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『蜻蛉日記』道綱母と藤原遠度

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(1)

『蜻蛉日記』道綱母と藤原遠度

著者名(日) 倉田 実

雑誌名 大妻国文

巻 37

ページ 19‑35

発行年 2006‑03

URL http://id.nii.ac.jp/1114/00001350/

Creative Commons : 表示 ‑ 非営利 ‑ 改変禁止

http://creativecommons.org/licenses/by‑nc‑nd/3.0/deed.ja

(2)

﹃ 鯖

蛤 日

記 ﹄

道綱母と藤原遠度

メ岳、

はじめに

本稿は︑前稿﹁﹃崎蛤日記﹄の養女求婚謹﹂︵﹃大妻女子大学紀要|文系|﹄持︑二

O

六年三月︶に引き続き︑兼家の異 O

母弟遠度が道綱母の養女に求婚した次第を検討する︒筆者の立場は︑遠度の性急さはあるものの誠意を持った求婚に対し

て︑兼家は許諾しており︑道綱母も養女の幼さに危倶を感じるものの将来の結婚は仕方なく受け容れていたとする理解で

ある︒前稿は︑当初兼家によって四月に決められていた結婚が八月に延引された天延二年四月二十二日以前の箇所まで扱っ

たので︑それに続く段からの検討になるが︑本稿では︑表題に示したように︑道綱母と遠度との関係性を焦点化していき

たい︒テキストは︑新全集を使用している︒

﹃ 婿

蛤 日

記 ﹄

道 網

母 と

藤 原

逮 度

(3)

四月二十二日の来訪

道綱母から︑兼家の意向として結婚の八月延引を伝えられでも︑養女に固執する遠度は︑当初に自ら決めていた四月二

十二日に来訪している︒この段は︑会話を活写して両者の立場や心情心理などを多様に提示しているので︑ やや詳しく見

ておきたい︒各会話丈に記号を付し︑遠度については傍線︑道網母には点線を施した︒

① 

さて︑その日ごろ選︑びまうけつる二十二日の夜︑ものしたり︒こたみは︑さきざきのさまにもあらず︑ いとづしゃ

かになりまさりたるものから︑責むるは︑さまいとわりなし︒⑦﹁殿の御許されは︑ 道なくなりにたり︒ そのほどは

るかにおぼえはべるを︑御かへりみにて︑ いかでとなむ﹂とあれば︑③﹁いかに思して︑かうはのたまふ︒そのはる

かなりとのたまふほどにや︑初事もせむとなむ見ゆる﹂と言へば︑@﹁いふかひなきほども物語はするは﹂と言ふ︒

@ ﹁

こ れ

は ︑

いとさにはあらず︒あやにくに面嫌ひするほどなればこそ﹂など言ふも︑聞き分かぬやうに︑ い と わ び

し く

見 え

た り

②﹁胸はしるまでおぼえはべるを︑ ﹂の御簾のうちにだにさぶらふと思ひたまへてまかでむ︒ 一つ一つをだに︑な

すことにしはべらむ︒ かへりみさせたまへ﹂ と言ひて︑簾に手をかくれば︑いとけうとけれど聞きも入れぬやうに

て︑@﹁いたう更けぬらむを︑ 例はさしもおぼえたまふ夜になむある﹂ とつれなう言へば︑ @﹁いとかうは思ひきこ

えさせずこそありつれ︑あさましう︑ いみじう︑かぎりなう︑うれしと思ひたまふベし︒御暦も軸もとになりぬ︒わ

るく聞こえさする︑御気色もかかり﹂など︑おりたちてわびいりたれば︑いとなっかしさに︑②﹁なほいとわりなき

ことなりや︒院に内裏になどさぶらひたまふらむ昼間のやうに思しなせ﹂

な ど

言 へ

ば ︑

⑦﹁そのことの心は苦しうこ

そはあれ﹂と︑わびいりて答ふるに︑いといふかひなし︒いらへわづらひて︑はてはものも言はねば︑ ︒﹁あなかし

(4)

