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Vol.14 , No.2(1966)069定方 晟「パリ國立圖書館所藏のサンスクリット寫本とその目録」

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(1)

パ リ國 立 圖 書 館 所 藏 の サ ン ス ク リッ ト

爲 本 と そ の 目録

I パ リ國 立 圖 書 館爲 本 課 は ヨ ー ロ ッパ(ギ リシ ヤ, ラ テ ン, フ ラ ン ス, イ タ リア, ス ペ イ ン 等)は 勿 論 西 南 ア ジア, イ ン ド, 東 南 ア ジア, 東 ア ジ ア, 中央 ア ジア 等 の爲 本 を藏 して い II る。 西 南 ア ジア の爲 本 は比 較 的早 くか ら豊 富 で あ つ た が, それ よ り更 に東 の 國 々 の爲 本 は ヨ III ー ロ ッパ の 東 洋 に おけ る貿 易, 傳 導 活 動 が い よい よ盛 ん に な つ た時 期 に起 因 す る。 學 者 は こ IV れ ら遠 東 の 國 々に 關 心 を寄 せ, 王 立 圖書 館 は1719年, イ ン ド以 東 の 書 物 を購 入 す べ く目録 を V 作 製 した。 以後, 爲 本 は 同 を重 ね て 圖書 館 に入 る よ うに な つた が, 目録 もそ れ に 慮 じて次 々 ど作 られ た。 い ま 私 は サ ン ス ク リ ッ トの爲 本 だ け に つ い て, そ の入 館 年 代 と入 館 事 情, 並 び に そ れ の 目 VI 録 作 製 の進 行 情 況 に つ い て 述 べ, パ リ國立 圖書 館 所 藏 の全 サ ン ス ク リ ッ ト爲本 に 封 す る概 括 的 な認 識 を供 し うる よ う試 み た。 本 稿 は圭 と し て下 記 参 考 書(2)に 依 り, 必 要 に 慮 じ て 他 の註 記 を加 え, さ らにFilliozat教 授 の校 閲 を添 う した。 教 授 に心 か ら感 謝 の意 を表 した い。 参 考 書

(1) Leopold Delisle:

Le Cabinet des Manuscrits

de la Bibliotheque

Imperiale,

Tome I, II, III, Planches,

Paris, 1868-1881.

(2) Jean Filliozat:

Catalogue

du Fonds Sanscrit,

Fascicule

I, Paris, 1941.

duction pp. I-XXI)

(3) Bernard

Pauly: Fragments

Sanskrits

de Haute Asie (Mission Pelliot),

Journal

Asiatique, annee 1965, Fascicule 1, pp. 83-121.

〔1〕い ま で こ そ 爲 本 は 圖 書 館 の 一 隅 を 占 め る に す き な い が, か つ て は 圖 書 館 と い え ぱ 爲 本

し か な か つ た。 圖 書 愛 好 家 で, 王 立 圖 書 館 の 創 始 者 と も 考 え ら れ る シ ャ ル ル 五 世(在 位1364

-80)は 死 ん だ と き1000蝕 り の 爲 本 を 残 し た。 シ ャル ル マ ー ニェ(在 位768-814)ま 王 室 に 筆

耕 と そ の 作 業 場(atelier des copistes)を お き, 僧 院 も こ れ を ま ね た。 ル イ 十 一 世(1498

-1515)の 時 代 に も 筆 耕 作 業 場 は あ り, フ ラ ン ソ ア ー 世(1515-47)の と き に は 作 家 は ま だ 爲

本 で 著 書 を 鰍 呈 し て い た。 但 し, 1400年 代 に 始 ま つ た 活 版 印 刷 術 は 急 速 に 獲 展 し, 1500年 ま

で に は 約 三 萬 種 の 本(各100∼1000部?)が 出 版 さ れ た と 想 定 さ れ る。(参 考 書(1), TomeI,

pp. 31, 112, 163; SVEIVD DAHL: Histoire du Livre, Paris, 1960, pp. 87, 121, etc.)

