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(語文研究)119-ほんぶん.indb

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はじめに 『古事記』 及び 『日本書紀』 において、 天 あまのうずめのみこと 鈿 女 命 が天照大 神を天石窟から誘い出すために試みた 「カムガカリ」 は、 「神 懸」 ・「顕神明之憑談」と、 いずれも漢字表記ではあるが、 『日 本書紀』に施された訓釈によって、その読みが明らかとなっ ている。しかし、 「カムガカリ」 とは言いながら、 神意が示さ れる託宣らしき描写を伴わないこともあり、天鈿女命が何者 か に 憑 依 し た り、 あ る い は 憑 依 さ れ た り す る 必 然 性 に 乏 し く、 語義の内実は明らかとは言えない。一方、同じ上代の文献に は、憑依の意味で使用される漢字を数種類確認できるが、こ れらは、いずれも記紀の「カムガカリ」とは異なる漢字であ る上に、訓釈を伴わないため、読みを明確にすることはでき ない。 稿者は、 これら憑依を意味する漢字は 「カカル」 よりも 「ツ ク」と読む蓋然性が高いことから、記紀の「カムガカリ」と は、 明 確 に 区 別 す べ き で あ る と 考 え る。 そ し て、 「 カ ム ガ カ リ 」 の「 カ カ ル 」 は、 憑 依 を 意 味 す る「 ツ ク 」 と は 異 な り、 憑依の意味も含み得るものの、広義における神と人との交流 を表す言葉であると考え、この件に関しては別稿を用意する ところである。しかし、 上代の文献からは、 「カムガカリ」 と 読むことの明らかな用例を、天石窟の場面以外に見出せない ため、語義のより詳細な検証は困難である。 『 万 葉 集 』 巻 五 の 最 後 を 飾 る「 男 子 名 は 古 日 に 恋 ふ る 歌 三 首」は、長歌(九〇四番歌)と反歌二首(九〇五番歌・九〇

』「

 

記紀「カムガカリ」の内実を知る手がかりとして

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六番歌)から成る挽歌である。愛児を失った親の痛切な悲し みが吐露されており、左注の内容や、その作風などから山上 憶 良 の 詠 と さ れ る。 本 稿 は、 長 歌( 九 〇 四 番 歌 ) に お い て、 子の快復を祈り、運命を神に委ねる一節に焦点を絞り、解釈 を 加 え る も の で あ る 。 上 代 に お け る 「 カ ム ガ カ リ 」 の 語 義 を 検 証 す る 上 で 、 欠 か す こ と の で き な い 用 例 と 考 え る か ら で あ る 。 一 い さ さ か 長 文 と な る が、 「男 子 名 は 古 日 に 恋 ふ る 歌 三 首」 の 全文を以下に掲げ る (注1 ) 。 [原文] 戀 二男子名古日謌三首   長一首 短二首 世人之   貴慕   七種之   寶毛   我波何爲   和我中能   産 礼出有   白玉之   吾子古日者   明星之   開朝者   敷多倍 乃   登許能邊佐良受   立礼杼毛   居礼杼毛   登母尓戯礼   夕星乃   由布弊尓奈礼婆   伊射祢余登   手乎多豆佐波里   父母毛   表者奈佐我利   三枝之   中尓乎祢牟登   愛久 志我可多良倍婆   何時可毛   比等々奈理伊弖天   安志家 口 毛   与 家 久 母 見 武 登   大 船 乃   於 毛 比 多 能 無 尓   於 毛 波 奴 尓   横 風 乃   尓 布 敷 可 尓   覆 來 礼 婆   世 武 須 便 乃   多 杼 伎 乎 之 良 尓   Ⓐ 志 路 多 倍 乃   多 須 吉 乎 可 氣   Ⓑ 麻 蘇 鏡 弖尓登利毛知弖   天神   阿布藝許比乃美   地祇   布之弖 額 拜   Ⓒ 可 加 良 受 毛   可 賀 利 毛   神 乃 末 尓 麻 尓 等   立 阿 射 里   我 例 乞 能 米 登   須 臾 毛   余 家 久 波 奈 之 尓   漸 々   可 多知都久保利   朝々   伊布許等夜美   靈剋   伊乃知多延 奴礼   立乎杼利   足須里佐家婢   伏仰   武祢宇知奈氣吉   手尓持流   安我古登婆之都   世間之道 反謌   和可家礼婆   道行之良士   末比波世武   之多敞乃使   於 比弖登保良世 布施於吉弖   吾波許比能武   阿射無加受   多太尓率去弖   阿麻治思良之米 右 一 首、 作 者 未 レ詳。 但、 以 三 謌 之 體 似 二 山 上 之 操 一 載 二此次 一 焉。 [訓読文]   男 を の こ 子 名は 古 ふる 日 ひ に戀ふる歌三首   長一首 短二首 世の人の   貴 たふと び願ふ   七 なな 種 くさ の   寶も   われは 何 なに 爲 せ む   わ が 中 なか の   生れ出でたる   白玉の   わが子古日は   明 あか 星 ほし の   明 あ くる 朝 あした は   敷 しき 栲 たへ の   床 とこ の 邊 べ 去らず   立てれども   居 を れ ども   共に 戲 たはぶ れ   夕 ゆふ 星 つづ の   夕 ゆふべ になれば   いざ寢よと   手

