• 検索結果がありません。

山村集落における棚田の役割の変化と今後の存続形態―うきは市浮羽町新川地区「葛篭集落」と「内ヶ原集落」を対象として― [ PDF

N/A
N/A
Protected

Academic year: 2021

シェア "山村集落における棚田の役割の変化と今後の存続形態―うきは市浮羽町新川地区「葛篭集落」と「内ヶ原集落」を対象として― [ PDF"

Copied!
4
0
0

読み込み中.... (全文を見る)

全文

(1)

山村集落における棚田の役割の変化と今後の存続形態

―うきは市浮羽町新川地区「葛篭集落」と「内ヶ原集落」を対象として―

      

安部 麻美 はじめに  農業の近代化以降,生産基盤としての役割を失った 山村集落の棚田は著しく減少した。しかし近年,景観 資源として再び注目され,保全活動が活発化している。 その一方で,多くの集落では過疎・高齢化の進行によっ て地域社会が衰退し,現在,存続の危機を迎えている。 このような現状にある集落にとって,棚田の維持と集 落の持続はどのような関係にあるのか。本研究では, 福岡県うきは市の山間部にある 2 集落を対象に,様々 な社会変動の中での棚田の役割の変化を捉え,棚田の 形成過程や構造,現在の維持の在り方を比較し,集落 の持続につながる棚田の存続形態について検討するこ とを目的とする。 1.対象集落の特性と現状  対象集落のある福岡県うきは市浮羽町新川地区は, 石垣で築かれた棚田と伝統的な民家群が水系に沿って 展開する景観が特徴的な山村集落群である。8 行政区 11 集落で構成され,地区の主水系に沿って連続的に展 開する集落と,周囲を山林に囲まれ独立した集落空間 を形成する集落とがある。本稿で対象とする「葛篭集 落」と「内ヶ原集落」は後者にあたり,地区内でも特 に棚田保全に向けた取り組みが積極的に行われている 2 集落である。しかし,その現状は極めて対照的であり, 地形や水系規模,市街地との近接性など地理的な相違 点も多い。  葛篭集落は,新川地区の最奥部,標高 350 ~ 500 m に位置する。起伏のある地形に築かれた石垣の水田が, 約 6ha の傾斜地に 300 枚連なる壮大な棚田景観が最大 の特徴であり,行政による大々的な保全が行われ,葛 篭棚田を舞台とする様々な取り組みが実施されている。 一方,現在集落に暮らす住民はわずか 5 世帯で,空き 家が目立ち,農地とは対照的である ( 写真 1)。  内ヶ原集落は,市街地に最も近い新川地区の北西部, 標高 300 ~ 350 mの傾斜の緩やかな小盆地に立地して いる。茅葺き民家や伝統的瓦葺きの民家が多く残り, 現在 31 世帯が暮らす高密度な生活空間が維持されてい る。一方,近年の高齢化により,棚田の衰退が急速に 進んでおり,集落住民による自力での維持が地道に行 写真 1:葛篭集落の棚田 写真 2:内ヶ原集落の棚田 われている状況である ( 写真 2)。 2. 集落の変容とその背景  表 1 は,過去 30 年間の対象集落の人口推移を示す。  葛篭集落は,世帯数の減少に歯止めがかからず,現 在の深刻な過疎状態に至っている。終戦直後の林業最 盛期には最大 49 世帯の大きな集落であり,世帯数の下 降は農業近代化が行われるようになった昭和 35 年頃か らすでに始まっている。一方,内ヶ原集落は,林業衰 退直後,農村全体の衰退に伴い一時的に過疎化が進む が,その後は現在まで世帯数を維持している。  終戦直後にはほぼ同規模であった 2 集落は,異なる 変容の過程を辿り,現在の対照的な状況に至っている。 こうした集落変容の背景には,様々な社会変動の中で 起こる生業の変化が大きく影響しており,生業形態や 都市との近接性,気候や立地条件といったそれぞれの 集落特性の違いが変容過程の違いとなっていると考え られる。また,人口流出や近年の急速な高齢化は両集 落に共通しており,若者が不足した集落の現実的状況 がうかがえる。 表 1:対象集落における過去 30 年の人口推移 ( 新川・田篭 文化的景観調査報告書 p2) 葛篭集落 内ヶ原集落 世帯 人口 65 歳以上 高齢化率 世帯 人口 65 歳以上 高齢化率 終戦直後 49 - - - 56 - - -昭和 54(1979) 19 89 15 16.9 64 202 24 11.9 昭和 59(1984) 16 84 13 15.5 43 176 20 11.4 平成 1(1989) 12 72 11 15.3 42 164 22 13.4 平成 5(1993) 12 71 11 15.5 42 145 32 22.1 平成 10(1998) 10 52 13 25 41 124 27 37.9 平成 15(2003) 9 41 16 39 41 96 50 52.1 平成 19(2007) 5 22 8 26.4 41 81 47 58 15-1

