内
館
文
庫
所
蔵
資
料
の
研
究
(四
)−
『神
道
学
的
』 ・ 『七
座
山
天
神
宮
縁
起
』に
つ い てー
長
谷
部
八
朗
佐
藤
俊
晃
一 、 は じ め に秋
田 県 北秋
田 郡 鷹 巣 町 の 綴 子 神 社 に 付 設 さ れ た 内 館 文庫
所 蔵 資 ・ 史 料 の 調 査 研 究 は 、 こ れ ま で 石 川 力 山 ・ 佐 藤 俊晃
の 両 氏 に よ っ て鋭
音 心 進 め ら れ 、 そ の 成 果 は 、 三 回 に わ た っ て 本 紀 要( 1 ) に
掲
載 さ れ た 論 放 を は じ め 、 漸 次結
実 し つ つ あ る 。 そ う し た 途次
に あ っ て、昨
夏、 石 川教
授
が 急 逝 さ れ た 。 内 館 文 庫 の 相 貌 が次
第 に 明 ら め は じ め た と は い え、 文 庫 の 蔵 書 は質
量 と も に優
に 一 地 域 文 化 の 枠 を 越 え 、我
が 国 の 修 験 道 ・ 神道
な ど の 宗教
あ る い は 国 学 ・ 儒 学 そ の他
の学
説史
に新
た な 智 見 を 加 え う る 可 能 性 を 内 蔵 し て い る こ と に 照 ら せ ば、 未 だ 研究
の 歩 み は緒
に つ い た に す ぎ ず 、 そ れ だ け に な お の こ と、 石 川 教 授 の逝
去 は 悔 や ま れ て な ら な い 。謹
ん で ご 冥 福 を お 祈 り し た い 。 駒 澤 大 學 佛 敦 學 部 研 究 紀 要 第 五 十 六 號 平 成 十 年 三 月 調 査 は 平成
五年
十 二 月 よ り 開 始 さ れ 、 資料
を 逐 一 マ イ ク ロ フ ィ ル ム に 収 め る作
業
が、爾
来
数
次 に わ た り 続 け ら れ た 。当
面 の作
業 課 題 は 蔵書
目 録 の作
成
に あ り、 す で に 般 若 院 英泉
に 係 る撰
述 ・ 書 写 ・ 手 沢 文 献 日 録 や 、 仏 教 ・ 修 験道
関 連 の 分類
目 録 が 本 紀 要 に報
告
さ れ て い る 。 同 時 に、英
泉 の 歩 ん だ 足跡
の整
理 や 事 績 の書
誌 的 研究
、 さ ら に は 一 部 の 蔵書
の 内 容 分 析 も 試 み ら れ た 。筆
者
も 昨年
来
、 現 地 調 査 を行
な う 機 会 に 恵 ま れ、閲
覧
作
業 に従
事 し て き た 。 以 上 の よ う な経
緯 か ら、 か ね て 計 画 さ れ て い た本
紀
要 上 で の 蔵書
目 録 の作
成
と資
料 の分
析 と を 、 引 き 続 き進
め た い と考
え て い る 。 今 回 は英
泉 と 神 道 と の 関 係 を 論 ず る 。神
道
を め ぐ る 英 泉 の歩
み を概
観 し、 『 神 道 学 的 』 と 題 し た 著 書 を 取 り 上 げ 、 そ の 性 格 と意
義
に つ い て 若 干 の 考 察 を 加 え る 。 ま た、 七 = 二内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) 座 山 天
神
宮 と 英 泉 と の関
連 を 検 証 し、 神 道 、 儒 教 ・ 漠籍
に関
す る蔵
書
の 分類
目 録 を載
せ る 。 な お、 文 庫 所蔵
の資
料 群 が多
種多
様
な 内 容 を 呈 す る こ と は 既 述 の と お り だ が 、反
面、 そ れ は 分類
整 理 の 困 難 さ を増
長 す る こ と に な る 。 と り わ け 神道
を め ぐ っ て は、 国学
・儒
学 な ど の隣
接
領 域 と の 間 で判
然 と 区 別 し が た い ケ ー ス も み ら れ る 。 し た が っ て 今 後 の資
料
吟
味 の 展 開 次第
で 再 考 の余
地 を含
む と い う 留 保条
件
下 で の分
類 試 論 で あ る こ と を お こ と わ り し て お く 。 二 、 英 泉 を め ぐ る 一 考 般 若院
英 泉 ( 一 七 一 四1
一 七 八 二 ) な る 人物
が内
館
文 庫 の 歴 史 を 解 明 す る 上 で き わ め て 重 要 な存
在
で あ る こ と は 、 文 庫 蔵 書 に み る 英泉
関
連 の書
目 数 が 抜 き ん で て い る と い う事
実 が 端 的 に 物 語 っ て い る 。綴
子神
社 の 宮 司武
内
家 の 前 当 主 、 故 武 内 ( 2 ) 正俊
氏 の ま と め た 『吏
跡
内
館 − 秋 田県
文 化財
』 と銘
打
つ 蔵 書 日 録 に よ れ ば 、 蔵 書総
数
一 、 五 六 八点
中
、英
泉 著書
が 一 〇 六 点 を 占 め る と さ れ る 。今
調 査 で佐
藤 氏 が 改 め て検
討 し た と こ ろ 、彼
に 係 る資
料 は 、撰
述 書 ・ 書 写本
・ 購 入 書 合 わ せ て 四 二 七 点、 そ れ に書
状
十 二 点 を 加 え れ ば 、総
計 四 三 九 点 に の ぼ る こ と が わ か り、 そ の結
果 蔵 書 の 三 分 の 一 近 く を 占 め て い る の ( 3 ) が 明 ら か と な っ た 。文
庫
の 全体
像
を 把 握 す る た め に は 今 後 の 相 当 に 日 時 を か け た 調 査 の 蓄積
が 要請
さ れ よ う が、 少 な く と 二 四 も 現 段 階 ま で に 得 ら れ た 成 果 か ら、内
館
文 庫 ・ 内館
塾 の 史 的 意義
や 蔵書
の 書 誌 的 特 徴 を 知 る 上 で 、英
泉
の 存在
が最
も枢
要 な 鍵 を 握 っ て い る こ と が確
認 で き た と い っ て よ か ろ う 。武
内 氏 に よ る と 、英
泉 は 、 正 徳 四年
( 一 七 一 四 ) に 神 宮寺
十 四代
烈 光 の 弟 と し て 生 ま れ 、 父 は 同 寺 十 三代
尊昭
の 弟 で あ る 源 重院
開 基 ・ 智頼
法印
で、 そ の 三 男 に あ た り 、 九 歳 に し て内
館
塾 に 入学
し 、宮
野 尹 賢 ( 一 六 八 ニ ー ] 七 五 八 ) や 長 兄 烈光
の指
導 を 受 け た と い う 。 綴 子神
社 八 幡 宮 は 、 近 世 に は 七 座 天神
宮
の 神 宮寺
と し て、 ま た 当 主 は 八 ケ 村 入 十 七社
を 傘 下 に 置 く 、 北 比 内 地 方 の 修 験 の 頭 襟 頭 の 地 位 に あ っ た と伝
え ら れ る 。内
館
塾 は そ の 神 宮 寺 に 設 置 さ れ た 家 塾 で あ る 。 塾 の 濫 觴 は未
詳
で あ り、 内 館 文庫
の 名 称 の起
こ り と 塾 開 設 の時
間
的 先 後関
係
は 定 か で な い が、 お そ ら く 、師
範 や 塾 生 ら の学
究
者
が著
述 ・ 書 写 、 あ る い は資
を投
じ て 購読
し た 文献
類
が累
積
し 、 収 蔵 量 が膨
ら ん で い っ た も の と 推 測 さ れ る 。 そ の意
