土地所有権の成立と展開
著者 阿波連 正一
雑誌名 静岡大学法政研究
巻 17
号 3‑4
ページ 1‑322
発行年 2013‑03‑31
出版者 静岡大学人文社会科学部
URL http://doi.org/10.14945/00007379
論 説
土地所有権の成立と展開
阿波連 正
第
1
章 序論第
1
節 問題の設定 3第
2
節 考察の視座"5
第
3
節 考察の方法8
第
4
節 本稿の構成. 1 0
第
2
章 土地所有権論第
1
節 序‑1 2
第2節 資本制的土地所有権論と固有的土地所有権論
1 2
第3
節 資本制的土地所有権論1 3
第
4
節 立法者意思‑1 8
第
5
節 小 結 24第3章 固有的土地所有権論
第
1
節 序 ‑2 5
第
2
節 固有的土地所有権論の三層構造2 5
第
3
節 土地所有権2 7
第
4
節 地域的土地所有権.34
第
5
節 体制的土地所有権.46
第
6
節 小 結4 9
1
第
4
章 土 地 所 有 権 の 成 立 と 展 開第
1
節 序.......... ・ ・・ ・・・・・ ・・ ・・・ ・・・・ ・・・・ ・・・・・ ・...5 2
第2
節 太閤検地と土地所有権の成立... ・・・・ ・・・・ ・・e・5 4
第3節幕藩制的土地所有権...8 1
第4
節 資 本 制 的 土 地 所 有 権•••••••••• . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 1 2 2
第5
節民主制的土地所有権...1 3 9
第6
節小結.................................................... . . 1 5 8
第5
章 民 主 制 的 土 地 所 有 権 関 連 判 決 例 の 展 開第
1
節 序・・・・・ ・・・ー・・ ・・・・ ・・・・・・・・・ ・・・•••••••• 1 5 9
第2
節 検討判決例の展開の概要...・・・・・・・・・・・・・.160
第3節 土 地 所 有 権 と 地 域 的 土 地 所 有 権••••••••••••••••••••• 1 8 8
第4
節 土 地 所 有 権 と 体 制 的 土 地 所 有 権. . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . . 2 4 1
第5
節 地域的土地所有権と体制的土地所有権..•••• . . . . . . . . . 2 5 4
第6
節 小結...............ー・・・ ・・ ・・・・・ ・・ー. . . . . . . . . . 3 1 0
第6
章結論..............................................................3 1 4
第1章 序 論
第
1
節 問 題 の 設 定土地所有権とは何か。土地所有権とは、特定人が、特定地を、法令の 制限内において、自由に使用収益および処分する権利である。これは、
土地所有権を固有の権利として捉えるものであるから、固有的土地所有 権論と称することができる。一般的な土地所有権の捉え方は、土地の所 有権として、所有権を固有の権利として捉えるものである。この所有権 は、平等な法的人格が、商品交換の自由(契約の自由)のために、物を 自由に所有(使用・収益・処分)する権利であり、所有権を資本制経済 (近代経済)の編成原理とするものである
10
資本制経済の編成原理であ る所有権の客体が、物としての土地である場合を、土地所有権とするの であるから、資本制的土地所有権論と称することができる。資本制的土地所有権論においては、土地所有権の固有性は認められず、
資本制経済以外には土地所有権は存在せずえまた経済行為は基本的には 国家・政府から独立した私的自治の個人責任の世界となることから、法 令の制限内においての要件が所有権の内容となることはない。所有権は
I
川島武宜『所有権法の理論jJ (岩波書庖、1 9 4 9
年。以下、川島・『所有権法の理論』と略記する。)
1 7 0
頁は、「近代経済は、高度の社会的分業の基礎の上における経済的財 貨の商品的生産および交換の上に成り立っているo
そうして、この商品交換の中で大 きな部分を占めるところの生産手段の購入・商品の売却などは、法的には所有権の取 引的流通としての形態をとってあらわれてくるのである。所有権取引の頻繁さ、経済 にとってのその支配的意義は、近代経済を特色づけるとともに、近代経済の基礎法た る民法、就中所有権法をきわめて鮮やかに刻印づけずにはおかない。一言にして云え ば、このことは、近代的所有権の本質をして商品所有権たらしめると同時に、全物権 法の重点をしてもっぱら物権法たらしむるに至っているのである」とする。2
したがって、この立場から土地所有権を認める要件は、平等な法的人格、契約の自 由が認められている資本制経済社会ということになる。身分制社会には土地所有権は 存在しないので、身分社会である江戸時代には土地所有権を認めることはできないの である。稲本洋之助=小柳春一郎=周藤利一『日本の土地法(第2版)一歴史と現状』(成文堂、
2 0 0 9
年。以下、稲本=小柳=周藤・『日本の土地法』と略記する。)3
頁。‑ 3 ‑
資本制経済の編成原理であるからである。したがって、資本制的土地所 有権論における土地所有権は、所有者(人)が、所有物(物)としての 土地を、自由に使用、収益及び処分する権利となる
30
このような資本制的土地所有権論は、国家の基本要素である国家の安 全保障とも無関係となる。例えば、
2 0 0 1 2
年9
