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現代アジアにおける国際労働力移動に関する一考察

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(1)

現代アジアにおける国際労働力移動に関する一考察

―タイ経済をめぐる労働力移動の動向と要因を中心 に―

著者 中川 雅貴

雑誌名 經濟學論叢

巻 55

号 3

ページ 103‑130

発行年 2003‑12‑20

権利 同志社大学経済学会

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000004645

(2)

現代アジアにおける国際労働力移動に 関する一考察

――タイ経済をめぐる労働力移動の動向と要因を中心に――

中 川 雅 貴

は じ め に

1997 年7 月のタイ・バーツ切り下げに端を発したアジア経済危機は,その伝

播と回復の過程において,地域内部における経済的相互依存の深化を,あらた めて示すこととなった.通貨危機の生々しい教訓のなかにあって,東アジア1)の 経済発展と世界市場との関わりをめぐっては,徹底的な検証が迫られた.しか

*本稿は,筆者の修士論文を大幅に修正したものである.本稿の作成にあたり,同志社大学の小野 塚佳光教授,ならびに経済学研究科合同演習の諸先生方から大変貴重なコメントを頂いた.ここ に記して深く感謝する.いうまでもなく,本稿に関する一切の責任は筆者に帰す.

1)以下本稿では,一般的にアジアNIEs と呼ばれる韓国・台湾・香港・シンガポール,そして

ASEAN を構成する東南アジア諸国に日本を加えた地域を総称して,「東アジア」とする.

目 次 はじめに

1 現代アジアにおける国際労働力移動の動向

――新たな移動システムの形成 2 タイにおける国際労働力移動とその背景

2.1 タイにおける国際労働力移動の実態 2.2 高度経済成長のなかの労働力移動 3 域内労働市場統合の胎動

3.1 タイにおける外国人労働者政策の変遷――背景と意義 3.2 アジア経済危機の衝撃

おわりに

(3)

しながら,このような議論において従来等閑視されてきた労働力の国際的な移 動が,財や資本の移動につづく第三の流れとして指摘されはじめている.

一方で,現代アジアにおける国際労働力移動は,その規模と移動システムの 特性によって,近年の国際労働力移動研究におけるもっとも重要な研究対象の 一つとなっている.アジア地域における国際労働力移動が顕在化したのは,こ

こ20 〜30 年のことであるが,1990 年代に入ってからは,とりわけ東アジア地

域内部における国際的な労働力移動が拡大している.そして,何よりも興味深 いのは,この域内国際労働力移動の拡大が,タイやマレーシアといった東南ア ジア各国の経済発展が顕著になった時期と重なっている事実である.

本稿では,現代の東アジアにおける国際労働力移動を,地域内における各国 の相互依存の新たな形態として捉え,その背景にある要因とこのメカニズムが 抱える諸問題について考察する.具体的には,この域内国際労働力移動におい て,労働力の送り出し国でもあり受入国でもあるという興味深い役割をはたし ているタイのケースに注目し,その高度経済成長の軌跡と労働力移動の動向と の関係に焦点を当てる.

第1 章では,現代アジアにおける国際労働力移動の動向を概観し,その特性 を指摘する.第2 章では,東南アジア各国における急速な経済発展が,域内国 際労働力移動として帰結する労働力移動の大きな転換点の主要因となったこと を,タイの事例によって示す.第3 章では,タイをはじめとする各国政府によ る政策的対応からも,国際的な労働力移動が,東アジア各国の経済構造に組み 込まれつつあることを示す.一方で,この新たな相互依存メカニズムが抱える 脆弱性と,その問題点を,アジア経済危機をめぐる各国政府の反応に見出し,

今後の課題を指摘する.終章では,本稿から得られた含意を確認するとともに,

東アジアにおける国際労働力移動,さらには域内労働市場統合に関するさらな る展望を行なう.

(4)

1

現代アジアにおける国際労働力移動の動向

――新たな移動システムの形成

二度の石油危機による莫大なオイルマネーを背景に着手された中東産油国に おける大規模なインフラストラクチュア開発は,1970 年代半ば以降の東アジア 地域を,世界的な労働力移動の流れに本格的に巻き込んだ.サウジアラビア,

クェート,アラブ首長国連邦のように人口が稀薄な国はもとより,たとえ,人 口が多くても,オイル・マネーで潤った国民が,自国の開発計画が要求する建設 労働に従事する必然性がない,あるいは従事することを望まないならば,海外 からの大量の労働者流入が必要となる2).そして,その大規模な労働需要を賄っ たのが,アジア地域とりわけ東南アジア諸国からの出稼ぎ労働者であった3)

この規模は,1980 年代に入って急速に拡大する.75 年に約36 万人と推測さ れていた中東地域におけるアジア出身の出稼ぎ労働者のストックは,85 年には

約10 倍の350 万人以上にのぼり,そのうち約130 万人が東南アジアをはじめ

とする東アジア出身の労働者であった4).また,別の資料によると,80 年代半 ばには年間約70 万人のアジア人労働者が中東地域に向かって出国し,アジアか ら流出する労働者の実に90%を中東地域が受け入れていたことになる5)

このような中東産油国への出稼ぎ労働は,東アジアからの労働者の大規模な 移動を巻き込んだという点に加えて,その移動が短期間の契約に基づくという 点において,注目すべき現象である.しかしながら,1980 年代末になると,そ れまで中東地域に向かっていたアジアからの労働者は,その方向を急速に転換 する.中東産油国にかわって,東南アジア地域からの出稼ぎ労働の受入先とし

2)小野塚(1989),p. 62. ; 矢内原(1992),p. 7.

3)Gunatilleke(1988)によると,初期(1970 年代中頃まで)は,産油国近隣のアラブ諸国から労

働者が移入されたが,75 年以降の石油ブームによる労働需要の急速な増大に加えて,政治的に管 理しやすいという要因もあって,東アジアからの労働者の移入が激増した(pp. 3-4)

4)矢内原,前掲書, p.7.; United Nations(1987),p. 203.

5)Alburo(1994),pp. 55-56.

(5)

て台頭してきたのが,東アジア諸国である6).換言すれば,この時期,東アジア 域内における国際労働力移動が活発になった.

資料に拠って,具体的にその実態を把握したい7).まず,新たな受入国として 台頭してきたのが日本・韓国・台湾・シンガポールである.このなかでもシンガポ ールは,早くから一定の政策的対応をもって,おもに東南アジアからの未熟練 外国人労働者の出入国をコントロールし,その経済政策に外国人労働者の雇用 を組み込んできた8).一方で,日本および韓国においては,その移民法(政策)

が,外国人「未熟練労働者」の就業を認めず,彼らを留学生や研修生として受 け入れているのが実情である.

労働者送出国としては,まず,中国・インドネシア・フィリピンがあげられる.

