藤 井 修 平
仏教は西洋でいかに変化したか
―ヨーロッパの禅を中心に―
1 はじめに
グローバル化が進む現代社会においては、人の移動とともに宗教の移動もますます 増加していくことが予想される。そうして外国に持ち込まれた宗教は、移り住んだ人々 の日常生活の心の支えとなることもあれば、思いもよらぬ変化を起こし、さらなる拡 大を見せることもある。後者の例として際立っているのは、とりわけ欧米における禅 ブームと、マインドフルネスである。マインドフルネスは、主に上座部仏教が心理療 法としての基盤を得て、その宗教性を脱色した結果、医療や企業、教育などさまざま な場面で用いられるようになったものである1。他方で禅はあくまで宗教の枠組みの内 で、革新的な思想および実践として西洋諸国で評価を得て、現在に至るまで幅広い影 響を与え続けている。 海外における禅仏教の広がりについては、宗教情報リサーチセンターの20周年プロ ジェクトの成果の1つである『海外における日本宗教の展開―21世紀の状況を中心に』 収録の拙稿「西洋における禅の広がりの様相」で概括的に取り扱った。当プロジェク トでは同時に、国内・国外における外来宗教と日本宗教の施設の情報も収集しており、 禅仏教については「海外禅仏教寺院リスト」として Web 上で公開している2。このリ ストを参照すると、計552の寺院・禅センターのうち221は米国にあるが、残りの半数―ヨーロッパの禅を中心に―
藤 井 修 平
1 はじめに 2 西洋仏教研究について 3 弟子丸泰仙による禅の普及 4 禅キリスト教の広まり 5 弟子丸没後の教団の変化 6 ヨーロッパにおける禅の現状 7 仏教は西洋でいかに変化したか 8 おわりに 注以上はヨーロッパと南米に幅広く分布していることがわかる。米国に次いで多いのが フランスの72であり、その周辺国のドイツが68、スペインが22、イタリアが16、スイ スにも15の施設がある。こうした禅仏教の広がりは、ある程度は鈴木大拙などの著作 の影響や、米国のグループが他国に広がっていったものとして説明できるが、それに 尽きるものではない。とりわけヨーロッパでは米国とは異なった状況が存在するので ある。そこで本論文では、西洋における禅の広がりの調査をさらに進めるものとして、 ヨーロッパにおける禅の受容と展開を探究する。 西洋における仏教の歴史と現状を明らかにするためには、西洋仏教に関する研究を 参照することが必須である。これまで日本国内では、ケネス・タナカの『アメリカ仏 教』を例外として、こうした研究が言及されることは稀であったが、西洋仏教研究は 近年大きく拡大し、独自の視点や概念を生み出している。従って以下ではまずその独 自性に焦点を当て、西洋仏教研究の分野を概観する。
2 西洋仏教研究について
西洋世界と仏教との関わりを扱ったものとしては、古くはカトリック神学者アンリ・ ド・リュバックの1952年の著書『仏教と西洋の出会いLa rencontre du bouddhisme et de l’Occident』が存在するが、近年のものとしては、リック・フィールズの『いかにして白鳥は湖に降り立ったかHow the swans came to the lake』、スティーヴン・バチェラー
の『西洋の目覚めThe Awakening of the West』、フレデリック・ルノワールの『仏教と西
洋の出会い』を挙げることができる。このうちフィールズの著作は主に米国における 仏教の受容を、仏教史を含めて記述したものであり、バチェラーの著作は西洋に影響 を及ぼした仏教思想をその初期から語ったものである。バチェラーの記述では「仏教 思想」の範囲はかなり広く取られており、例として初期のキリスト教には、グノーシ スやマニ教を介して仏教の影響が存在していたと述べられている3。他方でルノワール はこのような見方には批判的であり、単なる類似を拡大解釈しているだけだと論じて いる。ルノワールは西洋仏教史として、宣教師によって仏教が「発見」され、異教と して排されるか、神学論争で引き合いに出された時代や、その後哲学者によって仏教 が理想化された時代、ブラヴァツキーやオルコットら神智学者によって東洋の秘教と された時代、および米国やヨーロッパに仏教の実践が広まっていく様子を幅広く描写 している。そこに一貫しているのは、このようにさまざまに受け取られた仏教に「正 統」はなく、「仏教との数世紀にわたる接触と仏教の断片的な発見は、鏡のたえざる反 映作用であったと言える。仏教は、ヨーロッパ人が自身をもっとよく見つめ、理解す るきっかけとして使われた4」という視点である。この視点が重要なのは、こうした西 洋人による仏教の描写が、現在に至る仏教のイメージ形成に大きく作用している点で
ある。例を挙げるならば、仏教は宗教ではなく哲学であるという見方や、仏教は厭世 主義や虚無主義であるという見方、上座部仏教は大乗仏教に比べて仏教の「本質」を 維持しているという見方はこうした過程により形成されている5。このような仏教理解 と、東洋における仏教理解との差には、常に注意を払わねばならないだろう。 これらの著作は1990年代に相次いで刊行されたが、そのことはこの時期の西洋仏教 研究の成立と関連している。同分野の先駆者であるチャールズ・プレビシュによると、 それまでは仏教研究の対象に西洋は含まれていなかったが、米国宗教学会(AAR)で 80年代後半からそうした研究が増加し、2000年に西洋仏教を専門とする雑誌『Journal of Global Buddhism』が創刊されるなど、分野としての形をとり始めた6。米国の仏教 研究者の特徴として、プレビシュは「サイレント・サンガ」という言葉を用いている。 これは研究者のコミュニティが暗黙の仏教徒集団となっているということで、実際に 米国の仏教学者の25%が何らかの実践も行う仏教徒で、別の25%も「隠れた仏教徒」 だと述べられている7。 このような歴史と特徴を有する西洋仏教研究においては、仏教に対して新たな見方 が提示されている。とりわけ顕著なのは仏教の分類についてであり、上座部・大乗・ 密教という宗派による分類に加え、「民族仏教徒」と「改宗仏教徒」という区別が用い られている。前者はアジアからの移民など元来仏教徒であった人々を指し、後者は主 に仏教徒に改宗した西洋人を指している。こうした分類が行われる背景には、同じ米 国の仏教寺院に通う人でも日系人と非日系人で活動内容が大きく異なるといった、西 洋仏教特有の状況が存在している8。これに加えジャン・ナティエは仏教の持ち込まれ 方を基準に「輸入」「輸出」「手荷物」の3分類を提唱した。輸入は西洋人が自ら仏教 を取り入れることであり、輸出は開教師などが東洋から西洋に仏教を広めること、そ して手荷物は東洋からの移民が移住の際に自らの仏教を持ち込むことを指している9。 この分類も仏教の形態の差異を描写することができ、例として米国では鈴木大拙など の影響で仏教徒となった人々や、各宗派の開教師により改宗した人、および仏教を実 践するベトナム等からの移民が併存している。トーマス・ツイードはさらに、「共感 者」も類型として加えるべきと提案している。これは仏教書を読んだりセンターに通 ったりと、より気軽な形で仏教に関心をもつ人のことで、明確な仏教徒の何倍もの共 感者が西洋には存在するとされている10。 拡大を続ける西洋仏教研究においては、近年では批判的な視点も見られるようにな った。ディディエ・ダヴァンの記述を参照すると、とりわけ批判の対象になっている のが鈴木大拙である。大拙の著作が西洋仏教に与えた影響は計り知れないが、その中 には国家主義や日本の優越性が含まれた「禅オリエンタリズム」が存在すると批判さ れている。すなわち彼は禅を日本的アイデンティティの本質であると描写し、西洋に 対抗するために合理的で個人的、哲学的なものとしての禅を作り上げたのだとする批
