• 検索結果がありません。

覇権安定論とアジアをめぐる考察 : 国際秩序の移 行期

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "覇権安定論とアジアをめぐる考察 : 国際秩序の移 行期"

Copied!
35
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

行期

著者 小野塚 佳光

雑誌名 經濟學論叢

巻 64

号 4

ページ 1035‑1067

発行年 2013‑03‑20

権利 同志社大學經濟學會

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000013766

(2)

【論 説】

覇権安定論とアジアをめぐる考察

―国際秩序の移行期―

小 野 塚 佳 光  

 世界的な規模でパワー配分が変化するとき,特に,支配的な大国のパワー が相対的に低下し,それに挑戦する国が急速に現れるとき,国際システムは 動揺し,新しいルールは容易に合意されない.特に,中国の台頭は目覚ましく,

中国,インド,日本を含むアジア地域は,地政学的なリスクが最も高い.

 安全保障(戦争と平和)や自由貿易のように,国家を超える秩序について考 察するとき,個人や社会集団,あるいは各国家にとって,ある状態が他の状 態より好ましいことが,変化の説明にはならない.互いに全く信用すること ができない,無法状態であれば,個人は耕作や長期投資を行えないし,戦争 状態にあるか,戦争になると人々が予想するなら,異なる社会集団に属する というだけで大規模な殺戮が起きることさえある.

 ヨーロッパに市場取引や市民の権利を重視した社会状態が現れたのは,ル ターによる宗教改革から多くの国家を巻き込んだ激しい流血の時代を経て,宗 教と政治が分離され,国家の領土と主権が確立されたからである.そして,戦 争のための財源を求められた議会が,次第に,王からパワーを奪い取った1).  現代においても,第一次世界大戦や第二次世界大戦がもたらした被害は余

* 本研究は2011年度同志社大学国内研究の成果の一部である.

1) Kupchan. (2012) p.25, pp.44―45.

(3)

りにも大きいが,各国の指導者はそれを回避できなかった2).市場に依拠した 取引が基本となって,長期的な見通しが共有されているとしても,主要諸国 を含む深刻な金融危機や軍事衝突が起き,それが拡大し始めたら,それ以前 の市場条件は大きく見直される.どうすれば国際システムを新しい条件に合 わせて調整できるだろうか?

 本稿では,覇権安定論の二つの起源を考察し,その批判に応えて,覇権安 定論の本質と有効性を考察する.そして,現代世界とアジアにおけるパワー・

シフトを,新しい国際秩序への転換として理解する.

1 覇権安定論とは何か ?

 唯一の大国(覇権国)が存在することで国際システムは安定する.それに挑 戦する新興国の登場,覇権国の衰退をくわしく分析することで,国際秩序の 将来を予想できる.覇権安定論は,そのような主張だとされている.それは 正しいか?

1. 1 二つの起源

 チャールズ・P. キンドルバーガーは『大不況下の世界 1929〜1939』で,

大恐慌を回避することが覇権国の役割であった,と主張した.それは覇権国 によってしか行えず,しかも,意識的・自覚的に行わねばならない,市場の 循環的な悪化に反対する介入であった.

   「その不況はいかにして何処で発生したのか.それが非常に広範な地域に 広がったのは何故か.それが非常に深刻になり,そして非常に長期間続 いたのはなぜか」

   「経済の自動的諸力が働かなかった理由と政策決定機構が失敗した理由の

2) Tuchman (1976)は,開戦時のさまざまな人物の思索と行動を描いている.

(4)

両方を明らかにしなければならない.」3)

 たとえば株価が暴落したとき,国際商品市場の価格が暴落しているとき,

また,クレディットアンシュタルトの崩壊に対して,覇権国が行動しなけれ ばならなかった.しかも,キンドルバーガーはこれらの変化が結びつくこと を次のように説明した.

 金融恐慌は,流動性パニックを発生させる.誰もが現金を求めるのだ.市 場だけではデフレの連鎖を止められない.①株式市場の下落から生産の削減,

在庫整理へ,②株式価格から商品価格,輸入額(外国の輸出額)の減少へ,③ 株式市場はその上昇局面で低開発諸国への資本移動を妨げ,下降局面では流 動性危機を生じた(それはアメリカからの輸出額を減らした).④株価下落は企業 にとっての信用利用の可能性を抑え,また,⑤資産・所得効果を通じて証券 保有者の支出を減らした4)

 クレディットアンシュタルトの破綻では,さまざまな不利な条件があった 上に,独仏英の国際政治対立が「最後の貸し手」としてのイングランド銀行 の行動を妨げた.

 1920年のサンジェルマン条約でオーストリア=ハプスブルク帝国が解体さ れてから,経済状態だけでなく,ウィーンから帝国の各地に向けた産業投資 を失い,銀行は苦境に陥っていた.取り付けが起き,資金が流出し始めてい たとき,フランスは,ドイツとオーストリアの関税同盟交渉を政治的に嫌い,

預金の引き上げを示唆した.窮地に陥った銀行には,国際連盟金融委員会を 通じて国際決済銀行が,さらにその借款が尽きると,イングランド銀行が「1 週間に700万ドル」だけ貸し付けた5).国家を超えた「最後の貸し手」として,

それはあまりにも遅く,しかも少なかった,

 覇権国は,1)投げ売りされている商品に市場を開放する,2)安定的な長

3) Kindleberger (1986a) pp.5―6;訳6―7頁.

4) Ibid., pp.112―116;訳119―123頁.

5) Ibid., p.147;訳157頁.Kindleberger and Aliber (2005) も参照.

(5)

期融資を提供する,3)安定した為替レートを維持する,4)マクロ経済政策 の協調を指導する,5)中央銀行が最後の貸し手になって流動性を供給する.

さらに,6)大規模な財政刺激策の協調を行う6).また保護主義など,近隣窮 乏化政策を阻止しなければならない.

 次に,覇権安定論のもう一人の提唱者,ロバート・ギルピンの説明を見て みよう7)

 ギルピンは,国家を超えて紛争が回避され,移動や交易が活発に行える状 態を,国際システムの均衡状態と考えた.均衡状態では平和が続くけれど,

それ自体,国家や地域を超えて広がる技術の伝播や社会・経済の変動が不均 等な発展をもたらす.それゆえ,こうした均衡は歴史的に失われることが避 けられない8)

 ギルピンによれば,政治・経済・技術の不均等発展が内外のシステムの調 整能力を超えた時期から,不均衡状態は広がる.なぜなら,それはシステム 内のパワーの分配を変え,以前の分配に依拠して成立している国際システム を不安定化するからだ.システムの不整合は危機を生み,最終的には,覇権 戦争と呼ばれる大規模な戦争を経て,パワーの分配を反映した新しいシステ ムが誕生する.

   「覇権戦争は(残念ながら),国際システムの発展とダイナミズムの機能的 に不可分の一部である.」9)

 覇権戦争は,古代ギリシャのペロポネソス戦争から変わらない国際システ ムの発展パターンである10).特に,それを理解した最初の例として,トゥキディ

6) Kindleberger (1986a) p.289;訳314頁.最後の6)は,Kindleberger (1988) p.315.

7) Gilpin (1981).

8) Ibid., pp.12―15.

9) Ibid., p.198.この点で,表面的には,むしろキンドルバーガーと逆である.

10) ギルピンは,他に30年戦争(1619〜48年)フランス革命とナポレオン戦争(1792〜1815年) そして,程度の劣る覇権戦争として,第一次・第二次世界大戦を挙げている.Gilpin (1988).

