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令状主義・強制処分法定主義と捜索・ 差押・強制採尿に関する若干の考察

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(1)

第1 はじめに 第2 捜索の範囲

第3 差押対象物以外の物の写真撮影 第4 強制採尿

第5 おわりに

第1 は じ め に

1 憲法33条,35条は,強制処分について,国民の基本権侵害が最も起り やすい逮捕と住居・書類・所持品について,令状主義を明定している(な お,本稿で検討する捜索・差押等についてのそれは35条の定めるところである)。 また,強制処分法定主義は,刑訴法197条1項但書の定めるところであり,

強制処分については,「…この法律に特別の定のある場合でなければ,こ れをすることができない」としている。

 令状主義の根底にある理念は,周知の通り司法的抑制であり,その具体 的顕現としては,先ずもって形式面から,令状記載内容の特定性と明確性 が要求されることになる。そして,その実質的内容は,公平な第三者であ る裁判官の司法的審査たる令状審査の中にあると言える。したがって,令 状主義というものは,司法的審査の視点から,具体的にはその審査をする 裁判官の視点から捉えていくことが重要になってくる。そしてその審査は,

個人の身体・自由・プライヴァシーなどについての権利保障ということを 前提とし,かつそれを主眼としたうえで,それらの権利と捜査の必要性等 との比較衡量によって行われる。

令状主義・強制処分法定主義と捜索・

差押・強制採尿に関する若干の考察

渡  辺  直  行

(2)

2 ところで,令状主義は,自由主義の視点から,それも自由主義原理か ら導き出される権力分立の考え方を,さらに司法権優越の視点からも捉え ることによって具体化された原則と言えるのであって,それは国民の基本 権保障を確固たるものにしようとするための原則なのである。だからこそ,

それは,憲法の直接的保障の下に置かれているのだとも言える。

 そして,強制処分法定主義は,国民主権(民主主義)の視点から,国民の 代表によって構成される国会が定める法律によってのみ,国民の基本権が 侵害される場合があることを許容するとの原則である。

 つまり,捜査機関の行う強制処分は,包括的には,民主主義的原理に基 づき強制処分法定主義によって立法的抑制(制約)のもとに置かれ,かつ,

個別・具体的には,自由主義的原理に立脚するところの令状主義によって 司法的抑制(制約)の下に置かれている,と言うことができる。

3 以上のような視点を基本に据えて,捜索の範囲,差押対象物以外の物 の写真撮影,強制採尿に関するいくつかの問題点を取り上げ,それらにつ いて,あらためて検討を試みることにする。

第 2  捜 索 の 範 囲

  捜索の範囲と場所の概念

 ここでは,場所に対する捜索令状によってどこまでの捜索が許されるの かについて,場所というものの存在構造と令状主義を実質的・現実的に捉 えるとの視点から検討していくことにする。

(1) ここで,先ず認識しておかなければならないことは,法が捜索の対象 を身体,物,場所(法222条1項,102条)と表示して,それらを区別して定め,

令状記載事項としても,捜索対象を,場所,身体,物の三つに区分して定 めている(法219条1項。なお,107条1項参照)ということである。そして,

令状主義における令状記載の特定性・明確性からして,これらの規定は,

上記三種の捜索対象の明示・特定を要求しているものと解されている。と ころが,それにもかかわらず,「物」については,それらが,もともとそ

(3)

の表示された場所内に存在している場合については,基本的に,その場所 に対する捜索令状(一般には,差押えと一括して,捜索差押許可状として発付さ れる場合が多い)によって捜索できるとされてきた(通説)。

 場所を明示・特定しているだけの令状によって,その場所内に存在する 物についてまで捜索できると解される理由としては,先ず,場所とそこに ある物とは,同一の管理権の下にあるからだと説明し得る。しかし,この ような考え方に対しては,場所と物とは,それぞれについて別のプライヴァ シーの利益が認められる以上,管理権で説明するのは,必ずしも適切でな いとの批判が可能となる。

 次に,場所と物とでは別のプライヴァシーの利益が認められるのが原則 であるものの,この場合には,プライヴァシーの利益の包摂関係があるか らである,などと説明される1)。しかし,場所,物それぞれに別個独立の プライヴァシーの利益が認められるとしながら(このことは,それぞれのプ ライヴァシーの利益に質的違いがあることを意味している筈である),この場合は プライヴァシーの利益の包摂関係があるとすることには,論理的に分かり にくいところがあるように思われる(また,後述の通り,場所内にある第三者 の物が例外的に捜索できる理由をプライヴァシーの利益の包摂関係で説明するのは,

基本的に困難であろう)。

(2) この点について検討するにあたっては,そもそも,「場所」とは何かと いうこと(場所の概念)を考える必要がある。場所とは,先ず,他と区分さ れた特定の位置や区画を示す機能を有する概念として外延的に捉えること ができるとともに2),内包としての一定の区画を意味する空間的概念とし て捉えることができる。

 1) 原田和往「捜索の範囲」『判例演習刑事訴訟法』〔2004年,成文堂〕61頁参照。

なお,井上正仁「場所に対する捜索令状と人の身体・所持品の捜索」『松尾浩也先 生古稀祝賀論文集下巻』〔1998年,有斐閣〕169頁は,「プライヴァシーや生活その 他の活動に係る権利・利益といったものの総体」の包摂関係とする。

 2) 田宮 裕『刑事訴訟法〔新版〕』〔1996年,有斐閣〕106頁は,「外延は管理権の 同一性で画される」という表現をしている。

(4)

 そこで,例えば,捜索差押許可状の「捜索すべき場所,身体又は物」の 欄に,「A県B市C町1番2号甲野ビル101号室乙野次郎方居室」などと

「場所」の表示のみがなされた令状が発付された場合の,当該令状を発付 した裁判官の捜索対象についての司法的審査の内容を,どのように解した らよいかを考えてみる必要がある。先ずは,他と区分して(上例の他の号室 や,その他の住居等と区別して),位置,区画を特定表示し,その表示された

「場所」についてのプライヴァシー等の利益の侵害を許容し(これは場所と いうものの外延から捉えており,この場合は,いわば包括的であり,ある種,観念 的である),そのうえで,その特定表示された空間内に現に存在している各 個の物についてのプライヴァシー等の利益の侵害を許容している(これは 場所の内包についてのものであり,これこそが現実的,具体的である)と解するの が合理的であろう。つまり,「場所」についてのプライヴァシーと言っても,

具体的・現実的なそれは,後者のもの,つまりその場所内にある物につい てのプライヴァシーなのであって(捜索により発見しようとする対象物が,む き出しで置いてある場合も,タンス等の中に入っている場合も同様であろう),「場 所」の捜索といった場合,結局その場所内にある具体的な物についての捜 索でなければ,現実的な意味をなさないのである(そもそも,当該空間の空 虚な部分を捜索するなどということは意味をなさない。ただ,被侵害利益としては,

