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仏教福祉研究への現代的アプローチ(1) 一

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(1)

、7:1],人 } :ト[会礼}ネll.{びF究JY〒イド報  倉U刊」} J− (1999)  17〜33

仏教福祉研究への現代的アプローチ(1)

普遍思想と仏教福祉」*

三 友 量 順**

はじめに

 仏教(社会)福祉研究には,今後どのような方法論が考えられるのであろうかtt研究の対象 として仏教を扱うことの現代的意義は何なのであろうか。こうした素朴でしかも人切な疑問を ふまえて,本学のr社会福祉研究所年報』の発刊に際して,その(1)として1普遍思想と仏教福 祉」という側面から,以下に概論的に私見を述べてみたい、.

 立正大学に新設された「社会福祉学部」も,平成11年度をもって,完成年度を迎えようとし ている。それに先立って,「立正大学社会福祉研究所」が創設された。新学部の完成年度ととも に,高度専門職・研究者養成機関としての新しい大学院の発足が待たれている。これから,専 門的に仏教福祉を学ぽうとする若き学徒たちに,その研究へのアプローチとして,これまで仏 教学(インド哲学)領域の研究に主としてたずさわってきた筆者なりの見解を示しておきた い,これからの学問研究の発表は,限定され専門化された分野のなかでのみ行われるもので あってはならないと考えている。

 「衆盲摸象1 (1)の讐喩にあるように,何れの見解も,把握すべき真理全体のほんの一部分に しか過ぎない。しかし,一部分であっても,そこにはかならず何らかの学問的意義があると考 える。学問研究は,何時の時代も一つの論考を踏み台としてさらなる発展があるからである。

1 これからの仏教福祉研究

 諸科学の研究成果は,それらが将来的な展望をもって人類社会の繁栄と発展に寄与されなけ れぽならない。諸分野にわたるインターディシプリネリーでかつ有機的な研究が今H求められ ていることも,そこに理由がある。本稿の筆者の専門領域である人文化学には哲学や宗教学が ふくまれる。それらの研究成果は,社会科学や自然科学との学際的な連携と協力によって,実

*AModern Approach to the Study of Buddhist Social Welfare(1)

 …Universal Thought and Buddhist Social Welfare

**Ryojun MITOMO立正大学社会福祉学部社会福祉学科 キーワード:普遍思想,仏教福祉研究,仏教福祉思想

17一

(2)

川人学引会福lc[1研究所{1報 創1:1㍑ (1999)

社会に[1しく活かされることになる「

 仏教(利会)福初研究には,これまでにも諸先学のすぐれた業績が発表されているZ ,、そう した業績をふまえて,これからの研究を行う際に,筆者は[福祉思想研究」の側面から2通り の方法論をたてている 方法論のその1つは,これまでの仏教福祉思想史を現代的にトレース することである それには仏教思想↓精神)にもとつく福祉(社会)活動の歴史や展開,そし てその実際を現代的に考察することも含まれる これによって,将来のあるべき福祉への展望 を明らかにすることになる また,これまで仏教思想(精神)にもとついて社会福祉活動に貞 献してきた人物を新たに掘り起こして紹介することも意義がある.思想(理念)に促されて実 践は起こり,理念は体験(実践)によって更に深まっていく、それらが相互に連絡しあい,反 省をふまえて,21世紀の社会福祉に寄与できると考えるのである

 2つ目は,仏教(福祉)思想を今日の研究成果をもとに,現代的に受容し紹介することであ る それによって,仏教の役割とこれからの福祉の関係をより明確にすることになる、福祉思 想(史)を現代的にトレースする際にも,或いは現代的に受容する際にも,「普遍思想」と「福 ネ|Elという関係に焦点をあてることを提案したい、学際的な研究に関心をよせる研究者たち は,その思想(精神)史に視点をあてる必要がある、今日t諸分野でも注目されているよう に,斯学の分野にも,思想(哲学)の重要性はますます高まると考えられるからである.これ らのいずれの場合にも,文献研究が基礎的なものとして要請されてこよう、

 仏教学領域の文献を扱うためには,テキストとなる仏典を正しく理解するための関連言語

(サンスクリット語・パーリ語・チベット語など)のマネージが求められる。加えて,漢訳仏 典や占典への理解も必要となる、これが今までの,仏教研究のいわば常套である〔この意味か らは,これまでに培われた研究方法にもとついて仏教研究に携わってきた若き学徒たちが,新 たに仏教福祉研究に目を向けることが期待されよう、.但し,筆者は,仏教学(インド哲学)関 連の研究者からは異議があるかもしれないが,次のことも述べておきたい.それは,これから 広く仏教福祉を研究するためには,今日,様々な研究成果を合理的に利用しえるという点で,

こうしたG 語の修得が必ずしも不可欠ではないということである「それは仏教福祉研究を志す ものたちの誰にたいしても門戸が閉ざされてはいけない,という意味でもある。大乗仏教の精 神が 普門(samanta mukha):であることを我々は銘記しておかなければならない〕

 明治以降,わが国に新しい研究方法がヨーPッパから紹介されると,それまでの漢訳仏典を 中心とした仏教研究に新風がそそぎこまれた、仏教学関連領域の語学に関しても,次第に欧米 の研究者とも伍し,またはそれをも凌ぐ専門家たちが出現したtt

 この時代のある研究者は,それまでの漢訳仏典をもとに構築された伝統的な解釈にたいして

厳しい批判を向けたtコサンスクリット原典(テキスト)を扱わずに漢訳経典のみで仏典を論じ

るのは「弁慶がな,ぎなたを と勝手に分解して,「ギナタ」とは何かを議論するようなもので

ある,と,こうした批判に対して,それまではサンスクリヅト語の知識をもたない研究者たち

は沈黙せざるを得なかった。また,他分野を専門領域とするある研究者が,大乗経典の一般的

       一 18・一一

(3)

仏教福ト【1研究への現代的アプローチ(DL友)

な解説書を出版すると,今度はかれに対して「サンスクリットも知らないのに という陰日が 唖かれた,

 筆老が,先に,仏教を今口の研究成果をもとに,現代的に受容する1と述べたのは,まさに この点にある.そうした批判が正当なものかどうかという判断は個々の解釈にもよるが, t!」時 の伝統的権威説に対する批判が,やがて次ぎの時代の絶対的権威説となる恐れはないだろう か仏教文化という広い見地からみれば,サンスクリット・テキストを絶対視することには問 題を含む.ましてや,今日の刊本としてのサンスクリット・テキストを漢訳仏典の原典と見倣 すような発言が正鵠を得ているとは言い難い。〔少なくとも,現存のどのサンスクリット写本 よりも,漢訳仏典の古訳13〜4世紀初頭に活躍した竺法護(Dharma・raksa)に代表される時 代]の方が訳出年代は占い。この時代に中国で翻訳された仏典が純粋なサンスクリットではな