味 で 、 文 庫資
料
は塾
の 活 動 を 反 映 し て い る わ け で 、 資料
の解
明 は 塾 の 実 態 を 明 ら か に す る こ と に も資
す る は ず で あ る 。英
泉 は や が て塾
を に な う指
導 者 と な る の だ が、 そ の 師 の 一 人 が さ き に 触 れ た宮
野 尹 賢 で あ っ た 。 尹賢
の 足 跡 は詳
ら か で は な い が 、 元 禄 十 四年
( 一 七 〇 】 ) 、 二 十歳
の と き 京都
に 上 り 、 伊 藤仁
斎
の 門 弟 と な っ た ( 4 ) と い わ れ る 。仁
斎
と い え ば 古 学 そ れ も 古義
学
を 提 唱 し た 当時
の 代 表 的 な儒
学
者
の 一 人 で あ り、 い わ ゆ る 堀 川 学 派 の 領 袖 とし て 幾
多
の 門 弟 を輩
出 し た こ と は 、 知 ら れ る と お り で あ る 。 し か る に そ の 一 方 で 尹賢
は 、 山崎
闇 斎 の 唱 え た 垂 加神
道
と も つ な が り を 持 つ こ と を、 江 戸 後 期 の 国 学者
で 多 く の紀
行
文 を ( 5 )残
し た 菅 江 真 澄 の書
が 載 せ て い る 。 あ る 人 ノ 云 ク 、 む か し 宮 野 な に が し と い ふ 人 、 こ 〉 ろ ひ ろ く 学 び 、 こ と に 山崎
家 の 神 学者
に て 弟 子 も い とく
多
か り し 。 七 座 山 天神
に つ い て 記 し た 文章
の 一 部 で 、前
後 の 文 脈 か ら ( 6 ) 「 宮 野 な に が し と い ふ 人 」 は 、 宮 野 尹 賢 と判
断
し う る 。 そ し ヘ ヘ へ て 、 「 こ ン ろ ひ ろ く学
び 、 こ と に 山崎
家 の 神学
者
に て 」 と の 表 現 か ら推
し 量 る に 、 広範
な 学殖
を 具 え つ つ 、 と り わ け 垂 加神
道家
と し て 知 ら れ て い た よ う だ 。 つ ま り 、 尹 賢 の 学 問 は神
道
と儒
学
に 通 じ、 し か も 垂 加神
道 が朱
子 学 的 要 素 を 濃 厚 に取
り 込 ん で い る と こ ろ か ら み て 、 彼 の儒
学 的 射 程 は、古
義
学 と新
儒学
と も い う べ き 朱 子 学 の 両者
を カ バ ー す る も の で あ っ た と 考 え ら れ る 。 当 の 尹賢
か ら 英泉
が 若 年 期 よ り指
導 を 受 け て い た と 目 さ れ る こ と は 、 二 つ の 点 で 注 意 す べ き で あ ろ う 。 一 つ は、 当 山 派 修 験 の徒
た る 彼 は 同時
に 垂 加 流 神 学 者 の 顔 を も持
つ わ け だ が 、後
者
を志
向
す る こ と に な る 契 機 な い し は 初 念 の ご と き も の が、 尹 賢 と の 出 会 い を 通 し て も た ら さ れ た 可能
内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 )性
。 二 つ に は 、 修 験 ・ 仏 教 ・ 神道
・ 儒 学 ・国
学 そ の 他 を 幅 広 く博
捜 す る 探 求 姿 勢 に は、師
尹賢
と 程 度差
は あ ろ う が 一 脈 通 じ る も の が う か が え 、 そ の意
味 で の 彼 が 尹賢
か ら 受 け た 影 響[ の大
き さ 。今
の と こ ろ 尹 賢 に 関 し て は 不 明 な 部 分 が 少 な く な い が 、 尹 賢 と 英泉
の関
係 を今
後追
究 し て ゆ く 上 で い ず れ も留
意
す べ き 点 と 思 わ れ る 。 そ れ に し て も 英 泉 の 殻 に こ も ら ぬ 学 際 的 な 視 野 と 学 ・行
の た め に各
地 へ 赴 く 行 動 力 は 特筆
さ れ よ う 。 そ う し た 在 り よ う を 支 え た も の は、 一 体 何 か 。 何 が 彼 の推
進 力 と な っ た の か 。 そ れ が単
に 彼 自身
の 知的
関 心 を満
た す た め だ け で な か っ た こ と は、 た と え ば 「伝
法 秘 記 伝 記 」 を 求 め て 出 国後
烈 光 ら に あ ( 7 ) て た 書 簡 下 書 に 記 さ れ た 次 の 記述
か ら 読 み 取 れ よ う 。案
ズ ル ニ今
世 之 宗 風大
二 俗情
ヲ 流 ル 古 徳 ノ 風 旨 ヲ失
ヒ強
二 下流
二陥
リ修
験 ノ要
領
ヲ 忘 ル其
レ佗
家 二 入 テ 山伏
ノ 本行
ヲ賤
ス 謂 ッ ベ シ 邯 鄲 ノ行
ト弊
風 ノ 来 由 何 ン ソ 佗 二 因 ン ヤ 是 レ 流俗
ノ軽
ン ス ル 所 ニ シ テ 役 徒 モ自
ラ 然 リ ト 思 ヘ リ 是 ノ故
二 諸宗
ノ師
家 我 ヲ 引 テ 将 二宗
旨 ヲ 改 ン ト ス ル者
両 三箇
何 ン 為 レ ソ 興 廃 ヲ 以 テ 宗 風 ヲ易
ン ヤ常
二 思 フ 麦 里 二 有 テ 西 伯 ト 称 シ 天 下 ヲ 以 テ 独 夫 ト成
ル コ ト ヲ 豈盛
衰 ヲ 以 テ宗
ヲ論
ゼ ン ヤ 夫 レ惟
レ バ 高 祖 ノ 法 為 ル ハ 本 朝 仏 法 之 開 基 ノ諸
宗 ノ 先 規 也 二 一 五内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) … … 蓋 役 門 ノ 徒 是 ノ
如
ク 密 意 ヲ覚
エ ズ 又仏
法 開 基 ノ 先 規 タ ル ヲ 知 ラ ズ 甚 ダ 誤 ラ ザ ル ヤ 是 ノ故
二 懦 品 ニ シ テ卑
賤 に 甘 工 身中
ノ 虫 ト 為 テ佗
夫
レ我
ヲ傷
ン ヤ 故 二 憤 俳 ヲ 平 日 二凝
ラ シ偏
ク名
哲
二 参 ジ将
二往
事 ヲ 聞 テ 来者
二告
ン ト ス遠
ク 関 山 ヲ 越 ユ殆
ト 此 力 為 也 す な わ ち 、 「偏
ク 名 哲 二参
ジ将
二 往 事 ヲ 聞 テ 来者
二告
ン ト ス 」 と あ る よ う に、自
ら 学 び 得 た も の を 他 に 授 け よ う と す る志
が 、 英 泉 を 各 地 へ 遍 歴 せ し め る 動 力 と な っ て働
い たー
「遠
ク 関 山 ヲ 越 ユ 殆 ト 此力
為 也 」1
の で あ る 。 そ の さ い 、 「 褊 ク 名哲
二参
ジ 」 の 言 辞 が、 彼 の 学際
性 と 一 流 ・ 中 央 志 向 を裏
打 ち し て い る と い え よ う 。 こ の よ う な姿
勢
を 遡 及 す れ ば 、結
局 「孥
辻 ナ ; F 虱 弋 二 谷青
ヲ 充 レ 一 「 它 爽 二 へ一 厂 廿 尺 ノ 恒 一 丁 ヲ戔
と ー ; 彡 天 Fて
イ {, こ γ 丿 」 イ 彦 ▼ 二L
{冫 彳 = 長 ス L と す る 修 験
道
の 現状
へ の 憂 慮 の念
と、 「古
徳 の 風旨
」 や 「高
祖 ノ 法 為 ル ハ 本朝
仏 法 之 開 基 ノ 諸宗
ノ先
規 也 」 な ど の表
現 に 示 さ れ る本
