﹃ 伊 勢 物 語 ﹄
段解釈試論
第百
はじめに
もちろ
の話はどのように解釈すべきであるかり つ て は
︑ ず な 解 釈 が 見 ら れ る り の 和 歌 は 本 文 の い
ものであり︑
かによって変わりまたこ
の解釈によって変わるとい ら 抱 雑 な 事 懇 を 引 き 起 こ し て い る よ う で
tu w
の あ る
︒ 和 歌 も し く は 本 丈 の そ そ れ と も ヤ は り 和 歌 と 本 文 を 関 連 さ せ は占注以来の
σ〉
るべきな の
開 わ
﹀J︑ヅ / 4ノ ハ 討 し つ つ
︑ こ の 段 が ど ん
ることができるの
改 め
てみたい︒
2
和歌解釈の歴史と可能性
(H)7)
この第行
の一
一前
を考
える
とき
に︑
だ か る の が
﹁あるじのは
る ﹂
咲く花の
とい
の解釈について代表的な言注を見ると︑
﹁忠仁公の
の栄花
芦 田
秀 ) 点
る人おはみありし
ぴ)
の︑一家一門に︑設をよ
100ー
にをよぶをよめ
﹁﹁咲化のしたにかくる︑いとは忠仁公の
のふじ
と は
にも
こえ
たる
心を
.五
︑え
れノ
﹂ 藤 家
しかるべ
の栄
化︑
一門におよぶをよめ
まふ
の 詞 を 以 て み れ ば
︑ 藤 原 の の 如 き よ さ 入
︑ 共に多ければ︑F
の 机 先 に こ え て 栄 え た かくは有ら
。〉
。)
じ め
グ〉
(108)
化にそへていへ
﹃伊
勢物
語古
意﹂
一
ー咲
花の
した
ゆ
︑¥ コ エみ る
G wゅ ﹂ ︑
︑
F / 中d f首きに
' iv
いよいよ藤も栄えて︑も とありしにワときはまさりて︑除の高くゲろくなれることかと
E
人 の へ 先 る 其 祖 也 ー
ト lこ
え
いはれたることく︑藤原 ふ な じ 氏 放 に て
︑ 良 近 朝 日 の 如 き よ き
︑かくはあるらんといへるにぞありける︒﹂
﹁伊
勢物
話新
釈し
一
第461‑J(2010)
などとあるり﹁かくるる﹂は
つまり藤原氏の化の下に隠れる︑ は︑総 ょうである
υ
こうむる窓味としている 藤 の 花 に の と し て い る 託 さ れ て い る の が
l忠仁公良一時﹂るのか︑﹁藤原氏品内﹂であるのか︑﹁一円﹂とは いっても系統が限定されうるだろうが︑そのいずれかを託すとしてい る︒さらには︑良婦が祖先にこえて栄えるのも︑同じ氏族に良近
︑きよき人々が其ドに多いからだとまでしているものもあるり
近代に入り︑中には吋新釈﹂一をふまえたものであろうが︑
て 文学部孝三袋
﹁こんなちつ︒はな男が同じ藤原氏にいるのだから藤原氏が栄え
るのも
h当然だという気持ち︑さら少
では︑良近のような人を
1H:
現だと言︑凡な
ておくのは残念だとい こともあるまい心
って
とまで指摘する説もある︒
たしかに︑
った
﹁わ
四卜の賀など︑
し
が多いから︑ているのだ
ι
め日の容にしても︑
くなって
た ろ
」 の し
の下にかくる︑とは忠仁八ムの
日とは三尺六寸の
の 栄 花 に も こ え た る 心 也 日 ド 令
の 99
のかげにつぎつ
って
び〉
族
こめているにちがいない心﹂
いて
︑
のだが︑この
刺 い と
し、
ザて〉
いを考える師向があるようである口
のが
一
ぴ〉
よ
十
ド つ
6で に あ にせよ︑この歌
る︒こ
や 極 ょ う
てみ
ると
︑
f伊勢物語j欝汀…段解釈試論
︑けリ/rLW
八 日
V1i
︐ 〆 aazt︑
(良
一関
を筆
蝋と
する
)
を賛美する
調刺引
藤原氏 藤原氏傍流を調科する 藤原氏に娼びる蓄を議
印刷
岨]
底意が秘められているともみられるが︑主客良近をたたえたと
見るべき