く殆どが俗語を交えた言語で記されていたことも判ってきている.現存のサソスクリット諸写 本でさえも,旧訳の時代[4〜5世紀初頭に活躍した鳩摩羅什(Kumarajiva)によって代表さ れる時代・における「原典1とは言えない、,時代の経過とともに仏典は内容的にも様々な増広 が加えられサンスクリット化していったs東アジアに受容され理解された仏教は,漢訳仏典を とおしてのものであるという,当たり前のことではあるがそのことに留意する必要があるtt仏 教の故郷インドとの文化や価値観・思惟傾向の相違があるからであるtt〕「評駁もあまりに過ぎ れば己が徳行を損なう]〔森尚謙r護法資治論』〕③と言う古人のことばもあるt/

 仏教学関連領域の言語の知識は必要としても,その修得は,これから仏教福祉を研究しよう とする者たちにとって必ずしも不可欠のものではない。このことをあえて述べておきたいので ある。むしろ,扱う個々の仏教資料を,成立論的ないし文化論的な背景を正しく把握すること が必要である。現代の仏教学の研究は,目覚ましいほどの成果をあげている。仏典も,今日で は,サンスクリットやパーリ語,或いはチベット語訳,もしくは漢訳のみのテキストの主だっ たものは内外の専門の研究者たちによってすばらしい現代語訳がなされている.仏教福祉研究 のためには,選択さえ誤らなければ,学問的にも信頼しうるそれらの翻訳を利用できるのであ る.それらを合理的に利用すれば仏教福祉思想(史)の研究は,さらに大きく普遍的な意義を 展開することができるet但し,翻訳等の利用によってより関心が深まり,もとのテキストに直 接あたりたいという要求も生ずるであろう。高度な専門研究としては当然のことである、その 時には,講座を有する国立大学のほか,本学をはじめとして仏教系諸大学でも,そうした言語 は履修できるし,開放講座をもつ研究機関〔例えば東方学院(中村元学院長)( 4)  ]では,誰で も履修のチャンスがある。

 もともと[福祉1に,これが仏教であるとか,これがキリスト教であるとかという別を立て

ることに疑問の声もある,確かに,普遍思想としての位置づけからみた1福祉,は,特定の宗

教団体の教義や実践という枠を超えており,宗教や宗派の別によって生ずる差異はないからで

ある。しかし,研究対象として捉える場合には,それぞれの宗教のもつ思想的特色,そして歴

史を正しく把握しなけれぽならない。研究からは批判が生ずる。正しい研究態度にもとつく批

       一19一

(4)

1

// 1[i大学社会福1i[li研究所年報 創iilp )(1999)

判は,攻撃や全面的な否定ではなく,現代的な新しい解釈と理解による受容を促す それに よって牛まれる宥和と相1∫:理解は,これからの世界にあるべき新しい普遍思想史を構築するこ とになるのである,

rr 仏教福祉と普遍思想

 実存哲学の創唱者ヤスパース(Jaspers, Karl.18831969)の言う「軸の時代(Achsenzeit)

は,紀元前500年ころにあったとされるuそれは人類の歴史における最も輝かしい思想(宗教)

家たちの出現の時期であったという。この時代のユーラシア人陸の東と西に生じた諸思想は,

特定の民族や宗教共同体という枠をこえて普遍性を有していた:5),ギリシアのソフィストたち もインドのシラマナ(沙門)たちも,中国の諸子百家たちも,それまでの保守的な伝統や権威 にたいして批判的であった。しかし,かれらの殆どはそれまでの伝統や文化をすべて破壊しよ うとはしなかった、むしろ時代や社会を超えた普遍的な思想をもって,伝統的権威によって自 由を拘束されていた真の人間性の解放を訴えたのである。

 インドに生まれたゴータマ・ブッダ(Gotama Buddha, BC.463383)の教え(仏教)は,こ の「軸の時代1を代表するものであるtコゴータマ・ブッダも当時のシラマナ(9ramana沙門,

励むひとの意)の一人であるttこの人類の思想史bにおける重要な時期に登場したソークラ テース(Sokrates, BC.470399)も当時のソフィストの一人であり,孔子(BC.551−479)も当 時の思想家の一人であった、この中で,ゴータマ・ブッダの教えは,時代的な変容を受けなが

らも世界宗教の一つとして,今日に,その影響を諸方面に与えている。仏教の[白由と寛容の 精神1は,広く承認されているところであり,完全な寛容は仏教の有する根本教説であること

が指摘されている(6)、、

 人々がたもつべきものがある。それを古来よりインドではダルマ(dharma)とよんだ。仏教 以前のバラモン教(Brahmanism,ヴェーダの宗教)では,神話にもとつく四姓の階級や聖典の 教えを遵守することがかれらのダルマであった.しかし,仏教では,誰もが等しく,いつの世 においても人としてたもつべきものをダルマとよんだ、、ダルマ(理法)が時代や社会,そして 民族を超えた普遍的なものとなったのである.、ダルマ(理法)は真理(satya)と同義語と見倣 すこともできる.

 インドでは占来から,宗教的な理想の境地を「解脱(moksa)iと呼んでいた,t解脱は叡知に よって得られると考えられていたtt叡知によってものの真実相を明らかに捉えることができ る。苦(duhkha)の真実相を知ることによって,苦から離れることができると考えられたので ある.叡知を得るというインド的な解脱観は,そのための種々の修行法を生み出した。そして 解脱を得たものは,苦しみの充ちた輪廻(samsara)の生存から脱することができる(再生しな い)と考えられていた。「無為][無執着]が解脱を得たものの理想の姿とみなされたt/

 しかし,「無為」であるなら,解脱が実社会と積極的なかかわりをもつことはない.理想の境

       一20一

(5)

仏教福祉研究への現代的アプローチ川, /S()

地は,自己中心的なものとなってしまう 仏教では,当時の人々が懐くそうした理想の境地を 否定してはいない むしろ,理想の境地を得るために,人としてのIE Lい道を歩むことに意義

を見出したのである 仏教のさとりの境地は1−=ルヴァーナ(nirvana浬繋)ともいう それ は煩悩の炎の消え去ったすがすがしい境地とされる このニルヴァーナ(ニッバーナ)という 用語は仏教独自のものではない 当時の諸宗教で川いられていたものである 最初期の仏典を みると,それはもっと平易なことばでも表現されている 無i,のやすらぎ(サンティム・ウッ

タマム)i [最高の安楽(パラマム・スカム) 17 などがそれである,

 ゴータマ・ブッダ(釈尊)の滅後,500年ほどたった時代に,新しい仏教復興運動が興った その頃,無上のやすらぎでもあるさとりを体得してブッダとなるのは,僧院仏教の出家修行僧 たちにとっても手の届かない理想のものとなってしまっていた かれらは1無i:のやすらぎ

(浬繋)一にかんする修道論や煩項な教理解釈に腐心していた かれらの大部分は,仏教の根本 精神である「慈悲,の実践を視野にいれることをしなかった

 ところが利他(para hita,他者への福祉)1のために道を歩むことが,無トのやすらぎを得 る最高の手段であったことに人々は気づいたのである、かれらが大乗(maha yana)仏教の 人々である.t大乗の論書『大智度論∴には,仏教の根本精神は 慈悲1であると述べる:8 慈 悲は常に他者とのかかわりのなかで実現される この他者とのかかわりを 社会、ということ ばに置き換えれぽ,仏教福祉を|仏教社会福祉!と呼ぶのも同じである.かれら 利他1に牛 きるものは,ゴータマ・ブッダの過去世物語(Jataka)などによせて,その1:人公と同じく|さ とりを求めるもの(bodhi sattva ,菩薩)」と称された、生きとし生けるものの 利益(art ha)」「福祉(hita).!「安楽(sukha)・のために行動することが,ゴータマ・ブッダの本来の精神 であったからである。

