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中央学術研究所紀要 第31号 176李 鎔哲「北朝鮮の宗教政策と宗教現況」

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はじめに

戦後の北朝鮮宗教政策史

1990年代の宗教政策の変化

北朝鮮宗教の現況

結び

1 は じ め に 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 ( 以 下 、 北 朝 鮮 ) に は 、 は た し て 宗 教 が 存 在 す る の で あ ろ う か 。 存 在 す る と す れ ば 、 そ の 存 在 様 式 と 特 性 は 如 何 な る も の で あ ろ う か 。 そ し て 、 北 朝 鮮 当 局 は 宗 教 に 対 し て 如 何 な る 政 策 を 取 っ て き て い る の で あ ろ う か 。 本 稿 は こ う し た 北 朝 鮮 の 宗 教 を め ぐ る 諸 問 題 を 客 観 的 に 理 解 す る た め の ひ と つ の 試 み で あ る 。 北朝鮮の宗教に対する関心は、特に1980年代以降になって急速に高まり、様々 な 研 究 が 行 な わ れ て い る ‰ そ れ に は い く つ か の 理 由 が 考 え ら れ る 。 ま ず、 後 述 す る こ と に な る が 、 8 0 年 代 に 入 り 、 北 朝 鮮 の 宗 教 団 体 が 国 際 社 会 で 積 極 的 に 活 動 し 、 ま た 国 内 に お い て も 宗 教 本 来 の 活 動 が 部 分 的 に 行 な わ れ る こ と に よ り 、 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 の 変 化 及 び 宗 教 の 現 状 に 対 し て 関 心 が 増 大 し た こ と で あ る 。 ま た 、 北 朝 鮮 社 会 へ の 布 教 に 対 す る 関 心 や 、 北 朝 鮮 の 既 存 の 宗 教 の 成 長 に 対 す る 期 待 の 高 ま り も そ の 理 由 と して 挙 げ ら れ る 。 そ して 、 9 0 年 代 に 入 り 南 北 朝 鮮 の 交 流 や 平 和 的 な 統 合 が 現 実 的 な 問 題 と し て 台 頭 す る こ と に よ り 、 両 者 の 文 化 的 同 質 性 の 確 認 及 び 文 化 的 異 質 性 の 理 解 と 克 服 と い う 問 題 意 識 か ら も 北 朝 鮮 宗 教 に 関 す る 研 究 が 活 発 に 行 わ れ る こ と に な っ た 。 と こ ろ で 、 北 朝 鮮 の 宗 教 に 関 す る 研 究 に お い て は 、 ま ず 何 よ り も 関 連 資 料 や 1 ) 韓 国 の 学 界 及 び 宗 教 界 の 場 合 、 4 5 年 の 解 放 か ら 9 5 年 ま で、 北 朝 鮮 の 宗 教 に 関 して お よ そ 二 百 余 の 論 文 及 び 著 書 が 発 表 さ れて い る 。 そ の う ち 、 4 5 年 か ら 8 0 年 ま で わず か 十 余 が 発 表 さ れ た が 、 8 0 年 代 の 末 か ら は 毎 年 数 十 の 論 文 が 発 表 さ れて い る 。 リュ ・ ソ ン ミ ン 「 北 韓 宗 教 研 究 」 ( ; 化 韓 研 究学会編『分断半世紀北韓研究史』、ソウル、1999年)、429­431頁を参照。以下、韓国及び北朝 鮮 の 文 献 は す べ て 日 本 語 に 訳 し て 記 す る 。 176

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情 報 が 限 ら れ て い る と い う 困 難 さ が あ る 。 周 知 の よ う に 、 北 朝 鮮 は 自 国 に 関 す る 情 報 の 公 開 を 極 め て 統 制 す る 社 会 で あ り 、 こ の 点 に お い て は 宗 教 の 分 野 も 例 外 で は な い ( 例 え ば 、 北 朝 鮮 の 関 連 当 局 が 白 書 の 形 で 自 国 の 宗 教 の 実 状 を 発 表 し た こ と は 5 0 年 以 降 今 ま で 一 度 も な い ) 。 従 って、 現 段 階 で の 北 朝 鮮 の 宗 教 に 関 す る 研 究 は 、 北 朝 鮮 で 発 行 さ れ た い く つ か の 関 連 文 献 、 国 際 交 流 の 場 で の 北 朝 鮮 宗 教 者 の 発 言 、 北 朝 鮮 メ デ ィ ア の 断 片 的 な 報 道 、 そ し て 北 朝 鮮 へ の 訪 問 者 や 韓 国 へ の 北 朝 鮮 亡 命 者 の 証 言 な ど を 分 析 し て 行 な わ れ る し か な い と い え る 。 以 下 に お い て は 、 韓 国 の 最 近 の 研 究 成 果 と か か る 資 料 に 基 づ い て 、 ま ず 解 放 後 の 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 史 を 概 観 し 、 っ ぎ に 特 に 9 0 年 代 に 入 っ て の 北 朝 鮮 の 宗 教 観 及 び 宗 教 政 策 の 急 激 な 変 化 に 注 目 し た い 。 そ し て 、 最 近 の 北 朝 鮮 の 諸 宗 教 の 状 況 を 概 観 し た 後 、 最 後 に 今 後 の 研 究 課 題 を 考 え る こ と に し た い 。 2 戦 後 の 北 朝 鮮 宗 教 政 策 史 解 放 か ら 現 在 に 至 る ま で 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 が ど う 展 開 し て き た の か に つ い て は 、 以 下 の 二 つ の 変 化 と して 特 徴 づ け る こ と が で き る 。 ひ と つ は 、 原 論 的 な 次 元 に お け る マル ク ス 主 義 に 基 づ い た 宗 教 理 解 ( 宗 教 に 対 す る 本 質 的 な 批 判 ) か ら 主 体 思 想 ( チ ュ チエ 思 想 : 北 朝 鮮 の 指 導 理 念 ) に 基 づ い た 宗 教 理 解 ( 宗 教 に 対 す る 政 治 的 解 釈 ) へ の 変 化 で あ り 、 も う ひ と っ は 実 際 の 政 策 的 な 次 元 に お け る 反 宗 教 的 な 政 策 か ら 統 一 戦 線 形 成 の た め の 政 策 へ の 変 化 で あ る 。 そ して 、 こ う し た 宗 教 政 策 の 変 化 は お お む ね っ ぎの よ う な 三 段 階 の 時 期 を 経 て 展 開 して き た と い え よ う 呪 まず第一の段階は、45年から72年7月の「南北共同声明」の発表までとして、 こ の 時 期 に つ い て は 「 宗 教 活 動 弾 圧 期 」 な い し 「 宗 教 消 滅 期 」 と 特 徴 づ け る こ と が で き る 。 こ の 時 期 に お け る 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 は 何 よ り も 当 時 の 最 高 指 導 者 で あ っ た 金 日 成 の つ ぎ の よ う な 二 つ の 宗 教 認 識 か ら 出 発 し た と い え る 。 「 宗 教 は 反 動 的 で 非 科 学 的 な 世 界 観 で あ り ま す。 人 々 が 宗 教 を 信 じ る と 。 階 級 意 識 が 麻 憚 し 、 革 命 し よ う と す る 意 欲 が な く な り ま す。 結 局 、 宗 教 は アヘンのようなものであるといえます」3) 2 ) 韓 国 に お い て 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 を 見 る 視 点 は 大 き く 三 つ に 分 か れ る 。 第 一 に 北 朝 鮮 の 国 家 と 宗 教 と の 相 関 関 係 か ら 見 る 視 点 、 第 二 に 北 朝 鮮 の 宗 教 の 現 実 か ら 見 る 視 点 、 第 三 に 北 朝 鮮 社 会 の 性 格 の 変 化 か ら 見 る 視 点 で あ る 。 こ う し た 分 析 視 点 に よ り 、 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 史 に 関 す る 時 代 区 分 も 様 々 で あ る が 、 7 0 年 代 以 前 と 8 0 年 代 以 後 と を 分 け る 三 段 階 区 分 が 一 般 的 で あ る 。 こ の 点 に 関 し て は 、 ビ ョ ン ・ ジ ン フ ン 「 民 族 福 音 化 と 北 韓 の イ デ オ ロ ギ ー 」 ( カ ト リ ッ ク 大 学 出 版 部 『 カ ト リ ッ ク神学と思想』6号、ソウル、1991年)、101頁、リュ・ソンミン『北韓宗教研究エ』(現代社会研 究 所 、 ソ ウル 、 1 9 9 2 年 ) 、 4 ­ 7 頁 を 参 照 。 本 稿 は 第 一 と 第 二 の 彭 l 点 に 従 っ た 。 3)キム・イルソン『金日成著作集』第5巻、154頁。シン・ボブタ『北韓仏教研究』(民族社、2000 年、ソウル)、72頁から再引用。 177

