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Vol.65 , No.2(2017)048稲葉 維摩「パーリ語におけるhiya-ti,haya-tiについて」

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全文

(1)

ya- 現在 hīyá-/hī́ya-te の受動的な(patientive)意味は二次的なものと理解される (AV 1x +, ava RV +, ni RV 2x (= AV 1x), vi ŚB, AĀ; Amano 2009: 205, fn. 385; Kulikov 2012: 448–451).(3)Ja I 181 v. 23 yadā yadā yattha yadā  yattha yattha yadā yadā / ājañño kurute vegaṁ  hāyanti tattha vāḷavā //「いつでもどこでも,どこでもいつでも,よ い生まれの馬が激しい動きをする,そこでロバのような馬達は遅れを取る」.(4) D I 118 (119, 125, 126) yaṃ kho panāyaṃ parisā paribhaveyya, yaso pi tassa hāyetha. yassa kho pana yaso hāyetha, bhogā pi tassa hāyeyyuṃ.「また,この取り巻きがあざ 笑うなら,その者の評判は衰退する.また,評判が衰退するなら,その者の享受 物も衰退する」.

使役 hāpaya-ti は「捨てる,放棄する」を意味する(GopB 1x,Sū,Ep +).上述の hā- の基本的な意味に基づけば,使役のこのような意味は対象を去らせる点にあ るとも考えられるだろう.(5)Sn 37 mitte suhajje anukampamāno  hāpeti atthaṃ paṭibaddhacitto / etaṃ bhayaṃ santhave pekkhamāno  eko care khaggavisāṇakappo // 「盟友や友に同情していると,心が縛り付けられている者は実利を捨てる.親しみ の中でそのことを恐怖として見ながら,犀の角のように,独り行くべきである」.

(6)Mil 169 yadi mahārāja tathāgato kiriyaṃ kiriyaṃ hāpeyya, bodhaneyyā sattā na bujjheyyuṃ.「もし,大王よ,如来がなされるべきことを次々と放棄するならば, 目覚めうる衆生達は目覚めなくなってしまう」.

3.hīya-ti,hāya-ti と現在,使役との関係性

BHSG(§37.38)は jñāya-tekhyāya-te などに基づく類推と説明し,Oberlies(2001: §53)は現在 jahāti に基づく改変とする2)

ヴェーダ語では BaudhŚrŚū に 2 回のみ,接頭辞 pari-とともに重複現在が現れる (BaudhŚrŚū 20.1 parijahyāt, 25.5 parijahati).しかしパーリ語において pari- が付される 場合,使役 pari-hāpe-ti,ya- 現在 pari-hāya-ti が作られ,jahā̆-ti,hīya-ti は現れな い.反対に,pra- を伴う場合は現在 pa-jahā̆-ti,ya- 現在 pa-hīya-ti が現れ,hāpe-ti,hīya-ti は用いられない.これらの組み合わせは意味の点で,それぞれ vt.,vi. の対立を作っている.このことは叙事詩等のサンスクリット語文献や Buddhist Hybrid Sanskrit においても一致する.従って pari-,pra- とともに用いられる場合, パーリ語では -jahā̆-ti,-hīya-ti と -hāpe-ti,-hīya-ti が相補分布をなしていることに なる3).言い換えれば,pari- を伴う場合,使役語幹が現在時制を担っている. パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉) (247)

パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について

稲 葉 維 摩

1.はじめに

動詞語根 hā- はヴェーダ語において,重複現在 jáhāti(3sg.),jáhati(3pl.)と活 用し,「後にする,去る,放棄する」を意味する.ya- 現在 hīyá-/hī́ya-te は「遅れ をとる,残っている,衰退する,inst. を失う,abl. から離れる」を表す.パーリ 語において現在は jahā̆-ti となる.そして ya- 現在はヴェーダ語と一致する hīya-ti も存在する一方,標準階梯の語根に -ya- 接辞を付した形 hāya-ti が頻繁に用いられ る.この語形成はどのように理解されるべきか.両者はどのように区別されるの か.これまでの文法書では類推や改変によるものとして簡単にふれられてきたの みであるが,本稿では hīya-ti,hāya-ti が現在形,使役形それぞれとの対立関係を 作っている可能性を指摘する.

