1. はじめに
江戸時代初期に江戸幕府による中央集権体制が確立した後、日本の河川水運一般が発 展を遂げた。筆者は、篠倉(2018) [1]において筑後川下流域における久留米藩による集 散地形成の背景について考察した。その結果以下の 2 点が確認できた。
①久留米藩は内陸に位置するために下流域の榎津・若津を一大集散地に成長させる必 要性が存在したこと。
②筑後川洪水の水害による稲作等への被害が不安定な藩経営をもたらし、その対策と して集散地形成を経て経済的中心地の形成を狙っていたこと。
そこで本研究では上記②に着目したうえで、筑後川洪水の水害によって久留米藩はど の程度被害を受けたのか被害算出の方法について考察することを目的とする。久留米藩 の石高被害を算出することによって、久留米藩による集散地形成の動機付けを実証的に 行えると考えられるためである。
被害算出にあたり、分析のためのベースマップ作成にともない、全体的な傾向と問題 点を見出すための算出を試み、さらに見出した問題点の解決を見据えた算出方法を試み るといった二段階の方法で考察した。
本研究で使用した GIS ソフトは ArcGIS と QGIS である。これらの使い分けは筆者の 研究環境によるものであり、分析手法によって使い分けを行ったわけではない。
2. 久留米藩における水害と被害の記録
1)筑後川の洪水の発生時期と種別の特徴
まず近世における筑後川洪水の実態を把握するために、洪水発生の資料をもとに、グ レゴリオ暦に変換して月別洪水発生件数を求めた(図 1)。件数としては突出して 6~7 月が多くなっていることが分かる。さらに 8~9 月にかけても洪水が発生していること から、これらを集約すると、梅雨時期より台風が来襲する時期にかけて洪水が多発して いた様子が伺える。なかでも梅雨時期の洪水発生が顕著であったといえよう。
近世の水害による久留米藩における石高被害の 算出方法に関するGISを用いた一考察
A Study of Calculation Method by use of GIS for Damages in Kurume Han by Flood Damage in the early modern period
篠倉大樹
†Daiki Shinokura
††久留米大学比較文化研究所
†The Institute of Comparative Studies of International Cultures and Societies, KURUME University
図
1 1627
(寛永4
)年~1866
(慶応2
)年における月別洪水発生件数『久留米市史第二巻』
[2]
第121
表:筑後川洪水年表より筆者作成また洪水の種別について、記載がある事項に絞り作成したのが図 2 である。単に洪水 と表記されているものを除けば、大雨洪水や霖雨洪水が多くみられた。大雨洪水は今で 言う集中豪雨であり、霖雨洪水は長雨による洪水である。なお台風によるものは暴風洪 水である。つまりは集中豪雨や長雨による河川の増水が洪水の主要因になったと思われ る。
図
2
洪水種別の件数『久留米市史第二巻』第
121
表:筑後川洪水年表より筆者作成このことから、近世の筑後川洪水は梅雨時期の集中豪雨や長雨が主な要因であるとい え、この時期に洪水が発生することによって、季節的に稲への被害が大きかったことも 推察でき、稲作が経済的に重要であった近世においては、直接的に藩経営に影響を及ぼ
0 5 10 15 20 25
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
件0 5 10 15 20 25 30
洪 水 大 雨 洪 水
霖 雨 洪 水
暴 風 雨 洪 水
山 汐 洪 水
記 載
な し
件していたと考えられる。そのため本研究における石高被害の算出の動機づけになったの である。
2)記録からみる被害
洪水の発生にともない、どのような被害があったのか被害の記載種類についてまとめ た(表 1) 。被害記載が重複していない場合もあるが、総じて人馬家屋流失に続き、堤防 決壊・破壊、浸水が多いことから、堤防の決壊や破壊によって浸水が発生し、人馬や家 屋が流失するという水害の実態がみえてくる。当然浸水による農地への被害もあったと 思われる。
