• 検索結果がありません。

佛教大学総合研究所紀要 07号(20000325) 005佐藤健「法然遺文に見られる道綽浄土教」

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "佛教大学総合研究所紀要 07号(20000325) 005佐藤健「法然遺文に見られる道綽浄土教」"

Copied!
18
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

法然遺文に見られる道綜浄土教

はじめに

本稿は法然の遺文の中、人師名道縛を明示する記述を機械的 に抽出し、対応する内容を検討することにより法然の浄土教、 特に法然の意識において道縛がどのように受け取られ、その教 学に生かされていたかを解明することにある。周知のように法 然はその主著﹃選択集﹄において自らの立場を﹁偏依善導一 師﹂と標梼している。さらに善導を弥陀の化身と仰ぎ、その著 作をして﹁証定の疏しと特別の意味をこめて見ている。このこ とからしても法然の善導に対する思いには特別のものがあった といえる。道縛との関連において、法然が善導の師である道縛 によらないのは善導がすでに三昧発得者であるのに対して、道

紳は未だ三昧を発得していないことを理由としている。 一方、法然は中国における浄土教に三流あることを示し、自 身は道紳善導の一家によるという立場を明らかにしている。ま た道縛の﹃安楽集﹄の聖浄二門判別により自らの教相を確定し、 往生行として正雑二行を用いるにあたり、すでに道縛にも二行 説のあったことを明かしている。これは道縛善導を一体的に受 容する態度である。これは少なくとも道紳、善導と他の浄土教 祖師と一線を認めるものといえる。つまり法然には道縛、善導 というこ師を一体的に見る態度と、善導一師という態度の二つ があることになる。前号︵﹃悌教大学総合研究所紀要﹄第六号︶ において﹃選択集﹄を中心にこういった観点から少し検討を加 え た 。 本稿においては﹃選択集﹄以外の法然の遺文とされるものを

(2)

併教大学総合研究所紀要 第七号 中心にこのことを考えてみたい。ここで言う法然の遺文という のは一、文永十一年︵一二七四︶道光了慧により編纂された ﹃黒谷上人語灯録﹄十五巻並びに﹃拾遺黒谷上人語灯録﹄三巻。 二、仁治二年︵一二四一︶頃に源智門下により編纂されたとさ れる醍醐本﹃法然上人伝記﹄。三、康元元年︵一二五六︶に親 鷺により編纂書写された﹃西方指南抄﹄所収の遺文である。こ こでは特に﹃選択集﹄との関連を中心に、対応する遺文を検討 す る こ と に す る 。 ﹃拾遺黒谷上人語 一、﹃黒谷上人語灯録﹄十五巻並びに 灯録﹄三巻に見られる道縛関連記事 a 、﹃黒谷上人語灯録 L ︵漢語︶にみられる道紳関連記事 ﹃ 浄 土 宗 全 書 ﹄ 巻 九 所 収 本 よ り 道 縛 に 関 連 す る 記 事 を 抽 出 す る。これは宝永二年こ七

O

五 ︶ 義 山 校 訂 刊 行 本 で あ る 。 第 一 巻 か ら 第 十 ま で が 漢 語 で あ る が 便 宜 上 和 文 に て 表 記 す る 。 文 の 後 の ︵ ︶ は ﹃ 浄 全 ﹄ の 頁 数 。 寸 L は ﹃ 選 択 集 ﹄ に 相 応 す る 内 容 が あ る 章 。 ﹀ は 他 の 遺 文 と の 対 応 を 示 す 。 ノ\ 黒谷上人語灯録 巻第 無量寿経釈 ① 縛禅師によるに略して二教を立て、もって一代の仏教を ム ノ 、 ② 判 ず ︵ 一 一 二 四 、 上 ︶ ﹁ 一 章 L ︿﹁建保四年四月二十六日公 胤夢の記事 L ︵以下﹁公胤夢の記事﹂と略す︶⑧﹀ ︵割注︶次に横裁五悪趣の文をもって二教の差別を釈す。 道紳浄影龍興曇鷺の意これに同じ︵一一二四、下︶ ゆえに道縛禅師この経の横載五悪趣の文を釈して云く ︵ 一 一 二 四 、 下 ︶ ③ ④ もし道紳禅師の意によらば往生の行多しといへども束ね て二とす。一には謂く。念仏往生。こには謂く。万行往 生なり︵三二七、下︶﹁二章 L 答う。縛和尚の云く。信心淳からず。もしは存、もしは 亡のゆえに信心一ならず︵三二八、上︶︿﹁往生要集略料 ⑤ ⑥ 簡 L ① ﹀ また紳禅師の三信三不信またこれ専雑二修の義なり︵三 二 八 、 下 ︶ ⑦ 六に永観とは善導道紳の意によって往生十因を作って ︵ 三 二 九 、 上 ︶ ⑧ かつ愚意を加えて 上来善導道紳恵心等の意により、 三 五 、 下 ︶ 黒谷上人語灯録 観無量寿経釈 巻第

(3)

① また道縛念仏の一行において始終の両益をたつ。安楽集 に日く︵三五五、上︶﹁十一章 L ︿ ﹁ 逆 修 説 法 L ③ ・ ﹁ 法 然 ② 聖人御説法事﹂②﹀ 道縛はこれ善導の師なり。そもそもまた浄土の祖師なり ︵ 三 五 六 、 上 ︶ ﹁ 十 六 章 L ︿ ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 ﹂ ⑥ ﹀ 道縛は師なりといえどもいまだ三昧を発せず︵三五六、 上 ︶ ﹁ 十 六 章 ﹂ ︿ ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 L ⑥ ﹀ 道縛念仏す。往生を得んや否や︵三五六、上︶﹁十六章﹂ ︿ ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 ﹂ ⑥ ﹀ 道縛その深詣を歎じて、よって定に入りてまさに生ずる ことを得ぺしゃ否やを観ぜんことを請う︵三五六、下︶ ﹁ 十 六 章 L ③ ④ ⑤ 黒谷上人語灯録 往生要集略料簡 答、縛和尚の云く。信心深からず存するがごとく、亡す るがごとく︵三七八、下︶︿﹁無量寿経釈 L ⑤ ﹀ 恵心すでに往生の得否を定むるに善導道縛をもって指南 と す ︵ 三 七 八 、 下 ︶ 巻第六 ① ② ④ ③ 又、処処に多く紳導二師の釈を引用す︵三七八、下︶ しからば則ち恵心に随順するの輩は、必ずまさに道綜善 法然遺文に見られる道縛浄土教 導に帰依して安楽集を披りて聖浄二門の意を明了にして、 観経の疏を閲して安心起行の旨を領会して、もって出離 解脱の準則となすべし︵三七九、上︶ 黒谷上人語灯録 巻第七 逆修説法 ① いわゆる菩提流支三蔵、恵寵法師、道場法師、曇鷺法師、 法上法師、道縛禅師、善導禅師、懐感禅師、小康法師等 な り ︵ 三 八 六 、 下 ︶ ﹁ 一 章 ﹂ ︿ ﹁ 法 然 聖 人 御 説 法 事 ﹂ ① ﹀ 菩提流支より法上にいたるまでは道紳の安楽集に出でた り ︵ 三 八 六 、 下 ︶ ︿ ﹁ 法 然 聖 人 御 説 法 事 ﹂ ① ﹀ また浬繋隠没の相あり。道縛禅師これについて念仏の衆 生に始終の両益あることを釈したまえり︵四