現 在 パ リ國 立 圖 書 館 の 爲 本 課(Departement des Manuscrits)に は 東 洋 爲 本 室(Salle

(2)

パ リ國 立 圖 書 館 所 藏 の サ ン ス ク リ ッ ト爲 本 と そ の 目 録(定 方) (151) 〔H〕1645年 の 王 立 圖 書 館 の 総 合 カ タ ロ グ は3930番 を 数 え た。 以 後 圖 書 館 の 藏 書 は 急 速 に ふ え た が, 1682年Nicolas Clementの 作 つ た カ タ ロ グ は1645年 の カ タ ロ グ に 記 載 さ れ な か つ た も の を 集 録 し た。 こ れ は10542番 を 敷 え, そ の う ち わ け は 次 の と お りで あ る。 ヘ ブ ラ イ 語 の 爲 本(以 下, 特 に 断 わ ら な い 限 り爲 本)(No. 1-282), 古 典 シ リ ア 語 或 い は カ ル デ ア 語 (283-309), サ ヤ リ ア 語(310-312), ア ル メ ニ ア 語(313-317), エ チ オ ピ ア 語(320-322), コ プ ト語(326-367), ア ラ ビ ア 語(368-1228), トル コ語(1229-1471), ペ ル シ ア 語(1472 1610), シ ナ 語 の 本(1611-1614), カ ナ リ ヤ 語(1615), ア ラ ビ ア 語 の 巻 物(1616, 1617)シ 雑 ま た は 僻 書(1620-1636), ギ リ シ ャ 語(1801-3538), ラ テ ン 語(3561-6700), フ ラ ン ス 語 お よ び 近 代 ヨ ー ロ ッパ 語(6701-10542)。 こ の う ち シ ナ 語 の も の は 櫃 機 卿 マ ザ ラ ン の 手 よ り入 館 し た も の で, 後1697年 に は シ ナ の 皇 帝 か ら ル イ14世 に49巻 の シ ナ 本 が 贈 られ, 1700 年 に は シ ナ と タ ル タ ル の 小 冊 子72がDe Fontenay紳 父 に よ つ て も た ら さ れ て い る。 イ ン ド の も の に 關 し て は1700年 ま でDelisleの 記 述 は な い。(参 考 書(1), Tome I, pp. 261-262, 290, 300) 〔III〕 フ ラ ン ス は ル イ14世(在 位1643-1715)の 時 代 に 強 力 な 重 商 主 義 を と り, 1664年 フ ラ ン ス 東 イ ン ド會 肚 を 再 建 し, 1673年Pondichery(イ ン ド東 岸)を, 1688年Chander-nagor(カ ル カ ッ タ の 北)を 獲 得 し た。 〔岡 こ の 圖 書 館 は 王 室 圖 書 館 か ら 獲 展 し た も の で あ る。 大 革 命 以 來, 全 て の 國 民 に 開 放 さ れ た が, 政 髄 の 改 革 に 従 い, 名 も王 立, 國 立, 帝 立 と 攣 つ た。 〔V〕1873年, 東 洋 資 料(Fonds Orientaux)の 全 品 目 は18642に 達 し た。 ヘ ブ ラ イ 語, ア ラ ビ ア 語 等 の も の が 大 き く増 加 し た の は 勿 論 だ が(cf. 註 〔II〕), サ ン ス ク リ ッ ト資 料 に つ い て も リス トの 第14の 項 に 孜 の 如 く記 さ れ て い る(参 考 書(1), Tome II, p. 324)。 14. サ ン ス ク リ ッ ト爲 本565(デ ー ヴ ァ ナ ー ガ リー 文 字316, ベ ン ガ ル 文 字249)。 14bis. 爲 本 そ の 他(ビ ュル ヌ ッ フ 蒐 集)271+東 洋 で 印 刷 ま た は 石 版 刷 りの 書 物57。 〔W〕 サ ン ス ク リ ッ トの 資 料 は 三 つ の グ ル ー プ に わ け る こ と が で き る(cf. 参 考 書(3)p-108, p. 109 n. 1, p. 84)。 a. い わ ゆ る 「サ ン ス ク リ ッ ト資 料 」1820番 但 し1809-1813は バ ー ミ ヤ ー ン 及 び 中 央 ア ジ ア の も の で, 現 在Guimet博 物 館 に 寄 託 ざ れ て い る。 b. 刻 文 の 拓 本 ネ パ ー ル の 刻 文 66 ヵ ン ボ ジ ア の 刻 文 1151 雲 南 の 刻 文 不 明 c. ペ リ オ 資 料3000-4000documents(殆 ど 断 片 で, 利 用 可 能 の も の1000-1500)

