革新主義とベントリーの政治的態度
その他のタイトル Progressivism and Bentley's Political Attitude
著者 上林 良一
雑誌名 關西大學法學論集
巻 46
号 4‑6
ページ 1113‑1144
発行年 1997‑02‑25
URL http://hdl.handle.net/10112/00024545
革新主義とベントリーの政治的態度
上 林 良
五 四 三 ニ ー 目 次
革新主義者T・ルーズヴェルト
T・ルーズヴェルトの対内政策
T・ルーズヴェルトの対外政策
革新主義とペントリー
ベントリーの政治的立場
革新主義とベントリーの政治的態度 アメリカ合衆国第二五代大統領w.マッキンリーが︑無政府主義者レオン・チョルゴス
一九〇一年九月六日のことであった︒直ちに第二六代大統領に就任した副大統領T
・ル
ーズ
ヴェ
ルトの登場について︑
A.F
・ベントリーはつぎのように意義ふかい叙述をしている︒﹁いわゆる暗殺者の銃弾とい
うチャンスーもちろん︑われわれの当面の研究と直接的な契機という観点からチャンスというのだがーによって︑
T・ルーズヴェルトは︑こんにち通俗的な分析が︿体制﹀と呼んでいるものとも︑︿体制﹀に対する仰々しい抗議と
も同一視されない︑しかし基底的なレヴェルで︑どのような経過からいっても︑政党の統治に効果的に代表されない
巨大利益集団と同一視されるような権力となった︒民衆の指導︑行政︑さらに政治的操作において︑自己を主張する
にふさわしい人格となったのである︒銃弾によって︑指導者が政権に到達し︑権力を獲得する人物になるのに二‑︱︱
年を要し︑また大統領に就任後間もなかったので︑利益を代表する方法にも差違を生じた︒しかし︑具体的な成果や
(2 )
政治過程の大きい流れからいえば︑ほとんど相違がなかった﹂︒この叙述からわれわれは︑ルーズヴェルト大統領の
誕生とルーズヴェルト政権を歓迎・支持している意向が︑十分にくみとることができよう︒
T・ルーズヴェルトは︑大統領就任式においては前大統領の政策を実行することを誓いながら︑実際には︑
マッ
キ ンリーの政策をほとんど実践しなかった︒事実︑前大統領の黒幕であり︑共和党の資金源であったマーク・ハナ
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o Hanna)がアメリカ政界を牛耳っていたことを強く批判した正義漢ルーズヴェルトは︑共和党への
大企業支配を脱して︑革新主義政治を実践にうつした︒その意気ごみは︑旧務長官J・ヘイ︑陸軍長官E
・ル
ート
︑
て暗殺されたのは︑
(1 )
革 新 主 義 者
T
・ルーズヴェルト
四一三
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五︶
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で︑
一九
0二年産業を監督する商務省の創設を議会に勧告し︑
一八
九
0年成立以来︑ほとんど空文に等しかった
一九
0三年には商務省のなかに企業省を新設し︑ 司法長官F・ノックス︑後の大統領タフト等英邁な政治家と手を結んだことからも︑よく立証された︒
そうしたT・ルーズヴェルトの革新主義
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は︑政府による大企業統制︑独占的トラスト征伐︑商
務省の創設︑民主的︑進歩的労働政策︑官吏活用令の拡張︑天然資源保護政策等の政策の推進に具体化した︒いうま
でもなく最初の議会教書において︑ルーズヴェルトの革新案が提示されたが︑それは︑大統領なるものは合衆国のた
めの政策の唱導者︑実践者でなくてはならないとする︑行政首導論を主張する彼の特有の持論から出発したもので
あった︒この際のルーズヴェルトの革新案の提示とリーダーシップは︑
のであったばかりでなく︑その後の立法国家から行政国家への転換という世界的変化へのリーダーシップであった︒
﹁公
正政
策﹂
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)
は︑つぎの大統領タフトにひきつがれ︑
レットーホィーラー
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のちに﹁ニュー・ナショナリズム﹂
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と名づけられた彼の革新主義
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とつづくように︑
一九
0一年から一九二0年代におよぶ﹁革新主義の時代﹂を形成する先駆的役割を果
したものということができよう︒この意味で︑革新主義大統領としての誕生は︑
T・ルーズヴェルトの革新政治は︑ ウィルソン大統領の﹁ニュー・フリーダム﹂
