密教修法中における釈迦如来
添
野
智
譲
︵種智院大学︶ は じ め に 密教の修法次第の中で、釈迦如来を本尊として修法するものが少くない。如来部の釈迦法、天部の北斗法、経部 の法筆法等十四種類を挙げることができる。そのほとんどが経部に属するものであり、経部修法次第十八種あるう ち十二種について、各流派の修法次第が釈迦如来を木尊、あるいは主尊としているT
︶。このことは、釈迦如来が雑 部密教経典の教主であることと深い関係があろう。この十三種の修法次第の中で、特に法華経法と請雨経法の二法 は、七箇大法、あるいは兼大秘︵ 2 ︶︵大法と秘法を兼ねるもの︶として、修法中でも特に大掛りな法要として何度も修 され、師資相伝されてきたものである。これらの修法次第の中で、釈迦如来がどのようにとらえられているかを検 討してみたい。ここでは特に、釈迦法と法華経法を取り上げ、古来論義になっている大日如来と釈迦如来の関係に つ い て 考 察 す る 。 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 0 九密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶
。
釈 迦 法 釈迦法は、文字通り釈迦如来が本尊であり、息災や滅悪を祈るために修する法で、古来広く行なわれている修法 次第である。この釈迦法の道場観のうち、小野方に属する次第のほとんどは石山寺淳祐の可要尊道場観﹄に依るも の で あ る 。 ﹁ 坦 上 有 コ 永 字 一 成 = 迦 楼 羅 座 一 。 座 上 有 v b 哨 成 ユ 蓮 華 台 一 。 台 上 有 忌 v 字 一 。 変 成 一 議 形 一 。 変 成 一 釈 迦 如 来 − 。 備 一 九 十 随 好 一 。 菩 薩 戸 聞 恭 敬 闇 焼 。 ︵ 3 ︶ ﹂ 自 主 二 一 十 二 大 人 相 − ﹂ の 観 想 の 構 成 は 、 ﹃大日経疏﹄の第三重の釈迦院の主尊である変化法身の釈迦如来である。 ら し て 明 ら か で あ る が 、 こ こ で ﹁ 有 コ 永 字 一 成 コ 迦 楼 羅 座 一 L とあるは、﹃大疏﹄第十﹁普通真言蔵品﹂に ﹁ 釈 迦 於 コ 五 部 仏 中 一 一 乗 = 迦 楼 羅 座 一 。 即 是 虚 空 進 行 義 也 ︵ 4 ︶ ﹂ ﹂のことは内存か とあり、種子であるホ字が成転して迦楼羅座になるということは、﹃略出経︵ 5 ︶ ﹄ の 五 仏 の 内 、 不空成就仏の座を表 わすものと忠われる。 ァ日宝口妙﹄は、前述の道場観の文につき、 この迦楼羅座と蓮華座と合わせて両部不二を表 わすものとしている。 次 に 、 広沢諸流の釈迦法次第は仁和寺寛助の﹃別行﹄に依っている。 ﹁ 坦 中 有 ユ 高 妙 座 一 。 四 方 均 等 。 其 上 有 主 総 主 。 変 成 ユ 八 菜 蓮 花 一 。 花 台 上 有 2 a H字 一 成 コ 浄 月 輪 一 。 月 輪 中 有 一 ゐ 甲 子 成 一 一 宝 鉢 一 。 セ ン ガ ヲ ス 宝 鉢 変 成 = 釈 迦 如 来 一 。 身 色 黄 金 。 具 コ 足 三 十 一 一 相 八 十 種 好 一 。 為 す 流 一 布 教 法 一 化 由 度 衆 生 A住 ユ 説 法 相 一 。 及 普 賢 文 殊 観 音弥勤等諸大菩薩。乃至舎利弗須菩提等諸賢聖衆。前後恭敬圏縫云云︵ 6 ︶ ﹂以上は﹁釈迦文尼仏金剛一乗修行儀軌法品﹂に依るものであるが、儀軌には種一二尊の転成ば無く、釈迦如来を中 心とした作蔓茶羅である。 即ち、種子の得、三形の鉢は﹃大日経﹄、 その他谷属等についても﹁胎蔵説の如し﹂と あるによって、胎蔵蔓茶羅釈迦院に依っていることは明らかである。ただし儀軌に応身説法相とあるを、﹁為官流=布 ヲ セ γ ガ ヲ ス 教 法 一 化 肉 度 衆 生 a住コ説法相ことしている。内容的には、応身をより具体的に表現したものと一一日えるが、反面、儀軌 は実際に且受茶羅を図絵する作坦法の憂茶羅であるために、応身の相を現わしている。これに対して守別行﹄の修法 次第の道場観且受茶緩は、観想の品交茶羅であるために、種三尊転成を土台として構成されている法身の本尊呈茶羅を 現 わ し て い る 。 な お 、 伝法院流の﹃小巻﹄は、種三尊転成は同じであるが、その他は儀軌の構成を取り入れている。 台密の﹃百余尊﹄、﹃阿裟縛抄﹄の修法次第もほとんど広沢の修法次第と構成は同じである。 次に本尊加持について検討してみる。 ﹃ 要 尊 道 場 観 ﹄ 、 ﹃ 別 行 ﹄ と 古 い 修 法 次 第 は 、 根 本 印 の 一 印 一 一 切 で あ り 、 智 吉祥印に大呪といわれる陀羅尼だけであるが、以後の修法次第には、根本印、心印、随心印という二一印と、大呪、 中呪、小呪の一二陀羅尼がつくようになる。 根本印は全ての修法次第が、 智吉祥印を挙げている。 ﹂ の 印 の 典 拠 は 『 「 大 亦 日 随 品 経 守人l, 』
訴ノの
庄
、
ュ
日
空 言7
.
