死滅する風景
一美的なものの再定義のためにM−一一
D圭eabsterbeltde Landschaft
−−yur Wiederbestimmung des Asthetischen III−一一
中 尾 健 二
Kenji NAKAO
(Rece三ved Oct.1,1977>
ヨーuッパの風景画の成立は突発的であり,それの今世紀初頭からの抽象表現による解体も また劇的であった。この数百年のレンジをもったヨーロッパの風景画の歴史の背後には,ヨー ロッパの近代がある。いまや命脈をたたれた風景画の背後には,命脈をたたれた感性があり,
その感性をつつみこむ体制もまた,おそちくあるであろう。
自然と人間との美的なかかわりあいを問題にしていく場合,具体的には風景画という芸術の 一ジャンルが,ごく自然に浮かびあがってくる。これを跳躍台にして,風景一般の成立,ひい ては自然美のふくむ問題性に近づき,ある一般的な展望をうる地点にまで到達できるだろうか。
あるいは,個々の芸術作品と理論的意識(美学)とのギャップのなかで,方向を失って墜落し てしまうことになるのだろうか。いずれにせよ,美学の歴史がシェリング以後自然美を排除す る一一方,風景画が19世紀の芸術において主要なジャンルであったというこの自然に向かう姿勢 のギャップそのものが,いまや理論の運動領域であり,その起動力そのものとなるのである。
現在,風景画はわれわれにとってごくなじみぶかいジャンルになっている。おおくの日曜画 家達の題材であり,普通の家庭の茶の間にかけてあってもなんら不自然でなく,子供達は学校 で自然の風物を写生させられたりしている。それはH常生活のなかになんの異物感もなく,す んなり受けいれられている。しかし,こうした自明性が,これら一連の事態が歴史的経験である ことをおおいかくしてしまうのである。美術史に多少とも知識のある入ならば,風景画が19世 紀にのみさかえたジャンルであることを指摘しうるであろう。しかしさらに,なぜ風景画が現 在のわれわれの趣味にひろく合致し,つまリサブカルチャーとして広汎に根をおろしているか,
またそもそもいかなる歴史的経験が風景画を生ぜしめ,ささえたのかは,美術史の領域をはる かに超えてしまう問いであるかもしれない。この自明性の謎,すなわち一つの歴史的生成が,永 遠の与件であるかのごとく仮現するのはなぜなのだろうか。
楽
人間は,昔から風景を描きつづけてきたわけではない。風景画の存立をささえるものは,自 然を風景とする,すなわち,自然を美的なまなざしの下に見る特殊な関心(1就eresse)である。
ヨーロッパでは,この関心の成立は近代という時代のそれと照応する。ここで心すべきことは,
この美的なまなざしもまた特殊ヨーロッパ近代的なものであり,普遍化されてはならないこと である。これもまた近代という体制のうちにあワ,安易にことなった体制のうちにある東洋の 山水画などに横すべりさせて,両者をあたかも共通の関心がつらぬいているかのごとくに比較 し,鑑賞することは,見えない体制をさらに不可視にするものでしかないだろう。これは,われ われのおちいりがちな態度である。中国では,すでに盛唐以降,山水画が,人物,花鳥を排して,
絵画の主流となる。その影響下にある日本もまたしかりである。こうした東洋の絵画的伝統の なかで培われた趣味が,ヨーVッパの風景画を受容するときに作用していないとは雷いがたい。
そして,そこに描かれている自然の概念が両者まったくことなったものであるならば,ヨーPッ パの風景画を享受することによって,われわれは靴をはいて畳のうえを歩きまわるような奇妙 な茶番劇を演じてきたのではあるまいか。
ことなった伝統のなかで培われた趣味の混在によって,見えにくくなるものがあるとすれば,
できるかぎり両者をわけ,それぞれを解明してみなければならないだろう。しかし同時に,た んなる比較文化論に終らないためには,事柄の別の局面にも眼をむける必要がある。それは,
「均質化の危機」(i)と呼ばれていいものである。近代科学と近代産業とは,ある抽象のンベルを もっており,いつどこででも,まただれによっても,プログラムされた過程をふめば,かなち ず一定の結果をうることができるといった性格をもっている。一つの事象は交換可能なヒナ型 にすぎず,この意味で個別性,特殊性は廃棄される。ある抽象のレベルをたもっているがゆえ に,自在に運用しうる近代の科学技術は,最終的には資本価値増殖に収徹する目的合理的な行 動様式を生みだし,ローカルなもろもろのモラル,制度,習俗などにたいして,いまや圧倒的 な勝利をおさめつつあるように見える。宇佐美圭司は,イランのオールド・バザールを切り裂 いて進む道路建設にこの「均質化の危機」を見ている。すなわち,伝統的な生活空間を世界中 いたるところで解体していく,近代化の世界中どこででも同じ顔である。労働者の住む団地は 洋の東西を問わず,さしずめモンドリアンの描く矩形からのみ構成された抽象画に似て,同じ ような形態を呈し,すべての近代都市は,ミニ・ニューヨークであるにすぎない。トータルな 合理化の運命はいまやグローバルなものとなり,その勢いは弱まることをしちない。日本もま 凌例外ではない。明治以降の近代化は,確実に日本人の美的感覚をも深部から変えてきたにち がいない。とすれば,ヨー一一・Pッパ近代に随伴した風景画を受け入れる感性もまた,近代化一 本質的にはあれこれの,H本のとか中国のとかといった近代化などというものはなく,ただ近 代化というもののみがある・一一によって,日本においても形成されてきたと考えることができ る。ヨーロッパの風景画を受けいれる感性が,近代化という歴史的過程を経過する一切の地域 に普遍的に形成されたのではないだろうか。
