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中央学術研究所紀要 第43号 002森岡清美「立正佼成会「会員綱領」の一考察 ―とくに人格完成について―」

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Academic year: 2021

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Ⅰ 「会員綱領」への関心

 「会員綱領」は現行の『経典』(2001年初版)の巻頭に掲げられており、また、新し い会員のための『信仰生活入門−佼成会員の基本信行−』(1983年初版)の第一章が 「会員綱領」の解説に充てられている。それに照応するように、佼成会の大きな集団活 動では始めと終わりに必ず参加者全員によって「会員綱領」が唱和されることや、近 年教務部が編集した教会役員教育のための教材には、「会員綱領」は本会の組織理念を 示すもので、すべての計画の最上位に位置する旨解説されていることをみれば、立正 佼成会では会員に対する指導や会員の活動のみならず、教団計画の策定においても、 「会員綱領」をきわめて重要視していることが明らかである。私が「会員綱領」に関心 をもったのは、佼成会におけるその重要性のゆえであるが、実はそれにも増して、「綱 領」中の「人格完成」の文言が気になったからである。  人格は、非常な努力を積めば完成されうるものだろうか。これが私の問いであった。 私は自問し、人格完成は不可能なりと自答して、それが有限相対の人間の宿命である と観念するほかなかった。そこで、佼成会の幹部の方々に、「あなたがたは人格完成が

立正佼成会「会員綱領」の一考察

―とくに人格完成について―

森 岡 清 美

Ⅰ 「会員綱領」への関心 Ⅱ 「会員綱領」の重要性 Ⅲ 「会員綱領」以前の綱領 Ⅳ 先行規範と「会員綱領」との相違 Ⅴ 「人格完成」の登場 Ⅵ 「人格」、そして「完成」の意味 Ⅶ 「完成」の判断基準、絶対的と相対的 Ⅷ 立正佼成会の場合 Ⅸ 「人格完成」への取組み Ⅹ 「会員綱領」唱和のマンネリ化

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できるとお考えなのですか」という、まことに不躾な質問を繰り返したものである。 どなたも忍耐強く私の無礼な質問に応答してくださった。「可能です」と朗らかに答え る方は一人もなく、どなたも「できないと思います」と答えた上で、一呼吸置いて、 「完成を目指して修行するのです、そうした修行に意味がある」と補足される。私はこ の謙虚な回答に満足して引き下がったが、疑問は氷解したわけでなかった。  有力なオリンピック選手は、金メダルを取ってくる、と公言する。金メダル獲得は 彼らの目的である。多くは取れないで帰国するが、何人かは実際に取って凱旋する。 きわめて達成困難な目的であるが、実際にこの目的を達成する選手が少数ながらいる からこそ、目的として意味をもつ。誰も達成できないような目的は、およそ目的とす るに値しないのではないか。人格完成なぞ、その好例であろう。これが私の苦く噛み しめた疑問であった。  最近、幕末に生まれて明治中期に活躍した井上豊忠(1863∼1923)という真宗僧侶 の日記を読んでいたところ、「教育の目的は真善美を具えた完全な人を育成することに ある」という意味のことを、大谷派の大学寮で彼の同僚が講話の中で述べた、という 記事に遭遇した。「完全な人」とは「完全な人格」というに等しい。120年も前に人格 完成という概念がすでに登場していることに驚いた。  では、現代の教育ではどうかと考えて、敗戦直後の1947年3月施行の旧『教育基本 法』を繙いてみると、第一条(教育の目的)に、「教育は人格の完成をめざし」とあ る。「人格完成」は教育の目的として提唱されているのである。「人格完成」など居場 所すらない今日の教育の実情を顧みれば、人格完成をそう面倒臭く考える必要はない のかもしれぬ。しかし、そういって拘りを拭い去ることのできない私は、佼成会の「会 員綱領」に立ち返って、その制定と展開の過程に解の手がかりを探ることにした。

Ⅱ 「会員綱領」の重要性

 「会員綱領」の原型は、周知のとおり「青年部綱領」である。これは、1958年3月28 日に作成され、同年6月15日の第一回全国青年部責任者会議で鴨宮成介教学研究室長 から発表されて承認され、従来の「青年部の誓い二十訓」に代わった(『立正佼成会 史』第1巻、佼成出版社、1983年、p.635)。4年後の1962年6月1日、綱領冒頭の「立 正交成会青年部員」だけ「立正交成会会員」と改め、本文はそのままで会員一般に適 用を拡げて「会員綱領」と改称された。雑誌『交成』の会報欄は、前月に起きた教団 の重要な出来事を列挙して紹介するページであるから、翌7月号の会報欄には会員綱 領について何らかの報告あるべしと期待されるが、一言の言及もないのは今日からみ れば意外の感を免れない。それでも、6月5日付の『佼成新聞』は早くも「会員綱領」 を唱和しようと題する社説を掲げ、「会員綱領」が定まったと報じると共に、全会員の