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︑ラ・フォ
による社会主義的政網︑ アメリカ合衆国での行政権の拡大をしめすも
F・ルーズヴェルトの﹁ニュー・ディール﹂
アメリカ合衆国で全国的に普及した独占形態︑トラスト破壊にもっともきわ
だった成果をあげた︒彼の自由放任主義のゆきすぎを是正しようとする一種の社会政策の実践は︑年来の持論であっ
トラストの実態調査をおこなった︒このような準備にもとづいて︑ 力を明瞭に歴史に刻印したものであった︒ 一九世紀と訣別し︑二0世紀アメリ 関法第四六巻第四•五・六号
四一 四
(‑
︱︱
六︶
就任する日を迎えたのは︑共和党というより︑
四一五 大企業のシャーマン反トラスト法違反を摘発することになった︒したがってT・ルーズヴェルトの成果は︑
年北部証券会社による三鉄道株式支配や一九0五年牛肉トラストの解散に成功することになった︒なお︑
一九
0三年
のヘバーン法による州際通商委員会の権限は︑鉄道運賃決定の権限強化をもたらし︑その後︑電信︑電話︑無線︑電
信にも権限拡大がなされた︒またルーズヴェルトの政府による統制は︑食糧・楽品業者に対してもおこなわれた︒
労働政策の分野も︑大企業家の横暴と自由放任の是正をはかろうとする革新政治をあらわした︒炭鉱労働者のみな
らず︑あらゆる産業において︑労働者が当然に利益の配分を受けるぺきであるとの信条にしたがって︑T
・ル ーズ
一九〇六年従業員責任法の制定もきわだった成果であったが︑そ
一九
一
0年少年労働法の成立によって︑長年の懸案を成就させた︒
一九
0一年第二六代大統領に就任してから︑高関税政策の是正を除いて
は︑トラスト破壊︑鉄道取締法︑とくに労働問題について︑本来の主張であったプログレッシヴィズム政策を実行し︑
具体的な成果をあげた︒とりわけ強力な調停機能をおびた第三者機関︑労働委員会制度は︑世界の労働紛争の解決に
ついて︱つの方向を与え︑後にわが国にも大きい影響を与える端緒ともなった︒この意味では︑共和党主脳から︑元
来自由放任主義に反対する進歩的思想の持主としてT・ルーズヴェルトが︑不安と警戒の的となり︑そのために副大
統領にまつり上げられたことは︑大いに根捩のあることであった︒かくてT・ルーズヴェルトが一九0一年大統領に
マーク・ハナー派にとっては︑恐れていたことが予期せずして︑現実
の事態となった︒T・ルーズヴェルトの革新主義思想︑正義感︑リーダーシップは︑たんにマッキンリー政策を是正︑
批判するために注がれたのではなく︑実に︑大実業家によって牛耳られていたアメリカ腐敗政治の根本的改革をめざ
革新主義とベントリーの政治的態度 Jのようにして︑T・ルーズヴェルトは︑ の社会正義は︑ ヴェルトは︑ストライキ解決の首導権をにぎった︒
︵一
︱︱
七︶
一九
0四
F・ベントリーは︑
したので︑献金と賄賂によって大企業に奉仕するアメリカ共和党の弱点をするどく刷拮しようとしたものである︒ア メリカ政界を思いのままに動かしてきた黒幕マーク・ハナに対して勇敢に弾劾したことは︑もちろん
T・ルーズヴェ
ルト自身の正義感︑
T
・ ル ー ズ ヴ ェ ル ト の 対 内 政 策
ヒューマニズム︑愛国心ばかりでなく︑
ズヴェルトの政治的感覚もまたすぐれたものであったというべきであろう︒
(‑
︱︱
八︶
ハーバード大学出身という当時のアメリカ社会が持った
(3 )
上流階級出身の大統領としての使命感と学識のしからしめるところであったろう︒同時に︑度重なる労働運動の激化 に見られるように︑大企業の横暴に対するアメリカ国民の間にみちあふれた世論の高まりを敏感に察知した
T
・ル ー
(1
)
﹁一般に米国史上に革新運動の時代として︑前ローズヴェルト及びウィルソン両大統領の治世︑殊に略一九
0 1 ‑
一九
一
七年の約三十年間を指す﹂﹃高木八尺米国政治史の研究﹂一九六0年︑二
0
0頁︒同時に︑高木は一八九0年代のラフォ
レットの活動やF・ルーズヴェルトのニュー・ディールをも︑広く革新主義の実現としている︒
(2)A.F・ベントリー著喜多・上林訳﹃統治過程論﹂一九九四年︑四ニニー四二三頁︒
(3
) 斉藤 真は
︑
T
・ル ーズ ヴェ ルト
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フト
︑
W・ウィルソン三代の大統領は︑﹁いずれも家柄の古い上層ミドルクラス
に属し︑名門大学出身者であり︑いままでの﹃丸太小屋からホワイトハウス﹄という大統領のタイプとは著しく異ってい
る﹂と指摘し︑これまで政治忌避していた古い上層ミドルの︑いわば﹃貴族の義務﹄の意識を強調している︒重要な視点で
あろう︒斉藤真﹃アメリカ政治外交史﹄一九七五年︑一五︱│︱五二頁参照︒
以上略述したように︑
活動し︑ T
・ルーズヴェルトはたしかに︑革新主義者としての面目と業績をあきらかにした︒
A.
