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貞享三年の西村本

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貞享三年の西村本

著者 太刀川 清

雑誌名 紀要

巻 23

ページ 9‑15

発行年 1969‑01

URL http://id.nii.ac.jp/1118/00000949/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止 http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

西

兵事三年の西村本とは京都の春寒西村市郎右南門出版にかかわる小説類﹁好色

三代男﹂﹁好色諸国心中女﹂﹁浅草拾遺物語﹂﹁好色伊勢物語﹂をさしていう︒

ところで︑このうち前もって刊行を予定されていたものは﹁好色三代男﹂と

﹁好色伊勢物語﹂で︑﹁好色諸国心中女﹂﹁浅草拾遺物語﹂の二作の刊行は予め企

てられたものではなかった︒

なぜに予定の外の作まで敢て刊行するに及んだか︒たまく磯熟して発刊に至

ったとすればそれまでであるが︑果してそれだけであろうか︒諸般の事情は決し

てこれを意味なしとしない︒

兵事二年の﹁本朝彫刻広益書籍目録﹂はその西村をも連ねた四店からの刊行の

ものであるが︑それの﹁好色の類井楽事﹂の頂の末尾に並んで﹁好色三代男﹂と

﹁好色伊勢物語﹂の記載はある︒しかし﹁好色諸国心中女﹂︵以下諸国心中女とい

う︶と﹁浅草拾遺物語﹂︵以下浅草拾遺という︶ の名を記さない︒しかも書名の

載る﹁好色三代男﹂の冊数は黒くねりつぶされて記載されていないのである︒そ

ぅしたことから推せば﹁好色三代男﹂については︑いまだ原稿が出来上っていな

かったものを近日刊行の予告のつもりで︑前年の書籍日録にのせたものであった

であろうか︒記載のない﹁諸国心中女﹂と﹁浅草拾遺﹂はすくなくとも刊行の前

年即ち見辛二年正月には特に予定されていなかった作品ということになる︒

しかし︑三作は揃って兵事三年正月に︑また﹁好色伊勢物語﹂も予定通り翌二

月に刊行されているのがいつありない事実なのである︒

いまだ出版に至らぬものを載せることにこだわったということになれば﹁好色

三代男﹂﹁好色伊勢物語﹂だけをなぜ載せたか不明であり︑記載もれというよう な偶然に帰することは当時の西村の周囲を顧みない余りにも稚拙な推察といわな

いうまでもなく︑大阪で目下活薩の西鶴との相互関係である︒すでに前年には

﹁宗祀諸国物語﹂と﹁西鶴諸国咄﹂との出版にまつわる異常な雫田気のあったこ

とも予想され︑京都の西村が大阪の西鶴に対して対抗意識をもっていたことは

﹁元禄太平記﹂で﹁いでや都の好色文の達人西村市郎右衝門筆を振ふて西鶴を消

すといヘビも︑是亦学問に疎ければ其誤なき忙しもあらず﹂と都の錦がいうまで

もなく︑それはまた事実であったのである︒

かくして﹁宗舐諸国物語﹂についで︑翌兵事三年一月には件の西村本が揃って

この間の経緯をどう考えたらよいか︒ここで思い出されるのは︑﹁宗祇諸国物

語﹂の成立を西鶴の﹁近年諸国咄﹂との関係から説かれた堤清二氏の論考である︒

即ち氏の﹁近年諸国咄の成立過程﹂︵﹁近世小説研究と資料﹂所収・昭和三八年十月︶

であるが︑そこでは現存の﹁宗所諸国物語﹂が五巻五冊であるにもかかわらず︑兵

事二年の前述出版書籍目録に四冊と記載されている︒この事実に気付かれその巻

五を検討された結果﹁近年誇国咄﹂と極めて類似した話のあることに着日されて︑

この間の事情は次のようなことではあるまいか︒この書籍日録を上梓する時︑

少くとも﹁宗所諸国物語﹂は四冊本として刊行する予定であったか︑あるいは

まだ冊数の見当もつかぬ状態であった︒いずれにせよ当時四巻四冊分の原稿が

あったわけである︒その後﹁近年諸国咄﹂−﹁大下馬﹂という外題であったか

も知れない−が五巻五冊の体裁で刊行された︒西鶴にしては従来の作品と全く

内容を異にする怪異小説集である︒怪異小説集としては西村市郎右衛門にはす

でに﹁新御伽脾子﹂がありこの分野においてはl日の長を自負していたことで

あろう︒西鶴が五巻五冊で刊行したのに彼が四巻四冊のまま出版する気にはな

らなかった筈である︒そこで急拠巻五の作製にとりかかったが材料が不足とな

(3)