(2)

3.棚田の構造  様々な社会変動に伴う集落の変容の中で,棚田はど のように変化してきたのか。それぞれの集落について 明治期と現在 ( 地目上 ) の農地と水系を比較し,棚田 の形成過程やその構造を明らかにする。 3-1.葛篭集落の棚田構造  葛篭集落の水田開発の歴史は古く,集落に残された 石碑の記載から,江戸中期には既に開発が行われてい たことが分かる。現在の構造は,水量の豊富な葛篭川 を主水源とし,そこに流れ込む複数の谷川と等高線に 沿って走るイデ ( 人工的水路 ) とを組み合わせた複合 的な仕組みである ( 図 3)。イデは,葛篭川から取水し た水を谷川へと運ぶ補助的な役割をし,それが上流か ら下流にかけて複数形成されることで,農地全域に安 定した水の供給を可能にしている。  給排水路が区別されておらず,上流の農地の排水が 再びその下流の農地の給水となる一連のつながりを 持った水利であるため,給排水の時期や水量など上下 の所有者同士で複雑な利害関係が発生する ( 図 4)。そ のため,一軒の所有は微地形に沿って形成された農地 ごとにまとまっている。この一連の水利関係は,イデ 単位で完結し,イデを共有する農地所有者によって水 利と管理同一のグループが形成されている。また,微 地形ごとにまとまった個人の所有農地は,農地全域に 分散しているため,各所有者は複数のイデの管理グルー プに重複して所属している ( 図 5)。  葛篭集落の棚田は,その起伏ある地形から,複雑な 水利構造によって成り立っており,互助の精神に基づ く共同性を前提とした仕組みである。そのため,農地 単体,所有者個人では維持できず,イデ単位の農地所 有者による強固な社会関係が重要となる構造であると いえる。この構造は,明治中期にはすでに形成されて おり,かなり早い段階から維持されてきたことが分か る ( 図 2)。 3-2.内ヶ原集落の棚田構造  内ヶ原集落では,灌漑設備の発展とともに段階的な 水田開発が行われ,下流から上流へと農地が拡大した。 明治中期には,下流の水田が既に形成されているのに 対し,上流では畑が多く分布し,水田は小さな堤を水 源とする小規模なものであったことがわかる ( 図 6)。 近世以前の構造である下流域では,谷水と江戸期に建 設された溜池 (「ドンブリ」) を水源とする水路とを組 み合わせた灌漑が行われている ( 図 7)。  一方上流の農地は,明治 42 年耕地整理が行われ,「大 図 2:明治中期の農地と水系 図 4:水利モデル 図 3:現在 ( 地目上 ) の農地と水系 図 5:水利構造の広域モデル

谷川

イデ

 【現在 ( 地目上 )】 古屋敷井手 下園井手 田代井手 松原井手 山の神井手 個人所有 の井手 上井手 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 )  【明治中期】

谷川

イデ

 【現在 ( 地目上 )】 古屋敷井手 下園井手 田代井手 松原井手 山の神井手 個人所有 の井手 上井手 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 )  【明治中期】 田 谷川 イデ 畑