月に、尖閣諸島(土地)の 所有権を、日本政府が取得したことを契機に、日中関係に大きな対立関 係を生じることになったが、資本制的土地所有権論では、土地所有権の 取得(国有化)は経済行為であり、国家聞の対立関係を悪化させる契機 は存在しないことになる七しかし、現実には、日本政府の尖閣諸島の土 地所有権取得を契機に、日中関係は、外交・安全保障問題に展開する深 刻な緊張・対立関係に陥ったのである5
。このような現実は、土地所有権 自体に国家の安全保障契機があるからであり、それが顕在化したものと 考えるべきであろう。資本制的土地所有権論とは次元の異なる固有の世 界を、土地所有権は内在していると考えざるをえない。歴史的にも、土 地所有権論(土地制度論)は、古代律令国家の公地公民制、中世の荘園 公領制・職の体系、豊臣秀吉の太閤検地、徳川幕府の田畑永代売買禁止 令、所持と領知、明治維新政府の地租改正、第二次世界大戦後の農地改3
)11島・『所有権法の理論』・1 7 2
頁は、「諸国の近代的民法典におけると同じく、『自由 ニ其ノ所有物ノ使用、収益及ヒ処分ヲ為ス権利』と認められるところのわが民法の所 有権( 2 0 6
条)もまた高度の商品性を有するものと云うことがで、きる」とする。この川 島の所有権定義は「法令の制限内において」の要件を排除していることに注意すべき である。後述するように、所有権を資本制的所有権として捉える立場からは、この要 件があることは、所有権ではないことを意味する。4
鷲尾農林政務官の2 0 1 2
年1 0
月1 0
日の記者会見での発言に代表される。すなわち「尖 閣諸島は、日本の領土だ。誰が所有しようと関係ないはずだ。中国政府が所有しても いい。日本の登記簿に『中国政府』と書いてもらったらいいだけだ」。この発言は、翌 日、1 0
日に、農林大臣が注意したとの報告があったとの藤村官房長官の記者会見での 報道(朝日新聞2 0 1 2
年1 0
月1 0
日朝刊)。5
日本経済新聞2 0 1 3
年3
月5
日朝刊は、「偉壁報道官(外務次官)は4
日の記者会見で、中国の海洋監視船沖縄県の尖閣諸島周辺で日本領海への侵入を繰り返していることに ついて、日本政府による固有化の結果であり『監視活動は必然だ』と強調した。」と報
じている。
革をみると、体制・国家の在り方と関連しているのである。
このような体制・国家の在り方と関連する土地所有権とは、どのよう な土地所有権であろうか。歴史的現実に存在する国家の安全保障契機を 有する土地所有権の理論構成が固有的土地所有権論である。本稿は、固 有的土地所有権論における土地所有権は、日本において、何時、何を契 機に成立したか、そして、その歴史的展開を考察するものである。
固有的土地所有権論における土地所有権は、豊臣政権の軍事力の本体 である米の生産力増強を目的とする太閤検地
( 1 5 8 2 ' "1 5 9 8
年)を契機に 成立し、その跡をうけて、徳川幕府の財政基盤である米の安定供給のた めの田畑の土地所有権者の百姓の保護を目的とする田畑永代売買禁止令( 1 6 4 3
年)を契機に確立する幕藩制的土地所有権へと展開する。そして 明治維新政府の富国強兵ための地租改正( 1 8 7 3 " ‑ '1 8 8 1
年)を契機とする 資本制的土地所有権の確立、第二次世界大戦後の民主主義改革の戦後改 革の一環としての農地改革(19 4 7
,...̲,1 9 5 2
年)を契機とする民主的傾向の 促進のための民主制的土地所有権へと展開していくのである。第
2
節 考 察 の 視 座民法典は権利の体系であるが、所有権は、その体系の基点として構成 されている。民法
2 0 6
条は、「所有者は、法令の制限内において、自由に その所有物の使用、収益及び処分する権利を有する」と規定する。この 民法2 0 6
条の所有権は、所謂、「所有権の絶対性6 J
を意味する所有権であ6
川島・『所有権法の理論』・1 2 2 ' "1 2 3
頁は、「近代私法における所有権が観念性と絶 対性とを有すること、すなわち、所有権が現実の支配事実とはなれて独立に所有権と いう権原に基いて保護されるということ、しかもその保護は特定人に対する対人関係 としてではなく天下高人に対する関係として与えられるということ、これらの歴史的 な諸性質を制度的に表現するものが物権的請求権で、ある」。そしてそれは「市民的国家」によって保障されるという(同書119頁)。その「市民的国家」は、「市民社会の全体を 支え且つ市民社会の全体によって支えられるところの特殊=近代的な政治権力
J
(同書 118頁)であり、「市民社会存立の必然的前提として、市民社会全体によって尊重され、‑ 5 ‑
ろうか。所有権の要件として、「法令の制限内において」と規定されてい ることは、所有権が、全面的な商品交換である資本制経済の編成原理で あり、その所有権の内容、客体および主体における統一性を要求すると ころ、所有権の内容が「法令の制限内において」と個別化されることは、
商品交換が交換価値を中心として貫徹しないことから、「所有権の絶対d性」 ではないようにみえる。
ところが、民法は、土地利用の場面で、用益物権として、耕作目的の 永小作権(民法
2 7 0
条)、工作物等所有目的の地上権(民法2 6 5
条)を用 意しながら、不動産の賃借権は登記がなければ第三者に対抗できないと 規定した(民法6 0 5
条)。土地利用の場面では、「所有権の絶対性」を実現したのである。この土地所有権は交換価値を基本とすることになるに これに対して、土地が、生活の場、生産の場および公共の場であり、
つぎに、その結果として、市民社会の政治的投影としての市民的国家
J
(同書1 1 9
頁) である。したがって、川島の近代的所有権=近代的土地所有権の成立はつぎのように なる。「わが国における近代的所有権の一般的成立は、ポツダム宣言の受諾、占領軍の 民主化政策によって基本的に条件づけられ、具体的には、1 9 4 7
年5
月3
日の新憲法の成 立による近代的民主主義国家の成立、及び農地改革(第一次、昭和2 0
