文化史の観点から見るコロフォン研究の重要性
―オディシャー州の宗教系貝葉写本を事例として―
Shobha
Rani
DASH
1
.はじめに
インド系写本には,その素材に関わらずコロフォン(colophon,奥書)が見られ る.多くは末尾に見られ,「uttara-puṣpikā(奥書,post-colophon)」と呼ばれる.ここ には作成者,書写生,作成/書写の年代や目的など多くの情報が含まれている. これらの情報は当該写本に対する理解を深め,写本学全体の研究の中で大きな役 割を果たすものである. インド系写本研究はテキスト研究が中心であり,コロフォンは写本の書誌情報 を与える補助資料として用いられることが多い.その他,ハンブルク大学写本文 化研究センターが統語論の視点からコロフォンを研究対象とする研究も最近では 見られる.いずれの場合も,コロフォンは二次的な資料として扱われている. 本論文は,写本のテキストの内容ではなく,コロフォンそのものの記述に着目 し,そこに見られる写本独自の主張とは何であるかを明らかにするものである. 2.資料紹介
本稿では,インド東部・オディシャー州の叙事詩,プラーナ文献,ストートラ など宗教系分野におけるkaraṇī書体の貝葉写本のコロフォンのみを資料として用 いた.これはサンスクリット語とオディアー語で記されている.文化史の資料と して用い得るコロフォンが全ての写本に見られるわけではない.資料として用い たオディシャー州の約300本の写本のコロフォンのうち,本発表の資料となり得 るのは42本あまりに限られた.加えて,北京の個人蔵のオディシャーの写本100 本を調査し,その中から18本の写本のコロフォンを資料として用いた.それら は殆んど全て1800年代に書写されたものである. コロフォンに見られるバリアントを{ }に提示するが,明らかな誤字脱字や 文法的な誤りの場合は,訂正して表記する.また,オディアー語には「va」の文字がなく,「va」に相当する文字はすべて「ba」と表記されるが,サンスクリッ ト語で記されたコロフォンの場合は「va」と表記した.オディアー文字の「ଯ」 は「群外のja」(avargya-ja)と呼ばれ,サンスクリットの「ya」の多くは「ଯ」で 表記される.この文字を「ʝa」で表記した. 3
.コロフォンの分析
同一内容や同種類の内容のコロフォンが複数のテキストに見られるため,代表 的な記述を7種に分類して以下に例示する. (1) 貝葉写本作成に関する書写性の気持ちを表すコロフォン 貝葉写本が非常に苦労して書写されることを書写生が伝える記述.それには, 苦労して書写されたものであるため,その写本が大事にされることを願う書写生 の気持ちが込められている.bhagnapṛṣṭhakaṭīgrīvas tulyadṛṣṭir adhomukham |
duḥkhena likhitaṁ granthaṁ putravat paripālayet || <Nṛsiṁhapurāṇa> [私の]背中と腰と首は折れ曲がり,目は一点に集中し,顔は下に傾いてしまった.[この ように]苦労して書写された[この]経典を[取り扱う人は,これを自分の]息子と同様 に取り扱ってくれるように. ここに記されるduḥkhena likhitaṁという言葉は,肉体的な苦労と生活上の苦労 の両方を指す可能性がある. (2) 貝葉写本の保存に関するコロフォン そして,このように大変苦労して書写された貝葉写本はどのように保存される べきかについての記述がよく見られる.
jalād rakṣa tailād rakṣa rakṣa māṁ ślathabandhanāt |
ākhubhyaḥ parahastebhya evaṁ{idaṁ} vadati pustakam{pustakaḥ} ||
<Kṛṣṇasiṁha kṛta Śrīmahābhārata, Sabhāparba> 「私を水から,油から,緩い結びから,ネズミから,他人の手から守ってください」このよ
うに本(=写本.以下同)は語る.