2.パーリ語における変化と用法の概観

重複現在 jáhā-/jáh-(RV+, EWAia, PW)はパーリ語において,dádā-/dád-「与える」 (Pā. dadā̆-)などの重複現在と同様,その母音交替をやめている(Geiger 1916: §142,

143).jahā- は 1sg. jahāmi を除いて韻文に現れるに留まり,a- 語幹 jaha- が韻文,

散文のどちらにおいても用いられる1).意味に関して,hā- は動作主が対象を置い

て行く,後に残して去って行く動作を表す.(1)M II 235 seyyathā pi bhikkhave yaṃ chāyā jahati taṃ ātapo pharati. yaṃ ātapo jahati taṃ chāyā pharati.「それは例えば, 比丘達よ,影が去ると,そこに日光が広がる.日光が去ると,そこに影が広がる」. (2)A IV 198 (199) puna ca paraṃ bhante yā kāci mahānadiyo, seyyathīdaṃ gaṅgā

yamunā aciravatī sarabhū mahī, tā mahāsamuddaṃ patvā jahanti purimāni nāmagottāni, mahāsamuddo tv eva saṃkhaṃ gacchanti.「また他に,尊き君,どんな大河も,それ は例えばガンガー,ヤムナー,アチラヴァティー,サラブー,マヒー,そういっ た諸々は大海に達して後,以前の名と姓を後にし,大海という総称に行く」. (246) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月

(2)

ya- 現在 hīyá-/hī́ya-te の受動的な(patientive)意味は二次的なものと理解される (AV 1x +, ava RV +, ni RV 2x (= AV 1x), vi ŚB, AĀ; Amano 2009: 205, fn. 385; Kulikov 2012: 448–451).(3)Ja I 181 v. 23 yadā yadā yattha yadā  yattha yattha yadā yadā / ājañño kurute vegaṁ  hāyanti tattha vāḷavā //「いつでもどこでも,どこでもいつでも,よ い生まれの馬が激しい動きをする,そこでロバのような馬達は遅れを取る」.(4) D I 118 (119, 125, 126) yaṃ kho panāyaṃ parisā paribhaveyya, yaso pi tassa hāyetha. yassa kho pana yaso hāyetha, bhogā pi tassa hāyeyyuṃ.「また,この取り巻きがあざ 笑うなら,その者の評判は衰退する.また,評判が衰退するなら,その者の享受 物も衰退する」.

使役 hāpaya-ti は「捨てる,放棄する」を意味する(GopB 1x,Sū,Ep +).上述の hā- の基本的な意味に基づけば,使役のこのような意味は対象を去らせる点にあ るとも考えられるだろう.(5)Sn 37 mitte suhajje anukampamāno  hāpeti atthaṃ paṭibaddhacitto / etaṃ bhayaṃ santhave pekkhamāno  eko care khaggavisāṇakappo // 「盟友や友に同情していると,心が縛り付けられている者は実利を捨てる.親しみ の中でそのことを恐怖として見ながら,犀の角のように,独り行くべきである」.

(6)Mil 169 yadi mahārāja tathāgato kiriyaṃ kiriyaṃ hāpeyya, bodhaneyyā sattā na bujjheyyuṃ.「もし,大王よ,如来がなされるべきことを次々と放棄するならば, 目覚めうる衆生達は目覚めなくなってしまう」.

3.hīya-ti,hāya-ti と現在,使役との関係性

BHSG(§37.38)は jñāya-tekhyāya-te などに基づく類推と説明し,Oberlies(2001: §53)は現在 jahāti に基づく改変とする2)