源 に 立 ち 返 ろ う と す る い わ ば 始 源 回帰
の 念 と に 帰着
す る 。 そ し て 、 こ う し た 姿 勢 を 支 え て き た の が 、 「 法 ( 8 ) ヲ貴
ヒ家
ヲ 忘 レ身
ヲ 捨 テ 弊 ヲ 済 フ ハ学
道 修 行 ノ 志 也 」 と い う 自 己 を し て 苦 行者
た ら ん と す る決
意
で あ っ た 。 こ う考
え る な ら ば 、芙
泉 は 、 旺 盛 な る 知 的 探 究 心 を 具 え た 学 究 者 の 側 面 と、 「 学 道修
行 」 を志
す 一 種 求道
者
的 側 面 、 さ ら に は 修 験道
の宗
風 や 地 域社
会 の 文 化 向 上 に 尽 く そ う と す る 啓 蒙家
の 意 気 二 六 を 併 せ持
っ た 人 物 と 評 す る こ と が で き よ う 。 し て み れ ば 修 験 者 と 家 塾 の講
師
、 神学
者
・ 神 道家
を兼
ね た 生 き 方 は 、英
泉 に と っ て 正 に 所 を 得 た も の だ っ た と い え る の で は な か ろ う か 。 英 泉 と 垂 加 神 道 と の 関係
を 理解
す る 上 で 、 も う 一 人 欠 か せ な い の が松
岡 玄 達 ( 一 六 六 六1
】 七 四 六 ) で あ る 。 玄 達 は 通 称 恕 庵 、 ま た 怡 顔 斎 な る 号 も 有 す る 垂 加 流 の 神道
家 で あ っ た 。市
井 で は む し ろ 本 草学
者
と し て令
名 を 馳 せ た が 、 「 そ の 生 涯 に わ た り 、 闇斎
を仰
ぎ、 垂 加 神 道 を奉
じ て 変 る こ と な か っ ( 9 ) た 」 と も い わ れ る 。 か か る 玄 達 か ら英
泉
が 教 え を 受 け て い る ( 10 ) こ と が、 『 発願
紀 年 録 』 に 記 さ れ て い る 。 す な わ ち 、 元 文 六年
( … 七 四 一 ) 、 京都
で 玄 達 の 講筵
に列
し て、 論 語 ・ 易 ・ 神 代 巻 ・ 中 臣 祓 を学
ん で い る 。 ま た 同年
、 玄 達 の 手 沢 本 『 拘 幽 操 肝 卩 隶 」 」 ご 匡 ヨ , チ ノ . こ ー DD 丶 ▽ 「 甘 己 裂 」 乂 一 匸 琉 F一 耳 丗 「 一 ヨ 4 匡 「 ぐ 口 , D 雹 に 心 ヨ ド Kr 左 ジ 匹 冫 三 三 膨 ’ 」 ー フ 〜 ‘ φ 丿f
笥 じ曽、 フ ⊇ HF 千 暖 ニ 工 勾 7 ノ カ オ F μ F 〔ユ 上 謹 書 L と 奥 書 の あ る 闇斎
表 章 の 『敬
斎
箴 』 が 文 庫 に所
蔵 さ れ ( 11 ) て い る と こ ろ か ら も 、英
泉 と 玄 達 の 交 流 の 跡 が う か が え る 。 以 上 を 総 合 し て み る と 、 英 泉 が 垂加
神 道 に つ い て学
ぶ 機 会 は、 す で に 若年
期 に あ っ た と い え る 。 ち な み に塾
に 読 書 入 学 し た の が 九歳
、 上 京 し て 恕 庵 に指
導 を 受 け た の が 二 十 七 歳 の と き で あ っ た 。 た だ し 、 早 く か ら 学 ぶ 機 会 は あ っ た と し て も、果
た し て そ の内
実 は ど う で あ っ た か は 明 ら か で な い 。 こ の 点 『 風 水 草 管窺
』 の 写 本 中 に付
さ れ た 英 泉 の 一 文 に 留 意 す ( 12 ) る 必 要 が あ ろ う 。延
享
三龍
集
丙寅
秋 九 月 予法
流
及 秘 記 伝 記 を 求 め ん と欲
し て 羽 州 秋 田 の 境 を 出 冬 十 月 同 州 山 形 に 到 り 最 上 山 行 蔵院
法印
に 逢 於 是 役 門 宗徒
請 に ま か せ て 役 氏 二字
義
を 講 し て越
年
す 同 四 丁卯
年有
故
( 割 注、 孔 雀 経 為 伝 受 ) 武 州 江 戸 よ り 再 山形
に 還 亦 請 に よ り て 役 氏 顕 正 論 を 講 す の 時 両所
宮
の社
家
里 見 主膳
出席
す 一 日神
書 の事
に 及 又 天 照 大 神 与素
戔 鳴 尊誓
約 の中
に 吾 勝 尊 を 生 み給
ふ こ と を い ふ 主膳
語 て 日 此 事 々 垂 加翁
風 水 草 に述
給 う 之 説 を 正 と し 玉 木 葦斎
も 風 水草
を 受 け て管
窺
を編
ん で 後 世 に 益 あ る を い へ りこ の 時 初 め て 両
書
( 割 注、 風 水 草 、 管 窺 ) の有
こ と 知 て尋
求
す と い へ と も 不 果 し て 年来
止 焉宝
暦
十 三 癸 未年
冥 加 に よ り て 風 水草
を 書 す今
年
明和
元年
甲 申年
の 秋 風 水草
管窺
を書
写 す る こ と を 得 た り 是 故 両書
之 来 由 を篇
末
に 述 ふ 後 世 の末
弟 必 也 勿軽
忽 敬 て 拝覧
す へ し と 云 爾 垂 加 神 道 で 最 重視
さ れ る 中 臣 祓 の 注 釈 書 と い う べ き 『 風 水草
』 ( 『 中 臣 祓 風 水 草 』 ) と 、 闇 斎 の高
弟
正 親 町 公 通 の 門 弟 で橘
家 神 道 を体
系 づ け た 中 興 の祖
玉 木葦
斎
( 正 英 ) の著
し た 『 風 水 草 管窺
』 の存
在 を 、英
泉 は 延 享 四 年 ( 一 七 四 七 ) に 山 形 に て は じ め て知
っ た こ と が 、 右 文 か ら 判 明 す る 。 京 都 で 玄 達 の講
義 を 聴 い て か ら 六 年後
と い う こ と に な る 。 そ う と す れ ば 、 京都
で 聴講
し た 玄 達 の 講 義 科 目中
に 「中
臣祓
」 が み え る が、 そ れ 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) は ど の 程度
垂 加 神道
に 関 説 す る 形 で 行 な わ れ た の か 、 問 う 必 要 が あ ろ う 。 仮 に 垂 加 神 道 に 沿 っ て 中 臣 祓 を講
じ た 乏 す る な ら 、 『 風 水 草 』 へ の 言 及 は 当然
な さ れ た と み る の が自
然 で は な か ろ う か 。 要 す る に こ の 時 期 の英
泉 の神
道 理解
に お い て 、 こ と 垂 加 流 に 関 し て は 未 だ そ れ ほ ど体
系 的 な 知識
は 持 ち得
て い な か っ た と 思 わ れ る 。 一 方 、 延 享 三 年 ( 一 七 四 六 ) 霜 月 に は、 山 形 で 「 俊 峰 法印
に( 13 )
願
っ て故
有
り 、 宗 門 血 脈 柱 源 神 法 の伝
授 を 蒙 」 り、 当 地 で 越年
し 、 延享
四年
( 一 七 四 七 ) に は 「 江 府 に 行 き 、 仏 母 孔 雀 明 王経
を 求 め ( 義 浄 訳 本 ) ま た 山 形 に 還 る 。 小 白 川 村 威 徳院
恵
興 法) 14 ) 印 に 因 て 孔
雀
経
