弁護士賠償責任保険契約に関する一考察
山 下 典 孝
■アブストラクト
本稿は,弁護士賠償責任保険契約に関する法的諸問題について,争訟費用 の支払範囲が問題とされた裁判例及び弁護士賠償責任保険契約に適用される 弁護士特約条項3条1号後段の適用が問題とされた裁判例での争点を中心に 検討を加えることを目的とするものである。私見では,被保険者が他の弁護 士を訴訟代理人として選任せず自ら訴訟遂行した場合には,保険者に対し争 訟費用の請求は認められないと考える。また弁護士特約条項3条1号後段は,
弁護士としての職業倫理に反する行為を免責とする趣旨で設けられたものと 考えるべきであり,平均的な知識・経験を有する弁護士であれば,法律の専 門家としての規範的認識として他人に損害を与えることを具体的に予見でき 得るにもかかわらず行為することを意味するものと考える。
■キーワード
弁護士賠償責任保険契約,争訟費用,認識ある過失
1.本稿の目的
弁護士賠償責任保険契約(以下, 弁賠保険 と称する。)は,被保険者が 弁護士法に規定される弁護士の資格に基づいて遂行した弁護士法3条に規定 される業務に起因して,弁護士が法律上の損害賠償責任を負担することによ って被る損害をてん補するものである(弁護士特約条項1条1項)。そのた
*平成21年6月20日の日本保険学会関西部会報告による。
/平成21年6月22日原稿受領。
め被保険者に法律上の損害賠償責任が発生していないときには保険金の請求 は認められないこととなる 。
この保険は,全国弁護士協同組合連合会等といった弁護士の団体を保険契 約者,同団体の構成員である弁護士を被保険者(但し,弁護士の使用人およ びその他業務の補助者(事務員,調査員,タイピストなど)にもこの保険の 効用が及ぶことになっており,任意加入である),損害保険会社を保険者と する団体保険である 。
この保険に適用される約款は,他の専門職業賠償責任保険と同様に,基本 約款として賠償責任保険普通保険約款(以下, 普通約款 と略する)があ り,その特約条項として弁護士特約条項(以下, 特約条項 と略する)が ある。普通約款と特約条項との関係については,同特約条項10条において,
この特約条項に規定しない事項については,この特約条項に反しない限り,
普通約款の規定を適用します と規定されている 。
本稿は,弁賠保険契約に関する法的諸問題について,争訟費用の支払範囲 が問題とされた裁判例及び特約条項3条1号の適用が問題とされた裁判例で
1) 依頼者からの弁護過誤を理由に損害賠償請求訴訟を提起された後,被保険者 が保険者の承諾を得ず示談に応じ和解金の支払いを行い,賠償責任を負ったこ とに基づいて弁賠保険の保険金を請求した事案である東京地判平成19年6月15 日(平18(ワ)23648号保険金請求事件)ウエストロー・ジャパンは,被保険 者の指導自体によっては依頼者に何らの損害も発生していないのであるから,
被保険者の説明義務違反の事実及びこれによる依頼者への損害の発生いずれも 認めることはできないとして,被保険者の保険金請求を棄却する。
2) 弁賠保険の概要及び先行研究としては,平沼髙明著 専門家責任保険の理論 と実務 (信山社,2002年)18頁以下,藤井一道 弁護士賠償責任保険 川井 健・塩崎勤編 新・裁判実務大系8 専門家責任訴訟法 (青林書院,2004年)
252頁,峰島德太郎 弁護士賠償責任保険 平沼髙明先生古稀記念論文集刊行 委員会編 損害賠償法と責任保険の理論と実務 (信山社,2005年)360頁以下 等がある。
3) 本稿では,代表的な約款として株式会社損害保険ジャパンのものを示してい る。
の争点を中心に検討を加えることを目的とするものである 。
2.争訟費用を巡る法的問題
⑴ はじめに
普通約款1条においては, 当会社は,この約款に従い,被保険者が特約 条項記載の事故により,他人の生命若しくは身体を害し又はその財物を滅 失・き損若しくは汚損した場合において,法律上の賠償責任を負担すること によって被る損害をてん補する責めに任ずる。 と規定し,普通約款2条1 項柱書で 当会社がてん補する損害の範囲は,次のとおりとする。 とし,
