近代英米法思想の展開(二) : ブラックストーン、
マンスフィールド、ベンサム
著者 戒能 通弘
雑誌名 同志社法學
巻 61
号 7
ページ 33‑117
発行年 2010‑03‑31
権利 同志社法學會
URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000012127
近代英米法思想の展開(二)三三同志社法学 六一巻七号
近代英米法思想の展開(二) ―ブラックストーン︑マンスフィールド︑ベンサム― 戒
能 通 弘
(二一四九)
一︑はじめに二︑ブラックストーンの法思想
︵一︶救済のシステム ︵とロ・ンモコのてし系二体のルール的習慣︶ー 想マ思法のドルーィフスン︑三 ︵三界限の念概ルール︶ ︵づロ・ンモコく基一に義正的然自︶ー ︵二︶原理的思考の限界 想︑思法のムサンベ四 ︵三唆示のズムイケ︶
近代英米法思想の展開(二)三四同志社法学 六一巻七号
︵﹁峻の﹂習慣的般一と一﹂習慣の官判裁︶﹁別 ︵二︶ルールとしての法 括五小︑ ︵行為の分類三司法裁量論反違︶と
一、はじめに
本稿では︑まず︑ウィリアム・ブラックストーン︵
Sir W illi am B la ck st on e, 17 23
―17 80
︶の法思想について扱うが︑コモン・ロー思想の展開において︑彼の主著である﹃イングランド法釈義︵Commentaries on the Laws of England
︶﹄︵一七六五非はもるれさ別区に確明とで想思法の前以れそ︑のあとルと方見るえ捉てしとーるルをーロ・ンモコ︒でこえ捉てした 九る法ドンラグンイれいて体さ開展で︶年の記系ーと系体のルールをロ的・ンモコ︑は述な − 六
ルール的な思考の対立は︑現代においては︑一次的ルールと二次的ルールの複合体として法を捉えたハートに対するドゥオーキンの解釈的な法理論からの批判に最も顕著に現れているが (
主︑の中の想思法米英代近降以ンートスクッラブ︑ 1)
要な対立軸として︑それを巡り︑様々な法思想が展開されている︒ここでは︑まず︑これまでのわが国のブラックストーン研究においてはほとんど触れられなかった観点ではあるが︑近年の英米における研究を参考にして︑そのような対
立軸の中で︑ブラックストーンの法思想を検討することを試みたい︒それにより︑ブラックストーンの法思想の一八世紀当時のイングランドにおける意義や限界︑さらに︑それに続くマンスフィールドやベンサムの企図が明確になるであ
ろうし︑また︑それらの法思想と対立していたコモン・ロー的思考の特徴などがより明確になると思われる︒
(二一五〇)
近代英米法思想の展開(二)三五同志社法学 六一巻七号 法をルールの体系として捉える見方は︑制定法主義を取るわが国においては一般的なものであろう︒しかしながら︑イングランドにおいては︑そのような見方が支配的になったのは︑一九世紀後半以降という研究もあり (
︑ルールを法の 2)
パラダイムとするそのような立場は︑ドゥオーキンの法理論に代表されるように︑現代に至るまで繰り返し挑戦を受けている︒例えば︑コモン・ロー理論を論じる際に︑現在においても度々言及される﹁コモン・ローと法理論︵
T he
C om m on L aw a nd L eg al T he or y
︶﹂という一九八○年代の有名な論考 (において︑ 3)
確確︑本質的に正︑で定しした概念と捉えるこてとは性るめ歪に的果結を質のト系体のそールのセッと (
B
︑﹁シンプソンは・ルモン・ローをコ﹂ことになると 4)
論じている︒そして︑その根拠として︑まず︑コモン・ローにおいて何が法であるかという議論は︑便益︑常識︑道徳など︑特に法的ではないものによって支えられており︑その際は︑権威ではなく︑理由付けに言及されるため︑﹁コモン・
ローの合理性をルールに還元できるとは誰も主張しないだろうと私は思う (
系と家律法︑てし針よ指く導を定決にっ的習体︑し述記を慣てるいてれさ容受な理習わ合家の慣︑すなち︑訴訟の際の て︒るい﹂べ述とたま法︑コモン・ローを律 5)
化したものとして捉える立場からも︑そのようなものはつねに改善されうるし︑また慣習の変化に対応して変形しうるものであるため︑本質的に矯正されうるものと捉えられると論じている (
研理の新最るす関に論ー︒ロ・ンモコ︑にらさ 6)
究においても同様の立場が敷衍されており︑二○○七年に出版された﹃コモン・ロー理論︵
Common Law Theory
︶﹄というアンソロジーにおいて︑例えば︑
れいが理由のバランスを決定してるそという意味においてのみである (
T
・てアランは︑コモン・ローにおい︑﹁はルールが絶対的な力を有するの︑﹂と述べているし︑ 7)
G
・ポステマも︑コモン・ロ ーにおける諸ルールは︑﹁推論の過程の前提ではなく︑その結果であり︑そしてそれらはつねに︑︵新しい︶事例に対して弁明の義務を有している (︑る般は︑﹁司法によール家ルの規定化は一法律﹈︵︶内は引用者た﹂﹇め︑コモン・ロー 8)
すでに決定された事例やそれらに対する理由の更なる評価に基づく修正によって矯正しうるものであり︑傷つきやすい
(二一五一)
近代英米法思想の展開(二)三六同志社法学 六一巻七号
ものである (
るい﹂と考えていると指摘して 9)(
︒ 10)
ところで︑このような非ルール的なコモン・ロー観が最も典型的に表れている近代以降の法律家として︑エドワード・クック︵
Sir E dw ar d C ok e, 15 52
―16 34
︶を挙げることができる︒クックにおけるコモン・ローのルールは︑裁判官の理 由付け︑弁論︑思考の結果として生じてくるものであり︑判例集におけるルールの規定も︑そのような裁判官の思考を注釈︑あるいは解釈したに過ぎない流動的なものとして捉えられていた (め図たるすに確明りよを企のクック︑にらさ︒ 11)
に
と令︑例先たれさ認承︑状始宜開訟訴︑籍典的威権︑便や格十こたいてげ挙をのもの二共どな論議のらか念信の通率や
M
ク法な的ルール非のクッ︑考とるす拠依にンーバロ思・理し原のーロ・ンモコ︑てと︑源法のーロ・ンモコが彼は や︑コモン・ローを裁判官の﹁長年の研究︑観察︑経験によって得られる技術的理性の完成体 (︑モ様性からは︑クックにおけるコンの・ローが︑明確なルールの体系多源明るとからも法かになら︒なわち︑前者のす 義して定こしていた﹂と 12)