マッキンリーから
T
・ルーズヴェルト政権に至る二
0
世紀初め︑ジャーナリストとしてシカゴで
T
・ルーズヴェルト大統領と集団利益をとりあげ︑大統領制がルーズヴェルトのもとでどのように作用した
関法第四六巻第四・五・六号
四一 六
革新主義とベントリーの政治的態度
四一 七
かを︑典型的な事例をあげて説明している︒ベントリーが︑﹁いわゆる暗殺者の銃弾という好機﹂と呼んで︑
T ・
ルーズヴェルトの大統領への昇格を歓迎し︑﹁現実の政府に代表されえない巨大な利益集団と同一視される権力と
(1 )
なった﹂としているのは︑広く底辺にいる国民︑人民を代表する大統領として︑同時に︑大統領職の政治的操作︑行
政の強力な推進力とリーダーシップを待望し︑それを支持する言葉でもあった︒このベントリーの見方は︑あきらか
に︑マーク・ハナによって動かされている共和党政権を目してビッグ・ビジネスに奉仕する政治権力として弾劾し︑
民衆と労働者の立場に立つ大統領のプログレッシヴィズムを支持するとともに︑行政権優位の国家体制への志向︑行
政における民衆の圧力を体現する大統領の性格を強調するものに外ならなかった︒
またベントリーは︑アメリカ国民あげての期待の的でありながら︑遂には不首尾におわった関税改革政策について︑
つぎのように述べている︒﹁ルーズヴェルトは︑周知のように関税改革運動に共鳴して官職についた︒彼はまた︑前
任者マッキンリー大統領の政策を実行すると誓ったのであるが︑前任者は︑関税改革│互恵主義ーの一局面と関連し
てこの国に試練をもたらしてきたのであり︑そして指導者が自己を公然と何かと一体化するものであるからには︑彼
自身をその運動と一体化してきたのであった︒そのうえ︑国民大衆の注目は︑関税のもっともめだった直接の受益者
(2 )
のなかで︑企業統合の過程にあった巨大産業の作用に集まっていた﹂︒われわれは︑ベントリーが大胆にT
・ル
ーズ
ヴェルトの登場を礼賛し支持と共感をしめしているのに注目するばかりでなく︑﹁暗殺者の銃弾の現象﹂によって出
現した新大統領の人格と政策を支持する利益集団の存在と登場を具体化した政治現象を認識するべきであろう︒これ
らは︑あきらかに︑前大統領マッキンリーの大企業優先の果しない自由放任的資本主義発展を是正する︑広い意味で
の社会主義的方向への国家指導を願う国民世論をふまえた政治過程の一大変化を見定めたものであった︒﹁政治過程
(‑
︱︱
九︶
結果は全くおなじことであったろう︒ いるマッキンリー政権への痛烈な批判でもある︒
一そう迅速に作用することができる︒それゆえ︑
(‑
︱二
0)
の大きい流れ﹂と指摘しているのは至言であろう︒くわえて︑元来ベントリーが大資本家を益する関税改革政策の旗
を鮮明にかかげたT・ルーズヴェルトをして︑民衆のあいだに彰涛として起った改革運動の指導者のグループーいう
までもなくトラスト破壊者ブライアンを指すーと﹁自己を一体化﹂したと述べているのも︑潜在的利益集団︑労働者︑
(3 )
農民団体の世論に耳を傾けた証明であろう︒﹁大衆の注目が︑企業統合の過程にあった巨大産業の機能に乗っていた﹂
と述べているのは、石油•砂糖・鉄鉱等の企業トラストをすすめ、アメリカ・デモクラシーを危機におとし入れた
マッキンリー・マークハナの結合に対する強烈な批判をしめす言葉であり︑シャーマン反トラスト法を骨抜きにして
ベントリーは︑関税引き下げという大企業主義へのもっともラディカルな挑戦をかかげたT・ルーズヴェルトを歓
迎しながらも︑正直に︑期待したようには目的を果せなかったことを指摘し︑集団利益と大統領について︑
うに述べている︒﹁集団は︑自身がとくに反映している特定集団利益に結びついて︑他の諸利益を反映させる柔軟さ
をもたない指導者よりも︑
関税闘争は︑ ルーズヴェルトのような人物を通じて︑
一方︑議会は︑勝利するに十分大きくて強力な利益集団のために︑ つぎのよ
ルーズヴェルトという人物を通じて闘われ︑敗北したのであるが︑もし議会を通じて闘われたとしても︑
ルーズヴェ
ルトが直面していた多くの争点の解決のためのチャンネルであった︒アメリカの公的生活において︑今日の利益条件
(4 )
のもと︑巧妙な政治家にとって必要なのは︑集団利益を代表するこの柔軟さと正確さである﹂
また﹁なぜ大統領は︑ある時期に︑関税障害に反対する運動を指導することができなくて︑鉄道運賃率の弊害に反
対すてる運動を成功に導くことができるかという理由﹂についてつぎのごとく解説している︒トラストという大規模 関法第四六巻第四•五・六号
四一 八
していると言うことができよう︒
四一 九
な産業組織によって加えられたと消費者が感じた損害に反対する運動と比較して︑高関税制度反対運動の勢力が弱
かったこと︑その運動に対する抵抗が強かったことに主として関係があった︒それ以来集団目的は著しく分化してき
(5 )
た﹂︒それは︑ルーズヴェルト大統領の個人的熱意の結果ではなく︑﹁政治的集団化﹂の問題であると指摘し︑﹁理論
からではなく基礎的な経済的集団化から成長する政治的集団化は︑どんな知識人の軽蔑的知識よりも︑はるかに社会
