• 検索結果がありません。

サンフランシスコ講和50年-21世紀の安全保障問題

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "サンフランシスコ講和50年-21世紀の安全保障問題"

Copied!
14
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

著者 渡邉 昭夫

雑誌名 同志社アメリカ研究

号 38

ページ 13‑25

発行年 2002‑03‑20

権利 同志社大学アメリカ研究所

URL http://doi.org/10.14988/pa.2017.0000001423

(2)

〈司会(山内信幸/アメリカ研究所長)

本日はタイムリーな話題になるかと思いますが、

民間シンクタンクの平和・安全保障研究所理事 長、東京大学名誉教授の渡邉昭夫先生をお招き いたしました。本年はサンフランシスコ講和条約が 締結されて50年の区切りある年でございます。ま た9月11日の痛ましい事件も踏まえて、21世紀にお いて我々がどういう方向に行くべきかが問われて いる時ではないかと思います。先生のご専門で ある安全保障問題について、テロの問題につきま してもご言及いただけるのではないかと思いま す。なお本日の司会は本研究所教授であります細 谷正宏先生にお願いしております。それではよろ しくお願いいたします。

〈細谷〉

アメリカ研究所では毎年春と秋に内外の著名な 方をお迎えして公開講演会を行っております。アメ リカ研究所は1958年に設立されましたが、研究所 の活動として、公開講演会のほかに、6つの研究プ ロジェクトを推進するとともに、アメリカ研究に関す る蔵書、マイクロフィルム、ビデオなどを含めまして、

その収集をしてまいりましたが、現在約6万冊ほど 所蔵しており、これはアメリカ研究に関する資料と しましては、質量ともに、日本で最高を誇ると自負 しております。アメリカ研究にご関心のある方は是 非一度ご覧になっていただきたいと思います。

本日はアメリカ研究所の秋の公開講演会に渡 邉昭夫先生をお迎えすることができまして、誠に 光栄に思います。渡邉先生は大変著名な方であ りますので、詳しいご紹介は必要ありませんが、簡 単にご紹介させていただきます。渡 邉 先生は1932 年に千葉県にお生まれになりました。58年東京大 学文学部を卒業され、その後60年同大学院文学 部で修士号を取得され、62年には明治大学大学 院政治経済研究科修士課程を修了され、政治学 で修士号をとられました。それからオーストラリア 国立大学に留学され、66年同大学で国際関係博 士課程を修了されました。その後、香港大学歴史 学でLecturer、71年明治大学政治経済学部専任 講師、73年同助教授を経て、75年には東京大学 に移られ、教養学部助教授、78年に教授になら れました。93年3月に東京大学を退職され、名誉 教授となられ、同じ93年4月に青山学院大学国際 政治経済学部教授に就任され、2001年3月ご退 職になられました。昨年4月から民間のシンクタン クであります平和・安全保障研究所理事長をされ ておられます。

渡邉先生の研究業績はまことに数多く、オース トラリア国立大学に提出された博士論文として書 かれた、沖縄問題に関する英文の著作および日 本語の著作をはじめとして、『戦後日本の対外政 策』『サンフランシスコ講和』『アジア・太平洋の国 2001年11月19日、アメリカ研究所はサンフランシスコ講和条約締結50周年を記念し て、渡邉昭夫氏(平和・安全保障研究所理事長、東京大学名誉教授)をお招きし、同志 社大学神学館礼拝堂で公開講演会を開催した。講演は、ニューヨークの世界貿易セン タービルに対する9月11日の自爆テロという、新たな事態を視野に入れた、きわめて興 味深いものとなった。以下はその講演記録の全文である。

渡 邉 昭 夫

(3)

際関係と日本』『戦後日本の宰相たち』『現代日本 の国際政策』『日本の近代 8 大国日本の揺らぎ 1972―』『グローバル・ガヴァナンス』ほか多数ご ざいます。こうした単著、共著、編著のほか、数え 切れないほどの論文を日英両語でお書きになっ ておられます。

ところで、本日お話いただくサンフランシスコ講 和条約は50年前締結され、発効は来年の4月で5 0年になります。ほんの数日前ですが、11月15日 付の朝日新聞の報道によりますと、外務省が公開 した平和条約と日米安保条約をめぐる日米交渉 の記録、「平和条約の締結に関する調書」の中に、

吉田茂首相が日本と朝鮮の非武装地帯条約案を 交渉直前に政府案から外して、米国の基地使用 権の提供を日本側から申し出た経緯が載ってい るそうであります。こうした歴史的記録が今になっ ても新たに発見され、それによって新たな歴史の 一面が解明されるわけですが、このように50年前 のことでもすべて解明されているわけではないと いうことであります。また、独立回復後の日本の基 本的枠組はアメリカの対日占領政策に左右された わけでありますが、今日の日本および日本周辺の 安全保障問題も日本の占領期まで遡らざるを得な いわけで、おそらく今日の渡邉先生のお話の起点 にもなるかと思われます。それに本年9月11日のア メリカの世界貿易センタービルに対する自爆テロ 事件の発生によって、国民の安全や国家の安全 保障について、根底から再検討しなければならな い、まったく新しい事態に直面することになりまし た。こういう古くて新しい問題をお話ししていただ くのに最適のかたが渡邉先生でございます。この ような問題をテーマとした公開講演会に渡邉先生 を今回お招きすることができまして、大変光栄に 存じます。それでは、渡邉先生、よろしくお願いい たします。

〈渡邉〉

ご紹介にあずかりました渡邉昭夫でございま す。大変美しい時期の京都、美しい同志社大学 のキャンパスにお呼びいただきまして大変光栄で ございます。いただきました題は「サンフランシス

コ講和50年―日本の安全保障問題」という贅沢 な題です。2001年9月8日にサンフランシスコで対 日講和50周年記念の催しがございました。その後 すぐニューヨークで世界貿易センターのテロリスト の自爆がございました。前の事件は過去にかか わることであり、後の事件は未来にかかわる事件 であるということで、2001年9月というのが過去を 振り返り、未来を動かす歴史における分水嶺のよ うに思います。これまでの半世紀を振り返り、今 後を展望するという時であります。その際、時代 を4つに区分し、それぞれの時期における世界の 安全保障問題への日本のかかわり方について辿 ってみたいと思います。

第一の時期は「戦後」。第二の時期は「冷戦」。 第三の時期をもう一つの戦後、すなわち「冷戦後」

と呼ぶ。そして最後に「9月11日以後」。人によっ ては、この時期を「もう一つの冷戦」という見方で 語っている人もおります。最初の3つが過去にか かわることであり、最後が未来にかかわることで ある。この大きなテーマについて、いただいた時 間の中で駆け足になる恐れがあると思いますが、

