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外国貿易の必然性と作用に関する諸問題

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(1)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題

その他のタイトル On the Necessity and Effect of Foreign Trade

著者 吉信 粛

雑誌名 關西大學商學論集

巻 19

号 3‑4

ページ 580‑610

発行年 1974‑10‑25

URL http://hdl.handle.net/10112/00021137

(2)

3 5 4  ( 5 8 0 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題

吉 信 粛

外国易の必然性にかんする研究およびそれをめぐる論争は,すでにわが国 においては,四半世紀にわたる歴史をもっている。レーニンの名にかたく結 びついたこの問題は,国際価値論と並んで,マルクス経済学における外国貿 易論の二大潮流の一つとして,多くの研究者によって,あるいは日本資本主 義分析との関連において,あるいは純粋に理論的観点から,様々に取り上げ

(1) 

られてきた。私もすでに「レーニンと世界経済論」という論文において,そ の基本的な考え方を示したことがある。ここでは,過去の論争を意識しつ っ,その際展開された論点をいっそう発展させる目的で,議論を進めてみた い。もっとも,こうしたいわば基礎的問題にいつまでもふみとどまっている かぎりは,この分野における理論の発展はあまり期待できないのかもしれな

(2) 

いが,そこにはなお明らかにさるべき問題が残っているように思われるので ある。

(1) 

『経済」,

1 9 7 0

4

月号。

(2) 

木下悦二「国際価値論の若干の問題について」,小野一一郎・行沢健三・吉信 粛編『世界経済と帝国主義」,有斐閣,

1 9 7 3

年,所収,

1 3

頁参照。

(3)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 8 1 )   3 5 5  

資本主義における外国貿易の必然性という概念は,レーニンの『ロシアに おける資本主義の発展』の叙述を基礎としながら理解され,また解釈されて きた。しかし,このことは必ずしも外国貿易の必然性という概念の内容を十 分明瞭にするというところまで行きつくことなしに,むしろその概念自体を ぽやけさせ,不当に拡大してつかみどころのないものにしてしまう一傾向を 生みだした。こうしたことになったのは,レーニンの「必然性」の理論を正 しく科学的経済学の発展の歴史の中に位置づける努力をするというよりは,

むしろその流れから孤立化してしまったところから「必然性」を理解しよう としたことにあるのではないかと思われる。

そこでわれわれは,外国貿易の必然性という概念がすでに古典派とりわけ アダム・スミスに発祥するものであり,そしてかれの理論こそ,その後の論 争の発端をなすものであったということを示すことから始めよう。

アダム・スミスは次のように述べている。 「 あ ら ゆ る 国 の 経 済 政 策

( . p o l i t i c a l  o e c o n o m y )

の大目的はその国の富と力とを増進させることであ る。それゆえ,それは,国内商業よりも消費物の外国貿易を,そしてこれら の二者よりも仲継貿易を,けっして優先させるべきでもなければ,とくに奨 励すべきでもない。またそれは,消費物の外国貿易および仲継貿易という二 つの水路のいずれにも,その国の資本のうち,自然ひとりでにそこへ流入す るであろうより以上に大きな部分を,けっして強制的に流入させるべきでも なければ,流入するよう誘引すべきでもないのである。

しかしながら,これらのさまざまの貿易部門のおのおのは,もしそれが事 物の運行上,圧迫や暴力をなに一つ加えられることなく自然に導入されるの であれば,有利であるばかりではなくて,必然でもあり,また避けることも できない

( n e c e s s a r yand u n a v o i d a b l e )

ものなのである。

ある特定産業部門の生産物が,その国の需要が必要とする以上になるばあ

(4)

3 5 6  ( 5 8 2 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

いには,この剰余は悔外に送られ,国内で需要されるなにものかと交換され なければならない。」

(Wealthof N a t i o n s ,  Cannan e d . ,   V o l .  I ,   p p .   3 5 1 ‑

2. 大内兵衛•松川七郎訳『諸国民の富』,岩波文庫,

4 1 2 ‑ 3

頁,下線 は筆者による。)

アダム・スミスがここで,外国貿易の必然性について語っていることは,

明らかであろう。外国貿易または外国市場の必然性という表現は見いだせな いにしても,外国貿易が必要=必然的であり,不可避的であるということが まぎれもなく把握されている。われわれは,さしあたってここでは,この意 義についてはふれないで,次に進むことにしよう。

アダム・スミスがマニュファクチュア時代の経済学者であるとすれば,デ イヴィド・リカードウは,国内市場の形成の完了した機械制大工業時代の経 済学者である。かれは,アダム・スミスに論争をしかけて次のように述べて いる。

「上記の章句によって,人はこう思うようになるであろう,アダム・スミ スは,われわれが穀物,毛織物製品,および金物類の剰余を生産するという

(1) 

なんらかの必要に迫られていて,(

wewere under  some  n e c e s s i t y   o f )  

それらを生産する資本は他の方法では使用されえない,と結論した,しかし ながら,どんな方法で資本を使用するかは,つねに選択の問題

( am a t t e r   o f  c h o i c e )

なのである。」

(On t h e   P r i n c z " p l e s   o f ・   P o l z " t i c a l   Economy  and T a x a t i o n ,  S r a f f a  e d . ,  Works, V o l .  I ,   p .   2 9 1 .

堀経夫訳『経済学およ び課税の原理』,全集,第

1

巻,雄松堂書店,

3 3 6

頁,下線は筆者による。)

「しかしながら,アダム・スミスは,仲継貿易を選択のものとしてで整空 くて,必要のものとして

( a so n e ,  n o t  o f  c h o i c e ,  b u t  o f  n e c e s s i t y )

論じ ている。」

( I b i d . ,p .   2 9 4 .

同上書,

3 3 8

頁,下線は筆者による。)

(1) 

Jレクスは, リカードウのこの文章を引用している『胤余価値学説史』におい て,この箇所に「これぱ事実そうだ

( < l a si s t   i n   d e r  T a t  d e r  F a l l )

」と書き入 れている。

T h e o r i e n ,W e r k e ,   B a n d   2 6 ,   Z w e i t e r  T e i l ,   S .  5 0 0 ,

『剰剰余価値学 説史』全集,第

2 6

巻第

2

6 7 4 頁参照

c

(5)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 8 3 )   3 5 7  

アダム・スミスに対するデイヴィド・リカードウの論難は,必要=必然か 選択かという形で進められており, リカードウは後者の立場にたつものであ った。ここでは外国貿易の必然性が否定的な形で把握されているのである。

先にすすもう。リカードウを継承し,スミスに対するこの問題での評価を

「重商主義理論の復活せる遣物」として決定的なものにし後世に伝えた

J . s .  