K
l
口
輪 問 中 目 Fザ 持ヲ M」 是i
謂
;
で七 口 祥 印ト 」 とあり、また﹃釈迦文尼仏金剛一乗修行儀軌法品﹄には手印を説く内、如来鉢印、如来甘露印、如来錫杖印、大法 螺真言印とある。その次に、 ﹁根本枇庫遮那化身印、定手水空相捻。慧手亦爾。二子水空共相著。余地火風土一指散竪︵ 7 ︶ O ﹂ とあるように、経軌並びに﹃大疏﹄﹃義釈﹄共に、 智吉祥印は空水相捻となっている。 しかるに﹃要尊道場観﹄等 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶
一
一
一
一
一
全ての修法次第は、空火相捻となっている︵ 8 ︶。よってその典拠を、諸儀軌並びに諸修法次第のうちに探ってみるこ と に す る 。 ま ず ﹃ 摂 軌 ﹄ 、 ﹃ 玄 軌 ﹄ 、 ﹃ 青 軌 ︵ 9 ︶ ﹄ 記﹄に﹁両巻儀云、智手吉祥印空持火﹂としている。円珍は﹃大悲蔵稔伽記下﹄の大牟尼仏会の項に、 ﹁ 定 慧 空 風 各 相 持 。 右 腕 斉 ユ 於 左 水 地 頭 − 相 = 当 左 印 一 令 ν不ユ相著一。右手拍起。是応身仏説法之印。又空火相持便左右 主完走報身仏説法之同町内又水空相色即 J 7 宇相毛主間程。走法身説民間仙円師日〆初ハみ託金剛部法一時首法之 閉 め 。 時 男 開 。 次 色 説 一 一 蓮 華 菩 薩 訊 丸 一 時 之 乱 。 後 ハι
乱 仏 玖 丸 一 時 之 閉 め 也 。 長 一 切 仏 一 皆 孔 之 会 。 若 ノ 民 一 脱 空 之 札 一 の胎蔵三部儀軌は空水相捻である。 そして入唐八家の内、円仁は﹃胎蔵界虚心 時皆用 z此 印 二 日 ︶ O ﹂ とある。円仁は入唐中の会昌二年︵八四二︶二月、青龍寺法全より胎蔵儀軌が伝授されているので、﹁此一二身恐先伝 z 此 土 一 乎 L とあるところから、この時三一身印が授けられたものと思われる。さらに円珍の﹃聡伽記﹄の奥書に、J
五 説 法 之 印 。 即 是 正 三 部 法 之 乱 也 。 受 一 一 学 ル 此 民 一 者 我 国 幾 何 也 。 唯 除 コ 叡 山 一 応 ν未 ν有 v 之 。 色 刷 比 主 義 真 之 徒 宗 叡 ズ テ ル 先 受 弘 子 我 本 − 白 蝕 不 ν有 。 而 除 = 彼 印 一 外 別 有 ニ 伝 法 印 一 者 。 士 口 先 阿 闇 梨 堕 一 聖 法 界 一 歎 。 末 代 知 ν之故記。貞観十四年十 二月二十日。前入唐沙門円珍記g
﹂ とあり、この三身説法印を大事に相伝され、台密以外では宗叡にのみ授けたことがうかがえる。また、安然の﹃胎 蔵 界 大 法 対 受 記 ﹄ の第百六十釈迦牟尼印に 「 三 珍 身.和 印’尚時弓フ
正 二 僧 手正各
説 空 間ペ水悔
;
器
三七。
長
μ
テ 印 慧 是い覆『店
;
v~:
J己V O' 説ノ法 法 身 相 印 ノ問也
上 告印 天
相 相
l=l - 平三FF
;
選
;
報 報身身
説 印 ” 法,干i
相’ t 也 空 。 風 上 相 印 捻 守 本 目 亦hR
ス
奄
フ
定 応 慧 身 , 火 印 ’ 申ベ也 立テ。
更
事
P 毛!]日テ ヲ ス ヲ ス ノ ト 之。以 ν空 押 ユ 火 側 一 為 = 法 身 説 法 相 一 也 ︵ 日 ︶ 。 ﹂ とあり、先程の﹃稔伽一記﹄出の三身印を、円珍伝と大日院道海等の伝とに分け二種類にしている。 そ れ で は 、 真言宗ではこの智吉祥印をとう相伝したかをみてみる。 先 に 述 べ た よ う に 、 ﹃ 要 尊 道 場 観 ﹄ 、 並びに ﹃別行﹄等の修法次第の智土口祥印は、空火相捻を相伝している。また釈迦三身印にしても、頼稔の﹃薄草子口決﹄ 第一、﹃秘紗問答﹄第一等に台記と同じ二種の釈迦一二身印が相伝されていることは明らかである。このほか守秘紗問 答﹄には宗叡説として、台記とは全く反対の釈迦三身印を記している。 ﹁ 釈 迦 印 有 一 二 二 種 説 法 印 一 。 其 印 相 者 左 右 手 当 = 心 前 九 反 指 大 母 指 各 相 捻 。 旦 疋 法 身 印 也 。 次 中 指 大 母 指 頭 相 念 者 。 是 応 身 印 也 。 二 無 名 指 各 各 捻 コ 大 母 頭 一 者 。 是 化 身 説 法 印 也 云 云 ︵ U ︶ 。 ﹂ このことは、宗叡が円珍よりの受法以外に入唐の際、造玄、智慧輸等より授かったか、あるいは台密に対抗して 自ら作られたものと思われる。ちなみに頼稔は﹃胎蔵入理紗中﹄に、この釈迦三身印は他家の大事にして、慈覚、 智誼の門流を尋ぬべしといっている︵
5
0
