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中国、韓国における「私小説」認識

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中国、韓国における「私小説」認識

著者 彭 丹, 姜宇 源庸, 梅澤 亜由美

出版者 法政大学国文学会

雑誌名 日本文学誌要

巻 75

ページ 76‑85

発行年 2007‑03

URL http://doi.org/10.15002/00010146

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本稿は、二○○六(平成一八)年度科学研究費補助金事業、基盤研究C「アジア文化との比較に見る日本の「私小説」lアジア諸言語、英語との翻訳比較を契機に」(研究代表者・勝又浩)の一環として行った調査をもとにしたものである。当研究は、これまで主流となってきた西欧文学を基準とした「私小説」評価から抜け出し、西欧よりもより言語や風土、文化背景が類似する東アジアとの比較から「私小説」を捉え直そうとする試みであり、これまで法政大学大学院私小説研究会が「私小説研究」という研究誌を刊行しながら進めてきた「私小説」研究の延長でもある。今回はその端緒として、中国と韓国における「私小説」についての認識調査を行った。 本稿の目的

中国、韓国における「私小説」認識

周知のように、日本と中国、韓国との文化的交流、影響関係は長く古いものだが、こと近代だけに限ってみれば、両国に先駆けて近代化を遂げた日本からの文学的輸出(あるいは強制)という点が目に付く。近代における日本と中国、韓国との関係は、支配者と被支配者という不幸な時期があり、よい面だけを見ることはできない。それでも、中国においては魯迅、郁達夫などの日本への留学世代、韓国においては植民地時代の文学者と、日本の近代文学からの影響は西欧とは比べるまでもない。このような観点から、今回、特に中国、韓国に注目をする次第である。本論では、中国、韓国において行ったアンケート調査をもとに、中国、韓国における「私小説」についての認識とともに、アジアからの目線で見た「私小説」に迫ってみたい。なお、アジアからの目線ということで、現在、台湾においても李文茄氏(慈濟大學)の協力のもと、アンケートを実施している

彰丹 姜宇源庸 梅澤亜由美

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中国、韓国における「私小説」認識

今回のアンケートは、主に二○○六年に中国成都四川大学で行われた中国の「日本文学研究会」の際、川人の中国の人々に依頼したものである(その他、知人を通しての依頼回収分も含んでいる)。回収されたアンケート表の刈人のうち、「私小説」を読んだことのある人は仙人。なお、うち肌人は日本文学、日 ので次の機会に報告したい。調査方法は主に学会での配布回収と、中国担当・彰丹、韓国担当・姜宇源庸両氏の知人に協力を得ての依頼回収を行った。そのため規模としては小さいものの、その分、誠実かつ率直な回答を得ることが可能となった。アンケートの集計結果は文章末に別表として付し、また、質問3,7において挙がった作品名については各国報告のあとに一覧とした。質問事項は、別表にある八つの項目の他、データ化できない質問事項として〈私小説は一般の小説と比較してどこが違うか〉と〈私小説についての自由な意見〉というものがあった。これらの質問に対する回答、そして別表にある八つの質問事項に附随する意見は以下の分析において適宜取り入れてゆく。以下、アンケート調査を担当した彰丹氏(中国)、姜字源庸氏(韓国)からそれぞれの国におけるアンケート結果の報告と分析を受け、その後、両国を視野に入れての考察を試みる。(梅澤亜由美)