(3) 写本の盗難に関する警告文
多くのコロフォンに「この聖典は誰々のものである」と写本の所有者の名前が 記され,写本を盗む者に対する警告文が刻まれている.
pustakaṁ harate yas tu kāṇo duḥkhī bhaven naraḥ |
mṛtāḥ svargaṁ na gacchanti, pitaro{pitṛṇāṁ} narakaṁ vrajet{nayet, gatiḥ} || <Nṛsiṁhapurāṇa>
[この]本を盗む者は実に目を失い,不幸になるであろう.[そのような人々は]死後天国 に行かず,その先祖[も]地獄に赴く.
e postake je māgineiṁ nadeba tā saptapuruṣa taḷa | ethaku śrībālikiṁśvara debe sākhi |
<Śrībhāgabata, ekādaśaskandha>
この本を借りて返さない者は7代に及んで先祖が中傷される.バーリキンシュヴァル神が
その目撃者となるであろう.
e pustaka māgi neī ʝe āhāʝya kariba | tāhāra sapta puruṣa narkāṅgata heba ||
<Śrīrāmalīḷā, Sindurākāṇḍa>
この本を借りて自分のものにする人は7代に及んで先祖が地獄に陥る.
e pustaka māgi nei grāhiʝa kariba | tā saptabiśa puruṣa gheni xxx narke paḍiba ||
<Śrīcaṇḍīpurāṇa>
この本を借りて自分のものにする人は彼の27代の先祖とともに地獄に陥る.
ye pustaka ʝe māginei grāhiʝa kariba śrīśaraśvatīṅka śrīcaraṇe aprādha labhiba |
<Śrīnṛsiṁhapurāṇa> この本を借りて自分のものにする人は吉祥なるサラスヴァティー女神の足もとで罪を犯す ことになる.
宗教系写本でありながらも,盗難を防ぐためにこのように罵る穏やかでない言 葉が記され,当時写本がいかに重要視されていたかが示されていると言えるであ ろう.なお,罵る語の後に多くの場合,「śrījagannātha uddhāra karibe 」(ジャガン
ナータ神が[そのような者をも]救ってくれるであろう),「śrī śubham astu | avighnam astu
|」([そういう者にも]吉祥なることがあるように.妨げがないように)などその地域の
守護神への加護の願いや祝福のことばも記され,写本を盗むような大罪を犯した 人々にも救いがもたらされることが願われており,それが宗教系写本の特徴を表 している.なお,これとは反対に以下のような文が見られることもある.
ye posteka neiṁ ʝe nadeba | tāā sapta puruṣa taḷa | …bahuta paramāyu hoiba | putra santānu bṛddhi karibe dhana jana gopa lakṣmi debe | ethi dakhiṇā deba e postaka bhoga kariba |
<Śrībhāgabata, ekādaśaskandha>
この本を借りて返さない者は7代に及んで先祖が中傷される.…[写本を大事にする者は]
長寿になる.[神々が]息子を授けてくれ,富,人,牛,吉祥を授けてくれる.この[本] に布施をする者はこの本を楽しむであろう.
dakhiṇā (Skt. dakṣiṇā) は日本語で布施というが,オディシャーの習慣としては
財物の布施はdānaであって,そのdānaを最終的に完成させるためにdakṣiṇāを 与える.その時dakṣiṇāは通常財物ではなく,金貨で行われる.写本を無料無断 で自分のものにすると罪になるが,一定の金額をdakṣiṇāとして与え,自分のも のにする場合,多くの功徳に恵まれることがこのコロフォンから明らかになる.
(4) 書写生の謝罪文
サンスクリット語とオディアー語両方の謝罪文がよく見られる. bhīmasyāpi raṇe bhaṅgo muner api matibhramaḥ |
yadi śuddham aśuddhaṁ vā mama doṣo na vidyate || <Śrībhāgavata-mahāpurāṇa, dvādaśaskandha> ビーマ[のような有力な戦士]も戦に負けることがあり,聖者(牟尼)の頭も混乱する [ことがあるので],[私の書写は概ね]正しい[と思われるが],あるいは,間違いがあっ
ても,私の過失とならないように.
sujñājanamāne śuddha aśuddha puroi gāiba | lekhnakāra doṣa na dhariba ||
<Śrībhāgabata (Jagannāthadāsa)> 正しい知恵を有する者たちよ,正しく書写されているものも,間違っているものも含めて [この経典]を唱えてください.書写生の過ちを見逃してくれますように. コロフォンにはこのような内容の文章が頻繁に見られ,書写生は書写の際に無 意識や無知によって誤字脱字などの過ちを犯しているかもしれないという罪悪感 を謝罪文の形で表そうとしている. (5) 書写の願主に関するコロフォン
e pustaka khaṇḍa paḍā xxxxxxxx mauje kaiṁ phulia grāmare ghara kari ruhanti xxx māhājana
uchaba māhāṇāṅkara || <Śrīcaṇḍīpurāṇa>
この本はカンダパダー地区のフリアー村に住む長者ウチャバ・マハーナー氏のものであ る.
kāhnapurare gharakari rahaṇi mahājana pāśu dāsaṅkara ye pustaka | <Śrīnṛsiṁhapurāṇa> この本はカーンハプラに住む長者パーシュ・ダーサのものである.