私の考えをお話してみたいと思います。

戦後という時代は講和以前にかかわるわけで、

1945年の敗戦から占領期を経て講和へと至る数 年間になるわけです。今日の題が「講和後50年」

であるにもかかわらず、あえてそれ以前に遡る理 由は、この時期に新憲法、第9条が制定された。

そのことが未来にもかかわりを持つ問題だと思い ますから、どうしてもそこへ戻らないといけない。

最初にごく簡単にその話からさせていただきます。

全体を通じて、この4つの時期、それぞれの時 期の世界の安全保障に対する主な脅威とはどう いうものであったか。そしてそれに対処するための 同盟の性質、パターン、その中での日本の役割は 何であったか。この3つの項目について述べてい きたいと思います。

第一の世界の「安全保障」について。この時期 は日本、ドイツに代表される軍国主義、あるいはフ ァシズムという言葉が使われることがありましたが、

それが世界の平和を脅かす主な脅威であると考

(4)

えられた。それに対する同盟の性質は、民主主義 諸国の大同盟であり、その組織として国際連合が できたということになります。第二次世界大戦は一 方におけるファシズム、それに対する民主主義の 連合であるという形をとったわけです。アメリカの 大統領の言い方によると make  the  world  safe for  democracy というスローガンが掲げられたわ けです。しかし果たして国際連合の中心的なメン バーになった5大国、未だに国際連合の安全保障 常任理事国になっている5大国というのが果たし てその名に値するかどうか。民主主義の名に値す るかどうか、ソ連、中国、当時の中国は国民党で すが、それが民主主義に値するかどうかは疑いが 残りますが、少なくとも民主主義の大連合がファシ ズムを倒し、その後に新しい戦後の秩序をつくる 柱として国際連合をつくったとされたわけです。

その時期における日本の役割は何か。日本が 無害な国になるということです。占領軍の政策が 二つのD。「民主化(democratization)」と「非軍事 化(demilitarization)」ということであったと思いま す。もう一つ私はDを加えたい。DDTのDです(笑 い)。シラミ退治で頭からDDTをぶっかけられた わけです。これまた日本を無害化するための一手 段だったのかも知れません。言うまでもなくこの中 から生まれてくるのが新憲法であり、平和憲法と 言われる第9条の問題であるわけです。私の考え では、このようにして生まれた新憲法は、国際連 合憲章と同じ時代精神の現れである、「双子であ る」という言い方がいいか、「兄弟である」という言 い方がいいか。言い換えるならば「自衛権を否定 しないまでも、その発動を極力制限しよう」という のが1928年の不戦条約であり、少なくとも言葉の 上、精神の上ではそれが引き継がれて国際連合 憲章の中に、そのような言葉として生き残ります。

ほとんど同じ言葉が日本国憲法の中にも書き込ま れることになったと思います。

しかるにこの大同盟はまもなく瓦解し始めて、

二つの世界への分裂、対立になります。しかしい ずれも民主主義国であると主張する。片方は「自 由民主主義」、他方は「人民民主主義」であるとし

てお互いに「民主主義の本家はこちらである」と言 って張り合うという構図であったと思います。その ようにして冷戦が始まります。冷戦の始まりをどこ におくかという問題には今日は入っていかないこ とにいたします。

問題は日本が冷戦といかにかかわるかです。そ れに対する正式のコミットメントが、今から50年前 サンフランシスコで締結された講和条約であり、そ れと同時に締結された日米安全保障条約であり ます。やがて1960年に改定されます。改定前の 安保条約を旧安保条約、現在のものを新安保条 約と申します。こういう形で冷戦という世界の中 に日本が入っていきました。当然、世界が二つに 引き裂かれるわけですから、国際社会の主たる 脅威とは何かということも、全く正反対の見方に なりますが、我々はその片方である西側陣営に加 担したということで、以下の話はそちらから見た話 になります。

脅威の性質、国際社会を脅かす主たる脅威の 性質は何か。それは「国際共産主義」であり、そ れを体現するソ連であり、中国であった。そういう 脅威に対するための同盟の方は「自由諸国の協 同防衛」と言っているわけです。因みに自由諸国 の協同防衛という表現は、当時の吉田茂の言葉 であります。吉田茂に『大磯随想』という本があり ます。何回かに分けて気楽におしゃべりしたもの を英語にして朝日新聞の英字雑誌である『This  is Japan』に載ったものです。中央公論文庫になって います。それを本屋が再販したいということで簡 単な解説の文章を頼まれまして、やがて出ると思 います[吉田茂『大磯随想』(中公文庫、2001年)]。

その中で二つ面白い話があって、今でも注意を 向ける必要性があると思われるものをそこで触れ ておきました。その一つが「自由諸国の協同防衛」、 もう一つは「中国への見方」です。

さて、自由諸国の協同防衛の中で日本の役割 を象徴するのが安全保障条約であり、やがて60 年に改定され、新安保になるものです。旧条約も そうですが、改定された新安保の第6条は後ほど 触れることになると思いますが、それらに規定さ

(5)

れている「基地の貸与」、在日米軍の基地を提供 するのが日本の役割だということです。

ここで国連との関連で少し触れたいと思いま す。日本が国際社会に復帰する場合、今から50 年前の9月に締結した「対日講和条約」は不完全 であるということになります。なぜならば世界はす でにこの時点で対立状況にあり、その一方との講 和という形をとったからであります。日本の世論も この問題については激しく分裂いたしました。反 政府、反吉田陣営の側は、どちらも民主主義と言 っているわけですから「民主主義を守れ」「反吉 田」の旗を掲げて反対した。その時のスローガン が「全面講和」でした。吉田内閣が結ぼうとしてい るのは講和対象の片方だけである。「片面講和」

「部分講和」と言ったりしましたが、数の上では1 対1ではなく、大きな差があるが世界全体でない ことは間違いがない。そこで「全面講和をしなけ ればいけない」というのが反吉田陣営のスローガ ンでした。

講和条約が発効した52年の翌年、53年の春、

私は大学に入りました。講和から2、3年たってい ますが、そういう空気が世の中、若い学生たちの 間にはまだ残っておりまして、当時私は、東京大 学の駒場寮におりましたが、歩いて10分くらいで 渋谷の街に出ます。そこに昔懐かしい恋文横丁 という飲み屋街がありました。アメリカ兵がやって くる。女性への恋文を代筆する代筆屋がいて、や りとりがある。それを素材にした獅子文六の『恋 文横丁』という小説が出たりしました。その一角に ささやかな飲み屋がありまして、その名前が「全面 講和」でした。そこに若い勇ましい労働組合員や 左翼学生が集まって安酒をあおっては反吉田の 気勢をあげていました。何を隠そう、私も出入りし ていた時代でございます。

