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3 部 本四三橋時代の地域づくりへの提言(その

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(1)

はじめに

本四三橋時代の地域づくりへの提言(その

2)

一四国地域からみた場合一

はじめに

I

架橋効果と地域・産業間格差 [

] 架橋効果と地域産業の内発型発展

m

地域固有の産業文化と中堅・中小企業の技術集積

w

ベンチャー企業の創業育成と研究開発機能の共有

鈴 木

1 9 9

0

年代の日本経済、地域経済が直面している重要な問題の

1

つは、産業空洞化である。とりわけ、戦 後日本経済は欧米から導入した基本技術を改良して大量生産体制を構築し、良質で安価な工業製品を輸出 して貿易黒字を獲得する加工貿易型産業構造を特徴としてきたが、国際競争力の基盤である「モノづく り」が空洞化していることである。 「工業統計」によっても、製造業の事業所数や製造品出荷額が

0 9

年頃 をピークに減少に転じてきている。

5 8

年のプラザ合意を契機とする急激な円高とそれに触発された生産拠 点の海外シフト、日本経済の国際化が進行する中で、産業空洞化の可能性について議論が行われた。その 際、製造業に変わる新しい産業が創出されれば、産業空洞化が生じないとする主張もみられたが、

0 9

年代 になって産業空洞化が顕在化し始めた。

0 9

年代の製造業の停滞は、バプル経済の崩壊の影響もあるが、一 過性の循環的な現象ではなく、構造的な現象である。

産業空洞化の地域的現象である地域経済の衰退は、愛媛県においても観察することができる。県内の中 堅企業だけでなく中小企業も海外に生産拠点を展開し始めている。経営者は国際的な経営戦略を持たなけ れば、経営を維持することができない状況に直面している。大企業だけでなく中小企業も改革開放政策を 推進している中国において多様なビジネス活動を展開しており、日本経済のグローバル化の流れは強まり こそすれ、弱まることはないと考えられる。家電製品・自動車をはじめ国内マーケットは成熟状態にあり、

アセンプリーメーカーである大企業は海外に新しいマーケットを求めざるを得ない。また、中小企業は取 引先企業が生産拠点を海外に移転し、受注を確保しようとすれば海外生産に踏み切らざるをえない。さら に、地方圏においては過疎化・高齢化に加えて、高学歴化による若者の製造業離れに直面しており、製造 業は必要な労働者を確保することができない。多くのメーカーはメーカーとして生き残ろうとすれば、海 外に生産拠点を移すほかに方法がない、という状況に追い込まれている。生産拠点の海外シフトは、当然 の結果としては地域経済の衰退をもたらしている。

このような状況の中で、四国地域は本四連絡橋の架橋効果によって、一定の経済的効果を享受すること

(2)

ができた。愛媛県では、道後温泉が特にその恩恵を受けた。瀬戸大橋、明石海峡大橋に続いて

9 9 9 1

年にし まなみ海道が開通し、

3

度目の架橋効果に澗った。しかし、

1

年後の

0 0 2 0

年になると観光客が減少し、ホ テル・旅館の中には倒産するケースも現れている。観光客の減少の直接的原因は淡路島で行われた花博に 観光客を吸引されたことにあると言われている。今日の観光は産業化されており、観光産業はしまなみ海 道や花博をターゲットとした観光商品を販売する。このため、同じ商品を毎年販売することは困難であり、

次々と新しい商品を開拓しなければならない。しまなみ海道が開通した

9 9 9 1

年は、しまなみ海道を観光商 品として売り出したが、

0 0 0 2

年も同じ商品を販売するわけにはいかない。このため花博を売り出したので あり、架橋効果が一過性のものであることはしまなみ海道の架橋効果によっても証明されたわけである。

架橋効果を持続させるには、地域固有の自然環境や歴史文化を活かした内発的な地域づくり・産業おこし に取り組む必要があることを物語っている。

I

架橋効果と地域・産業間格差

1

.

架橋の直接的効果

本四三橋の架橋効果のうち直接的な効果としては、時間短縮効果がある。瀬戸大橋の完成によって四国 が本州と陸続きになり、本四間の移動について定時制・随時性が確保されたことは、高く評価してよい。

四国から本州に移動する場合、春先の濃霧、秋の台風の襲来等、絶えず天候に影響を受けてきたが、基本 的に気象条件に影響を受けることなく移動することが可能になった。また、宇高連絡船時代に余儀なくさ れた乗り換えの負担もなくなり、利用者にとって利便性が向上したことは間違いない。さらに架橋効果と して時間短縮効果が大きい。松山からみても京都・大阪が日婦り圏に入った。特に高松一岡山間は、マリ ンライナーによって利便性が大きく高まった。また、明石大橋の開通は徳島県にとって大きな利便性をも たらした。高速バスによって徳島一大阪間の移動時間が大幅に短縮され、便数増大によってさらに利便性 が大きく向上した。他方、しまなみ海道(尾道・今治]レート)の場合には、離島地域が本州・四国と陸続 きになり、海運と陸上交通とを利用できるという利便性が高まったが、人口01 万人規模の尾道市・今治市 といった地方中都市を結ぶものであり、また、四国一本州間の物流の中心が関西圏とのそれであることか ら、架橋効果は限定されたものになっている。

こうした架橋の直接効果とともに間接効果にも留意する必要がある。架橋による生活圏の拡大、とりわ け、高松市と岡山市との生活圏が一体化し、地域間交流が活発になっていることは早くから指摘されてい

2

.

地域産業に対する経済効果

本四連絡橋の建設過程で最も恩恵を受けたのは建設産業であるが、地元建設業界に対する波及効果は決 して大きくない。また、完成後地域産業の中で架椅のインパクトを最も受けたのは観光産業である。橋自 体が観光資源となったこと、橋は高速交通体系の一環を構成するものであり、架橋による時間短縮効果が 観光産業にとって観光客の急増という形で直接あらわれた。しかし、観光客の急増は一過性であり、開通 後年とともに観光客が減少しているが、 01 年余りにわたって3度の架橋効果が発生し、その度に観光客が 急増した。

特に、四国の中でも全国的に知名度が嵩く、また、宿泊能力をもつ道後温泉は架橋効果を直接的に受け てきた。道後温泉のホテル・旅館は架橋をターゲットに増改築を行い、受け入れ体制を整えるとともに、

自治体も「コンベンションシテイ」構想を掲げて

0 0 3 0

人収容可能な四国一のホールをもつ県民文化会館や

(3)

道後温泉周辺の景観整備等によって支援した。その結果、架橋による観光客の急増とともに、各種全国学 会が松山で開催され、観光宿泊者数が急増した。しかし、こうした観光客の急増は一過性のものであり、