年( 1 9 4 5
年)農 地調整法改正。第二次、昭和2 1
年( 1 9 4 6
年)農地調整法改正および自作農創設特別措 置法)によってはじめて一応制度的に完成する予定となったJ
(同書9 2
頁)。このよう な認識は、川島の近代的人間像に基づいていると思われる。すなわち、「近代的人間の 意識一般の基礎規定は、まず自分が独立の・他の何びとにも隷従しない主体者である という自己意識であり、つぎに、他のすべての人間もまた自分の同質的な主体者であ ることを認識し尊重するところの社会的な意識、要するに、社会的な規模において存 在し且つ社会的に媒介されたところの主体'性の意識であるJ
(同書6 5
頁)。このように、川島の近代的所有権は、近代経済、市民的国家、近代的人間の、所有権の側面での表 現形態となっていることに注意する必要がある。内田貴『民法
1
(第4
版)総則・物権 総論I I
(東京大学出版会、2 0 0 8
年。以下、内田・『民法1 I I
と略記する)3 6 1
頁は、「近 代民法典の大原則のひとつとして挙げられている『所有権の絶対』は歴史的なスロー ガンであって、所有者は絶対的に勝手なことができるという原則ではない」と述べて いる。7
川島・『所有権法の理論』は、「所有権の法的構成は、交換価値を中心とするところ のつぎのごとき特色ある三つの原則一所有権の内容、客体および主体における統一性ー の上にたつこととなったのであるJ
(同書1 7 1
頁)とし、「利用価値に関連しての動産・不動産の区別は、交換価値支配権としての所有権の商品性基礎の上においては第二次 的意義しかもち得ない
J
(同書1 7 6
頁)とする。さらに本質的に他の物と違う面は、公開空間、また時空間として、基本 的には、永続的に存在し続けてきているという、土地の固有性を本質的 要素とし、このような性格を有する土地の所有権として土地所有権を固 有のものとして捉えることができる九このように土地所有権を固有のも のとして理論構成したのが固有的土地所有権論である。この土地所有権 は、使用価値を基本とする。分業生産を前提に、商品交換により自己の 目的を貫徹する商品所有権は、交換価値を基本(本質)とするが、この 土地所有権は、分業に基づく商品交換自体を目的することが基本的価値 ではなく、土地の自由な使用収益が本来的な土地の基本的価値であるか
らである。
したがって、固有的土地所有権論における土地所有権は、特定人が、
特定地を、法令の制限内において、自由に使用収益および処分する権利 として概念構成される。そして、特定地の地域性による地域利益が抽出 され、この地域利益を有する地域人が、地域利益のために、土地所有権 の内容を規定する権利を、地域的土地所有権として概念構成する。また、
土地所有権の、法令に制限内においての要件の側面において、体制的土 地所有権を、体制地の安全保障を担う体制が、体制利益のために、土地 所有権の内容を、規定する権利、として概念構成する。固有的土地所有 権論における土地所有権は、本稿では、太閤検地により成立し、幕藩制 的土地所有権、資本制的土地所有権、民主制的土地所有権へと展開する
ことを考察する。
以下、本稿において考察の対象としている土地所有権は、固有的土地 所有権論における土地所有権であり、この土地所有権とは、特定人が、
8
所有権と土地所有権を異なる扱いをする最近の見解として山野目章夫『物権法(第5
版)I J
(日本評論社、2012
年)1 4 4
頁は次のように述べる。すなわち「所有権の自由が 強調される所有権一般とは異なり、土地のそれに関しては、むしろ公共の制約の下で のみ行使の具体的態様が定まると考えるべきであり、いうところの公共の制約の内容 をいかに適切に充填するかが、私たちの課題となっている」。‑ 7 ー
特定地を、法令の制限内において、自由に使用収益および処分する権利 である。
第3節 考 察 の 方 法
土地は、生活の基盤、生産の基盤であり、社会の基礎であるから、社 会過程(政治過程、経済過程)は、ある面では、土地所有権をめぐる展 開ともいえる。
所有権等の権利は社会でどのように機能するかに関して、社会過程の 行為規範として機能する場合と裁判過程の裁判規範として機能する場合 に区別することができる。権利を、行為規範と捉えるか裁判規範として 捉えるかによって、その機能は異なる。
裁判規範としての権利は、権利の存否として裁判の審理判断の対象と なる。つまり、処分権主義(民事訴訟法
2 4 6
条)のもとで、権利の存否が 審判の対象としての訴訟物とされ、権利の存在が認められると原告の請 求の認容、権利の存在が認められないと原告の請求棄却として、裁判の 勝敗がつくことになる。ところが、権利は観念的なものであるので、そ の権利の発生事実を原告が請求原因事実(要件事実)として主張立証し (攻撃方法)、これに対して、被告は、その権利の発生の障害・消滅・阻 止事実を抗弁事実(要件事実)として主張立証(防御方法)し、それら の請求原因事実、抗弁事実の主張立証が成功できない当事者が敗訴する という勝敗システムを採り、このシステムが要件事実論といわれる。権 利を裁判規範として捉えるということは、権利を要件事実論において捉 えるということを意味するのである。観念レベルの権利の存否は事実レ ベルの要件事実の主張立証責任を通じて判断され、その基調は権利の発 生、障害、消滅、阻止の攻撃防御の展開となるのである。観念的な権利 の存否が、裁判の勝敗を決する基準となり、民法の権利は概念法学的に 捉えられることになる。これに対して、行為規範として権利は、権利の行使が社会的に許容さ れるか否かであり、権利は社会過程で機能する行為規範ということにな る。このように行為規範としての権利は、社会過程において、自らの行 為が社会で許容されているかどうかの規準を意味することになる。権利 は許容法規の主観的発現形態であるのである