(6)

デスの『戦史』がある.『戦史』に拠りながら,ギルピンは,アテネ(デロス 同盟)とスパルタ(ペロポネソス同盟)とが戦争に至った主な理由を,三つ挙げ ている11)

① 地理・人口増加:やせた土地であったために,アテネ人が暮らすアッティ カは戦乱が少なかった.その結果,平和を求めて人々が移住してきた.ア テネ人は「ギリシャの工場」となり,交易で繁栄した.アテネ人の増加は 対岸への植民地拡大を促した.

② 経済・技術的理由:アテネ人は航海術に長け,ギリシャの各都市と交易を 盛んに行った.そして東地中海における覇権を握った.古代ギリシャは権 力の集中が進まず,各都市が頻繁に戦闘と和解を繰り返し,さまざまな同 盟を結んでいた.アテネは,海上交易と金融を手段として,初めて海洋帝 国を形成したのである.軍事,技術,経済の変化がアテネに有利に働いた.

③ 政治的理由:ペルシャとの戦争によって,その後,アテネ人の帝国で権力 集中が進む.しかし,ペルシャとの戦争を指導した,当時の覇権国であっ たスパルタは変化から遅れ,孤立した.他方,アテネは,富裕な商業階級 の登場で,伝統的な政治システムを変えてしまった.スパルタは,次第に,

このアテネの興隆を恐れるようになった.

 ギルピンは,ペロポネソス戦争で,異なった政治経済秩序への帰属を明ら かにした双方の同盟諸国が新しい時代の内外のシステムを決定した,と説明 する.民主的なアテネと貴族(地主)的スパルタは,他の社会に自分たちと同 じ政治的価値,社会経済システムを強いるパワーを有していた12)

 このように,キンドルバーガーとギルピンの覇権安定論は同じものではな い.二人に共通するのは,国家を超える市場や国際システムが,安定化を促し,

均衡の回復や円滑な調整に向かう時期と,そうではなく,むしろ不均衡が拡 大し,互いの破壊的な行動や不安定化を強める時期とがある,という認識で

11) Ibid., pp.597―598.

12) Ibid., p.602.

(7)

ある.その違いを解明することが覇権安定論のテーマである.

1. 2 国際公共財と集団行動

 覇権国は,政府の無い世界で,国際公共財を供給する.コヘインによれば,

1967年と1977年の世界経済は大きく異なっていた.

 1967年,世界の資本主義諸国は,アメリカを中心に,円滑に機能していた.

ヨーロッパや日本の戦後復興が終わり,失業率やインフレ率を抑えたまま持 続的な経済成長が可能だった.国際貿易は生産の拡大よりも急速に増大し,

直接投資の増大はさらに大きかった.アラブ諸国が石油禁輸を唱えたが,まっ たく相手にされなかった.IMFは同じ年にSDRを設けたが,為替レートの固 定制と,アメリカによるドルと金との交換は守られていた.

 ところが1977年には,先進諸国の失業者は倍増し,インフレ率はおよそ3 倍になっていた.ケインズ主義政策への信頼は揺らぎ,固定レート制も,ド ルと金との交換も失われた.特に,石油価格の上昇に対して,アメリカは対 抗できなかった.

 この大きな違いを説明するのは覇権安定論の次のような主張である.

  「強い国際経済レジームは覇権的なパワーに依存している.」

  「覇権国は,自分の気に入る国際レジームを維持する能力がある.」13)

 ロバート・コヘインやスティーヴン・D・クラズナーが「レジーム」論と して精緻化しようとしたのは,すべての国に利益をもたらすような,公共財 としての国際システムであった14)

 公共財とは,他者による利用を排除することができず,しかも,他者が利 用しても自分の利用可能性を損なわないような財である.そのような財を供

13) Keohane (1989) p.78.

14) Krasner ed. (1983).

(8)

給する者は利益を得られないから,市場に委ねると過少にしか供給されない.

治安維持活動や街灯の設置などが,その例である.国内では政府がこうした 公共財を供給する.

 覇権国は他の国にルールを強制できた.従わない国を積極的に制裁し,協 力する国には利益をもたらした.覇権国とそれに従う小国とは,国際レジー ムを維持することで利益を得ることができた.自由貿易や安定した国際通貨,

そして,石油の供給は,その意味で,資本主義諸国の集合財であり,上記の 公共財である15)

 覇権国が衰退し始めると,レジームを維持するコストを,支配的な大国は 他の諸国に分担するように求める.しかし,かつてルールを受け入れていた 諸国が,今なら自分たちにふさわしいルールを実現できると考えるかもしれ ない.また,大国の利益が大き過ぎるという不満を持つ.

 こうして国際レジームの変化の原因を,覇権国アメリカの衰退,に見出し たコヘインであるが,はたして,アメリカの覇権が衰退したから国際システ ムが動揺し,不安定化したのか? 覇権と安定とを同一視する点に,ストレ ンジは問題を見た.

 ストレンジによれば,コヘインが注目した貿易,通貨・金融,石油,を見ても,

アメリカの優位は変わらない16).むしろ,GDPや貿易額,外貨準備では測る ことのできない,「構造的権力」をアメリカは握っている.それが重要なのだ.

構造的権力とは,他国や政治機関,経済企業,専門家たちが,その中で働く 世界的な政治経済構造を決める力である.それは単に議題を決め,ルールや 規範を示す国際「レジーム」の問題ではない.その複数の権力構造が相互に 結びつき,強め合っている17)

15) Snidal (1985) は,安全保障も自由貿易も,他を排除することができるから集合財と見なした.

またスナイダルは,覇権国が衰退することで,逆に,主要諸国が協調して集合財を供給する,

という可能性を指摘した.

16) Strange (1987).

17) このことは,冒頭で見たように,国際システムの危機の複合性や多発性,分野を超えた波及・

連動をもたらす.小野塚(2012)

(9)

 ストレンジは,家族のような小集団でも,孤立した村落共同体でも,世界 的な規模の権力と同じ構造があると考える18).アメリカの持つ「構造的権力」

は,たとえば,アメリカの核兵器の数や,アメリカに本社を置く多国籍企業 の生産額や取引額,各業種の上位企業,を見れば顕著に示されている.金融・

信用においては,アメリカの通貨であるドルが圧倒的に世界で使用されてい るから,逆に,アメリカの外貨準備は少なくてよいのだ.日本やドイツは,

為替レートの変動を抑えようとしたが,アメリカの協力がなければ,単独介 入では効果が無かった19)

 アメリカの外交政策を制約しているのは,政府と議会との対立,さまざ まな圧力団体が強い影響力を持つ国内政治である.OPECに対するキッシン ジャーの対抗戦略をくじいたのも,苦心して準備した海洋法を放棄したのも,

アメリカ国内の関係団体が政府に圧力を加えたからだった.アメリカのパワー が衰えたから国際システムが混乱したのではない.

1. 3 批判と再生

 覇権安定論への批判としては,唯一の覇権国の存在(もしくは,国際システム における権力の集中)と,平和,自由貿易,通貨の安定性,などとの相関関係を,

データや歴史分析によって検証する方法がある.まず,その批判対象にもなっ た,スティーヴン・D・クラズナーの論説を取り上げる20)

 経済学は国家の総効用を最大化する意味で自由貿易を主張する.しかし,

歴史が示すように,自由貿易はむしろ例外であった.クラズナーは,国家が 効用だけでなく,政治的パワー,総所得,経済成長,社会的安定性も追求する,

と考えた.