架橋効果が年とともに薄れ、観光客が減少している。道後地区のホテル・旅館の中には倒産・廃業に追い 込まれるケースも出始めている。架橋だけに依存しない地域独自の観光資源を開発するとともに、周辺地 域との連携による広域的な観光ネットワークを構築することが今後の課題となっている。

観光産業以外では、架橋効果が顕著にあらわれた産業は少ない。人流については瀬戸大橋の開通と

JR

の岡山までの直接乗り入れによって時間短縮効果が発揮されたが、物流については既存の流通体系が確立 しており、かつ、観光産業のように時間短縮効果が重要な意義をもつ産業が少ないからである。四国の基 幹産業は農林水産業であり、食料生産基地である。架橋による時間短縮は活魚のように鮮度を重視する農 水産物の輸送にとって大きな意義がある。しかし、鮮度を重視する農水産物は決して多くない。また、ト

ラックとフェリーを連結した農水産物の物流機構が卸売市場の開場に合わせて確立しており、せりが開始 されるまでに市場に到着すればよいから、時間短縮のメリットは少ない。むしろ、本四連絡橋と高速道路 を使った輸送は、高い通行料金による輸送コスト増加や運転手の労働負担等の要因になる。このため、地 域産業に対する架橋効果はあまり大きくなく、また、架橋効果を活かした独自の展開は決して多くない。

もちろん、架橋効果を活かした事業展開がみられないわけではない。

3

.

事業活動を広域化する愛媛県企業

架橋効果は両刃の剣である。域外企業が四国地域市場に参入したり、所得や労働力が流出するストロー 効果が発生する可能性がある。域内企業や住民の主体的な取組みがなければ、ストロー効果が大きくなり、

地域経済が衰退する。架橋は県内企業にとって、従来海によって遮断されていた中国地域に販売エリアを 拡大することを可能にするものであり、架橋を射程にいれて事業展開しているケースがみられる。

本四架橋による販売エリの拡大に積極的に対応している代表的なケースは、(樹ディックである。同社は 浄化槽の製造販売で創業し、専門業者向けの資材や部品の販売店を開設し、日曜大工プームにのり、急成 長している。従来は県内を中心に四国地域を販売エリアとしていたが、架橋を見越して中国地域に店舗を 展開している。

スーパーを販売チャンネルとして急成長している和洋菓子メーカーの固あわしま堂。同社は、愛媛県の 南予地域、保内町に本社を置く地方企業であるが、高級品ではなく、主婦層をターゲットにおいた大衆的 な和洋菓子の製造卸売で業界トップ企業である。良質の原料を使い、鮮度を重視し、

4 2

時間受発注システ ムを構築して業績を拡大している。値段の割りに美味しく、主婦層の支持を受けて年商

0 0 1

億円を超える。

既に四国地域はもちろん、九州・中国地域に販路を拡大し、

1

昨年秋には京都伏見区に工場を建設して東 海地域まで販売エリアを拡大する戦略で取り組んでいる。お菓子のメッカのような京都に工場を作ったの は、販売エリアの拡大に対応した鮮度と輸送コストを考慮した戦略からである。(樹あわしま堂の和洋菓子 は和菓子の老舗が職人の熟練によって手仕事でつくる高級和菓子と競合するものではない。京都に工場を 作ることによって、長距離輸送による鮮度の劣化を防ぐとともに、輸送コストを削減し、東海地域まで販 売エリアを拡大する戦略である。お菓子の粗利益は約

5 %

であるから、輸送コストが

5 %

を超えると広域 販売のメリットがなくなる。本社工場のある愛媛県保内町から高速道路を使って輸送していたが、関西地 区から東海地域に販売エリアを拡大すると保内町でつくるメリットがなくなる。このため、京都の伏見に 工場を作ったわけである。(梱あわしま棠は架橋の完成を視野に入れ、早くから中国地域に店舗展開をした。

愛媛県の地場の中堅スーパーのフジ。香川県のマルナカのような地場スーパーである。フジも架橋を見

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越して中国地域に店舗展開をした。さらに、フジは香川県にも店舗展開している。その反動で、マルナカ が愛媛県に店舗を展開してきている。愛媛県の地場のスーパーと香川県地場スーパーのマルナカとの間で 猛烈な流通戦争をが起こりつつある。

大人用紙オムツのトップメーカーであるトーヨー衛材(梱。愛媛県東部地域にある伊予三島・川之江市は 静岡県富士市に次ぐ全国第

2

の紙の産地である。この地域の製紙メーカーの中には、素材革命の成果を活 用して新製品や新用途を開発して、業績を拡大している企業が少なくない。その結果、販売エリアが全国 に拡大し、全国的な販売戦略に対応した生産拠点の再配置を行っている。とりわけ、架橋と高速道路の整 備は、生産拠点の配置に新しい動きをひき起こしている。とくに、伊予三島・川之江地域はもともと土地 が狭く、水資源の貧困な地域であり、紙パルプ産業が集積するには条件不利地域であった。高速交通体系 の整備は、販売エリアが全国化している製紙会社は、工場を輸送条件に恵まれた、つまり、高速道路に近 いところに配置し、そこから全国に配送する体制を作っている。トーヨー衛材(樹がその典型であり、徳島

自動車道の沿線の徳島県三野町に

7 8 9 1

年工場を建設した。

4

.

架橋効果の産業間地域間格差

架橋効果は、地域間産業間で均等に起こっているかというと、実は必ずしもそうではない。地域間産業 間で架橋効果の格差がある。本四連絡橋は高速自動車道の一環であり、主体的にそれを利用しようとする 地域や産業とそうではないところとでは大きな格差が出てくる。まず、本四

3

橋は全て同じではなく、各 々異なった特徴をもっている。まず、瀬戸大橋(児島・坂出ルート)の場合は自動車道と鉄道が一体に なっているうえ、岡山市と高松市という地方中核都市が直結された。その結果、両市の生活圏が一体化す るという効果が生じている。

他方、明石大橋(明石・鳴門ルート)の場合には、自動車専用道路であり、鉄道併用橋ではない。しか し、本州と淡路島、さらに四国とを連結するものであり、神戸市と徳島市とが連結された。淡路島が神戸 都市圏に吸引され、生活圏の一体化が生じつつあり、瀬戸大橋とは違った効果が生じるものとみてよい。

瀬戸大橋開通直後フィッシャーマンズワーフが建設された与島には大勢の観光客が集まったが、時ととも に観光客が減少し、フィッシャーマンズワーフの経営を維持すること自体かなり厳しい状況になっている。

