1 陸軍火薬研究所の歴史―陸軍化成爆薬についての論考―日本火薬工業会 元技術顧問 栗原洋一 1)概要 陸軍火薬研究所で製造実験された化成爆薬について記録は残されていないため、軍用化成爆薬の代 表的なものとしてTNT、ピクリン酸、PETN、RDX、テトリルの5種類を、日本火薬工業会が所蔵す る「火薬読本」1)、「火薬学」2)などの書籍に記載されている戦前の製造方法と装置について紹介し、 現在の製造法と比較し併せて爆薬製造実験室の構造について考察した。 2)TNT の製造 TNT(トロチル)はトリニトロトルエンの略称で、1863 年 Wilbrand が初めて合成したといわれる。長 谷川の「陸戦兵器の全貌」3)によれば、ピクリン酸に比べ腔発が起きにくい安全度の高い爆薬であるた め、陸軍の爆薬(茶褐薬)として採用されたものである。陸軍では明治 39 年頃から研究をはじめ、大正 7 年に制式に採用され、明治42 年には板橋(王子)、 昭和 8 年宇治にて製造した。TNT の製造方法 は、三段硝化法と二段硝化法があり、浜田の「火 薬読本」1)によれば「トルオールを硫硝混酸で モノニトロトルオール(MNT)にし、さらに 混酸を注加してジニトロトルオール(DNT)と する。次に廃酸を排出して硫酸を加え加熱する とDNTは硫酸中に溶解し、硝酸を加えて加熱 するとTNT が出来る。」と記載されている。 ←図1 トルオール硝化器(「火薬学通論」よ り) 山本の「火薬学通論」4)によれば「硝化器は 鋳鉄製円筒形をなし、椀型の蓋がありマンホー ル排気管を備えている。」とあり、三段硝化法 について「第 1 段はトルエンの中に混酸を仕込み MNT を作る。第 2 段は MNT を混酸中に加え DNT とする。第3 段は DNT に混酸を徐々に加え反応後 冷却するとTNT が析出する。」と書かれている。 図2はTNT 硝化法の変遷を比較したもので、日 本産業火薬会の「日本産業火薬史」5)によれば「明 治42 年板橋での製造法は三段硝化法で、強い混酸 を少量使用したようで、又各次硝化には新酸を使用 しており得率が低かった。」と記載されており、硫 酸、硝酸の濃度や順序により差が出たことがわかる。 ←図2 TNT 製造工程比較(「日本産業火薬史」よ り) 現在のTNT 製造方法は MNT を硝化して DNT とし、さらに硝化してTNT にする2段硝化による
2 方法で、中国化薬のTNT プラント写真(中国化薬(株)HP 参照)を見ると、製造工室は 2、3 階構造 となっている。 中原らの「新編火薬学概論」 6)により、現在の連続 TNT 製造設備の概略図を図3に示 すが、図中のAからEまでが 硝化器であり、FからIが洗 滌器である。 出発原料はニトロトルエン で、硝化器にてニトロ化して TNT となり洗滌器により洗滌 する。 ←図3 TNT 連続製造設備概 略図(「新編火薬学概論」より) 一方、「日本産業火薬史」5)に記載したTNT 製造工室写真を見ると現在の工室と違い、平 屋建の製造工室となっており、硝化器らしき 設備が見える。 ←写真1 TNT 製造工室(「日本産業火薬史」 より) 3)ピクリン酸の製造 ピクリン酸はトリニトロフェノールのことで、黄色薬(海軍の下瀬火薬)ともいわれており、1873 年 Sprengel がピクリン酸の爆発性を証明した。偕行社の「砲兵沿革史」7)によれば、海軍で制式火薬とし て採用されたが、陸軍では日清戦争後制式に採用し、各種口径の 榴弾、破甲榴弾等に採用された。ピクリン酸の製造方法には石炭 酸法と塩化ベンゾール法がある。石炭酸法では硫化器内にベンゾ ールと硫酸を加えてスルフォン化し石炭酸を得る。石炭酸に硫酸 を加えフェノールスルフォン酸とし、硝化器内に硝酸を仕込みフ ェノールスルフォン酸を少量ずつ仕込み内容物を冷却するとピ クリン酸結晶が析出する。 ←図4 硫化機(「火薬学」より)