あるいは法的問題に対する答えをそれ自体に含む一つの体系ではなく︑多くの法源が思考の様式にあるような推論の体系であったこと︑そして︑後者の定義からは︑そのルールが︑合理的なテストで明らかになるようなものではなく︑ま
た︑法源の多様性からの帰結と同じく︑法的問題についての裁判官の思考に依拠する推論の体系としてコモン・ローが捉えられていたことが明らかになるとされている (
︒ 13)
ここで留意すべき点は︑このような推論の体系としてのコモン・ロー概念が実務家の見解であり続けたということであろう︒﹁一般性は︑何ものをも結論には導かない︵
ge ne ra lit y ne ve r br in g an yt hin g to a n co nc lu sio n
(︶﹂としたクック 14)
に代表されるように︑法とは︑一つのルールの下にすべてを包摂することではなく︑事例や状況に基づいて︑推論のルールを導き出したり︑判決を下すことであるとするこのような見方は (
もしと方見るえ捉を法てと﹂ムテスシの済救︑﹁ 15)
言い換えうる︒そして︑それは︑イングランドにおいては︑十九世紀半ばまで︑法についての有力な見方であったと捉
(二一五二)
近代英米法思想の展開(二)三七同志社法学 六一巻七号 えることも可能であり︑ブラックストーンのみならず︑異なった対応をするのであるが︑本稿第三章︑第四章で検討するマンスフィールドやベンサムの法思想を︑それぞれ対照的に分析する視座を与えるものでもある︒すでに拙稿におい て検討した︑コモン・ローを裁判官の慣習として捉えるか︑あるいは一般的な慣習に基づくものとして捉えるかの対立についてと同様 (
な米代にいたるまでの英の︑法思想における主要現はルかモン・ローをルーと︑して捉えられるか否コ 16)
対立軸の一つであるわけだが︑次章においては︑ブラックストーンの法思想との対照という観点から︑まず︑十七世紀から十九世紀までの判例を分析︑検討しているロバーンの研究をおもに参考にして︑非ルール的な︑救済のシステムと
してのコモン・ローの特徴を素描することから始めたい︒
二、ブラックストーンの法思想
︵一︶救済のシステム
コモン・ローの判決︑判例におけるルールの性格を分析する際には︑まず︑判決︑判例において規定されたルールに
ついて︑裁判官団の間にコンセンサスがあったか否かを区別することが有益である︒ロバーンが指摘しているように︑
﹁コンセンサスが存在しているところでは︑裁判官は法的ルールに関するコンセンサスに忠実にあり続けたのであり︑ほとんどの事例においては︑先例と類推の力が法的問題に対する異論のない答えを与えていたため︑何が法であったか
についてはほとんど争いがなかった (
︑お・ンモコ︑もていにールイヘ︑で方一︒うロのあロはのるなと部一のー・新ンモコがルールいしろで可もとこるえ能 判に的術技るけお︒クック性たっあで理官もン換い言とスサセ裁ンコの間の団﹂の 17)
それが継続的受容︑あるいは説明︑解釈︑拡大などにより︑裁判間団によって利用︑受容される場合であると考えられ
(二一五三)
近代英米法思想の展開(二)三八同志社法学 六一巻七号
ていた (
命お重視していたヘイルにい例ても︑﹁コモン・ローのを先いもンプソンが指摘してる︒ように︑クックよりシ 18)
題の価値はその命題がどれほど受容されている実践を正確に表しているかに拠 (
︒考サスが結びつけてえセられていたのであるンンコの官 ルており︑法的ルのー﹂安定性と裁判っ 19)
ただ︑当時のイングランドにおいては︑先例は︑実質的に同じ事件を扱うが故に権威を持つとされたのではなく︑その権威は︑理由付けの源泉として評価され︑理解されたことに起因していた︒
N
理にうよるいてし整・がーリベスクダ︑ 中世における裁判官の役割は︑訴答︵ple ad in g
︶において争われた争点に関して︑当事者を合意に導くことにあったが︑一六世紀の初めにおいて︑当事者間の争点を明らかにする訴答が︑審理の前におこなわれるようになり︑裁判官の主要な役割が︑助言的なものから判決を下すことに変化して︑判決の理由が問われることになる︒結果として︑一七世紀の初めまでには︑一つの理由つきの判決が法源として捉えられるようになるが︑判例集の整備によって︑個々の判決の理
由が明確になっていき︑同様の事例を判決する裁判官への拘束力が強くなっていったのであった︒一六世紀における年書︵
Ye ar B oo k
︶は︑サージェント︵se rje an t
︶の間のやりとりが収録された︑訴答手続きのあり方を教授するもので先例を明確にするものではなかったが︑一七世紀になると︑ベーコンによって重要な事例に関する公的な判例集の刊行が提唱され︑さらに︑十八世紀の半ばにはバローなどの優れた判例報告者が登場してくるようになる︒その結果︑十八
世の終わりまでには︑すべての主要な裁判所における判例集が公刊されるようになり︑十九世紀の半ばには︑判例集の原稿が裁判官によってチェックされたことで︑その正確性がより保証されるようになってきた (
︒例えば︑ヘイルの同僚 20)
のボーカン判事が︑裁量は︑先例ではなく宣言された法に基づくものであると論じていたように (
意略例報告の漸進的な改善が︑︵中︶︑﹁一般的にそのような判決が注判にのり由︑推論う系であ体続以けの上よ︑がた ︑理︑はーロ・ンモコ 21)
深く記録され︑そして理由付けの鍵となる点が簡単に同定されることを保証した (
︑者りよにとこ﹈引用は内︶︵﹂﹇ 22)
(二一五四)
近代英米法思想の展開(二)三九同志社法学 六一巻七号 裁判官は︑説得力︑コンセンサスのある理由が伴う先例に従う傾向が強くなっていったのである︒ コモン・ローの救済のシステムとしての性格は︑先例とされうるものに関して︑理由付けに関するコンセンサスがな
い︑いわゆるハード・ケイスにおいてより明確になってくる︒ロバーンによれば︑判決の理由をそもそも正確に発見することができない多くの事例があり︑事実関係と複雑に絡み合っているために︑明確なルールを導き出せないルールも︑
同様に数多く存在していたとされている (
in e in on fro re w la th fro in ith w re as on m g as m e w la o g th e ut sid
なにイタのつ二るよ︶的論︵︶と推外在法プ論推な的在︵ と状新りよに況のなうよなそ︑てした言事対内法︑はてしに例のもる得い︒そ 23)の対応があった︒