中国における「私小説」認知の状況 本語関係の人で、皿人は日本文学や日本語とは特に関係のない人たちである。左記は、基本的に、「私小説」を読んだことがあると答えた仙人の意見をもとにしてまとめたものである。まずは、「私小説」の定義についてである。つまりどのような作品を「私小説」と呼ぶのか?例えば、〈第一人称で書かれる小説、自分の日常生活を書くと、イコール私小説ですか?〉、〈主人公は「私」の立場に立っていること〉とのような返答もあるし、〈私小説と自伝との区別がはっきりしない〉、〈自分の日記をまとめてできる〉などのような返答もある。要するに、「私小説」を、日記および個人伝記と混同している。そして、森鴎外の「舞姫」、夏目漱石の「こ、ろ」、「坊っちゃん」、芥川龍之介「河童」など、「私小説」として挙げられた作品を見ると、「私小説」すなわち日本文学である、という見方もあるのではないかと思われる。「私小説」の価値および意義については、価値があると答えた人は別%以上。理由としては主に二つに分かれる。一つは、〈日本作家および日本人の特有な考え方、精神構造をある方面から映す〉、〈日本人、日本文化を知る上で興味深い〉、〈日本文学の民族特徴〉、〈国民性、価値観などを垣間みることができる〉、〈日本人、日本文化を理解するのに大きな意義がある〉などの意見が大半を占める。もう一つは、〈存在意義があると思う。現代社会は心理的病気が多いから〉、〈心理学と文化研究の資料〉、〈精神の奥底まで内視するところに価値がある〉などである。これは、〈内心世界をリアルに描く。心理描写が詳しい〉、〈心理描写は細かくて

日本文學誌要第75号 77

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感動的である〉という心境小説のイメージの現れだと思う。「私小説」から日本人を見る、「私小説」から心理学を研究する(日本国内の「私小説」研究にも同じような傾向がある?)は、面白い問題提示と言えるかもしれないが、しかし、「私小説」が日本文学の一ジャンルに過ぎないことは、無視されている傾向があるのではないかと思う。さらに、〈ユニークな存在〉、〈非常に面白い体裁である。他人の私生活への興味を感覚的に満足させる〉、〈小説の一つのジャンルとして存在意味がある〉との返答も、必ずしも「私小説」を文学作品として鑑賞し、またその上での意見であるとは言えないかもしれない。そして、〈文学は虚構性が命である。この点においては、私小説はあまり価値のない文学だと思う〉という回答から、中国と日本における文学観の違いを垣間見ることができるのではないかと思う。次に、中国にも「私小説」、あるいはそれと類似したものが存在するかという質問である。存在はしているが、〈文体的に似ていても、その中核は大きく異なっている〉、〈類似のものがあるが、日本の私小説とはイメージが違う〉との意見もあるし、また挙げられた作品は、郁達夫と魯迅以外、ほとんど近年現れたく新生代〉の若手作家である。郁達夫と魯迅の作品が「私小説」かどうかは別として、この一一人とも大正期日本の「私小説」の影響を受けたのは言うまでもない。ここで、一二世紀の中国若い世代の女流作家に注目すると、 「私小説」研究にとっては、非常に面白いテーマが浮かび上がってくることに気づく。つまり、近年中国で大きな反響を呼んだ、若い世代の女流作家(例えば、後の一覧に挙がっている衛慧「上海ベイビー」など)の、自分の生活体験に基づき作り上げた作品は、日本の「私小説」研究の視点から、それらは「私小説」と呼べるかどうか、また、もし、「私小説」と呼べるなら、現代中国社会に生まれたこれらの「私小説」は、大正期に全盛を迎えた日本の「私小説」とは、どのような共通点および相違点があるのか、要するに、逆の立場から、「私小説」をより広い視野で見ることである。さらに言えば、平安時代の日記文学の作者は女性であった。大正期の「私小説」の作家は主に男性であった。そして、現代中国の「私小説」の作家は女性が多い、というのも面白い現象ではないだろうか。この意味では、〈どの国にも私小説が存在する。また、私小説と社会背景の関係を考察すべき〉という返答のほうが、的を射た意見であるかもしれない。最後に、「私小説」の将来についてである。これからも「私小説」が書かれると答えた人は釦%を占める。挙げられた理由としては、〈現代社会における個人の孤独〉、〈ストレスの解消〉、〈現代人がコミュニケーションの場を失っている一方で、それを補うためにも私小説がどんどん増えていく。特にインタネットなど身近の手段もそれを可能にしている〉、〈社会がやかましくなっていくにつれ、人間の内心の静けさを追究しようとする〉、〈書きやすい〉、〈自分の日記をまとめてできる〉、〈之・ぬのようなものが増えていく〉などがある。これは、村上春樹の作品が