歴史的にみれば,中国はこの地域における最大の労働者供給国であると考えら れるが,その規模を正確に把握することは,資料の制約により,事実上不可能 である9).その他では,インドネシアが少なくとも150 万人の労働者を海外に送 り出しており,フィリピンに関していえば,現在,メキシコに次ぐ世界第二位 の労働者供給国である.フィリピン政府の推計では,現在,約420 万人の労働 者が世界約120 ヶ国で就業しており,その規模は同国労働力人口の25%に該当 することになる.また,ベトナムやミャンマーからも,多くの労働者が,おも に近隣諸国へ向かって流出している.

マレーシアとタイは,受入国でもあり送出国でもあるという点で,東アジア

6)Abella(1995),pp. 126-128.

7)以下,具体的な数字等は,Martin, Mason, and Tsay(1995)に依拠している.

8)Hugo(1999)によると,1990 年代半ばのシンガポールは,総人口300 万人余に対して,30〜50

万人の外国人労働者を受け入れ,その多くが東南アジア出身の労働者であった.とりわけマレーシ ア出身の労働者に関していえば,約10 万人が通勤労働者としてシンガポール国内で従事している とされている(pp. 186-87)

9)Skeldon(1992)は,19 世紀以前からすでに東アジア地域に内在していた固有の移民システムと して,「中国人移民の南下」すなわち,東南アジア地域における華僑コミュニティの形成と拡大を 指摘している.この中国人による東南アジア地域への移動は,1920 年代にピークを迎えるが,

1949 年の中華人民共和国成立以降は,社会主義政権下での厳しい出国規制によって,その規模は 著しく減少した.(p. 20)

(6)

の域内国際労働力移動において注目すべき存在である.1990 年代の半ばにおい て,マレーシアには56 万人以上の合法的外国人労働者が存在する一方で,お よそ25 万人のマレーシア人が東アジア各国をはじめとする海外で就業してい る.タイは,90 年代になって,ミャンマーをはじめとする近隣諸国からの外国 人労働者流入を経験する一方で,台湾をはじめとする他の東アジア各国へ,大 規模な出稼ぎ労働者を送り出している.

以上のように,1990 年代の東アジア地域においては,基本的には各国の経済 発展段階を反映した域内国際労働力移動が拡大した10).注目すべきは,この現 象が,受入国でもあり送出国でもあるというタイやマレーシアといった東南ア ジア各国の高度経済成長の時期と重なって,あるいは,それを追うように顕在 化していることである.次章では,90 年代の東アジア地域におけるこうした国 際労働力移動の動向をふまえて,その背景となる要因を,タイの経験に関する 具体的な分析から求めたい.

2

タイにおける国際労働力移動とその背景

2. 1 タイにおける国際労働力移動の実態

前章において確認したように,現代アジアの域内国際労働力移動において,

受入国および送出国双方の役割をはたすタイの経験は,国際労働力移動研究に 興味深い視座を与えている.1990 年代になって顕在化した国際労働力移動に関 するこのような動向を,以下本稿では,タイにおける国際労働力移動の「歴史 的転換」として取り扱い,その実態と背景を把握することによって,現代アジ アにおける国際労働力移動の本質と意義について考察する.

タイにおける国際労働力移動は,まず,1970 年代半ば以降の中東産油国への 出稼ぎ労働というかたちで顕在化した.たとえば,78 年時点では,タイからの 国外出稼ぎ労働者14,715 人中14,215 人,比率にして約97%が中東地域で就業

10)第 1 表を参照.

(7)

していたとされている11).タイ人出稼ぎ労働者の目的地別動向に関するこうし た偏向は,70 年代,80 年代を通じてほとんど変わっておらず,とりわけサウジ アラビアは,80 年代を通じて中東行き出稼ぎ労働者の約8 割を受け入れ続けて いた.

1980 年代半ばにおける中東産油国へのタイ人出稼ぎ労働者の実態を調査した 国連大学,ILO アジア雇用プログラム(ARTEP),国連開発計画(UNDP)とい った国際機関による調査プロジェクトの成果は,当時のタイ人出稼ぎ労働者の ほとんどが,既婚男性であり,かつ家長であることを確認している.また,彼

11)以下,タイからの出稼ぎ労働者の目的地に関する動向については,第 1 図を参照されたい.

一人あたり GNP

(1995年,

  USドル)

人間開発指標

(HDI)ランク 年人口  成長率 

(%) 

労働可能人口

(15-64歳)率 2050 1995

予定人口

(2020年, 

  千人) 

労働力受入国   ブルネイ   香港   日本   シンガポール   台湾 

労働力受入/送出国   マレーシア   タイ  労働力送出国   カンボジア   インドネシア   ラオス   ミャンマー   フィリピン   ヴェトナム 

9,386 22,990 39,640 26,730 11,280 3,890 2,740 270 980 350 765 1,050 240

35 25 8 28 N.A.

60 59 140 96 136 131 98 122

3.1 3.0 0.2 1.2 0.8 2.3 1.0 2.4 1.4 3.0 1.8 2.0 1.8

62.8 70.7 69.6 70.5 68.6 58.1 66.7 52.4 62.7 52.2 58.5 58.3 57.8

62.8 52.6 54.1 58.9 61.2 65.3 61.6 68.7 64.2 68.7 66.9 66.1 66.9

428 6,543 123,309 4,280 25,025 29,787 70,507 19,295 263,802 9,339 64,319 99,948 104,170

(出所)Tsay (2002) Labor Migration and Regional Change in East Asia: Outflows of Thai Workers to        Taiwan, Southeast Asian Studies, Vol. 40, No. 2, Table 2 より引用.

第 1 表 東アジア域内国際労働力移動における労働者受入国 および送出国の経済・人口動態指標

(8)

らの多くが,出稼ぎ前は農業に従事し,おもに中東産油国における建設労働に 一定期間従事した後は,帰農する.さらに,大半の出稼ぎ労働者の教育水準が小 学校卒業程度であり,旋業者を介した出稼ぎ契約に際しては,当時のタイ農村部 における年間平均所得の1 / 3 に相当する20,000 ~ 30,000 バーツ強の費用を貯蓄 か借り入れによって工面しないといけない,という実態も指摘されている12)

以上のことを考慮すると,中東産油国への出稼ぎ労働は,タイ農村部の労働 者の収入補足手段として,70 年代後半から80 年代にかけて急速に広がってい ったと考えられるが,この流れは,年間92,298 人を送り出した1988 年をピー クに,規模においても割合においても減少傾向に転じる.かわって東アジア地 域が,タイ人出稼ぎ労働者の新たな目的地として台頭するようになる.本稿に おいて,この時期をタイにおける国際労働力移動の「歴史的転換期」として認 識するゆえんである.このようなタイ人出稼ぎ労働者の「東アジア域内化」は,

0 50,000 100,000 150,000 200,000 250,000

99 98 97 96 95 94 93 92 91 90 89 88 85 1975 80

その他  東アジア  中東地域 

年  人 

第 1 図 タイ人出稼ぎ労働者の目的地別動向

(出所)Year Book of Labour Statistics, Department of Employment. Ministry of Labour and Social Welfare より作成.