このうち︑法内在的推論の代表的なものとしては︑クックによる格率︵
m ax im
︶の使用を挙げることができる︒クッ クにおいては︑権威的な先例がない時︑あるいはそれらが競合している際に︑格率は︑その解決方向を指し示し︑法を発展させる役割を有していた (に般律家の間では一的ーであり︑ベーコン法ロ位・のような格率の置︒づけは︑コモンこ 24)
おいて︑様々な法律問題の中に一貫して流れている一般的理性の命令である格率が︑船のバラストのようにコモン・ロー全体を安定させる機能を果たすと考えられていたのと同様に (
めのを題問律法該当の例判去過︑﹁もていおにクック︑ 25)
ぐる議論の中で働いている︑コモン・ローに内在する法的論理を公式化 (
理方原釈解す示し指を向の釈解︑は率格たし﹂ 26)
としての役割を有していたのである (
っし誤のそ︑が物人たをにい払支いなえれさ制認気来求なと点争がかるきで要づをし戻い払に後たい強本よに認誤のり
re 13 B ris ba ne v . D ac 18 s
で︑バーンが挙げている例は法︶︑はでこそ︑が︒︵るあロ 27)ていた︒裁判所は︑支払いから長い期間が経っていたため︑払い戻しをさせるのは合理的ではないとしたが︑その際︑
ignorantia legis no excusat
︑volenti non fit injuria
という格率を用いて︑原告の過誤は︑彼自身の不運であり︵法の不知はこれを許さず︶︑また︑被告によって誤らされたのではなく原告が自発的に支払ったものに対して被告には責
(二一五五)
近代英米法思想の展開(二)四〇同志社法学 六一巻七号
任はない︵意図のある人間に違法行為はなされ得ない︶との理由に基づき判決を下している︒ロバーンが挙げているも
う一つの事例は︑
M ilb ur n v. E w ar t
︵17 93
︶で︑それも先例が存在しない事例であった︒そこでは︑夫の死後︑一定の金額を寡婦に支払うという結婚前の約束は︑債権者が債務者と結婚した場合は債務が消滅するというルールからの類推 によって無効であると主張した原告に対して︑裁判所は︑そのような推論は︑もろくて技術的なものであるとして︑法は不法をなしえずという原理によって︑寡婦の請求権を認める判決を下している (︒ 28)
コモン・ローにおける紛争解決がルールや先例の明確な適用ではなく︑理由を伴う論争によって解決されていたことは︑法外在的な推論を検討することでより明確になる︒新しい事例において︑類推からの推論も不可能である際︑裁判 所のプロセスには︑事例に適用しうる幅広い議論によって法的問題を解決する傾向があり︑その際︑裁判官たちは︑自然法︑正義︑政治哲学︑政治経済学︑便益といった幅広い法源に依拠して判決を下していた (
︒ 29)
ロバーンが挙げている例は︑
St ee l v. H ou gh to n
︵17 88
︶であるが︑それは︑収穫後に落ち穂拾いをするコモン・ロー上の権利が争われた事例である︒不法侵害︵tr es pa ss
︶で訴えられた被告側の弁護士は︑ヘイルやブラックストーンに依拠して︑落ち穂拾いの権利を認める一般的な慣習があると論じたが︑グルド判事も︑落ち穂拾いの一般的な慣習はどの地域にもあり︑これまでの判決でこの権利が議論されてこなかったのは︑そのような慣習が一般的な慣習であったこ
とが非常に明白であったため︑争う余地がなかったからだと論じている︒一方で︑多数意見︑すなわち判決ではそのような議論は受け入れられず︑例えば︑そのような権利は︑排他的な享受を認める財産権の根本的な性格に反するとされ
たり︑浮浪を促進する︑より質の良い落ち穂を拾うために詐欺的な収穫を促進してしまうなど︑公共政策や便益の観点からの理由によっても判決が正当化されている (
︒ 30)
他方で︑
N ic ho lso n v. C ha pm an
︵17 93
︶のように︑類推からの議論も可能であったが︑法外在的な議論によって判決(二一五六)
近代英米法思想の展開(二)四一同志社法学 六一巻七号 が下されている事例もあった︒そこでは︑木材が誤ってテムズ川に流出した際︑それを拾い上げた人は︑木材に対する先取特権もあるいは拾い上げた際の費用に対する請求権もなく︑むしろそれを返却しなければ︑動産侵害︵
tr ov er
︶に なると判示されたが︑弁護側が論じていたように︑一見︑海難救助︵sa lv ag e
︶の事例との類推によって解決しうるものでもあった︒海難救助をおこなった当事者は︑報償を受ける権利があるという法原理は︑H ar tfo rd v . Jo ne s
︵16 99
︶で確立されたものであったが︑主席裁判官のエア卿は︑そのような類推を認めることで︑木材の所有者は︑意図的に木材を流出し︑報償を請求しようとする者から木材を守る必要に迫られてしまうと︑政策的な観点から判決を下している (
︒ 31)
以上は︑全く新しい事例︑あるいは論争的な事例で︑それについて裁判官の間で何が法であるかについて合意がない︑あるいは同じことであるが︑法がないことについては合意があるようなハード・ケースである (
︒クックがハード・ケー 32)
スにおいても裁判官は︑制定法と法に従って宣言すると述べた際は︑右の
B ris ba ne v . D ac re s
のような格率を中心とした類推による法発展が念頭にあったわけだが︑St ee l v . H ou gh to n
は︑それを支配する法の原理に関する合意がない上に︑ 既存の法の中に類推の材料がないとされた事例であり︑法外在的な公共政策や便益による理由付けがなされている︒また︑N ic ho lso n v. C ha pm an
は︑類推的な推論から適用されるルール︑先例の導出が可能である事例であったが︑法に内在する考慮から導かれた判決に関する理由と︑法外在的な公共政策︑便益などによる理由が衝突したものであった︒ロ
バーンによれば︑コモン・ローは︑明確なルールの体系ではなく︑推論の体系であったので︑このような事例においては︑どちらの理由付け︑議論が︑説得力を持ち優勢であるかによって判断が下されたのである (
︒要するに︑コモン・ロ 33)
ーは︑個々の事例をどのように解決するのが最善かという観点が重要な﹁救済のシステム﹂であって︑
N ic ho lso n v.