9
。土地所有権の判断の基準としての適格さをみると、裁判規範としての 所有権は、訴訟物としての権利の存否を所有権の発生、障害、消滅、阻 止の攻撃防御の展開のなかで、裁判の勝敗の基準となることから、土地 所有権より所有権がより適格な基準となる。これに対して、行為規範と しての権利は、社会過程での行為規範として機能するところ、社会過程 は多様であり、具体的な行為であるので、所有権一般より、具体的、現 実的レベルの所有権がより適格となり、所有権より土地所有権、土地所 有権より農地の土地所有権、宅地の土地所有権で捉える方が適格だとい うことになる。裁判規範としての権利で捉えると、所有権の客体として の物の構成要件に当該土地は該当するか否かが問題となるが、行為規範 としての権利では、どのような土地か、農地か居住地か等の土地所有権 の行使が許容できるか否かとして、現実的、具体的な、土地所有権の内 容が問題の対象となるのである。土地所有権を行為規範として捉える方 法は、土地の交換価値より使用価値の側面を基本とすることを意味し、
土地所有権の多様な機能(土地の使用・収益・処分機能、安全保障機能、
地域性規定機能等)を考察の対象とすることができる。
本稿では、権利、土地所有権を行為規範として捉えることを前提に、
土地所有権の合意を考察することになるが、行為規範としての土地所有 権は、裁判過程で機能する裁判規範にどう影響するであろうか。裁判過 程は、社会過程のー側面であるから、社会過程の規範である行為規範は、
9
末川博『権利侵害論1 1
(岩波書府、1 9 7 0
年)4 4 9
頁。‑ 9 ー
裁判過程で機能する裁判規範の現実的内容の解明、裁判の判断根拠・正 当性・説得力の側面において影響することになる。つまり、行為規範と
しての土地所有権は、土地所有権をめぐる紛争の裁判を、社会妥当性の あるものとする理論ということになる。
第
4
節 本 稿 の 構 成まず、第2章において、本稿の考察の座標軸である土地所有権論に関す る資本制的土地所有権論と固有的土地所有権論を区別し、まず資本制的 土地所有権論の理論的論拠を、固有的土地所有権論を関連させつつ川島 武宜の『所有権法の理論』により考察し、二つの理論の違いを明確にす る。そして、立法者は、どの理論をとっているか、起草者の梅謙次郎の 説明を通じて確認する。
第3章において、第4章における土地所有権の成立と展開を考察する前 に、固有的土地所有権論を構成する土地所有権、体制的土地所有権、地 域的土地所有権、それぞれの意義、内容、機能等を理論的に考察して、
それらの概念の理解を深めることにする。その際、それらの概念の理解 のための説明の素材として、第
5
章の民主制的土地所有権関連の判決例を 活用することにする。現代の民主制的土地所有権の理論状況、判決例状 況を合理的、適切に説明できるかは、本稿の理論構成の客観的価値を左 右するからである。第
4
章において、土地所有権の成立と展開を考察する。まず1 6
世紀後 半の豊臣秀吉の全国統一過程における太閤検地により土地所有権が成立 したことを考察する。つまり、戦国時代における軍事力の本体である米 の生産力の増強を耕作者の百姓に一任することを目的に太閤検地( 1 5 8 2 ' " ' ‑ '
1 5 9 8
年)を契機に土地所有権を成立させた太閤検地による土地所有権で ある。次に、1 7
世紀以降、徳川幕藩体制の財政基盤として米の生産高の 安定供給のために本百姓の田畑の土地所有権の保障・維持を目的とした田畑永代売買禁止令
( 1 7 4 3
年)を契機に確立した幕藩制的土地所有権で ある。そして、1 9
世紀後半、明治維新政府による資本制的経済社会形成 のための地租と土地所有権の統一化を目的とする地租改正( 1 8 7 3 ^‑' 1 8 8 1
年)を契機として確立したのが、資本制的土地所有権(近代的土地所有 権)である。最後に、
2 0
世紀半ば、第二次世界大戦の敗北を契機とする 日本の民主的傾向の促進を目的とする農地改革( 1 9 4 7 " ‑ '1 9 5 2
年)を契機 に確立する民主制的土地所有権(現代的土地所有権)である。第
5
章において、民主制的土地所有権関連判決例の展開を、固有的土地 所有権論の観点から考察する。土地所有権と地域的土地所有権、土地所 有権と体制的土地所有権、地域的土地所有権と体制的土地所有権、とい う各々の関連の考察を通じて、民主制的土地所有権関連判決例における、土地所有権、地域的土地所有権、体制的土地所有権で構成される固有的 土地所有権論の有効性を検討する。
最後に、第
6
章において、結論として、本稿の内容を要約する。固有的 土地所有権論を、土地所有権、地域的土地所有権、体制的土地所有権の 三層構造で理論構成し、土地所有権は太閤検地を契機に成立し、幕藩制 的土地所有権、資本制的土地所有権、民主制的土地所有権を概念化し、土地所有権の展開とするのである。
‑ ‑ ー i
第
2章 土 地 所 有 権 論第
1
節 序土地所有権をどのように捉えるかの土地所有権論に関して、前章では、
本稿の考察の視座の設定の範囲で、概略的に資本制的土地所有権論と固 有的土地所有権論の基本的対立をみたが、本章では、より詳しく理論的 に考察することにする。まず、資本制的土地所有権論の本体である所有 権を資本制経済の編成原理として捉える(第
2
節)。次に、この所有権の 中身を、川島武宜の『所有権法の理論』において、固有的土地所有権論 の土地所有権を意識しながら確認する(第3
節)。そして、最後に、民法 の立法者意思は所有権をどう捉えていたかを、民法起草過程において確 認する(第4
節)。そして、本章を要約する(第5
節)。第2節 資本制的土地所有権論と固有的土地所有権論