ヴェーダ語では BaudhŚrŚū に 2 回のみ,接頭辞 pari-とともに重複現在が現れる (BaudhŚrŚū 20.1 parijahyāt, 25.5 parijahati).しかしパーリ語において pari- が付される 場合,使役 pari-hāpe-ti,ya- 現在 pari-hāya-ti が作られ,jahā̆-ti,hīya-ti は現れな い.反対に,pra- を伴う場合は現在 pa-jahā̆-ti,ya- 現在 pa-hīya-ti が現れ,hāpe-ti,hīya-ti は用いられない.これらの組み合わせは意味の点で,それぞれ vt.,vi. の対立を作っている.このことは叙事詩等のサンスクリット語文献や Buddhist Hybrid Sanskrit においても一致する.従って pari-,pra- とともに用いられる場合, パーリ語では -jahā̆-ti,-hīya-ti と -hāpe-ti,-hīya-ti が相補分布をなしていることに なる3).言い換えれば,pari- を伴う場合,使役語幹が現在時制を担っている. パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉) (247)

パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について

稲 葉 維 摩

1.はじめに

動詞語根 hā- はヴェーダ語において,重複現在 jáhāti(3sg.),jáhati(3pl.)と活 用し,「後にする,去る,放棄する」を意味する.ya- 現在 hīyá-/hī́ya-te は「遅れ をとる,残っている,衰退する,inst. を失う,abl. から離れる」を表す.パーリ 語において現在は jahā̆-ti となる.そして ya- 現在はヴェーダ語と一致する hīya-ti も存在する一方,標準階梯の語根に -ya- 接辞を付した形 hāya-ti が頻繁に用いられ る.この語形成はどのように理解されるべきか.両者はどのように区別されるの か.これまでの文法書では類推や改変によるものとして簡単にふれられてきたの みであるが,本稿では hīya-ti,hāya-ti が現在形,使役形それぞれとの対立関係を 作っている可能性を指摘する.

2.パーリ語における変化と用法の概観

重複現在 jáhā-/jáh-(RV+, EWAia, PW)はパーリ語において,dádā-/dád-「与える」 (Pā. dadā̆-)などの重複現在と同様,その母音交替をやめている(Geiger 1916: §142,

143).jahā- は 1sg. jahāmi を除いて韻文に現れるに留まり,a- 語幹 jaha- が韻文,

散文のどちらにおいても用いられる1).意味に関して,hā- は動作主が対象を置い

て行く,後に残して去って行く動作を表す.(1)M II 235 seyyathā pi bhikkhave yaṃ chāyā jahati taṃ ātapo pharati. yaṃ ātapo jahati taṃ chāyā pharati.「それは例えば, 比丘達よ,影が去ると,そこに日光が広がる.日光が去ると,そこに影が広がる」. (2)A IV 198 (199) puna ca paraṃ bhante yā kāci mahānadiyo, seyyathīdaṃ gaṅgā

yamunā aciravatī sarabhū mahī, tā mahāsamuddaṃ patvā jahanti purimāni nāmagottāni, mahāsamuddo tv eva saṃkhaṃ gacchanti.「また他に,尊き君,どんな大河も,それ は例えばガンガー,ヤムナー,アチラヴァティー,サラブー,マヒー,そういっ た諸々は大海に達して後,以前の名と姓を後にし,大海という総称に行く」. (246) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月

(3)

来る場合,月は色を失い,円を失い,輝きを失い,高さと幅を失うようである. …それは例えば,尊き君,白月の時,夜が,あるいは昼がやって来る場合,月は 色を増し,円を増し,輝きを増し,高さと幅を増すようである」.他方,uppajja-ti「生じる」と対比される時は「消滅する,なくなる」が意図される.(9)D II 215 (S III 47) tassa evaṃ jānato evaṃ passato avijjā pahīyati vijjā uppajjati.「そこでこの ように認識し,このように見ている者に,無智は消滅し,智が生じる」.

4.結論

動詞語根 hā- の ya- 現在 hīyá-/hī́ya-te に対して,パーリ語では hīya-ti がこれと一 致する一方,hāya-ti が新たに現れる.hāya-ti は文法書において,類推や改変形と して簡単にふれられてきただけであった.本稿では,hīya-ti,hāya-ti が現在 jahā̆-ti,使役 hāpe-ti それぞれとの意味に関わる対立関係にあることを指摘した.即ち, jahā̆-ti(vt.)と hīya-ti(vi.),hāpe-ti(vt.)と hāya-ti(vi.)が一つの組み合わせを作っ ているものと考えられる.