客体の本質は延長であるというデカルトの世界像をそのまま絵にするならば,キュービスト 達や,モンドリアンのもっともラディカルな抽象画一色彩は三原色と白黒,線は水平と垂直 の直交線のみからなる一一のようになるだろうか。これもまた,ヨーロッパの絵画的伝統にふ
くまれていた認識論的傾向の必然的結末であり,それとの断絶ではないとも言えよう。しかし,
ここでは近代芸術の旗印である個性の表現は極少となり,わずかに画面溝成にそれが残される だけである。だれが描いても同じような絵になることはまちがいない。それは,特殊なものの 頭ごしに像をむすぶ一般者にすぎない。作品につけられる人間の名前は,もはや意味のないも
一一一T2−一
のとなり,芸術の概念自体が問いにふされることになる。具像を打ち破って抽象へという一つの 解放は,すぐにこの抽象というf均質化の危機」のなかで,個性の表現の,自由の消滅へと転 化してしまったのである。しかし,あいまいな仮象性を自己否定した認識の優位によって,芸 術の死によってあがなわれたこの留険は,真の自由なき時代の深部を撃つものでもあったので
ある。
美しい風景と美しい風景画を連続的に考えてもいいであろうか。風景画なしに自然美を論ず ることが困難であるにせよ,自然美の対象は人間の手のくわわらない自然そのものであるのに たいし,風景画といえども,すなわちそこに自然が描かれているにせよ,それは人間の手にな る制作物,人間の手による自然の再現であって,自然そのものではない。あくまで人工物であ る。ここに注目するなちば.美しい風景は自然美,美しい風景画は芸術美という裁然とことな る二つのカテゴリーに分たれることになろう。しかし,これはごく表面的弁別であって,事 態はむしろここから錯綜したものとなる。「絵のように美しいJという言葉は,絵つまり芸術に
よってあらかじめ形成された趣味に,ある風景が合致したとき発せちれるであろう。あくまで 芸術が先行して,一つの趣味を形成し,それをまってはじめて,ある自然の一場面が美しいと 感ぜられる,こういった事態をこの言葉から読みとることができるであろう。第一次的なもの は,ここでは芸術美であって,自然美は従属的なものにすぎない。このことは趣味の形成史,
受容史にとっては重要なことであるが,この「絵」の成立そのものを説明することはできない であろう。このできあがった「絵」かち出発するかぎり,この「絵」を成立せしめた歴史的経 験に到達することはできない。ある画家が自然の一場面を描こうとするとき,その自然の一場 面が画家にとってなんらの関心の対象ともならない,たんなる素材にすぎないということは予 想しがたい。その自然の一場面が美的に意味あるものとして現象しているのでなければ,端的 に風景として現象しているのでなければ,画家はこれを描かないであろう。もちろんこの意味 あるものの幅は大きい。レオナルドの自然を描いた絵画一一イタリア・ルネサンスでは,風景 画はいまだ完全に自立したジャンルになっていないがゆえに,かれにとってこれらはすぺて習 作であるにすぎない一は,背景のためか,自然科学的関心によっている。もちろん,レオナ ルドにおける自然科学的関心が,後世のモダンなそれと同一一視されてはなちない。おそらく,
美的な関心もそこに未分化なものとして含まれていたのではないだろうか。ケネス・クラーク は,ドレオナルドの科学研究の方向を決定したものは一般的にいって,彼の審美的欲求であった ことが証明できるように私は思う。」(2)とまで語っている。いずれにせよ,壮大なドラマ好みのミ ケランジェVに風景画への志向がなく,自然科学的なレオナルドにそれがあることは,一つの 象徴的な事件である。かれの洪水を描いたデッサン群には,自然の生命力に魅せられた一人の 人間の心と,中世から近世への歴史の大きな奔流とを見る思いがする。レオナルドが風景画の 萌芽期にいるとするならば,モンドリアンはその解体期にいる。かれのその形態をだんだん失っ て抽象化する《樹》の運作は,スリリングとさえいえる。しかし,かれの志向は,樹木という 具体的形態をたんに廃棄することになく,そのリアリティーをさらに深部においてとらえるこ とにある。それがエレメントー水平線と垂直線だけによる構成一への還元,いわば絵画 の素粒子化への道をたどったのである。見えるところの自然から自然そのものの実相へという 努力が,抽象絵画をひきよせ,自然を画面から消しさってしまったのである。自然を絵画に登 場させたことに科学的精神が介在していたとするならば,それを退場させたことにもこの精神 が一枚くわわっていたといえるであろうか。レオナルドとモンドリアンの間の時期に,自然は
画家にとって意味あるものとして現象していた。いままで検討なしに用いていた言葉を再度っ かわせてもらうなら,美的なものとして現象していたのである。自然がそのように現象しては じめて,つまり風景として現象してはじめて,画家が風景画を描きはじめたとするならば,津 然美の経験こそeg−一一次的なものであるといえるであろう。自然が風景として現象する,いいか えれば自然を風景としてとらえる主体の成立は,一体なにが招来したのであろうか。
1335年4月26日に,ペトラルカはヴァントゥー山に登った撃)ブルクハルトによれば〜4)かれ は風景をおおかれすくなかれ美的なものとして知覚し,享受したもっとも初期の近代人のうち の一人ということになる。ペトラルカ自身の報告によると15》かれにとっても登山は,新しい,こ れまで試みられたことのない,そして最終的には訳のわからない企てであった。ただただ,尋 常でない高みを直接見てみたいという熱望にかられてのことであった。