当該場所の平穏といった目に見えない利益も考えることができる)。

(3) すなわち,裁判官によって「場所」に対する捜索令状(前述の通り,現 実には捜索差押許可状として一括して発付されることが多い)が発付されたとい うことは3),先ずは,当該場所を特定することによって,プライヴァシー等

 3) なお,酒巻匡「甲の居住する場所に対する捜索差押許可状によってそこに同居す る乙がその場で携帯していたボストンバッグについて捜索することの適否」ジュリ スト1147号129頁参照。そこでは,「場所に対する捜索が令状により許可されている場 合,それは,令状裁判官がその場所の管理権者・居住権者等の当該場所に対するプ ライヴァシーの利益を侵害・制約する『正当な理由』(憲35条)を認めたことを意味 する」と論じられているが,これは,令状裁判官の視点を重視していると思われ,

賛同できる。また,原田前掲論文61頁は,プライヴァシーの利益の包摂関係を前提と

(5)

の利益が侵害許容される当該場所とそれ以外の場所との区分がなされてい る(外延的画定・限定)ということであり(『外延は管理権の同一性で画される』

(前掲注2))とするように,ここでは当該場所の管理権等(一般には,その中にプラ イヴァシー等の利益を含む)が,当該場所の外延を画しており,裁判官による司法 的審査によって,包括的・観念的に,その区分された区画・範囲の中のプライヴァ シー等の利益に対する侵害許容がなされている),そのことはまた,まさに捜索 対象たる物の存在する空間を示していることにもなる(内包が与えられるこ とによって場所という概念が定義付けられる)。そして次に,その「場所」が特 定・表示されているということは,裁判官によって,その空間としての場 所内にある具体的な個々の物についての現実の捜索も許容されている,つ まり,それらについての個別のプライヴァシー等の利益に対しても裁判官 の司法的審査によって侵害許容がなされている(なお,公平な第三者機関た る裁判官が考慮の対象とするのは,国民の基本権と捜査の必要性との比較衡量でな ければならないのであって,その判断の一資料として,プライヴァシーの利益の包 摂関係についても考慮が払われるであろうが,必ずしも,上記包摂関係を前提とし て場所に対する捜索令状を発付しているとは限らない),と考えることができる

(この意味で,前記の裁判官の司法的審査による『侵害許容』そのものについては,

ある種の包摂関係を考えることも可能だろう)。

(4) 結局のところ,場所についてのプライヴァシーの利益と当該場所内に ある物についてのプライヴァシーの利益との間に包摂関係があるからと限 定してしまうのではなくて(プライヴァシーの利益の包摂関係がある場合もある だろうが),場所というものの前述した存在構造(存在論的構造)を前提とし て,裁判官が「場所」に対する令状発付についての審査をして捜索令状を 発付したということは,包括的に当該場所のプライヴァシー等の利益の侵 害についての司法的審査がなされ,その結果,それについての侵害許容が なされ,そのことは,場所というものの存在構造から概念必然的に,合わ

 したうえではあるが,「場所を対象とする捜索令状についての令状係裁判官の審査が,

令状には記載されていない物についても及んでいると評価でき」る,としている。

(6)

せてその場所内に存在する各個の物についてのプライヴァシー等の利益の 侵害にも及んでおり,現に侵害許容がなされた(司法的審査がなされた)と するのである。

 したがって,結論的には,通説と同様,場所に対する捜索令状によって する捜索の場合には,原則的に,その場所内に存在する物についても捜索 することができると解すべきであるが,その理由については,プライヴァ シーの包摂関係ということに限定せず,先ずは,場所というものの存在構 造(外延と内包に分けて考える)にあり,合わせて,令状主義の理念の具体的 適用(プライヴァシー等の利益に対する裁判官による司法的審査の結果としての侵 害許容)にあると考える。すなわち,場所というものの存在構造とそれを 前提とした令状主義の具体的適用の結果,場所に対する捜索令状によって,

当該場所内にある個別の物についても捜索が許されることになると考える のである。

  第三者の物と,人の携帯品・着衣について

 以上のように考えると,場所に対する捜索令状で捜索できる範囲につい て具体的に検討すべき問題点としては,次の二点が重要になってくる。

 第1は,当該令状記載の場所にもともとは存在していなかった物が,た またま,外から来た第三者によって持ち込まれ,その場所内に置かれて あったような場合に,当該場所に対する捜索令状でその物を捜索すること ができるのか,という問題である。

 第2は,人の身体に対する捜索は身体を捜索対象とする令状が必要とさ れるところからして,その場所内にいる人(当該場所に通常居住している者と,

外部から来てその場に居合わせた第三者とを含む)の携帯品や着衣に対してまで も場所に対する捜索令状で捜索できるのか,という問題である。

(1) 第1の問題については,第三者の物であっても,その場所内にある以

(7)

上,その場所内にある他の物と同様に,その場所の管理権者の管理下にあ るといった言い方はできるであろう。しかし,第三者の物4)である以上,

もとよりプライヴァシー等の利益は別個なのであって,その点から考えれ ば,当該場所と同一の管理下にあるというだけで,第三者の物が当該場所 に対する捜索対象に含まれると解すべきではないだろう。

 そもそも,憲法35条が,捜索を受けない権利を保障しているのは,各個 人ごとのプライヴァシー等の利益を保護しているからであるとすべきであ り,そうであれば,そこまでは,裁判官による司法的審査としてのプライ ヴァシー等の利益に対する侵害許容も及んでいないのであり,その第三者 によって持ち込まれた物をその第三者自身が携帯している場合は勿論,そ こに置いてあったとしても(更に言えば,その第三者がその場所に居なかったと しても),このような第三者の物についてまで,場所に対する捜索対象の中 に含まれると解するのは,原則的には,正当でないと思われる。

 ただ,①第三者がその場所の居住者等にその使用等を許しているところ から,それら居住者等の支配下にあると認められる物に対する場合や,② その場所にいる者が,そこにある当該第三者の物の中に,当該場所内にあっ た物を隠匿したと認められるような場合(当該被捜索者や当該事件のいずれと も全く無関係な場所等に物を投げ入れたような場合とは事情を異にする)などにつ いては,例外的に捜索し得る場合があると思われる。

 このような例外的に捜索できる場合の理由を,このような場合は第三者 の物についてもプライヴァシーの利益の包摂関係が認められるからと捉え るのでは,妥当性を欠くことになると思われる。この点からしても,この ような場合は,例外的に捜索できる第三者の物も,場所の存在構造から当 該場所内の物に含まれるとしたうえで,かつ,裁判官の司法的審査におけ る捜査の必要性などとの比較衡量判断の中ではこのような場合も想定され ているのであり,このような場合の第三者の物に対しては,プライヴァシー