こ︑御気色も悪しうはべめり︒さらばいまは仰せ言なからむには︑聞こえさせじ︒いとかしこし﹂とて︑爪はじきう ち し て

︑ も の も 言 は で

︑ し ば し あ り て 立 ち ぬ

︵ 下 巻

・ 二 一 三 五

1 六

頁 ︶

遠度が初めて道綱母邸に来訪したのは四月七︑八日ごろで︑この時点までに二週間ほどの経過となる︒右の段は︑これ

までの交渉のなかで最も多様な両者の心理的心情的様態が記されている︒これ以前の遠度では︑結婚許諾を得えようと一

途に﹁かしかましう責む﹂様態が捉えられていた︒また︑結婚の八月延引を知らされた時は︑道綱母に﹁いとおどろおど

ろしく﹂と評されるような剣幕で来訪していた︒しかし︑この﹁一一十二日の夜﹂ の来訪の様態は︑傍線部に示したように

多様である︒また︑道綱母もそれに応じて点線部のように揺れている︒この両者のありょうを確認していきたい︒

遠度は︑この期を逃してはなるまいと神妙に身構え︑これまでとは違う重々しい感じで来訪したようである︒それが︑

﹁ さ

き ざ

き の

さ ま

に も

あ ら

ず ︑

いとづしやかになりまさりたるものから﹂になるが︑﹁ものから﹂で逆接されており︑その

身構えとはうって変わって︑﹁責むる﹂あり方はこれまでと同じであった︒その様子を道綱母は﹁さまいとわりなし

L

と捉

えている︒結婚は延引され今更どうにもできないのに︑責めたてられるので︑道理に合わないと感じて困惑するのである︒

﹁さまいとわりなし﹂は︑この対面時の総括的な遠度に対する把握でもあろう︒道綱母は︑速度を持て余しているのである︒

遠度の言い分は︑⑦﹁殿の御許されは︑道なくなりにたり︒そのほどはるかにおぼえはべるを︑御かへりみにて︑

しミ

でとなむ﹂である︒兼家の四月にとの許諾は︑実現の方途がなくなり︑延引された八月までは﹁はるか﹂に思われるので︑

ご配慮によって何とか結婚を早めて欲しいとして︑ 一途に道綱母の﹁御かへりみ﹂︑すなわち恩顧を懇願している︒遠度と

しては︑道綱母だけが頼りなのであり︑あわよくば今日を結婚第一日日にしたいのである︒

この言い分を受けた道綱母の返答は︑③﹁いかに思して︑かうはのたまふ︒そのはるかなりとのたまふほどにや︑初事

もせむとなむ見ゆる﹂となり︑当意即妙に遠度の一言葉じりを捉えている︒どうお思いになられて︑このようにおっしゃる

のでしょう︑その﹁はるか﹂とおっしゃる先に︑娘も﹁初事︵男女としての会話や和歌贈答の意︒初潮の意ではないとも

﹁ 婿

蛤 日

記 ﹂

道 綱

母 と

藤 原

遠 度

(5)

できるようになると思われます︑と答えている︒﹁はるか﹂は︑時間的にも心理的にも遠くの意になり︑遠度は︑だから待 ち切れないと訴えたので︑道綱母は︑待ち切れなくても︑その将来までお待ちくださいと言うわけである︒この﹁はるか﹂

は︑これ以前にも使用されており︑そもそもは兼家の﹁さ︵結婚は四月にと︶は思ひしかども︑助のいそぎしつるほどに て︑いとはるかになむなりにけるを﹂︵下巻・三三四頁︶とあった返事を伝えられて︑遠度が﹁よしょし︑かう昼夜まゐり

来 て

は ︑

いとどはるかになりなむ﹂としたことの繰り返しであった︒﹁はるか﹂なる語がキーワードとなって会話に使用さ

れているのであり︑こうした切り返しを道綱母は楽しんでいるような趣もある︒また︑遠度も必死に言葉を返すことで思

い を

叶 え

よ う

と し

て い

る ︒

こうした会話のありょうはこれ以前にもあり︑遠度が道綱母と始めて対面して帰る時に︑次のようにあった︒

雨 う ち 乱 る 暮 に て ︑ 蛙 の 声 ︑ いと高し︒夜更けゆけば︑うちより︑﹁いとかくむくつけげなるあたりは︑うちなる人だ

に静心なくはベるを﹂と言ひ出だしたれば︑﹁なにか︑これよりまかづと思ひたまへむには︑おそろしきことはべらじ﹂

と 言

ひ っ

つ ︑

︵ 下

巻 ・

一 一

二 三

1 二

頁 ︶

道綱母は夜が更けたので︑このような﹁むくつけげ︵気味悪げとな夜の中川あたりは︑家の内にいる人でさえ気分が落 ち着きませんと言って帰宅を促していた︒それに対して遠度は︑求婚する相手の家から辞去すると思えば︑気味悪さを﹁お

そ ろ

L

と感じることなどございませんと答えていた︒﹁むくつけげなるあたり﹂に対して︑﹁おそろしきことはべらじ﹂

としたわけであり︑うまく切り返していよう︒こうした会話のありかたに︑道綱母は興趣を見出していたのは確かなので

あり︑だからこうして記されたことになる︒この興趣はさらに続いている︒

道綱母の言った﹁はるか﹂先に﹁初事﹂ができるでしょうとしたのを受けた遠度は︑@﹁いふかひなきほども物語はす るは﹂と切り返している︒﹁初事﹂を会話の意に解し︑どんな幼くても﹁物語﹂はする︑会話はするとして︑会わせて欲し

いと再度懇願に及んでいる︒ここは﹁﹁初ごと

︵ 歌

︶ ﹂

に 対

し て

﹁ 物

が た

り ︵

話 し

︶ ﹂

﹂ ︵

新 大

系 ︶

と い

︑ つ

わ け

で は

な い

だ ろ

う ︒

(6)

