ブラジル北東部パライバ川中流域ボケロンの灌漑農
業
著者
斎藤 功, 矢ヶ崎 典隆
雑誌名
筑波大学人文地理学研究
巻
13
ページ
23- 52
発行年
1989- 03- 25
人文j也J l !l学 研 究
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RSセUR@ 1989ブ
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中 流 域 ボ ケ ロ ン の 濯 概 農 業
1 V工じふうに
日 調査j也j或のjJJ;t飢
臨 ョiセ
部 - ] 農 業 経 営 加 悦
I11- 2 牧帝
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種 農 業IV
ボケlコンI i IS
の構j舵農業I V- l
滞ii文民地の分;(/J斎
藤
功・矢ケ
1/1奇 典
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盗
日7 -2 Uliif引ノ11物とj社説方法
町 一3 UHi就 農 場 の 経 岱 事 例
a) パライパ)11からの揮官政
b) アスーデ・ボケiコンからの消: 政
I V- 4
鴻 紅 作 物 の 出 荷 形 態 と 出 荷 先V
M↓セ ゥー む す び に か え て 一
I はじめに
ブラジノレ北東部 (ノノレテ‘ ステ)は, ブラジノレ最大の半乾燥地域を有しており, i)引VJ的 に 繰 り 返 さ れる卒越は, そ の 自 然 ・ 社 会 ・ 経 済 ・ 文 化 に 大 き な 影 響 を 与 え 続 け て き た . ポ ノ レ ト プj ノレ人の入組後に
セ QUXS 17世紀に61互1,18世 紀 に14
白, 19世 紀 に1 2 @,今
i
止 紀 に 入 っ て す で に121到の平総が記録されている1 ) 1778i : ¥三の皐魁の際にはセ ア ラ に お い て 家 畜 の8分 の7が死滅し, 1877年 か ら1880年まで、の大早魁│時には,早魁地域に j舌佐して い た175万 人 の 人 口 の 半 数 以 上 が 餓 死 あ る い は 病 死 し た と い う . さ ら に , ケ イ ロ ス が 「 卒 腿 ( キ ン ゼ ;15年) J と い う 小 説2)のにi
コで、生々しく描写した1915年 の 早 魁 は , セ ア ラ で2. 7万 人 の 死 者 を だ し ま た , 主 に ゴ ム ブ ー ム に わ く ア マ ソ ゃ ン 地 域 へ7
.
5
万 人 に 及 ぶ 人 口 流 出 を 招 い た め ほ ど , 越 に よ る 被 害は 深 刻 で あ っ た . ブラジルで、最も長い居住の陛史を有するノノレデステは,かくしてブラジノレ最大の貧
困j也' 市であり人! 二i流 出 地 域 を な し て き た .
こ う し た 頻 発 す る 早 魁 に 対 処 す る た め に , 1909fl三には卒位対策路告局( I nspet ori a de Obr as Cont r a as Secas, 10CS) が誕生した. これは1919年 に 迎 邦 卒 越 対 策!HS:皆同 ( 1nspet ori a Feder al de Obr as Cont r a as Secas, 1F OCS ) へ, 1945年 に は 現 在 の 国 家 早 魁 対 策 局 ( Depar t ament o Naci onal de Obr as Cont r a as Secas, DNOC S ) へ と 組 織 が え さ れ た . D NOC S に よ る 地 収 開 発 卒 業 の 重 要 な 部 分 を な す のは, ノノレデステに夕刊ムを建設しそのj貯 水 池 の 水 を 利 用 し て 数 料 水 や 慌 政 府 水 を 確 保 す る こ と で あ る. こ の 様 瓶 事 業 は , 早 魁 に 際 し て 他 地 域 へ の 流 出 を 強 し 、 ら れ る よ う な 人 々 に 仕 事 を 捉 供 す る こ と に よ っ て 農 村 人j二 ! の 安 定 化 を は か り , 炭 産 物 の 増 収 に よ り 農 村 の 貧 困 問 題 を 解 決 す る と と も に 食 糧 供 給 力 を 拡 大 す る と い っ た ,
3
つの基木(/サi
ヨ楳を有するものであっため. つまり, 天 候 に 左 右 さ れ る 牧 畜ゥ[ iセ| ェイX
一方, こ う し た 開 発 事 業 を ; 苛 政 的 に 援 助 す る 連 邦 機 関 と し て ,
1952
年 に は ブ ラ ジ ノ レ 北 東 部 銀 行( Banc o do N
or des t e do B
rasi l
, bnbI iセ1959
年に は 北 東 部 開 発 庁
( Super i nt endenci a do D
es envol vi m
ent o do N
or des t e
,S UDE NE )
が発足した.また, iセ IQQ A
( Com
panhi a de D
es envol vi m
ent o do Val e do Sao Fr anci sco
,C ODE V A S F )
が あ り , こ れ は1948
年に 設 立 さ れ た サ ン フ ラ ン シ ス コ
J
1
1
流 域 委 員 会( Com
m
i s s ao do Val e do Sao Fr anci sco
,C V S
め か ら 発展ーしたものである. 早 j訟 の 被 害 を 受 け や す い こ の 半 乾 燥 地 域 は , ブラジノレ政府によって「皐魁の多
角形地: 許
Pol i gono das SecasJ
と し て 認 識 さ れ て お り5), そ の 面 積 は 日 本 の 国 土 の2. 6
倍 の10075 km
2Vこ及んでいる.
少 量 で あ て に な ら な い 降 雨 に 依 存 せ ざ る を え な い こ の 半 乾 燥 地 域 に お い て 擢 獄 事 業 の 推 進 の た め
に ,
D NOC S
は ダ ム お よ び ア ス ー デo
ち
1水 池 ・ 湖 〉 の 設 を 進 め て き た . そ れ ら は ,1981
年末までに,セアラナト
1
6
2
,リオグランデド‘ ノノレテ丹、1
5
仏 パ ラ イ パ 州38
,ベノレナンブコ州32
,パイアナ1
'1
3
2
, アラゴア スナ1' [24
, ピアウイ州12
, セノレジベナト1
1
1
というように, ノノレデステ全体で合計261
の ダ ム が 建 設 さ れ3ア ス ー デ の 総 貯 水 能 力 は
123
億n
1
に及んだの. これらの中には, ソブラジーニョSobr adi nho
やオlコ スO
r os
の よ う な 超 大 規 模 の ア ス ー デ も あ る が , パ ラ イ パ ナ1
'
1
の ア ス ー デ は , 第1表に示したように, そ の 貯 水 能 力 に よ っ て2
億d
以上の大規模アスーデ,1
0
0
0
' "' -' 5
0
0
0
万Id
の中規模アスーデ,1000
万1
1
f
以 下 の 小 規 模 ア ス ー デ の3種 類 に 大 き く 分 類 さ れ る . 大 規 模 ア ス ー デ は 主 要 河 川 を 堰 止 め て 建 設 さ れ た も の で あ り , 中 小 規 模 の ア ス ー デ は 一 般 に 都 市 やi可 の 周 辺 に 存 在 す る . これらのアスーデに加え, 日本 の 潟 池 に 相 当 す る
100
万1
1
1
t 1 、下のアスーデが数多くみられる. これらは家畜の飲水のためにファゼン タ ー 内 に 造 ら れ た も の が 最 も 多 く , 次 い で 道 路 建 設 に 伴 う 道 路 j協 の ア ス ー デ 》 お よ び 集 落 近 く の 共 同
アスーデカLある.
ザ ス ー デ の 機 能 と 利 用 は 多 様 で ド あ り 複 雑 で あ る . 例 え ば , 大 規 模 ア ス ー デ で あ る エ ン ジ ェ ニ ェ イ ロ
アピドス
Engenhei r o A
vi dos
は,ソウザSouz a
の 都 市 潟 水 お よ び 穣 概 用 水 源 で あ る ア ス ー デ ・ サ ソゴンサlコ
Sao
G
oncal o
の 調 整 池 と な っ て い る . ア ス ー デ は 飲 料 水 の 供 給 源 と し て 重 要 で あ る が3 ソレダーデ
Sol edade
の 住 民 は 飲 料 水 源 と し て ア ス ー デ ・ ソ レ ダ ー デ を 使 わ ず , 北 西 部 の 小 さ な ア ス ーデ を 使 っ て い る . パ ト ス
Pat os
盆 地 の ジ ャ ト パJ at oba
,スメSun1
とサンタノレジアSant a
Ruz i a
リ ア シ ョ サ ン ト ア ゾ ト ニ オ
Ri ac ho Sant o Ant oni o
の よ う なJ=!: : t 小規模のアスーデは3 早) 越等の非常時 に7
J
く が 得 ら れ る と い う 安 心J惑 を 住 民 に 与 え る こ と で 重 要 で あ る . ソ レ ダ ー デ の 海 老3 タ ベ ロ ア の ツ グナレの養殖で知られているように,アスープの内水面? 魚、業も重要である. アスーデはまずこ洗濯場であ
ち , 家 畜 用 の 水 源 と し て も 利 用 さ れ る . 乾 季 と 下 旬 季 の 水 位 差 を 活 用 し た ア ス ー デ の 縁 の パ ザ ン テ 農 業 が 伝 統 的 に 行 わ れ て き た が 7 ) , 近 年 揚 水 機 の 普 及 に よ り 港 政 農 業 の 発 達 が 自 覚 ま し い .
