16 Koreana | 秋号 2008
『朝鮮王朝実録』
の
管理と保存
『朝鮮王朝実録』
が今日まで完全に保存できたのは、内憂外患に備えて体系的
な管理と防虫・防湿などに工夫を凝らした耐久対策があってこそ可能なことであった。
実録の管理と保管の原則に潜む科学性を探ってみる。
シン・ビョンジュ(申炳周、建国大学校 史学科教授) 1872年に制作された地方地図。『朝鮮王朝実録』が保管されている史庫の 中で全羅北道茂朱郡に位置した赤裳山史庫周辺の地形と史庫の位置、 周辺にある建物が詳細に描かれていて、実録がいかに重要なものであったかが窺える。 © シン・ビョンジュ(申炳周)18 Koreana | 秋号 2008
実録はなぜ山中へ
『朝鮮王朝実録』は編纂が完了す ると、春秋館において実録を封じる儀 式が行われた後、ソウルの春秋館と地 方の史庫にそれぞれ1部ずつ保管され た。朝鮮(1392~1910)時代の前期に は、ソウルの春秋館を始め忠州、全州、 星州など、各地方の中心地に保管され た。ところが、地方の中心地である点 が、火災や略奪など紛失の危険性が憂 慮された。実際に朝鮮第11代の中宗 (在位1506~1544)時代には鳩を獲る 過程で星州史庫に火災が発生したこと もあった。 文禄・慶長の役は正に、交通の要 所で人口も多い街にあった史庫の抱え るリスクを如実に立証する事件であっ た。当時、日本軍の主な侵入ルートと なったソウルの春秋館や忠州、星州に あった史庫はすべて戦禍を免れられず、 実録も消失されてしまった。幸い、全 州史庫に保管されていた実録は、地元 の儒学者であったソン・ホンロク(孫弘 綠)、アン・ウィ(安義)などの献身的な 努力のおかげで内蔵山(內藏山)まで運 び出されるなどの紆余曲折の末、保存 することができた。 終戦後、史庫が険しい山中に設け られるようになったのは、こうした辛 い経験が背景にあったからだ。交通が 便利な地域であれば、戦争や火災、盗 難の危険性が高いため、完璧に保存し がたいという事実を身をもって体験し たのである。それゆえ管理や保存には『朝
鮮王朝実録』は記録の内容も 世界的にレベルの高さを誇 るが、実録の保管・管理に施されてい たシステムも非常に精密で科学的で あった。実録を後代にまでそのまま の状態で保管するために、山間地域 に史庫を設けた。さらに史庫の隣に 実録を守るための守護寺を配置して、 有事の際には実録を安全に守るよう に努めた。史庫の実録は実録櫃とい う櫃に保管されていたが、その中に は防虫・防湿用の薬材料が詰め込まれ た。また3年毎に虫干しの作業を行 うなど、実録に対する管理と点検を 怠らなかった。こうした緻密かつ地 道な努力のおかげで『朝鮮王朝実録』 は長い歳月を経てもその原型を保つ ことができたのだ。 1 史庫の一つであった鼎足山史 庫の昔の姿。仁川広域市に帰 属する江華島の西側に位置す る。実録の編纂作業は王が亡 くなった後に始まり、完成後 に史庫に保管された。 2 1606年に建てられた五臺山史 庫には朝鮮時代末期の1910年 まで実録が保管されていたが、 1913年に日本に持ち出されて しまった。現在の史庫は当時 の資料に基づいて再建したも のである。 © チェ・ハンヨン(崔恒永) 1「実録形止案」には史庫を開いた時 期、各史庫別・櫃別に保管されている 本の種類や数量、派遣されていた史官 と実務者のリストなどが記録されてい る。この「実録形止案」によって実録を 始め、各史庫に保管されている書冊の 点検と管理がいかに着実に行われてい たがが分かる。 実録に対する厳しい管理状況をう かがわせるのが定期的に行われていた 曝曬(虫干し)作業である。虫干し作業 は本に風を入れ湿気を除去することで 腐食や虫害を防ぎ、書籍の長期保管を 可能にする方法である。虫干し作業は 主に春や秋の天気がよく縁起の良い日 を選んで行われたが、この作業のため に王命を受けた専門史官が派遣されて いた。〈翰院故事〉という本には虫干し 作業の具体的な儀式や手続きが記録さ れている。 各史庫に保存されている実録の虫 干しは2年に一度実施する。王命に従 って派遣された史官が史庫の門を開く。 その際、黑團領を携えて史庫の前で4 回お辞儀をする。史庫の門を開いて状 況をよく調べてから櫃を開いて虫干し する。 