欧 洲 大 戦 當 時 に 於 け る ド イ ツ 學 者 の
人 口 問 題 観
南亮三郎
序説
時局に因み︑交載國が職時及び職後に於て遭遇することあるべき人ロ問題を思ひ浮べ象ねて本問題の眞實の
意味を理解するに役立たしめたいといム如き心構へから︑筆者は鼓に聯か欧洲大戦當時に於けるドイツ學者の
所論を回想して見たいと思ふ︒
職事と人口増加とが一盟いかなる關係にあるかは姑く措くとして︑この職争が激烈且つ長期に亘るものであ
ればある程︑直接聞接に釜々深刻なる影響を人口状態の上に及ぼすものであるといふことは極めて自明の事柄
である︒死亡率はまつ著しく上昇し︑婚姻及び出産率は激しく低下して︑自然増加ではなく却つて自然減少を
さへ全人口の上に現はすことあるべきは︑史上に於ける幾多の大職雫がこれを繰返し誰明してゐる︒と同時
欧淵大戦當時に於けるドイツ學者の人口問題窺(南)一〇九
= O
に︑停職の後には或る要素は急激に︑或る要素は緩徐にIi兎も角も一定期間の後にはおのつから職
前の歌態に復齢し來たるといふことも亦事實であつた︒要するに一國人口は職争と共に︑謂はΨ人ロ
めの戦時歌態に入り込むのであつて︑夙に敵洲大職の當初ヘルシ鵡博士の指摘せる通り︑この人口の戦
時歌態は交職中の人口減退期と停戦後の人ロ恢復期との二期に分かち考へ得るのを常則とする︒しか
もこの二期にわたる人ロの職時状態は輩に當面の交職國だけではなく︑職闘行爲については局外にあ
る中立國に於てさへ︑多かれ少なかれ現はれて來るといふのが過去の経験の示した所である︒
然るに前後五ケ年にわたる欧洲大戦は室前の規模に於て行はれた而かも恐らくは最初の近代的科學
戦であつただけ︑交職諸國の人ロに及ぼした影響は非常に深刻甚大なるものがあつた︒委細は別の機
會に譲りたいと思つてゐるが︑ほんの一例を學ぐれば大職直後コペンハーゲンに於てドェリング氏の
獲表せる調査遽報書の第三冊は敵洲主要交戦國の総括篇に當つてゐて︑﹃ヨーロッパに於ける人間損
わ失三千五百萬﹄といふのがその標題になつてゐる︒三千五百萬といふ萢大なる人間損失は無論︑職場
に於ける肚丁の職死数だけではなく︑職争の影響として國内で特に高まつた一般國民の死亡増加数︑
更に載争なかりせば生れたであらう出産数の損失をも加算したものであつて︑その國別細目は左表の
の通りである︒この数字はヨーロッパに於ける主交職國十ヶ國にのみ關するものであり︑又その後細目
ゆについては幾らかの修訂は加へられたけれども︑ドェリング氏のこの情報は人口に及ぼせる大職の影
1)
2) 3) 4)
Hersch,Lamortalit6chezlesneutresentempsdeguerre.塞gI5。 國 家 學
會 雑 誌32巻z號(大 正7年2月)t:糸 井 靖 之 氏 の 紹 介 文 あ りo
ChristianD6ring,DieBev61kerungsbewegungimWeltkrieg・3・Heft:35 MillionenMenschenverlustinEuropa.1〈openhagenIg20・
Dδring,ibid.S.4undS.56.
Art.Bevδ 】kerungswesen,IV.DerEit)flussdesKriegesaufdieBevδ1kerungs‑
1〕ewegungunddenBev61kerungsstand,vonChriStianD6ring(HandwδTterbuch
vg1.d.staatswissenschaftenBd.II,Jena19244.Au乱S.697‑728)・‑Karl Oldenberg,DerBev61kerungsverlustimWeltkrieg.EinLiteraturbericht.(Son‑
derabdruckausschmollersJahrbuch,Jahrg.49.1{eft3・Ig25・s・73‑135) Mifnchenlg25.