木容良近への山中な
となろうか︒傾向を大づかみ
説すべてを網羅できない
説が介顕してきでいるω
おそらくこれは︑
かくしもよむ﹂とい ているので︑先行する
︑調刺や皮肉を受け取る
の場に居介わせた人々の﹁など︑
太政大臣の栄花のさかりに
てよ
める
﹂と
いう
発一
一口
︑さ
らには みまそかりで︑
﹁み
な入
︑
とあることとの兼ね合いで︑
や識刺とする解釈が生み出され
ごついても検討してみ 歌自体に
るのであろう︒後の
︐‑
E Q
や/
︑・
v
3
和歌の前の本文について
歌物諸における和歌は︑のではなく︑そ
ぴ〉
るに至る本文︑
る︒またそるべき
な の
れる
︒
しE
"e'
iま
の本文を検討していくこと
一 兵 衛 の 督 な り け る
・ 征 服 の 仔 に あ り け
という官職と実名が明確に示されて︑ることである︒
ら
︑
﹁ あ る じ の は ら か な ら る
﹂ 男 が こ し へ そ
の男の発言も含めれば︑その中にある
って
いる
︒
ぴ〉
は︑ここうしたこ
し
ことから︑史実
あ
の行平とともに
この第
. 7 H
一段は同時期の
がであった期間を特定すると︑
一十九日となり︑この期間の良一男
﹂呼ばれるのは貞観十六年からである︒そこで︑
の矛活を解消しようとするならば︑行一干の官職﹁左ι
し︑良一貯の﹁庄中弁﹂を﹁布中弁﹂とするか︑または
時期を機先し︑行平の官職が﹁左共禽督﹂ではなく
べきかで︑誤写の可能性が取りがぐたされるの
午かへたる例のわざなりい(吋伊勢物語吉意古などの
のい淑構と見ることもでき︑そう考えるべ︑きであろうり
挙げるところであり︑
で
98
︐ 一︑ ︑
‑ J
︑手/手/?し
E
て
、唱‑
よっ
て︑
﹁あ
る
ば
︑ 行 手 と 良 近 の 二 人 の のほらからなる男が業平であることが︑
っている
︑)
} ( 1i i
d 'd ' 也 ︑ 入
ということであろうか︒
さらに史実ということでい
たこともあり︑ているのを業千が迎え︑
ることもあったらしく︑近しく役目を呆
刊のようなものを感じて としたり︑また︑つ
ηキ
刊があったとみられ
て悪いものではなく︑
近
Lコ たしていたこと いたと見るのは行きすぎではあるまい
c﹂
や ︑
と長近も︑
る ︒ ﹂
の 御 子 を め ぐ る
とし
て︑
の
約46~J'(2010)
、
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み と
近 し
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ころを誌でも︑
の
しミ
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Wぐ
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の 豆
、 fiiド戸院大学文宇部紀賞
4
和歌の解釈をめぐって
この﹁場﹂とい︑つものを考えてみると︑行平が饗応
いている︒そこに
の支疫をし︑
のたしな
てあ
り︑
み
でいるりこうした場に︑﹁あるじのはらか
のであるのこうし
かなり.
ことではないだろうか口少なくとも︑
て散を品むと
る としても︑なぜそのよ って込めねばならないのだ
この
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」蜘樽 と
して飾っており︑そ
︺の
花山
を
にて
‑ Y一
為る
口
の
~~
むのである︒
た人々をたたえるのが ろ
礼儀であろうの
について︑﹁藤の花を題にして
だから︑この歌も︑
い ︒ ﹂
、吻 働叩.