第23号1968 10

った︒そこで巻五の終りの三章の素材を﹁近年諸国咄﹂に仰ぐことになった︒

︵巻五の八︶であるが︑この三吉を含めた巻玉をつけ加えた西村の意図が期せずし

て﹁浅草拾遺﹂の刊行に至ったと考えたい︒というのは典清二氏が言われるよう

に﹁宗舐諸国物語﹂の巻五の付け加えが﹁近年諸国咄﹂に刺戟されての西村の企

てであったとすれば︑次なるところで更にそうした意図があらわれても別に不恩

散はない︒﹁宗舐諸国物語﹂と﹁浅草拾遺﹂の一通りならぬ関係︑それに﹁西鶴

諸国咄﹂との関係は後述するにしても︑とに角前もって予定されていなかった

﹁浅草拾遺﹂の上梓となったのである︒

かくして︑﹁浅草拾遺﹂が前述書籍日録に載らなかった理由づけは出来た︒

一方︑﹁諸国心中女﹂であるが︑これは﹁好色三代男﹂をものすべくなされた

作業が期せずして及んだものと解しては如何であろう︒﹁好色三代男﹂は西鶴の

﹁好色一代男﹂﹁好色二代男﹂に追従したというより正面から対処したものであっ

た︒その発端の辞で﹁汝色道にふけること多年世に一代男二代男と呼ばれしも皆

傾城のみなづみて方便の情に身鉢をうち︑親のいさめ世のそしりをも顧みず︑此

外にまだ真実の恋あることを知らず︑今汝三代男といほれて此道を知らずはある

べからず﹂という︒つまり西鶴はその恋愛の対象を遊女にだけおき︑それにこだ

わるが︑真実の恋情は素人女にもあると駁し﹁東山の奥西海の底雪の北水の南︑

洩て世にしる貞節の集五の巻とし︑諸国心中おんなととなふる而己﹂︵諸国心中

女序︶と諸国につたある女義一道の唾を集めようとする︒好色の字義はすでに云

われているように貞節又は真実の意であり︑﹁好色三代男﹂の好色の意もまたそ

うである︒﹁好色三代男﹂でいう真実の恋をそのまま女性に転じたなら︑とりも

なおきず﹁藷国心中女﹂の心中の義となる︒霹食で﹁諸国﹂を角睾きする﹁好色

三代男﹂︒﹁好色﹂を角番する﹁諸国心中女﹂︑円と菱と角書の粋塾は異っても︑

男と女の違いこそあれ︑題名からしてすでに二にして一であることは︑なにより

もそのことをもの語っている︒

かくして﹁好色三代男﹂と﹁諸国心中女﹂とは極めて密接な関係にあるという

ことが出来よう︒更に憶測すれば﹁好色三代男﹂が件の書籍日録に冊数を明記せ

ず︑敢てこれを消したのは︑より多くの冊数︑巻数を予定したものであったであ

ろうか︒西鶴の﹁好色一代男﹂﹁好色二代男﹂はいずれも八巻︑八冊であったか

ら或はそれに倣うとしたかも知れない︒西村の立場から充分予想出来るところで ある︒そして︑もしそうした推定が出来るとすれば︑そのうちから﹁諸国心中女﹂

を編むべく相当数の女性に係わる話をとり去ったら遂に五巻本となった︒という

のも後述するように﹁好色三代男﹂の中に心中女の話をとどめているからである︒

かくて予定された冊数はこれを改めざるを得なかった︒そのため刊行直前の書

籍日録での冊数の記載を急拠省くことになった︒冊数の記載のないのは︑原稿が

出来上っていなかったと解するようそう考えた方が正しいのではなかろうか︒

推定に推定を重ねながらもとに角︑以上のようにすれば﹁諸国心中女﹂の記載

のないのも﹁好色三代男﹂の冊数を消さなければならなかったのも説明がつけら

さて︑その作者が誰であったか不明としても︑紗なくとも貞蔓二年の西村本の

成立には二つの経緯がある︒一つは﹁浅草拾遺﹂そしてこれは前年の﹁宗舐諸国

物語﹂との関連の上で︑一つは﹁好色三代男﹂﹁諸国心中女﹂の工作︒﹁好色伊勢

物語﹂これはまた別である︒

かつて野田寿雄氏が酉村本の小説類を序文の署名や話の内容からいくつかくグ

ループに分けられたが︵﹁四村本の浮世草子﹂西鶴研究第十集︑近世小説史論考

所収︶ここでも﹁宗祇諸国物語﹂と﹁浅草拾達﹂は共に洛下旅館の署名をもち︑

共に寄談︑諸国話をあっめたということで同一グループに属すものとされ︑﹁好

色三代男﹂と﹁好色伊勢物語﹂はまた同一グループと見供されもしている︒﹁好

色三代男﹂には署名や作者名は識されていないため︑そこからの考察は出来ない

が︑﹁好色三代男﹂には﹁伊勢物語﹂を搾まえたところがあり︑かつ﹁好色伊勢

︵ 注

物語﹂には﹁好色三代男﹂の名をあげ︑その引用すらある︒もってその関係は分

明であるという︒そして︑この﹁好色三代男﹂と﹁諸国心中女﹂は件の書籍目録

には近刊の時期を見こして載せられたのである︒

といいながらも気懸りなのは﹁好色伊勢物語﹂の版元に西村市郎右衛門の名が

ないことである︒即ち江戸神田新革畳町西村半兵衛 京錦小路新町酉入ル町永田

調兵衛の相版である︒にもかかわらず︑これを西村本とするのほこの作が明かに

西村市郎右衛門に関係するものであることは序文の署名に﹁城坤酒楽軒﹂とある

からである︒︵水谷不倒氏﹁新撰列伝体小説史前篇﹂による︶︒城坤洒楽軒が西村

市郎着荷門であることは︑﹁山路の露﹂︵兵事四年︶の序文の未設で﹁山路の雷﹂

の成立を云々したが︑それは﹁好色伊勢物語﹂のそれと同趣であり︑ここでは

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﹁書林 西村囁松子﹂と自署しているからである︒しかも城坤が西村市郎右衛門