4号で 被保険者が当会社の承認を得て支出した,訴訟費用・弁護士報酬・
仲裁・和解又は調停に関する費用 が規定されている。
特約6条1項で,被保険者は自ら弁護士を選任することができ,同条2項 では代理人たる弁護士の選任については被保険者の決定に保険者は同意する と定められている。この点は他の専門家責任保険にはみられない特色とされ ている 。
弁護士過誤訴訟においては,被保険者である弁護士本人が自ら訴訟にあた ることが多いと指摘されている 。これは弁護士過誤訴訟における原告であ る顧客(依頼者)と被告たる被保険者との間の訴訟に至る経緯や原因につい てもっとも知り得る立場に被保険者があること,訴訟自体被保険者の名誉や 業務に重大な影響を与えること,等から客観的に他の弁護士による法的判断 を依頼して訴訟を遂行する必要がない限りは,一般的に被保険者本人が自ら 訴訟遂行にあたるようである。
4) 特約条項3条1号の解釈に関する問題については,山下典孝 弁護士賠償責 任保険における免責条項 法学新報114巻11・12号(2008年)713頁以下におい て既に検討を加えているが,その後,新たな裁判例が出されたことから再度,
検討することとした。
5) 弥永真生 専門家責任と責任保険 山田卓生編 新・現代損害賠償法3 製 造物責任・専門家責任 (日本評論社,1997年)383頁。
6) 平沼・前掲注(2)書21頁。
弁護士報酬額は,事件の難易度等とともに,適切な防御活動による保険会 社の負担の軽減等保険会社の利益を考慮して決定する裁量権が保険会社に認 められているとされている 。
⑵ 争訟費用の位置付け
被保険者に対する法律上の損害賠償金と争訟費用のてん補請求との関係に ついて見解の相違がみられる。すなわち,損害賠償金とは別個独立の保険金 請求権と解する見解 と,損害賠償金と一体として付随する保険金請求権と 解する見解 の相違がみられる。
弁賠保険契約の被保険者である原告が,被害者から提起された損害賠償請 求訴訟に応訴するため,選任した訴訟代理人に対して負担した着手金につい ての保険金支払などを保険者に求めた事例である大阪地判平成5年8月30日 判時1493号134頁・金判939号28頁 は, 普通約款第2条第1項第4号は,
賠償責任保険においては,被保険者が法的に損害賠償責任を負担すべきかど うかが明らかでなく,被害者の提起する訴訟に応訴してその損害賠償責任の 有無及び損害額が確定されることが多いことから,保険者自らによる解決の 方法が選択されない場合には,被保険者が,自らないし訴訟代理人を選任し て右訴訟に応訴し,それに伴つて争訟費用を負担ないし支出せざるを得ない という実際上の必要性と,それによつて保険者の利益をも図られるという点 を考慮して規定されたものであり,保険者による争訟費用のてん補は,必ず
7) 平沼・前掲注(2)書21頁。
8) 甘利公人 判批 熊本法学82号(1995年)90頁,落合誠一 判批 ジュリス ト1098号(1996年)134頁,木下崇 判批 法学新報102巻1号(1996年)204 頁等。
9) 平沼・前掲(注2)書21頁。
10) この裁判例については,落合・前掲注(8)133頁以下,金光良美 判批 鴻常 夫・竹内昭夫・江頭憲治郎・山下友信編 別冊ジュリスト138号 損害保険判 例百選〔第二版〕 (有斐閣,1996年)146頁以下,甘利・前掲注(8)85頁以下,
木下(崇)・前掲注(8)197頁以下,新海兵衛 判批 企業法研究7号(1995年)
133頁以下を参照。
しも被保険者の損害賠償責任の負担を前提としていないと解するのが相当で ある。従つて,賠償金と争訟費用の各給付は,一義的に,主たる給付とそれ に一体として付随する従たる給付という関係にあるということはできず,場 合によつては,被告に対し,争訟費用のみの給付を求めることもできるとい うべきである。 と判示する。
学説においても第三者の被保険者に対する損害賠償請求訴訟が法律上根拠 のない場合でも提訴され得ること,そしてこの場合でも応訴の必要性があり,