C ha pm an
で明らかなように︑過去の事例からの類推︑先例は︑後の事例を拘束するものではなく︑あくまでもガイドラインに過ぎなかった︒十九世紀半ばまで︑コモン・ローには︑﹁ルールの体系﹂とは本質的に相容れない面もあった
(二一五七)
近代英米法思想の展開(二)四二同志社法学 六一巻七号
のである︒そして︑コモン・ローのこのような側面は︑ブラックストーン︑マンスフィールド︑ベンサムによって︑そ
れぞれ異なったアプローチにより挑戦されることになる︒
︵二︶慣習的ルールの体系としてのコモン・ロー
ブラックストーンの主著は︑一七六五年から一七六九年の間に︑全四巻の形で公刊された﹃イングランド法釈義﹄で
あるが︑そこでのブラックストーンの意図は︑彼によるクックの評価と︑ベンサムによる彼の評価などから窺い知ることができる︒
まず︑クックの﹃イングランド法提要︵
Institutes of the laws of England
︶﹄の第一巻に関して︑ブラックストーンは︑コモン・ローを理解するために必要なものとして判決︑判例集とともに︑権威的著作︵au th or ita tiv e w rit in gs
︶を取り 上げた際に︑若干触れている (tio d st itu na l m et ho in
の時うと方した同代権的系体法的威・て︵なれら取は法方うしよるれら見に︶よ化体を法ドンラ系Institute
﹃法マーロ︑はので書著にこのクッ学法おをグンイに考参︶﹄け︵要提学︒るク 34)おらず︑むしろコモン・ロー的思考の一端を読者に示すことを目的としていたが (
正をトル︵提要︶体タ当とする権威イ系・取いないてれらど的んとほは法方的 ( ー︑うよのそ︑﹁もンなトスクッラブ 35)
︒﹈るいてし摘指と用者引は内︶︵﹂﹇ 36)
ブラックストーンによれば︑クックの記述は︑﹁古来の判例集やイヤー・ブックから集められ︑積み重ねられた︑価値あるコモン・ローの学識の豊富な鉱脈ではあるが︑方法には非常に欠陥がある (
﹂のであった︒ 37)
一方︑ブラックストーンとの対決の中でその思想形成がおこなわれたとされるベンサムにおいては︑以下の記述が︑ブラックストーンの方法論︑あるいはそれへの共感を示すものとして注目される︒すなわち︑ベンサムによれば︑ブラ ックストーンは︑﹁すべての権威的・体系的著者︵
in st itu tio na l w rit er
︶たちの中で初めて︑法学に学者と紳士の言葉を(二一五八)
近代英米法思想の展開(二)四三同志社法学 六一巻七号 話させた︒すなわち︑その粗野な科学にワックスをかけて︑その職務によるゴミやくもの巣を取り除いたのである︒そして︑たとえ彼が︑その科学の真正な宝庫から導き出される正確さによって法学を豊かにしたのではないにしても︑彼 は︑有益なことに︑古典的な学識の装飾から法学を解放した (
︒下たっあでのるいてしを価評の定一てしと﹂ 38)
さらに︑一七六八年の︑︵第三巻︶出版当初の書評においては︑法学において非常に欠如していた明快さと体系性に おいて︑ブラックストーンに並びうるものではなかったので︑ブラックストーンを﹁当代のクック﹂と称することでさえ︑あまりにも不十分な賛辞であると評価されていたが (
あもに化系体のーロ・ンモコ︑図意の身自ンートスクッラブ︑ 39)
った︒拙稿でも触れたように︑コモン・ローの法源は︑裁判官の思考方法の中にあり︑それを学ぶためには︑代表的な事例を検討することが最も有用であるとしたクックの (
rt In ou f C o ns
いてれわなこおで︶︵院学曹法にもお︑はいるあ︑ 40)た従来のコモン・ロー教育の方法に対して︑ブラックストーンは︑﹁もし法実務が彼が教えられるすべてのことならば︑それは︑彼の知るすべてのことになり︑︵中略︶確立された先例から少しでも離れてしまえば︑彼は困惑させられ︑途
方にくれてしまうだろう (
はが法実務のルール拠依理する要素や第︑﹁なの者﹂﹇︵︶内は引用﹈原と指摘し︑必要一 41)(
官タ実践が︑ウェストミンスー法・ホールの十二人の裁判的司じ︑教えることであると論ている︒判例集が未発達でを ﹂ 42)
の議論︑コンセンサスに依拠していた時代に (
ra ne w la e th f o ap m l ge
(a
の︵図地な的般一法﹄︑﹁ングランド法釈義は︑﹃︑一七五三年からイ 43)ンモたっあで果成の育教ーロ・コ ( グのてめ初はで学大のドンランッイ提供する目的を持ってオク︶﹂スフォードで試みられた︑を 44)
︒ 45)
このコモン・ローの教育におけるクック的なものとブラックストーンの対立は︑本稿の問題関心の観点からは︑第一節で検討した︑推論︑救済の体系としての法とルールの体系としての法という対立に捉えなおすことが可能である︒ブ
ラックストーンは︑右でベンサムが的確に指摘しているように︑裁判官の法的思考に法源を求める見方︑あるいは︑裁
(二一五九)
近代英米法思想の展開(二)四四同志社法学 六一巻七号
判官の長年の経験によって得られる知識︑学識にコモン・ローを基礎づける見方と訣別し (
︑第一原理により統合された 46)
ルールの体系によって法を捉えた権威的・体系的著書︵
in st itu tio na l w rit in g
︶によって︑自らの法学を基礎づけている︒先に少し触れたように︑十七世紀︑十八世紀のイングランドにおいては︑ヘンリー・フィンチやトマス・ウッドなどに 代表されるように︑ユスティニアヌスの﹃法学提要﹄を参考に︑コモン・ローの体系化をおこなった権威的・体系的著者が数多く存在したが (さ頭熟達した裁判官ののて中にのみ存在すると︑しもとラックストーン︑︑これまで﹁理念﹂ブ 47)
れたコモン・ローを︑﹃法学提要﹄の体系︑すなわち︑自然法を構成原理とするルールの体系に還元することを試みたのであった︒
そのブラックストーンの自然法の定義は︑﹃イングランド法釈義﹄の導入部︵
in tr od uc tio n
︶の一節である﹁法一般の性質について︵of th e na tu re o f l aw s i n ge ne ra l
︶﹂において披瀝されている︒すなわち︑ブラックストーンによれば︑﹁創造物として捉えられる人間は︑創造者の法に完全に従わなくてはならない︒なぜなら︑人間は完全に依存的な存在だからである︒︵中略︶そして︑結果的に︑人間は︑すべての事柄に関して完全に依存するため︑人間は︑すべての点に関
して彼の創造者の意思に従わなくてはならない﹂﹇︵ ︶内は引用者﹈が︑その﹁創造者の意思が自然法と呼ばれる (
こにンド法の記述が︑自然法基グづくものであることを︑﹁ランライであった︒さらに︑ブックストーンは︑自らのの ﹂ 48)