判である。これに引き続いて、日本の禅僧の戦争責任を問う批判も巻き起こった。こ れはブライアン・ビクトリアの『禅と戦争』に代表されるが、鈴木大拙や澤木興道、 安谷白雲といった西洋で尊敬されている人物がいかに第二次大戦前後に禅を「戦争の ための技術」として語っていたかを批判したものである。本書の影響は大きく、ある 研究者はこの著作を材料として禅を嫌悪するキリスト教徒の間で反対運動が起こった ことを伝えている11。こうした批判には日本の研究者からの反発も見られるが、一連の 批判が何を示唆しているかについてのダヴァンの指摘は重要である。 鈴木の理解、あるいは鈴木のイメージの変化の裏に、欧米が正に今に作り上げて いる禅の新しい知識があることは忘れてはならない。禅は東洋の思想として伝来 されてきたものの、鈴木批判で示されているように、西洋はもはや東洋の知恵や 禅師の教えを求めてはいないのである。西洋化した禅と禅の紹介者を批判するこ とで、ある種の独立宣言をしているかのようにも映るのである。12 これはすなわち、西洋における禅研究が日本のそれから離れていこうとしているとい うことである。こうした事態がもたらされることは、日本の仏教研究にとって有益で あるとはいえない。これ以上の乖離を生まないためにも、西洋仏教研究を日本の側か ら眺めることが必須となるであろう。 ヨーロッパにおける仏教の概観 上記のような枠組みにおいて、西洋仏教の研究は次第に進められてきている。以下 では西洋においてもっとも大きな影響を与えた日本仏教として禅仏教に焦点を絞る が、このうち米国における禅の広がりの歴史や、実践の状況については「西洋におけ る禅の広がりの様相」で取り扱った。従って本論では、上記論文で扱えなかったヨー ロッパにおける禅仏教の普及について明らかにしたい。 既に触れたバチェラーやフィールズの著作は、思想としての仏教のヨーロッパ文化 への影響については詳細に論じられているが、実践としての仏教がどのように広まっ たかについては、ヨーロッパを取り扱ったものは比較的少ない。その中でもマーティ ン・バウマンによる研究はヨーロッパも対象にしている。彼によると、1920年代の神 智学協会やインド学者カール・ザイデンシュトゥッカーなどの間で仏教の実践は見ら れたが、本格的に人々の間に広まるのは第二次大戦後のことである。50年代には鈴木 大拙の著作が広まり、またチベット仏教も支持者を集めるようになるが、後者の背景 には中国のチベット侵攻と、それに伴うチベット人のヨーロッパへの亡命が存在する。 米国の禅ブームが波及した後の70、80年代にはチベット仏教が大きく拡大するが、同 時にベトナムなど東南アジアからの移民がフランスやドイツに到着し始め、仏教が持 ち込まれる。90年代には、バウマンの見立てではヨーロッパ全体に65万人の民族仏教徒
と、25万人の改宗仏教徒が存在しており、とりわけフランス、英国、ドイツに多い13。 各宗派の内訳は、フランスでは上座部6.5%、大乗53%、チベット36.8%、英国ではそ れぞれ18.5、18.1、36.9%、ドイツでは15.2、35.6、42.2%となっている14。大乗仏教に 含まれているものは主に禅宗なので、フランスやドイツにおいて広がっていることが わかるだろう。 これに加え、ヨーロッパにおける禅の普及には、何よりも曹洞宗の弟子丸泰仙によ る貢献が最も大きいと言われている。彼について取り扱った先行研究もいくつかあり、 アンナ・ルッジェリは弟子丸の活動と思想を解説し、「当時のヨーロッパは、教義に偏 ったキリスト教に対する不信感、および政治的な運動に対する絶望感が広がっており、 弟子丸の主張した只管打坐の教えはヨーロッパの人々に大きなインパクトを与え、そ の拡大の様子はまさに爆発的であった15」と述べている。また佐藤研は弟子丸が広めた 曹洞宗に加え、臨済宗、三宝教団の活動を概括した上で、ヨーロッパにおいて禅の言 語、儀式、修行法がいかに変化したかも論じている。佐藤がヨーロッパの禅の特徴と して挙げているのは、坐禅が医療手段としても理解されるようになっていること、禅 テキストの翻訳が必要とされていること、「禅キリスト教」という形態の発展が見られ ること、在家中心の運動となっていること、修行における身体的な暴力は否定的に見 られていることであり、「こうした状況では、禅の中心は今や日本を離れ、欧州(およ び北アメリカ)に移行したという印象が湧いてきても無理からぬことかも知れない16」 と結んでいる。 これらの研究はヨーロッパにおける禅の見取り図を与えてくれるものといえるが、 より詳細な研究はなおも不足している。とりわけ弟子丸の没後から現在に至るまでの 組織的な変化については、何らかの対立や混乱があったことは知られているものの、 それ以上の言及はなされていない。従って以下では、これらの点を中心に、さまざま な資料を用いてヨーロッパにおける禅の過去と現状を描写しようと試みる。
3 弟子丸泰仙による禅の普及
弟子丸の経歴 まずは弟子丸の経歴について、彼の自伝を参照して簡潔に述べよう。弟子丸は1914 年に、佐賀県の機帆船問屋の家に生まれた。彼の母は観音様の化身と呼ばれていた熱 心な浄土真宗の信徒で、弟子丸自身も寺院にたびたび通い、説教を聞いていた。彼が 18歳の時、後の師となる澤木興道が講演のために弟子丸の家を訪ねた。この時は、沢 木が教える禅は「他宗」であると弟子丸は感じていたが、彼の人格には強く惹かれて いた。 横浜専門学校(現神奈川大学)時代には東京大学の仏教青年会の寮に住み、著名な仏教学者と交流し、円覚寺で坐禅も行った。専門学校を卒業した後は森永製菓に入社 するが、ある日彼は總持寺で沢木に再開し、彼の下で修行を続けた。弟子丸は出家を して僧侶となることを求めたが、沢木が「職業坊主になってもつまらんぞっ。いまの ままでいいのだ。会社づとめのままでいいのだから、坐禅だけはいまの熱意をもって つづけろ17」と答えたために思いとどまった。 太平洋戦争が開戦すると弟子丸はインドネシアに派遣され、終戦までこの地で過ご した。戦後は実業界に入り、アジア協会の設立に関わったが、発展には文化・精神的発 展も含まれなければいけないという彼の意見は反対され、彼はこの活動から退いた18。 沢木が亡くなる直前に出家の許しを受け、黙堂泰仙の号を得た弟子丸は、フランス で自然食を広める運動をしていたマクロビオティックのグループと知り合い、フラン スで禅を広めるよう招かれた。こうして1967年に、彼はフランスへと渡った。 彼の講演と坐禅の実践はフランスの人々に大きなインパクトを与え、急速に支持者 を増やした。1969年には、作家であるアルノー・デジャルダンが弟子丸のベルホンテ ン僧院における坐禅指導を撮影し、国営テレビ局 O.R.T.F. の番組として放映された19。 