ミルにおいては,次のようである。

「剰余生産物という言葉は,一国は,それが輸出するところの穀物あるい はラシャをかならず生産しなければならぬ,ある種の必然性をもっているこ

1 ; ̲   ( a   c o u n t r y  i s   u n d e r  some k i n d   o f   n e c e s s i t y   o f )

,そのためその国 が自身で消費しないところの部分は,他のどの国かで必要とされ消費され ることがないならば,何らの益もなく生産されたことになるか,あるいはも しもそれが生産されなかったとすれば,それに相当する資本部分は遊休資本 としてとどまり,その国の生産の規模は,それだけ縮小されることになるで あろうということ,を含んでいるように思われる。が,これらの想定は,ぃ ずれもまったくの誤りである。ある国がその国自身の欲求を越えて輸出用の 品物を生産するのは,何らその内在的必然性

( i n h e r e n t n e c e s s i t y )

による ものではなくて,自国のために他のもろもろのものをととのえる最も低廉な 方法として,そうするのである。」

(Pr

c i p l e s of P o l i t i c a l   E c o n o m y ,   Robson e d . ,   W o r k s ,   V o l . J I I ,   p .   5 9 2 .

末永茂喜訳『経済学原理』, 岩波文 庫,(三),

2 7 2

頁,下線は筆者による。)

J・S

・ミルは市場の拡大による生産行程の改善を外国貿易の間接的利益と して認めつつも,生産の拡大に伴う市場拡大の,したがってまた外国貿易の 必要性を,生産の拡大そのものの必然性を否定することによって,否定しよ うとしたのである。これは同時に,資本主義生産に内在する一般的過剰生産 の否定にもつながる問題であった。

外国貿易の必然性という概念は,古典派を批判し科学的経済学を打ちたて たカール・マルクスにおいて,数多くの機会に述ぺられている。ここでさし あたり,次の箇所を示しておけばたりるであろう。

(6)

3 5 8  ( 5 8 4 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

.... 

「リカードウは,首尾一貫して,生産の拡大と資本の増大に伴う市場拡大

の怪堅佳

( d i eN o t w e n d i g k e i t  e i n e r  E r w e i t e r u n g   d e s   M a r k t s )

を否定 している。一国内に存在しているすべての資本は,その国内においてまた有 利に充用されうるのである。それゆえ,彼は

A

.スミスに反対して,スミス が一方では荻ら(リカードウの)見解を提起しておきながら,他方ではスミ スのいつもの合理的な本能をもって,この見解と矛盾したことをも述べてい る,ということを論難しているのである。」

( T h e o r i e nu b e r  den Mehrwert̲ 

Werke, Band 2 6 ,   Z w e i t e r  T e i l ,   I n s t i t u t   f i i r   Marxismus‑Leninismus  beim ZK d e r  SED, S .   5 2 5 .

時永淑訳『剰余価値学説史』,全集,第

2 6

巻第

2

分冊,大月書店,

709

頁,下線は筆者による。)

「世界市場は,それ自身,この生産様式の基礎をなしている。他方,この 生産様式に内在するところの,絶えずより大きな規模で生産するという必然

( d i e d e r s e l b e n   immanente  N o t w e n d i g k e i t ,   a u f   s t e t s   g r o B r e r   S t u f e n l e i t e r  z u  p r o d u z i e r e n )

は , 世 界 市 場 の 不 断 の 拡 張 に 駆 り 立 て る のであり,したがってここでは,商業が産業を変革するのではなく,産業が 絶えず商業を変革するのである。」

(DasK a p i t a l ,  D r i t t e r  B a n d ,  Werke,  Band 2 5 ,   S .   3 4 5 ‑ 6 .

岡崎次郎訳『資本論』,全集,第

2 5

巻第

1

分冊,大月書

4 1 5

頁,下線は筆者による。)

マルクスがスミスの側にたって, リカードウそして

J・S

・ミルを批判して いることは,明らかであり,そこでは,外国貿易の,外国市場の,世界市場 の拡大の必然性が資本主義生産様式との関連で積極的に把握されている。マ ルクスは明らかに古典派の用語を念頭におきつつ,英語の

n e c e s s i t y

に相当 するドイツ語の

No t w e n d i g k e i t

という言葉を使っているのであり,この点

(2) 

は「恐慌の必然性

( D i eN  o t w e n d i g k e i t  d e r  K r i s e n )

」といったマルクス

(2) 

例えば,

F r e d   O e l B n e r ,   D i e   W i r t s c h a f t s k r i s e n ,   D i e t z   V e r ̲ l a g ,   B e r l i n  

1 9 5 3 ,   S.24

,または宇野弘蔵『恐慌論」,岩波書店,

1 9 5 3

1 6 6

頁を参照。

(7)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

(5) 

自身が使ったと思われない用語とは明確に異なるところである。

( 5 8 5 )   3 5 9  

レーニンが以上に示したような, リカードウや

J . s

・ミルのスミスに対す

(4) 

る論難を意識していたかどうかは必ずしも明らかでないが,レーニンがマル クスの到達していた結論を自己の出発点にしていたということは,いうまで もない。当然のことではあるが,それはリカードウやミルの論点を超克して いるとろにある。これについては,後にふれるであろう。レーニンがこの問 題にふれた初期のものとして,次の叙述を示しておこう。

「われわれはいまや,なぜ資本主義国にとって外国市場が必要なのか?と いう問題に近づいた。これは,けっして,一般に生産物が資本主義体制のな かでは実硯されないからではない。それは,ばかげたことである。外国市場 が 必 要 な の は , 資 本 主 義 生 産 に は , 共 同 体 , 世 襲 領 地 , 種 族 , 領 域 あ る い は国家の限界内にとどまっている,従来のすべての生産様式とは反対に,

. . . .  