OO

、 上 ︶ ︿ ﹁ 法 然 聖 人 御 説 法 事 ﹂ ② ・ ﹁ 観 無 量 寿 経 釈 し ① ﹀ ② ③ 黒谷上人語灯録 第八 逆修説法 ④ 次に五祖とは曇驚法師、道縛禅師、善導禅師、懐感法師、 少康法師これなり︵四一四、下︶

J

章 L しかるに浄土宗の師資相承にすなわち二説あり。一には 菩提流支三蔵、慧寵法師、道場法師、曇鷺法師、大海禅 ⑤ 七

(4)

悌教大学総合研究所紀要第七号 ⑥ 師、法上法師と次第相承す。これ安楽集にいず。二に菩 提流支三蔵、曇驚法師、道紳禅師、善導禅師、懐感法師、 少康法師と次第相承す。これ唐宋両伝にいず︵四一四、 下 ︶ ﹁ 一 章 ﹂ いまわが浄土宗には道縛禅師の安楽集に聖道浄土の二教 を立て一代の聖教を摂す︵四一五、下︶ J 章 L この二門を立つる独り道紳一師のみにあらず。曇鷺、天 台、迦才、慈恩等の諸師みなこの意あり︵四一五、下︶ ﹁ 一 章 L ︿ ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 L ⑨ ﹀ ⑦ 黒谷上人語灯録 類緊浄土五祖伝 ①また安楽集両巻等を撰す︵四一九、下︶ ②二に安楽集︵道紳︶下に云く。曇驚法師康存の日︵四一 九 、 下 ︶ 第二位道縛禅師四伝︵四二二、上︶ 一に続高僧伝第二十四︵習禅篇︶云く。釈道縛姓は衛、 井州文水の人なり︵四二二、上︶ 縛、神味を菓服して歳時を菊積す︵四二二、上︶ 縛、般舟方等歳序常に弘む︵四二二、上︶ 僧あり念定の中、紳の仏を縁する珠数相量るに七宝の大 巻第九 ④ ③ ⑦ ⑥ ⑤ 八 ⑬ ⑫ ⑪ ⑩ ⑨ ⑧ 山の知くなるを見︵四二二、上︶ 紳の相の善を観るに及んで︵四二二、下︶ 縛、命のまさに尽きんとするを知りて︵四二二、下︶ 紳に告げて云く。汝浄土の堂成れり︵四二二、下︶ 縛、浄業を宗としてより︵四二三、上︶ 紳、今年八十有四にして︵四二三、上︶ 二に迦才の浄土論に云く。沙門道締法師はまたこれ井州 晋陽の人なり︵四二三、上︶ 安楽集両巻を撰す︵四二三、下︶ 三に瑞臆伝に云く。唐朝の道紳禅師は井州の人なり︵四 二 三 、 下 ︶ ⑮ ⑬ ⑮ ⑬ ⑫ ⑬ 道紳往生せざらんことをおそる︵四二四、上︶ 道紳現に念仏三昧を修す︵四二四、上︶ また縛をして働悔せしめよ︵四二四、上︶ 四に新修往生伝に云く。釈の道綜は井州の人なり︵四二 四 、 上 ︶ ⑫ ⑫ ⑫ 縛その文を読んでいよいよ深く信ず︵四二四、上︶ 安楽集両巻を撰す︵四二四、下︶ 縛を指して日く。汝浄土において堂宇すでに成れり︵四 ⑫ 二 四 、 下 ︶ 唐の初め井扮の諸郡重く浄業に潰すること縛によりて盛

(5)

⑫ ん な り ︵ 四 二 四 、 下 ︶ 道縛師の唯念仏弥陀の浄業を行ずるに遇う︵四二五、 上 ⑫ ⑫ ⑫ ついに縛禅師の所に至る また東都の英法師華厳経を講ずること四十遍、紳禅師の 道場に入りて三昧に遊ぶ︵四二五、下︶ 唐の貞観中に西河の紳禅師方等機を行じ、及び浄土九品 道場にして観経を講ずることを見る︵四二五、下︶ 縛禅師晋陽に開閣すと聞きて千里を遠しとせず従って津 を問わんと欲す︵四二七、上︶ 縛公即ち無量寿経を授与す︵四二七、上︶ 縛その深詣を歎じてよって請て定に入りて、まさに生ず ることを得べきや否やを観ぜしむ︵四二七、上︶﹁十六章 L 縛公静に往答を思うに︵四二七、上︶﹁十六章﹂ 西河の紳禅師の浄土九品道場を見る︵四二七、下︶ ︵ 四 二 五 、 上 ︶ ⑧ ⑩ ⑫

⑨ 善導十徳 ①四に師のために疑いを決する徳とは、紳その深詣を歎じ てよって請じて定に入りてまさに生ずることを得べきや 否やを観ぜしむ︵四三二、上︶﹁十六章﹂︿﹁類緊浄土五 祖 伝 ﹂ ⑩ ﹀ 法然遺文に見られる道紳浄土教 黒谷上人語灯録 巻第十 浄土宗略要文 ① 道縛禅師聖道浄土の二門を立て、一代の聖教を判じて聖 道を捨て正しく浄土に帰するの文︵四三三、下︶﹁一章 L 安楽集に云く。問うて日く。一切衆生皆仏性あり︵四三 三 、 下 ︶ ﹁ 一 章 ﹂ ② 以上、﹃漢語灯録﹄十巻十七篇の中、道縛関連の記事のある のは七篇ある。内訳は﹁類緊浄土五祖伝﹂三十二例、﹁無量寿 経釈﹂八例、﹁逆修説法﹂七例、﹁観無量寿経釈﹂五例、寸往生 要集略料簡﹂四例、﹁浄土宗略要文 L 二例、﹁善導十徳﹂一例で ある。寸類緊浄土五祖伝 L を除けば全部で二十七例となる。 この中﹁観無量寿経釈 L と﹁逆修説法 L は﹃選択集﹄と対応 する内容が顕著である。なお、﹃漢語﹄において道縛に関する 記事が見られないのは﹁阿弥陀経釈﹂﹁浄土三部経如法経 L ﹁ 如 法念仏法則﹂﹁往生要集大綱﹂﹁往生要集詮要﹂﹁浄土初学紗﹂ ﹁ 諸 遺 誠 文 L ﹁ 遺 北 越 書 L ﹁諸方答書﹂の九篇である。ただし ﹃ 選 択 集 ﹄ ﹁ 知 法 念 仏 法 則 ﹂ に は 本 文 が な い 。 b 、守黒谷上人語灯録﹂︵和語︶に見られる道紳関連記事 ﹃ 黒 谷 上 人 語 灯 録 ﹄ の 十 一 巻 か ら 十 五 巻 は 和 語 で あ る 。 龍 谷 九

