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密教文化 Vol. 1975 No. 110 003日野西 真定「登山帳からみた高野参詣の諸問題 (その一) P53-81」

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全文

(1)

(そ

一)

西

前 言 高 野 山 へ、 ど ん な 人 が、 ど ん な 祈 願 を も ち、 ど の 道 を、 ど の よ う に し て 登 っ て 来 た の で あ ろ う か。 こ れ は、 高 野 山 史 の 重 要 な 一 面 で あ る。 こ れ を 解 明 す る の に は、 実 地 調 査、 そ し て 文 献 面 で は、 各 参 詣 記 及 び 物 語 と、 山 内 に 現 存 す る 登 山 帳 は じ め 関 係 文 書 と が 挙 げ ら れ る。 そ こ で 先 づ 登 山 帳 の 調 査 か ら は じ め て い る。 幸 に 金 剛 峯 寺 に は 旧 案 内 所 々 収 の 同 帳 が 二 百 冊 以 上 現 存 し、 又 各 寺 に も 保 存 さ れ て い る よ う で あ る。 現 在 の 見 通 し と し て は、 永 録 の 頃 以 降 の 参 詣 者 が 拾 え る よ う で あ る。 な お 現 在 各 寺 で は 毎 年 膨 大 な 参 詣 者 名 が 記 録 さ れ て い る が、 上 限 は 記 録 に 見 え る 限 り、 下 限 は 女 人 禁 制 の 解 か れ た 明 治 三 十 年 代 位 い に お き、 調 査 を ま と め た い と 考 え て い る。 登 山 帳 は、 言 う ま で も な く 参 詣 者 名 を 記 す る 宿 帳 と も 言 う べ き も の で、 具 体 的 に 参 詣 し た 人 の 内 容 を 知 る 重 要 な 手 掛 り で あ り、 そ の 内 部 か ら の 解 明 と 毛 言 え る。 と こ ろ が、 金 剛 峰 寺 蔵 の 旧 案 内 所 蔵 の も の の 多 く は、 あ る 時 期 に 各 寺 か ら 書 き ま と め て 提 出 さ れ た も の の よ う で、 筆 跡 が 一 貫 し て い る。 恐 ら く 明 治 に な り 何 か の 必 要 が あ り、 各 寺 よ り 提 出 さ れ た も の で は あ ろ う。 各 寺 に は こ の 原 簿 が あ っ た 筈 で あ る。 そ の う ち の 一 つ で は な い か と 考 え ら れ る の に 現 高 野 山 大 学 図 書 館 収 蔵 の 三 宝 院 登 山 帳 十 四 冊 が あ る。 こ れ を 見 る と、 人 名 だ け で は な く 各 種 の 書 込 み が あ り、 そ の 事 情 調 査 の た め に は、 好 個 の も の で あ る。 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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笛 教 文 化 こ れ に 対 し、 金 剛 峰 寺 蔵 の も の の 多 く は、 ま だ 僅 か し か 調 査 は 進 め て い な い が、 整 理 さ れ 過 ぎ 人 名 だ け で、 史 料 的 価 値 は 半 減 し て い る と 言 え る。 こ の 点 既 に こ れ を 調 査 さ れ た 九 大 の 新 城 常 三 教 授 も 指 摘 さ れ て い る。 な お、 こ れ ま で に こ の 登 山 帳 を 調 査 研 究 さ れ た も の に 新 城 (1) 教 授 の ﹃ 社 寺 参 詣 の 社 会 経 済 史 的 研 究 ﹄ の 第 四 節 の 四 ﹁ 高 野 山 詣 ﹂ が あ る。 教 授 は、 中 世 末 よ り 慶 応 ま で の 間 の 数 カ 国 の 登 山 者 の デ ー タ を 作 ら れ、 こ れ を 社 会 経 済 的 立 場 か ら 検 討 を 加 え ら れ、 そ の 階 層 に 武 士、 商 人、 有 力 農 民 が 多 く、 宗 派 的 に は 超 宗 派 性、 越 後 の 女 人 参 詣 が 多 か っ た 点 等 を 指 摘 さ れ て い る。 し か し、 前 記 の よ う な 金 剛 峯 寺 蔵 の を 主 体 に 調 査 さ れ た 点 も あ り、 さ ら に 我 々 が 知 ろ う と す る、 登 山 道 の 利 用 度、 そ の 具 体 的 事 情、 信 仰 内 容 の 点 に つ い て は 全 く 言 及 さ れ て い な い。 と こ ろ で、 前 記 し た が、 私 が 今 回 扱 っ た 三 宝 院 登 山 帳 か ら は、 そ の 書 込 み か ら、 何 分 か こ の 面 を 解 明 出 来 る よ う で あ る。 そ し て 今 後 の 調 査 に 対 し て、 問 題 点 も 指 摘 出 来 る よ う で あ る。 本 来 で あ る な ら、 現 存 す る 全 部 の 帳 に つ い て 調 査 検 討 を 加 え た 上 で、 本 論 文 を 発 表 す る 予 定 で あ っ た が、 編 集 の 都 合 上、 そ の 一 部 で も 今 回 発 表 す る よ う に と の 編 集 者 の す す め か ら、 こ れ を 第 一 回 と し て 発 表 さ せ て 戴 く こ と を 前 も っ て 断 っ て お き た い。 又、 他 の 文 献 類 の 調 査 も、 本 帳 を 解 明 出 来 る 範 囲 に 止 め て い る 点 も 断 っ て お き た い。 前 記 し た よ う に、 い つ れ 各 方 面 に 調 査 を の ば し て い く 計 画 な の で あ る。 一、 三 宝 院 登 山 帳 の 概 略 (2) 三 宝 院 は 現 在 蓮 華 谷 に あ る が、 ﹃ 紀 伊 続 風 土 記 ﹄ ( 第 二 輯) に は 南 谷 あ り、 行 人 方 の 上 通 に 列 せ ら れ て お り、 参 詣 人 も 泊 め て い た の で あ る。 奥 州 二 本 松 城 主 丹 羽 家、 越 後 新 発 田 城 主 溝 品 家、 松 平 河 州 中 山 家 等 を 大 檀 主 と し て い た。 と こ ろ で、 今 回 調 査 し た 登 山 帳 の 十 四 冊 は、 宝 永 二 年 ( 一 七 〇 五) を 上 限 と し 明 治 七 年 ( 一 入 七 四) ま で を 記 し て い る。 つ ま り 江 戸 中 期 の は じ め か ら 明 治 初 年 ま で の 百 七 十 年 間 に わ た っ て い る の で あ る。 し か し、 別 表 の ﹁ 登 山 者 表 ﹂ は、 こ れ を 祥 細 に わ た り 統 計 を と っ た も の で あ る が、 先 づ こ の 登 山 帳 自 体 が 不 完 全 な こ と

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登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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密 教 文 化 が 分 る。 特 に 一 七 二 〇 年 代 ( 享 保 年 間)、一 七 五 〇 年 代 ( 宝 暦 年 間) の 二 冊 が 欠 げ て い る。 又 登 山 帳 に は ﹃ 諸 国 登 山 帳 ﹄ 十 二 冊、 ﹃ 奥 州 登 山 帳 ﹄ 二 冊 が あ る。 そ し て、 そ の 奥 州 分 も、 文 化 七 年 ( 一 八 一 〇) -天 保 三 年 ( 一 入 三 二) と、 嘉 永 七 年 ( 一 八 五 四)-明 治 七 年 の 二 冊 で あ り、 天 保 四 年-嘉 永 六 年 の 分 が 欠 げ て お り、 事 実、 表 を み て も 一 八 三 〇 年 代 は 奥 州 よ り の 参 詣 者 が 少 い。 奥 州 分 の 別 帳 が、 文 化 六 年 以 前 に も あ っ た か ど う か 不 明 で あ る。 し か し、 奥 州 分 は 諸 国 帳 に も 記 載 さ れ て あ り、 特 に 文 化 六 年 以 前 の 数 も 平 均 し て お り、 或 い は こ れ ま で は、 奥 州 分 は 別 帳 に し て い な か つ た の で は な い か と 考 え ら れ る。 な お、 安 永 年 は 欠 落 し て お り、 天 明 三、 四、 五 年 と 欠 落 し て い る。 特 に 後 者 は 安 永 十 年 よ り 寛 政 五 年 ま で の 諸 国 登 山 記 に も ﹁ 天 明 三 四 五 三 カ 年 の 登 山 帳 不 拝 見 申 候 故 不 書 干 此 ﹂ と あ り、 整 理 出 来 な か っ た こ と が 示 さ れ て い る。 こ れ は、 同 四 年 は、 諸 国 飢 饒 し 殊 に 奥 州 が 甚 し か っ た の で あ り、 そ の せ い か と 考 え ら れ る。 又 最 も 古 い 宝 永 二 年 の 諸 檀 越 登 山 帳 に は 表 紙 に ﹁ 第 二 号 ﹂ と あ り、 も っ と 古 い 第 一 号 も あ っ た と 考 え ら れ る。 さ ら に、 大 檀 那 で あ る 越 後 関 係 も 甚 だ 少 く、 こ れ も 別 帳 が あ っ た の で は な い か と 考 え ら れ る。 こ う し て、 奥 州、 諸 国 を 主 体 と す る 登 山 帳 で は あ る が、 百 七 〇 年 間 に、 特 に 江 戸 中 期 の 分 が 欠 落 し、 百 二 十 入 年 間 の 記 載 と な る の で あ る。 こ う し た 欠 落 を 認 め た 上 で、 登 山 帳 の 記 載 を 拾 う と、 総 数 千 九 百 二 十 一 組、 八 千 九 百 九 十 六 人 が 登 山 し て い る の で あ る。 そ の 居 住 所 の 国 別 を み る と、 奥、 武 両 州 が 最 も 多 く、 約 半 数 を 占 め、 濃、 尾、 勢、 三 州 の 組 が こ れ に 次 い で い る。 さ ら に 大 阪、 泉、 河 内、 摂 津、 大 和、 京 都、 そ し て 地 元 の 紀 州 の 近 国 の 組 が 多 く、 さ ら に 一 七 六 〇 年 代 か ら 現 わ れ る 讃 岐、 伊 予、 阿 州、 小 豆 島 の 四 国 の 組 に も 檀 越 関 係 が 出 来 て お り、 又 播 州、 備 後 と も 関 係 が あ っ た の で あ る。 年 間 の 参 詣 者 数 も、 増 減 は 示 し つ つ も、 特 に 江 戸 末 か ら 明 治 初 年 に か け て、 急 に 増 加 し 百 人 台 に 上 つ て い る の で あ る。 以 上 が 概 観 で あ る が、 次 に 個 々 の 点 を 追 求 し て い き た い。 二、 登 山 道 先 づ こ れ ら の 人 々 が、 ど の 道 を 登 っ て 来 た の で あ ろ う か。

