大学間協定4大学合同国際シンポジウム「東アジア文明の伝承と発展」
超高齢社会における高齢者と家族の選択
台湾金門島珠山村を事例として
松岡 正子
はじめに
本稿は、超高齢化社会に突入した台湾金門島の珠山村を事例として、村 に残る高齢の親世代が、都市で働く子世代や地域社会とどのようなネット ワークを築いて「生」を全うしようとしているのか考察したものである。
台湾は、高齢化、少子化、非婚化が急速に進む国の一つである。高齢化 については、 1993年に高齢化率(1)が 7%を超えて高齢化社会に突入すると、
2018年には高齢社会(高齢化率 14%以上)になり、2025 年には5 人に1
人が 65 歳以上という超高齢社会に達すると予測されている。少子化は、
近年、合計特殊出生率(女性一人が生涯に産む子供の数)が 1.1 あたりの 低水準で推移し、さらに非婚化がすすんで単身世帯が増加している。そし て、このような急速な高齢化、少子化、非婚化を背景に、高齢期要介護者 の増加と介護提供者の絶対的不足が一層深刻になっている。
台湾における高齢者介護の特徴の一つは、「家族介護」という伝統的な 概念を維持したまま個人や家族、地域社会、政府等が様々な方法を試みて いる点にある。「孝」の概念に基づく、親の扶養を家族の責任とする意識は、
現在もなお根強く維持されているが、少子化未婚化による家族数の減少は、
「三世代同居」という理想の実現を難しくしており
(2)、一方で、社会全体に
(1) 世界保健機関(WHO)と国連によれば、高齢化率(全人口に占める65歳以上の割合)が7%
超を高齢化社会、14%超を高齢社会、21%超を超高齢社会という。なお日本は、2017年に超 高齢化社会に突入し、2060年には65歳以上の人口が全人口の40%に達すると予測され、中 華人民共和国も2035年に超高齢化社会に突入して高齢者は3億人を超え、うち独居老人は 1億人超と推測されている。
(2) 中華人民共和国においても家族介護意識は根強く、法律でも、「中華人民共和国老人権益
保障法」10条に「老人扶養は主に家庭に頼り、家族が老人の世話をしなければならない」と
浸透した家族介護の意識は政府による社会福祉政策や介護の社会化を遅ら せている [劉正・齊力 2019]。
本稿で事例とする金門島の珠山村は、若者の多くが村を出ており、高齢
化率が 30%を超える老人村である。しかし、筆者が訪れた時、民国時代
にタイムスリップしたような閩南式家屋に囲まれた景観のなかで、老人た ちは菜園を耕し、宗祠と大道宮廟を守りながら穏やかに暮らしているよう であった。
本稿では、村に残る高齢者たちと都市で働く子供たちが、根強い「家族 介護意識」のもとで互いにどのようなネットワークを築き、子世代は親の 高齢化に対してどのような選択を行っているのか、村という地域社会や政 府はどのような支援をすすめているのか、分析する。
一、 台湾の高齢化問題に関する台湾と日本の先行研究
近年の台湾の家族形態の変化について、楊培珊[2019] は、次のように報 告する。国家発展委員会(2017)「106 年至 115 年我国家庭結構発展推計」
によれば、近年、単身世帯が盛行し、 2015 年には全世帯の11.8%になった。
二人家族も2011 年に四人家族を超えてトップにたち、2015 年には 28.6%
を占め、単身と二人の家族で全体の 40%に達している。しかも家族規模 の縮小は続いており、2042 年には一家族の数が2 人未満になると予測され ている。一方、家族介護の主体者である子世代については、106年(2017)
の高齢者状況調査によれば、55 歳以上で子供をもつ者は減少傾向にあり、
子供と親との同居も減り続けている。一方で長寿化によって 65歳以上で 日常的に介護が必要な者は 28.2%に達しており、その介護にあたる者は、
家人の場合が67.1%と最多であるが、外国籍介護者による場合も 27.2%を 占め、5.7%は介護をする者がいない[ 楊2019:28-29]。これは、家族介護 意識の根強さを示すとともに、要介護の親をもつ子供が、三分の二は「同 居型家族介護」を選択し、三分の一は、日常的ケアは外籍介護労働者が代
し、憲法45条では公的扶養に関して「中国公民は高齢、疾病、労働能力の喪失時に国家と 社会から物質的援助を受ける権利を有し、国家は公民がこれらの権利のために必要な社会保 険、社会救済と医療衛星事業を発展させなければならない」と規定している。しかし「空巣 家庭」(子や家族と同居していない高齢者世帯)は都市部農村部とも50%を超えている。
替し、経済的負担を子供が担う「別居型家族介護」を選択していることを 表している。
台湾における高齢化に関する研究は、「期刊文献資迅網」によれば、
2005~2020年は毎年平均 20~30 本ある。テーマの内容は、数量では第一に
経済、第二に医療・健康、第三に高齢者自身の学習や娯楽活動、第四に社 会福祉制度や法制度関連で、イギリスやドイツ、日本、シンガポール、中 国などの情報も紹介されている。このうち経済では、介護器具や民間のケ ア施設運営等の高齢者関連の企業に関するものだけではなく、高齢者自身 の年金や保険、個人資産の運用、就業など経済的自立を促すものが少なく ない。総じていえば、多くの論説が家族介護を前提としたうえで、高齢者 自身の経済的、日常的、精神的自立を促し、政府や地域、企業はそれを援 助するという方向を示している。介護扶養の社会化については、その必要 性はのべられているものの、民間参入を含めたケア施設の設置運営や人材 訓練に関するにとどまっている。また、「外籍看護工人」(外国人介護者)
や新移民による人力の供給も論じられているが、外国人看護関連労働者の 権利等についてはあまり問題にされていない。
本稿のテーマである家族の変化と高齢社会について論じたものは、あま り多くないが、楊培珊(2019)「我国面対人口與家庭結構変遷下的高齢社 会議題與解方」は、この問題の背景、現状、今後の課題を整理したものと して参考になる。楊論文では、まず、少子高齢化や労働力減少、家族構造 の変化について分析し、次に、今後の指針として以下の3 点を提起する。
第一に、国民はあらゆる年齢の者すべてが、高齢時の心身の健康に備えて