(6)

悌教大学総合研究所紀要 第七号 大学善本叢書店﹃黒谷上人語灯録︵和語︶﹄︿元亨版﹀より、 道紳関連の記事を抽出する。︵ ︶ は そ の 頁 数 。 黒谷上人語燈録 往生大要抄 巻第十 ① このゆへに道縛禅師は聖道の一種は今時は証しかたし との給へり︵五六七、上︶﹁一章 L ︿ ﹁ 浄 土 宗 略 抄 L ① ・ 寸 要 義 問 答 し ② ﹀ このゆへに道縛は ② た、浄土の一門のみありて通入す へきみちなりと稗し給へり︵五六七、下︶﹁一章し︿﹁浄 ③ 土 宗 略 抄 ﹂ ② ﹀ 浄土の一門にいらんとおもはん人は道紳善導の稗をも 所依の三部経を習ふへきなり︵五六八、上︶ て 黒谷上人語燈録 巻第十二 念備大意 ① この時の人なり すなはち道縛善導等の浄土宗の聖人 ︵五八八、下︶︿﹁末代悪世の衆生の往生のこころさしを いたさむにおきては﹂︵以下、﹁末代悪世の衆生﹂と略 す ① ② しかるを道紳禅師は決定往生の先達なり︵五九

O

、 下 ︶ ︿ ﹁ 末 代 悪 世 の 衆 生 L ② ﹀

③ かくのことき道縛は講説をやめて念併を修し 上 ︶ ︿ ﹁ 末 代 悪 世 の 衆 生 ﹂ ③ ﹀ 又道縛禅師のす\めによりて ︵ 五 九 一 、 ④ 井州の三勝の人︵五九一、 上 ︶ ⑤ 道縛善導の緯をまなふに雑修を修して極楽の果を不定 に存せんよりは︵五九一、上︶︿﹁末代悪世の衆生﹂⑤﹀ かの道紳善導等の糟は念悌門の人々の事なれは︵五九 一 、 上 ︶ ︿ ﹁ 末 代 悪 世 の 衆 生 ﹂ ⑥ ﹀ ⑥ 浄土宗略抄 ① このゆへに道紳禅師は聖道の一種は今時に設しかたし との給へり︵五九四、上︶﹁一章 L ︿ ﹁ 往 生 大 要 抄 ﹂ ① ・ ﹁ 要 義 問 答 L ② ﹀ このゆへに道紳は浄土の一門のみありて通入すへきみ ちなりとの給へり︵五九四、上︶ J 章 ﹂ ︿ ﹁ 往 生 大 要 抄 ﹂ ② ② 黒谷上人語燈録 巻第十三 要義問答 ① ② 安 楽 集 に い は く 大 乗 聖 教 に よ る に 二 種 の 勝 法 あ り ︵ 六

O

八 、 下 ︶ ﹁ 一 章 ﹂ ︿ ﹁ 十 三 箇 条 の 問 答 ﹂ ① ﹀ 安楽集にいはく聖道の一種はいまの時には鐙しかたし

(7)

③ ︵ 六

O

三 、 上 ︶ ﹁ 一 章 ﹂ ︿ ﹁ 往 生 大 要 抄 L ①・﹁浄土宗略抄 L ①・﹁十三箇条の問答 L ② ﹀ 道紳は聖道をすて\浄土の門にいり善導は雑行をと\ ︵六二、上︶︿﹁十三箇条の問答 L ③ ﹀ 六 時 撞 讃 観 念 法 門 道 縛 の 安 一 、 下 ︶ ︿ ﹁ 十 三 箇 条 の 問 め て ④ 文には善導の観経の疏 慈思の西方要決︵六一 楽集 答 ﹂ ④ ﹀ 黒谷上人御燈録 巻第十五 諸人伝説の調 ① 曇驚道縛懐感等 みな相承の人師なりといへとも 義 に いまたかならすしも一準ならす︵六五九、 おいては 下 ︶ ︿ ﹁ 浄 土 随 聞 記 ﹂ ⑤ ・ ﹁ 一 期 物 語 L ⑤ ﹀ 以上、﹃和語灯録﹄五巻二十四篇の中、道縛関連の記事のあ るのは五篇である。内訳は﹁念仏大意 L 六例、﹁要義問答 L 四 例、﹁往生大要抄 L 三例、﹁浄土宗略抄 L 二例である。したがっ て全部で十一例となる。﹃漢語灯録﹄の二十七例と比べて見る と少ないが、これは﹃漢語﹄が主として教義書であるのに対し て、﹃和語﹄は消息類が多く含まれていることによるものと考 えられる。この中﹁念仏大意﹂は﹃西方指南抄﹄の﹁末代悪世 法然遺文に見られる道紳浄土教 の衆生 L とほぼ内容を同じくするものである。また﹁念仏大 意﹂のつ道紳は決定往生の先達なり L という文は正徳元年の義 山開版本には見られない。 なお、﹃和語﹄において関連する記事の見られないのはコニ 部 経 釈 し ﹁ 御 誓 言 の 書 ﹂ ﹁ 念 仏 往 生 要 義 抄 ﹂ J 二 心 義 ﹂ ﹁ 七 箇 条 の 起請文﹂﹁九条殿下の北政所へ進する御返事 L ﹁ 鎌 倉 の 二 位 の 禅 尼へ進する御返事 L ﹁大胡太郎賞秀へっかはす御返事﹂寸大胡の 太郎賓秀か妻室のもとへっかはす御返事 L 寸熊谷入道へっかは す御返事し﹁黒田の聖人へっかはす御文﹂﹁越中国光明房へっか はす御返事﹂﹁正知房へっかはす御文﹂﹁禅勝房にしめす御詞﹂ ﹁ 十 二 の 問 答 ﹂ ﹁ 十 二 箇 条 の 問 答 L ﹁一百四十五箇条問答 L ﹁ 上 人 と明遍との問答 L の 十 九 篇 で あ る 。 c 、﹁拾遺黒谷上人語灯録﹂に見られる道紳関連記事。 巻 の う ち 上 巻 は 漢 語 で あ る が 便 宜 上 和 文 で 表 記 す る 。 な お 上 巻 は ﹃ 浄 土 宗 全 書 ﹄ 巻 九 所 収 本 よ り 道 紳 関 連 の 記 事 を 抽 出 す る 。 ︶はその頁数。中、下巻は龍谷大学善本叢書店 ﹃ 黒 谷 上 人 語 灯 録 ︵ 和 語 ︶ ﹄ ︿ 元 亨 版 ﹀ よ り 抽 出 す る 。 lま そ の 頁 数 。 拾遺黒谷上人語灯録 浄土随聞記 巻 上

(8)