そういうように多くの人は日本が国際社会に復 帰するといっても、何かまだ十分な形で復帰して いないと感じていたわけです。これは全面講和 論者だけでなく、やむをえず、部分講和を選択し た政府やその支持者たちもそうだった。したがっ てより完全な形で日本が国際社会に復帰するに

は国際連合に日本が加盟することだ、「国連加盟 が我が国の念願である」と言われたわけです。そ のため布石の一つとして、まず日ソ交渉が行われ ました。ソ連が国連で拒否権を行使することによ って日本の国連加盟が閉ざされていたわけで、日 本が国連に加盟して、より完全な形で国際社会 に復帰するためには、もちろんそれだけが目的で はありませんが、日ソ交渉をしようということになる。

日ソ交渉の一つの条件として、ソ連は日本の国連 加盟に反対をしないということになったわけです。

「日ソ国交正常化」と「日本の国連加盟」が、ほぼ 同時に1956年の終わり頃、成立するわけです。

鳩山一郎内閣、重光葵が外務大臣でした。当時 の新聞は大変に高揚した気分で「遂に念願の国 連加盟がなった」と書いています。

第一の時期、戦後の出発点になるのが国際連 合ですね。1945年、アメリカのサンフランシスコで 国連成立会議がもたれます。それから数年後、同 じくサンフランシスコで講和条約が結ばれた。こ の二つの重要な国際会議、二つのサンフランシス コ会議を比べてみると大変面白いと思います。と いうのは、本来、対日、ドイツ、枢軸国と戦った戦 争の勝利者たる連合諸国がつくったのが国際連 合です。ドイツのことは別にして、日本が旧敵国で ある連合諸国と和解をして講和を結ぶということ であれば、当然、国際連合をつくった諸国が相手 であるはずです。国際連合をつくった原加盟国は 51か国だった。数年後、対日講和条約を締結し た国は日本を除けば48か国ですから、ほぼ重な るわけで、あたりまえといえばあたりまえです。ただ しよく見てみると国連創立に参加した51か国のう ち9か国は対日講和条約に参加していない。参加 を拒否した。ソ連とチェコとポーランドの3か国は 対日講和条約には出席したが、署名を拒否した。

ユーゴスラビアとインドが中立主義の立場をとって 参加しなかった。その他ベラルーシ、ウクライナは 参加しない。デンマークは中立国であった。中国 は特殊な事情で参加しない。この9か国が第一 回目の国連創立のサンフランシスコ会議に参加し た51か国の中から対日講和条約には抜け落ちる

(6)

ことになります。その代わりに、国連創立時には 登場していなかった6つの国がこの数年の間に独 立を達成し、対日講和条約に呼ばれています。イ ンドシナ三国(ベトナム、ラオス、カンボジア)とイン ドネシア、スリランカ、パキスタンです。果たしてど れだけ対日講和条約に呼ばれる資格がこれらの 国にあったのかという議論をし出すと細かい点が 出てきますが、それには立ち入りません。

このようにいろいろ出入りがあるわけですが、

当時はそういう国々が国際社会を構成している顔 ぶれであったということです。それから数年して日 本は国連に参加することになるわけですが、その 時点までに20いくつかが新しく独立国として国際 社会に登場してきますので、日本は第80番目の国 連参加国であったということになります。さらにそ れから何十年かかって今では約190の国が国連 のメンバーになっています。

こうして敗戦国としての日本は二つのステップで 国際社会に復帰していったわけです。しかしその 時点では、すでに国際社会は二つに引き裂かれ ていた。国連は本来、一つの世界、One  World を前提としてつくられた国際安全保障のための機 構であった。理論的には国連に依拠して日本の 安全保障政策を考えるという立場がありうるわけ です。しかし他方、現実には当時、世界は分裂し ているわけで、二つの世界になっている。そのう ちの一つ、西側、アメリカを中心とした同盟のネッ トワークに参入する形の安全保障政策を日本は 選択した。「全面講和」か「部分講和」かという対 立も、このことに深い関係があるわけで、当時の 日本の安全保障政策について簡単に言うと、一 方は「国連UN」、片方は「アメリカUS」である。確 かにこの二つの間にはある種の緊張関係があっ たということになります。現に、それから間もなく岸 内閣になり、日本の外交政策がどのようなもので あるかを正式に記述した文書が出るようになりま すが、最初の外交青書では、日本の外交政策の 3つの柱が載っています。一つは「国連中心主義」

であり、もう一つが「自由陣営との協力」である。

もう一つが「アジアとの善隣」となっています。

「国連中心主義」と「自由陣営との協力」が、ど ういう関係に立つのか。両立が難しいのではな いかということが当初から議論されていたわけで す。より広い意味での対外政策を考える場合に は、もう少しこの問題を議論しないといけないこと になりますが、こと日本それ自身の安全をどう守る かということに関する限り、答えは明確です。「US」

である。「日米安全保障条約」「日米同盟」が日本の 選択であったということになります。

そこでさきほどの吉田茂の言葉が出てくるわけ で「自由諸国の協同防衛」であると。ここで少し私 の理解する吉田氏の考え方を述べますと、彼は

「憲法9条でまともな軍事力をもがれた日本だから アメリカに依拠するしかないではないか」という形 で、この問題を考えていたわけではない。そうで はなくて、彼によれば「アメリカもイギリスもフランス も、今やすべてが自由陣営の協同防衛を選んで いる時代だ。時代の特徴なのだ」と言って「日本 だけが特殊なのではない。その意味では対等な 取引関係が成立しているのだ。したがって、何も日 本はアメリカに対して卑屈になる必要はないので あって、アメリカと日本には利益の上ではバランス がある。その上に立って堂々とアメリカと対応すべ きだ。現にイギリスはアメリカとやり合っているでは ないか」ということです。力の上では明らかな格 差がアメリカと我々との間にはある。同じようにア メリカとイギリスの間にもある。しかし、だからとい って、利益のバランスがとれていないというわけで はなく、我々が一方的に借りているわけではない のだという考え方です。

現実にその後に展開したことを見ますと、残念 ながらそのようにいかないことが多かった。それ は一つには少なくとも、見かけの上では日米の安 全保障関係は明らかにワンサイドであった。「片務 性」の形をとっている。なぜかというと、確かに吉 田氏が言うように日本だけではなく、アメリカとヨー ロッパ諸国にも同じような関係がある。そこでアメ リカと西欧諸国、NATO、北大西洋条約を見てみ ますとどうなっているか。形式上は「相互性」の形 をとっています。「協同防衛」、互いに助け合うこと

(7)