瀬戸大橋の開通に合わせて開園したテーマパーク「レオマワールド」は事実上廃業に追い込まれた。

一昨年開通したしまなみ海道は、高速道路の全線が開通していないこと、大都市圏から最も遠いこと、

完成時期が平成不況下であったこと等のハンディがある。しかし、しまなみ海道には自動車道だけでなく、

自転車道と歩道とが併設されている。また、周辺にたくさんの離島があり、瀬戸内海の典型的な多島美に 恵まれている。しまなみ海道は四国と本州間の物流手段として活用される可能性が一番低いが、地域の自 然環境や歴史文化を活かした地域づくりを考える時、潜在的可能性をもった地域である。今治市と尾道市 の間は約

m 7 0 k

であるから、自転車で走破することは決して不可能ではない。日本においても高齢化ととも に健康に対する関心が高まり、歩行やサイクリングの健康に対する効果に注目が集まっている。架橋を活 かした自然景観や健康をテーマした地域づくりの可能性がある。

加えて、この地域には離島がたくさんあり、今治・尾道市と島嶼部とを併せると、約

0 3

万人の人口集積 がある。しかも、離島の中には橋の架かっていない島もある。さらに大三島の大山祗神社は、国宝級の鎧

・兜の

8

割を収蔵している。生口島にある瀬戸田町には日本を代表する画家である平山郁夫の記念館が建 設された。大三島には日本の書道家で

3

本の指に入るといわれる害道家村上三島の記念館ができている。

このように当該地は域固有の歴史や文化や自然景観に恵まれており、整備の仕方によっては一定の観光客

(5)

が来る可能性がある。

架橋効果は産業間でも大きな格差があらわれている。時間短縮効果の恩恵を一番受けたのは観光産業で ある。中でも道後温泉が最も大きなインパクトを受けている。松山の道後温泉の観光客をよく観察すると、

非常に面白い現象がみられる。ホテル・旅館の宿泊客の多くが道後温泉の本館に入浴するために集まって くることである。道後温泉は、それほど泉量が多くない。また、道後温泉本館の湯もその周辺のホテル・

旅館の湯も源泉は同じである。むしろ、ホテルの浴室の方が豪華なものがある。道後温泉本館は建設後 1

0

0 年経っているから、改修しているけれども、施設が老朽化している。ところが、道後温泉本館は日本 で唯一の銭湯として使用されている重要文化財であり、それが魅力となって観光客がゆかた姿で入浴に来 る 。

道後温泉本館は建物が古く、伝統的な建造物であるが、重要文化財でありながら銭湯として利用してい るという文化性が魅力となっている。その結果、道後温泉商店街が賑わっている。通常観光地ではホテル

・旅館が観光客を全部抱え込み、ホテル・旅館の外にあまり人が出てこない。ところが、道後温泉の場合 には観光客がみんな外に出てくる。夕方になると浴衣がけでぞろぞろと出てくる。そして温泉に入った帰 りに、道後温泉商店街で買い物をする。道後温泉本館前の賑わいを見ると、観光客が集まるのは自然景観 が優れているだけでなく地域文化や賑わいのある地域であることがわかる。

もちろん道後温泉も問題がないわけではない。観光客の多くは団体客であり、観光産業に依存した観光 地である。個人や少人数のグループ客を集めるなど、いろいろなタイプの人が楽しめるような観光地にす ることが今後の課題である。

5

. 地域間ネットワーク

ところで、愛媛県の中で架橋効果を直接的に受けたのは道後温泉であるが、他の地域はほとんど架橋効 果の恩恵に与ることができなかったといえる。しかし、道後温泉だけでは多様な観光客を満足させること ができる観光資源が不十分である。周辺地域との連携を図り、各々の地域がもっている自然環境や歴史文 化の多様性が加わって観光地としての魅力を高めることが重要である。そのためには、周辺の市町村との 連携を図ることが重要である。むしろハンディキャップ地域である中山間地域において個性的な地域づく

りが行われている。

例えば、内子町。同町は、ノーベル文学裳を受賞した大江健三郎の出身地であり、受賞直後は大江の生 家を見学に大勢の観光客が訪れた。現在は静けさを取り戻しているが、内子町は江戸中期から明治・大正 期までハゼの実から蝋を採る木蝋産地として栄えた地域である。木蝋は照明用のロウソク、日本髪の髪付 け油、口紅等に使われた。内子の木蝋は品質が良く、明治期になると輸出され、海外でも高い評価を得て いた。内子町には当時の繁栄ぶりを偲ばせる明治から大正期の商家が多数残っており、歴史的町並として 1

9 7

0 年代から保存してきた。そうした歴史的町並保存事業の成果と「大江効果」とが結びついて、内子町 は愛媛県の中でも全国的に人気のある観光スポットになっている。年間 0 5 万人の観光客が内子町を訪れる ようになっている。

宇和島市からさらに車で 1 時間程山間部に入った高知県境にある城川町。人口が約 0 0 0 5 人の典型的な中 山間地域であるが、同町は最近全国的な注目を集めている。それは「全国かまぼこ板の絵公募展」である。

かまぼこの板に描いた絵を全国公募し、応募作品を全て町立美術館である「ギャラリーしろかわ」に展示 する独創的な企画展である。審査員は、マンガ家の富永一朗等である。今年 0 0 0 2 ( 年)で 6 回目になり、

北は北海道から南は沖縄まで、さらに海外からも応募がある。また、応募者は幼稚園児から高齢者まであ

(6)

らゆる年齢階層にまたがっており、応募作品は

1

万点を超える。

作品の応募者はセミプロのような人から幼稚園児まで、実に多彩である。また、この企画展には応募者 の人生が反映され、ドラマがある。例えば、第

1

回展覧会の応募者の中に大阪の中沢裕子さんという

6 2

の女性が応募した絵がある。これは「うららかな日に」というタイトルで白いシャム猫を描いた絵であり、

冬の日に南向きの縁側でシャムネコが毛づくろいしている非常にさわやかな作品である。これが奨励賞に なった。そして、受賞の知らせをしたところ、実は作者の中沢さんは応募作品を完成して一週間後に白血 病で亡くなっていたということがわかった。

こうしたギャラリーしろかわの活動は高く評価され、次第に全国にファンを拡大している。鉄道もなく、

松山市から車で

2

時間もかかる所に、全国からかまぼこ板に絵を描いて応募し、展覧会を見に人々が集 まってくる。最近では年間

0 2

万人もの観光客が集まってくる。ギャラリーは応募者全員に招待状を送る。

応募者の中には子どももいるから、招待状を送られると遠くからでも親子で見学に来る。しかも、東京や 大阪から来ると、城川町は僻地で不便なところであるから泊まらないと帰れない。こうした企画展の開催 が町内の宿泊施設の稼動率を高めている。町はグリーンツーリズムを地域づくりの基本理念に掲げ、低料 金の宿泊施設を作っているが、その稼働率が高まってきている。

こうした中山間地域の地域固有の自然環境や歴史文化を活かした地域づくりと道後温泉とが結ばれるな らば、道後温泉の観光地としての魅力も増すにちがいない。架橋効果を活かしていくには、個々の地域の 主体的な地域づくりだけでなく、地域間ネットワークの構築が重要な課題である。