の住んだ三条通池小路東入ル町に方向の上で一致することでもあり︑西村市郎右

︵ 注 二

衛門自身のものとして明かな﹁俳譜閑相撲﹂︵天和二年︶にも城坤散人茅量子と城

坤の語を使用するところでもあった︒

されば︑﹁好色伊勢物語﹂は﹁好色三代男﹂﹁諸国心中女﹂とは別の作者を想定

しなければならない︒即ち﹁花の名残﹂︵兵事元︶﹁山路の露﹂︑他に城坤散人茅

量子の署名をもつ﹁小夜衣﹂︵天和三年︶等であるが︑これらが西村市郎右衛門

その人の作であったという可能性が強い︒﹁好色伊勢物語﹂で﹁好色三代男﹂に

ふれるところがあるのほ︑たとえ他人のものであれ︑自分の店からの出版であれ

ば︑その原稿に目をふれることも出来たであろうから︑﹁好色伊勢物語﹂と﹁好

色三代男﹂を同一人の作とすることは強ち必要がない︒

ただ︑なぜ西村市郎右衛門が自分の作を自分の店を版元としなかったのか疑問

堤清二氏のいわれた﹁宗祇諸国物語﹂巻五の三つの話の作者は他の話のそれと

異なるものではなかったであろう二二話のlつ﹁貧福有定﹂︵五の六︶のはじめ

の一節と既成と考えられた話のlつ﹁隆在一心﹂︵四のこのはじめの部分と較

ち計り正しきはなし  ︵貧福有定︶

人の盛衰は世の常の習ひなれど︑応仁の乱れ計り浅ましきはなし

また三話の一つ﹁千変万化﹂︵玉の七︶と既成の話のlつ﹁話怪異﹂︵三の六︶の

はじめの一節に於いても同様である︒

越後に居りし時︑ある夜雨のつれづれ︑野本外記音づれ︑なにはの物語りし

侍 り

︑ 外 記 の 云 く                            

︵ 千 変 万 化

越の後に居ける頃︑野本外記といふ士︑眠び日を絶えず往来してかたる︒あ

る夜所用有りといひこしける程に︑彼の館に行きぬ︑外記の云く

︵ 語怪 異

行文の調子が似ているだけでなく︑後の場合は内容にあっても通じる︒したがっ て︑他人の作に西村が≡話を加筆したものではあるまい︒

さて︑﹁宗舐諸国物語﹂は全体として怪寄談には違いはないが︑宗蔽法師に仮

托して狂歌・狂句をもって話の興味を出そうとする︒その点から巻五をみると︑

﹁秀句問答﹂こそそうした債向を如実に示したものである︒巻頭におかれたこの

話は︑宗所が京の大炊御門信宗公の御所で宿った夜︑襖を隔てて聞えてくる二人

の苦侍の当話戯語をしるしたものである︒一人が食物こそ世の最上の宝なる故︑

古米武士に食物の名をつけた人が多い︒

大友の其かも︑藤原の煮方︑江豚臣︑石首魚山九︑肴上田村丸︑相馬終門︑米

喰俵藤太︑多田饅頭⁝⁝︵中略︶⁝佐々木餅綱同四郎精鋼︑紆源八︑岡鮭四郎︑

粥板蠣塩清になすの与一︑其外熊谷平山が一の谷のせんじちや梶原が二度懸鯛

或はこのしろに籠り又魚鱗︑鶴異の僻へ︑太刀に飴尾あり矢に蕪あり︑武にす

ぐれたるを大こんの兵といひ︑智謀あるを葡萄の達人とはむ猶数ふるに詞たへ

たり これに対して︑l人は歌人は草木に便ありといって︑古今集の序の戯語を連ね る ︒