﹁初事﹂は︑和歌の意に限定できまい︒これに対して道綱母は︑@で︑娘は﹁面嫌ひするほど﹂などで会話は無理なのです

と答えている︒幼さを言うのは従前通りである︒娘に会わせたら︑遠度がどのように出るのか不安なので︑道綱母は決し

て見せないようにしているのである︒

こうした道綱母の応答を︑遠度は﹁聞き分かぬゃう﹂であり︑その様子を道綱母は﹁いとわびしく見えたり﹂と捉えて

いる︒遠度はがっくりしていると道綱母は見るのである︒こうした視線は︑それなりに同情心をそそることになろう︒

遠度の懇願は続き︑@﹁胸はしるまでおぼえはベるを︑この御簾のうちにだにさぶらふと思ひたまへでまかでむ︒

一つをだに︑なすことにしはべらむ︒かへりみさせたまへ﹂と︑再度道綱母の恩顧﹁かへりみ﹂を求めている︒﹁この御簾

の う

ち に

に入ることだけで満足して帰りますと言うのは︑娘に会わせて欲しいと直裁に言うのではなく︑文字通り御簾

の内側に入りたい意になる︒御簾内に入れるのは親密さが一歩前進することであり︑それで今回は満足したいというので

ある︒この後に続く︑﹁一つ一つをだに︑なすことにしはべらむ﹂はこの点を受けており︑ 一つ一つ段階を踏んで思いを叶

えたいとの訴えになる︒会えないなら︑せめて御簾の内に入ることをしたいと言うのである︒娘と会う︵逢う︶ことと︑

御簾の内に入ることのどちらか一つを叶えたい意︵全注釈・新全集・集成など︶ ではあるまい︒腐の聞に入れた次は︑母

屋の御簾の内での親近が望みなのである︒遠度としては︑

﹁御簾の内に入り親近する﹂←﹁結婚する﹂

という段取りを考えていよう︒当時の結婚は初対面が結婚時になるようだが︑娘が幼いとされたので︑取り分けこうした

求婚作法の段取りを懇願したのであろう︒しかし︑これは思い余っての発話であっても︑道綱母にとって無理な懇願とな

ろ ︑ っ ︒

遠度は︑せめて御簾の内に入れて欲しいとして︑﹁簾に手をかくれば﹂という所作に及んでいく︒御簾内に入りたい意を

態度に表したのであり︑実際的な行為を意図したものではなかろう︒それでも脅しになることは確かであり︑道綱母はそ

﹃ 崎

蛤 日

記 ﹄

道 綱

母 と

藤 原

遠 度

(7)

の所作を﹁いとけうとけれど﹂と感じている︒これは﹁遠度に男の気配を感じ取っていた﹂ことになろうが︑﹁遠度もまた︑

I︶ 

道綱母に女の気持を感じていなかったとも限りません﹂ということにはなるまい︒遠度は︑養女に会いたいのであり︑だ

から︑その様は﹁いとわりなし﹂になる︒

道綱母は︑遠度の行為を峻拒すべく﹁聞きも入れぬやうに﹂して︑@﹁いたう更けぬらむを︑例はさしもおぼえたまふ

夜 に

な む

あ る

﹂ と

釘 を

刺 し

て い

る ︒

﹁ 聞

き も

入 れ

ぬ ゃ

う ﹂

は ︑

﹁ 遠

度 の

言 葉

が 耳

に 入

ら ぬ

ふ り

を し

て ﹂

︵ 全

講 ︶

︑ ﹁

頭 の

一 言

︑ っ

とをよく聞かなかったふりをして﹂︵全注釈︒集成・新大系・新全集なども同意︶などと解する説が多いが︑﹁聞き入れな

い﹂意︵講義︶になろう︒遠度の言葉が耳に入らぬふりをしたと解するのは︑それなりの言葉の量があるので無理であろ

︑ ハ ノ ︒

解釈の揺れは︑道綱母の言︑っ﹁さしも﹂にも認められる︒なお︑次に引用する﹁新全集﹂の言う引歌は︑﹁対訳﹂が指摘

した﹁人に逢はむつきのなきには思ひおきて胸走り火に心焼けをり﹂︵古今・雑鉢・誹譜歌・小野小町・一 O 三 O ︶を指し

て い

る ︒

ノL 4

議|簾の中へはいりたいなどと︑とんでもない気持になる夜︒

全注釈|﹁さ﹂は夜がふけたことを指す︒御簾に入ることを指すとすれば︑頭の詞が耳に入らなかったふりを装うの

と矛盾しよう︒ここは全然とぼけた意味で受け取らねばなるまい︒固いつもなら夜ふけのさびしさをお感じ

に な

る 夜

で す

ね ︒

成﹁さ﹂は︑夜の更けたことをさす︒すっかり夜も更けて︑ふだんなら︑どこぞの女君と語らいたい場合でしょ

ぅ︒皮肉をこめて突き離した物言い︒

新全集|﹁胸はしる﹂の引歌の﹁夜﹂を受け︑ いつも女に逢いたくてやきもきなさるのは︑こんな夜ですね︑と誹諾

(8)