無制限な拡大への志向が内在的なものであるからである。」(『経済的ロマン 主義の特徴づけによせて』,ソ同盟共産党中央委員会付属マルクス=エンゲル ス=レーニン研究所編,マルクス=レーニン主義研究所訳,レーニン全集,第

2

巻 大 月 書 店 ,

1 4 7

頁,下線は筆者による。)

資本主義における,あるいは資本主義にとっての外国貿易の必然性は,外

(3) 

「マルクス経済学レキシコンの栞」,

N o .7 ,   1 9 7 3

9

月,大月書店,

1 5

頁参照。

そこで,久留周鮫三教授は次のように述べている。「「レキシコン』で『恐慌の必 然性』という表頚をかかげなかったのは,ひとことで言えば,マルクス自身が

『恐慌の必然性』ということばをー~少なくともぽくの知るかぎりでは一ーどこ でも使っていないからです。」

(4) 

カール・カウッキーによって『剰余価値学説史』が始めて公刊されたのは,

1 9

0 5

年であった。したがって,レーニンが『ロシアにおける資本主義の発展』を書 いた1

8 9 9

年には,マルクスのこの問題にかんするリカードウ批判を見ることはで きなかった。しかしレーニンは『経済学的ロマン主義の特徴づけによせて」,

1 8 9 7

年公刊の中で,ジーペル『社会経済学的研究から見たデイヴィド・リカードウと カール・マルクス」,サンクト・ペテルプルグ,

1 8 8 5

年を引用しており, あるい はこの書から同様な問題を学んだのかもしれない。

(8)

3 6 0  ( 5 8 6 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

国貿易という前資本主義時代からの存在物が,資本主義生産のたんなる偶然 的,与件的併存としてではなく,いかにその内在的,本質的閲係としての存 在となっているかを明らかにするものであり,それこそまさに,以上に示し たいくつかの引用文の内容にかかわる問題である。それは,最初から歴史的 規定を含んだ問題として,また同時に複維な,次元の高い理論的問題として 提起されている。

J I I  

さて,われわれはやはり,レーニンの外国貿易の必然性にかんする第

1

題とよばれているもの,マルクスのいわゆる資本主義の前提としての外国貿 易から検討することにしよう。レーニンは次のように述べている。 本主義国にとっての外国市場の必要性は,けっして社会的生産物(および 特殊的には剰余価値)の実硯の法則によって規定されるのではなくて,

1

に,資本主義は商品流通が広範に発展して国家の境界外に出ていく結果は じめて現われる,ということによって規定される。だから,外国貿易のない 資本主義的国民を考えることはできないし,またそのような国民は存在しも

しない。」(『ロシアにおける資本主義の発展』,全集,第 3巻,大月書店,

p . 4 3 )   . . . . . . . . .  

ここで注意すべきは,この第

1

の命題をレーニンは,資本主義にとっての 外国貿易の必然性としてあげていることである。資本主義は国家の境界を超 えた商品流通すなわち外国貿易の結果として現われているのであり,いいか えると,外国貿易は資本主義の前提である。前提であるものが同時に必然性 として位置づけられているのが,この場合の論理である。このことは二重の 内容を包含しているように思われる。すなわち,第

1

には,前提としての外 国貿易の資本主義的生産様式の形成に対する積極的な作用,第2には,資本 主義そのものが交換価値にもとづく生産様式であり,前提としての外国貿易 をたなちに継承し,それを基礎とせざるをえないこと。

(9)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 8 7 )   3 6 1  

そこで,われわれは理解をいっそう深めるため,マルクスの前提としての 外国貿易あるいは世界市場にかんする諸命題にたちかえって検討を試みるこ とにしよう。レーニンの第

1

命題が次のマルクスの文章に依拠していること は明らかである。

「商品流通は資本の出発点である。商品生産と発達した商品流通すなわち 商業とは,資本が成立するための歴史的前提をなしている。世界商業と世界 市場とは,

1 6

世紀に資本の近代的生活史を開くのである。」

( K a p i t a l ,E r s t e r   B a n d ,  S .   1 6 1 .  

『資本論』,第

1

1 9 1

マルクスは,後の第3巻第4篇第20章商人資本に関する歴史的事実におい ては,さらに詳細に次のように展開している。

1 6

世紀および

1 7

世紀には,地理上の諸発見に伴って商業に大きな革命が 起きて商人資本の発展を急速に推進し,これらの革命が封建的生産様式から 資本主義的生産様式への移行の促進において一つの主要な契機をなしてい る。世界市場の突然の拡大,流通する商品の非常な増加,アジアの生産物や アメリカの財宝をわがものにしようとするヨーロッパの国々の競争,植民制 度,これらのものは生産の封建的制限を打破することに本質的に役だった。

しかし,近代的生産様式がその最初の時期であるマニュファクチュア時代に 発展したのは,ただ,そのための条件がすでに中世のあいだに生みだされて いたところだけだった。たとえばオランダをボルトガルと比較せよ。そし

1 6

世紀に,また一部分は

1 7

世紀にも,商業の突然の拡張や新たな世界市 場の創造が古い生産様式の没落と資本主義的生産様式の興隆とに優勢な影蕃 を及ぽしたとすれば,このことはまた,逆に,すでに創出されていた資本主 義的生産様式の基礎の上で起きたのである。世界市場は,それ自身,この生 産様式の基礎をなしている。」

( K a p i t a l ,D r i t t e r  B a n d ,  S .  3 4 5 ,

『資本論』,

3

4 1 5

われわれは,まず第

1

の問題,すなわち外国貿易が古い生産様式に与える 影響,分解的作用の側面ーこれを後に示すようにマルクスは外国貿易の「文 明化作用」とも呼んでいる一から考察することにしよう。「文明化作用」自

(10)

3 6 2  ( 5 8 8 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

体....:...それは商業資本の支配につきものである略奪制度と表裏の関係をもって いるのだがーはマルクス以前の経済・法律学者の著作の中に種々な形におい て登場している。たとえば,デイビッド・ヒュームは,そしてモンテスキュ ーも同じことだが,外国貿易によってもたらされる新たな欲望の喚起や模倣

(1) 

による製造業における技術の改善について述べているし,ジェイムズ・ステ ュアートは,外国貿易が後進国に剌激を与えることによって,経済成長の可 能性をはかりしれないほど増大させ,世界全体を改善の方向にみちぴく傾向

(2) 

を も つ こ と を 認 識 し 応 同 じ こ と は , ヘ ー ゲ ル に お い て は 「 最 大 の 文 化 媒 芥」5)として,またフリードリッヒ・リストにおいては「文明と国民の幸福と

(4) 

のための最も有力な挺子」として把握されている。マルクスの同時代人とし ては,

J・S

・ミルの「未開人たちを最初に文明化したものは,比較的に進歩

(5) 

した国々から訪れた商業的冒険家たちであった」という記述が注目される。

(1) D a v i d  Hum~. W r i t i n g s  o n  E c o n o m i c s ,   e d i t e d  and i n t r o d u c e d  by Eugene  R e t w e i n ,   1 9 5 5 ,   p p .  1 3 ‑ 4 ,  ・  p .  7 8

.田中敏弘訳『経済論集」,東京大学出版会,

1 9 6 7

22‑3

113‑4

頁参照。また,モンテスキュ‑,根岸国孝訳『法の精 神」,河出書房,

1 9 6 6

2 9 0

頁参照。

(2)  James S t e u a r t ,  An I n q u i r y  i n t o  t h e  P r i n c i p l e s  of P o l i t i c a l   O e c o n o m y ,   e d i t e d  and w i t h  an I n t r o d u c t i o n  by Andrew S .   S k i n n e r ,   1 9 6 6 ,   p . 1 1 9 .