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「 宗 教 を アヘ ン で あ る と し た マル ク ス の 命 題 を 私 は 否 定 し ま せ ん 。 し か し こ の 命 題 を ど ん な 場 合 に も 適 用 し う る と 思 う な ら ば 、 そ れ は 誤 算 で あ り ま す。 日 本 帝 国 主 義 に 天 罰 を 下 し 、 朝 鮮 民 族 に 福 を 下 さ い と 祈 る 天 仏 教 に ア ヘ ン と い う レ ッ テ ル を む や み に 貼 る こ と が で き る の で し ょ う か 。 私 は 天 仏 教 を 愛 国 的 な 宗 教 で あ る と 思 い ま す。 我 々 に すべ き こ と が あ る と す れ ば 、 こ の 愛 国 者 た ち を ひ と つ の 力 量 に 括 る こ と だ け で あ り ま す J O こ の よ う な 社 会 主 義 革 命 め た め の 統 一 戦 線 形 成 と い う 政 治 的 必 要 に 基 づ い た 条 件 的 な 肯 定 と 、 マ ル ク ス 主 義 の 唯 物 論 的 世 界 観 に 基 づ い た 本 質 的 な 否 定 と い っ た 二 重 的 な 宗 教 観 は 、 当 時 の 北 朝 鮮 の 法 律 に も そ の ま ま 反 映 さ れ て い る 。 つ ま り 、 北 朝 鮮 は 4 8 年 9 月 に 共 産 主 義 政 権 を 樹 立 し 「 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 共 和 国 憲 法 」 を 公 布 す る の だ が 、 こ の 憲 法 に お い て 「 公 民 は 信 仰 及 び 宗 教 儀 式 挙 行 の 自 由を有する」(第2章14条)と規定している。しかし一方、2年後の50年3月に 制 定 さ れ た 刑 法 に お い て は 、 「 宗 教 団 体 に 寄 付 を 強 要 し た 者 は 2 年 以 下 の 懲 役 に 処 す る 」 「 宗 教 団 体 で 行 政 行 為 を し た 者 は 1 年 以 下 の 教 化 労 働 に 処 す る 」 と 規 定 す る こ と に よ り 、 事 実 上 宗 教 団 体 の 財 政 的 な 基 盤 と 布 教 な ど の 宗 教 活 動 の 自 由 を 剥 奪 し て い る 呪 実 際 に こ の 時 期 に お け る 北 朝 鮮 は 、 4 8 年 の 政 権 樹 立 を 前 後 に して 、 土 地 国 有 化 と 農 業 集 団 化 な ど の 社 会 主 義 改 革 を 実 施 す る の だ が 、 こ の 過 程 で 既 存 の 宗 教 の 人 的 ・ 物 質 的 な 資 源 を 完 全 に 剥 奪 す る ‰ さ ら に 、 5 0 年 6 月 か ら 3 年 間 も 続 い た 「 朝 鮮 戦 争 」 の 過 程 で 、 北 朝 鮮 は 特 に キ リ ス ト 教 を ア メ リ カ と 同 一 視 し 、 集 団 虐 殺 ・ 拉 致 ・ 教 会 破 壊 な ど の 極 端 な 方 法 で キ リ ス ト 教 を 弾 圧 す る こ と に な る ま た 、 休 戦 後 に お いて は 、 5 8 年 の 「 住 民 成 分 調 査 」 と 6 7 年 の 「 住 民 再 登 録 4 ) キム ・ イルソ ン 『 世 紀 と と も に 』 第 1 巻 、 2 6 7 頁 。 シ ン ・ ボ ブタ、 前 掲 書 、 7 4 頁 か ら 再 引 用 。 F 天 仏 教 」 は 1 9 3 0 年 を 前 後 に して 朝 鮮 半 島 の 白 頭 山 地 域 に 存 在 して い た 民 俗 仏 教 の 一 種 で あ る が 、 山 神 に 朝 鮮 の 独 立 を 祈 り っ づ け た と 言 う 。 5)ユン・イフムr宗教が北韓社会に及ぼす影響』(統一院調査研究室、1990年、ソウル)、25頁と、 シン・ボブタ、前掲書、69­70頁を参照。 6 ) 解 放 直 後 か ら 7 0 年 代 ま で に お け る 北 朝 鮮 の 宗 教 弾 圧 政 策 の 展 開 と キ リ ス ト 者 の 対 応 に つ い て は、滓正彦『南北朝鮮キリスト教史論』川本キリスト教団出版局、東京、1982年)、203­235頁 が 詳 細 に 論 じ て い る 。 7 ) 「 朝 鮒 丿 成 争 」 は 韓 国 で は 「 韓 国 戦 争 」 ま た は 「 6 ・ 2 5 戦 争 」 と 言 い 、 北 朝 鮮 で は [ 民 族 解 放 戦 争 ] と 言 う 。 こ の 戦 争 の 過 程 で、 南 北 朝 鮮 の プ ロ テス タ ン ト の 聖 職 者 3 1 2 人 が 失 踪 ま た は 処 刑 さ れ 、 7 4 8 ヵ 所 の 教 会 及 び 関 連 施 設 が 破 壊 さ れ た こ と が 確 認 さ れ て い る 。 こ の 点 に 関 して は 、 ノ ・ チ ジュ ン(韓国戦争が韓国教会心万)性格決定に及はした影響」(『キリスト教思想』438号、ソウル、1995年)、 1 4 一 1 5 頁 を 参 照 。 ま た 、 こ の 点 と 関 連 して 、 韓 国 キ リ ス ト 教 の 北 朝 鮮 及 び 共 産 主 義 に 対 す る 認 識 の 変 化 過 程 に つ い て は 、 拙 稿 「 韓 国 キ リ ス ト 教 に お け る 南 北 朝 鮮 和 解 の 理 念 と 活 動 j ( 『 地 域 文 化 研究』6号、東京、2002年)を参照されたい。 178