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唱和を強調している。翌1963年版の『交成年鑑』掲載の62年度年誌には、教務6月1 日の欄に「会員綱領の唱和実施」と記されている。7年後の1970年版『立正佼成会30 年の歩み』(佼成出版社)年表にも、この日「会員綱領の唱和実施」と同じスタイルの 記述がなされているが、1975年初版の庭野日敬著『初心一生』(佼成出版社)の年譜欄 には「会員綱領制定」とあり、1985年初版の『立正佼成会史』年表・索引(佼成出版 社、p.109)はこの記述を踏襲している。  飛び石伝いにこのような過程を辿ると、当初は、青年部綱領改訂版の「会員綱領」 を全体で唱和し始めたぐらいの比較的軽い扱いであったのが、重みを増して1975年頃 から「綱領制定」として記憶されるようになり、今日のような重要性が認められるに 至ったと推測される。『立正佼成会史』は第1巻で青年部の活動に関連して「会員綱 領」にふれているが、「会員綱領制定」といった小さい見出しすら立てぬ軽い扱いに止 めているのは、重要視しなかった時代を反映するものといえよう。  「会員綱領」は、集団的な唱和のなかで、会員に信仰と修行の根本を確認させるも の、あるいは会員がそれぞれにこれを確認するものであるから、会員教育と会の活性 化のためにきわめて重要な意味をもっている。宗教団体で会員綱領的なものをもつ例 は管見に入ったものでも何例かあるから、よく調査すれば、会員綱領あるいはそれに 準ずる宣言のない宗教団体のほうが例外かもしれない。会社に社是があり、私立学校 に校訓があり、家に家訓があり、一国にも国是というべきものがある。1882年の「陸 海軍軍人に下し賜はりたる勅語」いわゆる「軍人勅諭」は軍人の綱領、1890年の「教 育に関する勅語」いわゆる「教育勅語」は教育に関する綱領であり、1908年の「戊申 詔書」は国民生活の綱領である。近代日本の国是が勅諭・勅語・詔書の形で天皇の名 で開示されたところに特色があった。団体はその大小にかかわらず成員に意思統一を 求め行為規律を示す必要を認識したとき、綱領の制定に至ると考えてよいだろう。1962 年制定の立正佼成会「会員綱領」はその適例である。そうすると、佼成会はこれ以前 にも綱領的なものをもっていたかどうか、もっていたのならどんな綱領だったのかが、 問われなければならない。

Ⅲ 「会員綱領」以前の綱領

 会員綱領的な成文規範は、伝統的な既成宗教よりも新宗教、とりわけ急成長中の新 宗教のほうが、自らの統一性を内外、とくに内部の信者に示すために制定する傾向が あると想定されよう。霊友会の「正行」はその好例であって、『霊友会史年表』Ⅰ(霊 友会、2006年)によれば、1934年12月21日「会員間の行法持戒の範を示す」ための会 員規範として「正行」を制定したという(初掲は『大日本霊友界報』1936年11月28日 付第57号)。霊友会では、ほぼ同時期に発表された「粛示」(1936年12月12日付『大日

