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Ⅲ   飛 鳥 地 域 の 調 査

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(1)

Ⅲ   飛 鳥 地 域 の 調 査

榊 棚 合 胡 狗 掏 M

22図 石神遺跡・飛鳥寺周辺調査位置図 (1:4000)

‑54 ‑

(2)

石 神遺 跡 第

4次

調 査

(1984年 7月1985年 5月)

石 神 遺 跡 の名 は,そ の 小 字 名 に 由来 す る。 当地 域 は

,飛

鳥 寺 の 西 北 隅 に接 し, 水 落 遺 跡 に北 接 して い る。

 1902(明

治 35年

)年

に第

1次

調 査 区 か ら

,噴

水 施 設

と考 え られ る須 弥 山 石 ・ 石 人 像 が 発 見 され て 以 来

,同

遺 跡 は

,斉

明 朝 の 饗 宴 広 場

,あ

る い は天 武 朝 の飛 鳥 浄 御 原 宮 と も推 定 され て きた。 当調 査 部 で は

,1981

年 か ら

,石

神 遺 跡 の 発 掘 調 査 を 継 続 して 実 施 して い る。 過 去

3回

の 調 査 を通 し て

,須

弥 山 石 の 転 落 位置

(SX 150)が

確 認 され る と と もに,そ の周 囲 に配 さ

れ た 石 組 溝

,石

敷 を伴 う掘 立 柱 建 物,あ る い は

この 地 区 を南 北 に三 分 す る と 推 定 され る基 壇 付 き の東 西 塀 等 の存 在 な どが 明 らか に な っ た (第31図 )。 これ らの遺 構 は

7世

紀 中 頃 か ら後 半 の時 期 と考 え られ る ことか ら, 7世紀 中 頃 に は 水 落 遺 跡 を 含 め た この一 画 が,塀 を 境 と して

,南

は漏 刻 地 区

,北

は饗 宴 の広 場 地 区 と して性 格 を 変 え て 利 用 され て いた と推 定 され る に至 った。 さ らに

,塀

位 置 が

7世

紀 後 半 に も踏 襲 され て い る こ とか ら

この付 近 に想 定 され る飛 鳥 寺 西 の広 場 の利 用 形 態 を知 る手 懸 りを得 た 。 今 回 は

この よ うな 過 去 の 調 査 成 果 を踏 ま え な が ら

,各

時 期 の 遺 構 の範 囲 確 認 とそ の 実 態 究 明 を 目的 と して 調 査 を 行 な った。 調 査 地 は第

2次

調 査 区 に西 接 し

,第 3次

調 査 区 に北 接 す る水 田 で, 東 西 長 は50〜

53m,南

北 長 は28〜 30mであ る。

遺 構 検 出 を 行 な った地 山 面 (暗褐 色 砂 礫 上 面

)は ,調

査 区 東 南 部 か ら北 西 部 に 向 って 緩 か に傾 斜 し,45 cm北 西 部 が 低 い。 堆 積 土 もS D 640の 東 肩 を 境 に し て

,調

査 区 東 半 部 と西 半 部 で は異 な って い る。 東 半 部 で の 堆 積 土 は,耕 (約 20 cm),床土 (約20 cm),褐色 土 (10〜20 cm),暗褐 色 砂 礫 とな る の に対 して

,西

半 部 は耕 土

,床

,淡

褐 色 土 (約

10cm),褐

色 土 (5〜20 cm)の下 にC期の 整 地 上 で あ る含 炭 暗 褐 色 土 (10〜

20 cm), A‑2期

の 整 地 上 で あ る 山土 を 含 む灰 褐 色 土 が 部 分 的 に認 め られ

,以

,暗

褐 色 砂 礫 とな る。 ま た

,暗

褐 色 砂 礫 とそ の 下 に あ る褐 色 砂 礫 は

,縄

文 時 代 か ら古 墳 時 代 にか けて の遺 物 を少 量 含ん で い る。

(3)

(1)遺構

検 出 した遺 構 は

7世

紀 前 半 か ら中 世 に か けて の 時 期 の もの で あ る。 ここでは,

7世

紀 中 頃 か ら

8世

紀 初 頭 にか け て の 時 期 の遺 構 とそ の 他 の時 期 の遺 構 に わ け て,そ の概 略 を述 べ る。 遺 構 配 置 図 に は

,最

終 検 出面 の主 要 遺 構 を 図 示 した。

7世

紀 中 頃 か ら

8世

紀 初 頭 の遺 構

この時 期 の遺 構 は

,建

物 ・ 塀 の方 位

,重

複 関 係

,整

地 上

,出

土 遺 物 を考 慮 す る と

, A・

B・

Cの 3期

に 大 別 され る (第

2表

)。

<A期 > 

建 物 ・ 塀 の方 位 が 方 眼 北 に 対 して 東 に約 振 れ る もの で あ る。

石 組 溝 もこ の 時 期 に含 まれ るが

,過

3回

の調 査 を通 して み て も溝 の方 位 は必 ず し も一 定 して い な い。A期の 遺 構 は重 複 関係 か らさ らに

3期

に細 分 され る。

A‑1期

の 遺 構 は

,井

1,掘

立 柱 建 物

2,石

組 溝

4,方

形 区 画

,石

敷 が あ る。 石 敷 を 伴 う井 戸

S E 800を

中 心 に して,そ の東 西 に掘 立 柱 建 物S B 750・

810, S B 750の

東 に北 流 す る溝 S D 730・

332,南

に西 流 す る溝S D 744,

遺構番号 種類 柱 間 寸 法

(桁,梁)

桁行 ×異行 総長 (m)

A

l

S B 750 S B 810

東西棟 東西棟

8  ×  3 (8)×   2

1816× 6

(200× 52

227,  2 26,    26 S B 745

SB8■

南北棟

東西棟

5  ×  3

2

(6)× 2

114 × 58

(156)× 50

165〜295(桁) 193,29(笠)

26,    25

3 S B 735 S B 736 S B 820 S A 670 S A 775

南北棟 南北棟 南北棟 南北塀 南北塀

3 3

3 3

(6)× (2) (10 (11)

×

72 × 60 72 × 54

(144)×(48) (271) (225)

24,  20 24,   18 24,  24 169 18〜 225

B

S B 770 S B 742 S A 731 S A 732 S A 751

南北棟 南北棟 東西塀 南北塀 南北塀

8 (2) (2) Q③ (19

× 2

2

199 × 48 48 × 48

(42)

(264) (273)

21〜 3, 24

24,   24 21 165 21 C

S B 830

SA7酌

SA 781

南北棟 東西塀 南北塀

3  ×  3 (8) (6)

6  × 5 (192) (150)

2,2;15(中 ;脇 24 '

2表 石神遺跡第4次調査主要遺構一覧表

S B 810と 重 複 して 北 流 す る溝S D 790な ど の 石 組 溝

,井

戸 の 南 西 部 に は石 敷S X 700・

771,井

戸 の 南 に は方 形 区 画 S X 760が 配 され る。

井 戸

S E 800は

, く りぬ い た最 大 厚18 cmの 杉 材

2枚

を 組 み 合 わ せ て井 戸 枠 と し

,周

囲 に

人 頭 大 の玉 石 を方 形 に 敷 き

,石

敷 縁 と して 北 を 除 く三 方 に側 石 を た て た もの で あ る。 石 敷

‑56 ‑

以 上

(4)

2‑

+昌

V砿

叫逢コび=Oo  O皇

? D ^。

  ゐ発仄

!‐`ンΨ    

°(◎ ラ れ、駕

23図

 

石神遺跡 第4次調査遺構 配置図 (11300)

‑ 57 ‑―

(5)