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事 業 」 を 実 施 し 、 こ の 過 程 で 宗 教 者 及 び 信 者 を 反 革 命 階 層 と し て 分 類 し 、 本 人 と そ の 家 族 を 監 視 す る こ と に よ り 、 宗 教 は 北 朝 鮮 社 会 で 表 面 上 完 全 に 消 滅 す る ことになる8)。 そ して 第 二 の 段 階 は 7 2 年 か ら 8 0 年 ま で と して、 こ の 時 期 は 「 宗 教 利 用 期 」 な い し 「 宗 教 団 体 再 登 場 期 」 と 規 定 す る こ と が で き よ う 。 7 2 年 7 月 に は 南 北 朝 鮮 の 当 局 者 は 自 主 ・ 平 和 ・ 民 族 大 団 結 と い う 統 一 の 三 大 原 則 に 合 意 す る こ と に な る 。 こ の 歴 史 的 な 「 7 ・ 4 南 北 共 同 声 明 」 が 発 表 さ れ た 後 、 南 北 朝 鮮 の 間 に は 多 様 な 交 流 と 対 話 が 試 み ら れ る の だ が 、 こ う し た 時 代 的 状 況 を 背 景 に し て 北 朝 鮮 の 宗 教 団 体 が 国 際 舞 台 に 再 登 場 し 、 主 に 対 外 的 な 活 動 だ け を 行 な う ( 例 え ば 、 仏教界の「朝鮮仏教徒連盟」の場合、1945年11月に結成され、64年から完全に姿 を 消 す の だ が 、 7 2 年 に 再 登 場 し 、 各 種 の 国 際 会 議 に 参 加 す る 。 そ して 、 プ ロ テ ス タ ン ト の 「 朝 鮮 キ リ ス ト 教 連 盟 」 と 天 道 教 の 「 天 道 教 中 央 指 導 委 員 会 」 が 7 4 年 か ら 活 動 を 再 開 す る 。 た だ 、 カ ト リ ッ ク の 場 合 は 8 8 年 か ら 「 朝 鮮 天 主 教 人 協 会」を結成することになる)。 こ の 時 期 に お け る 宗 教 団 体 の 再 登 場 の 背 景 及 び 目 的 に つ い て は 、 何 よ り も 7 2 年 1 1 月 に 採 択 さ れ た 北 朝 鮮 の 新 憲 法 に お け る 「 公 民 は 信 仰 の 自 由 と 反 宗 教 宣 伝 の 自 由 を 有 す る 」 と い う 条 項 か ら 推 論 す る こ と が で き る 。 こ の 新 憲 法 の 「 反 宗 教 宣 伝 の 自 由 」 の 意 味 に つ い て 、 北 朝 鮮 当 局 は 「 宗 教 が 非 科 学 的 な 反 動 教 理 で あ る と い う こ と を 自 由 に 解 説 し 、 宣 伝 す る こ と の で き る 公 民 の 基 本 原 理 」 で あ る と し 、 さ ら に は 、 「 宗 教 の 反 動 的 な 本 質 を 徹 底 に 暴 露 す る こ と に よ り 、 宗 教 を 他 国 に 対 す る 思 想 的 ・ 文 化 的 浸 透 の 重 要 な 手 段 と し て い る 帝 国 主 義 者 の 策 動 を 打 ち 破 る に お い て 重 要 な 意 義 を 持 つ 」 と 説 明 し て い る 呪 こ う し た 憲 法 上 の 「 反 宗 教 宣 伝 の 自 由 」 の 規 定 は 、 こ の 時 期 に お け る 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 の 真 意 が あ く ま で も 宗 教 の 拡 散 の 阻 止 に あ る と い う こ と を 示 す と い え よ う 。 し か も 、 北 朝 鮮 の よ う に 政 教 分 離 加 法 的 に 認 め ら れ ず、 国 家 権 力 が い つ で も 反 宗 教 宣 伝 の 自 由 を 行 使 す る こ と の で き る 状 況 に お い て は 、 そ の 規 定 は 実 際 に は 信 教 の 自 由 に 対 す る 厳 し い 統 制 を 意 味 す る と い え る 従 っ て 、 こ の 時 期 に お け る 北 朝 鮮 の 宗 教 団 体 の 再 登 場 は 、 主 に 他 国 の 宗 教 団 体 及 び 国 際 的 な 宗 教 組 織 に 対 し て 統 一 戦 線 を 形 成 す る と い う 政 治 的 な 目 的 か ら 行 な わ れ た も の であるといえよう。 最 後 に 第 三 段 階 と して 8 0 年 か ら 現 在 ま で で あ る が 、 こ の 時 期 に つ い て は 「 宗 8)ビョン・ジンフン、前掲論文、102頁。 9)法制処編著『北韓法制概要』(韓国法制研究院、ソウル、1992年)130­131頁。リュ・ソンミン 『北韓宗教研究エ』、16­17頁から再引用。 10)上同。また、滞正彦、前掲書、212頁、312­318頁を参照。 179

