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中央学術研究所紀要 第7号 091北原秀樹「インドにおける仏教復興運動」

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インドを発生地とし、今や世界的宗教として確固たる地位を保っている仏教が、その母なるインドの大地におい て、現在どのような立場をとり、どのような状態で存続しているかという考察は、我々仏教を学ぶ者にとって、重要 な意義があると思われる。仏教の歴史的経過において絶無に等しかった仏教が、インド独立後、急激にその信者数が 増大している事実は、ひとえにアンベドカル博士の仏教復興運動によるものである。 本論文は、アンベドカル博士がヒンドゥ教社会体制に対して、その構造的矛盾に立ち上がった結果として仏教に 一はじめに

インドにおける仏教復興運動

四 三 二 一 はじめに 前・不可触民に関する一考察 改宗について おわりに

アンベドカル博士の運動を中心として

北原一秀

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り得るからである蓬 ︵注︶前・不可触民という名称は、 名称を﹁登録カスト窃号&巳& 必要とされることに由来する。 帰依したという点から、インドのカスト機柿、特に前・不可触民制を中心として論を進めてみたい。つまりアンベ ドヵル博士自身がヒンドゥ教社会の前・不可触民として生まれ育ち、自己の思考体系の背景としても存在していた こと。そして博士が仏教に改宗した際、ともなった従者約三○万人はほとんど不可触民であったということから、ア ンベドヵル博士の仏教伽が、不可触民制に対する考えの集大成的表現であると考えられるのである。 以上、本論文においては、前・不可触民制に着目し、その存在機構を分析し、彼ら、前・不可触民がヒンドゥ教 社会の中で、仏教への改宗の必然性を考察する。そして、彼らがアンベドカル博士亡き後、仏教徒としての状態及 びその存続に関して内的要因、外的票因などから実情をながめろ。このことはすなわち、アンベドカル博士の仏教が いかなるものであったかを考察し、また、今後インドで仏教がいかに存続し、発展していくかのひとつの指針ともな 一九六一年の国勢洲査によればインドの全人川四億三千万人のうち、いわゆる議録カストに属する人口は六四 ︵1︶ 四一七、三六六人である。そして一九七○、l七一年には、全人口五三二、五五三、○○○人という数学から、登録力 、箔、 ︵2︶ ストに属する人口は約一億人という数字が概算される。この登録カーストについて、H・R・アイザック氏は、﹁神 ︵3︶ の子ら忘れられた差別社会﹄の中で、彼らの社会的状態を分析している。この報告書を読む限りにおいても、彼ら 二﹁前・不可触民﹂に関する一考察 インド川恋法下において﹁不可川民制﹂の廃止に伴い、一前﹂を付した。なお、現在は、その o儲耐︶﹂としている。この登録という意味は、教育や就職の際に便宜を受けようとする場合、

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インドにおける仏教復興辿勅 がいかに差別され、搾取され、冷遇されているかが容易に理解できるのである。 本章における不可触民の考察は、アンベドカル博士と共に仏教に改宗した﹁前・不可触民﹂に対する考察であっ て、インド社会にあって何故改宗しなければならなかったか、また、改宗後、彼らがいかなる境遇にあるかに注目 し、インド社会構成の問題点を探ることをねらいとする。 なお、登録カストの異なった名称として、ガンディが常用していた〃ハリジャン︵神の子︶〃という言葉は、 ︵4︶ 彼らの間では決して歓迎される言葉ではなかった。なぜならば、人間はすべて神の子であるのであって、特定の集団 、、、、 に対する呼称としては、ある極のののしりのような郷きを持ち、彼らの自尊心を深く傷つけるものだったのである。 ︵5︶ インドにおいて、登録カストは八三八カストに分荊されている。そして、これらのカストの間でさらに多く のサブ・カーストとして細分されている。これらは、インド国内の地方によって、また、Ⅲ業によって細分されている のである。なぜこのように細分されるかというと、彼ら自身の社会的状態を常に今の状態より商めようとする試みが 行なわれているのであり、それはまったく空想的名称を用いて行なわれているのである。たとえば登録カスト内で ︵6︶ 鮫大の﹁チャマル﹂は、一、八九一のサブ・カストに分かれ、インドの至る所に存在する。つまり、ウッタル・ プラディシュ州では、ドウシァe官の衝︶、ドロハルeg断門︶、アハルワール︵シ冨討司胃︶、ジャィスワル Q巴の笥胃︶、クレール︵嗣匡制①堅︶、ジャティヤ︵またはジャタヴァ︶︵旨庁ご囚︾苛国ぐ四︶、チャムカティヤSpm員烏臼ご印︶、ラ ンギャ︵罰四国唱冒︶という如く七つのサブ・カストに分割されている。また、同じウッタル・プラディシュ州の街 路掃除人は、チャマールのように多くのカストに分割されている。すなわち、バルミキ田巴目底︶、ラルベギス P画き①唱印︶、ダハヌク︵□ず画日時︶、ディマ・ブリ・ラワット︵□一日四℃巨国冗蜘急臼︶、ガハジプリ・ラワット・ド ム︵⑦彦闇旨胃︺罰”急胃ロ○日︶、ダマル︵ロ四目胃︶、ブフイマリ・バンスホール・ハイラ︵里︺日日島田四国名画自国邑四︶、