自己への投資を始めなければならない、第二に、高齢者の経済的自立のた
めに、その雇用を促進し、専門部署や法律を設ける、第三に、台湾では家
族規模の縮小にもかかわらず、65 歳以上の三分の二が二世代あるいは三
世代、四世代で暮らしており、個人においては民法に規定された家族扶養
を遵守し、社会においては「尊親孝親」意識の浸透が明らかである。よっ
てこのような個人と社会における家族の価値観を強固にするために、以下
を提案する、①家族に対しては、構成員個人の自主的決定を尊重する、②
企業に対しては、仕事と家族介護の両立のために介護休暇の承認、職場に
よる幼児と高齢者のデイケア施設の設置、介護費用援助の実施を求める、
③政府に対しては、家族介護担当者の正当性を明らかにするために介護現 金給付制度の設置をもとめる、④地域に対しては、65 歳以上の高齢者家 庭への介護サービスを増やす、とする。
楊論文は、家族介護を前提とした指針の提起であり、台湾の政府と世論 を代弁するものといえる。しかし家族介護の限界が認識されているにもか かわらず介護の社会化という視点がほとんど示されていないため、政府や 地域の方針と施策が十分に論じられていない。
これに対して、日本における台湾の高齢化研究はやや異なる。日本では、
介護の社会化やアジアの人口移動の視点から、社会学や文化人類学を中心 とした研究の蓄積がみられる。CiNii の「台湾、高齢化」での検索結果に よれば、2005年前後を境にテーマが変化している。05 年以前は高齢者自 身の健康や生活環境に関わるものが主であったが、以降は、それに加えて 高齢者をとりまく諸問題についての論説が増えている。05 年以降のテー マは、第一に社会福祉制度や高齢者医療政策、第二に民間運営の介護施設 や介護機器企業など福祉関連企業、第三に外国籍介護労働者や新移民であ る[ 安里2013 など]。この背景には、整備が遅れていた高齢者福祉制度が、
2007年に国民年金制度が実施されたことで年金関連の論議がふえたこと、
医療や介護の現場から、2000年「安寧緩和医療法」制定前後から末期ケ アや認知症ケア、長期介護について問題提起がされたこと、社会学人口学 の視点から、家族介護という理念を実質的に支えてきた外国籍介護労働者 について、社会的位置づけや待遇改善がとりあげられてきたこと等がある。
本稿では、台湾漢族の高齢者の生活や日本と中国の家族間関係について、
主に、植野 [2000]、横田 [2011]、安達 [2010]、安里[2013] を参考にした。
安達[2010] は、台湾より先に超高齢社会にはいった日本の家族形態の劇変、
高齢者と家族のあり方、高齢者をとりまく社会関係資本(ソーシャルキャ
ピタル)について現状と理論を論じたもので、示唆的である。安達によれ
ば、日本では65 歳以上の高齢者がいる世帯は、1980年に 50.1%でほぼ半
数を占めていた「三世代同居世帯」が、2007 年に18.3%に減少したのに対
して、「夫婦のみの世帯」が16.2%から 29.8%に倍増し、さらに「一人暮
らし世帯」も10.7%から 22.5%に倍増し、すでに高齢者の過半数が、子や
その家族と同居していない[内閣府 2009]。また、「親と未婚子の世帯」が
らし世帯」も10.7%から 22.5%に倍増し、すでに高齢者の過半数が、子や
その家族と同居していない[内閣府 2009]。また、「親と未婚子の世帯」が
増え、成人子の未婚化によって家族周期以外の独居高齢者の大幅増が予測 されることを報告する。そして、この現状をふまえて家族関係を個対個の 関係としてとらえ、高齢者を行為主体として高齢者と家族の相互作用に よって再構築される「家庭」研究を提唱する。本稿では、これを参考に、村 に残る親と村外に居住する子供たちの相互ネットワークについて考える。
二、珠山村の歴史と家族の変化
1.村の歴史
珠山村は、台湾の金門縣金城鎮に属する。周囲を鶏奄山や亀山に囲まれ た盆地に位置し、清末民国時代の僑郷期に建てられた閩南式家屋が大潭に 南面して並ぶ。1996年に国立公園の一部に指定され、閩南文化を残す村 として観光開発が進められている。
珠山村には、歴史的に3つの特徴がみられる
(3)。
第一は、薛氏が開いた単姓村であり、すでに 26代、650 年を経ているこ と。薛氏は、族譜によれば、祖先は宋代に河南から閩南に移動し、元末(1345 年)に戦乱を逃れて金門の石井坑に渡った。第三代の時に、風水に優れた 珠山(亀山兜)に移って定住した[ 翠玉2008:90~91]。現在も、毎年、大 宗祠で祖先祭祀(冬至會)を行い、清明節には、第一、二代が葬られた石 井戸坑の墓前で一族による祖先祭祀行う。また4 月には、大道公宮で保生 大帝を祭り、金門縣内の20 数か所の大帝廟も参列する。
第二は、18~20 世紀半ばにかけて多くの男性が南洋に出稼ぎに行った僑 郷であったこと。水田の少ない珠山では、かつて男性は結婚して子供をつ くると、フィリピンなど東南アジアに出稼ぎにでた。そこには、同様に出 稼ぎに行った親類たちがいた。最盛期の20 世紀初頭には、出稼ぎ先から 送られてきた僑匯によって珠山小学校が創立され(1917)、月刊誌『顕影』
(1928.9)が創刊されて、故郷への献金が呼びかけられた。また、閩南式 家屋(最古は大宗祠1768 年)が次々に建てられ、洋楼(1928年)も出現 した。浅岡らの2017年の家屋調査によれば
(4)、現存する 82 棟の閩南式建造
(3) 川島[2011]、謝[2008]および現地での聞き取りによる。
(4) 2017年12月28〜30日、金門縣金門鎮珠山村において愛知大学現代中国学部松岡正子ゼミ
物の屋根は、馬背金型が46 棟、燕尾型22 棟、馬背火型10 棟、その他である。
このうち燕尾型は、宗祠や役人のみに許されるもので、商業で成功した村 人が「買官」によって役人の地位を手に入れたものという。また馬背金型 は財運を願うもので、商いを生業として村が豊かになっていったことがう かがわれる。なお、これらの建物は国共内戦中の砲撃によって一部が破壊 されたものの、多くがそのまま残った。