やまと歌は人の心をたねに蒔いて︑万の物の葉とぞなれりける︒野の中にある

人言草しげき物なれば蒜の事菊の事につけていひ出せる也︑花になく鷺菜︑水

にすむ川柳いずれか歌によまざりける︒・::人中略︶⁝⁝又歌人をいはば諸枝︑

柿木人丸︑山辺赤葉︑猿丸猿︑こり︑藍の仲丸︑在原水葱平︑文星康稗︵以下略︶

こうした戯文︑戯語は作中至るところにあらわれる︒狂歌・狂句と同趣のもので

この傾向を更にすすめたところに﹁浅草拾遺﹂が成立する︒

﹁浅草拾遺物語﹂の名は﹁宇治拾遺物語﹂に因んだものであったであろうが︑

序文によると作者が浅草観音の茶店で八十才ばかりの翁から聞き集めた話という

意味のことが識してある︒でその話は﹁今はむかしの物がたり祖父は山へ祖母は

川へのたぐへ﹂のものであるという︒これと同様の言述が﹁宗祀諸国物語﹂の序

文にもある︒宗所の閲歴︑話の由来を語ったあと︑﹁今はむかしの物かたり︑乃

祖は山に姥は河に耳さへ遠く間あって野鉄胞の高噺﹂とその談笑性の高いもので

あることを言う︒

かく﹁浅草拾遺﹂の話の内容は本質的に﹁宗祇諸国物語﹂のそれとかわりはな

いところであるが︑滑稽味が強くなるとは逆に怪談としての要素が薄て来ること

にもなるご﹂のことはやはり﹁西鶴諸国咄﹂からの影響であったことは十分予想

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されるところである︒

﹁西鶴諸国咄﹂︵以下﹁諸国咄﹂という︶の出版を知ったとき︑﹁宗祇諸国物語﹂

はすでに全体の形式は出来上っていた︒宗舐法師の諸国歴遊にことよせて諸国話

︵ 注 ≡ ︶

を綴ろうとしたものであったが︑それは極めて事実に近い仮托であった︒﹁諸国

咄﹂の怪談集として新しい形式と内容に魅力を感じながらも︑巻五の体裁も他の

巻に倣わざるを得なかった︒偶然か香か四巻までは﹁諸国咄﹂と同じ語数を整い

巻五のみはこれより一語多かった︑それが意識的にせよ︑とに角西村は西鶴に一

しかし﹁浅草拾遺﹂に至っては新しい体裁を構えることは可能であった︒まず

各話の表題のつけ方が﹁諸国咄﹂から得たものである︒他の﹁好色三代男﹂﹁諸

国心中女﹂のいずれも付け句の形式を採ったことには変りはなかったが︑﹁諸国

︵ 注 四

咄﹂と全くの同趣なのは﹁浅草拾遺﹂だけであった︒因にそのいくつかを示そ

ろノ0

浅草拾遣物語

0 結捨たるわら中家の跡

㊤ 友呼蛇の声に集集る

酉陽諸国咄 0 公事は破ずに勝 智恵

奈良の寺にありし事

㊤ 見せぬ所は女大工 不恩散 西

以下全巻すべてこの形式をとる︒﹁浅草拾遺﹂の場合﹁兵法﹂﹁殺生﹂と﹁諸国

咄﹂の﹁智恵﹂﹁不思談﹂と位置こそ違い︒全く同趣のものである︒﹁浅草拾遺﹂

十二話のうち﹁諸国咄﹂と共通するものは﹁殺生﹂﹁不思畿﹂﹁敵討﹂の≡話にと

どまる︒題材の共通はそのまま話の内容には通じない︒敵討の﹁影をみしりてね

らひよ月﹂︵浅草拾遺二の四︶は父の仇を討つ少年に見物人が感心した話︒﹁諸国