悌教大学総合研究所紀要 第七号 ① ② 但百即百生の義趣においては道紳善導の釈に譲りて 五 六 、 下 ︶ ︿ ﹁ 一 期 物 語 ﹂ ① ﹀ ひそかに道縛善導等の意によるに仏の本願力をもって強 縁 と す ︵ 四 五 七 、 上 ︶ ︿ 寸 一 期 物 語 ﹂ ② ﹀ いまだ道縛善導の釈義を窺わず︵四五七、下︶︿﹁一期物 四 ③ ④ 語 L ③ ﹀ この故に道縛善導の意によって浄土宗を立つ。全く勝他 のためにはあらず︵四五九、上︶︿﹁一期物語﹂④﹀ 曇鷺道縛懐感等みな相承の人師といえども、しかもその 義に至つてはすなわち必ずしも一準ならず︵四六

O

、 上 ︶ ︿ ﹁ 一 期 物 語 ﹂ ⑤ ・ ﹁ 諸 人 伝 説 の 詞 L ① ﹀ 今の人昔賢の跡を追って聖道門を修せんと欲すも、また またかくのごとし。これ道紳禅師の意なり︵四六二、 ⑤ ⑥ 下 ︶ ⑦ また道紳善導の宗義異ならず︵四六三、上︶︿﹁一期物 語 ﹂ ⑥ ﹀ 拾遺黒谷上人語灯録 巻中 登山状 ① 懐感 道 縛 主怠 導 その、ち曇鷺 少康等にいたるまで ︵ 六 六 八 、 上 ︶ ② 又導縛禅師の安楽集にも聖道浄土の二門をたて給ふは ︵ 六 六 八 、 上 ︶ 津戸三郎へっかはす御返事 ①道紳禅師の平州と申候ところにこそ︵六七八、下︶ 拾遺黒谷上人語灯録巻下 ある時の御返事 むかしも道縛禅師はかりこそ ① お は し ま し 候 ︵ 六 九 四 、 上 ︶ 以上、﹃拾遺黒谷上人語灯録﹄三巻には十一篇の遺文が収め られているが、その中、道縛に関連する記事があるのは四篇で ある。内訳は﹁浄土随聞記し七例、﹁登山状 L 二 例 、 ﹁ 津 戸 三 郎 へつかはす御返事﹂一例、﹁御消息︵ある時の御返事︶﹂一例の 合計十一例である。この中﹁浄土随聞記﹂の七例は、後に述べ る醍醐本﹃法然上人伝記﹄所収の﹁一期物語 L の内容とほぼ対 応するものである。なお、この﹃拾遺語灯録﹄に道紳関連の記 事が見られないのは﹁三昧発得記 L ﹁ 答 博 陸 問 書 L ﹁ 示 或 人 詞 L ﹁示或女房法語﹂寸念仏往生義﹂﹁東大寺十問答﹂﹁往生浄土用 心 L の 七 篇 で あ る 。

(9)

二、醍醐本﹃法然上人伝記﹄に見られる道縛関連記事 ﹃ 浄 土 宗 典 籍 研 究 資料篇﹄所収本から道縛関連記事を抽出 する。原文は漢語であるが便宜上和文で表記する。 lま そ の 頁 数 。 一 期 物 語 但、百即百生の行相においてはすでに道縛善導の釈に譲 りて委くこれを述べず︵二三ハ︶︿寸浄土随聞起﹂①﹀ 成仏は難といえども、往生は得やすきなり。道縛善導の 意によらば仏の願力をあおいで強縁とするが故に、凡夫 浄 土 に 生 ず ︵ 一 三 九 ︶ ︿ ﹁ 浄 土 随 聞 記 ﹂ ② ﹀ 故に道紳善導の釈をうかがわず︵一四

O

︶ ︿ ﹁ 浄 土 随 聞 記 ﹂ ③ ﹀ ① ② ③ ④ この故に道縛善導の意によって浄土宗を立つ。自疋まった く勝他にあらざるなり︵一四七︶︿﹁浄土随聞記﹂④﹀ 曇鷺道縛懐感等みな相承の人師とすといえども、義にお いていまだ必ずしも一唯こ准︶ならず。能々これを分 こ五六︶︿﹁浄土随聞記 L ⑤ ・ ﹁ 諸 人 伝 説 の 詞 ﹂ ⑤ 別すべし ⑥ ① ﹀ 道縛善導の宗義は大に異なり。能々一々に分別してこれ を知るべし︵一七二︿﹁浄土随聞記﹂⑦﹀ 法然遺文に見られる道縛浄土教 醍醐本﹃法然上人伝記﹄は仁治二年︵一二四ご頃、源智門 下により編集された遺文集であり、六篇の遺文が収録されてい る。道縛に関連する記述がみられるのはその中﹁一期物語﹂の みである。五例見られるがいずれも源智の著作である﹃浄土随 聞記﹄︵﹃拾遺黒谷上人語灯録﹄巻上所収︶の内容と一致する。 ただし﹁一期物語﹂の第六例とそれに対応する﹁浄土随聞 記﹂の第七例は道紳と善導に関する見解に正反対の表現がみら れる。つまり、前者は道縛と善導の宗義は大いに異なる。とす るのに対し後者は道縛と善導の宗義は異ならないとする。これ は今後の課題とする。なお、道紳に関する記載が見られないの は 、 ﹁ 禅 勝 一 房 と の 問 答 ﹂ ﹁ 法 然 上 人 の 法 語 L ﹁ 別 伝 記 L ﹁ 三 昧 発 得 記 し で あ る 。 三 、 ﹃ 西 方 指 南 抄 ﹄ に見られる道縛関連記事 ﹃大正蔵﹄巻八十三所収本より道紳関連の記述を抽出する。 原文はカタカナ混じりの和文であるが、便宜的にひらかなで 表 記 す る 。 ︵ ︶ は ﹃ 大 正 蔵 ﹄ の 頁 数 。 西方指南抄 上 本

(10)

悌教大学総合研究所紀要第七号 法然聖人御説法事 ①しかるに浄土宗に師資相承血脈次第あり。いはく。菩提 流支三蔵、恵寵法師、道場法師、曇鷺法師、法上法師、 道縛禅師、善導禅師、懐感禅師、小康法師等なり。菩提 流支より法上にいたるまでは。道縛の安楽集にいたせり ︵ 八 五

O

、 上 ︶ ﹁ 一 章 L ︿ ﹁ 逆 修 説 法 ﹂ ① ・ ② ﹀ 道縛禅師。念仏の衆生におひて。始終両益ありと釈した まへる。その終益をあかすに。すなはち観音授記経をひ きていはく。阿弥陀仏。住世の命兆載永劫ののち滅度し たまひて。たた観音勢至。衆生を接引したまふことある へし。そのときに。一向にもはら念仏して往生したる衆 生のみ。つねに仏をみたてまつる。滅したまはぬかこと し ︵ 八 五 六 、 上 ︶ ﹁ 十 一 章 ﹂ ︿ ﹁ 逆 修 説 法 L ③ ・ 寸 観 無 量 寿 経 釈 ﹂ ① ﹀ ② 西方指南抄 上 末 建保四年四月二十六日公胤夢の記事 すなはち道紳禅師、善導和尚等も。この法蔵菩薩の四十 八願法門にいりたまへるなり︵八五七、下︶ 浄土宗の師資相承に二の説あり。安楽集のこときは。菩 提流支、恵寵法師、道場法師、曇鷺法師、斉朝の法上法 ① ② 四 ③ 師等の六祖をいたせり。今また五祖といふは。曇鷺法師、 道縛禅師、善導禅師、懐感禅師、小康法師等なり︵八六