 4) 第三者の排他的支配の下にあると認められる物,とするのは前掲注1)井上170 頁。

(8)

等の利益に対する侵害許容が及んでいるという視点から捉えていくのが,

現実的であろう。

 特に②の場合は,後述の(2)(ロ)薗で挙げた,本来,捜索が許容されてい る物であれば,追跡して捜索できるとの考え方とパラレルに捉え得るので あって,それはまさに,司法的審査の結果,裁判官が第三者へのプライ ヴァシー等の利益に対する侵害をも許容している場合と解し得るであろう

(なお,①の場合も,もともと第三者の物である以上,プライヴァシーの包摂関係を 基本に据えることは難しいだろう)。

(2) 第2の問題については,基本的には,当該携帯品や着衣が,身体の一 部とみなされるか否か,つまり,身体と一体のものと評価し得るか否かに よって判断すべきであると思われる。

 なぜならば,当該物が人の身体と一体であると評価し得るような状況下 にある場合は,人の身体そのものと同視して,人格の尊厳や人身の自由(身 体の安全・自由など)といった,「場所」より高度な,別個の被侵害利益ない し権利を考えなければならないからである。

 そうであれば,この問題については,通常その場所に居住している者と,

外部から来てその場に居合わせた者とを,区別して論ずる必要はない(両 者を区別して論ずる見解5)もあるが,そのような見解には賛成できない)。

(イ) そこで先ず,携帯品に関しての判断がなされた判例を見ていくこ とにする。最高裁は,平成6年9月8日決定において,場所に対する捜 索差押許可状により,当該場所に居住する下記被告人(下記Aの内縁の夫)

の携帯品(ボストンバッグ)を捜索することができるかについて,次のよ うに判示した。

 すなわち,「警察官は,被告人の内妻であったAに対する覚せい剤取締 法違反被疑事件につき,同女及び被告人が居住するマンションの居室を 捜索場所とする捜索差押許可状の発付を受け,……右許可状に基づき右

 5) 小野清一郎ほか『ポケット注釈全書刑事訴訟法(上)〔新版〕』〔1986年,有斐 閣〕258頁など。

(9)

居室の捜索を実施したが,その際,同室に居た被告人が携帯するボスト ンバッグの中を捜索したというのであって,右のような事実関係の下に おいては,前記捜索差押許可状に基づき被告人が携帯する右ボストンバッ グについても捜索できるものと解するのが相当である」6)とした。

 思うに,上記判例の事案では,当該ボストンバッグは,もともと当該 場所内に存在していたものであり,当該場所の中で,同居人が携帯して いた状態で差押えられているのであってみれば,それについてのプライ ヴァシー等の利益を別個に考慮しなくてもよい事案だったのであり,そ れに対しては,当然に,裁判官の司法的審査によるプライヴァシー等の 利益に対する侵害許容が及んでいたと言える7)。さらに,携帯品の場合は,

着衣などと違い,身体の一部と同一視するほどの一体性があるものとみ なすことにも無理がある。

 したがって,この判例の結論は妥当であったと評し得るであろう8)

(ロ) 着衣についての捜索

 なお,上記判例の事案は,あくまで捜索場所内にいる人が「携帯して いた物」についてのものであり,着衣や身体についての判断はなされて いないと解すべきである9)

  そこで,あらためて,身体とも比べながら,着衣について考えてみる。

苑 衣類については,それが室内に置かれているだけの場合は,その 場所内の物として扱われるものの,それが一旦身に付けられた状態

 6) 最決平成 6・9・8刑集48巻6号263頁。

 7) なお,もともと,その場所内に存在していた物の場合であれば,たまたま,そ こに居合わせた第三者が手に持っていたとしても,現に誰が所持していたかは重 要ではなく,同様の理由により捜索できる。なお,前掲注3)130頁は,「居住者でな い第三者の携帯品であってもそれが捜索場所にもとから存在した物件で,捜索場 所の管理権者・居住者の支配・管理下にある物であったとすれば,当該場所に対 する捜索令状でこれを捜索できないとする理由はない」とする。

 8) なお,本判例の評釈としては,前掲注3)128頁以下,前掲注1)原田57頁以下各 参照。

 9) 前掲注1)原田64頁参照。

(10)

になると,つまり,着衣となると,身体の一部と同視すべきことに なり,身体に対するのと同様,身体を捜索対象とする令状がない限 り捜索することはできない。

 それというのも,人格の尊厳と言い人身の自由と言った場合の人 は,人が社会的存在である以上,衣服を身に着けた平常の状態が前 提となっているのであって,着衣は身体の一部とすべきだからであ る(もっとも,捜索の最中ないし直前に,捜索場所で衣服を身に着けたよう な場合については,前述の携帯品の場合と同様に考える余地があるだろう)。  また,例えば,身体捜索の場合,現実に捜索の対象となるのは,

一般に,「着衣の内側,身体の外表にも及ぶ」10)と言われたりするが,

このような見解も,捜索の場合,着衣は基本的に身体と一体のもの として扱われるべきことが前提になっているからであると解される。

 なお,身体に対する捜索は身体の外表に及ぶ場合もあるが,基本 的には,着衣の上からに止まるべきであって(但し,頭髪の中は,基本 的に,許されるであろう),それを超える場合,つまり,検証で対象と されるような,体腔部分を捜索したり,全裸にして捜索する場合な どは,捜索令状のほかに身体検査令状(法218条1項後段,同条4項)

が必要である(但し,口腔内は捜索令状だけで捜索できる場合もあるだろ う)とすべきである11)

薗 ところで,着衣についてであっても,一定の場合には例外的に捜 索が許される場合もある。この点の理由付けについては学説も分れ るが,上述したように,身体との一体性という視点からして,着衣 をもって,その場所内の「物」に該当すると考えることはできない。

そこで,「場所に対する令状により捜索することが本来的に許容され

10) 田口守一『刑事訴訟法〔第4版補正版〕』〔2006年,弘文堂〕95頁。

11) なお,身体の捜索について,伊藤栄樹ほか『新版注釈刑事訴訟法第 3巻』〔1996 年,立花書房〕204頁〔伊藤栄樹・河上和雄補正〕参照。

(11)

ていた物について,どこまで追跡して捜索することができるかとい う観点」12)から考えていくのが妥当であると思われる。

 このような観点に立って考えれば,そこに居る者が「捜索の最中 又はその直前にその場にあった目的物件を身体ないし着衣に隠匿し たと認められ,又は,そのように疑うに足りる合理的な理由がある 場合」13)に限って許されるとすべきである。

第 3  差押対象物以外の物の写真撮影

 捜索を行っている際に,別罪の証拠が発見される場合がある。そのよう な場合,当該物件が令状記載の物件に含まれていなければ,捜索も差押え もできないとするのが通説である。