 クラズナーは自由貿易を政治の視点から考えた.まず,国家の規模が小さ

18) ストレンジは,①安全保障,②財・サービスの生産,③購買力をもたらす金融・信用の構造,

④知識,を挙げる.Strange (1987) p.565.

19) Ibid., pp.568―569.

20) Krasner (1976).

(10)

いほど,貿易によって増える所得は大きいだろう.しかしその反面,要素の 移動が刺激されて,社会的安定性を損なう.次に,経済発展が進んだ国ほど,

貿易による要素移動はそれほど困難なく吸収できる.なぜなら熟練労働者の 方が移動しやすいからだ.

 政治的パワーに関しては,貿易が増えると,大国が小国に対して優位になる.

なぜなら大国との貿易に依存するほど,小国は貿易が失われたときに受ける 損失を避けられず,それを恐れるからだ21).ただし,経済成長や技術革新に 関して,貿易の持つ効果は明確に判定できない.なぜなら,短期的には成長 を刺激するとしても,長期的には,貿易を通じて重要な資源や知識が国内産 業から奪われる可能性もあるからだ.

 こうしてクラズナーの主張は,国の規模と,経済発展の水準とから,自由 貿易の起こりやすさを評価した表に要約される22).すなわち,世界が経済発 展の等しい小国ばかりであれば,自由貿易が広まるだろう.世界が発展水準 の異なる少数の大国からなっているなら,大国は貿易を抑えるだろう.なぜ ならそのコストに比べて得られる利益は小さいから.特に,貿易によって社 会的混乱の発生や支配されることを心配する,発展水準の低い大国は自由化 を嫌い,保護主義を採る.

 クラズナーは,歴史上,イギリスとアメリカが覇権を握った時代において,

自由貿易が実現した,と主張する.なぜなら,経済発展水準の高い,唯一の 大国と,多くの小国という構造が成立し,貿易自由化によって,大国はその コストを抑えたまま,小国に自分が好む自由化を押し付けて優位を得たから だ.開放型の国際貿易システムは,唯一の大国の政治権力を強める構造でも あった.

 クラズナーを批判するティモシー・マッケオンの研究は,覇権安定論を次 のように単純化した.(貿易の)「開放度は,諸国家間における能力の分配状態

21) Albert O. Hirschmanの主張に依拠している.

22) Krasner (1976) p.323, Chart 1.

(11)

の関数として示される.」

 ところが,イギリスやアメリカにパワーが集中した時期と関税率の低下と は,こうした単純な関係になかった.なぜなら能力が集中しても,それを自 由化の実現に利用する意志があるとは限らない.イギリス政府は1823年に最 恵国条項を入れた互恵関税法を成立させてから,積極的に貿易自由化の促進 に取り組むようになった.それ以前は,国際的な権力配分がイギリスに集中 していたとしても,帝国の市場に参加することを条件として,より有利な貿 易条件を相手国に要求した.

 また,自由化を他国に要求しても,それが成功するとは限らない.イギリ スからの圧力はフランスの関税を一部で下げたが,その政策を自由化に転換 することはなかった.フランス政府が自由貿易を採用するのは,ナポレオン 3世の第二帝政になってからである.また,ドイツは関税同盟を結成した.

それは領邦国家間で関税率を下げたが,イギリスの圧力によってではなく,

オーストリアの支配を最小化し,安価な工業製品を利用するためであった23).  しかし,個々の要因を取り出す「検証」方法24)を,キンドルバーガーやギ ルピンが目指したことはない.「歴史解釈」の問題は,多くの要因が関係し,

偶発的なショックも加わる.ヨーロッパ諸国に自由貿易はなぜ広まったか?

に関するキンドルバーガーの優れた考察が二つある25).一つは,社会的な結 束や文化が自由化に対するその国の調整能力を高めることを示し,もう一つ の研究も,その国の政治経済=社会モデルの違い,そして,自由貿易それ自 体が重要な(政治的)価値を持っていたことを指摘している.

 「1820年から1875年までのヨーロッパにおける自由貿易は多くの異なる原

23) McKeown (1983). マッケオンは,自由化と保護貿易への転換を,世界経済の景気変動と関係 づけるほうが良い,と考えた.

24) Hoffmann (1977).反証可能性(そして予測)を強調するアメリカの「科学」観が,過度に単 純化したモデルを提示し,その後,これをデータによって証明,あるいは,否定する作業を促 す.特に,アメリカにおいて広がる均衡論やゲーム論により「覇権安定論」という仮説を展開 する試みは,その後,一つの潮流となった.

25) Kindleberger (1971), (1975).ただしKindleberger (2000) 所収.

(12)

因を持っていた.」鉄道の敷設と輸送コストの低下による小麦価格の下落,と いう同じ刺激が,まったく異なる理由で,異なる反応をもたらしたのだ.す なわち,「イギリスは農業を放棄し,フランスとドイツは(異なる政治的・社会 学的理由で)関税を課し,イタリアは(古典派経済学の仮定を無視して)移民を流 出させ,デンマークは輸出向け穀物生産を輸入に転換して,それをベーコン や卵といった酪農製品の投入物にした.」26)

 むしろコヘインやクラズナーは,国際システムがパワーの分配状態によっ て制約される,という構造問題を提起した.この点でジョアン・ゴワが,貿 易自由化と安全保障を結び付けた27).貿易の増大は関係諸国の成長を促し,

その一部は軍備拡大に用いられる.貿易自由化によって成長を加速すれば,

それによって貿易相手国の軍事力が強まる心配をしなければならない.それ ゆえ,同盟関係にある諸国間では貿易自由化が進むが,敵対する国との貿易 は抑制するのが望ましい28)

 さらにクラズナーとゴワの説明は,貿易による成長や調整コストに限らず,

国境を超えた投資や技術革新の波及,資源の利用,マクロ政策の国際的な波及,

などにも当てはまる.

 国際的な相互依存が,安定化,もしくは不安定化の影響を広げるシステム として,金融市場や国際通貨の問題に中心的な役割を与える.国家を超えた 交易や移動が増え,信仰や知識のあり方が異なり,政策的な介入が及ぼす効 果をめぐる合意されたルールを形成できなければ,それが国際秩序を損ない,

アナーキーな転換を強める.

1. 4 研究関心

 覇権安定論のテーマは,より基本的な二つの問題を探求している.

26) Kindleberger (2000) p.95.

27) Gowa (1994).

28) アメリカの政治家たちは,中国との貿易増大に対して強い懸念を示した.

(13)

国際的な平和と繁栄を実現し,共有できる政治秩序の探求(ギルピンのテー マ)

歴史的変化と様々な偶発的ショックに対して,個人や集団が適応・調整 するのにふさわしい社会制度の探求(キンドルバーガーのテーマ)

 覇権安定論の支持者は,こうした問題意識が重なり合った歴史的瞬間を重 視する.他方,批判者は,特定の視点から,因果関係が希薄であり,現実と 矛盾していると考える.

 しかし,どれほど批判的な研究者も,覇権戦争の可能性が高まるときには,

その解明に特別な努力を惜しまないだろう.国際経済・金融恐慌と,国際関 係論という二つの分野が重なり,さらに政治哲学と,市場の歴史社会学,と いう分野を加えた四つの問題関心が一致する事例こそ,覇権戦争に至る移行 期の経験である.覇権戦争の勃発は,歴史的変化としても,理論としても,

こうした問題群を一つに収斂させる.