谷川

イデ

 【現在 ( 地目上 )】 古屋敷井手 下園井手 田代井手 松原井手 山の神井手 個人所有 の井手 上井手 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 )  【明治中期】 0 50 100 200(m) 堤」と呼ばれる大きな溜池と水路が建設されたことに より拡大した。その構造は,給排水が整理された合理 的な仕組みであり,農地への給水はすべて大堤を水源 とする水路によって行われ,排水は谷川へ流される ( 図 8)。水利は水田一枚単位で完結し,個人での効率的な 水利が可能な構造である。そのため,所有区分が細分 化されており,所有者の異なる農地が連続している ( 図 9)。  内ヶ原集落上流域の棚田は,近代における非常に合 理的な構造であり,水利においては権利が明確な仕組 みによって成り立っている。しかしすべてが個人単位 で成立していたわけではなく,重労働を伴う大堤の管 理については,多くの所有者の共同作業によりその維 持を可能にしてきた。 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ ※アルファベットは 農地所有者を示す。 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ ■葛篭集落の棚田構造 15-2

(3)

葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ 写真 3:葛篭集落オーナー田植え 写真 4:内ヶ原集落オーナー田植え 図 7:現在 ( 地目上 ) の農地と水系 図 6:明治中期の農地と水系 ■内ヶ原集落の棚田構造 谷川 小さな堤 水路 水路 「ドンブリ」 「大堤」 谷川 上井手 ( 上流 ) ( 下流 ) 谷川 小さな堤 水路 水路 「ドンブリ」 「大堤」 谷川 上井手 ( 上流 ) ( 下流 ) 4.近年における棚田の変化と管理主体の変化  農林業の衰退以降,過疎化の進行により棚田が縮小 する中,近年では高齢化が急速に進み,棚田の維持は ますます厳しい状況となっている。両集落ともに,畑 や果樹園への転用,耕作放棄地の増加がみられ,現実 的状況は共通している。そうした中,それぞれの集落 の棚田維持のあり方は大きく変化している。  葛篭集落では,1990 年代以降の全国的な棚田保全の 活発化やうきは市によるグリーンツーリズム事業を背 景に,棚田景観が再評価され,市の観光資源として行 政による保全が実施されるようになった。平成 10 年 には都市住民との交流による地域活性化を目的とした オーナー制度が開始され,集落住民と行政,オーナー ( 都市住民 ) が関わる維持が行われるようになった。 こうした取り組みの一方で葛篭集落の過疎化は深刻化 し,平成 17 年には行政の委託・補助のもと新川地区の 他集落住民による管理が開始された。有志で集まった 地区住民が「つづら棚田を守る会」を結成,活動のす べてを主導している。葛篭棚田の保全を目的に開始さ れた守る会の活動は,徐々に地区全体へと広がってお り,複数の集落住民が協力し,地区単位で地域を維持 する姿勢へと変化している。また,集落を下ってから も農業だけは継続する元住民も増加している。  一方,内ヶ原集落では,平成 12 年集落入口の水田耕 作者が耕作不能になったことを機に,集落の若手住民 3 名が有志の保存会「田で ん で ん む し伝夢司の会」を発足した。彼 らは,減少が続く集落の棚田保全と高齢化の進む集落 の活性化を図りオーナー制度を開始,オーナーとの共 同管理という独自の維持を行っている。  両集落ともに,近年においては集落住民だけでの維 持が困難となり,管理主体の多様化やその単位の拡大 が進んでいる。しかし,棚田への注目度や行政補助の 有無,住民の主導性やオーナーの主体性など,そのあ り方は対照的であり,それぞれの主体が棚田維持に関 わる目的も多様化している ( 表 2)。棚田の大部分が水 田として維持される葛篭と,著しく減少した内ヶ原と いう現状の違いは,こうした維持のあり方の違いが影 響しているといえる ( 写真 3,4)。しかし,内ヶ原上 図 8:水利モデル 図 9:水利構造の広域モデル 表 2:各管理主体の棚田維持のあり方と目的 管理主体 葛篭集落 内ヶ原集落 集落住民 「オーナー制度」( 行政主導 ) ・行政と共同で「浮羽町棚田保存 協議会」を構成。 ・行政の仲介のもと,農業の指導, 「ふるさと直送便」の準備,活動 後のもてなしなどを行う。 ・各所有農地をオーナーの田とし て提供。実質的な日常の管理はす べて各所有者が行う。 「オーナー制度」( 住民主導 ) ・集落住民の有志 3 名が「田伝夢 の会」を結成。 ・企画,スケジュール,会計,農 業の指導,活動後のもてなし,イ ベントなどすべてを主導する。 ・耕作不能となった住民の農地を 譲り受け,「田伝夢司の会」とオー ナーが共同で管理。 歴史的価値の継承と集落の維持 元住民 従来どおり耕作を継続。歴史的価値の継承と集落の維持 ― ― 行政 ・「オーナー制度」を主導。 ・農作業環境の整備・改善を行い, 管理を補助的に支援する。 ( 行政補助なし ) 観光,景観資源の保全 オーナー ( 都市住民 ) 年 2 回の活動のみの参加。 住民と共同で主体的に棚田の維持 や運営に関わる。 農業体験,ツーリズム 農業体験,集落の活性化の補助 守る会 ( 地区住民 ) 行政の補助のもと,地区内の他集 落の住民が主導して運営。農作業 のすべてを請け負う。 ( 守る会による耕作農地なし ) ※「田伝夢司の会」の運営者 3 名 は守る会にも所属している。 地区全体の棚田の維持と活性化 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ 0 50 100 200(m) 田 谷川 水路 畑