本 稿 で は , 発 電 所 も 併 設 さ れ て い る 大 規 模 な ア ス ー デ で あ る ボ ケ ロ ン を 取 り 上 げ , そ の ア ス ー プ の 水 を 活 用 し た 潜 税 農 業 の 実 態 と 土 地 利 用 方 式 を 明 ら か に し た い . 超 大 型 ア ス ー デ で あ る サ ン フ ラ ン シ
スコ)1[ の ソ ブ ラ ジ ー ニ ョ や 中 小 規 模 の ア ス ー デ の j桂成農業については, ; ij !J 稿に認めたい.
第1表 ノミライパ) + ¥におけるアスーデの分類 発電
f晶iite 飲料水 内
7
J
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:
保観Mi!t
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光尭世 分} 立! ア ー ス デ 名 lTi'7
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くZ0I11if5
路揚ポ水ン者附 1W]人家畜業面ifi! 調iJt:7節K主J j主体業 (
1,00011;' )
プ
大) Mj児 Cor emas 1942 720,000
。
。
。
。
。
。
。
DNOC SMa e D' Ag ua 1956 638,000
。
。
。
。
。
DNOC S(広
Jp
J()
BOCjuei r ao 1956 536,000。
。
。
。
。
。
。
。
DNOC SEngenhei r o Avi dos 1936 255,000
。
。
DNOC S1¥1
JJll
史Sao Goncal o 1936 44,600
。
。
。
。
。
。
DNOC SS u me 1962 36, 800
。
。
。
。
DNOC S(者11
,
¥i)Eng. Ar c o Ver de 1936 35,000
。
。
DNOC SSol edacl e 1933 27,058
。
。
DNOC S} at oba 1 1954 17,520
。
。
。
。
。
DNOC SSant a Luzi a 1933 11,960
。
。
DNOC STaper oa 1980
。
。
。
。
。
Canaa小ARi史
L agoa de Mei o 1955 6,648
。
DNOC SI <i acho de S. Ant oni o 1956 6,834
。
。
。
DNOC S (11!T)
Ser r a Br anc a 1966 2,117
。
。
。
DNOC SPocos; Tei xei l♂a 1923/ 53 2,000
。
。
。
DNOC SBocl ocongo 1915 ,1 020
。
DNOC SSao Fr anci sco 1984 9,000
。
。
Canaa(村) jェセ i iZャj QYSPセ@
。
。
。
ノ11、ニ 司!ァ[IZ fGセ QYUPセ@
。
。
■i セQ@ 入道路! 協アスーデ QYWPセ@
。
。
。
:1:1ニ i司DNOC S ( 1982) および野外観察,
¥
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き取りによる.1951年 に 建 設 が 開 始 さ れ1956年に完成したロックフィノレ夕、、ムである. 夕、、ム上の
1
2
1
高 は3 7 8 m,その; ダ ム 高 は5 5 .7 m,J庁 水 能 力 は5億3600万1
1
f
でδ),そ の ! 昨 水 量 は 我 が 国 の 相 模 湖 の ほ ぼ3倍 に 相 当 す る . 乾 季 と 雨 季 と の1!司には2"- ' 3111
の 水 位 差 が あ る も の の , 年 間 を 通 し て 充 分 な J t-
i
'
水 量 が 確 保 さ れ て い る . 集 中 豪 雨 に よ る 洪 水 ! 時 に は , ダ ム の 南 側 ( 右 岸 ) に 建 設 さ れ た 二 本 の 放 水 路 ( サ ン グ ラ ド ウ ロ ,S a ng r a dour o) に よ っ て 溢 流 さ れ る .
ア ス ー デ ・ ボ ケ ロ 、 ノ は}]IJ
:
7
=
1i
エ ス タ シ オ ・ ベ ッ ソ ア 公 共 貯 水 池 j と呼ばれるように, D NOC Sが 公 共 利 用 を 目 的 と し て 建 設 し た も の で あ り , 従 っ て そ の 水 お よ び 水 面 は さ ま ざ ま な 目 的 に 使 用 さ れ て い る. つまり, ア ス ー デ の 水 はj事 政 用 水 と し て 利 用 さ れ る ば か り で な く , 地 元 ボ ケ ロ ン , ケ マ ダ ス , そ し て 特 に カ ン ピ ナ グ ラ ン デ と い っ た 近 隣 諸 都 市 の 重 要 な 生 活 用 水 源 と な っ て い る . ま た , 漁 業 権 は 存QセQQ ェZ Q テラピア, ベスカダ, トライラ, ピア
ウ, エピーなどが投締で、捕獲されている( 第l 表参照) •
ダ ム に は 二 本 の 放 水 管 が 穿 た れ , 水 位 にj芯じてノミライパ
)1
1
へ 放 流 さ れ て い る . こ こ に は 魚 料 理 を だ す レ ス ト ラ ン が あ り , 河 床 に は プ ー ル が 設 けh ら れ て い る た め , 週 末 に は 水 浴 び や)1
1
遊 び を 楽 し む 人 々デに浮かぶ島々は, カ ン ピ ナ グ ラ ン デ な ど の 大 者I)fljに 住 む 硲 福 な 人 々 の 別 荘 地 と し て も 知 ら れ る . 、夕 ム か ら は , 湖 岸 に 建 設 中 の ホ テ ノ レ を 遠 く 望 む こ と が で き た . 週 末 に は 船 遊 び を す る 人 々 の 姿 も 少 な く な い の で , ア ス ー デ ・ ボ ケ ロ ン は , レ ク レ ー シ ョ ン 地 域 と し て の 機 能 を 拡 大 し つ つ あ る と い え る . ブ
ラジノレ観光協会
(
E M
B R A T UR )
の 行 っ た 観 光 地 域 の 確 定 に お い て も , ボ ケ ロ ン は , 水 遊 び と 魚 釣 り を仁i
コ 心 と し た 潜 在 的 観 光 地 と 評 価 さ れ て い る9)E 調 査 地 域 の 概 観
大規模アスーデを利用した擢蹴農業の実態、を杷握するために,
1988
年10
月2
13か ら1
週 間 に わ た って , 港 政 農 業 を 中 心 と す る ポ ケ ロ ン
:
1
¥" 1; の農牧業について現地調査を行った. ポケ lコンは,パライパナト│に
i
コ南部, パライバチト│中流部に位置するムニγ ピ オ ( 以 下 , と 記 す ) で あ り , ソずナ夕、、マタZona
da J V
l ata
, ア グ レ ス テAgr es t e
, セノレトンSer t ao
と い う 伝 統 的 地 域 区 分10)に 従 え ば2 セノレトン東端部 の 南 東 部 を 占 め る . 南 東 は ウ ン ブ ゼ イ ロ
Um
buz ei r o
, 東 は アiコエイラスAr oei r as
, 北 東 は ケ マ タス
Q
uei m
adas
,ゴヒはカンピナグランデCa m
pi na
Gr ande
, 西 は カ パ セ イ ラ スCabacei r as
とノくハデサンミゲノレ
Bar r a de Sao M
i guel
の各都に隣接し, また南端部はベノレナンブコとのナ1' 1境をなす( 第1
図). ポケlコンは1959
年 に カ パ セ イ ラ ス か ら 分 14H独 立 し た 郡 で あ り , そ の 面 積 は1
,2
5
7
krn
2で, ライバナHではポンパノレPom
bal
お よ び ソ ウ ザSous a
に 次 ぐ 規 模 を 持 つ . セUャセ{
fls
J
或の北 西 部 に 位 置 す る ボ ケ ロ ン で , 州 都 で あ る ジ ョ ア ン ベ ソ アJ oao
Pes s oa
の 西 南 西150k
l1 1 ,また第2
の 都 市 カ ン ピ ナ グ ラ ン デ の 南 西40km
に位置する.こ の 地 域 は ボ ノ レ ボ レ マ 台 地 上 に 位 置 し , 平 均 襟 高 は
4 0 0 m
1 w 後 で あ る . ボ ケ ロ ン ・ ダ ム の 建 設 以 前 は,グノレジャンJI
I
Ri o G
ur j ao
や ソ レ ダ ー デ )11Ri o Sol edade
の 水 を 集 め て 南 東 流 す る タ ベ ロ ア)11Ri o
“Taper oa
と , 北 東 流 す る パ ラ イ パ 川 本 流 と が カ ノ ミ セ イ ラ ス の 南 で 合 流 し 北 側 の フ ァ コ ン 山 地Ser r a
do F a c
互o ( 590m
)
と南側のカノレノイオ山地Ser r a Car noi o ( 714m
)
に 挟 ま れ たi挟 谷 がj
f
手成されており,i挟谷や河口を意味する「ボケ 1コンjをいうポノレトガノレ語は,本来この地域を指して月弘、られたものであ
った11) ポ ケ ロ ン ・ ダ ム の 下 流 に は , 地 質 構 造 に 合 わ せ 東 西 に 走 る カ ト ク リ テ UJ j也
( Ser r a do Cat ur i t e