O

、 中 ︶ ﹁ 一 章 ︿ ﹁ 逆 修 説 法 ﹂ ⑤ ﹀ 道紳禅師は。本は浬繋の学生なり。井州の玄忠寺にして。 曇鷺の碑文をみて︵八六

O

、 下 ︶ ︿ ﹁ 類 緊 浄 土 五 祖 伝 ﹂ ⑮ ・ ⑫ ﹀ 又安楽集二巻。これを造れり。およそ往生浄土の弘通。 道紳の御力なり。往生伝等を見るにも。多く道紳の勧を 受て往生をとけたり。善導もこの道縛の弟子なり︵八六

O

、 下 ︶ ︿ 寸 類 緊 浄 土 五 祖 伝 ﹂ ⑫ ・ ⑫ ﹀ t 善導和尚いまた観経をえさるさきに。三昧をえたまひた りけると覚候。そのゆへは。道縛禅師にあふて観経をえ てのち。この経の所説。わか所見におなしとのたまへり ④ ⑤ ⑥ ︵ 八 六 一 、 上 ︶ 道縛禅師は師なれとも。いまた三昧を発得せす。善導は 弟子なれとも。三昧をえたまいたりしかは。道紳。わか 往生は一定か不定かと。仏にといたてまつりたまへと。 のたまひけれは︵八六一、上︶寸十六章 L ︿ ﹁ 観 無 量 寿 経 ⑦ 釈 L ③ ・ ④ ﹀ 仏言。道紳は三の罪あり。すみやかに機悔すへし。その 罪機悔して。定て往生すへし︵八六一、上︶﹁十六章﹂

(11)

⑧ ︿﹁類緊浄土五祖伝 L ① ﹀ いまわか浄土宗には。道縛禅師安楽集に。聖道、浄土の 二 教 を た で た り ︵ 八 六 四 、 中 ︶ ﹁ 十 六 章 ﹂ ︿ ﹁ 無 量 寿 経 釈 ﹂ ① ﹀ ⑨ この二門をたつる事は。道縛一師のみにあらす︵八六四、 下 ︶ ﹁ 十 六 章 ﹂ ︿ ﹁ 逆 修 説 法 ﹂ ⑦ ﹀ 西方指南抄 中末 源空聖人私自記 ① 抑始め曇鷺、道縛、善導、懐感の御作より拐巌先徳の往 生要集に至るまで奥旨を窺うといえども二反拝見の時は 往生なお易からず、三反の時、乱想の凡夫は称名の一行 にしかず、これ則ち濁世我等の依枯︵八七六、中︶ 西方指南抄下末 末代悪世の衆生の往生のこころさしをいたさむにおきでは ①すなわち道紳、善導等の浄土宗の聖人。この時の人なり ︵ 八 九 七 、 上 ︶ ︿ ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ ① ﹀ しかるを道縛禅師は決定往生の先達なり︵八九八、中︶ ︿ ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ ② ﹀ かくのことき。道紳は講説をやめて念仏を修し︵八九八、 ② ③ 法然遺文に見られる道紳浄土教 ④ 下 ︶ ︿ ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ ② ﹀ また道紳禅師のすすめによりて。井州の三県の人︵八九 八 、 下 ︶ ︿ ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ ④ ﹀ たたすみやかに。弥陀如来の願。釈迦如来の説。道縛、 善導の釈をまもるに︵八九八、下︶︿﹁念仏大意﹂⑤﹀ またかの道縛、善導等の釈は。念仏門の人人の事なれは ︵ 八 九 八 、 下 ︶ ︿ ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ ⑥ ﹀ ⑤ ⑥ 十三箇条の問答 ① 安楽集に云大乗の聖教によるに。二種の勝法あり︵九

O

一 、 下 ︶ ﹁ 一 章 L ︿ ﹁ 要 義 問 答 L ① ﹀ 安楽集に云く。聖道の一種は。いまの時には証しかたし ︵ 九

O

二 、 上 ︶ ﹁ 一 章 L ︿ ﹁ 要 義 問 答 L ② ﹀ 道紳は聖道をすてて浄土の門にいり。善導は雑行をとと めて︵九

O

三 、 上 ︶ ︿ ﹁ 要 義 問 答 L ③ ﹀ 文には善導の観経の疏、六時礼讃、観念法門。道紳の安 楽集。慈恩の西方要決︵九

O

三 、 下 ︶ ︿ ﹁ 要 義 問 答 L ④ ﹀ ② ③ ④ この﹃西方指南抄﹄は康元元年︵一二五六︶から翌、康元二 年にかけて親驚により書写されたもので、六巻二九篇からなる 法然の遺文を集めたものである。道縛関連の記載は五篇である。 内訳はっ公胤夢の記事 L 九例、﹁末代悪世の衆生﹂六例、﹁十三 五

(12)

備教大学総合研究所紀要 第七号 箇条の問答 L 四例、﹁法然聖人御説法事﹂二例、﹁源空聖人私日 記 L 一例である。この中﹁公胤夢の記事 L は ﹁ 観 無 量 寿 経 釈 ﹂ 寸 逆 修 説 法 L などと内容が近い。また、前にものべたが﹁末代 悪世の衆生﹂は﹃和語﹄の﹁念仏大意﹂と道縛関連の記述に関 しては全く一致する。しかもこの中には﹁道縛が決定往生の先 達である﹂という考えが見られる。また、﹁十三箇条の問答 L と﹃和語﹄の﹁要義問答﹂は内容が一致する。 四 、 ﹃ 選 択 集 ﹄ の道縛関連記事と遺文との関連 ﹃選択集﹄において道縛の教学が用いられるのは何といって も第一章の聖道二門の教判である。その他は第二章の二行説 ︵念仏往生、万行往生︶、そして第十一章の念仏の始終雨益の説、 そして第十六章に見られる善導との関係における道紳の評価で ある。これら﹃選択集﹄に見られる道縛教義が﹃選択集﹄以外 のいわゆる遺文においてどのように記載されているかを検討し てみたい。﹃選択集﹄における道紳関連の記事は一部を通じて 十例見られる。︵括弧内の数字は土川本の﹃選択集﹄の頁を示 す ︶ ︵ 第 一 章 ︶ 一 六 一例、今この浄土宗はもし道縛禅師の意に依らば、二門を立 て て 一 切 を 摂 す 。 ︵ 三 ︶ 二例、この宗の中に二門を立ることは、独り道紳のみにあら ず 。 ︵ 七 ︶ 三例、道縛禅師は浬繋の広業を閣きて、偏に西方の行を弘め し が ご と し 。 ︵ 一