野正訳『経済学原理」,(一),岩波文庫,

2 3 8

頁参照。なお,前記スキナー版の

A n a l y t i c a l  I n t r o d u c t i o n

には発展と貿易にかんするステュアートの見解を要約

してある。

(3)  G .  W. F .   H e g e l ,   G r u n d l i n i e n   d e r   P h i l o s o p h i e   d e s   R e c h t s ,   Werke, 7 ,   Suhrkamp. V e r l a g  F r a n k f u r t  am Main 1 9 7 0 ,   S .  3 9 1 .

岡田隆平・速水敬二訳

『法の哲学」,岩波書店,

1 9 5 0

3 0 7

頁参照。

(4)  F r i e d r i c h   L i s t ,   Das  n a t i o n a l e   System  d e r   p o l i t i s c h e n   O k o n o m i e ,   h e r a u s g e g e b e n  und e i n g e l e i t e t  von H .   W a e n t i g ,   J e n a  1 9 0 4 , . S .  61‑2. 小林

昇訳『経済学の国民的休系」,岩波書店,

1 9 7 0

5 3

頁参照。

(5)  J .  S .   M i l l ,   P r i n c i p l e s ,   Robson e d . ,  p .  5 9 4

.末永茂喜訳『経済学原理」,(三),

岩波文庫,

2 7 6

頁参照。

J. s .

ミルの『原理』が公刊されたのは,

1 8 4 8

年4月であ り,この年の

2

月にはマルクス・エンゲルスの『共産党宣言』が公刊されている。

(11)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 8 9 )   363 

しかし,こうした技術や生産力に対する影響ばかりでなく,生産関係そし て生産様式に対する外国貿易の与える影響こそ,マルクスの重視したところ であった。この点でアダム・スミスは,一方では,外国貿易がいっそう精巧 で改善された製品に対する好みを,まだこのようなものがまったく作られな い国べ導入し,やがていわゆる外国貿易の子孫として,その国に同種の製造 業を確立していくことを指摘するとともに,他方では,外国貿易が封建的大 土地所有者たちに,かれらが自分たちの土地の全余剰生産物と交換すること ができ,しかもそれを借地人や従者のいずれとも分けあうこともなく,自分 自身で消費できるような,なにものかを供給することによって,かれらのい

(6) 

っさいの権力や権威を掘りくずすのに役立ったということを述べている。マ ルクスが

Grundrisse

の中で外国貿易の「文明化作用」について語ったと き,マルクスの脳裏にあったのは,このスミスの叙述ではなかったかと思わ

: )

マルクスは,そこでは次のように述べている。 「その作用は,最初はむし ろ素材的である。欲望の範囲が拡張される。目的は,新しい欲望の充足であ り,したがってまた生産のより大なる規則性と増大とである。国内生産の組 織そのものは,すでに流通と交換価値によって変容されている。だがまだそ の全表面にわたっても,またその深部全体においても,流通によってとらえ られてはいない。これが外国貿易の文明化作用

( Z i v i l i s i e r e n d eWirkung) 

とよばれるものである。そのばあいそれは,一部は外部からのこの作用の強 さに,一部は国内生産の諸要素一分業等ーがすでに発展をとげている程度 に,どこまで交換価値を措定する運動が生産の全体をとらえているかの程度 に依存している。たとえばイギリスでは

1 6

世紀と

1 7

世紀初めには,オランダ

(6)  A .   S m i t h ,   Wealth of N a t i o n s ,   Cannan e d . ,  V o l .   I ,   p .  386‑7

.大内兵衛

•松川七郎訳『諸国民の富」,(二),岩波文庫, 483-4頁参照。キャナン教授は,

スミスがこの叙述をやはりヒュームに負うていることを指摘している。

' ( 7 )  

マルクスは『資本論』では,商業の古い生産諸関係に対する分解作用を述べた 箇所において,まさしく,アダム・スミスにふれている。

K a p i t a l ,  D r i t t e r  

B a n d ,   S .  3 4 3 .

『資本論」,第

3 巻 4 1 2

頁参照。

(12)

364 ( 5 9 0 )  

・外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

商品の輸入は,イギリスが交換で提供すべき羊毛の余剰を根本的に重要なも のとした。いまや羊毛の生産を増加するために,耕地が牧羊地に変えられ,

小規模借地制度が打破され,領地から農民清掃

( c l e a r i n gvon e s t a t e s )

おこった,等。こうして農業は使用価値とその過剰物の交換とのための労働 という性格,すなわち農業にとってその内的構成からみれば無関心な性格を 喪失した。農業は,一定の点でそれ自体純粋に流通によって規定され,交換 価値を措定する生産に転化された。それとともに生産様式が変革されたばか りでなく,またそれに対応する旧来のいっさいの人口諸関係およぴ生産諸関 係 , 経 済 的 諸 関 係 が 解 体 さ れ た 。 」

( G r . u n d r i s s e der  K r i t i k   der  P o l i t i s c h e n   O k o n o m i e ,   D i e t z  V e r l a g ,   B e r l i n  1 9 5 3 ,   S .  1 6 8 .

高木幸二郎 監訳『経済学批判要綱』,大月書店,

1 7 7

なお,

s . 921‑2,  1 0 4 3

頁 を 参 照。)この場合,商業したがってまた外国貿易が古い生産様式に分解的に作用 するからといっても,どの程度までそれが古い生産様式の分解をひき起すか は,「その生産様式の堅固さと内部構成」とにかかっているのであり,また,

この分解過程がどこに行き着くかは,外国貿易によってではなくて,「古い生

(8) 

産様式そのものの性格」によって定まるのである。したがって,まさに近代 的世界において,封建的生産様式の没落に継起して資本主義的生産様式が発 生してきたのである。

ここで第 2の問題に移ろう。いうまでもなく,資本主義的生産様式は最高 度に発展した商品生産社会である。この故にこそ,始めて外国貿易はこの新 しい生産様式の前提あるいは基礎となりうるのである。外国貿易は奴隷制的 生産様式や封建的生産様式にとっては,基礎とはなりえない。資本主義的生 産は,それ自らのメカニズムにおいて,資本の循環過程において,価値規定 を別とすれば単純な商品流通を再現するのであり,前提としての外国貿易は 同時にこの循環過程の前提=基礎となっている。

アダム・スミスは,歴史的前提としての外国貿易,世界市場の拡大,すな わち 16世紀および

1 7

世紀における地理上の諸発見に伴う商業革命が有する意

(8)  K.  M a r x ,  K a p i t a l ,  D r i t t e r  B a n d ,   S .  