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シェイカハ︵段①詩冨︶等である。また、ベンガル州においても、ナモシュードラ︵zmgOの冒島巴、ケワット ︵界の急鼻︶、または、カイバルタハス︵厨巴冨尉号四の︶、ラージバンシェー︵罰且宮口の茸①︶、ブィマリ︵国西日日農︶、ドバ スe冒冨の︶、バグディス︵国四魁尉︶などに分割されている。特に、ベンガル州においては、同一の言語形態、同一人 ︵7︶ 種に属しているのにもかかわらず、彼らの間にあっては共通の意識はないのである。 このような前・不可触民の大部分は州互に異なる集団であり、それぞれ固有の名称と、伽れに関する伝統的な一端 と、宗教的に不浄とみられる一迎の仙事と、それぞれの地方に特有な規則と城してはならない支配カストを持って いるのである。それのみならず、被差別が差別的態度を極めて多く自分の中に取り入れるという事実を例証するが如 く、細分化した多数の前・不可触民集団の間に﹁不浄﹂の差が生じ、彼らは相互に差別し、忌避するようになっている のである。そして、上位に位置するカーストが行なうように前・不可触民の多くの下位集団の成員は、一緒に食事をし ︵8︶ たり、互いに水のやり取りすることを忌避し、通婚をも禁じている。例をあげれば、パンジャブ州のチャマールは、 チュフラス︵つい最近まで自らをバルミキと呼んでいた︶を暇蔑し、一方、バルミキはチャマルより高い地位にあ ︵9︶ ると考え、般近までチャマルが触れた食料品は受け収らなかった。またチャマルの川でも、ジャティャはアハル ワルとドロハルを軽蔑し、クレルは自らをジャティャより世れていると考えている。また、死肉を取り扱うカ ーストのカハティクは、浪近、菜食主義的傾向を帯び、果物を販売することで、人祁的にも、歴史的にも同じ血統に属す るチャマール、バンギスより優れていると考えるようになった。同様にパンジャブ州のバルミキ、ウッタル・プラ ︵皿︶ ディーシュ州のバルミキは、ハイラス、ハリス、ダヌク、バンスホールのカーストを劣等のものと考えている。 ︵Ⅱ︶ ところで、アンベドカル博士の属するマハル・カストについてどうかといえば、このマハール・カストにお いても、他との優劣を跡う感情がまったくないとは言い切れない。