,806m
)
とイナシオベレイラi Jj地( Ser r a l naci o Per ei r a
,708m
)
と の 間 を パ ラ イ パ )11は 流 下 す る .QQ TPPセVPP QQャ ュ N Q Zゥ is
ョ ン の カ リ リ ス ベ ー リ ョ ス
C
ari ri s
Vel hos
に, メソリージョンのセノレトンパライパノSer t ao
Pa-ra
i l
コano
に 区 分 さ れ て い る よ う に12) ,パライバナ11 で も 最 も 乾 燥 す る 地 域 の 一 つ で あ る .' 一 般 に3月 か ら8 月が雨季で, 9 ) きから2月 ま で が 乾 季 と な る . 乾 燥 し た 偏 東 風 は , 気 温 が 高 い 割 に は 冷 涼 J惑 を 与 えてくれる. 植生をみると, ファシェイロFachei r o
, マンダカノレ-M
a nda c a r u
な ど の サ ボ テ ン 類 とジュレマJ ur em
a
な ど の セ ノ レ ト ン に 典 型 的 な カ ー チ ン ガ 植 生 が 卓 越 す る が , そ れ ら は サ ン ジ ョ ア ン ド カ リ リ の カ ー チ ン ガ ほ ど は 媛 小 化 し て い な い .こ の 地 域 に い わ ゆ る シ ビ リ ザ ド ス ( 四 臥 :iセi I QW
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者I;ili .Mセs[GN
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山
山
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: 3( ) OQO'
第1 図
ヨ
ID 査φから宣教師が入り,礼拝堂を設けた・ この伝導所はパライパ川のセノレトンでは最初のものであり,ボ ケ ロ ン の ク リ ス マ ス ミ サ に は , 内 陸 の ピ ラ ニ ャ ス や ピ ア ン コ の 住 民 ま で が
3
0
0
1
G
B
以上も旅をして参加│したという. この道は,セノレトンから海岸部の大都市へ牛をi陥送するキャトノレトレイノレでもあった13)
部の人口は,
1960
年 に は1
9
,600
,1970
年 に は2
6
,307
を数えたが,1980
年の人口センサスによれば, 総 人 口 は3
0
,2
5
1
で あ り , 人 口 密 度 は1 km
2あ た り 約
2
4
人であった. ア ス ー デ 直 下 の 中 心 部 市 ボ ケ ロ ン に 郡 役 所 が 置 か れ て お り , 第2
のIHJ リアショデサントアントニオRi acho
de Sant o Ant oni o
とともに,周辺の河川のバノレゼアに常緑のアウガローパ
Al gar oba
が植えられているため, カ ー チ ン ガ に 浮か ぶ オ ア シ ス 都 市 の 観 を 与 え る . まずこ, ボドコンゴ
Bodoc ongo
, サンタナSant ana
, アウカンチノレAl cant i
l ,カトクリテCat ur i t e
,リアショグランデRi acho G
r ande
などの IlfJ が部内にみられ, 住 民の 精 神 的 支 柱 で あ る 教 会 と 雑 貨 屋 の あ る 路 村 形 態 を と っ て い る . そ の 地 の 小 規 模 な 集 落 も , 路 村 形 態 、 が一般的である.
カンピナグランデとベノレナンブコ升! のカノレアノレーとを結ぶ国道
104
号 線 が 郡 内 を 南 北 に 横 切 っ て おり
, ま た ボ ケ ロ ン は 舗 装 さ れ た 川 道
1
4
8
号 線 に よ っ て カ パ セ イ ラ ス や ケ マ ダ ス と 結 ば れ3 カ ン ピ ナ グ ランデに通じている. こ の 国 道 沿 い に は , ボ ド コ ン ゴ の ほ か に , 交 差 点 に ガ ソ リ ン ス タ ン ド や 食 堂 を 有 す る ガ メ レ イ ラG
am
el ei r a
や パ ハ デ ア ロ エ イ ラ スBar r a de Ar oei r as
のようなfI!Jが 立 地 し こ れら は 道 路 交 通 に 依 存 し な が ら 町 に 成 長 し つ つ あ る .
セUGQU
これに加えて, ボ ケ ロ ン の 都 市 部 を 中 心 に ハ ン モ ッ ク 製 造 の 家 内 工 業 も 農 村 工 業 と し て , 多 く み ら れ , ハ ン モ ッ ク を 織 る 音 が
I
U
J
の至るところから聞こえてくる.1970
年 代 中 頃 の 文 献 に は , ハ ン モ ッ ク 家 内 工 業 は2
0
軒 を 数 え る と あ る が14), 農 業 改 良 普 及 所(
E M
A T E R )
の技術指導員によれば, 今i
ヨ
1
5
0
から
2
0
0
IIF
F
ほ ど の 製 造 業 者 が 存 在 す る と い う .直 ボ ケ ロ ン 郡 の 農 牧 業
11I
-
1
農 業 経 営 規 模と 土 地 利 用 の 全 体 像 を 把 壊 す る た め に , 統 計 を 中 心 に ポ ケ ロ ン 君
)
r
域における; 農業の概要を検討してみたい. まず土地所有状況を農業センサスで、規模別にみたのが第
2
表 で あ る . 農 地 所 有 者 総 数 は1
,
990
, 総 面 積 は9. 6
万h
a
で、あるので,一経営体あたりの土地所有面積は平均48h
a
となる しかし,全体的にはこの規模を下回る農家が大部分を占める. すなわち,
50h
a
未 満 の 規 模 の 所 有 者 数 は1
,589
で全 体 の
8 0 %
を占めるが, こ れ ら が 所 有 す る 面 積 は 全 体 の2 0 %
に過ぎない. このうち,1
0
,...___5
0
加 の 中 間 規 模 の 所 有 者 数 は 全 体 の3 4 %
を占めており,10h
a
未 満 の 小 規 模 所 有 者 は4 6 %
に 達 す る . ま た1
,...___5
α
h
規 模 の 零 細 農 家 は 全 体 の
2 8 %
に及んでいるが,面積では1 .6 %
を占めるに過ぎない.一方,
1
0
0
h
α
以 上 の 比 較 的 大 規 模 な 所 有 者 は 全 体 の1 0 %
程度存在するに過ぎないが, 面 積 で は6 5 %
を占有する. しかしながら,セノレトンに特有の1,
O
O
O
h
α
以 上 の 大 フ ァ ゼ ン ダ は , 全 所 有 者 の0. 6%
, 全 面 積 の19%
に と ど ま っ て い る . つ ま り , パ ラ イ パ )11上流部に位置し,セノレトンの典型的な牧場地時でボ ケ ロ ン 郡 に お け る 規 模 別 土 地 所 有 者 数 と 間ら詰IJ合 ( 1980年)
第2 表
ポ ケ1コン
また, 積 で3 7 %を 占 め る15)
ア グ レ ス テ の づ ¥
Miセ
lf
t
E
ュセカ土 地 所 有 者 数 人 ( が )
務 ( %)
0. 0 1. 6 2. 6 4. 6
11. 6
14. 4 17幽0 18. 2 11. 1 15. 8 3. 1
一
円
け
a
u
h
9 1 ,538 2,441 4 ,441 1,1 139 13, 753 16, 270 17,456 10, 628 15 ,179 2,955 1. 127. 7 17. 4 16. 0 17. 5 9. 8 6. 1 2. 9 0. 8 0. 6
O. ]
21 553 346 319 350 195 121 58 15 11 1
規模
( ha)
l未j115
QセU@
UセQP@
Qo セRP@
RPセUP@
UPセQPP@
QPPセRPP@
RPPセUPP@
UPPセQPPP@
QPPPセRPPP@
RPPPセUPPP@
l GAjZ jゥャゥ[ OャQ[ }Q Iセ
り ッ ク ス に お い て は , 所 有 者 の7 7 %が
10ho 未認liの ミ ニ フ ン デ ィ オ で あ る16) 二
│二j虫月;有状
こ の よ う に ボ ケ iコンは,
セ ノ レ ト ン の 大 規 模 牧 畜 況 か らιλ ても,
j也子
i
j
:
と ア グ レ ス テ の 小 出 荷 ; と の 河 野 移 つ ま り 両j世f
i
j
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の 特 徴 を 兼T
{JI/)え てI f f -',11' ,
ノミライパ)
1
1
い る 地j或 と い え よ う .に河} ; j くから主自に延びるアベlコイス
Av el os の 生 け j日 が 残 存 す る こ と か ら
100. 0 95,809
100. 0 1,990
引
山
川
よ』
I::J
ア グ レ ス テ の 色 彩 を 長 観 的 に 認 め
も
I BGE: Cens o Agr opec uar i o, Par ai lコa,1980. ることヵ: で、きる17)
農 場 所 有 者 , 所 在 地 , 国 積 等 が 詳 し く 記 載 さ れ て い る
I NC R A
の 最 も 新 し い 農 家 台 帳 ( 1988
次に,
セ ン サ ス 統 計 よ り 多 い 経 営 者 の 居 住 地 を 経 営 規 模 別 に 集 計 し て み た の が 第3表 で あ る .