12) 山形(1992),pp. 78-79. なお, 当時のタイ人出稼ぎ労働者に関する国連大学の調査は,

Ponpsapich(1991)にまとめられている.ILO-ARTEP UNDP のプロジェクトは,Tingsabadh

(1989)を参照.

(9)

規模においても90 年代に一貫して拡大しているが,なかでも台湾は,90 年代,

タイ人海外出稼ぎ労働者の1 / 3 〜1 / 2 の規模を受け入れるに至った13). 台湾行政府の公式統計によると,2001 年1 月時点において台湾国内で就業し ているタイ人労働者は,約 14 万人,就業部門別では,製造業:73%,建設 業:23%,家内労働:4 %となっている14).製造業部門の内訳では,衣類(16%), 電器(10%),金属組み立て(9 %)といった業種が目立っている.こうした傾 向を,「転換期」以前の動向と一概に比較することは困難である.それでも,製 造業部門へのタイ人出稼ぎ労働者の参入,おもに女性出稼ぎ労働者による家内 労働への従事といった側面は,1990 年代におけるタイ人出稼ぎ労働者の「東ア

13)また,この時期,とりわけ台湾に向かった出稼ぎ労働者に関しては,大西(2001)の次のような 指摘が興味深い.すなわち「(1990 年代半ばにおいて)台湾におけるタイ人出稼ぎ労働者は,その 規模において,台湾の原住民を凌駕している」(p. 154).第 2 表も参照されたい.

14)第 3  表を参照.一方で,このような公式統計は,その実態とは乖離していることも事実である.

たとえば,台湾と日本においては,タイ人出稼ぎ労働者は圧倒的に,いわゆる「セックス産業」に 従事する女性によって占められている.このような女性就労者の多くが,現地において非合法的に 就労していると考えられることから,その規模を正確に把握することは困難である.1992 年の日 本政府による公式見解では,約1 万人と報告された日本国内におけるタイ人労働者は,1996 年の 公式見解では,約4 倍の規模になっている.Maruekatat(1993)の推定によると,1996 年の時点 で,その規模は7 万人を突破している.また,Risser(1996)は,1995 年の時点で5 万人近くの タイ人女性が,日本国内で売春婦として就労しているとしている.また,別の資料によると,同じ 頃,韓国内では約5,000 人,台湾には4,600 人,ブルネイに600 人のタイ人不法就労者の存在が確 認されている(Vatikiotis, Sakamaki, and Silverman., 1995)

1 2 3 4 5

台湾  (96,097)

ブルネイ(20,714)

シンガポール(17,601)

イスラエル(14,908)

日本  (10,118) 

台湾   (100,916)

シンガポール(17,770)

ブルネイ(17,671)

イスラエル(10,780)

日本  (10,099) 

台湾   (106,828)

シンガポール(17,069) 

ブルネイ(15,246)

日本  (10,790)

イスラエル(10,644) 

台湾  (59,747)

シンガポール(11,679)

イスラエル  (5,882)

マレーシア  (3,428) 

日本    (3,026) 

1996 1997 1998 1999

(出所)International Labour Migration Data Base (ILM), International Labour Organization より作成. 

第 2 表 1990 年代後半におけるタイ人出稼ぎ労働者のおもな目的地と規模

(単位:人)

(10)

農業  製造業   食品製造業   繊維製造業   衣料製造業   毛皮製造業   木材/木製品製造業   家具製造業   パルプ/紙/紙加工品製造業   印刷/同関連業   化学材料製造業   化学工業製品製造業   ゴム製品製造業   プラスティック製品製造業   非鉄金属製造業   金属製品製造業   金属加工/組み立て製造業   一般機械器具製造業   電気機械器具製造業   輸送用機械器具製造業   精密機械器具製造業   その他製造業  建設業  家内労働等 

514 12,867 372 2,147 173 140 631 24 503 20 184 125 154 767 516 955 1,218 574 3,426 390 44 504 727 64,143

0.66 16.44 0.48 2.74 0.22 0.18 0.81 0.03 0.64 0.03 0.24 0.16 0.20 0.98 0.66 1.22 1.56 0.73 4.38 0.50 0.06 0.64 0.93 81.97

525 60,512 1,440 6,370 1,374 315 196 26 736 38 395 454 427 2,665 1,223 1,666 3,604 1,475 34,114 1,356 551 2,087 2,013 34,235

0.54 62.20 1.48 6.55 1.41 0.32 0.20 0.03 0.76 0.04 0.41 0.47 0.44 2.74 1.26 1.71 3.70 1.52 35.70 1.39 0.57 2.15 2.07 35.19

9 102,992 2,661 22,804 1,183 1,431 796 246 2,501 164 1,281 1,106 4,022 7,602 4,881 8,320 13,076 5,651 14,518 5,954 280 4,514 32,893 5,285

0.01 72.95 1.88 16.15 0.84 1.01 0.56 0.17 1.77 0.12 0.91 0.78 2.85 5.38 3.46 5.89 9.26 4.00 10.28 4.22 0.20 3.20 23.30 3.74

125 4,821 198 830 420 23 10 0 49 0 111 57 182 412 247 105 155 62 1,621 128 86 125 432 2,816

1.53 58.84 2.42 10.13 5.13 0.28 0.12 0.00 0.60 0.00 1.35 0.70 2.22 5.03 3.01 1.28 1.89 0.76 19.78 1.56 1.05 1.53 5.27 34.37 Total 78,251 100.00 97,285 100.00 141,179 100.00 8,194 100.00 インドネシア人  フィリピン人  タイ人  ヴェトナム人  人数  %  人数  %  人数  %  人数  % 

(出所)Tsay (2002) Labor Migration and Regional Change in East Asia: Outflows of Thai Workers to     Taiwan, Southeast Asian Studies, Vol. 40, No. 2, Table 6 より引用. 

第 3 表 台湾における外国人出稼ぎ労働者の部門別就業状況(2001年1 月時点)

(11)

ジア域内化」が,受入国の産業および労働市場構造の変化に対応したものであ ることを示しているのではなかろうか.