を 伝 授 」 し て い る 。 ま た 翌 五年
( 一 七 四 八 ) に( 15 ) は 次 の 記 録 が み え る 。 三 月 十 四 日 よ り 二 十 日 に 至 り 一 七 日
荷
上 場村
稲
荷
堂 に 於 て 発 起 源昌
院
及 び 大衆
の請
に依
て、実
に 始 め て初
行 不 動 法 を授
け ( 加 行 次 第 厳 に 勤 行 す )修
験
興 法 の 宗 風 漸 く 開 く 。 綴 子村
、大
館
、 扇 田、 米内
沢 村 の 発 起 人大
衆
な ど も ま た然
り 。 英 泉 十 四 歳 よ り 此 の年
に 至 っ て 二 十 二年
を 歴 る 。 法 会 の宗
風 ま た新
た な り 。 る o さ ら に寛
延 年2
七 四 九 ) に は、 左 の ご と く 記 さ れ て い 二 一 七内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 )
春
三 月、高
岩 山 に 於 て 、 稲荷
堂
作
法 の 如 く発
起
実 相院
及 び大
・ 衆 の 請 に依
て 柱 源 神 法、 孔雀
明 王 法 等 の秘
法
を 授 与 す 。夏
六 月 七 日 、 七 座 山 天 神 宮 に 於 て、 高 祖役
小 角 菩 薩 一 千 五 十年
の 聖 忌 勤 行 す 。 大 衆 七 十余
人、 群 参南
北 の 比 内 、 阿仁
、 山本
の 修 験大
い に 会 す 。結
縁
の道
俗 一 七 日夜
、数
千 人陸
川 絡 繹 し て 断 た ず 。修
験 道 の峰
中 修 行 で 伝 授 さ れ る 主 要 な 秘 法 で あ る 「 柱源
神
法 」 や 修 験者
の 加 持 祈 藩 に お い て 重 要 視 さ れ る 「 仏 母 孔雀
明 王経
」 、 あ る い は真
言系
修
験 の最
も 根本
的 な修
法 の 一 つ で あ る 「 不 動 法 」 な ど の 授 受、 そ れ に 役 小角
の 一 千 五 十 年遠
忌 の ヘ ヘ へ 実修
と い っ た 、修
験
者
英 泉 お よ び 当 地修
験 の 歴 史 の 中 で 大 き な意
義
を持
つ と い え る 活 動 が 、 こ の時
期 に 集 中 し て い る 。遠
忌 か ら 二年
後 の寛
延 四 年 ( 一 七 五 一 ) に は 彦 山 へ 秘 記 伝 記 採 訪 の た め に 赴 い て い る が、 こ れ は徒
労 に終
わ っ て い る 。 と も あ れ、英
泉
の 神 道 家 と し て の 研 鑽 が よ り 活 発 に な る の は 、 む し ろ右
の時
期
を 過 ぎ て か ら の よ う に み え る 。 神道
関 連 の 撰 述 ・書
写 本 が 目 立 っ て増
え て く る の は 宝 暦 十 三 年 ( 一 七 六 三 ) あ た り を壗
に そ れ 以降
と い え よ う 。 も っ と も、 撰 述 ・ 書 写 年 代 の 不 明 な も の も 存在
す る の で 、軽
々 に 判 断 は で き な い 。 だ が 、 英泉
の神
道 家 た る を 示 す 号 で あ る “ 守 敬斎
躍 の名
称 で識
語 ・ 奥 書 な ど に 署 名 し た 文 献 は 、 ほ と ん ど 年 月 が 判 明 二 = 八 し て お り 、 し か も そ れ ら は 宝 暦 十 三年
以 降 の神
道
書 と 重 な る 。 な お 、 守 敬斎
の 号 が 初 出 す る の は 宝 暦 九年
( 一 七 五 九 ) の 『 示 門 人箇
条
』 で あ る 。 し た が っ て、 そ れ 以 前 の神
道
文 献 に こ の 号 が 用 い ら れ て い な い の は い う ま で も な い 。 玄 達 の 講義
を受
け て か ら 十 年 後 、 ふ た た び 「 京都
に出
て 松 岡 氏 に 謁 し 、 ( 16 ) 神道
の 書 を拝
」 し た寛
延 四 年 ( 】 七 五 一 ) に書
写 し た 『 中 臣 祓 諸葉
草 』 で も 次 の ご と く 記 さ れ て い て 、 守 敬斎
の 号 は 未 だ み ( 17 ) ら れ な い 。享
保 三年
戊 戌 正 月 二 十 三 日 写 畢 一枚
( 朱筆
、 同晦
日 一校
加朱
了 ) 怡 顔 斎寛
延 四 年 辛 未 八月
初 九 日怡
顔 斎 真筆
之 校 合本
書
写
了英
泉守
敬斎
の 号 は 、闇
斎 の 崎 門学
派 に 連 な る こ と を 示 す も の で あ り、故
に そ の 使 用 は 英 泉 の 垂 加神
道 家 た る と の自
己 表 明 に ほ か な ら な い 。 守 敬斎
の 号 が初
出 す る の は 前 述 の よ う に宝
暦 九 年 の 『 示 門 人 箇条
』 だ が 、 し か し そ の 後 明和
三年
( 一 七 六 六 ) ま で 当 の名
称 は 署 さ れ て い な い 。 そ の 間 、 『 風 水草
』 『御
鎮
座 次第
記 葦 水 草 』 な ど い く つ か の 神道
書 が撰
述 ・ 書 写 さ れ て い る が、 「 玉 峰 英 泉 」 と 署 名 さ れ て い る 。 そ し て 、 『 七座
天 神縁
起 』 ( 大 館 市 真 崎 文 庫 所 蔵 ) 『 七 座 山 天神
宮
縁
起 』 と い っ た 七 座 山 天 神 宮 に 関 す る縁
起書
が 著 さ れ た の を境
に 、 以 後守
敬
斎 の 署 名 が 目 立 っ て
増
加 す る 。 そ の意
味
で は、同
縁
起
を 書 き 記 す 過 程 で 垂 加 神道
の 門 弟意
識
が よ り強
く 自 覚 さ れ た の か も し れ な い 。詳
細 は佐
藤
氏 の考
察
に 委 ね る が 、 七座
山 天 神 宮 の 神 的 世 界観
や 祭 祀構
造
に 垂 加的
影 響 が多
分 に 認 め ら れ る よ う だ 。 同 宮 の 別 当 で あ る神
宮 寺 に 属 す る英
泉 を し て、 こ う し た 事 実 が 、彼
と 垂 加神
道
と の 接 点 を こ れ ま で の 神道
学
者
的 立 場 と は ま た 別 の 面 に お い て も自
覚 せ し め る に 至 っ た の で あ ろ う か 。 英 泉 は 文 献中
で 、 守敬
斎 の ほ か に も 、 金 剛庵
主 ・ 般 若 院 英 泉 ・ 玉 峰 英 泉 ・ 伝 灯 阿 闍梨
・ 役 門 末 資等
々 、 さ ま ざ ま な 表 現 で 自 己 を 称 し て い る 。 守 敬斎
が神
道 家 の徴
表 で あ る の に 対 し て、 金 剛庵
主 以 下 は い ず れ も 彼 の 修 験者
の 立 場 を 表 明 す る も の と い え る 。 見 方 を変
え れ ば、 識 語 ・ 奥 書 中 の 署 名 の 在 り 方 が 、 そ の 書 を め ぐ る英
泉
の 立 場 を 映 し出
し て い る と も み な し う る の で あ る 。 実 際 に は 矛 盾 例 や解
釈 に 窮 す る例
も な し と し な い が 、今
後
の さ ら な る 調 査 過 程 で留
意 す べ き点