 支持者の一部は,世界政府に代わる「慈悲深い支配者」として,それに従 う誰にとっても有益な国際秩序を,戦争に勝利した覇権国が提供できると主 張し,他国の服従を正当化する.批判派によれば,こうしたパワーや支配者 の倫理的,それゆえ非現実的な性格を,覇権安定論は前提し,たとえ現実に よって支持されなくても理想として主張し続ける,という.ストレンジは覇 権の衰退を「神話」として批判した29)

 その後,覇権安定論への関心が消えたのは,「パワー(権力)がすべてでは ない」からである30).秩序を築くのはパワーだけでなく,国際機関やレジー ムであり,目標やアイデア,規範でもある.研究者たちはさらに,さまざま な社会的なアイデンティティが,異なる認識によって世界を構成し,政策や 現実を変えるという問題も提起した.国家の内部構造・政治システムが重視

29) イザベラ・グランバーグは,覇権安定論の背後にある,聖書の論理や欧米知識人の文化を批 判した.Grunberg (1990).

30) Milner (1988).

(14)

され,同時に,グローバリゼーションが政治にもたらす影響を分析するよう になっている.覇権は諸要素に分解された.

 他方,キンドルバーガーは「公共財」の概念をさまざまな方向へ拡大し,

経済学を超える概念に変えた31).公共財の範囲は政治的に決まる.治安の維 持も民営化できる.公共財(たとえば防衛)に関する国民の姿勢は国によって 異なる.失業に対する公的支援やマクロ政策の選択も,国によって異なる公 共財と考えられる.すなわち,国家とは公共財に関する類似の選好を示す集 団である.それは政治的発言や移民(の自由や規制)によって保証される.国 家は言語や文化を共有し,緊密なコミュニケーションを実現していることが 重要である.

 コミュニケーションや移動・輸送手段が急速に発達すれば,市場統合と政 治的合意形成の間に齟齬が生じる.より緊密な社会的統合を求めて,小国へ の分離や権力の分散を望むか? 自分たちの求める秩序や平和を実現するた め,大国と権力の集中を望むか? 政治の姿は一つに収斂しない.

 地域の多様な政治システムを超えて,市場は危機を生じる.正常に機能す る市場においては合意形成とルールによるレジームを維持できるが,危機に おいては指導者や覇権国の存在が重要だ.危機が権力を鍛え,覇権を要請する.

覇権からレジームへ,キンドルバーガーは,政治的に分裂した世界で大恐慌 や戦争を繰り返さないための国際制度を求めた32)

2 転換期の国際秩序

 アメリカや西側から,「その他(The Rest)」の世界へ,アジアへ,特に中国 へのパワー・シフトについて,人口変化,都市化,世界GDPに占めるシェア,

工業化,鉄鋼生産量,エネルギー消費量,軍事力(核,陸軍,海軍,空軍),さらに,

自動車やパソコン,携帯電話の生産・販売台数,工業製品輸出額,証券市場

31) Kindleberger (1986).

32) DeLong and Eichengreen (2012).

(15)

の評価額,などが議論される33)

 ヨーロッパに始まった「産業革命」と呼ばれる変化は,知識に基づき産業 や社会の組織を改造することで富を増やし,軍事的にも圧倒的な優位をもた らした.国際秩序は,これまで「西側」による世界支配によって実現してきた.

しかし,この不均等な発展がいつまでも続くことはない.その逆転,もしく は収斂が始まったことが,グローバルなパワー・シフトを生んでいる34).  中国の台頭に注目して,グレアム・アリソンはその重要性を次のように強 調する.

   「いかなる新興の大国も現状を破壊する.21世紀には,それが中国である.

かつてこれほど急速に,パワーのすべての次元で,国際的な地位を上昇 させた国はない.」35)

 ドイツも,急速な工業化を進める過程で,ビスマルクによる慎重な外交政 策から,ヴィルヘルム2世のイギリスに対する挑戦へと転換し,その後,戦 争に至った36).中国に限らず,新興諸国が工業化や軍備強化に成功する過程で,

既存の国際秩序に挑戦し,自国の利益や理想をより強く反映した秩序を求め て,挑戦的な外交政策を採用することは十分に考えられる.

 二つの例を考える.第一に,南沙諸島(Spratly Islands)など,南シナ海の紛

33) Landes (1999); Kennedy (1988); Wolf (2007); National Intelligence Council (2008).

34) この現象に注目した論説をいくつか挙げれば,Chan (2010); Dyer and Luce (2009); Ferguson (2008); Hoagland (2006); Ikenberry (2008); Kagan (2008); Layne and Schwarz (2009); Pei (2009);

Pettis (2012); Rachman (2011); Samuelson (2011); Stephens (2008, 2011); Tucker and Anderlini (2009)

35) Allison (2012).米中が基本的利益を譲り合うほど真剣に交渉しなければ,アジアの戦争は避

けがたい,とアリソンは考える.「歴史に基づけば,ツキディデスの罠は明白だ.1500年以来,

新興国が支配的大国に挑戦した15のケースで,11は戦争に至った.」なお,Bremmer (2012) pp.52―53;訳72―73頁も参照.

36) Goldstein (2003). ケネディーは,ドイツが文化的独自性を強く主張し,また,その領土の 拡張が必ず近隣の大国を犠牲にしなければならない位置にあった,という点に注目した.

Kennedy (1988) pp.214―215;訳,上322―323頁.

(16)

37)は,領土問題として,尖閣諸島(釣魚島)や竹島(独島),北方四島(択捉島,

国後島,色丹島及び歯舞群島)にまで連動しつつある.

 成長を続ける中国が,軍事的にも自信を深めるなら,アメリカのモンロー 宣言と同じように.自国の安全保障のため,また,エネルギー供給の船舶の 航行を確保するため,周辺海域から他国の軍隊を排除しようとする.それは,

当然,予想された行動である.

 1890年頃,西半球で支配的な大国になったアメリカは,第一次世界大戦まで,

セオドア・ルーズベルトなどの考えに従い,各地の政治に干渉し,軍事介入 や支配を及ぼした.キューバ,ヴェネズエラ,カナダ,コロンビア,パナマ,

メキシコ.半世紀にわたり,軍事的優位を使って,西半球の30以上のケースで,

アメリカは経済や領土に関する紛争を自分たちに有利な条件で解決し,気に 入らない指導者たちを追放した38)

 現在,さまざまな個々の領土紛争の背後には,アジアの海をめぐる米中の バランス変化がある.ロバート・ハディックは,中国が周辺海域で少しずつ 軍事力を増して,アメリカの影響圏を削り取る戦略(a salami-slicing strategy)

を採用している,と主張する.他方,イラクから撤退したアメリカも,軍事 力をアジアに再配置する39)

 移行期には,尖閣諸島に関する日中間の紛争のように,多国間,多分野に わたり,危機が短期間でエスカレートする危険がある40).2012年7月3日には,

ロシアのメドベージェフ首相が国後島を訪問し,8月10日には韓国のイミョ ンバク大統領も竹島を訪問し,安住財務大臣は,韓国との通貨安定協定の延 長と連動させる,と示唆した.

 南シナ海の紛争をめぐって,武力行使や攻撃的な言動を慎むように求めた

37) 最も激しい衝突は中国とベトナムの間で起き,多くの犠牲者を出した.