表
1
洪水による被害の種類と記載数 被害の記載種類 記載数死者・怪我人
3
人馬家屋流失10
堤防決壊・破壊9
浸水
9
山津波(山崩れ)
4
水道破壊
2
『久留米市史第二巻』第
121
表:筑後川洪水年表より筆者作成表 2 は具体的な石高に対する被害の一覧である。1708(宝永 5)年の 17 万石をはじめ として、 1791 (寛政 3)年は 11 万石と非常に大きな被害であったことがわかる。なおこ の表では記載されていた単位が石の記録に限って表したが、一部、 1814 (文化 11)年に は 7 万俵という被害記録も確認できた。
表
2
洪水による被害石高の一覧被害記載年月(グレゴリオ暦) 被害石高
1708
(宝永5
)年8
月17
万石1791(寛政 3)年 7
月11
万1
千石1826(文政 9)年 7
月4230
石『久留米市史第二巻』第
121
表:筑後川洪水年表より筆者作成いずれにしろ表高 21 万石、幕末の実高 36 万石とされる久留米藩においては、これら の石高被害は藩の経営上、非常に大きな負担になったと推察できる。
しかし、具体的な被害記録が残されていない洪水の場合も、ある程度の被害があった
と思われ、それが一体どの程度なのか把握すると、平均的な石高被害を見出すことがで
きると考えた。
3. 石高被害算出のための概念と基礎データ作成
石高被害算出の概念であるが、前提として地域に浸水した場合は、水位に限らず被害 を被ったとした。これは梅雨時期の稲が生長途中であり、浸水の際には土砂におおわれ 生長が阻害されると考えたためである。実際には洪水後も育つ稲があったと思われるが、
今回は便宜上一括して被害として捉えた。また土地の生産効率の大小は考慮せず、すべ ての地域で均等に作物が生産されると定義した。
そして石高被害を算出するため、地域に石高を割り当て、その農地面積に対する浸水 割合をもとめ、石高被害として算出した。
算出にあたり、なるべく小さい地域単位でベースマップを準備する必要があるため、
総務省統計局[3]の小地域境界データを利用した。その小地域境界データのなかで、久留 米藩領であった小地域を抽出した。なお江戸時代末期を想定しているため、一時期支藩 として成立した松崎藩も含まれている。
次にそれらの小地域における各属性データに石高のデータを追加した。石高データは 旧高旧領取調帳[4]を利用したが、江戸時代末の村落別に記載されているため、当時の村 落が現在のどの小地域にあたるのかを角川地名辞典などを参考に確定させた(547 村落)。
これらの方法で、現在の小地域ごとに江戸時代の石高が分かるベースマップを作成した。
続いて、浸水領域は国土数値情報[5]の浸水領域を用いた。この浸水領域データは浸水
条件が 1953 (昭和 28)年に発生した洪水と同様の条件になるが、筆者の研究において、
1953 (昭和 28)年の水位と浸水範囲は江戸時代の平均と近いことが確認できたため、便
宜上これをそのまま用いた。
4. 石高被害の算出方法の検討(第一段階)
図 3 は小地域別に石高量を表したものに、浸水領域を重ねた図である。石高は土地の 生産力を示す指標であるため、当然のごとく山地よりも平地が大きくなるが、平地の広 い範囲で浸水領域と重複しているため、浸水による被害が大きくなることが分かる。
なお久留米藩の場合は藩領において筑後川だけでなく、南部の矢部川による浸水域も 広いことが分かった。つまり今回の算出で導き出される石高被害は、筑後川や矢部川、
その他支流を含む全ての河川で洪水が発生した場合の結果になるため、理論上の最大値
と位置づけられる。
図
3
小地域別の石高量と浸水範囲小地域境界データ(政府統計の総合窓口(
e-Stat
)(https://www.e-stat.go.jp/
))および「国土数値 情報(浸水領域データ)」(国土交通省)を用いて、旧高旧領取調帳をもとに筆者作成この段階で各地域の総面積のうち浸水面積の占める割合を求めた(表 3)。地域別に 差があるが、全体的にみると久留米藩領全体の面積 814 ㎢のうち、筑後川や矢部川など の洪水による浸水面積は 222 ㎢であり総面積の 27%が浸水することが分かった。なお表 中では現市町村別にまとめているが、柳川市や大川市・八女市、小郡市などは久留米藩 領のみを算出対象にしている。