の 一 つ と い ( 18 ) え よ う 。 た と え ば、 『 元 享釈
書微
考 』 ( 宝 暦 五 年 ) と 『 元 享 釈 ( 19 ) 童 口 王 臣 伝 論 』 ( 明 和 五 年 ) の 両 写本
に つ い て み る と、 そ れ ぞ れ次
の よ う な 奥 書 が 付 さ れ て い る 。 宝 暦 第 五 乙 亥 年 夏 五 月 初 五 日 謹 誌行
年
四 十 二 歳 役 門 末 資 金 剛庵
主 玉 峰 英 泉 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) 明 和 五 戊 子 年 六 月吉
祥
日役 門
末
資
守 敬斎
書 両 書 の内
容 の検
討
は い ず れ 別 稿 で行
な う と し て 、鎌
倉 期 ま で の 日本
仏 教 を扱
っ た 『 元 享釈
書 』関
連
の 書 で あ れ ば、 前書
『 元享
釈
書 微 考 』 に署
さ れ た 「 役 門 末資
金 剛 庵 主 玉峰
英 泉 」 の 表 現 は首
肯
で き る 。 問 わ れ る の は、後
書
『 元享
釈書
王 臣 伝 論 』 に み る 「 役 門 末資
守 敬斎
」 の 署名
で あ る 。 κ 役門
末 資 ” と し な が ら 、 何故
“ 守 敬斎
” と つ づ け た の か 、修
験者
の 立 揚 と神
道 家 の 立 場 を 並 置 し た と も お ぼ し き こ の 表 現 は 、 他 書 に も 認 め ら れ る の だ が 、 意 図 す る も の が 何 か あ る の だ ろ う か 。 少 な く と も 、 自 称 の使
い 分 け に 倒錯
が あ っ た と も、 思 い 付 き で 用 い た と も 考 え に く い 。 以 上 は 一 例 で あ る が 、 こ こ で は 書 日 の 性 格 づ け や 内 容 解 釈 の 上 で 英 泉 の 署名
様 式 の 持 つ 意味
を確
認 し て お き た い 。 三 、 『 神 道学
的 』 に つ い て こ れ ま で英
泉
の 多 彩 な 業 績 と 広範
な 視 野 に つ い て、 先行
研 究 を も と に略
述
し て き た が、 そ の さ い 看 過 し え な い の は 、 か か る 業 績 が 単 に 多 彩 で あ る だ け で な く、秋
田 と い う 地域
に と ど ま ら な い影
響
を 与 え う る 内容
を有
し て い る 点 で あ ろ う 。英
泉 の 修 験 者 の側
面 か ら す れ ば 「柱
源神
法 」 の 相 承 は そ の最
た ( ) る も の と い え る 。 大 峰 山 で 一 時 伝 承 が 途切
れ た と も さ れ る 同 二 一 九内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) 法 の
詳
細 な 相 伝 書 を 後 世 に伝
え た意
義
は 大 き い 。 他 方 、 神 道家
の 側 面 に 焦 点 を 移 す な ら ば 、安
永
五 年 ( 一 七 七 六 ) に 著 さ れ た 『神
道学
的 』 な る書
は、 注 目 に値
す る も の の 一 つ と み な し う る 。 以 下 で は、本
書
の 特徴
・意
義
を め ぐ っ て 概 説 し て み た い 。 『神
道
学的
』 は、 江 戸 時代
の儒
学
者
太
宰 春 台 ( 一 六 八 〇1
】 七 四 七 、 名 は 純 ) の 著 作 『 辯 道 書 』 に 対 す る 批 判 ・反
論 を 目 的 と し て記
さ れ た も の で あ る 。荻
生徂
来 の 学 的流
れ を く む 春 台 の 手 に成
る 本 書 は 、享
保 二 〇年
( → 七 三 五 ) に 出 さ れ て い る が、 そ の 反響
た る や極
め て 大 き く 、多
く の 国 学 者 ・神
道
家 か ら の( 21)
批
判 が 提 出 さ れ て い る 。 小 笠 原 春 夫 氏 の 考 察 を も と に 、 そ れ を俯
瞰 し て お く 。 ま ず 反論
者
お よ び 当該
書
を年
代
順
に あ げ れ ( 22 ) ば 次 の よ う に な る 。 鳥 羽 義 著 『 辨 辯道
書 』 、 天 文 元年
( 一 七 三 六 )佐
々 木 高 成 『 辯 辯道
書 』 、同
二年
( 一 七 三 七 )松
下 謙 水 『 辯 太 宰 氏 辨 道 書 』 、 同 右 年度
会 常 彰 『 神 道 明辨
』、同
右
年
乙 堂 喚 丑 『駁
辨道
書 』、 同 四年
( 】 七 三 九 )多
田 義俊
『 蓴 菜草
紙
』 、寛
保
三 年 ( ] 七 四 三 ) 本 居 宣 長 『道
テ フ物
ノ 論 』 、 明 和 元 年 ( } 七 六 四 ) 頃 深 河猷
栄
『 正 道論
』 、 同右
年
頃賀
茂 真 淵 『 國 意考
』 、 同 六年
( 一 七 六 九 )頃
二 二 〇 本 居宣
長
『 講 後談
』 、 同右
年 頃 同 『直
毘 霊 』 、 同 八年
( ] 七 七 】 ) 船若
院
英
泉 『 神 道 学的
』 、安
永
五年
( 一 七 七 六 ) 伊勢
貞
丈 『 呵 純 』 、 天 明 二年
( 一 七 八 二 ) 胡 蝶 庵 聖 応 『神
道辨
惑
』 、 同 五年
( 一 七 入 五 ) 同 『 胡 蝶 庵 随 筆 』、 同 六年
( ] 七 八 六 ) 伊 藤多
羅 } 『 百 雑砕
』、 寛 政 八年
( 一 七 九 六 ) 平 田篤
胤 『 呵 妄書
』 、 文 化 元年
( 一 八 〇 六 )橘
守
部
『 稜 威 雄詰
』、 天 保 一 〇年
( 】 八 三 九 ) 川 合清
丸 『辯
辨道
書 』、 明 治 二 八 年 ( 一 八 九 五 ) 。 い か な る 人 物 か 不 明 な 例 も み ら れ る が 、 本 居宣
長
・賀
茂真
淵 ・ 平 田 篤 胤 ・橘
守 部 な ど の代
表 的 な国
学者
を は じ め 、佐
々 木 高 成 ・度
会
常彰
・ 般若
院英
泉 な ど の神
道
家、 そ し て 胡 蝶 庵 聖 応 と い う真
言 宗 僧 侶 も含
ま れ て い る 。 神 道 家 の う ち 、 佐 々 木 高 成 ・ 般若
院 英 泉 は 垂 加 流 に連
な る 人 た ち で あ る 。年
代
は、 『 辯道
書 』刊
行
の 翌 年 か ら 一 六 〇年
後 の 明治
二 八 年 に ま で 及 ん で い る 。 顔 ぶ れ ( と く に 国 学 者 ) と い い 、 年代
の 幅 と い い 、 『 辯道
書 』 が投
げ か け た波
紋 の 大 き さ を 物 語 っ て い よ う 。 そ れ ら の顔
ぶ れ に交
じ り、英
泉 が 、 比 較 的 早 い時
期 に 反論
書 を著
し て い る の が 注 目 さ れ る 。 宣 長 の 『直
毘 霊 』 か ら 五 年 後 、 篤 胤 の 『 呵妄
書 』 に 先 立 つ こ と 三 〇 年 の 時期
に あ た る 。 英泉
が ど の よ うな
経
緯
で 『 辯道
書 』 の 存 在 を 知 っ た の か 不 明 だ が 、 手 に し た年