(6 )
的には現実的なものである﹂と述ぺている︒これには︑人民の運動を支える世論の動向を見定め︑政治状況をたくみ
に判断した大統領の賢明な選択もあったが︑同時に︑決定的に︑関税問題がもたらす利益に関心をもつ人民の集団化
の程度と方向に限界があったことをしめしている︒たしかに︑人民の関心と選択が︑関税政策よりも︑眼前のトラス
卜破壊という目的と利益に集中しているからには︑トラスト政策についての政治的利益の増大という現実に対応する
立場を︑大統領ルーズヴェルトがとったことも︑やむを得ないことだったとしているのである︒しかしながら︑この
ような見方をふくめて︑ベントリーの考察は︑T・ルーズヴェルトの手腕︑力量をたたえて支持している態度が一貫
さて
︑
T・ルーズヴェルトのプログレッシヴィズム︑いわゆる﹁公正政策﹂をもっともあきらかに示したのは︑労
働政策であった︒T・ルーズヴェルトは︑資本家︑労働者︑国民の三者に平等公正な態度で対応しようと闊明し︑
九0二年石炭ストライキの際︑積極的な政府干渉を敢行した︒この年五月︑炭鉱労働者は労働組合の承認︑団体契約
権の承認︑労働時間短縮︑賃金値上げ等を要求しストライキに入ったが︑マーク・ハナによる調停も労働者から拒否
され︑ストライキが長期化し︑国内不安を拡大させた︒大統領としてルーズヴェルトは︑国民の利益を擁護するため
に調停委員会を創設し︑積極的に解決をはかろうと決断した︒クリープランドを委員長とした調停委員会は︑結局︑
革新主義とベントリーの政治的態度
( ‑ ︱ ニ ー ︶
九時間労働︑賃金一0%増額等を成果として︑
決断であったのはいうまでもないが︑労働者が当然の権利として産業上の利益の配分を受けるべきであるとの公正政 策の信念に由来するものであった︒ここに︑彼の革新主義の具体化があきらかにされたばかりでなく︑初歩的であっ たが︑対抗権力としての労働組合の地位が社会的承認を見ることになったといえよう︒こうした大統領としての進歩 的労働政策は︑おなじく一九
0
二年ダンベリ帽子会社の争議の場合も︑有効な解決の手段となった︒
T
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ーズ
ヴェ
一九
0
六年労働者保護の立法として︑従業員責任法を制定せしめ︑少年労働禁止法の制定に努力し︑
(7 )
九一六年その結実を見た︒
ま
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ベントリー
ルーズヴェルトの労働政策︑とくに石炭ストライキをとりあげて︑大統領を支える利益集団の動向 に注目している︒﹁ごくおおまかに石炭消費者集団として指摘される大規模集団が︑
統領制以外に︑政府内に救済策を確保する他のチャンネルを全くもっていなかったのも︑疑う余地がない︒事実大統 領は石炭業者を威圧したけれども︑この巨大集団が熱心に彼大統領の干渉を支持しなかったならば︑石炭業者が大統
(8 )
領の仲介の申し出を無視できただろうから︑大統領が成功しなかったであろうことも真実である﹂
さて先に言及したように︑
大統領候補者ブライアン ル
トは
また
︑ 関法第四六巻第四・五・六号
ロ
ストライキを解決した︒これは公共利益のために起ち上った大統領の
ルーズヴェルト大統領は︑関税改革よりも︑独占企業︑
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ストライキの結果形成され︑大
トラスト改革に関心を注いだ︒
ベントリーが指摘したごとく︑﹁大規模な産業組織によって加えられたと消費者が感じた損害に反対する国民運動﹂
(9 )
が︑関税制度反対運動に比して︑圧倒的に強かったからである︒同時に︑国民的運動の先頭に立ったトラスト破壊者
の意見を大きくとりこんだために︑T・ルーズヴェルトが﹁ト
ラスト征伐者﹂の真価を発揮しえたのであった︒これこそ自由放任思想を国家の力によって抑制しようとしたプログ
四二
0
革新主義とベントリーの政治的態度 シャーマン反トラスト法によって解散させることができた︒散も果された︒スタンダード石油︑アメリカタバコ会社等の独占組織も︑
四
一九
0一年から一九0五年に至るT・ルーズヴェルトの在任期間に︑二五
件の起訴をおこない︑議会もまた反トラスト法にもとづく一八法案を可決したことに︑具体化されている︒
もっ
とも
︑
T・ルーズヴェルトの立場は︑決してトラスト自体の破滅をもくろむものではなく︑そのゆきすぎを防
ぎ︑修正するところによったといわれる︒それは大いにルーズヴェルト大統領の国民世論に対する敏感な反応をしめ
すものでもあったろう︒ベントリーがこの局面について大統領に称讃をおくっているのは︑﹁基底的レヴェルにおい
( 10 )
て︑現実の政府に効果的に代表されない巨大な利益集団と同一視される権力﹂となったとT・ルーズヴェルトの出現
を歓迎していることからよく理解されるが︑つぎの叙述も︑なお一そうこのことを物語っている︒﹁われわれは︑あ