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教 活 動 許 容 期 」 な い し 「 宗 教 活 動 再 開 期 」 と し て 特 徴 づ け る こ と が で き る 。 つ ま り 、 各 宗 教 の 代 表 団 体 が 国 際 社 会 で 活 動 を 強 化 し つ つ も 、 一 方 、 こ の 時 期 に 入 り 北 朝 鮮 社 会 の 内 部 で 宗 教 本 来 の 活 動 が 部 分 的 に 再 開 さ れ る こ と に な る ( 例 え ば 仏 教 の 場 合 、 8 1 年 か ら 八 万 大 蔵 経 の 翻 訳 事 業 を 推 進 し 、 8 8 年 に は 戦 後 最 初 の 大 規 模 宗 教 行 事 で あ る 「 釈 誕 生 日 記 念 法 会 」 を 開 催 す る 。 そ し て キ リ ス ト 教 の 場 合 、 8 3 年 に は 聖 書 と 讃 美 歌 を 出 版 し 、 8 5 年 に は 平 壌 で 戦 後 最 初 の カ ト リ ッ ク の ミ サ を 行 な う 。 さ ら に 、 8 8 年 と 8 9 年 に は プ ロ テス タ ン ト の 教 会 と カ ト リ ッ ク の 教 会 を そ れ ぞ れ 平 壌 で 建 て る 坦 。 こ う し た 一 連 の 変 化 に つ い て は 、 お お む ね つ ぎ の 二 つ の こ と を そ の 背 景 及 び 理 由 と して 指 摘 す る こ と が で き よ う 。 ま ず ひ と つ は 、 北 朝 鮮 の メ ディア や 学 者 の 主 張 に よ る も の と し て 、 北 朝 鮮 の 指 導 理 念 で あ る 主 体 思 想 の 宗 教 観 自 体 の 変 化 が 考 え ら れ る 。 例 え ば 、 8 8 年 に 北 朝 鮮 の 韓 国 に 対 す る 宣 伝 機 関 で あ る 「 韓 国 民 族 民 主 戦 線 」 の 放 送 は 、 金 正 日 の 教 示 を 引 用 し つ つ 、 主 体 思 想 が 宗 教 を 肯 定 的 に 捉 え る 理 由 に つ い て つ ぎの よ う に 述 べ て い る 。 ま ず 第 一 に 、 宗 教 が 人 間 に 対 す る 尊 重 と 愛 ・ 万 民 平 等 を 主 張 して お り 、 第 二 に 、 宗 教 が 民 衆 の 自 主 的 要 求 を 反 映 す る 方 向 に 発 展 して お り 、 第 三 に 、 解 放 神 学 な ど 、 宗 教 が 抑 圧 者 や 反 動 的 な 統 治 体 制 に 抵 抗 して き た か ら だ と い う こ と で あ る 。 そ して こう し た 主 張 は 、 8 0 年 代 に 入 り 機 会 あ る ご と に 、 北 朝 鮮 の 代 表 的 な 理 論 家 た ち に よ り 繰 り 返 さ れ て き て い る 呪 し か し 、 北 朝 鮮 が 宗 教 政 策 を 転 換 して い る 背 景 に は 、 思 想 的 な 問 題 以 前 に 、 実 際 の 政 治 経 済 的 な 要 求 が あ っ た と 思 わ れ る 。 つ ま り 、 8 0 年 代 以 後 東 欧 及 び ソ 連 と い っ た 社 会 主 義 圏 の 崩 壊 に よ り 北 朝 鮮 が 外 交 的 な 孤 立 と 経 済 的 な 難 局 に 追 い 込 ま れ る こ と に な り 、 こ う し た 状 況 を 打 開 す る た め に 、 西 欧 社 会 へ の 開 放 政 策 の 一 環 と し て 宗 教 の 存 在 を 認 め 、 そ の 活 動 を 部 分 的 に 保 障 せ ざ る を 得 な く な っ た と い え る だ ろ う n ) 8 0 年 代 以 後 に お け る 北 朝 鮮 の 各 宗 教 団 体 の 活 動 状 況 に 関 し て は 、 ビ ョ ン ・ ジ ン フ ン 『 北 韓 に 吹 く 風 』 ( サ ラム と サ ラム 、 ソ ウル 、 1 9 9 3 年 ) 、 シ ン ・ ボ ブタ の 前 掲 書 が 年 表 で 詳 し く 整 理 して い る 。 1 2 ) 8 0 年 代 に 北 朝 鮮 の 学 者 が 主 体 思 想 の 観 点 か ら 宗 教 観 に つ い て 述 べ た も の と して は 、 平 壌 社 会 科 学 院 主 体 思 想 研 究 所 長 で あ る パ ク ・ ス ン ド ク 氏 が 8 8 年 に 国 際 学 術 シ ン ポ ジ ウ ム で 発 表 し た 「 主 体 思想の宗教観」(『キリスト教と主体思想』、ソウル、1993年)が代表的である。また、その他に80 年 代 に お け る 北 朝 鮮 の 代 表 的 な 理 論 家 た ち の 宗 教 観 に つ い て は 、 ビ ョ ン ・ ジ ン フ ン 「 北 韓 の 宗 教 観」(『歴史と社会』別冊、ソウル、1997年)、738­741頁が簡単に纏めている。 1 3 ) 8 0 年 代 以 後 に お け る 北 朝 鮮 の 経 済 的 困 難 は 、 低 い 経 済 成 長 率 に よ く 現 れ て い る 。 つ ま り 、 北 朝 鮮の国民総生産(GNP)の成長率は85年から90年まで年平均1.6%であり、90年代に入ってからは マ イ ナ ス 成 長 を 持 続 し た 。 こ う し た 経 済 的 困 難 を 打 開 す る た め に 、 北 朝 鮮 は 8 4 年 に 外 国 企 業 の だ め の 合 営 法 、 9 2 年 に 外 国 人 投 資 法 、 9 3 年 に は 土 地 賃 代 法 な ど を 制 定 し 、 外 国 人 の 投 資 の た め の 環 境整備に努力している。この点に関しては、韓国統一院『統一白書』(ヽソウル、1994年)、23頁を 参考。 180