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インドにおける仏教復興通勤 ケララの人々は何となく未知の聖なる美しいサンスクリットのマントラに耳を傾けると共に竜そのきわ立ったアー リァンの整った顔立ちと、皮膚の白さに憧れを見いだすようになった。ブラーマン達は、特に、ナャールの土豪にと り入って、バラモンの神聖を説き、人間社会における僧侶の重要性を自分達の行動と弁説によって、知らせることに ︵雌︶ つまり、マハルという名称そのものが、マハ・アリ︵目僅訂四国︶︵偉大なる敵︶に由来しており、兵士や道路 人夫、鉄道工夫などの仕事に従事している。彼らは、ある穂の自尊心を持っており、アンドベカル博士の言葉の中に も裏付ける内容を持つものがある。それは、ボンベイ市の売春婦とマハルの女性とを比較して、﹁売春婦達は、毎 日、キーマ︵細かくきざんだ肉のカレ︶とロティ︵パン︶を食べている。しかし、マハールの女性はキーマロー ティを食べない。彼女達は普通のチャトニ︵肉なしのソス︶ロティだけで満足している。マハールの女性は品位 ︵過︶ と自尊心の為、名誉の為、乏しくとも過った生活はしていない﹂︵一九五六年十月十五日、改宗後の演説より︶。ここ において、人間としての自尊心、威厳、名誉のために、我々は苦闘しなければならないと力説している。 以上の如く、﹁登録カスト﹂という社会的枠の中での相互の州しみ、ねたみ、雌祝、などの姿勢は、自らの社会 的地位を少しでも上位グルプに近づけようとする、いわゆるサンスクリッタゼションの延長であるということが できよう。このサンスクリッタゼションこそが、ヒンドゥ教がインド全般にわたって流布した最大の統一的原理 げると、 に入って来た。 なのである。 一心一聾ご耐﹄ユシ﹁ノ一︸ |僧侶である彼らに素手で一ドラヴ:鍔ダ系の土着民には何のことかもわからない聖なるマントラを唱えながら徐々 そして模倣の対象となる上仙グル、プで陸やは,バラモンの文化か最もその対象となる“ここにその一例をあ

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最善を尽くし、遂に土豪達の魂を握ることに成功した。彼らは自分達の優越を社会的に確立するために、彼ら以下の 人々の間に社会的な序列をつけるという効果をねらった。彼らは、こうしてナャルの土豪達に一般民衆よりも単に 経済的、政治的にすぐれているのみでなく、宗教的な理念に基づいた優越性を認識させ、その誇りを持たせることに 努力した。そしてこの後者の序列において、佃侶を最高のものとするカストの形成に成功したのである。ナャル の土豪達は、このように新しく作られたカストの第二恭目に自分達を位置づけることによって、ナャール以下のカ ストに対する優越意識をもつと共に、一方、自分達では逆立してもなれない深遠なる知識階級、最高カースト、ブ ラーマンの教えを仰ぎ、少しでも自分達を彼らに近づけることを生のモットとし、ここにヒンドゥ化の志向はヶ ︵M︶ ララ全土に力強く成長していったのである﹂。 ところで、このような前・不可触民の間での分裂は、すべての前・不可仙民の約九○%が文盲であるという絶望的 数字が示すように、知識、良誠ある人川同士のセクト分裂とは内容的に川述している。 つまり、前・不可触民間の分裂に強く介在しているのが、いわゆるカスト体制者側の迷信の押しつけ、偏見、偽 りなどであり、文盲であり、すなわち、無教育の状態ではこれらを見破ることができず、このことが、一層カスト 体制を強固にしているといえる。アンベドカル博士は常日頃、教育の必要性、重要性を説いていたが、この事はすな わち、ヒンドゥ教に内在する迷信、偏見等に立ち向かう知識を身につけなければならないという事であり、自らボ ンベイにシッダルタ大学を創立し、また、オーランガバドにも大学を創設したのである。 同時にこのように分裂し、孤立したそれぞれのカストを経済的、社会的に救う道を求めるところに、アンベドカ ル博士の活動が、いよいよ顕著に現われるのである。彼は、一九四四年一月二九日、U・P州のカンプールで行なわ れだ﹁全インド登録力︲スト郡川会議Lの波説で次のように言う。﹁インドに卿滞政府が肺立した時、力︲スト