O

︶ 四 例 、 いわゆる慮山の慧遠法師と慈懸三蔵と道縛・善導等こ れ な り 。 ︵ 一

O

︶ 五例、今しばらく道紳・善導の一家に依って、師資相承の血 脈を論ぜば、これにまた両説あり。︵一一︶ 六例、こには菩提流支三蔵、曇鷺法師、道縛禅師、善導禅師、 懐 感 法 師 、 少 康 法 師 な り 。 ︵ 一 一 ︶ ︵ 第 二 章 ︶ 七例、もし、道縛禅師の意に依らば、往生の行多しといえど も 束 ね て 二 と す 。 ︵ 一 一 一 ︶ ︵ 第 十 一 章 ︶ 八例、また道縛禅師念仏の一行において、始終の両益を立つ。 ︵ 九 五 ︶ ︵ 第 十 六 章 ︶ 九例、道紳禅師はこれ善導和尚の師なり。︵一二七︶ 十例、道紳禅師はこれ師なりといえども、いまだ三昧を発さ

(13)

ず 。 ︵ 一 二 七 ︶ これら十例に対応する内容をもっ記述を三つの遺文集の記事 から抽出し検討することにより﹃選択集﹄と遺文との対応関係 を明らかにしたい。さらにそのことにより﹃選択集﹄に述べら れていない道縛関連の説示が遺文において明確になるものと考 え る 。 第一例に関しては、﹃黒谷上人語灯録﹄の寸無量寿経釈 L ﹁ 逆 修説法﹂﹁浄土宗略要文﹂﹁往生大要抄﹂寸浄土宗略抄﹂﹁要義問 答﹂などに見られる。﹃西方指南抄﹄においては﹁公胤夢の記 事 L ﹁十三箇条の問答しに見られる。また﹃拾遺黒谷上人語灯 録﹄、醍醐本﹃法然上人伝記﹄には見られない。 この中、﹃選択集﹄の表現に最も近いのは﹁逆修説法﹂に見 られる いまわが浄土宗には道縛禅師の安楽集に聖道浄土の二教を立 て一代の聖教を摂す とあるのと、﹁公胤夢の記事 L に あ る 、 いまわか浄土宗には。道縛禅師安楽集に。聖道、浄土の二教 をたでたり。一代聖教五千余軸。この二門をはいてす。 とあるものである。したがってこの点に限ればこれら三遺文は 密接な関連をもつものといえる。 第二例に関しては、﹁逆修説法 L ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 L の み で あ る 。 法然遺文に見られる道縛浄土教 ﹁ 逆 修 説 法 し に は 、 この二門を立つる独り道縛一師のみにあらず。曇鷺、天台、 迦才、慈恩等の諸師みなこの意あり。しばらく曇鷺法師龍樹 菩薩の十住毘婆沙論を引きて、もって難行易行の二道を立つ。 と あ り 、 ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 ﹂ に は 、 この二門をたつる事は。道紳一師のみにあらす。曇驚法師も。 龍樹菩薩の十住毘婆沙論を引て。難行・易行の二道をたてた ま へ り 。 とある。これら三者は内容的にはあまり変わらないが、長文で もあり言い回しが異なるため詳しく検討する必要がある。 第三例に関しては、﹁念仏大意﹂﹁末代悪世の衆生﹂に見られ る 。 ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ に は 、 かくのことき道紳は、講説をやめて念仏を修し。 とあり、﹁末代悪世の衆生 L に は 、 かくのことき。道縛は講説をやめて念仏を修し。 とある。︵正徳五年版は﹁道紳もまた講説をやめて﹂︶とある。 第四例と第五例の二文は一連のものである。いわゆる中国の 浄土の三流を明かすものであるが、﹃選択集﹄以外の遺文にお いては見られない。しかし道紳善導流というように道紳善導を 一連にとられようとするもので注目される。 第六例も前の第四例、第五例に関連するもので、﹁逆修説法﹂ 七

(14)

悌教大学総合研究所紀要第七号 ﹁法然聖人御説法事 L ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 L 等に見られる。寸逆修説 法 ﹂ に は 、 いわゆる菩提流支三蔵、恵寵法師、道場法師、曇鷺法師、法 上法師、道縛禅師、善導禅師、懐感禅師、小康法師等なり。 菩提流支より法上にいたるまでは道紳の安楽集に出でたり と あ り 、 ま た 、 次に五祖とは曇鷺法師、道縛禅師、善導禅師、懐感法師、少 康法師これなり︵中略︶しかるに浄土宗の師資相承にすなわ ち二説あり。一には菩提流支三蔵、慧寵法師、道場法師、曇 鷺法師、大海禅師、法上法師と次第相承す。これ安楽集にい ず。二に菩提流支三蔵、曇鷺法師、道縛禅師、善導禅師、懐 感法師、少康法師と次第相承す。 とある。また、﹁法然聖人御説法事﹂には、 しかるに浄土宗に師資相承血脈次第あり。いはく。菩提流支 三蔵、恵寵法師、道場法師、曇鷺法師、法上法師、道縛禅師、 善導禅師、懐感禅師、小康法師等なり。菩提流支より法上に いたるまでは。道紳の安楽集にいたせり と あ り 、 ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 ﹂ に は 、 浄土宗の師資相承にこの説あり。安楽集のこときは。菩提流 支、恵寵法師、道場法師、曇鷺法師、斉朝の法上法師等の六 祖をいたせり。今また五祖といふは。曇鷺法師、道紳禅師、 八 善導禅師、懐感禅師、小康法師等なり とある。この浄土の相承説に関する記述は浄土五祖観の成立と も な り 検 討 を 要 す る 。 第七例に関しては、﹁無量寿経釈 L にのみ見られる。それは もし道縛禅師の意によらば往生の行多しといへども束ねてこ とす。一には謂く。念仏往生。こには謂く。万行往生なり と あ る 。 第八例に関しては、﹁観無量寿経釈﹂﹁逆修説法 L ﹁ 法 然 聖 人 御説法事﹂に見られる。﹁観無量寿経釈﹂には また道縛念仏の一行において始終の両益をたつ。安楽集に日 と あ り 、 ﹁ 逆 修 説 法 ﹂ に は 、 また浬繋隠没の相あり。道縛禅師これについて念仏の衆生に 始終の両益あることを釈したまえり と あ り 、 ﹁ 法 然 聖 人 御 説 法 事 ﹂ に は 、 道紳禅師。念仏の衆生におひて。始終両益ありと釈したまへ る。その終益をあかすに。すなはち観音授記経をひきていは く。阿弥陀仏。住世の命兆載永劫ののち滅度したまひて。た た観音勢至。衆生を援引したまふことあるへし。そのときに。 一向にもはら念仏して往生したる衆生のみ。つねに仏をみた てまつる。滅したまはぬかことし。

(15)