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中国、韓国における「私小説」 認識

なぜ中国で大人気を博したのかということにも通じると思われる。そして、〈人生の思い出の記録として書く〉、〈私小説の作者は読者ではなく、自分のために書く〉、〈読者より、作者自身にとっての意義がもっと大きい。自分を救い、或は自己成長の一つの方法である〉などの返答も、とても面白い「私小説」観だと思う。以上をまとめてみると、まず一つ言えるのは、中国における「私小説」認識と、日本国内における「私小説」認識とは大きなズレがあることである。そして、このズレが生じた理由としては、いろいろ挙げられると思うが、〈暗い。進行が遅い〉、〈憂鯵〉、〈内容が狭い、個人の小さなことを書く〉というイメージを持つ「私小説」が、〈自分の日常生活より、この社会または世界のことがずっと大事。また、自分の生活を書くのは恥ずかしいことである〉という従来の中国人の文学観に、合わなかったことは、一つの大きな理由ではないかと考えられる。ただし、二一世紀の〈新生代〉女流作家たちの活躍により、この中国の従来の文学観も次第に変わっていくのかもしれない。そして、もう一つ言えるのは、ズレがあるからこそ、違う視点を持つことができるのである。内向きがちの「私小説」を広い視野に置き、外から見ることができるのである。この意味では、今回のアンケート調査は、「私小説」研究に、たくさんの面白いテーマを提示してくれているのだと思う。

③②① ⑮⑭⑬⑫⑪⑩⑨⑧⑦⑥⑤④③②①

郁達夫「沈愉」6「春風沈酔の夜」1巴金「家」2「春」1「秋」1魯迅「狂人日記」2「故郷」1 質問7において挙げられた「私小説」に類似する中国の小説 田山花袋「蒲団」9志賀直哉「城の崎にて」7「暗夜行路」5「和解」1夏目漱石「こ、ろ」4「坊っちゃん」2島崎藤村「新生」3「家」2芥川龍之介「河童」1遠藤周作「男と九官鳥」1妊娠日暦l(小川洋子「妊娠カレンダーT執筆者注一尾崎一雄「虫のいろいろ」1葛西善蔵「子をつれて」1川端康成「こころ」(ママ)1太宰治「富岳百景」1近松秋江「黒髪」1正宗白鳥「戦災者の悲しみ」1村上春樹「羊をめぐる冒険」1森鴎外「舞姫」1 質問3において挙げられた日本の「私小説」

日本文學誌要第75号 79

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⑯⑮⑭⑬⑫⑪⑩⑨③⑦⑥⑤

今回のアンケートはn人以上の韓国人に依頼した。その中で回収され、有効な回答となったのは刎枚にいたる。回答者は主に大学院に在籍するか、あるいは修了している人文学研究者である。そのため、このデータが一般の韓国人の普遍的な認知度を表しているとは言えないが、その代わり、ここに示されたさまざまな意見や言及が韓国における「私小説」認識の本質に触れている点は大いに意義がある◎

