BrynMawrPegeの歴史学教授カロライン・ロビンズは
昨年︑劇八世紀イギリスを中心とした思想史的研究ヨ罵蜃㌣
ミニミ∵︹ごさミニミミ︑︑︑=︑︑羊ぎミ・ンぎ︑㌻︑ミ︑∵︑.︑ミ=き・1ミ︑・
︑=二与:︑︑・︑︑︑■=.†ミ︑・︑■︑︑㌻・︑・﹂︑㌧キ︑\をこ︑︑1︑≡こ寅ミ
㌢茎こ訂知邑§註嵩ミC訂基㍍ 出﹇ §きご諌一ヨ篭.等翠河竹訂
ゴざ忌会C註鼓さHar責rd U.P−﹀−辞P を著わした︒華やか
な一七世紀と一九世紀のあいだにはさまれた劇八世紀を︑その
方法は別として︑かくも︑ヴァリュー︑︑︑ナスづにとりあげた本
書の出現は一入世紀を学ぶもののよろこびである︒この書物に
ついては︑すでに例えばT・L・S︵三〇二ハ号︶にこれを讃辞
する畜評がでているし︑筆者も︑全体として︑とりあげるべき
だとおもうが︑何分︑あたえられた紙幅には︑十分な紹介も批
評もできないので︑ここでは筆者の関心をもつミラーに言及し
た数ぺージ︵二一四−山七︑三八〇︑三八四の各ページ︶彗 紹 介
C・ロビンズ≡八世紀コモン
ウェルスマン﹄九五九年︶濫
おけるジョン・ミラー
山 崎 第三十三巻 第三号
伶 ︵四五四︶ 山 側四
そのまま︑かのじょの誤記もしくはミスプリントとおもわれ青
ものも︑別に指摘しないで︑紹介し︑批評などはいっさい︑つ
け加えないことにする︒ただ︑ここで明瞭な事奥のあやまりに
ついていえほ︑クレイグは女婿でほなくて甥である︒
改革を示唆するにあたって︑オクグルヴィはど︑率直ではな かったが︑スコットランド急進主義に非常な影響をもったのは グラースゴクの︑︑\ラー教授だった︒かれは四〇年間︑法学教授
の席につき︑﹃階級起源論﹄︵一七七一年︶と﹃イギリス政清の
︵1︶ 歴史的考察﹄︵㌦七八七−一入〇三︶ の著者であった︒同大学
の先人ハチスンと同じく︑かれも︑一八世紀を学ぶ山九世紀の
研究家たちからよりも︑同時代人に噂敬された︒非常にすぐれ
た牧師の息子で︑グラマスクールでビランズ氏に学び︑小七甲
七年︑グラースゴク大学にいり︑卒業後︑ケイムズ卿の子息の チューターとなってヒユームの面識をえ︑はじめは弁護士の準
備をしたが︑一七六一年︑友人たちのおどろきをしりめに︑呼
枚の法学教授となり︑終生︑この破にあった︒時には︑裁判 で重罪人を弁護し︑教授職にも専念し︑学生数は増加した︒他
の時間は著作とそのすほらしい友人たち−1ベイリ︑ワイ㌧ リード︑ジャーディンまた︑山七五二年創立の文学クラブの他
の会員などーとの交友に費やされた︒私的生活では幸福だっ たが︑アメリカでの息子の死と︑妻の喪失は晩年の人生に暗い影
をなげかけた︒
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
教授はその伝記作者のことばによれば′﹁確固たる︑熱心なウ
ィッグ﹂であった︒当時のさまざ計の改革運動を支持〜たと
えば︑代議士選出上の改革︑奴隷制反対︑フランス革命歓迎 −
した︵もっとも︑君主特権については︑それが蛮族によってバ
ランスされるかぎり︑古いシステムが危険でないとかんがえた
し︑かれは普通選挙には反対で︑広範でフェアな選挙権を支持
した︒また︑叙任権は内閣からとりさるべきだとした︒革命以
東︑ふくれあがった官僚制が国王権力を強化させたと︑その
r歴史的考察︼で指摘した︶︒かれはフリーホールドの選挙に
ょる政治を期待した︒要するに︑かれは剛八世紀終末の典型的
なコモンウェルスマンであった︒かれのオリジナルな貢献はそ
の歴史的著作にみられ︑それはおおくの点で︑偉大なスコット
一フンド学派のうちでもっともすぐれたものだった︒
︑︑\ラーは歴史家としてヒユームよりも劇段とすぐれ︑人間の
自由にかんけいする内外の諸要因を調べた︒かれの方法はロバ