る一連の集団利益が議会で代表され︑別の集団利益が大統領で代表されるのを見出すかも知れないし︑議会がいかが
わしい形で他の利益を代表するのを強いられてきたとの事実を除いて︑同一の利益が議会でも大統領にも代表されて
いるのを見出すかも知れない︒例えばそれを実施しようとする真面目なとりくみが全くなされなかったにもかかわら
( 11 )
ず︑長い間法全体に残っていたシャーマン反トラスト法︑また州際通商法のリベート禁止条項をとりあげてみよう﹂
としているのも︑国民大衆の立場に立って︑大統領が行政における利益表出をおこなうことを好意的にとりあげてい
る︒のみならず︑明瞭に積極国家へのルーズヴェルトの決断を意味づけているといえよう︒
一八
八
0年
代︑
ロックフェラーのスタンダード石油︑ となった︒これらトラスト征伐の成果は︑
モルガンの
U.S
・スティールがアメリカ全国の石湘と鉄鉱︑ レッシヴィズムの目玉であると標榜したルーズヴェルトは︑
( ‑ ︱ ニ ︱ ︱
‑ ︶
一九︱一年︑解散訴訟によって政府の勝訴
一九
0五年には︑ゼネラル紙業会社︑牛肉トラストの解
一九
0四年三月︑ジェームズ・ヒルの鉄道トラストを︑
ルーズヴェルトの政策の支持をものがたっている︒ 社の形態をとって︑
つぎのように述べている︒﹁朝刊
四ニ ニ
(‑
︱二
四︶
一八
九〇
運輸の九0
%を支配したのをはじめ︑砂糖トラスト︑ウィスキートラスト等全国的にトラスト組織が発達し︑持株会
アメリカに産業の独占化が拡大した︒ここに至って︑労働者︑農民︑市民をはじめアメリカ全国 に独占の弊害を批判する声が高まった︒国民︑消費者︑労働者︑とくにマックレーカーたちによる世論の高揚によっ て︑トラスト組織が攻撃された︒シャーマン反トラスト法がついに︑大統領ハリマンによって制定された︒
年のことであった︒しかし︑T
・ルーズヴェルトがトラスト征伐を決断するまで︑実に一︱年間︑この法律は適用さ れることもなかった︒むしろマッキンリ﹈時代には︑ますます大企業中心にトラスト拡大の一途をたどった︒した がって︑こうしたベントリーの記述は︑トラストヘの国民の批判とゆきすぎた自由放任主義の横行を抑えようとする ベントリーはまた︑﹁統治についての生の資料は何であるか﹂の問題提起をして︑
は︑スタンダード石油会社が︑多くの点で連邦の法律に違反していたので起訴されたと報じている︒二︑三カ月前に は︑政府機関の多くの役人が︑国中を走り廻って︑この石油会社と鉄道会社の業務提携の事実を集めていると報じら れた︒それ以前︑新聞はこのような調査を命ずる決議が議会を通過したと報道した︒さらにさかのぼると︑私は︑起 訴のもとになった法律の通過で頂点に達した人々の典奮した活動について読んだことがある︒二︑三カ月たてば︑公 判や課せられる処罰や︑あるいは処罰がなされない場合でも︑起訴があたえる会社の営業方針への影響について読む ことだろう︒私は間もなく︑ある指導者が︑スタンダード石油会社のような企業を統制する改善策の導入にむけてと
( 12 )
られる新たな段階を発表するのを聞くだろう﹂︒ベントリーはここで︑スタンダード石油の独占形態を批判している のみならず︑トラスト統制にむかう政府の介入を支持し︑世論やマス・コミュニケーションの判断を評価しているこ
関 法 第 四 六 巻 第 四
・ 五
・ 六 号
またベントリーは︑トラスト破壊集団指導者ブライアンの名をあげて︑﹁彼等はたぶん︑国民の大多数によって支
( 13 )
持されて︑遅かれ早かれ最高裁判所で争うことになるであろう⁝⁝そのため︑ある変化がそれらの活動にもたらされ
( 13 )
るであろう﹂と述べている︒いうまでもなく︑これはベントリーが︑彼の政治学︑統治過程の生の資料として︑プラ
イアンとトラスト批判集団をとりあげて解説しているのであるが︑トラスト改革運動を評価していることは︑同時に︑
( 14 )
大統領
T・ルーズヴェルトを支持し評価している立場を表明している︒
つぎ
に︑
T・ルーズヴェルト大統領の手腕のなかで︑トラスト征伐におとらず︑無気力であった州際通商委員会の
権限拡大を果したことは︑特記されるべきことであった︒もともと︑1
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19 04 )
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J・ロックフェラーのスタ
ンダード石油の発展は︑持株会社によるトラストの企業支配によるものであったのはいうまでもないが︑産業と鉄道
運輸の合同は︑主として︑運賃払戻と特別割引きによって果され︑石油︑鉄鉱その他のトラスト化に歩調をあわせて︑
不当な運賃払戻制度を利用して拡大をかさねて巨富を獲得したものであった︒
に鉄道運賃決定権を与えるべきことを議会に勧告し︑可決に至った︒この立法は︑
ダード石池会社が処罰されたことによって︑ただちにその効果をあらわした︒このように見てくると︑シャーマン反
トラスト法と州際通商法のリベート禁止条項の強化をはかった大統領の方針は︑ベントリーが指摘したとおり︑議会