でのであるの
くとしても︑
ていると見るべきなのはその通りであろう︒
男 は
い比
上手
な 集まった客人たちをふまえ︑場にふさわしい でいる︒場をたたえると誌とりもなおさず主客良近をもた
ている
、
齢、
司 たえることになるのである日
ただし︑男がこの歌をもって︑ここ
いうよ
も
97 ‑ この寄席の準備
ぺ
〉 ら え て い る こ
いなので あって︑男がど︑つこう考えてひね
出 し た こ と で は な く
︑ す で に
にあることなのである︒
ぞれが飾ら
る客人
を叙景歌とでもい いうよりも︑こ
だのではないかり
/ ¥
と いうことになろうが︑藤の花を準備し 礼儀︑心遣いであり︑そ 原氏 へ
ぴ〉
は
f ¥
の
に良
近︑
のことなのである
n ひいて
したがって
のようになるまい ノ
レ
に見事で立派で︑今日たくさ の皆さんのような方が大勢認れ
咲いているこ
のもとに
いらっしゃるので︑本来
って見える藤の
の
rfj"勢物詩1J筋目 Yえ解釈試立会
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‑ A
︐. a A
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¥
の影であることです口
しか
し︑
になるりどういうことであるのか と間われることせた人々に
ていくことにするの
5 後続 本文
﹁な ど︑ かく しも よむ
﹂に つい て
この
の要素を感じ取る場合︑その根拠とされて
の本文であろうむ
の
、 例
、判例
せた人々の﹁など︑かくしもよ
日の栄花のさかりに
のことに栄ゆるを思ひてよめる﹂とい
な入︑そし て ︑
にけり︒﹂とあることとの
左右されるようであるの
um合わせた人々の﹁など︑いったいど
ういう主骨のものであろうか心
が︑その場合︑男が一踏んだ歌Jろうとするもの
が多いという嫌味の歌とでも解釈したことになるのだろうかり
まず︑境問するということは︑民合わせた客人たちが歌の真意をつ かみ損ねているのであるのそれがわかりにくいから教えてくれと質問
しているということなのか︑それともなぜこの場日
むのかと詰問しているということなのかである
n
﹁など︑かくしもよむ﹂とい である
どういうつもり はどういうわけで
のであり︑﹁しも﹂にょっ
い力になっているのであるから︑
という︑ただ歌
︑ る
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て
り立ててこんなふう
ではなく︑強い'}ふ2品
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︐せた 人々はこにただならぬっているのであるのまた
に﹁
みな
人︑
ら︑やはり強い
ただし︑このことをもって︑ とあり︑﹁そしらず﹂なのであるか
ったのであろう︒
るとは にならざるを得ない
することにおいてはそれが保障され
し迫。
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ズ﹂
で﹁
独円
また︑これ
!や
虫L
ではの
刺を込める隙れ蓑と考えられなくもない口
‑V
‑96
に前置き通り
れているとも考えられるの
つかみ損ねていることを︑歌
の
の長を
間の通り の
が八
点分
くい箇所を︑﹁多み
i z‑ ‑
ありしにまさる﹂
とか理解できない
ι
;
とする説でふ
し︑﹁など︑かくしもよむ﹂のような詰問は︑に検討したよう
に分からないことを問うのと違って︑少なからず不快な要素を
っていなければ出ない調子である︒したがって︑分からないと
ったと見るのが自然であろ︑つの揃
いうことになるだろうの
宇品 勾ピ
て︑
﹁
いう
より
も︑
﹁ド
にか
くる
る﹂
ー ︐ ノ 入 本 . ︑
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ま た
にまさる騰のを﹁以前にまして藤
が広く大きく昆える﹂とし︑その原肉を
み﹂として︑で
の引き立て役炉
行平をはじめ人々
摘も
あり
︑﹁
咲ノ
指摘しているむ
しかし︑この の符人たちはこのいうことになるり
し、
にかくるる人おは
でi土
手n
歌 の れ 前