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一 般 に 高 野 へ の 参 道 は 七 品 あ っ た と 言 わ れ て い る。 勿 論、 こ れ は 開 山 当 初 か ら あ っ た の で は な く、 次 第 に 人 の 出 入 が は げ (3) し く な り 定 ま つ て 来 た の で あ り、 こ れ に も 変 遷 が あ り、 元 禄 の 頃 に は 西 品 ( 別 称 大 門 品、 矢 立 品、 和 歌 山 品、 麻 生 津 品)、 湯 川 品 ( 別 称 龍 神 品、 保 田 品、 簗 瀬 品、 大 門 に 出 る)、 相 浦 品 (南 谷 に 通 じ る)、 大 滝 品 ( 別 称 熊 野 品、 軸 輔 峠 を 越 え 大 滝 を 通 り 熊 野 本 宮 に 通 じ る)、 東 品 ( 別 称 大 峯 品、 野 川 品、 大 峯 へ く ろ こ の 道)、 黒 川 品 ( 別 称 大 和 品、 古 い 大 和 へ の 道、 橋 本 へ の 近 道)、 不 動 坂 品 ( 別 称 京 品、 学 文 路 口) と な っ て い た。 こ れ は 明 治 初 年 ま で は 大 き な 変 動 は な か っ た よ う に 考 え ら れ る が、 (4) こ れ に 対 し、 相 浦 品 を の け 奥 院 峠 を 入 れ る 説 も あ る が、 こ れ ら 登 山 に つ い て は、 後 に 調 査 研 究 し た い。 と こ ろ で、 一 体 こ の 登 山 品 の 利 用 度 は ど う で あ っ た か。 さ い わ い に 本 登 山 帳 に は 登 山 口 の 書 込 み が 多 く な さ れ て い る の で、 こ れ を 集 計 し て み る と、 次 の よ う に な る。 即 ち、 不 動 坂 品 二 百 五 十 五 組 一 千 六 百 十 一 人 ( 内 女 人 五 十)、 大 門 品 一 百 三 組 七 百 四 十 二 人 ( 内 女 人 六)、 大 滝 品 二 十 四 組 二 百 二 十 人、 野 山 品 五 組 二 十 四 人、 其 他 天 野 川 一 組 七 人、 て ん ぐ み 天 狗 木一 組 五 人、 天 (転) 軸 山一 組 四 人 で あ る。 少 し 説 明 を 加 え る と、 不 動 坂 品 よ り 登 山 し た の は ﹁ 神 谷 よ り 登 山 ﹂、 大 門 品 へ は ﹁ 花 坂 よ り 登 山 ﹂ と 記 し て あ る。 な お 大 滝 口 の 場 合 は、 熊 野 品 と 記 し た 三 組 二 十 九 人、 熊 野 へ 参 つ た、 又 は 熊 野 か ら 参 つ た 四 組 八 人 を も 加 え て い る。 同 様 に 野 川 品 で も、 大 峯 参 り を す る 三 組 十 入 人 を も 加 え て い る。 天 ( 転) く ろ こ 軸 山 の 一 組 四 人 は 現 鴬 谷 品 に 当 る 黒 川 品 か ら 入 っ た か と 思 わ れ、 天 狗 木 の 組 は、 前 記 の 七 品 か ら す る と 野 川 品 か ら 入 つ た と せ ね ば な ら ぬ が、 奥 院 峠 へ 入 っ た か と も 思 わ れ る の で 別 に し て お い た。 以 上 で あ る が、 登 山 帳 へ の 書 込 み は、 千 八 百 四 十 年 代 に 入 っ て か ら 詳 し く 行 わ れ る よ う に な っ た と 考 え ら れ る。 こ の 僅 か 三 十 五 年 間 が 特 に 明 か に さ れ る の で あ る が、 こ れ に よ り 江 戸 末 期 か ら 明 治 の 初 年 ( 同 七 年 ま で) に お い て は、 不 動 坂 が 一 番 利 用 さ れ、 次 い で 大 門 品 が そ の 半 分 程 度 利 用 さ れ て い る。 大 滝 品 を 利 用 し 熊 野 参 宮 へ の 参 拝 者 も 以 外 に 多 く、 大 峯 参 り と も 関 連 が あ っ た こ と が 分 る。 そ し て、 こ の 表 を よ く み る と、 不 動 坂 品 は 次 第 に ふ え、 大 門 口 利 用 者 は 逆 に 減 っ て 行 く 傾 向 を 示 し て い る。 そ れ で、 そ れ ま で は 大 門 品 利 用 者 が 多 か っ た の が、 江 戸 末 に お い て、 不 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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動 坂 品 利 用 者 が 増 加 し て い っ た と 推 定 さ れ る の で あ る。 一 組、 不 動 坂 品 で 約 六 ・ 五 人、 大 門 品 約 七 ・ 五 人、 熊 野 参 り は 少 し 多 く 約 入 人 と な る。 と こ ろ で、 こ の 不 動 坂 品 と 大 門 品 の 利 用 者 は、 何 か そ の 道 を 通 ら ね ば な ら ぬ 理 由 が あ っ た の で あ ろ う か。 こ れ を 知 る た め に、 参 詣 者 の 住 居 地 別 の 統 計 を と っ て み た。 不 動 坂 品 武 州 鵬、 奥 州 41、 大 阪 20、 濃 州 16、 小 豆 島、 播 州 各 8、 作 州 7、 紀 州 5、 備 前、 備 中、 江 戸 各 4、 予 州、 尾 州 各 3、 阿 州、 越 後 各 2、 備 後、 土 州、 京、 石 川、 泉 州 各 1 組 大 門 品 奥 州 54、 武 州 34、 濃 州 7、 越 後 3、 大 和 2、 尾 州、 阿 州、 小 豆 島 各1組 大 体、 大 門 道 は 和 歌 山 等、 不 動 坂 は 京 大 阪、 大 和 路 か ら の 参 詣 が 多 い と 言 わ れ て い る。 し か し こ の 統 計 か ら み る と、 不 動 坂 品 に 大 阪 よ り の 参 詣 人 が 多 い の が 認 め ら れ る だ け で あ る。 共 通 し て 奥 州、 武 州、 美 濃 が 多 い の は 檀 縁 関 係 か ら で あ り、 こ れ も 両 分 し て い る と 言 え る。 不 動 坂 品 を 利 用 す る も の は 雑 多 な 国 の 人 で あ り、 そ の 国 の 所 在 と は 先 づ 関 係 づ け ら れ な い。 即 ち、 通 り た い 方 を 選 ん だ と 言 う 外 は な い の で あ る。 そ こ で、 不 動 坂 品 の 利 用 者 は 道 が 参 る の に 便 利 な 関 係 か ら 自 然 に 多 く な っ た と 考 え る 以 外 に な い。 な お、 女 人 参 詣 者 の 中 で、 明 治 に 入 っ て 大 阪 か ら の 女 人 参 詣 が 急 に ふ え て い る の が 目 立 つ。 こ れ は 高 野 の 女 人 禁 制 解 除 と 関 係 が あ り、 太 政 官 よ り 明 治 五 年 に 布 告 が 出 て お り、 同 年 か ら 俄 か に 増 加 し て い る の で あ る。 後 述 す る が、 実 際 に は 高 野 で は す ぐ に 解 か れ て い な い が、 そ の 気 運 を み て、 近 く の 大 阪 の 女 人 が 先 づ 参 り た い と の 気 風 を た か め た も の と 言 え る。 (5) 次 に 熊 野 参 り に つ い て の 日 程 を 知 る 史 料 が あ る。 慶 応 四 年 濃 州 仲 島 郡 八 神 村 の 清 助 が 登 山 し て い る が、 ﹁ 四 月 廿 六 日 登 山 止 宿 ﹂ と あ り、 次 い で 二、 右 同 人 壬 四 月 十 二 日 熊 野 帰 登 山 止 宿﹂ と あ っ て、 往 復 十 七 日 か け て い る。 勿 論、 途 中 で 留 ま っ て い た か も 知 れ ず、 す ぐ に こ れ を 往 来 に 必 要 な 日 数 と し て は い け な い が、 一 応 の 目 安 に は な る よ う に 考 え る。 次 に 記 入 の 中 に、 案 内 者 の 有 無 を 記 し た の が あ る。 例 え ば ﹁ 花 坂 品 よ り 登 山、 案 内 付 ﹂ 等 で あ る が、 花 坂、 神 谷、 大 滝 が あ げ ら れ る。 或 い は わ ざ わ ざ ﹁ 無 案 内 ﹂ と 記 し た も の も あ る が、 こ れ に 対 し て 記 入 の な い も の は 案 内 者 付 だ っ た と も 考 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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笛 教 文 化 (6) え に く い。 一 瀬 快 純 氏 の 研 究 に よ る と、 明 治 四 十 年 頃 ま で 花 坂 に は 茶 屋 重 兵 衛 が 宿 屋 兼 所 縁 案 内 所 を し て お り、 神 谷 に 花 て ん ぐ み 屋 市 兵 衛、 大 滝 に 弁 天 茶 屋、 天 狗 木 に 善 四 郎 茶 屋 が あ っ て そ の 役 を つ と め て い た。 そ し て こ こ か ら 所 縁 坊 寺 院 ま で 案 内 役 を つ と め、 案 内 料 は 各 寺 か ら 米 に よ っ て 払 わ れ て い た と あ る。 と こ ろ で、 案 内 付 の 者、 無 案 内 の 者 を、 表 に し て、 男 女 の 別、 階 級 ( 百 姓 の 者、 商 人、 一 般 百 姓) 其 他 の 条 件 を 比 し て み た が、 統 計 の 上 か ら は 別 に 特 別 の 理 由 は つ か め な か っ た。 た だ、 神 谷 十 二 に 対 し て 花 坂 三 十、 大 滝 一 で、 花 坂 の 場 合 が 特 に 多 い だ け で、 適 宜 に 案 内 者 に つ い て も ら っ た よ う に 考 え ら れ る。 (7) た だ 一 例 で あ る が、 文 久 二 年 三 月 廿 三 日 に 紀 伊 殿 御 藩 中 の 玉 木 権 大 夫 の 名 代 貴 志 新 益 が 参 詣 し た 時 ﹁ 学 文 路 大 平 汐 案 内 二 而 登 山 ﹂ と あ 所 か ら る、 神 谷 以 外 か ら も 案 内 役 を し て い る 者 が あ っ た こ と が 分 る。 案 内 所 の 組 織、 さ ら に こ う し て 高 野 の 麓 の 邑 の 人 々 が、 案 内 に よ り 経 済 的 に う る お っ て い た の で は な い か、 こ の 面 の 研 究 を 要 す る。 三、 女 人 堂 と 女 人 の 参 詣 女 人 禁 制 の 高 野 に、 女 人 は 参 詣 し て き て、 ど の よ う な 待 遇 を う け、 ど の よ う に し て 参 拝 し た の で あ ろ う か。 こ の 面 で も 僅 か で は あ る が、 史 料 が 見 付 け ら れ た。 (8) と こ ろ で、 女 人 堂 の 所 在 で あ る が、 七 品 に そ れ ぞ れ 七 つ の 女 人 堂 が あ っ た と 一 般 に 言 わ れ て い る。 し か し 今 回、 関 係 の 文 書、 絵 図 を 調 べ た と こ ろ、 六 つ し か 認 め ら れ な い。 先 づ 絵 図 で あ る が、 文 化 十 年 ( 一 八一三)、 安 政 四 年 ( 一 八 五 七)、 明 治 初 年 (牧 野 儀 三 郎 製) に は、 七 品 の 中、 大 門 品、 不 動 坂 品、 大 滝 品、 大 峯 品、 黒 河 品、 相 浦 品 に 各 女 人 堂 を 記 し、 ﹁ 女 人 堂 ﹂ と 書 込 み が し て あ る。 つ ま り 龍 神 品 に な い の で あ る。 こ れ は、 こ の 七 品 の 説 明 で は 山 史 書 の 内 ﹃ 紀 伊 国 名 所 図 会 ﹄ が 一 番 詳 し く 記 し て あ る が、 こ の 書 を は じ め、 ﹃ 紀 伊 続 風 土 記 ﹄ に も、 六 品 の 女 人 堂 の 説 明, し か な い。 (9) こ れ ら に 対 し て 七 品 七 堂 の 説 を と る の が、 絵 図 と し て は ﹃ 紀 伊 国 名 所 図 会 ﹄ 記 載 の 絵 図 で、 現 高 野 山 高 校 当 り か ら 谷 上 に 通 じ る 揚 所 に一 堂 を 記 入 し て い る。 こ の 入 品 は、 絵 図 の 中 に、 道 そ の も の は 記 し て あ る の は あ る が、 女 人 堂 と 思 わ れ