ヵ、ら, 年〉
規j英男IJ居住地日IJ農 業 経 営 者 数 ( 1988年)
↑ 1 f 、
f
-4 、 、 2 F 〆分
U
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ー ,↓ J O J 1 ・ A
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[サヲ イセ
(d) (1111)
Q シ セZi■
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池
一
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住 近隣郡
(b) スノレピ
ン
居
隣 接 部 (a)
第3 表
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ポ ケ ロ 、 ノ
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UセQP@
QPセRP@
RPセUP@
UPセャoo@
ャo oセRPP@
RPPセUPP@
UPPセャooo@
QPPPセRPPP@
RPPPセSPPP@
SPPPセTPPP@
551 531 630 698 369 203 103 25 13 2 1 66 78 129 106 68 47 19 7 2
弓 ミ
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叫
476 437 479 554 270 139 48 6 2 1 1
3, 126
(c)
522 10 Ar oei r as, Cabac ei r as, Que i ma da s, Umbuz e i r o (以上ノミライパナト1),
Taquar i t i nga d o Nor t e, Ver凋t ent es
C
J ; U
ニペノレナンフ、コj十)
1
.
Bar r a de S a o Mi g uel, F a g unde s ( 以上パライノサ十1),L i moei r o, Sant a Cr uz do Capi bar i be, Sant a Mar i a do Ca mb u c a ( 以上ベルナンブコ升1 ) . Bananei r as, J er i co, L a g oa de Dent r o ( 以上ノ〈ライノザト1),
Conda do, 1bo (J以」二ペルナンブコ州、1).
( d) Ri o de J anei r o, S a o Paul o, Campi nas . INC R A 農 家 台 帳( 1988) による.
6 10 10 10 17 8 120 2,413 ( a) ) 、 J i /,、、
3, 126に 及 ぶ 全 民Jおから小川分を│ 徐いた2,VPTh ェ QQ i [iセ ゥ ャ|i セiスセh ェ エ↓Z kセ G R TQS ( 93%) に 達 し て い る . 隣 接 す る カ ン ピ ナ ク ラ ン デ 荘 目 : の 経 話F者 は120人 ( 4. 6%) 存 在 し , 次 い で 多
いのは, j-i'1 を1越えたスノレヒン
S ur ubi m
で17
人 を 数 え る . これらを含めて, ボ ケ lコ ン お よ び そ の 近¥
¥
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」
一戸
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50ハ
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7( ) ( ) ha
第2図 ャ セゥャセ [Hェ
i
持j也 に 干 の 農 場 経 者 の 比 率 は 9 9 %に達しており, レシーフェ, ジ ョ ア ン ベ ソ ア , サ ン パ ウ pワ オ デ ジ ャ ネ イ lコ な ど の 遠 隔 の 大 都 市 に 居 住 す る 不 在 地 主 の 比 率 は 揮 め て 低 い . し か し , カ ン ピ ナ グ ランテ‘ 等の 200ha 以 上 の 所 有 者 は 不 在 地 主 と 考 え て き し っ か え な い .
この農家台│阪に況れずこ農場のうち,無作為に抽出した 20ha以 上 の シ チ オ と フ ァ ゼ ン ダ 94農場( 総; 農
場 数 に
3
EIセiェ R N Q カ様 に 分 布 し て い る が , 特 に 河 川 に 近 接 し て 立 地 す る 場 合 が 多 い . パ ラ イ パ 川 木 流 に 沿 っ て ボ ケIコンか らボドコンゴにかけて, またノミライパ)1[支流ではボト、コンコ'jllやクノレーズ
J
1[に 沿 っ て 多 く 立 地 し て い る . 特 に プJ トゥリテ, ジュカ, ベ ド ラ ダ グ ア な ど のm
J
辺 に 集 中 が み ら れ る . 一 方 比 較 的 大 き な 農 場 は , サ ン ト ア ン ト ニ オ}II と ク ル ー ズ )11 の 河 17丹 地 や , パ ラ イ パ 川 木 流 と グ ア ジ パ ス )1[の河出]地に, さら に そ ン テIJI 地 の I- Li 麓にみられる.111- 2
牧民場における農業活動の中心は牧畜である. 一般に牛や山: : ' ; ( : . などの家畜は牧場やカーチンガに放牧
さ れ る . 面 積 的 に は カ ー チ ン ガ 牧 場 が 大 部 分 を 占 め て お り , そ こ で は カ ー チ ン ゲ イ ラ Ca t i ng ue i r a, ベ レ イ ロ Per ei r o, ジコーレマ Ju r e ma, マノレメレイ iコ Ma r me le ir o, マ ウ パ Ma lv aが 卓 越 す る . 1980 年 農 業 セ ン サ ス に よ れ ば , 9. 6万 ho に お よ ぶ 総 農 地 面 積 の6 3 %に あ た る 6. 0万国が牧場であり, この のう、ら 9 8 %が カ ポ エ イ ラ も 含 め た カ ー チ ン ガ 牧 場 で あ っ た が3 パ ッ プ ア ロ ー グ ラ ス C a p i mbuf al oな ど の 牧 草 が 椋 え ら れ た 改 良 牧 野 は 1 , 300hα に と ど ま っ て い た . 一 方 , 飼料用パノレマ P a l ma の 作 付 地 &1
:
1
Hlj也にi
玄 分 さ れ て い る . こ の 改 良 牧 野 は 国 道 104号や1' 1'1道 148号 線 に 沿 っ て 多 く み ら れ る が , 支 道 の 泥 道 を 入 っ て 行 く と カ ー チ ン ガ 牧 場 が 卓 越 す る . 総 農 地 面 積 に 占 め る 牧 場 の 比 率 は , サ ン ジ ョ ア ン ド カ リ リ の 7 7 %に比較すれば低いが,サノレプ' ] " F' デ サ ン フ エ リ ッ ク ス の 3 7 %と 比 べ れ ば か な り 高 い . ここiセi
家 畜 統 計 を み る と , 牛 は 1987年 に は37,UPPセ■ H T I , こ れ は カ リ リ ス ベ ー リ ョ ス に
第4表 ボケロン1III における家畜頭数の推移
7丁、 ケ ロ ソ サンジョアン サノレガドテ、サン
家 三t女I I ドカリリ ブェリッグス
1970年 1975:4三 1980ゴ1三 1987i:j三 1980
:
i
r
-
1980i:i三22 ,842 30 ,096 3,1829 37, 500 8, 399 8,339 キ
ー 7,003 4,115 7,245 8,500 9,174 456
U-l 羊 3,660 7,018 6,295 7,740 18,277 1,097
1
1ま 3,439 3,322 3 ,612 5, 840 847 412 ロ
ノ¥、、
1,693 2,452 2,285 2, 800 706 240
i高 686 674 715 860 333 713
フ ノ¥、、
496 321 393 570 162 110
ョセ@ 26 ,523 46,048 26 ,579 つ 12,292 15, 102
おいては最大の頭数であった. 守二の頭数は,
1
9
7
9
""- - ' 1
9
8
3
年 に 阜 舷 が あ っ た に も か か わ ら ず ,1970
年 以 降 , 漸 増 傾 向 右f 示してきた. 一方, ZZGiセ ij ⦅ェ ZZGQ QN V N これは, [liJ じセノレト ン で も 山 羊 と ヰ 立 の 卓 越 す る サ ン ジ ョ ア ン ド カ リ リ と は 対 照 的 で あ る . そ こ で は , 実 数 に お い て , -1'-1::'(-ZZGiセ Vヲ HQYXPセセ I (1こ達する. 1:1二の頭数は改良牧野では景観的に目立ったが, プJ ーチンプJ
牧場では鈴の? 互の: 聞こえても姿を見ることができないことがある. -IL l 羊には小村など民家の近くで、出
会 う こ と が 多 し ¥ ポ ケ ロ ン で 、 は H家も
6
千頭近く飼育されているほか, ロバの数も多い.こ う し た 家 茜 に 加 え て , 酪 農 は ボ ケ ロ ン の 経 済 活 動 に お い て 重 要 な 部 分 を な し て い る .