月 は当
の 『神
道 学 的 』 中 の 一 文 に よ っ て判
明 す る 。安
永
五 年歳
丙申
二 次 ル暮
春
中
旬初
テ太
宰
純
力 辨 道 書 ヲ 見 ル ニ 此 如 キ 三 言 ヲ 以 テ 神 道 ヲ 蔑視
ス ル コ 不敬
之 至 り 甚哉
本書
が 著 さ れ た の が 安 永 五年
三 月 二 八 日 で あ る か ら、 『 辯 道 書 』初
見 の 時 期 と 『 神 道学
的
』 を執
筆
し た時
期 と は 、極
め て接
近 し て い る の が わ か る 。右
で春
台 が神
道
蔑
視
の 三言
と し て い る も の は 、 次 の と お り で あ る 。 日 本 ハ 元 来道
と い ふ 事 無 く候
。 近 き 頃 神 道 を 説 く者
い か め し く 我 国 の道
と て 高 妙 な る様
に 申 候 へ 共、皆
後
世 に い ひ出
し た る 虚 談妄
説 に て 候 。 日本
の 今 の 世 を 見 る に 中華
の む か し に 及 ぼ ず と い へ ど も 天 下 ハ 全 く 聖 人 の道
に て 治 り候
と存
候 。 神道
も尭
舜 の道
を戴
ざ れ ハ 世 に 立 事 あ た は ず 候 。 神 道 を 好 む ハ其
国
家 の 乱 る る端
に て 候 。譬
へ ば病
な き 人 の妄
り に 吐 下攻
撃 の 薬 り を 服 す る が ご と く な る べ く候
。 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) 日 本 に は 元 来 “道
” と い う も の が な か っ た 。 神道
を道
と す る の は後
世 に お け る 虚妄
の 説 に す ぎ な い 。 神道
も 「尭
舜
の道
」 な る 聖 人 ( 先 王 ) の道
を 戴 か な け れ ば 世 に 立 て な い の で あ っ て 、 神 道 を 好 む こ と は 、国
家 の混
乱 す る 発 端 と な る 。 英泉
は 『 辯 道 書 』 に 展 開 さ れ る 神道
批
判
の 論旨
を お お む ね こ の よ う に解
し、 そ う し た 見 方 に 立 つ春
台
を 「神
国
之罪
入也
」 と 言 い 放 ち 、 以 下 の ご と き 異議
を 唱 え る 。 純爾
チ 平 日尭
之服
ヲ服
シ尭
之 言 ヲ誦
シ 尭 之行
ヲ 行 ヒ尭
之 地 二 住尭
之 粟 ヲ食
フ 耶 生 ヲ 父 母 二受
ケ他
人 ヲ敬
ス 之 ヲ 悖 徳 ト 日 フ生
ヲ 神 国 二受
ク他
国 ヲ敬
ス之
ヲ悖
礼 ト 日 フ 是 ノ故
二 寶基
本 記 大 神 託 宣 シ テ 日 ク 人 ハ 天地
之 霊 気 ヲ受
テ 霊 気 之 所化
ヲ貴
バ ズ 神 明 之光
胤 ヲ 種神
明 之禁
令
ヲ 信 セ ザ ル カ故
二 根 ノ国
底 ノ 国 二吟
(神
勅 也読
ム者
ノ謹
テ拝
覧 ス ベ シ 焉 ) 汝 此 如 キ 悖 徳悖
礼 悖 乱 ヲ 犯 シ テ 心 二 於 テ安
キ 乎是
ヲ モ 忍 フ ベ ク ン ハ 也孰
ヲ カ 忍 フ ベ カ ラ ザ ル 也 然 ラ バ 則我
モ亦
謂 ベ シ偏
著
二儒
道 ヲ 好 ム ハ 神 国 ヲ 乱 ル 発 端 人也
張 本 人也
( 傍 線 引 用 者 )激
し い 論 調 で 春 台 あ る い は儒
道
へ の 反 批判
を 行 な っ て い る 。 け れ ど も そ れ が単
な る 感情
論 で な い こ と は 、次
の 文 中 に窺
知 で き よ う 。 一 = 二内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 )
今
也 風 乎 儒 仏 二移
ス 『 尚矣
一 日 大 宰 力 辨 道 書 ヲ 見 ル 感慨
二堪
エ ズ 神 風漸
ク薄
ン ス ル ヲ憂
フ 焉 是 ノ故
二 神 国 ノ 要 言 三綱
ノ順
序 国史
二散
在
シ テ 学者
大 率 見 易 キ者
二於
テ 及 チ其
精
切
ナ ル ヲ執
テ 竊 二神
民 之 学 的 に 擬 ス ( 傍 線 引 用 者 )儒
学 が官
学 と し て 重 用 さ れ 、 仏教
が 幕藩
体
制
と 結 び つ い た状
況 下 で 、 神 道 が次
第
に 沈 滞化
し た 現実
を 、 『 辯 道 書 』 を 通 し て し み じ み と感
じ 、 憂 慮 し た 結 果 、 『神
道 学 的 』 な る 反論
書
を ま と め る に 至 っ た わ け で あ る 。 そ こ に は 、英
泉 の 左 記 の ご と き 神学
者
と し て の 矜恃
の よ う な も の が感
じ ら れ る 。長
安 ヲ遠
ク 去 ル 「 二 百 六 十 餘 里 近 ク 江 戸 ヲ離
ル マ 百 四 十 三 里 。境
ハ津
軽
二隣
テ 山 川多
ク村
ハ斎
明紀
二戴
テ 分 明 (肉
入籠
村 ) 居 乎 幽昧
卑
湿 二 ト シ 日 乎 草庵
独 居 二 送 ル 矣 故 二学
友
無
ク 書籍
乏 シ焉
然
ト雖
平 日道
於神
学 二 志 シ教
於 神 民 二為
ン ト欲
ス ( 傍 線 引 用 者 )特
筆
し た い の は、傍
線 で 示 し た 「 平 日 道於
神学
二 志 シ教
於 神 民 二 為 ン ト 欲 ス 」 の件
り で、 こ と さ ら に で は な く 平 素神
道
を修
学
し、 そ れ を 人 々 に 講 じ た い と す る姿
勢
か ら は 、 ま さ に ”神
道 家 ”英
泉
の情
熱
が 伝 わ っ て こ よ う 。す
で に 論 じ た と お り 、英
泉
の軌
跡
は概
し て 、後
半 生 に行
く ほ ど 神 道 と の か か わ 二 二 二 り を 深 め て い る 観 が あ る が、 右 の件
り は こ う し た 見方
と符
合 す る 。 ち な み に 、 『 神 道 学 的 』 が著
さ れ た安
永年
間 は 、英
泉 に係
る 文 献 中 、 目 立 っ て多
く の神
道
関連
の 書 が撰
述 ・書
写 さ れ た 時 期 で あ る 。 と こ ろ で 、 春 台 は 徂 来 の 系 統 を引
く が、 そ れ は古
文辞
学
派 と 称 さ れ る 儒 学 の 一流
派 で あ る 。中
国
古
代 の 聖 人 ( 先 王 ) の 教 え を載
せ る 「 六経
」 に も と づ き 、 聖 人 ( 先 王 ) の道
を 説 く 。 そ し て そ の 理 想 を伝
説 上 の 二 聖 人、尭
と舜
に よ る と こ ろ の い わ ゆ る 「尭
舜 の 道 」 に 求 め よ う と す る の が特
徴 で あ る 。 『辯
道 書 』 は 、 か か る 「尭
舜
の道
」 を 理 想 と し た聖
人 ( 先 王 ) の 道 が治
世
原 理 と し て 日本
社 会 で も 中 心 的 な役
割
を 果 し て き た と み る 。 日 本 の 歴史
に は固
有 の道
と い う も の が な か っ た の で あ り 、神
道 が道
と さ れ た の は後
世
に な っ て か ら で あ る 。 易経
に 「 天 之 神 道 」 と み え る よ う に 、神