「われわれ(ペトラルカは,弟をともなっていた)は,一人の老羊飼いに出会つた。かれは書葉をつくして 登山をやめるようにといいきかせた。その老羊飼い自身も,50年前に若さにまかせて岡じように山の頂上ま で登ったことがあるというのである。だがしかし,そのときかれは,後悔と疲労,ズタズタになった体と衣 嚴いがいになにも得るところなく帰宅したというのである。そして,それ以前もそれ以降も同じようなこと を強行した人がいるなんて聞いたことがないという語であった。」(ff}
しかし,ペトラルカはついに頂上に立つ。大気の息づかいと広大な展望に圧倒されて,気も 失わんばかりであった。ここでかれは,持参したアウグスティヌスの『皆郎を読む。それは 当然にも,キリスト教的な精神の優位を説くものであったろう。ペトラルカは,いまだ地上的
なものに賛嘆している己れに腹を立て,その本を閉じる。魂いがいに賛嘆にあたいするものが あるだろうか,というわけである。ヴァントゥー山の高みも,人問の精神が到達しうる高みの 足もとにも及ばないものだ。こうして,風景としての自然への志向は,一転して人間の内面へ の志向に,自然かちの超出に転調してしまうことになる。こうした背反する志向がうずまいて いるにせよ,ペトラルカはやはり,あらゆる実践的目的かち独立した,それ自身のための登山 を,つまB自分のあくなき熱望を合理化しようとする。その際,ギリシャのテオリアの概念が 引き合いに出される。あらゆる実践的目的から独立して世界全体の真相を観るこのテオリアと いう態度は,この登山を合理化するのにもってこいであったかもしれない。キリスト教的世界 から離脱していく過程で,古典古代の諸思想の媒介が不可欠であったという周知の歴史の常識 の一つのモデルがここにも存在する。最終的にこの合理化が適切であったにせよ,そうでなかっ たにせよ,理論的態度(テオリア〉と登山による展望の美的享受が,ペトラルカのヴァントゥー 山行という一事件のなかで親密な関係にあったことは記憶されてよい。そして,老羊飼いとい
う一生活人にとって,この一知識人の行為は,愚行にしか思えなかったということも。
生活人にとって,大地は耕地であり,海は魚場であり,樹木は木材である。周囲の自然は,
《非有機的身体》として,《Zuhandensein》として,己れ自身の身体との連続のうちにある。ハ イデカーの《Zuhandensein》の《Zu》は,「… のために」というプラグマティックな連関を 意味すると同時に,連結と連続を感じさせる。この点,《Vorhandensein>の《Vor》が離れた感 じ,なんの関係もなく眼の前にポツンとあるといった感じをあたえるのと好対照をなしている。
セザンヌはある対話のなかで,つぎのように語っているe
「田舎の人々の問でわたしは,かれらが風景とは何であり,樹木とは何であるのか知っているのかどうか,
疑うことがときおりあったe市場でジャガイモを売ろうとしている農夫は,サント・ヴィクトワール出を けっして見なかった。・一かれらは道にそったこの場所に何がまかれているのか。サント・ヴィクトワール 山が帽子をかぶっているかいないかで,明貰の天気がどうなるかを知っている。・…しかし,木々が緑であ ること,そしてこの緑が木であること,この大地が赤いこと,そしてこの赤い石ころが丘をなしていること,
多くの入々はこのことを感じていないし,有用なものにたいする無意識的な感情をのぞいてはこのことを知
りもしないとわたしは思う。.i{7}
ある種の信仰にとって,高山は神々の座であ1) ,畏敬の対象であるであろう。しかし。キリ スト教的世界に住む農夫にとって,それは生活にかかわるかぎりで関心の対象となるにすぎな い、ヨーロッパの絵画的伝統のなかで,それを超えるべく苦闘しながら,愚かれたようにサン ト・ヴィクトワール山を描きつづけたセザンヌの行いは,やはり農夫にとって愚行としか思わ れなかったであろう。
このような愚行の合理化は,前述したように,ペトラルカにおいてはギリシャのテオリアの 概念によるしかなかった。たしかにこのテオリアは,全自然,コスモス,すなわち世界秩序を 考察を通じて把握するものであった。しかし,この場合,そのような考察のOrgan(機関)は あくまで概念であって,感性的・美的なものによるのではなかった。この概念によって,星空 も大海も小川のせせらぎも十分に包括されるものであった。そこではこの理性的概念をこえて,
感性的自然そのものにむかう根拠は存在しなかった。ペトラルカがテオリアの伝統に自分の経 験を組み込もうとした努力は,この点で挫折せざるをえない破自になる。テオリアという態度 が,ギリシャにおいてそのコスモス概念とあいまって全体性要求を満たしていたとするならば,
美的なものの自立的形成は、テオリアという概念による世界の認識,端的にいうならば,近代 の学問の変質を予想させる。近代の学問が全体性を要求する資格を失い,部分的合理性の追求 へと頽落するならば,そして概念という機関もまたそれと運命をともにするならば,この全体 性要求はうめきだすにちがいないのである。「わが上なる星空とわが内なる道徳律」というカン
トの名文句が,すでにこの分裂を言いあてている。星空をうこかす力と道徳律とは,ことなる 原理なのである。星空が規範力をもっていたギリシャのコスモス概念からは,すでに遠くはな れてしまったのである。そして,学問の全体性要求をめぐる問題性こそ,全ドイツ観念論をつ らぬく赤い糸であり,そこにおいて美学もまた体系のうちで欠くことのできないモメントと なっているのである。
ペトラルカとかれの出会った老羊飼いのあいだに,セザンヌとかれのまわりでくらしている 農民たちのあいだに越えがたい距離があった。ギリシャのテオリアがすでに,労働に手をそめ ぬポリスの市民層を発生基盤に成立している。そこに古代奴隷制と近代資本主義のちがいがあ るにせよ,両者は現実の労働からの距離を前提とするという点で共通している。この距離は,