しかし、中国本土との内戦や1970 〜 80年代の台湾の経済成長にともなっ て村を出る者が増え、空き家が目立つようになった。また、1995年に村 が「金門国家公園」の一部に指定されて新築や改修が閩南様式のみに制限 されたために、旧来の景観が保持される一方で、帰村しようとする者にとっ ては大きな障害となった。県政府は、優れた風水と閩南式建造物の景観に よる観光開発を進めようとして、所有者不明の旧屋をまず国有財産とし、
民宿への転用を認めた。旧屋の30 年間の貸借権とその経営権は公開入札 によって決められた。その結果、14 戸の民宿のうち13 戸が外部者による 経営となった。外部経営者は村内に居住することはなく、村人を雇って運 営している。新しい飲食店や商店もできなかった。観光開発による直接的 な利益は、村民にはほとんど還元されていない。
しかし、金門縣全体を対象とした観光開発によって、景観の修復や道路 の整備が進み、金門島はリゾート地としてうまれかわった。珠山村をとり まく道路網も整備され、県城までは車で20 分弱となった。しかし一度外 にでて新たな家族をつくった村民にとって、帰村して村で生活することは 容易ではない。親が住む閩南式の旧屋は、現存の平屋のままでは複数家族 の同居には不便であり、国立公園内の建築制限によって改築も容易ではな いからである。
第三は、1937 年から 1992年まで軍事態勢下にあったこと。1937~45 年は 日本軍に占領され、1949~92 年は国軍 10 万人が金門に駐留して、珠山村に も兵隊がとどまり、中華人民共和国に対する軍事最前線基地となったこと である。聞き取りによれば、島民は、初め、国軍の駐留をあまり歓迎して いなかった。村内に駐留した国軍兵士は「阿兵哥」とよばれたが、母親た ちは娘が兵隊と結婚することを好まず、従来の婚約等の儀式を省略して急
3年生12名が金門大学学生の協力を得て民俗調査を行った。
いで他村に嫁がせた。また、度々砲撃をうけたため、一家をあげて本島に 移住する者も現われた。男たちは徴兵され、女性たちも軍事訓練を受け た
(5)。戒厳令の解除は、台湾本島では 1986 年であったが、金門島では6 年 後の1992年であった。
2.人口動態と家族形態の変化
薛HN(男性 66歳)によれば、20 世紀以降、珠山村では4 回の大きな人 口移動があった。一回目は、清末民国期で、男性たちの南洋への出稼ぎが 最も盛んに行われた。若者は結婚して子供をつくると、親類を頼って南洋 に行き、仕送りした。しかし帰国する者は半分にも満たなかったともいわ れ、嫁いできた嫁は、夫に代わって農業生産に従事し、家内で祖先を祀り、
家事をしながら子供を育て、夫の両親に仕え、介護を担った。村に残され た家族は、多くが母と一人の子供、両親とその親という三あるいは四世代 同居である。二回目は 1945年の日中戦争終了後で、日本軍が敗戦で撤退 して国民党の支配が始まると、徴兵を逃れて南洋に渡る男性たちが現れた。
三回目は 1949年の国共内戦開始後である。金門島は、厦門まで 20 数キ ロに位置しながらも台湾に属したため、両岸対立の最前線基地となった。
度々の砲撃によって珠山でも家屋の一部が破壊され、危険を逃れて、家族 単位で本島の台北などに移住する人々がでた。四回目は1970 〜 80年代で、
台湾では経済成長がすすみ、労働力の需要をうけて農村から都市への人口 移動が顕著になった。珠山においても、若者の多くが高校や大学等への進 学や就職のために本島へ出ていき、都市で定住した。
以上、第1、2回目は、ともに帰村を前提とした男性が一時的に不在と なる状態で、父系の直系家族という家族形態に変化はなく、第3回目も家 族単位の移出で家族数が減少しただけである。しかし第 4目回は、移出し た若者は都市で高等教育を受け、働いて定住して帰村しなかったために、
母村には親世代、あるいはそれに祖父母世代を加えた高齢夫婦世帯、片親 のみ世帯、老老介護世帯が主となった。
なお、どの移動においても、多くが戸籍を珠山に残したまま移出したた
(5) 軍事訓練については、珠山における女性に対する訓練は松岡[2019:79-85]、金門島全体に
ついては江・マイケル[2011:88-128]詳しい。
め、戸籍人口は多いが常住人口はかなり少ないという現象がうまれた。
2017年の場合、戸籍人口は約 420人であるが、常住人口は 132 人で、うち
確実に村外に居住する10 人(男性8、女性 2)がいるので、実際の常住人
口は 122人(36 戸)である。男女比は 62:62 とほぼ均等で、平均家族数
は3.4 人である。常住人口は1996 年に 156人であったのが、2017 年は 132 人に減り、20 年間で24 人、年間では1.2 人ずつ減少している。これは、新 たな誕生がほとんどなく、死亡のみによって人口減少がすすんでいること を示している。
また、2017 年の常住者の年齢別分布をみると、10歳以下 3 人、11~20 歳 13 人、21~30 歳 6 人、31~40 歳 8 人、41~50 歳 15 人、51~60 歳 15 人、61 〜 70 歳 7 人、71~80 歳 11 人、81~90 歳 8 人、91 〜 100歳 1 人で、年齢不明 48 人に達する。年齢不明 48とは、村内には住んでいないが、住民が家族と 意識する者たちが含まれていると考えられる。親世代は、別居している子 供たちの家族も自分の家族として数えることが少なくない。だとすれば、
2017年の実際の常住人口は年齢の明らかな 84人程度であり、その場合、
20歳以下は 16人で 16.7%、21から 60歳の労働人口は 44 人で52.1%、61 歳 以上は 27人で 32.2%を占める。
さらに、これらを親、子供、孫世代別でみると、戸主世代を 41~60 歳と
すれば 30人、その親世代を 61歳以上として 27人、子供世代は 40歳以下で
27人である。『薛氏宗親會 106年度實録』(2017)によれば、宗親會には役
員として18 人が記され、大道宮會には宗親會委員以外の男性委員が 12 人 登録されている。なお、高齢女性の一人暮らしの場合は、村外に居住する 息子の名前が戸主として登録されている。村内居住のほとんどの男性が、
宗親會或いは大道宮會の委員を務めている。
筆者は、 2017, 18年に薛氏宗親會の薛 DY董事長の紹介で、男性 6名(80 代1、70 代 2、60 代 1、59 歳1、40 台1)と女性4名(80 代 2、70 代 1、