 1)他の動詞と同様,パーリ語では現在形を基礎としてアオリストや未来等が作られる.  2)今回,類推のモデルにふさわしい例を見つけるには到らなかった.今後の課題とし

たい.

 3)語根 Cā- の pass. Cī-ya- がパーリ語において,hāya- のように,Cāya- として現れる例 は hā- の他,antar-dhā-,niḥ-sthā- の 2 つである.dhā-,sthā- はパーリ語において pres. dahati,tiṭṭha-ti,pass. dhīya-ti,-ṭhīya-ti となるが,antar-,nis- が付加される場合に限 り,antaradhāya-ti,niṭṭhā-/niṭṭhāya-ti の形が現れ,vi. の意味を表す.そして caus. antaradhāpe-ti,niṭṭhāpe-ti が vt. の意味を表し,現在形は用いられない.

 4)avahiyyase Th 115; avahīyasi Ja IV 424 v. 114 = V 359 v. 90, IV 426 v. 120, v. 122 = V 340 v. 20 = 362 v. 103; ohiyyati Vin IV 150 (sutta-vibhaṅga, pācittiya 78); ohīyeyya Vin IV 229, 230 (bhikkhunī-vibhaṅga, saṅghādisesa 3); ohīyi(aor. ind. 3sg., hīya-ti からの形成)Vin IV 229; ohīyissati Vin IV 229(2x); nihīyati, nihiyyati D III 182v = Vin V 168v = Ja IV 26 v. 45cd, D III 185v, A I 126v = 127v = Ja III 324 v. 14, Ja IV 108 v. 44(2x), Th 555.

 5)hīyati A I 150v; hiyyare Ap 331 v. 13; hiyyetha Ja II 65 v. 39; hiyyamāna- Th 114, 1033; vihīyasi Ja VI 499 v. 1789; vihāyati D III 185v, Th 232, 390; vihāyissati S IV 394, 395, 397(2x).

 6)当詩節は Uv 25.5 とパラレルである.パーリ語の ab パーダは 12 音節(cadence は∪– ∪––̆ ),Uv 25.5 は 11 音節 triṣṭubh である.パーリ語の nihīyati は hīyati と対応してい る.Uv 25.5 hīyati p(u)ruṣo ni(hīna)sevī  na tu khal(u hāyeta) tulyasevī / śreṣ(ṭh)am upagato hy upaiti (śraiṣṭhyaṃ)  (ta)sm(āc) chreṣṭham ihātmano bhajeta //

パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉) (249) jahā̆-ti(vt.) hīya-ti(vi.) hāpe-ti(vt.) hāya-ti(vi.)

simplex ○ ○ ○ ○ ava- × ○ × × ni- × ○ × × pari- × × ○ ○ pra- ○ ○ × × vi-pra- ○ × × × vi- ○ ○(Ja 1x) × ○

ava-,ni- を伴う場合は hīya-ti のみ現れる.これらの用例は,ava-hīya-ti の Vin IV 150,229 の例を除いて,すべて韻文にしか現れず,用例も多くない4).simplex と vi- が付加される場合,hīya-ti,hāya-ti のどちらも現れるが,前者は韻文に限ら れ,用例は少ない(なお,vi-hāya-ti の用例もわずかである)5).対して,hāya-ti は韻 文,散文のどちらにも頻繁に現れる.(7)では 1 詩節の中に nihīya-ti と hāya-ti が 現れる.内容の点で両者は対比されるが,ここに hīya-ti は現れない.(7)A I 126v (127v, Ja III 324 v. 14)6) nihīyati puriso nihīnasevī  na ca hāyetha kadāci tulyasevī / seṭṭham upanamam udeti khippaṃ  tasmā attano uttariṃ bhajetha //「低い者に従う人は 滅びるが,等しい者に従う者はどんな時も衰退しないだろう.最高の者に近づく 者は速やかに上昇する.それ故,自分より勝れた者を得るべきである」.以上のこ とから,hāya-ti が可能なパラダイムでは,hīya-ti は生産的でない,古風な形だっ たと考えられる.