響ゴ般を窺知せしむるには足るであらうし︑又︑
欧 洲 大 職 の 人 命 損 害
計出 産 狽 死 亡 増
死交 戦 國i戦
6,300,000 5,800,000 3,340,000 1,850,000 2,280,000
375,000 275,000
510,◎oo ら650,000
「3,000,000
3,600,000 3,800,000 1,500,000
850,000
IS400,000 175,000 i55,000 150,0◎0 320,000 8,300,000
700,000 500,0◎o 440,000 200,000 280,∞0
85,000 55,000
201,000640,000
2,2007COO
2,000,000 1,500,000 1,400,000 800,000 600,000 115,000
65,Qoo 159,000 6go,ooo 2,500,000
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7︒ガyリイソラギ肇 ドオフイ
イ タ リ ー
べ 〃 ギ ー
プ 〃 ガ リ ア
,レ ー マ ニ ア
セ,レ ビ ア
ロ シ ア
(ポ ーラ ン ドを含 む,
35,380,000 20,250,000
5,30置,ooo
9,829,000
計総 か﹂る職醐に直面しつ︑あつた交職諸國︑別してドイツやフ
ランスの國内に於て當時の學者や論客がいかに眞劒に﹁人
ロ問題﹂を論じ合つたかを想慷せしむるには充分であらう︒
しかもこ︑で想ひ合さねばならぬことは︑大職當時に於
ける﹁人口問題﹂の重大さには更に︑職前数十年來持ち越
したる出産率減退問題が加はつてゐたことである︒別の機
の會に詳論せる如く︑フランスは早くも十九世紀の前葉よ
り,残りのヨーロッパ圭要諸國はその末葉より減退の兆を
現はしたのであつて︑世界市場を続つてイギリスとの間に
産業的覇槽を争ひつ︑あつたドイツでさへがこの世紀轄換
期以來︑學者は出産率減退問題を日程に上しつ﹂あつた︒
かくて︑敏洲大職は諺大なる人間生命を喪失せしむると共
に︑出産率上昇による常則的な自然的人口恢復を殆んど絶
望的ならしむるのではあるまいか︑といふのが朝野に滋
り渡つた最大不安の國家問題の一つであつたのである︒
欧洲大戦當噂に於けるドイツ學者の入ロ問題魏(南)一コ
5)拙 著 ・入口理論 と國際貿 易(昭 和 【3年{o月大 同書院刊)第 七章 「世界 入 口の"
趨 勢 とその再生 産過程 」謬照o
一一二
さて︑かくの如き人ロ統計上の異愛を背景にして大戦當時︑多くの學者・論客の稜表せし意見や封策がおし
なぺていかやうの方向に向いてゐたかは談者のよく察知し得らる︑所であらうと思ふ︒政治家や軍人や署學者
のの見解は特に取り立て﹂述べる迄もないが︑博識の経濟學者ジード敷授でさへ大職第三年春の一論文に於て︑
﹁吾々が目下の大職争によつて最も痛切に學んだ敷訓は︑つまり一國の優勝はまつその人口数の大なることに
よつて定まるといふことである︒一國の人口数の大なることは︑蕾に戦場に於て直接にその國の優勝を詮明す
るのみならす︑中立國の意向や世界の輿論の上に及ぼす影響に於ても亦これを示してゐる﹂と読いたのであつ
た︒かくて何よりもまつ人口歓損の迅速なる補給を︑人ロ減退の急速なる挽回を︑といふのが大職當時の人口
政策の一般論調であつたことは至極當然なことである︒當時日本に於ても同様の意見が多く現はれてゐたが︑
就申興味ふかきは経濟論叢﹃マルサス生誕百五十年記念號﹄に寄せられたる小川博士の一論文﹃欧洲職後の人
わ口﹄である︒博士はその結末に於て︑﹁然らば其職後に於ける人口政策は如何と云ふに︑人口増加と云ふこ
と︑如何に優れたる人を増さんかと云ふことに節着する︒是に至て職後の人口問題は︑人ロの多きに窮すると
表ふ問題でなく︑却て其反封に向て走る問題であることを知るぺきである︒マルサスを地下に起し之を見せし
めたならば︑夫れ之を何と云ふであらうか﹂と述べられてゐるのである︒
かくの如き一般論調の沸騰せる中にあつて︑しかも︑かのドェリング氏の調査速報によれば批丁の職死・國
民死亡の増加・及び出産減少を加算してドイツ一國だけでも實に六百三十高の人命損害と稻せられてをる営の
6)CharlesGide,Iareconstitutiondelapopulationfrangaise(RevueTnternationale