また1970年にはヨーロッパ禅仏教協会(後に国際禅協会に名称変更)を設立し、クラ ブメッドの創立者ジェラール・ブリッツがパトロンと理事長を務めた。同協会は1971 年の時点で30以上のセンターを有し、7万人以上の会員がいたと述べられている20。弟 子丸はイタリア、スイス、ドイツ、ベルギー、オランダ、英国に坐禅指導と布教に訪 れたが、主な受け入れ者は合気道、柔道の道場やカトリックの僧院であった。 1979年にはロワール川近くの古城を購入し、禅道尼苑と名付け拠点とした。だがそ れから程なくの1982年に、彼は日本で急性腎不全のため亡くなった。その死亡記事で は、弟子丸は「パリに仏国禅寺を開いて禅の布教につとめ、フランスを中心にヨーロ ッパに禅ブームを巻き起こした。同師が創設したヨーロッパ禅教会[ママ]は現在五 寺、百十道場あり、会員数は三十万人21」と述べられている。 弟子丸の著作と思想 彼はヨーロッパ言語で12、日本語で9の著書を著し、19の翻訳を刊行し、雑誌『I shin den shin』、『Kusen』、『Zen』を遺した22。このうち、ヨーロッパ言語のものを見て
みると、大まかに禅の解説書、禅文献の翻訳、説教集に分けられる。解説書としては 『本当の禅Vrai Zen(1969)』、『坐禅:禅の実践Zazen. La pratique du Zen(1974,1981)、
『禅 と 武 道 Zen et arts martiaux(1978)』、『集 中 の 実 践 La pratique de la concentration
(1978)』が存在し、禅文献は『宝鏡三昧』、『参同契』、『信心銘』、『証道歌』『般若心 経』が翻訳されている23。また「口く せ ん宣」と呼ばれる坐禅中の教示をまとめた説教集も何
冊か刊行されている。
れるとともに、思想的な論考も収められているのが特徴的である。禅の教えについて は坐禅の際の姿勢や必要な心構え、経行や警策の作法が記されているとともに、『十二 時法語』に沿った寺院の日課が提示されている。他方で思想的な論述として「禅と科 学」「西洋人のための論考」の章が存在する。本書には弟子丸の教えや思想が十全に表 されているために、以下ではその内容について見ていこう。 「禅と科学」において弟子丸は、東京大学の笠松章らによる坐禅の大脳生理学的研究 に言及している。これはきわめて重要である。瞑想や宗教体験に関する生理学的・神 経学的研究は近年では盛んに行われているが、当時は非常に珍しいことであり、1960 年に発表された平井富雄の「坐禅の脳波的研究」は世界でも先駆的だと言われている のである。この時期には8大学が共同で「禅の医学的心理学的研究」を行い、盛んに 成果を発表していたが、その後は日本での同種の研究は低調になってしまった24。その 草創期の研究に対して、弟子丸自身もこの研究に参加していたことが語られている。 「近年、東京大学医学部の研究所が、笠松教授の指示の下にこの研究を実施した。私は その被験者の一人だった25」。その内容は坐禅の際の脳波や心電図を測定するというも ので、その結果は坐禅時は覚醒しているにもかかわらず安静時のアルファ波が見られ るというものだった26。注目すべきは、このような研究を用いて弟子丸が何を主張した かである。彼は他の医学的研究も参照し、「坐禅は、精神的健康が良好だと考えられて いる個人に対してでさえ、精神的健康を著しく改善すると言われている。禅だけで心 理療法の代わりとなることはできないが、禅は心理療法の本質的要素を有すると考え ている27」「私が若かった頃はあまり強くなく、健康でもなかったが、坐禅の実践は私 の身体状態をとても強くした。坐禅が生む根本的なエネルギーのおかげで、私はもは や疲れることはない28」といった坐禅の健康改善効果を強調する。このように弟子丸は 最新の科学的研究を参照して、坐禅の有用性を示したのである。無論このような効用 を目的として坐禅をしてはならないと注意書きがされているが、こうした医療として の側面への着目は革新的だったといえる。弟子丸自身はこのようなヨーロッパ人の理 解力に即して科学的に根拠を示しながら禅を広める方法を、「科学的布教法29」と呼ん でいる。 「西洋人のための論考」の章では、禅とは何かや現代文明論、そして禅による救済論 が展開されているが、その内容は『禅と文明』などの日本語の著作とある程度重複し ている。この章で述べられていることはいくつかのトピックに分けられるが、第一に 看取されるのが現代の文明論である。彼は現代文明はさまざまな物を生み出し、生活 を豊かにしたが、その代わりに精神的には病んでいると指摘する。 文明人は、人工的な生を生きながら疲れて死んでゆく。お金やよい食べ物、仕事 や現状への満足、そして愛の幸せが十分に得られることはない。彼らは恐怖に満
たされ、すべてを恐れている。なので、われわれは自然の空気を深く吸い込み、 新たな世界を創造しなければならない。ベルクソンが「エラン・ヴィタール」と 呼ぶ精神の革命が必要とされている。われわれは幸福と不幸、快と不快、生と死 を超えなければならない。これが最高の喜びであり、それを達成する最良の方法 は坐禅である。30 ここでは文明と自然の二元論が示されている。彼によると文明人の病の原因は科学を 発展させるあまり自然から離れてしまったことにあり、「原始人」は幸福な生活を送っ ていたとされている。その解決策である「自然への回帰」の手段として挙げられてい るのが禅である。 別の二元論は、西洋と東洋の間にも立てられている。彼が西洋的なものの代表とし て挙げるのが科学である。「坐禅は直観の哲学であり、ベルクソンのものに少し似てい るが、ヨーロッパの哲学は科学である。科学はしばしば諸部分の集合のようになり、 科学の目的は法則を発見し、概念を確立することである31」。つまり合理的に考え、分 析的に物事を切り分けていくのが西洋的思考である。これに対して東洋は直観的とさ れる上に、闘争的でなく平和的というイメージが強調されている。「仏陀の静かな姿勢 は、東洋の理想を完全に表すものである……東洋は西洋ほど戦闘的、活動的、情熱的、 積極的、冒険的ではない。非常に簡素な道を選ぶが、明晰で落ち着いており、静かで ある32」。ここで東洋的とされている概念が、西洋言語における「Zen」が表すものと ぴったり一致することは注目すべきだろう。現在の英語やフランス語での「Zen」は 仏教の枠を超え、質素、ゆったりした、平穏といった快適な生活様式を指すのにしば しば用いられるが33、そのイメージの形成には弟子丸のこのような描写も寄与していた と思われる。実際に、禅は東洋的な理想を体現するものとして、悩み事の多い現代西 洋人の治療薬として受け入れられたのである。 このように弟子丸は文明と自然、西洋と東洋の二元論によって現代文明の問題点を 分析しているが、禅はその解決策として提示されている。なぜなら禅は近代科学的で はない直観的な知恵であり、東洋的な理想の真髄だからである。ここに至って、弟子 丸の宗教的な動機が現れる。「伝統的な宗教は組織的・儀礼的・排他的になり、宗教的 生の本質を失っている。しかし禅は常に常に進歩的で、創造的である34」。すなわち、 禅は現代において力を失っている他の宗教にまさる真の宗教であり、それは精神的な 革命を起こしうるものである。「すべてのドグマ、すべての宗教、すべての政治、すべ ての国を超えた禅は、それが提示する経験によって、われわれの精神を刷新し、別の 心理的水準に至る助けとなる。禅は本質的に創造的であり、人間全体の変容をもたら すことができる35」。禅はしばしば西洋では宗教ではない「哲学的な教え」として描写 されるが、弟子丸にとって禅は疑いもなく仏教であり、宗教であったといえる。