ートスソとちがっていたが︑イギリス憲政にかんする評価はい
ま尚︑かえりみる借うちがある︒共和主義的感覚はそのアルブ
レッド王や初期の中世政府の考察虹彩響を及ばしてはいなかっ
た︒とふームの思考はしばしば鋭いものだが︑諸事件の叙述は
陳腐であって︑手元にある資料の不正確な解釈にもとずいた︒
これに対し︑ミラーは主題の充全な理解と独創的な見解を示し
ている︒
かれはたん匿事件や人物の歴史ではなく︑.経済的︑社会的発
C・ロビンズ二八世紀コモンクエルスマン﹄ 九五九年︶におけるジョン・︑︑\ラー 展の依存かんけいを記述した︒諸制度は変化する状態や人々の 職業につれて変革される︒野蛮人は政府の必要がないが商業= 産業の近代人はお互に︑また為政者からの︑自由の保護が本質 的に必要である︒ミラーはハリソトソの著作を学んだぼかりで なく︑ルソ︑−やモンテスキューも︑学んだが︑しかし︑かれら のだれよりも︑ドグマティックでなく︑科学的だった︒社会的 決定論者だったが︑空論家ではなかった︒気候や土塊が諸国民 の成長に影饗し︑個人の差違が︑環境のそれと同じく︑階級区 分を促がした︒自然法学派の二見として︑心から︑進歩の観念 に賛成したが︑人間の運命をかえる偶然的諸条件や︑特殊的個 人の偶然的介在を知っていた︒かれはマルクス主義者たちによ って熱狂的に発見されたが︑先師の無階級社会の思想からとお くぼなれて︑かれが階級を不可避の︑実にいかなる時代でも︑ 人間社会の必然的特質だと魂なしたと︑かれらは容認せざるを えなかった︒かれは階級を靡止するどんな試みも危険であると ︵2︶ かんがえた︒
その階級論や選挙観にみられるように︑ハリソトンの使徒と
して︑かれは歴史の動態論 − 財産と権力の相互かんけい︑商
業国の人民政体への吸引︑専制政治への引力について︑鋭利な
感覚をもっていたし︑山七世紀の議会についても︑下院がスチ
ュアート王朝のもとで︑守護の役割を固守しなかったとしたら︑
それは﹁国民議会の亡霊の∵っ﹂であっただろうといい︑市民
尊命の経済的解釈紅かんしても︑すぐれた分析力を駆使した︒
︵四五五︶一山五
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
第三十三巻 第三号
かれにとっては︑ギリシャやローマの民主主義は都市国家のた
めのものであって現実的平等をもたらしたとはいえなかった︒
民主々義的諸もんだいのハリソトンの解決のイギリスへの適用
は一方では不穏な議会に︑他方では噂制主義に抗することであ
って︑かかる政府は中等ならびに下等のジェントリと︑﹁さい
きん独立をかちとった﹂都市住民紅よって支持された︒貴族は
独裁の転覆にともなうアナーキーの状態で財産を失なうことを
恐れた︒ミラーは空位期間に思惑を弄するシステムのあること
紅気づいていたし︑これを不安な時代に起因するものだとした︒
かれは事実上︑レグエラーズを無視した︒かれの共感は盲典的
共和主義者に︑︑︑\ルトン ー その自由への熱烈な変は党派的精
神で台なしにされたとした ー よりもハり/ントンにむけられ
た︒フランス革命紅たいする共感は︑\\ラーとその弟子たちを象
徴するものだった︒﹁ジュピター﹂カーライルは自分の息子を
さいしょはグラースゴクに選ろうとしたが︑︑\\ラーの政治意識
の感化を恐れておもいなおした山人の頼のこと匿ふれている︒
とのことは教授の当然にうけるに足る学問的評判にもかかわら
︵3︶ .ず︑であった︒
ミラーの歴史・社会理論にはかれが平等主義的思恩を抱いた
という証拠は少ない︒かれはコモンウェルスのグループに属し
たが︑かれらと同じだけ︑十分に共和主義者であると同時に非
共和主義者でもあった︒かれは平等な権利を擁護したが︑賢者