歌にことょせ︑突き放した言い方をする︒

右のうち︑﹁全注釈﹂﹁集成﹂の︑﹁さ﹂が夜の更けたことを指すと解さなければならない点が不可解であり︑﹁例はさし

もおぼえたまふ夜﹂との構文に﹁夜﹂が重複しよう︒﹁新全集﹂も結果的に同じことが指摘できる︒また︑男が侵入を企て

ているのに﹁とぼけた﹂︵全注釈︶はないだろう︒遠度が︑御簾の内に入れて欲しいと発話し︑御簾に手をかけた行為は共

に明白なので︑﹁さ﹂は︑その言動を指しているとするのが素直であろう︒道綱母は︑その要求を聞き入れずに︑

い つ

も な

らそのように御簾に手をかけて内に入ろうとお思いになる夜なのでしょうねと︑冷淡に言った ︵つれなう言へば︶ことに

なろう︒これで︑遠度を拒絶できると判断したことにもなる︒

遠度は︑内に入れて欲しいとして御簾に手をかけるという失態を犯したのであり︑その発話と行為を@で厳しく拒絶さ

れて︑弁明の言葉⑨を繰り出している︒ここも解釈に揺れがあるが︑新全集の﹁ほんとにこれほどまでつれなくなさろう

とは︑思いもしませんでしたが︑ でも︑意外ながらこうしてお話しできただけでも︑とても︑限りなく︑うれしいことだ

と思わなければならないのでしょう︒御暦も残り少なくなるほど日がたつてしまいました︒ぶしつなことを申し上げ︑ご

機嫌を損じまして﹂としたのに従いたい︒遠度は︑﹁おりたちてわびいりたれば﹂とあるように︑心底消沈して辛く感じ︑

弁明しているのである︒

こうした反省ぶりを目の当たりにした道綱母は︑先とは違って﹁なつかしさ﹂を感じている︒そして︑@で︑﹁わりなき﹂

無理な要求であり︑宮仕している昼間のように威儀を正しておいでなさいと︑御簾に手をかけた行為を磐めるように言葉

を 重

ね て

い る

恋情に焦燥する遠度は︑⑦そうしていては苦しくて仕方ありませんと︑﹁わびいりて答ふる﹂ことしかできず︑堂々巡り

となる︒この﹁わびいりて﹂は︑﹁全注釈﹂が底本﹁にすいりで﹂を整一訂した本文であり︑﹁にす﹂を﹁すに﹂の顛倒と見

﹃ 崎

齢 日

記 ﹂

道 網

母 と

藤 原

遠 度

(9)

 

ノ 、 て﹁簾に入りて﹂と解する説もある︒これだと同じく﹁全注釈﹂が指摘するように︑遠度は﹁ずうずうしい不逗の趣﹂に なるが︑御簾内侵入といった不逗は働かないであろうし︑道綱母の﹁いといふかひなし﹂という反応にも収まるまい︒ま だ御簾越しに対座していて︑遠度は辛そうに答え︑道綱母はどうしょうもないと投げ出しているのである︒

だから道綱母は︑﹁いらへわづらひて︑はてはものも言はねば﹂と︑沈黙でいる︒無言の対座は以前にもあり︑初対面時

に は

︑ ﹁

う ち

に 音

な う

て ︑

やや久しければ﹂﹁とみにものも言はず︒うちよりはたまして音なし﹂︵下巻・二一二頁︶とあっ

た︒これは初対面なので相手の出方を窺う感動さや緊張振りを表現していたが︑この場面は︑道綱母の拒絶と不機嫌のそ れとなる︒それに気づいた遠度は︑@で︑もう何も申しませんとの棄て台詞のような言葉を残し︑その拒絶と不機嫌をう ち払うかのように﹁爪はじきうちして︑ものも言はで﹂座を立っている︒﹁爪はじき﹂は︑不満・非難・嫌悪の気持の時に する仕草とされるが︑本来的にはそうした原因を﹁弾き飛ばす﹂ための呪術的所作であろう︒遠度は︑道綱母の無言となっ

た不機嫌をうち払うために﹁爪はじき﹂して退出したのである︒

以上が︑対面の次第になる︒遠度の﹁わりなき﹂焦燥ぶりと︑それに冷静に対処する道綱母が会話文を多用しながら活 写されていた︒また︑これによって遠度の内面的な像がより明確になって道綱母に捉えられている︒養女の幼さを案じる がゆえに︑結婚はまだ回避したい道綱母は︑自ら防波堤になって︑執拘な求愛を防止していよう︒この対面に︑﹁なつかし さ﹂や﹁いとほし﹂があったとしても︑擬似恋愛的な要素はまず認められないであろう︒なお︑この後には︑翌朝の和歌

贈答が位置しているので︑そこを見てから︑こうした点も整理することにしたい︒

﹁ ほ

と と

ぎ す

の贈答歌

遠度は︑夜更けて道綱母邸を辞去したわけだが︑灯りが必要なことに気づいた道綱母は︑松明を持たせようとしていた︒

(10)

② 

出づるに︑松明など言はすれど︑﹁さらに取らせでなむ﹂と聞くに︑ いとほしくなりて︑まだつとめて︑﹁いとあや

にくに︑松明とものたませで帰らせたまふめりしは︑たひらかにやと聞こえさせになむ︒

ほととぎすまたとふべくも語らはでかへる山路のこぐらかりけむ

こそいとほしう﹂と書きてものしたり︒さしおきてくれば︑かれより︑

とふ声はいつとなけれどほととぎすあけてくやしきものをこそ思へ

と︑いたうかしこまりたまはりぬ﹂とのみあり︒

下 巻

・ 二

三 ヱ

1 七 頁

侍女に松明を用意させたところ︑﹁さらに取らせでなむ﹂との報告がなされている︒﹁新全集﹂は︑この後の消息文に﹁松

明とものたませで帰らせたまふめりしは﹂とあるので︑すでに帰った後で渡せなかったと解している︒道綱母は︑消息丈

では好意的にこのように言いなしているのであり︑遠度は受け取らなかったとした方がいいかも知れない︒遠度が受け取

ら な か っ た の は ︑ ﹁ し ょ げ か え っ た さ ま ﹂ ︵ 全 注 釈 ︶ でいたからであり︑﹁腹を立てていた﹂︵対訳︶わけではあるまい︒道

綱母は︑松明を受け取らなかったことから︑しょげかえって帰ったことを知って再び﹁いとほしく﹂なり︑翌朝消息丈を

わざわざ贈ったのである︒腹を立てた相手に︑そうさせたことで気の毒に思う場合もあるが︑道理は道綱母側にあろう︒

その道理によっても︑しょげかえったと判断したことになる︒だから︑好意的に﹁松明とものたませで帰らせたまふめり

しは﹂と言いなしたわけであり︑歌に直続させて﹁こそいとほしう﹂としたことになる︒

道網母の贈歌は︑わざわざ﹁ほととぎす﹂を詠み込んでいる︒これは①の前に位置していた次の贈答歌を想起きせよう

と し た か ら で あ ろ う ︒

i 童

ちぎりおきし四月はいかにほととぎすわがみのうきにかけはなれつつ

道綱母 なほしのべ花橘の校ゃなきあふひすぎぬる四月なれども

遠度は︑﹁うき﹂に﹁卯木﹂と﹁憂き﹂を︑﹁かけ﹂に﹁陰﹂と﹁かけ離れ﹂を掛けて︑﹁ほととぎす﹂が卯の花の木陰を

﹁ 崎

蛤 日

記 ﹄

道 綱

母 と

藤 原

遠 度

(11)