谷川

イデ

 【現在 ( 地目上 )】 古屋敷井手 下園井手 田代井手 松原井手 山の神井手 個人所有 の井手 上井手 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 )  【明治中期】 ※アルファベットは 農地所有者を示す。 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ 葛篭川 ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) ( 上流 ) ( 下流 ) イデ 1 イデ 3 水田 給水 排水 イデ 2 グループ① 谷川 谷川 谷川 谷川 水路 ( 水路 ) ( 谷川 ) 谷川 谷川 A A B C D E F G H I J A A B C D A A A E B C C C C C B B B B B D C C 大堤 イデ または 谷川 給排水路 給水路 排水路 給水 水の流れ 排水 グループ② グループ③ 15-3

(4)

集落住民 通い農業 オーナー 田伝夢司の会 集落住民 通い農業 守る会 オーナー 葛篭川 大堤 図 10:【葛篭】現在の管理主体 図 11:【内ヶ原】現在の管理主体 流域については衰退が著しく,単に維持のあり方だけ ではなく,近代の合理的な構造や細分化された所有形 態が,現在的状況の中では,かえって農地の転用や耕 作放棄地の増加を早めた要因のひとつとなっていると 考えられる。 5. 現在を生きる集落の営み  本章では,多様化した主体による維持の現状を明ら かにする。図 10,図 11 は,2010 年の現地調査に基づき, 現在の水田を管理主体別に塗り分けたものである。  葛篭集落では,広大な棚田の約 8 割が集落住民と元 住民によって耕作されている。その割合は,集落住民 4 世帯,元住民 5 世帯という状況であり,過疎化の進 行とともに元住民の耕作農地が増加している。元住民 の中には,集落の高齢者の田を譲り受けたり,機械を 持たない集落住民の農作業を手伝うなど,棚田の維持 において貴重な存在となっている人物もいる。しかし, 元住民の高齢化も進んでおり,持続的な視点では集落 住民と同様の課題を抱えているといえる。  一方,残りの 2 割は守る会によって耕作され,その 面積は葛篭住民の高齢化とともに拡大している。耕作 農地は,構造的にも景観的にも欠くことのできない場 所に位置し,守る会の存在なくしては観光資源として の価値も,連続性を維持する構造自体も成り立たない 状況になりつつあるといえる。しかし,会員である地 区住民の多くは勤労者であるため,作業の効率化が継 続に向けた必須条件であり,行政の補助のもと灌漑設 備の整備や農機具倉庫の建設などが行われている。こ うした行為は一見,景観や構造に矛盾しているが,持 続においては必要であり,問題は主体によって異なる 目的のバランスであると考える。  一方内ヶ原集落では,現在農業を継続する集落住民 は 10 世帯にまで減少し,一軒辺りの所有農地は少な く分散的である。また,通い農業と思われる農地もあ り,残された農地が集落住民だけで維持されていない ことがわかる。