3 西松の「火薬学」2)には硫化機に ついて「硫化機は外套のついた鉛張 若しくはホーロー引き鋳鉄器で攪 拌槽を有する。」とある。 ←図5 硝化装置(「火薬学」より) 「火薬学」2)では硝化法について 「壺式硝化法は古くからおこなわ れており、硝化器は磁器の甕で冷却 槽に取り付けられており、硝化器に 硫酸を入れた後スルフォン酸を仕込む。反応が進むとフェノールが部分酸化されて蓚酸等となり硝酸煙 がするため凝縮槽にて捕集する。」と記載されている。また、塩化ベンゾール法について「火薬読本」1) には「モノクロルベンゾールを硝化してジニ トロクロルベンゾールとし、さらに苛性ソー ダを加えジニトロフェノールとし、これを混 酸により硝化してピクリン酸結晶にする。」と 書かれている。 ←図6 ピクリン酸連続硝化設備(「火薬化学」 より) 連続硝化法について西沢の「火薬化学」8) では図6の設備が紹介され、「硝化器は50 米 位の耐酸煉瓦の高塔で、スルホ石炭酸と廃酸 を流下させ、硝酸を噴霧器で同時に吹き込む。」 と書かれている。 その他のピクリン酸の製造法として、「火薬 化学」8)にはニトロベンゾール法、ベンゾール法、トリニトロクロロベンゾール法などがあるが、「新編 火薬学概論」6)によれば、現在工業的にはスルホフェノール法やクロルベンゼン法の2 種類であると書 かれている。 4)PETN の製造 PETN(ペンスリット)はペンタエリスリトールテトラナイトレイトの略称で、四硝酸ペンタエリス リットや陸軍では硝英薬ともよばれ、1891 年 Tollens によってはじめて合成された。「砲兵沿革史」7) によれば、昭和10 年頃から炸薬小銃弾、炸薬、徹甲信管の伝爆薬等に使われた。原料のペンタエリスリ ットは、アセトアルデヒドとホルマリンから生成される。PETN の製造方法について「火薬学」2)には 「細かく粉砕したペンタエリスリット(ペンタエリスリトール)を硝酸中に冷却しつつ溶解し硝化する。 さらに硝酸を加え冷却するとペンスリットが析出沈殿する。これを硫酸、水で置換しアルカリで中和す る。」と記載されている。
4 「日本産業火薬史」5)には、「陸軍宇治製造所にて昭和 10 年頃から終戦まで、旭化成延岡にて昭和 27 年から生産 していた。」との記録があり、同じく「昭和45 年旭化成工 業㈱雷管工場は PETN の事故で工室がなくなり、新たに 化薬工場に製造設備を建設した。」と記載され、図7の製 造工程図が載っている。 ←図7 PETN 製造工程図(「日本産業火薬史」より) 昭和40 年頃の旭化成工業㈱雷管工場製造工室図面9)を 見ると、工室の中二階にジャケット付硝化器があり、槽内 には冷却ブライン内蔵で攪拌機がついており、硝化後煮洗 槽にて中和して析出するようになっている。 「新編火薬学概論」6)によれば、現在のPETN の製造 方法には以下の5つの方法があるが、(1)の硝酸のみで 硝酸エステル化して製造するのが一般的であると書かれ ている。 (1)硝酸のみを使用する (2)硝酸で硝化し、次に硫酸を加えて反応を完結する (3)硫酸を溶解したのち、硝酸を加える (4)硫酸を溶解したのち、硫硝混酸を加える (5)硫硝混酸を使用する 5)RDX の製造 RDX(ヘキソーゲン)はトリメチレントリニトラミン、シクロナイトのことで、陸軍では硝宇薬と呼 ばれ、1899 年 Hennig が最初に合成した。大正 13 年以降に火薬研究所で研究を開始し、昭和 8 年王子 火薬製造所にて中間試験、宇治火薬製造所にて連続硝化式のパイロットプラントから、十数年かけて工 業生産設備での製造ができるようになったと「日本産業火薬史」5)や「陸戦兵器の全貌」3)に書かれて いる。「砲兵沿革史」7)によれば、「陸軍では昭和初期から弾丸の伝爆薬、信管の起爆薬に採用されたが、 量産となるのは昭和 10 年以降であった。」と書かれている。RDX の製造方法は「火薬学」2)に、硝酸 法として「硝酸を硝化器に入 れ冷却しつつウロトロピン を少しずつ仕込む。仕込み後 水を加えて希釈しヘキソー ゲンを沈殿させる。この結晶 を洗浄乾燥する。」と書かれ ている。 ←図8 RDX 製造設備(「日 本陸軍火薬史」より) 桜花会の「日本陸軍火薬史」 10)には陸軍宇治火薬製造所