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だ が 、 そ の 理 由 は い か な る も の で あ れ 、 北 朝 鮮 が 8 0 年 代 に 入 り 宗 教 本 来 の 存 在 と 活 動 を 部 分 的 に 許 容 し 始 め た と い う こ と は 間 違 い な い と い え よ う 。 そ して 、 こう し た 新 し い 政 策 へ の 転 換 は 9 0 年 代 も 続 け ら れ る 。 3 1 9 9 0 年 代 の 宗 教 政 策 の 変 化 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 の 変 化 と い う 側 面 か ら 9 0 年 代 に 特 に 注 目 すべ き こ と は 、 9 2 年 4 月 に 採 択 さ れ た 改 正 憲 法 と 、 同 年 3 月 に 発 行 さ れ た 『 朝 鮮 語 大 事 典 』 で あ る 。 ま ず 改 正 憲 法 は 宗 教 関 連 条 項 に お い て 、 「 公 民 は 信 仰 の 自 由 を 有 す る 。 こ の 権 利 は 宗 教 建 築 物 を 建 て た り 、 宗 教 儀 式 等 を 許 容 す る こ と で 保 障 さ れ る 。 何 人 も 宗 教 を 外 部 勢 力 を 引 き 入 れ た り 、 国 家 社 会 秩 序 を 害 す る こ と に 利 用 す る こ と は で き な い 」 と 規 定 し て い る 呪 も ち ろ ん こ の 規 定 も 、 布 教 の 自 由 や 政 治 的 批 判 の 権 利 を 禁 止 して い る と い う 点 で 極 め て 不 充 分 な も の で あ る が 、 何 よ り 7 2 年 の 憲 法 に お い て 宗 教 弾 圧 の 法 的 な 根 拠 に な っ た 「 反 宗 教 宣 伝 の 自 由 」 の 規 定 を 削 除 し た と い う 点 で 、 北 朝 鮮 当 局 の 宗 教 に 対 す る 態 度 の 変 化 を 表 す も の で あ る と い え よ う 。 つ ま り 、 少 な く と も 政 策 的 な 次 元 で 、 従 来 の 「 戦 闘 的 な 無 神 論 」 を 放 棄 し つ つ あ る と 解 釈 す る こ と が で き よ う 。 ま た 、 北 朝 鮮 の 国 立 機 関 で あ る 「 社 会 科 学 院 言 語 学 研 究 所 」 が 編 纂 し た 『 朝 鮮 語 大 事 典 』 も こ の 時 期 の 宗 教 政 策 の 転 換 を 示 す も の で あ る ( 北 朝 鮮 に お い て 「 事 典 」 は 国 家 の 公 式 立 場 に 基 づ い て 公 刊 さ れ る も の で あ り 、 従 っ て 「 事 典 」 の 内 容 の 変 化 は 国 家 の 基 本 方 針 の 変 化 を 表 す と い え る ) 呪 80年代までの北朝鮮の諸事典(『歴史事典』『政治事典』『哲学事典』『現代朝 鮮 語 事 典 』 な ど ) は 、 一 律 的 に 金 日 成 の 著 作 を 引 用 し つ つ 、 反 帝 国 主 義 と 反 封 建 主 義 と い う 政 治 的 基 準 か ら 2 0 0 余 個 に 及 ぶ 宗 教 関 連 項 目 の ほ と ん ど すべ て を 否 定 的 に 説 明 して い る 。 例 え ば 、 7 3 年 に 発 行 さ れ た 『 政 治 事 典 』 の 「 宗 教 」 項 目 の 場 合 、 「 宗 教 は 一 種 の 迷 信 で あ る 」 と い う 金 日 成 の 教 示 を 引 用 し つ つ 、 「 人 民 大 衆 を 欺 隔 し 搾 取 抑 圧 す る 道 具 と して 利 用 さ れ た 」 と い う 点 を 強 調 して お り 、 8 1 年 の 『 哲 学 事 典 』 に お い て 乱 「 仏 教 ・ キ リ ス ト 教 ・ イ ス ラ ム 教 な ど の い か な る 形 態 の 宗 教 で あ れ 、 そ れ は 現 実 が 人 間 意 識 に 反 映 さ れ た も の と し て 、 そ の 内 容 は 全 体 が 虚 偽 で あ る 」 と 説 明 し て い る そ し て 、 「 社 会 科 学 院 言 語 学 研 究 所 」 1 4 ) リュ ・ ソ ン ミ ン 『 北 韓 宗 教 研 究 H 』 ( 現 代 社 会 研 究 所 、 ソ ウル 、 1 9 9 3 年 ) 、 6 ­ 8 頁 。 ま た 日 本 語の文献としては、大内憲昭『法律からみた北朝鮮の社会』(明石書店、東京、1995年)、236頁。 1 5 ) 北 朝 鮮 の 国 語 学 界 の 宗 教 理 解 に つ いて は 、 リュ ・ ソ ン ミ ン 『 北 韓 宗 教 研 究 H 』 、 3 1 ­ 7 6 頁 が 先 駆 的 で 詳 細 な 分 析 を 行 っ て い る 。 そ し て 、 『 朝 鮮 語 大 事 典 』 の 編 纂 作 業 が 8 5 年 か ら 始 ま っ た こ と を 考 え る と 、 北 朝 鮮 の 宗 教 観 の 変 化 は す で に 8 0 年 代 か ら 始 ま っ て い た と 解 釈 さ れ る 。 16)『政治事典』(社会科学出版社、平壌、1973年)、1047頁。『哲学事典』(社会科学院哲学研究所、 平壌、1981年)、647頁。 181