( 15 )
で代表されていない﹁別の集団利益が大統領によって代表されるのを見出す﹂ものであった︒いいかえると︑これま
でおさえられた利益集団のための立法機関として大統領ルーズヴェルトが出現したといえる典型例であったろう︒大
革新主義とベントリーの政治的態度 とが読みとられる︒
一九
0七年インディアナのスタン
四二三
(‑
︱二
五︶
一九〇六年大統領は︑州際通商委員会 ﹃スタンダード石油会社の歴史﹄
(1
)
(2
)
(3
)
( 4
)
(5
)
(6
)
統領は︑革新主義政策を実行するについて︑慎重に世論の動向をはかったのみならず︑ジャーナリスト︑評論家︑社
会科学者︑作家等による大企業告発の成果をたくみに採用した︒とくに︑
S i n c
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) の功績は大きかった︒マックレーカーの作家︑シンクレアは︑シカゴの屠殺場︑牛肉罐詰工場の不潔な実
(T
he
Ju n
g le ,
1 90 6)
を世に出して︑
文学の意義を積極的に評価したルーズヴェルトは︑直ちに政府の監督権を強化する食肉検査法
(B
ee
fI n
s pe c
t io n
B i l l
)
を設けた︒これについても︑ベントリーは︑﹁法案起草を無期限に遅らせ︑公聴会を開いても委員会採決に少
しもすすまない下院委員会﹂︑﹁堅固に組織された統治における階級支配にぴったり対応する固定した集団支配がある
こと﹂を指摘し︑つぎのように述べている︒﹁大統領は︑自らの好機を利用して︑国民の利益集団化についての判断
が正しいことをその場で立証し︑食肉牛利益の議会代表が降伏するまで彼等をおどし︑そして議会はついに立法の形
式を整えたのである︒しかし︑事実を注視すれば︑その法律をつくったのは大統領であったのであり︑できそこない
の書記以上のことを殆んど何も行っていない名ばかりの議会に対して︑大統領のみが真の立法部として役立ったので
( 16 )
ある︒この場合︑大統領は︑巨大な利益集団が作用した立法機関だったのである﹂︒
A.F
・ベントリー︑前掲書︑四ニニ頁︒
同書
︑四 二三 頁︒ 同書
︑四 二三 頁︒ 同書
︑四 二四 頁︒ 同書
︑四 二五 頁︒ 同書
︑四 二六 頁︒
態を赤裸々に描いた﹃ジャングル﹄
関法第四六巻第四・五・六号
アメリカ国民に刺激をあたえた︒この暴露
一九
0六年のシンクレア
四二 四
(‑
︱二
六︶
(U
pt
on
e a B
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革新主義とベントリーの政治的態度四二五
(7
) 労資紛争についていえば︑資本家︑大企業からの介入が多かったアメリカ合衆国の現実があった︒一九
0二年五月︑モル
ガンが支配する石炭労働者のストライキで︑T
・ルーズヴェルトは︑中立の立場で︑使用者側をおさえ︑結果として労働者
側を支援した︒その後︑一九0
五年
︑
I . w . w
︵世界産業労働組合︶が結成されるに及んで︑社会主義︑階級闘争を標榜 することになったが︑大統領の労資対等方針は不変であった︒
高関税とトラストによって産業資本主義が急発展した一九世紀後半から二
0世紀初にかけて︑資本家側には労働争議に理
解がなく︑判決も総じて労働者側に不利な結果をもたらした︒たとえば︑パン会社の経営者ロックナーは︑月六
0時間一日
10
時間という労働時間の制限に違反したとの理由で罰金刑となった︒経営者ロックナーは︑これを不服とし︑最高裁判所 に︑この州法を無効にしようとして提訴した︒最高裁の意見は︑五対四の多数をもって︑この州法は﹁世話やきにすぎる不 当干渉﹂として違憲判決がなされた︒ペカム判事は︑このニューヨーク州法がアメリカ憲法条を一四条に保証された契約自 由の原則を侵害するとし︑また製パン業が他の職業よりも健康に害ありと言えないと説いた︒この多数違憲に対し判事ホー ムズは︑反対意見を提出し﹁多数派判事はアメリカ憲法の自由の観念をまげている﹂と論難した︒ホームズは﹁憲法の意味 を固定不変のものとみなさないで︱つの実験的命題である﹂と主張し︑﹁憲法の条文の意味は︑新たにあらわれる社会事 情によってためされ︑修正され︑変化する﹂ものと理解し︑国民生活を規定する絶対的枠組と考えなかった︒その後ロク
ナー事件を経て︑一九0八年婦人労働時間を一0
時間に制限するオレゴン州法は︑最高裁によって支持され︑のちホームズ
での意見が多数意見に変化していった︒
こうした経過を考えると︑労資対等原理を事実において具体化し︑労働争議の解決に政府が介入し︑団体交渉権を労働組 合に認めようとしたルーズヴェルトの政策は︑ホームズの社会観︑法律観と共通の地盤に立ったものということができるだ ろう︒ちなみに︑ロクナー事件におけるホームズの意見は︑プラグマティズム法学︑法哲学の発展であった︒鶴見俊輔﹃ア メリカ哲学﹄講壇社学術文庫一九八一年︑第五部﹃哲人法官ホームズ﹄参照︒
(8
)
ベントリー︑前掲書︑四二六頁︒
(9
)
同書︑四二五頁参照︒