とある。この中﹃法然聖人御説法事﹄は長文であり、弥陀の入 滅を釈迦の入寂に比して受容することを明かすものである。 第九例に関しては、寸観無量寿経釈﹂と﹁公胤夢の記事﹂に 見られる。っ観無量寿経釈しには、 道縛はこれ善導の師なり。そもそもまた浄土の祖師なり とあり、﹁公胤夢の記事 L に は 、 多く道綜の勧を受て往生をとけたり。善導もこの道紳の弟子 な り と あ る 。 第十例に関しては、やはり﹁観無量寿経釈 L と﹁公胤夢の記 事 L に見られる。﹁観無量寿経釈 L に は 、 道縛は師なりといえどもいまだ三昧を発せず と あ り 、 ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 ﹂ に は 、 道縛禅師は師なれとも。いまた三昧を発得せす。善導は弟子 なれとも。三昧をえたまいたりしかは とある。この﹃選択集﹄第十六章に示される道紳と善導に関す る記述は﹃新修往生伝﹄にもとづくものであるが、法然の道紳 観を知る上で重要である。 以上が﹃選択集﹄に見られる道紳関連の記事、特に人師名道 縛を示すものに限って、対応する内容をもっ遺文を抽出し相関 法然遺文に見られる道紳浄土教 関係を検討したのである。﹃漢語灯録﹄においては﹁無量寿経 釈﹂っ観無量寿経釈 L ﹁逆修説法﹂に限られ、﹃和語灯録﹄にお いては﹁念仏大意 L に見られ、﹃西方指南抄﹄では寸法然聖人 御説法事﹂﹁公胤夢の記事﹂に多くある。醍醐本の﹃法然上人 伝記 L には対応する記事は見られない。 この十例の中、﹃選択集﹄以外の遺文において対応するもの がなかったのは、四例と五例で、いわゆる中国における浄土三 流、一、鹿山の慧遠流、二、慈懲流、三、道紳、善導流という 主張である。また、﹁公胤夢の記事﹂は八例中五例に対応する 内容があり注目される。次いで多いのがっ逆修説法 L の 四 例 で ある。﹁観無量寿経釈﹂に三例、﹁無量寿経釈﹂に二例あるが、 ﹃和語灯録﹄には対応するものがない。それに対して﹃西方指 南抄﹄所収の遺文には﹁公胤夢の記事 L の他にも寸法然聖人御 説法事 L に 二 例 見 ら れ る 。

おわりに

﹃選択集﹄に見られない道縛に関連する記事を遺文の中から いくつか選び少し検討を加え結びとしたい。それは次のような も の で あ る 。 一、道縛禅師は決定往生の先達なり︵﹁念仏大意 L 寸 末 代 悪 世 九

(16)

悌教大学総合研究所紀要 第七号 の 衆 生 ﹂ ︶ 二、また縛禅師の三信三不信またこれ専雑二修の義なり ︵寸無量寿経釈しのみ。ただし﹁念仏大意﹂には﹁道紳善 導の釈をまなふに雑修を修して極楽の果を不定に存せ んよりは﹂という主張がみられる。︶ 三、浄土の一門にいらんとおもはん人は道紳善導の釈をも て所依の三部経を習ふへきなり︵﹁往生大要抄﹂のみ︶ 四、すなわち道縛善導等の浄土宗の聖人この時の人なり ︵ ﹁ 念 仏 大 意 ﹂ ﹁ 末 代 の 悪 世 衆 生 し ︶ 五、道縛は聖道をすて﹀浄土の門にいり善導は雑行をと﹀ めて︵﹁要義問答 L ﹁ 十 三 箇 条 の 問 答 ﹂ ︶ 六、曇驚、道縛、懐感等みな相承の人師なりといへとも いまたかならすしも一準ならす︵﹁諸人 義においては 伝説の詞 L ﹁ 浄 土 随 聞 記 ﹂ ﹁ 一 期 物 語 し ︶ 七、但百即百生の義趣においては道縛善導の釈に譲りて ︵ ﹁ 浄 土 随 聞 記 L ﹁ 一 期 物 語 ﹂ ︶ 八、ひそかに道紳善導等の意によるに仏の本願力をもって強 縁とす︵﹁浄土随聞記 L 二 期 物 語 ﹂ ︶ 九、この故に道紳善導の意によって浄土宗を立つ。全く勝他 のためにはあらず︵﹁浄土随聞記﹂﹁一期物語 L ︶ 十、また道綜善導の宗義異ならずっ浄土随聞記 L ︶

十一、道縛善導の宗義は大いに異なり。能々一一に分別して これを知るべし︵﹁一期物語 L ︶ 十二、善導和尚はいまた観経をえさるさきに。三昧をえたま ひたりけると覚候。そのゆへは。道紳禅師にあふて観経 をえてのち。この経の所説。わか所見におなしとのたま へ と 。 ︵ ﹁ 公 胤 夢 の 記 事 ﹂ の み ︶ 紙数の関係でこれらを一つ一つ検討することができない。今 はとりあえず道縛に関する﹃選択集﹄に見られない記述を列挙 するに止めておく。これらは道縛と善導の関連を考える上にお いて参考となるものである。 ﹃選択集﹄から読み取ることができる法然の道縛観は、まず もって道紳は法然が最も敬慕する善導の師であり、聖道、浄土 という二門を創設して浄土門の立場を鮮明にし、浄土門に拠る べきことを主張した高僧であった。そのことは道縛自身、浬繋 の行業をいち早くやめ、浄土一行に徹したことによっても明ら かである。善導は往生の行を正行と雑行に分け、正行を勧めて いるがこのように二行を分けるのは善導に始まるのではなく、 師の道紳にも見られる。道紳は念仏往生と万行往生に分ける。 このように道縛と善導には念仏一行という共通する点がある。 これが道紳善導流というように道縛と善導を一連に捉えること になったのではないか。

(17)

これらのことをさらに遺文を用いて補強すれば、道縛を決定 往生の先達とするとあるのは、前の浬繋の興業を打ち捨て浄土 の一行に帰入したことを指すのであろう。また三信三不信を善 導の専雑二修に当てるのは、道紳と善導を一連に受け取る態度 といえる。浄土三部経は道縛、善導の釈義によるべきであると するのは、法然の専修念仏の立場を端的に示すものといえる。 さらに百即百生の義、本願力を強縁とするといったことも、道 紳、善導という一連の浄土教の立場を明らかにするものと言え る。弥陀の本願力をもって衆生の救済の指針としたところに二 師を貫く本質があるといえる。 ただ、問題は﹁浄土随聞記 L の二師の宗義は異ならないと言 う主張と﹁一期物語﹂の二師の宗義は大いに異なると言う見解 の相違である。一連の対応する遺文において全く異なる内容を もつものである。これは今後の課題としたい。 註 ︵1 ︶法然に先行する源信︵九四一