面 か らの井 戸 の 深 さは

, 3.8mあ

,約 3mほ

ど井 戸 枠 が 残 って い るが

,底

特 別 な 施 設 は認 め られ な い。 井 戸 枠 の 平 面 形 は紡 錘 形 を呈 し

,東

西 内 法 長 は上 面 で 1.37m,底 面 で

1.2m,南

北 内 法 長 は各 々0.81mと

0.67mあ

,底

に 向 っ て若 干 す ば ま って い る。 井 戸 枠 の北 と南 に は

,底

面 か ら北 で35 cm,南 15 cmの

位 置 に45〜40 cmの精 円 形 を呈 す る孔 が 穿 た れ て い る。 円形 孔 は井 戸 の 内側 か ら 穿 た れ た もの で

,断

面 形 は 円 錐 台 形 を な し

,掘

形 側 の径 は31〜34 cmと な る。 土 砂 の流 入 を 防 いで 清 浄 な水 を得 る た め に孔 の掘 形 側 に石 を 詰 め て い る こ とや調 査 時 に は井 戸 底 か らの 湧 水 が ほ とん どみ られず,こ の孔 か らの み 出水 して いた こ とな どか ら

,円

形 孔 は井 戸 の取 水 国 の役 割 を果 して い た と推 定 され

,構

造 的 に も注 目 され る。 井 戸 か らは多 数 の上 器

,木

製 品 が 出上 した。

井 戸 枠 周 辺 の 石 敷 の 東 西 幅 は5,3mあ り

,若

干 北 に低 くな って い る。 ま た,

この石 敷 とは別 に

,井

戸 枠 の 北 側 か ら約 1.4mの 幅 で 北 の 方 へ の び る排 水 施 設 と考 え られ る一 段 低 い石 敷 が あ る。 側 石 は

1〜 2段 ,高

さ20〜40 cm残 るが

,近

くに あ る石 敷

S X 775の

上 面 か ら丼 戸 の 石 敷 面 まで は約

lmの

比 高 差 が あ るの で

,本

来 は

4〜 5段

積 ま れ て い た もの と推 定 さ れ る。 側 石 の う ち

,西

側 石 で は

改 作 の状 況 が うかが え た。 西 の 側 石 は,当初 南 西 隅 か ら

4.8mの

位 置 で 西 に折 れ,さ らに3.7mの 位 置 で 北 に折 れ て い た ものが

,A‑2期

に は西 側 石 を 1.9

m北 に延 ば し

,南

北 長 を6.7mと し西 折 す る。 西 折 した側 石 の 北 側 に も東 へ 傾 斜 して 玉 石 が 敷 か れ て い る。 また 西 折 した いず れ の側 石 も柱 掘 形 にか か る部 分 は後 に建 物 の柱 を抜 き取 る際 に抜 き取 られ て い る。 井 戸 枠 は現 地 に埋 め戻 した た め

,井

戸 の 掘 形 は検 出 して い な い 。

井 戸 の東 西 に配 され た 建 物 S B 750・

810は

いず れ も東 西 棟 で

,井

戸 の側 石 と柱 掘 形 との 間 の 重 複 関 係 か ら

,先

ず 柱 を建 て,そ の 後

,井

戸 の側 石 を据 え て い る こ とが 判 明 した。 さ らに

,柱

抜 取 痕 跡 は

,側

石 の掘 形 よ り新 しい状 態 で検 出 され るの で

,井

戸 と建 物 は 同 時 に存 在 して い た もの と考 え られ る。

A‑1期

の 建 物 の柱掘 形 は褐 色 砂 礫 土 で 埋 め戻 され

,柱

は全 て 抜 き取 られ て い る。 柱 を抜 くに際 して は

,柱

周 囲 を 不 整 形 に掘 り下 げ,そ の 後

,ほ

ぼ 真 上 に

柱 を 抜 き取 り,そ の跡 を橙 色 や 青 灰 色 を呈 す る山上 で埋 め戻 す 特 徴 が あ る。

‑58 ‑一

(6)

Z―

昌 +

+目

+目

24図 石敷井戸 S E 80o周 辺遺構配置図 (1:80)

(7)

従 って

,柱

抜 取 跡 の 下 半 部 は 平 面 形 が 円 形 を呈 し

,あ

た か も

,柱

痕 跡 の よ うな 状 態 とな る (第25図)。 建 物

S B 750の

柱 掘 形 の一 辺 は

15〜 2m,深

さ は約

1.5mと な る。 桁 行

8間

の 中央 に は ほか よ り も小 ぶ りな間 仕 切 りの柱穴があ る。

建 物

S B 810は

東 西 に

8間

分 あ り

さ らに調 査 区 外 に 延 び て い る。 東 妻 柱 列 の 柱 穴 は

,C期

の塀S A 781の 柱 穴 に よ って一 部 壊 され

,西

部 で は

A‑3期

の 柱 穴 に よ って 壊 され て い る。 柱 掘 形 の 底 面 の レベ ル を見 る と

,井

戸 寄 りの 東 妻 柱, 北 側 柱 列 の 東 か ら1・

2番

目 の柱 穴 は

,他

の柱 穴 よ り も60〜70 cm深 く掘 られ て い る。 この よ うな傾 向 は

S B 750の

西 妻 柱 列 の 柱 穴 に も認 め られ て お り

,井

の 石 敷 の側 石 に接 す る部 分 は特 に深 く掘 られ た もの で あ ろ う。

A‑1期

の建 物 の柱 間寸 法 は等 間 とな るが,その適 切 な規 準 尺 について は検 討 中 で あ る。 な お,

A‑3期

以 降 で は

1尺

30 cm弱 と考 え られ る規 準 尺 が用 い られ て い る。

石 組 溝 の側 石 は大 半 が 抜 き取 られ て い る。S D 730は 底 石 と して 玉 石

3〜

5

石 を敷 き詰 め た もの で

,幅

は約70 cmに復 原 で き る。 溝 の 底 石 はB期の塀

SA 7

32の 柱 穴 によ って 壊 され て い る。 底 石 上 に は溝 本来 の堆 積 土 で あ る灰 褐 色 砂 が 約 l cmの厚 さで 認 め られ た。

S D 332は , S D 730よ

り も小 さめ の 石 を底 石 と して使 用 して い る。 側 石 は東 側 に一 石 の み 残 り

,側

石 上 面 か らの深 さ は約40 cm と な る。 溝 幅 は約90 cmで あ る。 両 溝 と も長 さ28m分を検 出 した。 西 流 す る石 組 溝

S D 744は

北 側 石 が

4石

残 り

,深

さは 約15 cmであ る。 底 石 は用 い られ ず

,溝

に は灰 褐 色 砂 質 上 が 堆 積 して い た。 この 堆 積 土 を切 って

A‑2期

の住穴 が 掘 ら れ て い る。 調 査 区 の西 方 の 石 組 溝S D 790も 底 石 が南 北

2列

に残 り

,幅 06m

H側

050で

5.8m分 を検 出 した。 南 と北 で は底 石 が 抜 き取 られ て い る。 北 壁 の 断 面 観 察 に よ る と

,石

溝 の 掘 形 よ り先 に

SB

810の

柱 穴 が 掘 られ

,石

溝 の 石 を抜 き 取 った 後 に柱 が 抜 き取 られて いるので, 建 物 と石 組 溝 と は共 存 して い た と思 わ れ る。

井 戸 の南 方 に方 形 区 画

S X 760が

m

第25図 S B 750柱掘 形断 面図 (1:40)

‑ 60 ‑

(8)

る。 幅 20〜30 cm,深 さ25 cmの溝 状 の遺 構 が 一 辺 約

4mで

方 形 に巡 って い る。 溝 状 遺 構 の 中 央 部 は粘 土 化 し

,北

西 隅 で は

,先

端 部 を東 に して 長 さ約30 cmの釘 が 出上 した。 釘 に

,縦

方 向 と横 方 向 の木 目が 残 って い る こ とか ら

,方

形 の溝 状 凹 み に は 四 隅 を釘 止 め に した木 材 が 埋 設 され て い た可 能 性 が 強 いが,方形 区 画 内 に は関 連 す る遺 構 もな く,その性 格 は不 明 で あ る。井 戸 の 南 西 部 に は