になっている。「相互防衛義務」が明確な形になっ ているわけです。それがなぜ日本の場合できなか ったか。言うまでもなく「集団的自衛」を我々は禁 止している。禁止されている。誰が禁止したのか わからないのですが、憲法をつくった人がそう言 ったと。必ずしもそう解釈する必要はないと私は 思っていますが、日本のリーダー自身が、憲法を、

そう読んだのであって、それによって「集団的自衛 権を禁止されている」したがって文字どおりの意 味で「相互防衛の義務」を条約の上では明確な 形で書くことはできないわけです。

結 局 、どういう形 の 利 益 の バランスなのか。

我々は「基地施設を供与する」その代わりに「アメ リカによる日本の防衛支援を受ける」ということで あります。この関係は特に「核の傘」ということが 入ってくるにしたがって、より明確な形になります。

このような関係はさきにも言ったように必ずしも日 米だけの問題ではない。アメリカとヨーロッパ諸国 の間にもあるわけで、最近出た佐藤栄作の秘書 官だった楠田實さんの日記が出ていますが、その 中に、佐藤栄作氏とニクソン大統領がサンクレメン テで行った会談の記録が載っています。この会 談の1か月後に、ニクソンは北京に飛んだ。ニクソ ン、キッシンジャーが毛沢東や周恩来と会うという 前夜に行われたのがサンクレメンテの会談でした。

その時に、日本の「非核三原則」に触れながら、佐 藤さんはこう言っています。「日本は安保条約の範 囲内で米の核の傘の抑止力の利益を受けること を希望している。もし北京で日本の軍国主義うん ぬんという話が出た場合には、米としては、日本 に対して、日米安保条約によって日本に核を持た ぬよう理解させる方針であると言われても結構で ある。ただ自分は、米国内に日本がフリーライドし ているという声があることを聞いており、この点を 心配している。かかる声はどの程度強いものか承 知したい」[『楠田實日記』(中央公論新社、2001 年)813ページ]と佐藤さんがニクソン大統領に対 して質問した。このコンテキストで「核」という問題 が出てきます。ニクソンは「この問題は日本に限ら れたことではなく、ヨーロッパについても同じ問題

がある」と言って、「米国としては、自らの国益のた めに安保条約があることを立証しなければ国民の 支持を得られない」。先程言った利益のバランス ということで言うと、アメリカはニクソンの考え方に そって言うかぎりでは、日米だけでなくアメリカとヨ ーロッパの場合もある程度はそうだけれども、一方 的に我々が持ち出しである。しかし、こちらにも対 価が返っているのであるということがアメリカの国 民にわかるようでなければ同盟関係は持たない というわけです。その後に続いて「将来の問題と して、日本が今後ともその目覚ましい経済成長を 続ける限り」―日本は高度成長の最中です―「軍 事的でなくても経済的に、安全に関する負担を担 わなければならないとする圧力はかかってこよう」

[『楠田實日記』813ページ]とニクソンは述べてい る。バランスのつけ方の一つとして「経済的な形 の日本の寄与を期待している」というのです。

とにかくこういう形で、どのように利益が釣り合 うのか、「片務性」というものを多少とも軽減させな ければならないという圧力がかかっているわけで す。そこで片方で基地提供があり、その見返りと してアメリカが日本に防衛支援をする等式が、その ままでは成り立たないようになるわけで、この天 秤の基地提供の皿にもうちょっと何か乗せてくれ。

その場合にのせるものが二つある。一つはHost Nation  Support。基地貸与に伴ってさまざまな財 政的支援を増やすこと。ある政治家が言いだした

「思いやり予算」がそれです。在日米軍基地を維 持するために基地に関連する費用が日本の政府 の負担としてだんだん増えてくるということです。

もう一つは安保条約第6条がここで計算に入っ てくる。改定された安保条約に関していえば大き な二つの柱がある。第一は第5条で、日本自身が 外敵に攻められた時にどうするか。この時は、右の、

左のという選択の余地はない。自衛権について極 端に厳しく見る人たちも、さすがに日本自身が攻撃 された時、「自衛隊は眠っていろ」とは言わない。

しかし、問題は第6条で、日本の防衛の範囲を 越えた「極東の平和と安全のために在日米軍基地 は使われる」ということです。第6条に関して、日本

(8)

の自衛隊は今まで一切かかわりはないということ であったのが、それでは、日本がどういうコミットを するかという問題がやがて出てくることになります。

その最初の第一歩、慎重な第一歩を踏み出す契 機になったのが「沖縄返還」だと思います。沖縄返 還はアメリカから見る限り、アメリカが持っている軍 事的な選択の幅をある程度犠牲にするということ である。その代わり何が返ってくるか。日本は自分 自身の国の安全を越えて、アメリカが責任を持つ極 東の平和と安全の目的に対して日本も一緒にやっ ていくという、簡単に言えば第6条に関して日本の コミットメントを期待するということになります。この 際、「韓国条項」「台湾条項」というものが問題にな る。「朝鮮半島の有事、台湾海峡の有事は日本の 安全保障の上で切っても切れない関係である」こ とを言葉の上で言ったわけです。政治的な意思の 表明であった。だからといって日本の自衛隊が何 をするかということは、この時点では問題になって いないわけですが、しかし今までお話してきたよう な流れからすると大事なことであったように私は思 うわけです。この時点では、最近のように、「後方 支援」という問題は出ていないのですが、少なくと も「日本自身の安全と朝鮮半島、台湾の安全とは 不可分の関係にある」ということを、政治的な指導 者が明言することになるわけです。

冷戦の時期は基本的には日本は日米安保条約 のもとで基地を提供する。その代わりにアメリカが 日本の防衛が必要な場合には支援するという形 の交換条件で、利益のバランスがとれていたのが、

その中で少しずつ等式の読み替えが出てくるとい うことになります。当時は「日米安保条約の再定 義」という言葉で呼ばれなかったのですが、そち らの方向に向けての第一歩であったということ で、韓国条項等が「日米安保条約の再定義の第 一段階」だと私は申し上げたいわけです。

第二段階はどうか。「冷戦後」という3番目の時 期になります。この時期になると、ますます利益の 交換、利益のバランスが日米関係で、より前面で 問題になります。冷戦が終わったという段階で、

国際社会における脅威の性質は何か。それに対

する同盟はどういうものを言うのか。その中での日 本の役割はどういうことなのか。論理的には二つ に対立した世界が一つの世界に回帰するわけで す。当時は今のブッシュのお父さんの政権の時代 ですが、彼が高らかに「今や新世界秩序だ」と言 って、国連の役割を重視する時代がありました。