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る 堂 を 記 入 し て あ る の は 他 に な く、 ま し て、 同 書 中 の 記 述 の 入 に も、 こ の 堂 の あ る こ と に は ふ れ て い な い。 つ ま り 七 堂 な く て は な ら ぬ と い う と こ ろ か ら の こ じ つ け と 考 え ら れ る。 又 一 瀬 氏 の 論 文 中 に は 奥 院 峠 に あ っ た と す る が、 前 記 し た ﹃ 紀 伊 国 名 所 図 会 ﹄ 等 の 諸 書 に は、 奥 の 院 の 項 に は 女 人 堂 の 存 在 に つ い て 記 し て な く、 又 前 記 の 絵 図 に も、 全 く 記 し て い な い。 こ の 点、 さ ら に 研 究 を 要 す る。 現 在 の 私 の 考 え で は、 大 門 品 と 相 浦 品 と が 大 門 で 合一 し て い る の で、 こ の 両 品 の が 一 堂 と な っ た の で は な い か。 元 来 こ の 大 門 は 御 手 印 縁 起 の 図 等 か ら 考 え て、 九 折 谷 品 の ﹁ 古 大 門 跡 ﹂ に あ っ た と 言 わ れ る。 そ れ が 何 時 現 在 の 位 置 に 移 さ れ た か は 不 明 で あ る が、 と に か く そ れ ま で は 別 々 に あ っ た の が、 合 一 さ れ た の で は な い か と 考 え る。 し か し 移 韓 が 非 常 に 早 け れ ば、 堂 発 生 の 時 と 考 え 合 せ、 新 に 疑 問 が 起 る。 各 登 山 品 に は、 下 乗 札、 法 度 制 札、 女 人 堂、 山 奴 小 屋 が あ っ た。 そ れ に 大 門 品 に 観 音 像、 不 動 坂 品 に 地 蔵 尊 に 不 動 堂 (錐 揉 不 動 尊)、 黒 河 品 に 合 躰 不 動 堂、 大 峰 品 に 五 大 尊 堂、 相 さ え の か み 浦 品 に 地 蔵 堂 ( こ れ が 即 女 人 堂) が あ っ た が、 こ れ は 塞 神 的 性 格 の 尊 で、 辻 品 を 守 護 す る 意 味 で 建 立 さ れ た と 考 え た ら 妥 当 だ と 思 わ れ る。 (10) 各 山 奴 小 屋 に は 山 奴 が お り、 ﹁ 山 奴 は 山 を 守 る 監 人 な り 蓋 し 投 宿 の 女 人 あ れ は 沐 浴 せ し め 煙 茶 の 労 を 助 け 或 は 胡 乱 の も の を 改 め 此 等 の こ と 皆 以 て 山 奴 の 役 な り ( 中 略) 或 は 禿 頭 の 者 亦 は 有 髪 の も の 一 準 な ら ず ﹂ と あ る。 つ ま り 警 察 兼 小 使 役 の 下 層 の 半 俗 半 僧 的 性 格 の 者 で あ っ た。 そ し て 女 人 の 投 宿 の 世 話 を す る 役 が あ っ た。 一 瀬 氏 の 論 文 に よ る と、 食 事 は 各 所 縁 坊 か ら 運 ん だ の で あ り、 ﹁ 女 人 堂 用 通 膳 ﹂ が あ っ た。 六 つ の 女 人 堂 の 中 で は、 や は り 現 存 し て い る 不 動 坂 品 の が 最 も 大 き く て 設 備 も 調 つ て い た。 事 実、 遠 藤 義 紙 氏 著 の ﹃ 女 人 堂 由 来 記 ﹄ 掲 載 の 写 真 を み て も、 現 存 の 堂 に 改 築 さ れ る 以 前 の 堂 は、 さ ら に 大 き い も の で あ っ た こ と が 分 る。 次 い で、 大 門 品 の で あ り、 他 は 粗 末 な 小 堂 で あ っ た と 思 わ れ る。 そ の (11) よ い 例 が、 相 浦 品 の で、 地 蔵 堂 を 別 に 山 堂 と も 言 い そ の ま ま 女 人 堂 と し て 使 用 さ れ て い た。 つ ま り 辻 の 地 蔵 堂 を そ の ま ま 女 人 宿 泊 用 に 兼 用 し て い た の で あ る。 (12) 高 野 で は、 女 人 禁 制 は、 一 応 明 治 五 年 の 太 政 官 布 告 に よ り、 解 禁 を 命 ぜ ら れ た が、 山 内 で は こ れ に 反 抗 す る 動 き が 強 く、 明 治 十 三 年 に や っ と 女 人 の 白 昼 の 参 内 が 認 め ら れ、 別 に 参 籠 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

(10)

笛 教 文 化 所 を 建 立 し て、 こ こ に 宿 泊 す る よ う に 決 議 さ れ、 同 二 十 年 に 至 っ て や っ と 各 寺 院 に 一 泊 が 許 さ れ、 住 居 を 公 認 さ れ た の が、 三 十 九 年 で あ っ た と 言 う。 こ う し て、 女 人 堂 は、 次 第 に 不 用 と な つ て い き、 自 然 に 廃 さ れ て い っ た が、 明 治 三 十 七 年 発 行 の ﹃ 高 野 山 名 所 図 会 ﹄ の 時 に は、 既 に 不 動 坂 の 現 在 の も の だ け に な っ て い た の で あ る。 参 詣 し た 女 人 は、一 切 所 謂 山 内 に は 入 る こ と が 許 さ れ ず、 堂 に 宿 泊 し、 こ の 各 女 人 堂 を つ づ る ﹁ 女 人 道 ﹂ を め ぐ り、 軸 輔 峠 等 で 壇 上 の 堂 塔、 奥 院 の 御 廟 等 を 遥 拝 し て、 そ の 目 的 を 達 し た の で あ る。 し か し、 こ の 結 果 不 入 の 禁 制 は、 実 際 に は ど れ だ け 守 ら れ (13) た か は 疑 問 で あ る。 前 出 の 神 亀 法 寿 氏 の 論 文 に も、 女 人 道 め ぐ り の 時、 御 廟 近 く や 和 佐 峯 か ら 界 内 に 深 く 立 ち 入 る 女 人 が 多 い た め に、 御 廟 附 近 に二 カ 所 門 を 構 え、 峯 に は 乱 杭 を 打 つ (14) て 防 い だ こ と を 記 し、 又 水 原 尭 栄 師 の ﹃ 女 人 禁 制 と 高 野 山 ﹄, (15) に も、 享 保 十 八 年 に 御 廟 修 理 中 に は、 女 人 も 奥 院 へ 入 っ て も (16) よ い と 触 れ た 僧 が あ っ た こ と が あ り、 又 天 保 四 年、 明 治 十 七 年 の 御 年 忌 に 際 し て は、 特 に 女 人 の 進 入 を 厳 重 に 防 ぐ よ う に と の 制 札 が 大 門 に 出 さ れ た 由 記 し て あ る と こ ろ か ら も、 平 素 は、 女 人 は 少 し 位 い の 立 ち 入 り は、 見 逃 さ れ て い た の で あ り、 殊 に 御 廟 附 近 は よ く 立 ち 入 ら れ て い た よ う で あ る。 以 上、 こ れ ま で の 研 究、 又 は 諸 書 の 記 述 に も と づ き 概 略 し た が、 文 献 面 で は さ ら に 調 査 を 深 め た い。 と こ ろ で、 今 回 の 調 査 か ら は、 次 の こ と が 言 え る。 先 づ 全 体 の 数 で あ る が、 次 の よ う な 表 に な る。 つ ま り 宝 永 年 間 か ら 明 治 七 年 ま で の 約 一 百 七 十 年 間 に、 そ の 全 体 の 数 僅 か に 八 十 二 組一 百 八 十 八 人 し か 三 宝 院 に は 参 っ て い な い の で あ る。 一 年 間 に 平 均 し て 十 人 程 度 と な る。 こ れ を 総 人 数 に 対 比 す る と 約 ニ パ ー セ ン ト と な り、 大 変 少 な か っ た こ と が 分 る。 明 治 五 年 に 布 告 の 上 で は 女 人 解 禁 に な っ て か