,人

頭 大 の 玉 石 を用 い た石 敷

S X 771が

12ポ あ る。B期の柱 穴 に よ って一 部 壊 され て い る。縁 石 に相 当す る もの は な く,その範 囲 は不 明 で あ る。 調 査 区南 壁 西 寄 に あ る石 敷 は第

3次

調 査 で検 出 した石 敷

S X 700の

北 延 長 部 に あ た る。

A‑2期

の 遺 構 に は掘 立 柱 建 物

2棟

が あ る。

S B 745は

南 北 棟 で

,桁

行 は5

間 で あ るが

,梁

行 は北 妻 柱 列 が

3間

,南妻 柱 列 が

2間

とな る。 側 柱 列 の柱 間 は 不 揃 いで あ るが

,北

妻 柱 列 の柱 間 寸 法 は 1.93m等間,南妻 柱 列 は約

2.9m等

間 とな る。 東 側 柱 列 の 南 の柱 穴 は

,A‑3期

の建 物

S B 735に

伴 う石 敷 の 下 と な る。

S B 811は

東 妻 柱 列

2間

と北 側 柱 列

1間 ,南

側 柱 列

2間

を検 出 した。

 SB

810と

同様 に 北 東 部 の柱 穴 は深 い傾 向 に あ るの で,ほか の柱 穴 は削 平 され た可 能 性 が あ る。 お そ ら く

,先

述 した井 戸 の 西 側 石 の 北 へ の拡 張 に伴 って,S B 810

とほ ぼ 同規 模 の建 物 が,そ の位 置 を約

2mほ

ど北 へ ず ら して 建 替 え られ た もの と想 定 され る。 柱 抜 き取 りの状 態 は

A‑1期

の柱 抜 取痕 跡 と同 じで あ る。

A‑3期

の遺 構 に は掘 立 柱 建 物

2,掘

立 柱 塀

2,石

組 溝 が あ る。 建 物

,塀

柱 は全 て抜 き取 られ て い る。 建 物

S B 735と

建 物

S B 736は

西側 柱 筋 を揃 え,

妻 柱 間 の心 々距 離 は約

9mで

ぁ る。 両 建 物 の南 北 規 模 は同 じで あ るが

,東

西 規 模 は

S B 736が

60 cmほ ど小 さ い。 建 物

S B 735の

柱 掘 形 は東 西 方 向 の 布 掘 り工 法 に よ って掘 られ て い る。 布 掘 りの東 西 長 は約

7.5m,南

北 幅 は

1.2〜 2m,

検 出面 か らの深 さ は 1.5mで あ る。 掘 形 内 は褐 色 砂 礫 土

,最

上 面 は人 頭 大 の礫 を含 む礫 群

,柱

抜 取 跡 は黄 色 粘 上 で 埋 め戻 され て い る。 この建 物 の 四周 に は石 敷 が 巡 る。 柱 心 か らの 石 敷 の 幅 は

,北 ,南 ,東

の三 方 が約

1.6m,西

は約 2.8

mであ る。 石 敷 と建 物 の柱 との 間 に は溝 が巡 って お り,こ の 溝 を建 物 と石 敷 と の 間 に設 け られ た縁 石 の抜 取 跡 とみ る と

,建

物 の床 下 は外 周 石 敷 よ リー 段 高 く な って い た もの と推 定 され る。 西 面石 敷 の 西側 は黄 褐色 粘土 上 にバ ラス を敷 い

(9)

て い る。 バ ラ ス敷

S X 743は , S B 735の

周 囲 に 幅 広 く敷 か れ た と推 定 され る が

,遺

存 範 囲 は狭 い。 この建 物 の 南 面 石 敷 の西 延 長 線 に ほ ば 一 致 して

,西

流 す る石 組 溝

S D 734が

あ る。 側 石 に一 石 を た て並 べ た もの で

,底

石 は使 用 され て い な い 。溝 幅 は約90 cm,深 さ は30 cmで あ る。溝 内 に は灰 褐 色 砂 が 堆 積 して い た。

建 物

S B 736は

身 舎

2間

×

3間

の 東 に庇 の付 く建 物 と も考 え られ るが

,身

部 分 に相 当 す る南 か ら

2番

目の柱 位 置 に は

,花

南岩 の 自然 石 の 平 坦 面 を上 に し て 据 え た束 石 が あ る。 そ の 北 の柱 位 置 は

,平

安 時 代 の上 壊S K 741に よ って 壊

され て い るの で

,束

石 の有 無 は不 明 で あ る。 束 石 が 一 個 残 る こ とや 柱 筋 を揃 え た建 物

S B 735が

総 柱 で あ る こ とな どか ら

,こ

の建 物 も総 柱 と推 定 され る。 建 物

S B 820は

調 査 区西 端 に あ る。 南 北

6間

以 上

,東

西

2間

以 上 と推 定 され

,柱

掘 形 の一 部 はC期の建 物 や塀 の柱 穴 に よ って壊 され て い る。 柱 掘 形 は一 辺 1.2

13m,深

さ は深 い もの で 約 1.2mあ る。 遺 存 状 態 の良 い北 か ら

3番

目 まで の柱 掘 形 は

,整

地 上 か ら掘 り込 まれ て い る。 柱 掘 形 は,下半 部 が 灰 褐 色 砂 質 土, 上 半 部 が 黄 灰 褐 色 を呈 す る山上 で 埋 め戻 され

,抜

取 跡 の埋 土 は焼 上 を含 む 。

掘 立 柱 塀S A 670・

775は

調 査 区 西 半 部 に あ る。 塀

S A 670の

柱 掘 形 に は,

黄 褐 色 上 で 埋 め られ た直 径15〜30 cmの 柱 抜 取 痕 跡 が 全 て に わ た って あ る。 塀

S A 670の

西 に あ る塀

S A 775の

柱 抜 取 痕 跡 は直 径15 cm前後 と小 ぶ りで あ る。

<B期 > 

遺 構 の方 位 が方 眼 北 とほ ぼ等 しい もの で,掘立 柱 建 物

2,掘

立 柱 塀

3,炉

跡 が あ る。建 物

,塀

の柱 掘 形 の埋 土 は,山 土 を 含 む 褐 色 上 で 埋 め ら れ て い る。 建 物

S B 770は

調 査 区 中央 西 寄 りに あ る。北西隅の柱掘形 は未検 出 で 南 の妻 柱 掘 形 もや や 南 にず れ て い る。 柱 抜 取 法 はA期 とは異 な り

,柱

掘 形 を壊

して 抜 き取 って い る。 抜 取 跡 か らは藤 原 宮 期 の土 器 が 出上 した。 建 物S B 742 はA期の建 物S B 736・

750と

重 複 して い る。 東 西

2間

,南 北 1間 を検 出 した。

S A 732は

調 査 区東 端 に あ り,柱間 寸 法 は1.65m等間 で あ る。 この 塀 の南 端 柱 穴 を起 点 に して

,東

西 塀

S A 731が 2間

分 あ る。 柱 間 寸 法 は

2.lm等

間 で あ る。 塀

S A 751は

C期の素 掘 り溝

S D 640の

東 肩 に あ る。 柱 掘 形 は素 掘 り溝 で 壊 され て い る一 方

,A‑2期

の バ ラス敷 を壊 して い る。 炉 跡

S X 795は

調 査 区 西 端 北 寄 りに あ る。 一 辺 0.6mの 範 囲 に黄 褐 色 粘 上 が 敷 か れ,その 中 央 部 は熱

‑62 ‑一

(10)