この冷戦後の時期はどういう時代であったか。甚 だ定義しにくい時代であったと思います。よく聞 かれたのは「冷戦は終ったのだ。もはや日米同盟 も使命を終っているではないか。それを前提にし ていた日本の防衛政策についても大きな組み替 えが必要である」として「平和の配当論」が出てく る。「防衛費はもっと減らすことができるのではな いか。陸上自衛隊ももっと減らすことができるので はないか。戦闘機も減らすことができるのではな いか。対潜哨戒機もいらないのではないか」等々 の議論が出てくるわけです。

脅威が低下すれば、同盟の存在意義も低下す る。だとすると日本の軍事上の役割も低下するこ とになる。しかるに、この時期からむしろ日本は単 に基地提供だけではなく、また単なる地域的な安 全保障に対する政治的なコミットメントを言葉の上 で表明するだけではなく、さらにもう少し具体的な 形で、日本の寄与が問われるようになってきます。

そして「後方支援」という考え方が出てくる。この ような事態の展開は一種のanomalyである。脅威 は低下した。同盟の必要も低下した。それなのに 日本の役割は強化される。これはどういうことか。

この問題にどう答えるか、というのが細川内閣の 時に成立して、羽田内閣を経て村山内閣、三代 の内閣で行われた防衛問題懇談会の仕事だっ た。アサヒビールの樋口廣太郎さんが会長でした ので通称「樋口レポート」と言われる文章の起草 に私も参加したわけです。

さて、この問題にどう答えたか。皆さん、改めて

「樋口レポート」を読んでいただいて採点をしてい ただければと思いますが、事後的に私が手前勝 手に、こう答えたはずだというのをこれから申し上 げるので、きれいごとだと言われるかもしれませ んがあえてやっています。あらゆる回想録は自分

(9)

の都合のいいように回想するものですから。回想 録は注意して読まないといけない。

脅威の性質とは何か。旧敵、ロシアと中国は冷 戦時代は敵ですね。旧敵はもはや脅威ではない。

ここは第二次大戦後の国連ができた時とちょっと 違う。国連の時は国連憲章で今でも尻尾が残って いる旧敵国条項がありまして、当時脅威の源泉と 考えられるのは、かつての戦争の旧敵国である日 本やドイツであった。これがもう一回、仕返しをして くるかもしれないというのが前提にあった。しかし 第二の戦後、冷戦後は「冷戦期の敵国であったソ 連や中国はやはり脅威である。だからそれに備え よう」という議論は、これはない。少なくとも「樋口 レポート」ではないわけです。それでは何なのか。

第一は「漠然たる危険」。今や目に見える脅威 はないが、よくわからない危険がそこら中あちこち にある。まごまごしていると大きくなるかもしれない。

これに対して備えていかないといけない。当時、

threatという言葉は日本だけでなく、国際的に使 わないようになっていて、その代わりにriskという 言葉を使いました。目に見える脅威はなくなった が、しかしこの世の中からリスクが消えたわけでは ない。それに対して十分備えなければならない。

第二は、しかしひょっとしたら中国かもしれない。

「樋口レポート」にはそう書いていません。どう読ん でもそうは書いてないと思いますが、中で議論し た時も防衛庁筋の専門家の分析も中国が危ない という「中国脅威論」ではなかったと言っていい。

だけども「ちょっと気持ち悪いな」というのはあっ た。中国がどこへ行くのかという未知数の不安感 はどこかにあったと思います。

第三に、むしろ一番大きいのは「地域紛争」、朝 鮮半島であり、台湾であるというのが答えであった だだろうと思います。しかし「樋口レポート」に明確 に書いてあるわけではないのですが、私は機会あ るごとに強調しているつもりですが、朝鮮半島や台 湾では依然として緊張が残っている、我々は安心 すべきでないという時、一番わかりやすいのは「こ の地域にはまだ冷戦が続いている。世の中一般 には冷戦は終ったというが、この地域に関する限

り、冷戦が続いている」という言い方が一般的でし た。しかし私は当時から言っていたのですが「そう ではない。これは冷戦の残滓というより、むしろ冷 戦が終ったことによって、より根底的な問題がここ に表面化してきている。その解決が迫られている と考えるべきだ」というのが私の立場です。

以上を言い直しますと、第一は、この時期の国 際社会の安全保障を危なくするかもしれないもの は我々から見て3つある。第一は「地域紛争」で あり、これは東アジアの国際政治の構造に内在 する問題でここが危ないものとしてまだ残ってい る。これをどうするかという問題がある。第二は、

中国であって「中国は脅威」とは言わないまでも 大きな不確定要素であるという判断がある。第三 番目は、より一般的な意味で「国際社会の安定的 な秩序を脅かすような諸々のものがある」。普通 これは「民族紛争」という言葉が使われるのです が、きれいには整理できない諸々のものがある。

何かしらないけど、そこらに危険があちこちにある という話になります。このうち第三の問題につい ては、日米安保条約という枠を越えるものであり、

むしろどちらかというと国連に関連する問題として 考えられる。たとえば、イラクがある。イラクは国連 で処理したのかどうかというのはグレーゾーンです が、より典型的にはカンボジアがある。旧ユーゴそ の他がある。こういう形の問題ですね。そこでPKO の問題が出てくるわけです。

その次は、台湾、朝鮮半島で何か起こった場合 に日米安保条約の枠の中での日本の役割如何と いう形で、やがて問題になってくる「周辺事態」とい うことになり、ここでもし火を吹いた場合には、ほと んど直ちに日本自身の安全にかかってくる。だから 日本の自衛でもあるということで「一定の形で自衛 隊が米軍と一体化しない形で、しかし一体化する」

という、これは冗談ですが。難しいところですね。

残る中国はどっちか、あまりはっきり言わない。

こういう感じの議論になっていったわけです。こう いう形で、かつてのように米ソの対立という厳し い力学から解き放たれたことによって、より地域 独自の安全保障能力を高めることが求められて

(10)

いくことになり、それとの関連で日本の役割が増 大してくる。このようにして大きな問題がなくなり、

もはや同盟の必要もなくなったのではないか、脅 威もなくなったのではないか、だから日本の自衛 隊の役割を少なくしていいのではないかという方 向に行かずに、むしろ一見、逆の方に行くわけで す。これがいろんな意味で世論の反発を買うわ けで「一体なんだ。世の中に逆行しているのでは ないか」という批判を聞くことがあるわけです。

ここで大事なのは、しかし「地域安保」というも のを、かつてのような対決型の、冷戦型の方向に 戻すのではなく、新しい協調的な安保型へ導くよ うな展望のもとで、この地域の安全保障能力を高 めないといけない。少なくとも私はそのような考え を心底に持って「樋口レポート」の仕事にあたった つもりであります。こういう考えの線上に、橋本・ク リントンによる「安保再定義」が出てきて「周辺事 態法」が出てきて「ガイドライン」が出てくることにな るわけであります。もちろんこれはこちらがそう思 っているからといって、中国側が「はい、よくわか りました」と言って両手を挙げて賛成するわけで はないから、いろいろな綱引きが安保再定義をめ ぐって今まであったことは事実です。