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本霊友界報』第58号)のなかの会員規範にふさわしい文言を吸収して内容を整えると ともに、戦後の変動を経るなかで文章を簡略化・平易化して改訂を重ねた「正行」を、 会員心得として保持してきた。海外布教では「正行」を現地公用語に翻訳して用いて いる。先年霊友会から分かれた久保継成の「在家仏教こころの会」も母教団に範を取 ったに相違ないと思われる「正行(会員のこころえ)」をもっている。1950年に恩師久 保角太郎の志をつぐとの大義名分のもとに霊友会から分派した妙智會も、発足以来母 教団の戦後改訂版を手本とした「正行」(『妙智』第3号、1951.1.8)を堅持して、「妙 智會員は、いかなる理由があっても正行をやぶってはなりません。正行は、教えに基 づいた『妙智憲法』です。」とさえ言い(MYOCHI 172号、2008春)、機関誌紙に掲載 するほか会員必携というべき『教えの手帳』(1968年初版)巻頭にこれを掲げ、「各法 座日などには、「正行」を朗読して反省することも本部の教えを守り、人格完成をはか るうえに有意義です」と解説している(『妙智會』第689号、2008.7.1)。霊友会系諸 教団は「正行」をまるで GNA のように保持しているのである。ただ最近の動きとし て看過できないのは、久保角太郎宝塔建立五十周年に当たる2008年1月11日を期して、 霊友会は「正行」に大改訂を加えて現代化し、名称も「行動宣言」と改称したことで ある。  1938年に霊友会から分派した立正佼成会も、霊友会の「正行」を範とする会員規範 をもっていたのであろうか。30年ほど前の立正佼成会史編纂事業のさい、疑問が溜ま ると何人かで開祖に質問させていただけたので、もしその時「会員綱領」の沿革につ いて質問しておれば、今日改まって調査する必要がなかったのであるが、当時はまだ 「会員綱領」の重要性を認識していなかったため、話題にできなかったことを悔いる思 いである。今となっては残された文献資料によって、霊友会の「正行」にならった会 員規範をもっていたかどうかを探るほかない。  この作業のための昭和10年代の文献資料としては、1940年4月5日付東京府知事あ て宗教結社届のさい添付された「宗教結社大日本立正交成会規則」、1942年1月1日施 行の「大日本立正交成会会則」、これと同一紙面で発表された「趣意書」と「綱領」、 および日付を欠く「大日本立正交成会々則」があるが、会員の信仰および行為規範と しての綱領はこれらに全く見出されず、1942年と推定される「大日本立正交成会綱領」 にしても本会の目的三カ条を掲げたものでしかない。  昭和20年代から30年代にかけての文献資料としては、1948年8月1日付宗教法人届 出のさい添付された「宗教法人立正交成会定款」(とくに冒頭の綱領と第一条目的)、 1950年10月1日施行の「立正交成会規則」(とくに第三条目的)、1952年1月28日制定 の「立正交成会教規」(とくに第一条伝統、第二条教義、第三条本願)、同年6月14日 認証の宗教法人「立正交成会」規則(とくに第三条目的)といった法人規則および教 規があり、雑誌『交成』掲載の「入会の手引」(掲載は1952年8月号が最初)、1956年

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版『交成年鑑』の⑴総観 4目的、57年版・58年版・59年版『交成年鑑』総観 5目 的、1960年版『交成年鑑』概観 5目的、8教旨(行法)、61年版『交成年鑑』概観 6 目的、8教旨(行法)といった年鑑記録がある。しかし、これらのどこにも今日の「会 員綱領」の前身と推定できる文章は見当たらない。1948年の定款冒頭の綱領にしても、 会の綱領であって会員綱領ではない。  要するに、佼成会には「会員綱領」の前身として「青年部綱領」があるほかは、初 期形態とでもいうべきものが見当たない。したがって、霊友会の「正行」の影響を全 く受けなかったとの想定に導かれるのである。しかし、1938年3月の佼成会創立と宗 教団体法施行に伴って制定された最初の規則との間に2年ほどの資料空白時代が横た わっているので、この草創期における霊友会との関係を検討しないと、上の想定が正 しいかどうかが分からない。その正否判定のために、開祖自伝3点、『交成』(1950年 8月創刊)バックナンバー中の開祖法話のなかから状況証拠となるような草創期情報 を探ってみよう。  開祖が霊友会を退会して立正交成会を創立することを決意した直接のきっかけは、 周知のように、1938年1月7日の全国支部長会議で司会のリードのもと質問や意見を 述べる支部長たちに、会長の小谷喜美が「きさまら、どいつもこいつも、信者のくせ に能書きをならべるとは何事だ。文句があるなら、ここへ出てこい」とどなりつけ、 あげくのはてに「《法華経》の講義なんか時代おくれだ。そんなことをするのは悪魔 だ」と新井助信支部長の法華経講義を公然と非難したことであった(『庭野日敬自伝』 佼成出版社、1976年、pp.161 164)。  ここに表出されているのは、幹部・信者に対する小谷会長の高圧的な態度と法華経 軽視の姿勢である。開祖と行動を共にした会員も、多くは小谷喜美の態度や姿勢に反 撥して霊友会を脱会したのであろうから、交成会の創立にさいして霊友会と異なる教 説を立て新たな儀礼を設けることは必須の要件とはならず、したがって「正行」も伝 持する可能性はあったはずである。しかし、霊友会最初の「正行」こそ、有力支部長 の分離独立に苛立った会長が、分裂を抑え結束を固めるために制定したと推定される もので、内容は恩師会長の行ずる行為に随順することを命じる高圧的なものであった。 他方、佼成会開祖の信者に対する姿勢はこれとは全く異なっていた。1954年3月創立 十七周年記念日の法話のなかで、開祖は創立当時のことを回想して、    ……初めに会長、副会長が中心となって三、四十人の人々が集り、この有難い御 法を是非共たてゝ貰いたいという要望に応えて、それでは皆さんと共にやらせて頂 きましょうという気持で、御法に精進させて頂いたのであります。このことは今日 と雖も一貫して変らないのであります。    私は「先生」といわれておりますけれども、まだまだ煩悩が多いのであります。 ……ただ仏様の御弟子として菩薩行をさせて頂いているのに過ぎないのでありまし