の自然法は人類とともにあり︑神自身によって命じられたものでもあるので︑当然︑他のものよりも義務において優越している︒それは︑全世界において拘束力を持ち︑すべての国のすべての時代において拘束力を持つ︒すなわち︑どん
な人定法︵
hu m an la w
︶もこの自然法に矛盾するならば妥当性を持たないし︑妥当性を持った人定法は︑そのすべての力と権威を直接であれ︑間接的であれ︑源泉である自然法から導き出している (﹂と宣言している︒ 49)
しかしながら︑﹃イングランド法釈義﹄全体を見ると︑ブラックストーンは︑イングランド法︑コモン・ローを自然
(二一六〇)
近代英米法思想の展開(二)四五同志社法学 六一巻七号 法に基づくルールとしては捉えておらず︑むしろ︑﹁法実証主義的な﹂法観念が取られていることが明らかになる︒ ここでは︑ロック的な権利概念との類似性が指摘され︑自然法の影響が明白に表れているとも理解できるブラックス トーンの絶対的権利︵
ab so lu te r ig ht s
︶の記述における矛盾について検討したい︒ブラックストーンは︑絶対的な権利と相対的な権利︵re la tiv e rig ht s
︶に分類される人々の権利のうち︑﹁絶対的権利は︑ただ単に︑個人あるいは一人の人間ということで︑個々の人々に属し︑帰属するものである (
そ諸な的対絶の人個︑﹁利はンートスクッ権にブ味︑はろことるす意よがれわれわ︑てっラ︑しそ︒るいてし別区とて 随構で員成しの会社︑てるあすことに付﹂る相対的な権利と 50)
の主要なそして︑最も厳密な意味においてであって︑それは︑単に自然状態においても彼らの人格に属するものであるし︑社会の外であれ︑中であれ︑すべての人が享受する権利を持つ (
︑︑﹁は的目な要主の会社にらさ︒るいてべ述と﹂ 51)
不変の自然法によって人々に与えられたこれらの絶対的な権利の享受において︑諸個人を守ることである︒絶対的な権利は︑相互の扶助と交わりなしには平和裏に維持されえないが︑それは︑友好的かつ社会的な制度によって得られるも
のである︒それ故︑人定法の第一のそして主要な目的は︑諸個人の絶対的な権利を守り︑規制することである (
al ty se y on rs pe pe rs on al lib rit er cu pr op er ty
︶るす対に︶︑︶︑自財︵︵産由権含れ絶対的権利に︵まるものとして︑安全 ﹂︑じ論と 52)利を挙げている︒このような﹃イングランド法釈義﹄の第一巻一章﹁諸個人の絶対的権利について︵
of t he a bs olu te rig ht s of in div id ua ls
︶﹂の記述は︑すでに触れた﹁導入部﹂における自然法の捉え方︑あるいは︑自然法を統合原理とする法の記述というブラックストーンの当初の企図と一貫しているようであるが︑以下で見るように︑﹃イングランド法釈義﹄には︑それと矛盾するような記述を数多く指摘することができる︒
まず︑安全の権利に含まれる生命への権利︵
th e rig ht to li fe
︶は︑ブラックストーンにおいては︑生存への権利を意味しており︑困窮していて︑恵まれない人は︑﹁社会のより豊かな人々から︑生活に必要なすべてのものの十分な供給
(二一六一)
近代英米法思想の展開(二)四六同志社法学 六一巻七号
を要求してもよい (
う初制定法によってめりて承認されるものなよある﹂と述べられていがの︑それは︑救貧法で 53)(
︑危機 54)
的状況下において︑貧者の生存への自然的な権利が︑富者の財産権よりも優位すると考えられていたわけではなかった (
n io ot -m co lo
自お味してりを︑﹁完全な意味での自然意︶由権るまた︑自由の利あは︑移動︵での権 ( ︒ 55)﹂とされていたが︑ 56)
その具体的内容は︑例えば︑人身保護法などの制定法によって定義されており︑さらに︑﹁この制定法︵人身保護法︶が害されない限り︑それが要求し︑正当化する拘留の事例を除いては︑イングランドの臣民は︑監獄に拘留されること
はない (
の解奴︑くじ同︒るきで釈ものとだのもるうき除り取隷絶っどそてっよに化変の法のな対化変の決判︑も利権諸的てよ のら︑にうよるいてれ述べにと﹈者用引は内︶こ権﹂﹇利法定制の別︑くなはで権利な的然自︑的対絶︑も︵ 57)
内容が変わるものであった (
︑っクッラブ︑はとこたかトないてれらえ捉とのスーい義ていおに巻四第の﹄釈ン法ドンラグンイ︑﹃がもなきで限制の へ権の由自や利権のど命生利上以︑はいるののな会らか前以立設の社︒が﹂利権的対絶﹁あ 58)
法定犯︵
m ala p ro hib ita
︶の処罰に際しても︑それらの権利を社会が奪うことは可能であると論じているところからも確認できる (︒ 59)
財産権に関しても︑それが実定的な権利であることがブラックストーンによってより明白に示されている︒すなわち︑例えば︑﹃イングランド法釈義﹄の第二巻において︑相続に関するルールについて︑﹁われわれは︑長く慢性の慣習によ
って確立されたと見出すものを自然のものとして度々誤解する︒それは︑確かに賢明で効率的なものであるが︑明白に政治的な確立による︒なぜなら︑被相続人自身に与えられた永久的な財産の権利も自然的なものではなく︑単なる市民
的な権利だからである (
す国そで面産の法家とら法べ民市︑てべすれにのっるいてれさ制規てよ物︑故れそ︑りあでて (
n ht w ill an d te st am en t rig o io f in he rit ce a nd s uc ce ss an
︶は遺﹂と論じられ︑﹁言︵︶と相続権︵ 60)﹂ことが確認されている︒ 61)
また︑実際︑ロバーンによれば︑﹃イングランド法釈義﹄において︑自然法に関連づけて説明されている財産に関する
(二一六二)
近代英米法思想の展開(二)四七同志社法学 六一巻七号 ルールはほとんどなく︑蜜蜂を巣箱に集めることといった︑それまで自由に移動していたものを獲得する権利等︑自然法によって説明されていたものも︑実定法による制限があると捉えられていた (
︒ 62)
結局︑例えば︑プーフェンドルフの影響を受けたスコットランドの権威的・体系的著書たちが︑主権者の法は自然法を市民法化するだけで︑私法のほとんどは理性によって明らかにされる自然法から導かれるとしていた (
のとは対照的 63)
に︑ブラックストーンにおける自然法は︑明白な指針やルールを与えるものではなく︑﹃イングランド法釈義﹄における詳細なルールは人定法︑実定法によって与えられている (
︑務に官判裁︑にめたすた果を任な要必のそが法︑てしそ︒ 64)
自然法ではなくコモン・ローに記録された集合的経験の蓄積にたよることを要求し︑自然法の役割が法全体の規範的な効力を与えることに限定されていたヘイルの法思想 (