344. 『資本論」.第 3 巻, 4•14頁参照。

(13)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 9 1 )   3 6 5  

義を,かなり正確に把握していたように思われる。この点は,デイヴィド・

リカードウとは大いに異なるところである。スミスは,アメリカの発見およ ぴ喜望峰を経由する東インド航路の発見から,ヨーロッパがひきだした諸利 益について述ぺ,その一般的利益として,第

1

にその享楽の増加,第

2

にそ

(9) 

の産業の発達をあげている。 享楽の増加とは,いいかえれば「いろいろの 商品を供給する」ことであり,マルクスのいう「種々な使用価値の無限の

(10) 

列」を提供することである。また産業の発達は,直接的にせよ間接的にせ ょ,すべての国が「その剰余生産物に対していっそう広大な市場を獲得した

(11) 

こと」によって剌激された結果である。マルクスは,こうした事情を次のよ うに述べている。

「ただ外国貿易だけが,市場の世界市場への発展だけが,貨幣を世界貨幣 に発展させ,抽象的労働を社会的労働に発展させるのである。抽象的な富,

価値,貨幣—したがってまた抽象的労働は,具体的労働がいろいろな労働 様式の世界市場を包括する総体に発展するのと同じ度合で発展する。資本主 義的生産は,価値に,すなわち生産物に含まれている労働の社会的労働とし ての発展に,もとづいている。しかし,これはただ対外貿易と世界市場とい う基礎の上でのみのことである。だから,これは資本主義的生産の前提でも あれば結果でもあるのである。」

(Theorien, Werke,  Band 2 6 ,   D r i t t e r   T e i l ,   S .   2 5 0 .  

岡崎次郎・時永淑訳『剰余価値学説史』,全集,第26巻 第

3

冊,大月書店,

332‑3

いわゆる『資本論』冒頭の商品は,•こうした外国貿易そして世界市場によ

って条件づけられた商品であろう。われわれは,マルクスの同様な論述を,

次の文章に見いだすことができる。

「われわれは,商品から,この独自に社会的な生産物形態――—資本主義的

(9)  A .   S m i t h ,   o p .   c i t . ,   V o l .  I l ,   p .   9 2 .

前掲書,(三),

3 2 7

頁参照。

( 1 0 )   K .   M a r x ,   T h e o r i e n ,   W e r k e ,   Band  2 6   D r i t t e r  T e i l ,   S .   2 4 9 , 『剰余価値学

説史」,全集,第

26

巻第

3

3 3 2

頁参照e

( 1 1 )   A .   S m i t h ,   o p .   c i t . ,   V o l .   ] I ,   p .   9 3

.前掲書,(三),

3 2 8

頁参照e

(14)

3 6 6  ( 5 9 2 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

生産の基礎および前提としてのそれ—から出発する。•…••ある程度の商業

... 

の発展は,資本形成および資本主義生産様式の前提であり,出発点である。

われわれは商品をこのような前提として取り扱う,というのは,われわれは 資本主義的生産の最も単純な要素としての商品から出発するからである。し かし,他方では,商品は資本主義的生産物であり,結果である。」

( R e s u l ta t e   d e s   u n m z " t t e l b a r e n   P r o d u k t z " o n s p r o z e s s e s ,   Archiv  s o z i a l i s t i s c h e r   L i t e r a t u r   1 7 ,   V e r l a g   Neue  K r i t i k   F r a n k f u r t   1 9 6 9 ,   S .   9 0 ,

岡崎次郎 訳『直接的生産過程の諸結果』,国民文庫,

1 5 1

マルクスは『資本論』第

1

巻第

1

篇商品と貨幣において,資本主義的生産

(12) 

様式の歴史的前提としての「一般的な抽象的な諸規定」を展開したが,それ は同時に前提としての外国貿易そして世界市場の展開でもある。この点は,

外国貿易の必然性の考察にとってばかりでなく,いわゆる国際価値論の考察 にとっても注意さるべきことである。すなわち,ここでの外国貿易にとって は,価値法則のモディフイケーションが問題になるのではなく,価値法則そ のものの貫徹と展開が問題である。

l V  

次に,われわれは,レーニンの掲げる外国貿易の必然性にかんする第

2

原因を後まわしにして,先に第

3

の原因を取り上げることにする。その理由 は,議論の展滉過程において明らかにされるであろう。

「第3に,前資本主義的生産様式の法則は,従来の規模での,従来の土台 のうえでの生産過程の反復である。地主の賦役経済,農民の現物経済,工業 者の手工業生産は,そういうものであった。それとは逆に,資本主義的生産 の法則は,生産方法の不断の改変と,生産規模の無限の拡大である。古い生 産様式のもとでは,経済単位は,その性格の点でも規模の点でも変化するこ

( 1 2 )   K .   M a r x ,   E i n l e i t u n g   z u r   K r i t i k   d e r   p o l i t i s c h e n   O k o n o m i e ,   W e r k e ,  

B a n d   1 3 ,  S .  6 3 9 . 『経済学批判への序説」,全集,第 1 3 巻 , 6 3 5 頁参照。

(15)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

5 9 3 )   3 6 7  

となく,地主の世襲領地,農民の村落,あるいは農村の手工業者や小工業者

(いわゆるクスクーリ)のための付近の小さな市場という限界からはみでる ことなしに,幾世紀も存続することができた。それとは逆に,資本主義的企 業は,不可避的に,共同休や地方市場や州の境界をもこえて成長していく。

そして,国家の孤立性と封鎖性はすでに商品流通によって破壊されているた め,資本主義的な各産業部門の自然的志向は,それらの各部門を『外国市場 をもとめる』必要へとみちぴくのである。