38) Allison (2012)による指摘の要約.Kupchan (2012) p.201も,中国の行動をモンロー宣言と比 較した.こうした「大胆な国際主義」の背景については,Kupchan (2002) pp.174―175;訳下32

―36頁,を参照.

39) Haddick (2012).

40)  Stephens (2011).

(17)

ヒラリー・クリントン国務長官の発言に対して,中国外務省は厳しい反応を 示した.ASEAN外相会談で,議長国のカンボジアは中国の意向に配慮し,フィ リピンやベトナムが求めていた,南シナ海における法的拘束力を持つ行動規 範に関する共同声明を見送った.今後も中国の台頭が続けば,オーストラリ アは,アメリカに頼る安全保障と,中国向けの資源輸出との間で,難しいバ ランスを模索するしかない.それは,ASEAN諸国や韓国,日本でも同じである.

 第二の例として,2008年の金融危機を挙げる.この危機は,欧米の金融市 場から起きたグローバルな金融市場の機能マヒや不安として,西側の衰退,

新興諸国の台頭を早めた.

 経済学は,金融危機について,政策対応の原則を概ね合意している.それ ゆえ,国内の危機と同様,もし世界政府や世界中央銀行があれば,この金融 危機に対する政策はもっと迅速に,効果的に,採用されただろう.すなわち,

金融危機の拡大を抑えるために,銀行預金を保護して取り付けを防ぎ,債務 超過の銀行は,金融当局の判断で,他の銀行が吸収する形で整理する.他方,

銀行融資が減れば,深刻な不況に転化しないよう,金利の引き下げや通貨供 給量の増大を迅速に行う.消費や投資が減少すれば,財政支出を拡大する.

貿易や資本移動で不均衡に陥っている諸国に対しても融資を潤沢に行う.

 しかし,実際は,世界政府として行動することが求められたG20サミット に集まる前から,各国の関心は一致せず,対立する利害が目立っていた.

 アメリカのガイトナー財務長官は,議会で財政刺激策が通過したことによ り,主要国が財政刺激策の協調した目標を掲げることも考えていた.しかし 中国は,サミットの直前に,国際通貨としてアメリカのドルを使用している ことが世界金融危機の原因である,と批判し,SDRの使用拡大を求めた.

 オバマ政権は国際協調と多角的外交を掲げ,1930年代のような大量失業を 回避することを最重要課題にしていた.それは金融緩和とドル安による輸出 拡大(対中貿易赤字の減少)を意味した.人民元の為替レートをアメリカから 繰り返し批判されていた中国政府は,こうしたドル安政策を警戒していた.

(18)

中国が持つ膨大な外貨準備(その大部分がアメリカ政府の財務省証券)も,ドル に偏る国際通貨制度への批判に影響したはずだ.

 他方,EU諸国も,アメリカの財政刺激策を求める要求に否定的だった.

EUの指導者たちにとって,金融危機はアングロ・サクソン型の自由放任型資 本主義,特に金融自由化の行き過ぎが引き起こした問題であった.国際金融 規制の強化に関心はあっても,ヨーロッパの福祉国家型資本主義はアメリカ ほど失業に苦しまない,と楽観していた.

 G20サミットは,結局,参加諸国のさまざまな意見を取り入れ,一般原則 だけを示した.アメリカ,中国,EUのそれぞれの主張は,IMF融資を増額し,

SDRの発行も増やす方向で合意された41).しかし,財政刺激策の明確なルー ルに合意することはなかった.

3 リベラルな国際秩序は続くか ?

 覇権安定論の意義は,国家を超える権力と秩序の問題を明確に提起したこ とである.

 国際秩序のあり方によって,特に,それが混乱すれば,主要諸国であって も政策の範囲を厳しく制限され,効果も予測不可能になる.他方,望ましい,

実効的な国際秩序の下では,さまざまな社会集団や個人が機会を活かして,

安定した成長の可能性を広げる.

 覇権国として,第二次世界大戦後,そして,冷戦の終結後も,国際秩序を 維持してきたアメリカが,新興諸国の急速な成長で相対的に衰退するとき,

既存のリベラルな国際秩序は持続可能だろうか? 覇権戦争が起きるのか?

意見は分かれている.G・ジョン・アイケンベリーは平和が持続すると考える.

しかしチャールズ・カプチャンは答を保留し,イアン・ブレマーは移行期に おける複数のシナリオを検討した.

41) 外務省ホームページ「G20ピッツバーグ・サミット首脳声明(骨子)」参照.

(19)

3. 1 西側政治同盟の拡大

 アイケンベリーによれば,アメリカのパワーが相対的な意味で衰退しても,

新興諸国がリベラルな国際秩序に参加する.中国の台頭による不安定化は制 度改革で吸収できる.

 第二次世界大戦後の国際秩序はアメリカによって築かれた.アイケンベリー は,戦後の覇権的秩序から,制度的な抑制を備えた立憲的秩序に移行したこ とを重視する42).戦後構築においては,勝者が自国の優位を新しい国際秩序 に転換する.その際,パワーを抑制し,政治プロセスに敗者を組み込むこと が成功のカギになる.国際秩序を確立するために,ヨーロッパと日本の協力 は不可欠であった43).アメリカは,エリートの意識や政策論を欧日に拡大し て共有し,支配を社会化した.また,さまざまな国際機関を介した多角(多国間)

主義を採用した.冷戦に対して,アメリカが安全保障の関与を明確にするよ うな政治的合意を,むしろ欧日がアメリカに要請した.

 現代の国際秩序の特徴は,冷戦や「封じ込め」だけでなく,世界市場の開 放性と成長を重視したことだ.それは(リアリストのような領土と安全保障のジ レンマではなく)市場の開放性と互恵性を重視し,政治的なパートナーシップ と覇権国アメリカによる安全保障に基づく,多角的秩序である.こうしてリ アリストの覇権安定論は構造的リベラリズムに転換した.

 西側民主主義諸国が,集団として,国際秩序を安定的に維持できる.新興 諸国の政治的・外交的な方針は様々であり,異なる社会・経済モデルを主張 するわけではない.むしろリベラルな国際秩序に参加して,各国の利益と発 言権を得ようとしている.

 アメリカが多角的な制度を重視する国際秩序を選択した次の2点は,グロー バルなパワー・シフトに継承される.

42) Ikenberry (2000) Chapter 2; Ikenberry (2006) Chapter 4.

43) Ikenberry (2006). また,アメリカに明らかな優位があっても,イギリスは貿易や金融でアメ リカの要求をそのまま受け入れなかった.

(20)

 ① ヨーロッパの安全保障に対するアメリカの関与を確実にする地域統合.

それによって,復興に占めるドイツの役割も近隣諸国は受け入れた.

 ② アメリカの民主的政治システムが持つ分権的な性格,開放性,透明性.

それによって,複雑性を増す資本主義的市場統合のもたらす頻繁なショッ クや予測不可能なコストを,より円滑に吸収する国際政策協調をアメリ カが指導できた.

3. 2 世界の政治的多様性

 アメリカや西側と同様に,世界の他の諸国も立憲的秩序への移行を受け入 れるか? あるいは,西側の特殊な道徳的優位を覇権安定論が批判されたよ うに,ここでも「西側」の優位は幻想なのか?