以下,hīya-ti,hāya-ti の用法を論じる.vaḍḍha-ti(várdha-te)「増える,成長す る」と対比される場合,hīya-ti,hāya-ti は徐々に衰退していく様子を表すと理解 される.(8)も月の満ち欠けの比喩であるが,定動詞 hāyati,vaḍḍhati の主語が示 されていない.両者は非人称動詞として用いられているものと考えられる.非人 称動詞は基本的に自然現象や感情を表す.ヴェーダ語で非人称動詞の主体は acc. か gen. をとる(Delbrück 1888: 3–6).(8)でも同様に,gen. が主体を表している. (8)S II 206–207 (A V 19, 123–126) seyyathā pi bhante kāḷapakkhe candassa, yā ratti vā

divaso vā āgacchati, hāyat’ eva vaṇṇena hāyati maṇḍalena hāyati ābhāya hāyati ārohapariṇāhena. . . . seyyathā pi bhante juṇhapakkhe candassa, yā ratti vā divaso vā āgacchati, vaḍḍhat’ eva vaṇṇena vaḍḍhati maṇḍalena vaḍḍhati ābhāya vaḍḍhati ārohapariṇāhena.「それは例えば,尊き君,黒月の時,夜が,あるいは昼がやって (248) パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉)

(4)

来る場合,月は色を失い,円を失い,輝きを失い,高さと幅を失うようである. …それは例えば,尊き君,白月の時,夜が,あるいは昼がやって来る場合,月は 色を増し,円を増し,輝きを増し,高さと幅を増すようである」.他方,uppajja-ti「生じる」と対比される時は「消滅する,なくなる」が意図される.(9)D II 215 (S III 47) tassa evaṃ jānato evaṃ passato avijjā pahīyati vijjā uppajjati.「そこでこの ように認識し,このように見ている者に,無智は消滅し,智が生じる」.

4.結論

動詞語根 hā- の ya- 現在 hīyá-/hī́ya-te に対して,パーリ語では hīya-ti がこれと一 致する一方,hāya-ti が新たに現れる.hāya-ti は文法書において,類推や改変形と して簡単にふれられてきただけであった.本稿では,hīya-ti,hāya-ti が現在 jahā̆-ti,使役 hāpe-ti それぞれとの意味に関わる対立関係にあることを指摘した.即ち, jahā̆-ti(vt.)と hīya-ti(vi.),hāpe-ti(vt.)と hāya-ti(vi.)が一つの組み合わせを作っ ているものと考えられる.

 1)他の動詞と同様,パーリ語では現在形を基礎としてアオリストや未来等が作られる.  2)今回,類推のモデルにふさわしい例を見つけるには到らなかった.今後の課題とし

たい.

 3)語根 Cā- の pass. Cī-ya- がパーリ語において,hāya- のように,Cāya- として現れる例 は hā- の他,antar-dhā-,niḥ-sthā- の 2 つである.dhā-,sthā- はパーリ語において pres. dahati,tiṭṭha-ti,pass. dhīya-ti,-ṭhīya-ti となるが,antar-,nis- が付加される場合に限 り,antaradhāya-ti,niṭṭhā-/niṭṭhāya-ti の形が現れ,vi. の意味を表す.そして caus. antaradhāpe-ti,niṭṭhāpe-ti が vt. の意味を表し,現在形は用いられない.

 4)avahiyyase Th 115; avahīyasi Ja IV 424 v. 114 = V 359 v. 90, IV 426 v. 120, v. 122 = V 340 v. 20 = 362 v. 103; ohiyyati Vin IV 150 (sutta-vibhaṅga, pācittiya 78); ohīyeyya Vin IV 229, 230 (bhikkhunī-vibhaṅga, saṅghādisesa 3); ohīyi(aor. ind. 3sg., hīya-ti からの形成)Vin IV 229; ohīyissati Vin IV 229(2x); nihīyati, nihiyyati D III 182v = Vin V 168v = Ja IV 26 v. 45cd, D III 185v, A I 126v = 127v = Ja III 324 v. 14, Ja IV 108 v. 44(2x), Th 555.