こういう考え方の大前提になったことは何か。

今や、大国間の、国際社会の中の主要国の間で の本格的な戦争の可能性は退いたという認識で す。したがって、大戦争との関連で、日本が本格的 な外からの攻撃に直面するということは将来絶対 ないとは言えないが、少なくとも当分の間はない だろう。いつまでが当分の間かというと問題です が、10年、20年を考える場合、ないだろう。安全保 障政策、防衛政策を考える場合、そのためにどう いうハードウェアを用意するかという時、20年先の ことを考える。そういう意味で当分の間ない。その 間にうまくいけば、世界の主要国の間に、ハーモ ニーはないにしても、正面から角突き合わせない という意味での大国間の協調関係をつくりだすこ とができるだろうという考え方になるわけです。

少なくとも日本自身が何か外からの攻撃に脅か されるかもしれなないということとの関連で言う

と、当時、1990年代前半、唯一考えられたのは北 朝鮮から飛んでくるミサイルであろうと。その場合、

最も具体的な問題になったのは、北朝鮮が持っ ているかもしれない危険なしろものをどうやって刺 を引き抜くかということであり、自発的に刺抜きを してくれればいいが、どうしてもという時には少し 強力な手段に訴えてでも引っこ抜くかということ でありました。そのような行動をアメリカが選択し た時、日本はアメリカとどこまで共同行動をとれる かという問題として当時は考えていたと思います。

それが当時の状況であったと思います。

最後に駆け足で9月11日の衝撃で世界はそして 日本はどういうふうに変わろうとしているのかとい う問題に入ります。一言で言えば、冷戦後という 中途半端な時代、過渡期であったと言ってもいい かもしれませんが、その時期に残っていた曖昧さ というものが完全にとは言わないが、かなりのとこ ろまでクリアにされたと思います。いろいろ問題 が見えてきたと言えないだろうか。当然、これは今 後の話でありますから、歴史家というものは未来 のことについてはわからないので、未来のことに ついてしゃべってはいけないと若いときから教育 されてきたのですが、その教えをここであえて破 らないといけないのであります。

そうお断りしたうえであえて申し上げますと、大 きな筋として考えられるのは、一つの新しい局面 に入ったということです。むろん、新しい局面に 入ったからといって古い問題が一切消えるわけで はない。新しい時期における脅威の性質とは何 か。国際社会に対する主要な脅威の性質は何か。

そして、その脅威に対抗するための同盟とはどう いうものか。その中で日本の役割は何か。第一の 脅威の性質について短い言葉で表現すると「非 対称的な脅威」と言われるもので、その中には国 際テロリズムも入る。ミサイル・ディフェンスという新 しいタイプの核戦略が必要になるというのも、同 じコンテキストで語られてきたわけです。したがっ て、こういう考え方自身は、9月11日で突然目覚め たわけではない。冷戦後、新しい問題は何か。

「よくわからない危険があちらこちらにあるぞ」とい

(11)

う議論の延長として、この議論はできてきていた わけです。しかし9月11日の衝撃で、これが新しい タイプの脅威だということが、より鮮明な形で見え てきたと言っていいと思います。

では非対称型の脅威とは一体何か。国際社会 のメンバーとして十分な資格のない無責任な主体 がある。それは破綻した国家であり、そこからはみ 出した個人である。今までの安全保障はちゃんと した国家があって、そうした国家同士が国益を争 い合うために軍事力を行使するということを前提 として考えてきたわけですが、今は、少なくとも主 要な国家、まともな国家、普通の国家同士の間で は全面的な戦争をすることは計算に合わなくなっ ている。しかし、今200近くある国連構成国の中 の一体いくつが、そのような基準に合う国である か。少ないと言わざるをえない。大部分は国家と いう看板をあげてはいるが、いろいろな理由で、

なかなか自分の国民の生活を十分面倒をみるこ とができない紛争を処理しきれない、国内の治安 を維持できない等々の問題を抱えている。そこで 行き着くところは内紛が激化して無辜の市民が犠 牲になる。本来安全保障上、そういう悲惨な状態 から市民を守るのが国家の役割である。そうした 国家の役割を果たせない国が少なくとも国連の 中の数の上では大部分である。その中からさまざ まな問題が生まれてくる。私は必ずしも「危険な 国家」とか「ならず者国家」と言われるような国だ けを言っているだけではなく「統治能力を失った 国」「破綻した国家」と言っておきたい。そこでの 犠牲者は国家からはみ出した個人、悲惨な「難民」

です。そうしたことが一つの温床になって、さまざ まな過激な運動が出てくる。

私はここで決して、今のタリバンの問題を解決す るために、ルーツに戻らないといけないと言ってい るわけではない。これはこれで処理しなければい けない。タリバンにどう対処するかという時に「そん な小手先ではだめで、根源を絶たないといけない。

貧困であるとか、不正とか等々という、もっとも根本 的な問題を解決しなければだめだ」という人々が いる。それはそうです。でもたとえば乱暴な比喩か

もしれませんが、目の前で高熱をだして放っておけ ば死ぬような患者がいる時、「薬はいらない、手術 はしない。基礎体力をつけるのが大事だ」と説教 してもしようがない。両方いるわけです。対症療法 も必要だし、的確な処置、場合によっては外科手 術も必要であるし、劇薬も必要である。目前の事態 を救うために必要なことは迷わずにやらないとい けない。しかしそれと同時に基礎的な体力を向上 させることも必要です。両方必要です。

話を戻せば、自国民に十分な衣食を与えられ ず、生命を保障できず、安全を提供できない「国 家」が少なくない。こうした状況の中からさまざまな ラディカリズムが出てくる。「第二の冷戦」であると いう言い方もできる。かつては「国際コミュニズム」

というようなものが敵であった。それに家を貸した のがソ連という大国であった。今やそれに代わっ て「国際テロリズム」というものが出てきた。テロリ ズムをこの世の中からなくしていくのが第二の冷 戦だと言うわけですが、幸いなことに、国際テロ リズムに家を貸すという主要国はない。かつての ように国際コミュニズムは堂々たる大国であるソ 連なり、中国に国家存立のイデオロギーを提供し たのとはことが違うと私は思っているわけです。

では、そのための戦う仕組みはどうか。同盟の 性質は何か。国際安全保障、国際社会全体が安 全になるための普通の国の間の協力、それがそ ういう形の大同盟であることになる。なかでも大 切なことは主要国ががっちりと手を組むことです が、それが大同盟が成功するかどうかの鍵となる。