なお、高祖大師の﹃二教論﹄には、釈迦三身︵日︶の言葉はあるが、そのい かなるかは記されていない。 また、﹃作礼方便次第日正に、説法の印として空火相捻とあるが、この次第そのもの を高祖大師作とするのは、 はなはだ疑問である︵ぎ。これは釈迦如来智吉祥印が、高祖大師以後、円仁円珍の入唐僧 により、空水相捻が空火相捻として相伝されたこと、そしてこのことは、釈迦説法の徳が、衆生を済度する為の後 得智として、経軌には吉祥印という名称であったのが、智土口祥説法印として流伝したことによる。よって火指は智 慧を表わす指であるため、空水を空火に変えたものと思われる。 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶一
一
一
一
一
密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 四 法 華 経 法 この修法次第は息災、増益、 延命を祈らんがために修する法で、﹃成就妙法蓮花経王議伽観智儀軌﹄を所依とし ている。本尊については古来種々の習いがあり、 ﹃覚禅抄︵ゅよには、観音、普賢、 不動、釈迦、多宝、釈迦・多宝、 塔・多宝・釈迦、胎大目、金大日、両部大目、無量寿延命決定如来と、実に十一種類があげられ、 一概に、釈迦・ 多宝を本尊として扱うことは出来ないが、経軌の内容からすると釈迦如来を差し置いては考えられない。 ま ず 、 釈迦法と同様、道場観の構成をみてみる。﹃要尊道場観﹄は、 リ ユ シ テ ズ ﹁大量茶羅坦場中有一一百宝荘厳八葉大蓮花台一。其中央花実上有=高妙宝塔一。微妙荘厳不 v可 = 勝 計 九 其 中 有 ニ 師 子 座 一 。 孟 テ ノ 呉 ニ ス 座 上 有 一 注 目 宇 一 成 一 九 ノ 宝 如 来 一 。 其 傍 有 一 一 一 、 字 一 成 コ 釈 迦 牟 尼 如 来 一 。 互 依 一 一 往 昔 久 遠 願 力 一 。 共 演 一 説 妙 法 蓮 華 経 一 。 其 外 八 葉 上有一一普賢、文殊、観音、弥勤、薬王、妙音、常精進、無謹意等諸大菩薩九次第安座。四隅有↓向一大声間一。 院内外八供四摂等間焼。及外金剛部諸天前後侍従。珠童瑛洛供養雲海充一両虚空一云一五︵却︶﹂ 第 以上は、﹃観智儀軌﹄の道場観を要約したものである。 但 し 、 多宝を釈迦の前に持ってきているところが異なる が、これは多宝仏に何かを託しているようにも思える。﹃秘妙﹄、﹃玄秘紗﹄の道場観は、 エ リ 品 p − ノ テ ル ト ゾ テ ル ト ﹁観想。心月輪上有ユ八葉蓮花九蓮花台上有=$字一字変成 ν塔。塔変成コ大日如来﹂。 裟婆世界一説コ法花経一。此裟婆世界其地瑠璃坦然平正。閣浮坦金以界一一八道一。 薩 衆 成 慮 = 其 中 一 ︵ 幻 ︶ ﹂ 宝 樹
九
帯
ハ
丸
5
リ 胃 益 セ Rヨミミ ン 説 衆 プJ !ナ生ヲ2
タ現 斗f コ ン反択
。一辺Q.身
;
出 コ デ 諸菩 以上の如く、 およそ経軌とは異なった道場観であるが、﹃玄秘紗﹄は一行阿闇梨が云うとして、この正等覚受茶羅は秘密中の密としている。ここでは多宝仏は無く、その変わりに大日如来が登場してくる。これについて﹃秘紗 ス ν ズ チ ル ト 問答﹄第六には、嘉祥の﹃法華縁略﹄を引いて﹁多宝出 ν戸。是多宝不 ν減 。 則 成 一 克 慮 庶 那 − ︵ 幻 ︶ 。 ﹂ と あ る よ う に 、 釈 迦如来の証明者としての多宝仏が存在し無くなったのでなく、釈迦の本地仏としての大日如来となって、釈迦は大 日如来の内証を衆生に説いていることを表わしている。即ち、法華経の密教的解釈である。 次に広沢の道場観についてみる。これは﹃別行﹄の修法次第とほとんど同じであるので、その道場観をあげる。 D シ テ ル ﹁ 妙 高 山 上 有 コ 百 宝 荘 厳 大 蓮 花 台 一 。 花 台 上 有 = 高 妙 塔 婆 一 。 七 宝 所 成 。 其 中 有 一 一 師 子 λ 肱九座上有主総字九変成=八葉蓮 花 一 。 其 上 有 一 一 員 字 一 成 一 五 月 輪 一 。 月 輪 中 有 − 一 得 宇 一 。 変 成 = 釈 迦 如 来 一 。 光 明 赫 変 住 = 説 法 相 九 傍 有 ν第 成 ニ 多 宝 世 尊 一 。 依 = 久 遠 願 力 一 並 座 。 共 演 = 説 妙 法 蓮 華 経 一 。 ︵ 後 略 ︶ ︵ 幻 ︶ ﹂ 即ち、蓮華台、塔、師子座等の展開は、儀軌並びに﹃要尊道場観﹄に同じであるが、 八葉蓮華上の釈迦、多宝、 二尊の立場はコ安尊道場観﹄とは逆であり、経軌の如く、釈迦如来が主尊であり、多宝仏は証明者として釈迦の傍 に 座 し て い る 。 本尊加持に於いて、﹃要尊道場観﹄は、 釈迦は印明共に釈迦法に同じ、 多宝は印とあるだけでおそらく﹃法華憂 茶羅威儀形色法経﹄出の智拳印であろう。﹃別行﹄も釈、迦は智吉祥、 あるいは鉢印に釈迦大呪、多宝仏印は﹁定印 又在日伝﹂、そして真言は胎蔵定印真言に奥穂実認を付したものである。即ち、﹃別行﹄の修法次第そのものは経軌 に沿ったものであるが、本尊加持においては、すでに口伝の入っていることがわかる。前述した如く、多数の本尊 があるということは、本尊加持においてもその本尊に沿った印、真言があるということである。そして﹃薄草紙﹄ を除いて全ての修法次第は、大日如来を本尊とするか、大日の種三尊並びに印、真言を用いている。 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 一 一 一 五