5 にて製造していたヘキソーゲンの製造工程と製造設備が記載されている。その中に RDX の硝酸法によ る工程は「硝酸機に硝酸を仕込み、これを5℃以下に冷却しながらウロトロピンを仕込み、硝化、熟成、 希釈工程を経て出来る。」と記載されている。また、「温度が上昇すると分解するので、硝酸を5℃以下 に冷却することがポイント」と書かれており、温度コントロールが重要であることがわかる。 「日本産業火薬史」5)には、RDX の海軍製造法として硝化の方法は同じであるが、アセトンで再結晶 させるのに対し、日本油脂の方式はアセトンではなく加圧煮洗後に水洗する方式であり、朝鮮窒素火薬 の方式は、陸軍と同様連続硝化方式であると書かれている。 「新編火薬学概論」6)によれば、RDX の製造法には以上の硝酸法の他に無水酢酸法があり、ウロト ロピン、硝酸、硝酸アンモニウム、無水酢酸を反応させてつくる方法であるが、大規模でないと採算が 取れないとある。「日本産業火薬史」5)には、図9の無水酢酸法によるRDX 製造工程図が記載されてお り、この製造法は昭和42 年 頃から行われていると書か れている。 ← 図 9 RDX 製造工程図 (「日本産業火薬史」より) 6)テトリルの製造 テトリルとはテトラニトロメチルアニリンの略称で、陸軍では茗亜薬と呼ばれ、1877 年 Martens が 最初に合成した。大正10 年頃から TNT の伝爆薬として用いられ、大正11 年よ り板橋、昭和17 年宇治などで製造され た。テトリルの製造方法について「火薬 読本」1)には、「硝化器3 内に硫酸を入 れて冷却攪拌しつつヂメチルアニリン 槽 2 から注入する。注入後溶液を楊液 器 4 に落とす。次に硝化器 3 に硝酸を 入れ、ヂメチルアニリンの硫酸溶液を少 量ずつ流し込む。硝化後濾過器 5 に落 しとし水洗浄で濾過する。」と書かれて いる。 ←図 10 テトリル製造装置(「火薬学」 より) 「火薬読本」1)にはテトリルの製造 設備について「硝化器はホーロー引きでホーロー引きの攪拌機を有する。洗滌は廃酸を除いた後テトリ ルに希硫酸を注いでグーチ濾過器に送り水で洗浄する。」と記載されている。
6 ←図11 テトリル硝化器(「火薬・花火及びマッチ」より) 山本の「火薬・花火及びマッチ」11)にはテトリルの硝化器の一例が 記載されており、他の爆薬の硝化器と同様、冷却用の配管と攪拌機がつ いていることがわかる。 「日本産業火薬史」5)によると、テトリルの生産について日本化薬は 昭和5 年から、旭化成は昭和 14 年から、日本油脂は昭和 25 年から生産 している記録がある。その中で「旭化成工業㈱雷管工場では、昭和 18 年に空襲のため工場が全停断水し、洗滌できないテトリルが自然爆発し たため、昭和27 年からペンスリットに切り替えた。」と記載されている ように、冷却洗條ができないと自然分解を起こすため安全対策が必要で あることがわかる。 「日本産業火薬史」5)によれば、テトリルの出発原料として(1)メチルアニリン、(2)メチルアミ ン、(3)ジメチルアニリンがあり、「新編火薬学概論」6)によれば、現在の標準的な製造法はジメチル アニリンを濃硫酸で硫化し、濃硝酸を加えてニトロ化する方法である。 7)爆薬製造設備の構造 爆薬製造実験室(火薬調合実験室)の建物は火薬研究所時代の建築物であるが、戦後野口研究所の工 作室などに使用されており、当時の実験設備は残っていない。唯一製造実験室の西側にある火薬調合実 験室は爆薬製造実験室の面影を残している。内部の隔壁はコンクリート製で厚さが30~40cmと通常よ りも厚くなっており、爆薬の製造装置があったことを覗わせる。 実験室(調整室)内部には隔壁や内部を監視する覗窓があり、操作用とみられる配管跡が多く残ってお り、現在の火薬工場における化成爆薬製造工室の構造とよく似ている。内部は鉄骨の足場組となってお り梯子なども見られるが、野口研究所にて使用していたものか戦前に使われていたものかわからない。 当時の爆薬製造工室の写真ではないが、浜田の「火薬読本」12)には、ジニトロナフタリン工場の写真 があったので参考までに添付した。 ←写真2 ジニトロナフタリン工場(「火薬読 本」より) この写真で見ると反応器は床面から高いと ころにあり、階段、デッキ構造であることが わかる。ジニトロナフタリンの製造方法につ いて「火薬読本」12)では「ナフタリンを混酸 でモノニトロナフタリンに、次に硫酸を溶解 して混酸を添加するとジニトロナフタリンが できる。」と書かれている。このように、化成 爆薬の製造はいずれも化合物を硝酸、硫酸に よりニトロ化することで爆薬になる。 次に爆薬の製造工室の構造について、昭和49 年通商産業省告示第 58 号第 5 条に放爆式構造の構造基 準が定められており、さらに日本火薬工業会の「火薬類製造所の保安管理技術」13)には放爆構造につい て「放爆構造とは工室の壁体の三方を厚く堅固な構造として、爆発の力に耐えさせ、前方および上方(屋