他人の労働という犠牲のうえにしか存立しえないeしかし,他人の犠牲のうえにたった全体の 認識とは何であろうか。欺隔とまでいわないまでも,奇型化をまぬがれないのではないだろう か。とすれば,美的なものの自立的形成に,われわれは支配の近代的形態を読みとるべきであ ろうか。すなわち,支配の近代的形態によってひきおこされた症候群とこの支配自体への反抗
を。
1750年にバウムガルテンは,感覚行為にもとずく芸術の哲学である美学を,厳格な体系的構 成のもとに,はヒめて世に送りだした。そして,この美学は学問の理性的概念に一貫して従属 するものであるが,同時に入間の認識行為の重要な部分として,かれによって承認される。芸 術は固有の真理,すなわち感覚と感情のエレメントにおける真理,美的な真理 (veritas aes−
thetica)をもつものとされる。論理的,形而上学的真理(veritas logica)は,なるほど美的な地 平の彼岸にあって,もっぱら理性によってのみ到達しうるものであるが,やはりそれは一切の 感じとちれるものからの抽象をふくむものである。それゆえ,論理的な真理の理性的概念の網 にかからないものは,美的な諸芸術によって感覚的に認識され,美的真理へとたかめちれるの である。バウムガルテンにとって,美的芸術と論理的学問は互いに補完しあう関係にあるので ある曾近代の科学による自然の客体化,物象化と美学の台頭とは,時を同じくする。コペルニク ス的世雰像が,われわれの生活実感から離反すればするほど,すなわち近代自然科学がわれわ れの生活実感との対応を失えば失うほど,美学はその必然性をまし,プトレマイオス的世界 像*のなかにふくまれた真理を保持しようとする。近代の学問がもっている一定の限界の意識こ そが,つまり科学批判こそが,美学の自立的形成を招来するのである。バウムガルテンにあっ ては,いまだ調和的に体系におさまっていたveritas Iogicaとverita$aestheticaは,ゲーテの ニュートンにたいする激しい反発に象徴されるように,その後の歴史のなかでますます尖鋭に 問題化されざるをえなかった。われわれは,この問題を大規模かつ緻密に展開したカントをモ デルとして,このへんの事情に光をあててみたい。
m自然は,天と地として己れの生存が帰属する場所であり,また天と地として己れの生存に帰属する。非有 機的身体としての自然は,物象化され,数学化された自然とは対極にあるものである。科学主義化されたマ ルクスの麹然概念もまた,こうした問題意識にたって救出されねばならないだろう。プトレマイオス的世界 像は,キリスト教教義のデモンストレーシyンとしてではなく,感駐的で実践的な入間・自然内存在として の人間によりよく対応するものである。
カント美学は,それ自体の解読によってではなく,全体系中にそれが占める位置価の解読 とりわけ理論哲学との関係によって,その意義をよりよく理解することができる。近代の理性 的自然認識を正当化するにさいし,カントがどのような測答を用意したかを考えてみることに よって,かれの美学への転回もまたあきちかになる曾)『純粋理性批判』において,r自然とは,
そもそも諸現象の合法則性である」(KrV B165)とされる。われわれの認識にしたがうべき一 これがかのコペルニクス的転回であるが一一ものこそ,荒々しい,脅威をあたえる自然でも,
ロマン派の魂をふきこまれた生きた自然でもなく,まさにこの法則的な自然なのである。こう した自然概念の制限とともに,これと対応して自我概念もまた制限される。このコペルニクス 的転回と称されるテーゼー対象がわれわれの認識にしたがうのであって,その逆ではな い一は,厳密な自然科学の基礎をなすのであって,その性格上,主体はいつ,どこででも同 一の主体,だれとでも交換可能な主体でなければならない。こうした主体を確保するために,
次のような理論的要請が必要となる。つまり,諸経験一般がつくられるまえに,すべての経験 に論理的,必然的に先行し,事実としてすべての経験にともなう一つの経験が存在しなければ ならない。それは,統覚の超越論的統一のうちで,どの表象も同一の自己に属することをしめ
の の の り り ゆ の
すために,自分のハンコをおしつづけるがごとき自我である。「わたしは考えるということが,
わたしの一切の褒象にともないうるものでなければならない。」 (KrV B131)ということにな
る。このような「わたしは考える」は,個々の経験的な「わたしは考える」からはっきり区別 された,経験のra−一一性を保証するためにのみ要請されている。それをカントは,「自発牲の作用」
(KrV B132)と言うほかなかったとしても,それなくしては人間の理性的自然認識はその根拠を 失ってしまうのであるe
「さもなかったち私は,私の意識しているさまざまな表象に応じて,それだけさまざまな贈己(Selbst)』
をもつことになるだろう。直観における多様なものの綜合的統一は,ア・プ}」オリに与えちれたものとして,
私のあらゆる一定の思惟にア・プリオ}1に先きだつところの統覚の同一一性そのものの根拠なのである。しか し結合は,対象のうちに存するのではない,また知覚によって対象から得られ,こうして初めて憎性のうち に取1)入れられるようなものではあり得ない。この根源的結合は,まったく悟性のなすわざである。即ち懐 性は,ア・プリオリに結合する能力であり,また直観における多様な表象を統覚によって統一する能力にほ かならない。そしてこの統覚の統一一という原則こそ,人聞の認識全体の最高の原理なのである。」(KrV B134f.