60代 1)にインタビューを行うことができた。彼らの家族構成は次のよう
である。
[事例1] 薛永 H(男性、83 歳1934 年生)。妻は亡くなり、独居。宗親會 監事。春節と中秋節に、台北に住む子供たちとその家族が訪ねてくる。
[事例2] 薛永 K(男性、74 歳1943 年生)。国軍が駐留していた時は「阿
兵哥」(国軍兵士)専門のタクシー運転手をした。子供は二男一女、
現在は妻と二人暮らしだが、長男一家と次男一家を家族として数えて おり、9人家族だという。長女(44歳)は結婚して金門県城で暮らし、
高校生と中学生の 2 人子供がいる。長男(42 歳)も結婚して県城にお り、子供は一人。次男(40歳)は台北の大学を卒業して台北で公務 員をしており、双子の子供がいる。
[事例3] 薛祖 Y(男性、74歳 1943年生)。金門県文化局に勤めていた。
かつては宗親會董事長等を務め、現在も珠山大道宮會委員。書道や絵 画、篆刻などが趣味で、村を代表する文化人。妻と三男二女。長男(50 歳)は台北で電力会社勤務。長女(48歳)は県文化局所属で図書館 勤務、県城で家庭をもつ。次男の薛徳 M(46 歳)は台北の電力会社 に勤めていたが、2007年に両親の面倒をみるために一家で帰村、両 親が住んでいた家屋を引き継ぎ、戸主となった。両親は旧珠山小学校 の小講堂を村から借りて次男夫婦とは別居しており、週 1 回一緒に食 事する。次女(43 歳)も結婚して県城でくらし、セブンイレブンの 店長。三男(41 歳)は金門縣酒造会社に勤務、県城で家庭をもつ。
[事例4] 薛徳 M(男性、46歳 1972 年生)、事例3の次男。台北で電力 会社に勤務し、そこで妻(45歳 1973年生)と知り合って結婚したが、
兄弟姉妹と話し合った結果、親の家を引き継いで面倒をみることにな り、現在は県城でセブンイレブンに勤務。親譲りのリーダーとしての 資質をもっていることはインタビューでもよく分かった。帰村後、宗 親會董事長に選ばれ、大道宮會やその他の村組織すべての幹部である。
妻と台北で大学に通う長女(19 歳)、県城の中学に通う二女(11 歳)
がいる。妻は専業主婦、夫に従って台北から珠山に一家で転居し、宗 親會などの会計を担当して夫を助けている。
[事例5] 薛海M(男性、66 歳1952 年生)、宗親會理事、珠山大道宮會候 補監事。妻と二人の息子。長男は台北にすみ、デザイナー。次男も台 北で銀行務め。妻と二人暮らし。一族は他村にいる。
[事例6] 薛永 T(男性、 59 歳1959年生)、宗親會理事、薛氏基金会董事、
珠山大道宮會委員。運輸業、金門酒造公司から酒粕を農家に運ぶ。妻
と一男一女。妻は金門縣農會に勤める公務員、長男は金門港務処勤務、
県城で家庭をもつ。長女はオーストラリア留学中。現在は妻とふたり 暮らし。2004年に、旧屋を閩南式と洋式を合体させた3 階建てに改築。
砲撃で建物が壊れやすくなっていたことと、政府が勧める閩南式では 現在の生活にあわないことから、政府の制限が緩んだ時に改築した。
以上、男性たちの事例によれば、子供たちは多くが家を出て県城か台北 で働いており、村に残る親世代は、4 例が高齢者夫婦世帯で、1 例が妻を 亡くした独居世帯である。
では、高齢女性はどのような状況なのだろうか。女性たちは、同性不婚 の原則に基づいて他村の異なる姓の出身である。
[事例7] 李JL(女性 87 歳1930 年生)、古寧頭村出身,国民小学校卒業。
夫は亡くなり、孫(長男の息子)と暮らす。三男四女。長女(66 歳)
は専科卒、県城で会計主任。次女(63歳)は県城で衛生庁課長、三 女(59 歳)は高卒、県城で会計士。四女は大卒、台北で教師、長男 は中卒、台北で働く、次男は県城で人事処専員、三男は専科卒。昼は 娘たちが交代で来て昼食をつくり、一緒に食べる。夕食は孫と食べる。
[事例8]翁LM(女性 82 歳1935 年生)、盤山村出身、国民小学校卒業。
夫は亡くなり、一人暮らし。四男三女。長男は台北工業高校卒、県城 の電機会社で働く。他の子供は台北にいる。
[事例9]翁YK(女性、 74 歳 1943年生)、夫は死亡、二男三女。長女(53 歳)は県城で理髪店を営む。長男(51 歳)は用務員、次男(49 歳)
は病院の調理師、次女(46 歳)、三女(44歳)。長女以外は未婚。現 在は未婚の子供たちとくらす。
[事例 10]許YX (女性、 62 歳 1956年生)、舅(94 歳 歩行が困難)と姑(91 歳 認知症)とは結婚当初から同居、現在は夫を含む 4人暮らし。本 人は数年前から清掃の仕事をしている、夫は商売。二男一女、全員が 台北の大学を卒業して金門にもどってきた。長男は役場、長女は腸詰 工場、次男は高粱酒工場で勤務。
家族形態は、事例 7が孫と祖母の隔世家族、事例 8は一人暮らし、事例
9は未婚の子供との核家族,事例 10 は舅姑と同居の老老介護である。事例
7,9,10 は家族介護であり、事例8 は一人暮らしである。
以上の 10 例から推測すれば、村内では、すでに高齢者夫婦だけ、ある
いは一人暮らしが主な家族形態となっている。村民が家族介護を原則とし、
最後まで村内で暮らすという親の希望をかなえることを当然としているこ とは明らかである。そこで事例3, 4、 8のように子供あるいは孫が帰村する、
ただし、帰村した子供一家は同居ではなく、それぞれ村内に別に世帯をも つ。従来の閩南式家屋では二世代同居は狭くて不便であり、改築も制限が あって難しいからだという。また、県城が車で半時間ほどの近距離にある ことから、県城に兄弟姉妹の誰かがいれば、近居介護が可能であるという、
家族介護を前提とした選択の一つでもある。子供のいる台北に親が移ると いう事例も少数あるが、親世代はそれをあまり望んでいないという。
三、家族介護をめぐる親世代と子世代の意識の変化
珠山村では、現在も家族介護が根強く維持されていることは、事例で見 たとおりである。しかし、介護される側の親世代と介護側の子世代、特に
「嫁」の意識は、かつてとはかなり変わってきている。以下では両者の意 識の変化とその背景について検討する。
1.自立志向の親世代