 たとえ,場所に対する捜索差押令状により,その場所内にある物を捜索・

差押えできるとしても,それは,あくまで,当該被疑事件に係るものであ ることが前提となっている以上(事件単位の原則),別罪についての証拠を捜 索・差押えすることはできないからである(ただし,その物が,法禁物である 場合については,別個の理論構成により差押えが可能となる場合があるが,ここで は特に論じない)。

  差押対象物以外の物の写真撮影の是非

 そこで,差押対象物以外の物を写真撮影することが許されるか,という ことが問題とされる。通説は,このような写真撮影は,令状主義に反する ことになり,許されないとしている。

(1) ところで,捜索・差押えの執行現場においては,しばしば写真撮影が 行われている。しかし,これについては,実務上,当該差押対象物につい て,その捜索・差押手続の適法性を担保するためにその執行状況を明らか

12) 前掲注1)原田64頁。なお,新関雅夫・佐々木史朗ほか『増補令状基本問題・

下』〔1996年,一粒社〕232頁〔島田仁郎〕参照。

13) 前掲注12)新関・佐々木ほか232頁~233頁〔島田仁郎〕。

(12)

にする目的で行われ,あるいは,当該証拠物の発見状態を発見場所ととも に撮影することによって,当該証拠物の存在状況をも明らかにし,当該証 拠物の証拠価値を保存するために行われているものとされる14)

 ただ,この場合も,写真撮影自体が,基本的に,検証の性質を有すると されているところからすれば,本来的には,別途,検証令状が必要とされ なければならない筈である。しかし,このような写真撮影について,実務 上は,捜索・差押えに付随する処分として許されるとされている15)のであ る。

 思うに,このような当該差押対象物たる証拠物についての写真撮影であ る限りは,プライヴァシー侵害の程度も,もともとの捜索・差押えによっ て侵害せざるを得ないことになる範囲内のもの(これは,裁判官の令状発付 についての司法的審査において当然予測している範囲内のプライヴァシー侵害とい うことになる)とも言えるので,写真撮影することによるプライヴァシー侵 害が軽微なものに止まる限り,写真撮影の必要性が大きいところなどから して,あえて違法とするまでのことはないであろう16)

(2) しかし,捜索・差押対象物以外のものとなると,上記と同様に解する わけにはいかない。本来,写真撮影は,基本的に,検証の性質を有するも のであるし(ただし,後掲平成2年最高裁決定での補足意見も指摘するように,

検証に際して行われる写真撮影は,厳密に言えば,『検証の結果をフィルムに収録す る行為』である),このような形態の捜索・差押対象物以外の物についての 写真撮影は,前述のような当該捜索・差押えに付随した処分とも言えない のであって,検証令状なしに行うことは許されない。

 したがって,令状主義からして,検証令状なしに行う捜索・差押対象物以

14) 例えば,東京地決平成元・3・1判時1321号160頁など。

15) なお,学説においても,例えば,三井 誠『刑事手続法(1)〔新版〕』〔1997年,

有斐閣〕48頁は,「捜索・差押えをうける者にとってプライヴァシー侵害は,捜 索・差押えの実施に不可避的に伴うからその範囲内であるかぎり受忍限度内にあ るといえる」としている。

16) なお,前掲注15)48頁参照。

(13)

外の物に対する写真撮影は,違法とせざるを得ない。後掲平成2年最高裁 決定における補足意見でも,この点について,「捜索差押許可状に明記され ている物件以外の物を撮影した場合には,捜索差押手続に付随した検証行為 とはいえないので,本来は検証許可状を必要とするものであり,その令状な しに写真撮影したことは違法な検証行為といわざるを得ない」としている17)

  違法な写真撮影と準抗告

 ここで,次に問題となるのは,このような違法な写真撮影を行ったこと に対し,準抗告の申立ができるか,ということである。

(1) この点については,違法な写真撮影処分の取消しを求める準抗告につ いては,これを認めるが,ネガ等の申立人への提出等を求めることは不適 法であるとする裁判例18)などもある。

 ところで,最高裁は,平成2年6月27日決定において,次のような判断 を示した。すなわち,捜索差押許可状記載の「『差し押えるべき物』に該当 しない印鑑,ポケット・ティッシュペーパー,電動ひげそり機,洋服ダン ス内の背広について写真を撮影したというのであるが,右の写真撮影は,

それ自体としては検証としての性質を有すると解されるから,刑訴法430 条2項の準抗告の対象となる『押収に関する処分』には当たらないという べきである。したがって,その撮影によって得られたネガ及び写真の廃棄 又は申立人への引渡を求める準抗告を申立てることは不適法であると解す るのが相当である」19)とした。

 つまり,この判例は,ネガ等の廃棄又は申立人への引渡を求める準抗告 を否定しただけでなく,そもそも,写真撮影は,それ自体としては検証の 性質を有するのであるから,準抗告の対象となる「押収に関する処分」に 当たらないとして,写真撮影それ自体に対する準抗告申立の可否について,

17) なお,東京高判平成 5・4・14判タ859号160頁参照。

18) 大津地決昭和60・7・3刑裁月報17巻 7・8号721頁。

19) 最決平成 2・6・27刑集44巻4号385頁。

(14)

これを消極に解したのである。

 この点についての学説は,継続的な権利侵害があることなどから実質的 に押収処分と変わらない場合には準抗告を認めるべきであるとするもの20)

が有力である。

(2) ところで,検証とは,五感の作用により場所,物,人の身体の存在・

状態等を認識・感得する処分であるところ,写真撮影は,前述の通り,基 本的に検証の性質を有しているものの,上掲平成2年最高裁決定での補足 意見も指摘しているように,それ自体は,厳密に言えば検証(五感の作用に より認識すること)の結果をフィルム(デジタルカメラであれば,カメラそのも の)に収録する行為であると言える。そして,その機能面に注目すれば,

収録されたフィルムは,やがて,現像されプリントされて,いつでも見る ことのできる状態で保存される(デジタルカメラであれば,コンピューターに 移し,情報としてディスク等の中に保存される。そして,それをコンピューターシ ステムのディスプレイ上に表示したり,プリントアウト等をすることによって,い つでも見ることができる)。

 これは,結果において,撮影対象物を差押えたのと実質的効果に差異が ないことになる。特に,その対象が,文章としての内容を有するものであ るような場合(例えば,報告文書や日記帳あるいはメモ書きなどの文書)は,当 該文書が差押えられて,それを読むことが可能になるのと,いささかの差 異もないことになる21)