ここで,タイにおける国際労働移動の「歴史的転換」のもう一つの重要な側 面を挙げておかねばならない.1990 年代,台湾をはじめとする東アジア各国へ のタイ人出稼ぎ労働者の規模が拡大する一方で,タイへはミャンマーをはじめ とする周辺諸国からの出稼ぎ労働者が大量に流入し始めた.たとえば,1994 年 時点で約18 万人であったその規模は,96 年には約316,000 人に増加し,この うちミャンマー人が約25 万7,000 人,カンボジア人が2 万5,566 人,ラオス人

1 万1,594 人であった15).また,外国人不法就労者の規模も,90 年代に一貫し

て拡大を続けており,国家公安委員会(NSC)の推計によると,1994 年時点で

約52 万5,000 人の不法就労者がタイ国内に存在し,そのうち2 / 3 がミャンマ

ー出身であった16)

こうしたタイにおける外国人労働者の出身国別の偏向に加えて特筆すべきは,

滞在地域および就業部門に関する偏向である.最新のデータによって,タイ国 内における外国人出稼ぎ労働者の地域的分布をみると,その大半が,東北部お よび首都バンコクとその周辺部に集中している17).1990 年代半ばのデータによ る就業部門別の分類では,もっとも多いのが農業(33%),以下,建設業(28%), 漁業・水産関連業(14%),家内労働(9 %),製造業(8 %)となっている18)

こうした国際労働力移動をめぐる「歴史的転換」が,タイがまさしく未曾有 の高度経済成長を謳歌していた時期におとずれているという点は,注目に値す る.つまり,この「歴史的転換」の要因を,タイ経済発展の軌跡に求めること ができるのではないだろうか.次節以下では,タイの経験から,現代アジアに おける国際労働力移動の背景に迫るとともに,その意義について考察したい.

15)Chalamwong(1999),pp. 221-222.

16)Chalamwong(1998),p. 170.

17)第 4 表を参照.

18)Department of Employment の報告に基づく(Chalamwong, 1998, p. 171)

(12)

総 計  

タ イ  

中 国  

イ ン ド  

ネ パ ー ル   パ キ ス タ ン   バングラディシュ  ス リ ラ ン カ   ヴ ェ ト ナ ム  

ラ オ ス  

カ ン ボ ジ ア  

日 本  

韓 国  

フ ィ リ ピ ン   ミ ャ ン マ ー   マ レ ー シ ア   シ ン ガ ポ ー ル   イ ン ド ネ シ ア  

合 衆 国  

カ ナ ダ  

オ ー ス ト ラ リ ア   ニュージーランド  イ ギ リ ス  

ド イ ツ  

ポ ル ト ガ ル   オ ラ ン ダ   フ ラ ン ス   デ ン マ ー ク   ス ウ ェ ー デ ン  

ス イ ス  

イ タ リ ア  

そ の 他  

国 籍 不 明   国籍 

地   域 

バンコク  中 部  北 部  北東部  南 部  全 国  6,320.2

6,249.5 37.5 3.5 1.3 0.2 0.1 - 0.1 0.1 0.7 13.1 1.1 0.4 - 0.5 - - 3.7 0.8 0.6 0.3 2.2 1.6 0.2 0.1 0.7 0.1 - 0.4 0.2 0.6 2.7

14,101.5 14,031.3 9.5 1.6 0.1 0.1 0.3 1.0 - 2.2 11.3 2.5 0.2 - 19.8 - 0.5 - 0.7 0.4 0.4 - - 0.8 0.2 0.8 - 0.2 0.1 1.9 - 7.4 8.2

11,367.8 11,137.9 7.6 0.2 0.6 0.2 - 2.1 0.1 1.2 6.8 - 0.1 - 87.6 0.1 0.2 - 0.4 - - - - - - - - - - - 0.1 0.3 122.3

20,759.9 20,713.9 4.6 0.6 - 0.3 0.1 4.6 5.5 6.9 10.6 0.5 - - - - - 0.3 0.3 - 0.1 - 0.1 0.4 - - - - - - 0.1 0.2 10.7

8,067.8 8,040.2 3.4 1.1 1.0 0.5 - 0.3 0.3 0.1 5.0 0.2 0.3 - 8.5 1.5 - - 0.1 0.1 0.3 - - 0.7 - - - - - - 0.2 0.2 3.9

60,617.2 60,172.7 60.7 7.1 3.1 1.3 0.5 8.0 6.0 105.0 34.3 16.3 1.8 0.4 115.8 2.1 0.7 0.3 5.2 1.4 1.4 0.3 2.3 3.4 0.4 0.9 0.7 0.3 0.1 2.3 0.6 8.6 147.8

(備考)- は100人未満を示す.

(出所)Population and Housing Census, National Statistical Office より作成.

第 4 表 タイにおける国籍別人口分布(単位:1000人,2000年)

(13)

2. 2 高度経済成長のなかの労働力移動

GDP の連続二桁成長を達成した1980 年代後半のタイにおける高度経済成長 への転機は,82 年に始まった第5 次開発計画といえる.世界銀行の構造調整融 資のもと展開されたこの開発計画では,輸出促進的な外資の誘致,輸出税・輸入 関税の引き下げ,輸入規制の緩和,大幅な対ドル為替レートの切り下げが断行19)

されるなど,輸出促進的で市場経済を活用する産業政策が本格的に採用された20). また,85 年のプラザ合意による円の対ドル増価により,日本をはじめとする海 外からの輸出促進的な外資の流入が加速し,輸出競争力をもった製造業の基盤 が急速に形成された.

このような状況のもとで達成されたタイの高度経済成長のエンジンは,まさ しく,製造業,とりわけ海外から流入するFDI に刺激された輸出向け労働集約 的な製造業の拡大であったといえる.第 5 表および第 6 表からは,高度経済 成長に伴って,GDP および輸出構造における製造業部門のシェアが拡大してい ることが確認できる.すなわち,タイ経済は,世界経済の成長センターとして 東アジア地域が台頭するという「新たな国際分業」の波にのって,世界市場に おける労働集約的な財のサプライヤーとしての地位を確立したのである21)

しかしながら,タイ経済発展に関する多くの研究が指摘しているように,上 記のような軌跡をたどった 1980 年代後半の高度経済成長は,国内の地域間所 得格差の拡大という副産物をタイ国内にもたらした.産業立地の集中したバン コクおよびその周辺部と地方間の所得分配の地域的不均衡は,工業化に伴う経 済発展が加速した80 年代後半に,一貫して拡大した22).とりわけ,バンコク首都

19)81 年に対ドルで8.7%切り下げられ,84 年にも大幅切り下げが断行された結果,1ドル=27

ーツとなった.

20)Vasuprasat(1994)は,80 年代のタイにおける輸出促進の政策的取り組みとして,①投資奨励 法の厳格化,②輸出税の大規模な免除,③適切な政策金融(外貨割り当て等),④輸出産業優遇諸 制度の拡充,を挙げている.とくに世界銀行の構造調整融資に伴う価格統制の廃棄,輸入税の引き 下げ,公共財価格の引き上げ,工業品輸出および投資にかんするインセンティブ構造の合理化が,

輸出志向工業化型の産業政策において,大きな効果をもたらしたとしている(pp. 178-179) 21)Chalamwong(1998),p. 167.

22)第 2 図を参照.