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ら、 同 七 年 ま で の 三 年 間 に 十 九 組 が 参 り 俄 か に 増 大 し て お る。 そ の 組 の 中 で も 大 阪 が 九 組 で 他 も 紀 州、 阿 波 各 2 で 近 く か ら の 人 が 多 い。 特 に 大 阪 の 女 人 は 押 寄 せ て き た 観 が あ る。 女 人 の 住 居 地 は、 濃 州 二 十 八 組 六 十 二 人、 尾 州 八 組 三 十 九 人、 大 阪 十 四 組 二 十 入 人、 小 豆 島 三 組 十 一 人、 奥 州 九 組 十 人、 以 下 江 戸、 伊 予、 大 和、 備 中、 武 州 等 々 と 広 範 囲 で あ る が、 男 子 の 武 州 及 び 奥 州 が ず ぬ け て 多 い の と 比 し て、 遠 距 離 の た め に 低 下 し て、 濃 州 尾 州 が こ れ に 代 り 大 阪 も 上 位 に 昇 っ て い る。 つ ま り 女 人 で は 近 距 離 が 一 つ の 条 件 に な っ て い る。 次 に 女 人 の 場 合 の 同 行 者 で あ る が、 女 だ け の 組 入、 夫 婦 及 び 家 族 の 組 二 十 六 組、 夫 婦 及 び 近 所 又 は 親 戚 の 組 六、 男 子 又 は 男 の 供 を つ れ て い る 組 十 二、 近 所 の 人 の 組 四 と な り、 単 独 又 は 女 人 だ け と い う の は 少 く、 夫 又 は 家 族、 又 は 供 か 男 の 引 卒 者 等 と 参 る の が 多 い の も、 女 人 の 立 場 か ら 当 然 の こ と と 思 わ れ る。 (17) 次 に 登 山 帳 へ の 記 載 の 面 か ら 言 う と、 例 え ば、 安 政 四 年 の 東 都 浅 草 南 馬 開 の 人 の 場 合、 一、 若 山 隆 原 殿 一、 同 人 御 内 室 一、 家 来 壱 人 右 三 人 霜 月 十 一 日 神 谷 汐 御 登 山 翌 十 二 日 昼 汐 御 下 向 被 成 候 事 と あ り、 こ う し た 記 述 が 殆 ん ど で、 一 体 女 人 は 区 別 さ れ た の か 一 見 疑 わ れ る 程 で あ る。 し か し 僅 か 七 例 で あ る が、 女 人 は 女 人 堂 に 宿 泊 し た と 丁 寧 に 記 し た の が あ り、 は じ め て 了 解 が (18) 出 来 る の で あ る。 そ の 例 を 示 す と、 慶 長 四 年 の 濃 州 山 形 郡 勇 山 村 の 人 で あ る が、 一、 孫 蔵 殿 一、 同 人 妻 お き よ と の 右 両 人 十 月 朔 日 登 山 止 宿 女 人 堂 壱 人 と あ る。 七 例 の 中、 僅 か に一 例 大 門 女 人 堂 と あ り 他 は た だ 女 人 堂 と あ る が、 二 組 は 神 谷 か ら 登 山 し て い る の で 不 動 坂 品 の 女 人 堂 に 泊 っ た も の と 思 わ れ る。 (19) 他 に 花 阪 に 宿 を と り、 日 帰 り で 参 拝 し た 例 も あ り、 こ う し た ケ ー ス も 考 え ら れ る。 (20) な お、 次 の 記 述 は 前 記 の 大 門 女 人 堂 の 記 述 が あ る と 同 時 に、 山 奴 の 働 き を 知 る 上 で 参 考 に す べ き で あ る。 大 阪 内 本 町 上 三 丁 目 大 和 屋 市 治 郎 母 お 寿 美 殿 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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密 教 文 化 内 淡 路 町 三 丁 目 松 房 内 お や す 殿 右 弐 人 大 門 女 人 堂 二 而 止 宿 酉 四 月 九 日 晩 大 門 之 山 之 人 為 知 来 ル 事 と あ る。 つ ま り 山 奴 が 止 宿 の 女 人 の 世 話 を す る こ と は 前 記 し た が、 そ の 具 体 的 例 が 唯一 で あ る が、 記 さ れ て い る の で あ る。 こ れ は 女 人 が 参 詣 し て 来 た こ と を 三 宝 院 に 山 奴 が 知 ら せ て い る の で あ る。 な お、 女 人 堂 は、 た だ 女 人 が 宿 泊 す る だ け で は な く、 何 分 に 登 山 品 の 入 口 に あ る の で、 登 山 人 に つ い て の 争 い ご と な ど が あ っ た 時 に も 使 用 さ れ て い る。 安 政 二 年 八 月 十 七 日、 奥 州 二 本 松 御 城 下 根 崎 町 の 渡 辺 弥 治 右 衛 門 と い う 人 が 参 っ て 来 た 時、 大 阪 か ら 付 添 の 人 が つ い た が、、 こ れ は 大 乗 院 に 檀 縁 関 係 の あ る 人 で、 同 氏 も 同 院 へ 共 に 泊 ろ う と し た が、 ﹁ 一 心 院 女 人 堂 へ 両 院 役 僧 出 張 及 話 談 し ﹂ 同 氏 は 三 宝 院 へ 宿 す る こ と と な っ た。 一 心 院 谷 女 人 堂 ( つ ま り 不 動 坂 品 女 人 堂) の 名 が 出 て い る の も こ の 一 例 だ け で あ る が、 宿 泊 人 の 争 い は 何 時 の 時 代 で も あ っ た の で あ る。 四、 各 種 の 参 詣 人 女 人 に つ い て は、 女 人 堂 の こ と る あ り、 先 に 記 し た が、 本 節 で は、 各 種 の 参 詣 人 に つ い て 記 す。 先 づ 一 般 参 詣 者 の 外 に 目 に つ く の は 僧 侶 で あ る。 こ れ に は 正 式 の 僧、 尼 と 入 道 者 と が あ る が、 総 数 百 八 人 が 拾 え た。 そ し て 僧 の 中 に も 他 宗 で は 禅 僧 が 二 人 来 て お り、 尼 僧 も 六 人 が 数 え ら れ た。 勿 論 尼 僧 は、 一 般 女 人 と 同 じ 扱 い を う け た も の と 思 わ れ る。 仏 都 高 野 に、 自 宗 の 僧 が 多 く 参 る の は 当 然 の こ と で あ る が、 こ こ で 問 題 に し た い の は、 入 道 者 で あ る。 こ れ に は 先 づ、 六 十 六 部 で あ る が、 六 組 入 人 が 参 っ て い る。 そ の 出 身 地 は、 濃 州、 江 戸 各 二、 武 州、 奥 州、 豊 州、 尾 州 各一 で、 各 地 か ら 来 て い る。 そ の 身 分 は、 僧 籍 に あ る も の 五、 在 家 三 人 で あ る が、 僧 も そ の 中 四 人 ま で は 何 々 寺 弟 子 と あ り、 残 る 一 人 も 房 号 で あ る。 つ ま り、 こ れ は 弟 子 を 称 し て い る も の の、 半 俗 半 僧 的 性 格 の 強 い も の と 考 え た い の で あ る。 こ う す る と、 六 十 六 部 に は、 半 俗 半 僧 的 性 格 の 人、 又 は 在 家 の 入 信 者 と い っ た 性 格 が、 こ の 登 山 帳 の 例 か ら も、 指 摘 出 来 る。

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六 十 六 部 は、 勿 論 法 華 経 を 一 部 つ つ 各 国 の 代 表 的 寺 社 に 奉 納 し て 歩 く の で あ る が、 こ れ に 関 す る 記 述 も ニ カ 所 に あ り、 (21) 特 に 宝 永 四 年 ( 一 七 〇 七) 江 戸 か ら 順 拝 し て 来 た 霊 光 輩 弟 子 単 誉 願 信 と 全 長 寺 弟 子 常 無 房 と は、 ﹁ 右 両 人 同 行 日 本 廻 国 六 拾 つ ゝ ヘ ニ 六 部 之 内 壱 部 当 院 納 経 有 之 候 外 江 戸 之 伝 兵 衛 殿 と 申 仁 汐 之 妙 典 壱 部 一 字 三 礼 之 観 音 経 ホ 奉 納 被 致 候 ﹂ と あ り、 別 に 人 に 頼 ま れ た 妙 典 一 部 と 観 音 経 と も 奉 納 し て 廻 っ て い る の で あ る。 又 唯 一 例 で あ る が、 天 明 七 年 ( 一 七 八 七) に、 奥 州 二 本 松 領 の 行 者 寿 仙 が 参 っ て い る。 と こ ろ で、 前 記 六 部 も ふ く め た 半 僧 半 俗 的 な 俄 の 出 家 者 に つ い て の 具 体 例 が 二 つ 記 載 さ れ て 参 考 に な る。 (22) そ の 一 は、 宝 永 二 年 ( 一 七 〇 五) 六 月 二 十 五 日 に 江 戸 よ り 来 た 市 兵 衛 に つ い て で あ る が、 (マ マ) 右 市 兵 へ 義、 江 戸 谷 中 西 光 寺 汐 之 書 状 持 参、 被 見 し 由 候 ヘ ハ、 此 市 兵 へ 義、 入 道 被 度 之 願 ひ 談 合 状 二 御 座 候 故、 市 兵 へ 心 入 之 段 も 聞 被 申 候、 而 後 同 十 七 日 二 入 道 こ い た し 被 申 候、 同 廿 入 目 雨 天 政 逗 留、 廿 九 日 二 下 向 申 候、 法 名 ハ 信 教 円 然 房 と 付 被 申 候、 生 国 者 美 作 之 国 誕 生 寺 村 也 ( 訓 点 は 筆 者 が 加 入 し た 以 下 も 同 じ) (23) と あ る。 又、 寛 保 三 年 ( 一 七 四 三) に も、 一、 加 州 真 福 寺 村 源 右 衛 門 殿 右 御 壱 人 六 月 廿 四 日 御 登 山、 此 仁 出 家 望 候 共、 書 付 印 形 無 之 候 故、 願 不 叶 罷 帰 り 被 申 候、 重 而 御 子 息 御 道 レ 同 二 而 書 付 御 持 参 被 成 筈 二 而 御 座 候 者 伺 月 廿 六 日 御 下 向 と あ る。 こ の 史 料 か ら、 簡 単 な 書 類 ( 檀 那 寺 の 証 明 書 等)、 印 形 等 の 形 式 さ え 調 え る と、 簡 単 に 入 道 が 認 め ら れ、 僧 名 を 名 乗 る こ と の 出 来 た 事 情 が 了 解 さ れ る の で あ る。 半 僧 半 俗 の 入 道 者 は、 こ の よ う に し て つ く ら れ て い る の で あ る。 そ の 他 一 般 参 詣 者 の 中 で 気 が つ く の は、 西 国 参 り、 金 毘 羅 参 り、 伊 勢 参 り の 代 参 等 の つ い で に 参 っ た 者 各 一 が 拾 え て い る の で あ り、 こ う し た 類 の 人 も 多 か っ た も の と 思 わ れ る。 又 (24) 注 目 さ れ る の は、 伊 勢 へ の ﹁ ぬ け 参 り ﹂ が 二 例 あ る。 い つ れ も 天 保 十 二 年 ( 一 入 五 一) で あ る が、 同 じ く 奥 州 西 安 達 郡 玉 之 井 村 の 儀 左 衛 門 と 同 村 弥 伝 治 と が、 六 月 廿 五 日、 入 月 十一 目 と 参 っ て 来 て い る が、 ﹁ ぬ け 参 宮 ﹂ ﹁ ぬ け 参 り ﹂ と 但 書 き し て あ る。 二 人 は 申 合 せ て 参 っ て 来 た も の と 思 わ れ る。 そ し て 何 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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密 教 文 化 故 に こ こ に 集 中 し て 出 て く る か も、 不 明 で あ る。 例 の ﹁ お か (25) げ 参 り ﹂ の 流 行 し た 年 に も 当 ら ず、 ﹁ ぬ け 参 り ﹂ の 一 史 料 に も な る と 考 え る。 (26) 又 こ れ に 類 す る と 思 わ れ る も の で、 や は り 同 年 入 月 十 五 日 に 前 記 の と 同 国 同 郡 の 椚 山 村 の 伝 助 と い う 人 が 参 っ て 来 て い る が、 ﹁ 但 此 人 ほ ら こ や 参 り ﹂ と し て あ る。 参 詣 者 の 宗 派 の 問 題 で あ る が、 一 応 宗 派 は 超 越 し て 参 っ て (27) 来 て い る こ と は、 新 城 教 授 も 認 め ら れ、 今 回 金 剛 峯 寺 蔵 の 前 記 登 山 帳 の 中 但 馬 地 区 を 調 査 し た と こ ろ、 同 一 の 結 果 は 得 て い る。 し か し、 こ れ も 詳 く み て く る と、 無 条 件 で 認 め る わ け に は ゆ か ぬ こ と が 分 る。 先 づ 僧 侶 で あ る が、 真 言 の 僧 が 多 く 出 入 し て い る こ と は、 公 然 と 記 入 し て あ る。 し か し 他 宗 の 場 合、 僅 か に 二 例 し か 拾 (28) (29) え な か っ た が、 共 に 禅 僧 で、 明 和 二 年 ( 一 七 六 五) と 文 政 五 年 ( 一 八 二 二) と で あ る が、 次 の よ う に 記 し て あ る。 ( 濃 州) 一 同 国 笠 松 広 瀬 唯 六 殿b 禅 僧 壱 人 登 山 リ 右 之 僧 唯 六 殿 汐 月 盃 十 五 本 御 預 被 成 候 ( 二 月) ニ 右 同 月 廿 四 日 御 登 山 ( マ こ) 一、 濃 州 本 須 郡 只 越 村 ( マ マ) 此 村 檀 那 寺 禅 僧 壱 人 共 廣 瀬 重 良 兵 衛 殿 同 伊 重 良 殿 ソ ノ ペ 園 部 友 治 良 殿 右 四 人 三 月 十 日 御 登 山 之 蔓 と あ る。 と も に ﹁ 禅 僧 壱 人 ﹂ と し て あ っ て、 名 前 は 記 し て な い。 そ れ ど こ ろ か、 前 者 は 広 瀬 唯 六 の 使 い の よ う に し て 記 さ れ、 し か も 月 盃 ま で 取 次 い で い る の で あ る。 後 者 は、 一 段 と 字 を 小 さ く し て、 同 行 の 檀 家 に お 供 を し て 来 た よ う に 記 さ れ て い る。 こ れ は、 真 言 の 僧 の 場 合 に は 全 く み ら れ ぬ こ と で、 や は り 宗 派 を 意 識 し て、 公 然 と し て あ つ か わ れ て い な い の で あ る。 そ し て、 こ れ ら 禅 宗 の 僧 は、 そ う ま で し て 参 っ て 来 て い る が、 そ の 他 の 宗 の 僧 の 登 山 例 は、 見 当 ら な か っ た。 次 に 檀 家 で あ る が、 特 に 真 宗 の 場 合 は、 や は り、 宗 派 を 意 (30) 識 し て 扱 わ れ て い る 例 が 唯 一 例 で あ る が 認 め ら れ た。 こ れ は ス ミ 安 永 六 年 (一 七 七 七) に 濃 州 厚 見 郡 岐 阜 か ら 鷲 見 与 吉 が 参 っ て 来 て い る が、