そのような形で国際社会ががっちり肩を組んで行 動していく中に日本はどうやって加わるか。今必要 とされている「共同行動」、私はそれを言うために

「後方支援」というのは少し弱い表現であろうと思 うんです。軍事的なターミノロジーということで後 方支援はわかるのですが、それは政治的には消 極的な意味合いを持ちやすい。私はもう一歩越 えなければいけないだろうと考えています。

安全保障という問題が今やグローバル化して いる。「グローバル化時代の安全保障」という問題 に対処していく時代である。安全という価値を実

(12)

現するためには、個々の国家が個別的に取り組 むということでは不十分であり、国際社会の共同 行動によってこの問題に取り組まねばならない時 代に来ている。少なくともそういう部分が拡大して きているだろう。いわば経済だけでなく安全保障 の部分でも相互依存的になってきている。これを 私は協調的な国際安全保障と呼んでいて「樋口 レポート」の中でも意識的にこの言葉を使ってい るわけであります。

「国際安全保障」というものは、まさにグローバル 化した我々の経済生活、社会生活にとって不可欠 なインフラストラクチャーと考えないといけない。その ことを象徴的に表しているのは世界貿易センターが 攻撃にあったという事実です。World Trade Center であって、「アメリカ」の貿易センターではない。WTC が一方にある、他方にWTO、世界貿易機構がある。

たとえば世界貿易センタービルの崩壊を見た中国人 のなかには「快哉」を叫んだ人々が少なくないという 話があります。アメリカに対して、溜飲をさげ、万歳と いう場面を目撃した人が何人もいると聞いています。

このように世界貿易センターが破壊されたことに快 哉を叫ぶ中国人が一方にある。他方、それから数週 間後に世界貿易機構に加盟したことで満足感と期 待感を抱く中国人がある。一体今後の中国はいず れに行くのか。中国が、もし後者を選ぶならば、当 面のタリバン制覇のために戦術的に手を組んでい るアメリカと中国の提携関係を越えて、より広い根本 的な意味での戦略的なパートナーシップが米中の 間で可能になるかもしれない。その場合の戦略的 パートナーシップは、日本を含む世界の主要国が共 通の問題に取り組んでいくという大同団結の中のあ くまで一部である。そういう形になっていくか、いか ないか。それ次第で、「9月11日事件が新しい時代の 幕開けを告げた」と後世に言われるかどうかが大き く左右されるだろうと思います。

〈司会〉

戦後の50年間を最近まできわめて明快に分 析・整理して語っていただきました。戦後を歴史 的に4つの時期に区分され、それぞれの時期の 特徴を、(1)世界の安全保障に対する脅威とは何

か、(2)それに対抗するための同盟とは何か、(3) それに対する日本の役割、という、3つの観点から、

明快に整理していただきました。

この際、お聞きになりたいことがございましたら ご質問いただきたいと思います。

〈フロア〉

後方支援のあり方について。もう一つは今後、

日本は国際的にどういう役割を果たすべきか。

〈司会〉

後方支援では不十分なのかということですか?

〈渡邉〉

平和憲法を生かすためにはどうしたらいいか。

平和憲法もそれと(私にいわせれば)同根である 国連憲章も、ともに各主権国家の自衛権を否定 するわけではない、そうではなくて、自衛権を勝手 に行使しなければならない状況に国家を追い込 まない。追い込まれれば、そうせざるを得ない。

そのためには国際安全保障という仕組みをどうや って確かなものにしていくか。そのことは平和憲法 の精神を生かすということと、私は矛盾しないと 考えているということです。今日は大筋、太いライ ンをお話したわけで、私も歴史家ですので、そん なに単調に進むとは思っていません。国連を中 心にした国際社会の共同の行動を、いかにこれ から有効に組織していくかという方向で私は考え ています。しかしそれでは「武器はみんな捨てろ」

と言って、諸国が一斉に武器を海の中に投げ込 めばそれで済むという話ではないことも、一方の 事実としてあるわけです。したがって、今日の話で は国際安全保障の側面を意図的に強調したので すが、それぞれの国が基本的な最後の備えを持 っている必要も否定できない。この二つのものが 複雑に絡みあって、これから糸を縒り合わせて歴 史は進展すると私は見ています。

〈フロア〉

アフガニスタンのタリバン後について。

〈渡邉〉

タリバン後のシナリオについては誰にもそう簡 単に答えがない。具体的な問題になると、歯切れ

(13)

よく答えられないのですが、なかなか思うように世 の中は進まない。誰が音頭をとるか。誰がイニシ アティブをとるかは常に難しいことですが、タリバ ン後をどうするか。中東にどういう解決があるか。

一般論としてお許しいただければ、私自身の考え は、こういうことなんです。

そういう問題を共同で対処しようというならば、

国際社会全体の共同意思を表明し、それに基づ き決定し、実行する仕組みがあればいいではな いか、世界国家的なものが必要ではないか。論 理的にはそうですが、いろんな理由があって、そ れはまずできない。さらに、できないというだけで はなく、たとえできても必ずしも望ましくないと思う。

例を一国のレベルにとれば、アメリカにしろ、カナ ダにしろ、できるだけ多様な地方のオートノミーを 維持しながら連邦制を維持しています。余談なが ら中国も多少そういう形にならないと困ると思っ ていますが、一か所に政策決定の中枢を集める ことが必要ではあるが、他方、できるだけ多元的 な形を維持する。これを世界大に広げても、その 通りだと思います。ごく簡単に言えば「世界大の 一種の連邦的なゆるやかな共同体」のようなもの を私は考えているわけで、それは二段にも三段に も分かれると思いますが、そういうことになってい かざるを得ないと思います。多数のアクターが絡 みあいながら、ある場合には競争しながら、ある場 合には協力しながらというパターンは変わらない だろうと。その時、その時にいろいろな物質的な 利害とか名誉とがからんで、そのときどきの問題に ついて強い動機があり、かつ強い利害関係があ り、かつ能力があるという国が、どう動くかという ことに、結局はかかっていると私は思っています。

その意味で言うと、誰がイニシアティブをとるかと いうことは問題によって違ってくるでしょうし、コス トを誰が払うかというのも違ってくる。

日本がどういう形でタリバン後の建設という大 事業に乗り出すのか。日本の利益はどこにあるか という問題はアメリカの友人たちとも議論をしたこ とがあるわけですが、たとえば、日本はこの事業に 対してどの程度コストを負担する気があるのか。あ

るとすれば何のためか。たとえばこうした問題を つきつけられたとしたら大蔵省の担当官は困って しまって、どういうふうに議員の先生方に説明した らいいでしょうか。何が我々の哲学であるべきで しょうかという疑問をかかえることになるはずです。