I

I

架橋効果と地域産業の内発型発展 1

. グローバル化と地域経済の衰退

日本経済のグローバル化の下で、日本産業全体が衰退し、地域経済も深刻な状態に直面している。

例えば、愛媛県今治市。今治市は日本一のタオル産地である。タオルの国内生産の

6

割を占めている。

日本一のタオル産地であるが、輸入タオルが急増し、廃業するタオルメーカーが増えている。

輸入タオルは、今治のタオル会社、中でも大手のタオル会社が中国に工場を作り、そこで生産されたも のが少なくない。もちろん、輸入品の中には今治の業者だけでなく、タオル問屋が中国に工場を作り、製 品を輸入しているケースもある。輸入品の急増が産地を全体として衰退に追い込み、廃業するタオル会社 が増えている。最盛期には、今治のタオル会社は

0 0 5

社を超えたが、今では

0 2 0

社を下回っている。タオル 会社の中には製造拠点を全面的に中国に移す方針を打ち出したケースもある。このような状況の中で、果 たして、今治市がタオル産地として存続する可能性があるのか問われている。

2

.

内発型発展と産業文化

私は、逆説的なようであるが、グローバル化の時代であるがゆえに、地域の産業集積の個性を活かした 内発型発展を追求することが重要であると考えている。その際、私は瀬戸内海地域の産業文化にその手が かりがあると考えている。ここでいう産業文化というのは地域住民に共通に見られる行動様式である。文 化という概念は多様な意味で用いられ、人によって意義が異なる。 『広辞苑』によれば文化とは「高尚な もの」とか「芸術」、 「芸能」という意味のほかに、当該地域や産業で共通に見られる行動様式という意 味がある。文化を意味する英語の

, e r u t l u c

その動詞形である

e a t v t i l c u

には、 「耕す」とか「栽培する」、

「家畜を飼育する」、さらに「品種改良をする」といった意味がある。つまり、

r e u l t u c

はもともと生産 に深くかかわった言葉である。生産様式が生活様式を規定し、人々の行動様式となったものが文化である

(7)

と考えることができる。例えば、漁村に行くと、 「漁民は宵越しの金は持たない」とよくいわれる。漁民 は船で漁に出て、もし運良く大きな魚群にぶつかれば、大漁となり、大金が入る。そうすると漁民はその 金を一晩で遊んで使ってしまう。金がなくなれば漁に出ればよい。 「漁民は宵越しの金を持たない」とい う言葉はそのような漁民のきっぷのよさを意味している。高度経済成長期に公有海面埋立によって漁業補 償金が支払われると、漁民はそれを家の新築等に使ってしまう。漁業補償金を事業転換資金等として活用 しないことがよく指摘されたが、こうした漁民の気風を指している。他方、農民は漁民に比べると行動様 式も意識構造も保守的であるといわれる。これは農業部門の資本循環は 1 年であり、収穫時に金が入って も、現金が入るのは年に 1 回、あるいはせいぜい 2 回であるから、計画的に使わなければ 1 年間暮らして いけない。当然農民の生活のスタイルは保守的にならざるをえない。

3

. 四国の産業文化と海運

このように人々の生活様式は当該産業の生産様式に規定される。特定の産業が集積した地域には、その 産業に規定された行動様式があり、それに規定された生活様式がある。ここでいう産業文化とはこのよう な意味での生活様式である。

四国あるいは瀬戸内の産業文化を考える時、交通体系の特徴、とりわけ、海運の存在を考慮にいれなけ れば理解できない。海運の存在を考慮に入れなければ、特定の地域に特定の産業がなぜ集積したのか理解 できない。例えば、愛媛県の松山市のすぐ隣にある伊予市。伊予市は削り節産業の代表的な集積地域であ る。削り節業界でトップメーカーのヤマキ(樹やマルトモ(樹がある。なぜ伊予市に削り節産業が集積したの か、陸上交通を中心とする現在の交通体系からは理解できない。

伊予市に削り節産業が集積した第 1 の要因は、伊予市がかつて港湾都市であったことと密接な関係があ る。流通拠点であったから、海産物問屋が集積し、海産物の販売活動を通じて干物を削り節として利用す るノウハウが入手された。削り節を能率的に作る技術が改良され、全国を代表する削り節産業の集積拠点 として発達したのである。削り節業界トップメーカーのヤマキ(梱の前進も海産物問屋である。干物を削り 節にして使うという方法は広島県福山市の業者が開発したものであるが、ヤマキ(術の初代社長が海産物の 販売活動を通じて偶然それを知ったわけである。

伊予市に削り節産業が集積した第 2 の要因としては、瀬戸内海が豊かな漁場で、イワシや鯖が大量に獲 れたことを挙げることができる。大最に獲れた魚は販売能力がないために、浜に放置されていた。瀬戸内 地域は乾燥地帯であるから、夏にはすぐ乾燥して干物になる。そこで、大量に獲れた魚を干物にして販売 する方法を開発したのである。しかし、こうした条件は瀬戸内海地域に共通の現象であり、伊予市に削り 節産業が集積した根拠を説明することにならない。伊予市が交通の要衝にあり、港湾都市であって、海産 物問屋が販売活動を通じて削り節に関する情報を入手したこと、そのことが削り節産業が生成する上で重 要な要件であった。

このように地域産業の発達を考慮する時、交通体系の歴史的な変遷を考慮に入れる必要がある。とりわ け、四国地域については、海運の存在に注目する必要がある。今日の交通体系は自動車を中心とし、それ を鉄道と航空機が補完する形になっている。このような交通体を前提として地域を見ると、四国は後進地 域であるというイメージを受ける。しかし、自動車が交通体系の中心を占めるようになるのは、日本では 1

9 6

0 年代以降である。それまでは海運が重要な役割を果たし、海運と鉄道とが一体となって交通体系の骨

格が形成されていた。 0 6 年代の愛媛県の島嶼部では収穫したみかんを船で運搬している。海運の発達の視

点からみると、四国は決して後進地域ではなく、むしろ先進地域であったといってもよい。海運を通じた

(8)

日本全域あるいは海外から多様な文化が導入されているのであり、日本人で初めて飛行機を飛ばした二宮 忠八や日本最初の女性パイロット(ともに八幡浜市出身)、大正期を風靡した挿絵画家高畠華宵や日本映 画監督伊藤大輔(宇和島市)等の人材が輩出したのはそうした文化的背景があったからである。

例えば、故松岡健司氏は、ジョン万次郎の他にも、瀬戸内の漁民の中にアメリカ大陸に渡り、その中で 生き残って、瀬戸内に婦ってきた人物がいることを指摘している(松岡健司‘幕末庶民史・瀬戸内海の動 乱'瀬戸内海文化研究所、 9199 年)。また、ペリー艦隊が幕府に開港をせまった時、通訳として乗ってい