の ため赤 変 して 堅 く しま って い る。小 鍛 冶 炉 の炉 床 部 分 と推 定 され る。

<C期 > 

遺 構 は方 眼方 位 北 に対 して

,西

に約 1.5° 振 れ る。 掘 立 柱 建 物,

掘 立 柱 塀

2,素

掘 り溝

2の

ほ か に土 壊 多 数 が あ る。 建 物

,塀

の柱 掘 形 は,炭

焼 土 を含 む 暗 褐 色 粘 質 上 で 埋 め戻 され て い る。 塀

S A 780と S A 781は

直 角 に 折 れ まが る一 連 の塀 で

,東

西 方 向 に

8間

,南

北 方 向 に

6間

分 を検 出 した。

塀 の西 北 部 分 に南 北 棟 の総 柱 建 物

S B 830が

あ る。 柱 掘 形 は一 辺 が50〜70cm, 深 さ は60 cm前後 で あ る。 素 掘 り溝

S D 640, S D 621は

北 流 す る。 両 溝 は,幅

2.5〜 2,7m,深

さ約 0.4mと ほぼ 同規 模 で あ るが

, S D 621の

方 位 は北 で や や 西 に振 れ て い る。 そ の ため

,両

溝 の距 離 は 内肩 間 で

,南

が 約14m北が 約12m

とな る。 い ず れ の 溝 も第

3次

調 査 で 西 流 して い た もの が 直角 に北 に折 れてい る。

この よ うな状 況 か ら,溝間 を通 路 とみ なす こ と も可 能 で あ るが,そ うす る と路 面 上 に 同 時 期 の 上 壊 が掘 られ る な どの 問題 が 残 る。 この ほ か に

7世

紀 後 半 か ら

8世

紀 初 頭 の 上 器 を 出土 す るS K 748・ 749・ 755。

762〜

764・ 773・ 774

776〜 779な

どの 上 媛 多 数 と調 査 区 南 半 中 央 寄 りに小 柱 穴 群S X 752が あ る。

ま た,調査 区 西 北 地 区 を中 心 に

,A期

の 石 敷 と比 べ て乱 雑 に敷 い た石 敷 群 を 検 出 した。 この 石 敷 に は,S X 825の よ うに 直 径

1.5m,深

0.35mの

規 模 で 掘 り くば め

,底

面 お よ び側 面 に玉 石 を張 りつ け た遺 構 が 伴 って い る。 石 敷 群 は

, S B 830や

S A 780・

781の

柱 掘 形 の上 面 を覆 って お り,こ れ らの 遺 構 よ

りは新 しい もの で あ る。 石 敷 目地 や覆 土 か らの 出土 土 器 は藤 原 宮 期 の もの を最 新 とす るの で,こ こで はC期の遺 構 とみ な して お く。

そ の 他 の 遺 構

先 の遺 構 に先 行 す る もの に, 3条の斜 行 溝

SD 575 0 576。 577が

あ る。 い ず れ も南 東 か ら北 西 方 向 に掘 られ

, S D 577は

北 西 部 で 西 折 す る。 断 面 形 は逆

螂 色

台形 を呈 し

,溝

幅 は約

1.2m,深

さ は

04〜 0.5mで

あ る。

S D 575の

一 部 とS D 577は溝 の両 肩 に沿 って, 黄 色 粘 土 や 黄 色 粘 土 入 りの 淡 青 灰 色 粘 上 で 埋 め られ て い る (第26図)。

A ri咲 て生斗111

'Ii抽

26図

 

斜 行溝S D 755断面図 (1:40)

(11)

断 面 形 の 形 状 や 流 水 の あ った痕 跡 もな い こ とか ら

,先

の 粘 土 帯 を裏 込 め とみ な せ ば

,斜

行 溝 は

,本

来 木 樋 暗 渠 で あ っ た可 能 性 が 強 い 。 い ず れ も

,A期

の 遺 構 に よ って壊 され て い る こ とや, 3次調 査 で 瓦 片 が 出土 して い る こ とか ら, 7世

27図 単弁10弁軒丸瓦 (1:5)

0      10       20cm

28図 出土 土 器・ 土製 品 (1:4)

紀 前 半 の 遺 構 と考 え られ る。 この ほ か に平 安 時 代 の素 掘 り溝S D 630,土 壊S K 741

と中 世 の小 溝 が あ る。

(21  遺 物

,土

,土製 品

,金

属 製 品

,木

製 品,

石 製 品 の ほ か

,玉

,動

・ 植 物 遺 存 体 な ど 多 種 の 遺 物 が 出上 して い るが

,現

,整

中 の た め,こ こで は特 徴 的 な もの を と りあ げ る。

瓦 類 は

,主

に調 査 区 の南 東 部 か ら出上 し た。 これ らの ほ とん ど は

S B 735を

覆 っ た 黄 色 粘 土 中 に含 ま れ て い た もの で あ る。 軒 瓦 は軒 丸 瓦 26点 を教 え る。 大 半 は単 弁

8弁

の角 端 点 珠 の軒 丸 瓦 と

,単

弁 10弁 の軒 丸 瓦 で あ る。 後 者 の 瓦 は飛 鳥 寺 創 建 時 の軒 丸 瓦 に類 似 す るが,中房 の連 子 が

1+4で

中 房 の形 状 も円球 状 を呈 し異 な る もので あ る。

両 者 の 軒 丸 瓦 は

,現

在 の と こ ろ

,飛

鳥 寺 寺 域 内 で は 出土 して い な い 。

土 器 に は

,縄

文 式 上 器

,弥

生 式 上 器

,古

墳 時 代 の上 師 器・ 須 恵 器 を は じめ,中世 の 瓦 器 な どが あ るが, 7世紀 中 頃 か ら

8世

紀 初 頭 の 時 期 (飛鳥 Ⅲ・ Ⅳ・

V)の

上 師 器,

須 恵 器 が そ の ほ とん ど を 占め て い る。 同 期 の土 器 は井 戸

S E 800の

ほか

,藤

原 宮 期 の

‑64 ‑一 00色 '

(12)

/″ ≦

一機 N ツ

哺 翔

0      10       20cm l         

第29図

 

井 戸S E 800出土土器 (1〜10i土師器,■19;須恵器, 1:4)

(13)

施 謡 ゝ ら ︐

瘍 縣 捌 訃 帥

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︐ 平 れ 土 黒 文 伏伝

土 硯 胎 し 整 は の こ 出 の

︹占 自 面   脚 で 土

7‑

30図 出土鉄製品(1〜9;

16;鎌

,17;刀

,

,10;ヤ

リガ ンナ,

1 : 3)

‑ 66 ‑一

│̲庁

Hiカ

ス ガイ

,12:釘

,13〜15;斧,

(14)

金 属 製 品 に は大 量 の鉄 製 品 の ほ か

,少

量 の 銅 製 品 が あ る。 鉄 製 品 は主 に藤 原 宮 期 の 整 地 上

,土

壊 か ら出上 した。 鏃

,斧

,鎌 ,刀子,ヤ リガ ンナ,カスガイ,

釘 な どが あ る。 な か で も鏃 は

100点

以 上 あ り

,注

目 され る。 大 量 な鉄 製 品 の 出 土 量 か ら

,付

近 に工 房,あ るい は保 管 庫 の あ っ た こ とが 推 定 され る。 ま た

,鉄

滓 が 調 査 区西 半 部 か ら少 量 出上 した。

木 製 品 は井 戸 か ら出上 した。 斎 串

,横

,刀子 柄

,小

型 の 蓋,栓状 円盤

,先

端 を尖 ら した棒 状 品 な どが あ る。 この ほか に

,縄

, トチ の 実 な どの 種 子

ヒ ョ ウ タ ン

,二

枚 貝 が 出土 して い る。

石 製 品 に は

,井

戸 か ら出上 した紡 錘 車

,藤

原 宮 期 の 整 地 土 か ら出土 した砥石,

弥 生 時 代 の 石 鏃

,石

,剥片 刃 器 が あ る。 ほ か に

,勾

,小

コハ ク玉 な ど の 玉 類 が 出上 して い る。

(3)ま

とめ

今 回検 出 した

7世

紀 代 中 頃 か ら

8世

紀 初 頭 に か け て の 時 期 の 遺 構 を,過去 の 調 査 成 果 と と もに ま とめ る と次 の よ うに な る (第31図)。

A‑1期

お よ び井 戸

S E 800の

石 敷 側 石 を改 作 した

A‑2期

,井

戸 出土 土 器 が 飛 鳥 Ⅲ の もの で あ る こ とか ら, 7世紀 半 ば を や や 降 る時 期 と考 え られ る。 前 調 査 で 饗 宴 地 区 と推 定 した塀