…•••この必要は,資本主義の進歩的な歴史的作用を明瞭にしめしている。

資本主義は,経済制度の古い孤立性と封鎖性を(したがってまた精神生活お よび政治生活の狭さをも)破壊して,世界のすべての国を単一の経済的同一 体へと結合するのである。」(『ロシアにおける資本主義の発展』,全集,第 3 巻,大月書店,

44‑5

すなわち,レーニンは,この第

3

の原因において,第

1

に,資本主義的生 産様式の本来の性格は前資本主義的生産様式とは異なって生産方法の不断の 改変と生産規模の無限の拡大であり,すでに外国貿易が前提されている以 上,それは新たな外国貿易の拡大へとみちぴかざるをえないことを明らかに するとともに,第 2に,この外国貿易の必然性が再ぴこんどは資本主義の進 歩的な歴史的作用,すでに述べた用語法では資本主義の「文明化作用」をし めしていると指摘しているのである。

このレーニンの第3の原因もまた,マルクスの諸命題に基礎をおいてい る。マルクスは前提としての外国貿易または世界市場について述べる際,多 くの場合にそれに続けて,結果としての,すなわち資本主義的生産様式の産 物としての外国貿易または世界市場に言及している。すでに掲げた引用文に おいても,それは示されているが,なおいくつかの例をあげて詳しく検討す ることにしよう。

「外国貿易の拡大も,資本主義的生産様式の幼年期にはその基礎だったと はいえ,それが進むにつれて,この生産様式の内的必然性によって,すなわ ち不断に拡大される市場へのこの生産様式の欲求によって,この生産様式自

(16)

3 6 8  ( 5 9 4 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

身の産物になったのである。ここでもまた,前に述べたのと同じような,作 用の二重性が現われる。(リカードウは外国貿易のこの面をまったく見落とし ていた。)」(

K a p ̲ i t a l , D r i t t e r  Band,  S .  2 4 7 ,  

『資本論』,第

3

2 9 8

「最初は,商業は,同職組合工業や農村家内工業や封建的農業を資本主義 的経営に転化させるための前提だった。……マニュファクチュアがある程度 強固になれば,そして大工業ならばなおさら,それがまた自分のために市場 をつくりだし,自分の商品によって市場を征服する。今では商業は,市場の 不断の拡張を生活条件とする工業生産の召使になる。絶えず拡大される大量 生産は既存の市場をあふれさせ,したがってまた絶えずこの市場を拡大しよ

うとし,その限界を突破しようとする。•この大量生産を制限するものは,商 業ではなく(商業がただ硯存需要だけを表わしているかぎりでは),機能して いる資本の大きさであり',労働の生産力の発展である。産業資本家の前には いつでも世界市場があり,彼は自分の費用価格(=生産価格—引用者)を 自国の市場価格とだけではなく全世界の市場価格と比較しており,また絶え ず比較しなければならない。」

( I b i d . ,S .  348‑9,

同上書,

4 1 9

資本主義的生産過程の推進的な動機であり,規定的な目的であるのは,資 本のできるだけ大きな自己増殖,すなわちできるだけ大きい剰余価値生産で あるということは,マルクスがしばしば指摘するところであるが,これこそ 生産の不断の拡大の基底にあるものであり,「生産のための生産」を性格づけ るものである。それは,資本のもとへの労働の形態的包摂とともに始まるの であるが,「このような資本関係に内在する傾向が,はじめて十分に適合した 仕方で実現されるのは一―—そして技術的にも一つの必要条件にさえなるのは

—,独自に資本主義的な生産様式が,そしてそれとともに資本のもとへ の労働の実賃的包摂が,発展しているときのことである。」 (K.

Marx, 

R e s u l t a t e ,   S .  6 3 ,

『直接的生産過程の諸結果』,国民文庫,

1 0 7

頁。)すなわ ち,それはマニュファクチュアがある程度強固になることによって達せられ るのである。だから,マニュファクチュア時代の経済学者アダム・スミスに よっても,この事実はすでに把握されえたのである。スミスはそれを,後に

(17)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 9 5 )   3 6 9   Vent f o r  S u r p l u s  Theory

余剰はけ口説とよばれる形で展開した。われわ れは,

338‑9

頁に示した引用文に続けて次のような叙述を見いだす。

「ある特定産業部門の生産物が,その国の需要が必要とする以上になるば あいには,この剰余は海外に送られ,国内で需要されるなにものかと交換さ れなければならない。このような輸出がおこなわれないならば,その国の生 産的労働の一部は必ず終息し,その年々の生産物の価値は減少する。大プリ テンの土地および労働は,一般に国内市場が必要とする以上に,穀物・毛織 物および金物類を生産する。それゆえ,それらの余剰部分は,海外に送ら れ,国内で需要されるなにものかと交換されなければならない。この剰余が その生産に要する労働と経費とをつぐなうにたりる価値を獲得するのは,こ のような輸出を媒介としてだけである。」

( A . S m i t h ,   o p .   c i t . ,   p .  3 5 2

。前 掲書,

413

このスミスの叙述にかんしてリカードウの論難が生じたことはすでに指摘 したところであるが,マルクスはスミスに賛成しつつ次のように評してい

「スミスは,資本の蓄積のうちに,一般的な国民的富と福祉との無条件な 増大を見ている。他方では,彼は,国内市場の,対外的な植民地市場および 世界市場への単なる発展

( d i eb l o B e  E n t w i c k l u n g )

を,国内市場における いわば相対的な(それ自体として存在する

( a ns i c h  s e i e n d e n )

) 過 剰 生 産 の証拠として把握している。」

( T h e o r i e n , Werke,  Band 2 6 ,   Z w e i t e r   T e i l ,   S .  5 2 5 ,

『剰余価値学説史』,全集,第

2 6

巻第

2

分冊,

7 0 9

すでに述べたように,スミスは前提としての世界市場の意義をリカードウ よりははるかに正確に認識していた。植民地市場および世界市場はマニュフ

(1) 

アクチュア時代の一般的な存在条件に属するものであり,産業資本家はこれ を目の前にして活動しているのである。そのかぎりで,国内市場から世界市 場への発展を,なにか特別のものと考えてはならない。それはマルクスのい うように,「単なる発展

( d i eb l o B e  E n t w i c k l u n g )

」である。スミスは,こう

(1)  K.  M a r x ,   K a p i t a l ,   E r s t e r  B a n d ,   S .  3 7 5 ,

『資本論」,第

1

4 6 4

頁参照。

(18)