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て、いわば交成会八十万人会員の先達として妙佼先生と共に、今日皆様より先生と 言われているだけなのであります。 と言い(『交成』1954年3月号、pp.9 10、13)、3年後の創立二十周年記念式典訓話 では、    会の創立当時は私は何も分らず、たゞ法華経は有難い、日蓮上人の御教が大変有 難いという気持で妙佼先生と相携えて人々をお導きいたしましたので、その当時人 から“先生”などと呼ばれると、何か私共の後の方に別に先生といわれる人がいる のかしらと思った位で、実際に先生と言われてもピンと来なかった、ところが今で は先生と呼ばれないと何だかおかしな気持になるというような誠に増上慢な気持に なっていることを自ら反省いたしておる次第であります。 と会員の前で述べている(『交成』1957年4月号、p.11)。信者に高圧的な態度をとる 霊友会会長とは天地の逕庭のある謙虚な開祖にとって、威圧的な文言の「正行」を新 しく創設した会の会員規範とすることなど、考えられなかったのではないだろうか。 しかも、法華経を所依の経典とする霊友会の会長が法華経の講義を時代おくれと自ら 非難するような教団から脱会する決意をした開祖、15年の遍歴の末一切をなげうって 法華経に帰依し、ひたすら法華経に随順してきた開祖にとってみれば、「後の末法昭和 に妙法華経を演べ分別する空の義を説きたまふ」ものと解説される「正行」は、敬遠 のほかなかったのではあるまいか。有力数字支部の幹部を率いて独立した妙智會では、 霊友会の「正行」が集団活動の慣行として身についていたから、恩師久保角太郎の志 をつぐという大義名分によってこれを踏襲したのと、対照的であった。  以上の状況証拠から、立正佼成会は創立に当たり霊友会の「正行」に準じた会員綱 領を制定しなかったと判定するものである。のみならず、およそ会員綱領と目される ような文章を作成しなかったと推定される。一つには成文化に耐えるまでに会独自の 教えが熟成していなかったからであろうが、また、そのようなことをするまでもなく 悩む人々を苦悩から救うことができ、集会にはお題目唱和で足りたからではないだろ うか。所管庁へ提出するための規則や定款には、難解な用語を駆使して綱領・目的な どが書きあげられたが、これらは専ら所轄官庁向きの会自体の綱領や目的の言明であ って、信者個々に服膺実践を求める内向きの会員綱領ではなかった。  しかし、会の発展のなかで会員綱領的なものが作成されていった可能性は否定でき ない。そこで、『交成』のバックナンバーを辿ってゆくと、「青年部綱領」が責任者会 議で承認された翌年、1959年3月号に掲載された「創立二十二周年を迎えて」と題す る会長法話のなかで、    また交成会に入会した方は“戒律”と申すほどではないにしても、おのずから交 成会としての定めた規範に従い、行学二道の実践行に努めていただきたいのであり ます。