 

離れることによそえながら︑この四月に養女と結ばれず離れて逢えない辛さを詠んでいた︒道綱母は︑それを慰撫すべく︑

卯の花はなくても﹁ほととぎす﹂の止まりとなる﹁花橘の枝﹂がありますので︑延引された八月まで﹁なほしのべ﹂と言

い贈っていた︒今は無理でも︑将来の結婚を許諾していたのである︒

こうした贈答歌があったからこそ︑道綱母は再度﹁ほととぎす﹂を使用して︑しょげかえった遠度を慰撫し︑﹁なほしの

ベ﹂がまだ有効であることを示唆したのである︒﹁ほととぎす﹂は︑婿がねとなる遠度を指示していたのであり︑上の句は︑

次の来訪を約束しないでお帰りになりましたが︑結婚はすぐに無理でも次の来訪をお待ちしますと匂わしたのである︒こ

の点は︑﹁大系﹂が指摘する次の引歌でより明確になる︒

今更に山へかへるなほととぎす声の限りは我が宿に鳴け︵古今・夏・一五二

この歌は五月になったので﹁ほととぎす﹂は山に帰らないで︑﹁我が宿﹂で鳴いて欲しいと詠んでいる︒道綱母は下の句を

﹁かへる山路のこぐらかりけむ﹂として︑遠度が松明を取らずに帰ったことを指示しながら︑古今歌を暗示させることで︑

﹁山へかへるな﹂も響かせていよう︒表の意味は︑灯りのない早々の帰途を案じた意になるが︑﹁なほしのべ﹂と期待され

る﹁ほととぎす﹂に来訪を促しているのである︒

こうした歌の内意を遠度は理解したのであろう︑道綱母歌と同じく﹁とふ﹂に︑﹁飛ぶ﹂と﹁訪ふ﹂を重ねた﹁とふ声は

いつとなけれど﹂との措辞で︑次回の訪問はいつかと申しませんでしたけれど︑ いつもでも来訪したいとの意を表出した

のである︒﹁いつとなけれど﹂は︑諸注どちらかの意に限定しているが︑両様に機能していよう︒そして︑﹁新全集﹂が指

摘するように﹁作者の歌の下旬への答え﹂となるように︑﹁あけてくやしきものをこそ思へ﹂として︑道の暗さよりも夜が

明けての昨夜の後悔が身に染みますと陳謝したのである︒この遠度の歌にも次の引歌が指摘されている︒

とりかへすものにもがもやはこ鳥のあけて悔しきものをこそ思へ 古今六帖・六・はこ烏・四四八五

下の句が全く同じになり︑引用は明確であろう︒そうなると上の句の﹁とりかへすものにもがもや﹂も響かせていたかも

(12)

知れない︒昨夜の失態を取り返したいとの思いが潜められたことになるが︑こうした理解は無理だとしても︑遠度は︑ゎ

ざわざの消息丈に恐縮していることは間違いない︒だから︑道綱母と同じように︑歌に直続させて﹁と︑いたうかしこま

りたまはりぬ﹂と添書することを忘れないのである︒遠度は︑前夜の失態を恥じ︑贈歌に対する丁寧な返歌を心がけ︑道

綱母に誠実に応接していることになる︒

道綱母の歌に対して︑﹁遠度が怒って松明も受け取らずに帰った事を聞き︑遠度を何とかしてつなぎとめておく手段とし

て和歌を送った﹂と解する説がある︒前半は部分的解釈の相違になるが︑後半は﹁男女の場﹂を形成させるための﹁つな

ぎとめておく手段﹂との理解になると︑養女求婚語全体の把握とかかわってくる︒この理解は︑遠度との初度の対面時に

ついて﹁ここにおいて︑養女の存在というものが忘れられ︑恰も遠度と道綱母の世界が具現化されている﹂とした把握と

抱き合わせになって普遍化されているようである︒しかし︑﹁養女の存在というものが忘れられ﹂はあり得ないのであり︑

先の①での対座も︑すべて養女と結婚したい︑今は無理だとの応酬で終始していた︒忘れられているどころか︑養女のこ

としか話題になっていなかった︒

道綱母と遠度の関係性は︑﹁男女の場﹂を形成するものでは決してなく︑養母として真剣に求婚者に対応するところに規

定されていよう︒養女も実女も同じように大切な娘なのであり︑その娘の結婚問題をうち遣って︑自らが﹁男女の場﹂を

求めることは︑あり得ないとは言わないが︑異例中の異例となろう︒娘を案じる思いが遠度との交渉を支えているのであ

り︑それは①でも明確であった︒また︑遠度は婿がねとなるからこそ︑しょげかえっていると知れば﹁いとほし﹂との思

いが浮上するのである︒こうした点については︑後にも検討することにしたい︒さらに︑本丈を追いたい︒

﹃ 崎

蛤 日

記 ﹄

道 綱

母 と

藤 原

遠 度

(13)