 5)hīyati A I 150v; hiyyare Ap 331 v. 13; hiyyetha Ja II 65 v. 39; hiyyamāna- Th 114, 1033; vihīyasi Ja VI 499 v. 1789; vihāyati D III 185v, Th 232, 390; vihāyissati S IV 394, 395, 397(2x).

 6)当詩節は Uv 25.5 とパラレルである.パーリ語の ab パーダは 12 音節(cadence は∪– ∪––̆ ),Uv 25.5 は 11 音節 triṣṭubh である.パーリ語の nihīyati は hīyati と対応してい る.Uv 25.5 hīyati p(u)ruṣo ni(hīna)sevī  na tu khal(u hāyeta) tulyasevī / śreṣ(ṭh)am upagato hy upaiti (śraiṣṭhyaṃ)  (ta)sm(āc) chreṣṭham ihātmano bhajeta //

パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉) (249) jahā̆-ti(vt.) hīya-ti(vi.) hāpe-ti(vt.) hāya-ti(vi.)

simplex ○ ○ ○ ○ ava- × ○ × × ni- × ○ × × pari- × × ○ ○ pra- ○ ○ × × vi-pra- ○ × × × vi- ○ ○(Ja 1x) × ○

ava-,ni- を伴う場合は hīya-ti のみ現れる.これらの用例は,ava-hīya-ti の Vin IV 150,229 の例を除いて,すべて韻文にしか現れず,用例も多くない4).simplex と vi- が付加される場合,hīya-ti,hāya-ti のどちらも現れるが,前者は韻文に限ら れ,用例は少ない(なお,vi-hāya-ti の用例もわずかである)5).対して,hāya-ti は韻 文,散文のどちらにも頻繁に現れる.(7)では 1 詩節の中に nihīya-ti と hāya-ti が 現れる.内容の点で両者は対比されるが,ここに hīya-ti は現れない.(7)A I 126v (127v, Ja III 324 v. 14)6) nihīyati puriso nihīnasevī  na ca hāyetha kadāci tulyasevī / seṭṭham upanamam udeti khippaṃ  tasmā attano uttariṃ bhajetha //「低い者に従う人は 滅びるが,等しい者に従う者はどんな時も衰退しないだろう.最高の者に近づく 者は速やかに上昇する.それ故,自分より勝れた者を得るべきである」.以上のこ とから,hāya-ti が可能なパラダイムでは,hīya-ti は生産的でない,古風な形だっ たと考えられる.

以下,hīya-ti,hāya-ti の用法を論じる.vaḍḍha-ti(várdha-te)「増える,成長す る」と対比される場合,hīya-ti,hāya-ti は徐々に衰退していく様子を表すと理解 される.(8)も月の満ち欠けの比喩であるが,定動詞 hāyati,vaḍḍhati の主語が示 されていない.両者は非人称動詞として用いられているものと考えられる.非人 称動詞は基本的に自然現象や感情を表す.ヴェーダ語で非人称動詞の主体は acc. か gen. をとる(Delbrück 1888: 3–6).(8)でも同様に,gen. が主体を表している. (8)S II 206–207 (A V 19, 123–126) seyyathā pi bhante kāḷapakkhe candassa, yā ratti vā

divaso vā āgacchati, hāyat’ eva vaṇṇena hāyati maṇḍalena hāyati ābhāya hāyati ārohapariṇāhena. . . . seyyathā pi bhante juṇhapakkhe candassa, yā ratti vā divaso vā āgacchati, vaḍḍhat’ eva vaṇṇena vaḍḍhati maṇḍalena vaḍḍhati ābhāya vaḍḍhati ārohapariṇāhena.「それは例えば,尊き君,黒月の時,夜が,あるいは昼がやって (248) パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉)