 カプチャンによれば,リベラルな国際秩序を西側(ザ・ウェスト)が築いた のは,ヨーロッパから世界に広がった国民国家や市場に依拠した政治・経済 モデルによるものだ.冷戦崩壊後,急速に台頭してきた中国やブラジルなど の新興諸国(ザ・レスト)は,資本主義システムを独自に取り入れつつも,そ の政治システムは西側と大きく異なっており,「世界の政治景観」は今もきわ めて多様である44)

 覇権安定論は,世界の支配的な政治経済モデルが交代する移行期の議論で もある.西側のモデルを反映する国際秩序を,その成長を支える面だけで,

新興諸国がすべて受け入れることはない.

 カプチャンは,政治的バランスを得るために西側が新興諸国からもっと学 ぶこと,また,西側の価値(たとえば人権や民主主義)を前提に国際秩序を拡大 する姿勢を断念するよう求める.すくなくとも,市場と政治との関係は数十 年から数百年という歴史的な差を許すものだ.国際秩序の移行期が続く中で,

西側と新興諸国とが合意を形成しなければならない.

 西側,特にアメリカは,その政治システムや経済成長を再生しなければな

44) Kupchan (2012) p.137.

(21)

らない.そのうえで,新興諸国に対していくつか要求できるはずだ.すなわち,

政治システムの多様性を受け入れ,権力の正統性に新しい基準を設ける.特 に,住民の福祉や安全を改善し,彼らの要求に応じる,責任あるガバナンス でなければならない.国際的な合意によってしか実現できない温暖化防止や,

住民を虐殺する政府への制裁,さまざまなグローバリゼーションへの対応に,

新興諸国も参加するだろう.

 中国の台頭に応じることは,特に重要であり,また,難しい.その能力は 急速に高まっているが,政治的な文化の違いは,まだ非常に大きい.問題に 応じて,ガバナンスは民主的代表制と効果的支配の間のトレード・オフにな るだろう.その場合,東南アジアやラテンアメリカ,アフリカでは,地域的 な協力機関が重要な役割を担う.

3. 3 移行期のGゼロ

 イアン・ブレンマーは,前二者に比べて,リベラルな国際秩序が持続する 可能性をもっとも小さく見ている.覇権安定論から集合行為・国際協調への 移行を,彼は「Gゼロの課題」と呼ぶ45)

 グローバリゼーションが進む中で,国家を超えた変化,政策的に管理でき ない市場の変動が強まれば,安全保障のジレンマにもつながる.政治的統一・

共同体が無いことではなく,それを欠いた地域まで市場統合が拡大し,構造 調整を強いられること,そのような形で,各地域の経済発展や生活水準,軍 事力の総体的な水準が変化し,社会的地位の変動が大きくなることで,既存 の国際秩序は不安定化する.

 第二次世界大戦後のアメリカによるG1は,今や連邦政府の財政破綻を議 会が党派的に利用するほど政治的に行き詰まり,財政状態が悪化している.

G1が再生するシナリオは,それほど他の主要国が悪化することを意味し,そ

45) Bremmer (2012).G7G20のような国際協調のパターンと比較して,アメリカの単独支配

G1,国際的な責任を担う政府が無い状態をGゼロと呼ぶ.小野塚(2012)も参照.

(22)

のような事態は同時にアメリカ経済を傷つける.民主主義諸国によるG3(米 欧日)46)協調も含めて,新興諸国との連携も考えられるが,それぞれの問題で 利害や考え方に違いがある.国内の改革が困難であるほど,協調体制は実現 しない.

 米中によるG2は,多くの研究者や政治家,外交官が提案してきたが,実 現は難しい47).中国の経済状態はまだ多くの点で発展途上国の水準であり,

国際的な負担を求められることに同意しない.また,米中間の社会経済構造 は大きく異なっており,中国が中産階級の安定した政治意識を基礎に政府を 運営できるのは将来の問題だ.むしろ,双方に,ナショナリズムや相手国を 侮蔑する政治的発言が目立っている.

 新興諸国を加えたG20が機能すれば,すなわち,緊急時に「先進国と新興 国が共同で行動し,妥協し,リーダーシップのリスクと重責を分担すること が保証されている」なら,かつての「ヨーロッパ協調」48)のように,平和を維 持できるかもしれない.確かに危機の条件は多くある.しかし,アメリカが 約束を守れないと協調は実現しない.アメリカの優位は限定的であり,各地 の大国が地域ごとの協調を模索するだろう.

 こうして世界は,地域分割からGゼロ,そして,根本的な無秩序の発生へ と至る.

   「Gゼロ下の危機は反響を呼び,かつ相互に増幅し合う.グローバル・リー ダーシップの欠如により,気候変動,干ばつ,洪水,そして,これらが 誘発する食糧価格急騰の危機に対処するのに必要なコンセンサスを築く ことは,ほぼ不可能になる.」

   「要するにGゼロは,新たな紛争の火種を次々に卵から孵化させ,その

46) 米欧中や,中国・インド・アメリカのG3(CIA)も提案された.Mahbubani (2012) 参照.

47) Bremmer (2012) pp.166―170;訳198―209頁.

48) ナポレオン戦争後の約100年間,ウィーン体制の下で大国が協力し,大きな戦争が起きなかっ

た.Bremmer (2012) p.166;訳209頁.

(23)

ほぼすべてをいっそうの対処が困難なものにすることで,国際政治を,

危機が複合的に絡み合った状態へと追いやる.」49)

4 国際秩序の転換とアジア

 アジアでは成長だけでなく,軍拡による競争が始まっている.戦争が起き なければ国際秩序は変わらず,国際システムの変更や調整はできないのか?

4. 1 ア ジ ア

 覇権安定論は,中国,インド,日本を含むアジア地域について,不均等な 成長が著しい不安定化と戦争の時代を予想する50)

 しかし,大国と国際システムの性格は,当然,その地理的・歴史的な条件 や政治哲学・文化の伝統によって異なっている.アメリカ,ドイツ,中国が,

同じような国際システムを目指すとは限らない.中国の歴史は,欧米に比べて,

その初期から非常に集権的な政治体制が成立し,継承されてきたことを示し ている51)

 デヴィッド・カンによれば,アジアにおける中国の急速な台頭が,アジア の伝統的なヒエラルキー秩序の回復を意味するとしたら,それは不安定化や 戦争をもたらさない52).ヨーロッパと比べて,アジアの国際関係の歴史はよ り階層的であり,安定しており,規範的な秩序の下で,平和が続いた.中国は,

地理的にも文化的にも,その中心にある国家であり,周辺に多くの下位の諸国,

「臣下」としての国家があった.この階層制が安定している限り,大規模な戦 争は避けられた.

 逆に,中国が弱体化するとき,階層制が失われ,アジア各地の戦乱は拡大 するようになった.中国の台頭は,リアリストやリベラルが考えるような不

49) Bremmer (2012) p.107;訳138―139頁.

50) Ikenberry and Mastanduno (2003).

51) Fairbank (1992).

52) Kang (2003).

(24)

安定化を免れ,アメリカの関与が低下しても,むしろアジアに安定した秩序 を回復させる.

 また,アラステア・I・ジョンソンは,中国の台頭に対する東南アジア諸国 からの包摂,ASEANの制度を介した社会化により,中国の外交政策が協調的 な姿勢に変化したと考える53).ASEAN地域フォーラム(ARF)はコンセンサ スを重視し,意見が異なっても排除しない原則があった.中国は従来からの リアリスト的な外交姿勢を守ったが,安全保障を共有するためのARFに招か れ,出席した.合意できない場合は,下位の準備会が妥協案を模索して再提 案したため,中国を含め,どの国も否決されるリスクを負わなかったからだ.