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(4)

パ リ國 立 圖 書 館 所 藏 の サ ン ス ク リ ッ ト爲 本 と そ の 目録(定 方) (153)

(1) Bignon(ビ ニ ヨ ン)紳 父 は1718年, 王 立 圖 書 館 の 司 書 に 任 命 さ れ る と, 當 時 王 立 コ

レ ー ジ ュ(Colleger oyal即 ちCollege de Franceの 前 身)の ア ラ ビ ア 語 の 教 授 を し て

(5)

-844-い たEtienne Fourmont(エ チ エ ン ヌ ・ フ ー ル モ ン)に 命 じ て, 王 立 圖 書 館 の た め に 購 入 す べ き, シ ナ, タル タ ル, イ ン ド, シ ャ ム 等 の 本 の リ ス トを 作 ら せ た。 こ の リ ス トは 1719年 に 出 來 あ が つ た。 そ れ は 二 部 作 ら れ た が, そ の 一 部 に は"Panjangam", "Vedam", "Ramayenam", "Bartrouherriの 作 品"な ど が 含 ま れ て い た。 こ の リ ス トは, 後 に 同 じ フ ー ル モ ン に よ つ て 作 られ た 新 しい リ ス トと 一 結 に1727年 フ ラ ン ス 東 イ ン ド 會 肚*の 役 人 た ち の も と に 迭 ら れ た。 1728年, ポ ン デ ィ シ ェ リ の 総 司 令 官 ル ノ ワ ー ル, 臨そ の 秘 書 シ ニ ャ ー ル, ポ ン デ ィ シ エ リ の ジ ェ 客 イ ッ ト宣 教 團 會 長Le Gac(ル ガ ッ ク)紳 父 ら は こ れ ら の リ ス トの 爲 し を イ ン ド各 地 の 宣 教 師 に 配 布 し た。 パ リ へ の 迭 本 は1729年 に 始 ま り, 1737年 ま で 毎 年 績 い た (迭 本 は 約300巻 に 達 し た)。 運 搬 と本 代 の 前 彿 い は 東 イ ン ド會 肚 が 引 き う け た。1731年 Calmette(カ ル メ ッ ト)紳 父 が 迭 つ た も の の 中 に は リ グ ヴ ェ ー ダ, ア ィ タ レ ー ヤ ー ラ ニ ヤ カ, ア イ タ レー ヤ ブ ラ ー フ マ ナ が 含 ま れ て い た。 外 に タ ミ ー ル, テ リ ン ガ, サ ン ス ク リ ッ トの 作 品 も あ つ た。 *イ ン ドにおける二度 の職 い-カ ルナ ティック職孚(1751-54)と プラッシーの職 い(1757)-に お いてフ ランスはイギ リス に敗れ, この會肚 もやがて勢力 を失 う。 (2) (1)の 一 環 と し て シ ャ ン デ ル ナ ゴ ル 在 のPons(ポ ン ス)神 父 の 牧 穫 は 最 大 で あ つ た。 彼 は 自 分 が 集 め た り, 人 に 爲 さ せ た り した サ ン ス ク リ ッ トの 著 作 の リ ス トを1733年 パ リ へ 迭 つ た。 そ の リ ス トは168の 作 品 を 含 ん で い た が, そ れ は ウ パ ニ シ ャ ッ ドの 諸 作 品, 文 法 書, 古 典 文 學 書, 哲 學 書(特 に ニ ヤ ー ヤ)な ど で あ つ た。 (3) 東 洋 の 本 の 蒐 集 が 進 む に つ れ カ タ ロ グ が 必 要 と な つ た。 ビ ニ ョ ン と フ ー ル モ ンが そ の