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ニ 右 之 人 外 四 人 御 連、 都 合 五 人 同 道 二 而 御 登 山 候 共 ハ外 四 人 ハ ニ 一 向 衆 故 此 帳 不 記 六 月 四 日 と あ る。 つ ま り、 一 向 宗 ( 真 宗) の 場 合 に は、 参 っ て 来 て も、 名 前 を 名 簿 に の せ る の を 控 え る 場 合 も あ っ た の で あ る。 次 に 講 参 り に つ い て 記 し て お き た い。 参 詣 者 の 問 題 で、 講 参 り の 件 は、 重 要 な 点 で あ る。 そ れ で、 一 つ の 大 き な 問 題 と し て、 調 査 研 究 を せ ね ぼ な ら な い。 そ れ で、 今 回 は 僅 か な 史 料 し か 見 て い な い し、 概 略 を 述 べ る だ け に し て お く。 出 て く る 講 の 名 前 は、 高 野 講、 大 師 講 ( 二 件)、 御 影 供 講、 光 明 講、 万 人 講、 山 上 講、 大 峯 大 日 講、 竹 栄 講 で あ る。 高 野 山、 弘 法 大 師、 大 日 如 来、 光 明 真 言 を 信 仰 の 中 心 と し、 又 大 峯 と の 関 係 の が 二 組 あ る。 こ れ ら の 参 詣 例 は 二 十 六 組、 一 百 三 十 五 人 で、 明 治 四 年 小 豆 島 か ら 来 た 一 行 三 十 四 人 を 最 高 と し、 他 は 意 外 に 少 く、 一 組 平 均 約 五 人 で あ る。 講 の 所 在 地 は、 濃 州 の 六 例 を 最 大 と し、 大 阪 三、 京 都、 小 豆 島 各 一 で、 比 較 的 近 国 が 多 い。 そ し て 講 親、 講 元、 先 達 等 に 引 卒 し て 参 っ て い る が、 濃 州 本 巣 郡 生 津 村 か ら 方 懸 郡 小 野 村 に か け て あ っ た と 思 わ れ る 光 明 講 は、 文 化 五 年 ( 一 入〇 八) に 参 っ て 来 た の を は じ め と し、 文 政 五 年 ( 一 八 二 二) -同 七 年 に か け て 五 組、 嘉 永 二 年 ( 一 八 四 九) -安 政 七 年 ( 一 八 五 八) に か け て 四 組 が 参 っ て 来 て お り、 文 化 十 年 (一 八一三) の 項 に は ﹁ 美 濃 未 寺 花 王 院 光 明 講 ﹂ と お り、 同 院 の 末 寺 が、 こ れ を 組 織 し て い る の で あ り、 又 同 院 は 寛 政 四 年 (一 七 九 二) に 参 つ て 来 た 大 師 講 も 組 織 し て お り、 高 野 の 本 寺 と 地 方 の 末 寺 と の 関 係 が 引 出 さ れ、 高 野 参 詣 講 の 本 質 の 一 面 を 示 し て い る。 こ れ に 対 し、 大 阪 江 戸 堀 の 万 人 講 は、 文 政 十 年 ( 一 八 二 七) に 三 組 来 て お り 講 親 は、 中 屋 与 兵 衛 で あ り、 又 同 所 京 町 堀 の 大 師 講 も 明 治 三 年 ( 一 八 七 〇) -同 五 年 に か け て 三 組 来 て い る が 講 元 は 大 津 屋 兵 次 郎 で あ る。 明 治 四 年 に 小 豆 島 か ら 来 た 講 も 講 元 は 玉 嶋 政 四 郎、 文 化 八 年 岐 阜 か ら 来 た 竹 栄 講 の 先 達 は 小 兵 衛 で あ り、 同 十 四 年 に 京 都 か ら 来 た 山 上 講 の 講 頭 は 近 江 屋 長 兵 衛 で あ り、 こ の よ う に 信 者 の 間 で 自 然 発 生 的 に 組 織 さ れ た 講 も あ り、 こ れ も 重 要 な 一 面 を 示 し、 講 の 組 織 活 動 は こ の 二 面 か ら 考 え る べ き で あ る。 又、 前 記 し た よ う に、 講 の 参 詣 は、 長 年 続 く の が 特 色 で、 寛 政 四 年 に 濃 州 花 王 院 の 大 師 講 の 項 に も ﹁ 毎 年 御 登 山 候 ﹂ と あ り、 同 寺 の 光 明 講 の 場 合 ﹁ 例 講 ﹂ と あ る の は そ の 性 格 を よ 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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密 教 文 化 く 示 し て い る。 恐 ら く 記 入 も れ も あ っ て、 こ う し た 講 参 り の 人 は 全 参 詣 人 の 中 で も、 大 き な パ ー セ ン ト を 示 す も の と 考 え る。 次 に 講 で 多 い の は 代 参 で、 六 例 を 拾 っ て お る が、 こ れ も 記 入 も れ が 多 い と 思 わ れ る。 勿 論 個 人 の 代 参 も あ っ た の で あ り、 一 概 に は 言 え ぬ が、 現 在 で も 伊 勢 講 等 各 地 で 行 わ れ て お り、 講 の 組 織 及 び 活 動 の 面 で は、 重 要 な 問 題 の 一 つ と み る べ き で あ ろ う。 以 上 で あ る が、 霊 場 参 り を 主 体 と す る 講 組 織 の 一 と し、 研 究 の 重 要 性 は 大 き い。 次 に こ の 節 の 最 後 と し て、 檀 縁 関 係 を 取 上 げ て お く。 前 記 し た よ う に 三 宝 院 は 本 帳 に よ る と、 奥 州 西 安 達 郡、 安 積 郡、 武 州 入 間 郡、 高 摩 郡、 多 摩 郡、 秩 父 郡、 美 濃 国 本 巣 郡、 方 懸 郡 等 に 檀 縁 関 係 を 保 持 し て い た と 考 え ら れ る。 と こ ろ で 新 規 に 檀 縁 関 係 が 結 ば れ た 七 例 に 対 す る 記 載 が あ る。 そ の 居 住 地 を み る と、 江 戸 三、 備 前、 予 州、 尾 州、 各 一 で、 従 来 檀 縁 関 係 の な か っ た 所 か ら で あ る。 そ の 関 係 を、 本 帳 で は 全 て ﹁ 旦 家 ﹂ と 記 載 し て い る が、 こ れ は 勿 論 地 方 寺 院 の 檀 家 の 関 係 と は、 異 る 内 容 の も の で あ る。 そ し て、 こ の 関 係 が 出 来 た き っ か け に な っ て い る の は、 寺 院 に 関 係 あ る 僧 の 紹 介、 三。 親 類 が 当 院 と 檀 縁 関 係 に あ る、 一。 今 ま で 所 縁 坊 が な か っ た の で 泊 め て く れ る よ う に 頼 ま れ る、 一。 今 ま で の 所 縁 坊 が い や に な っ た、 二、 が あ る。 (31) 特 に 最 後 の 件 の 具 体 的 記 載 を 示 す と、 安 政 三 年 ( 一 八 五 六) に 奥 州 二 本 松 領 の 中 町 か ら 来 た 遠 藤 太 左 衛 門 の 妻 御 林 は 供 人 に 井 箇 屋 半 兵 衛 を 連 れ て 来 て い る。 と こ ろ が、 こ の 井 筒 屋 に シ ニ つ い て ﹁ 但 此 客 人 者 五 大 院 と 入 組 相 成 候 庭 当 人 先 年 汐 忌 候 二 付 当 院 宿 致 候 事 ﹂ と あ る。 (32) 又 天 保 十 四 年 ( 一 入 四 三) に 予 州 越 智 郡 本 庄 村 か ら、 竹 次 シ ニ 等 十 五 人 が 参 っ て 来 て い る が、 ﹁ 但 此 人 高 野 山 龍 泉 院 旦 家 御 座 ニ リ 候 庭、 今 般 当 院 旦 家 相 成 候 間、 向 後 壱 人 参 候 共、 随 分 念 入 相 □な い 可 申 候 ﹂ と あ る。 前 者 の 場 合、 同 行 の 遠 藤 の 妻 御 林 が、 三 宝 院 に 檀 縁 が あ っ た こ と も あ る が、 明 か に こ れ ま で 檀 縁 が あ っ た 五 大 院 が い や に な っ て 三 宝 院 に 宿 っ て い る。 後 者 は 理 由 は 記 し て な い が、 龍 泉 院 か ら 三 宝 院 へ 変 り、 同 院 の 歓 迎 の 情 が 明 か に み え る。 (33) な お、 前 の 女 人 堂 の 節 で ふ れ た が、 安 政 二 年 に、 奥 州 二 本 松 御 城 下 根 崎 町 の 渡 辺 弥 治 右 衛 門 が 参 詣 し た 時 に、 大 阪 の 同