村には、一人暮らしや夫婦のみの高齢者が多い。彼ら自身は 80歳代ま では多くが健康で、自立した生活をおくることができる、できれば最後ま で、健康寿命を長くしたいと思っている。村人はみな一族で、友人なので 孤独感もあまりない。子世代は親世代では受けられなかった高等教育をう け、都市できちんとした仕事についている、帰村して同居できればいいが、
改築は難しい。県城まで戻っていれば頻繁にあえるし、台北にいても中秋 節や春節にはもどってくる、自分が行くこともある。高齢者たちは、子世 代と離れていても、特に息子一家との家族意識を強くもっている。
彼らの日常生活は、次のようである。男性高齢者は、毎日、大道宮廟に 集まって友人たちと一緒に過ごし、宗親會や大道宮會の監事や委員を務め、
伝統の祭祀では中心メンバーとして活動する。宗親會が主催する 12 月の 冬至會や4月の清明節での祖先祭祀、 4月の大道宮會での保生大帝の祭祀、
1月の祈願灯の交換などに、長老男性たちの知識や経験は必須である。彼
らは宗親會を中心とした活動を娯楽と精神的な支えとしている。
女性高齢者は、男性より長寿なため一人暮らしになりやすい。李JL(87 歳)は、6 時起床、神棚で祖先を祀る。7:30 朝食、お粥が多い。最近は シリアルを食べることもある。洗濯、書道をする。家庭菜園をする。昼は 県城に住む娘たちが交代で食材や日用品を持ってくるので、一緒に昼食を 作って食べる。編み物をする。昔から裁縫と編み物が得意で、若い頃は夫 にミシンを買ってもらい、人に頼まれて衣類を作って現金収入にもなった。
友達とおしゃべりをすることもある。発展協会が主催する学習会に参加す ることもある。夕方、夏は運動をする。7 時頃夕食を作って孫と食べる。
テレビを見る。23:00 就寝。神棚の祖先を祀ることは嫁の仕事だったの で今も続けており、大道宮廟にも毎日参拝する。かつての「三従」生活(夫、
舅姑、息子に従う)からみれば、心身ともに楽になった。一人暮らしになっ て初めて自分自身のために時間を使うようになった、という。
村の高齢者は、村で今までとおり暮らし続けることを望んでおり、子世 代もそれを助けている。珠山型の高齢者自立生活様式である。この背景に は、次のような条件が考えられる。
第一に、高齢者自身と家族の双方に、故郷の家で死を迎えて「善終」を 全うするという伝統的な気持ちが強くあること。インタビューした高齢者 はみな、これからも村にいることを望んでいた。鍾宜錚[2019]
(6)は「善終」
について次のように説明する。台湾では、善終を、「天寿を全うして安ら かに逝く」ことと「亡くなった家族に対する哀悼の意を表し、葬送儀礼を 善く行う」こととする。前者は死者本人にとって、病気や老衰といった自 然の摂理で亡くなる死を善しとすることであり、後者は遺族にとって死者 をいかに扱うかということである。また、死ぬ場所を重視し(「落葉帰根」
「寿終正寝」)、「故郷」や「家」のような、その個人と密接な関係性の強い 場所で死を迎えることが大事であると理解しているとする[鐘 2019:59- 60]。
第二に、安全で、住み慣れた昔のままの故郷珠山村があること。珠山は 国家公園法によって民国以来の閩南様式建造物が並ぶ景観が整備されて残
(6) 鍾によれば、台湾における終末期医療に関する「安寧緩和医療法」(2000)に続く「患者
自主権利法」(2016)の成立については、その背景に「善終」の概念の変遷があるとする[鍾 2019:58-68]。
されており、無秩序な近代化や観光開発はなされていない。また、景観を 保つための清掃美化活動も、従来から宗族組織を中心に行われており、現 在もそのまま継続されている。
第三に、珠山は薛氏宗族の村で、高齢者には宗族意識が強く維持されて おり、いわゆる地域基盤がしっかりしている、そのため宗親會を中心とし た精神的な地域ケアが可能であること。また、日常的な信仰の対象である 大道宮會は、実質的には宗親會メンバーが運営しているが、廟會には村外 に住む珠山出身者や県内の保生大帝信仰者も多く参加し、村への求心力と なっている。
第四に、高齢者は、基本的に経済的自立が可能であること。65歳以上 になると毎月平均3千元の年金があり、貯金や子供達の仕送り、頂きもの で暮らしていけるという。例えば食費は月に平均5 千 ~1 万元かかるが、本 来農民なので野菜を自家栽培しており、米や麺を購入すれば十分だという。
以上によれば、珠山の高齢者が自立するには、本人の健康や経済条件以外 に、故郷のもつ地域力、珠山の場合は宗親會や大道宮會等の力が大きな鍵 であることがわかる。
2.「嫁」からみた家族介護
介護側の実態は、一般に、息子が経済面を負担し、嫁である息子の妻が 実際の介護労働を担う。80歳代の女性によれば、珠山村では僑郷時代の 嫁の役割は極めて過酷であったという。夫が南洋に出稼ぎに出た後、留守 家族は舅姑と嫁、子供で構成されたため、嫁は家事や育児だけではなく、
生産労働と現金収入を得るための労働の中心的働き手であり、さらに舅姑 に仕え、介護することは当然の務めであった。当時の若い男性にとっても、
結婚は跡継ぎを残し、父母を介護する女性を家に迎えることであった。
しかし 1970,80 年代以降、村の実質的な家族形態は大きく変わった。
進学や就職で青壮年が都市部に移って村に戻らないことが一般的となり、
息子一家と親の同居は激減し、村には親世代以上が残され、高齢者夫婦の みの二人世帯、あるいは高齢者のみの一人暮らしが増加した。息子の嫁は、
多くが都市で核家族を構成してくらし、村での舅姑と同居することはなく
なり、その役割は変化した。
次の80 歳代、70 歳代、60 歳代の女性は、2016 年 11 月と 2017 年 12月の インタビュー時に、自分たちの家族介護経験をつぎのように語った。
李JL(87 歳1930 年生)は、兄弟姉妹はなく、7歳の時に父が出稼ぎ先 のフィリピンで殺されたため、母が農業をし、自分も手助けをしながら小 学校を卒業した。村に国軍が来ることになったので、母は急いで結婚相手 をみつけ、婚約などの過程も簡単にすませて 18歳で結婚した。当時の嫁 の条件は健康で働き者、夫の親によく仕えて従順であることであり、教師 であった夫からは、姑とは争わず、実の母と思って仕えるようにといわれ た。家計は姑が管理したので夫の収入もみな姑に渡し、家事も姑に学んだ。