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イ ン ド に お け る 仏 教 復 興 運 動 ヒンドゥと、モスリムと登録カストの三団体が政治権力を分側すべきである。登録カストか自らの正当な権 利を主張し、狸得するために闘わなければならない。もし登録カストが政治的権利を独得出来なかったなら、今の 搾取され続けている状態を改善する望みはない。︵中略︶また、私があえて言うなら、国の自治より、むし それによって社会的向上を望むご:。.:ヒンド急了法典は、あなた達を苦痛におとしいれている悪の根源である廷 これはすなわち、アウト・カストに対する不正の仮面である。⋮我々はヒンドゥー教を捨てなければならない。 ︵鴫︶ そして、我々への侮辱に対して服従してはならない﹂。また、一九五一年六月十二日ボンベイでの波説では、﹁登録カ ストは、政治的に無関心であってはならない。自らの勝利の為に闘わなければならぬ、その場合、あくまでも、登 録カ翼卜述盟の指示に従って前進しようでは種いかⅡ﹂﹁政治的椛力は朴会発展の雛である。そして第三の勢 ︵焔︶ 力として発展することのみで自らの救済を成し遂げることができる﹂。 このようにアンベドカル博士は﹁前・不可触民﹂に対する救済の手を差し出す訳であるが、特に、政治的分野にお いて活動を始めたのである。彼の活躍は実に目覚ましいものであったが、それらひとつひとつの活踊はすなわち、ヒ ンドゥー教による支配体制への執勤な挑戦であり、不可触民という零落した地位におとしいれたヒンドゥー教そのも のを崩壊しなければならないという強い理念に基づいているものであった。 ろ登録力ストの統一を望む“ アンベドカル博士は、一九三五年十月十三日イェオーラ︵淵○医︶の集会で一私はヒンドゥー教徒として死ぬ つもりはない﹂と宣言し、一九五六年十月十四日、ナグプルにおいて歴史的な仏教への大改宗を行った。 三改宗について

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五、シュドラの圧制・専制政治によってバラモンはシュドラに対し、ウパナャナを拒否した。 六、ウパナャナの拒否に伴い、社会的にバイシャよりも低い位個についた。 ︵肥︶ この結果、四ヴァルナが椛成されたのである。 クシャトリァⅡシュドラという等式が、不可触民であるマハル・カストに直接関係しないように思えるがへ 実はマハール・カスト自体、自らを登録カスト中、最高位に位置しておると考え、また、兵役にも勤務していた ことなどから、自ら、意識の上で武士階級であると認識していたのである。︵なお、このことに関して、前述のケラ 宅、、、 ラ州におけるヒンドゥ化の成立過程をみても、ナャルの土豪達に対し、バラモンは彼らに第二の地位を観念の上 さて夷この年、この日はヴィクラム膳では、ダシャヘラ祭が雌される口である。ダシャヘラとは﹁勝利の第十 ︵Ⅳ︶ 日という意味で、アシヴィン月白半月の十日に祝う。名称の示す通り、武士階級を中心とした祭である﹂。 この武士階級のお祭りにあえて仏教改宗を施行した理由が何んであるか興味に値する。 つまり、彼のカスト観における一論文﹁ヨ毘○弓閏①号①際且国の酉の中で論及していることは、シュドラと は、もともとクシャトリァ階級に属する部族名であったとし、シュドラⅡクシャトリアという等式を作る。 一、シュードラはかつてアリァ社会の部族であった。 二、アリァ社会は三つの階級、即ちバラモン、クシャトリア、バイシャのみで柿成されていた。 三、シュドラは、ヴァルナとしては分離しておらず、クシャトリア・ヴァルナに位置していた。 四、シュドラの王とバラモンとの間には、シュドラ王がバラモンを数多くの暴虐、侮辱などのもとに支配して いた。ここに不和が生じた。 つ参まhノ、

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インドにおける仏教復興運動 同時に、各地で争いが絶え間なく起こり、敗れた部族は小集団に分裂した。この小柴川は自らの生活維持のため、 農耕生活部族と手を結び、防衛の仕事に携わった。その仕事の関係上、村落の周辺に柱居を与えられた。この小集団 が即ち、現在の不可触民の祖先である。 。この小集団は仏教徒であったという仮説を立てる。つまり、仏教徒であるが故に、バラモン教の慣習に従わ ず、バラモンを敬わず、バラモンを司祭として用いなかった。その結果、バラモン教の興隆に伴い、バラモンによっ て、仏教徒に対する不浄観が付加され、不可触民性が確定した。 以上のアンベドカル博士独自のシュドラ起源論と不可触民起源論から、彼の属するマハル・カーストは、意識 的には武士階級であるということと、不可触民I仏教徒という仮説に基づき、一九五六年十月十四日、ダシャヘラ の日に仏教への改宗に踏みきったと考えられる。 このことはすなわち、自己の論理のアピルとも思える。 ネオプッデスト この日をもって仏教に改宗した三○万’五○万人の人々は﹁新仏教徒﹂と呼ばれ、アンベドカル自身の作成した二 ︵卯︶ 十二カ条の誓約に基づいて生活している。すなわち、ヒンドゥ教のあらゆる神々︵ブラフマ、ヴィシュヌ、マハ 卜時好耐近似住胃 手段が必要であった。 では与えている事実は、カスト研究への方向を増幅させる。︶ ︵岨︶ そして、不可触民制についても彼は独自の見解を打ち出す。彼は、自著﹁国昂ロ昌○ロ。冨室⑦の﹂の中で不可触民の祖 先を考察している。 その要旨は、 ㈲原始的遊牧生活をやめて、定着農耕生活に入った部族は他の遊牧民からの侵略を防ぐ為、なにがしかの防衛