仕 事 に と り か か り, Catalogus manuscriptorum Bibliothecae Regiae, 1, Codices

ori-entales, Paris, 1739の 中(pp. 434-448)でCodices indiciの 目 録 を 獲 表 した。 こ れ は

287の 作 品 を 含 ん で い る。 (4) Anquetil-Duperroh(ア ン ク テ ィ ル ー デ ュ ペ ロ ン)は ど こ か ら のi援助 も な く, 23歳 で 軍 身 イ ン ドへ 書 物 の 蒐 集 に 向 つ た。 彼 は1762年 王 立 圖 書 館 へ180の 爲 本 を 持 ち蹄 つ た。 そ の 多 く は ア ヴ エ ス タ語, パ フ ラ ヴ ィ 語, ペ ル シ ャ 語, い くつ か の 近 代 イ ン ド語 に よ つ て 書 か れ た も の で, 6つ だ け が サ ン ス ク リ ッ トの もの で あ つ た。 彼 自 身 の カ タ ロ グ が あ る(Zend-Avesta…, Paris, 1771, t, I, P. DXL) (5) Jean-Baptiste-Joseph Gentil(J. B. J. ジ ャ ン テ ィ)は フ ラ ン ス 人 將 校 で あ つ た が, フ ァ ィ ザ バ ー ドで こ の 蒐 集 品 を 得 た。L. Delisleに よ れ ば 「1778年, ペ ル シ ャ 語 及 び サ ン ス ク リ ッ トの 爲 本 約174を も た ら し た。」(参 考 書(1), Tomel. P. 549.) (6) A. L. H. dePolier(A. L. H. ド ・ポ リエ)は イ ギ リス 東 イ ン ド會 肚 勤 務 の ス イ ス 人 將 校 で, そ の 蒐 集 品 の 一 部 が 彼 の 息 子 を と う し て 入 館 し た。 (7) 1805年 ア ン ク テ ィ ル の 死 に よ つ て, 彼 が 所 有 し て い た 文 書 類 が シ ル ヴ ヂ ス トル ・ ド ・ サ シ の 手 に 移 り, シ ル ヴ ェ ス トル ・ ド ・サ シ は こ れ を 圖 書 館 に 引 き 渡 し た げ

(6)

パ リ國 立 圖 書 館 所 藏 の サ ン ス ク リ ッ ト爲 本 と そ の 目 録(定 方) (155) ン グ レ ス)は 當 時 帝 立 圖 書 館 の 東 洋 爲 本 の 管 理 の 任 に あ つ た。 こ の カ タ ロ グ は デ ー ヴ ァ ナ ー ガ リ ー 文 字 の49の 爲 本, 種 々 の ベ ンガ ル 文 字 に よ る179の 爲 本, ベ ン ガ ル 語 の 作 品 敷 品 を 記 載 し た。 (9) こ の こ ろ, カ タ ロ グ は1739年 の カ タ ロ グ と, ハ ミル ト ンの カ タ ロ グ と, 新 し くFauriel (フ ォ リ エ ル)等 が 作 製 した 註 記(notice)と か ら な つ て い た。 た だ し, テ リ ン ガ 文 字 と ナ ン デ ィ ナ ー ガ リー の 爲 本 だ け は 新 し い 註 記 の 封 象 に な ら な か つ た。 (10) Ducler(デ ュ ク レー ル)は カ リ カ ルの 行 政 官 で あ つ た が, そ の 蒐 集 品 信 タ ミ ー ル 諦 と サ ン ス ク リ ッ トの 作 品 か ら な つ て い た。 サ ン ス ク リ ッ トの 作 品 は グ ラ ン タ 文 字 で 書 か れ て い る。 (11)Loiseleur-Deslongchamps(ロ ワ ズ ル ー ル ・デ ロ ン シ ャ ン)は1840年 に 死 ん だ と き, 小 数 な が ら サ ン ス ク リ ッ トの 爲 本 に 封 す る 新 し い 註 記(notice)を 作 つ て い た。 彼 を 繹 い だS. Munk(S・ ム ン ク)(失 明 し て1852年 退 館)は 新 しい 目 録 を つ くつ た が, ハ ミ ル ト ン と 同 様, 南 イ ン ドの 爲 本 に は 燭 れ な か つ た。