(3) 以上の検討からすれば,撮影対象が,物の外観のみに係る場合などは ともかくとして(上掲平成2年最決の場合は,外観に係るところが多いとも言い

20) 白取祐司『刑事訴訟法〔第4版〕』〔2007年,日本評論社〕128頁,光藤景皎

『刑事訴訟法Ⅰ』〔2007年,成文堂〕170頁,福井 厚『刑事訴訟法講義〔第3版〕』

〔2007年,法律文化社〕138頁,前掲注10)89頁,後藤 昭『捜査法の論理』〔2001 年,岩波書店〕27頁など。

21) つまり,当該文書について押収の処分をしたのと変わらないことになる。前掲 注10)89頁は,メモや日記帳の内容を撮影する場合は,実質的に当該物件の押収に 等しいとする。

(15)

得るが,外観のみに係るとまでは断定できないであろう),対象物の内容(特に文 章など)をも撮影したような場合は,そのような写真撮影をもって基本的 に検証としての性質を有しているとしたうえで,次に,前記有力説がそれ ぞれ指摘するように,そのような場合の実質的機能面に着目して22),それ を差押えそのものと同様の機能を有する(占有を取得したと同様の効果を有す る)ものと評価し(ここでは,この機能面こそが重要である),それらの点から,

違法な「押収に関する処分」と同一視できるものと考えるべきである。

(4) すなわち,前述のとおり,検証令状なしに捜索・差押対象物以外の物 を写真撮影することは,令状主義に反し,違法であって許されないのであ り,また,その実質的機能が差押え(押収)をしたのと変わらない場合が あるのだから,それが違法であるということと,上記のような場合の実質 的機能との双方に着目すれば,そのような場合は,まさに「違法な」「押 収に関する処分」がなされたのと同一視できる場合にあたると思われるの である。そうであれば,前述のような場合の違法な写真撮影に対しては,

準抗告が認められて然るべきであろう。

 なお,この問題は,本来的には,検証処分そのものに対しても準抗告が できることを明確にするための立法措置を講じることによって解決される べきであると思われる23)

第 4  強 制 採 尿

  強制採尿の問題点

 覚せい剤の自己使用罪を立件し,自己使用の事実を証明しようとする場 合には,被疑者の尿中に覚せい剤成分が残留していたことをもって証拠資

22) この点特に,前掲注20)後藤27頁は,「検証であっても実質的に押収の代替手段 としての意味を持ち,押収と同様に処分後も重要な権利制約が継続すると認めら れる場合に限っては,押収と同様な不服申立の可能性を認めなければならないは ずである」としている。

23) なお,検証に対する準抗告を認める立法措置をとるべきことを示唆するものと して,前掲注20)後藤27頁,前掲注15)48頁各参照。

(16)

料とするのが一般である。そこで,覚せい剤自己使用の嫌疑のある場合に は,先ずは尿の任意提出を求めることになるが,被疑者が頑として尿の任 意提出に応じない場合も少なくない。そこで,捜査実務では,被疑者の尿 道にカテーテル(導尿管)を挿入して膀胱に至らせ,そこに貯留されている 尿を強制的に採取する方法が採られるようになった。

 そこで,そもそも,このような強制採尿自体が許容されるのかというこ とと,仮にそのような強制採尿が許容されるとして,そのような身体に直 接侵襲していく形態の強制処分の令状をどのように考えるかということが,

強制採尿の適否の問題と併行して,問題とされてきた24)。なお,後掲昭和 55年最高裁決定が,その適法性を認め,そこにおいて強制採尿のための令

状を創出したことからしても,この点の検討は重要である。

 上記のような強制採尿は,その必要性から,現実の実務においては行わ れており,これを適法とする学説もある。しかし,多くの学説は,その説 くところにニュアンスの差があるものの,基本的には違法とする立場に立っ ている25)と言える。その理由とするところは様々であるが,要するに,そ の方法が著しく人格の尊厳を侵すものであるということと,そのための令 状について定めた規定もなく,現行法の中に適法根拠を見出すことは困難 なのであって,強制処分法定主義に反するということである(だから,多く の学説は,その令状をどのようにするかについては,いわば予備的に考えてきたと も言えるのである)。

 さらに,強制採尿をするための施設に,身柄を拘束されていない被疑者 を強制連行することが許されるか否かも問題とされる。

24) 基本的に違法とする立場に立つ学説も,実務の現実からか,令状の形式をどう するかなどについても論じているものが多い。

25) 前掲注20)白取149頁,前掲注20)光藤167頁,前掲注15)63頁,寺崎嘉博『刑事 訴訟法〔補正版〕』〔2007年,成文堂〕92頁など。なお,前掲注10)99~100頁は,

「基本的には否定説が妥当と考える」としたうえで,令状の形式については,後記 併用説についても一定の評価を与えている。

(17)

  強制採尿の適否と令状

(1) 強制採尿について,これまで,下級審の裁判例では,違法とするもの と,適法とするものとが対立していた26)が,最高裁は,昭和55年10月23日 決定において,捜査機関が,身体検査令状及び鑑定処分許可状の発付を得 て,鑑定受託者たる医師に採尿を依頼し,同医師が,先ず,自然排尿の機 会を与えた後,数人の警察官によって身体を押さえつけられている被疑者 の尿道にゴム製導尿管(カテーテル)を挿入して採尿した事案について,次 のように判示した。

 すなわち,「強制力を用いてその身体から尿を採取することは,身体に対 する侵入行為であるとともに屈辱感等の精神的打撃を与える行為であるが,

……カテーテルを尿道に挿入して尿を採取する方法は,……医師等これに 習熟した技能者によって適切に行われる限り,身体上ないし健康上格別の 障害をもたらす危険性は比較的乏しく,仮に障害を起こすことがあっても 軽微なものにすぎないと考えられるし,また,右強制採尿が被疑者に与え る屈辱感等の精神的打撃は,検証の方法としての身体検査においても同程 度の場合がありうるのであるから,被疑者に対する右のような方法による 強制採尿が捜査手続上の強制処分として絶対に許されないとすべき理由は なく,被疑事件の重大性,嫌疑の存在,当該証拠の重要性とその取得の必 要性,適当な代替手段の不存在等の事情に照らし,犯罪の捜査上真にやむ をえないと認められる場合には,最終的手段として,適切な法律上の手続 を経てこれを行うことも許されてしかるべきであり,ただ,その実施にあ たっては,被疑者の身体の安全とその人格の保護のため十分な配慮が施さ れるべきものと解するのが相当である」と述べて,適切な法律上の手続を 経て行えば許容されるとした。

 そして,適切な法律上の手続については,「体内に存在する尿を犯罪の証

26) 違法とするものとして,後掲注27)掲記の昭和55年最決の原審である名古屋高判 昭和54・2・14判時939号128頁。適法とするものとして,東京高判昭和54・2・21 判時939号128頁。

(18)