1987
年 に は , 牛 の 総 頭 数 の う ち2 3 %
が 乳 牛 で , こ の 比 率 に は1970
年 以 来 大 き な 変 動 は み ら れ な い .1987
年 に は4
,200
キロリットノレ余りの牛乳が生産されており, カ ン ピ ナ グ ラ ン デ の 生 産 量 を と 回 っ て い る . 例 え ば,夜、達の訪オ" vtこ そ ン テ 山 地 の 南 麓 に あ る2D
O
ha
の フ ァ ゼ ン ダ で は120
頭 の 牛 が 飼 育 さ れ て お り , 乳 牛24
頭 か ら 一i
ヨ 二 回 , 早 朝 と 夕 刻 に 搾 乳 さ れ て い た . 早 朝 に 搾 ら れ た 牛 乳120
リットノレはカンピナグラ ンデへ出荷さj" L るが, 午後4
1
1
寺 に 搾 ら れ た 牛 乳70
リットノレはボケロンに送られチースJこ 加 工 さ れ る とし、う.ボ ケ ロ ン の チ ー ズ 生 産
V
i
1970
年 代 に 著 し く 増 加 し た .1980
年 に は350
ト ン の 生 産 が あ り ( カ リ リ ス ベ ー リ ョ ス の3 3 %), こ れ は ウ ン ブ ゼ イ ロ に 次 ぐ 規 模 で あ っ た . 大 き な チ ー ズ 工 場 が-l ! i lあるほか, 小 規 模 な チ ー ズ 、 製 造 所 は 郡 内 に 無 数 に 存 在 す る . こ れ は 牧 場 で 自 家 用 の い わ ゆ る コ テ ッ ジ チ ー ズ が 製 造されているカミらである.m
-
3 i9
j:
程 農業1980
年 農 業 セ ン サ ス に よ れ ば , ボ ケ ロ ン 郡 に お け る 作 物 作 付 開 積 は1. 4
万h
a
で , 総 農 地 面 積 の1 5 %
を 占 め て い た . XUE N iセセャ Q PPP
第5表 ボケロン郡における作物栽培面積の推移
1970年 QYWUセ 1980生F ]YXWセQ
fI
=
4
吻而 栽
(h
a
積培)生産量 栽 而
(h
a
積培〉生産量 栽 而
(h
a
積エ)古生産量 I 而
k
(h
a
t
積)f
f
: LQItfを
(t) (t) (t) (t)
トウモロコシ 4,005 ,1001 2, 628 1,072 329 76 8,000 ,] 600
豆( フェジョン) 4, 163 628 2,196 602 333 56 8,000 960
料( 多年生〉 ?
127 345 304 387 39
綿( 一年生〉 2,935 755 ,1096 339 290 54 80 20
ノ〈ノレてず ? 66,741 ?
108,115 ? 134, 180
トてP ト ?
1,387 119 6, 736 ? 12,835 250 8,000
パナナ
。
110中 9 11,000ギ 2 ,1 000*
] 00 80,000中ピーマン ? 2 ? 1,270 ? ,1361
アガベ ?
1
,178 624 130 266 150 96
スイカ 28※ P
。
5 10※ホ : 1芳 ※ : ,1000個
h
a
存在した.最大の[ 市街をI:!:iめる作物はトウモロコシで,
1987
年には8
,0
0
0
h
α
に 達 し て い る . フ ェ ジ ョ ン 豆 は 一般にトウモロコシと混作されるため, トウモロコシと時様の面積が記録されている.
1980
年 に は , 当時 深 刻 で あ っ た 早j訟のために, トウモロコシとフェジョンは
1970
年 お よ び1975
年 の 水 準 を 大 き く 下 回った. つまり, トウモロコシとフェジョンは1975
年 セ ン サ ス の 栽 培 面 積 の そ れ ぞ れ1 3 %
,1 5 %
に激減しており,
1987
年の栽培面積と比較すると, それらの減少はさらに顕著である ( 第5
表). パライパ) [
I
下流のアグレステに位置するサノレガドデサンフエリッグスでは, この皐魅11寺でもこれら二作物の作 付 市 積 が
1975
年 の 水 準 を 若 干 下 回 る 程 度 で あ っ た の と 比 較 す る と , 木 地 域 が 早 魁 の 被 害 を 直 接 被 るセノレトンの特徴を示していることが理解できょう. この早舷後, こ れ ら の 作 物 の 作 付 面 積 は 充 分 に 毘
復 し 現 在 に 至 っ て い る
QYXU カ カ セ↓
2
,2
0
0
h
α
で、あった. ブラジノレの綿作地帯に大打撃を与えた綿虫ピクー ド の 害13) が減少していることから, 近年, 一 年 生 綿 花 が 再 び 増 加 し 始 め て お り , 現 在 で は 殆 ど 多 年 生 綿 花 か ら 一 年 生 綿 花 に 変 わ っ て き て い る こ と が 景 観 的 に 認 め ら れ た .
i
;
主季の家南飼料ーとして重要なパルマは,1970
年以降漸増傾向にあり,1980
年 に は13
万 ト ン 以 上 の 収穫 が あ っ た . これは,
1970
年および1975
年の数値を大きく上回っており3 早 魁 時 の 家 畜 飼 料 と し て パノしマの重要性が理解で、きる. パノレマr .IHeこは,パノレマが小さい時には,間作としてトウモロコシ・フェ
ジπ ン( あるいはファーパ) とともに綿花が栽培されるので,パノレマの栽培荷積はかなり広い. モラ
ドーノレがパノレマr . 1l l にトウモロコシ・フェジョンおよび綿花を栽培した場合,それらの収穫は彼らの所
有 と な る の で , 大 き な フ ァ ゼ ン デ イ ロ は そ ラ ド ー ノ レ ( 分 益 小 作 人 ) に ト ウ モ ロ コ シ ・ フ ェ ジ ョ ン を 栽
培させることによって,乾季の家畜飼料であるノミノレマの女! 日を自然に拡大できるわけで、ある( 写真1 ).
こ れ ら の 非 穣 蹴 作 物 に 加 え て , ア ス ー デ ・ ボ ケ ロ ン と そ の 下 流 の パ ラ イ バ )[1の水を利用して,
1970
年 代 以 降 , 港 政 農 業 が 積 極 的 に 行 わ れ て き た . トマト, ピーマン,パナナがその中心をなしており, こ れ ら の 潜 政 作 物 は い わ ば カ ー チ ン ガ の 中 に あ る 緑 の 島 で,J寄! 到の落葉したカーチンガと著しいコン
トラストをなす.
I V ポ ケ ロ ン の 濯 潔 農 業
J V- 1
部概農- 地の分布ボ ケ ロ ン
1
m
に お け る 港 政 農 業 の 発 達 は , 港 政 農 地 面 積 の 増 加 に 明 確 に 現 れ て い る . 農 業 セ ン サ ス に よ れ ば , 潜j就農地面積は1970
年には50
加で、あったが,1975
年 に は9
2
h
α
へ , さ ら に1980
年 に は3
8
8
h
α
に 増 加 し て い る . 濯 瓶 農 家 数 も1975
年の94
戸 か ら1980
年の117
戸 へ と 着 実 な 増 加 を み せ た . 港 紙 農 家 は 総 経 営 体 数1
,990
の5
.
6 %
に あ た り , 農 家 一 戸 当 た り の 平 均 穣 瓶 菌 積 は3
. 3
h
α
で、あった.E MA T E R
の 協 力 に よ り わ れ わ れ が 確 認 す る こ と が で き た 濯 就 農 家 は26
戸であり, そ れ ら の 擢 概Cコ
事 1
o
21¥1n第3図 ボケロンj謁辺の擢i抵農場の分布 アンケート調査による.
図i二jコの番号は第6表の農家番号に対応する.
ア ス ー デ の 南 岸 に 多 く , 湖 岸 か ら
2
km以 内 の 範 聞 に 立 地 す る . ま た 数 カ 所 の 擢j段; 農場が近接して立地 す る 傾 向 が 認 め ら れ る . 一 般 に , 収 穫 物 を 早 く 搬 出 す る 必 要 が あ る た め , 道 路 へ の 近 接 性 が 擢 瓶 農 地 の 立 地 の 重 要 な 要 因 で あ る . ミラドーノレとタツーなとやはIh'lさ を 越 え る 未 舗 装 の 坂 道 が あ る た め , 水 の 使 は よ く て も , 近 接 性 は よ く な い .濯 j銃農業は, I佐自三主! 己の所有1地也i内ブ巧ヨで、行
い.
1
借昔地料料' は圏場と水j源 原 と の 距 離 , 地 形 , 土 壌 , 植 生 な ど の 条 件 に よ っ て 異 な る が , 平 均 す る と 1 収 穫 当 た り1 h
a 5
,000
クノレザード程度1わであるという. こ の よ う に 借 地 料 が 安 い こ と に 加 え て , 漉 蹴 可QYセ
ェ M
の収穫後に} ] ! J の場所へ移動することが多い.
日
1 - 2
i
濯 蹴 作 物 と 擢 概 方 法i
濯就農業の中心はトマト, ピーマン,ノくナナである.I BGE
統計十こよれば,1987
年 に お け る 作 付 商第6表 農 場 別 構 成 作 物 栽 培 荷 積 と 水ih
T
i
の位置農家 滞i j既
f
f
=
物 ( ha) 濯 ftJ!t 用 オぇ番号 ト マ ト パ ナ ナ ピーマン その他 i iコL 7J( 原.1 ゥャャャセ HュI 線 高 差( m)
01 10. 0 2. 0 2. 0 一 年 生 綿 花 20. 0 34. 0 a) R P 250 35
AB 2,000 60
AB 200 40
02 8. 0 2. 0 スイカ 5. 0 17. 0 AB
マラグジャ1. 0
ブドウ1. 0
03 10. 0 3. 0 13. 0 AB 2,000 60
04 3. 0 7. 0 2. 0 12. 0 AB 500 55
05 6. 0 2. 0 スイカ 2. 0 10. 0 R P 250 35
06 9. 0 9. 0 AB
07 3. 0 3. 0 キャベツ 2. 0 8. 0 AB 250 40
08 7. 0 7. 0 AB
09 5. 0 2. 0 7. 0 A B
10 5. 0 2. 0 7. 0 A B 700 40
11 2. 0 ソノレゴ- 4. 0 6. 0 A B
12 1. 0 1. 0 トウモロコシ 3. 0 5. 0 A B 300 25
] 3 1. 0 3. 5 Jijセ oN 5 5. 0 AB 200 20
14 3. 7 ソノレコ- 1. 0 4. 7 AB 200 30
15 4. 0 4. 0 a) AB 200 40
b) AB 450 55
16 4. 0 4. 0 R P
17 3. 0 1. 0 4. 0 AB 1,600 40
18 3. 0 3. 0 AB 500 50
19 3. 0 3. 0 AB
20 2. 0 2. 0 A B
21 2. 0 2. 0 AB
22 1. 0 1. 0 2. 0 AB 2,000 60
23 1. 5 1. 5 AB
24 1. 5 1. 5 AB
25 1. 0 1. 0 AB
26 1. 0 1. 0 AB
ぷ与Iコ
、 セエ 63. 0 44. 7 21. 5 39. 5 173. 7
AB: ア ス ー デ ・ ポ ケ ロ ン RP: ノミライパ)11 農 家 番 号 は 第3[玄! に対応する.