密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 一 一 一 六 一、釈迦如来 ここで小野の修法次第を例に挙げる。﹃厚造紙﹄には本尊に三説ある。 釈迦印言、常の如し 二、金剛界大日 一 二 、 胎 蔵 大 日 多宝印 二 手 内 縛 立 一 一 左 中 指 一 或 定 印 真 言 帰命
a H
智拳印帰命世調席代一爽禿窓、或普賢二子真言帰命者 無所不至印 胎蔵定印真言 即ち、印では智拳印、塔印、そして法界定印、八葉印があり、真言では左記の外に、金大日掲磨明、普賢一字明、 火界呪帰命句調礎実禿君、胎大日明、胎蔵秘密八印大潟磨真言、現実失発等がある。これらの印真一二一口の相伝の古い 一、智拳印 ものは、﹃覚禅抄﹄によると、醍醐遍智院開山、義範︵一O
二 三 J 一O
八 八 ︶ の 相 伝 に 四 説 を 挙 げ る 。 無所不至明 二、法界定印 三、八葉印 胎蔵如来身会大羊石真言 四、智拳印現
官
ZA
必
須 奨 一 夫 先 君 このうち、英e z
A a
の真言は師の小野僧都成尊より授かったことが記されている。しかし、同じ成尊門下の範 俊は率都婆印に、を字明を相伝している。そしてその付法の厳覚は八葉印に現世ZA
宿の真言の口決がある。また 範俊は高野御室覚法に奨喪失誕の真言を授けていることからしでも、金大日の印真言だけでなく、胎大日の八葉印、 現世主占拠必の真言も相伝していることは間違いないと思われる。それは厳覚の付法の勧修寺流の祖である寛信が ﹃伝授集﹄に胎蔵大目、金剛界大日の両本尊をあげていることからも判る。以上のように、小野の法華経法の本尊相伝には金大日、胎大日の両伝があるが、胎大日の伝としたと思われる理 由が三点ある。 一 、 初 期 の 段 階 、 つまり成尊、義範の頃は、胎大日印真言が主に相伝されている。 一、実運、元海は極深秘に胎蔵大日を本尊としている。 一、覚禅紗等に醍醐伝として、胎蔵大日を本尊としている。 しかし範俊、寛信のように金胎両伝を相伝していることや、その他の修法次第、 口決類にも、金制界大日の相伝が 所々に見られることは、他流からの相伝と一概に言えぬものがあろうか。 広沢の相伝にも金胎両様の種々の口伝があるが、 全般的にみて、 金剛界大日を本尊としている伝が一番多い。 ﹃沢見﹄、﹃沢妙﹄、﹃金玉﹄ともに秘伝として金剛界大日を本尊とし、智拳印、あるいは無所不至印、そして真言は そして大御室性信は、﹃西院八結第一﹄の﹁法華朱大御多 宝、種炎、コ一塔、印法界定印明帰命英、釈迦如 ν胎 ﹂ と 、 ﹃ 金 玉 ﹄ の ﹁ 大 御 室 御 伝 、 金 界 大 日 為 一 一 本 尊 一 一 議 制 始 時 目 、 印 ソ 智 拳印、明阿々暗悪﹂の二伝があり、その内可八結﹄出の方は、﹃別行﹄﹃沢見﹄﹃沢抄﹄﹃伝流抄﹄に伝わり、﹃金玉﹄ 客寄手
q
g
・ 曹 、 または賓の普賢一字明が相伝されている。 出の金剛界大日を本尊とする方は、広沢の秘伝として伝わったものと思われる。 さらに﹃西院八結﹄第一には、広 沢 「 の 遍 寛 照 朝 寺ーの御’口
口 決 決 と 云。,てLし
回 目 シ テ a ス 宝塔是無量寿命決定如来。理智冥合三味耶形也。釈迦多宝二仏。共紋一一入此 無量寿命決定如来無量寿命法宝塔之中一。此時法界一体無量寿命海。宝塔即変成一一無量寿命決定如来一。其如来 シ ノ 。 二 仏 是 表 = 一 阿 部 形 如 = 智 拳 印 大 日 如 来 九 二 お ︶ 理 智 不 二 之 旨 − 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 談 ︶ 案 ユ 法 華 最 底 云 。 一 一 一 七密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 八 と あ る 。 以上の文を要約すると、釈迦多宝二仏←無量寿命決定如来←宝塔←金剛界大日如来となる。 ま た ﹃ 八 結 ﹄ に お いて、金剛界大日如来を本尊とするについて 一、塔中の二仏を金胎に配すと、釈迦は胎であり、多宝は金である。しかるに釈迦は、証明者としての多宝を本 尊として法華経を説いた。 