たのが瀬戸内の漁民であると指摘している。

日本人で最初にアメリカ大陸に渡ったのはジョン万治郎であることを学校教育によって教えられてきた。

そのため、あたかもジョン万治郎だけがアメリカ大陸に渡ったように思い込んでいる。しかし、鎖国政策 をとった江戸時代にも、北廻り船など日本列島周辺には国内海連の航路があり、漁業も行われていた。し たがって、航海途中で遭難し、沖合に流され、そこでアメリカの捕鯨船に救われてアメリカ大陸に渡る。

こうした遥命に遭遇した漁民はジョン万治郎だけでなくて、他にも大勢いた。また、瀬戸内海は長崎と上 方を結ぶ交通の要衝であり、 「文化の回廊」であった。長崎に伝えられたヨーロッパの近代文明が瀬戸内 海地域にいち早く伝えられていた。泄界の文化や情報が早くから伝えられ、それゆえに海運を使ったビジ ネス活動が盛んに行われていた。

例えば、月賦販売という信用販売方法は、今治商人が開発した販売方法であることはよく知られている。

今治地域では

8 1

世紀の半ばに行商活動が開始された。行商活動は漁民が始めたものである。魚がある時期 たくさん獲れる。そうするとそれを周辺の農村などに、漁民の奥さんが売り歩く。販売エリアは魚の保存 技術と運搬能力の発達とともに拡大していく。漁民の獲れた魚を売り歩く姿は現在でも高松市等に残って いる。行商はもともと漁民が獲れた魚の販売活動として始まるが、そのうちに対岸の瀬戸内沿岸や九州に も拡大する。そして、行商活動の中で付加価値の高いのは漆器であることに気がつく。そこで、輪島等の 先進地から漆器職人を招いて製造技術を習得する。今治市の近くにある桜井漆器の産地はそのようにして 形成されたものである。

当時漆器セットは嫁入り道具として重宝されたが、高価であり、農民や一般庶民は現金で買えるもので はなかった。そこでまず漆器を販売し、その代金を月割り、すなわち、月賦で回収する方法を編み出し、

販売を拡大した。このように、今治商人が月賦販売方法を開発したのは、海運が発達し、それを甚礎に広 域的な行商活動が行われてきたことの証である。月賦販売は信用販売であり、今日にも通用するビジネス モデルである。今治商人は革新的な販売システムを全国に先駆けて開発したのである。

今治地域は愛媛県の中でもビジネスについて非常に厳しい所である。九州地域に行くと、 「伊予商人が 通った後にはペンペン草も生えない」とよくいわれる。これはおそらく月賦販売方法による行商活動の結 果、九州地域の消費者に植え付けた今治商人のイメージだろうと思われる。販売した漆器は輪島のような 最高級品ではなく、その模造品であり、二級品である。最初の

1-2

年はきれいであっても、何年か使っ ていくうちに漆がはげていく。その時になって初めて月賦で購入した漆器の品質がよくなかったことに気 がつく、といったことがあったのではないかと考えられる。

4

.

瀬戸内海地域の自然環境と特産物

今治地域では今日でも「今治の三値切り」という言葉がある。これは、取引価格の値引き交渉が

3

回さ れることを意味している。つまり、まず

1

回目は売買契約をする時、

2

回目は納品の時、

3

回目は支払時 に値切られる。これを指して「今治の三値切り」という。今治地域はビジネス活動をする上で非常に厳し

(9)

い地域である。逆に言えば、今治でビジネスができれば、全国どこででもできる、ということが言われる。

今治地域は、地理的には中心地域ではないが、交通の要衝にある。来島海峡には水箪の一大代勢力が存 在し、造船や海運技術を蓄積し、この地域の産業文化の基礎になっていたと考えられる。

こうしたことは今治地域だけではなくて、広く瀬戸内海地域に共通にみられたと考えられる。なぜなら、

瀬戸内地域は重要な特産物を産出していたからである。すなわち、塩と海産物である。瀬戸内地域には乾 燥した気侯を活かした製塩業があった。今日では化学的な精製方法に転換されたから、地域の基幹産業と

して製塩産業があったことが忘れられている。化学的な精製方法が行われるまでは、人間にとって生きて いく上で重要な物資である塩はこの地域の特産物であった。塩の輸送販売を通じて大きなビジネスが行わ れていたことは間違いない。また動物性たんぱく質を今日のように摂取するようになるのは、高度成長期 以降であるが、それまでは日本人は魚介類からたんばく質を摂っていた。瀬戸内で大最に獲れる魚を瀬戸 内の乾燥した気候によって干物にし、保存性を高めて販売した。今日のように冷凍技術が普及すれば、地 球の裏側からでも魚を輸入することも可能である。しかし、江戸時代、あるいは明治維新以降でも冷凍技 術が普及するまでは、魚は干物にするか塩漬けにするか、いずれかの方法でしか保存することができな かった。

このような土地柄の中でいろいろなビジネス活動が早くから行われ、ビジネス活動を通じて獲得した経 営管理ノウハウが蓄積されてきた。こうした産業文化が瀬戸内の地域産業の基盤になっている。この点を 理解しないと瀬戸内海地域にいろいろな地域産業が集積していることを理解することができない。

地域固有の産業文化と中堅・中小企業の技術集積

1

.

ハイテク型産業の集積の遅れ

瀬戸内海地域あるいは四国地域には歴史的に多様な地域産業が集積している。工業統計等で数量的な変 化をみると、地域経済が衰退しているように見える。しかし、当該地域には地域固有の産業文化が蓄積さ れているのであり、産業文化が地域産業発展の基盤を形成していることに留意する必要がある。

九州地域には半導体産業が集積し、

0 8 9 1

年頃には日本の半導体生産全体の

4

割を占め(今日では

3

割に 減っているが)、半導体生産拠点である。世界の半導体生産拠点であるシリコンバレーに倣って、九州は

「シリコンアイランド」といわれている。特に熊本県には三菱電機の半導体工場や九州NEC の半導体工 場が立地している。九州NEC は単一の半導体工場としては世界でもトップクラスの工場である。

他方、四国地域にはハイテク型産業がほとんど集積していない。四国には愛媛県西条市と高知県香我美 町に三菱電機の半導体工場があるにすぎない。しかも、四国地域への半導体工場の立地は

0 8

年代に入って からであり、九州地域には

0 6

年代末から

0 7

年代初期に集積が開始されたのと比べると、半導体産業の集積 では後発地域である。

しかし、九州地域にはハイテク型産業が集積しているが、ハイテク技術を活かして地場企業が新しい事 業を展開するという事例がほとんど見られない。九州地域では、半導体産業の立地が地場産業にインパク