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が 8 1 年 に 編 纂 し た 『 現 代 朝 鮮 語 事 典 』 に お いて も 、 例 え ば 「 宗 教 」 「 神 学 」 「 宗 教 教 育 」 の 項 目 を そ れ ぞ れ っ ぎ の よ う に 説 明 し て い る ( 全 文 引 用 爪 。 「 宗 教 : 『 神 』 『 ハ ナ ニ ム 』 の よ う な 自 然 と 人 間 を 支 配 す る あ る 超 自 然 的 で 超 人 間 的 な 存 在 や 力 が あ る と し つ つ 、 そ れ を 盲 目 的 に 信 じ そ れ に 頼 り つ つ 生 き る よ う に し 、 い わ ゆ る 来 世 で の 幸 せ な 生 活 を 夢 見 る こ と を 説 教 す る 反 動 的 な 世 界 観 、 ま た は そ の よ う な 組 織 。 信 じ る 対 象 と 方 式 に よ り 、 い ろ い ろ な 宗 教 が あ る 。 こ れ は 自 然 的 な 力 や 社 会 的 な 力 に 対 す る 誤 ま っ た 認 識 に 基 づ い て い る 幻 想 的 な も の で あ り 、 歴 史 的 に は 支 配 階 級 が 人 民 を 欺 き 抑 圧 搾 取 す る 道 具 と し て 利 用 さ れ 、 近 代 に 入 っ て は 帝 国 主 義 者 た ち が 自 国 よ り 劣 る 国 々 を 侵 略 す る 思 想 的 道 具 と し て 利 用 さ れ た 。 宗 教 は 人 民 大 衆 の 革 命 意 識 を 麻 庫 さ せ 、 搾 取 と 抑 圧 に 無 条 件 に 屈 従 す る 無 抵 抗 主 義 を 鼓 吹 す る ア ヘンである」 「 神 学 : 神 に 関 す る 宗 教 的 教 理 を 研 究 す る と い う 学 問 。 つ ま り 観 念 論 的 世 界 観 に 基 づ い て 宗 教 的 教 理 を 合 理 化 し よ う と す る 非 科 学 的 な 学 問 で あ る 」 「 宗 教 教 育 : 宗 教 の 『 教 理 』 を 吹 き 込 む 反 動 的 で 非 科 学 的 な 教 育 」 し か し 、 こ の よ う な 宗 教 関 連 項 目 に 対 す る 否 定 的 な 説 明 は 、 同 研 究 所 が 9 2 年 に 編 纂 し た 『 朝 鮮 語 大 事 典 』 に お い て は 全 面 的 に 修 正 さ れ る 。 つ ま り 、 「 迷 信 」 「反動的世界観」「搾取道具」「アヘン」「幻惑」「偽善」などの表現がなくなり、 そ の 代 わ り に 宗 教 に 関 連 し た す べ て の 項 目 に つ い て 比 較 的 に 客 観 的 な 説 明 を 行 っ て い る 呪 例 え ば 、 「 宗 教 」 「 神 学 」 「 宗 教 教 育 」 に っ い て は っ ぎの よ う に 説 明 して い る ( 全 文 引 用 ) 呪 「 宗 教 : 社 会 的 人 間 の 志 向 と 念 願 を 幻 想 的 に 反 映 し 、 神 聖 視 し 奉 る 超 自 然 的 で 超 人 間 的 な 存 在 に 対 す る 絶 対 的 な 信 仰 、 ま た は そ の 信 仰 を 説 教 す る 教 理 に 基 づ い て い る 世 界 観 計 神 』 『 ハ ナ ニ ム 』 の よ う な 神 々 し い 存 在 を 信 じ 、 そ れ に 依 存 し て 生 き て い く 時 に の み 、 あ り と あ ら ゆ る 願 い が 成 就 す る だ け で な く 、 来 世 に お い て も 永 遠 な 幸 福 を 享 受 す る よ う に な る と 説 教 す る 。 原 始 宗 教 か ら 始 ま り 、 仏 教 ・ キ リ ス ト 教 ・ イ ス ラ ム な ど 、 数 多 く の 宗 教 と 宗 派がある」 「 神 学 : 神 に 関 す る 宗 教 的 教 理 を 研 究 す る 学 問 で あ る 。 キ リ ス ト 教 で イ エ ス の 教 理 を 学 問 と して 教 え る 学 科 目 」 17)[現イ刎9]鮮語事典』(社会科学院言語学研究所、平壌、1981年)、1577頁、1831頁。 18)リュ・ソンミンr北韓宗教研究II』、36­37頁を参照。 19)『朝鮮語大事典』(社会科学院言語学研究所、平壌、1992年)、第1巻の1921頁、第2巻の264頁。 182

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「 宗 教 教 育 : 宗 教 の 教 理 と 戒 律 を 教 える 教 育 」 こ う し た 事 典 に お け る 説 明 内 容 の 変 化 は 、 北 朝 鮮 が 今 後 よ り 積 極 的 に 開 放 的 な 宗 教 政 策 を 運 用 し て い く こ と を 示 唆 す る も の で あ る と い え よ う 。 そ し て 、 前 述 し た よ う な 憲 法 上 の 反 宗 教 宣 伝 条 項 の 削 除 、 宗 教 行 事 の 実 施 、 宗 教 施 設 の 拡 充 、 様 々 な 次 元 の 宗 教 者 交 流 な ど の 変 化 と と も に 、 北 朝 鮮 の 一 般 住 民 に 宗 教 の 世 界 を 直 接 経 験 し 、 ま た 宗 教 に 対 す る 否 定 的 な 認 識 を 払 拭 す る 機 会 を よ り 多 く 与 え る と い う 点 で 、 大 き な 意 味 を 持 つ も の で あ ろ う 。 次 節 で は 、 最 近 の 北 朝 鮮 の 宗 教 状 況 を 見 る こ と に し た い 。 4 北 朝 鮮 宗 教 の 現 況 北 朝 鮮 の 宗 教 者 及 び 信 者 の 数 や 活 動 状 況 、 そ し て 一 般 住 民 の 信 仰 生 活 な ど に つ い て は 、 冒 頭 で 言 及 し た よ う に 北 朝 鮮 当 局 が 公 式 に 発 表 し て い な い が 故 に 、 そ の 実 態 を 正 確 に 捉 え る こ と が 難 し い 。 従 っ て 、 北 朝 鮮 当 局 者 や 宗 教 者 の 発 言 、 そ し て 北 朝 鮮 へ の 訪 問 者 や 韓 国 へ の 北 朝 鮮 亡 命 者 た ち の 証 言 な ど に 基 づ い て 現 在 の 北 朝 鮮 の 宗 教 状 況 を 推 論 して み る し か な い 。 ま ず、 北 朝 鮮 の 宗 教 人 口 及 び 宗 教 施 設 の 現 況 に つ い て は 、 9 4 年 に 北 朝 鮮 当 局 の 非 公 式 な 主 張 と し て 韓 国 の 統 一 省 ( 南 北 朝 鮮 関 係 の 諸 問 題 を 管 轄 す る 韓 国 の 政 府 機 関 ) が 公 開 し た 資 料 と 、 9 0 年 代 の 北 朝 鮮 宗 教 者 の 発 言 な ど を 纏 め て み る と、つぎのようである2呪 宗 敦

聖職者数(名)

施設数(個)

信徒数(名)

仏 敦 300 60 10,000 プ ロ テ ス タ ン ト 30 2 10,000 カ ト リ ッ ク 0 1 3,000 天 道 敦 0 800 15,000 こ の 数 字 に よ る と 、 北 朝 鮮 の 宗 教 人 口 は お よ そ 3 万 8 千 人 で 、 総 人 口 2 千 2 百万人の0.2%である。これは、1S)97年における韓国の総人口が約4千5百万人 で あ り 、 そ の な か 約 2 千 2 百 万 人 ( 5 0 % ) が 宗 教 人 口 で あ る こ と と 比 較 して み る 時 、 宗 教 が ほ と ん ど 存 在 し な い と い え る ほ ど 微 々 た る も の で あ る と い え る 。 そして、45年の解放を前後にして北朝鮮の宗教人口が約200万人(天道教:150 万 、 仏 教 : 3 7 万 、 プ ロ テス タ ン ト : 2 0 万 、 カ ト リ ッ ク : 5 万 で、 当 時 の 総 人 □ 950万人の21%)であったことを考えると八共産主義政権の樹立から50年余間 j j 0 1 1 1 y   l   1   4 1   1   1 0 5 リ ュ ・ ソ ン ミ ン 『 北 韓 住 民 の 宗 教 生 活 』 ( 公 報 処 、 ソ ウ ル 、 1 9 9 4 年 ) 、 1 3 5 ­ 1 4 0 頁 を 参 照 。 上掲書、133­134頁。 183