拠物として強制的に採取する行為は捜索・差押の性質を有するものとみる べきであるから,捜査機関がこれを実施するには捜索差押令状を必要とす ると解すべきである。ただし,右行為は人権の侵害にわたるおそれがある 点では,一般の捜索・差押と異なり,検証の方法としての身体検査と共通 の性質を有しているので,身体検査令状に関する刑訴法218条5項が右捜索 差押令状に準用されるべきであって,令状の記載要件として,強制採尿は 医師をして医学的に相当と認められる方法により行わせなければならない 旨の条件の記載が不可欠である」と判示したのである。

 さらに,本件強制採尿が,身体検査令状と鑑定処分許可状とを併用して 行われた点については,「身体検査令状と鑑定処分許可状の両者を取得して いる場合には,医師により適当な方法で採尿が実施されている以上,法の 実質的な要請は十分充たされており,この点の不一致は技術的な形式的不 備であって,本件採尿検査の適法性をそこなうものではない」とした27)。  そして,その後の実務では,上記判例が示した条件の記載された捜索差 押令状のことを,強制採尿令状と呼び,それによって強制採尿が行われて いる。

(2) 判例は,強制採尿のために,捜索差押令状に上記のような一定の条件 の記載された「強制採尿令状」と呼ばれるものを新たに創出したのである が,これまで,強制採尿についての令状を何に求めるかについては,第1 に,検証としての身体検査令状説,第2に,鑑定処分許可状説,第3に,

上記第1の身体検査令状と第2の鑑定処分許可状との併用説,の三つの考 え方が提示されてきた。

 第1の身体検査令状説は,刑訴法222条の準用する同法139条によって,

検証としての身体検査の場合には直接強制ができるところを,主たる根拠 とする。さらに,検証としての身体検査においても鑑定におけるのと同程

27) 最決昭和55・10・23刑集34巻5号300頁。本判例の評釈として,大野正博「強 制採尿」『判例演習刑事訴訟法』〔2004年,成文堂〕89頁以下参照。

(19)

度のことが行えるとの考え方28)が,その根底にあるものと思われる。しか し,検証の概念からして(検証の概念からすれば,検証としての身体検査の場合 は,身体の外表・体腔部の観察・認識が限度となる),身体への侵襲までは認めら れないと批判される。

 第2の鑑定処分許可状説は,検証としての身体検査は,あくまでも五感 の作用によって身体(身体の体表及び体腔部が限度)を外部から観察して認識 するにとどまるものとされるところ,強制採尿は,強制的に身体内部に侵 襲するものであることから検証にはなじまないし,何らかの身体損傷が生 じる可能性もあるので,専門家の特別な医学的知識と技術をもってすべき であるとして,鑑定処分(鑑定処分としての身体検査)に含ませるのである。

この考え方は,鑑定受託者による場合の鑑定処分では,間接強制はできる が,直接強制によることができないので,その点が批判される29)。  第3の併用説には,いずれの令状を基本に据えるかの違いから二つの立 場がある。すなわち,その一は,鑑定処分許可状を基本とするが,鑑定受 託者による鑑定処分では直接強制ができないので,直接強制をするにあたっ て身体検査令状にもよるとする。その二は,身体検査令状を基本とし,身 体に侵襲するにあたって医師等の専門家の特別の知識と技術を必要とする ところから鑑定処分許可状を併用すべしとする。そして,上掲の昭和55年 最高裁決定が出るまでの実務においては,上記二つの立場のいずれに立つ かはともかくとして,併用説にしたがって実施するのが一般であった。

 なお,近時の併用説の中には,鑑定をもって検証の特別形態であると理 解し,そうであるが故に,検証における直接強制は鑑定にも及ぶとする考

28) 例えば,伊藤栄樹ほか『新版注釈刑事訴訟法第 2巻』〔1997年,立花書房〕281 頁〔亀山継夫〕など。

29) なお,この説は,鑑定受託者による処分等について定めた法225条が法172条を 準用していないにもかかわらず,法172条の準用ないし類推適用を認め,その結果,

法172条 2項によって,第10章の中で定められている法139条により直接強制を認 めようとするのであるが,法225条が準用していない条文を準用ないし類推適用し たうえで,法139条により直接強制ができるとすることには無理がある。

(20)

え方30)がある。

(3) ここで,上掲昭和55年最高裁決定の採った,いわゆる強制採尿令状(上 記の条件の記載された捜索差押令状)によるとの判例理論と,併用説について 検討していくことにする。

(イ) 先ず,判例のいわゆる強制採尿令状によるとの考え方から検討し ていく。

 判例が強制採尿を捜索・差押と位置づけ,前記のいわゆる強制採尿令 状を創出したことについては,強制処分法定主義からして,疑問と言わ ざるを得ない。すなわち,捜索・差押の対象は,あくまで「物」であり,

人の生体内(膀胱内)に貯留されている尿を「物」として捉えるなどと いうことは,本来,捜索・差押という強制処分の予測していないところ だからである(そもそも,人の生命活動の過程において体内に貯留され,未だ 排出されていないものと外界に存在する「物」とは,本質的に価値を異にする), そして,そのように刑訴法の予測していない新たな類型の令状を創出し たことは(それが国民の権利・利益を侵害する方向のものだけに,なおさら), 判例の法創造機能の限度を超えているのではないかとの疑問が生じる31)。  また,判例の理論は,強制採尿手続によって生じる被採取者の権利侵 害について,身体的な面に主として着目し,精神的な面を軽視している きらいがある。カテーテルによる強制採尿行為そのものの現実面を直視 し,その処分としての特異性(屈辱感を与え,かつ羞恥心を害しているとい うのは,他の強制処分の内容と比較して重大と言わざるを得ない)が,いかに,

30) 前掲注10)100頁,前掲注27)大野96頁。詳細は井上正仁「刑事手続における体 液の強制採取」『法学協会百周年記念論文集第 2巻』〔1983年,有斐閣〕706頁以下,

同『強制捜査と任意捜査』〔2006年,有斐閣〕87頁以下。なお,裁判所の命令で行 う鑑定の場合は,法文上もともと直接強制ができるのだから,このような考え方 は,理念上の問題はともかくとして,法文上直接強制のできない鑑定受託者によ る鑑定の場合にこそ現実的意味がある。

31) このような判例による新たな令状の創出に批判的なものとして,前掲注25)寺 崎94頁,高田昭正「強制採尿」『刑事訴訟法判例百選〔第 8版〕』67頁各参照。

(21)

人格の尊厳を侵すものであるかということをこそ重視すべきである(な お,この点は,次に検討する併用説をとっても解決はされない)。

(ロ) 次に,検証としての身体検査令状と鑑定処分許可状とを併用する との,いわゆる併用説について検討してみる。

苑 そこで先ず,検証と鑑定受託者による場合の鑑定処分の性質,要 件などについて,少しく考えてみる。

 検証としての身体検査に直接強制が認められるのは,もともと検 証が五感の作用により場所,物,身体の存在・形状等を認識し感得 するにすぎない処分であり,それは,身体に対する場合であっても,