(14)

農   業 鉱・採石業 製 造 業 建 設 業 電気・水道業 運輸・通信業 販 売 業 金 融 業 不動産業 官公庁・軍隊 サービス業 GDP成長率 農   業 漁   業  林   業  鉱   業  製 造 業  そ の 他  再輸出品  輸出伸び率  輸出/GDP

31.0 1.5 18.7 4.7 1.1 6.5 17.6 4.8 1.4 4.0 8.7 9.4 - - - - - - - 35.80 18.01

51.40 4.35 1.16 9.04 30.84 2.10 1.12 17.11 18.12

49.19 5.18 0.43 10.87 29.77 2.38 2.18 16.67 17.68

47.88 5.58 0.16 10.77 31.40 2.51 1.70 30.23 19.45

46.93 4.16 0.05 11.58 32.33 2.85 2.10 23.13 20.11

47.71 4.33 0.09 7.72 35.78 1.72 2.64 14.87 20.12

45.80 4.78 0.06 6.15 39.57 1.33 2.31 4.40 18.98

45.59 5.62 0.07 4.65 41.89 0.91 1.47 8.30 15.90

44.68 4.96 0.06 4.33 43.42 0.75 1.80 19.64 17.74

37.96 5.48 0.19 5.24 49.45 0.79 0.91 10.35 18.30

34.20 6.36 0.27 2.69 55.35 0.76 0.55 20.69 20.59

27.77 6.06 0.27 1.95 62.71 0.99 0.25 28.48 23.07

26.37 5.16 0.20 1.89 63.35 0.71 0.31 34.59 25.87

22.95 5.53 0.14 1.55 68.59 1.02 0.22 27.94 27.81

16.96 5.51 0.13 1.26 74.67 1.20 0.28 14.24 27.03

15.06 6.02 0.12 1.04 76.24 1.20 0.32 23.03 28.92

11.83 5.95 0.04 0.61 80.41 0.96 0.19 21.56 29.57

11.39 5.97 0.05 0.60 81.12 0.69 0.18 23.62 31.34

11.40 5.06 0.06 0.54 81.87 0.90 0.17 0.41 33.59

11.84 4.50 0.07 0.74 81.53 1.14 0.18 27.94 30.62

12.1 4.32 0.06 0.61 81.68 1.02 0.21 27.52 32.61

28.2 2.1 19.0 5.1 1.1 6.3 19.1 5.0 1.3 3.8 9.0 9.9

27.5 2.2 19.0 5.3 1.1 6.3 19.2 5.2 1.2 3.8 9.2 10.1

26.4 2.3 19.7 5.3 1.1 6.8 18.5 5.6 1.1 3.9 9.3 6.1

25.4 2.1 19.7 5.8 0.9 6.6 18.8 6.1 1.1 4.1 9.4 5.8

23.9 1.7 20.1 5.3 1.4 7.3 19.1 6.6 1.1 3.9 9.6 6.3

22.3 1.7 19.5 5.1 1.7 7.5 18.9 7.2 1.2 4.4 10.5 4.1

22.1 1.8 19.1 5.1 1.8 8.0 17.9 7.7 1.2 4.6 10.7 5.8

18.0 3.4 22.4 5.8 1.9 7.1 15.9 3.6 3.8 4.6 13.5 6.2

16.8 4.0 22.1 5.6 2.3 7.7 15.1 3.5 4.0 4.8 14.1 3.5

16.3 3.1 23.6 5.2 2.5 7.8 15.6 3.4 4.1 4.6 13.8 4.9

16.4 3.1 23.9 5.3 2.5 7.4 15.6 4.0 3.9 4.2 13.7 9.5

16.6 3.2 24.8 5.6 2.3 7.1 15.9 4.3 3.5 3.7 13.0 13.2

15.0 3.4 25.5 6.3 2.3 6.9 15.4 5.0 3.3 3.6 13.3 12.0

12.0 4.0 26.0 7.0 2.0 7.0 15.0 6.0 3.0 4.0 14.0 10.0

12.8 1.6 28.1 6.8 2.1 7.0 17.0 5.4 2.9 3.4 12.9 7.9

11.5 1.5 28.1 6.9 2.2 7.2 16.9 6.4 2.8 3.5 12.9 11.1

10.1 1.4 28.2 7.0 2.4 7.5 16.9 7.3 2.7 3.7 12.8 13.9

10.6 1.3 28.0 7.4 2.3 7.4 16.6 7.7 2.4 3.5 12.8 14.7

11.0 1.2 28.4 7.2 2.4 7.2 16.0 7.5 2.4 3.8 12.9 15.3

11.0 1.4 28.3 7.4 2.3 7.4 15.6 7.5 2.4 3.7 13.0 10.1

産業部門 19767778798081828384858687888990919293949596 産業部門 19767778798081828384858687888990919293949596

(出所)National Income Accounts, National Economic and Social Development Board (出所)Economic Financial Statistics, Bank of Thailand.

 

第5 表 GDP に占める産業部門別シェアの推移(単位:%,1976−96年) 第6 表 輸出構造に占める産業部門別シェアの推移(単位:%,1976−96年)

(15)

圏とタイ東北部の所得格差は,1990 年代初頭において,約10 倍に達している.

このような地域的な不均衡をともなったタイの高度経済成長は,産業の立 地・発達が集中した首都圏が農村地域から大量の労働者を吸収するメカニズム を,必然的につくりだした.換言すれば,労働集約的な製造業の拡大に牽引さ れたタイの高度経済成長は,農村部からの大規模な労働力供給移動によって維 持されていたのである23).この成長メカニズムは,ルイス(Lewis, W. A.)が示し た「無制限労働供給モデル」24)以来の「二部門モデル」によって典型的に示さ れる.

こうした高度経済成長がもたらした国内の部門間労働力移動は,タイ人農業 労働者を「季節的失業」あるいは「不完全就業」といわれるような農業労働の 季節性から生じる不安定な就業形態から開放したという意味において重要であ る25).つまり,都市部において急速に拡大する就業機会に労働者が引き寄せら れる一方で,おもにタイ人労働者の離農が著しい伝統的な農業部門においては,

ミャンマーをはじめとする周辺諸国からの外国人労働者が流入する余地が急速 に形成されていったのである.1990 年代に拡大した周辺諸国からタイへの出稼 ぎ労働者の実に6 割が,東北部の農村地域とりわけ稲作地帯に集中し,就業部 門別では約1 / 3 が農業部門に従事している事実は,この解釈を裏づけるもので ある.