(9)

の 北 朝 鮮 の 歴 史 は 宗 教 消 滅 の 歴 史 と も い え よ う 。 一 方 、 北 朝 鮮 か ら の 亡 命 者 た ち の 複 数 の 証 言 に よ る と 、 北 朝 鮮 の 大 多 数 の 一 般 住 民 は 宗 教 に 対 して ほ と ん ど 無 知 で あ る か 、 反 感 を 持 っ て い る と 言 う 2 呪 特 に キ リ ス ト 教 に 対 して は 敵 対 な い し 恐 怖 の 感 情 を 抱 い て い る が 、 こ れ は 朝 鮮 戦 争 の 時 か ら 始 ま っ た アメ リ カ に 対 す る 否 定 的 な 認 識 と 深 く 関 わ っ て い る と い え る 。 し か し 、 前 述 し た よ う に 、 最 近 北 朝 鮮 に お け る 宗 教 活 動 の 環 境 が 好 転 して い る こ と は 明 ら かで あ る 。 以 下 に お いて は 、 宗 教 ご と に 宗 教 生 活 の 実 状 を 見 る こ と に す る 。 ま ず 仏 教 の 場 合 、 「 朝 鮮 仏 教 徒 連 盟 」 が 全 国 の 僧 侶 と 仏 教 徒 を 代 表 して い る 。 しかし、連盟の代1吏ど|生は国家から与えられ、連盟傘下のすべての寺院と文化財 な ど の 財 産 は 国 家 所 有 に な っ て い る 。 ま た 、 連 盟 の 予 算 も 国 家 か ら 与 え ら れ る 。 そ の 主 な 活 動 と し て は 、 韓 国 及 び 世 界 各 国 の 仏 教 界 と の 交 流 、 寺 院 及 び 文 化 財 の 管 理 、 僧 侶 教 育 と 養 成 、 全 国 的 な 次 元 の 法 会 の 開 催 な ど を 挙 げ る こ と が で き るが、宗教本来の布教活動は規制されている23)。 ま た 、 北 朝 鮮 仏 教 に 宗 派 は 存 在 し な い が 、 彼 ら は 自 ら を 曹 渓 宗 ( 禅 宗 ) と 同 L ニ 法 脈 に 属 す る も の と 認 識 して い る 。 経 典 は 金 剛 経 と 般 若 経 が 中 心 で あ り 、 宗 教 儀 式 ば 主 に 『 釈 門 儀 範 』 に 準 じ て 行 わ れ る 。 ま た 、 ほ と ん ど す べ て の 僧 侶 は 在 家 生 活 を し 、 生 計 は 連 盟 を 通 し た 国 家 か ら の 給 料 で 賄 う 。 寺 院 に 常 住 す る 僧 侶 は 珍 し く 、 専 門 的 な 修 行 道 場 や 、 安 居 な ど の 修 行 規 則 は な い と い わ れて い る 。 そ し て 寺 院 ご と の 日 曜 法 会 な ど の 定 期 法 会 は な い が 、 釈 誕 生 日 ・ 成 道 日 ・ 涅 槃 日 に は 必 ず 法 会 を 開 き 、 伝 統 的 な 仏 教 儀 式 を 行 う 。 僧 侶 養 成 機 関 の 場 合 、 一 ヵ 所 の 「 仏 学 院 」 で 3 0 人 を 3 年 コ ース で 教 育 して お り 、 9 6 年 か ら 卒 業 生 を 寺 院 に 配 置 し て い る 。 一 般 信 者 の 自 律 的 な 信 仰 生 活 に つ い て は ほ と ん ど 知 ら れ て い な い が 、 今 も 農 村 で は 新 し い 穀 物 を ま ず 仏 殿 に 捧 げ る と い う 伝 統 が 残 さ れ て お り 、 特 に 釈 誕 生 日 に は 寺 院 を 訪 れ る 人 が 1 0 万 人 を 越 える と 言 う 2 呪 キ リ ス ト 教 に お け る プ ロ テス タ ン ト の 場 合 、 「 朝 鮮 キ リ ス ト 教 連 盟 」 が 国 家 か ら 代 表 性 を 付 与 さ れ 活 動 して い る 。 前 述 し た よ う に 、 北 朝 鮮 で キ リ ス ト 教 は 、 朝 鮮 戦 争 以 後 ア メ リ カ の 文 化 的 な 侵 略 の 手 段 と し て み な さ れ 、 最 も 多 く の 迫 害 を 受 け て き た 。 し か し 7 2 年 か ら 連 盟 が 再 登 場 し 、 世 界 教 会 協 議 会 ( W C C ) な ど の 世 界 各 国 の キ リ ス ト 教 団 体 と の 連 帯 活 動 を 試 み て い る ま た 、 同 じ 年 に 「 平 2 2 ) 例 え ば 、 9 0 年 代 の 初 め に 韓 国 に 亡 命 し た 2 0 代 の 人 は 、 「 牧 師 」 や 「 神 父 」 と い う 言 葉 が 人 の 名 前 で あ る と 思 って い た と 証 言 して い る 。 上 掲 書 、 3 4 ­ 4 3 頁 を 参 照 。 23)イ・ジボム「北韓仏教の咋日と今日」(『仏教評論』第5号、ソウル、2000年)、251­267頁を参 照。 24)シン・ボブタ『北韓仏教研究』、131­144頁を参照。 2 5 ) 南 北 朝 鮮 の キ リ ス ト 者 の 出 合 い の 歴 史 に つ い て は 、 拙 稿 「 韓 国 キ リ ス ト 教 に お け る 南 北 朝 鮮 和 解の理念と活動」、92­94頁を参照されたい。 184

(10)