見のにどなルールるす関に権産財右︑はく多の容内のそ︑に様同と 65)
られるように︑制定法でもなく︑むしろ︑コモン・ロー︑慣習法によって与えられている︒ロバーンが指摘しているように︑そのような側面は︑とくに︑﹃イングランド法釈義﹄第二巻﹁物の権利︵
rig ht s of t hin gs
︶﹂のうちの物的財産権 についての記述において顕著であるが︑第三巻の私的違反行為︵pr iv at e w ro ng s
︶や第四巻の犯罪︵pu bli c w ro ng s
︶の記述の多くが︑第二巻で規定されている物的財産権の救済を記述していることを考慮すると︑それは︑﹃イングランド 法釈義﹄の中核を占めていたことが分かるだろう (のロ︶者有保地土︵リトンェジはー・ンモコ︑もてっ至に紀世八十︒ 66)
ための法だったのであり (
ク的特を法るす関に産財物化︑もに身自ンブラッー権すト意いならなはてくなし留るもにとこたっあが向傾ス ( ど財とほるす関に産︑︑はていおに代時のんの︑のりおてれさ定限にも議るす関に地土が論そ 67)
︒このよ 68)
うに︑﹃イングランド法釈義﹄の内実を︑自然法に基づくルールの体系でも制定法に基づくものでもなく︑慣習的ルールの体系として理解するならば︑ブラックストーンの法思想を﹁近代自然法思想から法実証主義へ至る過渡期の法思想 (
﹂ 69)
の一つとして捉えるよりも︑むしろ︑ブラックストーンが︑ヘイルの﹁法実証主義﹂から何を引き継ぎ︑クック的な技
(二一六三)
近代英米法思想の展開(二)四八同志社法学 六一巻七号
術的理性に対してどのように対処したかという︑よりコモン・ロー思想史のコンテクストに基づく理解が可能になるで
あろうし︑次節以降の課題ではあるが︑ブラックストーンの企図の限界も︑より明らかになるだろう︒
さて︑ヘイルのブラックストーンに対する影響であるが︑それは︑まず︑コモン・ローの正当性に関する議論におい て看取することができる︒ホッブズのクック批判を受ける形で︑ヘイルにおいては︑コモン・ローに﹁同意﹂の契機を接合することで︑その正当性を担保することを試みていた (
をロ源起に法定制︑はく多のー・ンモコ︑はに的体具りよ︒ 70)
求めることができるのであり︑制定法に起源を求めることができない相続︑契約︑譲渡などの基本的なルールも︑﹁超記憶的な使用﹂により︑﹁受容と承認﹂︑すなわち︑人々の﹁同意﹂が与えられており︑それ故︑権威を持つという﹁法
実証主義的な﹂法の効力論が展開されていた︒一方︑ブラックストーンにおいても︑コモン・ローは︑﹁その拘束力と法の力を長く超記憶的な慣例と普遍的な受容から受け取っている (
ロな・ンモコの々我︑﹁ちわす︒るいてれらじ論と﹂ 71)
ーが慣習に基づいていることは︑イングランドの自由に特徴的な標識である︒なぜなら︑コモン・ローは︑それがおそらくは人々の自発的な同意によって導入されたという自由の証拠を伴うものだからである (
﹂とされており︑コモン・ロ 72)
ーは︑﹁超記憶的な慣例﹂により︑人々の﹁普遍的な受容﹂︑あるいは﹁同意﹂が得られているものだと論じられている︒
また︑ルールとして法を捉える側面はヘイルにもあった (
明先の来古︑りおてし視重を例︑い違はとクックはルイヘ︒ 73)
白なルールについては︑裁判官はそれを宣言する必要があり︑明確な先例がない場合も︑以前の時代の判決からの類推などにより解決すべきであるとして︑法はそれ自体において︑ルールや確実な解決を提供できるとする立場を取ってい
た (
ははらなはてくなれわ従︑ルいールと例先︑はり限いな︒で初で白明はに々我はで見︑なは由理のられそ︑らなぜな正 下には則原の法︑﹁もていおン不ートスクッラブ︑に様以の︒白︑ていてし反に識常に明通︑ちわなす︒るあでり同 74)
ないかもしれないが︑以前の時代には敬意を払わなくてはならず︑彼ら︵以前の裁判官たち︶が完全に考慮なしに行動
(二一六四)
近代英米法思想の展開(二)四九同志社法学 六一巻七号 したと前提することはできないからである (
るい ( うの先例に従が必要し説かれててルと用﹂﹇︵︶内は引者﹈として︑ルー 75)
︒ 76)
以上の二点を総合すると︑ブラックストーンにおいて︑コモン・ローは︑その拘束力を一般的受容と慣例に拠っている︑一般的慣習に基づくルールの集合体として捉えられることになる︒そして︑当然のことながら︑それは︑教学上の 観点からブラックストーンが批判したクック的な技術的理性に基づくコモン・ロー観とは対照的なものになっている︒例えば︑片親が異なる兄弟︵
ha lf- blo od
︶間は相続できないというルールに関して︑﹁封建法から導かれたその理由は︑すべての人々にとって︑完全に明白であるわけではない (
てヘもていおにルイはホいるあ︑ていおに︑ッッのれらめ認が義意そブで形るす抗対にズククにうよるいてれさ明説︑ よ歴起的史し︑もらがなを源っ辿ることに﹂てその妥当性がと 77)
いたコモン・ロー法律家の技術的理性は︑コモン・ローのルールに吸収され︑何が法かという問題が︑コモン・ロー法律家の推論︑理由付けにではなく︑歴史的受容︑一般的同意に由来する権威の問題に還元されることになったのである (
︒ 78)
コモン・ロー法律家の推論に法源を求める考え方は︑救済として法を捉える見方でもあり︑前節でも見たように︑柔軟な法発展を可能とするものであったが︑その点でも︑ブラックストーンの︑静態的なルールの体系としてコモン・ロー
を捉える見方とは対照的である︒コモン・ローをルールに還元できないことは︑現代の英米法理論においても度々指摘
されていることではあるが︑次節においては︑ブラックストーンの﹃イングランド法釈義﹄におけるルール概念の限界について検討したい︒
︵三︶ルール概念の限界
ブラックストーンの︑コモン・ローをルールの体系に還元する試みの限界に関して検討する際には︑﹃イングランド
(二一六五)
近代英米法思想の展開(二)五〇同志社法学 六一巻七号
法釈義﹄の導入部の一節である﹁法一般の性質について﹂の記述と︑法を慣習法として記述することの矛盾について改
めて取り上げることが有用であろう︒ブラックストーンは︑自然法と実定法の関係について︑自然法があまりにも明白であるため実定法によって宣言されることが必要でないもの︑重要でない︵
in dif fe re nt
︶事柄であるため自然法ではな く実定法によって規定されるべきもの︑そして︑その中間の︑自然法によって宣言されるところの具体的な状況が実定法によって規定されるべきものの三つの様相を挙げているが (︑一はで﹂ていつに質性の般法︑﹁にうよたし討検もで節︑前 79)
イングランド法全体を統合するものとして自然法が捉えられていたにも関わらず︑﹃イングランド法釈義﹄の大部分は︑右の重要でない事柄に含まれ︑実定法︑おもに慣習法によって説明されていた︒ここで扱うのは︑命令説に基づくその