もっともなわけです。私は私なりの答えはあるわ けですが、そういうことが問われているわけです。

「日本は軍事力では大したことはできない。しかし 事が収まった後、平和の時こそ我々の出番だ」と きれいごとを言うのはたやすい。しかし、そのた めに国民をつき動かす強い動機はどこにあるの か?国際社会において名誉ある地位を得る。アメ リカと協力していくというためなのか。それもそう だと思います。しかしもう一つ、パンチの効いた理 由というのが必要です。タリバン後のアフガン再 建とは大変なコストのかかる話なんです。今の日 本の経済状態を見ると、その重さはヒシヒシと感 じます。何のために我々の血税をつぎ込むのか ということは相当な覚悟がいる。残念ながら日本 政府は、それに対する十分に説得力ある言葉を 語っていないと思います。

〈司会〉

渡邉先生、誠に有難うございます。本日の講演 では、今年の9月8日にサンフランシスコで対日講和 50周年記念の催しがあり、その3日後の9月11日に ニューヨークで世界貿易センタービルへの自爆テロ があり、前者が過去にかかわる事件、後者が未来 にかかわる事件という意味で、2001年9月という月 は、過去を振り返り、未来を動かす、歴史における 分水嶺であると捉えられました。この観点から、戦 後の50年の歴史を、(1)戦後、(2)冷戦、(3)冷戦後、

(4)9月11日以後の4つの時期に分け、それぞれの 時期の特徴を、(1)世界の安全保障に対する脅威 とは何か、(2)それに対抗するための同盟とは何か、

(3)それに対する日本の役割は何か、という、3つの 項目について、明快に整理していただきました。お 叱りを覚悟して、私なりにまとめさせていただきま すと、次のようになろうかと思います。

まず、第一の戦後の時期における世界の安全 保障に対する主な脅威とは、日本、ドイツに代表

(14)

される軍国主義、ファシズムであり、それに対抗す るための同盟は、民主主義諸国の大同盟であり、

その組織としての国際連合であったということで あります。この時期における日本の役割とは、日本 が無害な国になるということであり、それは占領 軍の「民主化」と「非軍事化」という二つのDとい う政策に象徴され、この中から生まれたのが新憲 法であり、「自衛権の発動を極力制限しよう」とい う1928年の不戦条約の精神が国際連合憲章を 介して、日本の憲法に書き込まれるようになったと 述べられました。

しかし、この大同盟も瓦解し、自由民主主義と 人民民主主義という二つの世界に分裂、対立し、

冷戦が始まりました。この第二の冷戦の時期に、

日本は西側陣営に組した結果、脅威とは国際共 産主義であり、そのなかで日本が選択したのがサ ンフランシスコ講和条約であり、それと同時に結 ばれた日米安保条約であって、60年に改定され た新安保条約ではそれまでの「片務性」を軽減す るため、在日米軍に基地を提供し、財政的支援を 増やす、いわゆる「思いやり予算」を行うというこ とになっていったことを指摘されました。さらに

「極東の平和と安全のために」が加わり、72年の 沖縄返還を契機として、「日本自身の安全と朝鮮 半島、台湾の安全とは不可分の関係にある」とい うことに日本はコミットしていくことになるわけであ ります。

第三番目の冷戦後の時期でありますが、論理 的には対立していた二つの世界が一つの世界に 回帰したのであるから、日米同盟の使命も終わり、

防衛費も削減され、「平和の配当」が行われるべ きであるのに、逆に日本の寄与がより具体的に要 請されるようになってきたことを指摘されました。つ まり、冷戦後の脅威とは、第一に東アジアの国際 政治構造に内在する地域紛争であり、第二に不 確定要素としての中国への不安感であり、第三に 民族紛争のように、国際社会の安定的な秩序を 脅かすような、漠然たる危険であろうということで あります。こうした情況での日本の役割は、地域的 安全保障の観点から、「安保再定義」「周辺事態

法」「ガイドライン」へと繋がるものになるということ を述べられました。

そして最後に、第四の9月11日以後の時期は、

冷戦後という中途半端な時期に残っていた曖昧 さを明確に浮かび上がらせたと分析されました。

この時期の脅威の性質は国際テロリズムを含む

「非対称的な脅威」であり、9月11日の自爆テロは この脅威が新しいタイプのものであることを、より 鮮明な形で示したと強調されました。確かに、国 際社会の中の主要国間の本格的な戦争の可能 性は低下しましたが、一方で「統治能力を失った 国家」「破綻した国家」の問題が噴出してきたこと を指摘されました。

そして今や安全保障の問題はグローバル化し、

個々の国家が個別的に取り組むということでは不 充分で、国際社会の協同行動によって取り組ま なければならない時代にきており、渡邉先生はそ れを協調的な国際安全保障と呼んでおられるわ けであります。ニューヨークの世界貿易センタービ ルに対する自爆テロは、アメリカに対する攻撃で はなく、まさにグローバル化した経済生活、社会生 活にとって不可欠なインフラストラクチャーとしての 象徴が攻撃されたわけであり、日本を含む世界の 主要国が共通の問題として取り組んでいかなけ ればならないと締めくくられたと思います。

渡邉先生は、戦後50年という長い歴史を振り返 るだけではなく、最近の衝撃的な事件をも充分視 野に入れて、脅威の性質、対抗策としての同盟の 形、さらに日本の役割についての歴史的変遷をき わめて明快に分析されたと思います。歴史家とし ての渡邉先生と国際関係学者としての渡邉先生が 見事に融合し、大変感銘を深くした次第でありま す。本日の講演から、今後の国際情勢の動向を観 察するだけでなく、具体的な行動を模索するため の重要な視点と指針が得られたように思います。

時間がまいりましたので、これでアメリカ研究所 主催の公開講演会を終わらせていただきます。も う一度渡邉先生に大きな拍手をもって感謝の意を 表したいと思います。どうもありがとうございました。

参照

関連したドキュメント

分からないと言っている。金銭事情とは別の真の

諸君には,国家の一員として,地球市民として,そして企

従って、こ こでは「嬉 しい」と「 楽しい」の 間にも差が あると考え られる。こ のような差 は語を区別 するために 決しておざ

問についてだが︑この間いに直接に答える前に確認しなけれ

停止等の対象となっているが、 「青」区分として、観光目的の新規入国が条件付きで認めら

ヒュームがこのような表現をとるのは当然の ことながら、「人間は理性によって感情を支配

自閉症の人達は、「~かもしれ ない 」という予測を立てて行動 することが難しく、これから起 こる事も予測出来ず 不安で混乱

この大会は、我が国の大切な文化財である民俗芸能の保存振興と後継者育成の一助となることを目的として開催してまい