弟子丸は最後に、こうした真の宗教は科学と調和しうるものだと述べている。「真の 宗教は、現代科学に知恵を与えるものでなければならない……もちろん、宗教は科学 によって完全に証明されることも、分析し尽くされることもないが、科学は宗教に近 づき、受容的になり、宗教を妨げない限りでそれを研究しなければならない36」。前述 の生理学的研究への言及と合わせて、弟子丸が科学と仏教の交わりに高い関心を示し ていたことがわかる。 このような姿勢は、現代の他の仏教言説にも見られる。拙論「現代日本における仏 教と科学の関わり」では科学に対する仏教からの姿勢として、「ニューサイエンス」と 「心の科学としての仏教」という2つの類型を定式化した37。この2つのうち、弟子丸 の姿勢は後者に近いといえる。確かに彼は現代科学や現代文明を批判し、その代わり に東洋の知恵や自然への回帰を称揚する点でニューエイジ的・ニューサイエンス的で はあるが、その解決策は科学を超えた新しい科学を作ることではなく、現代科学と調 和することであり、この点では後者に分類したダライ・ラマ14世や一部の上座部仏教 に類似した姿勢といえる。このように科学と仏教を接近させる動きは近年ますます増 加し、その産物の一つとしてマインドフルネスが生まれたことを考えると、弟子丸の 姿勢は革新的であったといえるだろう。
4 禅キリスト教の広まり
ルドルフ・オットーは1926年に、『西と東の神秘主義』においてインドの神秘主義者 とマイスター・エックハルトの比較を行ったが、同様の比較が、禅とキリスト教、と りわけカトリックとの融合をもたらした。その第一人者が、ドイツ人フーゴー・エノ ミヤ・ラサールである。彼は1919年にイエズス会に入会し、1929年に日本を訪れてイ エズス会士として働いた。日本国籍を取得した後に、彼は原田祖岳やその孫弟子の山 田耕雲の下で禅を学び、禅の手法を取り入れたカトリック的修練の方法を確立した38。 ラサールは、禅の瞑想がいかにキリスト教徒にとって役に立つかを説いている。彼 は、キリスト教にも瞑想の方法が存在するが、それはしばしば困難を伴うものだと述 べる。他方で、「禅の見解を考察するとわかるのだが、このおなじ突破が、禅ではこの ような瞑想を熱心に忍耐づよく修行するすべてのひとによって、はるかに大きい蓋然 性をもって、それどころか確実性をもって実現される39」という。彼にとって坐禅とは 祈りであり、坐禅を通して神に近づき、キリスト教信仰を強めることができると述べ られている。彼はまた、禅とボナベントゥラ、マイスター・エックハルト、十字架の ヨハネなどのキリスト教神秘思想を比較し、両者がいかに似通っているかを示してい る。根本的な類似点は、両者が「神秘経験40」だということである。また禅の瞑想には 対象がなく、それゆえにキリスト教と矛盾することがない。そのため禅をキリスト教神秘思想に包括することが可能だと彼は述べている。 カトリック教会においては、第二バチカン公会議(1962 65)で示されたエキュメニ カルな活動の推奨が禅への関心を後押ししており、そうした背景の下で禅に近づいた キリスト教徒はラサール一人ではない。ドイツの心理学者カールフリート・グラフ・ デュルクハイムはユダヤ系のロートシルト家の後継者でありながら、ナチス政権の文 化大使として日本に渡った。彼は日本文化の学習を始め、禅に関する著作を刊行した。 戦争が終わると、彼は捕らえられドイツに送り返された。彼はドイツで心理学的な自 律性訓練と禅を組み合わせた心理療法を開発し、キリスト教徒のための禅を広めた41。 彼は弟子丸とも交流し、支援を行っている。米国のトラピスト僧であるトーマス・マー トンは鈴木大拙と対話し、いくつかの著作を著している。またスペインのイエズス会 士アルフォンソ・ベルドゥもまた日本で禅を学んでいる。 加えて、1979年から開始された「東西霊性交流」も禅とキリスト教が交わる機会と なっている。この活動は、日本のさまざまな宗教者とヨーロッパのカトリック修道士 が交互に相手の国を訪問し、相手の宗教を体験するというものである。現在までに13 回開催され、毎回10人ほどが訪れている。第1回から参加している峯岸正典によると、 当初はヨーロッパのキリスト教徒に禅文化を紹介する企画だったが、日本側にもカト リックの修道生活を体験してほしいという要望があり、相互的な交流が実現したとい う42。最新の開催である2014年の第13回では、禅文化研究所の企画で7人の禅僧がドイ ツへ渡り、ベネディクト会の3つの修道院を訪れ修道生活を実践するとともに、仏教 とキリスト教の共通点や差異をシンポジウムで論議した。参加者は、禅とカトリック の間に近さを感じたことや、修道士が坐禅会を開いていることに驚いたことを語って いる43。 ヨーロッパにおける実践者も増加している。ラサールは1977年にドイツのディート フルトに禅道場を建設し、十年間で1万7000人の参加者を集めた44。佐藤研は禅がキリ スト教徒を惹きつける要因についての考察を行っている。すなわち、キリスト教的言 語の無力化、救済体験の渇望、坐禅が体験知を提供すること、坐禅の非宗教性、坐禅 の社会性、坐禅の普遍性である45。総じて、禅キリスト教は現代的なキリスト教の改革 運動だとみなされている。 東西霊性交流は現在では宗教の代表者同士の交流という形を取っているが、禅がキ リスト教徒に受け入れられた過程では、禅の非宗教的な側面が重要な役割を果たした ことにも注目すべきである。そのような側面をとりわけ強調したのが、ラサールの師 となった原田と山田であった。彼らと安谷白雲により興された三宝教団46は曹洞宗と臨 済宗を複合し、なおかつ「禅は宗教ではない」という姿勢を示したために、キリスト 教徒に受け入れられやすくなった。このような三宝教団の教えの下でキリスト教徒が 建てた禅堂も海外には存在する。フランスの「トビトの家La Maison de Tobie」はベネ
ディクト会士ブノワ・ビヨーによって建てられたものだが、ここではキリスト教の観 想と三宝教団の禅が同時に実践されている。また米テキサス州にある「マリア観音禅 センター」の創設者はフィリピン出身のイエズス会士であるが、山田の下で教わり同 センターを開設している47。三宝教団とイエズス会を介して禅がフィリピンにまで広が っているのも興味深い。修道女イレーヌ・マキネスも三宝教団で学んだ後に、カナダ やフィリピンで活動している48。
5 弟子丸没後の教団の変化