 初期仏教の経典(原始仏典)は主としてパーリ語によって伝えられている パーリ語は,西 インドの海岸地方の一方言である.通商路によって広まった 仏教では,ダルマ(理法)に気 づかせるための「教え、にも,それを伝える言語にもこだわりをもたない、,言語表現を超えた 真理を伝えるための障害となってはならないからである、理法を伝えるためには,人々が理解 できることばで「教え1が説かれなければならない.知識人のみが理解できる言語をことさら 用いることはないことも漢訳il毘尼母経」:C9)C9述べている.、教え;が真理に気づかせるため の手段(=方便,upaya kauSalya巧みな手段)であるなら,その「教え!を絶対視してはなら ない.現代社会には,相応しい教えや解釈が必要となるのである,

皿 仏教の無我説と行為主体としての自己(我)

他者にたいする幅祉(hita):は,様々な行為となって社会に実現されるttその行為ド体と しての自己(atman)が存在しなければならないt/仏教では 無我(anatman)、を説くという ことが一般に承認されている。しかし,この場合の無我は,執着の基体としての無我であり,

       一.21・一・

(6)

h

!1}人 ) ,i[会福ネdlり[究所イ1報 創日」り (1999)

倫理的な行為ド体としての自己(我)を否定するものではない 理想的な自己を積極的に仏教 では承認するのである 福初.行為ド体としての自己がこの場合に該当する後の大乗仏教の  「浬繋経.では,無我を 第一義諦(究極の真理) としてではなく 方便説 と捉えた  理想的・規範的な自己実現に向かって,仏教では白己を深く掘りドげてゆく 自身の「自

己 を深く愛するか故に,他者の 自己1を傷つけることはないのである叫、7世紀の大乗の学 僧シャーンティ・デーヴァが1他者と自己との置き換え(para atma parivartana) こそが,仏 教の最高の秘奥であるM ,としたのも,ここにもとついている

 原始仏典の教説は,生き方において存家の人々を遥かに遠ざけてしまう感があるttしかし,

在家の人々にたいする教説が無視されているわけではない.出家修行僧たちの生活を支えたの は在家の人々である,但し,ゴータマ・ブッダの教説が後に伝えられたのは,出家修行僧たち の記憶によってであった、かれら専門の修行僧たちが関心をいだくものが主として記憶され伝 えられていったと言っても過言ではない一出家としての生き方が称賛されているのは,それま での伝統的な宗教観や解脱観を踏まえているからであるtt生きとし生けるものの「利益(art.

ha) 福祉(hita)1「安楽(sukha)」のためには,家を出て家のない状態(出家・遊行)での生 き方が最も相応しいと考えられていたのである.

 出家をして,理想の境地を得るためにひたすら修行に努めるかれらの生き方は,往々にして 独善的なものとなる恐れがある、もともとインドの宗教家たちは,人とのかかわりを避けて,

沈黙の誓いを守り,ひたすら修行に生きることが理想とされていた一この場合にも,行乞(托 鉢)によって糧を得,かれらの食事等の供養を受けて法を説くということによって,在家の 人々とのかかわりは保たれていた、やがて,経済的に自立しえる僧院仏教の時代になると,か れらは専ら自らの修行や教理の研鑑のみに打ち込むだけでよかった、

 この時代の有力な伝統的な部派仏教である説一切有部(Sarvasti vadin)や檀子部が,大乗か ら小乗(hina yana,ド劣な乗り物)と非難された,かれら有力な部派仏教教団は当時の権力者 たちからの経済的・政治的な保護を受けていた、但し,すべての部派仏教が大乗から非難され たわけではない,部派仏教の中でも進歩的な部派では,大乗に似た思想を懐いている。しか し,かれらの多くが仏教本来の根本精神である1.慈悲.の実践を等閑にしているというの が㌧大乗からの非難の1三な理由である,新しい仏教復興運動は,インドの各地で興v−,ている。

自らを人乗と称するかれらの教義の特徴は,独自の菩薩観と十方諸仏の観念であっだi3。それ まではブッダとなるもの以外は菩薩になれないと考えられていた。ブッダという理想の人格も その修行時代の人格も,手の届かないものとなっていたのであるt,

 かれら大乗の担い手たちである,出家の菩薩や在家の菩薩は,説法師(dharma−bhanaka)な ども中心となり,恐らく宗教的な霊感によるものも含まれるであろう文学的な大乗経典を陸続 と生み出した。こうした新しい菩薩観と十方諸仏の観念は,それまでの限定された世界観を覆 すほどの異文化との接触がなければならない、世界思想史Eの「軸の時代、が都市国家の出現

という,かれらを支える新しい社会基盤があったように,大乗としての明確な自覚をもつ新し

      一22

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仏教福祉研究への現代的アブP一チ(1)(友〕

い仏教の登場も,インドにおいてはクシャーナエ1朝というマウリヤll朝以来ソ)一人帝国の出現 と時代的に重なる.もともと中央アジアの遊牧民であったクシv一ナLKusar}a)族は,西北イ ンドへの攻略の後,帝国を拡大する頃になるとインドの諸宗教を包容しつつ,当時の有力な部 派仏教教団に保護を与えた、それは,異民族や異宗教を排斥しない仏教の普遍的な立場があ・,

たことにもよろう、この時代の有力な部派仏教教団が,人乗から批判されたのである  もともと,かれら大乗の人々は白らを1仏乗(buddha yana) 菩薩乗(bodhisattvayana

と称していた,、そこには,伝統的な部派仏教にたいする批判や非難はまだ明確ではない む1 ろ深い自己反省(繊悔d合ana)14と宗教的な喜び(随喜anumodita)という,いわば仏教精神に もとついた自己認識と呼ぶに相応しいものであった.やがて,有力な部派仏教教団を.小乗 と疑称する頃になると,自らを大乗(Maha・.yana)と称するようになった しかし,その人乗 は,人乗とはいっても小乗と大乗との対立の1大乗、である 仏教がゴータマ・ブッダの教え であるのなら,真理に気づかせるための手段としての教えは様々であっても,いわんとするも のは一つでなければならない.、

 そこで,どの教えもただ一つのブッダの乗り物[一仏乗(eka buddha yana)、に至るための ものである,ということを力説するようになったL. t乗といわれた声聞・縁覚の教え(=小 乗)も,菩薩の教え(=大乗)もみなそれぞれ意義があるというのである、相η:に意義を認め あうところに寛容と宥和の精神が社会に実現する.ここに初めて,対立の大乗から宥和の大乗 へと転換をするのである.一仏乗(一乗)を説く代表的な経典が,立正大学の建学の精神のも とにもなっている『法華経(Saddharma−pundarika sOtra)』.1己である.