トを与え、地場の中小企業が半導体関連産業に参入している例が挙げられる。その典型例が原精機(梱であ る。これは水俣市にある会社であるが、もともとは履物屋であった。店主が熊本にNEC が半導体工場を 作るという情報を得て、履物の売り込みにNEC に行ったところ、半導体製造工程の後工程の下請協力会 社になることを勧められた。これが半導体産業に参入する契機となった。同社は、従業員数が千人規模の 会社である。履物屋が従業員数千人規模のハイテク企業に成長したことで大きな話題を呼んだ。

もちろん、これ以外にも、九州各県に地場零細企業が半導体産業に参入した例が少なくない。大分県に

(10)

進出した東芝掬大分工場の協力会社になったケースとして、竹細工会社や縫製会社がある。

しかし、四国地域では半導体産業の集積が遅かったこともあり、地場企業が下請協力会社として参入す るケースが少ない。日本で半導体の量産を開始する

0 7

年代は半導体産業はまだまだ労働集約型産業であり、

大量の若年労働力を必要とした。若年労働力を確保するには地域に人脈があり、労働力を確保できる地場 企業の協力を必要とした。しかし、

0 8

年代以降になると、半導体産業の自動化・省力化が進行し、半導体 産業は装置型産業に変身した。

0 8

年代の初め頃までテレビをよく注意してみると、若い女性労働者が顕微 鏡を見ながらチップとリードフレームとを金線でつなぐボンデイング工程を顕微鏡を見ながら手作業でし ている映像がみられた。このために、大量の若い労働力を必要としたのである。

7

0

年代に半導体工場が進出すると、大量の労働力を確保しなければいけない。親会社でも労働力を確保 するが、それだけでは確保できないから、地場企業を使って労働力を集め、技術的に比較的容易な後工程 を委託した。他方、愛媛県や高知県に三菱電機が進出した

0 8

年代前半になると、ほとんどの工程が自動化

・ロボット化され、人手が要らない。このため、半導体工場が立地しても、地場企業に対する下請需要が 発生しない。

しかし、九州地域では地場企業が半導体工場で使われる先端技術を使って新しい事業をおこしているか というと、ほとんどみられない。他方、愛媛県では地場企業が半導体製造技術を活用して新しい事業を起 こしている。三菱電機の協力会社であるフジグループは半導体製造工程で使われるクリーン化技術を応用 して花粉症やアトピー性皮膚炎で苦しむ人を対象としたクリーンルームを開発し、売り出している。半導 体製造工程では

. 2-0. 0 3

ミクロンの電子回路を組み込んでいる。したがって、半導体工場は埃との戦いで あり、埃をなくことが最大の課題である。そのために、半導体工場はクリーン技術が徹底に施されている。

このクリーン技術を応用して、住宅用クリーンルームを開発して販売を開始している。

九州に半導体産業が進出したのは

7 0

年代であり、

0 3

年の歴史がある。しかし、半導体技術を応用して新 しい事業を展開する地場企業が現れていない。ところが、愛媛県では

0 2

年足らずの間にそういう会社が出 てきた。何故か。これは、産業文化の蓄積の差が出ていると考えられる。

2

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愛媛県における創業の契機

愛媛県における創業の契機は多様であるが、いくつかの特徴がみられる。第

1

は、地域資源の活用型で ある。例えば、紙パルプ産業、とりわけ、手漉和紙は地域固有の資源である木材資源と良質の水資源を活 用して誕生したものである。

2

は、地域ニーズ対応型である。地域ニーズ対応型創業であり、全国的に見られるのは食品加工業で ある。食品加工業は全国にほぽ均等に集積している。また、地場産業に関連して、その機械化や省力化の ための機械工業の集積がみられる。愛媛県では、紙パルプ産業が基幹産業であるが、紙パルプ産業が生み 出す地域ニーズに対応して製紙関連機械工業が集積している。さらに、松山市には井関農機を中心に、農 業の省力化・自動化をテーマにした農業機械工業が集積している。

3

は、スピンアウト型である。スピンアウト型は、大企業や研究機関の研究員が独立して創業する ケースである。例えば、今日、荷物などを送るときに使う荷札の大半は接着型荷札である。昭和

0 3

年代ま では荷物を送る時、梱包材料は材木であり、縄で梱包し、荷札は細い針金の付いた荷札を使っていた。し かし、容器が段ボールに変わると、縄で梱包する必要がなくなるとともに、従来型荷札では具合が悪くな る。また、剥がれやすいために、現在の接着型に変わった。接着型荷札を開発したのは、愛媛県川之江市 の人である。製紙会社の総課に勤め、荷物の発送業務を担当していると、荷札が取れる事故にしばしばぶ

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つかった。しかも、包装資材が段ボールに変わった。そこで何かいい方法がないかということをいつも考 えていた。そして思いついたのが、粘着テープの技術である。もう

1

つのヒントがサロンパスである。粘 着テープの技術とサロンパスの原理で接着型荷札が開発されたのである。シール原紙のトップメーカーの マルウ接着(梱やタック味がそれである。

昭和

0 3

年代に木箱が段ボール箱に変ったのは、日本列島全体で起こった現象である。愛媛県はみかんの 産地であり、みかん箱も木箱から段ボール箱に変わった。同様に、東北ではリンゴ箱が木箱から段ボール に変わったはずである。新しい容器に対応した新しい荷札に対するニーズが全国共通に生じたはずである。

しかし、愛媛県の人がそれに思いつき、会社をおこした。産業文化の存在を抜きにこのような現象を考え ることができない。

4

は、技術移転型。住友系企業の下請協力会社が、親会社の仕事を受注しながら技術を習得し、技術 水準を高めたケースである。大企業からの技術移転を受けた企業の中にも下請企業のままでいるケースと、

自立化するケースとがある。

新居浜市の中小企業のほとんが住友系下請企業であるが、一部に自立型企業が誕生している。例えば、

自走式クレーンでは業界トップ企業である尾部工業(齢。自走式クレーンというのはクレーン自体に自動車 のように運転機能が付いており、自在に移動できるクレーンである。同社はこの自走式クレーンでは国内 マーケットの

8

割を押さえている。自走式クレーンはコンテナ埠頭のように使途が特定されている埠頭で はなく、公共埠頭のように多様なものを荷役する埠頭で使われる汎用性の高いクレーンである。日本経済 の国際化は国際物流を増大させ、コンテナによる物流が増大している。こうしたコンテナ埠頭では、コン テナ専用のクレーンが使われている。コンテナ専用埠頭はレールの上を移動するだけでよい。この分野は 大企業が市場を押さえている。しかし、いわゆる公共埠頭の場合には多様なものを荷役する。コンテナを 陸上げする場合もあるが、大豆や小麦のような穀物や砂利の場合もある。そうすると、荷役の目的にあわ せてバケットを取り替えたり、クレーン自体が移動ができないと具合が悪い。同社のクレーンも最初はダ ンプカーで引っぱっていた。現在は自走式クレーンであり、運転装置が付いたクレーンを開発して、公共 埠頭用クレーン分野で高いシェアを確保している。一言で自走式と言っても、クレーン本体が大きいもの になると約