土地所有権論は、資本制的土地所有権論と固有的土地所有権論に区別 される。資本制的土地所有権論は土地所有権を土地の所有権とする理論 である。所有権を、平等な法的人格、契約の自由とともに資本制経済の 編成原理とするものである。つまり、所有権は、平等な法的人格が、分 業体制の下で全面的に展開する商品交換を自由に(契約の自由)するた めに、物を自由に所有(使用・収益・処分)する権利である。資本制経 済の編成原理である所有権の客体が、物としての土地である場合を、土 地所有権とするので、資本制的土地所有権論と称される。したがって、
資本制的土地所有権論における土地所有権は、所有者(人)が、所有物 (物)としての土地を、自由に使用、収益及び処分する権利と定義され る。このような資本制的土地所有権論における土地所有権は資本制経済 にしか存在しないことになる。
この資本制的土地所有権論に対して、土地所有権に固有の権利として
捉える固有的土地所有権論が措定される。固有的土地所有権論における 土地所有権は、特定人が、特定地を、法令の制限内において、自由に使 用収益および処分する権利と定義される。この土地所有権は、資本制経 済の編成原理である所有権から概念的に独立した、固有の権利として、
概念構成したものである。そして、このような固有的土地所有権論は、
土地所有権を基底として、地域的土地所有権、体制的土地所有権の三層 を成すものとして理論構成する。地域的土地所有権は、特定地要件に関 連するもので、特定地の地域性による地域利益を有する地域人が、地域 利益のために、土地所有権の内容を、規定する権利である。また、体制 的土地所有権は、法令の制限内において要件に関連するもので、体制地 の安全保障を担う体制が、体制利益のために、土地所有権の内容を、規 定する権利である。
この土地所有権論におけるこつの理論の相違を、農地の場面で象徴的 にみると、資本制的土地所有権論においては、農地の所有権であり、固 有的土地権論では、農地の土地所有権となる。
第
3
節 資本制的土地所有権論それでは、固有的土地所有権論を展開する前に、資本制的土地所有権 論における所有権を、理論的に確立したとされている川島武宜の『所有 権法の理論』を、所有権の主体・客体・内容の側面において、固有的土 地所有権論を意識しながら、確認することにしよう。
考察の前提として、資本制的土地所有権論における所有権概念を確認 することにしよう。資本制経済は、商品交換が全面的に展開した経済社 会であるが、その商品交換が全面的に展開するための交換の客体である 商品の全面的に自由な支配を、「所有権の絶対の原則
J
(資本制的所有権)とし、その商品を全面的に展開する交換主体を、権利能力ある全ての人 とするために、「権利能力の平等の原則
J
(平等な法的人格)が求められ、‑ 1 3 ー
そして、その商品の自由な交換が「契約の自由の原則」として、資本制 経済の編成原理となるのである。所有権は資本制的所有権と同義であり
(川島武宜の近代的所有権の近代経済・資本制経済の側面での所有権1
0 )
、 資本制経済にしか存在しないことになる。川島は、近代的所有権(近代経済・近代私法の側面の所有権)の商品 との関係性を、「近代的所有権は、物が商品として存在することによって 成り立つのであり、近代的所有権と商品性とは、互いに他を規定しつつ また同時にみずからを規定しつつあるところの相互規定的・相互媒介的 関係にたつのである日。」と規定する。そして、その商品を近代経済(資 本制経済)におき、「近代経済における商品交換の普遍性は、あらゆる物 に『商品性』の刻印をつける。そのゆえにあらゆる物がまず私的所有権 の客体となり、物に対するすべての他の法関係は私的所有権から第二次 的に派生する(私有財産制度)、という物権法の基礎構造が歴史的に必然
1 0
川島・『所有権法の理論』は、近代的所有権として、a:近代経済(資本制経済)の法 的側面の近代私法の所有権の観念性と絶対性 r天下高人に対する関係J
(同書1 2 3
頁) を表現する物権的請求権は、②「市民的国家J
r市民社会の全体を支え且つ市民社会 の全体によって支えられるところの特殊=近代的な政治権力J
(同書118頁)によって 保障され、③その市民社会は近代的人問、すなわち「近代的人間の意識一般の基礎規 定は、まず自分が独立の・他の何びとにも隷従しない主体者でを認識し尊重するとこ ろの社会的な意識、要するに、社会的な規模において存在しE
つ社会的に媒介された ところの主体性の意識J
(同書6 5
頁)をもっ市民によって担われているとする。つまり、川島の「所有権法の理論」は、③主体的意識をもった近代的人間すなわち市民による 市民社会において、①所有権の絶対性(近代経済の側面)は、②市民的国家(政治的 側面)により保障されるものとして「近代的所有権」を理論構成したものである。一 般的には、所有権は①所有権権の絶対性、近代経済の側面で捉えられているのを、近 代国家(市民的国家)、近代経済(所有権の絶対)、個人(近代的人間)の全体社会の なかで捉えたものである。本稿の、所有権は、①近代経済・資本制経済の側面に限定 して捉えている。したがって、資本制的所有権であり、川島のいうところの近代的所 有権ではないのである。川島の近代的所有権は、近代経済・資本制経済(所有権)、近 代国家(法)、個人(近代的人間)の三側面の統合概念であるのに対し、本稿は、所有 権を近代経済・資本制経済の編成原理として、限定している。そして、国家の側面は、
体制的土地所有権として理論構成していることに留意すべきである。
1 1
川島・『所有権法の理論』・1 7 1
頁。となった
12
J として捉える。そして、近代的(土地)所有権は所有権と同 義となるのである。「かくして近代法は、所有権を、交換価値の独占的支 配権としての法の世界において『認知』せざるを得ぬのであり、このこ との故に物の利用価値は所有権法にとって従属的意義しか認められず、所有権の法的構成は、交換価値を中心とするところ