表
3
各地域の浸水面積と浸水割合現市町村名 総面積(k㎡) 浸水面積(k㎡) 浸水割合(対総面積)
うきは市
117.26 15.71 13.4%
久留米市
230.21 102.98 44.7%
大刀洗町
22.81 15.10 66.2%
大木町
18.36 18.36 100.0%
小郡市
45.61 20.89 45.8%
大川市
21.84 20.56 94.1%
筑後市
41.89 20.40 48.7%
広川町
37.76 2.71 7.2%
八女市
275.32 2.31 0.8%
柳川市
3.22 3.22 100.0%
合計
814.29 222.23 27%
筆者作成
続いて各地域の浸水割合をもとに各地域の被害石高を算出した(表 4)。久留米藩全 体では江戸時代末期には約 36 万石あり被害石高としては約 16 万石の被害という結果 になった。総石高の約 46%が被害にあったことになる。表 2 で示した被害石高と近し い値が得られたため、概念の妥当性は得られたといえよう。
表
4 各地域における総石高と被害石高
現市町村名 総石高(石) 被害石高(石)
うきは市
25,916.87 3,471.62
久留米市133,855.60 59,875.85
大刀洗町18,216.21 12,058.68
大木町
24,437.98 24,435.49
小郡市
26,397.89 12,092.50
大川市
28,203.48 26,548.16
筑後市
40,680.53 19,810.13
広川町
11,927.82 855.12
八女市
42,050.33 353.29
柳川市
4,725.17 4,725.17
合計
356,411.87 164,226.00
筆者作成
しかし前述した通り、この結果は筑後川だけでなく、矢部川など全ての河川が氾濫し た前提であるため理論上の最大値となる。つまり現実は一部の河川が氾濫した場合など が大半であると考えられるため、この被害石高からは少なくなると考えられる。
またこの算出方法の場合では、小地域全体に対する浸水割合を求めているため、言い 換えると、地域全体が農地という解釈になってしまう問題がある。そのため実際は浸水 領域内に集約的に農地があった場合は被害石高が増加すると考えられる。
そこで具体的に農地を設定して、同様の算出方法を試みる必要性が生じ、第二段階の 算出を行った。
5. 石高被害の算出方法の検討(第二段階)
第一段階の結果を踏まえ、より精度を求めた算出を試みた。第一段階では小地域に対 して石高データを与えたが、第二段階では農地ポリゴンを作成し、それらに石高データ を与えることを試みた。
農地を特定しポリゴンを作成するために、近代測量によって作成された地図のうち、
なるべく古い地図を参考にした。使用したのは明治 25 年測図の第六師團参謀部陸地測
量部作成 1/50,000 地形図[6]や明治 33 年測図の大日本帝國陸地測量部作成 1/20,000 地形 図[7]である。さらに江戸時代の絵図なども参考に、主に江戸時代末期を想定して、明ら かに農地であった場所を適宜特定し、農地ポリゴンを作成した(図 4) 。なお農地ポリゴ ンの作成は手動であるため、可能な限り拡大して手動作成による揺れが無いように努め た。
図
4
作成した農地ポリゴンの例筆者作成
作成した農地ポリゴンに石高のデータを与える必要があるが、農地内に小地域境界が ある場合が多いため、小地域境界に従って農地ポリゴンを分割した(図 5) 。この分割処 理は手動で行うが、ArcGIS のポリゴン分割機能では、複数のレイヤの境界を拾ってガ イドしてくれるために、手動による揺れが無い。
次に農地に対して石高データを与える必要があるが、村落別や今回作成した小地域別 の石高データは分かるものの、農地別の石高は不明である。そのため小地域境界に従っ て分割した農地ポリゴンを小地域別にディゾルブ処理をして統合した。具体的には、農 地ポリゴンの属性データにテキスト形式の「地名」フィールドを追加し、小地域名を入 力し、その「地名」フィールドを利用してディゾルブ処理を行った(図 6)。