( 1 0 )
同書︑四ニニ頁︒
( 1 1 )
同書︑四三0
頁 ︒
(‑
︱二 七︶
( 1 2 ) 同書
︑二 ニ三 頁︒
( 1 3 )
同書
︑二 三三 頁︒
( 1 4 )
同書︑ニニ四ーニニ五頁︒言うまでもなく︑ここでの叙述の主たる目的は行為する集団を政治研究の生の資料
(r aw m at e r ia l s )
として取扱い︑決して︑抽象的観念や感情を対象とすべきではないと説明している︒
( 1 5 )
同書︑四三0
頁参
照︒
( 1 6 ) 同書
︑四 二八 頁︒
T
・ ル ー ズ ヴ ェ ル ト の 対 外 路 線
これまで見てきたように︑T・ルーズヴェルトは︑たしかに︑革新主義者としての面目をあきらかにした︒しかし
革新主義者の足跡は︑徹底的に国内政策に関するものであった︒こと対外的︑国際外交面については︑
ヴェルトは︑大企業の利益にそう政策を実行し︑共和党本来の姿勢をしめす帝国主義を具体化した大統領であった︒
その領土拡張主義は︑
一九
一
0年以後モンロー主義の新解釈にはじまり︑積極的に国威を発揚し︑世界の﹁国際警察
カ﹂たることを宣言し︑実行しようとした︒この点で︑彼は伝統的な共和党路線にもとづき発展させたばかりでなく︑
新しい大統領の顔をあらわした︒何故なら従来︑農村型社会であったアメリカ大統領観︑丸太小屋から生れた実直素 朴な大統領としてではなく︑ルーズヴェルトは︑ニューヨークの富裕な階層から一流大学を経て登場したエリートで あっ た︒
T・ルーズヴェルトのもつ使命感は︑パナマ進攻︑パナマ運河建設にいたる政治過程によくあらわれている
といえるだろう︒ここでルーズヴェルト政権下一九一四年完成を見たパナマ運河の政治的意義と経過をふりかえって
これについてのベントリーの立場に言及しよう︒ 関法第四六巻第四・五・六号
四二 六
︵一 ーニ 八︶
T
・ル ーズ
革新主義とベントリーの政治的態度 自ら志願して騎兵隊を組織し︑﹁荒馬乗り﹂
(R
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かく
て︑
ハワイ・サモア諸島の獲得につづいてキューバ︑
を拡大することに成功して︑
国内政策でのT・ルーズヴェルトは︑対外的に強硬派の面目をしめしつつあった︒
四二七 国は︑短期間の間に勝利を得た︒この時勝利をもたらした海軍の活躍は︑主として︑海軍次官補T・ルーズヴェルト
の指揮によるものであった︒のちにマッキンリーの副大統領指名を受けたルーズヴェルトは︑キューバ戦線において
の異名をとったことで有名になった愛国者であった︒
フィリピン︑プエルト・リコを統治することによって︑
アメリカ帝国主義のアジア・太平洋への植民地拡大を果たすにいたった︒社会学者
W・サムナー
(S
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r)
等の反
マッキンリ﹈からルーズヴェルトに至る対外政策は︑現実に国威を宣揚したばかり
でなく︑工業国家に転換したアメリカ合衆国の資本主義的発展のための市場を確保し︑投資︑資源調達をはかる撮点
フィリピンを領土として極東に進出したアメリカ合衆国は︑欧州諸国におとらず︑列強
としての世界的地位を占めることになった︒このことによって伝統的モンロー主義ははっきりと転換した︒同時に︑
さて︑民主的な労働政策の実行やシャーマン反トラスト法の強化において︑すこぶる好意的にルーズヴェルト支持
をのべたベントリーであるが︑パナマ進攻やパナマ運河計画については︑かならずしもするどい批判を示していない︒
ここでは︑大統領の政策を批判するよりも︑パナマ運河問題が︑行政を代表する大統領としての官職を通じての集団
代表的性格をあきらかにする実例となされている︒たとえば︑﹁きわめてはっきりした利益集団をともなうパナマ運
(1 )
河計画は︑大統領制における集団の直接代表についてすぐれた例証を提供している﹂とベントリーは考察している︒
このように批判の多いパナマ問題について︑大企業という利益集団の利益にかなう発現形態であることを説明してい 帝国主義者の抗議が高かったが︑ 一八九五年キューバのスペインに対する反乱に端を発して︑
︵一
ーニ
九︶
一八九八年四月スペインに宣戦布告したアメリカ合衆
設工事が進められ︑一九一四年八月完成するに至った︒
t こ ︒ ヘイ・ポンスフォート条約締結の結果︑ までのパナマ運河建設の世論の高まりに影響されて︑ キューバでのメイン号事件に端を発したスペインとの戦争に勝利したのち︑ ここでわれわれは︑パナマ問題︑とくにパナマ運河計画について︑大統領の対外積極主義と利益集団の表現として
一九
0三年︱一月一︳日︑アメリカ海軍ナッシュヴィル アメリカ合衆国は︑
ついにパナマ支配と運河建設に乗出すにいたった︒
一八
五
0年イギリスとの間に交わされたクレイトン・プルワース条約を改定
し︑イギリスと共同でなく︑単独で中央アメリカの地峡に運河を建設する権利を獲得した︒
はパナマ地方の六哩幅を九九年間の租借を許し︑かわりに︑アメリカ合衆国に対して︑即時一000万ドル︑批準跡