応訴に要する争訟費用は請求の根拠がない場合でも損害の確定及び軽減のた めに必要かつ有益であることを理由に,争訟費用のてん補請求は損害賠償金 のてん補請求の有無に拘わらず認められるべきと解されている 。
この問題は責任保険契約の保険事故を何に求めるかによって見解の相違が 生じることとなるが ,責任保険契約の保険事故を責任負担と解する見解を 採った場合でも,約款で被保険者の責任負担の有無を問わず被保険者が保険 者の同意を得て支出した争訟費用をてん補する旨の約款条項を置くことは認 められている 。
争訟費用は損害賠償金とは別個独立の保険金請求権と解するとしても,責 任保険契約が対象としている保険事故以外の事故を原因として責任追及がな される場合まで争訟費用のてん補が認められるわけではないと考えられてい る 。普通約款2条の規定は普通約款1条の規定を前提としており,責任保 険契約の保険事故以外の事故についてまでの争訟費用の支払いを認めること は保険料算定の基礎を超えることとなるからである 。
11) 落合・前掲注(8)134頁,
12) 金光・前掲注(10)146頁・147頁参照。なお,弁賠保険契約においては,特約 条項1条1項により請求事故方式が採用されている。
13) 金光・前掲注(10)147頁。
14) 木下(崇)・前掲注(8)204頁。
15) 木下(崇)・前掲注(8)204頁・205頁。
⑶ 争訟費用の支払要件
争訟費用のてん補請求は普通約款2条1項4号では保険者の承認を要求し ているが,これは不要な費用支出による応訴は,それが保険者に転嫁され,
やがて他の保険加入者への保険料増額に反映することを防止する趣旨にある と解されている 。
前掲・大阪地判平成5年8月30日は同項4号の趣旨につき 被保険者が不 要な費用を支出して応訴し,それを保険者に転嫁することを防止しようとす る ことにあるとする。その上で,同判決は 保険者が争訟費用をてん補す ることとした趣旨には,適切な防御活動による保険者の負担の軽減等保険者 の利益を図ることも含まれることからすれば,当該損害賠償請求の内容等に 応じて,適正妥当な範囲の争訟費用は保険者においててん補すべきであると ころ,普通約款第2条第1項第4号の規定に文言どおり従うならば,適正妥 当な争訟費用を被保険者が支出した場合であっても,保険者の 承認を得て 支出 していない争訟費用はてん補されないことになるが,このようなこと は,保険者が,被保険者に代って損害賠償請求の解決に当たる場合に比較し て,被保険者に極めて不利かつ不当な負担を強いる結果をもたらすものであ り,到底合理的なものとはいえない。 とし,保険者の承認がないからとい う理由のみで争訟費用の支払いを拒むことはできないとする。
学説においては,保険者が争訟費用の妥当性を判断できるにもかかわらず 承認がないとの理由で支払いを拒むことはできないとし,保険者の承認権の 濫用を根拠とすべきとする指摘がなされている 。
次に普通約款2条1項4号では争訟費用の支出が要件とされていることか ら,現実の支出が要件とされるかが問題となる。
前掲・大阪地判平成5年8月30日は, 被告に争訟費用のてん補を請求す るためには,現実に 支出 している必要があるかどうかについてであるが,
前記第4号で 支出した,訴訟費用・弁護士報酬・仲裁・和解または調停に
16) 峰島・前掲注(2)論文370頁。
17) 落合・前掲注(8)135頁。
関する費用 と明記しているのであるから,現実に支出している必要がある というべきであり,また,そのように解しても不当,不合理であるとはいえ ない。 とし,現実の支出を求める。
争訟費用の支出を要件としても,加害者の賠償資力の保証という責任保険 の本質的機能を失わせないと考えられていることを理由に,争訟費用のてん 補を受けるためには,約款に 支出した と明記されている以上,現実に支 出をしている必要があるとして,前掲・大阪地判平成5年8月30日の立場を 支持する見解もみられる 。これに対して,学説においては,被保険者が前 払いの必要性・合理性を保険者に対して明らかにすれば,現実に 支出 が ない場合であっても保険者からの支払がなされるべきであるとする見解 や,