このようなことを考慮すれば,1990 年代のタイにおける周辺諸国からの大規

23)首都圏とタイ東北部の所得格差は,93 年にピークの約10 倍に達した後は,やや縮小傾向にあ

る.つまり,80 年代末から90 年代初頭にかけての時期に,首都圏への移動がより急速になったと 考えられる(Sussangkarn, 1995. p. 244)

24)労働が「無制限」という意味は,近代部門が現存の賃金率で雇用機会を追加した場合,その賃 金水準での労働供給が需要よりも多い,つまり,支配的な賃金下で労働の供給曲線が無限に弾力 的,ということである(Lewis, 1954. pp. 140-146)

25)Sussangkarn(1993)によると,1980 年代半ばのまでのタイ農村地域では,農業労働における雇 用が減少する乾季(1 - 3 月)になると,農村部からバンコク周辺部への労働力流出が発生すると いう「労働の季節移動現象」がみられていた(p. 356).また,Vasuprasat(1994)は,1 月から3 月の乾季すなわち農閑期における農村部からの季節的な労働力流出を,農民による収入補足手段と して位置づけて検証し,その時期の主な就業形態として,都市部における行商活動や未熟練部門へ の従事を指摘している(p. 189)

(16)

模な外国人労働者の流入には,その高度経済成長に伴う大規模な国内の部門間 労働力移動が大きく作用したといえる.確かに,「ルイス転換点」26)と一般的に よばれるような国内労働力供給の逼迫状況に際した経済にとって,海外からの 労働力供給は,その成長メカニズムを維持するうえで有効である.しかしなが ら,労働力の国際的な移動,あるいは外国人労働者の流入は,移動費をはじめ とする種々のコストに加えて,法律的にも多くの制約を受ける.また,国内労 働供給が逼迫した経済にとって,海外からの労働力供給への依存は,成長を維 持させるための唯一の手段ではない27)

26)ルイスの「二部門モデル」では,国内の農村部門をはじめとする伝統部門からの労働力供給が枯 渇すれば,近代部門(工業部門)は,その労働需要を満たすために労働賃金を上昇させなければな らない.これにより,近代部門の(伝統部門に対する)交易条件は悪化し,利潤率の低下によっ て,資本蓄積は妨げられる.このように,成長の加速を終焉させる国内労働力供給逼迫が顕在化す る時点が,「ルイス転換点」とされている.

27)たとえばわが国の経験に関していえば,1960 年を中心とする数年間に「ルイス転換点」が到来 していたという説が有力である(南, pp. 234-244 ; Watanabe, 1994, pp. 120-121).完全雇用状況下 での「労働不足型経済」に移行したその後の日本経済は,周知のとおり,製造業部門における高度 技術化や,東アジア各国への生産立地の移転によって競争力を維持した.

0 2 4 6 8 10 12

全国  南部  東北  北部  西部  東部  中部  バンコク首都圏 

98 97 96 95 94 93 92 91 89 88 87 86 197580 倍率 

年  第 2 図 タイにおける地域間経済格差の推移

(備考)東北地方の一人当たり地域総生産額を1.0とした場合の倍率.

(出所)国際開発学会(2001)『タイ 首都圏と地方の地域間格差是正報告書』国際協力 事業団委託,表1 - 1 より作成.

(原出所)National Economic and Social Development Board, Gross Regional and Provincial Product.

(17)

それでは,この時期のタイ経済は,いかなる要因あるいは制約により,周辺 諸国からの大規模な外国人労働者を受け入れるに至ったのであろうか.また,

このような外国人労働者の流入は,タイ経済にとって,いかなる役割をはたし たのであろうか.このような点を中心に,次章では,90 年代半ばのタイにおけ る外国人労働者政策をめぐる諸問題について考察する.さらに,その結果とし て構築され始めた周辺諸国との新たな関係の実態を浮き彫りにしたい.

3

域内労働市場統合の胎動

3. 1 タイにおける外国人労働者政策の変遷――背景と意義

タイにおける外国人労働者政策は,1970 年代末における輸出志向型開発戦略 の試みのなかで,すでに整備され始めていた.しかしながら,77 年の「投資奨 励法」,78 年の「外国人法」と「入国管理法」によって一時的就労が解禁され た外国人労働者層は,90 年代初頭の実態とは大きく乖離していた28).90 年代に 入って顕在化した周辺諸国からの外国人労働者の流入は,これまでとは性格の 異なる外国人労働者問題をタイにもたらした.

とりわけ,不法就労者問題は深刻であった.前章において確認したように,

国家安全保障委員会の推計によると,1994 年時点で約525,000 人の不法就労者 がタイ国内に滞在しており,そのうち2 / 3 がミャンマー出身であった29).彼ら はおもに,タイ国内の稲作地帯をはじめとする農村地域に集中し,タイ人労働 者が去った部門において就業しているというのが実態であった30).このような状 況の中,外国人労働者,とりわけ不法就労者にたいするタイ政府の対応は,90

28)Chalamwong(1998),pp. 169-170. これらの措置は基本的には,外国企業の関係者をターゲット

としたものであり,該当する外国人労働者も,日本人,中国(香港・台湾を含む),アメリカ人が 大半であった.また,一時的滞在の許可に関しても,「特殊な技能職種に従事する者とその家族」

と言う条件が定められていた.

29)また,1995 年に実施されたDept. of Employment による全国レベルでの調査では,約730,000 人 の外国人不法就労者の存在が報告されている(Chalamwong, 1998, p. 179)

30)他には,たとえばタイ南西部のRanong 県では,ミャンマー人労働者が,全人口の1 / 5 ~ 1 / 3

を占めており,主に漁業に従事していた(Wong-Anan, 1995)

(18)

年代半ばになって大幅に転換されることになる.

国内の不法就労者問題を所轄する三大機関31)の一つである国家公安委員会は,

この問題に対する原則的な取り決め案を95 年に国会に提出した.その概要は以 下のとおりである32)

・1996 年6 月25 日時点において,すでにタイ国内における43 の特定地域の特定部門33)

で不法に就業しているミャンマー,カンボジア,ラオス国籍の者の一時的就業を認 め,彼らをタイ国労働法の下に取り扱うことを認める.

・労働社会福祉省および内務省は,雇用主による報告書に基づいて,該当する外国人

労働者に2 年間の就労資格を与える(その後は1 年ごとに更新可能).また労働資格

が認められた外国人労働者は,半年ごとに当局に報告書を提出する義務がある.

1996 年8 月の国会で承認されるに至ったこの措置は,タイにおいては一般的

に「96 年のアムネスティ」と呼ばれている.この措置に基づいて労働許可証を 取得した非合法外国人労働者のうち,87%がミャンマー出身であり,9 %がカ ンボジア,4 %がラオス出身であった.地域別では,42%が沿岸部,31%がミ ャンマー国境地帯,その他27%となっている.就業部門別でみた主要部門は農 業が3 割以上を占め,つづいて建設業,漁業・水産関連業,家内労働,となっ ており,これは,前章においてすでに確認したタイ国内における周辺国からの出 稼ぎ労働者の地域的・部門的な分布に関する一般的な傾向と,ほぼ同じである34)

周辺諸国からの外国人労働者への依存が政策的にも明確に打ち出されること になったこの措置をめぐっては,当時,国内の労働組合を中心に,大きな議論

31)不法就労者問題に取り組む政府機関は,他に,労働社会福祉省,内務省がある.

32)以下の概要は,おもに,Chalamwong(1998),pp. 170-171.に基づいている.

33)①農業および関連部門,②漁業および関連部門,③建設業,④特定の製造業部門,⑤鉱工業,

⑥水運業,⑦家内労働がこれに該当する.

34)総計では,372,000 人であり,既述のDept. of Employment によって推計された非合法外国人労

働者の約半数が,この「アムネスティ」によって正規就労ビザを取得したことになる.