消 沈

し ︑

生ひなおりする遠度

②に続くのは︑翌日の次の段になる︒

③  さくねりても︑またの日︑﹁助の君︑今日人々のがりものせむとするを︑もろともに寮に︑と聞こえになむ﹂とて︑

門にものしたり︒例の硯乞へば︑紙おきて出だしたり︒入れたるを見れば︑あやしうわななきたる手にて︑﹁昔の世に

いかなる罪をつくりはべりて︑かう妨げさせたまふ身となりはべりけむ︒あやしきさまにのみなりまさりはべるは︑

なりはべらむことも︑ いとかたし︒さらにさらに聞こえさせじ︒ いまは高き峰になむのぼりはべるべき﹂など︑

ふ さ

に書きたり︒返りごと︑﹁あなおそろしゃ︒などかうはのたまはすらむ︒恨みきこえたまふべき人は︑ことにこそはべ

めれ︒峰は知りはべらず︑谷のしるべはしも﹂と書きて出だしたれば︑助ひとつに乗りてものしぬ︒助の給はり馬︑

い と ︑ つ つ く し げ な る を 取 り て 帰 り た り ︒

︵ 下

巻 ・

二 一

三 七

1

頁 ︶

遠 度

は ︑

﹁ さ

く ね

り て

いると把握されている︒この﹁さ﹂を︑﹁全注釈﹂は﹁頭の手紙の内容を指す﹂としているが︑

それ以前の遠度の棄て台詞﹁:・さらばいまは仰せ言なからむには︑聞こえさせじ︒いとかしこし﹂を指していよう︒﹁くね

る﹂は︑ひねくねる意なので︑もう何も申し上げませんとひねくれていても︑ の意となり︑﹁門にものしたり﹂に係ること

になろう︒何も言わないと言ったのに︑来訪したことを皮肉交じりに記したのである︒

道綱を呼び出した遠度は硯を所望したので︑紙を添えて渡すと︑﹁あやしうわななきたる手﹂で書いて遣している︒思い

詰めた恨み言なのでこうした筆跡になったのであろう︒内容は︑我が身の不遇を言いながら結婚の困難を嘆息し︑もう何

も申し上げません︑高い山の峰に身を隠すつもりです︑であった︒消沈し︑ひねくれて恨んでいるのは︑前と同じである︒

道綱母は急いで返事を書いて渡している︒書かれていた内容から︑遠度をいたわろうとしたのである︒高い山の峰に登つ

(14)

て身を隠すなんて恐ろしいこと︑何でこんなことを私に言うのでしょう︑お恨みなさるべき人は別におります︑山の峰の

ことは存じませんが︑としたうえで最後に﹁谷のしるべはしも﹂と記していた︒しかし︑この最後がよく分からない︒私

見はないので詳しく諸説の整理はしないが︑﹁世を捨てることを思いとどまる手助けならする﹂︵全注釈︶︑﹁出家の方はど

うにもならないが︑谷に身を投げる方の案内だったら︑とからかったのであろう﹂︵対訳︶︑﹁谷の御案内なら十分にしてい

ます︑私どもの気持はおわかりのはず﹂︵新全集︶が主なものになり︑引歌も一一種指摘されているが割愛する︒﹁谷のしる

ベはしも﹂に応じる歌が見つからないので︑何とも一吉えないが︑この次の段で遠度の受け取り方が一不されているので︑そ

こで見ることにしたい︒遠度は︑返事を貰えたことで安心し︑道綱と同車して役所に出かけたのであった︒

④ 

その暮に︑またものして︑﹁一夜のいとかしこきまで聞こえさせはべりしを思ひたまふれば︑さらにいとかしこし︒

﹃いまはただ︑殿より仰せあらむほどを︑さぶらはむ﹄など︑聞こえさせになむ︑今宵は生ひなほりして︑まゐりはベ

りつる︒﹃な死にそ﹄と仰せはべりしは︑千歳の命たふまじき心地なむしはべる︒手を折りはべれば︑指一二つばかりは︑

いとょう臥し起きしはべれど︑思ひやりのはるかにはべれば︑ つれづれと過ごしはべらむ月日を︑宿直ばかりを︑費

の端わたり許されはべりなむや﹂と︑ いとたとしへなくけざやかに言へば︑それにしたがひたる返りごとなどものし

て︑今宵はいととく帰りぬ︒

︵ 下

巻 ・

一 二

三 八

1

頁 ︶

遠度は︑同日の暮に再度来訪している︒これは︑ 二十二日に結婚が叶うどころか失態を犯して︑意気消沈していたが︑

③にあった道綱母の返事に救いを見出したからであろう︒遠度の言葉のうち︑まず︑先の﹁谷のしるべはしも﹂をどう把

握したかである︒それは︑諸注指摘するように︑点線部﹁な死にそ﹂がそれになる︒しかし︑﹁谷のしるべはしも﹂からは︑

すぐに﹁な死にそ﹂は導けないので︑道綱母の意図と遠度の把握には︑引歌や誤読などが介在していると考えざるを得な

ぃ︒これ以上の私見はないので︑ここでは道綱母の返書から︑﹁な死にそ﹂を見出したことで︑遠度には救いになったこと

だけ確認しておきたい︒後考を待ちたい︒

﹁ 蛸

蛤 日

記 ﹄

道 綱

母 と

藤 原

遠 度

(15)