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との説明に遭遇することができた。では、「交成会としての定めた規範」とは何を指す のだろうか。『交成』バックナンバーで捜索できた規範の初出は、1954年1月号掲載の 「入会の手引」のなかの「本会の規範と目的」である。いわく、    「異体同心」は創立以来の規範の一つであります。また日蓮大聖人が図顕された大 曼陀羅御本尊を奉祀し併せて各家の祖霊および有縁無縁の萬霊の供養と離苦得楽を 祈念するため法華経を読誦し奉るのも、これは、ひいては自己反省を基とし、祖先 に対する孝養と、社会への報恩となって発展すべきものであります。単に供養礼拝 の形式にとゞまってはならず、お経文の空読みであってもならず、〃身、口、意、 三業に受持する〃とあるごとく、御経を口で読んだなら身で実行して味うこと、そ して心で悟るというどこまでも実行実践によって自行化他の実をあげるのが本会の 大切な規範であります。 とあって、行学二道の実践行が具体的に示されているから、会長法話でいう「交成会 としての定めた規範」とはこれあたりを指すと推測される(ただし年表には「規範制 定」の記事なし)。しかし、その文章は多分に散文的であって、後の会員綱領のように 引きしまった抜き差しならぬ文章でないから、枝葉のところでは時と場合によって多 少の言い換えあるいは取捨が起きたことであろう。いずれにせよ、1954年頃から61年 頃までの佼成教団最大の動揺期、「会員綱領」直前の激変期には、上記のような規範が 説かれていたと推定されるのである。この時代のことならまだ最高齢層の会員に証言 を求めることができるかもしれない。確認のための仮説として私の推定を利用してい ただければ幸いである。

Ⅳ 先行規範と「会員綱領」との相違

 では、先行規範と「会員綱領」との相違はどこにあるのだろうか。まず、「本会の規 範」は「入会の手引」に含めて公表されたので、佼成会として信者に示すというスタ ンスとなり、他方「会員綱領」のほうは、前身の青年部綱領が「真実顕現」の宣言に 呼応して活溌な学習活動を開始した青年部のために制定されたものであったことか ら、開祖の指導を受けての信者側の決意表明というスタンスになっている。「会員綱 領」の訳語通り“member s vow”であることである。  つぎに、大曼陀羅、日蓮聖人、異体同心、先祖といった「本会の規範」に鏤められ た用語は、「本会の規範」初出までの時代に多用され、以後使用頻度が格段に落ちた教 団用語であるのに対して、「会員綱領」を彩る仏教の本質的な救われ方、在家仏教、人 格完成、行学二道、平和境などの用語は、脇祖妙佼遷化の1957年以降使用頻度が目立 って高まるという対比が認められる。もっとも菩薩行、反省懺悔などのように、この 二つの時代を貫いて用いられる語句もあるが、見逃すことのできぬのは上記のような

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両者の主要用語の変化であって、1958年の真実顕現の宣言、性別・世代別・役割別・ 地区別教学研修会のきわめて頻繁な開催以前と以後とで、教団の代表的キー・ワード、 とくに公用文献での先祖供養の使用頻度に、地滑り的な変化が起きたことと照応する ものといえよう。  第三の相違は、先行規範が活字で示されただけで、唱和されるものでなかったが、 会員綱領は唱和される点である。母型の青年部綱領は唱和されるものであったから、 新綱領の制定は即唱和につながったと推定される。「会員綱領」の誕生が、当初「制 定」でなく「唱和実施」と記録されたことは、その当時「唱和」に置かれた意義づけ の重さを窺わせる。綱領の唱和によって最寄りで集まった支部系統の異なる青年たち の心が結ばれ、さらにオヤコ関係を寸断する信者一般の地区ブロック制のヨコの結集 を、綱領唱和が情動の面から支えた。こうした唱和のために、引きしまった硬質の文 言となり、任意の加除を許さないものとなったのである。

Ⅴ 「人格完成」の登場

 「会員綱領」のなかの人格完成の語句は元来の佼成会用語ではない。では、どのあた りから出現したのだろうか。管見のかぎりでは、1954年の「入会の手引」が初出らし い。ついで1956年版以降の年鑑では、平和社会の語句が現れる。そして1958年6月の 「青年部綱領」において、つぎのように宣言された(『立正佼成会史』第1巻、p.635)。    立正佼成会青年部員は、恩師両先生の御指導に基き、仏教の本質的な救われ方を 認識し、在家仏教の精神に立脚して、人格完成の目的を達成するため、信仰を基盤 とした行学二道の研修に励み、多くの人々を導きつつ自己の錬成に努め、家庭・社 会・国家・世界の平和境(常寂光土)建設のため、菩薩行に挺身することを期す。  初めのうちは別々に登場した「人格完成」と、家庭・社会・国家・世界の「平和境 (常寂光土)の建設」との二つが、目的として初めて併掲されたことに注目したい。冒 頭の主語が「立正佼成会会員」と改められただけで、全文が「会員綱領」に引き継が れ、ついで「恩師両先生の御指導」が「恩師会長先生のご指導」に、さらに「開祖さ まのみ教え」と改まった外は、そのまま護持されて現在に至っている。  関連して、さきに言及した旧「教育基本法」第一条(教育の目的)の条文をみてみ よう。    教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正 義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身 ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。  ここでも「人格の完成」と「平和的な国家及び社会の形成」が謳われている。この 両者がともに目的として掲げられているのではないが、佼成会の「会員綱領」との類