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に暗転して子の危篤が示され、最後に、必死の祈願もむなし く子に先立たれた親の慟哭が、情感豊かに歌い上げられてい る。 本稿で問題とするのは、傍線Ⓒの「カカラズモ   カカリモ   神ノマニマニト」の解釈である。子の快復を祈願する一連の 描 写 に あ って、 運 命 を 神 に 委 ね る 表 現 と し て 理 解 さ れ て お り、 現代の諸注釈は 「カカラズモ   カカリモ」 を、 「かく有らずも   か く 有 り も」 の 約 ま った 形 で あ る と す る。 そ う す る と、 「こ の ようでなくても、 このようであっても、 神の思し召しのまま」 の ご と き 解 釈 と な り、 「か く」 は 病 気 の 状 態 を 指 し 示 し て い る と 推 測 さ れ る。 果 た し て、 こ の よ う な 解 釈 は 妥 当 で あ ろ う か。 現代における定説も、江戸時代の注釈を紐解くと、異なる 解釈のあったことが知られる。契沖の『万葉代匠 記 (注2 ) 』は、元 禄元年(一六八八)頃成立した初稿本と、元禄三年(一六九 〇)に成立した精撰本において、それぞれ以下のように注釈 する。 [初稿本] かゝらずもかゝりも、めくみにかゝらんも、かゝらさら ん も 神 の 御 心 に ま か せ て い の る な り。 源 氏 物 語 須 磨 に、 海にます神のめくみにかゝらすは塩のやをあひにさすら を 携 たづさ はり   父母も   上 うへ は 勿 な 下 さが り   三 さき 枝 くさ の   中にを寢むと   愛 うつく し く   其 し が 語 ら へ ば   何 い 時 つ し か も   人 と 成 り 出 で て   惡 あ し け く も   善 よ け く も 見 む と   大 おほ 船 ぶね の   思 ひ 憑 たの む に   思 は ぬ に   横 よこしまかぜ 風 の   に ふ ぶ か に   覆 おほ ひ 來 きた れ ば   爲 せ む 術 すべ の   方 た ど き 便 を 知 ら に   Ⓐ 白 しろ 栲 たへ の   手 た 襁 すき を 掛 け   Ⓑ ま そ 鏡   手 に 取 り 持 ち て   天 つ 神   仰 ぎ 乞 ひ 祈 の み   地 くに つ 神 かみ   伏 し て 額 ぬか づ き   Ⓒ か からずも   かかりも   神のまにまにと   立ちあざり   わ れ乞ひ 祈 の めど   須 しま 臾 しく も   快 よ けくは無しに   漸 やく 漸 やく に   容 か た ち 貌 つくほり   朝 あさ な 朝 あさ な   言ふこと 止 や み   たまきはる   命絶 えぬれ   立ち踊り   足 摩 す り叫び   伏し仰ぎ   胸うち嘆き   手に 持 も てる   吾 あ が兒飛ばしつ   世 よの 間 なか の道 反歌   若ければ道行き知らじ 幣 まひ は 爲 せ む 黄 し た へ 泉 の使負ひて 通 とほ らせ 布 ふ 施 せ 置きてわれは乞ひ 祷 の むあざむかず 直 ただ に 率 ゐ 去 ゆ きて 天 あま 路 ぢ 知らしめ 右の一首は、作者詳らかならず。 但 ただ し、裁歌の體、山 上の操に似たるを以ちて、この次に載す。 長歌の内容を見ると、まず、冒頭においてわが子への愛情を 表明し、引き続き幼子の愛らしい様子を描写し、さらには健 やかな成長を願う親の心が歌われるものの、後半には、俄か