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第十七条一不可触民制は廃止さ血その仙習はいかなる形式でも禁止される﹄不可触民制による無能力を強制す ることは、法律の定めるところにより処罰される犯罪である﹂ 第二十五条﹁公の秩序、道徳、及び保健並びに本部その他の規定の制限の下に、すべての人は、平等に信仰心の 自由と、自由に宗教を信仰し、宗教行為を行ない、且つ布教する権利を有する﹂とある。 しかしながら現在々これら新仏教徒に対する世間の目は厳しく、彼らに対しての迫害一暴行が数限りなく繰りか えされている。例えば、﹁新仏教徒の一員が、胃①宮﹄震8口顧目この名で立候補したところ、その村で男女ハリジャ ン労働者の仕事の停止から始まって、ハリジャン住民の散髪の拒否、食糧をはじめ必需品の販売拒否といった全体的 ︵狐︶ ボイコットが起った﹂こと。そして他にも数々と報告されているという。また、同胞であるはずの大菩提会さへ新仏 ︵犯︶ 教徒に対して極端なまでに好意的でないし、カシミル地方の仏教徒は﹁我々は決して新仏教徒ではない。古仏教徒 である﹂と主張する。その理由として、仏教の教理に対し、アンベドカル博士の認識と州違しているということもあ ろうが、まず第一に新仏教徒の社会的位世がマハル・カストであるということが最大の理由であると思われる。 つまり新仏教徒Ⅱマハル・カストという等式が成立しているのである。ここに、現象的平等・差別を超越した意 アイデンティティ 識下のサンスクリッタゼションおよび集団による同一性を見ることができる。 ︵羽︶ 現在、新しいマヌ法典ともいうべきインド国憲法を見ると、 第十五条﹁国は市民に対して宗教、人種、階姓、性、出生地、又はそれらのうちいずれかの理由だけで差別して はならない﹂ デ〆句〆ア弓“一 という生活である。 ダヌ書ハラミタオン ラマ、クリシュナ、その他︶を認めず、仏教の教えである五戒、八正道を遵守し、十波羅蜜の実践

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イ ン ド に お け る 仏 教 復 興 運 動 以上のように人権の尊重︾平等、及び信教の自由は明確に定められている。しかし雲とれらの条項のもつ効力は インド民衆の心の内奥に潜んでいる二○○○年の歴史を有するマヌ法典意識、及び聖典とされる﹁バガヴァット・ギ タ﹄のグナ・カルマの思想の前には弱いものとなっているのが現状である。 、 、 このように、現在のインド社会機構、及び民衆の意識構造を考察する限りにおいて、真の人権の尊重、真の平等、 、 真の信教の自由の獲得ということは、インド国民一人一人の意識の変革と同時に、国家的規模による長期にわたる抜 本的改革事業として着手されなければ、難しい問題と思われる。 以上一アンベドカル博士が仏教に帰依する動因を特に社会的背景から考察しただ仏教への改宗は必然的に起こ るべくして起こった事象であると見ることができる。彼は、終始、仏教の平等観に着目し、仏教的理念に基づいた社 会の建設に心を燃やしていた。そして、その発動となったのが不可触民解放という問題であったことは言うまでもな い。しかしながら、逆説的な見方をするなら、ヒンドゥー教社会体制の中にあって、アンベドヵル博士自身が、不可 触民という枠の中に生まれなかったら、もし、ブラフマン階級に生まれていたなら、彼の行動・思索はなかったであ ろうと思われる。彼は少年時代、青年時代、自己をとり巻く社会で、自分に対する数多くの差別を受け、どれ程、心 を傷つけられたことであろうか。その傷ついた心で、若冠二十二歳でアメリカに留学し、アメリカでの自由な空気に ふれ、自国の社会体制の矛盾に対していやがうえにも注目させられた。留学中、アメリカの黒人解放問胆︵恋法第十 四条修正︶に感動し、自国の不可触民解放運動に新たな決意をもったといえる。 インドでは、いわゆるエリートと称される人々はほとんど、海外留学を経験している。この海外留学に対して、彼 四おわりに