ア ン ケ ー ト 調 査 お よ び E MA T E Rの資料による.
い て み る と ( 第6
表)
, トマト 63. 0ha, パ ナ ナ44. 7ha,ピ ー マ ン26. 5haで、あり,これら3作 物 が 総 濯j飯 田 穣 の7 7 %を 占 め て い る . 26戸 の う ち16戸 が ト マ ト を 栽 培 し て お り , ピ ー マ ン は13戸 , パ ナ ナ は11
も 栽 培 さ れ て は い る が3 栽 培 農 家 は そ れ ぞ れ
1
' "' -' 2
戸にとどまっており, ま だ 試 守 な 段 階 に あ る と いえよう.農 家 一 戸 当 た り の 漉 蹴 面 積 は 平 均
6
.
7
h
α
で あ る が , 濯 j銃規模は多様である.34ha
を持つl
番 農 家 を はじめ,1
0
h
α
以 上 の 農 家 が5
戸ある一方,2
α
h
以下を礎控1
ーする農家が7
戸 み ら れ る . 前 述 の よ う に 借 地耕作が多いため, ト マ ト や ピ ー マ ン が 栽 培 で き な く な る と , 加 の 耕 地 を 借 地 し て 栽 培 す る こ と に なる. トマトやピーマンを栽培した後には,綿花が作付される場合もあるし, トウモロコシ・フェジョ
ンが作付される場合もある.
こ の 地 域 に お い て は , 港 政 は 主 に 重 力 式 畝 間 冠 水 法 に よ っ て 行 わ れ て い る .
1980
年 の 農 業 セ ン サ スによれば, この重力法が
96
農家で、行われており, 次 い で 洪 水 法 が10
, ス プ リ ン ク ラ 一 法 が7
であった.
1975
年 に は , 重 力 法24
, 洪 水 法19
, ス プ り ン ク ラ 一 法5
で あ っ た の で , 前 述 の よ う な 港 政 面 積 の増加は,耕地の最高部まで揚水し,そこから水路に流して順次作物の畝! 習に導く重力式畝間冠水法の
普及によるものである. 一方,ノミライバ河111半でエレファンテなどを栽培する伝統的な洪水法は,
1975
年 か ら
1980
年 に か け て 減 少 し て い る . わ れ わ れ の 調 査 農 家 に お い て も , す べ て 重 力 式 畝 間 冠 水 法 あ る いはスプジクンラーによって濯滋を行っていた.i
事
法2
用 水 は , ア ス ー デ あ る い は パ ラ イ パ)1
1
から電動モーターによって揚オくされ3 導 水 管 に よ っ てi
車 場 に 導 水 さ れ る . 導 水 管 の 直 径 は15cm
,10C
l11,7
cm
の も の が 多 く , 一 本 の 導 水 管 の 長 さ は6
m
で,こ れ ら の 管 が つ な ぎ 合 わ さ れ て 使 尾 さ れ て い る . j震j銃 密 場 で は , つ な ぎ め を は ず す こ と に よ り , 導 水 管のどこからでも濯瓶用水を幹線導水路に導くことができる. また,分水ノくノレブにより,一度に
3
本の導水管に分流して水を利用する濯蹴方法も行ーわれている.
圏場では,
1
結託作業の人夫はエンシャーダ( 鍬) で、幹線導水路の土手を切り,8
m
四 万 前 後 の 小 区間 の 畝 j笥 に 用 水 が 由 る と , 再 び 土 手 を ふ さ ぐ ¥ こ の よ う な 作 業 を 順 次 繰 り 返 す こ と に よ っ て , 農 地 全
体の犠打誌が完了する. トマトやピーマンの焔では,擢滋用水は週
31
互lたっぷりと供給される. こうしゥ Sセ Z
光 を 受 け て 急 速 に 成 長 し , 多 く の 果 実 を 実 ら せ る . また濯 j就耕地には, Qャ⦅QセQセ N
さ ら に 消 毒 が 何 回 も 繰 り 返 さ れ る . こ れ に は サ ン パ ウ ロ 州 ポ ン ベ イ ア に あ る 日 系 企 業 ジ ャ ク ト 農 機 の 小型消毒器具が用いられていた.
これらの港瓶農家は他人的に小規模に濯瓶耕作を行っている場合が大部分で、あるが,近年,パライ パナ1'1政 府 に よ っ て 柴 田 i拐な港政事業も進められている. ボケ Iコン・ダムのすぐ下流のノミライパ)I1河岸 では,
1987
年3
月にベへ夕、、・グランデ・プロジェクトProj et o
Ver eda Gr ande
が 始 ま っ た . こ れ は州政府がパライパ)
1
1
に揚水ポンプ・ステーションを建設し, コp ノを入植させる事業である. 現在,左岸に6笹 所 , 右 岸 に7筒 所 の 合 計
13
I l 畠所のポンプ・ステーションが稼働あるいは建設中であり,各ステーションには5馬 力 モ ー タ ー の 揚 水 ポ ン プ が3基 な い し5基設寵されている (第 31玄│ 参照). 各
コlコノは
3
h
α
の土地を借地し,濯蹴; 農業を行う. ダムに最も近いステーション( 左岸) には5
セIセ ここには
3
基のポンプが据え付けられ,18ha
の 濯 蹴 農 地 に 水 を 供 給 す る こ と になる.
13
箇所のステーションによって,地域全体で、168ha
がj義政されることになるという.l V- 3
消u
低 農 場 の 経 営 事 例a ) パライパJ l I からの擢淑 (1) 伝 統 的 構 成 農 場
ボ ケ lコ ン ・ グ ム か ら 下 流 約
2
klllのパライパ)1
1
右 岸 に 位 置 す る こ の 農 場 は , カ ン ピ ナ グ ラ ン デ の 不 在 地 主 に よ っ て 経 包 ' さ れ て い る . 農 場 の 総 面 積 は6
0
h
α
あり,最近1
4
番 農 家 か ら 購 入 し た も の で あ る . 農 場)
1
す に ー の そ ラ ド ー ノ レ が 居 住 し 農 場 の 管 理 に あ た っ て い る .家畜の飼育が経営' の仁│ コ心で, パライパ川のパノレゼアにソルゴーを1
h
a
栽 培 し て い た も の で あ る が( 写真
2)
, そ の 飼 料 を 濯 概 す る た め の 導 水 管 を パ ラ イ パ )1
1
から延長して,長さ280m
,高さ3 2 m
まで渇 水 し て パ ナ ナ
i
芸1
3
. 7
h
α
が造成されている. itセj 沼; 政J0
j:
j也が斜
'Y
Jj
の 傾 斜 お よ び 、 土 壌 の 地 力 に よ っ て 選 択 さ れ て い る こ と を 示 す も の で あ ろ う . パ ナ ナ 閣 は 植 え { ナけから1 年 半 経 過 し た も の で あ り , そ の 下 に は フ ェ ジ ョ ン マ ー カ ー サ ー お よ び ピ ー マ ン が 半 分 ず つjセ このバナナ留の擢瓶は,合計週二[ I T] ,半分ず、つ行われるので,
J l i J -
開場は週一J iD
の濯淑となる. なお, この所有者は3
k J日東方のノ、マダに4
0
1
1
α
の 牧 場 を 所 有 し て おり, GMMQサゥセ N このように, ソノレゴーとパナナの j相就農業
は 牧
7
4
1
ーを中心とするファゼンデイ lコ ( 不 在 地 主 ) が 管 理 者 を 雇 っ て 直 営 し て い る 試 験 的 形 態 と い え よう
(2) ト マ ト と ス イ カ 農 場
こ の 農 場 ( 5番 農 場 ) も 前 述 の 農 場 と 向 様 , ボ ケ ロ ン ・ ダ ム か ら パ ラ イ パ )
1
1
下 流 に 遠 望 で き る 位 置 にある. こ の 港 政 農 場 を 中 心 と し た 作 物 栽 培 状 況 を 示 し た の が 第4図である. 2ィ。 セuiで 両 側 に ト マ ト 畑 が 広 が る 。 東 側 の ト マ ト は 支 柱 栽 培 で あ る が , 既 にj収 穫 は 終 了 し て い た . 一 方 , 西
セiii IQ ヲ セュャゥ |j ゥ イ。ZN YP E] で
収 穫 さ れ る と い わ れ る ス イ カ は , 間 も な く 収 穫 期 に 入 る と 思 わ れ た ( 写 真3 ). これらの濯蹴畑のほ ぼ 中 央 に あ る 作 業 小 屋 に は 化 学 肥 料 や 農 薬 が 置 か れ , 消 読 や 施 肥 が 行 わ れ て い た . 収 穫 期 に は カ ウ ナ
ウ パ や し の 葉 で 、 葺 か れ た こ の 作 業 小 屋 が , 収 穫 作 業 , 包 装 作 業 を 行 う 中 枢 施 設 と な る .