(12)B. H. Hodgson(B. H. ホ ジ ソ ン)はEugene Burnouf(ウ ー ジ ェ ー ヌ ・ビ ュ ル ヌ ッ フ)

の 依 頼 に よ り, 1837年 パ リの ア ジ ア 協 會(Soclete Asiatique)の た め に, 初 め24, 次 い

で64の 爲 本 の コ ピ ー(ナ ー ガ リ ー 文 字 あ る い は ネ パ ー リ ー 文 字)を 入 手 し て や つ た(ネ

パ ー ル で 現 地 人 に 爲 さ せ た も の)。 後 者(64)は だ だ ち に リ ス トが 獲 表 さ れ(Catalogue

des livres bouddhiques, ecrits ensanscrit, que M. B. H. Hodgson a fait copier

au Nepal pour le compte de la Societe Asiatique, et qui ont ete presentes au

Conseil dans sa seance du 14 juillet 1837, Journal Asiatique, septembre 1837, pp.

296-298), 1840年 王 立 圖 書 館 の 爲 本 室 へ 移 さ れ た。 ホ ジ ソ ン は 當 時 カ トマ ン ズ の イ ギ リ

ス 辮 理 公 使, ビ ユ ル ヌ ッ フ は ア ジ ア協 會 の 秘 書 で あ つ た。

初 め の グ ル ー プ の24の 爲 本 は 今 日 な お ア ジ ア 協 會 に 保 存 さ れ て お り, こ れ の カ タ ロ グ

は フ ィ リオ ザ 教 授 に よ つ て 作 ら れ た。J. Filliozat: Catalogue des Manuscrits

San-scrits et Tibetains de la Societe Asiatique, journal Asiatique 1941-42, pp. 1-81.

(13)ビ ・ユ ル ヌ ッ フ は ベ ン ガ ル ・ア ジ ア 協 會 の 秘 書James Prinsep(ジ ェ ー ム ズ ・プ リ ン セ

ッ プ)に ヴ ェ ー ダ 及 び 佛 敏 の 作 品 を パ リ へ 迭 つ て くれ る よ う依 頼 した。 そ れ ら の 爲 本 は

1840年 圖 書 館 に 到 着 し た。

(14)Charles d'Ochoa(シ ャ ル ル ・ ド シ ョ ア)は1816年Bayonneに 生 れ, 1835-36年 通 商

の た め イ ン ドを 訪 れ た。 彼 は マ ラ タ, ヒ ンデ ィ ー, ウ ル ドー, パ ン ジ ャ ビ の テ キ ス ト並 び に 或 る敷 の サ ン ス ク リ ッ トの 爲 本 を 含 む 蒐 集 品 を も た ら し た。

(15) シ ャ ル ル ・ ド シ ョ ア の コ レ ク シ ョ ン に 封 す る カ タ ロ グ は1846年 に つ く られ, 1848年 に

獲 表 さ れ た。 そ の う ち サ ソ ス ク リ ッ トの 部 は ビ ュ ル ヌ ッ フ に よ る も の でPP. 66-72.