中国はARFを通じてASEANに影響を与えると同時に,次第にリアリストの

姿勢を修正した.

 アジアの専制体質も変化している.末廣昭氏は,新興諸国の「キャッチアッ プ型工業化」で生じた「開発独裁」を,アメリカの援助政策と結び付けた54). アメリカが冷戦下のシステム間競争において,発展途上国の政策に影響を与 えるため「成長イデオロギー」を宣伝し,当時の独裁政権がこれを利用した.

それは「上からのナショナリズム」と一致していた.

 その後,1997〜98年のアジア通貨危機でも「開発主義」は否定されなかっ た.アジア諸国の成長はアメリカ市場に向けた輸出によって急速に回復した.

しかし,工業力と技術の移転を,グローバルな貿易や金融の仕組みが円滑に 支援できるか,ということが注目された.2008年の世界金融危機後,新興諸 国の高成長を支えた条件は回復されないかもしれない.アジアにおいても,

タイが示したように55),激しい民主化運動によって,政治的正当性の根拠が 変化しつつある.

53) Johnson (2003).アイケンベリーも覇権的秩序の社会化を重視し,Johnsonはこれを参照して

いる.

54) 末廣昭(2000),第5章.カプチャンは民主制と専制政治とを対比するが,アメリカは世界

の専制国家と多くの協力関係を以前から維持していた.

55) 末廣氏のタイに関する研究は,開発主義がもたらした問題と民主化をめぐる対立の変遷を述 べている.末廣(1993),同(2009)参照.

(25)

 また白石隆氏は,日本の東南アジア侵攻が示したように,「文明化」として,

自由主義やアメリカ化によってアジアを改造するプロジェクトは失敗であっ たという56).日本敗戦後も,各地のナショナリズムは大きく異なる歴史的な 経緯を反映して,欧米と異なる「国民国家」の建設を続け,アジアは地域と してのガバナンスを見いだせずにいる.白石氏が構想した「海の帝国」は,

アメリカから中国へのヘゲモニーの移行を予想しつつも,別の視点として,「海 のアジア」と「陸のアジア」を提示する.そして,前者の交易ネットワーク 上に繁栄する資本主義的なアジアに日本が主要な役割を果たせる,と考えた.

 中国の台頭は歴史的なヒエラルキーの再生と国際秩序の安定化を求め,そ れを補完する形で,ASEANのような緩衝地域を周辺にいくつか形成する可能 性がある.そして地域協力体制には,中国や日本,インド,地域外の主要国 も参加し,安全保障や貿易・投資に関する地域の合意を形成する.

4. 2 国際秩序の転換

 覇権があれば安定した国際システムが維持され,国際秩序が平和的に調整 できる,という主張は,その中身について何も語っていない.支配的な大国は,

他の諸国とともに,どのような秩序をもたらすのか?

 最も重要な条件は,各地の構造変化とそれに応じた調整過程を円滑に進め る,敵対的ではなく協調的な政治姿勢に関する合意である.ギルピンが覇権 安定論を提起したとき,明らかに,帝国のイメージが近代的な国際秩序に変 化し,領土ではなく産業構造(工業力,所得水準,雇用,など)によるパワーを 問題にしていた.パワーの移転が政治秩序を変える.

 第二次世界大戦の後,覇権戦争は回避されてきたが,それはパワーの相対 的な配分が固定されたというより,キンドルバーガーが望んだような,国際 的不均衡や構造変化の調整過程に関する介入のルールが合意され,国際通貨

56) 白石隆(2000)124―126頁.なお,イギリス帝国主義やアテネに関するギルピンの「海洋帝国」

論も参照.

(26)

制度が変化する形で,国際秩序を平和的に調整できたからである.核戦争を 恐れただけでなく,安定的な国内経済運営と開放型の経済発展とが対立しな い行動規範を,各国は協調して模索してきた.

 アメリカでもヨーロッパでも,構造・制度改革が議論されている57).金融・

不動産部門は縮小し,低金利と債務増に依存した消費や公的部門拡大も逆転 しなければならない.そして中国の改革は,こうした米欧の改革と結びつい ているだろう58).中国は,資本と労働力を量的に増大させる「外延的成長」から,

熟練や技術を改善する「集約的(内包的)成長」に転換しなければならない.

中国は今やルイスの「転換点」に達した59)

 各地の政治経済モデルが移行し,国家を超える秩序も転換する.マイケル・

スペンスは,収斂の時代をもたらしたハイブリッド型の国際秩序が,まさに 新興諸国の成長の結果として機能しなくなった,と指摘する.先進諸国と発 展途上諸国とは,貿易や投資,為替レートで,異なったルールに属していた.

たとえば,通貨価値を過小評価して,直接投資を呼び込み,国内の余剰労働 力と合わせて輸出を伸ばすことが,新興国による急速な収斂が起きた条件の 一つであった.

 しかし,成長は構造変化を通じて実現するものであるから,先進国も新興 国も,さらなる構造変化を政府が支援し,促進しなければならない60).先進 諸国の債務処理には時間がかかり,新興諸国が国内需要に依拠した成長に転 換するのも容易ではないだろう.「安定的で,先進国と途上国の双方の成長や 構造改革を促進するような新たな国際システム」,「国家の規模,所得水準,

開発段階の違いに配慮し,非均質性という概念を織り込んだ,いささか複雑 で変化し続けるシステム」を構築する必要がある.スペンスはそれを,「壮大

57) Bremmer (2012); Wolf (2007); DeLong and Eichengreen (2012),参照.

58) Wolf (2012); Pettis (2012); Calthorpe (2012).さらに,“Pedalling prosperity: Special report,” The Economist, May 26th, 2012も参照.

59) 小野塚(1995)

60) Spence (2011) pp.247―259;訳320―339頁.

(27)

なスケールの「協力ゲーム」」61),と呼んだ.

 覇権安定論が予想するように,それは容易でない.国際システムの転換を 促す唯一の覇権国は存在しないからだ.成長のイデオロギーと国民国家型の 競争が克服されなければ,たとえば,領土紛争や債務危機,国際収支不均衡 の調整過程をめぐる軋轢からも,「ナショナリズム」を刺激する政治家が現れ,

軍備拡大に向けたエスカレーションのリスクがある.新しい成長モデルと理 想的な政治共同体に向けて,積極的な協調と諸主体の参加が組織されるまで,

覇権安定論は完全になくならない62)

   「アメリカのパワーが衰退しても,世界は今のまま変わらない,と思うの は,致命的な幻想だ.パワーのない世界に秩序はない.規範も,制度も,

経済システムも,平和もないのだ.」63)

結  び

 覇権安定論は二つの起源をもつ.金融危機や世界不況の広がりを抑えるに は,覇権国の介入が重要であった.また覇権戦争によって,不安定な国際秩 序の転換を可能にし,新しい政治経済モデルが支配的になった.

 唯一の覇権国が存在すれば,戦争は回避され,貿易の自由化が進み,金融 危機や恐慌は回避される,という命題をデータで実証することは難しい.し かし,安全保障と自由貿易の問題は結びついており,政治的同盟・共同体の 内部で市場を通じた経済構造の調整は促される.政治哲学と市場の調整過程 をめぐる理想的な介入をめぐって,国際関係論と国際経済学・金融恐慌の歴 史的関心が,歴史上,覇権戦争によって一致した.