S A 600か

ら北 で は石 敷 を伴 う井 戸 を中 心 に大 規 模 な建 物 を配 置 して い る。 この あ り方 は

,今

,饗宴 地 区 の構 造 を知 る うえ で 重 要 な手 懸 り と な る もの と思 わ れ る。

A‑3期

の 時 期 に は

,塀 S A 600の

位 置 は,塀

S A 560と

て踏 襲 され るが

,井

,石組 溝 は 埋 め られ

,建

物 配 置 も異 な って い る。 この よ うに前 期 とは異 な る改 造 の 時 期 は

7世

紀 後 半 で も天 武 朝 の 時 期 に求 められ よ う。

な お

,今

調 査 で

A期

と し た 遺 構 は方 眼 北 に対 して,約 東 に振 れ て い るの に対 して,過去 の 調 査 で 検 出 したA期 の遺 構 の振 れ は約 弱 で あ り,そ こ に

施 行 基 準 の相 違 が あ った こ と も推 定 され る。B期の 時 期 は

,遺

構 の 重 複 関 係 や 出土 遺 物 か ら藤 原 宮 期 まで 下 らな い 。 す で に

S A 560は

廃 され

,漏

刻 地 区 と饗 宴 広 場 地 区 を 区 画 した施 設 は認 め られ な い 。 この こ とか ら

,B期

に はA期 とは

根 本 的 に異 な る単 位 の も とに 当 地 域 が 利 用 され て い た こ とが 想 定 され る。C期

は藤 原 宮 期 に あ た り

,B期

の 南 北 塀 の位 置 を踏襲 す るか の よ うに素 掘 り溝 が掘

(15)

0      50m

31図

 

石神遺跡主要 遺構変遷 図 (1:1500)

られ,そ こか ら離 れ た西 北 部 は塀 で 区 画 され て い るが

,検

出 した建 物 の 規 模・ 位 置 か らみ て,こ の 地 区 の 中 心 建 物 とは言 い が た い。 従 来 この 時 期 の 遺 物 は大 量 に 出土 して い た に も か か わ らず

,遺

構 は稀 薄 で あ っ た。

今 回

,建

物・ 塀 を検 出 した こ とに よ り

,藤

原 宮 期 に お け る利 用 形 態 の 一 端 を明 らか に した とい え よ う。

以 上 の よ うに, 7世紀 中 頃 か ら藤 原 宮 期 に か けて,ほば連 続 して 利 用 され て い た石 神 遺 跡 の状 況 が 明 らか に な っ た。 しか し

,各

時 期 に よ って 利 用 形 態 は 明 らか に異 な って い る。

飛 鳥 寺 西 の広 場 が 当地 域 に も及 ん で い た もの との推 定 が す で に な され て い るが

,遺

構 の状 況 か ら判 断 す る と

『 日本 書 紀 』 の皇 極 朝 か ら持 統 朝 に み られ る飛 鳥 寺 西 の広 場 が 一 貫 して そ の性 格 を変 え なか った とは み な し 難 い。 各 時 期 の遺 構 は,さ らに西 方 や 北 方 に及 ん で い る。 そ の 範 囲

,構

造 の確 認 や 当地 域 が 長 期 間 公 式 の場 と して利 用 され た背 景 の解 明

,飛

浄 御 原 宮 を は じめ とす る飛 鳥 諸 宮 と の 関連 につ いて は周 辺 地 域 の発 掘 調 査 の 進 展 を待 ち た い。

‑68 ‑

(16)

飛 鳥寺 とそ の周 辺 地 域 の調査 鰯 査位置は54頁参照)

石 神 遺 跡 東 方 (A地点

)の

調 査

(1984年4月)

この調 査 は住 宅 改 築 に伴 う事 前 調 査 と して 明 日香 村 飛 鳥 で 行 った。 調 査 地 は 飛 鳥 寺 寺 域 東 北 隅 の 北 方約30mに あ た り

,北

流 す る八 釣 川 の 西 岸 に接 してい る。

調 査 は東 西

5m,南

lmの

トレ ンチ を設 定 して 実 施 した。 床 上 の 直 下 か ら河 川 堆 積 層 が続 き

,遺

構 は河 川 に よ って 削 平 され た とみ られ る。

石 神 遺 跡 東 方 (B地点)の調 査

(1984年8月)

この調 査 は

,明

日香 村 農 業 協 同 組 合 の駐 車 場 新 営 に伴 う事 前 調 査 と して,同

農 協 東 側 裏 手 の畑 地 で 行 な っ た。 当該 地 は東 か ら西 に延 び る支 丘 陵 の先 端 に位 置 し

,『

飛 鳥 誌 』 (1944年 )に飛 鳥 氏 の 塁 と称 す る山城 跡 と伝 え る。 現 在

,北

垣 内 の小 字 名 が 残 り,矩形 に め ぐ る濠 状 の 窪 み が 一 部 認 め られ る。 駐 車 場 予定 地 は この小 丘 陵 南 裾 の 北 か ら南 に傾 斜 す る長 さ20mほ どの 台 地 上 に位 置 す る。

調 査 は幅

1.3m,長

さ14.6mの南 北 トレンチを設 定 して

,約

19だ を発 掘 した。

調 査 の結 果

,地

表 下 約60 cmで花 南 岩 風 化 上 の地 山面 を確 認 し,調査 区 北 端 か ら 約

6mの

位 置 で 地 山 が 急 下 降 して い る こ とが 判 明 した。 山城 の造 営 に伴 って削 平 され た人 為 的 な もの で あ るか 否 か は さ らに周 辺 部 の調 査 を待 ち た い。 黒 色 土 器,燈明皿

,悟

鉢 等 中 世 の 遺 物 が 少 量 出上 して い る。

飛 鳥 寺 寺 域 東 方 (C地点)の調 査

(1983年12月)

調 査 地 は飛 鳥 坐 神 社 参 道 の北

,石

垣 の 西 の水 田で,現地 が 駐 車 場 に改 修 され る こ とに な っ た た め

,事

前 調 査 を行 な った。 発 掘 面 積 は 18∬ で あ る。 水 田 の耕 土・ 床 土 は

2層

を あわ せ て 約50 cmの厚 さが あ り,そ の下 に は古 い沼 地 の堆 積 土

(17)

が ひ ろが って い る。 沼 上 の 上 層 は厚 さ約50 cmの青 灰 粘 土

,下

層 は水 田 西 端 付 近 で 厚 さ約50 cmだ

,東

に急 に深 くな って い る。 上 。下 層 と も植 物 遺 存 体 を多 く 含 む が,人工 遺 物 は認 め られ な か った。 調 査 区 内で,こ の 沼堆 積 土 上 層 か ら切

り込 まれ た溝 の一 部 を検 出 した。 溝 は幅 約

5.5m,深

さ約80 cmの 規 模 を もち,

水 田西 側 の村 道 に ほぼ並 行 して

,南

か ら北 へ 流 れ て い る。 溝 西 肩 か ら村 道 端 ま で の 距 離 は約

3mで

あ る。 溝 下 層 に は厚 さ10〜20 cmの灰 色 の粗 い砂 が

,上

層 に は暗灰 色 の 粘 上 が 堆 積 して い る。 下 層 か らは藤 原 宮 期 の須 恵 器・ 土 師 器 の 小 片 が 出土 し

,上

層 に は多 量 の格 子 叩 き 。縄 叩 き 目の 瓦,そ して各 時 期 の 上 器 片 が 含 まれ て い た。 溝 の つ く られ た時 期 は は っ き り しな い が

,上

層 の遺 物 に12世紀 頃 の羽 釜 の破 片 が あ り,こ の溝 が 中世 まで は使 われ て い た こ とを示 して い る。

飛 鳥 寺 寺 域 東 方 (D地点)の調 査

(1984年 1月)