 ゴータマ・ブッダの精神は,為政者のなかでは初めマウリヤ王朝のアショーカ(Aξoka,在 位,BC.268232)モによって,政治の理念に積極的に活かされ,社会に実現されるべく努力さ れたttかれの祖父チャンドラ・グプタ(Candragupta)は,干位を退いた後にジャイナ教によっ て出家をし,最後は入定して亡くなったとも伝えられているLIE・ジャイナ教(Jainism)は仏教 と同時代の宗教である。ともにil三統バラモン教以外の..二人宗教として,今日に伝わっているtt 但し,仏教は後に世界宗教となったが,ジャイナ教は,地域的な限定を余儀無くされた.それ はジャイナ教の厳しい戒律によるものである,そのためにかれら出家の宗教家たちは,活躍範 囲が制限された。

 一方,仏教の修行僧はダルマを伝えるために四方に赴いた。四方の人(catuddisa招提)1の 概念はすでに原始仏典に登場するon/tそれはギリシアのストアの哲人たちが理想としたコスモ ポリタンに通じるものである。普遍的なダルマ(理法)を説く宗教は,その伝道の過程におい ても,異文化や異宗教を破壊することはないtt鑑真和」二(688−一一763)のために建てられた奈良 の唐招提寺の1招提1も「四方の人(catuddisa)・1の原音からの音訳語である.中国の唐代に,

幾度もの渡航に失敗し,盲目となりながらもわが国にやって来たr四方の人!のために建てら れたe

 後に,ゴータマ・ブッダの教えが,内的・外的な要因からかれの布教の故郷インドからは姿

      23一

(8)

川1人学社会福祉{り1究所年報 創1事ナ(1999)

を消していっても,その精神はひろく川界に伝えられている、現代社会に仏教のはたすべき役 割は人きい 故インディラ・ガンディー首相は,これからの世界を救うには仏教による他は ない「 と明、i しているIX.思想(精神)は,実社会に[Eしく活かされなければならない,、その ためには,思想の現代的な解釈と受容が必要となるのである、.

N 仏教福祉思想と現代的受容

 仏教思想を社会に実現すべき福祉思想として捉えることは,新しい大乗仏教が,[利他1への 誓願をいだいて社会に仏教精神を実現しようとしたことにも通じる.その思想史の考察を更に 深めるためには,仏教福祉研究の対象として,様々なキーワーズを設定することも必要とな る サンスクリット語の知識のある者は,そのうちのヒタ(hita)或いはアルタ(artha)・ス カ(sukha)ということばを思想史的にトレースすることもよいかもしれないL|9。それは原始仏 教から大乗仏教を一貫している.近代になって特に新しいインドの思想のなかで強調された セーヴァー(seva,世話・奉仕)とともに20,大乗の菩薩行(bodhisattva.carya,菩薩の実践)

とは密接な関係があるからである、、

 人乗仏教には様々なブッダたちの理想世界が登場するCt理想土とされる「浄土1がそれであ る 立正人学で博1:号を取得した台湾在住の釈聖厳法師は,[人間浄上」を提唱し,具体的な理 想社会の実現に向かって世界に呼び掛けをしている2];。大乗経典では,理想社会実現のための 誓願Cpranidhana)を菩薩たちがおこしている。それは宮沢賢治のいう「世界全体が幸せにな

らないうちは,個人の幸せはない]という理解によっても表明されるものであるtt

 仏教の|中道 は両極端をはなれることをいう。ゴータマ・ブッダの時代のインドでは,施 tj (布施)にしても修行にしても極致を讃美する傾向があった、、もともとインドでは苦行

(tapas)によって体内に熱力が蓄えられ,それがかれの解脱を誘うと考えられていた。当時の 出家修行僧にならい,ゴータマ・ブッダも苦行を行った.しかし,かれは死をまねくほどの極 端な呂二行からは離れた.その時代のジャイナ教の称賛する苦行による死ではなく,苦行をとお

して更に深まったあらたなる生をとったのであるtt生を選ぶことは,生を肯定することであ るtt律蔵,に,病を得た比丘にたいして死を讃じたり,自殺せしめてはいけないと戒めている のも」 2,これにもとついている。

 生を肯定することは,他者の生をも肯定する(手をさし伸べる)ことになる。「利他(パラ・

ヒタ,他者への福祉) の実践が大乗の菩薩の生き方として讃えられるのは,これに依ってい るtt大乗経典では 利他 の語はi「 大日経」にも,「云何が人の心なるや。謂わく,利他を思念 す 口人正蔵経』18巻2b〕として登場するrしかし,生を肯定する態度と,インド的な「極 致を讃美、する姿勢とは自ずから隔たりが生ずる。その隔たりに現代的な正しい解釈がなされ なければならない。それは仏典にも表れている。その一例として仏典に登場する施与(布施)

の徳をあげることができる。施与・分配の道徳は,原始仏典以来強調されている。

      一一24一

(9)

仏教福祉研究への現代的アブm一チ(1)( 友)

 分配の徳が強調されるのは,かれを取り巻く自然・社会環境ともかかわりをもっている 日 然と闘い,かれらがわずかな糧を命がけで得ていた時代には,他者への分配の徳か広く讃ぜら れることはない.自然を開墾し,農産物が豊かとなり,やがて豊富な物資の流通にともなって 商工業が発達していく、交易や商工業の伸展は小都lljを形成し,やがて人都市と変わる 流通 経済にともなって貨幣経済が進展する〔ゴータマ・ブッダの活躍をした時代は,そうした新し い都市型の社会であった,,この時代の資産家たちはガハ・パティ(gaha patL Skt:grha pati

「居k)と称された、こうした時代に,施与の道徳が一般民衆にたいしても勧められたのであ

る。

 仏典には宗教的な施与として,かれの持てる財産のみならず, 身肉丁足 妻子 までをも 施すという物語が登場するtt現代医療の[角膜移植!や「皮膚移植 骨髄移植 を想起させる 釈尊の過去世物語もある⑳。これらはまさに施IJ;の極致ともいうべきものである、|利他、のた めに,一般の人々がとうてい為しえないほどの行為が描かれている 勿論,そうした行為を讃 美するのは,ゴータマ・ブッダの「さとり1の得難さを讃えているのであって,人々に同じ行 為を強要するものではない。そう理解するのが現代的な仏教の解釈であり,d三しい受容である

と考えるのであるU

 大乗経典の『法華経』薬王菩薩本事品には,自らの身体を燃してブッダを供養したという一 切衆生喜見菩薩(薬王菩薩の前生)の1燃身供養」の物語が登場する、この物語の真のテーマ は,大乗経典の出現に寄せたブッダの再生と復活の信仰であることを,かつて筆者は指摘し た別。かの菩薩の燃した身体はもとどおり還復したという、そして,燃身供養よりもなお優れ た功徳が,経文の一偏をたもつことにあるということが経中に述べられているのである,とこ ろが,実際に自らの身体を生きながらに焼いて供養した仏教僧たちが中国にも韓国やH本にも