そしてディゾルブ後の農地ポリゴンに小地域別の石高のデータを入力した(図 7)。
つまり、その小地域の農地全体で○○石という考え方である。なお石高データは後の処
理におけるエラー防止のため、小数点以下は四捨五入して入力した。
図
5
小地域境界による農地ポリゴン分割の例小地域境界データ(政府統計の総合窓口
(e-Stat)
(https://www.e-stat.go.jp/
))を用いて筆者作成図
6
「地名」による農地ポリゴンのディゾルブ処理のイメージ小地域境界データ(政府統計の総合窓口(
e-Stat)
(https://www.e-stat.go.jp/
))を用いて筆者作成図
7
農地ポリゴンへの石高データ追加のイメージ小地域境界データ(政府統計の総合窓口(
e-Stat)
(https://www.e-stat.go.jp/
))を用いて筆者作成これらの処理をすべての農地や地域で行うと、膨大なため、検証のために一部地域に 限定して行った。そのため石高データは手動で入力したが、全体的な算出の場合は「地 名」をキーコードとしてテーブル結合を行う必要があろう。
そして第一段階と同様に浸水領域のデータを重ね、農地ポリゴンとの重複部分を抽出 した(図 8) 。
図
8
浸水領域と農地ポリゴンの重複部分抽出のイメージ「国土数値情報(浸水領域データ)」(国土交通省)を用いて筆者作成
続いて面積計算を行った。農地ポリゴン(以下 A とする) 、農地ポリゴンと浸水領域の 重複データ(以下 B とする)において面積の算出(単位は㎡)を行った。具体的には、
A では小地域別に農地の合計面積を算出し、 B では小地域別に重複部分の面積を算出し た。そして算出した面積をもとに、 A に対する B の割合を求めた。それらをまとめたの が表 5 である。
表 5 の結果によれば、太郎原町は 98%の農地が浸水しているが、山本町豊田では 7%
となっているなど、具体的に農地への浸水割合が明らかとなった。
表
5 各小地域における農地面積と浸水農地面積および浸水割合
小地域名 全体面積(㎡) 農地面積(㎡) 浸水農地面積(㎡) 浸水割合 太郎原町
1798083 367001 360014 98%
善導寺町木塚
2244952 405273 222575 55%
山本町豊田
2422122 1368901 95609 7%
筆者作成
そしてこの農地への浸水割合にもとづき、小地域別の石高に対する被害石高を算出し、
第一段階の結果と比較したのが表 6 である。
第一段階では地域全体が農地という解釈になったが、第二段階のように具体的に農地 を特定し、農地に対する浸水割合を求めることによって、被害石高が増加した地域と減 少した地域があった。増加した地域は浸水範囲に農地が集約的に存在し、減少した地域 は逆の状況であったと考えられる。
表
6
第一段階と第二段階の算出結果の比較表筆者作成
6. むすび
本研究では、水害による石高被害の算出の方法について考察することを目的とした。
第一段階では全体的な傾向を掴むため、小地域への浸水割合から被害石高を算出した。
そして第二段階として、より詳細な被害算出のために、農地を特定し、農地への浸水割 合から被害石高の算出を試みた。
結果として第一段階では農地が特定されず、全てが農地という条件になるために、実
浸水面積(㎡) 浸水割合 被害石高(石) 1461009 81% 850 農地面積(㎡) 浸水農地面積(㎡) 浸水割合 被害石高(石) 367001 360014 98% 1026
浸水面積(㎡) 浸水割合 被害石高(石) 1668203 74% 1413 農地面積(㎡) 浸水農地面積(㎡) 浸水割合 被害石高(石)
405273 222575 55% 1045 浸水面積(㎡) 浸水割合 被害石高(石)
97874 4% 92
農地面積(㎡) 浸水農地面積(㎡) 浸水割合 被害石高(石)
1368901 95609 7% 160
第二段階 小地域名 全体面積(㎡) 総石高(石)
第一段階 段階別の算出結果
太郎原町 1798083 1046
山本町豊田 2422122 2284 第二段階 善導寺町木塚 2244952 1902
第一段階 第二段階 第一段階