実定法の定義から生じる矛盾である︒
ブラックストーンは︑﹁法一般の性質について﹂で︑自然法も含めた法を︑﹁法とは︑その最も一般的かつ包括的な意
味において行為のルールを示す︒すなわち︑それは︑生命であるものでも︑そうでないものでも︑合理的なものでも︑そうでないものでも︑すべての行為に適用されるものである︒それ故︑われわれは︑運動の法︑引力の法︑光学の法︑
機械の法と言ったり︑自然法︑国家の法と言ったりする︒そして︑それは︑何らかの優越者によって命令され︑下位のものが従わなくてはならない行為のルールである (
法え家国︑法定実︑てしそ︒るいて捉らか点観の説令命法︑てしと﹂ 80)
︵
m un ic ip al la w
︶に関しても︑それは︑﹁国家における最高の権力者によって規定され︑正しいことを命じ︑不正なことを禁止する市民の行為のルールとして適切に定義される (︒にるいてれさなが義定くづ基説令命法︑に様同︑てしと﹂ 81)
その国家法の定義はさらに補足され︑それは︑﹁特定の人にとって︑あるいは特定の人に関して優越する人の一時的で突然の命令ではなく︑永久的で︑統一的かつ普遍的なもの︵
so m et hin g pe rm an en t, un ifo rm , an d un iv er sa l
(︶﹂でなくて 82)
はならず︑また︑自然︑あるいは啓示の法とは区別される﹁市民の行為のルール︵
a ru le o f civ il co nd uc t
(︶﹂として捉 83)
(二一六六)
近代英米法思想の展開(二)五一同志社法学 六一巻七号 えられ︑さらに︑立法者の胸のうちにある単なる決意では不十分で︑外部的な標章によって示される﹁規定されたルール︵
a ru le p re sc rib ed
(語権ーンは続けて︑﹁主とス立法府は同義の用トクいッなくてはならなと︶﹂されている︒ブラで 84)
である (
︒で法が立法府による命令あ国ることを明確にしている家︑力りして︑国家の最高権者﹂とは立法府のことであと 85)
﹁ン国家法の捉え方と︑﹃イグづランド法釈義﹄のそのく基法れ一般について﹂で示さてにいるこのような法命令説他 の大部分を占めているコモン・ローのルールが形成される過程が矛盾することは明白であろう︒ブラックストーンは︑コモン・ローを﹁三人の兄弟がいる時は︑末弟を廃して︑長兄が次兄の相続人になる (
国さ︑﹁と習慣たれ立確たっいと﹂ 86)
王は不法をなしえず (
す罰逃はらかとこるるをう己自も人何﹁や﹂れ 87)(
でも権のそ︑双方と︑を前節にも触れた威﹁うにるす拠依に全完例一慣と容受な的般よ ( ー︑いった確立されたルル﹂や格率に分けているがと 88)
﹂と捉えられている︒そして︑ 89)
これらの慣習や格率が知られるのは︑﹁疑問のある事例すべてにおいて決定を下さなくてはならない︑生ける託宣︵
a liv in g or ac le s
(にく立法府の命令ではな︑は裁判官が何をするか︑でと明ある裁判官によるさ︶﹂れているが︑この説で 90)
よってコモン・ローが形成されることになる︒
ブラックストーン自身は︑この矛盾を解消するために︑裁判官は﹁彼自身の私的な判断ではなく︑国の知られた法や 慣習に従って (
さ明︑古い法を維持し説すなるために権限を委任くは新で決するのであり︑﹁し﹂い法を宣告するため判 91)
れる (
︑無例に従う裁判官が害がであることを示して先ルる﹂﹂とする﹁法宣言説をー唱え︑確立されたルい 92)(
ish n ild fi ct io ch
じ制た供子︑﹁や擬判みン︵の︶﹂とのオースティ批ムり法方には︑周知の通サ︑﹁創造説﹂に基づくベン ︑え考のこ 93)の指摘がある︒さらに︑ブラックストーンと同じく︑﹁良い裁判官は︑彼の気まぐれや彼自身の意思の示唆によって何事もなさず︑制定法と法に従って宣言する (
新れある︒確立さたきルールがないでべと﹂意留もにい違のすクックたしと 94)
奇の事例︵
no ve l ca se s
︶においても︑クックの法的推論には︑二つの解決方法があった︒一つは︑コモン・ローの内(二一六七)
近代英米法思想の展開(二)五二同志社法学 六一巻七号
容の豊富さ︵
co pio us ne ss
︶を強調することで︑その事例に対応する先例や原理がすでに存在するというアプローチで︑もう一つは︑法律家が技術的理性を行使すれば︑実際には類似していない事例に類似性が見えるようになり︑遠い類推も可能になるというものであったが︑以下において見るように︑ブラックストーンのルール概念の限界は︑そのような
クックの技術的理性を排除することを出発点としたことの結果であった︒
ブラックストーンのコモン・ローを確立されたルールに還元する試みは︑﹃イングランド法釈義﹄の第二巻において︑ イングランドの封建制の核であった物的財産権を記述する際には成功しているとも言える︒それは︑国王と臣民の間で合意された諸ルールをその起源にしていたからである (
巻︑﹃三第﹄義釈法ドンラグンイも済救の利権のられそ︑たま︒ 95)
において︑占有侵奪︵
ou st er
︶︑侵害︵tr es pa ss
︶︑生活妨害︵nu isa nc e
︶︑毀損︵w as te
︶︑権利差止め︵su bt ra ct io n
︶︑権利侵害︵dis tu rb an ce
︶などの物的財産権への違反行為に対する確定的なものとして捉えられている (︒しかしながら︑ 96)
人的財産権︵動産権︶に関する記述においては︑ロバーンが指摘しているように︑ブラックストーンの試みは︑成功しているとは言いがたい (
﹂じ違い︑例えば︑同くと第二巻の﹁物の権利は権説産確なルールの下に明︒されている物的財明 97)
で扱われている契約についてブラックストーンは︑﹁明示であれ︑黙示であれ︑すべての契約あるいは約束において︑そして︵中略︶無限に多様な事例において︑法は︑契約が履行されない場合に権利を侵害された当事者に対して︑何ら
かの種類の訴訟を提供している (
こ︒・ンモコ︑にらさるーいてしとうよし明説ロのっルいなきで元還にルーら救か性様多のそ︑が済てよ済救るれらに るしルール︑て引と﹈者用明は内︶をこ示おえ与にれそていにす訟訴︑くなと﹂﹇︵ 98)
とは︑ブラックストーン自身も認識していており︑また︑イングランド法の卓越性は︑﹁侵害の状況に正確に救済を適用することであり︑一つの同じ記述の中に持ち込むことが不可能な異なった違反行為に対して同じ訴訟を提供しないこ
とである (
な令と考えられる救済の状れを当事者が見つけられるさの用述べ︑﹁私は︑彼自身特﹂殊な怒りに適切に適と 99)
(二一六八)