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へなまし。 [精撰本] カヽラスモカヽリモトハ、神ノ恵ニカヽラスモ、カヽリ モナリ。 」 源氏須磨ニ、 海ニマス神ノ恵ニカヽラスハトヨ メリ。 契 沖 は「 カ カ リ 」 を「 か く 有 り 」 で は な く、 「( 神 の 恩 恵 を ) こうむる」 のごとき意味にとらえ、 『源氏物語』 の作中 歌 (注3 ) を例 に挙げる。一方、現代に通じる解釈を提示したのは、享保年 間(一七一六~一七三六)頃に成立したと思われる、荷田信 名 の『 万 葉 集 童 蒙 抄 (注4 ) 』 で あ る。 荷 田 春 満 の『 万 葉 集 僻 案 抄 』 の後を継ぐもので、信名独自の説ではなく、荷田家による注 釈書と位置付けられている。 可 加 良 受 毛 可 加 利 毛   如 レ 此 あ る も あ ら ぬ も と い ふ 義 か。 又諸説は神の恵にかゝらずもかゝるもといふ義と也。源 氏物語須磨の巻にも うみにます神のめぐみにかゝらずばしほのやほあひ にさすらへなまし と詠める事もあらば、恵みにかゝりもかゝらずもといふ 事 に も や あ ら ん。 そ れ に て は め ぐ み と 云 詞 を 入 れ て 不 レ 解ばきこえぬ故、詞のまゝに解せんにはかくあらずもあ りとも見るべきか 契 沖 の 説 を 紹 介 し つ つ も、 「め ぐ み」 と い う 語 を 補 足 し な け れ ば 意 味 が 通 り に く い こ と を 理 由 に、 「か く 有 り」 の 約 ま った 形 と解釈する。その後の江戸期の注釈では、寛政十二年(一八 〇〇)に成立した加藤千蔭の『万葉集略 解 (注5 ) 』と、天保十三年 (一八四二) 頃に成立した鹿持雅澄の 『万葉集古 義 (注6 ) 』 が、 契沖 説に依拠した一方で、文政十一年(一八二八)に成立した岸 本由豆流の 『万葉集攷 証 (注7 ) 』 は、 『童蒙抄』 と同説を唱え、 以下 のように契沖説を否定した。 如 カ 此 ク 不 ア ラ ズ 有 とも、 如 カ 此 ク 有 アリ ともいふを、 くあの反、 かなれば、 かゝらずも、かゝりもとはいへるにて、こゝは天神地祗 を祈りて、子の病の事を申せども、よしや 如 カ 何 ク あらで失 るとも、また 如 カ 此 ク 生てありとも、神のまに〳〵任せ奉る よしなり。これを神の恵みに、懸りも懸らずもの意とす るは、非な り (注8 ) 。 このように、江戸時代においては、両説が並存していたこと が知られる。

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近 代 の 注 釈 に お い て も、 当 初 は 契 沖 説 へ の 言 及 が 見 ら れ た。 明治の空白期を経て、まず、大正四年(一九一五)から出版 された井上通泰の『万葉集新 考 (注9 ) 』は「契沖『神の恵にかゝら ず も か ゝ り も 也 』 と い へ り。 」 と 契 沖 説 を 引 用 し、 昭 和 五 年 (一九三〇) から刊行された鴻巣盛広の 『万葉集全 釈 )(注 (注 』 も、 契 沖説に依拠している。 しかし、昭和十年(一九三五)から刊行された『万葉集総 釈 )(( (注 』は、 「かく有り」説を支持し、以降、 『万葉集評 釈 )(注 (注 』・ 『万 葉集全注 釈 )(注 (注 』・『評釈万葉 集 )(注 (注 』・『万葉集私 注 )(注 (注 』・日本古典文学大 系 )(注 (注 ・『 万 葉 集 注 釈 )(注 (注 』・ 日 本 古 典 文 学 全 集 )(注 (注 ・ 新 潮 日 本 古 典 集 成 )(注 (注 ・ 『万葉集全 注 )注注 (注 』・新編日本古典文学全 集 )注( (注 ・『万葉集釈 注 )注注 (注 』・新日 本古典文学大 系 )注注 (注 ・『万葉集全歌講 義 )注注 (注 』と、いずれも『童蒙抄』 や『攷証』の「かく有り」説を継承して現代に至る。 二 本稿は、 傍線Ⓒ 「カカラズモ   カカリモ   神ノマニマニト」 の 語 義 を 再 検 討 す る も の で あ る か ら、 ま ず は、 「か く 有 ら ず も   かく有りも」の約まった形であるとする説の妥当性を検証し なければならない。実は、 「マニマ」 という語を伴って、 他者 に決定を委ねる表現は、 『万葉集』 に散見され、 ある程度の慣 用性も窺われる。したがって、傍線Ⓒと同様の表現を見出す ことができれば、比較対象として、語義の解明に役立つはず である。 「マニマ」は、 『万葉集』に五十例ほど有り、その内、万葉 仮名表記によって読みの確実なものも二十例ほど存する。し かしながら、その中で「カカラズモ   カカリモ」という表現 を伴うものは 「男子名は古日に恋ふる歌」 以外にはなかった。 そ の 代 わ り に、 「か く 有 ら ず も   か く 有 り も」 と ほ ぼ 同 様 の 働 きをする表現として目に付くのは、 「カニカクニ」 「カモカク モ」 「カニモカクニモ」の三つで、 『万葉集』に十九例確認さ れた。これらは副詞「か」 「かく」のそれぞれに、助詞「に」 か助詞 「も」 、 あるいはその両方である 「にも」 を付けて重ね たもので、 いずれもほぼ同義である。これらを伴う 「マニマ」 を、以下に三例掲げる。 ① 『万葉集』巻五   八〇〇・八〇一番   山上憶良作   [原文] 令 レ 二 或情 一謌一首   并 レ    或 有 人 、 知 レ 二 父 母 一 忘 二 侍 養 一 不 レ 二 妻 子 一 輕 二 於 脱 屣 一 自 稱 二 倍 俗 先 生 一 。 意 氣 雖 レ 揚 二 雲 之 上 一 身 體 猶 在 二 俗 之 中 一 。 未 レ 驗 二 行 得 道 之 聖 一 蓋 是 亡 二