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行 者 が 大 楽 院 を 所 縁 坊 と し て い た た め に、 本 来 三 宝 院 に 参 ら ね ば な ら ぬ 渡 辺 氏 も、 そ れ に 引 か れ て 大 楽 院 に 行 こ う と し た が、 そ こ で 両 院 の 役 僧 が 一 心 院 女 人 堂 に 出 張 し 話 談 し た が、 同 行 の 客 に は 文 化 入 年 ( 一 八 一 一) に も 大 楽 院 に 参 り、 そ の 時 月 牌 二 本 を 建 立 し た こ と の 記 録 が あ り、 一 方 渡 辺 氏 に つ い ニ リ レ ド モ て は、 ﹁ 当 院 ニ ハ 帳 面 ホ 分 明 相 分 不 申、 ホ 殿 様 芋、 処 之 勢 レ 威 二 而 ハ ヘ シ 右 客 當 院 諭 取 候 ﹂ と あ る。 又、 統 計 的 に み て も 第 二 節 の 登 山 品 の 項 で 調 査 し た、 明 治 に 入 る と 俄 か に 従 来 の 檀 縁 地 以 外 の 参 詣 人 が ふ え て い る。 こ れ も 旧 秩 序 の 崩 壊 か ら く る 現 象 だ と 考 え ら れ る。 さ ら に、 金 剛 峯 寺 所 蔵 の 各 寺 の 登 山 帳 の 中、 但 馬 関 係 し か 調 査 を 終 え て い な い が、 こ の 中 で も、 上 池 院 は、 江 戸 中 期 ま で は、 こ の 国 に 於 て 広 範 囲 の 檀 縁 地 を も っ て い た が 俄 か に 消 え、 こ れ を 又 大 正 年 間 に 入 り 復 活 し よ う と し て い る 形 跡 が み ら れ る。 又 第 一 節 の 登 山 帳 か ら も、 一 七 六 〇 年 代 に 当 院 で も 四 国 と の 檀 縁 関 係 が 結 ば れ て い る。 こ の よ う に、 何 か の 理 由 に よ り、 大 き な 変 動 も 行 わ れ て い る の で る。 (34) こ の 檀 縁 関 係 に つ い て は、 応 永 廿一 年 ( 一 四 一 四) の 禁 制 に、 ハ セ ニ ハ テ ニ キ ル 一 当 山 参 詣 之 輩、 或 任 往 古 之 由 緒 噛 或 随 当 寺 之 所 縁 噛 可 有 二 寄 ニ ニ ヲ ク ク 宿 一 之 処、 於 国 々 宿 々 一 廻 秘 計 一引 旅 人 一之 条、 背 寺 家 之 掟 一者 ニ レ 也、 ( 中 略) 就 中 旅 中 旅 人 依一 旦 之 語 一忘 多 年 之 由 緒 噛未 聞 不 へ 見 之 在 所 令 寄 宿 一之 条、 背 先 規 一間、 於 自 今 以 後 者 堅 可 停 止 事 と あ る。 こ れ は 備 前 国 三 石 関 所 に 於 い て、 九 州 か ら の 参 詣 人 に、 関 守 に 賄 賂 を 送 り 自 坊 に 参 る よ う す す め て も ら っ た 事 件 に 対 す る 評 定 書 で あ る。 (35) 又、 三 宝 院 に も、 延 享 三 年 ( 一 七 四 六) 四 月 朔 日 付 の 越 後 国 溝 品 候 の 覚 の 中 に、 次 の 記 述 が あ る。 定 一 今 般 高 野 山 三 寳 院 使 僧 先 例 之 通 配 札 申 付 候 上 者、 壼 人 も 不 残 可 致 請 納 候 事 一 高 野 山 宿 坊 三 寳 院、 先 君 依 蹄 依 先 祖 之 廟 所 並 位 牌 等 建 立 有 之 に 付、 高 野 参 詣 之 砺、 領 内 之 者 共 壼 人 も 不 残 三 寳 院 へ 被 参 著 為 報 恩 可 致 物 札 旨、 先 年 町 在 共 急 度 申 付 候 所、 近 年 銘 々 之 先 祖 之 位 牌 等 有 之 旨 申 立、 或 は 偽 天 領、 或 は 年 貢 上 納 之 上 は 御 触 状 下 相 用 候 而 も 不 苦 旨 申 募 り、 他 之 坊 へ 参 著 之 趣、 其 聞 有 之、 不 将 之 儀 候、 向 後 廻 文 堅 相 謹 守 り、 屹 度 三 寳 院 へ 参 著 可 有 之 候、 若 偽 り 他 之 坊 之 致 登 著 輩 於 之 有 者、 登 山 帳 か ら み た 山品同 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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笛 教 文 化 帰 国 之 節 急 度 及 其 沙 汰 可 為 曲 事 者 也 と あ る。 こ の 二 つ の 文 書 か ら、 応 永 以 前 か ら す で に 一 応 定 め ら れ た 檀 縁 関 係 は 守 り、 こ れ に よ り一 山 の 秩 序 を 守 っ て い こ う と し て い た こ と 億 明 か で あ り、 江 戸 末 ま で も そ の 線 は 貫 か れ た。 し か し、 両 文 書 に も あ る よ う に、 こ の 上 か ら の 統 制 は、 実 際 に は、 旅 行 道 中 の 仲 間 つ れ、 又 色 々 の 理 由 か ら、 と れ が 破 ら れ よ う と す る 傾 向 が あ っ た の で あ る。 又、 特 に 後 の 溝 品 侯 の 覚 か ら、 檀 縁 関 係 を 結 ん だ 地 区 と は、 高 野 か ら の 配 札 も 認 め ら れ、 経 済 的、 信 仰 的 結 び つ き を 強 ぬ て い っ た の で あ る。 こ う し て、 現 状 を 守 ろ う と す る 大 勢 の 中 に も、 各 寺 院 同 志 の 都 合 で 大 き く 変 化 し た こ と も あ り、 又 小 さ な 移 動 は 常 に 行 わ れ て い た の で あ る。 五、 信 仰 面 か ら の 分 析 一 体、 参 詣 人 は ど ん な 目 的 で 参 っ て 来、 ど ん な こ と を し た の で あ ろ う か と、 各 方 面 か ら 検 討 し て み る。 こ の 点 で 先 づ 取 り 上 げ ら れ る の が、 日 月 牌 の 問 題 で あ る。 こ れ は 勿 論 死 者 供 養 の た め の も の で あ る。 こ れ を 上 げ て い な い 多 く の 者 も あ る が、 そ の 中 に も こ の 目 的 で 参 っ た 人 が 一 番 多 い よ う に 推 定 さ れ る。 今、 こ の 書 き 込 み の あ る の を 拾 う と、 別 表 の よ う に な る。 こ れ を み る と、 そ の 種 類 は、 大 目 牌、 日 牌、 小 日 牌、 大 月 牌、 月 牌、 茶 牌、 経 木 仏 と な る。 そ し て こ れ ら は 全 て ﹁ 建 立 ﹂ と い う 文 句 を 使 用 し て あ る。 つ ま り 日 牌 } 本 建 立、 茶 牌 一 本 建 立 等 で あ る。 日 月 牌 に は 元 来 位 牌 を 作 り 杞 つ る の を 前 提 と し た よ う で こ の よ う な 言 葉 が 使 用 さ れ た よ う に 考 え ら れ る。 茶 牌 は お 茶 湯 供 養 を 条 件 と す る の で は な い か と 推 定 す る。 経 木 供 養 を す る の も、 経 木 仏 を 建 立 す る と 言 っ て い る。 表 に 見 ら れ る よ う に、 日、 月 牌 が 主 軸 で、 月 牌 の 数 が ず ぬ け て 多 い。 目 牌 で 問 題 に な る の は、 有 富 な 商 人 と 姓 名 の あ る 武 士 階 級 と 思 わ れ る 人 が 殆 ん ど を 占 め て い る こ と で あ る。 月 牌 で は、 日 牌 の 項 も 少 し 見 ら れ た が ﹁ 預 り ﹂ が 多 い こ と で あ る。 こ れ は 言 葉 通 り、 他 人 の を 預 か っ て 来 た も の で、 預 り、 取 次 等 の 文 句 が 使 用 さ れ て い る。 こ の 中 で、 表 に 記 入 出 来 な か っ た が、 僧 が 預 る 分 が 多 く、 月 牌 の 預 り 百 六 十 六 本 に 対 し 半 分 の 八 十 二 本 は 僧 が 預 っ て 来 て い る の で あ り、 地 方 僧

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と 本 寺 と の 結 び つ き の 点 で 関 心 が も た れ る。 茶 牌、 経 木 仏 で は、 無 姓 の 百 姓 と 思 わ れ る 人 が あ げ て い る 点 が 注 目 さ れ る。 し か し、 茶 牌 の 場 合、 千 入 百 五 十 年 代 ま で は、 無 姓 十 二 対 有 姓 四 で あ る の に 対 し、 そ れ 以 降 は 有 姓 九 十 四 対 二 十 と 逆 転 し て い る。 こ の 年 代 は、 金 の い る 目 牌 も 激 減 し て お り、 月 牌 も 参 詣 数 が 増 加 し て い る の に 比 し て 減 じ て い る。 こ れ は、 武 士 階 級 の 没 落 と 関 連 し て 考 え な け れ ば な ら ぬ。 又 一 千 入 百 三 十 年 代 の は、 前 記 も し た が、 天 明 の 磯 饒 と 考 え 合 さ な け れ ば な ら な い。 総 体 に、 こ の 表 に よ る と、 江 戸 中 期 よ り、 同 後 期 は、 参 詣 の 人 数 に 比 し て、 志 納 者 の 数 は 減 じ る 方 向 を た ど っ て い る と 言 え る。 志 納 の 目 的 は、 参 考 の 項 に 見 ら れ る よ う に、 両 親、 妻、 子 の た め が 主 体 で あ り、 先 祖 代 々 の 供 養 も 見 ら れ る。 そ し て 逆 修 供 養 も あ り、 こ れ も 父 母、 自 身 等 の た め に で あ る が、 こ こ で 問 題 に な る の は、 一 般 に 逆 修 供 養 は 元 禄 年 間 に 全 国 的 に は (36) 消 滅 し た と 考 え ら れ て い る。 こ の 点 川 勝 政 太 郎 教 授 も 全 国 的 な 石 塔 銘 か ら、 そ の よ う に 述 べ ら れ て お り、 地 方 に 於 て 私 も 但 馬 地 区 か ら は 確 か に そ う 言 え る の で あ る。 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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密 教 文 化 高 野 の 奥 院 に 於 て は、 天 保 年 間 ま で ﹁ 逆 修 ﹂ の 文 字 が 使 用 (37) さ れ て お り、 本 登 山 帳 に お い て も、 寛 政 十 二 年 ( 一 八 〇 〇 年) ま で あ る。 こ れ は 今 日 で も、 生 前 に 戒 名 を つ け る 場 合、 逆 修 と 言 っ て お り、 信 仰 内 容 の 変 質 も 考 え な け れ ば な ら ぬ が、 と も か く も 逆 修 信 仰 も、 こ う し た 資 料 を も と に し て、 今 一 度 考 え 直 さ な け れ ば な ら な い。 次 に 経 費 の 問 題 で あ る が、 僅 か で は あ る が 記 載 が あ る。 先 (38) (39) つ 目 牌 で あ る が、 元 文 五 年 ( 一 七 四 〇) に 金 四 両、 明 和 六 年 (41) に 金一 両、 安 永 二 年 ( 一 七 七 三) に 金 一 両 余、 文 政 九 年 ( 一 (42) 入 二 六) に 二 両、 天 保 十 五 年 に 二 両 が 志 納 さ れ て い る。 月 牌 は、 正 徳 元 年 (一 七一一) に 月 牌 二 本 ( 両 親 の 為) で 壱 分、 同 三 年 二 月 に 一 本 に つ き 一 分、 天 保 十 五 年 ( 一 入 四 四) に一 本 に 対 し 金 二 朱 が 志 納 さ れ て い る。 (43) 経 木 仏 に 対 し て は、 明 和 三 年 ( 一 七 六 六) に、 尾 州 の 久 米 清 兵 衛 等 は 木 仏 二 本 に 二 百 拾 匁、 三 十 三 匁、 二 十 匁、 二 十 匁 と 四 人 が 志 納 し、 又 預 っ て 来 た 人 の 同 三 本 に 二 十 二 銭、 六 本 に 同 額、 七 本 に 百 十 銭 を 志 納 し て い る。 以 上 の 日 月 牌 料 の 他 に、 香 料 と い う の が あ り、 宝 永 三 年 (一 七 〇 六) に 銀 一 包、 元 文 二 年 ( 一 七 三 七) に 一 両、 同 五 年 (一 七 四 〇) に 二 包 と ] 包 が あ げ ら れ て お る。 又 文 政 十 二 年 ( 一 八 二 九) に 御 膳 料 五 十 疋 と い う の も み え る。 こ れ ら の 金 額 に つ い て は、 い つ れ 詳 し く 調 査 し て ま と め た い。 そ の 他、 同 じ 死 者 供 養 の 行 事 と し て、 納 骨、 骨 上 り、 流 れ 潅 頂 を 記 さ ね ば な ら な い。 納 骨 は 僅 か 一 例 し か 記 し て な く、 文 化 二 年 ( 一 入 〇 五) に 泉 州 の 作 蔵 が 父 の 納 骨 に 来 て い る が、 こ れ も 書 落 し が 多 い も の と 思 わ れ る。 骨 上 り は、 高 野 の 近 国 か ら 現 在 な お 行 わ れ て い る 葬 送 の 習 俗 で あ る が、 六 例 の 記 載 が 拾 え た。 つ ま り 紀 州 五 ( 和 歌 山、 天 野、 杉 原 村、 赤 尾 村、 阿 罹 見 智 郡)、 大 阪 一 で あ る。 現 在 で も、 高 野 周 辺 か ら、 和 歌 山 近 く、 奈 良 県 吉 野 郡 に ま で、 こ の 骨 上 り の 習 俗 は 行 わ れ て お り、 葬 式 後 の 両 三 日 中 に、 主 だ っ た 親 戚 が、 土 葬 の 場 合 は 髪 骨 を 手 づ さ え、 死 者 の 弁 当 ( わ ら つ と に む す び 三 ケ を 入 れ る)、 杖 (草履を持ち、村 境 い に こ れ ら は 納 め、 骨 は 奥 院 へ 納 め に 来 る。 途 中、 土 瓶 と 茶 碗 を 持 ち、 休 む 所 々 で、 こ の 骨 に 水 供 養 し た と い う。 現 在 で も 矢 立 の 二 軒 の 茶 屋 で は、 休 む 時 御 茶 湯 を す る 棚 が 設 け ら