訳文は篠田英雄(岩波文庫版)による。)
なるほど,こうした「わたしは考える」はある意味で空虚かもしれない。しかし,それなく してはすべての表象は,その時かぎり,その場かぎりのバラバラなものとなってしまうがゆえ に,論理的には必須のものとなるのである。現実が無秩序のカオスではなく,一つの統一体と してあらわれることを,この「わたしは考える」が保証している。いいかえれば,r同じわたし が考えつづけているjという前提があってはじめて,自然の法則的認識も論理的に可能となる のである。「AはAである」という同定は,同時にこの同定をおこなう主体の同一牲,すなわち fわたしはわたしである」が確保されていてはじめてなりたつものである。このような「わた し」は,カントにあって当然の前提として,ア・プリオリなものとして,つまりそれ以上解明 を必要としないものとして措定されている9°)そして,上の引用文かちもあきらかなとおり,実 際にその任にあたるのは,つまり伺一性をささえつづけるために働いているのは悟性にほかな らない。制御可能な個別事象の合法則的複合体としての自然がしたがうのは,この悟性である。
「経験とは,疑いもなくわれわれの鱈性が,憲腔的感覚というなまの素材に働きかけて生み出すag−一一の産物 である。」(KrV A1)
感覚というなまの素材(原料)に働きかけて,経験という成果(産物)を生み出す懐性は,
一個の生産力である。またその産物は,合法則的自然という近代的経験である。ここには,理 論の鏡にうつされた生産するブルジョアジーの姿がある。悟性が一瞬でもその働きをやめるな ちば,世界は無秩序に多様なるものへと散乱してしまう。こうして働きつづけることによって のみ,その存立を保証される主体は,封建的な秩序にたいして革命的な機能をはたすことにな る一方,自我は硬直した同一性へと収縮することになる。この理論的構成の秘密は,自然から 独立した工場のなかで,機械(悟性)をつうじて,原料く感性)に働きかける小商品生産者だ ろうか。ここに,すでに主体が単なる機械(悟性)の付属物になりさがりかねない近代の構図 が予告されている。自然の物象化は,主体の物象化と対応している。
『純粋理性批糊は,学問の概念を諸現象の合法則性へ,つまり悟性の支配要求に服従する かぎりでの制御される自然に制限している。この制御される自然の彼岸にある,支配からのが れでる自然が,カントにとっていまや問題となる。そうした自然の存在を否定するのではなく,
特殊な領域,すなわち美的なもののなかへと救出することが絶対的に要請されるのである。美 的なものは,ブルジョワ的な自然支配の条件下において,制御される自然の彼岸にあらわれる 感性的な意味の必要不可欠な表現になるのである。理論哲学において,たんなる素材におとし められた感性が,ここにおいて自律的なものとなる。感性は,悟性との自由な遊戯のなかで解 放されねばならない。(KUB198)
ここで,判断力の体系的任務について考えてみよう。この判断力は,無限に多様で特殊な経 験的法則の《集合体》を一貫した法則的連関の《体系》として示さねばならないのである91}そ れは,盲然支配的悟性とその理論的立法,目的措定的理性とその実践的立法,いいかえれば罫純 粋理性批判3と『実践理性批判』とのあいだには「見わたしがたい深淵」が口を開いていたか
らである。(KU BXIX)規則的ではあるが,最終的には無自的の対象生産と抽象的な行動指令を 媒介するものこそ判断力でなければなちないPt悟性に服従する自然はなるほど経験的諸認識を 可能にするが,そのもろもろの認識には最終的な綜合的統一一が欠けているのであるま
x現代の科学分業下における個zaの分野での進歩は著しいが,その科学の営みが全体として何をめざしてい るのかは,この分業化した科学かちは解答は望むべくもないのである。それどころか,現与の体制の利益の 下にその手足となっているだけの観さえ呈している。悟性が,カントにあって,いかにも機械のような性格 に描かれていたことは,まさしく事態の真相に合致するものであった。
判断力の課題とは,まさにこうしたもろもろの認識を資的にむけて解釈し,基礎づける,す なわちこれらを普遍的な目的論のうちにおくことにほかならない。すでに『純粋理性批判』が,
統合化を動機として農開されていたように,ここではさらに包括的な領野における統合化がめ ざされる。美学的判断力は,感性的な自然概念と超感性的な自由概念とのあいだに口を開く深 淵を,自然の合目的性という概念を想定することによって,うめようとする結合環なのである。
この自然の合目的性は,快・不快の感情,趣味によってとらえられるわけであるが,こうした 観照的態度による合目的性の把握という構想は,うしろむきに解釈するならば,神の設計によ