一寸金大日は修因感果の義がある。 一二、法華経の教主を秘密の義に配す時、久遠実成仏は金大日に配す。 四、法華経の﹁十方仏土中唯有一乗法﹂とあるのは、金輪儀軌の﹁十方仏土中唯有智拳印﹂ コニ災大却未霊山仏常在天人悉安隠号日=金剛界一。﹂による。 と あ る に よ る 。 五 、 ﹃ 宗 秘 論 ﹄ に 出 る 以上の理由を挙げている。よって広沢の法華経法の本尊が金剛界大日如来である証拠としている。 次に台密も本尊について﹃渓嵐拾葉集﹄は、釈迦、釈迦多宝、普賢多宝、金剛大目、胎蔵大日、金剛胎蔵大日、 両部不二大日の八種の習いを挙げ︵お︶、この外に不動、無量寿命決定如来と多種である。したがって本尊の根本印言 等 も 当 然 多 数 あ り 、 ﹃ 阿 婆 縛 抄 一 二 ﹄ に は 、 八 葉 蓮 華 ︵ 胎 ︶ | 宝 塔 ︵ 金 ︶ | 釈 迦 ︵ 胎 大 日 ︶ 、 多 宝 ︵ 金 大 日 ︵ 幻 ︶ ︶ と し て い る 。 また法華古本長茶羅の塔中の一仏は法界定印であり、 一仏は智拳印を結んでおりこの両界をもって法華経木迩 門に当てる意である。これは智証大師御次第も同じであることが述べられている。ちなみに、円珍の﹃入真言門講 法 華 門 ﹄ こ + ﹂ 阜 、 l i 一、浅略観音等四菩薩、二、深秘阿弥陀、三一、秘中深秘大日如来、 四、秘々中深秘胎蔵界金剛界合 法 ︵ お ︶ の 四 重 の 釈 を 出 し て 法 華 経 法 の 本 尊 を 挙 げ て い る 。
最 後 に 、 塔、多宝、釈迦等を三身に配することについては、 小野、広沢とも相伝があり、 ﹃ 厚 造 紙 ﹄ ﹃ 薄 草 決 ﹄ の塔法身、多宝報身、釈迦応身と﹃秘紗問答﹄の多宝法身、釈迦報身、分身化身があり、 い づ れ も ﹁ 三 井 云 ﹂ ﹃ 成 尋 記 ﹄ ﹃ 法 華 論 疏 第 一 一 ﹄ と 台 密 の 説 で あ る こ と を 記 し て い る 。 また広沢にも﹃沢見﹄﹃沢抄﹄﹃金玉﹄共に﹃厚造紙﹄等に 同じ塔法身、多宝応身、釈尊化身の三身を相伝しているが、 ﹁ 或 師 云 小 野 ﹂ 、 又は厳覚とあるところから小野よりの相 伝 で あ ろ う 。 しかし沢見には多宝法身、無量寿命決定如来報身、釈迦化身とする釈迦三身の説がある。この伝は他に 無く、多宝如来を本尊にした時の説と思われる。 シ 且 テ これら三身即一の考えは、例えば﹃法華玄義﹄七に﹁三仏具足無 ν有 ニ 闘 減 一 二 一 身 一 体 無 ν有 二 異 一 し と あ る よ う に 、 天台の仏身観の基本であって、 三身が互いに融通しあい、そして久遠実成の釈迦︵本地︶と樹下成道の釈迦︵垂亦︶も 互いに不二の関係にある三身融即、本地垂迩の仏身観である。
大
釈
同
異
体
以上の如く、釈迦法、法華経法について検討してきたが、真言宗における釈迦如来を考える場合、教相面におい て、古来、大日と釈迦は同体であるか、別体であるかの論議︵却︶がある。このことがそのまま事相面にあてはまるか 否かは異論もあると思われるが、事教一致という起点に立って考察してみることにする。 まず大釈具体説とは、主に真言宗の立場であり、宗祖大師を通してみた大日と釈迦の解釈であるといえるであろ ぅ 。 ﹃ 二 教 諭 ﹄ に ﹁ 夫 仏 有 一 三 一 身 一 。 教 則 二 種 。 応 化 開 説 名 = 顕 教 一 。 言 顕 略 逗 v 機 。 ノ フ タ ト 法 仏 談 話 謂 = 之 密 蔵 一 。 ユ シ テ ナ リ 言 秘 奥 実 説 ︵ 迎 。 ﹂ 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 相 官 譲 ︶ 九密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 二 二
O
とあり、顕教は応化身である釈迦の説かれたものであるが、密教は法身仏である大日の説法であるという。また長 茶羅における釈迦は、普門総徳の大日如来の一徳を司る一門別徳の尊として、第三一重の教主、あるいは第三重より 対機説法の為に降臨して、顕教を説いた樹下成道の釈迦如来であるという。即ち、釈迦と大日如来を同格に扱うこ となく、あくまで大日如来が中心であり、釈迦如来とは主伴の関係でみているのである。具体説を唱える先徳は、 この外に﹃二教諭﹄の﹁釈迦三身、大日一二身、各々不同応ニ当知 v之 ﹂ の 文 と ﹃ 付 法 伝 ︵ 況 ︶ ﹄ の文を証拠として挙げ る。これら異体説を図式すれば、 第 重 釈 迦円
L I I
七
応 報 法 応 報 法'
[
J
a
安富吉
I γ
化 受 性 I l身 用 身 応 報 受 | 了 ぷ ) 不 忍苦 痛
I I
J
き