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そして、不可触民の仏教改宗は、彼が政治的分野の段階で主張していたヒンドゥー教分離に伴う第三の勢力として の不可触民による社会体制の確立を試みた一現象と見ることもできる。そのためには、不可川民の有力な人材を多数、 政界に送り込むための票田が必要であり、強固な地盤が必要であった。故に仏教へ集団大改宗を行うことで猶得でき るであろうと考えていたようである。この推考を裏付けるものとして、ナグプルでの改宗前夜、アンベドカルと彼 の側近達はこの改宗が次期国民総選挙にいかに影響が生じるかと討論したという事実がある。その時、彼は、仏教に 深く帰依する心を持っていたが、彼の側近達は、必ずしも、仏教優先の姿勢を持っていたとは言えない。現在、彼の 後継者としての指導者が存在しないのは、ここに原因があると思われる。 また、パンジャーブ州、ジュルンダル市のビム・パトリカ・パブリケションの編集長、B・R・バレ氏は次 のように諾扇.﹁我々は碗″に組織化することで国ら画祷悩苦痛を退けることができ島如く、人間の解放はと たといえる。 力とし雪力、 彼は生前において、人間の平等ということに則った数多くの組織をつくっている。これらは、いわゆる彼の政治活 動の落し子的存在であるが、これらの基本的理念は仏教のプラジュナ、カルナ、サマタという三要素と結びつけ ている点が注目される。しかし、これらのアンベドカル博士の認識は、プラジュナを迷信、超自然的力に対する理解 力とし、カルナを愛とし、サマタを平等としている点で、仏教を対社会的なものであるという解釈がなされてい で辛の一ゐ。 解放問題に直接に接し、人間としてあるべき姿、平等という理念に自己の全生涯をかけようとする原動力となったの 及ぼしたことは疑いない。つまり、若き二十二歳の青年が、アメリカのフロンティア精神の息吹きを肌で感じ、黒人 の場合ガーンディや、ネールと違ってまずはじめにアメリカに留学したということが彼の人生に大きな影響を

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インドにおける仏教復興運動 の組織化にある。今後、我々アンベドカル主義者は.彼の理論を充分に理解し、そして行動し毒アンベドカル主義の 伝播に努力しなければならない﹂︵アンベドヵル博士誕生記念日特別号より︶。 アンベドカル博士が仏教に帰依する出発点が不可触民解放運動にあり、その運動の過程において政治的分野に立ち 入らざるを得なくなり、政治と仏教との融合という最終結論に到達したといえるならば、一般のインド民衆が言う ネオプッデイスト ﹁新仏教徒は政治団体である。﹂との兄解も当然導き出されるであろう。 不可触民問題は憲法下において、その慣習を禁止しているにもかかわらず、実に根深いものであり、一朝一夕に解 決することは至難の技であると堪えてならない。 へ へ へ へ へ 汗 5 4 3 2 1 ノ エ ンンーシシ へ へ / へ / 戸 、 へ へ 1 1 1 0 9 8 7 6 … − 、 シ 、 = ー ー H・R・アイザック著、我妻洋・佐々木譲訳﹁神の子ら忘れられた差別社会﹂新潮社、一九七○年。 同右、参照五九頁’七四頁。 登録カスト内での分割の正確な数字を出すことはむずかしい問題であって、異説がある。八三八カストはバハグワン・ ダス氏による数字であって、H・R・アイザック氏は整理して四○五としている。 国富狗葛角ロロ儲︺己日○巨呂画匡の、曽匙国ロユ&︺冒戸や瞳 胃ず]﹂︾己函鱒 、一局、尋凹口[ 国pmm言四国月 日﹃且J 陰口﹄口︾詩︶画。 国︸国、葛自]H 凸︲■ 岸[︶汽言︺も。四口 H・R・アイザック著﹃神の子ら忘れられた差腿社会﹂五四頁一﹄ 里田頃ご四国ロ勝︾己貝○口o冨匡①、画冒﹄田口g﹂言のg︾や隈 マハラシュトラ地方の村落侠川人カスト。見張り、農業労働に従事する。近世において軍隊に採用されており往時に pゆめ.ロ貝○巨島回国①、、肖丘国匡︵迂匡の日︾旨旨自匡匡託︾里︺の①冒弔︾画司時印吊一匡匡言質5口の︺ら罰︾回路.