当時の主な収入は野菜と高粱を栽培して兵士や高粱酒工場に売って得、主 な支出は教育費、祖先祭祀用の経費、冠婚葬祭時の交際費であった。家計 の管理は姑が老いてから引きつぎ、姑の介護は 1970年代に亡くなるまで 続けた。いろいろなことがあったが、夫の死後も健康に暮らしている。長 男の嫁とはあわなかったので、現在は長男の息子である孫と同居しており、
県城に住む娘たちが毎日昼食の材料をもって様子を見に来てくれ、昼食を 一緒にとる。夕食は孫ととる。
翁LM(82歳 1935年生)は、盤山村出身、国民小学校卒、夫は教師、夫 の収入だけでは生活できなかったので、高粱を栽培して酒工場に売り、現 金収入を得、米と交換した。店を開いて野菜や肉を売り、1992 年に夫が 亡くなるまで続けた。17 歳(1952)で嫁いだ時に姑(当時 58歳)と 2 人 の祖母(80、85歳)がいて、最初から同居だった。結婚して2日目の朝 から、祖母と姑の三人それぞれに洗顔用の湯とお茶を用意して部屋の入口 に立ち、起きてくるのを待った。3 人が亡くなるまで仕え、介護をしたが、
とても辛かった。四男三女。現在は一人暮らし。野菜は自分の畑でつくり、
週の初めに皆と一緒に街へ買い物に行く。
許YX(62歳 1956生)は、後湖村出身、小学校中退、父は漁師で7人兄
弟の長女だったため結婚が遅れ、27 歳(1989年)で結婚。舅姑(94 歳と
91歳)と結婚以来ずっと同居している。両親とも歩行が困難で、姑は認
知症もあり、介護はたいへんである。夫は台湾で働いているが、3 人の子
供はみな台湾の大学を卒業後に金門に帰ってきた。長男は役場、長女は香
腸工場、次男は高粱酒工場で働く。
黄XY(45歳 1973年生)は、高校卒業後、台北の電機メーカーで働いて いた時に夫と知り合って結婚。2007 年に親の面倒をみるために夫の故郷 である珠村に一家で移住、舅たちがいた家屋に住み、舅姑は旧小学校の小 講堂を村から借りて住んでいる。毎週1回、一緒に食事をする。
以上の 80歳代から 60歳代までの女性は、1940 年代から 80年代までに島
内の他村から嫁いできた。結婚は、同時に、舅姑との同居と将来の介護を 意味していた。老親の介護は息子の嫁が行うべき当然のこと考えられてい たからである。しかし 1990年代以降の結婚は、1970年代以降に都市部へ 移動した若者たちが、都市で就職して出会い、結婚した2人の生活であった。
農村出身の黄XY も、 1990年代に事例4の薛 DM と台北で出会って結婚し、
舅姑の将来の介護のために県城に転職した夫に従って珠山村に戻ったが、
舅姑とは同居していない。両親は、息子に旧屋を譲って別居した。両親は 当分自立した生活ができると考えており、息子は近居から始めて、将来の 家族介護に備えている。
黄XY の毎日は、従来の嫁とは全く異なる。6 : 30に起床して朝食を作っ て洗濯、子供を起こして、村内には小学校がないため、7:30 に県城の小 学校まで車で送る。11:00 までに家事全般を済ませ、家庭菜園をする。
12:00 に昼食(麺)をすませ、村内の女性たちとお茶をしてすごす。17:
00過ぎに子供を迎えにいく。夕食は夫が仕事帰りに買ってきた魚や肉を 調理して作り、一家で食べる。9 時頃就寝。これは、子供をもつ都市の専 業主婦とほぼ同じである。
珠山では、親が老いたら兄弟の誰かが同居するという父系の家族介護が 原則であり、現在もその考え方は根強い。許YX のように、90歳を超えて 要介護となった高齢者に対しては、息子夫婦が同居して老老介護を行う。
まだ健康な 80代に対しても、李 JL のように、息子の誰かあるいはその孫
息子が同居する。同居ができない場合は、子供の誰かが車で 30分ほどの
県城に住んで日常的に通うという近居介護を行う。近居介護も不孝ではな
いという認識である。しかし、実際の日常的なケアは誰が担うかという点
では、近年、大きく変化している。従来は「嫁」が同居して担ってきた日
常的ケアを、近居型になった場合は、事例7 のように、實の娘が主に担う
傾向が明らかである。娘たちは食材や日用品をもってくるので、日常的な
経済支援も行っている。
四、地域ケアと宋親會・大道宮會・発展協会
松岡 [2019:76-79] によれば、珠山村落には主な住民組織が3つある。
①金門縣薛氏宗親會(以下、宗親會)およびその基金會、②金門縣金城鎮 大道宮管理委員会(以下、大道宮委員会)、③金門縣金城鎮珠山社区発展 協会(以下、発展協会)である。このうち①は宗族組織、②は廟會活動、
③は主に村内の文化活動を行う公的機関であるが、幹部はみな宗親會のほ ぼ同じメンバーが兼任しており、実質的には薛DM 董事長が中心となって
活動する [表1]。なお、①②が男性構成員のみであるのに対して、③には
多くの女性や村外居住者も参加している。村民間に宗族意識に基づく強い 連帯感があることは、諸活動を行う場合の大きな強みとなっている。
[ 表1] 珠山村落の主要な組織
宗親會 基金會 発展協会 大道宮管理委員会
任
期 3年 3年 3年 4年
成 員
薛徳民(理事長)
薛金満・薛永妥 薛明遠・薛承煒 薛承時・薛明盛 薛祖明・薛承敏 薛永僑・薛留芳 薛海南・薛芳萬 薛永喜・薛徳成
(以上理事)
薛永順(常務理事)
薛承助(顧問)
薛徳民(董事長)
薛承琛・薛承敏 薛永妥・薛祖明 薛承煒・薛金萬
(以上董事)
薛永順(監察人)
薛祖耀(理事長)
薛明遠・薛少騰 薛俊毅・薛永為 陳書毅・薛国鋒
(以上理事)
薛金萬(常務監事)
薛永妥・薛明盛(監事)
薛承煒(主任委員)
薛永妥(副主委)
薛明遠・薛祖凡 薛国锋・張永為 薛俊毅・薛徳民 薛金萬・薛少騰 薛自新・薛祖耀
(以上委員)
林芳旋(監事主席)
蘇永喜・蘇祖森 (監事)
会 務
薛少騰(総幹事)
黄恵玲(会計)
劉永書(出納)
薛明遠(総務)
薛少騰(総幹事)
薛徳強(幹事)
薛永妥(会計)
黄恵玲(出納)
薛明遠(総務)
薛徳民(総幹事)
劉永書(出納)
黄恵玲(出納)
薛徳民(総幹事)
薛承煒(総務)
劉永書(会計)
黄恵玲(出納)
出所:薛徳民ら編輯『薛氏宗親會106年度實録』(2017年 2頁)より筆者作成。