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命 山 澤 一 民 。 所 以 指 二 三 綱 一 更 開 二 教 一 遺 之 以 レ 謌、令 レ 二 其或 一。歌曰 父母乎   美礼婆多布斗斯   妻子美礼婆   米具斯宇都久志   余能奈迦波   加久叙許等和理   母智騰利乃   可可良波志 母 与   由 久 弊 斯 良 祢 婆   宇 既 具 都 遠   奴 伎 都 流 其 等 久   布 美 奴 伎 提   由 久 智 布 比 等 波   伊 波 紀 欲 利   奈 利 提 志 比 等 迦   奈 何 名 能 良 佐 祢   阿 米 弊 由 迦 婆   奈 何 麻 尓 麻 尓   都 智 奈 良 婆   大 王 伊 摩 周   許 能 提 羅 周   日 月 能 斯 多 波   阿 麻 久 毛 能   牟 迦 夫 周 伎 波 美   多 尓 具 久 能   佐 和 多 流 伎 波 美   企 許 斯 遠 周   久 尓 能 麻 保 良 叙   可 尓 迦 久 尓 保 志 伎 麻 尓 麻 尓   斯 可 尓 波 阿 羅 慈 迦 反謌 比佐迦多能   阿麻遲波等保斯   奈保々々尓   伊弊尓可弊 利提   奈利乎斯麻佐尓 [訓読文] 惑 まと へる 情 こころ を 反 かへ さしむる歌一首   序を并せたり 或 あ 有 る 人 ひと 、父母を 敬 ゐやま ふことを知れれども侍養を忘れ、妻 子を顧みずして、 脱 だつ 屣 し よりも 輕 あなづ れり。 自 みづか ら倍俗先生と 稱 い ふ。意氣は青雲の上に揚ると雖も、身體は 猶 なほ し塵俗 の中に在り。修行得道の 聖 ひじり に 驗 しるし あら 未 ず 、 蓋 けだ しこれ山澤 に亡命する民ならむ。 所 そ ゑ に 以 三綱を指示し、更に五教を 開き、 遺 おく るに歌を以ちてして、其の 惑 まとひ を反さしむ。歌 に曰はく 父母を   見れば 尊 たふと し   妻 め 子 こ 見れば   めぐし 愛 うつく し   世の中 は   かくぞ 道 こと 理 わり   黐 もち 鳥 どり の   かからはしもよ   行 ゆ く へ 方 知らね ば   穿 うけ 沓 ぐつ を   脱 ぬ き 棄 つ る如く   踏 ふ み 脱 ぬ きて   行くちふ人は   石 いは 木 き より   成り 出 で し人か   汝 な が名 告 の らさね   天 あめ へ行かば   汝 な がまにまに   地 つち ならば   大 おほ 君 きみ います   この照らす   日 月 の 下 した は   天 あま 雲 くも の   向 むか 伏 ぶ す 極 きは み   谷 たに 蟆 ぐく の   さ 渡 る 極 きは み   聞 きこ し 食 を す   國のまほらぞ   かにかくに   欲 ほ しきまにまに   然 しか にはあらじか 反歌 ひ さ か た の 天 あま 路 ぢ は 遠 し な ほ な ほ に 家 に 歸 り て 業 なり を 爲 し ま さ に ② 『万葉集』巻十四   三三七七番   作者不詳 [原文] 武藏野乃   久佐波母呂武吉   可毛可久母   伎美我麻尓末 尓   吾者余利尓思乎 [訓読文] 武藏野の草は 諸 もろ 向 む き かもかくも君がまにまに 吾 あ は 寄 よ りに しを