近代英米法思想の展開(二)五三同志社法学 六一巻七号 いような︑人あるいは物に対して加えられる起こりうる侵害はほとんどないと断言できる (
形にしての法概念を放棄するととも︑ル立法ではなく︑裁判官による法とーい調般につル﹂で強てさている確定的なれ よしている一うに︑﹁法﹂と 100)
成を容認しているかのようである (
︒ 101)
興味深い点は︑ブラックストーンが︑クックの学識法の観念を参照していることである︒物的財産権に関する記述に
おいて︑ブラックストーンは︑﹁私は︑最も一般的に利用され︑その諸原理が最も単純で︑それらの理由が最も明白で︑実務が最も複雑でない領域を選ぶよう努力してきた︒しかしながら︑私は︑私が使うことを義務づけられていたこの科
目の用語さえ知らない読者にとって十分に分かりやすかったとは思えない (
てすな全完のてべの味とこるいてれ意に書自せさ胆落をら︑到もてくなきで達かにて︑おこなっもいつになってもここ 上︑﹁でてたべ述が彼をできることすべ﹂と 102)
はならず︑進まなくてはならない︒なぜなら︑いつの日か︑あるいは別の場所で︑︵あるいは次に生まれ変わる時に︶︑彼の疑問は除かれるだろうからである﹂とクックの﹃イングランド法提要﹄の一節を引用し︑否定したはずの裁判官の
学識︑経験において法は見出されるとしたクックの学識法の観念によって︑自らの企図の不十分さを補おうとしているのである (
re m ain de r
かし︵︶を設定︑余保障するのに非常に細権残権︑た︑同じく物的財産の︒記述で︑﹁学生たちはま 103)な相違が要求されることを観察するだろう︒そして︑私は︑学生が何らかの方法によってこの細かな相違が基づいてい
る一般的な原理を理解するだろうと信頼している︒何世紀にも渡って生じた多様な事例によって︑紡ぎ出され︑再分割されたこの原理の特殊な複雑さと精緻さに立ち入ることは際限のないことになるだろう (
﹂とも論じているが︑そこでも︑ 104)
一般的なルールではなく︑事例や状況に基づく判断を重視する救済のシステムとしての法概念とともに︑﹁法は書かれることにおいてではなく︑理解されることにおいて存在する﹂としたクックの法思想 (
に近づいていると言える︒ 105)
結局︑コモン・ローを静態的で確定的なルールに基づき体系化しようとしたブラックストーンの試みは成功しなかっ
(二一六九)
近代英米法思想の展開(二)五四同志社法学 六一巻七号
た︒本稿の冒頭でも見たように︑現代のコモン・ロー理論からは︑ブラックストーンが﹁確立され︑不変の裁判の原理
︵
th e se ttl ed a nd in va ria ble p rin cip le s of ju st ic e
(po sit iv e la w
は︑時当︑の定た得し述記をルール実に法れ所判裁たいてら︵え捉てしと︶うなよそがンートスクッラの 捉も能可正矯たえさでのももしなえのとして︶﹂られるだろうが︑ブと 106)おいて確立された実践 (
︒法ていつに容内のどなの︑済救︑為行法不や約は裁たをるあでのたっかな得る判ざめ求に中の論推の官契っかなし在 すの定一のどな法るで関に部産財的物たし在権あ分拠存がルールきべす依が︑の外以れそ︑り存 107)
事前の実定的ルールの定式化によってすべての事例を解決するのではなく︑法についての技術と学識を持った法律家の熟議と議論に基づき法は形づくられるべきであるとする︑クックと同時代のドダリッジによって典型的に示されている
ような (
の︑うよる見ていおに下以だ︑た︒いないてったいはに一るたそ︑はてし関にルールれ八さ立確︑はていおに紀世にす に代ロ・ンモコるうりわて示っ取に系体の済救︑論ーつ︑ン提は﹄義釈法ドンラグイい﹃を論理な的括包のて推 108)
理由如何にかかわらず︑法実践においても基本的に遵守されるようになる︒次章においては︑そのような硬直したルール概念を批判して︑理由付けを重視する立場からの裁判官によるルール形成を提唱し︑さらにその理由が依拠していた
自然法の概念から︑﹁多くの初学者を妨げ︑希望を失わせた粗野で気難しい著者 (
︒ドとになるマンスフィールのる法思想を中心に検討したいこす実批を容内︑質の判 して技とるあク︑術ックの﹂的理性で 109)
三、マンスフィールドの法思想
︵一︶自然的正義に基づくコモン・ロー
マンスフィールド︵
L or d M an sfi eld , 17 05
―90
︶は︑法廷弁護士を経て︑裁判官になり︑一七五六年から一七八八年ま(二一七〇)
近代英米法思想の展開(二)五五同志社法学 六一巻七号 で王座裁判所の首席裁判官を務め︑破産法︑保険法︑流通証券法といった商事法の近代化などをその法廷において積極的に進め︑数多くの足跡を残した法律家である︒マンスフィールドは︑また︑コモン・ローの伝統において特異で革新
的な裁判官であると捉えられているが︑それは主に︑以下の二つの理由においてであるとされている︒一つは︑判決を原理や正義に基づかせたことであり︑もう一つは︑将来の行為の指針となるような明確なルールと原理を判決において
規定しようとしたことである (
割さおに節三第︑はにら︒ていたい扱で節次︑はいはい法役るす完補を論量裁司︑のドルーィフスンマてつに界限たい つ︑で節本はてい点に点第一第︑はで章のと二ドてし面直が身自ルのーィフスンマ︑︒本 110)
を有していたと思われるケイムズの法思想について扱う︒
さて︑判決を原理や正義に基づかせることであるが︑第二章一節において概観した近代以降の一般的なコモン・ロー
の推論のあり方と対照しても︑それだけでは︑マンスフィールドの特徴や革新性を十分に示していることにはならないと言えるだろう︒そこで確認したように︑コモン・ローの推論においては︑何が法であるかについてのコンセンサスの
ない︑いわゆるハード・ケースの場合は︑法内在的な理由とともに︑自然法︑正義︑便益といった法外在的な理由に基づき判決が下されていたのである︒マンスフィールドの特徴は︑より正確に規定するならば︑法は特定の事例ではなく︑
それらに貫流する一般的な正義︑自然法︑理性に基づいているとしたことにあるが (
基スのドルーィフンマなうよのこ︑ 111)
本的なスタンスは︑ブラックストーンの司法裁量論との対比によって明らかになるだろう︒先例に関する﹁ブラックストンの所説は︑︵中略︶マンスフィールドの裁判所の意見と実質的な同一性をもっている (
﹂﹇︵︶内は引用者﹈と結 112)
論づけることは︑ブラックストーンの法思想の性質のみでなく︑コモン・ロー的伝統におけるマンスフィールドの法的推論の特異性の把握も困難にすると思われる︒
一般的には︑ブラックストーンとマンスフィールドの法思想は︑相関性があるとされ︑マンスフィールドがブラック
(二一七一)