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似は明瞭である。この類似の由来を私はつぎのように推測する。  1951年4月、敗戦直後公布の「宗教法人令」に替わる「宗教法人法」が公布された ため、これに対応して教団の根本法規の改定が必要となり、佼成会でもこのさい「立 正交成会教規」と宗教法人「立正交成会」規則を制定した。(これ以下の既述は私の推 測である。)制定に当たって、例のごとく非公式に所轄庁の文部省調査局宗務課の指導 を求めた。そのなかで文部省側から「教育基本法」の話が出て、「人格完成」や「平和 境の建設」の語句が紹介される。「人格完成」は「成仏」の概念と類似しており、「平 和境」は「常寂光土」そのものである。これらこそ、教育にまして宗教の目的ではな いか。使い古した従来の用語にはないフレッシュな語感が歓迎されてまず「入会の手 引」や年鑑に鏤められ、青年部指導者のなかに教団法規の案文作成者がおれば、さら にこれらの語句が「青年部綱領」策定のさいに導入されることは、十分ありうること ではないだろうか。今後の考察の一つの仮説として、参考にしていただければ幸であ る。

Ⅵ 「人格」、そして「完成」の意味

 では、「人格」の語意はどのように捉えられたのであろうか。常識的には、『広辞苑』 が説くように人柄、道徳的行為の主体、といったところであろう。このように、「人 格」には価値判断的色彩が強いので、心理学や社会学ではこの語を用いず、代わりに personalityの語を用い、「人の行動に時間的一貫性を与えるもの」といった意味を与え ている。「教育基本法」の公的英訳ではpersonalityとなっているが、心理学などでのよ うに、時間的一貫性を強調すれば、被教育者の側の可塑性が無視され、およそ「完成」 など問題にならない。そこで、道徳性を核とした人間諸能力の総体、というほどの意 味で「人格」を理解し、この語義が文部省係官と佼成会法規案文起草者とで共有され たと考えておこう。佼成会の「人格」の公的訳語がpersonalityでなく、ourselvesという 曖昧な語になっているところに、「諸能力の総体」を映し出そうと試みた痕が窺われる。  つぎに「完成」とはどういうことか。佼成会では、「「仏」とは正しい考えや行いに 徹しきった完全無欠の人格」という(1955年『交成』入会の手引)。この解説から推測 すれば、「人格完成」とは「成仏」、つまり完全無欠の人格になる、ということである。 その公的英訳がto perfect ourselvesであることも、この推測を支持してくれる。そこで 私などは、そんなことが本当にできるのか、と反問したくなったのである。

 では、「教育基本法」ではどうかというと、the full development of personality が「人 格の完成」の公的訳語である(堀尾輝久『教育基本法はどこへ』有斐閣、1986年、 p.120)。教育基本法制定の1年後に国連が出した「世界人権宣言」の第26条にあるthe full development of the human personalityが、「人格の完全な発展」と訳されているから、

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公的には、完全=full、人格=personality、と解してよいことになる。「完成」の語義を 佼成会の「会員綱領」(to perfect)と「教育基本法」(the full development)がほぼ共有 していることとなる。