る世界創造という神学のヴェー・....一ルのかなたに消えていくほかはないだろう、しかし,いかに自 然支配的悟性の無目的的対象生産を全体性のうちにつなぎとめるかという努力とそれを解する ならば,カントの構想は,社会的生産の理性的連関の創出という今日的課題と通底するものな のである。さらにまた,構想力と悟性の自由な遊戯(KUB28)という言葉には,抑圧されざる感 性が,しかも理性的に存在するという,マルクーゼの労働と遊戯の一致するユートピアさえ予 感されるのである。マルクーゼまで飛躍しないまでも,シラーの「人聞は遊戯においてのみ自 由である」というテーゼとの直接的関連は明白である。それは,市民社会の自然支配的実践一一 人間的感性の抑圧をもふくむ一への批判を動機として展開される一つのユートピア構想だっ たのである。とはいっても,やはり自然にたいし立法的な悟性と自由にたいし立法的な理性の あいだにはさまって,認識からも実践からも排除された観照的な美学的判断力は,いかにも無 力なように思える。ふだんは私的な利害打算にくれているブルジョアジーが,演奏会場でだけ 普遍的な人間性に目覚めるといった欺隔の臭いさえしないでもないのである。社会的生産の分 業化が拡大し,全体的な目的がますます不可視になるにしたがい,自然の合目的性という予定 調和はますます虚構の色をこくしていくだろう。そして,美はますます自律的な領域,芸術へ と閉じこもることになる。自然支配的悟性を全体的な目的論のうちにはめこむために強調され た自然美もまた溝えていく。自然とわれわれの社会が,部分的な合理化と私的な利害闘争にも かかわらず,合目的的であるかのように思いなす美学的判断力は,一場の夢として,あからさ まな非現実へとかわる。一つの自然認識でもあった美学的判断力は,自然と自由とを結合する 環としての役割を失い,表現美学への道をすすみ,自然認識は,もっぱら自然支配的悟性の独
占するところとなる。美と自然はラディカルに分割される。
市民社会のよき表現たりえているカント哲学から,われわれはっぎの仮説を導くことがゆる されるだろう。ブルジョワ革命によって労働一科学営為をふくむ一は,あらたな質を獲得
するeそして,この質自体が労働を部分的な合理性へと制限する。なぜなら,第一に自然なら びに人間的自然としての感性がここではもっぱら制御されるものとして,他律的なものとして しかあらわれないからである。第二に,自然の法則的認識ならびにこれに立脚する技術的実践 は。それ自体として目的をもっておらず,この目的を措定すべき人倫的社会とは,その質から して切断された領域にしかすぎないからである。この限界設定から美的なものの成立が必然化 されるのである。この美的なものは,快の感情をつうじて,われわれに歴史の目的を,一つの 全体的調和をさししめすものとされた。それなくしては,悟牲による認識もたんなる知識の集 積でしかなく,実践理性もまた抽象的な要請のうちに空転してしまうほかないのである。しか し,現実の歴史の動向は,カントの努力を裏切ることになる。シンフォニーが各声部,各楽器 の渾然一体とした響きとソナタ形式によるダイナミックな構成一一それはあたかも歴史の全体 的運動をミメーシスするかのようである一を獲得すればするほど,それに耳を傾ける聴衆は,
互いに孤立していったのである。聴衆たちは,実生活で破壊されてしまった全体的調和を,作 品への没入をもって埋め合わせるのである。抽象的普遍としての法臨国家と具体的個別として の市民社会を媒介すべき美的なものは,その媒介機能を失って,独立国を形成し,内政干渉は しないとの約束のもとに,これらと平和共存することになるのである。真,善,美なるカテゴ リーの定着は,こうした諸領域の自立化という歴史的傾向に根をもっている。では,カントに おける美的なものの構成は,机上の空論として無に帰するのであろうか。もしそうであるなら,
近代のおおくの芸術家の,平和共存とはもはや需いえない,社会から追放されたものとしての 孤独な,苦痛にみちた精進は説明しがたいであろう。カント美学のモチーフは,こうした芸術 家たちの経験のうちに反響している。
われわれはここで,風景の問題に立ち返ることにしよう。われわれの周囲に存在し,われわ れがそれと感性的に交渉してきた自然,いわばプトレマイオス的自然は,コペルニクス的転回 によって,すなわちデカルト以来の近代的学問概念によってはもはやとらえられないものと なった。そして文学と芸術が,その役割を担うことになったのである。その社会史的基底は,
ブルジョア社会の成立である。工場内での生産活動は,それ以前の農耕と牧畜にくらべれば,
自然への依存度を飛躍的に軽微なものとした。雲の様子を見て,明Hの天気をうちなう必要は もはやなくなる。農耕や牧畜にあって労働過程に融けこんでいた一一それゆえ美的なものとも なっていなかった一自然との感性的交渉,自然にたいする恐怖,親愛,感謝の感情は,ブル ジョア的生産活動において合理的計算に置きかえちれ,もはや必要のないものとなる。数式や 化学式から機械,経営方法にいたるまでの生産手段の高度化によって,人間は自然から解放さ れ,大幅に自由な活動空間を手に入れる。しかし,この自由はすくなくとも一つの原罪からは のがれることができないのである。すなわち,工場は生産のために労働力を必要とし,その労 働力はおおかれすくなかれ強制的に調達されたからである。イギリスの《enclosure》に象徴さ れるごとく,資本の原始的蓄積過程においては,人間のその大地からの追放が強行されてきた のである。追放された人々にとって,自然からの解放はその生産手段の剥奪にほかならず,自 由なプロレタリアートとして資本のもとに服従する以外にその生活を再生産する道はなかっ た。ブルジョア的「自由」の美名のもとに,こうした社会的支配の再編成がおこなわれたので ある。支配そのものが消失したわけではない。風景の成立の要件である自然からの距離におい て,ブルジョワジーもプUレタリアートも条件は同じであるeしかし,囲いこんだ側と囲いこ