いた、、

 施与も自らを滅ぼしてしまうほどの極端なものであっては,その徳が実際の社会に正しく活 かされないt、施I」1の極致を讃美する物語も,1教説;の一つである,!教え は真実に気づかせ るための手段であって,それを絶対視してはならないことを仏教では説く 教えは,それが説 かれる時代背景・人々の思惟傾向・理解力などによって異なる 現代社会には相応しい教えが 必要となる、そのために,教えを現代的にLEしく理解しなければならないのである

 アショーカEは当時の様々な宗教教団を保護し,仏教教団にたいして施与を幾たびもおこ

なった一そのためにかれが亡くなる頃には,F一家の財産である上地が寺院に寄進してしまった

ためにほとんどなくなり,廷臣たちが王子と計って最後にアショーカーFに許された布施物は半

阿摩勒果(amraマンゴー)のみであったともいうe{,/理想の帝{三とされたアショーカIlを生み

出したマウリヤ王朝の衰退も,或いはこれと無関係ではないかもしれない.理法を政治の理念

として積極的に活かそうとしたかれにおいても,インド的な「施与の道徳1のぱ致一の思想

が強く支配していたと言えるであろう。施与の徳を,仏教福祉の中に位置づけるためには,仏

教思想の正しい理解がなされなければならない。ゴータマ・ブッダの教えは 中道1であっ

       25

(10)

1

flヒ人学社会福祉IV}究所年報 創「IPナ(1999)

た 同時に,極致を肖定する背景には,インドの1業 」と業による1応報1の思想があること も忘れてはならない.

 理法(ダルマ)がより積極的に社会に発現されるためには,行為}二体としての人格ととも に,そわまでの保守伝統的な価値観0)転換が必要となる。ゴータマ・ブッダを呼ぶ時の「釈迦 牟尼IWI尊 という尊称に用いられている「牟尼(munD|は,[沈黙の誓いをまもる行者1をい

う.仏教も,それまでσ)伝統的な宗教家のイメージを重んじていることがこれによって判る。

騒然とした現代社会にはむしろ「沈黙1が評価を高めている。ゴータマ・ブッダ当時の思想・

宗教界は,その多くが自説を1三張するためにある意味では騒然としていた。その中で,かれら との論争に加わらないということが,ゴータマ・ブッダの採った態度であった。「黙然無言]と いうr維摩経〕のことばi2Eは特に中国や韓国・日本の禅宗では重んじられてきた。本来,言語表 現を超えた真理をことばで表すことには無理が生ずるc/まさに[黙然無言」としか表しえない

ものであるからである,

 ゴータマ・ブッダの初めての説法を初転法輪という。ダルマが説かれることを法輪(ダル マ・チャクラ)の転ずることに喩えるのである。ゴータマ・ブッダは,初め理法を説くことを 躇躇ったといケ、有名な梵天勧請のエピソードがここに生まれる。最高神ブラフマー(Bra hma梵天)が,人間ゴータマ・ブッダに説法の懇請をするのである。二度に及ぶ梵天の懇請 に,ゴータマ・ブッダは,説法を決意した⑳。ここに,沈黙が破られるのである。静(理)から 動(事)へ,ブッダという人格をとおしてダルマ(理法)が発現をしていく。

 理法の発現は,生きとし生けるものへの幸せ(スカ)を願って生きることであることが,原 始仏典の中でも最も占くかつ重要な『スッタニパータ』によっても知られる。仏教福祉研究を 志すものたちは,感動をもってそのことばに接することであろう。

 .眼に見えるものであっても,同様に眼に見えないものであっても,遠くに,或いは近くに 住むものであっても,現に存在するものであっても,或いはこれから生まれようとするもので あっても,すべての生類は幸せであれ、

 dittha va yeva addittha, ye ca dUre vasanti avid[ire /  bhUta va sambhavesi va、 sabbe satta bhavantu sukhitatta//

      (Suttanipata, Metta−suttam. verse 5)es

 それまでのバラモン教の哲学では,理法は自分の長男か信頼しえる弟子へと継承される「秘

奥」であったttしかし,仏教では,理法(真理)は何ら秘すべきものではなく公開されること

になった。その理法の発現がゴータマ・ブッダによってなされたのである。しかし,ブッダの

滅後,紀元前後の時代の有力な保守伝統的な僧院仏教の修行僧たちは経済的な援助を得て,自

らの修行研鐙に終始することになった。そうした中にも,ゴータマ・ブッダの教えを守り,布

教伝道に赴く出家僧一四方の人二たちや,f 慈悲」の精神を具現しようとする仏教徒たちはいた

       一26一

(11)

仏教福祉研究への現代的アブP一チ即(友)

ことであろう,大乗の担い手たちに,伝統的な仏教教理を充分に理解していた人々かいたこと は,保守伝統的仏教教団の一部の比丘僧たちが共鳴参加をしていたのではないかということも 窺わせる。人乗仏教の登場する前後は,キリストの使徒たちの布教伝道と初代教会の出現の歴 史にも時代的に重なっている

 ダルマ(理法)が説かれるという,:沈黙が破られたことによって,保守伝統的な価値観の 転換がおこなわれた。しかし,i沈黙1の意義そのものを否定するものではない それは人乗仏 教の菩薩観にも受け継がれている,大乗仏教においても,それまでの伝統的な1菩薩」の解釈 を踏襲しつつ,新しい菩薩観を立てたのである,説一切有部で考えられていたい阿僧祇劫|

の歴劫修行の後の菩薩は,さとりを得てブッダとなることの得難いことを表している…id時 に,大乗の菩薩の誓願も,世に,苦しみ救いを求めるものの存在する限り成満する(自らが ブッダとなる)ことがないのである.

 インド的な従来の価値観の転換は,仏教が東アジアに伝わるにつれてより明確となっていっ た、インドでは宗教家や出家修行者たちが,直接生産に携わることはなかった。1作務1のよう に出家修行僧たちの勤労の徳が強調されるのは中国に仏教が受容されて以降であるU!]、これも,

かれらを取り巻く社会環境や時代背景に影響を受けたものであり,中国的変容であると同時 に,価値観の転換でもある。僧院での自給自足が行わなければならなくなると,かれらはむし ろ積極的に働いた。ヨーPッパのキリスト教僧院では,中世の頃までおこなわれていた托鉢が やがて自給自足の生活をするようになってきたこととも対応するCt

 勤労を人々に勧めるだけではなく,自らも精励する,そうした生き方eg ,インドの出家}義 的・保守的な仏教ではついに現れなかった。これも大乗仏教の出家・在家を一貫した菩薩の生 き方に結びつく。大乗仏教の出家は,生活形態としての出家(比丘)であり,それまでの伝統 的な部派仏教の修行僧のことではない、、

 7世紀の玄弊(602 664)の記録によれば,この頃インドでは,優婆塞(在家の仏教信徒)

でありながら深い学殖を持ち,国十や学僧たちも彼のもとに法を聴聞に来るような人がいたこ とを伝えている3U。玄弊もかれに従って大乗仏教を学んでいる、奉仕をする1という意味での セーヴァー(世話・奉仕)の語は,7世紀のインドの大乗の出家僧(比丘僧)の書き残したも のには登場する。しかし,かれ自身は生活のために労働に従事することはなく,施食によって 生活をする学僧であった3[.e