このうち①は薛氏の戸主を成員とし、活動内容は、12月冬至會と 4 月清 明節での祖先祭祀、族譜編纂である。家族が結婚や成人、戸主の継承を行っ た時には、冬至會で必ず報告して献金し(結婚は4500元、成人は 1000元)、
成員の承認を受けなければならない。2017 年には、台湾本島や中国大陸 の「中華薛氏」代表団(山西、厦門、内蒙古、広西、江蘇等)が珠山を来 訪し、薛氏ネットワークの交流も盛んである。近年は、村外居住者の清明 節参加が減り財源不足であるが、宗族意識なお村民間の強い紐帯である。
②の廟會は、年々盛行している。村の内外に居住する地元民だけではな く、保生大帝信仰の金門県内や大陸からも信徒が集まり、献金収入は宗親 會や発展協会の予算の7倍余に達する。農暦 3月 15日の保生大帝生誕日は 数千人規模の廟會であり、2017年 11 月 2 日には「世界保生大帝廟宇聯合 總會籌備參香」が行われた。管理委員会は毎月1、15日に三牲や酒を奉納 する。村人は毎日拝みにいき、男性高齢者はここが日々の集会場である。
③の社区発展協會は、廟會以外の日常的な催事や近年、政府が力を入れ 始めた高齢者に対する地域ケアを行う。発展協會は、活動拠点を珠山社区 活動中心とし、財政基盤は県政府の補助や珠山村の民宿からの献金による。
運営は、理事長がもと宗親會董事長で、県文化局に勤めていた薛ZY(74 歳)
で、会務は次男で宗親會董事長の薛DM らがあたる。活動内容は大きく A,B の二タイプに分けられる。A 型は、歳時や娯楽、環境改善、他団体との交 流などの村民全体を対象とした文化活動で、B 型は、高齢者ケアを目的と したデイサービスの設置と高齢者学習活動である。楽齢学習活動
(7)には、
YMC(金門縣基督教女青年會)の協力を得た「珠山社区活動中心課程」
と金城鎮楽齢学習中心主催の「楽齢学習保命防跌及馬賽磚杯墊 DIY」があ る。なおデイケア施設設置の目的は、単に高齢者のためだけではなく、帰 郷を希望する若者のために雇用機会を増やすことにあるとする。
『薛氏宗親會106 年度実録』によれば 2016末 ~17 年の主な活動は、次の ようである。
A 型には、歳時、娯楽、衛生、地域ケア、交流(社会貢献)がある。具
(7) 台湾における高齢者教育は「高齢者教育実施計画」(1989)、「高齢者教育政策白書」(2006)、
「老人福利的修法」(2007)がだされ、2008年から楽齢学習中心が小学校や図書館、民間組織 に設置されるようになった[新保2015:8-10]。
体的には、①歳時:聖誕節舞會(2016 年 12月 25 日)、元宵節の乞亀・湯 圓作り(2 月7-9 日、伝統菓子を女性高齢者が指導して作り、大道宮廟に 供えて共食)、東宮拝埔(9 月18 日)、②娯楽:金瑞龍号初航海厦門一日ツ アー(10 月 1 日)、「土豆音楽祭」(10 月 7-10 日、「金門自造、聚落復興」
をスローガンとして故郷に戻った「金門青年団隊」が中心となって外部音 楽家を招き、地元民は出店)、重陽節泰山詣出(10 月 29日)、③衛生:村 内大掃除(5 月 27日)、④交流:金門大学都景系学生訪問(4 月30 日)、金 沙国小児童訪問(5 月2 日)である。
Bの高齢者型には、まず学習活動として、珠山社区活動中心課程の「手 繪紅包袋及手工饅頭」(2016年 12 月24 日)、「併布」(3 月 24日)、「客家文 化教学」(5月 27 日)、「纏饒胸花」(6月 24 日)、「手工耳環」(7月 8 日)が あり、金城鎮楽齢学習中心主催の「楽齢学習保命防跌及馬賽磚杯墊DIY」
がある。内容が女性向きで趣味や手芸等が多いのは、参加者の多くが高齢 女性であることによる。また、対象は健康な高齢者であり、いわゆる要介 助や要介護の高齢者者を対象としたものではない。
地域ケアに関するものは、屏東・台東の楽齢拠点訪問(10 月 1日)、「長 照拠点」設計検討会(11 月4 日、活動センター2階に設置予定のデイケア 施設について)、太陽光発電式街燈のケアセンター駐車場への設置などが 行われたが、地域ケアはまだ設計の段階である。確かに、村ではこれは喫 緊の問題ではない。要介護者とみられるのは 90歳以上の1名のみで、自 宅で嫁の介護をうけており、90 歳未満の高齢者はなお自活可能であるう えに、家族がすでに帰村あるいは孫との同居などの手段を講じている。た だし長寿化による要介護者予備軍の増加は、本村でも地域ケアの進展が急 がれなければならないことを示唆している。
地域ケア普及の遅れは、政府による政策に原因があることはすでに指摘 されている。荘秀美ら [2018]によれば、台湾では、地域密着型福祉が 1990 年代初期から導入され、 2016年 5月の政権交代で「長期介護十か年計画 2.0」
の施工が宣言され、 「ABC 計画」で「地域包括ケア」の方向が明示された。
ABC とは、地域ケアのレベルを 3段階にわけたもので、A は地域包括型で
郷鎮市単位ごとに1 か所、B は複合型で中学校通学区域ごとに 1か所、C
は地元街角型で3つの村里区域ごとに1か所設置する。珠山村の場合はCで、
初級介護予防サービスと介護サービス(短時間或いは短期宿泊サービスや 食事サービス等)を提供するとある。しかし、この ABC 計画は目標、対象、
範囲が不明であり、推進方法の混乱、財源、人力などの環境条件の不備、
政府や民間団体の位置づけ、相互関係の不明など様々な問題が指摘されて おり、短期的には、その実現の可能性は厳しいとされる[荘ら 2018:61 −
69]。日本における地域包括ケアシステム
(8)が、少子高齢化の深刻な地方
において、高齢者を地域づくりの担い手と位置づけて地域の再生や地域づ くりが進められている状況とは異なっている。
おわりに
珠山では、子世代の青壮年の多くが都市部に居住しているため、実質的 には、高齢者の一人暮らしや夫婦のみの世帯が少なくない。本稿では、村 に残る高齢の親世代と都市で働く子世代との間にどのようなネットワーク が紡がれているのか、親世代はどのような生き方を望んでいるのか、子世 代は親世代の介護のためにどのような選択をするのか、宗親會と大道宮會 を中心とした地域社会は、超高齢社会の珠山においてどのような機能を果 たしているのか、親世代と子世代、地域社会の関係について、以下の点を 明らかにした。