61) Spence (2011) p.268;訳348頁.

62) 「ナショナリズムとは戦争だ」という理解を共有して,ヨーロッパの政治指導者たちは戦後 の政治経済統合を進めてきた.そのヨーロッパでも,ユーロ危機は,何度もシステムの崩壊と ナショナリスティックな非難の応酬を懸念させる恐怖の瞬間を迎えている.たとえば,Marsh (2010) p.156;訳256頁,Thornhill (2008),参照.

63) Kagan (2012).

(28)

 戦争による旧秩序の崩壊と,パワーの集中がもたらす国際秩序の転換を,

覇権安定論は移行期の問題として重視した.第二次世界大戦後のアメリカが 築いたリベラルな国際秩序が,現在の新興諸国によって変更を求められてい る.冷戦が平和的に終結した後も,世界の政治モデルは非常に多様であり,

市場統合のもたらす成長と構造変化が不安定化を強めている.

 覇権国が無ければ,国際秩序の転換は難しい.覇権安定論は,移行期にお けるアナーキーの問題を戦争以外の形で解決できるまで,なくならないだろ う.そして,移行期にある諸国は,覇権戦争を回避するため,自分たちが直 面する問題を過去の移行期から学ぶことで,協調体制を模索する政治的意志 を共有するのである.

 ナショナリズムに代わる政治的共同体を形成し,協調的なグローバル・ガ バナンスの水準を高める.それができるまでは,安全保障と構造変化の空間 的広がりは一致せず,その調整のルールをめぐって,戦争のリスクを排除で きない.

【参考文献】

Allison, Graham, “Thucydides’s Trap has been Sprung in the Pacific,” Financial Times, August 21, 2012.

Bremmer, Ian (2012) Every Nation for Itself: Winners and Losers in a G-Zero World, New York:

Portfolio Penguin.(ブレマー,イアン(北沢格訳)(2012)『「Gゼロ」後の世界―

主導国なき時代の勝者はだれか―』日本経済新聞出版社.)

Calthorpe, Peter (2012) “Weapons of Mass Urban Destruction,” Foreign Policy, Sept/Oct.

Chan, Ronnie (2010) “The West’s Preaching to the East Must Stop,” Financial Times, January 3.

DeLong, J. Bradford and Barry Eichengreen (2012) “New Preface to Charles Kindleberger, The World in Depression 1929-1939,” www.VoxEU.org on June 12.

Dyer, Geoff and Edward Luce (2009) “A Wary Willingness,” Financial Times, November 19.

(29)

Fairbank, John King (1992) China: A New History, 2nd edition. Cambridge, Mass.: Belknap Press of Harvard University Press. (フェアバンクス,J・K(大谷敏夫・太田秀夫訳)

(1996)『中国の歴史―古代から現代まで―』ミネルヴァ書房.)

Ferguson, Niall (2008) “An Ottoman Warning for Indebted America,” Financial Times, January 1.

Gilpin, Robert (1981) War and Change in World Politics, New York: Cambridge University Press.

Gilpin, Robert (1988) “The Theory of Hegemonic War,” The Journal of Interdisciplinary History, Vol. 18, No. 4, pp. 591―613.

Goldstein, Avery (2003) “An Emerging China’s Emerging Grand Strategy: A Neo- Bismarckian Turn?” in Ikenberry and Mastanduno (eds.) (2003) pp.57―106.

Gowa, Joanne (1994) Allies, Adversaries, and International Trade, Princeton, New Jersey:

Princeton University Press.

Grunberg, Isabelle (1990) “Exploring the “Myth” of Hegemonic Stability,” International Organization, Vol. 44, No. 4 (Autumn), pp. 431―477.

Haddick, Robert, “Salami Slicing in the South China Sea,” Foreign Policy, August 3, 2012.

Hoagland, Jim (2006) “The Lukewarm War With China,” Washington Post, Sunday, April 16.

Hoffmann, Stanley (1977) “An American Social Science: International Relations,” Daedalus, Vol. 106, No. 3, pp. 41―60.(ホフマン,スタンレー(中本義彦編訳)(2011)『スタン レー・ホフマン国際政治論集』頸草書房所収.)

Ikenberry, G. John (2000) After Victory: Institutions, Strategic Restraint, and the Rebuilding of Order After Major Wars, Princeton, New Jersey: Princeton University Press.(アイケン ベリー,G.ジョン(鈴木康雄訳)(2004)『アフター・ヴィクトリー―戦後構築 の論理と行動―』NTT出版.)

Ikenberry, G. John (2006) Liberal Order and Imperial Ambition: Essays on American Power and International Order, New York: John Wiley & Sons.(アイケンベリー,G.ジョン(細 谷雄一訳),(2012)『リベラルな秩序か帝国か―アメリカと世界政治の行方―』

上下,勁草書房.)

Ikenberry, G. John (2008) “The Rise of China and the Future of the West: Can the Liberal

(30)

System Survive?” Foreign Affairs, January/February.

Ikenberry, G. John and Michael Mastanduno (2003) “Introduction: International Relations Theory and the Search for Regional Stability,” in Ikenberry and Mastanduno (eds.) (2003) pp.1―21.

Ikenberry, G. John and Michael Mastanduno (eds.) (2003) International Relations Theory and the Asia-Pacific, New York: Columbia University Press.

Johnson, Alastair Iain (2003) “Socialization in International Institutions: The ASEAN Way and International Relation Theory,” in Ikenberry and Mastanduno (eds.) (2003) pp.107―162.

Kagan, Robert (2008) “New Europe, Old Russia,” Washington Post, Wednesday, February 6.

Kagan, Robert (2012) “The importance of U.S. military might shouldn’t be underestimated,”

Washington Post, February 3.

Kang, David (2003) “Hierarchy and Stability in Asian International Relations,” in Ikenberry and Mastanduno (2003) pp.163―189.

Kennedy, Paul (1988) The Rise and Fall of the Great Powers : Economic Change and Military Conflict from 1500 to 2000, London: Unwin Hyman (ケネディ,ポール(鈴木主税訳)

(1993)『決定版 大国の興亡―1500年から2000年までの経済の変遷と軍事闘争

―〈上・下巻〉』草思社.)

Keohane, Robert O. (1989) International Institutions and State Power: Essays in International Relations Theory, Boulder: Westview Press.

Khanna, Parag (2011) “Breaking Up Is Good to Do,” Foreign Policy, Jan. 13.

Kindleberger, Charles P. (1971) “Group Behavior and International Trade,” Journal of Political Economy, Vol. 59, No. 1 (Feb., 1951) pp. 30―46, in do. (2000).

Kindleberger, Charles P. (1975) “The Rise of Free Trade in Western Europe, 1820-1875,” The Journal of Economic History, Vol. 35, No. 1, Mar., pp. 20―55, in do. (2000).

Kindleberger, Charles P. and Robert Z. Aliber (2005) Manias, Panics and Crashes: A History of Financial Crises 5th edition, Hoboken, New Jersey: John Wiley & Sons, Inc. (キンドル バーガー,チャールズ・P.(吉野俊彦,八木甫訳)(2004)『熱狂、恐慌、崩壊―

金融恐慌の歴史―』日本経済新聞社.)

Kindleberger, Charles P. (1986a) The World in Depression, 1929-1939, Berkeley, California:

参照

関連したドキュメント