被保険者が負担したにとどまる場合に保険者の側から任意の給付までを禁止 するものではないとする見解 も主張されている。
実際には,争訟費用中,弁護士着手金については前払の必要性・合理性が 認められる範囲では支払いがなされているとのことである 。その理由は,
特約条項6条で被保険者が自ら代理人弁護士が選任でき,争訟費用の承認を する場合にも右代理人弁護士の選任を被保険者の決定どおり承認することで 合意している以上前払いの必要性が前提とされていることにあること,普通 約款2条4号の 支出した という文言が支払方法として 先履行主義 を 採っているものとみる必要のないこと,を挙げ, 支出した という中には
仮払いによる支出 も含まれると解すべきであるとされている 。
⑷ 被保険者自らが訴訟活動した場合に争訟費用が認められるか
被保険者である弁護士が顧客から弁護過誤を理由に損害賠償訴訟を提起さ
18) 金光・前掲注(10)147頁。
19) 落合・前掲注(8)135頁。
20) 木下(崇)・前掲注(8)210頁。
21) 平沼・前掲注(2)書22頁,峰島・前掲注(2)論文371頁。
22) 峰島・前掲注(2)論文371頁。
れ,当該訴訟につき他の弁護士を訴訟代理人として選任することなく自ら訴 訟活動を行った場合,普通約款2条4号に基づき,訴訟費用・弁護士報酬に 関する費用を請求することができるか。
この問題に関する裁判例としては以下のものがある。
弁護士過誤訴訟において被保険者が他の弁護士を訴訟代理人として選任す ることなく弁護士の資格に基づき自ら訴訟活動を行って勝訴した後,保険者 に対し,弁護士報酬相当額の保険金の支払を求めた案件である東京地判平成 18年10月31日(LEX/
DB25450278)は, 弁護士が,自己を当事者とする訴
訟について,他の弁護士を訴訟代理人に選任せずに自己が訴訟を遂行した場 合において,当該弁護士には損害(財産上の差額)が発生しないのが通常で ある。他の弁護士を訴訟代理人に選任しなかったことによっては,他の弁護 士に支払うべき弁護士報酬の支払いを免れるという事実上の利益は発生して も,財産の減少は生じていないからである。また,自己を当事者とする訴訟 に自己の労働時間を割いたことにより当該弁護士の弁護士業務収入が減少す るという因果関係は,自由業である弁護士の業務の性質(事業主と雇用契約 を締結して所定の労働時間の労働の対価を賃金として取得する労働者との相 違など)を考えると,一般的には認められない(少なくとも,因果関係の相 当性があるとはいえない。)からである。 として, 弁護士を当事者とする 訴訟について弁護士自身が訴訟を遂行しても,当該弁護士に損害保険でてん 補すべきほどの損害が発生するということには無理があるものというべきで ある とする。その控訴審判決である東京高判平成19年2月28日(LEX/
DB25450279)
は, 被保険者たる弁護士が実際に他の弁護士に弁護士報酬を支払うことと なった場合でなければ,同号にいう 弁護士報酬 に該当せず,弁護士賠償 責任保険によりてん補される損害ということはできないことが明らかであ る。 とし,特約6条1項を根拠として支払いを請求する控訴人の主張に対23) この裁判例については,山下典孝 速報判例解説−TKCローライブラリー 商法No.23 1頁以下で検討を行っている。
し 同項は,保険者ではなく被保険者が自ら弁護士を代理人として選任する ことができること,すなわち被保険者に代理人選任権があることを定めたも のにすぎず,弁護士賠償責任保険であるという特殊性を考慮しても,訴訟等 の当事者本人が自分を代理人として選任する場合の弁護士報酬なるものが想 定されているものとは解することができない。 とする。なお当該案件は上 告されたが上告不受理決定がなされている 。
上記の通り,裁判所は,被保険者が弁護士の資格に基づき自ら訴訟遂行し た場合には,争訟費用の請求を否定する立場を採っている。
これに対して,学説においては,争訟費用の請求を肯定する見解 が示さ れている。
この見解は,諸外国での状況,弁賠保険契約における争訟費用請求が争わ れた前掲・東京地判平成5年8月30日で示された考え方及びその判例研究等 で示されている研究者・実務家の見解を前提に,説明を行っている。