外表を基本とし,それ以上については,せいぜい外部からの視認等 の可能な体腔部が限界とされるところからして,観察し認識するた めに通常考えられる方法を超えた著しい権利侵害などは起こらない 筈であると想定されたからであろう(この点は捜査機関が行う場合も裁 判所が行う場合も,基本的には変わらないであろう)。

 ところで,鑑定処分は,特別の知識・経験を有する医師等の専門 家によってなされることから,身体への侵襲をも認めるものである ところ(検証と比べ,権利侵害性の質的程度が高くなる可能性が高い),こ こでの鑑定受託者による場合の鑑定処分は,①当事者主義の下にお ける対立当事者たる捜査機関の行う処分として行われ(実施にあたっ ては,医師等専門家の手によって行われはするが),かつ,②身体への侵 襲を伴う処分が行われる(検証では身体へ侵襲は認められない)という ことになる。

 つまり,この二つの点に着目して,そうであるからこそ,本人の 自由意思の尊重が,より重要になってくるのであり,その点から,

直接強制はできないとされたのだと解すべきであろう32)。そうであ

32) 法172条,139条により,裁判所の命じた鑑定人の請求によって裁判官が行う場 合は直接強制が可能であることと対比すべし。なお,前掲注28)423頁 〔亀山〕は,

裁判官が行う場合でも,裁判官が,直接自分で行わなければならないわけではな

(22)

れば,上記二つの強制処分(検証としての身体検査と鑑定受託者による 鑑定処分としての身体検査)の要件は,それぞれの中で,被侵害利益と 捜査の必要性との利益衡量に配慮して定められていると考えること ができる。

薗 このように考えると,併用説にも,以下に述べるようなところか らして,疑問がある。なお,併用説の立場から,鑑定を検証の特別 形態であると理解し,検証における直接強制は鑑定受託者による鑑 定の場合にも及ぶと構成したうえで,身体検査令状と鑑定処分許可 状との併用を認める前記の見解は,現行法の沿革なども考え,捜査 の必要性と被侵害利益との調整に配慮しつつ,総合的視点に立って,

立法の隙間を埋めていこうとする考慮に基づく理論構成であるとも 評価し得るが,結果的には実務の現状を追認することになる解釈と 言わざるを得ないだろう。なぜならば,この理論の実際の適用を考 えてみれば,それは,これら二つの処分についてそれぞれ別個に定 められている要件を,両者に共通の要件とし,いわば相互乗り入れ させている点において,従来の併用説と変わりがないからである。

したがって,この見解も,基本的なところで従来の併用説と同様の 疑問がある。

遠 併用説に対する疑問は次のように集約できる。つまり,苑で前述 したところからも分かるように,これら二つの処分は,それぞれ,

その性質(特にその権利侵害の程度や目的)に違いがあるところから,

その要件にも違いがあるのであって(さらに,あらためて,検証の場合 は,裁判所が行う場合も捜査機関が行う場合も直接強制ができるのに,鑑定 処分については,鑑定人が裁判官に請求して行う場合は直接強制ができるが 鑑定受託者が行う場合は直接強制ができないとされている理由を再考すべき である),被処分者側の権利の視点から考えると,それぞれの処分に

いのであって,「鑑定人を立ち合わせたうえ,裁判官の直接の監督の下に鑑定人を して身体の検査を行わしめることができ」,その方が相当であるとする。

(23)

ついての要件は,各個別々に検討されることこそが重要なのである。

 したがって,捜査側の必要があるにしても,それぞれの手続要件 を両者に共通の手続要件とすることには基本的な疑問があるという ことである。そしてそれは,本来的には避けるべきことであると思 われる。

(ハ) 以上の検討からすれば,判例理論による強制採尿は,実務運用が これにしたがっている現実は認めざるを得ないが,強制処分法定主義か らして基本的に疑問がある。

 また,前記のような,鑑定を検証の特別形態であると理解する立場か らの併用説の考え方についても,前述の通り,実際の適用において,従 来の併用説に対するのと同様の疑問がある。

 結局,併用説については,現在のところ,上記判例の創出した強制採 尿令状による方式との比較の上に立って考えれば,止むを得ざる方法と して,これを認め得る余地もあるが(特に,前記の,鑑定をもって検証の特 別形態であるとの理解に基づく考え方),上記のような問題点があり,それ は,あくまでも,現状における立法の隙間を埋めるための必要性から生 み出された一つの妥協的方策として捉えていくべきである(なお,実際に は判例のとる方法で実務が運用されているが,これも必要性から生み出された暫 定的・妥協的方式であると認識しておく必要がある)。

 したがって,この問題は,やはり,立法的に解決されるのが本筋であ る。但し,新立法によっても,それが判例のいう強制採尿令状を追認す るだけのものであれば,強制処分法定主義に反するとの問題は解決する にしても,人格の尊厳を侵すとの問題までが解決されるかは疑問である。

新立法にあたっては,覚せい剤事犯の捜査方法全般をも含めた広い視野 に立った方策が検討されるべきであろう。

  強制採尿のための施設等への強制連行の可否

(1) ここで問題となるのは,逮捕・勾留されていない被疑者が,採尿する

(24)

ための設備を備えた施設に任意に同行を求められ,これを拒否した場合に,

当該被疑者を強制的にその場所まで連行することができるか否かというこ とである。

 この点については,積極,消極の両説があるが,積極説は,①捜索差押 における「必要な処分」(法222条1項で準用される法111条所定の「必要な処分」

として)として許容されるとする説(必要処分説),②強制採尿令状そのもの の効力として許容されるとする説(令状内在説),③強制採尿令状に強制連 行できる旨の条件が記載されていれば許容されるとする説(令状記載説)の 三つに分かれる。

(2) 最高裁は,平成6年9月16日決定で,「身柄を拘束されていない被疑者 を採尿場所へ任意に同行することが事実上不可能であると認められる場合 には,強制採尿令状の効力として,採尿に適する最寄りの場所まで被疑者 を連行することができ,その際,必要最小限度の有形力を行使することが できるものと解するのが相当である」と判示した33)

 したがって,判例は上記②の令状内在説の立場に立っていることにな る34)。しかし,この判例には学説から多くの批判が加えられている35)

(3) 思うに,上記判例の立場については,捜索差押令状(前述の通り,この 場合は強制採尿令状と呼ばれる)と逮捕状との性質の違いに遡って考えると,

基本的なところで疑問が生じる。

33) 最決平成 6・9・16刑集48巻 6号420頁。

34) なお,下級審の裁判例は,①の必要処分説に立つものと,②の令状内在説に立 つものとに分かれていた。必要処分説に立つものとして東京高判平成 2 ・8・29判 時1374号136頁,令状内在説に立つものとして東京高判平成 3・3・12判時1385号 129頁がある。