まれた側とが,はたして同じまなざしで風景を見たであろうか。追放された人4が,はたして
自然を美と感じ,快と感ヒて,そこに歴史の合目的的進行を思いなしたであろうかQ日曜Hの 午後に一そういう機会があったとしての話だが・一一風景画を楽しみ,夕べには自足して眠り についたであろうか。カントによる趣味の普遍妥当性の要請も,現実の階級社会の存在によっ て色あせたものになる。現代の芸彬ならびに美学理論が,美がもはや自明ではないという自明 性かち出発しているのは,カントの世界市民の構想が激化する利害闘争のなかで,単なる理念 釣要請でしかなかったように,美がそうしたもののなかで,真の普遍妥当性についに到達しえ なかったからである。
それにもかかわらず,抑圧されたものはその声を歴史のうちにとどめようとするだろう。セ ザンヌが絵を描きながら「一個の光学機械として自然の運動のうちに自失する」(12》とするなち ぱ,それはあたかも抑圧された自然が発言のために,セザンヌを自らのうちに略奪するかのよ
うである。セザンヌが,サント・ヴィクトワール山の実相をとらえようとするのだろうか,サ ント・ヴィクトワール山がセザンヌによって己れの実相をあらわそうとするのだろうか,こう した思いが交錯するeセザンヌの努力を見ていると,絵画もまた一一一一つの自然認識であるとの感 をとくに強くする。美学的(絵画的〉自然認識は,自然科学的なそれと相補的ないし敵対的な 関係にあり,自然科学が社会体制とむすびついて,自然認識を独占するにつれ,概念によって 通約できない感覚的データー(ニュアンス)の追求の度を深めていった。それは,絵画におい ては,印象派にいたって頂点を形成し,その「見えるところの自然」の主観性にたいする批判 として,セザンヌが登場する,そこでは,もはや入物も静物も風景である。風景と等価値であ る。自然の実相をとらえる努力は,すべてを自然として見るまなざしでもあった。そして,す べての絵画が風景画となったとき,風景画は終り,革新の運動のなかで消えさったのだと言え
ようか。
ケネス・クラークの言うように,「中世以後における風景画の勃興とその発展は,人間精神が 自己をめぐる環境との間にふたたび調和をつくり出そうとする試みに発したひとつの流れに立 つものである」{13)とするならば,現代芸衛はこの試みへの破産宣告である。現代の臣大産業は,
フェルメールによる揺藍期小市民の室内風景を親実には吹きとばしてきておきながら,現在相 対的に安定している労働者の家庭にトランキライザーとしてそれをばらまいている。現代絵画 は,自然ならびにわれわれの生活環境を描写することによって調和の幻覚をつくりだすことを,
もはや堪えがたいものと感じている。「調和をつくり出そうとする試み」は偉大であり,ぎりぎ りの抵抗線でもあったろう。しかし,その試みが欺隔に転化してしまう歴史的時点を,われわ れは通過してしまったのである。なぜなら,自然支配的機械文明がこれだけ自然を破壊してき ているからだ。それはたんに海を埋め,山を切り崩すということではない。テクノクラートX 官僚たちは,コンピューターの数量モデルに自然と人間を合わせようと,日々はげんでいる。
そこでは,支配の能率化のために数量モデルが物神化されているのである、その数量モデルの ために,われわれとわれわれの世界が犠牲となるならば,それはわれわれが野蛮とみなしてき た太古の世界となんち変わるところはないのである。啓蒙の精神が辛苦して粉砕してきた鬼神 の座に,いまや啓蒙自体がすわり,われわれを人身御供にと宣託している。こういう逆転劇を 演出している技術至上主義と資本の自己増殖との一体化がつくりだす現代的様相,テーゼ風に 言うならば,《自然からぬけでてきた社会が,それ自体としてふたたび盲目的自然へと転化して
しまう》,この事態の一一端が自然破壊なのである。芸術もまた,こうした社会的労働の現代的様 相との関連のうちにある。しかし,もはやそれを補完して全体的調和の幻覚をつくりだそうと
はしない。むしろスキャンダルとして公然と反社会的なものとなって,調和の幻覚のアリバイ を提出しつづけるのである。このとき,ヨー一ロッパ近代をささえてきた自明の前提,音楽にお ける調性,絵画における遠近法的空間把握といった枠組自体が破壊されはじめる。無言の前提 だったものが,意識化されはじめるときこそ,文化は,体制としてのヨーロッパ近代は,危機 に逢着しているのである.セザンヌがこれまでの遠近法的空間把握をイリュ・一一ジsンと感じて,
真の自然の実現のために,その克服に腐心して数十年後,フッサールもまたガリレイ以来の数 学的自然科学を「理念の衣Jと感じて,その再検証に腐心したのであった。
現在われわれのまわりには,風景が氾濫している。近年爆発的に拡大している《観光旅行》
もまた,風景としての自然の享受を,その一要素として含んでいることは間違いないであろう、
どこの観光地へいっても,展望台なるものにことかかない。市内遊覧バスは,一都市全体が風 景となり,某立公園は一地域全体が風景となっていることを証拠だてるものだろう。H々の労 働の苦痛と倦怠の補填のため,生産力の増大と交通網の拡大とともに大地全体が庭園になるの
を,われわれは慶賀すべきであろうか。いや,そこには慰安はあっても希望はないであろう。