(16)ビ ュ ル ヌ ッ フ(1852死)の コ レ ク シ ョ ン は1854年 入 館 し, 「ビ ュ ル ヌ ッ フ 資 料 」(fonds

Burnouf)を 形 成 し た。 ヴ ェ ー ダ と 佛 教 の も の が 多 か つ た。Cf. B. Duprat: Catalogue

des livres imprimes et manuscrits composant la Bibliotheque de feu M. Eugene

(7)

-842-Burnouf, Paris, 1854.

* J. Filliozat: Catalogue du Fonds Sanscrit, Fascicule IのIntroduction P. XII. に1845と ある

のは印刷の まちがい。

(17)J. F. M. Guerin(J. F. M. ゲ ラ ン)紳 父 は も と シ ャ ン デ ル ナ ゴ ル の 主 任 司 祭 で あ つ た

が, 血 統 の 絶 え た 或 る ペ ン ガ ル の 瞥 師 の 文 庫 を 買 い と り, カ タ ロ グ を 作 つ た。 多 く科 學

書 で あ つ た が, そ の コ レ ク シ ョ ン は1861年 圖 書 館 の 所 有 す る と こ ろ と な つ た。

(18)Leon Rodet(, レオ ン ・ロ デ)は グ ラ ン タ 文 字 の 爲 本 の 略 註 を つ くつ た。

(19)お よ そ100の 爲 本 が 碑 銘 學 文 藝 ア カ デ ミ ー(Academie des Inscriptions et Belles

Lettres)か ら 圖 書 館 に與 え ら れ た。 碑 銘 學 文 藝 ア ヵ デ ミ ー は こ れ を1877年 ラ ー・ジ エ ン

ド ラ ラ ー ル ・ ミ ト ラ か ら手 に 入 れ て い た。 多 くは 文 法 書 お よ び 古 典 文 學 書 で あ つ た。

1873年 に はPh. Ed. FoucauxもR. L. Mittraの 名 で 音 樂 の テ キ ス トを 入 館 さ せ で

い る。(参 考 書(1)T. II. p. 318) (20)Ernst Haas(バ ー ス)の 蒐 集 品 は グ ラ ン タ文 字, テ リ ン ガ 文 字 お よ び ナ ン デ ィ ナ ー ガ リー 文 字 の 爲 本 で, タ ミ ー ル の 爲 本 も あ つ た。 (21)Leon Feer(レ オ ン ・ フ ェ ー ル)は 圖 書 館 爲 本 課 の 司 書 で あ つ た。19世 紀 の 最 後 の 四1' 孕 分 を カ タ ロ グ の 作 製 の た め に 働 い た(1903年 ま で)が, そ の 仕 事 は 未 完 に と ど ま り, 出 版 さ れ ず に 終 つ た。 (22)1898年 碑 銘 學 文 藝 ア カ デ ミ ー か ら古 典 の 書 が 贈 られ た。 そ の 多 くは カ シ ミ ー ル 本 だ が. フ ー シ エ が 西 北 イ ン ドへ 第 一 同 の 學 術 調 査 を 行 つ た と き 集 め た も の で あ る。

(23)Emile Senart(エ ミル ・ ス ナ ー ル)は ス タ イ ン(Aurel Stein)が カ シ ミ ー ル で 蒐 集 し

た, 上 記(22)と 同 類 の コ レ ク シ ョ ン を 手 に 入 れ, これ を 圖 書 館 に 入 れ た。 ス ナ ー ル は ま た 古 い 時 代 の カ ロ ー シ ュ テ ィ ー 文 字 の 一 爲 本Dutreuil de Rhins(デ ュ トル イ ユ ・ ド ・ ラ ン ス爲 本)を 圖 書 館 に 入 れ た。 た だ し こ の 爲 本 は 中 期 イ ン ド語 の 方 言 で 書 か れ て い る た め, パ ー リ資 料 に 入 れ ら れ た。(fonds Pali, no 715)。 (24)圖 書 館 に い ろ い ろ な 爲 本 コ レ ク シ ョ ン が 集 ま り, 総 合 的 な 目 録 が 必 要 と さ れ た。 そ こ でAntoine Cabaton(ア ン ト ワ ー ヌ ・キ ャ バ トン)は イ ン ド, イ ン ドシ ナ, 及 び イ ン ド ネ シ ア の 全 て の 爲 本 コ レ ク シ ョ ン(fonds)の 略 述 的 な カ タ ロ グ を 作 つ た。 す な わ ち, こ れ ま で の 種 々 の 目 録 作 製 者 た ち が 爲 本 に 與 え て い た タ イ トル を そ の ま ま 再 録 した の で あ る。