 インドの宗教を特色づける「業(カルマ)1と業による|応報1の思想,それに来世セ義的

(other worldly)な傾向は,施与においても,その極致を肯定することになるv来世の果報

(応報)を想定して,現世の行為を考えているからである。循環的な[輪廻1思想のなかで,

人と他の生類とを同一視し,かれらすべての至福を大乗の出家僧たちは願った,=これも,ゴー タマ・ブッダの精神を継承するものである。

 来世主義的な傾向は,東アジアの文化圏に仏教が受容されると,逆に現世主義的(this

worldly)な見直しがなされることになった。[無為」は宗教家や仏教徒たちの積極的な活動の

      一一27一

(12)

、フ1}人 }辞{会福kll lw{究所イ1報 創刊:ナ(]999)

うちに昇華さカ,社会とのかかわりのなかにかれらの評価が高められた。わが国では占くは法 相宗や律宗の僧たちが,積極的に社会奉仕活動を展開したが,それも人乗の菩薩の精神の体現

として現わたものである「因みに行基(668 749)は自らを[沙弥(ζramanera,見習い僧)と 称しているだけである、

 同時に,仏教は,それを受容する国々の文化や風Lそして時代の価値観などによって様々な 変容を受けた 只体的なその好い例は僧侶の着る着衣(袈裟)の変容である.llZ tt但し,そうした 変容のなかにおいても,インド仏教以来の精神を継承しようとする動きは中国や日本にもあっ た 社会とのかかわりをもっていくトには,その社会の否定態を生きることはできない。イン ドにおける人々の尊敬の対象であった出家僧である比丘(乞食)は,日本ではもし現代社会 に,同じ姿で同じ行為をすれば1コツジキ;とはみなされない、それは宗教者として,社会に 何ら具体的な貞献(具体的活動を)していないという意味でのものである。

 東アジア(特に現在のわが国)では,ゴータマ・ブッダの時代のインド的な宗教家(私有財 産を持たず・住居を定めずに遍歴して理法を伝える人々)は,恐らく尊敬の対象とはならない かもしれない それでは,立派な法衣を纏い見Lげるほどの寺院・伽藍に住み,説法にも巧み な宗教家が尊敬されているのかと言えば,それも否であろう.現代中国では,一部では,出家 仏教僧たちか 人牛の落伍者1とみなされているというS3)、そうした批評をそのまま首肯する

ことはできないとしても,これもかれを取り巻く社会の価値観を考慮しつつ,反省的に考察す る必要かある

 人乗仏教の出家菩薩たち(例えばシャーンティ・デーヴァや玄弊)は,自らには厳しい生き 方を課したが,他者にたいしては寛容であった。原始仏教以来のその寛容な態度が仏教を世界 宗教として発展させたのである 大乗の出家・在家の菩薩たちは,その誓願の実現に励んだ。

社会に兵献し,社会活動に生きた仏教者(出家・在家)たちはわが国の思想(精神)史に深く 刻まれたのである かれらのうちの大部分は当時の社会の権力と結びついてはじめて,大きな 社会事業を為しえたことも事実である、到底個人の力ではまかないえない社会事業への取り組 みとして,この点は福祉思想史の中で現代的な評価が必要となる、但し,そこには一貫した普 遍的な思想・精神があった、この意味でも,仏教思想を現代的に解釈・受容する意義は大き い 現代社会における福祉行政・社会福祉事業においても,思想(哲学)の重要性はいよいよ 増していくことであろう

結 語

 世界の思想史の中には,社会的に広く承認されることなく異端と見倣され忘れ去られようと

していたものもある。そうした諸思想を,これまでの伝統的・宗教的権威から開放して,普遍

思想としての位置づけのなかで再評価しようとするこころみは,すでに中村元博士によって唱

導されIP普遍思想;となって著されている。普遍思想を,[いずれの時代にもいずれの社会(国

      一 28・一

(13)

仏教福祉研究への現代的アプローチ(1)(三友)

家ノにも,民族や宗教,或いは文化の相違を超えて,その実現が人々に希求せられる思想:と 捉えれば,仏教福祉思想はまさに普遍思想に含まれよう、普遍思想は,人々がその実現に向 かって歩むことによってこれからの新しい道のりが築かれていく、それは過去への反省によっ てより堅固なものとなっていく 普遍的な思想・理念にもとつく自覚と取り組みとが,やがて その影響を社会全体に及ぼすことになるはずである、これからの世界は,対Y/:や抗争を超え て,新しい普遍思想史の構築に向かって歩まねばならない.

 21世紀を間近にむかえようとしている/〉 H,今世紀が[不信とすさまじい破壊の世紀(a century of incrediable and awful destruction)1であったと社会学者は指摘する、これまでの資 本k義経済の内部矛盾から生じた無秩序状態が今後の3〜50年は続くであろうとも予測さオー1て いる しかし,これからの世界をあるべき方向に変えてゆく努力は,過去500年の歴史のなかで 今後の30年ほど,効率的な時代はないとも1・ウォーラーステイン教授は言ゲ員 それ故,

 我々は極めて良い時代に生きている この時代において我々の個々の努力が亜要となるであ

ろう (we live in very good times in times where our personal effort will matter) と彼

は述べる これは経済社会の分野のみではない、そうした現代社会にたいする時代認識と個々 人の努力への明るい期待は,社会福祉においても求められるものであろう

〔註〕

(])衆盲摸象喩(andha gaja.nyaya盲人と象のことわざ)は,ジャイナ経典にも仏典にも同様の僻喩が  登場する 人乗「 況繋経(大般浩喋経)⊥巻第27「師r一吼菩薩品1C人IE蔵経「12巻,556 a),原始イ∠、

 典では同様の鴨喩がUdana, W,4(Pathamananatitthiya sutta)に述べられる 「南伝人蔵19E.li第23 DJ・

 部|(]96198頁)参照

 この樟喩を用いて,η:いに脾睨している諸派が論争をiEめ相17:理解をすべきことを力説したのは江戸  時代の儒医・森尚謙(1653.1721)である

(2)仏教福祉関連の研究としては,森永松信著『社会福祉と仏教1「誠信書房,昭和50年9月1ほか,Jl,

 田久一著m本近代仏教史研究」(吉田久一教授著作集4,川島,1}店,1992年9月),「日本近代仏教社  会史研究!卜(同5,1991年ll月)ド(同6),]社会福祉・宗教論集(同時代を語る)、 (同7)などを  挙げねばならない

(3)拙論近世に於ける儒佛不:論:口Vノ:IE短大紀要[a93VJ−,・lz成4年12月 1−19頁、この内の13頁  上段【評駁損己】の項参照.