咄﹂の﹁因果のぬけ穴﹂は散討に親子揃って出たものの子が親の首を切らなけれ

ばならなかったばかりか︑返り討ちに逢う因果をしるし︑殺生は﹁友呼蛇の声に

集る﹂︵一のニ︶は膏祥院の開帳の折友とその池で釣をしていると︑官石の下か

ら蛇が顔を出したので石をなげつけると︑あたりのもすべて蛇になった︒逃げか

えって里の農夫に語ると神の池の魚には必ず神の紋があるというのでしらべてみ

たがなかった︒面白がって︑まことかとひねくり見れば神池のうをには汝の紋も

ないこと︑と狂歌する︒﹁諸国咄﹂の殺生は﹁馬は三十七露﹂︵四の四︶ である︒

鹿嶋の目玉の林内という猟師の女房が寝入った子供が現に声をあげて身震いする

こと三十七度に及んだのを見る︒帰ってきた夫の獲た鳥の数をかぞえてみると三

十七羽であった︒その不思議から仏心をおこし︑塚をつき供奉した︒鳥壕の起り

である︒勿論話に共通性はない︒

ところで﹁浅草拾遺﹂のこのこつの話︑その依るところを示さなかったなら︑

或は所収の書を誤ることがあるまいか︒﹁新御伽脾子﹂﹁宗所諸国物語﹂など西村

本の怪談物になじんだ読者匠は︑﹁浅草拾遺﹂の話はそれほど新しい怪談なので

ある︒﹁浅草拾遺﹂の態度の新しさは﹁諸国晒﹂に勝るとも劣らない︒

さきの一帯も土地の俗信をこともなげに椰冷した話であるが︑﹁英名は朽ぬ女

壕かな﹂︵二のl︶の嫉妬塚の話虹してもそうである︒神無月のころ生田の森を

すぎてゆくと︑野辺に苔した塚があった︒なにもののものかと里の百姓にたずね

ると︑その昔ここに好色の長者がいて︑妾を囲ったのを本妻がねたみ狂死した︒

その霊が鬼女となって夫と妾をとり殺した︒ところがいつのころからかその事の

塚にあだ心のあるものが祈ると諸夙成就するというので参詣するものが多くなっ

た︒﹁是はかはりてめずらしきと︑夕月の暮行く空をまてば︑ありし童のいひし

にかはらず︑ふり袖より︑わきつみ女まふでの引もきらず︑若きとし比の女はさ

のと月うけに大笑ひして旅店に帰りLLと結ぶところである︒

嫉妬塚の縁起を説くのが主ではない︒興味は老女の参詣であり︑その仇心に対

する椰喩であり︑ひいては俗信の否定的態度にもつらなる︒

また﹁刀に石の仏つらぬく﹂︵四の一︶も同じく俗信を扱ったものであるが︑

栗栖野で化物が出るという︒都の方から六尺ばかりの色青ざめた入道︑頻りに泣

く一つ目の女︑おそろしい姥︑美しい若衆︑かねをつけた白顔の尼︑このものた

ちは今朝は石仏になっていた︑というのである︒奇妙に思って道端の乞食にたず

ねたところ石仏には霊験があって︑近在より参詣のものがたえない︒昨日参った

のは︑色青ざめた法師︑泣いた片目の女︑次聖ハ十はかりの女と若衆︑そのあと

でもう一人の女であった︒作者はそれにつけて︑﹁思ふに此石仏に信をこらし祈

り詣る輩仏にとどまり︑かかる不思議はするなるべLLと里人に語ると︑事を知

って参詣人もなくなり︑怪しい姿もなくなった︒

かく俗信を戯画化した香定的態度は﹁諸国咄﹂の﹁傘の御託宣﹂二の四︶で

(6)