第一に、親世代と子世代は強い家族意識によって結ばれ、いつかは息子 或いはその息子である孫が同居して世話をするという意識が強い。また、
両者とも親が故郷で最後を迎える「善終」を希望している。第二に、珠山 の高齢者は、三世代同居を理想とするものの、実際は難しいことを理解し ており、むしろ、村で自立的な生活を続けることを望んでいる。自立とは、
健康面、日常生活面、経済面、精神面におけるそれである。このうち男性 高齢者の場合は、宗親會と大道宮廟の運営の主体者であることが精神的な 自立の支えになっている。第三に、女性高齢者の場合、一人暮らしは伝統 的な「三従」(夫、舅姑、子)からの解放であり、自立を意味する。彼女
(8) 地域の実情に応じて、高齢者が、可能な限り、住み慣れた地域でその有する能力に応じて
自立した日常生活を営むことができるよう、医療、介護、介護予防、住まいおよび自立した 日常生活の支援が包括的に確保される体制をいう[二瓶・増子2017:169]。
たちは 1950年代前期までに生まれ、故郷を離れて珠山に嫁ぎ、珠山を「善 終」の故郷とする。結婚は舅姑と同居して介護の役目を担うことであり、
僑郷時代は子育てをしながら「寡婦的状態」で生きた。家事や子育てだけ ではなく、一人の労働者として生産活動の中心であり、現金収入をもたら す者で、家族の実質的な中心でもあった。彼女たちは、もともと自立的に ならざるをえない境遇にあり、一人暮らしになって変わるのは、はじめて、
家族のためではなく自分のために生きることであった。環境的には孤独で はない。村には自由に往来のできる昔からの知り合いがいて、発展協会主 催の学習会にもよく参加している。
第四に、親の面倒をみるのは息子であるという考え方は根強いが、近年 の息子は、親世代との同居ではなく、近居型の介護を選択している。帰村 した場合は、旧屋の構造が三世代同居に適さないという理由で、親と息子 は村内の近い距離で別居する。意識の上では、車で半時間以内にある県城 も近居の範囲内であり、子世代にとっても周囲にとっても近居は「不孝」
ではない。実際に親の日常的な生活を支えるのは息子の「嫁」であるが、
近年の「嫁」にとって、結婚は必ずしも舅姑との同居を意味しない。近居 は、嫁姑関係の安定のためにも賢明な方法である。第五に、嫁いだ娘が、
実家の親の介護に積極的に関わっている。親に対する日常的な手助けは、
嫁よりも實の娘になっている。これは、親世代と子世代の関係が、親と息 子、嫁、娘という個人対個人の関係になっていることを示すものであろう。
第五に、政府主導の地域ケアは、発展協会を拠点としてようやく始まっ たばかりであるが、珠山の発展協会は、宗親會と大道宮管理委員会とほぼ 同じメンバーによって構成されており、実質的には強い地域基盤に支えら れた運営が期待される。将来、要介護者の増加が家族介護の限界を超える ことが予測されるため、発展協会が予定するデイケア施設や食事サービス などの介護の社会化は早急に取り組むべき課題である。またこれは、高齢 者への援助だけではなく、帰村を望む青年に仕事の機会を提供するものと されている。これは、景観の維持を第一とする本村においても可能な「高 齢者支援の産業化」の方向であり、人口の減少が続く本村にとって新たな 可能性を示すものではないだろうか。
以上のように、従来の家族介護は、三世代同居を前提とした、親と息子
という、財産分与を含む父系の「家」の継続に関わる問題であった。しか し、近年は、息子世代の同居が難しくなり、親世代の独居あるいは高齢者 夫婦のみという世帯が増えている。その結果、近居介護が増えており、介 護については親と息子に加えて、 「嫁」のかわりに娘が実質的な世話を行い、
大きな役割を果たすようになっている。このような子世代それぞれの個人 と親との間に紡がれた介護関係の空間的な広がりは、「家」の継承に付随 する扶養責任の分担を意味しており、それはやがて明確に財産分与にも反 映されていくものと思われる。
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摘要
金门珠山村是薛氏一族的单姓村,距今已有近650年的历史,现在也持有强 烈的宗族连带感并传承着闽南文化。1980年代以来,由于子世代的青壮年多数不 得不离家移居外地城市就学就业,家中只剩下高龄独居老人和夫妻两口。本稿通 过分析守在村里的高龄亲世代与生活工作在都市的子世代的关系与选择,并考察 宗亲会和大道宫会为中心的地域社会的机能,明确出以下几项珠山高龄社会的特 征。
第一,亲世代和子世代仍有着强烈的家族传统观念,其儿子或儿孙还是持有
与老人一起居住并赡养老人的意识。另外两代人都希望老人能在自己的故乡“善 终”。第二,珠山的高龄老人对理想的三世同堂很难实现的此现实也能理解。倒 不如说渴望在村中维持着自立的生活,就是指在健康方面,日常生活和经济上及 精神方面的生活方式。在这样的自立生活中男性高龄者积极参与宗亲会和大道宫 庙会的活动做为 其精神支柱。对独居的女性老人来说自立是从传动的“三从”(未 嫁从父,出嫁从父,夫死从子)中得以解放。对她们来说婚姻就是与婆公同居并 有赡养责任。与此同时她们还要承担做家务带孩子,成为劳动力赚钱等各种的责 任。这样的生活也是从前的一种自立。但现在她们的独居生活方式是他们第一次 拥有自己的时间,可以独自一人的享受。第三,近些年的儿女不选择与父母同居,而是就近居住以便照顾老人。即使
回到村里也不同居,在比较近的地方居住。开车半个小时以内的县城也被认为可 选为能赡养老人居住的范围。并且近年的媳妇未必都与婆公一起居住,选择近邻 的地方居住才是比较聪明的选择。第四,出嫁的女儿也积极参与自己父母的赡养。在日常生活上帮忙,比起儿
媳妇女儿会承担的多像一些。这样的关系与其说是亲世代和子世代的关系,不如 说是父母和儿女,媳妇,之间的个人关系的维持。第五,政府主导的地域性护理服务。以发展协会为起逐渐开始运作。珠山的
发展协会的成员主要来自于宗亲会和大道宫管理委员会,所以有很强的地域基盘,运营上得以较高的期待。将来预测需要介护帮助服务的人会超出其能承担的极限,
对发展协会来说日常护理中心和提供饮食服务的完善建设是当下急剧的课题。另 外不光是单一性的援助服务,对有望回村的年轻人提供就业机会也很重要。这样 的“高龄者支援产业”的形成,对人口减少的本村来说是一项新的发展方向。