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︵釦︶三一ヵ条の誓約についての邦訳は土井久弥著﹃インドの諸宗教﹂︵アジア仏教史・インド編5︶佼成出版社一九七三年 二三○頁’二三一頁に掲戦されている。なお、ヒンディ語による原文は次の書物に掲載されている。 国ぼ四m3mpp閑︾ぐ些日剖匿茜胃画口風、匡尉国盲目四司艮︺巳旨ロ○口H︾四局①日勺胃門時四国3胃胃5口い︾も閉1$ 舜乙内藤雅雄著﹁インドの独立とハリジャン︵不可触民︶﹂︵﹃歴史学研究﹂zo&侭ら認2月号︶六二頁。 ︵躯︶藤吉慈海著﹁アンベドヵルの仏教観﹂︵﹃印度学仏教学研究﹂第廻巻2号S的︶一四四頁、及び〆の①H・ロ獄.シ日冨烏肖﹀ 冒庁四目巨舗5国也艮&.︺、働日冨胃︾も。固巨胃甲巴圃の富P后昌〆十や閉唖︾も、巴にアンベドカルの仏教に対する非難 が記されている。つまり、﹁アンベドカルの仏教は政治的野心と社会改革の目的の為のものであり、侵略的、カスト・ヒン ドゥに対する憎悪に満ちている。慈悲に基づく仏陀とは大きく相違している。彼の著作、司匡佳冨四目国厨島国日日巴 という名称は﹁シ日一︺の岸胃“且閏の島国日日こと変えるべきである。﹂とまでいっている。 ︵詔︶宮田豊訳﹁インドの憲法﹂︵﹃世界各国の憲法典﹄京大憲法研究会編、有信堂、昭如︶ ︵ねど / 、 戸 、 / へ 〆 、 / へ 〆 、 〆 へ 18171615141312 、 〆 ー / 、 ン 、 ソ 、 ノ 、 一 、 一 シ日H陣○○︾屋烏 国”P昌号&斥胃︾弓冨dp8巨○冨匡の印尋宮乏図①弓犀2回冒邑ヨミケ罰弓冨ぐ国①8日のご貝○匡。冨匡①の戸z①葛口堅巨 国○冒す色弱目岸屈o岸①儲廻こざ.や置く 国詞鴎日冨昌目崎︾尋ず○弓①H①芽①聖旨今画のf国○言昏①罰8日①8冨昏①飼○屋門号ぐ胃貝一目牙①冒号シご画国の○日①q︾ 土井久弥著一インド風物誌まつり﹂︵﹃サルボダャ﹄一九六八年四月号︶九頁。 胃丘芦。。︾︻︶、Cl、的呂 国ロ画唄ごロロロ儲︾弓ゴロ、の己○屍の諺日冨・穴胃・ぐ○一F]昌旨ロ色匡H︺団犀①①日用︺画司時四勺昌曽o胃一○口、︾邑認.ロ弓、I認 中根千枝著﹁ナャル母系大家族制の崩壊について﹂︵﹃東洋文化研究所紀要﹄第一四冊、S・三三︶一五頁︲く一六頁。 国彦四四畠ロロ閑﹀日丘口のの官房①津冒弓&宮門︾ぐ○一P旨一宮ロ旦巨が国冨の日勺胃門房画も旦監o胃ご口の︾己$響画辰、 □ずいロ四旦陣冨嗣①①H︾ロ儲炉員●号&穴煙H︶巨苛凹口。旨︼、の︼○口︾団○日ごm胃﹀勺○℃昌胃も国丙画号四口︾ら目︾詞︶、 は、東インドボンベイ軍の約払を占めていた。

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