 っ て、 水 晶 の 純 粋 さ の 如 く、。 フ ル シ ャ も 絶 対 無 も そ れ 自 身 の 存 在 を も ち、 独 存 形 態 を も っ て い る。 1 (a) 服 部 正 明 訳 ﹁ 古 典 サ ー ン キ ヤ 体 系 概 説 ﹂ (﹃ 世 界 の 名 著 ﹄(1)、 中 央 公 論 社、 昭 和 四 十 七 年) 一 九 七 頁。
(b) S.S.S. Sastri, The Samkhyakarika of
krsna
(Madras: Univ. of Madras, p. 51.
2 同 右、(a) 一 九 四 頁。(b) P. 36-p. 37 3 同 右、(a) 一 九 八 頁。(b) P. 55-p. 56. 4 西 田 幾 多 郎 ﹃ 一 般 者 の 自 覚 的 体 系 ﹄ ( 岩 波 書 店、 一 九 七 九 年) 二 四 〇 頁。 5 同 右、 二 四 一 頁。 6 (a) 服 部 訳、 前 掲 書、 一 九 七 頁 一 九 八
頁。(b)Sastri, ed. &
trans., op. cit., p. 52.
7 同 右、(a) 一 九 一 頁。(b) P. 4 8 西 田、 前 掲 書、 一 七 七 頁。 ( 付 記) な お、 サ ー ン キ ヤ 哲 学 体 系 全 体 の 理 解 の た め に、 山 口 恵 照 博 士 ﹃ サ ー ン キ ヤ 哲 学 体 系 の 展 開 ﹄ ( あ ぼ ろ ん 社、 昭 和 四 十 九 年) を 参 考 に さ せ て 頂 い た。 ︿ キ ー ワ ー ド ﹀。 フ ル シ ャ、 絶 対 毎 {、 超 ﹄越 (立 命 館 大 学 哲 学 会 会 員) サ ー ン キ ヤ 哲 学 に 於 け る プ ル シ ャ と 絶 対 無 ( 西 田) ( 沢 井)