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れ て お り、 ﹃ 紀 伊 国 名 所 図 会 ﹄ に は、 麻 生 津 峠 に も ﹁ 茶 湯 観 音 ﹂ が あ り、 ﹁ 高 野 に 骨 を 納 む る も の 此 仏 に 茶 湯 を 供 ず 由 て こ の 名 あ り ﹂ と あ る。 又 現 在 で も 高 野 の 数 珠 屋 四 郎 兵 衛 等 の 位 牌 屋 で は、 こ の 時 に 位 牌 を 作 る た め に 立 寄 っ た 人 に は、 御 茶 湯 を す る 仏 壇 が し つ ら え て あ り、 こ こ で 供 養 し て い る。 同 帳 で は、 宝 永 六 年 ( 一 七 〇 九)、 延 享 三 年 ( 一 七 四 六)、 明 和 二 年 ( 一 七 六 五)、 文 化 九 年 ( 一 八 一 二) に 二 件、 弘 化 三 年 ( 一 八 四 六) に 見 ら れ る が、 全 部 主 だ っ た 親 類 二 三 人 が 同 道 し て 来 て い る。 今、 宝 永 六 年 の 記 述 を 示 す と、 一、 紀 弱 杉 原 村 令 弟 太 兵 衛 六 月 廿 六 日 二 宇 兵 衛 子 息 相 果 候 二 付 骨 上 リ 宇 兵 衛 甥 也 五 郎 兵 衛 兄 次 郎 兵 衛 汐 伝 言 次 郎 弟 也 源 兵 衛 と あ る。 つ ま り、 四 日 目 に、 死 者 の 子 息 と そ の 甥、 弟 と が 連 れ 立 っ て 参 っ て 来 て い る の で あ る。 安 永 六 年 と 言 え ば、 こ の 登 山 帳 が 書 き 初 め ら れ た 当 初 に 当 る。 勿 論 さ ら に 逆 る も の で あ る が、 高 野 山 が 霊 場 と し て 成 立 し た 原 因 を 追 求 す る に は、 こ の 点 の 研 究 が 重 要 な 鍵 で あ る と 考 え る。 次 に 流 れ 潅 頂 に つ い て 記 し た い。 こ れ も 現 在 な お 御 廟 橋 で 行 わ れ て い る。 元 来 水 に よ り 死 者 の け が れ を 清 め る 風 習 か ら 発 生 し た も の と 考 え ら れ る。 そ し て、 特 に 産 死 し た 婦 人 の 為 め に 行 わ れ る こ と が 多 い。 本 帳 で は、 入 例 が 記 載 さ れ て あ る。 即 ち、 宝 永 四 年 ( 一 七 〇 七)、 寛 保 三 年 ( 一 七 四 五)、 明 和 二 年 ( 一 七 六 九)、 同 三 年、 同 八 年、 安 永 二 年 ( 一 七 七 三)、 寛 政 八 年 ( 一 七 九 六)、 明 治 二 年 (一 八 七 一) で あ る。 建 立 者 は、 大 阪 二、 紀 州、 泉 州、 河 内、 濃 州、 讃 岐、 小 豆 島 各 一 で、 範 囲 も 広 く、 そ れ だ け 高 野 の 流 潅 頂 は 世 に 知 ら れ て い た の で あ る。 こ の 中 で 五 例 は、 月 牌 も 共 に 建 て て お り、 二 重 の 供 養 を 行 (46) っ て い る。 そ し て 多 く は一 流 で あ る が、 寛 保 三 年 に 大 阪 か ら 登 山 し て 来 た 伊 丹 屋 仁 右 衛 門 は、 月 牌 一 本 と 共 に、 五 本 も 建 立 し て い る。 誰 の 為 に 供 養 し た か 判 明 出 来 る の は、 三 例 だ け で、 そ の 中 (47) 二 例 は 女 性 で、 特 に 寛 政 入 年 に 参 っ て 来 た 濃 州 の 長 左 衛 門 は、 ﹁ 流 汀 御 建 立 但 妻 蔓 之 為 也 ﹂ と あ る。 こ れ に 対 し、 残 る 一 例 は、 小 豆 島 か ら 明 治 三 年 に 参 っ て 来 た 徳 次 郎 で ﹁ 真 月 恵 光 信 士 ﹂ の 為 に 建 立 し て お り、 女 性 と ば か り 限 る わ け に は い か 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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笛 教 文 花 な い の で あ る。 少 い 例 か ら 断 定 は 出 来 な い が、 高 野 で は 現 在 な お 産 死 し た 婦 人 や 子 に 対 す る 供 養 が 中 心 に な り、 こ の 信 仰 を 支 え て き て い る。 こ れ は 全 国 的 な 傾 向 で も あ る。 そ れ で、 江 戸 時 代 に お い て も、 や は り こ の 信 仰 が 底 流 と な っ て 供 養 が 行 わ れ て 来 た と 考 え て お き た い。 以 上、 死 者、 先 祖 供 養 を 中 心 と す る 参 詣 者 の 検 討 を 行 っ て 来 た。 こ の 信 仰 が 主 軸 に な っ て い る が、 そ う い う 面 ば か り で も な い の で あ る。 そ れ を 示 す の に お 札 が あ る。 授 け た お 札 名 を 記 載 し て い る の が 十 三 例 拾 え た。 と こ ろ で、 こ れ ら は 明 治 に 入 る と 急 に 増 (49) え、 入 例 が あ る。 そ の 理 由 は 明 か で な い が、 お 札 類 は 江 戸 時 代 で も 盛 に 出 さ れ て お り、 恐 ら く 記 載 の 都 合 で は な い か と 考 え ら れ る。 `こ の 札 類 を 検 討 す る と、 十 三 例 の 中、 講 の 代 参 者 或 い は こ れ に 類 す る も の 三 例 で、 残 る 十 例 は、 個 人 又 は 仲 間 で 参 つ て き て い る。 (50) (51) 講 の 場 合 に は、 寛 政 十 一 年 ( 一 七 九 九) と 同 十 二 年 に 引 続 い て 参 っ て い る 濃 州 本 巣 郡 生 津 村 の 御 影 供 講 の で あ る が、 前 年 に は 御 祈 祷 札、 大 師 御 影、 土 砂 を 各 二 十 六 枚、 次 年 に は 御 祈 祷 札、 土 砂 を 各 二 十 六 枚 受 け て い る。 講 員 二 十 六 人 だ と 思 わ れ る。 (52) 次 に 文 政 四 年 ( 一 八 二 一) に 濃 州 方 県 郡 小 野 村 か ら 参 っ て 来 た 田 中 忠 左 衛 門 等 五 人 が 大 師 御 影 五 十 枚 を 受 け て い る が、 ﹁ 右 御 初 穂 向 後 登 山 之 人 二 相 送 リ 被 申 候 約 足 也 ﹂ と あ る。 こ の 土 地 に も 大 師 講 が あ り、 結 び つ き は 大 き い の で あ る が、 今 こ の 人 達 が 代 参 か 否 か は 明 か で な い。 む し ろ 初 穂 料 と お 札 を 交 流 す る 檀 縁 地 関 係 の 例 と し て 考 え た い。 前 記 し た が、 檀 縁 地 に は 配 札 権 が 認 め ら れ、 そ の 礼 に 初 穂 科 を 送 っ て い た の で あ ろ う。 以 上 三 例 か ら は、 先 祖 供 養 の 傾 向 は 見 受 け ら れ な い。 む し ろ、 祈 祷 札、 大 師 御 影 に よ り 身 の 安 全 を 祈 る 傾 向 が 強 い と 考 え ら れ る。 土 砂 は、 死 者 供 養 の た め と、 こ れ を 戴 く こ と に よ り、 身 の 安 全 が か な え ら れ る と の 二 類 が あ り、 今 は ど ち ら と も 判 断 し 難 い。 し か し、 こ の 三 例 は、 身 の 安 全 等 を 祈 願 す る 傾 向 が 強 い こ と は 否 め な い。 次 に 個 人 又 は 仲 間 で 参 っ て 来 て い る 組 で あ る が、 先 づ こ れ を 書 き 列 べ る。

