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論文審査の結果の要旨
氏名:舟 橋 正 真
博士の専攻分野の名称:博士(文学)
論文題名:昭和天皇「皇室外交」の政治外交史的研究 1964-1975 審査委員:(主 査) 教授 古 川 隆 久
(副 査) 教授 大 塚 英 明 東京都立大学名誉教授 佐々木 隆 爾 神戸女学院大学准教授 河 西 秀 哉
本論文は、日本国憲法において、天皇が国民統合の象徴と位置づけられる一方、元首に関する規定が明 記されてないことを前提としつつ、1960年代以降の象徴天皇制に関する従来の諸研究が、もっぱら自民党 政権の動向に焦点をあてていたことをふまえ、昭和天皇の二度にわたる外遊(マスコミ用語で「皇室外交」) をめぐる、関係国および国内の各政治勢力の天皇観のせめぎあいを分析することによって、1960年代以降 の象徴天皇制の展開過程を広い視野から解明することを課題に設定した。
第1章「戦後の昭和天皇外遊構想」では、天皇外遊の法的根拠となった、1964年の「国事行為の臨時代 行に関する法律」の制定過程から、1970年に佐藤栄作内閣が史上初の天皇外遊となる昭和天皇の訪欧を決 定するまでの過程を検討した。その結果、佐藤自民党政権は、宮内庁が主導権を持つ形での決定すること で野党の反対を抑え、天皇を立憲君主(「議会主義的君主制」)的な「元首」と位置づける方向をめざして いたことを明らかにした。
第2章「1971年の昭和天皇の訪欧の外交史」では、1971年の昭和天皇訪欧の具体的スケジュールが決 まるまでの外交交渉過程と、実際に訪問した際の状況を検討した。訪問受け入れ諸国は昭和天皇を事実上 の「元首」と扱う一方、日本側の予想に反し、多くの訪問国で昭和天皇の戦争責任を厳しく追及する世論 の動向に直面した。このことから、天皇の事実上の「元首」化を進めることができたが、さらなる天皇外 遊にあたっては、戦争責任問題への対応が重要であることが浮き彫りとなったことを明らかにした。
第3章「昭和天皇訪米問題の政治力学―1971~1974」では、昭和天皇の訪米構想がいったん頓挫するま での過程を検討した。貿易問題などで微妙となっていた日米関係強化のため、昭和天皇の訪米を佐藤栄作 首相が発案し、アメリカのニクソン大統領がこれに応じて1972年にアメリカが昭和天皇訪米を招請したも のの、沖縄返還問題による日本国内の政情不安のため、天皇訪米問題は次の田中角栄内閣に引き継がれ、
田中首相はこれを推進したが、結局は頓挫したこと、その理由は、日米両政権がそれぞれ問題を抱える中 での訪米は天皇の政治利用だとして野党から批判が出ただけでなく、訪米に積極的だった昭和天皇が、野 党と同じ理由で反対する宮内庁幹部の説得を受け入れて延期に同意したためであったことを明らかにした。
第4章「1975年の昭和天皇訪米の外交史」では、1975年に昭和天皇訪米が正式に決定し、実行された 過程を検討した。三木武夫首相が天皇の政治利用という批判が起きにくいよう慎重に準備した結果、訪米 が決まり、外務省は日米両国の有識者への意見聴取もふまえ、訪米が成功するよう、昭和天皇の人間像の 演出方法や戦争責任論への対応を慎重に行なった結果、訪米自体は成功したしたものの、帰国後の記者会 見で昭和天皇の戦争責任問題が拡大したため、国内事情から昭和天皇の外遊続行は困難となったことを明 らかにした。
結論では、二度の昭和天皇外遊という「皇室外交」を通じ、自民党政権が天皇を実質的に「元首」と位 置づけることに成功した一方、最大野党だった社会党は護憲の立場から天皇制を立憲君主的に運用するこ とは容認したため、立憲君主的な「元首」という天皇の位置づけが事実上定着したと結論づけた上で、昭 和天皇の戦争責任論の存在から、「皇室外交」のさらなる展開は次の現在の天皇に引き継がれたという見通 しを示した。
本論文は、日本で公刊されている国会議事録、新聞、雑誌、日記類にとどまらず、皇室記者の未公開私 文書や、近年整備されたばかりの公文書開示請求制度を利用した未公開公文書の活用、未公刊のものを多 数含む外国語史料を活用するという、マルチ・アーカイブ(多言語の史料を複合的に利用)の手法も用い
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た積極的な史料探索をおこなったことで、昭和天皇の外遊問題について、多数の新事実を明らかにした。
そして、それらをふまえ、日本国憲法下の天皇の法的政治的位置づけの変遷の歴史について、政権の意 図だけでなく、国内の政治動向や国際関係といった広い視野から初めて実証的に検討したことによって、
立憲君主(議会主義的君主)的な元首という位置づけが昭和天皇期に定着したという、現行憲法下の天皇 の位置づけについて、従来の研究より、はるかに説得力を持つ見解を打ち出した。この点に本論文の最大 の学問的意義がある。
さらに、マルチ・アーカイブの手法のみならず、公文書開示請求制度も活用するなど、数多くの一次史 料を探索し、それらの分析を行って歴史像を明確にするという、歴史学のたしかな手法を本論文がとり、
大きな成果をあげたことは、1960~70年代という、きわめて近い時期の政治外交問題をも歴史学の研究対 象とし得ることが明確になったことを意味しており、本論文は、日本史のみならず、広く現代史研究にお いて方法論的にも大きな意義があると考えられる。
以上の理由から、本論文は博士(文学)の学位に値するものと認められる。
以 上 平成28年1月21日