未知の傘を神秘祝した山里の人々の俗信が一人の好色の後家によって暴かれ︑そ の神秘性を失っただけでなく︑かえって笑の種となってしまったという態度と共

通するものがある︒女人塚︑神池の紋の魚も石仏の怪の話も結局は現実的な笑い

でその神秘性を失ってしまう︒﹁宗祇諸国物語﹂に見られなかった大きな特長で

﹁藷国咄﹂から得たものであったであろう︒

予定された﹁好色三代男﹂は八巻であったであろうか︒とにかく五巻五冊本と

して刊行されたのであるが︑西村はそれにかえて︑急拠﹁諸国心中女﹂の上梓を

企てたのである︒それは﹁好色三代男﹂でいう真実の恋を立場をかえて女性から

という着想の妙をねらったものであったか︒或はlと月遅れて出る西鶴の﹁好色

五人女﹂の出版を予告なり︑軽さなりで知ってのことであったであろうか︒いず

れにせよ書籍日録の冊数を急拠消さざるを得なかったのは書籍日録の出版の直前

に何事か事情あったと考えなければならない︒おそらく後の場合であったであろ

ぅ︒﹁好色五人女﹂の内容はまだ知らぬところであっても︑表題の好色の字義はこ

れまでの一連の西鶴の作品から所謂好色であることは推察に難くない︒されば︑

それに対するに心中女をもって︑西村の心意気を示そうとした︒﹁好色三代男﹂

が五人女の人物名をあげたのも単なる偶然ではなノ\やはり五人女が誰なるかを

知ってのことで︑或は急拠その名を作中に加えたものかも知れない︒五人の女性

の説明にふれず名のみとどめた手軽るさから何かそうしたいきさつを語っている

ようである︒

とに角︑﹁宗祀諸国物語﹂で一度はおくれをとった西村であるが︑そのおくれ

を挽回すべくなされた企てであったとしては如何であろう︒

﹁好色三代男﹂では﹁好色一代男﹂﹁好色二代男﹂とはちがって素人女の恋情を

題材としたものであれば︑﹁諸国心中女﹂の題材としてもそのまま通じる︒﹁好色

三代男﹂の真実の恋の相手はまたいうところの心中女でなければならないからで

ある︒従って所収の話は内容の上で区別をするにまざらわしいものも少なくな

たとえば︑﹁好色三代男﹂の﹁奈良坂や此手をとりて達手女﹂︵肇この二︶﹁似 い ︒

たものは女郎の果て﹂︵巻四の二︶などはむしろ﹁諸国心中女﹂に収められるの

が相応しいものである︒前者は奈良の町筋の女︑夫が旅に出向いている留守に男

に言い寄られ︑二度はなびくと見せかけながら︑これを懲めて追っ払い貞節を全

ぅする︑かくて︑﹁力は昔の巴はんかく女のたぐひ︑心中は誰にかくらペん﹂と

結ぶ︑また後者は︑名のうれた遊女が自分ゆへに身代を渡した療客に義理をたて

て遊女をやめて尼となって操をたてた話で︑その女をば﹁又なき情かはしけるを

恩へは心中おんななりけり﹂と心中女の語をもって結ぶだけでなく︑貞節の女へ

の賛美の話であって︑優に﹁諸国心中女﹂の一話となる︒

右に類する話を﹁諸国心中女﹂にもとめようとすれば︑いくらでもある︒たと

えば﹁旅の荷富籠つくり哲夫﹂︵巻二の四︶は勢州亀山の話であるが︑さる旅店

の女房に隣の男が言い寄った︒再三にわたるので︑断れば命も危いと思い︑靡く

と見せかけ招き入れ︑夫の帰りを恐れて暮寵の中にかくし︑欺いて夫にその由を

つげた話など﹁奈良坂や此手をとりて遵手女﹂に類似のものである︒もっともこ

れには裏話があって︑実は夫が妻の貞節をためすべく企てたものであったという

結末がつくが︑本質に於いて変るところがない︒

また︑﹁木男のこころ花さく京女郎﹂︵巻三の四︶は好色沙汰は真っ平という望

月重八がある時所用で京にのぼり︑たまく六条の色街に訝れてからは︑ある女

郎に深く馴染み大金を費して零落する︒相手の真心を知った女郎も貞節をつくす

べく男の故郷に評われて婁となる︒﹁好色三代男﹂の﹁似たものは女郎の果て﹂

は出家ということで操をたてるところで結末に於いて︑やや異なるが二つの話は

本質的に何らの異なるところはない︒従って﹁好色三代男﹂に予定したものを︑

たまたま﹁諸国心中女﹂に流用しても何のこだわりがなかったわけである︒

さて︑﹁好色三代男﹂は﹁好色一代男﹂﹁好色二代男﹂に対処するには余りにも

脆弱であるが︑それでも西鶴の措いた恋愛号フルに対しょうとするところに作品

たとえば︑﹁思ひば嵯峨の女天狗﹂︵巻二の四︶には魔境で苦しんでいる勝山・

初音二尻尾といった著名な遊女があらわれるが︑なぜ彼女らが地獄の苦しみを味

わなければならぬかといえば︑白から我が姿に惚れて高慢の心が強ったためであ

り﹁清十都が恩ひしお夏︑源五兵衛にぬれしお万﹂もまたそのため同様に地獄に

堕ちなければならなかった︒或はまた︑﹁江戸のお七が恋に身をやき︑都の聖一

が刃の上に情を残し﹂たのもその仇し心の散であったという︒西鶴が﹁好色五人

女﹂で恋蒜じた女性高博をもって扱ったように︑西村は決してそうはしな︑13

い︒彼女らは西村のいわゆる心中女ではなかったからである︒

(7)