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③ 『万葉集』巻十七   三九九三・三九九四番   大伴池主作   [原文] 敬 下和遊 二 覽布勢水海 一 上 一首   并 二一絶 一 布治奈美波   佐岐弖知理尓伎   宇能波奈波   伊麻曾佐可 理等   安之比奇能   夜麻尓毛野尓毛   保登等藝須   奈伎 之等与米婆   宇知奈妣久   許己呂毛之努尓   曾己乎之母 宇良胡非之美等   於毛布度知   宇麻宇知牟礼弖   多豆佐 波理   伊泥多知美礼婆   伊美豆河泊   美奈刀能須登利 安佐奈藝尓   可多尓安佐里之   思保美弖婆   都麻欲妣可 波須   等母之伎尓   美都追須疑由伎   之夫多尓能   安利 蘇乃佐伎尓   於枳追奈美   余勢久流多麻母   可多与理尓   可都良尓都久理   伊毛我多米   氐尓麻吉母知弖   宇良具 波之   布勢能美豆宇弥尓   阿麻夫祢尓   麻可治加伊奴吉   之路多倍能   蘇泥布理可邊之   阿登毛比弖   和賀己藝由 氣婆   乎布能佐伎   波奈知利麻我比   奈伎佐尓波   阿之 賀毛佐和伎   佐射礼奈美   多知弖毛爲弖母   己藝米具利   美礼登母安可受   安伎佐良婆   毛美知能等伎尓   波流佐 良婆   波奈能佐可利尓   可毛加久母   伎美我麻尓麻等 可久之許曾   美母安吉良米々   多由流比安良米也 之良奈美能   与世久流多麻毛   余能安比太母   都藝弖民 仁許武   吉欲伎波麻備乎 右、 掾 大 伴 宿 祢 池 主 作。 四月廿六 日 追 和 [訓読文] 布 勢 の 水 海 に 遊 覽 す る 賦 に 敬 つつし み 和 こた ふ る 一 首   一 絶 を 并 せたり 藤波は   咲きて散りにき   卯 う の花は   今そ盛りと   あし ひきの   山にも野にも   霍 ほ と と ぎ す 公鳥   鳴きし 響 とよ めば   うち靡 く   心もしのに   そこをしも   うら 戀 ごひ しみと   思ふどち   馬うち群れて   携 たづさ はり   出で立ち見れば   射 い 水 みづ 川 がは   湊 みなと の 洲 す 鳥 どり   朝 凪 な ぎに   潟 かた に 求 あ さ り 食 し   潮滿てば   妻呼び 交 かは す 羨 とも しきに   見つつ過ぎ行き   澁 しぶ 谿 たに の   荒 あり 磯 そ の崎に   沖つ 波   寄せ來る玉藻   片 搓 よ りに   蘰 かづら に作り   妹がため   手 に 纏 ま き持ちて   うらぐはし   布 ふ 勢 せ の 水 みづ 海 うみ に   海 あ 人 ま 船 ぶね に 眞 ま 楫 かぢ 擢 かい 貫 ぬ き   白 しろ 栲 たへ の   袖振り 反 かへ し   率 あども ひて   わが漕ぎ行 けば   乎 を 布 ふ の崎   花散りまがひ   渚 なぎさ には   葦 あし 鴨 がも 騷き   さ ざれ波   立ちても居ても   漕ぎ 廻 めぐ り   見れども飽かず 秋さらば   黄 も み ち 葉 の時に   春さらば   花の盛りに   かもか くも   君がまにまと   かくしこそ   見も 明 あき らめめ   絶ゆ る日あらめや 白波の寄せくる玉藻世の 間 あひだ も 續 つ ぎて見に 來 こ む淸き 濱 はま 傍 び を 右は、 掾大伴宿禰池主の作なり。 四月二十六日追ひて和ふ

(8)

①の詠者は、 傍線部において 「好きなようにするがいい」 と、 相 手 の 判 断 に 任 せ て お り、 選 択 肢 は 明 確 で は な い。 た だ し、 全体の文脈から、家族を見捨てて逃亡することと、家族のた めにとどまることの二択を推測することは可能である。②の 詠者は、相手に、自身の忠実な真心に報いることを求めてい る。この場合は、選択肢を明確にする必要性はさらに希薄で あ り、 「あ あ で あ ろ う と こ う で あ ろ う と、 た だ ひ た す ら あ な た に従順であったのに」と訴えているのである。③は、秋の紅 葉と春の花という選択肢を提示しているものの、それらに限 定することなく、さまざまな趣向で遊覧を楽しむことを勧め ていると考えられる。 このように、選択肢をあえて明確に提示する必要の無い場 合 や、 前 後 の 文 脈 か ら 選 択 肢 を 類 推 で き る 場 合 に は、 「カ ニ カ クニ」 「カモカクモ」 「カニモカクニモ」が使用される傾向に ある。 「カカラズモ   カカリモ」 を 「かく有らずも   かく有り も」 の約まった形とみなすのであれば、 「かく」 の具体的な内 容を文脈から判断せざるを得ず、言葉の働きとしては「カニ カクニ」 等と大差ない。 「わが子の運命は神の御心のまま」 の ごとき意味と考えられる「男子名は古日に恋ふる歌三首」の 傍線Ⓒも、 「カニカクニ」 等で十分意味が通じるのに、 なぜ孤 例であるところの「カカラズモ   カカリモ」が使われたので あろうか。 「カカラズモ   カカリモ」は、副詞「かく」と動詞「有り」 の約まった形ではなく、具体的な二択を表している可能性が ある。実際に、 「マニマ」 の用例の中には、 以下に掲げる三例 のように、直前に具体的な選択肢を提示する場合がある。 ④ 『万葉集』巻九   一七八五・一七八六番   笠金村作 [原文]   神龜五年戊辰秋八月謌一首   并 二短哥 一 人 跡 成   事 者 難 乎   和 久 良 婆 尓   成 吾 身 者   死 毛 生 毛   公 之隨意常   念乍   有之間尓   虚蝉乃   代人有者   大王之   御命恐美   天離   夷治尓登   朝鳥之   朝立爲管   群鳥之 群立行者   留居而   吾者將戀奈   不見久有者 反謌 三 越 道 之   雪 零 山 乎   將 越 日 者   留 有 吾 乎   懸 而 小 竹 葉 背 [訓読文] 神龜五年戊辰秋八月の歌一首   短歌を并せたり   人と成る   ことは 難 かた きを   わくらばに   成れるわが身は   死 しに も 生 いき も   君がまにまと   思ひつつ   ありし 間 あひだ に   うつ せ み の   世 の 人 な れ ば   大 おほ 君 きみ の   御 み 命 こと 畏 かしこみ   天 あま 離 ざか る   夷 ひな 治 をさ めにと   朝 あさ 鳥 とり の   朝 あさ 立 だち しつつ   群 むら 鳥 とり の   群 むら 立 た ち行けば  