遠度に救いになったことは︑﹁な死にそ﹂以外にも傍線部が表している︒近接同語した﹁かしこし﹂︑反省して心機一転

する意の﹁生ひなおりして﹂︑そして︑卑下する形の懇願になる﹁宿直ばかりを︑賛の端わたり許されはべりなむや﹂など

になるが︑最後のこれは問題であろう︒﹁宿直云々﹂は︑もう何も申し上げまい︑高い山の峰に登りますと言っていたのと

全く相違し︑御簾の内に入れて欲しいという段階から遜っているものの︑以前と同じ要求である︒求婚する相手の家で﹁宿

直﹂を志願する言葉は︑求婚の一段階を叶えたいとする慣用的な言い回しと思われ︑﹁源氏物語﹄﹁若紫﹂巻で︑北山から

京に一民っていた紫の君の家に訪れた光源氏は︑﹁宿直人にてはべらむ﹂と言って御帳台に入り込んでいた︒光源氏は実行に

及んだわけだが︑遠度の言い分は︑﹁全注釈﹂が指摘するように︑﹁実際に費の子で宿直をするというわけでなく︑ただ始

終作者邸へ出入りしたいというだけのこと﹂になろう︒しかし︑宿直志願は求愛表現であることは動かない︒

こうした遠度の言葉を道綱母は﹁いとたとしへなくけざやかに﹂言ったと把握している︒﹁けざやか﹂のニュアンスは︑

﹁ は っ き り と ﹂ ﹁ て き ぱ き と ﹂ ﹁ あ け す け に ﹂ な ど と す る も の と ︑ ﹁ も の わ か り の よ い 態 度 で ﹂ と す る も の に 分 か れ る が ︑ ﹁ あ

けすけに﹂で考えておきたい︒遠度は︑何ら変わらなかったのである︒だから︑道綱母の返答は具体的に記されず︑﹁それ

にしたがひたる返りごとなどものして﹂としただけであり︑内容は①などにあったのと変わりはなかったのであろう︒

遠 度 は ︑ 意 気 消 沈 し た も の の ︑ ややへりくだりつつ︑以前と同じように﹁生ひなおった﹂ことになろう︒こうした遠度

だから︑求婚は継続することになる︒

女絵の歌

遠度は︑明け暮れ道綱を呼び出しているが︑ある時︑道綱は遠度邸にあった女絵を持ち帰っている︒次は︑この段にな

(16)

⑤ 

助を明け暮れ呼びまとはせば︑ つねにものす︒女絵をかしくかきたりけるがありければ︑取りて懐に入れて持てき

たり︒見れば︑釣殿とおぼしき高欄におしかかりで︑中島の松をまぼりたる女あり︒そこもとに︑紙の端に書きて︑

か く

お し

つ く

いかにせむ池の水なみ騒ぎでは心のうちのまつにかからば

ま た

やもめ住みしたる男の︑文書きさして︑頬杖っきて︑もの思ふさましたるところに︑

ささがにのいづこともなく吹く風はかくてあまたになりぞすらしも

とものして︑持て帰りおきけり︒

︵ 下

巻 ・

一 二

三 九

1 四 O

頁 ︶

道綱が﹁女絵﹂を持ち帰った理由は︑

A

絵が好きな母に見せようとして︑あるいは︑

B

遠度から託されて︑

C

遠度から

女絵の歌を所望されて︑などと考えられよう︒

A

の可能性が高いと思われるが︑

BC

の可能性は薄いものの否定しきれな

ぃ︒また︑遠度が描いたかどうかになるが︑その可能性は低いと思われる︒そうだとしたら︑その旨がしるされていても

お か

し く

な い

道綱母は︑その絵にかかわる歌を詠んで添付している︒ 一つは︑﹁釣殿とおぼしき高欄におしかかりで︑中島の松をまぼ

りたる女﹂の絵︑もう一つは︑﹁やもめ住みしたる男の︑文書きさして︑頬杖っきて︑もの思ふさましたる﹂絵であり︑

つで一対の男女の組み合わせになる︒

女を描いた絵は︑﹃狭衣物語﹂冒頭や﹃夜寝覚物語絵巻﹂第二段を思わせる絵柄になる︒じっと松を見ているとされるの

で︑物思いに耽りながら︑男の来訪を待つ姿となろう︒道綱母は︑その女の内面を想像して歌にしている︒歌は︑絵柄の

解釈であり︑扉風歌と扉風絵の関係と同じで︑この場合は画中人物の立場になって詠んだことになる︒

この歌には︑周知の﹁君をおきであだし心をわが持たば末の松山波も越えなむ﹂︵古今・東歌・ 一 O

九 一

二 ︶

が 引

歌 に

な っ

ている︒技巧的には︑﹁待つ﹂と﹁松﹂の掛詞があるので︑諸説で踏襲されている﹁心の中の松﹂とする理解は必要なかろ

﹁ 崎

蛤 日

記 ﹄

道 網

母 と

藤 原

遠 度

(17)