(4)例えば,東方学院1『中村ノ己学院長,東京都千代Hl区外神田2−17−2,宕03・32514081」では,

 サンスクリット語(初級・中級・k級)・パーリ語・チベット語などの開放講座が設けられている  学歴 年齢・職業・国籍・性別に関係なく,真に学びたい者たちへ学問の門戸が開かれている

⑤ 中村元㍗普遍思想rl中村元選集決定版・別巻riH:界思想史.fi 2,春秋社・1998年12月 第1 奔,8  頁以ド参照 輝かしい思想家たちの出現はその社会的基盤としての都市の出現があったtt本稿の筆者  は,中村博f:の「普遍思想|の、力亨に啓発を受け,ノ〉後の福祉思想研究のテーマとして,普遍思想i  と「福祉1を採りヒげることを提案した。

(6)  インドでは,3000年の歴史を通じて国家の権力が何らかの宗教もしくは思想を圧迫することはな

      29

(14)

、杭IE人学社会福宇|【:研究所年報 創}二1」号(1999)

 かった という Rhys Davidsは,それを驚異的な思想の自山(marvellous freedom of thought)と呼  んでいる 中村兀1インドと西洋の思想交流』 選集・第19巻,春秋社・1998年1月1376頁参照.

(7) ・最1:のやすらぎ(santim uttamam)1ということばは, Suttanipata lO67偶(Parayana vagga.

 67)にも登場する i Sllt高の安楽(paramam sukham)1はDhammapada 203偶(Eka Upasaka  Vatthu) ・204偶(Pasenadikosala Vatthu)などに出る、

(8) 「慈悲是佛道之根本(慈悲は是れ佛道の根本なり);[「大智度論1人[r蔵経25巻256c、、慈悲はサン  スクリットでは,慈(maitri)と悲(karuna)とに分けられるが,漢訳語の解字からみても興味深い、

 「慈1はf艸1冠に1締 と「心1が付されている、春になると苧:が「締1のように萌えいずる、その  成長を温かく見守るという意味があるという.{悲1は鳥が両翼を胸を割るようにして開いた姿を表す  [非1に「心1が付せられている,/r胸iが張り裂けるほどのこころの痛みを意味するという。仏教で  は慈悲をそれぞれ「父(慈父)1と{母(悲母)]とに配する。?ll;i後期の石塔には戒名(法号・法名)

 のヒに[慈父一悲母」と刻まれているものがある、

(9) [1.毘尼母経』、人lll蔵経24巻,822 a には次のように伝えられている。佛,比fi二に告げたまわく,

 吾が佛法の中には,美言を與えるを是と為さず.但,義理をして失わざらしむ,是れ吾が意なり。ivか  れらの受悟すべき国々の1「語にしたがって,法がとかれるべきであるとゴータマ・ブッダは述べたと  いケ,聖典語を規定しないというところに仏教の普遍的な思想が表明されていると言えよう。

(10)Samyutta・nikaya.皿. L 8. vol.1,p75.ここでは,有名なパセーナディ(波斯匿)1:.と}1妃マッリ  カーの対論の形で,n己を愛することは他人を傷つけないことであることが述べられている, r南伝人  蔵ge..[i第12巻・相応部経典1,129−−130頁参照。

aD Bodhicaryavatara(Bibliotheca Indica). edited by V.Battacharya, The Asiatic Society Calcutta  l960、粗120. Santidevaはparatma parivartanaをparamam guhyan[最高の秘奥」であるというtt  金倉II]照訳il 悟りへの道」川サーラ叢書9・平楽与書店,1969年11月 149頁参照、

(② :「人2v度論』 人lll蔵経25巻,345 c には,・」・乗と称されたかれらは大願も大悲もなく悪趣(dur  gati)に赴くことを殊更恐れていると非難するttこれに対して,人菩薩(法身の菩薩)たちは願って悪  趣に赴き衆牛を救済するという.

(13)拙論「ボサツの仏教;.:友健容編著:現代に生きる仏教」口東書選書]139,東京萬籍・1995年6  月.199.221頁参照.

(14 拙論「仏典における餓悔の形態と意義1.r人倉山文化会議研究年報』第2号,1990年(発行1991年3  J]) 107−−128頁に,仏典における宗教的反省(餓悔)に関して私見を述べておいた、、

㈱ サンスクリット本「法華経1からの現代語訳としては,岩波文庫本『法華経⊥fl ・中・ドの他,1大  乗仏典4・5(法華経1・H)⊥(中央公論社)とが適当なものとして挙げられるが,特に,後者の翻訳  を推薦したい、訳者の故・松涛誠廉教授(立IE大学大学院教授も勤められた)の労作の一つとして,訳  語の吟味やテキストの扱いの面においても学術的に高い評価を受けているtt

⑯ 中村元『インド史』 1選集・第6巻,1997年9月 第2章マウリア†朝,52−53頁参照tt

(IT 四力の人iコスモポリタンの理想は古代インドの諸宗教のなかでは仏教のみに表明されたという、

 前掲『普遍思想.1792頁参照。catuddisaの語はThera−gathaの1057偏に出る。 i 仏弟r一の告白(テーラ  ガーター)』、中村元訳,岩波文庫..197頁。

(18)インディラ・ガンディー首相は,.仏教と諸国民の文化についての第]回国際会議(First  international Conference on Buddhism and National Culture)」を1984年10月に開催したt,その挨拶の

一 30

(15)

仏教福祉研究への現代的アプローチ(1)(:友)

 中で,i人類が生き残るためには,どうしたらよいか?それは釈尊の教えにたよる以外にはないのでは  ないか?1と発言しているttそれからまもなく,彼女がシク教徒狂信者の兇弾に倒れたのは周知の通  りである.1近代インドの思想』『中村元選集・第31巻,1996年]2月1364 365頁参照、、

㈹ 現代インドの思想家Vivekananda(1863−1902)は,それまでのインドの宗教で特に強調されてい  た智(Jfitina)や信仰(bhakti)の実践に対して,奉仕(seva)を説いたtt「これはインド思想史におい  て画期的なことであるtt川西洋の宗教でも近代になると特に奉仕が強調されるようになったが,しか  しまだ信仰と結びついていて,両者が渾然としている、!。中村元『現代インドの思想』、選集・第32

 巻, 1997迄F6戊] i 54頁、、

⑳ 拙論1『福祉』ということば1〔[「人間の福祉af第]号,1997年3月14759頁に,[福祉1の意味を有  するサンスクリット語hitaについて触れておいた。

⑳ 釈聖厳博十:が,母校立正大学において講演をした時(1997年10月)に配付された資料があるttそこに  は,具体的な人間浄土社会実現の急務がさけばれている。

  台湾省台北市の郊外の[法鼓山」総合仏教研究キャンパスに壮大なスケールの諸施設(国際会議場  や学園などを含む)が建設中である。

⑫ 「断人命戒1を部派仏教の律蔵は説いているu平川彰著r:百五} 戒の研究』1 平川彰著作集・第  14巻,春秋社,1993年2月〕259−264頁参照。

  漢訳r毘尼母経』にも,1若し人病んで,求めて自殺せんと欲するに,比丘は若し自ら刀を與え,若  しは人をして刀を與えしめ,若しは自ら藥を與え,若しは人をして薬を與えしめ,是くの如き等の方  便を皆,重制と名つく。」〔大正蔵経 巻839c.]と述べるt/