しかし,この見解は英米においても我が国と同様に,弁賠保険契約につき 被保険者である弁護士自身が代理人の地位を兼任することが広く認められて いることを示していることを説明しているが ,その場合において争訟費用 を保険者が負担することとなっている根拠を明確に示していない。欧米各国 での状況の説明においても同様である 。
また研究者・実務家の見解についても,争訟費用について被保険者自らが 訴訟活動を行った場合について請求が認められることを前提に述べているも のではない。
24) 最1小決平成19年7月5日(LEX/DB25450280)。
25) 矢澤曻治 弁護士賠償責任保険契約による塡補の対象 専修ロージャーナル 3号(2008年)47頁以下。
26) 矢澤・前掲注(25)50頁・51頁参照。
27) 矢澤・前掲注(25)51頁参照。争訟費用一般についての各国の法律や約款条項 を示しているが,そのことをもって当然に被保険者自らが訴訟活動を行った場 合にも争訟費用を保険者に対して請求できることまでも認めたものではなく,
論理の飛躍が甚だしいこととなる。
被保険者が訴訟代理人を選任した場合には弁護士報酬が発生することを前 提に争訟費用の支払いが認められるかについて前掲・東京地判平成5年8月 30日は検討を加えたものであり,同裁判例の評釈等もこの考え方を前提にし ているものと考えるのが素直な解釈である。
被保険者自らが訴訟活動を行う場合には,着手金の問題も発生することも ないわけであり,着手金の支払いについて普通約款2条4号での 支出 に 含まれるか否かについての従来の議論と同じ次元で論ずることはできないこ ととなる。
また,支払いを肯定する見解は,弁護士本人による訴訟遂行に対して弁護 士報酬相当額の保険金の請求を認めたとしても保険者は実質的に何らの損失 も蒙らないとするが ,被保険者の資格が弁護士という専門職業人に限定さ れていることから,安易なてん補範囲の拡大は,弁賠保険制度の健全性を害 することとなる。また保険契約者である全国弁護士協同組合連合会が弁護士 本人による訴訟遂行に要した争訟費用までてん補することを認めるものであ れば,その旨の合意がなされているはずである。保険契約者の意思とは関係 なく,被保険者独自の解釈により安易に塡補範囲を拡大することは認められ ないと考える 。
加えて,本人自身が訴訟活動の従事したことによって他の仕事に従事でき なったことによって損害が生じているとすることも,前掲・東京地判平成18 年10月31日で判示されているとおり因果関係は認められないものと考える。
従って争訟費用の請求は認められないと解されることとなる。
28) 矢澤・前掲注(25)46頁。
29) 弁護士報酬に関しては裁判所の判断通りてん補範囲に含まれないと考えられ るが,弁護士報酬とは別に裁判所に出廷するためにかかった交通費・宿泊代等 の費用については,約款改定において支払いを別途検討する余地がないわけで はない。もっともこのような費用について支払範囲を拡大することについては,
保険料の増額を伴うことが考えられることから,保険料負担者である被保険者 全体の利益調整が必要となる。
3.特約条項3条1号の解釈を巡る問題
特約条項3条1号は, 被保険者の犯罪行為(過失犯を除きます。)または 他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為(不作為を含みま す。)に起因する損害賠償 を免責と定める。特約条項3条1号の意義を巡 り以下の通り下級審裁判例と学説において見解の相違が見られる。
弁護士であって弁賠保険の被保険者である原告が,受任した建物収去土地 明渡請求事件について相手方との間で訴訟上の和解を成立させたが,相手方 が和解条項を履行しなかったため,建物の取壊しを断行したところ,相手方 から不法行為に基づく損害賠償請求を受けたとして,右保険の保険者である 被告に対し,右保険契約に基づいて保険金の支払を請求した控訴審判決であ る東京高判平成10年6月23日金判1049号44頁は, 本件保険契約においては,