第23号1968 ユ4

西村の心中女とは﹁或は貌うつくしく︑言最愛らしき女の究て心徒なるあり︑

嫉妬ふかくほじがましきふるまひあるもの有︑なをいひっゞくれはなんなきもの

はなし︑只貌色より心中のすぐれたらん女こそ顔しき物なれ﹂ ︵諸国心中女巻一

の二︶とある︒その女性に対する洞察の深浅はさておき︑とに角件の女性たちは

﹁好色五人女﹂に先じて︑﹁諸国咄﹂に西鶴の恋愛モラルを如実に示した一話が

ある︒﹁忍び昂の長考﹂︵巻四の二︶はある大名の姪がその屋敷の中間と恋におち

た︒女は男を訝って駆落ちして裏店を借りて貧しいながらも幸せの日を送ってい

れたが﹁我命をおしむにはあらねども︑身の上に不義はなし︑人間と生を静て女

の男をただ一人持つ事是れ作法なり﹂と自分の行為の正しさを信じて︑これを肯

けず︑遂に出家する︒

いうまでもなく︑西村はこうした恋愛号フルは認めない︒なぜなら次の一話が

示すように親の許さぬ恋愛は不義としてしか扱われないからである︒﹁黄泉のみ

ちびく恋の駒鶴﹂︵諸国心中女巻四の五︶は京の黒沢某という裕福な人の息女が 卑しい烏帽子折の息子駒鶴に恋をする︒これを知った親は立服して異の卑俗を罵

り恥かしめる︒女は男を酔って三野の墓所で共に刃に伏す︒世間はこれを見事な

る心中女と誉めたたえたのである︒

或はここで死に至らなくとも∵駆落ちして他国にかくれすんでいた男女が探し

出され女ほつれもどされ︑男も女の嘆きから死は免れたものの﹁今に至りて十四

年︑ついに夫を持ず︑もとより我も鱗にて年月を送る﹂︵﹁はちす菓よ我袖ぬらす

恋咄﹂諸国心中女巻一の六︶といったように情を殺して世の慣行に忍従する男女

もめずらしき心中人なりということになる︒

ところで︑西村がなぜこれまで心中︵真実︶にこだわるか︒やはり﹁好色三代

男﹂に示した対西鶴ということに敢て固執するからで︑強ち西村の恋愛観云々に

よるものではなさそうである︒というのは︑﹁諸国心中女﹂と同じ作者を予想し

︵ 注 五

得る﹁新御伽娘子﹂︵天和三年︶に﹁沈香合﹂︵巻五︶のような話もあるからで

ある︒この話︑茶店で老人が旅の男に語る話であるが︑堺の有徳の人の息女が一

人の男を密かに恋したが︑そのことを知らない親は別に蕃子を要らせようとした

万事窮した女は男を誘って自害しょうとする︑男もにくからず思って共に自害す

る︒双方の親は大いに嘆き︑大念仏をしたので︑娘は悪執より得脱することが出

来 た

西鶴のように生きながら自分の行為の正しさを首足するのとは勿論もがいがあ る︒さりとて﹁諸国心中女﹂の話のようにそうした所為を直ちに不義として扱

い︑死すべきことが当然の帰結であるという論理とはまた異る︒賛乗をしないま

でも︑憐憫にも似た気特で扱っているのである︒そうした扱いを一転して自害を

尤もなこととし殊更心中女たらんことをすすめるのは明かに西鶴の変愛モとルに

対膳するところである︒

それにしても︑西村がなぜこれほどまでに西鶴を意識するのであろうか︒西村

の出版による最初の小説は天和三年一月刊行の﹁小夜衣﹂であった︒これには

﹁城坤散人茅量子﹂と著して︑明かに市郎右衛門その人のものである︒この時点

までの二人の関係で知られるところは︑天和二年刊行の﹁俳誰閑相撲﹂で西村市