0 0 3

トンくらいあるから、安全に移動させるだけでも特殊なノウハウを必要とする。また、同 社のクレーンはバケットを簡単に取り換えることがができるところに特徴がある。同社は

0 6 9 1

年代に住友 の下請企業のままではいずれ行き詰まると考え、住友からの仕事を受注しながら少しずつ独自技術の開発 に取組み、自走式クレーン分野に参入したのである。

5は、疎開型。このタイプはそれほど多くないが、各地域で確認することができる。戦時下の空襲を 避けるために創業者の出身地に工場を疎開したケースである。愛媛県丹原町にテラマチ(樹という精密機械 部品メーカーがある。ネジやボルト等の精密加工を得意とするメーカーである。同社は大阪で創業したが、

空襲を避けるために創業者の出身地である丹原町に疎開し、戦後そのまま定着したものである。同社が丹 原町に立地した経済的根拠が特にあるわけではない。

全国的にもこうした例がみられる。例えば、富山県魚津市に本社をおくウォータージェットマシンの トップメーカーであるスギノマシン(梱。ウォータージェットマシンは

2000-3000

気圧の超高圧水を数ミク ロンのノズルからマッハ

2-3

の超スピードで噴射し、その水の力で鋼飯や石を切断するものである。も ともと同社の工場は大阪にあったが、空襲を避けるために創業者の出身地である魚津市に疎開し、戦後魚 津市に定着したものである。従業員の生活環境や、魚津市が米・魚や酒が美味しいところであることを考 慮して魚津市に定着した。また、同社はウォータージェットマシンでは全国でトップレベルの技術をもっ

(12)

ているから、地方に本社を置いてもビジネス上の問題はないという。

3

.

地域の中堅・中小企業の技術集積

独創的な技術や製品を開発している地域の中堅・中小企業の創業の契機は、このように多様であるが、

地域の中堅・ 中小企業の技術水準はかなり高度化してきている。特定の分野では大企業を上回るような技 術力を蓄積している。

地域の中堅・中小企業の技術集積を可能にした諸要因を挙げると、次のような要因を挙げることができ

1

は、戦後の高等教育による技術者の大量養成である。戦後の新制大学において理工系学部が増設さ れ、大蓋の人材が養成された。そのことが社会的基礎となって、中小企業の技術水準を全般的に引上げる ことになった。今日、大学教育の有効性が問題にされているが、高等教育を整備して大量の技術者を養成 したこと、そのことが中小企業の技術水準を直接的にも間接的にも高度化したことは間違いない。理工系 大卒は中小企業に就職したがらないが、不況になって大企業の採用が減った時、あるいは、大企業に就職 したが、何らかの事情で退職し、故郷に

U

ターンする。そこで地域の中小企業に再雇用される形で中小企 業の技術水準が高度化したのである。このような形で高等教育の成果が中小企業に波及し、中小企業の技 術力を高めたのである。

愛媛県伊予三島市に本社をおく巻き取り機械で世界一の技術力を誇る片岡機械製作所(樹。同社の従業貝 数は約

0 0 1

人の中小企業であるが、巻き取り機械では世界でトップレベルの技術水準を誇っている。例え ば、巻き取り機械は製紙工場や化学工場でフィルム状の製品を巻き取る工程で使われている。製紙工場の 紙や化学工場で作られたフィルムを巻き取る機械である。巻き取り機械といっても、製紙工場で使われて いる巻き取り機械は長さが

100m

、巻き取りスピードは

1

分間に

1500-2000m

にもなるシステムである。

同社が巻き取り機械分野で世界トップメーカーになった最大の理由は、世界で初めて巻き取り機械にコ ンピュータ制御機能を搭載したことである。巻き取り機械は超スピードで回転している。精密に制御する 必要がある。また、工場で製造された紙やフィルムは出荷時に、注文に応じて裁断して巻き直す。従来こ うした作業を人間の経験と勘で行っていたが、フィルムの種類(素材、色、厚さ等)を考慮すると人間の 経験と勘では限界がある。そこで、巻き取り機械にコンピュータ制御機能を搭載した。巻き取り業界の中 では、コンピュータ制御機能を最初に搭載したのは片岡機械製作所であり、その意味で世界トップの技術 水準を誇っている。ところで、同社の片岡社長は大学における機械工学に関する高等教育も受けたわけで はなく、経験と勘だけで巻き取り機械を作ってきた。しかし、巻き取りの仕組みは分かるが、コンピュー タのことは分からない。そこで、コンピュータに関する専門教育を受けた人材を雇用して技術的限界を克 服した。当初は地元出身の人が会社を辞めて帰ってくる、いわゆる

U

ターン人材を雇用して人材を確保し た。今日では理工系学部卒の新規採用が可能になっている。なお、同社の主カメンバーは香川大学経済学 部経営管理学科の卒業生である。

このように戦後大学教育制度を改革し、大量の技術者を養成してきたことが、直接間接に中小企業に波 及し、全体として中小企業の技術水準を高めているのである。

2

M E

革命による中小企業の技術水準の高度化である。マイクロエレクトロニクス革命の成果を 受け止めて中小企業も技術水準を高度化している。

M E

革命の成果を活用した技術集積の

1

つはいわゆる プロセスイノベーションである。日本のように厳しい競争社会の中で中小企業が生き残っていくには、当 然生産性を上げていかなければならない。生産工程を改良して生産性を引き上げなければならない。中小

(13)

企業も製造工程の情報化・ソフト化を避けることができないし、その結果情報技術が習得される。

もう 1つのタイプは、プロダクトイノベーションである。 M E 革命の成果を製品の中に取り込むもので あり、機械メーカーがM E 革命の成果を取り込んでメカトロニクス分野に転換するものである。片岡機械 製作所の技術集積はこのタイプであり、いち早く巻き取り機械にコンピュータ制御機能を搭載して業界 トップの地位を確立した。片岡社長に言わせると、同社のマシンは加工精度が高いからまず本体が故障す ることはない。耐用年数は

0 5

年はもっという。工作機械メーカーが製品を国内市場からさらに海外市場で 販売する時に直面する問題はメンテナンスである。機械は使っていると必ず故障するから、工作機械メー カーは修理にすぐ駆け付けることができるようにユーザーの近くにメンテナンス要貝を配置しなければな らない。片岡機械製作所の巻き取り機械は世界一の技術力を誇り、例えば、アメリカのデュボン社にも納 入している。したがって、通常であれば、同社はデュポン社のテキサス工場の近くに駐在員を置き、故障 があったらすぐに修理できる体制を作っておかなければならない。しかし、片岡機械製作所の場合にはそ の必要がない。何故か?同社のハードは耐用年数が