くこのスイカ
r
l
l
l
に は 昨 年 ト マ ト が 栽 培 さ れ て い た と い う の で , ここの輪作体系は, トマトからスイ カ, つ い で ピ ー マ ン あ る い は 綿 花 へ と 移 る こ と が 土 地 利 用 か ら 判 断 さ れ る . このj農農場の近くには,カか、
つ て ト マ ト がf
作F
付付- された知畑l
に品へ, さ ら に カ ー チ ン ガ に 戻 る と 考 え ら れ る .
こ の 農 場 の 港 政 水 は , 前 述 の パ ラ イ パ
)1
1
左 岸 に 設 置 さ れ た 揚 水 ポ ン プ ・ ス テ ー シ ョ ン か ら 供 給 さ れ る. ス テ ー シ ョ ン か ら 道 路 ま で 、 の 距 士2 5 0 m
で、あるが,そこからスイカ知! の最高部まで約350m
, 合計
6 5 0 m
ま で 導 水 管 が 延 び て い る . こ の 農 場 は 借 地 農 に よ っ て 経 営 さ れ て い る た め , 港 政 耕 地 の あ とセャ@
E 3 6
Z
E
0
3
セX@
セT
}
5仁
己
9撃
警
護
10 .11 + - t - 中+ + + 咋12 →『→ー吋四13E
コ
14 組・ 15-
立=
16第4 留 トマトとスイカ栽j音農場の土地利用
1 : トマト 2 トマト
0
1
又穫終了) 3 : スイカ 4 ピーマン 5 綿 花 6 : トウモロコシ十フェジョン 7 ・荒地 8 ・カーチンガ 9 空地 10 :コラノレ 11: 濯甑パイプ 12 :牧tlllr 13: アベロイス生担 14 : 作業小屋 15 : 住宅 16 : 道絡現地調査による.
b ) ア ス ー デ ・ ボ ケ ロ ン か ら の 擢 政
(1) 湖 畔 の ピ ー マ ン 農 場
ア ス ー デ ・ ポ ケ ロ ン の 北 側 , ボ ケ ロ ン か ら カ ノ ミ セ イ ラ ス へ 通 ず る 舗 装 道 路 沿 い に7番; 農場が立地す る. こ の 農 家 は ド イ ツ 系 で , 経 営 耕 地 は 舗 装 道 路 か ら ア ス ー デ ま で ほ ぼ 長 方 形 で
8
haの 広 さ が あ り3最 適 な 位 置 を 占 め て い る と い え る ( 第
5
図) • こ の う ち6
h
α
は 白 己 の 所 有 地 で あ る が , ア ス ー デ に 臨む
2
h
α
はD NOC S
からの借二地で、ある. こ の 農 家 を 含 め て , ア ス ー デ ・ ボ ケ1コ ン に 面 し た 農 家 で は ,D NOC S
か ら 無 料 で 借 地 し て 濯 瓶 操 業 を 行 う 場 合 が 多 い . 農 場 主 は こ こ で 操 業 経 営 を 始 め る t J 、 前 は ,/
o ! ( l Om畢覇 4 一 一- 5
8 = 9 H・H・10
第7表 溶if批j農場の経営動態
セAjZ@ J"ili (11a)
世?i;:主 家 族 j吉住
段吊二京号 消[立ii
d
抜耳1
9
i
有j也{
lf
{
主 i也 1]1] 土イ Jill IJI] (11故
j也 の 年 齢 員 数 年数
01 34. 0 34,0 20,0 40 ? Boquei r ao 12 Cat uri t e
02 17. 0 17,0 33 6 Boquei r ao 33 農 業 ・ 街 業
03 13. 0 13. 0 36 5 BoC]uei rao 36 農業
04 12. 0 15. 0( 10. 0) 28 2 BoC]uei rao 4 Pi raua 畜 産 05 10. 0 10. 0 35 7 Boquei r ao 17 Pi raua
07 8. 0 6. 0 2. o( 2. 0) つ 4 Boquei r ao 5 Campi na Gr ande H'!Z jJ正二[ . 10 7. 0 7. 0 37 5 Si ti o Tat u 37
12 5. 0 5. 0 20. 0( 20. 0) 59 12 Si ti o Bredos 10 Boquei r a
。
道路建設 13 5. 0 7, O( 7‘0) 53 13 Campo Redondo 11 Sol edade 農 業 14 4. 7 4. 7 60. 0 つ つ Si ti o J ussara 1 Campi na Gr ande bセGᅫ15 4. 0 4. 0 33 5 Boquei r ao 15 Nat uba 民業
17 4. 0 ワ つ 69 9 Si ti o Tat u 3 Campi na Gr ande 決業主h ¥設業 18 3. 0 3. 0 28 3 Boquei r ao 5 Macapar ana ( PE) 1託業
22 2. 0 2. 0 27 つ Povoado do 27
Mor i nho
( 10. 0) 括弧内の数鑑は, DNOCSからの情i世 間 積 を 示 す アンケート調査による.
変 わ り , 低 い
m
綾 部 か ら ア ス ー デ へ の 市i &斜 士 一 部 キ ャ ベ ツ が 栽 培 さ れ て い る 真4 ) . 港 政H
l
水は, M|G セQ Qi Qm} RUPュ RPュ シA ii
の 演 稜 部 に 揚 水 さ れ , そ こ か ら 重 力 式 で 、 順 次 地 淑 が 行 わ れ る . ピ ー マ ン は , 舗 装 道 路 沿 い の 臨 場 に 加
えて, ア ス ー デ に 出 し た D NOC S からのも引也で栽培されている. 湖岸に而したノミナナ│ 還は成IAIで あ
るが, セiャャ Qm} QUュ 立 体 農 業 が 行 わ れ て い
た . キ γベ ツ 専 用rlllは 収 穫 直 前 で あ っ た が , パ ナ ナ 閣 の 中 は 定 槌 し た ば か り で あ っ た . 1
α
h
当 た り の 収穫は, ピ ー マ ン が ほ ぼ1
,000
袋 , キ ャ ベ ツ は40
トンである. QYXVセ GfM6
月 に 新 陥 さ れ たも の で あ れ 年 間 の
1 h
α
当 た り の 収 穫 量 は40
トンであるというこの農場ーでは,当初j ト マ ト が 栽 培 さ れ た が , 忌 地 性 の た め パ ナ ナ と ピ ー マ ン を 栽 培 す る よ う に な っ た と 考 え ら れ る . 一 方 , 耕 地 の 東 は カ ー チ ン ガ で あ り , ピーマン士rI l とキャベツ丈111の北は,パノレマ
:
1
11[ となっている. これらのことから, セih ャ QIQ
いえ,土地利用方式は, トマト→ピーマン→ノ、ナナと変化してきたと考えられる
ス イ カ ・ パ ナ ナ 農 場
7番 農 場 か ら 湖 岸 に 沿 っ て こ の2番 農 場 に 行 く 途 中 に い く つ も の 濯 政 農 場 が あ り , ピーマン,ノサー ナ3 トマト等が栽j官 さ れ て い た ( 写 真5 ) パ ラ イ パ 大 学 の 実 験 農 場 に は オ レ ン ジ や レ モ ン の
i&
J
告も みられた. この2
番 農 場 は , ボ ケ ロ ン ・ ダ ム か ら 凶 方 に 臨 む こ と が で き る 半 島 の 先 端 部 に 位 置 す る 大 規 模 な 港 淑 農 場 で あ る ( 第31玄1 ,第7表) . 農 場 主 は ボ ケ ロ ン で 生 ま れ 育 っ た33放の男性で, 1;:と 4 人 の 子 供 と と も に ボ ケ lコン集落に住む. 総 所 有 地rfo積 は17ha
で, そ の 総 て で 潜 慨 が 行 わ れ て し 、 る ほ か,40
頭 の 牛 も 飼 育 し て い るこの農家の経営の仁
i
二I心はバナナ,スイカ, ピ ー マ ン で あ り , そ れ ら の 作 付 面 積 は そ れ ぞ れ 札1
2
h
a
で あ る . パ ナ ナ は1986
年5
月 に 槌 え ら れ た も の で , 最 初 の 収 穫 は 翌 年 の6
月 で あ っ た . ス イ カ は 9月に作付られたばかりで, 11月 か ら1月にかけて, 1α
h
あたり50
ト ン の 収 穫 を 予 定 し て い る . これ らに加えて, ブ ド ウ と マ ラ ク ジ ャ を そ れ ぞ れ1ィ セNi
J_Li
側 の 耕 地 に は ブ ド ウ , マ ラ ク ジ ャ , パ ナ ナ が 栽j脅 さ れ て お り , 南 側 斜 百i
にはスイカが5 ] : を出、したば か り で あ っ た . ま た ス プ リ ン ク ラ ー で 犠 殺 さ れ る ブ ド ウ │ 認 は1982
年に始まったものであるが,ほぼ王子 3IEi I収 穫 さ れ る ブ ド ウ が 芽 ぶ き し た ば か り で あ っ た . 一 方 マ ク ラ ジ ャ は , 2月 に 作 付 さ れ 第 l l dの 収 穫 は6
月 で あ っ た が , 新 た に 収 穫 が 始 ま っ た と こ ろ で , 多 く の 青 い 果 実 を 突 ら せ て い た . この農場! 与 には,モラドーノレの家が3
戸 あ り , 彼 ら と そ の 家 族 が 水 管 理 に あ た る . こ の 農 家 は 耕 地 が 広 く 半 島 部 に 位 置 す る と い う 特 性 を 生 か し 湖 面 の ど こ か ら で も 揚 水 で き る と い う 利 点 が あ る(3)
fM
{J m
撲 に よ る ト マ ト 栽 培ア ス ー デ ・ ボ ケlコ ン の 南 岸 に 位 置 し , ボ ケ ロ ン ・ ダ ム か ら リ ア シ ョ デ サ ン ト ア ン ト ニ オ に 通 じ る 道 路 に 沿 う ラ ジ ェ ス Laj es地IRは, われわれが知る範/ f !1:で は 湖 町 か ら 最 も 遠 い 港 政 耕 地 で あ る . 湖 岸 に 設 置 さ れ た 電 力 モ ー タ ー は
1
時 間 に85 n
1
を 揚 水 す る 能 力 を 持 ち , 距 離2
,0 0 0 m
, 標 高 差 に し て6 0 m
第
6
1
玄│に示したように, こ の 地i
玄 で は4!