この調 査 は

,飛

鳥 坐 神 社 参 道前 の水 路 改 修 工 事 に伴 う立 会 調 査 と して

,実

した もの で あ る。 道 路 下 の 既 設 暗渠 を改 修 す る ため,幅

2.4m,長

さ約

18mに

わ た って 道 路 下 約

13mの

深 さ まで 掘 り下 げ た。 そ の結 果

,現

在 の 南 北 道 路 に 平 行 して 南 北 方 向 に

3条

の木杭 列 と石 積 が 1列検 出 され た。 いず れ も,旧水 路 の護岸 施 設 と推 定 され る。 旧水 路 (南北 溝

)埋

土 か らは 瓦

,土

(黒色 土 器 を 含 む

)が

出上 して い る。 出土 遺 物 の年 代・ 遺 構 か ら見 て, C地点 の調 査 遺 構 と 一 連 の もの と考 え られ る。 検 出 した南 北 溝 は古 代 か ら中 世 に か け て使 用 され た 水 路 で あ り

,何

回 も改 修 を行 な った もの と推 定 され る。

飛 鳥 寺 南 方 石 敷 広 場

(E・

F地点)の調 査

(1984年 1月3月)

調 査 地 は

,飛

鳥 寺 南 門 に至 る参 道 の 真 南 に あ た る場 所 で, 1956年 に検 出 した 石 敷 広 場 に南 接 す る。 所 有 地 の 関 係 か らE・ F地点 に2ケ所 の トレ ンチ を設 定 した。 調 査 地 の層 序 は,基本 的 に は

,耕

土・ 床 土・ 茶 褐 色 砂 質 土・ 灰 褐 色 砂 質 土・ 灰 褐 色 砂 土 。褐 色 粘 質 土 。暗 灰 色 砂 土 。青 色 粘 土 とな る。 遺 構 は灰 褐 色 砂

―‑70 ‑一

(18)

土 上 面 で 石 敷 。道 路 状 遺 構・ 石 組 溝 を検 出 した。 しか し

,石

組 溝 の 南 に は

,灰

褐 色 砂 土・ 褐 色 粘 質 土 は広 が って お らず

,暗

灰 色 砂 土 上 面 で 土 塁 状 の遺 構

,青

色 粘 土 上面 で 土 管 を連 結 す る導 水 施 設 を検 出 した。

遺 構

1.石

敷 S X 670・ S X 671,石 組 溝S D 662,道 路 状 遺 構S F 680

これ らは一 連 の 造 営 に よ る もの で あ る こ とが 石 敷 の上 層 観 察 に よ って 判 明 し た。

S X 670は

1956年 に検 出 した石 敷 広 場 と一 連 の遺 構 で あ る。 調 査 区 北 端 よ り

5m分

を検 出 した。 石 敷 は東 南 隅 部 の一 部 の撹 乱 を 除 い て 良 好 に 遺 存 し,30 cm大の 河 原 石 が 敷 きつ め られ て い る。 南 端 。東 端 は 一 回 り大 きな 河 原 石 を 南 。東 に面 をそろえて立て並べ

,縁

石 と して い る。 東 縁 石 は ほ ぼ 南 北 方 向 で あ る が

,南

縁 石 は西 で 北 へ

7〜

偏 れ て い る。 石 敷 に は東 の 縁 石 と並 行 す る よ う に南 北 に走 る区 画 線 の石 列 が 認 め られ,石敷 工 程 の単 位 幅 (約

22m)を

示 し て い る と考 え られ る。

S X 670は ,褐

色 粘 質 土 に よ って 整 地 し

,平

坦 に造 成 し

て か ら東・ 南 の 縁 石 部 に据 え付 け穴 を掘 って 縁 石 を固定 す る。 そ し て

,縁

石 に よ って 区 画 され た 内部 を

,南

北方 向 区画 線 上 に 石 を先 ず 敷 き,そ の後 に空 間 部 を充 填 して い く方 法 が 取 られ て い る。

S X 671は

北 限 をS

X670の

南 縁 石 と し,

南 限 を石 組 溝S D 662 の ゴヒ側 石 とす る幅75 cm ほ どの大 走 り状 の 石 敷

で あ る。

S X 670の

32図 石敷広場 (F地)調査遺構配置図 (1:100)

(19)

敷 面 よ り約20 cm下が った部 分 に 設 け られ て お り

,径

10〜 15 cmの や や 小 ぶ りの河 原 石 が 敷 か れ て い る。 道 路 状 遺 構

S F 680の

延 長 上 に あ た る部 分 は撹 乱 を受 け て お り

, S F 680を

横 切 っ て東 に続 く もの か

, S X 670の

東 縁 石 の 延 長 上 で と ぎれ る もの か は判 然 と しなか っ た。

S F 680は ,飛

鳥 寺 南 門 に通 じる未 舗 装 の 道 路 状 遺 構 と考 え られ る もの で あ る。

S X 670の

東 縁 石 以 東 に は

,石

組 は存 在 せ ず

,抜

取 穴 も認 め られ なか った。

この 部 分 は当 初 よ り石 は敷 か れ て お らず, 1956年 に検 出 した幅 3,7mの 空 間 地 の南 の 延 長 上 に 当 た る こ とか ら

, S X 670の

東 縁 石 以 東 は道 路 状 の遺 構

SF

680に

な って い た もの と考 え られ る。 今 回 の調 査 で はS F 680の 東 限 は調 査 地 外 で あ るた め

,幅

員 を確 め る こ と はで き なか った。

S X 671の

南 に接 して 東 西 方 向 に の び る石 組 溝

S D 662が

存 在 す る。 溝 の両 側 に は30〜40 cm大 の 河 原 石 を 立 て並 べ て岸 と して

,溝

底 に はや や 小 さい 河 原 石 を 整 然 と敷 きつ め て い る。 満 の 深 さは25 cm,溝幅 は70 cmであ り

,道

路 状 遺 構S

F680を

横 切 って

,水

は西 へ 流 れ て い た もの と考 え られ る。 この溝 は1982年 に本 調 査 地 の 東 方40mの地 点 で検 出 したS D 662と 一 連 の石 組 溝 で あ る。な お,

S D 662の

下 層 か らは

7世

紀 前 半 に 位 置 づ け られ る土 器 ・ 瓦

,古

墳 時 代 の須 恵 器 が 出 上 して い る。

土 塁 状 の石 積 (S X 673,S X 674)

S D 662の

7mと

1l mで東 西 に走 るS X 673,S X 674を検 出 した。 幅 は

S X 673が 6m, S X 674が 4mあ

る。,と もに石 組 溝S D 662と 振 れ が 異 な る。S X 673・

674の

構 築 面 は, S X 670・ S X 671・ S F 680。

S D 662構

築 に あ た って の 整地 上 で あ る褐 色 粘 質 上 下 の 暗灰 色 砂 上 で あ り

,層

位 的 に は石 敷 広 場 よ りは 一 層 下 層 に あ る。 石 積 は最 も厚 い部 分 で30 cmを測 る。 石 は径

5〜

15 cmほどの 小 さ い河 原 石 が 用 い られ て い る。 性 格 は不 明 で あ る。

導 水 施 設S X 675

石 組 溝 S D 662の 南18mで

,瓦

製 土 管 をつ な ぎ合 わせ た東 西 方 向 に の び る導 水 施 設

S X 675を

検 出 した。 土 管 は

, S X 673, S X 674が

構 築 され た 暗 灰 色 砂 上 の下 層 の 青 灰 粘 土 を掘 り込 ん で 据 え られ て い る。 土 管 は行 基 丸 瓦 と同 じ技

‑72 ‑―

(20)