35) 例えば,「『強制採尿令状』を創出しただけでなく,ひとつの令状に他の強制処 分の内容をも盛込んだ点で,二重に疑問」(前掲注25)寺崎95頁)であるとされ,

あるいは,「強制採尿令状が判例の法創造の産物であるのに,目的達成のために,

その効力として強制連行を認めることは,さらに歩を進めた実質的立法と判断す るほかない」(前掲注27)大野98頁)といった批判がある。

(25)

 というのも,弾劾的捜査観の下においては,捜索差押令状などのように 証拠物等の収集を目的としている令状は,捜査機関がもともと有している 証拠収集の権限を顕在化させたものである(つまり,文字どおり許可状であ る36))のに対し,逮捕状のような身柄を拘束するための令状は,許可状と 捉えるべきではなく(学説は許可状説と命令状説があり,実務では許可状と捉え られているが),裁判官の命令状と捉えるべきなのであって37),両者は令状と しての性質を異にするからである。すなわち,許可状たる捜索差押令状の 効力は,あくまで,捜査機関がもともと有している証拠収集権限について のものなのであり,裁判官の命令状たる逮捕状があって初めて可能となる 被疑者の身柄拘束にまで及んでいる筈もないからである。

 したがって,上記判例の立場には賛成できないのであって,証拠収集の ための捜索差押令状たる強制採尿令状の効力として強制連行という一種の 身柄拘束を認めることはできないと解すべきである。そもそも「人の身体 を拘束し,連行するためには逮捕要件が具備していることが基本であり,

捜索差押令状あるいは身体検査令状により逮捕と同程度の自由拘束が可能 とすることには疑問が残る」38)と言われるが,前述したように,令状とし ての性質の異なる上記のような許可状によって,実質的な身柄の拘束を許 すべきではない。この点についても,強制採尿そのものとともに立法的解 決が検討されるべきであろう。

36) 因みに,行政法学でいう許可について,原田尚彦『行政法要論〔全訂第 6版〕』

〔2005年,学陽書房〕167・168頁参照。同書によれば,許可とは国民の自由に課さ れた一般的禁止を解除する行政行為をいうが,それは,本来各人の有している自 由を回復する行為とされているのである。このことは許可状の基本的性質を考え る場合にも参考になる。この点に関しては,検証としての身体検査令状も鑑定処 分許可状も,共に許可状たる性質を有するのであるから,捜索差押令状と同様で ある。

37) 平野龍一『刑事訴訟法』〔1958,有斐閣〕84頁。なお,拙著『論点中心 刑事訴 訟法講義〔第 2版〕』〔2005年,成文堂〕32~33頁参照。

38) 前掲注10)101頁。

(26)

第 5  お わ り に

1 本稿においては,先ず,捜索の範囲の問題の一つとして,「場所」に対 する捜索令状によって,何ゆえ当該場所内にある「物」についてまで捜索 が許されるのかについて検討し,この問題を,場所というものの存在構造 と令状主義の理念の具体的適用をどのように捉えるかという視点から考え てみた。

 次に差押に関する問題の一つとして,差押対象物以外の物に対する違法 な写真撮影とこれに対する準抗告申立の是非について検討し,その点につ いては,令状主義の根本的理念が国民の基本権を保障するための司法的抑 制にある以上,違法な写真撮影が行われ,当該写真撮影の実質的機能が押 収と同様の効果の生ずるものであるならば,「違法な押収に関する処分」

と同様に扱い,準抗告が認められて然るべきであることを論じた。

 また,強制採尿については,判例の創出した強制採尿令状が,基本的に 強制処分法定主義に反することを論じたうえで,検証としての身体検査令 状と鑑定処分許可状の併用によって強制採尿が許されるとの,いわゆる併 用説についても検討を加えた。そしてそこでは,検証と鑑定受託者による 鑑定処分との,それぞれにおける目的や権利侵害の程度の違いなどに目を 向け,それぞれの処分の要件は別個・独立に考えるべきであるとの視点か ら,併用説の考え方に対しても基本的な疑問を提示し,強制採尿について の立法的解決の必要性についても考えてみた。さらに,強制採尿をするた めに,身柄拘束のされていない被疑者を強制連行することが許されるかに ついては,これを認める判例・学説について,証拠収集のための令状と身 柄拘束のための令状との本質的違いなどの視点から,批判的に検討を試みた。

2 以上述べてきたところは,いずれも,令状主義と強制処分法定主義が,

立憲主義的憲法下の法制度であるという根本的認識を基本に据えて,令状 主義も強制処分法定主義も,ともに国民の基本権保障のために,国家の機 関である捜査機関の権能に制約を課する原理であるという基本的理解を前

(27)

提にして,論じたものである。

 なお,ここで注意しておくべきことは,令状主義の規定は,国民の視点 から,自由権として憲法の中に位置付けられており,その基本となる司法 的抑制という理念それ自体は,憲法の直接的保障として導き出されるとい うことである。そこで,現実的に個別・具体的な捜査手続を考える場合に は,令状主義の理念こそが重要であり,それも,その実質的内容をなす裁 判官の司法的審査の視点に注目しておく必要があるということである。

3 さらに,強制処分法定主義を考える場合には,自由主義と民主主義の それぞれの内容からも考えていく必要がある。すなわち,自由主義と民主 主義は,国家・国民にとっての,ともに必須の原理でありながら,両者は 相互に相反発する本質をも有しているため,近代国家は,常に両者の調整 を図りながら国民の権利保障を実効性あるものとしてきたといえる。

 この点を,前記の判例による新たな令状の創出ということにあてはめて 考えると,それも一種の司法(判例)による法創造であるが,そもそも,

司法(判例)による法創造が認められるのは,原則的に,国民の基本権に 関する司法的救済としての具体的妥当性を持つ場合に限定されてのことで あり,国民の権利・利益を侵害する方向での司法による(具体的には,判例 による)法創造は,基本的に認められるべきではないと思われる。

 なぜならば,権力分立制の中で,次第に司法権の優越という考え方に正 当性が認められるようになったのは,違憲立法審査権に象徴されるように,

あくまでも,国民の基本権を侵害するような法律が立法された場合の国民 の基本権保障の,まさに砦として位置付けられるからであり,司法権が(判 例によって),国民の基本権を侵害する方向での法創造をするなどというこ とは,本来想定されていないからである(なお,国民の権利・利益に多少の制 約を課すことがあっても,最終的に国民のより大きな利益を保障することに資する ような止むを得ざる事由からの必要性がある場合については,例外的に認められる 場合も想定し得るけれども)。

 したがって,司法権がその優越性を発揮しなくてもよい場面にあっては,

(28)

当然のことながら,あくまでも立法府による立法こそが原則とされなけれ ばならない。先に第4の2で述べた判例による強制採尿令状の創出が批判 されるべき理由などは,このような基本的理解から導き出されるものと考 えるのである。

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