上記の例文からは書写の願主は長者(mahājana)であるのが多いことから,写本 の書写費用が高額であったことが推測される.
(6) 書写生のカーストを表すコロフォン
多くのコロフォンに書写生の名前が記されている.その名前の表記の仕方から 書写生のカーストを特定できる.例えば,∼bipra(skt.vipra)や∼dvijaとなってい る場合バラモンカーストの者であることが明白である.dvijaはクシャトリヤや ヴァイシャに対して用いることもあるが,オディシャーの社会習慣として常にバ ラモンカーストの者のみを示す.そして,氏族名(gotra)からもカーストを特定 できるようになっている.以下,書写生の名前をいくつ事例として取り上げる.
baiṣṇeba adhikāri kṛṣṇasindhu dāsaku śrīrādhāmādhaba udhāra karibe |
<Śrīmadbhāgabata, ekādaśaskandha> ヴァイシュナヴァである[私]クリシュナシンドゥ・ダーサを吉祥なるラーダーマーダバ 神が救ってくれますように.
śrimantadadhibābanagosāī udhāra kariba adhama … lekhanakāra udhaba sāu ku |
<Śrībaicandra Gītā> 吉祥なるダディバーバナ神よ,どうか最低の[人間である私]書写生ウダバ・サーウを救 済してくれますように.
e posteka lekhana ……siṭhīkaraṇa dāmodara dāsa | <Kārttika-māhātmya> この本の書写[生]はシティー・カラナ[というカーストに属する]ダーモーダラ・ダー サ[である.]
āhe prabhu rābaṇāri raghukuḷa bīra |
kāhnu caraṇa paṇḍāṅku rakha pada taḷa || <Śrīrāmalīḷā, Sindhuḍākāṇḍa> ラーヴァナの敵であり,ラグ族の英雄である神よ(=ラーマ神)どうか[私]カンフ・ チャラナ・パンダーを御足の下に置いてください.
bhṛtyara bhṛtya mu aṭai prabhuṅkara |
bipra pitāmbaraku udhara cakradhara || <Śrīrāmāyaṇa, Aʝodhyākāṇḍa> 私は神の侍者のさらなる侍者である.チャクラダラ(円盤を持つ)神よ,バラモンである [私]ピターンバラを救ってください.
śrīgurudeba udhāra kari[be] adhama daitā tripāṭhīkiṁ | <Śrīdārḍhyatā-rasāmṛta>
吉祥なる師匠は,最低の[人間である私]ダイター・トリパーティーを救ってくれますよ うに.
adhama lakhmaṇa paṭanāyaka | <Adhyātma-Rāmāyaṇa, Laṅkākāṇḍa> 最低の[人間である私]ラカマナ・パタナーヤカ.
lekhnakāra bipra prabhākara pāḍhiṅku śrīnārāyaṇa udhāra karibe |
<Adhyātma-rāmāyaṇa, Sindurākāṇḍa> 書写生のバラモンである[私]プラバーカラ・パーディを吉祥なるナーラーヤナ神は救済 してくれるであろう.
lekhanakāra micha mahāpatraṅka putra nātha mahāpātra | <Stuti-stotra> 書写生ミチャ・マハーパートラの息子[である私]ナータ・マハーパートラ.
lekhanakāra bīra mahāntie | <Baidehīśa-biḷāsa> 書写生[である私]ビーラ・マハーンティ.
…. mahādevasya ātmaja bharadvājagotreṇa …harihara śarmaṇā ayodhyākāṇḍaṁ likhyate |
<Jagamohana Rāmāyaṇa, Aʝodhyākāṇḍa> マハーデーヴァの息子であるバラドヴァージャというゴータラのハリハラ・シャルマンに よって「アヨーディヤの巻」は書かれた.