郎右衛門が点者の一人に西鶴を選んでいることである︒もっともこの事実は延宝

八年に遡るが︑二人の間には俳諸を通じてなんらかの関係があったとみるに難く

な い

その西鶴がかの﹁好色一代男﹂を著わして浮世草子作家として華々しい第一歩

をふみだしたのが天和二年の十一月︑﹁小夜衣﹂にさきだつこと二ケ月であった︒

すでにして関係のあった西村の限賢しれがなんと映ったか︒大いに刺戟されもし

たであろう︒その結果︑﹁小夜衣﹂の上梓を企てたのである︒﹁小夜衣﹂は仮名草

子の﹁錦木﹂︵寛文元年︶に拠った安易なものであったが︑中に﹁遊女巻﹂をもの

すなど︑或は﹁好色一代男﹂に対する意識のあらわれであったかも知れない︒両

者に関係があるとすれば後の調査に供ねはならぬが︑ここに於いて後日の対抗意 識は予表されていたとするのも早計ではなさそうである︒以後その対抗意識はも

っぱら香車という有利な条件を背になされるのである︒﹁宗詐諸国物語﹂と﹁諸

国咄﹂の関係を経て︑兵事三年の経絡はもっともそれの顕著なものであった︒即

ち﹁諸国咄﹂があらわれるや︑﹁宗祇諸国物語﹂の著者に巻五を病むべく要請し︑

更に﹁諸国晒﹂に対処し得る作を促した︒﹁浅草拾遺﹂がそれである︒また﹁新

御伽脾子﹂の著者には﹁好色l代男﹂﹁好色二代男﹂に対して﹁好色三代男﹂を

要請しながらも︑﹁好色五人女﹂の出版を予知するや︑急拠﹁諸国心中女﹂を掃

むべくすすめるのである︒そして︑その間に自分はまた﹁好色伊勢物語﹂と全く

(8)

長野県短期大学紀要

15

その出版に余念がなかったのである︒

更に西村を版元とす富小説が元禄五年の﹁藷画新富物語﹂﹁好色鏑木﹂をもっ

て終恨するが︑西鶴の最後の作﹁世間胸算用﹂がやはりこの年の刊行であったと

いうのも︑偶然とするには余りにも奇異である︒両者の間にもっと探いなにもの

かを考えながら︑今はそれを明かにするなにものももたない︒

注一水谷不倒﹁新旗列伝体小説史前篇﹂にコ二代男は本尊︵好色伊勢物語︶

の刊行と同年で︑之を編する時無論世上には発表されてならず︑また誰も知 る筈の無い書名が引用されてをるのは︑いかにも不審に堰へぬ︒而も三代男 を引用した所が本書中に六ヶ所もある︒斯く未刊番の事が記されてゐるの

は︑本書と三代男の著者が同じで︑l方が近刊の時期を見越し︑一方の宣伝

即ち新刊奉の広告智してをるものと外恩はれぬ︒﹂そしてこの著者を西村市郎

右表門としている︒

注二 ﹁俳家大系囲﹂︵天保九年︶ には未達即ち西村市郎右衛門について︑﹁西

村氏通称口︑名久重︑京飾掘川﹇=﹈ノ人ナリ︒書物常ヲ業トス︒家書間相

注三 拙稿﹁宗秩諸国物語考﹂︵近世文学研究Ⅰ︶

注四 ﹁好色三代弟﹂﹁好色諸国心中女﹂ の例をあげると︑

好色三代男 巻一

鮪国心中女 巻一 一︑ふたつ文字角行牛の時参り きぶねはなし付り︑下女かさかしら秦女 二︑出しかど白河の閑風ひきて︑松山はなし 付り︑旅森の思ひ宿守のな

注五 ﹁新御伽神子﹂と﹁諸国心中女﹂は共に﹁洛下寓居﹂と零した序文をも

西

衛門︑坂上膵兵衛 ︵但し新御伽は勝を庄につくる︶ も全く同じである︒

参照

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