教団の分裂と拡散 順調に拡大を続けていた弟子丸のグループであったが、1982年に彼が亡くなると、 残されたメンバーは大きな混乱に見舞われた。最大の課題は「嗣法」すなわち教えの 伝統の継続であった。ルノワールがインタビューした弟子の一人は、いかに嗣法が重 要かを語っている。「多くの西洋人は、嗣法は卒業証書を得るようなものだと考えてい ますが、まったくそのようなものではありません……常に、それは生きられた歴史的 仏陀の態度の目覚めなのです。嗣法はすべての師の名前が記され、赤い線で結びつけ ることによって、生きた接触を表現している文書によって形成された法統によって客 観化されます。それはすなわち、血が巡っているということです49」。弟子丸自身は1975 年に山田霊林から嗣法を受けていたが、彼は誰にも嗣法を授けていなかったのである。 たびたび西洋諸国に赴いて弟子丸とも知り合いだった五十嵐卓三は、この際にフラ ンスの弟子と他の国の弟子との間で誰が国際禅協会を受け継ぐかをめぐって対立があ ったことを伝えている50。結果的に、ファウスト・グアレスキ Fausto Taiten Guareschi、フランシスコ・ビジャルバ Francisco Dokusho Villalba、ルトガー・テンブロイル Ludg-er Tenryu Tenbreulの三人は国際禅協会を離脱し、それぞれの国に独立した禅協会(As-sociazione Italiana Zen Sôtô, Comunidad Budista Sôtô Zen, Zen-Vereinigung Deutschland)を 設立した51。その後この2派は、別々の日本の師に嗣法を受けている。すなわちフラン
スの門弟は永平寺の貫主である丹羽廉芳に、それ以外は沢木のもう一人の弟子である 成田秀雄に。この対立は、沢木と弟子丸の系譜を重視するか、曹洞宗の権威を重視す るかのどちらを優先するかについても争われていたと思われる。丹羽から嗣法を受け たロラン・レッシュRoland Yuno Rech は国際禅協会の代表となったが、もう一人のス テファン・コウセン・ティボーStéphane Kosen Tibaut は国際禅協会を離れ、Association du Vrai Zen de maître Deshimaru を設立した52。現在では彼の教団はコウセン・サンガと
呼ばれている。こうして、国際禅協会は5つに分裂し、その統合性は失われたが、そ れでも各国で拡大を続けていった。
徴として、禅道場が都市部に集中していること、参加者の年齢層が若いこと、実践は 7、8月のサマー接心を中心とし、成道接心、年末年始接心、弟子丸師を偲ぶ接心な どが開かれていることなどを挙げている53。さらに80年代の変化として、「各禅協会が 地方の道場との交流を密接にすると同時に、一つの根本道場を創設し、一定の期間を 定め安居を実践するための僧堂的な生活様式を確立しようとしていること」「その僧堂 生活を十全ならしめるために、禅的諸行持、儀式における進退作法、経典の読誦法、 語録祖録の参究等々と、具体的な希望が強くなりつつあること54」が挙げられている。 とりわけサマー接心はすべての禅グループが重要な活動としている。五十嵐はテンブ ロイルによるドイツの接心の様子を記述している。接心はヴェスターヴァルト山脈の 森の中で開かれ、10日間に渡った。ビジネスマン、建築士、学校教師、学生など約80 人が参加した。接心の間は、坐禅、経典読誦、作務が繰り返され、応量器の使い方と、 袈裟の作り方が指導された55。袈裟を縫う「袈裟功徳」は弟子丸がとりわけ重要視した もので、多くのヨーロッパの禅道場の特色となっている。 弟子丸教団に対する批判 グループの分裂に加え、禅を離れた人もいたが、その一部は弟子丸教団の内情につ いての批判を行っている。アリオーヌ・コネーによると、ある離脱者のグループは禅 を体験、すなわち坐禅のみに還元することを否定している。また別の元メンバーは、 国際禅協会の弟子丸への「執着」を批判しており、彼の坐禅における教えは「マイン ドコントロール」だとすら述べている56。ここで問題視されているのは、師弟関係が絶 対的なものになり、かつ日常生活のあらゆる場面にまで及ぶことである。実際に弟子 丸は、「曹洞宗は『信頼をもった』坐禅の実践であり、信頼は師の盲信ではない……こ の信頼は岩のように堅固でダイヤモンドのように固く、師を信頼し、仏陀を信頼し、 法統を信頼し、坐禅と只管打坐を信頼しなければならない57」と述べているが、こうし た師への信頼の要求と、次に述べる日本の曹洞宗組織からの孤立が合わさり、弟子丸 の個人崇拝が促進されたのであろう。 弟子丸がしばしば行っていた日本の僧侶に対する批判は、曹洞宗に対する疑念を植 え付け、そのことが彼の没後長きにわたって日本との関係が絶たれる結果をもたらし たものと考えられる。五十嵐は国際禅協会の主張として、「僧伽という表現が弟子丸師 によってなされたように、国際禅協会は教会でもなく、日本宗派の支流でもない58」と いう見解を記している。またルノワールも、「不幸にも生きた坐禅の修行よりも儀式に 明け暮れる、日本の硬直した禅僧組織に対しては、何らの従属関係も存在しない59」と する国際禅協会会長の言葉を伝えている。こうした側面が日本の曹洞宗を忌避する姿 勢をもたらした。前述の弟子丸の弟子はこのように述べている。「弟子丸師の死後、彼 が設立したさまざまな禅グループは、仏教徒としてのアイデンティティを確立するこ
とを余儀なくされました……アイデンティティは彼であり、私たちは他のものを必要 としませんでした。まだ多くのグループが弟子丸のアイデンティティに執着していま す60」。 それでもヨーロッパの弟子丸の弟子は、最終的に日本の曹洞宗との関係を回復する ことができた。この動きは日本の側からもたらされた。弟子丸の死から約20年後の2001 年、曹洞宗は通常宗議会で状況の改善に乗り出すことを決定し、翌年イタリアにヨー ロッパ開教総監部が再度設置され、原田雪渓が二代目のヨーロッパ開教総監に就任し た61。総監部がフランスではなくイタリアに設置されたという事実は、ヨーロッパの弟 子たちの日本曹洞宗に対する複雑な関係を物語っているといえる。曹洞宗との関係が 回復するにつれて、海外の寺院が曹洞宗の公式寺院として登録されるようになった。 現在では51のヨーロッパの寺院が登録されている62。
6 ヨーロッパにおける禅の現状
これまでは、禅がヨーロッパに広まった経緯を弟子丸の活動とキリスト教禅という 2つの道から見てきた。これらを踏まえた上で、前述の宗教情報リサーチセンターの プロジェクトにおける「海外禅仏教寺院リスト」のデータを分析してみよう。 この一覧は文献とインターネット上の情報をもとに、世界中の禅センターの数を調 査したものである。ここで言う「寺院・禅センター」とは、少なくとも日本の禅の影 響を受けている教団が運営しているもので、公的な場を有しており住所が判明してい るものを指している。以下ではこのデータと過去のそれとの比較を行い、禅仏教がど のように広まっていったかやその現状について明かしていく。比較対象となるのは、 弟子丸の弟子の一人であるエリック・ロムリュエールの『禅案内Guide du zen』に収録 されている1997年時点での禅センターのリストである63。このリストは寺院・禅セン ターの位置している国と住所、開創年と所属している教団および公式サイトのURLを 記載している。まずは国ごとの数について両データを提示してみよう(表1)。 