(19)

が巻き起こった.とりわけ,タイ人労働者の実に7 割を占める教育水準の低い

(初等教育程度)労働者層にとって,外国人労働者の存在が脅威となることは事 実である35).そうした状況の中で,タイ政府が周辺国からの出稼ぎ労働者に寛 容な政策を採用する,あるいは採用せざるを得なかった背景には,いかなる要 因が存在していたのだろうか.

外国人労働者が当時のタイ経済に与えた影響という視点からこの問題を理解 するうえで,興味深い2 つの視点を挙げておこう.Chalamwong(1998)は,タ イにおける高度経済成長の過程で発生した外国人労働者の流入,すなわち,新 たな未熟練労働者の供給によって,労働集約型産業からより資本・技術・知識 集約型産業への移行といった経済構造の高度化が,遅延されていると指摘して

いる36).一方,Athukorala and Manning(1999)によると,「外国人労働者の流入

は,労働集約的産業の拡大によって経済成長率を維持させ,タイ経済に『息つ

く暇:Breathing Space』を与えた.その間,政府は産業構造の高度化を達成する

うえでの基盤を整備させることができた」となる37)

両者が指摘するように,労働集約的な産業の拡大によって急速な成長を達成 した経済が,国内労働供給の逼迫状況に際して求められるのは,産業構造の高 度化の達成による新たな競争力の開拓である. 実際, タイ国立開発研究所

(Thailand Development Research Institute:TDRI)の1994 年報告書は,中国,イン ドネシア,ベトナムといった国々の世界市場への参入・台頭と,タイ国内の

35)Pura(1994).また,桐山(2001)は,不法外国人就労者にたいする政府の寛容な政策をめぐる

Bangkok Post(January 8, 1996)の記事を紹介している.「タイ国内には,約50 万人の非合法就労 者がおり,その大半がミャンマー人である.タイの企業経営では,雇用主が深刻な未熟練労働不足 に陥っているが,その原因は主として,タイ人労働者が熟練労働部門に移行してしまっているか,

もしくは海外出稼ぎの流れに乗って本国を離れるからである.このような条件下で,法定最低賃金 の引き上げを主張する労働組合は,ミャンマー人労働者が,その本国では日給12 バーツという状 態で雇用されているために,たとえ日給50 バーツを雇用主側から提示されても,この賃金額を簡 単に受け入れると非難している.ちなみに,1996 年時点で,バンコク周辺の法定賃金は,145 バ ーツであった.(p. 219)

36)Chalamwong(1998),p. 168.

37)Athukorala and Manning(1999),p. 200.

(20)

「バブル」に押し上げられた実質賃金の上昇を指摘したうえで,「労働集約的産 業の拡大は,もはや,タイ経済の成長のエンジンではない」と明記している.

しかし,ここで重要なのは,「なぜ,タイにおいては国内労働力供給の枯渇が,

周辺諸国からの外国人労働者への『門戸開放』へ結びついたのか」という問題 である.

産業構造の高度化にとっては,労働者の熟練度や教育水準といった人的資本,

そしてそれを蓄積するための社会的基盤が,決定的に重要である.ところが,

タイに関していえば,1993 年時点において,14 歳人口のわずか38%が通学す るに過ぎなかったという,国内人的資本形成の欠如が指摘されている38).つま り,当時のタイは,高度経済成長とそれに伴う経済構造の変化の過程で発生す る熟練労働への需要を,現行の教育制度が満たすことができないという状況に あったのである39)

このように,タイ政府が外国人労働者に寛容な政策を採用した背景には,「国 内労働供給の逼迫に直面しても,依然,労働集約部門における競争力の維持が

『至上命題』である」というタイ社会が構造的に抱えていた問題が存在していた のである.つまり,労働力移動に関するタイの経験は,局地的そして短期的な 成長を遂げた経済が,外国人労働者の流入によってそのメカニズムを維持する 一つの形態として理解できる.そしてそれは何よりも,国境を越えた,周辺諸 国との地域的な労働市場の形成過程を示しものである40)

このような国内の経済政策運営に外国人労働者を本格的に取り込もうとする 試みは,1990 年代初頭から半ばにかけて東アジア地域内の各国でみられた.た

38)ちなみにこれは,中国よりも少ない割合であるとされている(大西, 2001, p. 157).世界銀行の 統計によると,1997年時点でのタイにおける中等教育就学率は,48%にとどまっており,これはイ ンドネシア・マレーシア・フィリピンと比較して, 最低の水準である(World Bank, World Development Report2000/2001, Table6.).また,Watanabe(2002)は,2000 年8 月時点において,

タイ国内の労働者の68%が,なお初等教育あるいはそれ以下の教育水準にとどまっていることを指 摘している.

39)Sussangkan(1994),Sirilaksana(1995)

40)Athukorala, Manning, and Wickramasekara(2000)は,このようにして形成された周辺諸国との 関係を,greater regional integration through international migratiom と指摘している(ch. 4)

(21)

とえば,タイと同様に農業部門での深刻な労働力不足に陥っていたマレーシア では,おもにプランテーションにおける外国人労働者の一時就労を許可する受 け入れ協定が,インドネシアやフィリピンといった国々との間で締結された.

台湾では,92 年になってはじめて,「国の労働力に補完的である限り」という 条件つきで,外国人労働者の一時的な就業が許可された41)

こうした各国政府による「労働市場の開放」によって,外国人労働者が受入 国の経済構造に着実に組みこまれつつあった1990 年代の東アジア地域は,地域 内部における新たな相互依存関係の萌芽を示したといえる.一方,本稿で確認 したタイの事例が示すように,貿易と投資を通じた地域統合のプロセスのなか で達成されてきた東アジア各国の経済発展のプロセスこそが,地域内部におけ るダイナミックな国際労働力移動の主要因となっている.この意味で,従来,

貿易や投資を通じた域内の国際経済関係が強調されてきた東アジア地域は,い まや,労働力の国際移動を通じた相互依存という新たな側面を見せ始めたとい える42)

しかしながら,1997 年7 月のタイ・バーツ切り下げに端を発し,その後,東 アジア各国を襲った経済危機は,この地域で形成されつつあった域内労働力移 動のメカニズムが抱える脆弱性を露呈させることになった.一方で,この危機 により,各国の経済構造が,このような新たな相互依存関係にいかに深く関わ っていたかということが,逆説的に示されることになったのも事実である.次 節では,東アジアを襲った97 年のアジア通貨危機に関して,タイのケースを中 心に,同地域の国際的な労働力移動に与えた影響に焦点を当て,それに対して 当該国政府さらには各国間でいかなる取り組みがなされているのかについて考 察する.