Ⅶ 「完成」の判断基準、絶対的と相対的

 「人格完成」が成り立っているかどうかは、何らかの基準に照らして判断される。判 断基準に、どこにでも通じる(べき)一つの絶対的基準と、それぞれの特定の事例に 適用される個々別々の相対的基準がある。完成の絶対的基準を適用すれば、完成と判 断されうる人は稀有であろう。一般の人々は皆落第であり、人間とは人格完成の絶対 的基準に合格できない存在という、人間観が成立する。これは悲観的人間観というよ り、現実的客観的人間観というべきものであろう。絶対の壁に向かってなお挑戦する 修行者もいるが、その多くは敗退し、敗退を承認できない場合しばしば欺瞞に陥る。 そこには救いがない。  総体的な人格完成でなく、人格の一部、例えば技能の完成なら、大いにありうるこ とである。ノーベル賞や文化勲章受章者はもちろん、人間国宝に指定された人、オリ ンピックやパラリンピックのメダリスト、受賞はせずともそれと同等以上の実力をも つ人、これらの人びとは完成の域に達したと、その活動分野の絶対的基準でも判定さ れよう。しかし、総体的な人格完成はめったにないのではないか。  他方、人格完成の相対的基準は、適用される人の外部にあるのではなく、その人の 内部にある。その人の素質的能力や生育環境に基づいた基準であるから、真摯な努力 を積むことによって完成に近づき、完成といえることもあろう。絶対的基準からいえ ば落第であるが、その人の事情や以前のレベルを考慮すれば、発達 development とい えることはいくらもある。fullには「完全」という意味の外に、「十分な」「最大限の」 という意味があり、「完全」でなくとも「十分」「最大限」ということはいくらもあり うる。この場合は完成の相対的基準を適用しているのである。そこに救いがある。教 師の生徒指導において、絶対的基準が強いと厳しくなりすぎ、他方、相対的基準が勝 つと甘すぎの誹りを受けよう。  旧「教育基本法」の「人格完成」は総体的な絶対的基準を前提するとみたが、相対 的基準、あるいは部分的な絶対的基準を排除しない、ともとれる。そうでなければ教 育の目的となしがたいのではないか。「教育基本法」を審議した教育刷新委員会(安倍 能成委員長)の建議では、教育の目的は「人間性の開発をめざす」ことであった(中 島太郎『戦後日本教育制度成立史』岩崎学術出版、1970年、p.135)教育の目的を人格 の完成をめざすものとするのなら、相対的基準ないし部分的な絶対的基準によって「人 格完成」をとらえるのが、委員たちの共通理解であったことを暗示している。

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Ⅷ 立正佼成会の場合

 では、佼成会の「人格完成」が前提する基準は、絶対的か相対的かと改めて問うな ら、さきに示唆したように絶対的と答えねばならない。すでに1954∼5年『交成』所 載の「入会の手引」で、「完全無欠な人格」すなわち「仏になるための修行を続けて今 一歩で成仏できるという段階が菩薩です。この菩薩が仏になるための行いを菩薩行あ るいは菩薩道といいます」と説き、菩薩道の実践、人格完成への精進を求めている。 絶対的基準を立てていることは疑う余地がない。  ところがその後、相対的基準が出現している。『躍進』1984年7月号(pp.56 57)に 掲載された教務部教育課編集の「会員綱領」の解説にかかわる文章がその一つの証拠 であって、絶対的基準による人格完成は不可能ではないかという問いの拡がりを反映 するものであろう。    「人格完成」――すなわち「成仏」です。……この「成仏」という言葉を聞くと、 あるいは皆さんの中に、(わたしがどんなに修行しても、すべての執われから解き放 たれて、心は真理で充満し、真理そのものと合致してしまわれたお釈迦さまのよう なお心にはとてもなれない)と思われる方もたくさんいるのではないでしょうか。    確かに、お釈迦さまのような人格になることは、仏教徒の理想であり、大いなる 目標であるわけですが、ここでいう「成仏」とは、お釈迦さまのような完全無欠の 人間になることではありません。    人間、十人いれば、十人の人がそれぞれの特性をもっています。頭脳にすぐれた 人がいれば、だれとも親しく交われる心のやわらかな人もいます。もの事をすばや く実行して短期間に完成させる人もいれば、一つのもの事に腰をすえて取り組む人 もいます。そのように現実の人間として現れる姿や特性は千差万別ですが、どの人 の特性も、他の人とは違ったかけがえのない豊かなものが秘められているのです。 その特性を発見し、すくすくと伸ばし、完成させていく−それが成仏なのです。    だれもがもっている心の宝物を発見し、それに磨きをかけて修行するところに成 仏への道があり、その道をたゆみなく歩んでいくところに、眞の救われを求める菩 薩の「上求菩提」の心があるのではないでしょうか。  絶対的基準による人格完成を全否定しているかにみえるところは、同意を控えたい。 また、具体例として挙げられた、頭脳に優れていること、もの事をすばやく実行でき ること、もの事に腰をすえて取り組むこと、といった特性は能力の内容を構成するも のである。したがって、これらの具体例は人格のうち能力開発に重点を置いたものと 評しえよう。しかし、人格完成の絶対的基準のほかに相対的基準がありうることを言 明した点は注目に値する。おそらく人格完成は絶対的基準と相対的基準という二つの 中心をもつ楕円で表しうるのだろう。ただし、この楕円は絶対的基準が強力な地場を

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もち、相対的基準の地場を支配するとともにこれを支える構造をなす、といわなけれ ばならない。