表1 1997年と2019年におけるヨーロッパ各国の寺院・禅センターの数 国 1997年 2019年 アイルランド 1 3 イタリア 17 16 ウクライナ 0 2 オーストリア 7 4 オランダ 4 6 ギリシャ 0 1スイス 13 15 スウェーデン 5 6 スペイン 12 22 スロヴァキア 0 2 チェコ 0 7 デンマーク 1 3 ドイツ 52 68 ノルウェー 1 2 ハンガリー 1 2 フィンランド 0 2 フランス 35 72 ベルギー 4 11 ポーランド 2 11 ポルトガル 2 1 ラトビア 0 2 リトアニア 0 1 ロシア 0 8 英国 9 6 合計 166 273 この表からは、弟子丸らによる禅の広がりと、近年の変化がわかる。1997年を見ると、 上位はドイツ、フランス、イタリア、スイス、スペインであり、弟子丸の活動した範 囲と重なっていることがわかる。2019年のデータもこれらのほとんどの国で禅セン ターがさらに増加していることを示しているが、それ以上に顕著なのは、周辺諸国へ の広がりである。とりわけ東欧は1997年時点にはほぼ禅センターが存在しなかったが、 22年間で30箇所以上も開設されている。その背景には弟子丸の弟子による活動がある が、詳しくは後述する。また増加量としてはフランスが最大なのにも着目すべきだろ う。これは国際禅協会などの活動が未だ活発であり、禅への高い関心が維持されてい ることを示している。 次に、禅の宗派ごとの比較を行った。含めたのは曹洞、臨済、三宝教団の3つであ る(表2)。1997年のものは三宝教団系としてダイヤモンド・サンガとフィリップ・カ プローの系列を含んでいるので、2019年もそれに従っている。 表2 1997年と2019年のヨーロッパ寺院・禅センターの宗派別総数 宗派 1997年 2019年 曹洞宗 115 221 臨済宗 23 29 三宝教団 18 17
見てわかるように、曹洞宗のみが約20年で大幅な増加を見せているが、臨済宗も着実 に増えている。それは主に、ワン・ドロップ・ゼン系列の寺院の増加に負っている。 ワン・ドロップ・ゼンは臨済宗の原田正道が創始したグループで、メンバーは日本の 曹源寺で修行し、自国に戻って寺を開くという過程で、北欧に多くの寺を有している。 その他に、米国からの輸入という道もある。例としてデンマークの Havrdeal Zendo は 米国の大菩薩禅堂で嶋野栄道に教わった人物により開かれたものである。 さらに、曹洞宗の中でもどのような系列が増加しているのかを知るために、2019年 におけるより細かな教団を集計してみよう(表3)。 表3 2019年のヨーロッパ寺院・禅センターの教団別総数 教団 施設数 国際禅協会(曹洞) 90 曹洞宗 51 サンドウ・カイセン(曹洞) 30 臨済宗 15 コウセン・サンガ(曹洞) 14 ドイツ弟子丸系列(曹洞) 13 ワン・ドロップ・ゼン(臨済) 12 曹洞宗その他 11 三宝教団 9 カプロー系列(三宝) 8 その他弟子丸系列(曹洞) 4 スペイン弟子丸系列(曹洞) 3 ベルギー弟子丸系列(曹洞) 2 International Zen Institute(臨済) 2 ホワイト・プラム・サンガ(曹洞) 2 ストーンウォーター禅サンガ(曹洞) 1 いくつかのセンターでは所属関係が二重になっているので、曹洞宗公式のものを優先 し、次いで国際禅協会所属を優先した。この数値は、これまでに記述してきたヨーロ ッパの禅の歴史を反映していることがわかるだろう。すなわち弟子丸の没後に、国際 禅協会から各国の禅協会(表では「弟子丸系列」と表記)およびコウセン・サンガが 分かれ、それぞれの国で広がったという経緯である。コウセン・サンガは南米にも拡 大しており、南米ではアルゼンチンを中心に13のセンターが存在する。加えて近年大 幅に増加しているのが、サンドウ・カイセンのグループである。彼(本名 Alain Krys-taszek)は1952年にフランスに生まれ、弟子丸に教わった人物で、東欧に多数の寺院を
開いている。
7 仏教は西洋でいかに変化したか
最後に、これまで述べてきたヨーロッパの禅の事例と、「西洋における禅の広がりの 様相」 で明らかにした米国の禅の事例を合わせて、西洋諸国に受け入れられることに よって日本仏教はどのように変化したのかを考察してみたい。 伝播の形態の変化 第一に看取されるのが、伝播の形態の変化である、これまで宗教の普及の過程とし ては「布教」のみが考えられることがほとんどであり、多くの教団もそれを前提に、 宣教や開教のシステムを作り上げてきた。しかし西洋の仏教は、実に多様な形で広が ってきている。まず媒体ごとに分けると、人を介するものに加え、大拙のような著作 を通したものや、同じく大拙のコロンビア大学での講義のような教育機関を通したも のがある。とりわけヨーロッパや南米に禅が広がったきっかけとして、書籍の影響力 は計り知れない。 人を介するものはさらに、前述の分類に従い「輸入」「輸出」「手荷物」に分けるこ とができる。輸入としては日本を訪れて禅を学んだフィリップ・カプローやロバート・ エイトケン、慈友ケネットやフーゴー・ラサールが、近年の例ではワン・ドロップ・ ゼンのグループが挙げられる。輸出の例も鈴木俊隆や弟子丸泰仙、前角博雄や嶋野栄 道など枚挙に暇がない。他方で手荷物の例は日本よりもチベットやベトナムの移民が はるかに多いが、北米や南米では日系移民の間で仏教が実践されている。 さらに本論の内容を踏まえると、これら3種に該当しないケースも存在することが 明らかとなるだろう。それはフランスから南米に広がったコウセン・サンガや、東欧 に拡大したサンドウ・カイセンのグループである。こうした動きはもはや日本を介し ておらず、輸入でも輸出でもないといえる64。自ら教えを広めることが許された第2世 代が登場することによって、禅に関して日本が「本国」であるという見方が揺らいで いるといえるだろう。同様の平行移動はキリスト教禅でも見られる。米国からフィリ ピンへの広がりがその例である。 実践の変化 活動内容の変化は前掲論文で述べたために簡潔に触れるに留めるが65、多くの変化が 生まれている。とりわけ米国に顕著で、オーガニック食品の生産や販売、ボランティ アや刑務所訪問などの社会奉仕活動、合気道や柔道といった武道とヨガやエクササイ ズなどの健康のための運動、および書道や日本語教室など日本文化センターとしての活動が挙げられる。 これに対しヨーロッパの寺院は社会参加仏教の要素は比較的少なく、活動は寺院内 のものや場所を移しての接心が中心的である。 人々の求めるものの変化 活動が変化しているということは、人々が仏教に対して求めているものが変化して いることを意味している。弟子丸は坐禅の健康改善効果を強調していたが、上記の米 国の禅センターにおける活動も、参加者の健康への関心がうかがえるものである。こ れに加えてルノワールは『フランスの仏教Le bouddhisme en France』において禅とチ ベット仏教の実践者に質問紙を送り、彼らが仏教に惹きつけられた理由を尋ねている。 彼は回答を分析して、「仏教が伝える生命の尊重、慈悲、寛容、責任、自由といった諸 価値」「言説やドグマの代わりに個人的体験を強調する合理的・実際的な性格」「さま ざまな利益をもたらす身体的・心理的技術によって人間的・精神的に進歩できるとい う可能性66」の3つを主な要因として挙げている。