顕 教 の 釈 迦 身 大日三身 と な る 。 これに対して、大釈同体説は、経典、儀軌の意を汲み、歴史上の釈迦を通してみた密教の教えであり、大日如来 の教説も釈迦を通してこの世に展開したものであるから、大日と釈迦は本来同体のものであるという。従って先程 の﹃二教諭﹄の説は顕密対弁の必要上説いたもので、﹃付法伝﹄に﹁法報応化体同用異︵犯︶﹂、並びに﹃秘蔵記﹄第八 十 一 章 の 文 ︵ お ︶ を 同 体 説 の 証 拠 と し て い る 。 またこれら同体説は天台において、﹃法華経﹄と﹃大日経﹄の同一化を計るため、円仁、円珍等によって論じられている。即ち円珍の﹃大悲蔵稔伽記﹄上に シ テ タ テ フ シ ル シ テ 品 ル ル ユ ﹁ 珍 諮 = 問 私 上 一 日 。 大 日 興 = 釈 迦 一 為 二 為 v二否。和上答目。本来一仏無 v有 = 一 一 体 一 。 但 約 = 機 見 一 似 ν有 = 其 別 一 。 ︵ 鈍 ︶ ﹂ と、円珍の聞に法全が大日と釈迦が一体無二であると答えている。図式すると、
7
法 ︵ 自 性 身 ︶ ]1
法iT
報 ︵ 白 受 用 、 他 受 用 身 ︶l
−
! 一 一l
応 ︵ 変 化 等 流 身 ︶l L
印 度 出 現 釈 迦 一 川 、 ; ;﹁ 開
lh
⋮
F J
一
大 日 コ 一 身 釈迦三身 長 谷 宝 秀 ﹁ 大 釈 同 体 説 ﹂ よ り ︶ ︵ お ︶ 以上が大釈同体説の概要である。 釈迦法を同異体説にあてはめて考察してみると、前述の本尊加持における釈迦印について、或伝である宗叡相伝 の釈迦三身印は別として、真言宗では樹下成道を表す智吉祥印、昌文茶羅第三重の釈迦を表わす鉢印、そして釈迦と 同体である不空成就仏を表わす極喜三昧印というように釈迦の種々相をあげるものにして、大日と釈迦の同体を一不 すものではない。これに対して台密系の法全、円仁、円珍が相伝した智吉祥印である釈迦三身印は、応身の釈迦だ けでなく、法報応の三身即一尊である釈迦を表わす。この釈迦三身印は、三味流の口決︵お︶に三部の内、台蔵の三身 印の一つとして相伝されている所からすると、大日と釈迦の同体であることを示しているともいえる。 次に法華経法を大きく分けると、普通法と秘法に分類することが出来る。普通法は釈迦、あるいは釈迦・多宝二 尊 を 本 尊 と す る ﹃ 要 尊 道 場 観 ﹄ 、 ﹃ 厚 造 紙 ﹄ 、 ﹃ 別 行 ﹄ 、 ﹃ 伝 流 抄 ﹄ の 或 伝 等 の 木 尊 で あ る 。 ﹂れは弘法大師の﹃二教 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶一
一
一
一
密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶
一
一
一
一
一
論 ﹄ 上 に 、 ﹁法華経者是応化仏所説、何以故、 メ − 一 ノ ノ タ マ フ カ ヲ エ 為 ユ 応 化 声 聞 等 一 仏 授 ユ 記 別 一 故 、 或 者 談 = 法 身 説 一 甚 諮 問 而 己 ︵ 幻 ︶ ﹂ と、法華経の教主である応化仏の釈迦を表わすものである。 次に金剛界大日、胎蔵大目、両部大日等を本尊とする秘法の修法次第は、真言宗と台密では解釈上に相違がある。 即ち、真言宗の方は、弘法大師の﹃法華経問題﹄をもとにして、字義を尊とし、受茶羅上の展開として釈迦より大 日への展開を計り、台密は前述したごとく﹃法華経﹄そのものの密教的解釈、あるいは一二身説に基いた解釈を示し て い る 。 まず弘法大師は﹃法華経開題﹄並びに﹃法華経釈﹄において、法華経を密教的に解釈している。それは一切経を 釈するのに遮情、表徳、浅略、深秘、字相、字義、 一 字 摂 多 、 多 字 帰 一 、 一 字 釈 多 、 多 字 釈 一 、 一字成多、多字成、
一字破多、多字破一、順観旋転、逆観旋転門の十六門あることを述べている。 本 来 ﹃法華経﹄の教主である 釈迦を大日とすることは、仏身論、あるいは﹃法華経﹄の内容から解釈するのが普通と思われるが、弘法大師は是 茶羅、並びに真言の深秘の教説によって解釈している。即ち、深秘釈、字義、 サ〆ルマフ γ 〆リカソタラン 法蓮華とは、党語で司q
酎 H a m 可 令 都 司 − S と云い、観自在尊の三摩地法蔓茶羅であり、あるいは観自在王如来の妙観察 一字摂多門によって釈している。妙 智の三摩地にして、蓮華法部の経であると述べている。 ﹁ 今 一 一 一 口 − 一 妙 法 蓮 華 経 一 者 、 是 則 観 自 在 尊 白 誼 之 境 、 キ ズ 若 約 一 一 横 中 之 横 、 秘 又 之 秘 一 者 可 ν通 一 一 三 部 之 教 、 覚銀上人は ﹃ 法 華 経 秘 釈 ﹄ に 、 両 用 金E A " "之量
桂
一
ぞ
?