「私小説」、ある意味で抽象性を帯びたものに留まってしまう。 いる。それは、あまりにも断片的なため、研究書の中だけでの ず、卯%以上は学校での授業や文芸書・研究書から知識を得て い。答えた人の中で、実作を通して理解した人は6%にも満た なく、学校での授業や研究書・批評書から得た知識のほうが多 と答えた人でも、そのほとんどのきっかけは実作を通してでは こから得たのか、その取得経路の問題につながる。知っている という人が多いわけだが、これは「私小説」に関する情報をど 韓国における「私小説」認知の現状つまり、用語は知っているが、その実体はよく分からない、 結果の内容は違ってくるだろう。 し認知の基準を経験ではなく「理解」の水準に望むなら、分析(彰丹) 老舎1の概念を理解しているという事実は、必ずしも一致しない。も ていい。ただし、用語を聞いたことがあるという経験と、用語白雪1 牢淑敏1を見ると、韓国での「私小説」の認知状況はかなり高いと言っ 「私小説」という言葉を〈聞いたことがある〉のである。これ白先勇「遊園驚夢」1 莫言「赤い高梁」1答えた人はわずか3名だけで、ほとんどの回答者は少なくとも が卯%を超えていることだ。如名のうち、〈全く知らない〉と沈圦文「辺城」1 蘇青「結婚十年」1係の研究の有無を問わず「私小説」という用語を知っている人 個人伝記、「周恩来伝記」1何より今回のアンケートの結果から注目すべき点は、日本関 の、名は韓国文学・語学などの分野の研究者であった。王小波「黄金時代」1 本語学・日本文化などの研究に携わっている人が別名で、残り王朔「頑主」1 る。如名のうちに、日本に関係のある学問、即ち日本文学・日林白「一人の戦争」2 これで回答者の過半数以上が本格的な研究者であることがわか陳染「私人生活」2 修了した人がn名、そして博士課程以上の人が朋名であった。家、新生代の若手作家) 回答者の学歴状況は、学部生が4名、修士課程に在籍中か、衛慧「上海ベイビー」2三一世紀の若い世代の女流作④

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中国、韓国における「私小説」認識

例えば、韓国の文学辞典には「私小説」の項目が載っている。その内容は、〈作家自身の内面を語る日本独特の近代文学の一様式〉というふうに紹介されているが、これは一歩間違って、「私小説」Ⅱ〈日本の近代文学〉といった屈折した情報源にもなりかねない。「一人称小説」と「私小説」とを混同する誤解を招くおそれがあるのだ。実のところ、読んだことのある「私小説」として、夏目漱石の「こ藺ろ」や村上春樹の「ノルウェイの森」などがあげられる理由は、この概念の抽象性と断片性の所以ではないかと推測される。無論、同じ質問に対する答えとして別%を超える、名は田山花袋の「蒲団」をあげている。しかし、これもやはり、いかにも文学史の常識に従っているという感を否めない。次に、「私小説」の読後の印象はどうだったかという質問に対し、約〃%に近い人は〈興味深い、面白い〉と答えた。これは日本の読者の反応とはかなり違うかも知れない。この答えには海外読者ならではの〈興味〉が介在する。小説として作品そのものに対する面白さよりは、〈日本の小説〉、つまり〈日本の近代文学を代表する表現様式〉として、自国にはない希少性を持つものとしての〈面白さ〉がある。ここにも「私小説」Ⅱ〈日本独特の近代文学の様式〉Ⅱ〈だから面白い、興味がある〉といった図式が成立する。一方で韓国の読者は「私小説」と一般の小説との違いは何だと思っているのか。この答えには、告白性、経験性、体験性、実生活の反映性、事実性、作者と主人公の一致性、内面性、心境性、自意識の投影などがあげられた。それぞれ短い内容では あったが、ある程度「私小説」の性格を抑えていることがわかる。次に「私小説」の存在意義、または価値について意見を求めた。これは質問自体の難解さも手伝ったせいか、答えは千差万別で、解し難い内容もいくつかあった。その中で、自然主義の出発点になっているところ、人間心理の深層を描いて究極のリアリティを成したところ、日本の近代性と密接な関係があるところ、具体的な日本人の生活像が窺われるところ、などは頷ける指摘であった。韓国にも「私小説」のようなものがあるのかという質問に対し、まずくある〉と答えた人は別%に近く、またその大半は金東仁(キムドンイン)をあげている。金東仁は韓国の一九二○年~三○年代を代表する作家の一人で、韓国の自然主義文学者として知られている。彼の作品には告白体が多く、彼以外にも同時代の韓国文学は日本の影響を受けているが、特に金東仁には作法上の影響が強く見られるため、それらの事情が根拠となっていると思われる。現代の作家のうちには、孔枝泳ヨンジョン)李文烈(イムンョル)などもあげられているが、一人の意見に終わったのでデータとしての意味はそれほどないと考えられる。これとは反対の意見として、韓国には「私小説」がないという答えはn%あった。その理由は、作家の実生活に読者が興味を持たないから、韓国の小説には社会的なメッセージを含む素材が用いられるため、などとされている。そして半分以上の意見としてもっとも多かったのは、「私小