道 は本
来
聖 人 の道
の 一( 23 ) つ で、 聖 人 は 天
意
に 則 し て 人 民 を治
め た 、 とす
る 。 こ う し た 聖 人 の徳
や 道 徳 規範
に よ っ て 世 を治
め る ” 人 の道
”説
に 対 し て 、 同 じ く 古 道 と は い い な が ら も 、外
来 思想
が将
来 す る 以 前 の 、神
代
に ま で 遡 る 天 地 の 神 の支
配 す る道
こ そ 日本
固有
の道
と 説 く 国学
者
た ち に と っ て 、 『 辯 道 書 』 の 主 張 が 受 け 入 れ が た い の は明
白 で あ ろ う 。英
泉 に お け る 国 学 的影
響
の如
何
に つ い て は今
後
の 検 討 課 題 と し な け れ ば な ら な い が 、 『 神 道学
的
』 の 見解
は基
本 的 に 国学
的 主 張 と 通底
す る 内容
と い え よ う 。儒
教
に対
し て は 、 さ き の引
用 に あ る と お り 、 「偏
著
二 儒 道 ヲ好
ム ハ神
国 ヲ 乱 ル 発 端 人 也 張 本 人也
」 と み な し、 そ し て 日本
の道
へ の 「尭
舜 の 道 」 の 影響
を 否 定 す る 。 以 下 の ご と く で あ る 。 此 レ斯
ノ 三 綱 者神
国自
然 ノ大
道
ニ シ テ 全 ク 異 域 之道
ヲ 假 リ ズ 目 月 與 明 ヲ 同 フ ス 安 国 止 平介
久 治 須 以 テ 万 世 之法
則
ト 為 ル 所 ノ 神 道 也 純 汝 此 如 キ神
国 之 本道
ヲ知
ズ 何 ヲ 以漫
神
道 ヲ 好 其 国 家 ヲ 乱 ル ル 端 ト 謂 テ 国 典 ヲ 泥 濫 ス ル ヤ 斯 ノ 如 キ 三 綱祭
政 ハ 天 下 ヲ 扶 持 ス ル 之棟
梁 神 民 ヲ安
養
ス ル 之 柱 石 神 道自
然 之 妙 道 ニ シ テ 而僅
モ 以尭
舜 之道
ヲ 假 ラ ズ戴
カ ザ ル 所 也 何 ヲ 以 ノ 故 二 儒 道 乎本
朝 二来
ル ノ 始 メ ハ 人 皇 十 六 代 應 神 天 皇 之 朝 也 上 二 所 謂 三綱
祭 政 之 道 者皆
上古
ノ事
也 純 汝輩
此 ノ如
キ 神 国 之 大道
如 何 ン ト 見 ル 耶右
の よ う に 、 日本
固 有 の 道 を 「神
国 自 然 ノ 大道
」 「神
道 自然
之 妙 道 」 「 神 国 之 本道
」 「 神 国 之 大道
」 な ど と 表 現 し 、 儒 教 で い う “ 三綱
( 君 臣、 父 子、 夫 婦 間 の 秩 序 ) ” や “ 人倫
日 用 ” と い っ た 道徳
規
範 は 、 こ う し た 目 本 固有
の 道 に も と よ り具
わ っ て い る の だ と 主 張 す る 。 こ の よ う に 反 論 の 基 調 は 国学
者
の そ れ と あ ま り へ だ た り が な い 。 た だ、 援 用 し て い る文
献
に つ い て は、 『 日 本書
紀 神 代巻
』 や 『古
事
記 』 の ほ か に 、 伊勢
神 道 内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) の 基本
経
典
で あ る 神道
五 部書
の 一 つ で 闇斎
が 重要
視 し た と さ れ る 『寶
基 本 記 』 、 儒 家神
道 の 影響
を 受 け た 北畠
親
房
の 主著
『神
皇 正統
記 』 、 あ る い は闇
斎
の著
『 文 会 筆録
』 な ど が用
い ら れ て お り、 垂 加 神道
家 英 泉 の 側 面 を 物 語 っ て い る 。 し か し そ の援
用 の仕
方
は 、 垂 加 流 な ら で は の 教 説 を強
調 し た り、 直截
に論
ず る こ と を意
図 し た も の で は な い 。 日 本 へ の 「尭
舜
の道
」 の影
響
が 大 で あ る と す る 見解
を 否定
し 、 日本
固有
の道
た る 「 神 国 之 大 道 」 の 正 当 性 を 主張
す る た め に 引 か れ て い る 。 む し ろ 国学
的 古道
論 と多
分 に 通 う 論 調 で あ る 。 『 寶 基本
記 』 を め ぐ っ て こ う記
す 。 我神
道者
天 地 二国
シ テ 立 シ自
リ 我 神 人 明 二陰
陽 日 月造
化
之蘊
ヲ 開 キ 人 倫 日 用綱
常 之教
ヲ 示 シ 玉 ヘ リ 何 ン ソ 異域
経
典
渡
リ来
ル ヲ 待 テ 之 ヲ 解 ン 乎況
ヤ 君 臣 之 大 道神
明 之 妙 理 二 至 テ ハ宇
宙 之 間 於 此 ヨ リ 盛 ン ナ ル ハ莫
シ異
国
の経
典
の 将来
を 待 つ ま で も な く 、 我 が 国 で は 天 地開
闢 し た 神 代 か ら 生 活 ・ 道 徳規
範
を 教 示 し て き た の が 神道
で あ っ て 、 治 世 の道
、 神 明 の 妙 理 は 最 盛 を き わ め て い る と す る 。 ま た 、 『 文 会筆
録 』 に関
し て は 次 の と お り で あ る 。 垂 加草
文 会 筆録
巻 四 ( 六 十 入 丁 ) 日釈
ノ 圓 月 国 史 ヲ 修 シ テ 二 =一 二内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) 太
伯
之 説 ヲ 用 ユ (晋
書
二 日 倭 人 自 謂 フ太
伯
之後
ト 太 乎 御覧
百 川 学 誨 ニ モ 皆 云 ク自
謂
フ 太 伯 之 後 ト )朝
議 シ テ 之 ヲ禁
止 ス 矣 同 ( 七 十 丁 丁 ) 日 噫儒
生 ハ 姫 氏 国 之言
二惑
而太
伯
ヲ 誣 テ 之 ヲ附
ン ト 佛者
ハ 大 日 霊 之名
二 託 シ テ大
日 ヲ牽
テ 之 合 ン ト欲
ス 是皆
周 禮 造 言 之 刑 ヲ 犯 シ 国 神 正 直 之 誨 二 違 フ 実 二 神 聖 之罪
人 也 是 ヲ 以 テ 彼 ノ 一楽
翁
冥 加 訓 太 宰 辨 道 書 之類
ハ 皆 乱 民薄
俗 之書
也 神国
之 達 人誰
力 黜 罸 ヲ 許 ン 乎純
夫 レ慎
テ 思 ヲ致
可 シ 之 大 凡 ソ 日 本 三綱
祭
政 之道
ハ 神国
自
然
之 風俗
ニ シ テ 国 常 立尊
二根
也 筍 モ尭
舜
之道
ヲ 載 カ ザ レ ト モ 粲 然 ト シ テ 天 下 二 明 二廓
然 ト シ テ萬
世
二徹
ス矣
『 文 会 筆 録 』 が 言 及 す る 目本
人 を 呉 の 太 伯 の 子 孫 と す る よ う な牽
強 付 会 説 へ の 批 判 を 手 が か り に 、 『 辯 道 書 』 の 類 を 乱 民薄
俗 の 書 と 断 じ て い る 。 そ し て、 「 日 本 三綱
祭
政 之道
ハ 神 国自
然 之 風 俗 ニ シ テ国
常 立 尊 二 根 也 」 と 、 此 国 に み る “ 三 綱 祭 政 之 道 ” は国
常 立尊
に 根 ざ す “ 自 然 之 風 俗 ” な の で あ り 、決
し て 彼 地 の 「尭
舜 之 道 」 と い う 人 為的
な 治 世 原 理 や社
会
規 範 を借
り ず と も 充 全 に機
能 し て き た と論