Ⅸ 「人格完成」への取組み

 絶対的基準をクリアできる人はまずいないという現実に、どう対応するか。第一は 完成をめざしての精進こそが尊いとして、クリアできるかどうかをしつこく問わない ことである。集合運動の活力を鼓舞するには、実際に達成可能なそこそこの目標より も、達成できないような高い目標を設定するほうが、効果的である。「真実顕現」当時 の佼成会がとった方策である。  第二は、前項でふれた相対的基準の重要性に着目することである。激動の草創期が 過ぎて安定した守成の時代になると、相対的基準をうちだして個別に動機づけるので なければ、多くの会員を鼓舞しつづけることができないのではないだろうか。  第三は、相対的基準で手軽に納得することを拒み、あくまでも絶対的基準をクリア しようとして、挫折を重ねた末、クリアできていないままで許されている、という絶 対矛盾の現実を発見することである。人は許されて生きている、という実存の発見で ある。有限相対の存在を赦しうるものは、無限絶対の真実でなければならぬ。「赦し」 の気づきから、他力信仰への道が開ける。いわゆる「自力」から「他力」への参入で ある。そこに新しい宗教世界が開けてゆくのか、はたまた他力易行門に流されてゆく のか。

Ⅹ 「会員綱領」唱和のマンネリ化

 以上は「人格完成」への、またそれを含めて「会員綱領」への、真剣な対応の選択 肢である。それらがある種の展開であるのにたいして、問題なのは、「会員綱領」唱和 のマンネリ化である。唱和が定例化すれば、回をへるにしたがい、特別の感動を伴う ことなく儀式行事の一齣としてこなされる、つまりマンネリ化することは避けられな い。それはそれで集団意思の統率統制効果はあるにしても、慣行的に漫然と唱えてい るだけで、「会員綱領」が求めている実践には繋がりにくい。  そこで、何らかの手だてを講じて「会員綱領」を初期化する必要が生じる。例えば、 会衆を左右二組に分けて、「会員綱領」の最初の3行は全体で、つぎの2行は右組、つ ぎの2行は左組、最後の3行は全体で、つまりかけあいの唱和を試みるのも、マンネ リ化を防ぐ効果があるかもしれない。より本格的には、開祖記念日などに「会員綱領」 に関する講話や実践談・経験談をするとか、実践項目を取り出し、それに照らして、 グループであるいは個人々々で、日々実践を点検することなども提案されよう。

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 かつて、海軍兵学校に「五省」と呼ばれる修養信条があった。至誠に悖るなかりし か、言行に恥づるなかりしか、気力に欠くるなかりしか、努力に憾みなかりしか、無 精に亘るなかりしか、の5項目である。兵学校は海軍士官に必須の行為規範を五つに まとめ、1932年生徒修養の手引きとしてこれを制定した。生徒は就寝前にその日の自 己の行動をこの1項目ごとに点検して、翌日を戒めたのである。  記念日の講話会などは一部の教区から試み、「五省」類似のことはまず青年部で試み るのがよいかもしれない。兵学校では制定以来更改せず、一つの伝統となったが、項 目の数を少なくして、月ごとにあるいは日ごとに換えることも、そして選択を実行グ ループに任せることも、活性化を促す一つの手法であろう。何とかして「会員綱領」 活性化に努めて、日々の実践の手引きとすることが要請され、また教団外からも期待 されよう。  「教育基本法」が「人格の完成をめざす」ことを教育の目的に掲げていることすら知 らない人が圧倒的に多く、教育の現場は上級学校受験で染め上げられ、「人格の完成を めざす」など、一部の良心的な教師でさえ、事務負担がふえた現状では対応しきれな い。「人間性の開発」はまだしも、「人格の完成」など現代の教育には荷が重すぎるの かもしれない。それはむしろ宗教本来の役割ではないだろうか。立正佼成会の「会員 綱領」がこの姿勢を疑いない形で打ち出したことは、高く評価されなければならない。 それだけに、立正佼成会にたいする期待は大きい。唱和を繰り返すなかで必然的に生 じるマンネリ化をどう克服するか、佼成会が担う課題の一つであることを強調してや まぬものである。 [付記] 本稿の原型は、2008年7月23日、立正佼成会教学委員会のために行った「立 正佼成会〈会員綱領〉の誕生」と題する講話である。そのさい根津益朗氏からは貴 重なご意見をいただき、また資料収集のため、渡辺雅子氏、山本佳央氏、および佼 成図書文書館のご協力を賜った。ここに録して深謝の意を表したい。 (2014.3.8)

参照

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