1 3 J
とし、所有権の主 体、客体及び内容に関して、「つぎのごとき特色のある三つの原則一所有 権の内容、客体および主体における統一性ーの上に成り立つこととなっ た14J
とするのである。それでは、以下に、近代的所有権即ち所有権の内 容、客体および主体を分節して、それぞれの統一性の内容を確認することにしよう。
第
1
に、所有権の主体に関して、「所有権の主体についての条件であり、所有権が何人にも属しえるという一般的な可能性の存在することが必要 となる
15 J
0 r所有権が何人にも属しえるという一般的な可能'性」とは、「権 利能力の平等の原則」のこと、身分制からの自由を意味する。所有権の 主体としては、特定人という概念は論理的に存在し得ないということに なり、当然、土地所有権の主体として特定人はあり得ないことはいうま でもない。しかし、特定人は属性ではなく、所有権の主体を個別・具体 的レベルにおいて捉えるものであり、固有の土地所有権の主体として捉 える立場からは、特定人となるのである。第 2に、所有権の内容に関しては、「商品所有権は何人の手にあっても 常に恒常的に同一の内容を保持することを必要とする円。このことは、
所有権の内容を法により規定、制限できないことを意味し、まして、所 有権の内容が法の制限内においてあることは、ここでの所有権自体を否
1 2
川島・『所有権法の理論』・1 7 1
頁。ここでの近代経済は資本制経済である。1 3
川島・『所有権法の理論』・1 7 1
頁。M
川島・『所有権法の理論』・1 7 1
頁。1 5
川島・『所有権法の理論』・1 7 2
頁。1 6
川島・『所有権法の理論』・1 7 2
頁。F h
u
定することを意味する。したがって、「法令の制限内において自由にその 所有物の使用、収益及ひ、処分する権利
J
(民法2 0 6
条)の内容は、川島の 所有権の内容にはなり得ないことになる。かくして、「何人の手へも流通 し得るごとき高度の商品性は、普遍的な利用価値の存在する場合、すな わち特定の固定せる利用関係からの解放(本書第二章参照)、使用・処分 の自由が存在する場合にもっと完全に存在するわけである。諸国の近代 的民法典におけると同じく、『自由ニ其ノ所有物ノ使用、収益及ヒ処分ヲ 為ス権利』と認められるところのわが民法の所有権( 2 0 6
条)もまた高度 の商品性を有するものと云うことができる1 7 J
となるのである。この所有 権の規定には「法令の制限内において」は除外されることになる。この「法令の制限内において」要件は固有的土地所有権論を構成する体制的 土地所有権の実体法上の根拠となることからみると、この要件の位置づ けは両理論の本質的な違いを示すことになる。固有的土地所有権論にお ける土地所有権の、「法令の制限内において」の要件は、土地の自由な使 用収益および処分は安全保障の下でしかありえないという体制的土地所 有権の裏からの根拠規定であるからである。
第
3
に、所有権の客体に関して、「商品としての統一的'性質」から、所 有権の客体は、「物すなわち有体物」と抽象的なものとなり、また、「物 の交換価値の上に基礎を置く物権法においては、動産・不動産の利用価 値上の区別は第二次的なものでしかなく、すべての有体物はまず第ーに『物』としてひとしく所有権の客体となる
1 8
」。「勿論、民法は動産物権と 不動産物権との聞に規定上種々の区別を認めている(用益物権は不動産 についてのみ可能。担保物権における動産と不動産の対立。物権変動の 対抗要件についての両者の対立)。しかし、それらの区別において、利用 価値上の規定は重要性において実際上軽微であり(条文数の多少が問題1 7
川島・『所有権法の理論』・1 7 2
頁。1 8
川島・『所有権法の理論』・1 7 6
頁。なのではなく、規定の現実的機能が問題なのである)、利用価値に関連し ての動産・不動産の区別は、交換価値支配権としての所有権の商品性の 基礎の上においては第二次的意義しかもち得ない。すべての物は、商品 としては、交換価値の量的差異を有するだけであり、利用価値における 質的差異はその背後に退いてしまうのである。要するに民法第
8 5
条はド イツ普通法学の抽象癖の所産にちがいないものであるが、そのような抽 象化の可能性と実在とは、右のような所有権であることは商品としての 統一的性質に由来するものと認め得られるのである1 9 J
。所有権の客体と して土地は物のー態様として存在するにすぎず、土地所有権の固有性は 理論的には出てこないのである。これに対して、固有的土地所有権論に おいては、特定地の地域性による地域利益が地域的土地所有権の本質的 要素となる。ただ、資本制的所有権論においても、所有権の客体の物の 要件として独立性があり、土地に関しては番地の付せられた一筆の土地 が具体的には所有権の客体となるが、それは、所有権の客体としての独 立性の具体化であり、特定地の内容としての地番に付された一筆の土地とは意味が違うことに注意すべきである。
以上、要するに、資本制的土地所有権論と固有的土地所有権論の相違 は、土地所有権の内容である、「自由に使用、収益及び処分する」側面で は同じであるが、固有的土地所有権論では、地域的土地所有権と体制的 土地所有権によって、その「自由に使用、収益及び処分」する権利が規 定されるという違いになる。所有の自由性の違いで、資本制的土地所有 権論では絶対的自由であり、固有的土地所有権では相対的自由というこ とになる。結論を先取りすれば、固有的土地所有権論において、相対的 自由の内容により、幕藩制的土地所有権(近世的土地所有権)、資本制的
1 9
川島・『所有権法の理論』・1 7 6 " ‑ '1 7 7
頁。巧t
‑ i
土地所有権(近代的土地所有権)、民主制的土地所有権(現代的土地所有 権)と理論的に区別することが可能となる。