さらに,住民有志 3 名の保存会による 耕作農地は,集落住民の高齢化に伴い当初の 0.2ha か ら 0.6ha に拡大している。このうちオーナーが主体的 に関わるのは最初に譲り受けた集落入口の水田のみで, 残りは保存会を主導する 3 名によって耕作されている。 しかし,現在もなお高齢化は進行中であり,保存会に 預けたいと思っている住民は多く,住民有志 3 名に頼 る維持も限界に達しているといえる。今後はオーナー が主体的に関わる田の拡大,もしくはその他の選択と いう重要な岐路にあるといえる。 6.まとめ  長い間集落の「生産基盤」であった棚田は,集落の 存続が最大の課題である今,「集落を維持するための手 段」として保全されている。祭礼などの伝統行事など を除いては,集落での営みを失いかけていた住民にとっ て,棚田を守ること自体が主要な営みとなっていると いえる。営みが失われることは集落の衰退を意味し, 棚田保全という新たに生まれた営みは,集落の持続の 鍵である。しかし,棚田保全を営むことが集落の持続 と直接的に結び付くわけではなく,重要なのはそのあ り方である。  本研究を通して,集落単体での維持は限界に達し, 管理主体の多様化と単位の拡大が必要であることは明 らかであった。各主体は,それぞれ異なる目的を持っ て棚田維持に関わっており,現在はそれらが交錯して いる状況であるといえる。しかし,棚田の構造は,農 地単体や所有者個人で成立するものではなく,農地を 維持する者同士の共同性の中でその連続性が維持され てきた。主体の多様化が必須となる今,各主体がこの 棚田本来の構造を理解しなければ,徐々に破綻してい くと考えられる。そうした中で,共通の営みを共有し てきた地区住民の存在は重要であり,自らの利益を最 大の目的とせず,集落を越えた地区単位で存続の危機 を乗り越えようとする主体の存在は,集落の持続にお いて大きな可能性を持っているのではないだろうか。 集落住民 通い農業 オーナー 田伝夢司の会 集落住民 通い農業 守る会 オーナー 葛篭川 大堤 集落住民 通い農業 オーナー 田伝夢司の会 集落住民 通い農業 守る会 オーナー 葛篭川 大堤 集落住民 通い農業 オーナー 田伝夢司の会 集落住民 通い農業 守る会 オーナー 葛篭川 大堤 0 50 100 200(m) 0 50 100 200(m) 15-4

参照

関連したドキュメント

本章では,現在の中国における障害のある人び

非難の本性理論はこのような現象と非難を区別するとともに,非難の様々な様態を説明

うのも、それは現物を直接に示すことによってしか説明できないタイプの概念である上に、その現物というのが、

の点を 明 らか にす るに は処 理 後の 細菌 内DNA合... に存 在す る

このように、このWの姿を捉えることを通して、「子どもが生き、自ら願いを形成し実現しよう

我々は何故、このようなタイプの行き方をする 人を高貴な人とみなさないのだろうか。利害得

Q-Flash Plus では、システムの電源が切れているとき(S5シャットダウン状態)に BIOS を更新する ことができます。最新の BIOS を USB

⑴調査対象 65 歳以上の住民が 50%以上を占める集落 53 集落. ⑵調査期間 平成 18 年 11 月 13 日~12 月