普通約款4条1号と特約条項3条1号との関係に関して, 賠償責任保険普 通保険約款 の第4条(免責)において故意免責条項等が定められているほ か, 弁護士特約条項 の第3条(免責)において,右 第4条各号に掲げ る賠償責任のほか,被保険者が次に掲げる賠償責任を負担することによって 被る損害をてん補する責めに任じない として,本件免責条項等が定められ ていることが認められるから,この両条項が同趣旨のものであると解するこ とができないことは明らかである(なお, 故意 とは,第三者に対して損 害を与えることを認識しながらあえて損害を与えるべき行為に及ぶという積 極的な意思作用を意味するのに対し, 他人に損害を与えるべきことを予見 しながらなした行為 とは,他人に損害を与えるべきことを予測し,かつこ れを回避すべき手段があることを認識しつつ,回避すべき措置を講じないと いう消極的な意思作用に基づく行為を指すものであり,故意による行為とは 別個の行為を意味すると解されるのであって,この両者は異なるものであ る。)。 と判示し,特約条項3条1号は単なる故意を意味するもではないと 解する。
被保険者が顧問契約を締結していた顧問先に対して具体的な助言指導を行
わなかったことから顧問先が賃貸契約を解除されたことを理由に顧問先から 弁護過誤に基づき損害賠償訴訟を提起され敗訴し賠償金の支払いを行ったこ とにつき,弁賠保険契約に基づき保険者に対して保険金の支払を請求した事 案である大阪高判平成19年8月31日金判掲載予定 は,特約条項3条1号後 段の被保険者が他人に損害を与えるべきことを予見しながら行った行為につ いて, 上記行為は,他人に損害を与える蓋然性が高いことを認識しながら 行為することを意味するものと解される。そして,このような行為のうち,
作為とは,直接他人に損害を与える行為をすることを意味するのに対し,不 作為とは,法令,契約,慣習又は条理に基づき他人に損害が発生することを 防止すべき作為義務を負う者が当該損害の発生を防止する行為をしないこと を意味するものと解される。 と判示する。その上で,損害発生の蓋然性が 高いことを認識していたと言えるか否かの評価に関し, 通常の弁護士の知 識水準を前提として,特定の措置…を講じない限り依頼者が損害を被る…蓋 然性の高い状況下において,当該特定の措置を講じることを助言指導しなか ったいうのであるから,Xが損害発生の蓋然性が高いことを認識しながら 行為したと評価せざるを得ない と判示する。
被保険者である弁護士が保釈金の一部を立て替えた
A
との間で保釈金の 返却がなされた場合には立替金の払い戻しをする合意がなされているにも拘 わらず保釈金全額をB
に返却したことから弁護過誤に基づき損害賠償訴訟 を提起され敗訴し賠償金の支払いを行ったことにつき,弁賠保険契約に基づ き保険者に対して保険金の支払を請求した事案である高松高判平成20年1月 31日金判掲載予定は,控訴人は,特約条項3条1号にいう 他人に損害を与 えるべきことを予見しながら行った行為 とは同号で定める過失犯を除く 犯罪行為 と同列に扱っていることに照らし,故意犯と同視できるほどの 過失,すなわち,損害の発生を予見し,これを認容すること(認識ある過 失)が要求され,また,犯罪行為と同程度の強度の違法性が要求されると解30) この裁判例については,別稿で検討を予定している。
すべきと主張したことに対し,特約条項3条1号の文言解釈上,控訴人が主 張するような解釈をすることには疑問が残るとした上で,控訴人が本件保釈 金をBに全額返還すれば,Aに対し損害を与えることになることを予見し,
かつ,そのことを認容していたというべきであるから,控訴人が本件保釈金 全額をBに返還した行為は特約条項3条1号にいう 他人に損害を与えるべ きことを予見しながら行った行為 に当たると言わざるを得ない,とする。
これら2つの高裁判決の立場も特約条項3条1号が故意免責を定めたもの と解する立場を採ったものではないと考えることができる。なお,これら2 つの高裁判決共に上告不受理決定がなされている 。