㈱ 『法華経』序品には,「身肉手足」や「妻子」をも施すという布施の極致ともいうべき菩薩の行為が  登場する。

  [ある人々は,息子たちも,そして同様に娘たちも施し,愛すべき肉体さえ施す。この最高の菩提を  求めつつあるものは,手や足をも請われるままに施す。1〔18偏〕

 dadanti putrarp§ca tathaiva putrlりpriy勾i marnsani dadanti kecit/

 hasta甲s ca padarps ca dadanti yacitah paryesamanA imam agra−bodhim//18//

 「ある人々は頭を,ある人々は眼を,ある人々は最も大切な自身の身体を施し,浄らかな心で施しを  行って,人格者(tathagata,如来)たちのジュニャーナ(智)を求める。]:1gral]

 sirarpsi kecin nayanani kecid dadanti kecit pravaratmabhavan/

 dattva ca danani prasanna−cittah prarthenti jfianam hi tathagatanam//19//

  〔現在のサンスクリット・テキスト(18偏)にはいずれも[息子(putra)」たちや,「娘(putri)1た  ちとなっており,諸写本のヴァリアントをださないが,多くの写本にはtathaiva putrihに代わって  bharya(妻),duhitl(娘)の語を示している、,それは漢訳『妙法蓮華経』(羅什訳)に見られる凄  子」の語と対応するものであるnこれなども,今日の刊本としてのサンスクリット・テキストを漢訳  経典の原典として絶対視できない好い例であるCt拙論「法華経第1章覚え書1 r印仏研究』28巻M 2  (March 1980)〕

  妻子を施す話しは『ヴェッサンタラ・ジャータカ「布施太子物語〕』(J巨taka 547話)などに類似した  ものが認められる。その他は『シビ王本生』(Jataka 499, Jatakamala 2)などにも認められ,1骨髄移  植」を想起させる物語については,『大賓積経』巻第111に述べられている物語を,拙論1仏教福祉と病  人看護」〔『人間の福祉』第4号,1998年9月j⊂註」(1φに簡単に紹介しておいた。

一 31一

(16)

、「

/:IE人 }ft孝[会WI}ネ【ト{りF究けfイト報  倉|J刊」膓膓 (ユ999)

例 拙論:薬1.菩薩と1燃身、1r勝呂イ,1静博{1占稀記念論文集」,山白・房仏,‡}林, F成8年2}] 391−

 406頁にこのことを論じている「・…般に薬ビ菩薩の燃身は「焼身供養1とされているが,「焼身ではな  く「燃身 とすべきこともあげておいた「

⑤ 前掲酷遍思想t t.943 944頁参照,」1阿育Il伝]、人IE蔵経・第50巻,110b−111b、1」阿育じ経、1, fJ,

 147c  149 b

c26) 1黙然無ll  維摩経、[大【ll蔵経14巻,551c1.

勃 拙論 仏伝(梵天勧請)の人乗的展開lll「知の避返』塚本啓祥教授還暦記念論集,佼成出版社・ レ成  5年3月 567 582頁参照

㈱ .目に見えるものでも,見えないものでも,遠くに或いは近くに住むものでも,すでに牛まれたもの  でも,これから牛まれようと欲するものでも,一切の生きとし生けるものは幸}福であれ、 「ブッダの  ことば(スッタ=パー一タ)」.147掲・中村元博1:訳,岩波文庫、

・[29)  禅は世俗的なものを嫌悪したゆえに,山にこもったが,まさにそれ故に世俗的に自、㌦:せざるをえ  なくなった1こうして始まった自給自足(世俗的なノヒ産)が,人間を宗教的に完成させる実践的契機  として把握されていることを中村ノ己博1:は指摘する、、こうした禅における生産と勤労の問題に関して  は,川本宗教の近代牲li中村元選集・別巻8,1998年10月、19頁以ドに詳説されている 日本仏教で  は呪術的・儀礼的なものと結びつくことによって初めて禅が民衆と結びつくことができた 前掲書,

 286頁参照 呪術・儀礼的な面が宗教と民衆との接点となるが,そのために却って世俗(俗信)化さ  れ.,r一段が絶対視されてしまう危険性がある、、

(3〔]}拙著」玄りC!iEi・水、t↑院,1994年10月 37・−43頁参照、、

t31)Bodhicaryavatara, chap, X,46.金倉}【]照訳1悟りへの道L]サーラ叢f縞9, P楽塩聾店・1969年  11Jj 1221頁参照、

i32〕袈裟と漢訳されるカシャーヤ(kasaya)ということばは,もともと「壊色.としての黄赤色を意味し  た その語がやがて仏教僧の着衣を表すものとして用いられるようになった。かれらの粗末な衣は  パームス・クーラCpamsukaLa,糞掃衣)とも称された、やがて,仏教が北・東方へ伝わるにつれてか  れらの着衣にも変化が及んだ 暑熱の風kと寒冷の風i:では,身体をまもる衣にも差異が出てくる  袈裟の素材にも,それが及ぶ僧侶の標識(シンボル)としての袈裟は着衣とは別に着けられるように  なった、中国の唐代には, 当時の社会での階級を表す着衣の色(紫を最Eとする)が僧服にも及び,か  れらは俗服のトに標識としての袈裟を纏った、

品 藤井教公氏⑭・北海道大学教授)が,このことを中国訪問の際に通訳が語ったエピソードとして  挙げている .中国旅行社の通訳は中国ではエリート官僚で,国家のじ義1:張の忠実な実践者である  しかし,その点を割り引いたとしてもTなお,若い世代が仏教を見るIlとして,この一一件は象徴的であ  る、.こ友健容編箸・前掲書57頁参照t tt現在の中国では,1980年以降,南アジア研究.この研究所の  所長であったのは季羨林博{:である の一つとしてインド学・仏教学研究が盛んに行われるように  なった 1999年には黄心川教授が中心となる1玄弊.の国際会議も,第2回目が北京で開催される.

渕 =一ユーヨーク州、ヒ大学の社会学者イマ=一ユエル・ウォーラーステイン教授(Prof. Immanuel  Wallerstein、との記者会見記事:がThe Daily Yomiuri, Monday. January 4,1999. p.1&5.(『読売新聞!l

 同日付1 2面 日米と西欧 競争の時代、)に掲載されている.現在を1極めて良い時代(very  good times)であるとする受け取り方を,かれはoptimistic thing(楽観的な見方)ではあるが,とし  ているが,そこに筆者は現実の社会を肯定的(悲観的ではないとLtう意味で)に受け取り,積極的に

一一

32

(17)

仏教福祉研究への現代的アプローチ川、友)

個々人が社会に働きかけよき世界を築きあげていくという現代的な仏教思想の理解と類似したものを 感じたのでここに引川した

 原始仏教の教説には 厭世観 が色濃く表れているということがしばしば指摘さ21る しかしイン ド戯曲には徹底した1悲劇が無いように,原始仏教の教説においても,仏教の業や応報思想において も,ある意味では.楽観的(これも悲観的ではないという意味で).なものがインド的(仏教的)要素 として内包されていると捉えることができるかもしれない

33

参照

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