(9)

留 とま り居て   われは戀ひむな   見ず 久 ひさ ならば 反歌 み 越 こし 路 ぢ の 雪 降 る 山 を 越 え む 日 は 留 れ る わ れ を 懸 か け て 偲 しの は せ ⑤ 『万葉集』巻十   一九一二番   (春の相聞   「霞に寄す」六 首の四首目   作者不詳) [原文] 靈寸春   吾山之於尓   立霞   雖立雖座   君之隨意 [訓読文] たまきはるわが山の 上 へ に立つ霞 立つとも 坐 う とも君がまに まに ⑥ 『万葉集』 巻十六   三七九六番   (竹取の翁に対する 「 娘 を と め 子 らの 和 こた ふる歌九首」の三首目) [原文] 否藻諾藻   隨欲   可赦   皃所見哉   我藻將依   三 [訓読文] 否 いな も 諾 を も欲しきまにまに 赦 ゆる すべき 貌 かたち は見ゆやわれも依り なむ   三 ④ の 詠 者 は、 「 生 モ 死 モ 」 と あ る よ う に、 旅 立 つ 相 手 に 対 し て、自身の生死を委ねるほどの愛情を表明している。⑤の詠 者は「立ツトモ坐トモ」という表現によって、自身の座るか 立つかという動作の選択を、相手に委ねている。⑥には「否 モ諾モ」とあるように、翁を拒絶することも受け入れること も、詠者である娘子に委ねられているとして、翁の懐の深さ を称えている。以上、三例の「マニマ」は、いずれも直前に 相対する二択を伴っている。 「マニマ」が伴う表現の中には、 「カ ニ カ ク ニ」 等 の よ う に 選 択 肢 の 内 容 が 曖 昧 な も の ば か り で は な く、 具 体 的 に 提 示 さ れ る も の も あ る の で あ る。 「男 子 名 は 古日に恋ふる歌三首」 が後者である可能性は、 排除できない。 前述のとおり、 『万葉集』 において、 万葉仮名表記でないも のも含めると、 「カニカクニ」 ・「カモカクモ」 ・「カニモカクニ モ」 の 合 計 は 十 九 に も 及 ん で い る。 し か し、 「カ カ ラ ズ モ   カ カリモ」は当該歌のみの孤例である。この歌だけが「カカラ ズモ   カカリモ」という表現を使用する特異性を見落として は な ら な い。 「カ カ ラ ズ モ   カ カ リ モ」 は、 「か く 有 ら ず も   か く 有 り も 」 の 約 ま っ た 形 な ど で は な く、 前 掲 の ④「 生 モ 死 モ」 ・⑤「立ツトモ坐トモ」 ・⑥「否モ諾モ」の様に、具体的 な二択を提示しているという可能性がある。