第
4
節 立法者意思(資本制的土地所有権論か固有的土地所有権論か) それでは、民法の土地所有権論は資本制的土地所有権論であろうか、それとも、固有的土地所有権論であろうか。筆者は、民法における所有 権、土地所有権は、資本制的土地所有権論は採っていないと考えるもの である。
まず、第
1
に、日本の民法2 0 6
条の所有権の規定は、資本制的所有権を 規定したものではないということである。資本制的所有権論は、資本制経済において、商品として存在する物は、
したがって土地も商品としての存在を前提に、商品交換過程は、交換価 値原理によってなされ、経済外的な政治権力とは独立した枠組みを前提 にしている。したがって、所有権の定義も、「自由に其の所有物の使用、
収益及び処分をなす権利」となるのである。そして、川島武宜も次のよ うに述べているのである。
「商品所有権の本来的内容は交換価値の一定量であり、そうしてこの 交換価値そのものは利用価値を離れては存在しないのであるから、ある 物の交換価値の恒常性ーといっても勿論物価の変動などの、外からの原 因による交換価値の変動は、所有権の内容の問題ではなく、ここでは所 有権に内在する交換価値の恒常性のみが問題なのであるーは、その物の 利用価値の内在的恒常性を離れては存在しない。したがって、何人の手 へも流通し得るごとき高度の商品性は、普遍的な利用価値の存在する場 合、すなわち特定の固定せる利用関係からの解放(本書第二章参照)、使 用・処分の自由、が存在する場合にもっとも完全に存在するわけである。
諸国の近代的民法典におけると同じく、『自由ニ其ノ所有物ノ使用、収益 及ヒ処分ヲ為ス権利』と認められるところのわが民法の所有権
( 2 0 6
条)もまた高度の商品性を有するものと云うことができる
2 0
」o
しかし、日本の民法
2 0 6
条の所有権は、そのような資本制的所有権では ない。なぜなら、第1
に、民法2 0 6
条は、「所有者は法令の制限内に於い て自由に其所有物の使用、収益及び処分を為す権利を有す」と規定し、川島の所有権定義の「自由ニ其ノ所有物ノ使用、収益及ヒ処分ヲ為ス権 利」の前に、「法令の制限内に於いて」自由にと規定しているからである。
これは、民法起草者が意識的に規定したものである。
ボアソナードの旧民法は第
3 0
条1
項で所有権の定義を、「所有権とは自 由に物の使用収益及び処分を為す権利を謂う」とし、第2項で「此の権利 は法律又は遺言を以て非ざれば之を制限することを得ず」と規定してい た。これを、起草者は、2
項の制限規定を、1
項に持ってきて、「法令の制 限内に於いて自由」と修正したのである。その修正理由を起草委員の梅 謙次郎は次のように説明している。まず、前述の既成法典(旧民法)の1
項の所有権の定義、2
項に、その制限の規定の仕方の立法者意思を述べ て、それを否定する。「二項ニ今ノ規定ガアルヲ以テ看ルト既成法典ノ立法者ハ所有権ハ本 来無制限ノモノデ、アル法律ヲ以テ多少制限デ、所有権ノ本来ノ'性質ニ違ツ タモノデ、アルト云フ主義ヲ取ラレタモノト思ヒマス乍去一体此権利ト云 フモノハ総テ法律ノ規定ニ依テ範囲ガ定マルモノデ、アツテ所有権ニ限ツ テ其範囲ガ自然極ツテ居ツテ法律ノ規定ニ依ラヌモノデアルト云フ課デ ノ¥ナカロウト思ヒマス成程法律ニ定ツテ居ノレ範囲ハ所有権ノ
1
最モ虞クシ テ最モ大ヒナルモノニハ相違ナイ其最モ大ヒナル最モ虞イト云フコトハ 必ズ法律ノ規定ノ範囲ニ限ルモノデアリマス若シ然ウデアツタナラパ所 有権ノ、本来無制限デ、アノレ若シ法律ノ規定デ以テ多少夫レヲ狭クスルヤウ ナコトガアレパ夫レハ特ニ設ケヌ制限デ、アルト云フ主義ハ聯カ穏当デ、ナ2 0
川島・『所有権法の理論』・1 7 2
頁。Q υ
カロウト思ヒマスカラ夫レヲ本案ニ於テハ少シク違ツテ『法令ノ制限内 ニ於テ自由ニ』云々斯ウ始メカラ書キマシテ所有権ト云フモノハ本来無 制限ノモノデナイ積リデ斯ウ云フコトニ書キマシタ
2 1 J
0そして、所有権の自然法観に関して梅謙次郎は次のように否定的に説 明する。
「自然法杯ト云フコトハマダどなたモ申サレナカツタカモ知レマセヌ ガ詰リ所有権ハ本来制限ノナイモノデアツテ法律デ以テ不己得ザルトキ ノ¥制限ヲ加ヘルノデアルト云フコオトデアリマスガ然ウスルト云フト法 律以外ニ所有権ノアルト云フ意味デアロウト思ヒマスガ然ウ云フコトハ 出テ来ヌト思ヒマス
22 J
。また「自由に」の意義に関して、①自由は所有権を所有権たらしめる 本質的要素でありながら②絶対的な自由でないとする自由の二面性を梅 謙次郎は次のように説明する。
①の側面に関して、都築馨六が「権利ト云フ以上ハ必ズ法令ノ制限内 ニ於ケル自由ヲ御指ナルノデアラウト思ヒマスガ夫レニ重ネテ『自由ニ』
と云フ文字ヲ入レラレタ必要ヲ承ハリタイお」と疑義を述べる。
この質問に対して、梅謙次郎は、答える。
「之ハ飴リ望マシイ文字デハアリマセヌデシタガ併シ必要ト思ツテ存 シテ置キマシタ其課ハ唯ダ物ノ使用収益処分ト云フト夫レハ所有権ニハ 限リマセヌ其外ノ権利デモ使用収益処分ノ出来ル権利ハ津山アリマス夫 レデアリマスカラ此使用収益処分ト云フモノハ苛モ法律ノ許ス限リ使用 収益処分ニ付テ大ヒナル権利デ、アルト云フコトヲ示サヌト所有権ノ性質 ガ分ラヌト思ヒマス夫レデ『自由ニ』ト云フ字ガアツテ始メテ所有権ノ
2 1
法務官房司法法制調査部会監修『法典調査会民法議事速記録ーJ I
(商事法務研究会、昭和
58
年。以下『法典調査会民法議事速記録一』と略記する。)743
頁。2 2
~法典調査会民法議事速記録ー』・ 746 頁。お『法典調査会民法議事速記録‑J1・
748
頁。所有権タノレ'性質ガ分ラウト思ヒマス
24 J