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ジャイナ教における万物一体観

渡 辺 研 二

1.はじめに

普通,ウパニシャッドに説く,個別の我(アートマン)は万有に共通の原理であ り,主宰者にほかならぬ,と認められる.一方,ジャイナ教の教義では,個別の 独立した個々の霊魂の存在を認める.つまり,多数の実体的な個我のみを認める 多我説に立っているとされている.このことは一般に周知の思想史的事実であろう. さて,日々の生活の内にあっては,われわれは自分の苦楽を自分自身のうちに のみ感じるのであって,自分以外の他人のうちには感じないのに,なぜ自分は他 の人に同情をし,共感を持てるのであろうか,と不思議に思うことがある.普通 に考えれば自分と他人とは別物であろうというのがわれわれの常識である.ただ インドの伝統の中には自己が他人あるいは他の生きもの,またはそれ以上の万物 と同一であるという主張をする思想が見られる.ところでジャイナ教の古聖典『ダ サヴェーヤーリヤ・スッタ』(Dasav.)とヒンドゥー教の聖典『バガヴァッド・ギー ター』(Bhag. G.)に次のような「自分と他の生きものが同じである」というような ことを意味する共通の表現が見られる.大きく見れば,自分と万物が一体である ともとれる表現であり,注目に値する. 『ダサヴェーヤーリヤ・スッタ』 『バガヴァッド・ギーター』

savva-bhūy’appa-bhūyassa yoga-yukto viśuddh’ātmā sammaṃ bhūyāi pāsao / vijit’ātmā jitendriyaḥ / pihiy’āsavassa dantassa sarva-bhūt’ātma-bhūt’ātmā

pāvaṃ kammaṃ na bandhaī // Dasav. IV, 9 kurvann api na lipyate // Bhag. G. V, 7

一切の生類を自己とする人に, 「行為の」ヨーガに専心し,自己を清め, 正しく諸々の生類を見つつある人に, 自己を制御し,感官を制し, 漏の閉じたる人に,悪業は結ばず. その自己が万物の自己となった者は, (松濤誠廉訳) 行為をしても汚されない. (上村勝彦訳) 印度學佛敎學硏究第 65 巻第 2 号 平成 29 年 3 月 (251) 〈略号〉

パーリ語文献の略号は A Critical Pāli Dictionary に従う.

ヴェーダ文献の記号は日本印度学仏教学会の「ヴェーダ文献学関係略語および書誌一 覧」(2015 年 10 月 5 日版)に従い,ここに掲載されていないものを以下にあげた. AĀ Keith, Arthur B. 1909. The Aitareya Āraṇyaka. Oxford: The Clarendon Press. AV Roth, Rudolph, William D. Whitney, and Max Lindenau. 1924. Atharva Veda Sanhita.

Herausgegeben von Rudolph Roth und William D. Whitney. Zweite verbesserte Auflage besorgt von Max Lindenau. Berlin: Ferd. Dümmlers Verlag.

BHSG Edgerton, Franklin. 1953. Buddhist Hybrid Sanskrit Grammar and Dictionary. Vol. 1, Grammar. New Haven: Yale University Press.

GopB Gaastra, Dieuke. 1919. Das Gopatha Brāhmaṇa. Leiden: E. J. Brill.

Uv Bernhard, Franz. 1965–1968. Udānavarga. 2 vols. Sanskrittexte aus den Turfanfunden X. Göttingen: Vandenhoeck & Ruprecht.

〈参考文献〉

Amano, Kyoko. 2009. Maitrāyaṇī Saṁhitā I–II: Übersetzung der Prosapartien mit Kommentar zur Lexik und Syntax der älteren vedischen Prosa. Bremen: Hempen Verlag.

Delbrück, Berthold. 1888. Altindische Syntax. Halle an der Saale: Verlag der Buchhandlung des Waisenhauses.

Geiger, Wilhelm. 1916. Pali Literatur und Sprache. Strassburg: K. J. Trübner.

Kulikov, Leonid. 2012. The Vedic -ya-presents: Passives and Intransitivity in Old Indo-Aryan. Amsterdam: Rodopi.

Oberlies, Thomas. 2001. Pāli: A Grammar of the Language of the Theravāda Tipiṭaka. Berlin: Walter de Gruyter.

〈キーワード〉 パーリ語,動詞,ya- 現在,hīya-ti,hāya-ti

(大谷大学任期制助教,博士(文学)) (250) パーリ語における hīya-ti,hāya-ti について(稲 葉)

参照

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