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三 本稿の冒頭にも述べたが、記紀に「カムガカリ」という表 現 が あ る。 天 照 大 神 を 天 石 窟 か ら 誘 い 出 す た め の 手 段 と し て、 天鈿女命が試みた行為である。現代語の「神がかり」や「憑 依」とほぼ同義と考えられている言葉であるが、上代の文献 において、 「カムガカリ」 と読むことの明らかな語は、 記紀の 二 例 の み で あ る。 稿 者 は、 上 代 に お け る「 カ ム ガ カ リ 」 は、 現代語とは異なり、狭義における憑依(とり憑き)を意味す る言葉ではなく、広義における神と人間との交流を意味する 言葉であると考え、詳細については、別稿を用意するところ である。しかし、他に用例を見出せないことが、語義のより 詳細な検証を困難にしているのであった。 思うに、 「男子名は古日に恋ふる歌」 の傍線Ⓒ 「カカラズモ   カカリモ   神ノマニマニト」は、記紀の「カムガカリ」と同 義的な関係にあるのではあるまいか。以 下 に 、『 日 本 書 紀 』 に お け る 天 鈿 女 命 の 「 カ ム ガ カ リ 」 の 用 例 を 掲 げ 、 本 稿 の 冒 頭 に 掲 げ た 「 男 子 名 は 古 日 に 恋 ふ る 歌 」 の 九 〇 四 番 歌 と 比 較 す る 。 [原文]   而 上 枝 懸 二 八 坂 瓊 之 五 百 箇 御 統 一 中 枝 ⓑ 懸 二 八 咫 鏡 一 一 云 眞 經 津 鏡 。 下 枝 懸 二 和 幣 、 和 幣 、此 云 二 尼枳底 一 白和幣 一 相與致其祈祷焉。又 猨 女 君 遠 祖 天 鈿 女 命 、 則 手 持 二 纏 之 矟 一 、 立 二 天 石 窟 戸 之前 一 巧作俳優 。 亦以 二天香山之眞坂樹 一 爲 レ 鬘 、 以 レ 蘿   蘿、此云 二 比舸礙 一   爲 二 繦 一 手繦、此云 二多須枳   而火處燒、 覆槽置   覆槽、 此 云 二于該   ⓒ 顯 神 明 之 憑 談 。 顯神明之憑談、此 云 二歌牟鵝可梨 [訓読文] 上 かみ 枝 つえ に は 八 や 坂 さか 瓊 に の 五 い 百 ほ 箇 つ の 御 みす 統 まる を 懸 とりか け、 ⓑ 中 なか 枝 つえ に は 八 やた 咫 の 鏡 かがみ   一 ある に云はく、 眞 ま 經 ふ 津 つの 鏡 かがみ といふ。 を 懸 とりか け 、 下 しづ 枝 え には 青 あを 和 に き て 幣 、 和 幣、 此 を ば 尼 に 枳 き 底 て と 云 ふ。 ⓐ 白 しろ 和 に き て 幣 を 懸 とりし で て 、 相 あひ 與 とも に 致 のみ 其 いの 祈 り ま う 祷 す。又 猨 さるめのきみ 女君 の遠祖 天 あまのうずめのみこと 鈿 女 命 、則ち 手 て に 茅 ち 纏 まき の 矟 ほこ を 持 も ち、 天 あまの 石 いは 窟 や 戸 と の 前 まへ に 立 た たして、 巧 たくみ に 作 わ ざ を き 俳優 す。亦天 香 山 の 眞 坂 樹 を 以 て 鬘 かづら に し、 蘿 ひかげ   蘿、 此 を ば 比 ひ 舸 か 礙 げ と 云 ふ。 を以て 手 た 繦 すき   手繦、 此をば 多 た 須 す 枳 き と云ふ。 にして、 火 ほ 處 ところ 燒 や き、 覆 う 槽 け 置 ふ せ、 覆槽、 此をば 于 う 該 け と云ふ。 ⓒ 顯 む が か り 神明之憑談 す。 顯神 明之憑談、此をば 歌 か 牟 む 鵝 が 可 か 梨 り と云ふ。 両場面を比較すると、いくつかの共通点が見出される。右の 傍線ⓐ・ⓑ・ⓒは、九〇四番歌の傍線Ⓐ・Ⓑ・Ⓒに、それぞ れ対応している。

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天石窟の場面は、天照大神を誘い出すためにあらゆる手段 を講ずる場面であるのに対し、九〇四番歌は、愛児を死の淵 から救うべく、神に祈願する場面である。神の出現を要請す ることは、神の加護を願うことに等しい。両者は、神の恩恵 にあずかろうとする点において、目的を同じくしているので ある。さらに、祈りに用いる道具類にも共通点がある。傍線 部Ⓑとⓑが示すように、九〇四番歌では「まそ鏡」を手に持 ち、 天石窟の場面では、 「八咫鏡」を枝に懸ける。また、 傍線 部 Ⓐ と ⓐ が 示 す よ う に、 九 〇 四 番 歌 で は「 白 た へ の た す き 」 を 掛 け、 天 石 窟 の 場 面 で は、 「 白 和 幣 )注注 (注 」 を 枝 に 懸 け る の で あ る。上代において、神々への祈りの際に鏡やたすきの類が使 用されたことは、 『万葉集』に多数用例を見るところであ る )注注 (注 。 以上のような共通点を踏まえると、九〇四番歌の傍線部Ⓒ の「かかる」が、天石窟の場面の傍線部ⓒ「カムガカリ」の 「か か る」 と 同 義 で あ る 可 能 性 は 排 除 で き な い。 愛 児 を 救 う べ く一心不乱に祈る姿は、神との接触をはかり、トランス状態 となって踊る巫覡の姿を彷彿とさせる。そして、神との交流 を試みる巫覡の姿は、天照大神を天石窟から誘い出そうとす る天鈿女命の姿に重ねられるようである。 稿者は、契沖の「めくみにかゝらんも、かゝらさらんも神 の御心にまかせていのるなり。源氏物語須磨に、海にます神 の め く み に か ゝら す は 塩 の や を あ ひ に さ す ら へ な ま し。 」 と の 見解に、 概ね賛同するものである。 『童蒙抄』 による 「それに て は め ぐ み と 云 詞 を 入 れ て 不 レ 解 ば き こ え ぬ 」 と の 指 摘 は、 「かかる」 が 「カムガカリ」 の 「カカル」 である可能性を度外 視したものであろう。 「カムガカリ」 とは、 神と人間とが何ら かの関わりを持つことであり、神の恩恵を被ることも含まれ る。 「かかる」が、記紀における「カムガカリ」の「カカル」 と同義であるならば、 『童蒙抄』が指摘するような「めぐみ」 な る 言 葉 を 補 足 せ ず と も、 意 味 は 通 じ る の で は な い だ ろ う か。 傍線部Ⓒの「カカラズモ   カカリモ」が、 直前の「天神」 ・ 「地祇」 および直後の 「神」 と直接的に関係していると見なす ならば、 忽ち 「神がかり」 という言葉が浮かび上がってくる。 稿者はこれを、上代において、記紀の天石窟の場面以外に確 認できない「カムガカリ」の類例と考えるのである。 おわりに 本稿では、 「男子名は古日に恋ふる歌三首」 の 「カカラズモ   カカリモ」 は、 「マニマ」 に伴う表現としては特異であること に着目して、 「かく有り」の約まった形ではなく、 「カムガカ リ」の「カカル」である可能性を指摘した。子の快復を祈願