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説」に似たようなものはあるかも知れないが、それが何なのかは判別できず、よく分からないという答えだった。前の質問項目で、「私小説」自体について、認識の不足、不明瞭さを訴えていたので、無理もないだろう。最後に、将来韓国にも「私小説」のような作品が書かれると思うか、書かれるとしたら何故そう思うのか、についての質問に対して、別%の人が書かれると答え、n%の人が書かれることはないと答えた。まず、これから書かれると思う意見の場合、普遍的な人間性の問題として告白的なものを書く行為がなくなることはないと指摘する一方、最近の韓国の文壇が、社会性を表出するよりは個人の内面問題を扱う身辺的で感覚的な作品傾向が多く登場している現象を根拠に、これから「私小説」ふうの作品がどんどん増えていくと述べる意見も多数あった。反対の意見、書かれないとした理由には、韓国の文学土壌に日本の「私小説」は合わないので、新しく「韓国的な私小説」の新しい概念が概念が生まれない限り「日本の私小説」は書かれないとしている。韓国で回答されたアンケートのまとめは以上である。

④③②① 質問3において挙げられた日本の「私小説」

村島志田上崎賀山 春藤直花樹村哉袋

弓ヨー可ヨ

ノ破暗蒲ル戒夜団 ウー行一エ2路10 イ_

森ヨの4’

ー和2解

⑨ ⑧⑦⑥⑤④③ ②① ⑧⑦⑥⑤

中国、韓国での現状をそれぞれ報告してもらった上で、私たちは、今回のアンケート結果から如何なる今後の具体的指針を 似たような種類の形態はある植民地時代の韓国の近代作家たち(一九一一○~三○年)李光洙「幼い友へ」、金東仁、李箱「翼」など韓国文学は日本の影響を強く受けているのでかなりある金東仁「赤い山」有名な女流作家がいるがよく覚えていない、申京淑?金東仁の告白体小説金東仁を含む九人会の作家植民地時代に、日本の私小説と似たような作品があると聞いた季文烈、孔枝泳(姜宇源庸) 質問7において挙げられた「私小説」と類似する韓国の小説中国、韓国における「私小説」認識と今後の課題 夏目漱石「こ魁ろ」1「吾輩は猫である」1川端康成「雪国」1太宰治「津軽」1武者小路実篤「愛と死」1