3 7 0  ( 5 9 6 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

した発展を,国内市場の観点からみて,それがなければ生ずるであろう過剰 生産として,すなわち即自的に存在する過剰生産として把握したのである。

さて、この生産の不断の拡大にもとづく外国貿易の必然性は,個々の生産 部門を資本主義的生産様式がとらえた時に,その部門でマニュファクチュア がある程度強固になった時に,発生するものであるが,本来手工業にもとづ くマニュファクチュアは,周知のように,都市の手工業と農村の家内工業と いう幅広い土台の上にそびえ立つ経済的作品であり,社会的生産をその全範 囲にわたってとらえることも,その根底から変革することもできなかったの

(2) 

である。社会的生産の全範囲で,すべての生産部門において,外国貿易の必 然性が与えられるのは,したがって,マニュファクチュア時代から一歩すす んで機械制大工業の時代をまたねばならない。大工業の背後では,マニュフ ァクチュアや手工業や家内労働という伝来の姿は完全に変革され,マニュフ ァクチュアーは絶えず工場に,手工業は絶えずマニュファクチュアに変わって いくのであって,こうしてはじめて,大工業が農工の分離を完成し,産業資

(5) 

本のために国内市場の全体を征服するのである。同じことは,世界市場に対 しても当てはまるが,ここでは国家の存在によって事態の進行はかならずし

(4) 

も一様ではない。

2

の問題に移ろう。第

1

の原因のところで考察した外国貿易の「文明化 作用」が,ここでは資本の「文明化作用」として現われるのである。今や商 業は工業生産の召使であり,商業が産業を変革するのではなく,産業が商業 を変革する。この資本の「文明化作用」については,マルクスは早くは『共 産党宣言』

1848

年刊行の中で,次の有名な言葉を残している。

「プルジョアジーは,あらゆる生産用具を急速に改善することによって,

またすばらしく便利になった交通にたよって,あらゆる国を,もっとも未開

(2)  I b i d . ,  S .  3 9 0 ,

同上書,

4 8 3

頁参照。

(3)  I b i d . ,  S .  5 1 4 ,   S .  7 7 7

.同上書,

6 3 8

9 7 7

頁参照。

(4) 

拙稿「資本主義と国際分業」,小野一一郎・行沢健三・吉信粛編『世界経済と 帝国主義」,所収,参照。

(19)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 9 7 )   3 7 1  

な国までも,文明にひきこむ。彼らの商品の安い価格は,どんな万里の長城 をもうちくずし,未開人のどんなに頑固な外国人ぎらいをも降伏させずには おかない重砲である。プルジョアジーは,あらゆる国民に,減亡したくなけ ればプルジョアジーの生産様式をとり入れるよう強制する。あらゆる国民 に,いわゆる文明を自国にとり入れるよう,つまりブルジョアになるよう強 制する。一言でいえば,ブルジョアジーは,自分の姿に似せて一つの世界をつ

(5) 

くりだす。」

( K a r lM a r x / F r i e d r i c h  E n g e l s ,  Manifest d e r  Kommunisti‑

s c h e n  P a r t e i ,   Werke,  Band 4 ,   S .  4 6 6 .

村田陽一訳『共産党宣言』,全集,

4

479‑80

しかし,資本の「文明化作用」をもっとも明瞭にマルクスが述べたのは一一 レーニンはこれを見ることができなかったのであるが一‑,

G r u n d r i s s e

中においてであろう。

「資本はまずブルジョア社会をつくりだし,また社会の構成員を通じて自 然と社会的連関それ自体の普逼的な領有とをつくりだす。ここからして,資 本の偉大な文明化作用

( t h eg r e a t  c i v i l i s i n g  i n f l u e n c e   o f   c a p i t a l )

,つま り資本による一つの社会的段階の生産が出てくるのであり,これにくらべる とそれ以前のすべての段階は,人類の局地的発展と自然崇拝として現れるに すぎない。……資本は,資本のこの傾向にしたがって,民族的な制限と偏見 をのりこえてすすみ,また自然神化をのりこえ,さらに一定の限界のうちで の自給的な枠に閉じこめられた,ありきたりの仕方での現存の欲望の充足と 旧時代の生活様式の再生産とをのりこえてすすむ。それは,これらいっさい のものにたいして破壊的であり,またたえず革命をおこし,生産力の発展,

欲望の拡大,生産の多様性,自然力や精神力の利用と交換をさまたげるいっ さいの制限をうちこわしていく。」

( G r u n d r i s s e , S .   3 1 3 ,

高 本 幸 二 郎 監 訳

(5)  K.  M a r x ,   K a p i t a l ,   E r s t e r  B a n d ,   S .  7 7 9 ,

『資本論」,第

1

9 8 2

頁におい て,この最後の言葉がふたたび使われているが,ここではキリスト教的植民制度 の野蛮な行為との関連で述べられている。

(20)

3 7 2  ( 5 9 8 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

(8) 

『経済学批判要網』,

338

ところで,マルクスは後の『資本論』においては,資本の集積・集中に伴 う世界市場の網のなかへの世界各国民の組入れの発展,資本主義体制の国際 的性格の発展を,資本主義的蓄積の歴史的傾向として認識しながらも,この 資本の「文明化作用」をそれまでのようにいわば全能的,直線的なものと は必ずしもみていないように思われる。そればかりか,この文明'の裏にかく された非情と残虐性をむしろ強調しているようにさえみえる。

「資本主義的商品生産が発展するのにつれて,それは,すべてのそれ以前 の,主として直接の自己需要に向けられている生産物の余剰だけを商品に転 化させる生産形態に,破撼的分解的に作用する。それは,生産物を売ること を主要な関心事にするが,さしあたりは目につくほどに生産様式そのものを 侵すことはない。たとえば,資本主義的世界貿易がシナ人やインド人やアラ ビア人などのような諸民族に与えた最初の影響がそうだったように。しか し,第

2

に,この資本主義的生産が根を張ったところでは,それは,生産者 たちの自己労働にもとづくかまたは単に余剰生産物を商品として売ることだ けにもとづくような商品生産の諸形態を残らず破壊してしまう。それは,ま ず商品生産を一般化し,それからしだいにすべての商品生産を資本主義的商 品生産に変えていくのである。」

( K a p i t a l ,Z w e i t e r  B a n d ,  S .  4 1 ‑ 2 ,

『資本 論』,第

2

49

イギリスの外国貿易がインドおよぴシナに与えた作用については,マルク スは

G r u n d r i s s e

執筆後の

1 8 5 9

1 1

月に書いた論文『中国との貿易』にお いて,その遭遇する諸困難についてふれているし,『資本論』においてもそれ はくりかえし強調されている。

「前資本主義的な民族的な生産様式の内的な堅固さや構成が商業の分解作 用にたいして設ける障害は,ィンドやシナとのイギリス人の交易に適切に現 われている。インドやシナでは生産様式の広大な基礎が小農業と家内工業と