例文の11人の書写生のうち,6名(Pāḍhi, Tripāṭhī, Paṇḍā, Mahāpātra, Bharadvāja-gotra, ∼bipra)が明らかにバラモンカーストの者であり,その他の中でPaṭanāyakaと
Mahāntiはkaraṇaに当たるカーストであり,Sāu (現在Sāhu)は基本的にヴァイ
シャ,シュードラに属するが,haḷuā-brāhmaṇaと呼ばれる農作が許されている低 いバラモン層に属することもある.
上記のdāsaという苗字は4つの全てのカーストを指す可能性がある.オディ シャーでは,dāsa (Das)とdāśa (Dash)の区別があり,前者はクシャトリヤ,ヴァ イシャやシュードラであるが,後者はバラモンのみを指す.しかし,オディアー
語ではsa, śa, ṣaの全てがsaと発音されるため,オディシャーの貝葉写本にもそ
れが影響を与え,殆んどの場合saで表記される.なお,bipra∼dāsaとなってい るときは,bipraという語からそれはバラモンであることが明白である.書写生
Dāmodara Dāsaの場合,siṭhīkaraṇa とあることから,カラナカーストと特定でき
る.また,氏族からもカーストを特定できる仕組みになっている.例えば,
Bharadvāja-gotraの場合,それは間違いなくバラモンであることを示す.
(7) その他
現在のところ一ケ所の写本しか確認できていないが,あるコロフォンには,「e pustaka mūlya … ṭaṅkā satya |」<Stuti-stotra>(この本の価格は確かに○○ルピーである) と写本の 値段が記されている場合がある.この記述から,当時の経済的状況を 窺い知ることができ,また同様の記述を持つ他の写本との比較によって,その写 本の価値が明らかになる可能性が考えられる. 4
.おわりに
このように,コロフォンの中には,書写作業の困難さと写本の大切さ,写本を めぐる人々の努力,社会における地位,貝葉写本そのものの経済的・相対的価 値,インド社会におけるその位置づけを書写生の声を通して明らかにすることが できるものが存在する.これらはある特定の写本のテクストの内容をより詳細に 理解するための大きな手掛かりともなることは言うまでもない.なお,サンスク リット語のコロフォンはオディシャーの写本以外,インド系写本全般によく見ら れる典型的なものと言える. コロフォンが語る書写生の言葉の中で最も興味深い点は,書写生のカーストが 語られていることである.インドではkāyasthaというカーストが書写生として活 躍していたことは周知の通りである.kāyasthaはオディシャーにおいてkaraṇaカーストとして知られている.その名の由来は,彼らがkaraṇīという鉄筆を用い て書写していたことによる.そのため,オディシャーの貝葉写本で用いる文字も karaṇī書体として知られている.12世紀ごろプリーのジャガンナータ寺院の記録 を書き残すためにkaraṇaカーストが作られたことがその起源とされている.そ の一般的な位置づけは,クシャトリヤとヴァイシャの間,つまりクシャトリヤよ り低くてヴァイシャより高いとされる.しかし,上記の事例から,そして書写生 の名前が記されていた18名のうち11名がバラモンカーストの者であることから, バラモンカーストの書写生も普通に従事していたことがわかる.書写生のカラナ からバラモンへのこの変化はオディシャーだけのものか,それともほかの地域に もそのような例がみられるかを今後の研究課題としたい. 最後に,今回一次資料として用いたのはヒンドゥー教の宗教系写本のみであっ たが,将来はオディシャーに数多く存在する伝統医学,天文学,オディアー文学 など特定の宗教とは関係のない,いわゆる非宗教的な写本とも比較検討するとと もに仏教とジャイナ教の写本のコロフォンとも比較検討し,社会的,宗教的,文 化的な側面からインド系写本がどのように受容されてきたかを明らかにしたい. 〈謝辞〉 坦博艺苑と蘭州大学共同研究プロジェクトには貴重な貝葉写本を研究する機会をいただいた.記し て感謝する. 〈参考資料〉
DASH Shobha Rani 2006 「日本で発見されたオリヤー語の『マハーバーラタ』について」『印 度学仏教学研究』54(2): 241–244.
― 2007 「インド・オリッサ州の貝葉写本の特徴について」『仏教学セミナー』85: 13– 23.
Vergiani, V. et al. eds. Indic Manuscript Cultures Through the Ages: Material, Textual and Historical
Investigations. Berlin: De Gruyter, 2017.
〈キーワード〉 コロフォン,オディシャー,オディアー語,貝葉写本,karaṇa