ぅ︒﹁池の水なみ騒ぎでは﹂は﹁松にかからば﹂に係っているのであり︑別の分脈で﹁心の中に待つ﹂が重層しているので

ある︒待っている男が浮気したらどうしようとの不安を詠んだ歌になる︒

男を描いた絵は︑恋文の丈面を思案しかけている構図で︑﹁頬杖﹂は物思う仕草になる︒相手となる女性との関係は絵柄

からは不明である︒だから︑道綱母は︑それを想像して歌にしており︑この場合は︑視点が絵の外になる︒

この歌は︑男の多情を想定して詠んでおり︑

の﹁糸﹂をかけており︑﹁蜘妹の糸に︑何処からともなく吹く風は﹂の意になるが︑諸注﹁蜘妹の糸を風が吹きちらすよう 一人の女性を純真に思っているのではない︒﹁いづこ﹂は︑﹁何処﹂と蜘妹

に﹂と解している︒ここは︑﹁八王注釈﹂が指摘するように︑﹁飛ばされないように蜘妹があちこちに巣をひっかけて作ると

いうことで歌を仕立て﹂ているのであり︑﹁蜘妹の糸に何処からともなく吹く風によって︑糸を掻く手が多くなるように﹂

とすべきであろう︒﹁吹く風が吹き散らすように﹂ではない︒そして︑﹁掻く手﹂が掛詞となり︑﹁書く手数多になりぞすら

しも﹂が主題を形成しているのであり︑方々の女のもとに恋文を書くことになろうと想像したのである︒﹁たくさんの関係

ができましょう﹂とする解が多いが︑関係できるかどうかは想定外になろう︒﹁やもめ住み﹂から逃れたくて︑男は方々に

恋文を出しまくっているとしていよう︒

﹁女絵﹂が遠度から渡されたものであれば︑そこに込められた思いは︑﹁双方の恋愛成就の願望﹂となろう︒女は男を思つ

て物思いに沈み︑男はその女への恋文を一生豚穴叩思案している構図と読める︒しかし︑遠度の意図があったかどうかは︑

この段の記述だけは不明である︒また︑﹁女絵﹂が二様だけであったのか︑もっとあったのかに拠って想定は相違してくる︒

道綱母がこの二様︑だけを選択し︑歌を添付したとも取れるのである︒解決しなければならない問題は多く︑空論は避けた

い と

こ ろ

で あ

る ︒

確かなのは︑道綱母が歌にメッセージを込めたことだけである︒それは女の男に対する多情の懸念と︑男の多情そのも

のになる︒これは︑まさに養女と速度のあり得べき関係性への懸念となろう︒道綱母と遠度のことではあるまい︒その懸

(18)

念は道綱母自身が兼家に体験したことであった︒

この女絵の歌に︑兼家の存在を読み取ることが行なわれている︒例えば︑﹁兼家に執する心の強い道綱母が︑絵柄に触発

4︶ 

されてゆくりもなくその心の内を歌に託して表出した﹂という理解になるが︑歌の内容は︑現在の二人の関係性と懸隔し ていよう︒道綱母がこの期に及んでも︑兼家の多情を危倶することはあり得ない︒それは危倶ではなく︑累積された事実 だからであり︑国章女とされる近江との関係継続は︑道綱母の知るところであった︒歌は︑遠度のもとに黙って返されて いるのであり︑歌に託したのは兼家ではなく遠度に対する祁捻したメッセージとなろう︒そして︑それは遠度が見ても見 なくてもいいのであり︑道綱母は自足的に楽しんでいることになろう︒養女求婚曹における一つのエピソードとしてこの

段は記されたのであり︑それ以上の意味はないと思われる︒

なお︑養女求婚語自体も兼家との﹁代償行為﹂とする説も根強いが︑この点については続稿で扱いたい︒さらに次の段

に移りたいが︑紙数の関係もあり︑ここで筆を摘きたい︒

i 主

︵ 1

︶ 篠

塚 純

子 氏

﹁ か

げ ろ

ふ 日

記 ノ

l ト

⑮ ﹂

︵ ﹃

形 成

﹄ 一

九 九

O 年

八 月

︒ 後

︑ ﹃

崎 蛤

日 記

の 心

と 表

現 ﹄

勉 誠

社 ︑

一 九

九 五

四 年

月 ︶

︵ 2

︶ 川

村 裕

子 氏

﹁ 遠

度 求

婚 語

を め

ぐ っ

て ﹂

︵ ﹃

立 教

大 学

日 本

文 学

﹄ 白

︑ 一

八 九

四 年

七 月

︒ 後

︑ ﹃

婿 蛤

日 記

の 表

現 と

和 歌

﹂ 笠

間 書

院 ︑

一 九

九 八

年 五

月 ︶

︵ 3

︶ 川

名 淳

子 氏

﹁ 男

と 女

の 媒

体 と

し て

の ﹁

女 絵

l

﹃ 崎

蛤 日

記 ﹄

下 巻

﹁ 女

絵 ﹂

の 記

事 か

ら |

﹂ ︵

﹃ 論

集 日

記 文

学 の

平 地

﹄ 新

典 社

︑ 二

0 0

0 年

三 月

︒ 後

︑ ﹃

物 語

世 界

に お

け る

絵 画

的 領

域 ﹄

ブ リ

ユ ツ

ケ ︑

二 O

O 五

年 一

二 月

︵ 4

︶ 守

屋 省

吾 氏

﹁ 蛸

蛤 日

記 下

巻 老

﹁ 遠

度 求

婚 の

経 緯

を め

ぐ っ

て ﹂

︵ ﹃

論 集

日 記

文 学

﹄ 笠

間 書

院 ︑

一 九

九 一

年 四

月 ︶

﹃ 婿

蛤 日

記 ﹂

道 網

母 と

藤 原

遠 度

二 五

参照

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