と答える。「自由に」には、自分 の意思で、主体的に行うのであるから自己責任を伴うという合意がある が故に「有モ法律ノ許ス限リ使用収益処分ニ付テ大ヒナル権利デ、アルト 云フコトヲ示サヌト所有権ノ性質ガ分ラヌト思ヒマス夫レデ『自由ニ』ト云フ字ガアツテ始メテ所有権ノ所有権タル'性質ガ分ラウト思ヒマス」
という立法趣旨を述べているのである。
自由の②の側面に関して、所有権制限強硬派の奥田義人の「法令の制 限内に於いて自由に」を削除すべきであると提案し、その提案理由とし て「全ク権利ハ法律ノ制限内ニ於テ成立スルモノデアウノデ、アルカラシ テ斯ウ云ウコトハ所有権ノ所ノミニ書ク必要ノ¥ナイダロウト考マス
25
J。 この提案に対して、梅謙次郎は論理的に痛いところを突かれて反論す る。「奥田君ニ御注意シマスガ此『法令ノ制限内ニ於テ自由ニ』ト云フコ トノ¥今奥田君ノ申サレタヤウナ意味デ吾吾ハ書カヌデアリマシタ『自由 ニ』ト云コトハ所有権ノ所有権タルモノハ外ノ権利ヨリ庚イカラ書イタ ノデアリマス『自由ニ』ト云フガ絶対ノ自由デナイト云フコトヲ示サン ガ為メニ『法令ノ制限内ニ於テ』ト云フコトニシタノデアリマス
2 6 J
。このような、所有権の絶対性を主張する者と所有権の制限を主張する 者との両面からの修正意見を退けて、起草者の本案が修正なしで、通った のである。資本制的所有権概念を採用している旧民法を採用しないが故 に、旧民法の所有権規定を修正したのである。
第
2
に、土地所有権については、民法2 0 7
条で、「土地の所有権は、法 令の制限内において、その土地の上下に及ぶ」と規定しており、所有権 を内容、客体の統一性、抽象性で捉えていないからである。つまり、2 0 6
2 4 W
法典調査会民法議事速記録ー』・7 4 8
頁。2 5 W
法典調査会民法議事速記録ー』・7 4 9
頁o 2 6 W
法典調査会民法議事速記録ート7 4 9
頁。‑ 2 1 ‑
条と同様の「法令の制限内において
J
r土地の上下に及ぶ」との規定は、土地所有権を固有のものと捉えることを認めることを合意している。民 法
2 0 7
条の規定は、土地所有権の固有性を前提として、所有権の内容、客 体が、物の使用価値と交換価値を持つ現実形態を前提としているからで ある。そうでなければ、民法2 0 6
条の但し書きか、2
項とすべきである。別規定
( 2 0 7
条)として、使用価値による所有権の客体の内容を「土地の 上下に及ぶ」とし、自由な所有の内容を「法令の制限内において」再度 規定して、所有権と土地所有権を条文上、区別しているのであり、この 観点に立てば、民法2 0 7
条は、固有土地所有権論の土地所有権の民法上の 根拠規定を意味することになる。これに対して、所有権を資本制経済の 商品性からアプローチする場合には、「所有権の商品性のもっとも徹底的 に存在する場合においては、物の諸の具体的な利用形態は商品的所有権 が一時的に採る現象形態にすぎぬのであり、その本質はまさに抽象的統 一的な貨幣価値の一定量であり、そのようなものとして、すべての所有 権は、個性をもたぬところの・共通の分母(貨幣価値)を有する・互い に等質的な存在にほかならぬ27 J
ということになる。この理論からは、所 有権は国家以前にあり、国家意思の表現形式である「法令の制限内にお いて」の自由な所有は論理的に在り得ないのである。そうすると、民法2 0 6
条は、明確に「法令の制限内において自由に」と規定しているのであ るから、さらに、民法2 0 7
条は、重ねて、土地所有権は「法令の制限内に おいて、その土地の上下に及ぶ」と規定するところをみると、立法者は、資本制的所有権論における所有権概念には否定的であるといえよう。
たしかに、民法典の構成において土地の所有権を捉えると、民法は所 有権の絶対、資本制的所有権をとっているとの解釈も可能で、ある。
まず、第
1
に、民法典は、内容的に、資本制経済の編成原理(私法上)釘川島・『所有権法の理論』・
1 7 3
頁。である権利能力の平等の原則(民法
3
条)、契約の自由の内容(民法9 0
条) を規定しているからである。民法2 0 6
条の所有権の規定も、制限されては いるが、資本制的所有権を規定しているものと解することも可能である。それ故、民法
2 0 6
条の所有権規定の「法令の制限内において」を無視し、その制限は公法上の制限であるとして
2 8
、私法上の解釈としては一貫する とする見解が支配的となったのも無理もないことである。第
2
に、民法は、土地利用の場面で、用益物権として、耕作目的の永小 作権(民法2 7 0
条)、工作物所有目的の地上権(民法2 6 5
条)を用意しな がら、不動産の賃借権は登記がなければ第三者に対抗できないと規定し ているからである(民法6 0 5
条)。現実の土地利用の場面では、「所有権の 絶対'性」を実現し、資本制的土地所有権を採用しているのである。しかしながら、立法者は固有的土地所有権論を採っていると考えるべ きであろう。間有的土地所有論の要素である、「法令の制限内において」
の立法、特別法として、まず第
1
に、1 9 0 9
(明治4 2 )
年制定の建物保護法 により、建物の所有を目的とする土地の賃貸借については、建物の登記 で土地所有者に対抗できるとして、宅地・工場等の土地所有権が制限さ れ、第2
に、大分遅れて戦時体制の下ではあるが、1 9 3 8
(昭和1 3 )
年制定 の農地調整法により、農地の賃借権で、ある小作権について、農地の引き 渡しに対抗力を認めて、農地の土地所有権を制限したからである(同法8
条1
項)。以上から、本稿は、土地所有権を固有的土地所有権論において捉える 方法をとることにする。次章で、この固有的土地所有権論の内容、構造
を考察することにしよう。
お土地法を土地私法と土地公法に区別する見解である。私法上の土地所有権としては
「法令に制限内において」は無視され、公法上の規制の問題として処理される。私法上 は権利濫用法理で制限されるにすぎない。本稿後掲注