σ)
本 文
の下にかくるる人多
ほどに大きい
て失礼な円と主人の と
の
出力が業千であろう
の歌詠みであることは
第16~::・
府 代 わ せ た 人 々 い
の男が意味不明な歌を詠み︑どういう意味かを問われたと
いのではないだろうかり
弘前学院大学文宇部紀i変:
ても︑そふまえた︑それなり
た
であ
る︒
居合わせて人々を納得
3せ
ことは事実であって︑受け手の
そ る ︒
れ な ら ば
︑ る こ と は あ ら か じ め
詠んでいるのか︑それとも予想外だったのだろうか︒
﹁初めからそのように持って行って最υ
感酬明させて︑税鎮の意を一段と鮮やかに
んだ歌である
ι
と計脳性を指摘し︑﹁しの歌の絵解きを︑厳かな口調でしてみせ
たのである己として︑﹁文学としての
とする説もある
題に物語る﹂
﹁七 七・ 七九
・八
ったのであ
てあえて
rliJ
らしさを主
て
しE
る
るとい
でもいうべきものが必ず見
いう前提が必要なのって︑そのこと
しミ
一分に場に過したものである︒しかし︑
の詠みように︑懐疑の念を抱き︑
る ﹂
てて
い以
山め
する
容人
がい
たと
い う こ と で
︑ 男 に し て み っ た と 解 す べ き で あ ろ う
︒ かくしもよむ﹂は︑劇のような予定調和に作用する所謂あ
単に分からないことを開うのでもなく︑やはり捜疑
の詰問と解するべきであうつり
﹁な
ど︑
}V
の念
によ
サ心
強い
s
後続本文﹁太鼓大型の栄花のさかりにみまそかりて︑藤氏のことに栄ゆるを
思ひ てよ める
﹂に つい て
95 本文の﹁太政大臣
述のと ﹁藤氏のこと
に良
一時
のこ
とで
あり
︑
る﹂
は︑
0)
ているこ
疑いようはない︒
に︑これらのことをてよめる﹂とこの
和歌の意味に還元されてしかるべ
この発言は和歌
べたのではなく︑そ ったのでた
れよう︒し
で 述
ついて︑詠み手
σも〉
の向いて符えた
﹂となどしないのマあっ
て︑関われなければこ
さらに︑先に述べたように︑
いの
であ
る︒
︑その場に準慌された藤の
f伊勢物語j第百手立解釈試論 (113)
花一回の見事さと︑一上存および客人たちをふまえて︑それなりに場に適し
ているりただし︑詠んで即︑ハ居合わせた人々を納得させる歌でなかっ
たことは事実であって︑受け子に懐疑の念から取り立てて反応させる
和歌であったり
したがって︑出力の﹁太政大山の栄化のさかりにみまそかりて︑藤氏
のことに栄ゆるを忠ひてよめる﹂という発言は︑白分が詠んだ主旨と は違った受け取り方をされていることを︑質問の強い調子から瞬時に
察知した男が︑その一一一日わば誤った受け取り方から起きる不快な意味合
いをも氷解し︑その場にも適した解釈ができるように︑改めてあて
がっ
た発
一一
一一
日で
ある
︒ さらに︑男が歌を詠んだときに込めている意味とさほどずれるもの ではなく︑傾向は川じである︒ただし︑和歌の詠んだ際の﹁場﹂をふ まえて賛美していたのは︑行干のしつらえの如く︑あくまで主客良近 であり︑ひいては藤原氏という意味合いという程度であろうが︑訪問
に応じるに至り︑良近個人よりも︑良一房を筆頭とする藤原氏全体を賛
美というふうに︑祝儀色がより明確にされているのである︒つまり︑
初めから
p什分が詠んだ意凶とそれほどずれるものではないが︑古川間に 応じるため︑より徹底をはかったと見るべきであろうの
7 後続 本文
﹁み な人
︑そ しら ずな りに けり
︒﹂ につ いて
肘合わせた客人たちは皆︑男の詠んだ歌を非難せずじまいになった というのだが︑なぜ非難しなくなってしまったのだろうか︒
男の発二一円は︑良房が栄花の絶頂にあり︑藤原氏が格別に栄えている
ことを詠んだというものであるが︑それに対して︑納得して.小快さや
または怒りが消えたのだろうか︑それとも不快なままではあるが何も
一一
一一
円え
なく
なっ
てし
まっ
たの
だろ
うか
︒ 前項で述べたように︑男が行ったのは藤原氏賛美の立場の表明であ
り︑詰問に応じるに至り︑良近個人よりも︑良一房を筆頭とする藤原氏
ん土体を賛美というふうに︑祝儀色をより明確により徹底をはかったと
いうことである︒それによってそういう歌なのかと客人たちが納得し
たのであろう口
叩男
刀の
歌が
藤原
氏に
対す
る.