82

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中国、韓国における「私小説」認識

得られたであろうか。今後の検証課題を探っていきたい。まず、今回の目的でもあった「私小説」の認知状況であるが、〈知っている〉〈知らない〉といった単純な状況については、別表の数字の通り中国、韓国を合わせて妬%を越えており、〈かなり高い〉と言ってよいだろう。が、中国、韓国を越えてモンゴルとなってくると、また状況は異なってくる。今回数が少なかったためデータには含めていないが、モンゴルの博士課程卒業、留学経験もある教員3名と大学生3名、計6名にもアンケートに答えてもらうことができた。場所はモンゴルで開かれた学会で、6名とも言語、歴史など日本について勉強している。ここでの認知、理解の状況は、おおむね〈聞いたことはある〉〈私小説なのかどうか分からないが、そう思われる作品を読んだことがある〉という程度に留まっている。ここからも、中国、韓国においての「私小説」の認知状況は、とりわけ日本文学や日本語といったものを勉強している人々においては、かなりの高さであることが分かる。さて、ここで特に注目したいのは、中国、韓国におけるその理解の内容である。中国、韓国ともに、読んだことのある「私小説」作品として、最も多く挙がっているのが田山花袋の「蒲団」であり、二番目に「城の崎にて」「暗夜行路」「和解」とばらつきがあるものの志賀直哉の諸作品、韓国では三番目、中国でも四番目に「新生」「家」「破戒」の島崎藤村の諸作品である。「暗夜行路」「破戒」が「私小説」と言えるかどうかはさておき、「私小説」を知ったきっかけの多くが学校の授業であり研究書であるということ、「私小説」と一般の小説との違いが〈自己 曝露、自己告白〉〈作者の日常生活〉とその特徴が端的に指摘されていることから、文学史の日本での一般的理解がそのまま受容されているということを示している。翻って、文学史的な意味での「私小説」理解が比較的浸透していると考えてよいということだろう。ここから更に踏み込み文学史の一般理解を超えて、より厳密に「私小説」とは何かを説明するとなると、途端に困難が生じてくるようだ。が、これらは、日本においても事情はさほど変わらないと思われ、いまだ「私小説」が十分に説明されてはいないということの表れでもあるだろう。存在意義については、「私小説」が日本の近代文学に与えた影響の他、やはり日本独特のものであるという意見が目立つ。更に、中国、韓国ともに、「私小説」として夏目漱石、村上春樹が挙げられているのを考えると、「私小説」Ⅱ〈日本の小説〉〈日本の近代文学〉という認識があるのも否定できない。特に、漱石の作品として「吾輩は猫である」「坊っちゃん」が挙げられているのを考えればなおさらである。これらが日本の文学的現状を理解していない間違った認識と言ってしまえばそれまでだが、|方でこういう意見こそが日本国内での視点しか持ち得ない私たちに、示唆を与えてくれる面もある。村上春樹については、韓国で江國香織、吉本ばななとともに「私小説」の範囑に入るのではという意見があった。理由としては〈一人称の身辺的主題などの要件が私小説的だという印象を与えるし、いつも一人称で始まって、終わる、恋愛、日常生活が大部分を占める〉とされていた。ここには一人称小説と「私小説」の混同があることも否めないが、日本では「私小説」とは見なされない