次に学説であるが,特約条項3条1号の 他人に損害を与えるべきことを 予見しながらなした行為 とは, 認識ある過失 を意味し,弁護士の倫理 観とは相容れないことから,故意免責とは別に定められたものであるとし,
前掲・東京高判平成10年6月23日を支持する見解 と,特約条項3条1号は,
故意免責を明確にしたものにすぎないと解する見解 との対立がみられる。
故意免責でいう 故意 概念とは,意図的に保険事故を招致する意味と捉 えられる 。そうすると,特約条項3条1号が故意免責に限定され,弁護士 の倫理観とは相容れない, 認識ある過失 について弁賠保険契約で塡補さ れることが認められることとなると,弁護士自治を広く認める代わりに弁護 士法1条2項及び56条1項で弁護士に対して高い職業倫理を求めている法の 趣旨が没却されることになる 。
例えば,弁護士過誤による依頼者から損害賠償請求がなされ,それ以外に
31) 最1小決平成20年5月26日(平成20年(オ)第561号,平成20年(受)第669 号),最小決平成20年10月10日(平成19年(オ)第1606号,平成19年(受)第 1870号)。
32) 平沼・前掲注(2)書23‑24頁,峰島・前掲注(2)論文374‑375頁。
33) 甘利公人 判批 損害保険研究61巻1号(1999年)219頁,竹濵修 判批 商事法務1260号(2002年)33頁。
34) 山下(典)・前掲注(4)論文718頁。
35) 山下(典)・前掲注(4)論文718頁。
依頼者から弁護士会に対して当該弁護士の懲戒請求がなされることもあり得 る。この場合,本来ならば懲戒請求されるべき事案においても,特約条項3 条1号による免責が故意に限定され安易に保険金の支払いが認められるので あれば,弁賠保険契約に基づく保険金を利用して,依頼者に懲戒請求を回避 するよう説得がなされ得ることは想像に難くない。同様に,弁賠保険金を利 用し顧客(依頼者)への賠償がなされていることを理由に容易に懲戒が回避 されることも考えられる。特約条項3条1号には本来の責任保険の機能とは 違ったものに弁賠保険契約が利用されることを防ぐ意味もあると考えられる。
私見では特約条項3条1号は,単なる故意免責を明確にする趣旨で設けら れた条項ではなく,弁護士の職業倫理に著しく反する行為を免責とする趣旨 で設けられたものと考える 。
そのことを前提に特約条項3条1号後段でいう免責の対象となる行為とは,
平均的な知識を持つ弁護士からみて,ある行為を行えば,又は,ある行為を 行わなければ,他人に損害を与えることが具体的に認識し得たにもかかわら ず行為にでたものと解することになる。換言すれば,平均的な知識を持つ弁 護士であれば,法律の専門家として規範的認識として他人に損害を与えるこ とを具体的に予見でき得るにもかかわらず行為することを意味するものと考 える。前掲・大阪高判平成19年8月31日は,この点を明確に述べたものであ り妥当な判断と考えられる。
4.結語
以上,弁賠保険契約において近時の訴訟において問題とされた争点を中心 に検討を加えた。特約条項3条1号の意義に関しては,判例の立場は固まっ たものと考えられる。しかし,特約条項3条1号での免責が認められる範囲 については,弁護士職務基本規程や懲戒制度との整合性との関係でどの範囲 まで免責が認められるかについてさらに詳細な検討が必要となると考えてい
36) 山下(典)・前掲注(4)論文719頁。
る 。この問題については今後の検討課題としたい。
(筆者は大阪大学教授)
【追記】本稿は,平成21年6月20日に開催された日本保険学会関西部会報告会(香 川大学)での報告に加筆修正したものである。また本稿は,科学研究費補助金
(基盤研究 ) 専門家責任と専門家賠償責任保険の検討 (大阪大学山下典孝代 表)における研究成果の一部である。
37) 弁護士法57条1項各号で,懲戒の種類として,戒告(1号),2年以内の業 務の停止(2号),退去命令(3号),除名(4号)を定める。2号から4号に 該当すれば,一般的に特約条項3項1号で保険者免責が認められると考えられ るが,戒告に該当すれば当然に免責が認められるか否かについては,戒告が認 められた事案等を詳細に検討する必要があるように考える。