九年間二五万ドルを支払うことを約束させた︒これについてコロンビア議会が︑増額を要求して批準を拒否したので︑
これを契機にアメリカ合衆国はパナマ国民にコロンビアからの独立を決心させ︑これを救援した︒その際︑わずか百
人のパナマ軍隊がよく戦って革命戦争に成功し得たのは︑大統領ルーズヴェルトの援助のしからしめるところであっ
一九
0三年十一月四日︑パナマが独立し︑T・ルーズヴェルトは六日直ちに承認し︑
︵︱
‑三
0)
一九
0一年︑これ
一九
0
三年
︑
つづいて十一月一八日︑パ
ナマとの間に条約を締結し︑パナマ鉄道会社の財産をアメリカ合衆国が獲得した︒のち一九0七年からパナマ運河建
こうした経過をふりかえると︑パナマの独立がルーズヴェルト政権の援助のもとになし遂げられたばかりでなく︑
それは同時に︑パナマ運河建設の原動力ともなった︒ことに︑
号が
︑
のちの運河撮点港コロンに入港したのは︑大きい政治的︑軍事的圧力となり︑ の大統領の役割について触れてみよう︒ るにとどまっている︒ 関法第四六巻第四•五・六号
アメリカ合衆国が︑
一九
0
一 年
︑
コロンビア
コロンビア 四二八
革新主義とベントリーの政治的態度 業の圧力等を指していることがあきらかであろう︒ と指摘しているが︑考えてみれば︑ ヴェルトの対外政策は︑この路線の出発であった︒ と新生パナマ両国に対して︑強力な支配権をふるうことになり︑運河建設にもおよぼす影響力は大きかった︒
しかしながら︑
四二 九
一八九八年米西戦争の勝利ののち︑中南米︑ア
一八
九
0年以降は︑大資本の発展は︑必 T・ルーズヴェルトのパナマ問題への強引な軍事介入と外交政策は︑﹁非難されるべき﹂というき
びしい国際的批判をかもし出す結果となり︑それはT・ルーズヴェルトの性急な性格に由来するものと批判されたほ
一八九八年米西戦争に際して︑海軍次官補を辞任して自ら義勇軍を率いて
戦い︑かつマッキンリーのもとで副大統領であったことを考えると︑対外強硬派のレッテルを付されたのも首肯され
るところであった︒国内政策では︑社会正義を主張する進歩的政策を実践しながら︑対外路線では︑積極的な領土拡
大︑植民地政策を強行したT・ルーズヴェルトは︑やはり︑共和党政治家としての大枠を外れなかったと解されるで
あろう︒この点では︑ どである︒もともと︑
アメリカ革新主義とその実践家ルーズヴェルトの限界が認められるだろう︒ヨーロッパ列強に
対抗しようとしたアメリカ帝国主義化傾向は︑必然的に植民地拡張となってあらわれたが︑あきらかに︑T
・ル
ーズ
ベントリーは︑T・ルーズヴェルトのパナマ運河事業にふれて︑﹁集団利益が存在した﹂ことがあきらかであった
一九六五年南北戦争終結以後︑アメリカ資本主義は︑大産業資本主義の急激な発
展をしめし︑同時に︑国民の一体感︑強力なナショナリズ意識を植えつけ︑
然的に︑対外的にあらたな市場と投資の拡大を求めることとなった︒
ジア︑太平洋地域に新領土を獲得したので︑同様の対外拡張政策の一環として︑パナマの国家独立︑パナマ運河事業
をとらえることが重要であろう︒ここにしめしたベントリーの発言を︑このようなアメリカ合衆国の国民世論︑大企 ルーズヴェルトは︑
︵︱
‑三
一︶
しかしながら︑仔細に観察すれば︑ベントリーには︑かならずしも︑ルーズヴェルトとその政策に︑完全に一致し
ていたとは言えない︑あきたりない部分があったのではないか︑と思われる要素がある︒大統領ルーズヴェルトの登
場に支持を表明しているに疑いないとしても︑ベントリーの主張の中心は︑むしろ︑大統領と集団利益の代表︑﹁大
(1 )
統領は集団利益のための立法機関たりうることを証明しよう﹂との論点もまた重要であった︒大統領の背後にある労
働者︑農民等利益集団の運動を指摘することにこそ︑ベントリーの真意が窺われる︒たとえば︑﹁暗殺者の銃弾﹂に
よる副大統領ルーズヴェルトの出現も︑現実の政府に効果的に代表されない巨大な利益集団と同一視される権力﹂と
なったとする表現も︑ベントリーにおいて︑世論を敏感に採用したルーズヴェルト個人の政治手腕とともに︑基底集
団の利益表出と大統領の利益代表機能を強調したものであった︒おなじように︑ベントリーは︑関税闘争には不首尾
であった大統領を︑必ずしも批判していないが︑同時に︑大統領職を﹁非常に多種多様な集団活動を反映するきわめ
て柔軟なメカニズムである﹂と述べているのも︑ダイナミックな集団活動の存在をしめしていることに重点があった︒
要するに︑国民︑民衆︑労働者の側に︑独占企業︑トラストの横暴を攻撃する圧力が強く︑直接的な利害関心のかか ルーズヴェルト支持が見られた︒ かな賛意をあらわした︒関税闘争︑トラスト征伐︑労資紛争︑食肉検査法の成立等において︑ベントリーの態度には たしかにベントリーは︑ (
1)
一九
0
一年
の
T・ルーズヴェルト大統領の誕生とプログレッシヴィズムについて︑あきら
四 革 新 主 義 と ベ ン ト リ ー
A.F
・ペ
ント
リー
︑前
掲書
︑四
三二
頁︒
関法第四六巻第四・五・六号
四三
〇
︵︱
‑三
二︶