Catalogue sommaire des Manuscrits Sanscrits et Palis, ler Fascicule Manu-scrits Sanscrits, 1907; 2e Fascicule Manuscrits Palis, 1908; Catalogue som-maire des Manuscrits indiens, indochinois et malayo-polynesiens, 1912.

(25)PaulPelliot(ポ ール ・ペ リ オ)(1906-1908探 険)の 資 料 は 数 吹 に わ た つ て 國 立 圖 書 館

に 入 つ た。 は じ め そ れ ら の 爲 本 は そ れ ら を 調 査 し, 分 類 し た 人 た ち の 手 に あ つ た が1910

年 か ら 圖 書 館 に 入 り始 め た。 ペ リオ 資 料(Fonds Pelliot)の 内 容 に つ い て み る に, そ

(8)

パ リ國立 圖書 館 所 藏 の サ ン ス ク リ ッ ト爲 本 とそ の 目録(定 方) (157)

シ ナ 語……3621+160+α……Pelliot, Wang Tchong-min(王

重 民), M.P. Demieville: 現 在MmeGuignard, Mlle

S6guy, MM. J. Gernet, Wu Chi-yu, (呉 其 豊), Dzo

(左), etc.

チ ベ ッ ト語 …2216番 以 上……MIIe Lalou(カ タ ロ グ をTome

III, No. 2216ま で 出 し た)

サ ン ス ク リ ッ ト…3000-4000documents(利 用 可 能1000-1500)…M. B. Pauly

ク ッ チ ャ 語 …799documents……M. Walter Couvreur

ソ グ ド語 …78……R. Gauthiot, M. E. Benveniste ウ イ グ ル 語 …388……M. J. R. Hamilton コ ー タ ン語 …66MSS.……M. H. W. Bailey (26)カ ンボ ジ ア の イ ン ス ク リ プ シ ョ ン(拓 本), ネ パ ー ル の イ ン ス ク リ プ シ ョ ン, イ ン ド の イ ン ス ク リ プ シ ョ ン(拓 本)は 敷 次 に わ た つ て 圖 書 館 に 入 つ た。 ネ パ ー ル の イ ン ス ク リ プ シ ョ ン は シ ル ヴ ア ン ・ レ ヴ ィ の 學 術 調 査 に よ つ て 得 られ た も の で あ り, イ ン ドの は