毛布
§ 他 L了 之「
可
妙観察知日之三摩地、蓮華法部之修多羅也。 と説いている。そしてこの九字の党字は、九仏の種子の真言であって、胎蔵中尊の大日、 四仏、四菩薩であることを 「 説 此 L
、
九’て 種.いイ
ム
;
る為
よ
諸 仏 之 根 ~卜2
t
,
此ノ 一 智 一 各 現 ユ 十 仏 利 微 塵 数 差 別 智 印 一 。 ︵ 鈎 ︶ ﹂ そしてまた、経あるいは観自在尊を、四種、六種蔓茶羅において解釈しており、 シ テ ヲ ハ チ ヲ ハ テ ス ト テ ノ ヲ ハ ト チ ス ﹁ 若 以 コ 観 自 在 一 為 v首 則 大 日 尊 亦 名 為 ユ 観 自 在 一 。 以 一 一 此 尊 一 為 ν首 則 兵 三 一 一 十 七 尊 及 無 量 仏 利 微 塵 身 一0
8
﹂ と述べている。これは是茶羅のもつ互相渉の教えに依ったものであり、後の先徳が、深秘釈の根拠として挙げる。 ま た 、 ﹃ 大 日 経 疏 一 ﹄ に 、 ﹁ 若 諸 行 人 感 動 山 修 習 、 能 令 一 一 一 二 業 同 一 一 於 本 尊 一 、 従 コ 此 一 門 一 得 ν入 コ 法 界 一 。 即 是 普 入 二 切 法 界 門 一 也 。 ︵ 狙 ︶ ﹂ と あ る よ う に 、 一門の尊の誓願三摩地を得た時、 一門のコ一摩地も、並日門総徳なる大日の三摩地と等同であるとの境 地に到達することを、秘説あるいは深秘と称する。 即 ち 、 大日と釈迦との関係は、﹃付法伝﹄及び﹃秘蔵記﹄にお ける体同用異の関係であることは明らかである。 次に台密の円珍の τ 妙法蓮華経党釈﹄は、弘法大師の解と全く同じ解釈を示している。しかし台密の教義からし たならば、法華両界和合における﹃法華経﹄二十八品は、上十四品を胎蔵十三会に、下十四品を金剛界三十七尊に 配して解釈するものと、顕密一如本仏の三身説に依ったものと思われる。即ち一行阿闇梨の ﹁ 釈 = 大 日 如 来 一 一 去 。 今 此 本 地 身 妙 法 蓮 華 経 最 極 秘 密 慮 也 。 我 浄 土 不 虫 者 。 常 在 一 一 霊 山 一 正 是 此 宗 稔 伽 意 。 ︵ 必 ︶ ﹂ あ る い は 、 ﹁法華本仏是胎蔵大日如来也0
8
﹂ を所依としている。即ち胎蔵の三身は胎蔵蔓茶羅のコ一部諸尊に配すことが出来、この三部は四重円坦の三重にして、 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶一
一
一
一
一
密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 四 三重即三身なり。即ち、遍知法身、文殊報身、釈迦応身であり、それは初重、二重、三重も互に具足している。ま た﹃法華経﹄の本門︵本地仏︶は、中台八葉にして法報二身に釈し、迩門︵垂迩仏︶は三重諸尊にして応身である。密 教三身是法華三身也としているのである。これはとりもなおさず大日と釈迦の一体を説いたものである。以上、事 相︵実践︶上において真言と台密で解釈の違いがある。真一言においては、あくまで長茶羅の中における大日と釈迦の 関係であって、普門総徳の大日と別徳の釈迦の三昧は、本来別のものである。しかし、その境地においては同体に もなり得ることを表わしている。台密は﹃法華経﹄の本地法身である久遠実成の釈迦如来と、密教の大日如来とが 同体であり、本地本身仏の釈迦如来が、秘密三昧に入って﹃法華経﹄を説いたものであり、あくまで釈迦如来を中 心とする所に両者の違いがある。
四
むす
び
以上の如く、密教修法次第中において釈迦如来がいかなる地位に住しているか、そして、密教の教主である大日 如来と釈迦如来との関係を多少なりとも考察してきた。その結果、第一に、釈迦如来が修法次第に占める位置はき わめて広範囲であること。第二に、釈迦如来には畏茶羅第三重の釈迦、樹下成道の釈迦、 不空成就仏と同体の釈迦 等と種々の相があること。第三に、釈迦如来が大日如来の所現であるという考えにもとづいて、その一門別徳の釈 迦を修することによって普門総徳の大日の境地を獲得することができるということ。なおその解釈において真言と 台密では異なり、真言は表徳、果位、または呈茶羅の互相渉入性において、時として大釈同体なることを示し、台 密は﹃法華経﹄と両部品交茶羅、釈迦三身と大日一一一身との関係において大釈同体をとらえていると言える。修法中の釈迦如来についてはこのほか、六字経法、北斗法等における大日金輪と釈迦金輪、駄都法における舎利即大日、そ の他種々の尊との同体説等があるがそれらは今後の課題としたい。 1
='
~t
,~l~!