駁 す る 。と は い え
英
泉 は 、異
国 の 道 ・教
え が 目 本社
会 に 全 く影
響
を 与 え な か っ た と い っ て い る わ け で は な い 。 神 制 ノ如
キ ハ 人 ノ 政 ヲ 輔 ケ 潤 色 ト為
ス ハ 韓 国 ノ 人 ノ 文 用 ル 二 二 四 コ 有 テ 之可
也尭
舜 湯 武 之道
孔 孟 之 教 等 ヲ 以 テ神
国 二 於 テ ハ 必 也 本 原 ト 為 ス ベ カ ラ ザ ル 也本
ヲ捨
テ 末 二 近 ク 神 託 有 レ ハ 也 是 ヲ 以 テ 純 汝尭
舜
之 道 ヲ戴
ク ヲ 大 要 ト 為故
二 万 世 神国
之罪
人 也 春 台 の場
合
、 「 尭舜
之道
」 を 適 用 す る こ と が 「 大 要 」 で あ る と す る か ら 問 題 な の で あ り 、 始 源 ・在
来
の道
を 輔佐
し潤
色
す る 上 で の 意義
ま で英
泉 は 全 否 定 し て い な い 。 そ の さ い 、 そ う し た外
来
要 素 の適
用
如 何 は 、神
託 の 有 無 に よ る と い う の で あ る 。 英 泉 は さ ら に 、 こ の神
託
を 重視
し、 日 本 の 神 国 た る所
以 は神
託 に も と つ い て 世 を治
め る と こ ろ に あ っ た と説
く 。謹
按 二 目本
者
神 国 也故
二 神 託 ヲ 本 ト 為矣
漢 土者
聖 人 国 也 聖 言 ヲ 要 ト 為 天 笠 者仏
生国
也仏
説
ヲ 大 事 ト 為 焉 各 国 以 テ大
要 ト為
ル 所 二 依 テ教
ヲ 立 ツ猶
ヲ 晝 ハ 日 ヲ 以 て要
ト 為夜
ハ 月 ヲ 以要
ト 為 人 ハ食
ヲ 以 天 ト 為 ル カ ゴ ト シ 必 也其
本 元 ヲ 背 キ末
ヲ執
ル コ 勿 レ 然 ラ バ 則 神 国 ノ神
民 ハ 専 ラ 神 託 神 教 ヲ 以 テ本
為 亦 羽翼
潤 色 二 於 テ ハ 其 末教
二 因 ル ベ シ 也 哉 日 本 は神
国
な る が故
に 神 託 を 、漢
土 は 聖 人国
故
に 聖 言 を 、 天 笠 は 仏 生 国 故 に仏
説 を、 と い っ た ご と く、各
々 の国
が 各 々 の大
要 と な る も の に依
拠 し て教
え を 立 て る こ と が 肝要
だ と する 。 「 神 国 之
罪
人 」 あ る い は 「 異 域 乱 風 之 大 奸 」 な ど と露
骨
な 言 い 回 し で 誹毀
し て い る よ う で あ る が、 つ ま る と こ ろ、 儒教
そ れ 自体
の 否定
で は な く、 日 本 に お け る 儒 教 の 位 置 づ け の 問 題 に 、 英泉
の春
台
批 判 の 基 本 的 な 争 点 の 一 つ が あ る と い え る の で は な い か 。 そ こ に儒
家 神 道 た る 垂 加神
道 の学
統 を 引 く英
泉 の 立場
が 反 映 し て い る と も み な し う る 。 そ れ で は 、 『 辯 道 書 』批
判
を 行 な っ て い る も う 一 人 の 垂加
( 蟄)神
道 家佐
々木
高 成 の揚
合
は ど う で あ ろ う か 。高
成 は 此 国 の 天 地 開 闢 を め ぐ っ て、 左 の ご と く 述 べ る 。 吾神
明 の 国 は 開 闢 す る と す な わ ち 二尊
気 化 し給
ひ て、 夫 婦 婚 姻 の 道 を 正 し、 人 倫 の 本 を 明 に し、 父 子 君 臣 の 道 赫 々 然 た る事
、神
典
に 見 え や る 通 り 疑 ふ べ き 無 し英
泉
と 通底
す る 見 解 と い え る 。 ま た高
成 は 「 儒 書 の渡
来 以 前 、神
人 既 に 天 道 人道
を 明 ら か に し 」 た と も 説 い て い る 。 す で に論
及
し た 英泉
の 主 張 と 重 な り あ う 。 そ し て こ れ ら は 国 学 的古
道
論
と も 符 合 す る 。 だ が 一方
で 、 高 成 は 次 の よ う な指
摘
も し て い る 。辯
道
書
等
が 古 学 は、古
学 に 非 ず し て 固 学 な る べ し 。 真 正 の 古学
と 云 ふ も の は 程 朱 の 学 な り 。 孔 孟 程 朱共
揆
一 な り 真 正 の古
学 は 「 程 朱 の 学 」 を さ す と い う の で あ る 。 朱 子学
内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) を 主 と し た宋
代 の 儒 学 す な わ ち 宋 学 の 中 心 的 な 学 説 で程
顎
・ 程頤
の 兄弟
と朱
熹
( 朱 子 ) の 説 を 総 合 し た も の が 程 朱 の 学 で あ る が 、右
の 引 用 文 は 高 成 が み ず か ら の朱
子 学的
立 場 を は っ き り と 表 明 し て い る こ と を 示 す 。 そ れ は ま た 、朱
子学
を濃
厚
に 反 映 し た 垂 加 神道
に連
な る 立揚
を 物 語 る こ と に も な る 。 つ ま り 、高
成
の 『辯
道
書 』 批 判 は 、 徂 来 派 春 台 の古
典 的 な 「先
王 の道
」論
そ の も の の 真 正 性 に疑
問 を 投 ず る視
点 を 含 ん で い る の に対
し て 、 英泉
は 「 先 王 の道
」論
自体
の本
来
的 意 義 を 問 う の で は な く 、 あ く ま で 日 本 社 会 と の か か わ り に お い て 「 先 王 の道
」 を 問 題 と す る と こ ろ に 主 た る 論 鋒 が 向 け ら れ て い る 。同
じ 垂 加 神 道 に連
な る 二 人 だ が 、 そ の 論 点 に は 類 似 と 相 違 が交
錯
し て い る 。 と く に 相 違 点 が い か な る 背景
か ら 生 じ て い る の か 、 英泉
に つ い て は 国 学 的影
響
の 有 無、種
々 の 思 想 的 傾 向 ・ 主 張 を含
む と さ れ る 垂 加 神道
の 具 体 相 な ど 、 探 る 必 要 性 を感
じ て い る 。 そ れ に し て も 、 『神
道 学 的 』 は 儒 学者
春 台 の 『辯
道 書 』 に 対 す る厳
し い論
難
の書
と の 思 い を 深 く し た 。 が、見
方 を 転 ず れ ば そ れ は 、 “ 神 道 と い う道
” へ の英
泉
自
身 の 共感
に裏
打 ち さ れ た行
為 で あ り 主 張 で あ る と い え よ う 。本
書
が成
っ た の は安
永 五年
、 死 の 六年
前 に 相 当 す る 晩年
の書
で あ る 。既
述
し た よ う に 英泉
の 後 半 生 は 神 道 へ の傾
斜 が 強 ま っ た 感 が あ る 。本
書
が こ の時
期 に 出 さ れ た と い う 事 実 は、 右 に 照 ら し て も 頷 け よ う 。本
書 の 原 文 全体
の 紹 介 と 本稿
で提
示 し 二 一 五内 館 文 庫 所 蔵 資 料 の 研 究 ( 四 ) ( 長 谷 部 ) ( 佐 藤 ) た