deSociologie,Mars1916).・ 一 経 濟 論 叢3巻5號(大 正5年II月)t:来 田 庄 太 耶 氏 の 紹 介 丈 あ リ0
7)小 川 郷 太 耶 氏 ・欧 洲 戦 後 の 入 口(経 濟 論 叢2巻5號 、 マ ル サ ス 生 誕 百 五 十 年 記
念 號 、 大 正5年5月)。
もも"イツに於て︑若しも鼓に少敦の學者があり︑そして今こそはドイツに人口過剰の危機が到來しつ︑あると読
き出でたとすれば︑世人はこれを何と目したであらうか︒然しながらi私見によればーこれら少数の學者
こそ人口問題の眞實の意味を把捉してゐたのであつて︑世人は職後,爲替滲落の牛面に勢働大衆の實質賃銀が
低下し︑廻り廻つて世界恐慌期に入り大職による人命損害と正に相ひ匹敵せる室前の雇大なる失業者を街頭に
投げ出すに至る迄︑これら少数墨者の慧敏なる洞察を理解し得なかつたのではなからうか︒兎まれ︑これら少
数の學者に罵してゐたのはケルン聲科大學のロェンネ博士︑及び當時フライブルク大學のモムベルト教授等で
あつたやうに思はれるのである︒以下その所論を傳へる︒
=︑モムベルト・戦後の人ロ政策(一九一六年)
め人口學者としてのモムベルト教授の活動は一九〇七年の虚女作﹃ドイツ人口動態の研究﹄を以て始まつてゐ
るが︑より包括的なる一般人ロ理論的基礎に於て職時のドイツ人口問題を取扱うた最初の著作は︑大職第三年
29に︑當時從軍申睨稿したと瑠する一書﹃戦後の人口政策﹄である︒
本書に於て著者はまつ︑人口問題の核心は人口と経濟との關聯にあるとの根本見地を表明力読する︒﹁若し
一 國 に 於 て ー 人 口 増 加 を 全 く 顧 慮 し な い で ー 國 内 の 財 生 産 の 人 口 一 人 當 り の 牧 穫 が 上 昇 す る な ら ︑ 食 糧 飴
裕(Z聾旨農︒・畳︒ぐ碧ヨ)換言すれば當該國又は當該國民経濟の人口包容力(⇔6︒<蟄冨噌§伊q︒・ぎ冨斗隅Oは上昇せる
欧洲大戦當時に於けるドイツ學者の入ロ問題観(南)一一三
1)PaulMombe蛇,StudienzurBev61kerungsbewegiユ ㎎i凱Deutschlandinden letztenJahτzehnとenmitbesondererBαucksichtigungderohel葦ch君nFτucht・
barkeit.Karlsruhelgo7.
2)Mombe姓,Bev61kerungspolitiknachdemKrieg.Nahrungsspielraumund
Volkswacllstu1ninDeutschland.T"bingenIg16.
一一四
ものと云はれる︒この表現の下では⁝⁝つまり國内人口数と國民的財生産の大小との關係が理解されてゐるの
であつて︑財生産の大小は結局︑直接叉は間接に︑全人口の生活程度の高低に鍬する前提を爲すものである︒﹂
從つて人口は増加するとも食糧饒裕にして少くとも前者に比例して援大するならば問題がなく︑反封に食糧饒
裕の上昇が人口の増加に及ばないか或は人口の減退以上に減退するならば問題が起る︒前の場合を経濟的進歩
と云ひ︑後の場合を経濟的退歩と云ふ︒﹁かくて人ロ増加は肚會政策的には︑即ち生活程度の瓢に關しては有
利にも不利にも作用し得る︒おしなべてFイツに於ては最近の数十年間︑前の場合が事實であつたと云へるで
あらう︒﹂然るに大戦と關聯して,或は大職前から既に︑多くの學者政治家はドイツ出産力の減退を憂へ︑結
婚の奨働︑産兜の奨働を論じつ穿けた︒それ等はしかし多く食糧蝕裕との關聯を洞察せざるメルカンティリス
ト的見解に過ぎなかつた︒ー﹁善意と組國愛だけでは何ら人口政策を行ひ得ない︒人口政策には︑部分的には
わ今後非常に困難となるべき経濟封人ロ間の關聯への洞察も亦加はらねばならない︒﹂
ももへもり
進 み て 著 者 は ︑ 謂 ゆ る 食 糧 蝕 裕 i 本 稿 に 於 て は 以 下 こ れ を 人 口 扶 養 力 と 呼 ば う ー の 概 念 を 分 析 し ︑ 廣 狭
二 義 に 於 け る 人 口 扶 養 力 と ︑ 絶 封 的 及 び 相 封 的 意 義 に 於 け る 人 ロ 扶 養 力 と ︑ 更 に 客 観 的 及 び 主 観 的 意 義 に 於 け
のる人ロ扶養力との三通りの匠別を行ひ︑これに基いてドイツ國民輕濟の批判的考察に移つてゐる︒思ふに國際
交通の開けたる現代に於ては何盧の一國と難もその人口の扶養を自國内の財生産にのみ頼るものはなく︑多か
れ少なかれ他國との財の交易に依頼してゐるが︑この他國に依頼する部分をも含めたるものが﹁廣義の人口扶