i

一 O 一七︶の﹃往生要集﹄には道 縛に関する用例が十五例見られるが、法然の遺文に対応するのは 寸報身の穏没の相を現ず﹂︵﹃浄全﹄巻十五、一三四、上︶と寸信心 深からずして、存するがごとく、亡、ずるがごとき﹂︵﹃浄全﹄巻十 五、一三、下︶の二例のみである。また、永観︵九五一ニ i 一 一 三 一一︶の﹃往生拾因﹄には﹃安楽集﹄からの引用が七例あるが、いず 法 然 遺 文 に 見 ら れ る 道 縛 浄 土 教 れも法然の遺文に見られる内容とは異なる。また、珍海︵︷︸一一 五二︶の﹃決定往生集﹄には道紳に関連する記載が十例見られるが、 ﹁七歳己上みな念仏せしむべし﹂︵﹃浄全﹄巻十五、四九一、上︶が あ る の み で あ る 。 ︵2 ︶道縛を決定往生の先達とするのは、法然の遺文では﹁念仏大意﹂ と﹃西方指南抄﹄の﹁末代悪世の衆生 L においてである。但し、 寸念仏大意﹂の寸正徳版 L には見られない。いま参考のため三者を 対比すれば次のようである。 寸 念 仏 大 意 L ︵ 元 亨 版 ︶ ま事しく専修念仏の一行にいる人はいみしくありかたき也しか るを道縛禅師は決定往生の先達なり智恵ふかくして講説を修し給 ひき曇鷲法師の三世巳下の弟子也かの曇驚は智恵高速なりとい へとも四論の講説をすて﹀ひとへに往生の業を修して一向に もはら弥陀を念して相続無間にして現に往生し給へりかくの ことき道紳は講説をやめて念仏を修し善導は雑修をきらひて専 修をつとめ給ひき又道縛禅師のす﹀めによりて井州の三県の人 七歳己後一向に念仏を修すといへりしかれはわか朝の末法の衆生 なんそあなかちに雑修をこのまんやた﹀すみやかに弥陀知来の願 釈迦如来の説道紳善導の釈をまなふに雑修を修して極楽の果を 不定に存せんよりは専修の業を行して往生ののそみを決定すへ きなり︵﹃龍谷大学善本 1 5 ﹃ 黒 谷 上 人 語 灯 録 ︵ 和 語 ︶ ﹄ 五 九 O 頁 、 下

1

五 九 一 頁 、 上 ︶ 寸 念 仏 大 意 L ︵ 正 徳 版 ︶ まことしく専修念仏の一行にいる人はょにありかたき也。されは 曇鷺法師は智恵高速なりといへとも。四論の講説をすて﹀ひとへに 往生の業を修して。一向にもはら弥陀を念じ。相続無聞にして現に 往生し給へり。道紳もまた講説をやめて念仏を修し。善導は雑修を

(18)

悌教大学総合研究所紀要 第七号 きらひて専修をつとめ給ひき。又道縛禅師のす﹀めによりて井州の 三県の人。七歳己後一向に念仏を修せしといへり。しかれば。わが 朝の末法の衆生。なんぞあなかちに雑修をこのまむや。た立すみや かに弥陀知来の願。釈迦如来の説。道縛善導の釈をまなぶへし。雑 修をして極楽の果を不定にせんよりは。専修の業を行して往生のの そ み を 決 定 す べ き な り 。 ︵ ﹃ 浄 全 ﹄ 巻 九 、 五 一 四 頁 、 上 ︶ 寸 末 代 悪 世 の 衆 生 ﹂ まことしく専修念仏の一行にいる人。いみしくありかたきなり。 しかるを道縛禅師は決定往生の先達也。智恵ふかくして。講説を修 したまひき。曇驚法師の三世巳下の弟子也。かの鷺師は智恵高速な りといえとも。四論の講説をすてて。念仏門にいりたまはむや。わ かしるところさわるところ。なむそおほしとするにたらむやとおも ひとりて。浬繋の講説をすてて。ひとへに往生の業を修して。一向 にもはら弥陀を念して。相続無聞にして。現に往生したまへり。か くのことき。道紳は講説をやめて念仏を修し。善導は雑修をきらい て専修をつとめたまひき。また道縛禅師のすすめによりて。井州の 三県の人。七歳以後一向に念仏を修すといへり。しかれは。わか朝 の末法の衆生。なむそあなかちに雑修をこのまむや。たたすみやか に。弥陀如来の願。釈迦如来の説。道縛善導の釈をまもるに。雑行 を修して極楽の果を不定に存せむよりは。専修の業を行して往生の のそみを決定すへき也。︵﹃大正蔵﹄巻八十三、八九八頁、中

1

下 ︶ 以上、三者を比較して大きく異なるのは寸正徳版﹂にのみ寸しか るを道縛禅師は決定往生の先達なり智恵ふかくして講説を修し給 ひき曇鷲法師の三世己下の弟子也 L の文がないことである。﹃選 択集﹄との関連から見れば、第一章に﹁たとひ先に聖道門を学せる 人といえども、もし浄土門において、その志しあらば、すべからく 聖道を棄てて浄土に帰すべし。例せば、かの曇鷺法師は四論の講説 を捨てて一向に浄土に帰し、道梓禅師は浬繋の広業を聞きて、偏に 西方の行を弘めしが如し。上古の賢哲、なおもってかくの知し。末 代の愚魯、むしろこれに道がはぎらむや。﹂︵土川本﹃選択集﹄一 O ︶と第二章の寸私に云く。この文︵﹃往生礼讃﹄︶を見るに、いよ いよすべからく雑を捨てて専を修すべし。 L ︵ 二 三 ︶ の 二 文 を 想 定 す る こ と が で き る 。 なお、﹁曇鷺己下の三世の弟子也﹂と﹁井州の三県の人七歳己 後一向に念仏を修す L とあるのは迦才の﹃浄土論﹄によるものであ ろ う 。 ︵ 3 ︶﹁一期物語 L と﹁浄土随聞記﹂との関係に関しては、藤堂恭俊 ﹁勢観房源智上人伝承にかかる師上人の遺文!とくに﹃一期物語﹄ と﹃浄土随聞記﹄の関係を中心として|﹂︵﹃悌教文化研究﹄第三三 号︶と寸醍醐本﹃一期物語﹄の資料性 L ︵ ﹃ 浄 土 宗 典 籍 ﹄ 研 究 篇 ︶ と い う 一 連 の 論 考 が あ る 。 ︵4 ︶註︵ 2 ︶ を 参 照 。 ︵5 ︶拙稿﹁念仏の始終両益について L ︵ ﹃ 印 度 学 仏 教 学 研 究 ﹄ 第 四 十 八 巻第一号︶にも少し触れている。

参照

関連したドキュメント

その詳細については各報文に譲るとして、何と言っても最大の成果は、植物質の自然・人工遺

毘山遺跡は、浙江省北部、太湖南岸の湖州市に所 在する新石器時代の遺跡である(第 3 図)。2004 年 から 2005

Ⅰ.. хайрхан уул) は、バヤン - ウルギー県 アイマク ツェンゲル郡 ソム に所在する遺跡である。モンゴル科学アカデミー

これはつまり十進法ではなく、一進法を用いて自然数を表記するということである。とは いえ数が大きくなると見にくくなるので、.. 0, 1,

限られた空間の中に日本人の自然観を凝縮したこの庭では、池を回遊する園路の随所で自然 の造形美に出会

郷土学検定 地域情報カード データーベース概要 NPO

宗像フェスは、著名アーティストによる音楽フェスを通じ、世界文化遺産「『神宿る島』宗像・沖ノ島と関連遺産群」とそれ

とされている︒ところで︑医師法二 0