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( 一 八 二 一) 一、 文 化 二 年、 奥、 三 人 九 重 ニ ツ、 血 盆 経 一 ツ ( 一 八 七 二) 二、 明 治 五 年、 播 十 人 ソ ト バ ニ、 経 惟 子 十、 摩 利 支 天 二、 不 浄 除 一 三、 同 年、 播 六 人 ソ ト バ 六、 大 師 御 影 六、 不 浄 除 四 四、 同 年、 小 豆 島、 十 四 人 ソ ト バ 十 三、 御 影 八、 不 浄 除 二 供 養 一 五、 同 年、 武 一 人 ソ ト バ 一、 経 惟 子 一、 御 影 三、 血 脈一、 不 浄 除一、 九 重一 六、 同 年、 小 豆 島 二 十 六 人 月 牌 一、 潅 頂 一、 不 浄 除 十一、 九 重 三、 経 惟 子 十 一、 庖 瘡 二、 品 除 一 七、、 同 年、 小 豆 島 十 人 不 浄 除 六、 お 守 り ニ ツ 八、 同 六 年、 播 十 五 人 ソ ト バ 四、 経 惟 子 七、 不 浄 除 十 一、 摩 利 支 天 一、 九 重 一 以 上 で あ る。 こ こ で 言 え る こ と は、 卒 塔 婆 等 で 一 応 死 者 供 養 を す る 傾 向 が 認 め ら れ る こ と で あ る。 そ の 上 で、 種 々 の 願 を 持 っ て い る と 言 え る。 今、 お 札 を み る と、 前 の 講 の も 含 め て、 よ く 出 て い る も の に、 大 師 御 影、 祈 祷 札、 土 砂、 不 浄 除、 経 惟 子 が あ る。 少 い 部 類 に、 九 重 の 守 り、 摩 利 支 天 札、 血 脈、 品 除、 疸 瘡、 血 盆 経 が あ る。 大 師 御 影 は 先 祖 供 養 と 同 時 に 家 及 び 身 の 安 全 を 祈 る 意 味 が あ り、 祈 祷 札 は む し ろ 安 全 が 主、 土 砂 に も 死 者 供 養 と の 両 面 が あ り、 経 惟 子 は 死 者 供 養、 不 浄 除、 品 除 は 屋 敷 の 守 護、 九 重 は お 守 り と 考 え ら れ、 摩 利 支 天 は 守 護 神、 疸 瘡、 血 盆 経 は 病 気 に 関 し、 特 に 血 盆 経 は お 産 に 関 係 が あ る。 血 脈 は 結 縁 潅 頂 に 関 し て い る。 以 上 考 え て み る と、 先 祖 及 び 死 者 供 養 の み な ら ず、 自 身、 家 内 の 守 護、 屋 敷 の 守 護、 病 気 に 関 す る も の 等、 多 く の 祈 願 が こ め ら れ て い る こ と が 分 る。 そ の 他 参 詣 目 的 に 関 係 あ る も の を 記 す と、 嘉 永 三 年 (一 入 五 〇) に 登 山 し た 奥 州 二 本 松 領 家 臣 遠 藤 太 郎 左 衛 門 は、 寿 命 長 久 の た め の 祈 祷 を し て お り、 明 和 三 年 ( 一 七 六 六) に 濃 州 か ら 登 山 し た 濃 州 生 津 村 の 太 郎 右 衛 門 ら 二 人 は、 結 縁 潅 頂 を 受 け に 来 て い る。 又 僧 の 中 に は、 安 永 三 年 ( 一 七 七 四) に 濃 州 梅 林 寺 快 与 は 新 住 職 の 継 目 に 登 山 し て お り、 潅 頂 を 受 け に 来 て い る の も、 正 徳 三 ( 一 七 一 三)、 寛 保 元 ( 一 七 四 一一)、 明 和 三 ( 一 七 六 六) 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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笛 教 文 化 の 三 例 五 人 が あ る。 各 寺 の 弟 子 が 多 く、 僧 に な る た め の 伝 法 潅 頂 受 を け に 来 て い る の で あ る。 最 後 に、 寛 政 三 年 ( 一 七 九 一) に 大 阪 土 佐 堀 の 大 和 屋 金 兵 衛 が、 街 道 の ﹁ 四 寸 岩、 袈 裟 掛 ケ ね じ 岩 押 上 ケ 石 鏡 石 標 石 之 施 主 也 ﹂ と あ り、 こ れ は 押 上 ケ 石 に は 現 存 し て い る。 六、 そ の 他 次 に 残 っ た 問 題 を ま と め て お き た い。 先 づ 配 札 の 件 で あ る が、 す で に 二 一二 ふ れ て お り、 檀 縁 関 係 が 結 ば れ る と、 そ こ に 配 札 権 も 成 立 し た よ う で あ り、 そ の 礼 に 御 初 穂 料 を あ げ て い る 事 例 も あ っ た。 (54) こ れ に 関 し て、 残 っ た 史 料 を 記 す と、 文 化 三 年 ( ﹁ 入 〇 六) に、 濃 州 方 県 郡 市 場 村 の 生 幡 佐 吉 が 参 っ て 来 て い る が、 ニ ニ 右 佐 吉 殿 儀 先 年 円 鏡 寺 旦 中 有 之 候 処、 近 年一 向 宗 相 成 候 故 歎、 當 院 使 僧 廻 旦 之 節 配 札 無 之 候 間、 何 卒 向 後 配 札 之 節 尋 □候 様 重 々 頼 来 候 と あ る。 つ ま り こ の 地 方 に も 配 札 権 が あ り、 使 僧 が 廻 っ て い た こ と が 知 ら れ る。 又、 文 化 九 年 ( 一 八 一 二) に 河 内 国 丹 南 郡 新 福 寺 村 の 庄 兵 衛 等 が 参 っ て 来 て い る が、 此 所 其 ノ 旦 那 所 有 三 十 年 以 来 祈 祷 札 不 遣 候 と 尋 上 り 廻 向 料 と し て 銀 十 弐 疋 被 上 候 事 云 云 と あ る。 つ ま り 河 内 国 に も 祈 祷 札 を 配 っ て い た の で あ る。 次 に 初 穂 料 で あ る が、 文 化 三 年 ( 一 入 〇 六) に 二 件 あ り、 大 阪 か ら 同 料 百 文、 濃 州 か ら も 同 料 金 が 収 め ら れ て い る。 こ れ も、 前 記 の 理 由 か ら だ と 考 え ら れ る。 以 上、 配 札 の 問 題 は、 信 仰 と 経 済 が 結 び つ い た 重 要 な 問 題 で あ る。 次 に 坊 入 の 件 に も 僅 か で あ る が ふ れ て お き た い。 坊 入、 無 坊 入 等 の 記 載 が 僅 か で は あ る が あ り、 こ れ に 関 係 す る も の 入 件 を 拾 っ た。 坊 入 と は 坊 料 と 同 じ、 今 目 で 言 う 宿 泊 料 の こ と で あ る。 そ の 記 入 が ご く 僅 か で あ る の は、 特 別 の 場 合、 又 は 何 か の 思 い 付 き で 記 入 す る に 止 ま っ た も の と 思 わ れ る。 (55) 先 づ 特 別 の 例 と し て は、 天 保 十 三 年 ( 一 入 四 二) に 奥 州 か ら 参 っ て 来 た 二 組 ( 正、 六 月 各 二 人) で あ る が、 ﹁ 金 毘 羅 参 り に て 坊 入 無 く 候 ﹂ ﹁ 但 し 此 人 金 毘 羅 坊 入 無 之 ﹂ と あ る。 つ ま り、 金 毘 羅 参 り の 人 は、 坊 料 は と ら れ な て い な い の で あ る。

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同 じ 頃 天 保 十 二 年 に ぬ け 参 り が 二 例 あ る が、 こ れ に は こ う し た 事 実 は 記 入 し て な い。 し か し、 一 般 に ぬ け 参 り の 場 合 に は、 途 中 の 民 家 等 で こ う し た 待 遇 が な さ れ た こ と は 周 知 の こ と で あ る が、 金 毘 羅 参 り も、 こ う し た 扱 い を う け る こ と も あ っ た の で あ る。 (56) 次 に 用 語 上 注 目 す べ き 事 例 が あ る。 そ れ は、 天 保 十 一 年 の 八 月 に 奥 州 西 安 達 郡 か ら 参 つ て 来 た 利 作 等 六 人 と 石 川 利 吉 等 三 人 の 二 組 に つ い て で あ る が、 ﹁ 坊 入 壼 人 落 付 金 朱 宛 ﹂ と あ る。 落 付 と は 元 来 宿 屋 等 に 行 き 着 い た 時、 ま ず 飲 食 を す る こ と (57) を 示 し、 特 に ﹃ 日 本 国 語 大 辞 典 ﹄ に ょ る と、 高 野 に は 中 世 に ﹁ 落 付 三 日 厨 ﹂ と い う 制 度 が あ っ た の で あ、 る。 こ れ は 荘 園 の 荘 民 に か け ら れ た 雑 公 事 の 一 つ で あ り、 預 所 な ど が 荘 務 の た め に 入 部 し た と き、 三 日 間 の 供 応 を 義 務 づ け ら れ て い た の で あ る。 今、 こ の 記 載 文 を み る と、 一 行 の 中 の 一 人 だ け は 落 付 金 朱 を 宛 て た と い う こ と に 解 さ れ る。 即 ち 同 金 子 を あ て て 接 待 を し た と い う よ う に と れ る。 こ の ﹁ 落 付 金 朱 ﹂ と い う 言 葉 が 江 戸 時 代 後 期 に も 生 き て お り、 こ れ が 客 の 接 待 に 使 用 さ れ て い た と 考 え た い。 或 い は こ う し た 交 際 用 の 費 用 を こ う 称 し た の で は な い か と も 考 え ら れ る。 (58) 次 に 金 額 で あ る が、 宝 永 六 年 ( 一 七 〇 九) に 江 戸 か ら 来 た (59) 浄 西 頂 心 は、 ﹁ 坊 入 金 武 朱 上 ら れ 申 候 ﹂ と あ る。 文 化 二 年 ( 一 入 〇 五) に 濃 州 小 垣 村 か ら 来 た 金 右 衛 門 は 二 朱 納 め て い る が、 日 月 牌 は お さ め て お ら ず 三 泊 し て い る。 天 保 十 四 年 ( 一 入 四 〇) に 濃 州 小 野 村 か ら 光 明 講 の 代 参 で 来 た 二 人 ( 名 を 不 記) は、 ﹁ 坊 入 金 試 朱 又 武 朱 札 入 髄 二 受 取 候 ﹂ と あ り、 宿 泊 の 礼 二 朱 と 別 に お 札 の 志 納 金 を 納 め て い る。 以 上 で み る 時、 江 戸 時 代 中 期 以 降 後 期 を 通 じ て、 宿 泊 料 は、 二 朱 と い う 線 で 通 さ れ て い た よ う で あ る。 こ れ に は 人 数、 宿 泊 日 数 も 厳 格 な も の で な く、 大 雑 把 な 計 算 で あ っ た よ う で あ る。 六、 ま と め 本 稿 は 最 初 に 断 わ つ た よ う に、 研 究 発 表 の 第 一 回 で あ り、 そ れ も 時 間 の 都 合 上、 三 宝 院 登 山 帳 だ け し か 調 査 出 来 な か つ た。 一 面 調 査 不 足 の 難 は ま の が れ な い。 し か し、 本 帳 の 調 査 に よ り、 登 山 帳 か ら の 調 査 可 能 の 方 向 付 け は 出 来 た と 考 え 登 山 帳 か ら み た 高 野 参 詣 の 諸 問 題 ( そ の 一)

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