E. Senart; The inscriptions in the Cave at Nasik, Eplgraphia Indica VIII, 1905, p.

59-46に 獲 表 さ れ た ナ ー シ ク の イ ン ス ク リ プ シ ョ ンの 拓 本 で あ る。

(27)ま たG. Coedes: Inventaire des Inscriptions du Champa et du Cambodge,

Ha-noi, 1908-Reimpr. deBEFEO, VIII, 1908, pp. 37-92. 外 に 次 の も の に 補 遺 が あ る。

G. Coedes: Inscriptions du Cambodge, Vol I, 1937, p. 272-312; Vol. II, 1942, p.

207-212. (28)ス ナ ー ル は ジ ャ ィ ナ の 爲 本 を 圖 書 館 に 遺 贈 した(1928)。 (29)Palmyr Cordier(パ ノレ ミ ー ル ・コ ル デ ィ エ)の コ レ ク シ ョ ン は1932年 に 圖 書 館 に 入 つ た。 コ ル デ ィ エ は 圭 と し て1898年 か ら1902年 の あ い だ に イ ン ド に お い て200近 い 馨 學 お よ び 煉 金 術 の サ ン ス ク リ ッ トの テ キ ス トを 手 に 入 れ た り, 爲 さ せ た り して い た の で あ る。 彼 の コ レ ク シ ョ ン は 外 に ベ ン ガ ル の 諸 文 字 に よ る 古 典 文 學 の 作 品 を も含 ん で い た。 (30)こ れ は コ ル デ ィ エ の コ レ ク シ ョ ン(29)に 封 す る リ ス トで あ る。 この リ ス トは 六 つ に 分 か れ て い る。 I 馨 學 ・煉 金 術 の 爲 本(デ ー ヴ ァ ナ ー ガ リ ー 文 字)1-191 II 種 々 の サ ン ス ク リ ッ トの 爲 本(ベ ン ガ ル 文 字)192-297 III ベ ン ガ ル 語 の 爲 本298-303 IV チ ベ ヅ トの 爲 本 お よ び 木 版304-330 V 雑1-7 VI ネ ガ(六 箱)

IとII(Vの2も)はfonds sanscritに, IIIはfonds indienに 入 つ て い る。

(31)こ れ は ス ナ ー ル の コ レ ク シ ョ ン(28)に 封 す る リ ス トで あ る。 こ の リス トは 三 つ に 分

か れ て い る。

(9)

-840-I サ ン ス ク リ ッ ト, プ ラー ク リ ッ ト, バ ー シ ャ ー の 爲 本, 1-321 II パ ー リの 爲 本, 少 数

III 雑 少 敷

(32)1938年, 東 洋 語 學 校(Ecole des Langues Orientales Vivantes)は い くつ か の サ ン ス

ク リ ッ トの 爲 本 を 圖 書 館 に 入 れ た。 多 く は 南 イ ン ドの も の で, グ ラ ン タ 文 字 お よ び マ ラ ヤ ー ラ ン 文 字 で 書 か れ て お り, い ろ い ろ の 族 行 者 が も た ら した もの や, と りわ けJules Delafon(ジ ュ ー ル ・ ドラ フ ォ ン)學 術 調 査 隊(1881)が も た ら し た も の 等 で あ る。 (33)Jean Filliozat(ジ ャ ン ・フ ィ リ オ ザ)数 授 の こ の カ タ ロ グ は 「サ ン ス ク リ ッ ト資 料 (fonds Sanscrit)」(い くつ か の プ ラ ー ク リ ッ ト及 び 土 語 の 資 料 を 含 ん で い る)(註 〔W〕 のaに 當 る)を 從 前 の カ タ ロ グ よ り 更 に 詳 細 に 記 述 せ ん と し た も の で あ る が, 現 在 ま で にFascicule I(No. 1-165)し か 出 て い な い。

*フ ィ リオザ敢授はFascicule Iの 出版 にひきつづき可成 りの註記(notice)を つ くったが, 印刷 の蓮 びに

いたつ てい ない。

(34)Bernard Pauly(ペ ル ナ ー ル ・ポ ウ リ ー)氏 は1957年 に ペ リ オ の サ ン ス ク リ ッ ト資 料

の 註 記(notice)を つ く り始 め た。

Journal Asiatique Annee 1957, Farcicule no 3 ibid. Annee 1959, Fascicule no 2 ibid. Annee 1960, Fascicule no 2 ibid. Annee 1960, Fascicule no 4 ibid. Annee 1961, Fascicule no 3 ibid. Annee 1962, Fascicule no 4 ibid. Annee 1964, Fascicule no 2

こ れ ら の 註 記(notice)は 資 料 の 爲 眞 を つ け て, Journal Asiatiqueと は 別 に 軍 行 本 と

し て 出 版 さ れ て い る。

Manuscrits

de Haute Asie conserves

a la Bibliotheque

Nationale

de Paris

(Fonds Pelliot)

V

Fragments

Sanskrits de Haute Asie (Mission Pelliot),

Paris,

1958

VII

ibid.

1960

IX

ibid.

1961

XI

ibid.

1962

XII

ibid.

1962

参照

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