0      5nI

33図 石敷広場 (E・ F地)調査遺構配置図 (1

法 で 作 られ て お り

,外

表 は縄 叩 き 目が 残 存 す る。 全 長 約40 cm, 最 大 径18 cm,最小 径1l cm前後 で あ る。 最 大 径 部 が 西 で あ り

,西

か ら東 へ 継 いで い った こ とが わ か る。 水 を 西 か ら東 に流 す に 応ゝ さわ しい構 造 で あ るが

自然 地 形 イよこれ とは逆 イこ東 が 下託く西 が 低 い た め,そ の性 格 に つ いて は な お 問題 が 残 る。 土 管 の 形 態・

製 作 技 法 か らは, 7世紀 後 半 頃 の構 築 と考 え られ る。

ま と め

今 回検 出 したS X 670・

SX

XiS9240 671・ S F 680。

S D 662は

,

1956年 に検 出 した 飛 鳥 寺 南 門 の 石 敷 広 場 の 南 端 に相 当す る。 石 敷 広 場 の南 端 の 様 子 は 1982年 度 に

,本

調 査 地 の 東 方40mの地 点 で 確 認 され て い る (概 報 13)。

今 回 は,そ の 南 に続 くS X 673 200)。

s X 674・ S X 675を検 出 し, NA

石敷 広 場 関 係 の 施設 はS D 662よ り南 に は広 が って い な い こ とを確 認 した。 石 敷 の南 縁

,犬

走 り状 の 石 敷

,石

組 溝 の構 築 法 は1982年度 調 査 のS X 660・

SX

661・ S D 662と 同一 で あ り

,道

路 状 遺 構S F 680の 東 西 に 同 様 の 施 設 が 存 在 して い た ことが 判 明 した。1982年度 の 成 果 と合 わ せ

,飛

鳥 寺 南 門 南 の 石 敷 広 場 の 様 子 は よ り明 らか に な った と言 え よ う。 す な わ ち,石敷

S X 670の

南 北 長 は 南 縁 石 ま で で

20.5m, S D 662の

南 側 石 ま で で

22.2mと

な る。

(21)

1956年の調 査 で は

,石

敷 の参 道 が検 出 され て い るが

,石

敷 の参 道 は そ の ま ま 南 へ は 続 か ず

,石

敷 広 場 と交 差 す る あ た りか ら

,幅 3.7mほ

どの 空 間 地 とな り 南 に続 いて い る。 今 回 は こ の空 間地 の南 延 長 部 を 検 出 した が

,空

間 地 の状 況 は

1956年調 査 と同 様 で あ り

,石

敷 広 場 の 南 限 ま で 続 き,そ こでS D 662に よ って

限 られ る こ とが 判 明 した。 ま た

この 空 間 地 は

,整

地 を行 な っ た 後 に石 組 溝 。 石 敷 と一 体 で 作 られ て い る こ とか ら

,北

に続 く参 道 と 同様 の 性 格 の道 路 状 遺 構 で あ っ た と考 え られ る。 石 敷 広 場 の 東 。南 縁 石 の 交差状 況 か ら

この石 敷 広 場 は

,参

道 (飛 鳥 寺 伽 藍 中 軸 線)に 対 して

,西

で 北 に 7〜 の 振 れ を もつ 乙 とが 確 認 され た。 ま た

,石

敷 広 場 の下 層 か ら

7世

紀 前 半 頃 の上 器 ・ 瓦 が 出土 して い

る。 これ らの こ とか ら

,石

敷 広 場 は

7世

紀 前 半 以 降 に造 営 され た もの で あ り,

そ の性 格 は

,東

西 長66m以上 南 北 幅 約

20.5mの

石 敷 道 路

,あ

る い は 回 廊 な ど の 建 物 基 壇 と考 え る こ と もで き る が

,今

後 さ らに検 討 を 必 要 と して い る。

飛 鳥 寺 寺 域 東 部 (G地点)の調 査

(1984年 5月)

飛 鳥 寺 東辺 部 の 農 道 改修 工 事 に 伴 って

, G‑1,G‑2の 2地

点 で 調 査 を 実 施 した。

G‑1区

は 寺 域 の東 南 隅 部 に あ り

,飛

鳥 寺 創 建 時 の 瓦 窯 跡 が 立 地 す る 小 丘 陵 の 北 裾 部 沿 い の 延 長 約50mの範 囲 で あ る。

G‑2区

は安 居 院 本 堂 (中金 堂)の東 約

150mの

位 置 か ら

さ らに東 に 向 って 約24mの間 の 農道 の北肩部で,

東 門 想 定 地 の や や 東 側 に あ た る。

G‑1区

で は

,丘

陵 の 西 側 を 走 る道 路 東 端 か らほぼ東 北 東 に延 び る農 道 に沿 って

,長

13mと 23m,幅

は い ず れ も約 1.5mの

2本

の トレ ンチ を 設 け た。 調 査 の 結 果

,旧

県 道 の 東 約25mの位 置 で

,花

南岩 風 化土 (地山)に 掘 り こま れ た,

柱 掘 形 とみ られ る遺 構

2つ

を発 見 した。 掘 形 は丘 の裾 に東 西 約 2.8mを 隔 て て 並 び

,方

約 1.5mの規 模 で あ る。 伴 出遺 物 は な く

,調

査 範 囲 も限 られ て い るた め

,遺

構 の 時 期

,性

格 等 は 明 らか に で き な か った 。

G‑2区

で は東 西

24m,南

北 1.5mの トレ ンチ を設 け た。 地 表 (道 路)下0.7

m〜 1.lmの深 さで

,瓦

・ 炭 を多 量 に含 む 整地 層 が存 在 し,そ の範 囲 は東 端 部

‑74 ‑―

(22)

の 幅 約

lmの

部 分 を 除 い て は発 掘 区全 域 に及 び,周 囲 の未 発 掘 地 域 に広 が って い る。 検 出遺 構 と して は

この 整 地 層 を切 り込 ん で 作 った礎 石 (花南 岩 製)落

と し込 み 穴

1基

,同

じく整地 層 を切 りこん だ発 掘 区東 端 に位 置 す る幅

9m以

上 の南 北 方 向 に走 る溝 状 遺 構 が あ る。 溝 状 遺 構 か らは瓦 が 出土 して お り,そ

年 代 か ら見 て 遺 構 の時 期 は

8世

紀 以 後 と考 え られ る。 礎 石 落 と し込 み穴 か らは 時 期 を示 す 遺 物 は 出上 して い な いが

,層

位 関 係 か らこれ も

8世

紀 以 後 の所 産 と み られ る。 整 地 層 は残 存 条 件 の良 好 な部 分 で は

,厚

さ約 60〜70 cmあ る。 整 地 層 は炭・ 焼 土 ・ 瓦 を多 量 に 含 む粘 質 上 が 複 雑 に入 り混 じる層 とそ の上 部 の比 較 的 炭 の混 じる量 の少 な い淡 黄 灰 色 山土 (厚 さ約10 cm)か らな る。 ま た

,整

地 層 下 部 に は部 分 的 に は厚 さ約30 cmに及 ぶ 炭 単 純 層 か らな る箇 所 が あ る。 整 地 層 か ら は須 恵 器

,土

師 器

,軒

丸 瓦

,丸

。平 瓦が 出上 して い る。 軒丸 瓦 は飛 鳥 寺創建 瓦 で あ る単 弁 10弁 軒 丸 瓦 で あ り

,上

器 は

7世

紀 前 半 代 の もの と推 定 され る。 した が って

,整

地 の 時 期 は

7世

紀 前 半 以 降 と考 え られ る。

この 整 地 層 の性 格 に つ いて は

,発

掘 範 囲 も狭 く特 定 で きな か った が

,発

掘 区

は飛 鳥 寺東 門推 定地 に近 接 してお り

,寺

周 辺 地 域 の造 営 。整備 状 況 を 知 る手 が か り とな る。 ま た

,整

地 層 に 含 ま れ る多 量 の炭 や 丸 ・ 平 瓦お よ び軒 丸 瓦,土器 が ど こか らど の よ うな背 景 で こ こまで 運 ばれ た の かを 解 明 す る必 要 も生 まれ て きた。 今 後,周辺 地 域 の 発 掘 を 持 って

,再

度 検 討 した い。

飛 鳥 寺 寺 域 北 部 (H地点

)の

調 査

(1984年5月)