Fl
?!
~UI;
密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 相 官 談 ︶ 五密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 一 一 二 六 15 14 13 12 11 10 9 8 7 6 5 4 3 l j i
−
−
r
E
一
一
一
一
二
二
ー
﹁
三
つ
︺
一
一
一
一
三
寸
寸
J
J
L
E
E
−J
一 −
172
﹂
一
J
J
﹂
﹂
﹂
﹂
引
↓
寸
﹂
子
︺
川
凶
い
1
1
二
︹
山
︺
凶
υ
二
川
凶
﹂
﹂
刊
日
1JJ
−釈迦金輪 ︵2︶大法とは、法会議式が特に大掛りなものを云い、秘法は祖師、先徳が特に秘蔵し、密に相伝されたものを云う。その分 類には流派に違いがある。例を挙げれば、﹁真俗雑記九﹂には大法として請雨経、守護国界経、普賢延命、法華経、後七日 の五法、秘法として如法愛染、如法尊勝、転法輪菩薩、如意宝珠を挙げる。﹁安流伝授紀要﹂は七箇大法として、請雨経、 孔雀経、仁王経、守護経、法華経、普賢延命、大元帥、兼大秘として、この内の法華経、仁王経、請雨経壱あげている。 台密においては渓嵐拾葉集に四筒大法として法花経、尊勝、仏限、金輸を挙げる。 大正七八・四二 A 大正三九・六八四 A 大正七八・二一八 B 大正一八・三二 C 大正一九・八七 C 別 尊 雑 記 ︵ 大 正 図 像 三 ・ 一O
一 二 ︶ 出 の ︵ 朱 ︶ 成 蓮 房 の 釈 迦 法 次 第 は 空 水 相 捻 で あ る 。 摂軌大正一八・七六 C 玄軌大正一八・二一O
B
青軌大正一八・一五九 A 大 正 七 五 ・ 一 一 ニ A 寛永寺蔵写本日本大蔵経本は空水相捻である。 智証大師全集下巻九六一 下巻九六五 大 正 七 五 ・ 八 一c
大 正 七 九 ・ 二 二 一 一 C 大正七九・一五六 C︵ M m ︶大正七七・三八
OC
︵げ︶弘法大師全集二・二四九 ︵問︶密教文化一四六号上回霊域﹁大師御作胎蔵次第の考察 L 参 照 ︵ 山 口 ︶ 大 日 本 仏 教 全 書 四 六 ・ 六 二 二 ︵却︶大正七八・四二 B ︵幻︶大正七八・四O
四 B ︵幻︶大正七九・四O
一 C ︵幻︶大正七八・二一九 C ︵討︶大正七八・二六八 A ︵お︶西院八結第二O
二 ︵部︶大正七六・六O
六 C ︵幻︶大日本仏教全書三七・一一O
コ 一 ︵ m m ︶ 智 一 証 大 師 全 集 ︵ 却 ︶ 大 釈 同 具 体 に つ い て は 宥 快 ﹁ 宗 義 決 択 ﹂ 、 頼 宝 ﹁ 真 一 一 一 本 母 集 ﹂ 、 果 宝 ﹁ 呆 宝 私 抄 L、 静 一 遍 ﹁ 秘 宗 文 義 集 L 、印融﹁柚保隠遁 紗﹂等がある。近来の論文では、大釈同具体を扱ったものは、長谷宝秀﹁大釈同体説 L、栂尾祥雲﹁大日と釈迦との関係 L 、 馬場海寿﹁密教伝の釈迦﹂、森田龍園田﹁大釈同異考﹂、高神覚昇﹁大釈同異論とその批判﹂﹁仏身論の研究 L ﹁ 弘 法 大 師 の 仏 身観﹂、下浦禅城﹁大日と釈迦と金剛薩唾との関係﹂、宮坂宥勝﹁空海、宗祖は釈尊をどう見たか﹂等がある。 ︵ 初 ︶ 大 正 七 七 ・ 一 二 七 四 C ︵れ︶弘法大師全集一、七九八 ︵ m M ︶弘法大師全集一、二 ︵お︶問。経一予釈迦即昆虚遮時ト其心如何答。警ハ如=数穴ル闇室依燈之時。諸穴倶時⋮京本心王宮慮遮那成L
ル 時 。 無 数 心主同時成仏r
t
無 哉 、 心 主 各 々 各 別 テ 各 々 一 垂 正 問 下 一 。 八 相 成 道 。 然 ハ 肌 釈 迦 ハ 是 ν 心 王 夙 心 主 , 釈 迦 之 町 乃 至 世 間 出 開 叫 ん 一 玖 仏 菩 薩 。 皆 且 疋 各 々 心 主 之 迩 耳 。 難 品 帰 ν 本 皆 毘 蹴 遮 那 九 嬢 二 二 昧 門 − 。 各 々 三 味 所 具 = 品 開 三 昧 − 。 如 = 帝 網 之 義 − 。 密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 七密 教 修 法 中 に お け る 釈 迦 如 来 ︵ 添 野 智 譲 ︶ 真言宗全書九・二