1つ目の要因は倫理・道徳的側面に ついてのもので、西洋においてもこうした教えは重視されていることがわかる。2つ 目の合理性・実際性はキリスト教と比較してのもので、人格神を立てないことや科学 的であることが含まれている。前述のように、仏教の科学性の主張は弟子丸に限らず 現代のいくつかの宗派に見られるが、その点が実践者の目に魅力的に映っていること が示されている。第3は実践面に関する要因であり、訓練によって心身の向上を図れ ることを意味している。さらに米国の仏教徒に対してはエマ・レイマンが仏教に関心 をもつ要因を考察しているが、上記に加え神秘的要素やエスタブリッシュメントへの 反発、より充実した人生への欲求なども挙げられている67。 「宗教」の枠の変化 「宗教」という概念が教義や組織、教典や儀礼を十全に備えたものを指すと仮定する ならば、西洋における仏教はそうした宗教の枠から何らかの意味で外れている点に共 通性がある。弟子丸にとっては禅は宗教だったが、三宝教団においてはそうではなく、 そのことがキリスト教との同時実践を可能とした。三宝教団は宗派の枠を超えて曹洞 と臨済の教えを複合したが、こうした姿勢はキリスト教禅のみならず、エイトケンの ダイヤモンド・サンガや前角博雄のホワイト・プラム・サンガに継承された。またマ インドフルネスも宗教性を廃し、心理療法となることによって多くの支持を得た一例 である。このように既存の宗教の枠に収まらない実践形態は現代のニューエイジやス ピリチュアルな人々の特徴としてもしばしば指摘されているが、西洋仏教の事例は脱 宗教化が進む以外にも、複数の宗教が組み合わさる点に特徴がある。ブラジルの禅を 研究したクリスティナ・ホシャはこうした状況を「クレオール化」と呼び、さまざま
な宗教を遍歴する人や、キリスト教徒でありながら同時に仏教徒にもなり、葬式もカ トリックと仏式の両方行う人の例を挙げている68。また、組織形態も完全に個人化する わけではなく、禅センターのような拠点を維持している点にも差異がある。 このような宗教の枠の変化は、組織、教義、活動、人々の関わりなどさまざまな側 面の変化を生み出しうるものであり、西洋仏教の流動性の根源と呼べるであろう。
8 おわりに
本論文では、西洋仏教研究の視点から、ヨーロッパにおける禅の事例を手がかりと して、西洋において仏教がいかに変化してきたのかを明らかにした。ヨーロッパにお いては弟子丸による布教とキリスト教徒の間での禅への関心が存在し、それらの活動 の結果、現在ではヨーロッパの至るところに大小さまざまなグループがひしめき、数 百もの場所で禅が実践されるという状況に繋がったのである。 前述のホシャは、グローバルな文化が流れ込み、さらに広がっていくものとして「禅 仏教は理想的な事例を提供した69」と述べているが、彼女の言う通り宗教のグローバル 化とそれに伴う変化を考える上で、禅は非常に豊かな示唆を与えてくれるものであろ う。宗教情報リサーチセンターの『日本における外来宗教の広がり』および『海外に おける日本宗教の展開』が幅広く示しているように、同様のグローバル化に伴う変化は 日本国内においても、国外においても宗教を問わず活発に起きている。そしてこの傾向 は今後ますます拡大していくことが見込まれる。そのような状況においては、これまで 以上に幅広い視点と方法を用いて宗教の現状を追っていく研究が必要となるだろう。 注 1 マインドフルネスの形成・普及過程については、藤井修平「マインドフルネスの 由来と展開―現代における仏教と心理学の結びつきの例として―」、『中央学術研究 所紀要』第46号、中央学術研究所、2017年、pp.61 81を参照。 2 公益財団法人国際宗教研究所宗教情報リサーチセンター「20周年記念誌(デジタ ル版)」(http://www.rirc.or.jp/20th/20th.html、2019年8月24日閲覧)3 Stephen Batchelor, The Awakening of the West: The Encounter of Buddhism and the West, Echo Point Books and Media, Williamsville 2011, pp.25 35.
4 フレデリック・ルノワール著、今枝由郎、富樫瓔子訳『仏教と西洋の出会い』、ト ランスビュー、2010年、p.11。
5 ルノワール同上、pp.137 144。
6 Charles S. Prebish, “Studying the Spread and Histories of Buddhism in the West: The Emergence of Western Buddhism as a New Subdiscipline within Buddhist Studies,” In
Charles S. Prebish and Martin Baumann eds. Westward Dharma: Buddhism beyond Asia, University of California Press, Berkeley and Los Angeles 2002, pp.66 81.
7 Charles S. Prebish, “The Academic Study of Buddhism in America: A Silent Sangha,” In Duncan Ryūken Williams and Christopher S. Queen eds. American Buddhism: Methods and
Findings in Recent Scholarship, Curzon Press, Richmond 1999, p.189.
8 藤井修平「西洋における禅の広がりの様相」、井上順孝責任編集、宗教情報リサー チセンター編『海外における日本宗教の展開―21世紀の状況を中心に―』、宗教情報 リサーチセンター、2019年、pp.59 60。
9 Jan Nattier, “Who Is a Buddhist? Charting the Landscape of Buddhist America,” In Charles S. Prebish and Kenneth K. Tanaka eds. The Faces of Buddhism in America, Univer-sity of California Press, Berkeley and Los Angeles 1998, p.189。
10 Thomas A. Tweed, “Night-Stand Buddhists and Other Creatures: Sympathizers, Adher-ents, and the Study of Religion,” In Duncan Ryūken Williams and Christopher S. Queen eds.
American Buddhism: Methods and Findings in Recent Scholarship, Curzon Press,
Rich-mond 1999, pp.71 90.