壌 神 学 院 」 を 設 立 し 、 3 年 ご と に 十 余 名 の 卒 業 生 を 輩 出 し て い る と 言 う 。 毎 週 日 曜 日 ご と に 2 ヵ 所 の 教 会 で 主 に 「 長 老 教 」 の 儀 式 に 準 じ た 礼 拝 を 行 っ て お り 、 信 者 は 中 老 年 層 が 多 い と 言 う 。 そ して 全 国 に 5 0 0 ヵ 所 の 「 家 庭 教 会 」 が あ り 、 各 家庭教会では平均15人程度の集いが持たれると言う2‰ カ ト リ ッ ク の 場 合 に は 、 8 8 年 に 「 朝 鮮 天 主 教 協 会 」 が は じ め て 結 成 さ れ 、 世 界 の カ ト リ ッ ク 団 体 及 び ロ ー マ 法 王 庁 と の 交 流 活 動 を 試 み て い る 。 法 王 庁 か ら 公 認 さ れ た 聖 職 者 ( 神 父 ) は ま だ 1 人 も い な い が 、 洗 礼 は 国 外 か ら 司 祭 が 来 た 時に受けると言う。89年に建てられた教会で毎週200人程度の信徒が略式にミサ を 行 っ て お り 、 最 近 で は 積 極 的 に 旧 信 徒 を 捜 し 出 し 、 約 3 千 余 名 の 信 者 が 協 会 に 登 録 し た と 言 う 2 最 後 に 天 道 教 に つ い て 述 べ よ う 。 こ の 宗 教 は 民 族 宗 教 で あ る が 、 7 4 年 に 「 朝 鮮 天 道 教 中 央 委 員 会 」 が 発 足 さ れ 、 8 6 年 か ら 毎 年 、 天 道 教 創 道 記 念 式 を 挙 行 し て き て い る 。 9 0 年 代 に 入 っ て か ら は 、 韓 国 の 天 道 教 と の 交 流 を も 試 み て い る 。 他 の 宗 教 と は 異 な り 「 天 道 教 青 友 党 」 と い う 政 党 を 持 ち 、 北 朝 鮮 の 政 治 体 制 と 緊 密 な 協 調 関 係 を 維 持 し て き て い る 。 特 に 、 金 正 日 政 権 が 民 族 主 体 性 の 確 立 と い う 次 元 で 優 遇 し て い る と 言 う 現 在 北 朝 鮮 で 最 も 多 く の 宗 教 施 設 ( 教 堂 ) 及 び 信 徒 を 持 っ て い る と い わ れ て い る が 、 一 般 信 者 の 信 仰 生 活 に つ い て は ほ と ん ど知られていない。 5 結 び 以 上 、 北 朝 鮮 の 宗 教 政 策 の 変 化 と 宗 教 の 現 状 に つ い て 見 て き た 。 本 文 で 言 及 し た 通 り に 、 北 朝 鮮 は 8 0 年 代 か ら 宗 教 活 動 を 制 限 的 に 許 容 し 、 さ ら に そ の 変 化 の 正 当 性 を 主 体 思 想 の 宗 教 観 に よ り 根 拠 づ け よ う と し て い る 。 し か し 北 朝 鮮 の 新 憲 法 が 示 す よ う に 、 現 段 階 の 宗 教 政 策 は 布 教 の 自 由 ・ 信 仰 集 団 の 組 織 及 び 運 営 の 自 由 ・ 社 会 的 活 動 の 自 由 な ど を 禁 止 し て い る と い う 点 で 極 め て 不 十 分 な も の で あ る と い え る 。 特 に そ れ ぞ れ の 宗 教 団 体 が 一 つ の 連 盟 な い し 協 会 の 形 態 で 存 在 して い る と い う こ と は 実 質 的 な 国 家 統 制 の 結 果 で あ る と い う し か な い 2 9 ) 。 そ し て 、 こ の 意 味 に お い て 北 朝 鮮 の 宗 教 及 び 宗 教 者 は 国 家 権 力 か ら の 独 立 性 と 26)リュ・ソンミン『北韓住民の宗教生活』、138­139頁。 2 7 卜 上 同 。 ま た 、 9 3 年 に 協 会 の 代 表 4 人 が 初 め て 日 本 を 訪 問 し た 時 、 信 者 の 数 に つ い て 、 3 千 8 百 人 程 度 で あ り 、 徐 々 に 増 えて い る と 述 べ て い る 。 1 9 9 3 年 5 月 2 3 日 の [ ] 本 の 「 カ ト リ ッ ク 新 聞 」 を 参照。 2 8 ) リ ュ ・ ソ ン ミ ン 「 最 近 北 韓 の 宗 教 政 策 と 南 韓 宗 教 人 の 対 北 活 動 」 ( 韓 国 神 学 大 学 宗 教 文 化 研 究 所 『宗教文化研究』創刊号、ソウル、1999年)、23­24頁を参照。 2 9 ) ビョ ン ・ ジ ン フ ン 「 民 族 福 音 化 と 北 韓 の イ デ オ ロ ギ ー 」 、 1 0 1 頁 、 同 「 現 代 北 韓 に お け る 宗 教 と 国家」(仁川カトリック大学出l版部『教会と国家』、ソウル、1997年)、790­792頁を参照。 185

(11)

自 律 性 を 保 っ て い る と は い え な い だ ろ う 。 し か し な が ら 、 そ れ に も 関 わ ら ず、 北 朝 鮮 の 宗 教 及 び 宗 教 者 を 単 に 自 由 主 義 的 な 視 点 か ら 、 体 制 宗 教 ま た は 体 制 宗 教 者 と し て 短 絡 的 に 批 判 す る こ と は 避 け る べ き で あ ろ う 。 と い う の も 、 北 朝 鮮 の 宗 教 に お け る 現 実 は 宗 教 者 個 人 に 由 来 す る 問 題 で は な く 、 根 本 的 に 社 会 主 義 と い う 政 治 経 済 体 制 の 樹 立 過 程 に 由 来 す る 問 題 だ か ら で あ る 。 従 っ て 、 む し ろ 可 能 な 限 り 、 現 在 の 北 朝 鮮 の 宗 教 者 の 置 か れ て い る 立 場 か ら 彼 ら の 宗 教 と 信 仰 を 理 解 し よ う と す る 姿 勢 が 望 ま し い と い え る 。 な ぜ な ら 、 こ う し た 理 解 に 基 づ い た 対 話 と 相 互 交 流 が 今 後 の 北 朝 鮮 宗 教 の 自 律 的 な 成 長 を 助 け 、 さ ら に は 北 朝 鮮 体 制 の 一 層 の 変 化 と 開 放 を も た ら す こ と が で き る か ら で あ る 。 ま た こ の 意 味 で、 今 後 の 北 朝 鮮 宗 教 の 研 究 に お い て も 、 北 朝 鮮 の 政 治 経 済 体 制 の 全 般 的 な 変 化 と 関 連 し て 、 北 朝 鮮 の 論 理 か ら 内 在 的 に 接 近 し よ う と す る 視 点 と 知 的 な 努 力 が 必 要 で あ る と い え る 3 呪 3 0 ) 北 朝 鮮 の 論 理 か ら 内 在 的 に 北 朝 鮮 の 宗 教 及 び 宗 教 政 策 を 研 究 す る た め C こ は 、 可 能 な 限 り 北 朝 鮮 で 出 版 さ れ た 文 献 を 通 じ て 研 究 が 行 わ れ な け れ ば な ら な い と 思 う 。 186

参照

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