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する親の前に神が出現し、たちまちの内に癒したり、子を救 う術を授けたりするとすれば、そのような現象こそ「カムガ カリ」 ではないだろうか。 「カムガカリ」 とは、 単に 「とり憑 き」を意味する言葉ではないのである。 人間世界において、巫覡が神々との繋がりを求める祈りの 模様は、天石窟戸の前で、天鈿女命が天照大神を誘い出すた めに試みた「カムガカリ」と性質を同じくしている。この長 歌は、万葉の時代の祈りの場において、神話の時代から受け 継がれた神と人との対話の構造が、猶も息づいていたことを 伝えているのである。 注 注1 本稿において、 特に断らない引用文は、 読みも全て日本古典文 学大系による。 注 2 契沖全集三『万葉代匠記』三(一九七四年・岩波書店) 。 注 3 実 際 に は、 『 源 氏 物 語 』 明 石 巻 に 見 え、 日 本 古 典 文 学 大 系 に は 「 う み に ま す 神 の た す け に か ゝ ら ず ば 潮 の や ほ あ ひ に さ す ら へ なまし」とある。 注 4 荷田全集三(一九二九年・吉川弘文館) 。 注 5 歌謡俳書選集一(一九二八年・文献書院) 。 注 6 稿本影印版 『万葉集古義』 五 (一九八三年・財団法人高知県文 教協会) 。 注 7 万葉集叢書五(一九二六年・古今書院) 。 注 8 『童蒙抄』 よりも一歩踏み込んで、 「かく」 が指し示す内容にも 言及しており、 「 如 カ 何 ク あらで失るとも、 また 如 カ 此 ク 生てありとも」 と あ る こ と か ら、 「 生 き て い る 状 態 」 と 解 釈 し て い る こ と が 知 ら れ る。 し か し、 昭 和 十 年 か ら 刊 行 さ れ た『 万 葉 集 総 釈 』( 注 11)は、 「かく」について、 「唯今の病状を指すと思ふ」と言及 し て お り、 「 病 気 の 状 態 」 と 解 釈 し て い る。 以 来、 現 代 の 注 釈 は、概ね「かく」を「病気の状態」とする。 注 9 『万葉集新考』 二 (一九二八年・国民図書株式会社) 。大正四年 ( 一 九 一 五 ) か ら、 非 売 品 と し て 少 数 出 版 し た も の を、 昭 和 三 年(一九二八)に、改めて公刊したもの。 注 10 万 葉 集 全 釈 』 二( 一 九 三 三 年 発 行・ 一 九 四 二 年 七 版・ 広 文 堂 書店) 。 注 11 森本治吉・新村出 『万葉集総釈』 三 (一九三五年・楽浪書院) 。 注 12 窪田空穂『万葉集評釈』五(一九五〇年・東京堂) 。 注 13 武田祐吉『万葉集全注釈』五(一九四九年・改造社) 。 注 14 佐佐木信綱『評釈万葉集』二(一九四九年・六興出版社) 。 注 15 土屋文明『万葉集私注』五(一九五〇・筑摩書房) 。 注 16 『万葉集』二(一九五九年・岩波書店) 。 注 17 澤瀉久孝『万葉集注釈』五(一九五九年・中央公論社) 。 注 18 『万葉集』二(一九七二年・小学館) 。 注 19 『万葉集』二(一九七八年・新潮社) 。 注 20 井 上 哲 夫 『万 葉 集 全 注』 (一 九 八 四 年 初 版・一 九 九 三 年 再 版・有 斐閣) 。 注 21 『万葉集』二(一九九五年・小学館) 。 注 22 伊 藤 博『 万 葉 集 釈 注 』 三( 一 九 九 六 年 一 刷・ 二 〇 〇 一 年 四 刷・ 集英社) 。 注 23 『万葉集』一(一九九九年・岩波書店) 。 注 24 阿蘇瑞枝『万葉集全歌講義』三(二〇〇七年・笠間書院) 。

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注 25 白 た へ の た す き 」 も「 白 和 幣 」 も、 楮 を 原 料 と す る 白 い 布 で ある。 注 26 た す き に 関 し て は、 巻 三・四 二 〇 番 歌、 巻 十 三・三 二 八 八 番 歌、 巻十九・四二三六番歌に見え、 鏡に関しては、 巻十二・二九八 一番歌、 巻十三・三二六三番歌、 巻十三・三三一六番歌、 巻十 四・三四六八番歌、巻十七・四〇一一番歌に見える。 (ふじさき   ゆうじ・本学大学院博士後期課程)

参照

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