i
庁 の 農 家 に よ り ト マ ト3 ピーマン, 一 年 生 綿 花 が 栽 培 さ れ て お り , そ れ ら は 第6
表 に お け る1
,3
,1
9
,2
2
番 農 家 に あ た る .3
番 農 家 は こ の 地 区 に1
7
0
h
α
を 所 有 す る 地 主 で あ り , トマト1
0
h
α
と ピ ー マ ン3 h
a
の 合 計1
3
h
α
の 擢 蹴 農 業 を 行 っ て い る . 彼 は ポ ケ1コン 出 身 の36
歳 で , 安 と3
人 の 子 供 と と も に ボ ケ iコ ン 集 落 に 居 住 し て お り,t
事政農業にか11えて,止│ 二6
0
頭,山 羊
30
班, ::'1': ' 2
0
0
頭 を 所 有 し て い る . 他 の3
n
の 農 家 は し 、 ず れ も 借 地 に よ り 制 作 を 行 っ て い る .19
番の 投 家 は ト マ ト を
3
h
α
栽 培 し て お り , ま た ,22
番 農 家 は2
7
歳の独身男性の経営' によるもので, トマト と ピ ー マ ン が1 h
a
ず つ 耕 作 さ れ て い る ほ か , 他の農場で、 L1二,山 羊 な ど の 家 省 飼 育 も 営 ま れ て い る. 一方, ] _番農家はわれわれが1i lf認 し た 中 で 最 大 の 港 瓶 面 積 を 有 し て お り , こ の 農 地 を 含 め て , 少 な く と も4
簡 所 に 分 散 し た 耕 地 の 合 計 は3
4
h
α
に 及 ぶ . こ の ; 農 場 に お い て は 綿 花 が 中 心 で あ る . こ の 地 主 は カ ト ゥ リ テ か ら1
2
年 前 に ポ ケlコ ン に 転 居 し て き て お り ;-1'(ケ ロ ン 都 市It
4
l1
に お い て 商 業 に も 従 事 し。
2 0 0 mセQ@ B J 2
正日
3図司
5 セg@区
芝
: 3
8亡
ヨ
9巴
コ1
0。
11 臨爾 12-・
・13 Eコ14 ... ゅ15
一
'- . 1 6! 仁
日
17仁訂
18仁
[
]
19仁訂
20 = 2 1第6菌 ラジェス地区の擢
w
t
耕地の土地利用1 トマト 2 : ピーマン3 綿 花 4 バ ナ ナ 5 パルマ 6 トウモロコシ
7 :セjェ 8 : カーチンガ 9 牧 場 10 : その他 11: アスーデ 12 : 住宅
1 3 : 濯 甑 パ イ プ 14 : 作業小屋 15 :JJ""l 1 6 : 所 有 界 17 :i'F付中 l凶8 :)成i克
x
立2;育仁セc
こ の よ う に , 合 計 す る と こ の 地 区 に は ト マ ト は
14h
o
, ピーマンは4
1
閣制作されている. ピーマンは 収穫中であったが, ト マ ト に つ い て は , 植 え 付 け た ば か り の *111,収穫中の知! ,収穫終了したと忠われ る知1,および未成閣の4種類がみられた. このことは, ト マ ト と ピ ー マ ン は ど の11羽 却 で も 栽 培 可 能 で あることを示しており,1
植え付け後は9
0
'"
"
-'
1
2
0
E
l
で収穫が可- 能となるトマトは,I
重p
易 を 変 え て 年 に2
'""-' 3
1
9
]
収穫され, 一 方 ピ ー マ ン は 年2
1
互l収 穫 さ れ る と い う .1
hα1
収穫あたり, トマトは4
0
' ""-' 5
0
ト ン, ピーマンは1
,000
袋 の 収 穫 が 標 準 的 で あ る . トマト栽培には支柱栽培と4
W
;
支 柱 栽 培 の2
種 類 が あ NI ャセ ' " 、られる木はカーチンカボを構成しているマノレメレイロであり, 同 じ く カ ー チ ン ガvこさi
ミえている, アカ、ベに似たマカンビーラの繊維カノレアによって, トマトと支柱は臨められている. なお,
収 穫 が 終 了 し た 支 柱 栽 培 の ト マ ト 畑 に は2 トウモiココシが植えられていたので, こ の ト マ ト 加 は ト ウ
セiiャ N 2'""-' 4Iセ WGBBMG
1
0
月に収穫を述える. ここでは, }ェ セihた.
Zェ | ゥ セiii
ェセャヲャ
花の
:
1
1ll qこ バ ナ ナ が 期 刊 誌 さ れ て い る こ と は , 将 来 的 に こ の 土 地 が フ ァ ン ゼ ン デ イ ロ の パ ナ ナ 留 に 変 わ る こ と を 示 唆 す る も の で あ る (写真7) . 従って,濯蹴農地の土地利用は, 一 般 的 に ト マ ト → ピ ー マ ン → 綿 花 → バ ナ ナ のj績 で 輪 作 さ れ る も の と 考 え ら れ る . 事実, ラ ジ ェ ス の 南 西 約9
kmの タ ツ -Tat
白地区では, カ ー チ ン ガ が 伐 採 さ れ 有 用 材 が 取 りi捻かれ, シキシキ Xi quexi que, ファシェイ 1コなどの サボテγ 類 と カ ー チ ン ゲ イ ラ , ベ レ イ p ジ ュ レ マ の 校 が ま と め て 焼 か れ た 後2 す ぐ に ト マ ト 栽 培 を
iセュ N ャ
ピ ー マ ン , 綿 花 を 栽 培 し た 擢 瓶 農 地 の 名 残 で あ る と 言 え よ う .
]¥1
-
4
地j説作物の出荷形態と! : 弘前先農産物の収穫と出荷作業は, Iヨ い 労 働 者 に よ り 手 作 業 で 、 行 わ れ る . ト マ ト の 収 穫 労 働 者 は , わ れ われの調査│時点で、は日給
700
クノレザード ( 最低賃金月額2
2
,0
0
0
' ""-' 2
4
,000
クノレザード〉で労働に当たっ ていた. 各労働者は, もぎ取ったトマトを箱に詰め,対IIの一回i
に 設 け ら れ た テ ン ト 小 屋 に 運 び , そ こ で 空 け る と い っ た 作 業 を 繰 ワ 返 す . そ のi
氏 テ ン ト 小 屋 の 管 理 者 か ら メ ダ ノ レ を 一 回 に つ き 一 個 受 け 取り,そのメダノレの数によって加算金額が加えられる. テント小屋のに│ コでは,別の労働者によってトマ
ト の 選 別 ・ 箱 詰 め 作 業 が 行 わ れ る . 木 箱 の 隙 間 か ら 見 え る ト マ ト が7個並べ, 8個並べ, 9{Iei並べと い っ た 具 合 に 大 中 小 の 等 級 に 区 分 さ れ , 一 杯 に な っ た 木 絡 は 他 の 労 働 者 に よ っ て 箱 打 ち さ れ る . 箱 詰
め さ れ た ト マ ト は , 一 箱
2
0
キログラムあり,400
クノレザード前後で、仲買商人に販売され,それらは大都 市 の 公 設 の 中 央 卸 売 市 場 ( セ ア ザ