(6) 

資本の「文明化作用」にふれている箇所としては,他に

I b i d . ,S . 3 1 7 ,   S . 4 2 9 ,  

S.441, 同上書, 343頁, 467頁, •47-9頁を参照。 これは, さしあたって資本輸出 にまでひろげられることなく,資本主義的外国貿易のそれに限定されている。

(21)

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉信)

( 5 9 9 )   3 7 3  

の一体化によって形成されており,そのうえィンドでは土地の共有にもとづ

く村落共同体の形態が加わってくるのであるが,これはまたシナでも本源的 な形態だったのである。インドではイギリス人は,支配者およぴ地代収得者 として,彼らの直接的政治的権力と経済的権力とを同時に利用して,これら の小さな経済的共同休を粉砕しようとした。彼らの商業がここで生産様式に 革命的に作用するかぎりでは,それは,ただ,このようなエ・農生産の一体 性の太古的構成部分をなしている紡績と織布とを,彼らが自分たちの商品の 低価格によって破滅させ,このようにして共同体を引き裂くかぎりでのこと である。このインドでも彼らはこの分解作業には非常に徐々にしか成功しな い。直接的政治権力の助けがないシナではなおさらである。」

( K a p i t a l , D r i t t e r  B a n d ,   S .  3 4 6 ,

『資本論』,第

3

415‑6

ここでは,すでに述べた外国貿易の「文明化作用」について問題となった当 該生産様式の内部的な堅固さと構成が,資本の「文明化作用」についても同様 に問題となっているのを知るであろう。しかも,経済的権力ばかりでなく直接 的政治権力,すなわち資本主義国家の他の社会への反作用が同時に考察され ており,その作用の有効性の有無がインドとシナの生産組織分解の決定的相 遮として把握されている。こうしてマルクスは,イギリス木綿工業によるイン

ド市場征服を,ィンド土着産業の,インド木綿手織工の急激な没落過程とし て描きだしている。それは,イギリス東インド総督ベンティンク卿によって

「困窮は商業史上にほとんど比類のないものである。木綿織物工の骨はイン

(7) 

ドの野をまっ白にしている」と述べられているほどであり,マルクスもこれ に着目しつつ,「

1 8 3 3

年からはアジア諸市場の拡張が『人類の破壊』によって 強行される」

( K a p i t a l , E r s t e r  Band,  S .  4 8 2 ,

『資本論』,第

1

5 9 8

と指摘した。また,ィンドの村落共同体の粉砕については,マルクスは『資 本論』刊行よりさらに

1 4

年後の

1 8 8 1

年に執筆された「ヴェ・イ・ザスーリチ の手紙への回答への下書き〔第3草稿〕」において,「原住民を前進させない で 後 退 さ せ る イ ギ リ ス の 文 化 破 擬 行 為

( e i n   Akt  d e s   e n g l i s c h e n  

(7)  K.  M a r x ,   K a p i t a l ,   E r s t e r  B a n d ,   S .  4 5 5 ,

『資本論」,第

1

p . 5 6 4

参照。

(22)

3 7 4  ( 6 0 0 )  

外国貿易の必然性と作用に関する諸問題(吉侶)

Vandalism  us)

」として性格づけ,「イギリス人はただ,土着農業を荒廃させ,

飢饉の度数と激しさとを倍加させるに成功しただけであった」と述べるにい

(8) 

たっている。

「文明化作用」がいかに残虐な結果を生みだすかのもう一つの例は, 7年 間でその生命を消尽するといわれたアメリカ合衆国の南部諸州の綿花栽培に おける黒人労働について指摘されている。

「その生産がまだ奴隷労働や夫役などという低級な形態で行なわれている 諸民族が,資本主義生産様式の支配する世界市場に引き込まれ,世界市場が 彼 ら の 生 産 物 の 外 国 へ の 販 売 を 主 要 な 関 必 事 に ま で 発 達 さ せ る よ う に な れ ば,そこでは奴隷制や農奴制などの野蛮な残虐の上に過度労働の文明化され た残虐

(derz i v i l i s i e r t e   Greuel)

がつぎ木されるのである。」

(Kapital, Erster Band,  S .   2 5 0 ,

『資本論』,第

1

306

以上のように,資本の「文明化作用」はマニュファクチュア時代に硯われ るにしても,その段階では外国貿易の「文明化作用」を大きく越えることは なく,大工業の時代にいたって始めてその完全な力を発揮するのであるが,

それは同時に文明化とはほど遠い資本の一傾向を意味するものでもあった。

従来,しばしばこの資本の「文明化作用」について論ぜられてきたが,必ず しも後期のマルクスによって論及されているようなその言葉のもつ限界は,

(9) 

十分に注意されてはいなかったのではないかと思われる。

(8)  K.  Marx, Entwurfe e i n e r  Antwort auf den Brief v o n   V .   I .   S a s s u l i t s c h   [ D r i t t e r  E n t w u r f J ,   Werke,  Band 1 9 ,   S .   4 0 2 ,   S .   4 0 5 ,

「ヴェ・イ・ザスーリ チの手紙への回答の下書き〔第 3草稿〕」,全集,第

1 9

4 0 5

4 0 8

頁参照。

マルクスはここで,ロシアの農村共同体がインドのような植民地的条件におかれ ることなく資本主義的生産と同時的に存在していることから,それがより高次な 集団耕作への出発点となりうる可能性をみいだしている。

(9) 

近代経済学者の中でも,伝統的な国際貿易理論にきわめて批判的なグナール・

ミュルダールは,外国貿易のこの面での作用を重視している。 「外部の世界との 貿易上の接触がすすむにつれて,その文化全休が窮乏化してきたような低開発国 の実例は至るところに見出される。たとえば,古くからの手工業で有名なバグダ ッドの町では,昔ほどの技能を要しない様式を外国からとり入れたほんの僅かの 銀匠が生き残っているだけである。」

(GunnarM y r d a l ,   Economic T h e o r y  and 

U n d e r ‑ d e v e l o p e d   R e g i o n s ,  London  1 9 5 7 ,   p .   5 2

.小原敬士訳『経済理論と低開 発地域」,東洋経済新報社,

1 9 5 9

6 3

頁。)しかし, ミュルダールは, これを 資本一一剰余価値を追求する一ーの作用としているわけではない。

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