41)Lee and Wang(1999)

42)このような意味において,Athukorala and Manning(1999)は,1980 年代末以降拡大した東アジ アにおける国際労働力移動について,the third dimension of globalization and structural change in East Asian economies と指摘している(ch. 1)

(22)

3. 2 アジア経済危機の衝撃

1997 年7 月のバーツ切り下げに端を発した経済危機の結果,タイ国内では約

130 万人の失業者が発生した43).こうした厳しい経済環境のなか,外国人労働 者をめぐるタイ政府の措置は,①非合法外国人への就労ビザの新規発行を停止,

②就労許可期限切れとなる者に関してはその延長を認めない,③非合法入国者 の摘発強化,といった厳しいものになった44).実際,危機の発生当初から1998

年7 月までに,約23 万人の不法就労者がタイ国内から,おもにミャンマーへ

送還された45)

経済危機が東アジア地域において急速に波及する過程で,外国人労働者の処 遇をめぐっては,同様の厳しい措置が,各国政府によって相次いで採られた.

たとえば,マレーシア政府は,外国人労働者の雇用にかかる税率を引き上げる とともに,約100 万人の不法就労者を本国に送還すると発表した46).台湾行政 府は,国内の企業が一度に20 名以上あるいは1 / 4 の労働者を解雇した場合に は,外国人労働者の雇用を禁止することを発表した47)

1990 年代の東アジア地域においては,各国の労働市場構造の変化を背景とし て,政府による「労働市場の開放」がすすめられたことは前章で確認したが,

経済危機による雇用状況への影響とその対応策の必要性が,その政策の急転換 を迫ったと理解できる.事実,タイ政府は,外国人労働者の送還政策と平行し たタイ人労働者の就労移管による雇用の確保を,国内の雇用安定化政策の支柱 の一つと位置づけていた48)

しかしながら,当初の目論見に反して,タイ政府による就労移管政策は,多 くの産業部門において効果をあげず,その政策は修正を迫られた.その実情を

43)Abella(1999),p. 57.

44)Chakamwong(1999),p. 222.

45)さらに,98 年11 月までに8 万人の国外追放が計画されていた.

46)Battistella and Asis(1999),p. 30.実際,マレーシアでは,98 年11 月末の時点で,25 万5,483 人の不法入国者が送還された.

47)桐山(2001),p. 219.

48)Chakamwong(1999),pp. 223-224.

(23)

端 的 に示 すのは, 桐 山(2001)で紹 介 されている次 のような Bangkok Post

(September 29, 1998)の記事である.「不法就労外国人を国外追放している現在 の措置は,各産業分野で労働者不足状態を作り出している.(中略)労働社会福 祉省によれば,11 万人の雇用需要が創出されたのに対して,外国人労働者に代 わって積極的に職に就いたタイ人労働者は,わずか 64 人であった.(中略)こ のため,タイ政府は,雇用者支援のために98 年8 月15 日から再び規制を緩和 し,さらに1 年間の外国人労働者雇用延長を認めた.その結果,21 万3,855 人 の外国人労働者の雇用延長が認められ,産業分野別内訳は,漁業が4 万4,938 人,農業が4 万4,491 人,漁業関連業が3 万2,997 人,繊維産業が1 万4,938 人であった.(中略)危機のために延期されていた,外国人労働者の合法的導入 に関する長期的計画への合意が,政府と民間企業の間で交わされた」49).つま り,国内の労働市場の実態が,外国人労働にたいするタイ政府のスタンスを,

基本的には危機以前の路線に戻させることになったのである.

このように,経済危機の教訓は,外国人労働者に深く依存しているタイ経済 の構造を,あらためて露呈させた.高度経済成長の過程で進展した国内労働者 の部門間移動が不可逆的なものであり,タイ人労働者と外国人労働者の間には 著しい分断が存在するという国内労働市場の構造が浮き彫りになったのである.

経済危機によって国内の労働者が高い失業率に直面する状況においても外国人 労働者が必要になるという事態は,東アジア地域における域内国際労働力移動 が,各国内の労働市場における著しい分断を伴いながら進展している現象であ ることを示している.

さらに,現代アジアにおける国際労働移動において受入国および送出国双方 の役割をはたしていたタイのポジションは,同国にとってのこの問題をより複 雑なものとした.タイ政府は,国内の雇用対策として外国人労働者の本国送還 を実施する一方で,タイ人労働者の海外への出稼ぎを,より積極的に促進した.

49)桐山(2001),p. 215.

(24)

しかしながら,経済危機が各国に波及するという地域的な状況の中にあって,

この政策は,好ましい効果をもたらすにはいたらなかったのである50). タイが経験したこのジレンマは,外国人労働者が,各国単位での労働力の需 要と供給の不均衡を調整するための手段にはなりえないことを示している.東 アジア地域に求められているのは,国際的な労働力移動をめぐる地域的な取り 組みであり,これは,今後の東アジア地域におけるさらなる相互依存関係の構 築,そして新たな経済発展に向けて取り組まねばならない課題の一つといえる.

お わ り に

これまでみてきたとおり,1990 年代以降の東アジア地域においては,東南ア ジア各国の高度経済成長を背景とした域内国際労働力移動が拡大し,地域内に おける新たな相互依存の形態として,各国の経済構造に確実に組み込まれつつ あった.しかしながら,97 年の通貨危機を発端とする経済危機は,この新たな 相互依存メカニズムに大きな混乱をもたらし,その問題点を露呈させた.経済 危機の教訓は,東アジアにおける地域経済統合が新たな段階にさしかかりつつ あることを示す一方で,労働力移動の側面からも,地域的な協調体制の構築を 迫るものであった.

アジア経済危機を契機として,東アジアにおける経済協調の機運は,かつて ないほどに高まっている.しかし一方で,市場主導によって推し進められてき た東アジア経済の地域統合プロセスは,de factoIntegration として認識され,そ の「経済統合における制度化の欠落」がしばしば指摘されるのも事実である51)

「欧州共同体」という強固な政治的意思のもと,地域統合の最終段階である通 貨統合を実現させた欧州ですら,なお今日,域内の労働力移動に関しては深刻 な課題を抱え,加盟各国内部で大きな政治的関心が寄せられている現状を考慮 すると,東アジアにおいては,国際的な労働力移動をめぐる地域的な取り組み,

50)Tsay(2002),p. 384.

51)たとえば,Katzenstein(1997)

(25)

さらには協調体制の確立が,なおさら急務の課題であるといえる.

このような意味で,現代アジアにおける国際労働移動について特集を組んだ ASEAN Economic Bulletin(Vol. 12, No. 2, November 1995.)の巻頭に記された次の一 文は,この地域が今後取り組むべき問題の本質をついている.すなわち,「(そ の経済発展によって『アジアの奇跡』を示した)東アジアは,国際的な労働力移動の 管理に関する『もう一つの奇跡』を示すことができるのであろうか」52)と.

東アジア地域における経済的相互依存の深化に,日本,とりわけ日本企業の 果たしてきた役割は大きいし,今後も日本経済はこの地域に深く組み込まれて いくであろう.その日本が,今,新たな課題を問われているのである.この新 たな課題は,当然,これまで国際労働力移動や移民問題に沈黙を守り通してき た日本政府と国民に,政策と意識の転換を迫っている.

52)Martin, Mason, and Tsay(1995),p. 117.

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