7 根)を脆弱軽量なものとして爆発の 力をその両方向に開放させようと するのが放爆式構造で、火薬量(停滞 量)が比較的少なく、かつ爆発力が比 較的弱い火薬類を取り扱う作業工 室に適用されるのが原則である。」 と書かれている。 ←図12 放爆構造図(「火薬類製造 所の保安管理技術」より) 図12 の放爆式構造図として(a)は少量の起爆薬の危険工室例であり、(b)は爆薬 100kg以下の 危険工室である。 放爆構造の建物では放爆面への出入口が放爆面側にあり、爆薬製造実験室(火薬調合実験室)も同様 に出入口が放爆面にあることから、実験で取り扱う火薬量が少量であるため放爆構造をしていたと考え られる。 8)陸軍化成爆薬の一覧 終戦まで火薬研究所に在籍していた手束誠治氏より得られた資料文献14)、15)などから、当時陸軍で研 究、製造された5種類の化成爆薬について、その特性、性能を下記の一覧表にまとめた。 9) 参考資料 1. 火薬読本(第 5 版)昭和 30 年(初版昭和 28 年)浜田顕吉郎 白亜書房 2. 火薬学(改訂増補版)昭和 28 年(初版昭和 7 年)西松唯一 共立出版 3. 陸戦兵器の全貌(上)昭和 28 年 長谷川長成 興洋社 4. 火薬学通論 昭和 25 年 山本祐徳(火薬学講義資料より) 5. 日本産業火薬史 昭和 42 年 日本産業火薬会 6. 新編火薬学概論 平成 26 年 中原正二、蓮江和夫、甲賀誠、伊達新吾 産業図書 7. 砲兵沿革史(第 3 巻)昭和 37 年 偕行社 8. 火薬化学 昭和 18 年 西沢勇志智 科学主義工業社 9. 旭化成工業㈱社内資料(カヤク・ジャパン㈱より入手資料) 10. 日本陸軍火薬史 昭和 44 年 桜花会 11. 火薬・花火及びマッチ 昭和 10 年 山本祐徳 共立社 12. 火薬読本 昭和 16 年 浜田顕吉郎 三菱鉱業㈱ 13. 火薬類製造所の保安管理技術(改訂 2 版)平成 21 年 日本火薬工業会 14. 陸軍爆薬の組成用途性能一覧表(手束誠治氏より入手資料) 15. 火薬爆薬の性能及製造法(飯田孝作氏講演資料)
8 爆薬名 TNT(トリニトロトル エン) ピクリン酸(トリニト ロフェノール) PETN(ペンスリッ ト) RDX(ヘキソーゲン) テトリル(テトラニ ト ロ メ チ ル ア ニ リ ン) 陸軍名称 茶褐薬 黄色薬 硝英薬 硝宇薬 茗亜薬 製造方法 ト ル オ ー ル →MNT → DNT→TNT 石炭酸→ピクリン酸 ペンタエリスリット→ ペンスリット ウロトロピン→ヘキソー ゲン ジメチルアニリン→ テトリル 原料 トルオール 石炭酸(フェノール) ホルマリン+アセトア ルデヒド→ペンタエリ スリット アンモニア+ホルマリン →ウロトロピン ジメチルアニリン 性能 外観 淡黄色 淡黄色 白色 白灰色 淡黄色 融点(℃) 80 122 140 200 130 発火点(℃) 300 300 180~205 230 190 溶解性 水不溶、溶剤、温硫酸易 温水可溶、溶剤可溶 水不溶、アセトン易 アセトン、ベンゼン易 アセトン、温硝酸易 比重 1.15 1.12 1.44 1.21 1.02 用途 各種砲弾炸薬の爆薬、爆 破用火薬 各種砲弾炸薬の爆薬、 爆破用火薬、伝爆薬 導爆索、雷管、信管筒 尾薬、伝爆薬 安瓦薬その他混合爆薬の 原料、伝爆薬、徹甲弾炸 薬 各種砲弾伝爆薬、20 粍級榴弾炸薬 特徴他 ― 日光、アルカリを含む Pb,Zn,Ni,Cu,Fe と の 塩は危険 着色硝英薬はベンガラ にて着色 摩擦衝撃を禁ず 摩擦衝撃を禁ず 研究開発時期 明治39 年頃 明治20 年頃 1891 年(ドイツ) 大正13 年 1906 年(ドイツ) 製造開始年 明治42 年 明治31 年 昭和14 年 昭和 12 年 昭和12 年 昭和8 年 大正11 年 陸軍化成爆薬性能一覧表