白点
合口
{定
記的
な音
もちろん︑客人たちが藤原氏に
A不不快感を持つといつたことは︑これま
での検討を通じて︑ないものとできるので︑栄花の絶頂の藤原氏礼賛 を持ち出されては黙らざるを得ないというような解釈は成立し得ない︒
﹁など︑かくしもよむ﹂という強い調子の詰聞に対しての︑﹁太政大
臣の栄花のさかりにみまそかりて︑藤氏のことに栄ゆるを思ひてよめ る﹂という答えであるから︑強い調子のざわめきを沈めるための︑そ れなりの強さを備えているものと推測できる︒詰聞に応じようと︑た だ態度や調子が強いというよりも︑一撃でざわめきを沈めるような内 科だという意味で強いということである︒前の項目で述べたように︑
和歌を詠んだときよりも︑訪問に応じるため︑祝儀色がより明確に︑
より徹底がはかられているのである︒そう応じられて納得したという 雰囲気が支配的となり静まったということとなろう︒
この段の話の流れは︑自分が詠んだ主冒とは違った受け取り方をさ
れていることを︑質問の強い調子から瞬時に察知した男が︑その二一一日わ
ば誤った受け取り万から起きる不快な意味合いをも氷解し︑その場に
も適した解釈ができるように︑当音ム即妙に改めてあてがった発一一一一什の効
果を描くのであって︑その効果の絶大さが︑﹁みな人︑そしらずなり
にけり︒﹂によっても衣現されているとも言えるのである︒
‑ 94‑
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8 おわ りに
これまで
おり
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44
ふまえたている
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ことになるのは︑行平の り ︑
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﹁ 場
﹂ で 欣 を 持 む に そ うなるのであるむまた︑松討してきた'とおり︑ぷむにあたって引が歌 皮肉や風刺を込めているとは与えられないけ し か し
︑ 男 の 怠 凶 と は 加 に
︑ 懐 疑 の
暢}
不誌
なし
片山
味合
い
のことであ
。 て え:1/:~'I~紀必
︑さらには場をうまく収めるよう
この
: 王
1 1艮 が 間かれていて︑そ
てみたが
そんな せて成功したといっ
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った引の機転 やはりこの伐の
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ではなく︑日分の の雰間気をとらえ︑なお け容えの かっその
︑BノけV
ぶれていないところにもある
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ただ
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る情報の少なさは︑
いを馳せ︑
寝 入 が 懐 疑
、
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、ーー・
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というの辻
﹁など︑かくしもよむ﹂
'.,'.仁
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‑¥t
この和歌に︑
の輝きを感じる打出︑五虫色
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甲
、司町'
らしさにあり¥そ
虫 色 の 和歌が光っているところにあるのではないだろうかむ
注
本文の引川は
γ山
川 棟 二 ぺ 新 版 伊 勢 物 品
T (
平 成
φ込
年間
円.
卜け
トし
ハ版
h発・ 仏川川川汗出)によったυ
た 山 品 川 山 市 の 際 に ん 泊 ま れ る 本 文 は
︑ 品 氏 の 川 い た 本 文 のままにしてあり︑本文の去
μの絞などは十れっていな
十け九日釈の引川は︑円鉄︑心点丈仲伊勢物語山花釈設計ドの第一巻から的八巻(
ト:一年から.平成て年刊行・八木内山)︑片制的印一]伊勢物市川の叫究(資料山円(川町
向上向年刊行・川出竹山保)︑片制作了山本乾期点任編集叶伊勢物ぷ山注釈大成日
(1
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Oリ刊ノ什・検出のめ在から革問潜の成川町│問所を山村山市し︑品
明の都什
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し鱗 却し い火 記を 改め たれ
r1ft勢 物 語j郁円‑段解釈試論
15)
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パ制川洋﹁鑑賞U本十日典文学第5巻伊勢物語大和物語﹂
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和m 五 十 年 卜 . 月 一 じ
i日
発行
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川本
門前
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坂い
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伊勢
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t存11月十日発行・右続全)一一六八白け
今井開高叶伊勢物品﹂川日本文中講賄い第開巻(附利一一十九年上二丹強仔・ぃ米
京大学出版会)︑後に刃
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一設近実﹁新潮H本山出ハ集成伊勢物語い(昭和五ト一年九げはト日発行・新潮社﹀
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伊勢物⁝内実名登場取段試論4吋藤原良近いのな場枠景﹂吋伊勢︑物
語致﹂︿平成ι年九月一一ト月発仔・笠間骨院て
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