0 5

年あり、ほとんど壊れない。故障が発生するとすれ ばソフトの故障である。したがって、ソフトにトラブルが発生すると、故障個所をビデオカメラで写し、

通信衛星を使って愛媛県三島市の片田舎に映像を送ってくる。同社のプログラマーは送られてきた映像を 見ながらソフトを修理する。そして修理したソフトを通信衛星を使ってテキサスまで送る。新しいソフト をインサートして試運転する。設計書通りに動けば

OK

、もしまだ不都合な点があればソフトを修理して 再度送信する。このような操作を繰り返して修理するから、駐在貝を常駐させる必要はない。片岡機械製 作所は従業員数

0 0 1

人規模の中小企業であるが、 M E 革命の成果を取り込んでメカトロニクス分野に転換

している。

第 3

は、素材革命の活用である。愛媛県において業種別にみて最も素材革命の成果を取り込んでいるの は紙パルプ産業である。

川之江市に工業用特殊紙のトップメーカー三木特種製紙(樹がある。同社は繊維状の素材であればどんな ものでも紙に漉くことができる。一般に紙は植物繊維を均質に並べて加工する技術であると理解されてい る。新聞紙やトイレットペーパーが典型であり、天然の木材や植物から繊維を取り出し、それを薄く漉い たものが紙である。ところが、三木特種製紙(梱は金属でも紙に漉くことができる。つまり、金属であって も繊維状であればこれを均質に並べて漉くことができる。同社は合成繊維が登場した

6 5 9 1

年頃に、合成繊 維で障子紙「ミキロン」を漉いた。身の回りには製紙会社が作っているものが沢山ある。今後、繊維状の 新素材が登場すれば、これを製紙技術を使ってフィルム状に薄く加工することができる。従来の天然繊維

にない機能をもち、それを応用して新製品や機能を開発する可能性を秘めている。

また、不織布の登場は新しい可能性を秘めている。不織布、すなわち、織らない布というのは繊維から 直接布を製造したものである。通常の布は、繊維を糸に紡ぎ、そして糸を織って布にする。これに対して、

製紙技術を応用すれば、繊維から糸に紡ぐ工程を省いて、繊維から直接布を作ることができる。また、縫 製工程も省力化できる。病院の手術着のように使い捨ての用途に適していること。

不織布のもう

1

つのメリットは、細菌を通さない布を作ることができることである。普通の布は細菌を 通すが、不織布を使えば細菌を通さない布を作ることができる。病院の手術着のように、細菌をシャット アウトし、使い捨てされる衣類の製造に適している。

第 4

は、技術融合である。技術融合とは異なる技術を維み合わせて新しいものを作るものであり、メカ トロニクスも一種の技術融合である。例えば、愛媛県松山市の農業機械メーカーである石井工業(梱。同社 が鹿業機械メーカーとして創業した契機は、みかん選果機を開発したことである。初期の選果機はベルト

(14)

コンベアの上に大きさの異なる穴を開けておき、穴の大きさで選別するものである。いわば物理的にみか んの大きさを選別していたが、今日主力になっている選課機はみかんを着色度合はもちろん、糖度・酸度

・浮皮等を検査し

1

個ずつ選別することができる。みかんは過剰に熟してくると皮の内側に隙間ができる、

浮皮という現象が起こり、品質が劣化する。それもチェックできる。これは農業機械と光センサーとを融 合したものである。

第 5

は、技術移転型である。これは大企業から中小企業に技術移転される場合と大学や公設試験研究機 関から移転されるものとがある。

N

ベンチャー企業の育成と研究開発機能の共有

1

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四国地域のベンチャー企業の可能性

1990

年代後半になると、地域産業政策はベンチャー企業の創業支援に重点を移している。日本経済のグ ローバル化による産業空洞化の顕在化と新規創業の減少に政策当局が危機感を募らせ、新規創業を促すた めの様々な支援策が打ち出されている。ベンチャー企業の意義については、論者によって多様な意味で使 用されているが、ここでは独創的な技術や製品・販売戦略によって成長の可能性のある創業間もない中小 企業であり、証券市場への上場を計画している非公開企業、という意味で使用する。しばしば「ハイテク ベンチャー企業」という概念が使用されるように、高度なハイテク技術を基礎にしていることがベン チャー企業の要件であるかのように理解されることがあるが、ハイテク技術をベースしたものとは必ずし も限らない。ハイテク技術をベースにしたものを「高度技術開発型企業」とすれば、在来技術をベースに しつつ、ハイテク技術の成果を取り込んで新製品や新技術を開発して成長している企業を「高度技術利用 型企業」と呼ぶことができる。地方圏でみられるベンチャー企業の多くは、前者の「高度技術開発型企 業」ではなく、後者の「高度技術利用型企業」である。

なぜなら、ハイテクベンチャー企業が誕生するには革新的な技術シーズの存在が不可欠である。言い換 えれば、研究開発機能の集積、つまり、高度な試験研究機関や大量の研究者の存在が前提になる。そうし た条件は大都市圏において満たされているが、地方圏においては研究開発機能の集積が弱く、ビジネスに 結合するような革新的な技術シーズの存在を期待することは難しい。もちろん、宮崎県工業試験場(現宮 崎県工業技術センター)が開発した S P G (シラス多孔質ガラス)、徳島県の日亜化学(樹が開発した青色 発光ダイオード、愛媛県の仙味エキス(樹の例があり、地方圏で革新的な技術シーズが全くないわけではな い。しかし、研究開発機能集積の地域間格差を考慮すると、地方圏においてハイテクベンチャー企業が次 々と輩出することを期待することは難しい。

地方圏で期待されるのは、高度技術利用型企業、いわばローテクとハイテクの敵合による新製品開発や 新事業創出である。とりわけ、在来型産業が集積している地域において技術融合型ベンチャー企業が誕生 する可能性がある。在来型産業の集積地域には地域固有の産業文化、ノウハウが蓄積されているからであ る。長い間のビジネス活動を通じて起業家精神旺盛な人材とハイテク技術を活用するノウハウが蓄積され ているからであり、ハイテクとローテクとが融合した新しい産業が誕生する可能性がある。

2

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内発型発展と経営管理ノウハウ

地域固有の産業文化(ノウハウ)は、ビジネス活動の試行錯誤を通じて蓄積された知的ストックである。

試行錯誤の結果成功したものもあり、また、失敗したものもある。成功のノウハウも失敗のノウハウも含 む。在来型産業が内発的に発展してきた地域にはビジネス活動の試行錯誤を通じて蓄積された産業文化が

参照

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