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現代小説もまた〈日常性〉といった特徴があることを物語っている。つまり「私小説」Ⅱ〈日本の小説〉ではないが、個人の〈日常性〉は日本の小説の一つの特徴であり、それを最もラディカルに体現しているのが「私小説」だとするのは穿った見方であろうか。それぞれの国に「私小説」、あるいは類似したものはあるかという問いに対する答えは一覧の通りである。傾向としては、中国であれば魯迅、郁達夫といった日本に留学経験を持つ作家、韓国であれば金東仁をはじめとする植民地時代の作家といった旧世代と、特に中国において多く挙げられている現代の女流作家の二つに分かれる。現代の女流作家については、少数意見ながら韓国でも、日本語訳された『離れ部屋」三○○五、集英社)の作者・申京淑の名前が挙がっている。これら「私小説」として挙げられている、あるいは類似しているとされる中国、韓国の小説と「私小説」とは果たして同じなのか。あるいは、日本の「私小説」には、何か特徴があるのか。まずは、中国、韓国それぞれで今回挙がった作品を実際に読み比べ、検証することが必要であろう。さて、挙げられている旧世代の作家と現代女流作家、それぞれから見出される問題もある。まずは、文学史的な意味での近代の「私小説」の影響についてである。魯迅や郁達夫といった日本での留学経験を持つ作家達が、日本の近代文学、そして「私小説」の影響を受けていることはよく言われるが、翻って彼らが帰国し母国で文学活動をしてゆく過程でその影響は確実にもたらされたはずであるが、日本のよ うに「私小説」が発展することはなかった。韓国においても事情は似ており、日本を経由しての近代、近代文学の輸入であったという背景がありながらも、韓国近代文学において日本のように「私小説」現象が起こることはなかった。この点をどう考えるべきか。「私小説」は西欧近代文学を輸入した結果生じた歪みとされることが多いが、中国、韓国においても事情は同じで、それぞれの国は外から入ってくるものを、その国にとって必要なものを受け入れる、あるいはその国流に受け入れるということである。これらを前提とした上で、あえて違いをもたらすものは何なのかと問うことは有効であろう。今後、各国の近代化と近代文学との関係、あるいは社会状況と文学との関係を検証することが必要であろう。近代における影響関係が、もっぱら、なぜそうならなかったのかという問いに集約するのに対し、現在の状況はまた別の問題を提示している。中国報告ですでに指摘されているように、注目すべきは〈二一世紀の中国の若い世代の女流作家〉である。中国でのこのような傾向は、〈個人化した創作は中国九○年代女性創作の一つの重要な傾向〉として、林祁「世紀末中国文学とジェンダー」(「アジア遊学」Ⅲ、一一○○○・一二でも指摘されている。中国でこのような作家が増えてきたのは何によるのか。また、日本で「私小説」が盛んに書かれた時代状況などと比較して何が言えるのか。さて、もう一点、附随して〈将来「私小説」のような作品が書かれるか〉という質問に対し〈書かれる〉とした意見の理由が興味深い。というのも、韓国での意見で〈個人主義がもつと

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中国、韓国における「私小説」認識

進展する〉、あるいは〈世の中(社会)に対する関心より、自分自身の問題に没頭する傾向が強くなる〉といった類の指摘があるからだ。後者の意見は続けて〈社会からの私〉より〈私からの社会〉という見方をする人が多くなったともしている。これらは、「私小説研究」第二号(二○○一・四)に掲載したインタビュー「連続的なアイデンティティの冒険」におけるリービ英雄氏の発言と極めて近いものがある。氏は〈プライベートなことによって世界を書こうとする〉ことを言い、自作「天安門」二九九六、講談社)においても〈私的な問題を抱えた主人公〉である〈私〉と〈パブリックな空間である天安門広場〉とを同時に作品に持ち込むこと、言ってみればプライベートとパブリックの融合を試みたと一一一一口う。先の女流作家たちの傾向も、この流れにあるのかもしれない。プライベートな視点と、そこから見る社会、世界の問題、これらは今後の文学の流れとなり得るのか。なるとしたらその傾向は何によるのか。そして何より日本の「私小説」との関連はどうなのか、興味はつきない。なお、「私小説」は〈書かれない〉とする意見としては、中国での〈自分の日常生活より、この社会または世界のことがずっと大事。また、自分の生活を書くのは恥ずかしいことである〉という意見が象徴的である。中国、韓国ともに、私生活の曝露は恥ずかしいという意識と、何より文学は社会的問題を扱うものであるという文学観の相違の問題が大きかった。その社会的傾向の強かった中国、韓国の文学が、大きな問題よりも自分自身の問題へと向かう傾向、そして〈私からの社会〉という方法を持ちはじめた現在、同様に、今後の日本の「私小 ◆今回のアンケート調査にあたっては、報告者の他、中国・曾峻梅氏(上海外国語大学日本文化経済学院)、韓国・陳明順氏(霞山大學校)、両名にもご協力いただいた。 説」もまた、〈私からの社会〉という方向に向かうのだろうか。リービ氏は先のインタビューで、〈私小説の新しい流れが二一世紀に生まれるとしたら〉〈私小説が登場した時代には考えられなかった方向性を持って生きるしかないと思う〉とし、更に「私小説」を〈コンサバティブな状況〉にすべきでないということも述べていた。「私小説」は新たな方向へと向かい、国境を越えた存在となり得るのか、今後注目すべき点であろう。また、今回、小説の日常化傾向に関してインターネット、ブログといったメディアの変化を挙げる意見も目立った。「私小説」とメディアという視点も近い将来必要になってくるかもしれない。今回のアンケート調査から得た指針については、今後の研究においてできるだけ多く取り組み、活かしてゆく所存である。(梅澤亜由美)