朝鮮後期の学者、シン・ジョンハ 厳しい環境ではあるが、後代に資料を 継承させるために、あえて険しい山地 を選んで史庫を設置した。 文禄・慶長の役が終わった後、朝 鮮の史庫は5史庫体制で運営された。 ソウルの春秋館、江華島の摩尼山史庫、 平安道寧邊の妙香山史庫、慶尚道奉化 の太白山史庫、江原道平昌の五台山史 庫である。ところが、妙香山史庫は後 金(1616~1636、後に清になる)の侵 入に備えて山城に取り囲まれた全羅道 茂朱の赤裳山史庫に移された。江華島 の摩尼山史庫は清が侵入した丙子の乱 (丙子胡乱、1636~1637)の際に大きな 被害を被った後、1653年に起きた火災 のために1660年に周辺の鼎足山史庫 に移転された。 朝鮮時代後期における地方の4大 史庫は 鼎足山、赤裳山、太白山、五 台山に確定し、さらに史庫の周辺に守 護寺を配置して史庫の安全に万全を期 した。その体制は朝鮮王朝が滅びるま で続いた。
実録の徹底的な管理と点検
実録から朝鮮時代における記録 文化の優秀性が伺えるが、実録物の地 道な保存・管理を目的とした「実録形止 案」が作成されたことは注目に値する。 この実録形止案は実録の製本、虫干し、 閲覧、実録閣の修理などで、やむを得 ず史庫を開いた際にその書冊の状況記 録書であり、いわば蔵書の点検記録部 に当たる本である。 © ユロポト 220 Koreana | 秋号 2008
実録を保管していた櫃と史庫の構造
窓 : 風通しを図るために大きな窓が設けられ、また山中の 強い日差しや湿気から実録を守るために二重窓を設置した。 屋根 : 普通の建物に比べて屋根は大きめで軒も長めに作られたが、 これは雪や雨による被害を防ぐためであった。 床 : 史庫は、地面からの湿気を防ぐとともに風通しを良くする ために、床を一段高くして建てた。 油紙 : 実録の防水のため、本の上に油の染みた紙を覆いかぶせた。 紙 : 質の良い紙を実録の間に挟んで本同士がくっつかないように 工夫していた。 赤い風呂敷 : 伝統的に厄除けの色として思われていた赤色の 風呂敷で実録を包んだ。 薬剤入れ : 川芎や菖蒲などの薬材料を入れて害虫による被害を 防いだ。 櫃 史庫 © キムヨン社 © キムヨン社芎
効能がある。菖蒲も漢方薬の材料と して使われていた。この二つの植物 は実録の損傷を防ぎ、原型の保存の ために最も重要な役割を果たした薬 材であった。 一方、櫃の木材としては柳、桐、 アムールシナノキ(Tilia amurensis) など、軽い性質の木材が使われた。 さらに、櫃の腐食を防ぎ、実録を安 全に保管するために、櫃の表面には 漆が塗られていて、櫃にはそれぞれ 4つの取っ手と梯がついていて、鉄、 真鍮、マツヤニで飾られた。 実録を納めた後の櫃はきっちり と封印されて錠がかけられた。実録 の管理者すら自由に開けることはで きず、もっぱら王命を受けた史官の み櫃を開けることができた。それほ ど史庫の実録は大事にされていたわ けである。 朝鮮時代後期に史庫を最も安全 な場所に配置し管理・点検に撤した 祖先の努力の賜物で、現在に『朝鮮 王朝実録』の原型が伝わっている。 (申靖夏、1681~1716)は1709年秋、 太白山史庫の虫干し作業を担当した 。彼は当時の状況を紀行文や詩で残 した。彼の紀行文〈太白紀遊〉には虫 干しの具体的な光景がよく記されて いる。 史閣は塀に囲まれていて、塀の 東側に虫干しを担当する史官が滞在 する建物がある。史閣には当番を務 める官員と僧侶が常駐する。史閣に 着くと4回お辞儀をした後、錠を開 けてからよく調べる。虫干しは3日 間行われたが、その間は良い天気が 続いた。当時虫干しした書籍の量は 36箱分であった。作業が終わると書 籍を箱に収めて史閣の2階に運び入 れて開封前のように封印した。 史庫は山中の険しい所に位置し ていたが、当時の史官らは史庫に赴 くことを大変な名誉と考えていた。 史官らはいかなる苦難があっても、 国の記録の保存・管理の徹底さを図 ることを重責と認識していた。国の 史官を迎えた地方官吏は彼らを手厚 くもてなした。実録の保存を国の重 大事として認識していたためである。 現在、ソウル大学校にある奎章 閣には500冊を超える実録形止案が 保管されているが、書籍に対する定 期点検を行い、虫干し作業を実施し た内容が一番多い。朝鮮時代におけ る記録管理の徹底さが改めて確認で きる。