この調 査 は住 宅 建 設 に伴 う事 前 調 査 と して

,明

日香 村 飛 鳥 で 行 な った 。 調 査 は飛 鳥 寺 講 堂 の 北 方 約80mの地 点 で

,飛

鳥 寺 寺 域 内 の 北 部 に あ た る。 調 査 は東 西

6m,南

北 1.5mの 発 掘 区 を 設 けて 実 施 した。 検 出 した主 要 遺 構 は柱 穴 1, 土 墳

2で ,柱

穴 は一 辺 約

lmの

隅 丸 方 形 掘 形 を もつ が

,時

期 は特 定 で き な い。

今 回 の調 査 で は

,調

査 対 象 地 の 制 約 の た め,そ の遺 構 の性 格 を決 定で きないが,

今 後 の 周 辺 地 の 調 査 に関 して

,重

要 な手 が か りを得 る こ とが で きた。

(23)

飛 鳥 寺 寺 域 北 部 (I地点

)の

調 査

(1984年 5月)

こ の調 査 は

,住

宅 改 築 に伴 う事 前 調 査 と して

,明

日香 村 飛 鳥 で 実 施 した もの で あ る。 調 査 地 は飛 鳥 寺 旧 寺 域 北 部 に あ り

,飛

鳥 寺 講 堂 の北 東 約60mの地 点 で あ る。 調 査 は東 西

4m,南

3mの

発 掘 区 を設 け て 実 施 した。 調 査 の結 果

,幅 lm,深

45 cmの南 北 溝

1条

を検 出 した。 溝 埋 土 か らは丸 。平 瓦

,土

師 器

,須

恵 器

,黒

色 土 器 が 出上 して お り

,溝

の 埋 没 時 期 は 奈 良 時代 末 か ら平 安 時 代 初 頭 にか け て と考 え られ る。 溝 は

7世

紀 代 の瓦 包 含 層 を切 り込 ん で 作 られ て お り, 年 代 の 上 限 が 飛 鳥 寺 創 建 時 に まで は さか の ば りえ な い こ とか ら

,清

の年 代 は奈 良 時 代 を 中 心 とす る時 期 と推 定 され る。

飛 鳥 寺 西 回 廊 (」 地 点

)及

び 西 門 (K地点

)の

調 査

(1985年 1月2月)

飛 鳥 寺 の西 方 で は安 居 院 の 西 北 約 120mの 西 回 廊 西 北 隅 付 近 と

,そ

の南40m

の西 門 西 南 部 との2ケ 所 で 小 規 模 な調 査 を 行 な った。

西 回 廊 とそ の周 辺 の調 査

調 査 地 は, 1956・ 57年の調 査 成 果 に よれ ば

,回

廊 西 北 隅 に近 い西 回 廊 か ら寺 γ16割

域 西 限 施 設 ま で の 間 に位 置 す

X169070 

る。 調 査 は そ れ らの 遺 構 の確 認 を 目的 と して 実 施 した。 主 な遺 構 に は

,調

査 区東 端 の 回

1 1μ

 

廊 基 壇 基 底 部 と想 定 され る粘 土 層 の 高 ま り と調 査 区 西 端 の

N ▲

西

0      

34図 飛鳥寺西回廊 (J地)調査遺構配置図 (1:

‑ 76 ‑一

200)は

表 土 層 直 下 で 粘 土 層 が み ら

(24)

れ,そ れ は東 か ら約

3mの

位 置 で 西 方 へ 急 激 に落 ち た段 状 を な して 南 北 に連 な る こ とが 判 明 した。 粘 土 層 の位 置 や 瓦 層 の広 が りか ら判断 して

この 粘土 層 の 高 ま りが 回 廊 基 壇 の 基底 部 を示 す もの と理 解 され た。

粘 土 層 は

,瓦

層 の下 ヘ ー 連 に続 く暗灰 色土 層 の 上 に の った細 か い土 層 の集 ま り と して存 在 し

,基

壇 土 あ るい は整 地 上 層 を思 わ せ る。 しか し

,付

近 一 帯 に は 飛 鳥 寺 創 建 以 前 の遺 物 包 含層 が 幾 重 に も重 な って 広 が って い る こ とが知 られ,

粘 土 層 中 に もそれ ら と同様 の 遺 物 が 含 ま れ て いて厳 密 に は回 廊 基 壇 土 と断 定 で き なか った。 ま た粘 土 層 の 上 面 西 端 近 くで

,国

廊 基 壇 縁 石 抜 取 と考 え られ る南 北 に溝 状 に続 く浅 い土 壊 を検 出 した。

粘 土 層 の 高 ま りの 西 方 に は約20 cmの厚 さで 瓦層 が 広 が り,そ の境 に あ る乱 雑 な石 列 は瓦 層 中 に 含 まれ る もの で あ る。 瓦層 中の 瓦 は比 較 的大 形 の 破 片 が 多 い もの の敷 か れ た状 況 で は な く

,複

弁 蓮 華 文 軒 丸 瓦 や 縄 叩 き 目の 平 瓦 片 が 含 まれ て い る。 ま た共 伴 す る土 器 か らみ て も

,瓦

層 は奈 良 時 代 に な って 整 地 層 と して 形 成 され た もの で あ ろ う。 瓦 層 の下 面 は西 端 ま

 

で ほ ぼ 平 坦 で あ るが

瓦 片 を 含 む 不 整 形 な 土 壊 を数 個 確 認 した だ けで

,顕

者 な遺 構 は な い。

声 西 トレ ンチ 西 端 に は南 北 溝 が あ る。

 

トレ ン

チ の制 約 か ら溝 東 半 を瓦 層 の下 面 で 検 出 した。

断 面 は浅 いU字形 で 溝 幅 約

25m,深

さ約

0.6m

の 素 掘 り溝 で あ る。 埋 土 か らは多 量 の瓦 片 と と もに, 7世紀 後 半 〜 末 頃 の上 器 片 や 円面 硯 な ど が 出 土 した。 この溝 は

,西

限 の施 設 に沿 って 延 び る もの と考 え られ る もの の

,そ

の 性 格 は明 ら か で な い。

南 北 溝 の 下 層 で 竪 穴 住 居 跡 を確 認 した。 東 ・ 南 壁 を そ れ ぞ れ 約

2m分

検 出 した だ けで 全 体 の 形 状 は不 明確 で あ るが

,東

壁 に は カ マ ドが 設 け られ,カ マ ドの 中心 か ら南 約 1.3mの と ころで

クチ/

0      2ml―

第35図

 

竪 穴住居跡実測 図 (1:50)

(25)

120°

 

の鈍 角 に折 れ 曲 が って南 壁 とな っ て い る。 壁 は ほ ば垂 直 に最 大30 cmの 高 さ を残 して お り

,内

。外 と もに溝 は認 め られ な い⑤ この住居 跡 の年 代 は 出土 土 器 や 層 位 か ら

6世

紀 代 に属 す る と考 え られ る。

飛 鳥 盆 地 で は これ まで に板 蓋 宮 伝 承 地 を は じめ飛 鳥 時 代 の遺 構 の下 層 で 十 数 棟 の竪 穴 住 居 跡 が 検 出 され て い る。 本 住 居 跡 は そ れ に一 例 を加 え るば か りで な く,そ の 形 状 が や や 特 異 で あ る こ と

,遺

構 の上 。下 限 が 限 定 で き る こ とな ど, 注 目す べ き貴 重 な 資 料 で あ る。 住 居 の性 格 や 地 理 的 。年 代 的位 置付 け につ いて

イよ『 日本 書 紀 』 の 飛 鳥 衣 縫 造 祖 樹 葉 の 家 と も関 わ り

,興

味 深 い が

,今

後の調査

研 究 を ま って 検 討 した い。

西 門 の 調 査

││

石細 小 満 X169120‑―│ ││ │

素 糊 り高

36図 飛鳥寺商門(K地)調査遺構配置図 (1:200) 称

  査 通 調 出 も 地 研

︒ 溝

叫 ﹈ 鋤 蝉 幹 幹 韓 ゆ 獅

西

西 調

地 ィ 辣 ょ ︐ 蜘 雑

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参照