万野溶岩トンネルについて
著者 加納 実
雑誌名 地学しずはた
巻 14
ページ 1‑3
発行年 1957‑08‑01
出版者 静岡大学地学研究グループ
URL http://doi.org/10.14945/00006003
1
ん に つ い て
ト
lン ネ
万里子溶岩
野 実婚
初
富士山の棺岩の中庇は. 数多〈
の肩書岩トンネルヵ、~る E と,",ー
般民もよ〈知られているが、表富 士の方rz: r : . 土井出正ある人穴が
昔から有名だ廿で~る。
然し.富士宮市万野、 R び北山
村の地内"'~る溶岩トンネルは‘
おそら〈
λ穴以す
Eぷる立派 で 、
上 と 冒っても過曾ではめるま ν 、
寸 / 地 僧 穴 入 口
︐ ︐
〆 〆
窓 穴 入
/ー
γ
1 1
¥ i l ‑ ‑
d u l ‑
‑ 丸 ︑
芳 野 博 砦 ト
γネ ル
の 平 碩 図
'. 穴 '
l υ o n .
土地の人は. 風穴、窓穴.制曽穴 大小田つの熔岩 その中で、風尻、
窓穴が
ζ ζで 寄
ζうとする熔岩ト とよぴ.
トγ;.f./1.
カ
i, f y り 、 口 書生穴、
守
γ ネ"で~る。
パスで登山道を 富士宮駅より.
上る
ζと約
2 0分で、下方野
E婚 12000
160冊
(,下車して徒歩で約 25 分 E 北
‑ ー .
西 へ ) ,人穴より立派左綴岩ト
γ ζ ζが万野鳳 ネル申入口
E惜 し
N5 'E
穴でゐる。
ζれ,より約.北へ
200CCIC愈穴が~る。
"
10白 梅
、
窓穴担、図の如〈、
N10・
W,
N5 ・ E の方向院延び
る洞から窓
9,窓穴の入口より約
N40'E ,
第
1図
昭和
2 7年 皮 革器保
万野風穴
λ口
40'"傭てて組曲穴
0入口がある。
¥ !/ E
倒
40岡 国i は 宮 駅 う め ら 万 野 椿 岩 ト
γネ "辺
れ た地形を示し、以前は怨穴のー '方野風穴'の平面
部でゐったと電われる。即ら.窓 穴は
Y字形i:
l" '"洞で、現在調査
出来る全畏
M約
360m.である。
7̲8..
から狭いと
ζろで
" " 率 、
2
恥.高さ阻
5̲6酷から低いと E るで
1.5m位でゐる。底1:,南 E ゆるやかに傾斜していて、入口 から時々水が流れ込むので.床置 I C ,土 砂の堆積していると E るも ある 。天井恒. 古車舟的匹落石、 A
Z ヶ所位は、落盤が
1a 盤 し て 担 払
t 調査不謹実』
穴I!:<,大空をのぞめる所が'"るの 万野風穴1:
,N
20・ Eη 方向
。
J潤が約
250酷の地虫で
.N650 Eの方向と、
N35" WIの方向と
ミ ¥
500 叫位の地点 N 4.5
・
Eの方向陀延。
陀分れ.再び.
で合し、
全長約
570m位 のフてき1J:iI'J であ る 。
,底〈床面 J はわず治拡南巨額 斜l",落石、落盤も d ちるが、殆E
550m . 位 の地点の培積した泥の所以外は橿
(風穴は揖 が、平ら在、策面で.
めて容易陀歩げる。
査不十分でゐる J
品
L上.概略を述べて世たのでゐ るが.岩事柄。状 E 固ま、天井は僅
2図
第 めて奨しいカ判守曲線〈ア
‑'7‑)3
アt:;rt..下つ党首主岩がなわ状
E示し.
その~;横陀芭れいE 注らぴ.
しま状の級がはっきりみられる。又底部 C 庶 面
)ICは搭岩が、掃とやや傾斜を示し、i5!f;れを示し ている。床面
σJ掛岩の状脚乞ついては万野風穴に於てはつ e り観察が出来る。
E
り ω 法トンネルの成l1'li:考えてみると、中央苛め特広告 t 動性、
阻止して天黙の岩洞かと'f , ¥f,!暫乞里われる程.立派なものがある。
と
ζる庇ょっ τ 阻 、 E示 1 , . .
そして天井からは、怨芋
L羽止の市持がたれ下り .岩洞の側 慰 " . おお
v、かぶさったように怠って.秒 E 量
Eも下り、
又 は . 溶 岩 払
円留め観察から.
ζ
のよう在、
可動也乞宮んだ部分。
J品官界が洗れ下って、その部分
E謝羽生じ、末だ空洞内部が高温でゐ
b時 、 その末期乞儲割沼状自民主患が・
'0x 側壁肌高Il'lの時拡 充れ下'l'、
天井から I~
.硲岩か("F9 .
中Eはそのまま.床面白溶岩と共E雨乞涜勤し、 現在の床面を作
Pや や 温 度 が 下 り 琉 動 也 可 動性が、 失なわれ。と側壁 E そってたれていRの I~.
との結果として現在のような状態 κ.
化布いかぶさるような状態でとま しま状 ι 横K線が表ねれ毘のであると里われる。
抵ほ. 門盟ぬようすから以上のように考えたりであ匂が、 務先生の布教えをいただ ~]t< 思う。
沼士山研究会の仕部 で調査したので紙上の阪狭で簡単匹報告し
hL
L 尚.洞門 ι 白色又阻fl!色の
4手t;!'i.石笥がみられ売が資斜をとって
Eたのでそのうら庇鉱物を そのまま.
り 、
官士宮遡科研究会
J
鑑定する予定でゐ弘
牧の原台地をつくる、洪積崩について
ヨ
夫韓
木 騒
.
鈴牧の原台地' P > ‑ ー締切屑序は新第三果相良層群および招之内層群を基盤として
Eれと耳望台 ι その堆積面が平担面と なって残っている。 L
UJ!罰第三系と牧町原様層との 牧の鼠健層が主幌高し、
間lfC‑ロ貝沢泥膚と呼ばれる.貝化石i:!><含んだ泥層の分布している所がある。
牧の原嫌層陀ついては.すで
E多〈の研究が発表されているが.筆者桔主として貝沢11',層およ
ζ
的研究を続けるにあ克って終飴 ぴ
Eれを担ふっている弱喝、時層と
d鴻司係托ついて調査し充。
御教示下さつ充当教室の土.陵ー先生陀惇〈餅 L 申し上げる。
B t i t i
l
‑
‑
•
員沢泥眉は第 I 図
E示したよう庇宜伸山配ほど中心とするー微 L 牧の原欄層の下 E 分布し、
その範囲 M 梅田宮原.向朗、地頭方西方 E 担よんでいる。それは殆んど無府連、県灰色の泥層で、
あるいは
tuflをはさみ基鍛の新第三系陀不堕告托乗り .弛¥'1!水平托培訴して 教育学部三年二部一類
稀E樽
v ・ 機層.
2誕