(ほうたん・国際日本学インスティテュート博士後期課程一年)(かんううおんよん・博士後期課程三年)(うめざわあゆみ・文学部兼任講師)

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別表中国、韓国における〈私小説>認識調査結果

25000 35.96%

10. 9309

8110。 82500 66.67%

.57%

47.379

7849 32500

卜I

35.96%

00000 0.829 6.349

18.92% 42.86% 28.400

229 12% 16.26%

8.11% 102000 8.949

35.0000

7.500 OOOoo

0000 0000 00000

0000 57.500 33.7

0000 000。

2.500 47.5000

57.500 27.50%

00000 8.759

.50% 487

0000 20.00%

12.000 50CO OOOoo

65.000

中国調査結果表の質問5以下は、「私小説を読んだことがある」と答える40人の回答を対象としている。

韓国調査結果表中の質問6については、回答のデータ化が不可能なため、報告分析の中で意見として取り入れている。

12※※

中国 韓国 中韓合計

質問項目 回答 人数 割合 人数 割合 人数 割合

(質問l)

日本へ留学したことがありますか。

ある ない 小計(人)

31 43 74

41.89%

58.11%

10 30 40

25.00%

75.00%

41 73 114

35.96%

64.04%

(質問2)

日本の私小説を知っていますか。

よく知っている 聞いたことがある 全く知らない 小計(人)

18 43 13 74

24.32%

58.11%

17.57%

33 40

10.00%

82.50%

7.50%

22 76 16 114

19.30%

66.67%

14.04%

(質問3)

私小説を読んだことがありますか。

あれば、例をあげてください。

ある

私小説なのかどうかわからないが、

そう思われる作品を読んだことがあ

ない 小計(人)

40

28 74

54.05%

8.11%

37.84%

14

13

13 40

35.00%

32.50%

32.50%

54

19

41 114

47.37%

16.67%

35.96%

(質問4)

私小説を知るきっかけは何ですか。

(複数回答あり)

学校の授業

文学研究書・文学批評 小説などの作品 その他

小計(人)

37 14 17 74

50.00%

18.92%

22.97%

8.11%

20 21 49

40.82%

42.86%

6.12%

10.20%

57 35 20 11 123

46.34%

28.46%

16.26%

8.94%

(質問5)※1

作品の印象はどうでしたか。

興味深い.面白い 面白くない

何の感興もない(空欄含む)

その他 小計(人)

23 40

57.50%

12.50%

20.00%

10.00%

14 23 40

35.00%

7.50%

0.00%

57.50%

37 27 80

46.25%

10.00%

10.00%

33.75%

(質問6)※2

私小説の存在する意義、また価値に ついて、どう思いますか。

ある ない

わからない(空欄含む)

小計(人)

20 1 19 40

50.00%

2.50%

47.50%

20 19 40

50.00%

2.50%

47.50%

(質問7)

貴国にも私小説がありますか。類似 のものがありますか。あれば、例を あげてください。

ある ない

わからない(空欄含む)

小計(人)

23 14 40

57.50%

7.50%

35.00%

11 25 40

27.50%

10.00%

62.50%

34 39 80

42550%

8.75%

48.75%

(質問8)

将来私小説のような作品が書かれる と思いますか。

書かれる 書かれない

わからない(空欄含む)

小計(人)

12 23 40

30.00%

12.50%

57.50%

29 40

20.00%

7.50%

72.50%

20 52 80

25.00%

10.00%

65.00%

参照

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