風景としての自然は,制御される自然とともに近代の意識経験に属する。自然支配的悟性の補 完物であった。そして,現代芸術はこの体鋼としての近代そのものへの挑戦であった。セザン ヌの従来の遠近法克服の試みも,たんに絵画技法の問題にとどまるものではない。中世絵画に あっては,それぞれの形象は,その意味ないし価値によってあちかじめサイズがきめられてい た。それ自身の固有の大きさや形をもつものとされた。たとえば,聖母と天使と入間は,あら かじめ同一のサイズをもたない。それは,中世の世界観に対応する視覚であった。しかし,遠 近法はすべての形象のサイズを空間の相対的位置によって規定するがゆえに,一一一erの形象は相 対化され,それ自身の固有の形や大きさをもたないことになる。この相対化をつうじて,一つ の統一的空間,パノフスキーの言う《Systemraum》が形成されることになる。そして,この「体 系空間」の統一をささえているものこそ,遠近法における対象を底辺とする円錐の頂点,すな わち主観の視点にほかならない。遠近法は,対象を主観に見えるとおりに構成するという近代 的空間意識に対応する視覚である騨セザンヌは己れの絵をつうじて,この近代の「体系空間」
に挑戦していた。構成する円錐の頂点が,その至上権を失うならば,体系空間は崩壊し,それ ぞれの形象はもはや神学的秩序に帰ることもできず,バラバラに四散するだろう。この四散を,
セザンヌは在るところの自然の実現という精神をもってとどめようとしたのであった。
こうした画家たちの努力が,すぐになんちかの新しい文化を展望するものとはなりえないで あろう。しかし,その欺購が明白となった近代という体制を異化するものとして,ともすれば 己れの醜悪な顔を見わすれがちなものへ,鏡をさしだすものではあるのだ。いまや最前線は,
生産手段としての自然をめぐって,農漁民と巨大資本との間にひかれているかの感がある。そ れは,ある意味で昔からの,資本制生成期の構図でもあったろう。しかし,現在それは別の意 味をおびはじめている。つまり,そうした巨大資本自体の存立を問うものに変わってきている ということである。そして,風景としての自然は,時代の尖鋭な前景からしりぞき,ついには つかのまの間奏曲として消えさるのであろうか。といっても,われわれは風景としての自然か ら階梯を一段おりて,ペトラルカの出会った老羊飼い,セザンヌのまわりにいた農民たちの感 性に単純に帰ることもできないであろう。われわれのまえには,風景と素材とに分断された自 然を,いかに克服していくかの未踏の道があるだけである。風景の氾濫のなかで死滅しつつあ る風景一一自然をうばわれた労働力商品としての圧倒的多数のひとびとは,こんどはどのよう
な自然へと出立すべきなのだろうか。
〈1>宇佐美圭司『ピカソの転向』f展望」1977年8月号筑摩書房刊所収14ページ以下参照
(2)Kemaeth Clark;Lands(;ape into Art, Pe籍guln B◎oks i949『風景画謝佐々木英也訳岩綺美術社刊 訳
書72ページ
(3)VgL Joachim Rit£er二Landschaft(in)Sublektivitat. Suhrkamp,1974ペトラルカに関する点同書に負 うところ大である。
〈4)Vgl. Jakob Burckhardt:Die KUltur der Renaissance in Italien, Gesammtausgabe hg・v・W・Kaegi・
Bd.5S.221f.
㈲Petrarca:Dichtungen, Briefe, Schriften, ausgew. u. eingel. v. H. W. Eppelsheimer(Fischey・
BU(ぬerei)ユ956 S.8◎ff.
(6) a。a,0., Petrarca
(7)エG。、qu,t、Ce・anR・, P・・五・1926 P145 i・d・・d・ut・ch・R・Ub…et・uftg・・n Gl・・e・・hg…W・Hess・
Hamburg l957 S.20f.
(8)Vg1, Baumgarten:Aesthetica§423,§560ならびにa・a・0・Ritter S・ 155£
(9)Vgl. Od・Marqua・d・Kant und di・W・nd・ ・u・A・th・tik,(in)Z・・ f・ phi1…F・・schung,16(1962)・
S.231f£Klaus Learmann二Kants The◎rie des Gεschmacks(in)Literaturwissenschaft und Gesqhi−
chtsphil◎sophie, Festschrift蝕WIIhelm E酒窪rlch, Be蜘1975 S. 96ff.
(10)Vgl. J. Habermas:Erkenntnis und Interes§e, Suhrkampユ968, S.2{箋
(U)VgL Kanし:Erste Fass猛ng der F漉ituag魚die Krltik dαUrteilskraft(ln)Werke・ed・W・Weische・
del, Bd. V, Darmstadt 1963, S,180
(12)a.a。 O. Gasquet S 27f
(13)a.a.0. Ciark 訳書7ページ
(14)下村寅太郎『ルネッサンスの芸術家雲昭和44年筑摩書房刊 290ページ以下参照
1純粋理性批判』と罫判断力批判』からの引用はそれぞれ KrV, KUの記号で文中において指示した。