と無学の者︑富者と貧乏人︑利口者と愚者の平等な権利を主張し ︵四五六︶ 山 叫六
たわけではなかった︒︑︑\ラーのフリーホールダ1による政治の
ための選挙プランはその性格上︑まさに一七世紀のものであ
り︑そのより広範な選挙権への賛成は多くの留保がつけられ ︵ 4︶ た︒ミラーの革命的な貢献は抵抗権の強調−1むろん︑これに
ふれないわけではないが・−にあるよりも︑むしろ︑かれの歴史
哲学に︑また︑商巣の発展によって︑もたらされる諸変化の確
認紅あった︒共和主義は︑むしろ︑かれの私的談話蔽おいて︑
若しかったといえるだろう︒かれはヒュームのように﹁芯政国
家はそれが失政を救うかぎり有益である﹂とも︑耐えられない
︵5︶ 圧制政治はうまれる必要はないとも︑かかなかった︒しかし︑
︑︑︑ラーの教義は急進主義朋政治を助長し︑かれの著作はス︑\\ス
﹃諸国民の富﹄とファーガスンの﹃市民社会史﹄およぴ﹃ローマ共
和国山に触発されて︑歴史の経済的解釈の風潮を促進させた︒
アイルランドとスコットランドにおいて︑政治学と撞済学の
滋味ある諸思想がうまれ︑人と理論ほ交流しあった︒非常にお
おくのラディカル︑マリニュー︑ハチスン︑ウメーレス︑︑\\ラ
ー︑オクグルブィがみられたし︑ス︑\\スやヒュームの如き知的
巨人はいつの世でも︑きわだった人物であろう︒ハチスン︑ワ
ォ﹁レス︑︑︑\ラーはおおくのウィッグたちよりも︑社会の貧乏
人に関心をもった︒
自由主義者の著名な環業はハチスン︑スミス︑\︑\ラーのもと
でのグラースゴク︑占クやジエプのグムプリッ汐︑セドゥン︑
プリーストリのり/ォリントンでなし遂げられた︒
OLIVE 香川大学学術情報リポジトリ
︵1︶︑︑︑ラーについてはCar宜e︸A邑Q託局ヽ亀ゼのおおくの
関連箇所︑H.Pckb彗n∵忘蓄電訂冴Ⅰ︸舎こ・Ma?
kenNie¶ ゝ浄き替ゎ︸Nd ed.︵LOnd眉L00岩︶﹀肖■き一
缶.をみょ︒マルクス主義紅対する影響転ついてほ
W.CトeFmann一︒JOFnMia♪HistOrica−SOCiO−Ogi畏︸︑
in空.∽.ひ﹀nO●−い00○︵MarcF−誤N︶⁝R・L・Me落−
芸The ScOtti各COntributiOn tO Mar払st SOCi◇−Ogy㌦︑
in旨喜きさ:邑ご訂卜各室二宮奪§● ︵どnd昌−
−¢∽£pp.哲T−○ドをみょ︒汐ヨソ・クレイグ︵JOhn
Craig=ミラーの女婿︶は﹃階級起源論﹄一八〇六年限
︵エディソパラ︶に伝記をかいた︒﹃階級起源論﹄はイ
ギリスで六版を重ね︑アメリカ版︵山七七八年︶︑フ
ランス訳︵劇七七八嘗︑ドイツ訳±七七二年︶ を
もった︒
︵2︶ ↓訂○ヽ登記Qヽ芸qb註賢c≠恥箋Qヽ.知§ぎ︵Edinbur管V
−00○の︶﹀ppれ︵∵﹁−Cま︐
︵3︶ Carly−e.ゝ邑乳首gヽ息ゼリpp・巴中ふG・Miar■ゝ記h撃
乳司計已一声眉二く⊥斎∵臣応奔註︵訂竃⊇薫染 ︵−謡↓.si舛
British editiOnS⁝ここでほ一八二一年︑ロン下ソ版︶︑
﹂首簑計∴戸∴ヨf.⁝Chaps.︑iづ15.i二¥蚤ぎc訂p・ノご
Sec.∽.
︵4︶ Craig memOir−9患首∴宍i干C聖教阜 政治について
はb聖獣S.
C・ロビンズ八世紀コモンウェルスマン﹄ 九五九年︶紅おけるジ計ン⁚︑︑ラー ︵5︶ Da5.d H亡me∵訝ぷ葛遼ぎ乳§邑句註野鼠∴d e㌣
︵どnd含√G念︶∴︷PO−itic00aScience㍉︸p・∽†受動
的服従については p・∽−N・;TreatiseOf Human NaT
焉e㍉ごnHume㌦旨ぎギご夢ござミ計乳せ牢ぎ良ぶ︵New
YOrku −澄00︶一p﹂−N●
︵四五ヒ︶ 叫 岬七