11 H. Wallnöfer, “The Dissemination of Zen in Europe in Connection with the accompanying Literature”, 『駒澤大学禅研究所年報』第11号、2000年、p.251。
12 ディディエ・ダヴァン「海を渡った禅:欧米『ZEN』の誕生」、『別冊サンガジャ パン』第5号、サンガ、2019年、p.128。
13 Martin Baumann, “Global Buddhism: Developmental periods, regional histories, and a new analytical perspective”, Journal of Global Buddhism, 2, 2001, pp21 22.
14 Martin Baumann, “Buddhism in Europe: Past, Present, Prospects,” In Charles S. Prebish and Martin Baumann eds. Westward Dharma: Buddhism beyond Asia, University of Califor-nia Press, Berkeley and Los Angeles 2002, p.94.
15 アンナ・ルッジェリ「日本宗教から世界へ―日本における禅仏教とヨーロッパで の展開」、芦名定道編著『比較宗教学への招待:東アジアの視点から』、晃洋書房、 2006年、p.129。 16 佐藤研「禅はヨーロッパでどう変わったか」、久保田浩編『文化接触の創造力』、 リトン、2013年、p.99。 17 弟子丸泰仙『無一物からの挑戦―パリ禅僧半生記(青春篇)』、文京書房、1973年、 p.220。 18 弟子丸泰仙『禅僧ひとりヨーロッパを行く』、春秋社、1971年、p.204。 19 同上、pp.65 77。 20 同上、p.202。 21 「欧州に禅ブーム起こした快僧弟子丸泰仙師死去」、『毎日新聞(夕刊)』、毎日新聞
社、1982年4月30日、p.9。
22 彼の文献表は Taisen Deshimaru, trans. by Vincent Bardet, La voix de la vallée:
L’ensei-gnement d’un maître Zen, Éditions du Rocher, Monaco 1984, pp.277 282に見られる。
23 『正法眼蔵』は1970年にフランス語に翻訳されたものに対し、弟子丸が序文と注釈 を提供している。
24 加藤博己「禅心理学の成立」、『駒澤大学心理学論集』第1号、1999年、pp.99 106。 25 Deshimaru Taisen, Vrai Zen : Source vive révolution intérieure, Le Courrier du Livre,
Deuxième édition, Paris, 1969, p.95.
26 同様の内容は、弟子丸泰仙『ヨーロッパ狂雲記』、読売新聞社、1973年、p.169に おいても見られるが、それによると弟子丸はヨーロッパ渡航の際に坐禅と脳波に関 する研究資料を持参していたという。弟子丸がこの研究をきわめて重要視していた ことがうかがえる。
27 Deshimaru Taisen, Vrai Zen : Source vive révolution intérieure, Le Courrier du Livre, Deuxième édition, Paris 1969, p.98.
28 Ibid., p.102.
29 池見酉次郎、弟子丸泰仙『セルフ・コントロールと禅』、日本放送出版協会、1981 年、p.69。
30 Deshimaru Taisen, Vrai Zen : Source vive révolution intérieure, Le Courrier du Livre, Deuxième édition, Paris 1969, p.120.
31 Ibid., p.124. 32 Ibid., p.133.
33 Joshua A. Irizarry, “Putting a Price on Zen: The Business of Redefining Religion for Glob-al Consumption,” JournGlob-al of GlobGlob-al Buddhism, vol. 16., 2015, p.57.
34 Taisen Deshimaru, Vrai Zen : Source vive révolution intérieure, Le Courrier du Livre, Deuxième édition, Paris 1969, p.145.
35 Ibid., p.135. 36 Ibid., p.146.
37 藤井修平「現代日本における仏教と科学の関わり―「科学と宗教」の観点から―」、 『中央学術研究所紀要』第45号、中央学術研究所、2016年、pp.118 133。
38 H. Wallnöfer, “The Dissemination of Zen in Europe in Connection with the accompanying Literature”, 『駒澤大学禅研究所年報』第11号、2000年、p.261。
39 エノミヤ・ラサール著、柴田健策訳『禅とキリスト教』、春秋社、1974、p.57。 40 同上、p.171。
41 Wallnöfer, op.cit., pp.259 258. Alione Koné, “Zen in Europe: A Survey of the Territory”,
42 峯岸正典「宗教間対話としての東西霊性交流」、『宗教研究』第81巻4号、日本宗 教学会、2008年、pp.175 176。 43 安好達憲「禅とカトリックに通じるもの」、『禅文化』第231号、禅文化研究所、 2014年、pp.16 22。 44 佐藤研『禅キリスト教の誕生』、岩波書店、2007年、pp.3 4。 45 同上、pp.7 16。 46 なお三宝教団は2018年より「三宝禅」に名称を変更している。 47 両施設については「海外禅仏教寺院リスト」を参照。 48 イレーヌ・マキネス著、堀澤祖門、石村巽、吉岡美佐緒、田中正夫訳『禅入門: カトリック修道女の歩んだ道』、岩波書店、2009年。
49 Frédéric Lenoir, Le bouddhisme en France, Fayard, Paris 1999, pp.329 330.
50 五十嵐卓三「キリスト教信仰圏と禅―ヨーロッパ伝道に思う―」、『SOTO 禅イン ターナショナル』第29号、SOTO 禅インターナショナル事務局、2005年、p.11。 51 加えて Kengan D. Robert も成田に嗣法を受け、国際禅協会から離れている。 52 別の後継者の Etienne Mokusho Zeisler は1990年に亡くなった。
53 五十嵐卓三『東と西の出会い:禅とキリスト教の不思議な軌跡』、さんまあ出版、 1995年、p.131。
54 同上、pp.131 132。 55 同上、pp.139 140。
56 Alione Koné, op. cit., pp. 148 150.
57 Taisen Deshimaru, Vrai Zen : Source vive révolution intérieure, Le Courrier du Livre, Deuxième édition, Paris 1969, p.139.
58 五十嵐前掲書、p.125。
59 フレデリック・ルノワール著、今枝由郎、富樫瓔子訳『仏教と西洋の出会い』、ト ランスビュー、2010年、p.257。
60 Frédéric Lenoir, Le bouddhisme en France, Fayard, Paris 1999, p.285.
61 「曹洞宗欧州総監部再出発」、『週刊仏教タイムス』、仏教タイムス社、2002年7月 11日、p.1。
62 曹洞宗「曹洞禅ナビ―寺院検索―」(http://sotozen-navi.com/、2019年8月24日閲覧) 63 Éric Rommeluère, Guide du zen, Librairie Générale de France, Paris 1997, pp.303 313. 64 ただしサンドウ・カイセンは東京の泉岳寺や九州を訪れており、日本の曹洞宗と
まったく関係がないわけではない。
65 藤井修平「西洋における禅の広がりの様相」、井上順孝責任編集、宗教情報リサー チセンター編『海外における日本宗教の展開―21世紀の状況を中心に―』、宗教情報 リサーチセンター、2019年、pp.59 61参照。
66 Frédéric Lenoir, Le bouddhisme en France, Fayard, Paris 1999, pp.256 257.
67 Emma McCloy Layman, Buddhism in America, Nelson-Hall, Chicago 1976, pp.264 270. 68 Cristina Rocha, Zen in Brazil, University of Hawai i Press, Honolulu 2006.